NHKが2019年から地上波放送とBS放送のインターネット同時配信を実施することを公表したという(読売新聞による)。スマホなどの利用者には専用のアプリをダウンロードすることで視聴できるようにするという。受信料は自宅や事務所などと同様、月額1260円を考えているらしい(ネット受信料は半額にするという案もあるらしいが、その根拠は不明だ。家庭のテレビより小さいからなどという屁理屈で考えているとしたら、家庭の受信料もテレビの大きさによって差をつけなければおかしいということになる)。ただし、自宅などで受信料を支払っている世帯にはネット受信料を求めないという。
実は6月27日にはすでにNHKが設置した有識者会議の「NHK受信料制度等検討委員会」が、現在のテレビ放送をインターネットで同時配信するというNHKの計画について「自宅にテレビを設置していないネット視聴者からも受信料を徴収することは適当である」との答申案を出していた。この委員会は第三者委員会ではなく、安倍総理が設置した「安保法制懇」と同様、法制化を正当化するための私的諮問会議に過ぎないのだが、NHKはこの答申案を根拠に同時配信に踏み切ることにしたようだ。
私自身は公正・公平な受益者負担を視聴者に義務付けるとする放送法改正と同時に行うことを前提として、この答申案を原則的に受け入れるべきだと考えている。
私が言う「公正・公平な受益者負担」とはどういうことを意味するか。
実は現行の放送法では、契約の義務と受信料支払いの義務の関係は明確ではない。現行放送法は1950年に施行され、その後59年、88年、2010と三度の改正を経ているが、憲法で言えば9条に相当するような視聴者と協会(日本放送協会=NHK)との関係について定めた64条を改定しない限り、インターネットとの同時配信とネット視聴者に対する受信料義務化は不可能なのだ。
放送法64条の正確な解釈をする前に、NHKが何を根拠に受信料支払いを視聴者に要求しているか、NHKが公表している『NHK受信料の窓口―NHK放送受信契約・放送受信料についてのご案内』から抜粋する。
[放送受信契約とは]
「NHKの放送を受信できるテレビ(チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末などを含みます)を設置された方に、結んでいただくものです。
この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます。
一方、ラジオだけ設置されている場合、放送受信契約は必要ありません」
[受信料だからこそ、できる放送があります]
「NHKは、受信機をお持ちの方から公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく、公共の福祉のために、皆様の暮らしに役立つ番組作りができます。(後略)」
[受信契約の義務]
「受信契約は、してもしなくてもいいというものではありません。放送法という法律(64条)で定められた義務です」
一見もっともらしい説明だが、この説明には巧妙な「印象操作」が隠されている。まず1項目にある「チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末」には現在NHKとの受信契約が義務付けられていない。放送法64条はこうだ。
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備またはラジオ放送(カッコ内は略)もしくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置したものについては、この限りではない。
放送法64条は「放送の受信を目的としない受信設備」は、NHKとの契約義務がないと明記している。NHKは[ご案内]の1項からウソを書いている。パソコンやスマホなどが、放送を受信することを目的とした機器ではないことは自明である。したがって放送を受信できるチューナー内蔵の機器の所有者にNHKとの契約を義務付けるためには、まず放送法64条を改定する必要がある。現行放送法の下では、チューナーを内蔵していても受信料は払う必要がない。
次に、同じ1項に「この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます」と、勝手に決めつけていることだ。しかしNHKがこの「権利」の根拠としている放送法64条のいかなる箇所にも、受信料支払い義務についての規定はない。放送法64条はテレビの所有者に、NHKとの契約の義務化は規定しているが、受信料支払いは契約者に義務付けてはいない。なぜか。
実は、この疑問を解くカギは[ご案内]の2項にある。2項には「公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく……番組作りができます」とある。本当か…。
