小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NHKが安倍政権の御用放送局に堕した理由

2017-07-20 06:14:57 | Weblog
 NHKが2019年から地上波放送とBS放送のインターネット同時配信を実施することを公表したという(読売新聞による)。スマホなどの利用者には専用のアプリをダウンロードすることで視聴できるようにするという。受信料は自宅や事務所などと同様、月額1260円を考えているらしい(ネット受信料は半額にするという案もあるらしいが、その根拠は不明だ。家庭のテレビより小さいからなどという屁理屈で考えているとしたら、家庭の受信料もテレビの大きさによって差をつけなければおかしいということになる)。ただし、自宅などで受信料を支払っている世帯にはネット受信料を求めないという。
 実は6月27日にはすでにNHKが設置した有識者会議の「NHK受信料制度等検討委員会」が、現在のテレビ放送をインターネットで同時配信するというNHKの計画について「自宅にテレビを設置していないネット視聴者からも受信料を徴収することは適当である」との答申案を出していた。この委員会は第三者委員会ではなく、安倍総理が設置した「安保法制懇」と同様、法制化を正当化するための私的諮問会議に過ぎないのだが、NHKはこの答申案を根拠に同時配信に踏み切ることにしたようだ。
 私自身は公正・公平な受益者負担を視聴者に義務付けるとする放送法改正と同時に行うことを前提として、この答申案を原則的に受け入れるべきだと考えている。
 私が言う「公正・公平な受益者負担」とはどういうことを意味するか。
 実は現行の放送法では、契約の義務と受信料支払いの義務の関係は明確ではない。現行放送法は1950年に施行され、その後59年、88年、2010と三度の改正を経ているが、憲法で言えば9条に相当するような視聴者と協会(日本放送協会=NHK)との関係について定めた64条を改定しない限り、インターネットとの同時配信とネット視聴者に対する受信料義務化は不可能なのだ。
 放送法64条の正確な解釈をする前に、NHKが何を根拠に受信料支払いを視聴者に要求しているか、NHKが公表している『NHK受信料の窓口―NHK放送受信契約・放送受信料についてのご案内』から抜粋する。

[放送受信契約とは]
「NHKの放送を受信できるテレビ(チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末などを含みます)を設置された方に、結んでいただくものです。
 この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます。
 一方、ラジオだけ設置されている場合、放送受信契約は必要ありません」
[受信料だからこそ、できる放送があります]
「NHKは、受信機をお持ちの方から公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく、公共の福祉のために、皆様の暮らしに役立つ番組作りができます。(後略)」
[受信契約の義務]
「受信契約は、してもしなくてもいいというものではありません。放送法という法律(64条)で定められた義務です」

 一見もっともらしい説明だが、この説明には巧妙な「印象操作」が隠されている。まず1項目にある「チューナー内蔵パソコン、ワンセグ対応端末」には現在NHKとの受信契約が義務付けられていない。放送法64条はこうだ。

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備またはラジオ放送(カッコ内は略)もしくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置したものについては、この限りではない。

 放送法64条は「放送の受信を目的としない受信設備」は、NHKとの契約義務がないと明記している。NHKは[ご案内]の1項からウソを書いている。パソコンやスマホなどが、放送を受信することを目的とした機器ではないことは自明である。したがって放送を受信できるチューナー内蔵の機器の所有者にNHKとの契約を義務付けるためには、まず放送法64条を改定する必要がある。現行放送法の下では、チューナーを内蔵していても受信料は払う必要がない。
 次に、同じ1項に「この放送受信契約に基づき、放送受信料をお支払いいただきます」と、勝手に決めつけていることだ。しかしNHKがこの「権利」の根拠としている放送法64条のいかなる箇所にも、受信料支払い義務についての規定はない。放送法64条はテレビの所有者に、NHKとの契約の義務化は規定しているが、受信料支払いは契約者に義務付けてはいない。なぜか。
 実は、この疑問を解くカギは[ご案内]の2項にある。2項には「公平にお支払いいただく受信料を財源とすることにより、国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれることなく……番組作りができます」とある。本当か…。
 実はいまNHKの報道姿勢に対して批判が殺到している。私のブログのメーン・テーマは「読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと…」と好き勝手にやりたい放題のマスコミに対する警鐘を鳴らすことだが、村社会の中からもタブーとされてきたNHK批判が飛び出した。
 勇気ある記事を書いたのは毎日新聞で、NHKは加計学園騒動の発端となった文科省の内部文書を真っ先に入手、かつ渦中の人物となった前川・文科省前事務次官への単独インタビューもしていながら、スクープを朝日新聞にとられるという不手際を生じたというのだ。毎日新聞は、メディアとしてあり得ないNHKの報道スタンスに対して疑問を呈しているが、その問題を巡ってネットではNHKに対する批判が炎上する羽目になった。なかには報道局長K氏の実名を出し、K氏が「こんな怪文書をまともに扱うな」と現場に指示したという書き込みもある(NHKの記者からの情報提供によるようだ)。
 が、NHKの報道姿勢が問われるのは、内部文書が怪文書ではなく、文書に書かれている大部分が事実であることがわかってからも、加計学園問題については国会でのやり取りをニュースでちょこっと触れるくらいで、真相解明にはまったく取り組もうとしない姿勢も問われている。
 私もさすがに呆れたのは、『日曜討論』である。NHKの『日曜討論』はその時点の最も旬な政治的テーマを巡って政治家や学者・評論家が議論する番組だが、いま国民の最大関心事は都知事選で示された安倍一強体制の事実上の崩壊によって進行しつつある政局であり、加計学園問題の真相解明である。だが、都議選後の『日曜討論』のテーマはなんだったか。

