小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

東京オリ・パラの選手村が「ダイヤモンド・プリンセス号」になる日

2021-06-29 08:22:45 | Weblog
東京オリ・パラまで1か月を切った。もうここまでくると核戦争でも勃発しない限り中止は不可能だろう。
だが、今回の東京オリ・パラほど不愉快に思った経緯はない。都民や国民にとって都合の悪いことはすべて伏せられたまま、東日本大震災の「復興オリンピック」の名のもとにどんどん進められていった。その状況は、先の大戦で敗色濃厚なのに大本営は「勝った、勝った、また勝った」と虚偽の戦果発表で戦意の高揚を図り、最後は米軍の上陸作戦に備え婦女子にまで「竹やりで戦え」と追いつめていった経緯にあまりにも似ているからだ。

●石原慎太郎・元都知事が始めた東京オリ・パラ招致運動
石原氏が東京オリ・パラの招致を計画したのは2007年。都知事部局に生活文化スポーツ局を新設して招致活動をスタートさせた。この時期、広島市もオリ・パラ招致活動を始めようとしていた。が、一つの国から2都市が立候補は出来ない。広島は断念して東京に一本化することになった。背後では森喜朗・元総理(のち組織委会長)が動いたと言われている。
石原氏は2016年の夏季大会招致を目指したが、2009年10月のIOC総会で、東京はリオネデジャネイロに敗れた。
2011年3月11日、東日本大震災が勃発した。
その翌年、都知事選で勝利した石原氏が4月に再挑戦を表明した。石原氏はすでに体調に支障をきたしていたが、森氏に招致活動のレールを引き直したら辞めてもいいからと説得され都知事選に立候補したと言われている。実際、石原氏は翌12年10月、都知事を辞任。12月の都知事選で、石原都政で副知事を務めてきた猪瀬直樹氏が当選した。
2013年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で2020年夏季大会の開催都市に東京が選ばれた。この時点では開催時期についての情報は極秘とされ、国民が酷暑の7月後半から8月にかけてという時期を知らされたのは、東京開催が決まってからである。
「死人が出るぞ」と猛烈な批判が寄せられるようになったのは、その後である。今は使われなくなったが高温多湿状態を「不快指数」として気象庁が公表していた時期がある。その不快指数が最も高くなる時期が梅雨明け早々なのだ。よりによって、そんな時期に東京でオリンピックを開催するというのだ。
その後、マラソン会場は東京から札幌に移すことになる過程で、主催都市の東京には何の権限もなく、すべての権限をIOCが握っていることも次第にわかってくる。真夏の東京での開催も、立候補の条件だったことも判明してしまう。
またすべての権限を掌握しているIOCが、開催時期を7~8月としている理由も、巨額の放映料を払う米テレビ局NBCの意向であることも国民すべてが知ることとなった。スポーツ大国で、バスケット、アメフト、野球、アイスホッケー、ゴルフ、テニスとプロスポーツが盛んなアメリカだが、日本と同じ北半球に位置するアメリカでは真夏のプロスポーツの競技は少ない。米テレビ局としては真夏のスポーツ中継は絶好のカネ儲けイベントというわけだ。しかも今年はコロナ禍で巣ごもり生活をする人が多い。そういうこともあってNBCは「過去最高の利益を上げることができる」と早くも皮算用をはじいている。

●なぜ無観客か有観客かが問題になったのか?
前回のブログで読売新聞が行った実質2択の世論調査の結果として、読売が「開催派が中止派を上回った」としたことに、私は噛み付いた。読売は一応3択形式のアンケートを取ったのだが「人数制限で開催」「無観客で開催」「中止」として「再延期」の選択肢を意図的に外して事実上「開催」か「中止」かの2択で世論を振り分けた。そうなると「再延期派」は分断され、「中止派」も増えるが「開催派」も増える。なんという小汚い世論調査をやったものだ。
前回のブログでは書かなかったが、読売は消費税軽減税率のお礼を政府にしたかったのだろうと思っている。
それはともかく、前回のブログでかいたが、私は有観客にしてもソーシャル・ディスタンスさえ確保すれば、少なくとも競技場内でのクラスターは絶対に発生しないと書いた。ただし、競技が終了した後の観客の退出時に出口や帰路での3密状態を防ぐ方法として30分くらいかけて少しずつ観客を退出させれば、競技終了後のコロナ・リスクも回避できると書いた。
私がそのブログをアップしたのは5月8日。ちょうど3週間前だ。その後も有観客か無観客かで、とくに民放テレビで論客たちの議論が沸騰した。とくに分科会の尾身会長が有観客のコロナ・リスクを強く訴えて政府や組織委と対立したときは、実は尾身氏も含めて本当のコロナ・リスクから国民の目をそらすためにグルになっているのかと疑問を抱いたほどだった。その疑問は依然として残ってはいるが、有観客リスクが、私が前回のブログで提案した方法では解決不可能であることが、ごく最近になってようやく分かった。はっきり言って有観客リスクはどうやっても絶対に回避できないのだ。
というのは、これも政府や組織委の汚い後出し情報なのだが、競技終了時間がアメリカでの生中継の都合上、深夜の午後11時半以降になるということが判明したのだ。そうなると、1万人の観客を30分くらいかけて密にならないように退出させることなど、絵に描いた餅にもならない。
いま突然、競技とは別に観客の退出時間を9時にするという案がどこからか出てきた。相撲はオリンピック競技ではないが、大相撲の観客を「十両の取り組みが終わったら、お帰りください」というようなものだ。
有観客にしたところで、だれがそんな競技を見るために競技場に足を運ぶと思っているのか。そこまでアメリカのテレビ局の都合に合わせなければならないのなら、いっそオリンピックは今後アメリカ各州の持ち回りでやればいい。アメリカには50州あるから(ワシントンDCを除く)、4年に1回のオリンピックなら一回りするのに200年かかる。冬季オリンピックも同様にしても、一回りするのに100年かかる。
アメリカの、アメリカによる、アメリカテレビ局のためのオリンピック
それで「平和の祭典」とされるオリンピックがより盛んになるなら、それでいいではないか。
言っておくが、次期オリンピックはパリ大会だ。真夏の最高気温は40℃に達する。小池都知事はマラソン競技の問題が生じたとき、今後北半球でのオリンピック開催は不可能になる、と発言した。私もそう思う。が南半球にオリンピックを開催できるような近代都市がどのくらいあるか。そう考えたら、アメリカ各州での持ち回りは、あながち不合理な案ではないと思う。

