小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

朝日新聞が大混乱に陥っているーー民主主義とは何かが、いま問われている⑳

2018-09-17 02:20:48 | Weblog
昨日(20日)自民党総裁選が行われ、下馬評通り安倍総理が3選を遂げた。そして朝日新聞も大々的に報じたのだが、中学生の作文にも劣る記事が掲載された。そのことについては、このブログの末尾に【追記】として書く。

 自民党総裁選の報道で、朝日新聞が大混乱をきたしている。
 その原因は、私にある。
 経緯から説明する。何が混乱しているのかは、「後のお楽しみ」。

 通常国会が終了した途端、自民党は一気に総裁選モードに突入した。その時点では安倍晋三、石破茂、野田聖子の3氏が立候補するとみられていた。その後、野田聖子氏は必要推薦人20人を確保できずに立候補を断念、安倍現総裁と石破氏の争いに絞られた。
 当初、安倍陣営はいわゆる「地方票」(ここで鍵カッコを付けた意味が今回のブログのキーポイントになるので記憶しておいていただきたい)で石破氏に負けるかもしれないという危機感を抱いていた。そのため野田氏をあえて立候補させ、第1回投票で石破氏がトップになっても、ほぼ国会議員だけによる決選投票で逆転できると読んでいたのだろう。で、当初は安倍陣営は野田氏を立候補させるため、あえて安倍陣営から推薦人を出すことも考えていたようだ。
 が、肝心の野田氏がスキャンダルを生じ、安倍陣営から野田氏の推薦人に回ることを逡巡する議員が続出したこと、また安倍総裁自身がかつてやったことがない地方行脚をしたり、首相官邸に地方議員を招いて食事を共にして「地方票」固めに必死になるという「前代未聞の作戦」で、第1回投票でも総票の過半数を獲得できるという見通しが立ったため、あえて野田氏を立候補させる必要がなくなったというのが、野田氏立候補取りやめの真相だと思う。
 少し時間を巻き戻す。今年春ごろ、私は共産党本部に電話した。私自身は共産党支持者ではないが、共産党の政策には共感することも少なくない。私が電話したのは、朝日新聞が共産党の衰退についてかなりの紙面を割いた報道をしたためである。その新聞がいま手元にはないし、この原稿を書いている16日も明日17日も朝日は読者からの問い合わせに応じない体制をとっているため、記憶に頼って書いている。間違いがあったらコメントで指摘していただきたい。
 記事によれば、それまでの選挙では消去法で共産党に票を入れていた無党派層が雪崩を打つように立憲民主党に投票したこと、また共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や「しんぶん赤旗日曜版」の読者も激減し、党員数も減少傾向にあるという記事だったと記憶している。しかし、メディアが毎月行っている世論調査の結果からすると共産党の支持率はほぼ3%前後を維持しており、共産党への岩盤支持層がそれほど減少したようには思えない。で、私は前回の衆院選で共産党がなぜ大敗したのか、共産党自身の総括を聞くことにしたというわけだ。
「選挙協力を行い、野党候補が一本化できた選挙区では立候補者を立てなかったためです」
 で、私はこう問い返した。
「もともと小選挙区では共産党は一人も勝てていません。前回の衆院選ではむしろ他党の協力を得て沖縄では一人勝っていますね。比例区で惨敗したのは選挙協力のためとは考えにくい。民主主義の国ではいいか悪いかは別にして選挙がすべてです。有権者も、どの政党に日本の明日を委ねるかの結果責任を負います。政党も有権者からの支持が激減したら、執行部は当然責任を取るべきです。共産党は当選議員数が約半減したのに、執行部はだれも責任を取ろうとしないし、また執行部の責任を問う声も党内で生じていない。そういう政党が、民主主義について声を大にする権利があるとは思えないのですが…」
「執行部に伝えます」
 怒ったような口ぶりで電話をガチャンと切られた。
 自民党本部に電話したのは、通常国会が終わって総裁選に突入した直後だ。
「これから総裁選が本番を迎えるが、自民党総裁は自民党国会議員の代表ですか。それとも全国の自民党員の代表ですか」
 電話機の向こうは無言だった。私がどういう意図でそういう疑問をぶつけたか、理解できなったのかもしれない。で、私が一方的に電話を続けた。その内容は7月25日に投稿したブログ『トランプ政権が仕掛けた貿易戦争の行方は?アベノミクスの失敗のツケが回ってきたよ!』の末尾に書いたので、その個所を貼り付ける。

安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。

 私はこうも続けた。「日本の政党の代表の選出方法は自民党だけではない。アメリカでは共和党の大統領候補者も民主党の候補者の選出も、上院議員も下院銀も州知事も、投票の権利は一般党員と同じ一票だけです。日本の政党が、なぜ国会議員にだけ特別な権利を与えているのか理解が出来ない」
 そこまで話して私の意図がようやく分かってくれたようで、「おっしゃることはよくわかります。私も同感です。いただいたご意見は文書にして執行部に伝えます」と言ってくれた。
 いままで一般党員や地方議員のことなど見向きもしなかった安倍総裁が、今回の総裁選に限って「地方票」固めに奔走しだしたのは、私が自民党本部に電話したことと無関係ではないと思う。安倍さんが血眼になっただけでなく、安倍陣営の各派閥も一斉に「地方票」固めに全力を注ぎだした。まるで総裁選後の論功行賞を競い合っているかのようだ。
「地方票」の意味をネットで調べてみた。前回(2012年)の総裁選のとき朝日新聞がこう解説している(9月24日付朝刊)。