9日『北朝鮮“ICBM”発射 国際社会はどう動く』
16日『日EU EPA,“米抜き”TPP激動の世界通商戦略を問う』
(追記)今日23日の日曜討論は『相次ぐヒアリ発見 外来生物とどう向き合うか』だそうだ(いま午前7時前)。明日24日から閉会中予算委員会で加計学園疑惑をめぐって審議が行われるというときに、あえていま最大の政治的課題になっている問題を避けてヒアリをテーマにするということは何を意味するか。

 これではNHKが政局がらみのテーマを意図的に避けているとしか思えない。NHKもすべて腐っているわけではなく、6月20日の『クローズアップ現代』では予定の放送番組を変更してまで、当時未発見の文科省内部文書2通をスクープ、翌日には政府もその存在を確認するという快挙も成し遂げている。私は現場の記者と『クロ現』スタッフの一部が起こした一種の「クーデター」と考えている。
 実は安保法制の強行採決のときも、新聞の『ラテ欄』には記載せずに「クーデター」的に国会の予算委中継をしたこともある。この日は大相撲の中継が予定されており、テレビ画面に表示される番組表も午後3時になるまで大相撲中継の予定が表示されていたが、3時になった瞬間、表示が国会中継に変わった。この放送時のNHK会長は籾井氏で、上層部からは国会中継はするなと指示が出ていたようだ。だから新聞の『ラテ欄』には一切国会中継の予定は記載されておらず、現場が1時のニュースのなかで国会中継を始め、ニュース時間終了後も放送予定を変更して国会中継を継続、強行採決のシーンまで生中継を続けた。これも良心的な職員たちによる一種のクーデターだと私は思っている。

 NHKが隅から隅まで腐っているわけではないことも私は認めつつ、やはり問題点は問題点として追及せざるを得ない。[ご案内]の問題に戻る。
 放送法64条は「協会の放送を受信することのできる受信装置を設置した者は、協会と(受信)契約をしなければならない」と、「契約の義務」は明記している。が、「受信料支払いの義務」についての記載はない。そのことは何を意味するか。
 私は「だから支払う義務はない」と極論を主張するつもりはない。そういう「言葉尻」をとらえるような言いがかりをつけるつもりもない。
 私が主張したいのは、「権利と義務」の関係である。民主主義社会の基本原則についての問題提起である。
 通常よく言われるのは「権利の行使には義務や責任が伴う」という当たり前のことで、そのことを否定する人はまずいない。私が言いたいのは、その逆も真なりということである。具体的には、義務を果たす以上、その義務に伴う権利も同時に発生するはずだ、ということだ。
 私たちがNHKに受信料を支払うことが義務であるとすれば、私たちにはどんな権利が発生するのか。その権利を視聴者に与えないために、受信料支払いを義務化しなかったのが、実は放送法64条の真意である。
 たとえば新幹線。新幹線に乗車するには通常の乗車料(乗車距離に応じた料金で普通電車と同じ料金)に新幹線料金が加算される。が、何らかの事情で(JRに責任がないケースでも)電車が2時間以上遅延した場合は新幹線料金は払い戻される。新幹線料金を支払ったことによって生じた権利を侵害したからである。
 同様に、NHKに受信料を支払う以上、視聴者は自分たちの声をNHKの放送番組内容反映させセル権利が生じる。だが、現実に視聴者の声が反映される仕組みにはなっていない。現在のNHKは「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のため」の放送局でしかない。受信料支払いを義務化するのであれば、視聴者の権利をどうやって確保するか、のシステムを構築してからだろう。
 とくに私が言いたいのは、NHKは「公共放送」という位置づけの上に胡坐をかいていないか、ということだ。公共放送である以上、放送内容は公益性のあるものに限られる。民放が放送できるドラマやスポーツ中継など、{国や特定のスポンサーなどの影響にとらわれない}「公共の福祉のために、みなさまの暮らしに役立つ番組」だと、胸を張って言えるか。自分たちが作っているコンテンツはつねに公共の福祉に貢献し、視聴者の暮らしに役立っていると思い込んでいるとしたら、安倍総理と総理のお友達以上に傲慢であり、「こんな人たち」に公共放送を担わせていいものかと思わざるを得ない。

 さらに、現行の受信料の仕組みにも問題がある。かつての大家族時代であれば世帯単位の受信料システムにもかすかに合理性があったが、核家族化が進み、受信料の対象世帯は相当増えているはずだ。
 受信料が受益者負担ということであれば、世帯単位の受信料制度というのは「制度疲労」を生じていると言わざるを得ない。ひとり暮らしの老人が、4人家族と同じ受信料を支払うという矛盾を解決した受信料制度に変えない限り、受信料の義務化には重大な疑義を持たざるを得ない。
 
 現実的には放送のネット同時配信は難しいようだ。まず民放が一斉に反対している。NHKがネット同時配信すれば、民放キー局も対抗してネット配信することになる。そうなると、地方ローカル局の経営が成り立たなくなる。NHKが、民放をつぶして独裁放送局を目指しているのならネット同時配信の意図も分かるが、そんなことを国民が認めるわけがない。
 また管轄官庁の総務省もNHKの暴走には否定的のようだ。放送と通信のすみわけの問題もあれば、放送電波は電波が届く範囲では仮に視聴率100%の番組があってもパンク状態になって放送が見られなくなるということはないが、ネットの場合は今でも特定のサイトにアクセスが集中するとパンク状態になってつながらないという状態になる。NHKの都合に合わせてネットの通信帯域を拡大するなどということなどできようがない。通信帯域は無限ではなく、余っている帯域などほとんどない。
 現実的には不可能なネット同時配信計画だが、NHKの身勝手極まりない暴走が社会問題化すれば、今まであまり疑問を抱かずNHKの言いなりに受信料を払ってきた視聴者が、自分たちの権利がないがしろにされているという実情に気付いて、権利を主張するようになるきっかけになれば、NHK改革へのスタートラインになるかもしれない。

  

 
 