●西村宮内庁長官の「拝察」発言は西村氏の私見か?
6月24日の定例記者会見で西村宮内庁長官が「(オリ・パラ)開催が感染拡大につながらないか、(陛下が)ご懸念されていると拝察している」と述べたことが波紋を呼んでいる。
直ちに反応したのは橋本組織委会長、丸川五輪相、そして最後に菅総理。全員言葉を揃えて「長官自身の見解と理解している」と述べた。
私自身は、西村発言は宮内庁内で練りに練った内容だと考えている。だから「天皇はこう考えている」と断定的な表現ではなく、しかし天皇がコロナ禍のまん延によって多くの国民が苦しんでいるなかで、かつ火に油を注ぎかねないオリ・パラ開催に重大な懸念を抱かれるのは自然であり、そうであってこそ国民統合の象徴としての天皇のあるべきお姿だと思っている。
むろん、私は先の大戦における昭和天皇の戦争責任は決して軽くないと考えているが、だからこそ戦後の皇族方は国民に寄り添い、慰霊の旅をお続けになったり、災害が生じたときは避難民を慰め励ますために足を運んでこられた。
 そうした国民に寄り添うお気持ちをどう表すべきか、「コロナ禍をさらに広げかねないオリ・パラには反対だ」とはさすがに言えず、もどかしさをずっとお感じになられてきたと思う。だから西村長官の「拝察」という間接話法によって、ご自身のお気持ちを代弁させたというのが真実だと思う。
 おそらく西村長官が「拝察」という間接話法を使わずに「ご懸念されている」と直接話法で天皇のお気持ちを代弁したとしても、それでオリ・パラが中止になるわけではない。むしろ「天皇陛下にご心痛をおかけしないように不要不急の外出、多人数での飲食など、感染拡大につながりかねない行動は慎んでいただきたい」と「政治利用」した方がコロナ対策としては大きな効果を持ったのではないか。
 なかには憲法学者や共産党の志位委員長が「天皇は政治的発言は行うべでではない」と批判しているが、では慰霊の旅や災害時の避難民訪問は「政治的行為」ではないのか。いわゆる皇室外交は皇族の政治利用ではないのか。
 ついでのことに書いておくが、いま政府の有識者会議で「女性・女系天皇」や「女性宮家創設」が議論されている。なかなか結論は出ないが、多くの国民は少なくとも「女性・女系天皇」には好意的だ。
 が、頑迷な超保守系の政治家は「男系男子の皇位継承は皇室の伝統であり、女系天皇は絶対認められない」と主張している。完全に矛盾した論法だ。
 皇室の伝統というなら、過去、女性宮家は存在したことがない。宮家というのは、ご当人が天皇になる可能性があるか、その直系の男子が天皇になる可能性を有したケースにのみ与えられた皇族での地位である。従って、女性天皇はダメだが、女性宮家はいいというのは女系男子が皇位を継承することを認めることになる。女性宮家創設論者や有識者会議の面々は、そんな単純な矛盾にすら気が付かないアホどもなのか。
 はっきり言っておくが、私は女系・女性天皇を認めるべきだと考えている。どうしてもだめというなら天皇に男子のお子様がお生まれになるまで、天皇にだけ妻妾制度を認めるべきだ。日本の男系男子の皇位継承の伝統はそうやって維持されてきたのだから。