地方票の300票は、各都道府県連にまず基礎票として3票ずつ(計141票)を割り当て、残り159票を党員数に応じて振り分ける。持ち票が最も多いのは東京都連の16票。最少は岩手、徳島、沖縄など8県連の4票。地方票は都道府県連ごとに党員投票の得票数に応じ、ドント方式で配分される。

 私は8月中旬頃だったと思うが、NHKと朝日新聞に対して「地方票」という言い方はどう考えてもおかしい、表記を「党員票」にしてほしい、と要望を伝えた。
 自民党員は現在約107万人。一方自民党所属の国会議員は衆参合わせて405人。「議員票」は一人一票で405票。「地方票」は107万人で「議員票」と同じ405票。党のトップである総裁を選出する票の重みは、国会議員は一般党員(地方議員など無含む)の実に2600倍を超える。そのうえ第1回投票でどの立候補者も過半数に達しなかった場合は、ほぼ国会議員だけによる上位2者の決選投票で決めることになっている。一般党員の党費は年4,000円だから、その2,600倍の権利を有する国会議員は1040万円もの党費を払っているのだろうか。だとしたら、よほどの金持ちでなければ自民党所属の国会議員にはなれないことになる。共産党は自民党政治に対して「金持ち優遇政治」と批判するが、党運営の体質がそうなら、むべなるかなと言わざるを得ない。
 それはともかく、私の要望に対してNHKも朝日新聞も「報道部門に伝えます」と言ってくれた。結果はどうだったか。
 NHKは今回の総裁選については政治部記者やアナウンサー、字幕(テロップ)もすべて「党員票」に統一した。
 大混乱を生じたのは朝日新聞だった。「党員票」と表記した記事もあれば、従来通り「地方票」という表記をした記事が混同していた。その都度、私は朝日新聞に電話をして表記の統一を要請した。たまたま電話で私と話をした人が同一人物だったので、そうした経緯を朝日新聞側は否定できない。
 私が怒り心頭に達したのは、13日付朝刊の「自民党総裁選2018 識者に聞く」シリーズの1回目である。この回の識者はコラムニストの小田嶋隆氏だったが、記事の中で小田嶋氏は「党員票」と明確に話しているのに、見出しでは「地方票」と改変されていたのだ。
 実は朝日新聞は今回の総裁選報道では、少なくとも私の記憶にある限り、見出しで「地方票」という文字が躍ったのはこれが初めてである(今後は頻発するかもしれない)。
「この問題について電話するのは最後にします」と断ったうえで、朝日新聞のいい加減さをブログで書くことも伝えた。かつて読売新聞の読者センターと私はかなり激しいやり取りをして、2度にわたって読売新聞社のコンプライアンス委員室に事情をすべて文書で通告し、読者センターは責任者を含めてかなりのスタッフが入れ替えになったこともある。その経緯もブログで書いた。
 読者によっては「些細なこと」と思われるかもしれない。が、メディアにとっては記事によって表記がばらばらというのは決して些細なことではない。
 なぜ自民党はあえて党員票(正確に言えば「党員・党友票」だが、党友票は極めて少ないから省略してもいい)と言わずに「地方票」としてきたのか。実はネットで調べたが、党則には「地方票」とは明記されていない。「党員の投票による選挙人」という位置づけのようだ。実は「選挙人」という具体的な人物がいるわけでもない。いわばロボットのような存在と考えればいい。ロボットのような選挙人405人が47都道府県にそれぞれ党員数に応じて割り当てられる。例えば東京都に住民票を置く自民党員が全党員数の1割とすると東京都には40人の選挙人がドント方式で割り当てられる。党員票は各都道府県ごとに集計され、最多の票を獲得した立候補者にすべての選挙人が割り当てられる。こうしたやり方をドント方式(選挙人の総取り)という。
 実は前回の総裁選(2012年)では選挙人は300だった。総裁選には5人が立候補したが、選挙人は石破氏が165人を獲得し過半数を超えた。2位の安倍氏が獲得した選挙人は87人にすぎず、石破氏の約半分に過ぎなかった。僅差ならいざ知らず、党員の総意は明らかに石破氏に軍配をあげた。
 が、一人一票の権利を有する議員票では安倍氏が54票、石破氏が34表と20票の差で安倍氏が有利に立った。それでも党員票による選挙人と議員票の合計が全体の50%を超えていれば石破総裁が誕生したのだが、石破氏の獲得した票は合計で199票で総数の30%にとどまった。そのため上位2人による決選投票が国会議員のみによって行われ、有力派閥をバックに持っていなかった石破氏が涙を呑む結果になった。このことは何を意味するか。
 自民党員の総意を国会議員198人がひっくり返したことを意味する。民主主義の最大の欠陥は「多数決原理にある」ことは、これまでの民主主義シリーズで毎回書いてきた。「少数意見にも耳を傾けよ」というルールもあるが、採決に際して少数意見が採用されることは絶対にありえない。もし議長権限で少数意見を採用したら、そのこと自体が民主主義制度の破壊を意味する。
 実は自民党総裁選挙規定は、民主主義制度の破壊の上につくられている。自民党の総裁は、自民党所属の国会議員の代表ではなく、自民党員の代表であるはずだ。党員票に基づく選挙人の数で、石破氏は過半数を獲得していた。総裁が党員の代表であるならば、その時点で総裁選の決着はついていたはずだ。これほどあからさまな民主主義の破壊を、私は見たことも聞いたこともない。
 私が「地方票」と「党員票」の表記にことさらこだわったのは、単に表記がバラバラでもいいのかといった単純なことではなかったのだ。
 たとえば民間会社の株主総会では役員の改選を行う。この場合、投票の権利は株主が所有している株数によって平等に与えられる。単位株が100株の場合、1000株を持っていれば株主は10票の権利を持っている。所有株数に限らず一人一票の権利しか与えられなかったら、それは形式民主主義で、真の民主主義ではない。だから大株主が会社の経営権を握るのは当然のことだ。
 だから国会議員の場合、すでに述べたように一般党員の党費4000円の2600倍にあたる1040万円の党費を納めているのなら、まだ一般党員の2600倍の権利を与えられていたとしても、それは一つの政党の在り方として容認できないこともない(政党は民間企業とは違って利益団体ではないはずだが…)。
 確かにアメリカのように、国会議員も州知事も一般党員と同じ投票権しか持っていないということになれば、トランプ大統領のような政治音痴の大統領が登場するリスクはあるが、日本の場合は政党の代表者の立候補資格として「自らが国会議員であること、国会議員の推薦人が一定数必要なこと」という高いハードルを設けている政党が大半だから、政治経験がまったくないトランプ氏のような人物は政党の代表者には絶対になれない。
 朝日新聞の表記上の大混乱は、単にメディアとしてみっともないというだけでなく、そもそも民主主義という制度に対する哲学的理解が新聞社として皆無であることを意味する。強い反省を求めたい。リベラルを標榜している新聞社だけに…。