急きょ安倍首相が出席する閉会中予算委が開かれることになったが…。

2017-07-14 11:13:16 | Weblog
 茶番劇に終わるはずだった加計学園問題を巡る閉会中審査が、公明党・山口代表の「鶴の一声」で一変、自民党が急きょ安倍首相出席の予算委で閉会中審査に応じることになった。
 実は首相不在の10日に行われた閉会中審査の翌日11日の午前、自民党の竹下国対委員長と民進党・山井国対委員長が国会内で会談し、山井氏が「疑惑がさらに深まった」として首相出席のもとでの予算委での集中審議を要求したのに対して、竹下氏は「10日の質疑は堂々巡りで(参考人の)前川氏の発言にも新しいものはなかったし、首相の関与を示す事実も出なかった」として閉会中の予算委審議を拒否していた。
 さらに昨日(13日)午後に国会内で行われた竹下・山井会談でも、山井氏の首相出席での予算委審議の再度の要求に対しても、竹下氏はけんもほろろに拒否していた。が、突然、状況が一変した。
 その当日午後6時半ごろ、竹下氏が国会内で記者団に「首相が自ら説明すると言われたので(国体委も)重く受け止め、閉会中予算委を開くことにした」と発表、NHKも『ニュース7』で報道した。この報道では、当日午後行われた公明党の会合での山口代表の「加計学園問題を巡る国民の疑念を払しょくするため、政府は説明責任を果たすべきだ」との発言を映像つきで流したが、なぜかこの報道のオンライン記事からは山口発言だけ削除された。
 NHKは籾井体制のときから安倍政権に「受信料支払いの義務化」の法整備を懇願しており、さらに籾井氏の後継会長の上田氏はNHK放送番組のインターネット同時配信を計画し、インターネット受信者からも受信料徴収できるよう安倍政権に強く働きかけている。そのせいか、最近のNHKの報道姿勢は安倍政権スキャンダルの報道に及び腰で、毎日新聞などは正面からNHKの報道姿勢への疑問をぶつけている。
 たとえば加計学園騒動の発端になった文科省の内部文書の存在を最初にキャッチしたのはNHKで、前川氏へのインタビューもしていながら報道せず、結果的に朝日新聞にスクープにされたという事実もある。「いま受信料問題を抱えているから、安倍政権の足を引っ張るような報道はするな」という経営陣からの指示があったとも言われており、公共放送としての在り方が問われているのだ。そういえば、ニュースだけでなく『クローズアップ現代マイナス』や『NHKスペシャル』でも、国民の最大関心事を避けている。
 公共放送としてのNHKの問題点と、その根っこにある放送法の問題については、昨年8月27日に投稿したブログ『放送法64条は時代錯誤だ。さいたま地裁でのNHK敗訴は当然だろう』でも書いたが、受信料支払い義務については今年末にも最高裁判所で憲法判断が下される予定になっているので、あらためて読者と共に考えたいと思っている。
 その場合、放送法を根拠にして義務の有無を問題にするだけではなく、権利と義務の基本的関係からNHKの体質も含めて考えてみたいと思っている。少なくとも私たちが受信しているNHKの放送内容は、私たち視聴者がNHKに望んでいるものにはなっていない。第一、私たち視聴者にはそういう機会が最初から与えられていない。NHKが放送するコンテンツは「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のための番組」になっていることは否定しようがない事実である。「公共放送とはどうあるべきか」を考えることも、「公共放送の在り方」を決めるのも、肝心の受信料を支払っている視聴者ではないという点に根本的な問題があることだけ言っておきたい。

 NHKの問題から離れる。いちおう予算委での審議が行われることになったが、決め手はこのブログ冒頭に書いたように公明党・山口代表の「鶴の一声」だった。そのことを明確にしておく。
 自民党国対委員長の竹下氏は「安倍総理大臣と相談した結果、『予算委員会に出てもよい』ということだったので、閉会中審査を開催することにしたい」と述べ、予算委員会の閉会中審査に応じる考えを明らかにした(NHK『ニュース7』による)ということだ。
 が、朝日新聞によれば竹下氏は記者団に「安倍首相との電話協議を『ほんの10分前』と説明し、急展開を強調」したという。また竹下・山井会談はその約3時間前だというから、その間に何があり、自民党の方針が急転換したのか。
 そう考えると、安倍総理が「自ら説明責任を果たさざるを得ない」という結論に至ったのは、この日の午後に行われた公明党の幹部会議(国会議員・都道府県本部代表ら)での山口氏の「政府は国民の疑念にしっかり説明責任を果たし、国民の信頼を回復しなければならない」と自民党の逃げ腰にくぎを刺した発言が大きかったと考えざるを得ない。
 この間の経緯を一番詳しく報道した朝日(ただし公明の幹部会議での山口発言については、なぜか触れていない)だが、竹下氏と総理との「電話協議」は、どっちから電話をかけたのかについては明確にしていない。記者団のだれも「その電話はどっちからかけたのか」という質問すらしなかったようだ。
 11日の竹下・山井会談のときは安倍総理はまだ帰国途上にあり、竹下氏は総理と民進党の要求への対応について指示を仰ぐことはできなかったかもしれないが、13日の会談の前には「閉会中予算委の開催は拒否する」という方針を総理や官邸との間で確認していたはずだ。
 それが、あわただしく方針をひっくり返すことになったのは、やはり山口氏の「鶴の一声」が安倍総理の甘い考えを吹き飛ばしたと言えるのではないか。
 都議選での自民大敗の原因については自民内部でもいろいろ取りざたされているが、もちろん安倍一強のおごりが最大の原因だったとしても、それだけでは説明がつかない要素もある。その最大の要素は、これまでの公明党との選挙協力がなくなったことではないかと思う。
 公明党は都議選に際し、いち早く小池都政を支えることを表明し、都民ファーストの会と選挙協力を結んだ。小池氏が築地市場の豊洲移転問題について煮え切らなかった時期でも、豊洲移転を都議選の公約として発表し、最終的には小池氏に「とりあえず豊洲移転」を決めさせた。
 こうして選挙協力の地固めが進んだ結果、組織票を持っていない都民フだったが公認候補50人中49人が当選、公明党は公認23人が全員当選した一方、60人を公認した自民党は当選23人という大惨敗に終わった。安倍総理は、都議選の結果から、現在の国会における一強体制も公明との選挙協力なしには支えきれないことを腹の底からわかったのではないか。山口発言を受け入れて予算委での説明責任を果たすという姿勢だけでも表向き見せないと、自公の間に隙間風が吹き出すことを懸念したというのが、自民方針転換の真相だと思う。