●政府は可能な限りの観光クルーズ船をチャーターすべきだ。
続々とオリンピック出場の選手たちが来日し始めている。私は前回のブログで、最大のコロナ・リスクは選手団や関係者にあると書いた。早くも、その兆候が最初に表面化したのはウガンダの選手たちだ。9人来日した選手のうち、成田空港の検査で一人の感染が判明、その後も滞在先の泉佐野市でさらに一人の感染が判明した。ウガンダの選手は全員、アストラゼネカのワクチンを2回接種したと主張し、証明書も持参してきた。本当か? 極めて疑わしい。
オリンピックに出場しようという選手だ。ワクチンを接種するか否かは別にして、感染予防には相当注意してきたはずだ。それが9人中2人も感染者であることが判明した。確率論的に考えたら、ものすごい数字だ。日本人の2割が感染した状況を考えれば、すぐわかることだ。1週間と経たずに日本人の大半がコロナ患者になる。2割というのは確率論的には、そのくらいすごい数字だ。
これからどんどん海外から選手団や関係者(取材陣も含めて)が来日する。どうやって水際作戦を行使できるか。ほとんど不可能といっていい。
最大のリスクはアメリカの選手団や関係者だ。すでに報道されているように、アメリカにはトランプ信奉者がまだ相当いて、バイデン大統領が推進しているワクチン接種に抵抗している。個人的に抵抗して「私はワクチン接種をしない」の範囲にとどまればともかく、集団でデモをして民主党支持者集団と衝突しかねない事態も生じている。
アメリカからの選手団や関係者は数千人に達するとみられている。日本ですらワクチン接種拒否者が2割に達し、「どうしようか、どうしようか」と思案中の人が3割強もいるという。日本ですらですよ。個人主義者が圧倒的多数を占めるアメリカからの来日者の何割がワクチン無接種で来るか。無接種どころか、すでに感染している選手団や関係者も相当いると覚悟した方がいい。
感染が判明した場合、どうやって彼らを隔離するか。はっきり言って日本の病院は絶対受け入れない。日本人患者ですら自宅待機をお願いしている状況で、海外のオリンピック選手を受け入れたりしたら、その病院は火を付けられかねない。「非国民」などと言う言葉は使いたくないが、私の知り合いのどの医者に聞いても、「入院どころか治療に当たる日本の医者や看護婦は一人もいないでしょう」と言っている。
かといって外国人感染者を野放しにするわけにはいかない。選手村で隔離するとなれば、選手村全体がダイヤモンド・プリンセス号状態になる。オリンピック競技の継続どころではなくなる。「羽鳥モーニングショー」のコメンテーター・玉川氏は「いろいろな国の方のウイルスがまじりあって新種のウイルスがどのくらい発生するか」と懸念を表明しているが、私もコロナ・オリンピックが始まるのは必至と思っている。
コロナ・オリンピックの発生は防げないとして、その規模を最小限にとどめるためには感染者を観光クルーズ船で完全隔離するしかない。治療は感染者の母国の医者に頼むかIOCに丸投げするか。それ以外の方法はない。

●ワクチンは感染予防薬か治療薬か?
これから書くことは多くの人にとってはかなりショッキングかもしれない。現在、日本で承認されているコロナ・ワクチンはファイザー製、モデルナ製、アストラゼネカ製の3種類である。それぞれ有効性はファイザー95%、モデルナ94.1%、アストラゼネカ76%とされている。が、これらの有効性はそれぞれ承認時の知見に基づく有効性であり、その後出現したイギリス型(アルファ)、インド型(デルタ、デルタプラス)、南アフリカ型(ベータ)などの変異種に対しての有効性を保証したものではない。現在までの治験によれば、最も信頼性が高いとされているファイザー製ワクチンでも有効性は70%台に下がっているとみられる。
そうしたことを踏まえて、厚労省の「有効性」についての説明も微妙に変化してきている。たぶん多くの方はびっくりされると思う。
「コロナ・ワクチンは感染を予防するものではなく、感染しても発症を抑えたり、重症化するのを防いだりするものです。感染の予防薬ではありません」
実はこうした問題が生じたのは「ワクチン」という呼称が一般化してしまったことによる。厳密にいえば、コロナ・ワクチンはワクチンではないのである。新しいカテゴリー(あえて言えば予防薬と治療薬の中間)に分類すべき性質のもののようだ。
インフルエンザ・ワクチンなどのワクチンは「生ワクチン」といって微量のウイルスを接種し、人間が自然に持っている免疫力を強めることによってウイルスの侵入を撃退する。もしワクチンを接種せず、あるいは新種のインフルエンザがワクチンによってつくられた免疫力を撃破してしまった場合は、タミフルなどの治療薬によって重症化を抑える。
ところがコロナ・ワクチンの場合は生ワクチンではなく、従って免疫力を高めるわけではない。つまりコロナ・ワクチンの有効性は「感染予防の免疫効果」を意味したものではないのである。では、コロナ・ワクチンはどういう働きをするのかというと、「感染しても発症を抑えたり、重症化するのを防ぐ」役割を果たすに過ぎないと、いまは考えられている。
だから、コロナ・ワクチンを2回接種しても、それによって感染防止の免疫力がつくられるわけではなく、従ってワクチンを接種してもコロナに感染してPCR検査で陽性反応が出ることは当然ある。それ以上のことは、未知である。