【追記】自民党総裁選で安倍総理が辛勝(あえて「辛勝」と書く)した翌日の朝日新聞朝刊は、党員・党友の投票について1本の記事だけを除いて見事に表記を「地方票」に統一した。
 私がこのブログを書く前に「地方票」という表記はおかしいと「お客様オフイス」に電話をしてきた経緯についてはすでに書いた。そしてこのブログを書く前は、朝日新聞は表記に混乱をきたしながらも、全体の流れとしては「党員票」という表記に移行しつつあった。
 が、私がこのブログで朝日新聞の表記についての混乱を批判した途端、朝日は表記を統一することにしたようだ。今朝(21日)の朝刊は1面トップから解説記事、「時々刻々」「社説」に至るまで、ものの見事に党員や党友による票を「地方票」というおかしな表記に統一することにした。
 それはそれで、海のものとも山のものともつかない読者の批判になんか応じられるか、天下の大新聞の「沽券にかかわる」というどこかの総理顔負けの「権威」を守ることを最優先したのだろうから、これ以上私ごときが天下の大新聞に刃向かったところで、風車に槍1本で突進したドンキホーテほどの効果もないので、これ以上刃向うのはやめる。
 で、これは嫌がらせではなく、朝日新聞の方針に相反する表記が堂々と載っているので、訂正分をお出しすることをお勧めする。例の「慰安婦誤報問題」事件以来、朝日は連日、訂正文の大安売りをしているから、今から指摘することも、大安売り記事の目玉になると思うからだ。
 この日の朝刊に「麻生・菅・二階氏続投へ「圧勝」できず、政権運営に影 安倍首相、自民総裁3選」という見出しの記事が載った。署名記事ではないが、かなりの扱いの記事だから、政治部の責任記事と考えてよいだろう。全文を引用しても意味がないから、肝心の箇所だけ引用する。(下線が問題の表記)
「総裁選では、国会議員票の8割超を固めた首相陣営が当初、党員票でも7割を獲得して圧勝し、石破氏をはじめ党内の異論を封じる筋書きを描いていた。ところが、地方票の獲得は55%にとどまり、議員票も当初見込みより減らした」
 私が17日に投稿したこのブログでは、記事によって表記がバラバラのケースが多すぎることを批判した。例外的に見出しの表記と本文記事での表記が異なるケースが(私が気付いた限りでは初めて)あったので、これは見過ごすわけにはいかないと思い、「お客様オフイス」に断ったうえで、ブログで告発することにした。いくらなんでも、一連の解説記事の中で、「党員票」と「地方票」をどういう理由で混同したのか。そもそも使い分ける必要などまったくない、同じ意味のことをわざわざ別の二つの表記で記事にする。アホとちゃうか!


【更に追記】 22日の朝日新聞朝刊は自民党総裁選の分析記事「地方票、参院選を懸念? 各地の獲得状況を分析 自民党総裁選」を載せた。この記事は署名記事である。その記事の冒頭で記者はこう書いた。
「20日に投開票された自民党総裁選で、安倍晋三首相を相手に善戦した石破茂・元幹事長が45%を獲得した「地方票」に注目が集まっている」
 通常、引用文中の鍵カッコは二重鍵カッコにするのだが、この引用については私は意図的に二重鍵カッコを付けなかった。この記事で、記者が「地方票」という表記に鍵カッコを付けたことを明確にするためである。「天下の朝日新聞」が、名もない一読者の批判に振り回されている実態が明白になった記事である。
 このブログでは書かなかったが、何回か朝日新聞の「お客様オフイス」に電話した際、私はこう主張したことがある。
「イラク・シリアにまたがる地域で一時勢力を拡大したイスラム過激派について、NHKはある時期からISと表示するようになった。が、多くのメディアは鍵カッコを付けて『イスラム国』と表示した。どうしても『地方票』という表記をしたいならば、自民党の党都合にすり寄るためではないことの証明のために、地方票という表記に鍵カッコを付けるべきだ」
 朝日新聞の「お客様オフイス」は、たぶん慰安婦記事誤報問題で社内が大混乱した時期からではないかと思うが、名称を「読者広報」から変更した。通常、広報はメディア関係の窓口である。別に「上から目線」の名称ではない。が、名称を変更することで、あたかも「読者に寄り添う」かのような錯覚を、朝日新聞自身が持つようになったのではないかと思う。
 名称変更だけではない。公称されている「お客様オフイス」の電話番号は大阪本社以外はナビダイヤルである。0570から始まるナビダイヤルは、受信者が電話料金を自由に設定できる制度だ。朝日新聞の場合、実質的にNTT料金とほぼ同じだが、携帯電話からは電話できない。おそらく、朝日新聞はNTTから通話料に応じたバックマージンを受け取っていると思われる。ナビダイヤルというのは、そういうシステムだからだ。
 活字メディアは、どこも経営が苦しい。だが、ほとんどの国民は知らないと思うが、活字メディアは政府と闇取引をしている。来年10月に引き上げられる予定の消費税で、政府は公明党の主張に配慮して軽減税率を導入する予定だが、軽減化の対象はスーパーなどで買う食料品だけではない。新聞や週刊誌、月刊誌などの活字定期刊行物も対象になっている。私は日本経済が消費税を引き上げられる状況にあるかどうかに疑問を抱いているが、引き上げる場合には軽減税率を導入すべきではないと主張してきた。食料品に関して言えば、「オージービーフの切り落としと、銘柄和牛のひれ肉が、同じく軽減税率の対象になることに国民が納得するか」と。さあ、朝日新聞はどう答える?