実はいまNHKの報道姿勢に対して批判が殺到している。私のブログのメーン・テーマは「読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと…」と好き勝手にやりたい放題のマスコミに対する警鐘を鳴らすことだが、村社会の中からもタブーとされてきたNHK批判が飛び出した。
勇気ある記事を書いたのは毎日新聞で、NHKは加計学園騒動の発端となった文科省の内部文書を真っ先に入手、かつ渦中の人物となった前川・文科省前事務次官への単独インタビューもしていながら、スクープを朝日新聞にとられるという不手際を生じたというのだ。毎日新聞は、メディアとしてあり得ないNHKの報道スタンスに対して疑問を呈しているが、その問題を巡ってネットではNHKに対する批判が炎上する羽目になった。なかには報道局長K氏の実名を出し、K氏が「こんな怪文書をまともに扱うな」と現場に指示したという書き込みもある(NHKの記者からの情報提供によるようだ)。
が、NHKの報道姿勢が問われるのは、内部文書が怪文書ではなく、文書に書かれている大部分が事実であることがわかってからも、加計学園問題については国会でのやり取りをニュースでちょこっと触れるくらいで、真相解明にはまったく取り組もうとしない姿勢も問われている。
私もさすがに呆れたのは、『日曜討論』である。NHKの『日曜討論』はその時点の最も旬な政治的テーマを巡って政治家や学者・評論家が議論する番組だが、いま国民の最大関心事は都知事選で示された安倍一強体制の事実上の崩壊によって進行しつつある政局であり、加計学園問題の真相解明である。だが、都議選後の『日曜討論』のテーマはなんだったか。
9日『北朝鮮“ICBM”発射 国際社会はどう動く』
16日『日EU EPA,“米抜き”TPP激動の世界通商戦略を問う』
(追記)今日23日の日曜討論は『相次ぐヒアリ発見 外来生物とどう向き合うか』だそうだ(いま午前7時前)。明日24日から閉会中予算委員会で加計学園疑惑をめぐって審議が行われるというときに、あえていま最大の政治的課題になっている問題を避けてヒアリをテーマにするということは何を意味するか。
これではNHKが政局がらみのテーマを意図的に避けているとしか思えない。NHKもすべて腐っているわけではなく、6月20日の『クローズアップ現代』では予定の放送番組を変更してまで、当時未発見の文科省内部文書2通をスクープ、翌日には政府もその存在を確認するという快挙も成し遂げている。私は現場の記者と『クロ現』スタッフの一部が起こした一種の「クーデター」と考えている。
実は安保法制の強行採決のときも、新聞の『ラテ欄』には記載せずに「クーデター」的に国会の予算委中継をしたこともある。この日は大相撲の中継が予定されており、テレビ画面に表示される番組表も午後3時になるまで大相撲中継の予定が表示されていたが、3時になった瞬間、表示が国会中継に変わった。この放送時のNHK会長は籾井氏で、上層部からは国会中継はするなと指示が出ていたようだ。だから新聞の『ラテ欄』には一切国会中継の予定は記載されておらず、現場が1時のニュースのなかで国会中継を始め、ニュース時間終了後も放送予定を変更して国会中継を継続、強行採決のシーンまで生中継を続けた。これも良心的な職員たちによる一種のクーデターだと私は思っている。
NHKが隅から隅まで腐っているわけではないことも私は認めつつ、やはり問題点は問題点として追及せざるを得ない。[ご案内]の問題に戻る。
放送法64条は「協会の放送を受信することのできる受信装置を設置した者は、協会と(受信)契約をしなければならない」と、「契約の義務」は明記している。が、「受信料支払いの義務」についての記載はない。そのことは何を意味するか。
私は「だから支払う義務はない」と極論を主張するつもりはない。そういう「言葉尻」をとらえるような言いがかりをつけるつもりもない。
私が主張したいのは、「権利と義務」の関係である。民主主義社会の基本原則についての問題提起である。
通常よく言われるのは「権利の行使には義務や責任が伴う」という当たり前のことで、そのことを否定する人はまずいない。私が言いたいのは、その逆も真なりということである。具体的には、義務を果たす以上、その義務に伴う権利も同時に発生するはずだ、ということだ。
私たちがNHKに受信料を支払うことが義務であるとすれば、私たちにはどんな権利が発生するのか。その権利を視聴者に与えないために、受信料支払いを義務化しなかったのが、実は放送法64条の真意である。
たとえば新幹線。新幹線に乗車するには通常の乗車料(乗車距離に応じた料金で普通電車と同じ料金)に新幹線料金が加算される。が、何らかの事情で(JRに責任がないケースでも)電車が2時間以上遅延した場合は新幹線料金は払い戻される。新幹線料金を支払ったことによって生じた権利を侵害したからである。