 しかし、前回ブログで書いたように、国家戦略特区の目的と岩盤規制にドリルで穴をあけるということはイコールではない。とくに文科省は他の省庁との人材交流もほとんどなく、霞が関でも特殊な村社会を形成してきた。10日の閉会中審査で参考人の加戸前愛媛県知事は、10年以上前から獣医学部の招致を文科省に働きかけてきたが、ことごとく岩盤規制で跳ね返されてきたという。何が何でも既得権益を守り抜きたいとする獣医師会と文科省の癒着によって守られてきた岩盤規制を打破することは重要だが、それと国家戦略特区構想を直結させようとしたところに、無理が生じた。その一点を抑えておかないと、安倍首相が出席する閉会中予算委を開いても、また「言った、言わない」の平行線議論に終始するだけだろう。茶番劇は繰り返してほしくない。
 

総理不在の閉会中審査で加計学園問題の本質に迫れなかった野党の責任は小さくない。

2017-07-11 10:25:28 | Weblog
 やはり茶番劇だった。昨日(10日)の加計学園疑惑をめぐる国会の閉会中審査のことである。衆院での審査には、おそらく出席しないと思われていた萩生田副官房長官が参考人として出席したことはしたが(参院審査は欠席)、萩生田氏が指示したと指摘されていた獣医学部新設4条件への追加条件(広域で1校に限る)は、すでに山本地方創生相が「(追加条件は)自分が指示した」と身代わりを買って出ており、野党も「嘘だ」と追及できる証拠がないため萩生田氏は逃げ切った。
 通常「身代わり」は部下が上司をかばうために買って出る。大臣が官房副長官の部下であるはずはないから、何らかの忖度を自ら働かせたのか、あるいは大臣に身代わりを要請できる立場の人物の関与によるものなのか、真相を明らかにすることはおそらく不可能だろう。
 さらに、前川前文科省事務次官がキーパーソンと断定し、「総理は自分の口からは言えないから私が代わって言う」と早期の対応を要請した和泉首相補佐官や、「獣医学部の件でよろしく」と官邸の圧力を匂わせた木曽内閣官房参与(当時)=ともに前川「証言」=や、加計学園の理事長で安倍総理の「腹心の友」である加計氏も閉会中審査に出席しなかった。
 もともと安倍総理不在中の閉会中審査に政府が応じたのは、総理に累が及ばないうちに加計学園問題に幕引きを図るためだったのだろう。私が7日に投稿したブログ『「こんな人たち」を落選させた東京都民の良識とは…』の末尾に書いた通りの結果になった。
 とりわけひどかったのは参院審査での民進党代表・蓮舫氏の菅官房長官への追及だった。菅官房長官の前川氏に対する個人攻撃ととられても仕方がない発言(文科省官僚の闇天下り問題の責任を前川事務次官=当時=が自ら取ろうとせず、地位に恋々としがみつこうとしていた云々)を巡って菅氏と前川氏の証言を交互に繰り返させることに持ち時間の大半を費やし、肝心の加計学園問題の本質に迫る姿勢がまったく見えなかったことである。一体いつまでキャスター気分でいるのだろうか。
 案の定、政府は「閉会中審査を行ったが、新しい問題は何も出なかった」と、加計学園問題に終止符を打つことを明らかにしている。今日(11日)安倍総理は予定を1日早めて(九州豪雨災害のため)帰国するが、加計学園問題で臨時国会を開催したり、閉会中予算委員会で加計学園問題を審議するつもりは毛頭ないようだ。総理不在の閉会中審査を拒否しなかった野党の責任は大きい。