「北朝鮮の非核化」問題の真相はこうだ。メディアや評論家には見えない金委員長の権力構造を考えてみた。

2018-09-10 05:02:48 | Weblog
 昨9日、北朝鮮は建国70周年の記念行事を行った。報道によれば恒例の軍事パレードでは、従来と異なり文民と軍人の2つが別々にパレードを行い、軍人パレードの一部が反米スローガンを掲げたものの、多くは経済発展や国民の生活水準の向上を誇るものが多かったという。軍事パレードにICBMも参加させなかった。神経ととがらせているアメリカへの配慮と見られている。
 この記念行事には一時、中国の習近平主席が出席する予定と伝えられていたが、周氏は訪朝せず、中国共産党序列3位の葉戦書・全人代常務委員長が出席、金氏が葉氏の手を高々と掲げて朝中間の親密ぶりを印象付けようとしたが、中朝の思惑は必ずしも同一ではないようだ。また、金委員長は恒例の演説も行わなかったが、このことは金委員長がまだ軍部を必ずしも完全に掌握しきってはいないことを表していると考えていいだろう。
 北朝鮮に非核化への道は、メディアや政治家・評論家たちが考えているように、それほど簡単ではない。各種報道によれば、北朝鮮国民の生活は金委員長時代に入ってかなり向上しているようだし、そうした報道が事実であれば(北朝鮮の実態は「鉄のカーテン」に覆い隠されており、メディアが見聞しているのはほんの一部でしかないからだ)、国民の金委員長への信頼と忠誠の念には揺らぎがないように思える。
 が、金委員長が軍部をどこまで掌握しているかは、依然として不透明だ。朝鮮半島非核化(「北朝鮮の非核化」とは、あえて言わない)への第一歩として行われた南北会議(板門店)での両首脳が示した感動的シーンはいまだ多くの人たちの脳裏に深く刻み込まれていると思うが、この会議に北朝鮮は軍幹部2人を随行させている(韓国側は軍関係者は参加していない)。さらに米朝首脳会談に至る過程で、金氏は軍幹部3人を処分した。おそらく処分された3人は反米強硬派だったのだろう。どういう形で軍の要職から排除したのかは不明だが、絶対的な独裁権力を確立していれば、金委員長に逆らえば即粛清を意味するはずだ。粛清できなかったということ自体が、金委員長がまだ軍を完全には掌握しきれていないことを意味すると考えてよかろう。
 メディアを含め大半の人たちは、金委員長の考え一つで非核化は簡単に行えると思い込んでいるようだが、そんなに単純ではない。金氏が非核化に舵を切ったのは間違いなく、それはやはり北朝鮮への制裁が大きく効果をあげた結果だとは思う。が、やりすぎると「窮鼠、猫を欠く」という事態を招きかねない。
 いつの世でも、独裁政権が恐れるのは国民が飢えることと、軍のクーデターである。国民は飢えれば、必ず暴動を起こす。日本でも絶対権力が確立されていた封建時代でも、飢饉などで農民が飢える状態に陥れば、村長(むらおさ)は自らが死刑に処せられることを覚悟で一揆を指導したり、直訴に踏み切ったりした。「北朝鮮の国民は雑草を食べても核を放棄しない」とバカなことを、北の大国の大統領が言ったらしいが、いかなる国の国民も自らの死と引き換えに権力者を守ろうとは絶対にしない。またいかなる国の軍もつねに権力者に対して揺るぎない忠誠心を抱いているとは限らない。ある程度の権力の座に就けば、さらにその上の権力を目指すのは人間の常であり、毛沢東時代の中国でNO。2の地位にあって林ピョウがクーデターを試みで失敗し、ソ連への逃亡中に殺害されたことを想起するまでもないことだ。
 日本でも多くの国民の反対を押し切って安倍内閣は集団的自衛権行使を可能にする安保法制を国会で強行採決させたが、その行使ははっきり言って容易ではない。たとえば沖縄在留の米軍が、アメリカの国益のために軍事行動を起こしたとして、当然相手国は沖縄の米軍基地を攻撃対象にする。そのときアメリカが日本政府に対して集団的自衛権の行使を要請しても、日本の自衛隊が「はいはい、そうですか」と軍事行動に踏み切るとは思えないし、もしそういう事態が生じたらおそらく国民が黙っていない。間違いなく政府は転覆する。
 安倍さんは安保法制を国会で通過させたことで、アメリカに恩を売ったつもりかもしれないが、どうやらトランプ大統領にはそんな思いはまったくないようだ。かえって圧力をかければ日本はどうにでもなる、という確信をトランプ氏に抱かせただけの結果に終わったとみるべきだろう。
 安倍さんの権力がいまだ強固なのは、そこそこ経済政策が成功しているかのように見えている今だけのことで、マンション・バブルが崩壊するのははっきり言って時間の問題だ。かつてのバブル時代には不動産だけでなく、株やゴルフの会員権、絵画などの「資産」が軒並み高騰した。
 アメリカのリーマン・バブルもそうだが、バブルの発端はつねに不動産関連だ。かつてのバブル時代には長谷川慶太郎なるエセ評論家が「土地は増えない」「東京にはオフイスビルが不足している」「東京がアジアの金融センターになる」といったでたらめをメディアで吹聴しまくり、都心の不動産が高騰し、それが首都近郊まで広がっていった。いくら金持ちでも、ほんの一握りの富裕層が都心の不動産を買いまくったり、高層マンションを建てまくったりできるわけではない。現在のマンション・バブルも「2020東京オリンピックまでは持つ」と不動産業界は見ているようだが、この希望的観測も実は怪しい。おそらく不動産業界はオリンピックの前にバブルが崩壊するとみているだろうし、いまはトランプのババ抜きゲームの最終段階に入っているとみているようだ。で、最後にババをつかまされるのは、スルガ銀行ではないが不動産融資に熱中している金融機関だろう。そうなれば、いま高値水準にある株価も、一気に暴落し、アベノミクスが砂上の楼閣にすぎなかったことが早晩証明される。