【追記】丸川五輪相の「バカ丸出し発言」について
6月29日、丸川五輪相の定例記者会見での発言が波紋を呼んでいる。東京オリ・パラには約7万人のボランティアが参加することになっているが、ボランティアは全国各地から自分たちの都合がつく期間、大会運営に協力する人たちだ。企業や大学あるいは地域ごとの、いわゆるコロナ・ワクチン「職域接種」の対象にはなりようがない。
組織委の計画ではボランティアに対するワクチン接種は1回目が6月30日から開始し、2回目はオリ・パラが始まっている7月31日から行う予定だ。ワクチンの種類はモデルナ製で、1回目と2回目は4週間の間隔を空けることになっている。そのため記者会見で「ボランティアの感染対策」について質問が飛んだ。コロナ・ワクチンは2回接種が原則になっているからだ。
その質問に対する丸川氏の回答が波紋を呼んだというのだ。自民党内でも批判が飛び交っているらしい。丸川氏はこう答えた。
「そもそもワクチン接種を前提にしないで大会準備を進めている」「出来るだけ早い段階で接種を始めたい」「まずが1回目の接種で一次免疫を付けてもらう」
コロナ禍でのオリ・パラを担当する五輪相としての丸川氏の、ワクチン効果と免疫についての無知無能があからさまになった瞬間である。
まず、免疫に関していえば、一次免疫とはワクチンを打たなくても健康な人ならだれでも自然に持っているものだ。つまり体外からウイルスなどの異物が体内に侵入したとき、その異物を攻撃して自然治癒する能力である。もちろん、すべての人が同等の免疫力を有しているわけではなく、だからコロナ・クラスターが発生しても感染する人としない人が出る。知りもしないで「一次免疫」などという専門用語を知ったかぶりして使ったことで、医学者たちからまず「アホ呼ばわり」されることになった。
ただ、丸川発言の「一次」は「一時」の言い間違いではないかと忖度したメディアもある。が、だとしたら丸川氏の日本語の使い方は小学生レベルということになる。「一次免疫」という専門用語があるのは当然、「二次免疫」を前提にしている。先述したように、一次免疫は健康な人が体内に有している免疫力のことで、例えばインフルエンザの場合も感染しても発症する前に体内の一次免疫でインフルエンザ・ウイルスを撃退することもある。そのとき体内の抗体がより強化されて二次免疫が作られるケースもあれば、あらかじめ感染を防ぐためにワクチンを打って体内の免疫力を強化して二次免疫をつくることもある。
コロナ・ワクチンの場合、1回目のワクチンで作られるのが実は二次免疫であり、2回目のワクチンで三次免疫が作られる。コロナは感染力が強く、1回のワクチン接種だけでは十分な免疫が作れないため2回接種が原則になっている。
丸川氏が、もし「一時的に」という意味で使用したというなら、有効性は極めて短い期間しか機能しないことを意味する。だとしたら、余計アホだ。
私は「1回の接種だけでは十分な免疫が作れないため」と書いた。実はモデルナ製のワクチンの有効性は1回目の接種で20%、2回接種して84.1%と言われている。この数字はあくまでワクチンとして承認された時点での治験による。
この数字の意味について丸川氏は完全に無知無能なのだ。コロナ検査は通常PCR検査で行う。鼻の粘膜や唾液にウイルスが含まれているか否かを試薬を使って検査するのだが、結果は陽性か陰性かのいずれかしかない。30%陽性などという結果はない。ただし、PCR検査の正答率が100%ではないことも確かだ。それはPCR検査の不確実性を意味しているわけではなく、たとえ感染していたとしてもウイルスが鼻の粘膜や唾液に確実に付着しているとは限らないからだ。また微量の場合、検出できないこともある。
つまり、モデルナワクチンの場合、1回目の接種で20%の有効性が確認されたという意味は、1回接種した人が全員2割の免疫力を持つという意味ではまったくない。確率論を勉強していない人(実をいうと私が高校生の時確率は数学の範囲から除外されており、私も確率論は勉強していない)が勘違いしやすいのはこのロジックなのだ。結論から言えば、ワクチンの有効性は私もどうやって計算しているのかわからないが、本来確率論はゼロか100かのどちらかの可能性を示す数字なのだが、もともとワクチンを接種しようとしまいと人間は自然免疫力をある程度持っているのだから、有効性の基準をどこに置いているのかは私も知らない。これが通常の確率論と違う要素なのだ。
そこで個体差は無視して1回目の接種で有効性20%ということは、例えばオリ・パラのボランティア7万人の場合、7万人のうち2割の1.4万人には二次免疫ができるということを意味する。つまり残りの5.6万人はコロナ・ウイルスに対してはまったく無防備のままということなのだ。仮に「集団免疫」が働いたとしても、2割の有免疫者が8割の無免疫者を守ることは不可能だ。
ということは1回の接種でボランティアに参加してもらえる人は1.4万にだけで、5.6万人には「あなたたちはリスクが高いからボランティアはお断りします」と、お帰り頂くしかない。免疫ができたかどうかは抗体検査で調べる以外方法はない。
さらに免疫力には個体差があるから有効期間も異なる。極端に言えば、毎日抗体検査をして抗体が確認できなくなった人には「今日から結構です」とサヨナラしなければならない。組織委の予定では2回目の接種は7月31日以降というから、おそらくその時点でボランティアは『そして誰もいなくなった』ことになっているだろう。(7月1日)


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読売新聞の世論調査はフェアと言えるか?