 加計学園問題の真相に迫るためには二つの視点が必要だ。一つは「国家戦略特区」の対象として、なぜ今治市に獣医学部新設が認められたのかという根本的問題。二つ目は、そこから派生した「加計学園ありき」になったプロセス。
 当然ながら最初の視点のほうが重要だ。この視点については私はすでに6月28日に投稿した『加計学園騒動はなぜ収まらないのか!?』で詳述したので、簡単に触れておく(まだお読みになられていない方は是非読んでいただきたい)。
 首相官邸ホームページによれば「国家戦略特区」とは、産業の国際競争力強化及び国際的な経済活動の拠点を形成するため、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくことを目的とし、これまで11の拠点が内閣府によって指定を受けた。その拠点の一つに「広島・愛媛県今治市」という広域拠点が含まれている。なお、やはり首相官邸のホームページによれば「広島・愛媛県今治市」が国家戦略特区に指定された理由は、「観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用」であった。
 この国家戦略特区構想に、なぜ今治市に獣医学部新設という計画がへばりつくことになったのか。少なくとも、「広島・愛媛県今治市」という広域拠点構想とは相容れない、と考えるのが常識的な判断であろう。が、内閣府は獣医学部新設認可の追加条件として「広域で1校」という規制をかけた。これが「加計ありき」のための規制だったというのが前川氏の言い分であり、「行政が歪められた」とする根拠だ。
 すでに述べたように「広域」の地域は「広島・愛媛今治市」というエリアで指定されていた。その「広域」エリアが内閣府によって、なぜかいつの間にか「四国」に変えられた。そのうえで「四国には獣医学部がなく、獣医師が不足している」という論理にすり替えられた。そのことを指摘する政治家もジャーナリストもいないのはなぜだろうか。前川氏も、内閣府がすり替えた論理の矛盾を突けば、閉会中審査の様相は一変していたかもしれない。
 昨日の閉会中審査に参考人として出席した文科省OBで前愛媛県知事の加戸氏によれば、「10年以上前から鳥インフルエンザや口蹄疫対策で頭を悩ましており、出身の文科省に何度も獣医学部新設をお願いしてきたが、その都度岩盤規制によって跳ね返されてきた」という。「加計学園の招致に至ったのは、愛媛県の県議と加計学園の幹部が昵懇であり、その関係から加計学園の獣医学部新設計画が進んだ」とも述べた。
 いうまでもなく加戸氏を参考人として招致要請したのは政府側である。言っておくが、今治市に獣医学部を新設するかどうかは、国家戦略特区構想とは関係ない。加戸氏が、「岩盤規制によって県の要請が何度も文科省から岩盤規制によって跳ね返されてきた」ことは多分事実だと思う。
 確かに文科省は1984年以降、獣医師の需要は満たされているとして、既存の16大学以外の新設は認めない方針をとってきた。その背景には人材の過剰供給を嫌う獣医師会の意向があったとされる。
 農畜産行政は農水省が担当し、獣医師の養成教育機関である大学獣医学部の新設許認可権は文科省が握っている。
 いわゆる「岩盤規制」とは何か。特定の業界とその業界を管轄する省庁が癒着して、業界の既得権保護のために省庁が新規参入に歯止めをかけている実態があり、それを称して「岩盤規制」という。官僚の天下り問題の根っこには、そうした官と民のもたれあいがあることはこれまでも指摘されてきた。
 が、そもそも国際競争力のある産業の育成や創業を目的とする「国家戦略特区」と「岩盤規制に風穴を開ける」ということが、なぜイコールになるのか。そこに加計学園問題が生じた根本的問題がある。
 従来、日本は「官僚主導」で政策が作られてきた。旧民主党が政権をとる前、自公政権に対して「政治主導」を主張してきた。もともと「官僚主導」については「省益あって国益なし」と厳しい批判が寄せられてきた。文部官僚に限らず、官が「民の健全な育成」の名のもとに岩盤規制を敷いて既成の業界の既得権益を保護してきたことは否定できない事実である。
 私自身は岩盤規制に風穴を開けるという方針は支持したい。獣医学部を作りたい大学があれば、作らせればいい。日本獣医師会が反対しようがしまいが、大学側が希望し、学生が望んでいるのであれば、文科省がいらぬ「お世話」を焼く必要はない。獣医師の過剰供給によって、いまの獣医師が競争社会の荒波にさらされるのは、自由主義社会である以上やむを得ない。現に、かつては儲かって楽な仕事として雨後の竹の子のように増えた歯科医師が、いまどんどん廃業に追い込まれている。法科大学院もいま廃校ラッシュだ。

 そうした岩盤規制を破るということと、国際競争力のある産業の育成・創業を目的にした「国家戦略特区」がなぜリンクすることになったのか。それが、加計学園問題の根幹をなす問題であることを、野党もメディアも分かっていない。もちろん、加計学園が勝手に獣医学部を今治市に新設することに関しては私は自由だという見解を持っている。今治市が土地を無償で提供し、愛媛県が支援することについては、今治市民と愛媛県民が認めるか認めないかの話であり、私には関係ない。
が、国家戦略特区として国が認定して国が何らかの支援をするということになると話は別だ。「なぜ安倍総理の腹心の友である加計氏が理事長を務める学園にのみ、特別の扱いをするのか」という問題が生じるからだ。そこに、官邸や内閣府の政治家・官僚の総理に対する忖度が働いていたとしたら、安倍総理自身が直接自らの意向を口に出していなくても、そういう「忖度人間」ばかりで内堀を固めてきた総理の責任は問われざるを得ないと、私は思う。
 
 

「こんな人たち」を落選させた東京都民の良識とは…。

2017-07-07 11:53:51 | Weblog
 日本中に激震が走った7月2日の東京都議選。いまだに政界には余震が頻発しており、民放のニュースショー(「ワイドショー」という方もいるが、昔の芸能スキャンダル中心だった番組とは明らかに異なるので、私はニュースショーと定義している)も都知事選余波の話題にかなりの時間を割いている。
 いったい、都知事選での「想定外」ともいえる自民大敗(これまでの最低議席数38を大幅に下回る23議席に終わった)、都民ファーストの会への圧倒的な支持(都民フの公認候補50人中49人が当選するという奇跡的大勝利)の要因はなんだったのか。自民内部でも大敗の要因について見解が様々に分かれている。
 とりあえず安倍政権中枢は「トカゲのしっぽ切り」に必死だ。トカゲとは秘書に対する暴言・暴行スキャンダルを起こした豊田議員のこと。が、これほど都民を愚弄した「総括」はない。ま、風前の灯と化しつつある「安倍一強」体制の維持を図るためのなりふり構わぬ言い訳として豊田議員に責任をなすりつけることにしたのだろうが、都議選とは全然関係がない一地方選出の無名国会議員のスキャンダルで都民が自民離れをしたなどということはあり得ない。
 自民内部の「反安倍派」は、「なぜ負けたのか、真剣に総括しなければいけない」とは言うものの、具体的に自民大敗の要因については何も語っていない。安倍総裁自身は「緩みを指摘されており、反省しなければならない」とは言うが、「おごり」には反省の目が向いていないようだ。自分自身が選挙活動最終日の秋葉原での選挙演説で、「安倍やめろ」と叫ぶ都民に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とマイクに向かった叫ぶ感覚そのものが、自らの「おごり」の表れであることに気付いていないようだから、もはやアベさんに向かって何を言っても「馬の耳に念仏」だろう。
 私は3日に投稿したブログ『都議選で小池旋風が吹きまくった本当の理由』で、「風」と「動線」の関係について書いた。故・哲学的評論家の山本七平氏は『「空気」の研究』で日本人の精神構造について卓見を書いたが、私の私見は山本氏の分析とは多少違う。
 別にあえて違いを強調する必要もないのだが、山本氏が「発見」した「空気」は、言うなら「安倍一強体制」を作り出した自民党内に生じた議員心理の解析であり、「物言えば、唇寒し」のような「空気」が作用する「限定された閉鎖的空間」内で作用する心理的要素である。「その場の空気を読む」とか「読めない人」などという言い方があるが、それは「限定された空間」の中でのみ作用する心理的圧力を意味しているからである。
この「空気」は具体的には、安倍一強体制の中枢を形成していた人たちが、自民の党則を改定して総裁任期を3期9年まで認めようと動いた時に自民党議員の心理に作用した要因だった(肝心の安倍総裁自身は自分の任期延長について何も語っていなかった)。が、党大会で党則改定が承認されるや、安倍総裁は自分の任期が21年9月まで伸びるということを前提に「自分の任期中である20年に憲法を改正する」と言い出した。「アベに逆らう者はいない」というおごりを生み出したのが、この時期に自民党内に働いていた「空気」である。
 私は選挙のような「限定」されない「空間」の大衆心理に作用する要因として「風」と「動線」という概念を考えた。この「限定されない空間」は「物言っても、唇寒からず」の空間であり、選挙で想定外の結果を生むことがなぜ生じるのかを考えた末にたどり着いた結論である。
 