北朝鮮の非核化問題に戻る。米朝首脳会談(6月12日)で発表された共同声明の解釈でいまだに世界中が揺れている。解釈が揺れているのは、前文の「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」という箇所だ。
会談直前まで、トランプ大統領は「この会談で共同声明にサインすることはないだろう」と言っていたし、「北の本気度は1分でわかる」「途中で席を立つかもしれない」と、会談の成功についてかなり悲観的なニュアンスをツィッターなどでつぶやいていた。
だから、この声明文の前文を読む限り、一見北朝鮮ペースで会談が行われ、トランプ大統領が金委員長に譲歩したのでは…という見方が妥当なように思える。実際、日米のジャーナリスト・評論家や政治家でそう主張する人たちが少なくなかった。本当にそうか。
前文に続く2項と3項ではこう書かれている。
 2 米国と北朝鮮は、朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を築く貯め共に努力する。
3 2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全非核化に向けて努力すると約束する。
 3項にある「板門店宣言」とは韓国・文大統領と金委員長の首脳会談で実現した合意事項を指す。つまりトランプ大統領が南北会談での「公約」を正式に承認したことを示したことを意味する。
板門店宣言では、「朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同目標とし、積極的の努力すること」「休戦状態の朝鮮戦争の終戦を2018年内に目指して停戦協定を平和協定に転換し、恒久的な平和構築に向けた南・北・米3者、または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進すること」「相手方に対する一切の敵対行動を全面的に中止し、まずは5月1日から軍事境界線一帯で実施する」「軍事的緊張を解消し、軍事的信頼を構築し段階的軍縮を行う」などで南北が合意した。
その合意事項をトランプ大統領が承認したことが、米朝共同声明で明らかになった。メディアは、そのことをあまり重視していない。なぜなのかは、私にはわからない。
アメリカはかつて財政赤字と貿易赤字の双子の赤字に苦しんだ時期がある。政治経験がまったくなく、異色の大統領として登場したトランプ氏にとって、アメリカという国家の経営の中心的テーマは今も続いている財政赤字と貿易赤字を一掃することだった。が、そのことはあまりにも大きなテーマだったので、大統領選では公約にしていない。私にも、最近になってトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の狙いがようやく見えてきた。
トランプ大統領が発信する様々な情報は、それらの一つ一つはジグゾーパズルのピースである。個々のピースにとらわれすぎていると、「木を見て森を見ず」ということになりかねない。またジグゾーパズルと違う点は、すべてのピースが目の前にあるわけでもない。だから目の前にあるピースを枠の中にはめ込みながら、空白の部分(つまりまだピースが隠れている個所)にどのようなピースが入るかを論理的に推理していくしかない。
その頭の中でする作業にとって最も重要なことは、目の前にあるピースの中でどのピースが「キーワード」になるかを見つけることだ。
米朝首脳会談の共同声明で最重要なピースは「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」という一文である。
この共同声明には北朝鮮の非核化へのプロセスはまったく明記されていない。そのことを最重要視するメディアや政治家が、アメリカでも日本でも多い。
だが、そのことを最重要視するなら、同様のレベルで「ではトランプ大統領はどうやって北朝鮮に安全の保証を与えるのか」も重要視しなければならない。金委員長が制裁の段階的解除と合わせて、最近、いまだに休戦状態にある朝鮮戦争の終結協定の締結に強くこだわりだしたのは、おそらく軍内部からの突き上げがあったからだと私は考えている。
金委員長が首脳会談を前に何度も強調していたことは「目の前の脅威がなくなれば核を持つ必要もなくなる」ということだ。首脳会談は、この一点を巡っての米朝の厳しい交渉だったと思う。その結果が、共同声明に表れている。この声明の主語が、米朝もともに国家ではなく、トランプ大統領と金委員長になっていることだ。そのことが何を意味するか。この約束はあくまでトランプ氏個人と金氏個人の約束に過ぎず、この約束は両国または一方の国の代表者が変われば反故になる可能性が極めて高いことを意味する。
たとえば尖閣諸島。オバマ大統領は日米安保条約5条の対象だと言ってくれた。これはアメリカの永遠の約束ではないから、大統領がトランプ氏に代わったら、またトランプ氏からも同じ言質を取り付けた。。
言っておくが、日本政府はアメリカの大統領が変わるたびに、同じことを繰り返していかなければならない。日本のメディアはそう口約束に過ぎないということが分かっているのか。少なくとも安倍総理は分かっているから、トランプ大統領にお願いしてオバマ氏の約束を継続してもらうことに成功した。が、そのつど、日本政府は米政府に借りを利息付きで継続せざるを得なくなる。借りをなくすためには尖閣諸島を実効支配して自衛隊を常駐させ、漁業活動の拠点も整備してしまうことだが、そんな勇気も日本政府にはない。実際、外務省に「アメリカが保障してくれている間に、なぜ尖閣諸島の実効支配に踏み切らないのか」と問い合わせても、「日本は話し合いで解決する方針ですから」というばかばかしい答えしか返ってこない。それならハーグの国際司法裁判所で尖閣諸島についての領有権問題に決着をつければいいのに、日本側は「中国との間に領有権問題は存在しない」という立場だから、話し合いによる解決をするつもりもないようだ。
では、アメリカ大統領が「尖閣諸島は日米安保条約第5条の範疇に入る」と口約束している間に、日本が実効支配に踏み切らないのか。実は「踏み切らない」のではなく、「踏み切れない」のが実情だ。日本が「では実効支配に踏み切ってもバックアップしてくれますか」と頼んでも、アメリカは「やめとけ」とブレーキをかけることが分かっているからだ。いや、実際に、そうした打診はすでに行っているかもしれない。が、アメリカが、「NO」と突っぱねてきたのではないか。アメリカにとっては、そんなくだらないことで米中間に軍事的緊張が高まることを、何よりも恐れているからだ。世界中から、日本がアメリカの属国扱いを受けている事情が読者に少しはお分かりいただけただろうか。
 