2021-06-08 01:31:30 | Weblog
読売新聞社が東京オリンピック開催の是非を問う世論調査結果を7日発表した。メディアが行う世論調査の目的がこれほど歴然としたケースはまれである。
世論調査はしばしばメディアの目的によって設問の仕方が異なる。なかには数字をごまかしているメディアもあると思っている人(実際にそう思い込んでいる人も少なくなく、私も何人か知っている)もいるが、それは絶対にありえない。メディアを完全にコントロール下に置く独裁政権の場合ならいざ知らず、日本のような国で調査結果の数字をねつ造したりしたら、間違いなくそのメディアはつぶれる。どんな偏見や偏向思想に満ちたメディアであっても、そういうことは絶対しない。現に、東京オリンピック開催の是非を問うた読売の世論調査では、内閣支持率も調査し、支持率37%と菅内閣発足以来の最低を記録したことも明らかにしている。とりあえず、東京オリンピック開催の是非を問うた読売の記事を紹介する。

●読売新聞はなぜおかしなアンケート方法をしたのか?
 読売新聞社が4~6日に実施した全国世論調査で、東京五輪・パラリンピックについて聞くと、「開催する」が50%、「中止する」は48%で、世論が二分された。「中止」を求める声は、前回(5月7~9日調査)の59%から11ポイント減った。「開催」の内訳をみると、「観客数を制限して開催」が24%(前回16%)、「観客を入れずに開催」は26%(同23%)だった。海外から来る選手や関係者への感染対策は、十分だと「思わない」が63%と多数を占めた。

この数字を見てびっくりしない人はまずいないだろう。世論が突然180度ひっくり返ったのか、と思ったに違いない。それにしては、おかしなことがある。
政府の分科会の尾身会長が2日、衆院厚労委で政府の東京オリンピック開催強硬姿勢に疑問符を突き付けた。「こういうパンデミック(世界的大流行)でやるのは普通ではない」。
さらに翌3日には参院厚労委でも尾身氏は「やるなら強い覚悟でやってもらう必要がある」と述べ、徹底した感染対策を求め、近く専門家の考えを示すことも明らかにした。
この尾身発言に対して政府側は田村厚労相が「自主的な研究の成果の発表だと受け止めさせていただく」、丸川五輪相も「立場の違いで認識が違う」橋本組織委会長は「政府が示す基準にのっとって適切に進めていく」と無視する意向を次々に表明した。
この政府と尾身会長の対立について世論は圧倒的に尾身氏を支持していることは読売も否定していない。
また他のメディアの東京オリンピック開催についての世論調査では「開催」派は軒並み20%を下回っている。どうしてこれほど大きな調査結果の乖離が生じたのか。
実は他のメディアは大体3択でアンケートを取っている。「予定通り開催」「延期」「中止」の3択だ。この3択方式でアンケートを取れば「予定通り開催」派は大体20%を切る。そして「延期」と「中止」を合わせれば80%を超える。
一方、読売も3択だが、他メディアと異なり「延期」という選択肢を外した。読売のアンケートは「観客数を制限して開催する」「観客を入れずに開催する」「中止する」が、その3択。本来、「延期」派は開催そのものに反対しているわけではない。分科会の尾身会長も開催そのものに真っ向から反対しているわけではなく、「パンデミック下での開催」に疑問を呈し、どうしても強行するのであれば「徹底した感染対策」を求めているだけだ。その提言を政府が無視するということは「徹底した感染対策は行わない」と公式に表明したに等しい。
もし読売が尾身会長の提言を重要視して、「徹底した感染対策の下で開催する」「適当な感染対策で開催する」「中止する」の3択でアンケートを取っていたら、どういう結果が出たであろうか。小学生でも想像がつく。
少なくともフェアな世論調査をするのであれば、「予定通り開催する」「再延期して開催する」「中止する」の3択でアンケートを取るべきだった。実際他のメディアはそういう3択方式を取っている。そのうえで、読売が「再延期」派も含めて「開催」派と解釈するのであれば、必ずしもアンフェアとは言えない。ただ、「再延期」はいまのところ願望にすぎず、政府もIOCも全く考慮に入れていないから、現実的な選択肢とは言えない。
そう考えると、読売の3択は「延期」派を「開催」派に引き寄せるためとしか考えられない。「延期」派はもともと「中止」派ではないし、「中止」派も東京オリンピックの開催自体に反対というより、「延期が可能」だったら「開催」派に転じる人が少なくないはずだ。実際、私自身も「延期は不可能」という前提で、いまは「中止」派だが、1年後、2年後への延期は北京大会や様々なスポーツ世界大会の日程がすでに動かせないという状況で不可能だろうが、一部のスポーンサー筋から出ていると言われる9月末か10月初めへの延期が可能であれば「開催」大賛成である。
菅総理の「1日100万接種」というワクチン接種計画は大ぼらとしても1日60万接種の場合は9月末までに日本人の4割が2回のワクチン接種を終えられるという専門家の試算もある。12歳以上が接種対象だから、実質オリンピックを観戦する人口のほぼ100%近くが2回のワクチン接種を終えていると思われる(これは私の感覚)。そもそもコロナ騒動がなくても、日本でオリンピックを開催することの最大の目的が外国人観光客のインバウンド効果の期待にあるとすれば、こんないいことはない。
そのうえ、真夏の東京でなければ、マラソンやサッカーも札幌で行う必要もなく、かえってワクチンを接種した人たちがマラソン沿道を埋め尽くせば、そこに巨大な集団免疫空間が生まれ、ワクチン接種ができない子供たちにも自然免疫が作れる。文字通りアスリート・ファーストの大会になるし、世界の人たちにあらためて日本の良さをアピールできる。IOCには米NBC局からの放映権料収入が多少減るかもしれないが、秋まで延期することによる日本の収支増から考えてもはるかにメリットが大きいはずだ。また海外の選手団や関係者を選手村やホテルに缶詰めにする必要もなくなる。