同様に、NHKに受信料を支払う以上、視聴者は自分たちの声をNHKの放送番組内容反映させセル権利が生じる。だが、現実に視聴者の声が反映される仕組みにはなっていない。現在のNHKは「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のため」の放送局でしかない。受信料支払いを義務化するのであれば、視聴者の権利をどうやって確保するか、のシステムを構築してからだろう。
とくに私が言いたいのは、NHKは「公共放送」という位置づけの上に胡坐をかいていないか、ということだ。公共放送である以上、放送内容は公益性のあるものに限られる。民放が放送できるドラマやスポーツ中継など、{国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれない}「公共の福祉のために、みなさまの暮らしに役立つ番組」だと、胸を張って言えるか。自分たちが作っているコンテンツはつねに公共の福祉に貢献し、視聴者の暮らしに役立っていると思い込んでいるとしたら、安倍総理と総理のお友達以上に傲慢であり、「こんな人たち」に公共放送を担わせていいものかと思わざるを得ない。
さらに、現行の受信料の仕組みにも問題がある。かつての大家族時代であれば世帯単位の受信料システムにもかすかに合理性があったが、核家族化が進み、受信料の対象世帯は相当増えているはずだ。
受信料が受益者負担ということであれば、世帯単位の受信料制度というのは「制度疲労」を生じていると言わざるを得ない。ひとり暮らしの老人が、4人家族と同じ受信料を支払うという矛盾を解決した受信料制度に変えない限り、受信料の義務化には重大な疑義を持たざるを得ない。
現実的には放送のネット同時配信は難しいようだ。まず民放が一斉に反対している。NHKがネット同時配信すれば、民放キー局も対抗してネット配信することになる。そうなると、地方ローカル局の経営が成り立たなくなる。NHKが、民放をつぶして独裁放送局を目指しているのならネット同時配信の意図も分かるが、そんなことを国民が認めるわけがない。
また管轄官庁の総務省もNHKの暴走には否定的のようだ。放送と通信のすみわけの問題もあれば、放送電波は電波が届く範囲では仮に視聴率100%の番組があってもパンク状態になって放送が見られなくなるということはないが、ネットの場合は今でも特定のサイトにアクセスが集中するとパンク状態になってつながらないという状態になる。NHKの都合に合わせてネットの通信帯域を拡大するなどということなどできようがない。通信帯域は無限ではなく、余っている帯域などほとんどない。
現実的には不可能なネット同時配信計画だが、NHKの身勝手極まりない暴走が社会問題化すれば、今まであまり疑問を抱かずNHKの言いなりに受信料を払ってきた視聴者が、自分たちの権利がないがしろにされているという実情に気付いて、権利を主張するようになるきっかけになれば、NHK改革へのスタートラインになるかもしれない。
実は6月27日にはすでにNHKが設置した有識者会議の「NHK受信料制度等検討委員会」が、現在のテレビ放送をインターネットで同時配信するというNHKの計画について「自宅にテレビを設置していないネット視聴者からも受信料を徴収することは適当である」との答申案を出していた。この委員会は第三者委員会ではなく、安倍総理が設置した「安保法制懇」と同様、法制化を正当化するための私的諮問会議に過ぎないのだが、NHKはこの答申案を根拠に同時配信に踏み切ることにしたようだ。
私自身は公正・公平な受益者負担を視聴者に義務付けるとする放送法改正と同時に行うことを前提として、この答申案を原則的に受け入れるべきだと考えている。
私が言う「公正・公平な受益者負担」とはどういうことを意味するか。
実は現行の放送法では、契約の義務と受信料支払いの義務の関係は明確ではない。現行放送法は1950年に施行され、その後59年、88年、2010と三度の改正を経ているが、憲法で言えば9条に相当するような視聴者と協会(日本放送協会=NHK)との関係について定めた64条を改定しない限り、インターネットとの同時配信とネット視聴者に対する受信料義務化は不可能なのだ。
放送法64条の正確な解釈をする前に、NHKが何を根拠に受信料支払いを視聴者に要求しているか、NHKが公表している『NHK受信料の窓口―NHK放送受信契約・放送受信料についてのご案内』から抜粋する。
[放送受信契約とは]
「NHKの放送を受信できるテレビ(チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末などを含みます)を設置された方に、結んでいただくものです。
この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます。
一方、ラジオだけ設置されている場合、放送受信契約は必要ありません」
[受信料だからこそ、できる放送があります]
「NHKは、受信機をお持ちの方から公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく、公共の福祉のために、皆様の暮らしに役立つ番組作りができます。(後略)」