 いずれにせよ、金委員長の権力がそれほど強固なものではないことが、読者にもお分かりいただけたと思う。独裁政権の権力にとって一番危険なのは、すでに述べたように国民が飢えることと、軍のクーデターである。軍がクーデターを起こす場合、国民の支持が得られるような状態が生じるか(国民が飢えるケースが最大の要因になる)、権力者の近親者を担ぐことでクーデターの正当性を担保することだ。それが金委員長も分かっているから、将来、軍に担がれる可能性がある肉親の兄や叔父を暗殺・粛清してきた。そういう意味では、ひょっとしたら妹のヨジョン氏が、金委員長にとって最大のリスクになる可能性が強い。いまのところ、ヨジョン氏と金氏との間に齟齬は生じていないように見えるが、ヨジョン氏が力を付けるにつけ、その権力に群がろうとする官僚や軍幹部が増えてくる。これもまた権力を利用しようという人間の常である。ヨジョン氏もバカではないだろうから、兄の金委員長に寄り添う姿勢を崩していないように見えるが、「鉄のカーテン」の中の事情はなかなかわからない。
 私は金体制の存続を望んではいないが、いま北朝鮮で政権を揺るがすほどの混乱が生じたら、それは北朝鮮の核やミサイルどころではない、日本にとっても大問題に直面することになる。難民が日本にも大量に避難してくることは間違いないからだ。バカの一つ覚えみたいに「制裁、制裁」を連呼していれば済む問題ではない。

日本の携帯電話料金が世界一高くなった理由ーー後手後手に回った行政のツケが消費者に。

2018-09-03 01:36:36 | Weblog
 最近、私のブログの訪問者数・閲覧者数に異変が生じている。中身が改ざんされた様子はないのだが、前回の投稿から3週間になるというのに、一向に訪問者数や閲覧者数が減少する気配が見えず、かえって増え続けているのだ。しかも、以前だったら急減していた土・日や祝日でも、減るどころかかえって増えたりするおかしな現象が見受けられるようになった。
 私はつねに数本の未投稿原稿を抱えている。私のブログの訪問者数・閲覧者数にはかなりのかい離がある。閲覧者数が訪問者数の3~5倍なのだ。ここでちょっと説明しておくと、訪問者数は私のブログにアクセスしたパソコンやスマホの台数のことである。一方、閲覧者数は、実際に私のブログにアクセスした人の数である。ただし、同じパソコンあるいはスマホから、ほかのサイトに移行せず続けて別人が読んでくれた場合は、訪問者数も閲覧者数も増えない。また、私のブログは長文のため、途中で読み続けるのをやめていったんほかのサイトに移行し、また時間が空いたときに続きを読んだ場合は訪問者数は増えないが(同じパソコンあるいはスマホだから)、閲覧者数は新たにカウントされる。
 スマホは会社や役所が支給している場合を除いて個人所有だから、インターネット接続にフィルターがかかることは考えられないが、会社や役所などに設置されている業務用のパソコンの大半は基本的にインターネットに接続できないようにフィルターがかかっている。だからインターネットに接続できるパソコンを支給されている幹部社員・職員が私のブログを読んで部下に「面白いから読んでみろ」といったケースがあり、その場合、部下が続けて読んだ場合は訪問者も閲覧者もカウントされないが、幹部がいったんほかのサイトに移った後で部下が幹部のパソコンで私のブログを読んだ場合は、訪問者はカウントされないが閲覧者はカウントされる。私のブログの場合、訪問者数と閲覧者数にかい離が生じるのはそうした事情による。
 そのため、私はブログを更新する基準としているのは、訪問者数と閲覧者数の比率が2倍を切ったとき及び閲覧者数が一定の数値を切ったときと決めている。以前はだいたい1週間くらいで更新基準に達したために、ほぼそのサイクルでブログを更新していた。が、最近は2週間たっても3週間たっても更新基準に達しないのだ。その結果、せっかく書いたブログ原稿をボツにせざるを得ない状況がしばしば生じていた。
 実は私のブログは何者かによってかなり以前から不正侵入を受けていた。そのことに偶然気付いたのはパソコンである作業をしていた時だった。goo事務局は何か問題が生じた場合、チャットで相談に乗ってくれる。そこで私はブログのIDを変えてもらいたいと申し入れたのだが、「IDの変更は可能だが、ブログの継続性が失われます。それでもよければ」という返事が返ってきた。ブログの継続性は私にとって命綱のようなものだから、いろいろチャットで相談した結果、大変面倒だがパスワードをちょいちょい変更し、かつパスワードの「保存」を解除することにした。つまり毎日、訪問者数や閲覧者数のチェックをしたり、ブログを更新するたとき、パスワードをその都度入力することにしたのだ。ただパスワードを入力したとき、いったんサイトを離れても数分間はパスワードが保存状態になるため、ブログの編集ページを開くのは深夜の午前1~2時ごろにしている。別に目覚まし時計をセットしているわけではなく、だいたいその時間帯にトイレで目が覚めるからである。当然ブログ原稿は前日の日中には完成している。
 だが、どうやって、また何の目的でだれが侵入しているのかは、まったくわからない。私のブログに対するコメントは、「馬鹿」とか「老いぼれ、早く死ね」といった卑劣な書き込み以外は一切排除しないことにしているが、ほとんどコメントは書き込まれていない。閲覧者の大半がメディア関係者か政治家だからではないかと思っている。
 いずれにせよ、前回のブログの訪問者数と閲覧者数の状況が不自然なので、閲覧者数がいまだ高水準を維持してはいるが、ブログを更新することにした。原稿はとりあえず以前に書いたままのものに、【追記】として書き加える。