 では都議選で自民大敗、都民フ圧勝の結果を生んだ「風」はなんだったのか。
 そもそも風が吹き始める予兆は安倍政権が誕生した1年半後にはあった。憲法解釈の変更により集団的自衛権行使を可能にする「安保法制」の強行採決が、最初に吹いた「風」だった。その時、内閣支持率は一時的に低落し、不支持率が支持率を上回ったことがあるが、それは一瞬のつむじ風のようなものに終わった。1,2か月で内閣支持率は回復し、「安倍一強体制」岩盤の基礎が作られた。
 続いて「テロ等準備罪」(共謀法)の強行採決でも、多少かなりの「風」が吹いたが、内閣支持率と不支持率が逆転することはなかった。そうした中で政権中枢におごりが増幅していく。
 その最たるものは、安倍総理が「将来の総理候補」と公言していた稲田防衛相の選挙演説だった。「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたい」と、自民党員としての立場を逸脱した発言が物議をかもした。稲田氏は弁護士資格を有する法曹家でもあり、そうした発言が公職選挙法に抵触することを知らなかったなどという言い訳はできない。
 この発言をメディアの記者たちから追求されたが、何度追及されても「誤解を与えかねない発言だったが、真意は自民党員としてのお願いだった」とテープレコーダーを何回も再生するような弁解に終始した。「誤解」という言葉を35回も「オウム返し」した日もあった。政権が直ちに稲田氏を更迭していれば、「そよ風」程度の逆風が(投票1週間前のメディアの世論調査によれば自民と都民フの支持率はかなり拮抗していた)、一気に「ハリケーン」並みの大逆風になることはなかったと思う。その結果、「路地」程度だった動線も一気に「日本最大級の大通り」に広がってしまった。
 実は選挙期間中の風の強弱は毎日少しずつ強まりつつあった。都議選直前に国会を強引に閉会しておいて、閉会翌日に安倍総理自身が異例の記者会見を行い、かつ異例の「反省の弁」を述べた。市場問題を巡って「決められない都知事」と自民都議団から批判を浴びてきた小池氏が、記者会見で「明日、築地に行って謝罪する。そのとき市場問題についてとの方針を明らかにする」と発言したことで、都民が小池氏に抱いていたかもしれない多少の不信感を一気に吹き飛ばし、かえって都民フに対する好感度を増幅させたことも「風」に大きな影響を与えたことは間違いない。安倍総理も自民に対する逆風は感じていたようで、だから「小池戦法」にあやかって記者会見で「印象操作に対する対応に終始し、きちんとした審議が出来なかったことは反省する。いつでも説明責任は果たす」と述べたが、野党側が「では加計学園問題について臨時国会を」との要求を一蹴し、約束を1日もたたずにひっくり返してしまった。
 そうしたことが積み重なって国民の「安倍一強」に対する不信感が増幅しつつあったときに生じたのが、稲田発言問題だった。投票1週間前の世論調査では「投票には行くつもりだが、だれに投票するかはまだ決めていない」という無党派層の動線が一気に形成された瞬間だった。
 民法ニュースショーでは、6日ごろから「それまでは反自民層の受け皿がなかったが、今回は都民フという受け皿があったことが選挙を左右した」と分析する政治評論家矢本政治家が出てきたが、結果的に都民フが受け皿にはなったが、受け皿としての機能を都民フが発揮できるか否かはまだ不明である。
 ただ国政選挙と違って、都議選での都民フは有名人の知名度だよりの候補者選びをしたわけではない。知名度や実績という点では地元に浸透していた現職の自民候補のほうがはるかに有利だったはずだ。都議会議長の要職にあった現職の自民候補すら無名で、政治経験がない都民フ候補が破った。このことは都内全域に都民フへの動線が投票日にはできていたことの証明でもある。

 ようやく国民の「安倍一強」体制に対する不信感の大きさに気付いた政権中枢は、安倍総理がG20サミットへの出席などのために日本を離れている今月10日に閉会中審査に応じることにした。当初、総理が出席しない審査には応じない姿勢を示していた民進党は、自民・竹下国対委員長の「10日の状況を見て(総理の出席について)総合的に判断する」という「から約束」をのんで10日の審査に応じることにした。いちおう前川・前文科省事務次官の参考人招致を自民にのませたということで一本取ったつもりかもしれないが、前川氏だけを招致しても疑惑がもたれている政権中枢の人物がいない席での証言にどんな意味があるのだろうか。結局「聞き置いた」ということで幕引きを図ろうという政権側の思惑通りに事が進むような気がする。野党がそういう姿勢では、国政選挙では無党派層の受け皿には、おそらくなりえない。
 