●どうしても予定通りに開催するなら、示すべき日本の矜持は…。
一方、延期せずに予定通り開催する場合、もちろん観客の有無も重要な感染対策ではある。が、ある程度の入場制限を行えば、競技場の中での感染はほぼ確実に防げる。例えば1席ずつ空席をつくる場合、入場者は定員の半分に減らすことができる。さらに1列ずつ間隔を開ければ入場者は定員の4分の1にできる。そこまでやれば、競技場内でのクラスターは生じない。また観客に感染者が紛れ込んでいたとしても、「声出し応援」を完全に禁止すれば近くの観客への感染はおろか、観客席からは相当の距離を保っているアスリートへの感染もありえない。
問題は競技が終わった後の観客をどうやって3密状態を防いで粛々と退場させるかである。前回のブログでも書いたが、出口ごとに観客を少しずつ制限しながら出すしかない。そのやり方を実現するには相当訓練を行う必要があるし、全観客が退出するまでの間、自分の退出番が来るまで、観客をイラつかせない方法を考えなければならない。
観客については、そういう方法を取ればオリンピックが感染源になることはまず防げるから、無観客にする必要はないと思う。むしろ問題は、競技のリスクの方が大きい。
水泳や陸上はアスリート同士が極端に接触することはないだろうし、従って感染リスクはそれほど重視する必要はないと思う。
問題は格闘技系の競技である。個人競技ではボクシングや柔道、レスリングなど。フェンシングや空手は直接接触し合うことはないにしても、選手の発声を禁止はできまい。テニスも選手は発生するが、相手との距離があるため感染リスクは生じないが、フェンシングや空手は確実に相手に飛沫がかかる。
サッカーやラクビー、バスケットなどの集団格闘競技はもっと厄介だ。汗をかいた肉体同士がぶつかるし、まさかマスクを着けさせるわけにもいくまい。もし選手の誰かが感染していたら、確実に「コロナ感染競技」になる。IOCはファイザー社から提供を受けたワクチンを選手団に配布・接種を要請するというが、強制力はない。
ワクチンについては有効性、副作用も少しずつ分かってきたし、接種したくないという選手もいるようだ。日本人は欧米人に比べて全体主義的な考え方の人が多いから、「みんなが接種するなら」と足並みを揃えがちだが、欧米人は個人主義的な考え方が強く、「いやなものは嫌」と突っぱねられると、それ以上強制はできない。ゆいつ方法は、日本の組織委やJOCが感染リスクの高い競技については1か月前までのワクチン2回接種を参加条件としてIOCに要求し認めさせることだが、そんな骨のあるやつが日本にいるかだ。
尾身会長は「近く専門家としての意見を出す」と公言したが、東京オリンピックが「コロナ・オリンピック大会」になることを防ぐ方法は、論理的に考えたら、こうした方法しかないと思う。
最後の手段として一部の選手でも、ワクチン接種を拒み、かつその選手の参加を拒否することも不可能となった場合、その競技そのものをオリンピック競技から外してしまう。
政府も組織委もJOCも、IOCの言いなりになることで自己保身を図るのではなく、「安全安心」なオリンピック開催を実現するために、そのくらいの矜持を持ってIOCと向き合ってほしい。
今や日本がオリンピックを開催する意義は、いくつ日本選手がメダルを取るかではなく、主権国家としての矜持の在り方を世界にどう示せるかにかかっているといっても過言ではない。そう望むほうが、間違っているのだろうか。

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戦略なき「ゆきあたりばったり」のコロナ対策のツケは誰が払うのか?

2021-06-02 10:31:22 | Weblog
やっと政府が「職域ワクチン接種」に踏み切る。6月21日からだそうだ。報道によれば、5月31日、首相官邸で菅総理、西村内閣府経済再生担当相兼コロナ感染対策相、梶山経産相、萩生田文科相らが協議し、ワクチンの職域接種を始めることにしたという。なぜか田村厚労相、河野コロナワクチン接種推進担当相の名前は、この閣僚会議の参加者にはない。どういうことか?