 8月13日に投稿した記事『トランプ大統領の身勝手この上ない通商政策を検証した』の閲覧者が爆発的に増えているが、携帯電話料金を巡る騒動が一気に浮上したので、急きょこの問題についてブログを更新することにした。なお、この原稿は24日に書いている。その日のうちに朝日新聞とNHKにはFAXする。朝日やNHKの報道にこれから私が書く視点が反映されるかは分からない。
 この騒動は21日に菅官房長官が行った講演会での発言「日本の携帯電話の料金はあまりにも不透明で高すぎる。4割程度は下げる余地がある」と述べたことから始まった。超多忙の菅氏が、携帯電話料金について独自に調べたりしている時間があるとは思えないから、監督官庁である総務省官僚から依頼されての発言だとは思うが、本来なら野田総務相が行政指導方針として発言すべきことではないか。「野田氏では力不足」と総務省幹部が考えたのかもしれない。
 報道によれば、菅発言を受けて野田氏は23日、情報通信審議会(会長・内田トヨタ自動車会長)に携帯料金の引き下げを含む通信事業の在り方について諮問、来年12月をめどに答申をまとめるという。
 それはさておき、国鉄民営化も電電公社民営化も、最近では郵政民営化も、政府や監督官庁は「なぜ民営化する必要があるのか」という「哲学」なしにただなんとなく【規制緩和→民営化→自由競争社会の出現→競争原理が働く→消費者に有利な健全な競争社会が出現】と言った幻想からスタートした「はじめに民営化ありき」の政策だったのではないかと思わざるを得ない。
 たまたま24日付朝日新聞朝刊は、立憲民主党・枝野代表の自治労定期大会(23日)での発言(要旨)を記事にした。枝野氏が競争社会についてどう考えているのか、この発言だけでは不十分だが、いちおう転載しておく。
「私自身も反省を含めて、この20年、30年、我が国は『改革』という名の下に、民営化をすればよくなる、民間に任せればよくなる、規制を緩和すればよくなるというあまりにも偏った、誤った道を歩んできたのではないか。高度成長を遂げて成熟社会になった日本は、個人の自己責任にあらゆるものを帰して公的役割を縮小させた。明らかに時代に逆行していた。家族や地域のコミュニティーでできなくなった支え合いを誰が行うのか。それは政治であり、行政である。今までの過ちを改めて、改革ではなく、守るべきものをしっかりと守る。お互い様の支え合いを、役所が支えていくことによって、安心して暮らせる社会をつくっていく」
 正直意味不明な部分もあるが(記者の文章力のせいかもしれないが)、民営化や規制緩和はだれのために行うのか、という原点に戻って従来の政策に疑問符を投じた意味は小さくないと思う。
 確かに国鉄や郵政の民営化によるプラスの面も少なからずあったが、逆にマイナス面も小さくない。もちろんあらゆる政策は必ずプラスの面とマイナスの面の両方を持つ。が、これまでの政治はあらかじめ予測できたはずのマイナス面には一切触れず、プラス面ばかりを強調してきたきらいは否定できない。一方、政策に反対する野党はプラス面は一切評価せず、マイナス面ばかりを強調する。これでは国会での議論がかみ合うわけがない。
 このブログでは国鉄民営化や郵政民営化に伴う負の検証は行わない。いずれ行うかもしれないが、最近私のブログの読者が増えすぎて、しかも訪問者・閲覧者が2~3週間たっても減少しないため、せっかく書いても賞味期限切れでボツにせざるを得ないことが多く、原稿の書き貯めに躊躇せざるを得ない状態が続いているためだ。で、電電公社民営化に伴った負の検証だけ、今回は行う。
 電電公社が民営化されたのは1985年4月である。国鉄民営化と同様、民営化に際して電電公社は3分割された。NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズ(インターネット・プロバイダーのOCNを傘下に持つ)である。携帯電話会社のNTTドコモはこの時点ではまだ生まれていない。
 電電公社最後の総裁である真藤氏が、自身最後の大仕事として手掛けたのがISN(のちのISDN)事業。通信をデジタル化するために日本列島縦貫のひかり大幹線を敷設するという大事業だ。
それはそれでいいのだが、「哲学なき民営化」と私が決めつけたのは、経営体を分割しただけで通信インフラである通信網(メタル&ひかり電話線)を分離しなかった点にある。これは国鉄民営化についても言えることだが、鉄道インフラである鉄道レール(レールの敷地も含む)を分離して、そのインフラをどの事業体でも利用できるようにしておけばよかった。そうすれば、おそらく民間から想定もしていない鉄道レールの利用法のアイデアが吹き出していた可能性は否定できない。同様に、電電公社の民営化に際しても経営体の分割より、通信インフラである通信網を分離して、NTTも第二電電(DDIのちKDDI)もソフトバンクも対等な条件で自由に利用することが出来るようにすべきだった。
電電公社時代、就職や結婚などで新居を構えた時、電話を引くのに「電話加入権」を電話局から買う必要があった。申し込みが多くて電話を引くのに時間がかかるような場合は、加入権売買業者から高値で購入しなければならなかった。今は電話を引くのに加入権など必要がなくなったし、加入権売買業者もなくなった。いまNTTはメタル回線など新設することはないし、本来ならメタル回線の使用料(固定電話の基本料)はとっくに償却がすんでいて、せいぜいメンテナンス・コストが多少かかる程度になっている。それなのにNTTはメタル回線の基本料を値下げするつもりはまったくない。
なぜか。NTTが馬鹿げた事業に大金を使いだしたからだ。真藤時代に計画した日本列島縦貫のひかり大幹線の敷設と、各地の電話局までをひかりで結ぶところまではいいのだが、各家庭にまでひかりを引き出したのだ。そのためには膨大なコストがかかる。そのコストをねん出するために、すでに減価償却がすんでメンテナンス・コストしかかからないメタル回線の基本料をビタ1円たりとも値下げしないのだ。
さらにバカなことをNTTの子会社のドコモがやり始めた。携帯電話のための基地局を1社独占で作り出したのだ(格安スマホ会社には提供しているが)。そもそもそういうばかげた計画を、監督官庁の総務省がなぜ承認したのか?
そのためauもソフトバンクも基地局をすべて自前で作らざるを得なくなった。新規参入しようとしている楽天も自前で基地局をつくるようだ。こんなばかばかしいことをやっている国はおそらくない。
総務省が平成27年度の携帯電話料金の世界6都市の比較を公表した。東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、デュッセルドルフ(独)、ソウルの6都市だが、東京はニューヨークに次いで高い。アメリカが世界1高いのは当たり前で、日本と比較した場合人口は約2倍だが国土面積は26倍にもなる。携帯電話の基地局の数までは頭の悪い総務省官僚は調べていないようだが、アメリカの基地局は携帯電話会社が共同利用していなければ、おそらく日本の100倍は超えているはずだ。しかし実際には日本とアメリカの携帯電話料金の差はそれほど大きくはない。日本のように、個々の携帯電話会社が個別に基地局を設置するようなバカげた重複投資はしていないと思う。
総務省は調べていないようだし、また当局が公表していないのかもしれないが、平均賃金が日本よりはるかに低い中国でなぜ携帯電話が異常なほどに普及しているのか。またスマホの利用法も、電子決済など中国は日本をはるかに凌駕している。中国も国土が広く、へき地まで電話線を引くことは容易ではない。だから携帯が急速に普及したとも言えないことはないのだが、どんな低所得層でも利用できるシステムになっているから普及したことは否定できない。
いまからでも遅くない。現在の基地局や次世代型も携帯電話インフラは携帯各社が共同利用できるようにするだけで、「もうけすぎだからけしからん」などと言わなくても格段に安くできる。現にBSやCSなどは、放送局各社が放送衛星を共同利用している。もし放送局各社が自前で放送衛星を打ち上げるようなことをしていたら、NHKを除いて放送局はすべて潰れてしまう。
国民のために自由な競争を加速させることの意味を考えない規制緩和、つまり「哲学なき規制緩和」はかえって国民のためにならない結果を生みかねないことを、政治家や官僚は自覚してほしい。