都議選で小池旋風が吹きまくった本当の理由。

2017-07-03 14:23:05 | Weblog
 昨日(2日)の都議選で強烈な風が吹いた。かなりの風が吹くだろうことは予想していたし、都民ファーストの会を立ち上げた小池都政が公明党の協力も得て安定した多数派を形成することは各メディアも予想のうちだった。
 が、メディアの事前の世論調査による予測は大きく裏切られた。ほとんどのメディアや政治評論家は自民と都民ファーストがほぼ互角の勝負と見ていた。
 結果は都民ファーストが49議席(推薦候補6人を追加公認して55議席)、それに対して自民は都民ファーストの約4割の23議席にとどまった。米大統領選で米メディアの予想が外れたのと同様の結果になった。メディアの世論調査の信頼性が大きく問われる時代になったとも言える。
 それにしても、なぜメディアはこれほどの強風を読み誤ったのか。たぶん戦前の世論調査で示された「選挙には大いに関心がある」が、「どの候補者に票を入れるかはまだ決めていない」という無党派層の動向を読み切れなかったからであろう。
 小池旋風が吹いたのは、投票率が大幅に向上したからだ。前回の都議選の投票率は43.50%だったのが、今回は51.27%と、8ポイント近くもアップした。
 市場調査などで重視されることに「動線」というカテゴリーがある。繁華街などでの通行人の流れを意味する言葉だ。この動線を外れた場所に店を出しても失敗する確率が非常に高いことは市場調査関係者にとっては常識だ。選挙で示される無党派層の動向は、いわばこの動線で示される。
 都知事選の世論調査は投票日1週間前の6月24(土)25(日)日の2日にわたって行われた。この時点ですでに自民党には逆風が吹き始めていたのだが、その後の1週間で強まった逆風は大型ハリケーン並みだった。それが選挙の動線を決定づけたのだ。数字が、そのことを明確に物語っている。
 都民ファーストは公明党など選挙協力したため公認候補は自民党の60人より10人少ない50人だった。しかも都民ファーストの候補者の大半は政治経験がない、いわば素人であり、さらに自民・公明・民心・共産などのような強力な組織的支持基盤もなかった。普通なら苦戦が予想されても当然だったと思う。
 が、公認候補50人のうち49人もが当選してしまった。組織票を期待できない政党としては驚異的な当選率だ。投票日直前に強烈に吹いた風によって動線が形成され、無党派層の流れが一気に固まってしまった。この選挙を各メディアはどう総括したか。全国紙5紙の今日(3日)朝刊の社説(産経は「主張」)で見てみよう。

 まず政権べったりの姿勢を貫いてきた読売と産経の社説の見出しはこうだ。
 読売『都議選自民大敗「安倍一強」の慢心を反省せよ』
 産経『小池勢力圧勝 都政改革の期待に応えよ』
 この二紙の主張のポイントはこうだ。

 まず読売…「都民ファーストの原動力は、小池氏個人の高い人気だ。公明党との選挙協力も功を奏し、安倍政権に対する批判票の受け皿となった」「加計学園問題を巡る疑惑に安倍政権がきちんと答えなかったことや、通常国会終盤の強引な運営、閉会中審査の拒否などに、有権者が不信感を持ったのは確かだ」「『一強』と評される安倍首相の求心力の低下は避けられまい」「国民の信頼回復には、政権全体の態勢を本格的に立て直す必要がある」小池都知事への注文もこう付けた。「懸念されるのは、小池氏との『近さ』を訴えて当選した新人議員たちが単なる『追認集団』になることである。政治経験に乏しい人が多いだけに、知事にモノを言えない可能性が指摘される」

 次に産経…「(選挙の)結果を受け、小池氏は具体的に都政を前に進める大きな責任を負ったともいえる」「自民党の敗因は、一般的には改革姿勢を明確に打ち出せなかった点にある。ただし、国政レベルで相次いだ政権与党内の不祥事が逆風を招いたのは明らかだ」「安倍晋三首相は、政権の立て直しと党の引き締めを急がなければならない」

 比較的政権に対して中立的立場をとってきた日経の社説タイトルは『安倍自民は歴史的惨敗の意味を考えよ』だった。
「(自民が大敗したのは)安倍政権の強権的に映る姿勢や閣僚らの度重なる失態への批判の高まりが背景にある」「都民フが『古い勢力』対『改革勢力』という構図を打ち出したのに対し、(自民は)説得力ある争点を最後まで示せなかった」「自民党は全国会で(『テロ等準備罪』や加計学園獣医学部新設問題で)強引な審議方法が目立った。そこに(稲田防衛相や豊田議員の不祥事)が加わった」「順調だった首相の政権運営は曲がり角に差しかかっている」「都政は懸案が多い。…都民フの政党としての政策の肉付けはこれからだ」

 一貫して政権に批判的立場を貫いてきた朝日と毎日の社説タイトルはこうだ。
 朝日『都議選、自民大敗 政権のおごりへの審判だ』
 毎日『都議選で自民が歴史的惨敗 おごりの代償と自覚せよ』

朝日…「小池百合子都知事への期待が大きな風を巻き起こしたことは間違いない。ただ自民党の敗北はそれだけでは説明できない。安倍政権のおごりと慢心に『NO』を告げる、有権者の審判と見るほかない」「『安倍一強』のゆがみを示す出来事は枚挙にいとまがない」「安倍政権の議論軽視、国会軽視の姿勢は今に始まったものではない」「政権は国民から一時的にゆだねられたものであり、首相の私有物ではない。その当たり前のことが理解できないなら、首相を続ける資格はない」「都政運営の基盤を盤石にした小池知事も力量が問われる」「(小池氏が)『挑戦者』として振る舞える期間は名実ともに終わった。首都を預かるトップとして、山積する課題を着実に解決していかなければならない」