●職域接種=企業・大学単位? なぜ?
政府は「職域」と称しているが、その実態は大企業や大学などを単位としているようだ。その目的については、加藤官房長官も記者会見では述べていないし、記者からの質問もなかったようだ。従来の「集団接種」や「個別接種」より効率的だからか。企業での接種には従業員らの同居家族、関連会社の従業員も対象とするらしい。これって、明らかにルール違反じゃない?
この稿の冒頭で「やっと」と書いたが、私は4月26日のブログ『緊急事態宣言より集団免疫状況をつくるワクチン接種を!!』でこう書いた。
「専門家が主張するように、集団免疫が最も有効であるならば、感染者多発地域で重点的にワクチン接種を行い、集団免疫状況を作り出すような対策を講じるべきであろう」
 私は医学についての専門知識があるわけではないから、そういう分野に立ち入って問題提起する場合、論理を唯一の判断基準にしている。だから、本当に感染症の場合、集団免疫が生じるのか、またある地域で、どの程度の割合で免疫を持つ人がいれば集団免疫によって免疫を持っていない人への感染が防げるのかはわからない。少なくとも集団免疫を重要視する専門家はその割合を示すべきだろう。もちろん人口密度(昼と夜では違うが)によって割合は変わるかもしれないが、ある程度の目安となる数値は示すべきだろう。
 が、政府の「職域接種」の目的は集団免疫をつくることによってコロナを封じ込めることが目的ではないようだ。「1日100万人接種」などと言う大ぼらを吹いた菅総理に恥をかかせないため、とにかく効率的に接種数を増やすことが目的の政策としか考えられない。
企業単位と言っても、1棟のビルを丸ごと所有しているような大企業はいいとしても、いくつもの企業が入居している集合ビルのような場合はどうするのか。そういうことも含めてきめ細かな方策を考えているのか。もし、単に1日当たりの接種数を見かけ上増やすためだったら、国民からの猛反発は免れ得ない。少なくともこれまでの接種順位は「医療従事者等」(いまだにコロナ患者治療に当たっている医師や看護師だけが対象と勘違いしているメディアや評論家が多いが)、「高齢者(65歳以上)」、「基礎疾患がある人」が優先順位とされてきて、それなりに国民の同意を得てきた。
が、ここにきてオリンピック選手や関係者への優先接種問題が浮上し、「なぜ彼らだけ特別扱いするのか」といった反発が国民の間で噴出した。これは明らかに国民の勘違いであり、国民の勘違いを誘発したメディアの責任は小さくない。選手たちの間では、自分たちが「優先接種」を受けることに後ろめたさみたいなものを感じている人もいるようだが、これは政府の施策ではない。米ファイザー社が無償でワクチンをIOCに提供し、IOCが参加各国の選手団に配布し(海外の場合、どういう基準で配布しているかは不明)、日本は主催国ということで他国よりリスクが大きいためかなりの量のワクチンが無償配布されている。これは東京オリンピックがパンデミック源になることを防ぐためのIOCの対策によるもので、選手たちが心苦しく思う必要はまったくない。
ただし私は東京オリンピック開催に賛成しているわけではない。どちらかと言えば「反対」というほど強い根拠があるわけでもなく「中止したほうがいいだろう」という程度だ。本当に「安心安全」に開催できるなら、ことさらに反対する理由もないが、半年くらい前から書き続けているように、プロ競技が行われている種目には一流プロはまず参加しないし、アメリカがどの程度協力してくれるかにすべてかかっていると書いてきた(バイデン大統領が日本を「ステージ4」のリスト国に指定するはるか前から)。そういう状況下でオリンピックを開催したら、おそらく日本人選手が空前絶後のメダルを獲得することになる。私たち日本人にとって喜ぶべきことなのだろうか。
一方、6月1日に「外国のお客様との会談などが予定されており、可能ならその前に接種したい」「責任ある立場の人は堂々と接種した方がいい」とワクチンの特別優先接種を要求した萩生田大臣の思い上がり発言が国民の反発を招いている。萩生田氏が、オリンピックのためにコロナ感染リスクにさらされる機会が増大すると考えるのであれば、IOCに対して「オリンピック関係者」として特別接種を要求すればいい。国の接種にお手盛りで特別枠を要求するくらいなら、さっさと国会議員をお辞めいただきたい。そんなリスクを萩生田氏のような特別な「上級国民」に負わせたくないから。

●問診を研修医(インターン)が?
1日のNHK『ニュース7』によれば、ワクチン接種の際の問診を研修医(インターン)に、という案が浮上しているらしい。とんでもない話だ。
私は行政による1回目のワクチン接種をすでに受けたが、まったく混乱がなかった。予約を取るのは大変だったが、やっと予約が取れたとき担当者(コールセンターの職員)から「3密を避けるため、予定時間よりあまり早くは来ないでほしい」と言われ、ぎりぎりの時間に行った。そのため私はその時間枠の予約者ではラストになったが、会場(区の公会堂)入口で体温測定の後、受付で接種券と本人確認の健康保険証のチェックがあり、サポート役の看護師に案内されて問診医のブースでいくつかの質問を受けて接種後の待機時間を指定され(私の場合は接種後最短の30分が指定された)、次に接種ブースで別の医師からワクチンを接種され、「気分はどうか」などの質問を受けた後、公会堂の座席で30分間待機した。シャツの胸には待機終了時間を書いたラベルを張り、数人の看護師がそれぞれ待機中の人たちの様子を見守り「気分はどうか」とか、聞いて回ってくれていた。
こうした流れで1回目の接種は終わったが、研修医は病院で点滴などのための血管注射もしており、医師や看護師のチェックを受けながらワクチン接種することは問題ないと私も思う。すでに奈良県などでは研修医にワクチン接種を担当させており、ワクチン接種は血管注射ではなく筋肉注射だから、研修医としてある程度の経験があれば十分可能だと思うが、問診を担当させるなど、もってのほかというしかない。
問診は基礎疾患の有無やアレルギー疾患などについてのかなりの専門知識や、とりわけ接種後の待機時間を決める重要な役割がある。果たして研修医にそれだけの経験と知識があるだろうか。
まだ薬剤師は直接患者の治療には携わっていなくても、専門医よりある意味では広く浅く薬やアレルギーの副作用などには熟知しており、問診医が不足するのであればベテランの薬剤師を問診担当に採用したほうがはるかにいい。
少し前、注射の訓練を受けたこともない薬剤師にワクチン接種をという案が政府から出たこともあるが、これは奈良県の荒井知事が全国知事会にアメリカやカナダのように薬剤師が摂取できるように制度改正を国に求めることを諮り、不勉強の全国知事会が承認したという経緯がある。
そもそもアメリカやカナダは人口密度が日本とはけた違いであり、日本のようにコンビニ並みにクリニックや調剤薬局が多い国ではない。だからすぐ近くにかかりつけのクリニックがあるわけではなく、インフルエンザ・ワクチンなどはドラッグストアに勤務する薬剤師に打ってもらうし、また薬剤師の資格を取る過程で注射の訓練も受けている。ひとを何だと思っているのかと、怒りを禁じえない。ワクチン接種を増やすのは感染拡大を防ぐための手段であって、接種数を増やすこと自体が目的ではない。もっとも「1日100万接種」に近づけることによって菅内閣の支持率を回復することが目的でルールもへったくれも、ということであれば何をか言わんやだが。