【追記】8月28日、総務省は新たな規制緩和を発表した。来年9月から、中古も含めてスマホのSIMロックを解除させることにしたという。
 しかし、どうして総務省は規制緩和を小出しに行うのか。番号ポータビリティによって携帯電話会社の囲い込みはある程度壊したが、携帯電話会社は次々と“裏の手”を考え出していく。そしてつねに行政は後手後手に回っていった。今回のSIMロック全面解除にしても、総務省は15年春以降に発売された機器については、利用者からロック解除の要望があり一定期間利用するなどの条件が満たされたら解除の要求に応じなければならないことを義務付けていた。が、利用者が他社に移る場合には、契約期間が満了していても契約解除料が発生するという“詐欺商法”(事実上のカルテル)には手を付けていない。
 新規契約の場合、契約金をとるか否かについては各携帯会社の自由方針に任せてもいいとは思う。契約金を高くすれば、おそらく利用者はよほどその後の利用サービスが有利でなければ、その会社とは契約しないからだ。
 しかも携帯電話会社が強制する契約期間とは、あらかじめ機器代をかなり高額に設定したうえで、その代金を24回払いにして基本料金に上乗せするという仕組みである。2年間の契約期間が満了すれば、新製品に買い替えて新たに2年契約を結ばなければ実質的に損をする仕組みだ。携帯大手3社がすべて同じ仕組みにしているのに、なぜ独占禁止法で摘発されないのか、私には不思議だ。