毎日「この選挙結果は『一強』のおごりと慢心に満ちていた政権に対する、有権者の痛烈な異議申し立てと受け止めるべきだろう。それほど自民党への逆風はすさまじかった」「首相は今後、早期の内閣改造で立て直しを図るとともに、謙虚な姿勢のアピールを試みるだろう。しかし、数の力で封じ込めてきた強権的な手法が不信の本質であることをまずは自覚すべきだ」

ざっと5紙の社説のポイントを整理してみた。実は読売と朝日だけが社説スペースをすべて割いたが、他の3紙は読売・朝日の半分のスペースだった。引用した社説記事の分量に多少の差が出たのはそのためで、他意はないことをお断りしておきたい。
5紙に共通して言えることは、私がこのブログの冒頭で書いた「風」と「動線」の視点が完全に欠落していることだ。自民党への逆風は全紙が書いており、逆風が吹いた原因や、無党派層の動向に対しあまりにも鈍感だった「安倍一強政権」の体質を鋭く指摘した社説もあったが、自民党への逆風がなぜ都民ファーストに集中したのかの分析は一切なかった。
そもそも都知事選で、既成政党の包囲網にさらされながら小池氏が圧勝できたのはなぜか。石原・猪瀬・舛添と続いた都政のあり方に、都民が『NO』を突きつけられる候補者は小池氏しかなかったことが、無党派層を動かした最大の風だった。「都知事の給与を半分にする」「海外に行くときはビジネスクラスを使う」など、お金にまつわるクリーンさを前面に打ち出した小池氏の作戦勝ちだった。その手法は小泉氏が総裁選で使ったものと同じだった。
自民党総裁選では、小泉側に田中真紀子氏が応援団長として勝手連的に動いた。1年前の都知事選では自民党の若狭衆院議員が田中氏の役割を果たした。もともと知名度が高かった田中氏と違って、若狭氏は当初全くの無名議員だった。が、あえて自民党の公認候補を応援せず小池氏の応援団長を買って出たことでメディアが一斉に取り上げ、一躍時の人になった。小池氏はメディアの出身だが、そこまで読んで若狭氏に応援団長を依頼したかどうかは分からない。
小池氏も都知事になった時点では、小池(都政)新党を作ることまでは考えていなかったと思う。が、小池都政に第1党の自民都議団が立ちふさがった。テレビの報道番組でキャスターをしていただけに小池氏は舌戦で自民都議団に立ち向かった。この「小池vs自民都議団」の対決は民放のニュースショーの格好の話題となった。そうした中で次第にこの対立が「改革派vs抵抗派」と都民の目にも映るようになっていく。
小泉氏が総理になって演出した手法「私に反対する連中はすべて抵抗勢力だ」というレトリックを、そっくり踏襲したのが今回の都議選における小池氏の手法だった。こうしたレトリック手法は選挙では非常に有利に働く。風を生み、その風が動線を作り、さらに作られた動線が風力を増して動線も太くなっていく。さらに敵失(安倍政権の不祥事連発)が重なり、想定外の結果を生んだのが、今回の都議選だった。
実際には小池知事の都政は連戦連勝ではなかった。ボート競技会場などオリンピックの競技場問題では組織委員会の森会長に押し切られたし、豊洲市場問題では結論を先延ばしにして自民党都議団などから「決められない都知事」と揶揄されることもあった。豊洲市場問題については小池都知事の判断基準は二転三転どころか三転四転してきた。
最初に小池氏が最優先にした判断基準は「安全・安心」だった。
次に経済的合理性を重視する姿勢を見せた。
さらに「築地ブランド」を持ち出した。
そして最後に「豊洲も築地も」とした。言っておくが、この「豊洲も築地も」はまだスローガンでしかない。財源を含む青写真は全くないし、「築地ブランド」を残すために築地を再開発するという「食をテーマにしたテーマパーク」構想は思い付き程度の発想でしかない。私は成功する可能性は低いと思う。
ただ小池氏の政治上手なことは「豊洲も築地も」という最終的な判断をするにあたって、記者会見で「明日、築地に謝罪に行きます。安全を確約できなかったことはやはり謝るのが都知事としての筋だと思います」とにこやかに宣言して、かえって自分への好感度を作り出すことに成功したことだ。
おそらく、この小池手法を真似て好感度回復を狙ったのが、国会閉会翌日の安倍総理の謝罪記者会見だったのではないか。が、安倍総理の場合はかえって逆効果になった。真摯に説明責任を果たすと約束しながら、その後にも噴出した政権の不祥事に対して野党が臨時国会を要求しても、まったく応じようとしない。一体あの謝罪記者会見はなんだったのか。国民の安倍政権への不信感はかえって増幅した。6月に入ってからの内閣支持率急降下の原因は安倍総理自身の不誠実さにあったといえるだろう。
 
ただ一部のメディアが危惧している「小池一強」体制は小池氏自身が作らないだろう。まず小池氏が「見える化」つまり情報公開を進めることを公約にしているから、独裁都政は作れない。また、政治には素人でも、弁護士や公認会計士など高度な専門職に就いている人たちを公認して議員に当選させてきたことから、「都民ファーストの会の内部にチェック機能を作る」という公約はおそらく実現するだろう。また当選した新人議員たちもテレビのインタビューで「小池チルドレンにはならない」と発言しており、それなりにプライドを持った人たちのようだから期待してもいいだろう。
いずれにせよ自民党の当選議員はわずか23人に激減した。小池都政に対する抵抗勢力にもなりえない状態になった。小池氏がよほどの失政を犯さない限り、都議会はオール与党になってしまいかねない。
それを防ぐ方法が一つだけある。
重要な問題については、ただ情報公開するだけでなく公聴会を開いて都民の声が直接議会に届く機会を増やすことだ。小池氏がそういう姿勢で都政に臨めば、都民が寄せた信頼が揺らぐことはない。