[受信契約の義務]
「受信契約は、してもしなくてもいいというものではありません。放送法という法律(64条)で定められた義務です」
一見もっともらしい説明だが、この説明には巧妙な「印象操作」が隠されている。まず1項目にある「チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末」には現在NHKとの受信契約が義務付けられていない。放送法64条はこうだ。
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備またはラジオ放送(カッコ内は略)もしくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置したものについては、この限りではない。
放送法64条は「放送の受信を目的としない受信設備」は、NHKとの契約義務がないと明記している。NHKは[ご案内]の1項からウソを書いている。パソコンやスマホなどが、放送を受信することを目的とした機器ではないことは自明である。したがって放送を受信できるチューナー内蔵の機器の所有者にNHKとの契約を義務付けるためには、まず放送法64条を改定する必要がある。現行放送法の下では、チューナーを内蔵していても受信料は払う必要がない。
次に、同じ1項に「この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます」と、勝手に決めつけていることだ。しかしNHKがこの「権利」の根拠としている放送法64条のいかなる箇所にも、受信料支払い義務についての規定はない。放送法64条はテレビの所有者に、NHKとの契約の義務化は規定しているが、受信料支払いは契約者に義務付けてはいない。なぜか。
実は、この疑問を解くカギは[ご案内]の2項にある。2項には「公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく……番組作りができます」とある。本当か…。
実はいまNHKの報道姿勢に対して批判が殺到している。私のブログのメーン・テーマは「読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと…」と好き勝手にやりたい放題のマスコミに対する警鐘を鳴らすことだが、村社会の中からもタブーとされてきたNHK批判が飛び出した。
勇気ある記事を書いたのは毎日新聞で、NHKは加計学園騒動の発端となった文科省の内部文書を真っ先に入手、かつ渦中の人物となった前川・文科省前事務次官への単独インタビューもしていながら、スクープを朝日新聞にとられるという不手際を生じたというのだ。毎日新聞は、メディアとしてあり得ないNHKの報道スタンスに対して疑問を呈しているが、その問題を巡ってネットではNHKに対する批判が炎上する羽目になった。なかには報道局長K氏の実名を出し、K氏が「こんな怪文書をまともに扱うな」と現場に指示したという書き込みもある(NHKの記者からの情報提供によるようだ)。
が、NHKの報道姿勢が問われるのは、内部文書が怪文書ではなく、文書に書かれている大部分が事実であることがわかってからも、加計学園問題については国会でのやり取りをニュースでちょこっと触れるくらいで、真相解明にはまったく取り組もうとしない姿勢も問われている。
私もさすがに呆れたのは、『日曜討論』である。NHKの『日曜討論』はその時点の最も旬な政治的テーマを巡って政治家や学者・評論家が議論する番組だが、いま国民の最大関心事は都知事選で示された安倍一強体制の事実上の崩壊によって進行しつつある政局であり、加計学園問題の真相解明である。だが、都議選後の『日曜討論』のテーマはなんだったか。
9日『北朝鮮“ICBM”発射 国際社会はどう動く』
16日『日EU EPA,“米抜き”TPP激動の世界通商戦略を問う』
(追記)今日23日の日曜討論は『相次ぐヒアリ発見 外来生物とどう向き合うか』だそうだ(いま午前7時前)。明日24日から閉会中予算委員会で加計学園疑惑をめぐって審議が行われるというときに、あえていま最大の政治的課題になっている問題を避けてヒアリをテーマにするということは何を意味するか。
これではNHKが政局がらみのテーマを意図的に避けているとしか思えない。NHKもすべて腐っているわけではなく、6月20日の『クローズアップ現代』では予定の放送番組を変更してまで、当時未発見の文科省内部文書2通をスクープ、翌日には政府もその存在を確認するという快挙も成し遂げている。私は現場の記者と『クロ現』スタッフの一部が起こした一種の「クーデター」と考えている。