●なぜ演劇はOKで、映画はダメなのか?
緊急事態宣言下の東京都の業界ごとの営業自粛要請の基準も不可解だ。私は日本を代表する女優・吉永小百合氏の訴えをテレビで見るまで、演劇は一定の入場者数制限をしたうえで上演OKなのに、映画は一切ダメということを初めて知った。吉永氏でなくても、映画を何年も見ていない私でも疑問を持った。
一方、デパートに対する休業要請の目的は何だったのか?(6月1日から平日のみの開業はOKになったが) デパートは催事でもしなければ、休日でも3密状態になどなったりしない。夕方のスーパーの方がよほど3密状態になる。デパートをいじめれば、国民が拍手喝采するとでも思っているのか。
それとも感染拡大防止のために努力している姿勢を見せることが目的だったのか。政府や地方行政は感染抑止のための方策は、これまでもいろいろ国民に政府は要請してきた。たとえば「3密回避」「外出時のマスク着用」「うがい、手洗い」「部屋の換気」etc。
論理的におかしいのは「部屋の換気」と「外出時のマスク着用」だ。日本人はまじめだから、郊外でも外に出ればマスクを付けなければいけないと思い込んでいる人がほとんどだ。私が住んでいる地域は郊外の住宅街で、このあたりの空気中にコロナウイルスが闊歩しているわけがない。もし、そういう危険地帯だったら、窓を開けて換気することはコロナに感染しろというに等しいことになる。繁華街で人混みが多い居酒屋がドアを開けて外気を入れて「感染対策」? だったら「3密状態」でのマスク着用は何のため?
 厚労省に、だいぶ前だが、そういう矛盾を指摘したら、「マスク着用は3密状態の場所でお願いします」。「では道路自体が歩行者で3密状態の繁華街で、居酒屋などがドアを開放するのは?」と聞いたら、黙ってしまった。
 要は劇場にしろ、映画館にしろ、野球場やサッカー場にしろ、観客の3密状態が問題なのではない。すでに観客の3密は防いでいる。問題は演劇や映画、試合が終わった後、観客が一斉に家路につく。そのときに出口が一気に3密状態になる。劇場や映画館は観客数が知れているから、出口が一時的に3密状態になるだけだが、野球やサッカーの場合は入場者制限をしていても試合終了後に生じる3密状態は、球場の出入り口だけでなく最寄り駅までの道路、さらに電車内も一気に3密状態になる。
 一時、展示会やスーパーなどは会場内や店内の3密を避けるために入場制限を警備員がしていた。出た人の数だけ人を入れるという方法だ。テレビのニュースで見た方も多いだろう。
 それと逆のことをやればいいだけの話なのだ。演劇や映画、スポーツの試合が終わった後、客の退場ルールの基準を行政が決め、その基準に従って劇場や映画館、野球場やサッカー場が退場制限をすればいい。
劇場や映画館は観客数も知れているから全観客の退場に10分もみれば十分だと思うが、野球やサッカーの場合は最後の退場者は試合終了30分後になるかもしれない。その間、音楽でも流しておけばいい。あるいは場内にスクリーンが設置されていたら、ゲームのリプレイを流してもいい。頭は生きているうちに使えよ。

4月26日には全国の市町村にワクチンを一律に同数配布した。人口比に応じてではなく、日本最大の政令都市である横浜市にも、日本一人口が少ない高知県大川村(人口数404人)にも同数のワクチンを政府は配った。そういう行為が公正で平等と考えるのが、わが日本政府だ。
いったい日本人は、あの敗戦で何を学んだのか。


【追記】「あきれ果ててものも言えない」とは、このことだ。1日、河野ワクチン担当相抜きで行われた閣僚会議(前述)を受けて河野大臣が2日、ルール違反のワクチン「職域接種」の対象について「とりあえず(従業員)1000人以上の企業でスタートしたい」と政府方針を述べた。本稿で述べたように、ワクチン接種の順番は「医療従事者等」「高齢者」「基礎疾患のある人」が優先され、「一般」は最後のはずだ。
私は、「もし集団免疫が有効ならば、オフィス中心街や繁華街で集中的にワクチン接種すべきだ」と繰り返し書いてきた。が、政府方針は集団免疫重視でもなければ、ルール重視でもない。ただ、ひたすらガースーの「1日100万接種」という大ぼらを実現するためのルール無視の接種方針でしかないことが明らかになった。
日本はとうとう、「習近平のためなら」「金正恩のためなら」の中国や北朝鮮以下の国に成り下がってしまった。もう一度書く。
いったい日本人は、あの敗戦で何を学んだのか。(3日)

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