実は安保法制の強行採決のときも、新聞の『ラテ欄』には記載せずに「クーデター」的に国会の予算委中継をしたこともある。この日は大相撲の中継が予定されており、テレビ画面に表示される番組表も午後3時になるまで大相撲中継の予定が表示されていたが、3時になった瞬間、表示が国会中継に変わった。この放送時のNHK会長は籾井氏で、上層部からは国会中継はするなと指示が出ていたようだ。だから新聞の『ラテ欄』には一切国会中継の予定は記載されておらず、現場が1時のニュースのなかで国会中継を始め、ニュース時間終了後も放送予定を変更して国会中継を継続、強行採決のシーンまで生中継を続けた。これも良心的な職員たちによる一種のクーデターだと私は思っている。
NHKが隅から隅まで腐っているわけではないことも私は認めつつ、やはり問題点は問題点として追及せざるを得ない。[ご案内]の問題に戻る。
放送法64条は「協会の放送を受信することのできる受信装置を設置した者は、協会と(受信)契約をしなければならない」と、「契約の義務」は明記している。が、「受信料支払いの義務」についての記載はない。そのことは何を意味するか。
私は「だから支払う義務はない」と極論を主張するつもりはない。そういう「言葉尻」をとらえるような言いがかりをつけるつもりもない。
私が主張したいのは、「権利と義務」の関係である。民主主義社会の基本原則についての問題提起である。
通常よく言われるのは「権利の行使には義務や責任が伴う」という当たり前のことで、そのことを否定する人はまずいない。私が言いたいのは、その逆も真なりということである。具体的には、義務を果たす以上、その義務に伴う権利も同時に発生するはずだ、ということだ。
私たちがNHKに受信料を支払うことが義務であるとすれば、私たちにはどんな権利が発生するのか。その権利を視聴者に与えないために、受信料支払いを義務化しなかったのが、実は放送法64条の真意である。
たとえば新幹線。新幹線に乗車するには通常の乗車料(乗車距離に応じた料金で普通電車と同じ料金)に新幹線料金が加算される。が、何らかの事情で(JRに責任がないケースでも)電車が2時間以上遅延した場合は新幹線料金は払い戻される。新幹線料金を支払ったことによって生じた権利を侵害したからである。
同様に、NHKに受信料を支払う以上、視聴者は自分たちの声をNHKの放送番組内容反映させセル権利が生じる。だが、現実に視聴者の声が反映される仕組みにはなっていない。現在のNHKは「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のため」の放送局でしかない。受信料支払いを義務化するのであれば、視聴者の権利をどうやって確保するか、のシステムを構築してからだろう。
とくに私が言いたいのは、NHKは「公共放送」という位置づけの上に胡坐をかいていないか、ということだ。公共放送である以上、放送内容は公益性のあるものに限られる。民放が放送できるドラマやスポーツ中継など、{国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれない}「公共の福祉のために、みなさまの暮らしに役立つ番組」だと、胸を張って言えるか。自分たちが作っているコンテンツはつねに公共の福祉に貢献し、視聴者の暮らしに役立っていると思い込んでいるとしたら、安倍総理と総理のお友達以上に傲慢であり、「こんな人たち」に公共放送を担わせていいものかと思わざるを得ない。
さらに、現行の受信料の仕組みにも問題がある。かつての大家族時代であれば世帯単位の受信料システムにもかすかに合理性があったが、核家族化が進み、受信料の対象世帯は相当増えているはずだ。
受信料が受益者負担ということであれば、世帯単位の受信料制度というのは「制度疲労」を生じていると言わざるを得ない。ひとり暮らしの老人が、4人家族と同じ受信料を支払うという矛盾を解決した受信料制度に変えない限り、受信料の義務化には重大な疑義を持たざるを得ない。
現実的には放送のネット同時配信は難しいようだ。まず民放が一斉に反対している。NHKがネット同時配信すれば、民放キー局も対抗してネット配信することになる。そうなると、地方ローカル局の経営が成り立たなくなる。NHKが、民放をつぶして独裁放送局を目指しているのならネット同時配信の意図も分かるが、そんなことを国民が認めるわけがない。
また管轄官庁の総務省もNHKの暴走には否定的のようだ。放送と通信のすみわけの問題もあれば、放送電波は電波が届く範囲では仮に視聴率100%の番組があってもパンク状態になって放送が見られなくなるということはないが、ネットの場合は今でも特定のサイトにアクセスが集中するとパンク状態になってつながらないという状態になる。NHKの都合に合わせてネットの通信帯域を拡大するなどということなどできようがない。通信帯域は無限ではなく、余っている帯域などほとんどない。
現実的には不可能なネット同時配信計画だが、NHKの身勝手極まりない暴走が社会問題化すれば、今まであまり疑問を抱かずNHKの言いなりに受信料を払ってきた視聴者が、自分たちの権利がないがしろにされているという実情に気付いて、権利を主張するようになるきっかけになれば、NHK改革へのスタートラインになるかもしれない。