小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

東京オリンピック――やるべきか、やらざるべきか?

2021-02-22 01:13:07 | Weblog
森喜朗・前組織委会長のジェンダー発言(女性蔑視)を契機にすったもんだした組織委会長職も、密室会議の結果、橋本聖子五輪相(当時)が就任することで政治決着がついた。
アスリートとしては歴史に名を残す実績を重ねた方だが、果たして組織委会長の重責を担えるか疑問視する向きもある。
オリンピック開催予定日まで、5か月を切った。果たしてそれまでにコロナ禍を終息させることができるだろうか。もちろん日本だけ終息しても、世界中がコロナとの闘いに勝っていなければオリンピックを開催する意味が問われること必至だ。
森前会長は「コロナがどういう事態であろうとも」と開催への強い意欲を示していたが、国体なら無観客開催もありうるだろうが、オリンピックは世界中から選手や競技関係者、報道陣が集まってくる。どうやってコロナを封じ込めることができるのか。

●今年の全豪オープンは4大大会の名にふさわしかったか?
テニスの4大大会の一つ、全豪オープンで優勝した大坂なおみ選手の功績にケチをつけるつもりは毛頭ないが、今年の大会は一流選手がほとんど出場していない。決勝相手も世界ランク24位の無名選手だ。
大坂選手はコロナ禍の中でうまくコンディション調整をして大会に臨めたが、多くの一流選手が練習の機会さえ奪われ、出場を断念した。
しかも全豪オープンは選手たちがオーストラリアに向かう飛行機の搭乗者の中からコロナ感染者が出たということで、選手全員が2週間の隔離を求められ、大会そのものも2週間延期になった。テニスという単競技だから、そういう対策が取れたが、国立競技場やプール会場をはじめ多くの競技施設はいろいろな競技日程が目白押しで組まれている。ある競技でそうした事故が起きた場合、どうするのか、組織委はまだIOCと打ち合わせもしていないと思う。
出場予定選手の一人、二人がたとえばけがをしたという場合、その選手のために競技日程を変えるといったことをする必要がないが、たとえばアメリカから来日した選手団の中に一人でも感染者が出た場合、その飛行機に搭乗していた米選手の全員がオリンピック出場できなくなる。放映権を持っている米NBCがOKするか。それとも、米選手が出場する競技日程を全豪オープン並みにすべてずらすのか。そんなことをしたら、オリンピックは年内に終わらないかもしれない。
そういう可能性もあるということを、組織委は考えているのだろうか。森前会長の「何が何でも」精神はもうろく爺さんのたわごとと一笑に付したとしても、現実的可能性にどう対処するのか、全豪オープンから学ぶべきことは多い。

●国内で1万人の医療従事者確保など夢のまた夢
さらにコロナが終息していなかった場合の医療体制である。
橋本氏は五輪相時代の1月26日、衆院予算委で新立憲の辻本清美議員の「いまの医療体制を考えたら、東京五輪をフルでやることは不可能ではないか」という質問に対して「1人5日間程度の勤務をお願いすることを前提に、1万人程度の方に依頼してスタッフ確保を図っている」と胸を張った。
緊急事態宣言真っ最中で、国内での医療崩壊の危機が叫ばれていた中で、本当に1万人の医療従事者がそんなバカげた要請に応じたのだろうか。
少なくとも、国内の感染症医療従事者を、国内の患者治療を放り出してかき集めようとしても、日本は中国やロシアのような国ではない。そんな要請に応じる医療従事者がいたとしたら、その人は二度と国内で医療行為に携わることはできなくなる。橋本氏は自分が医者の立場だったら、自分の患者を放り出してオリンピックのために協力するのか。そんな発想の人が組織委の会長になった。明治時代の家父長意識から抜け出せなかった森前会長より危険思想の持ち主と言わざるを得ない。
アスリートとしての橋本氏は、おそらく日本の名誉を背中に背負って競技に臨んできたという意識が強いせいかもしれないが、国家意識をあまり前面に出すと「先の戦争の申し子か」という目で見られかねない。

●大多数の国民が「中止」もしくは「延期」を望む理由
あと5か月を切った中でも国民の大多数は東京オリンピックについて「中止」もしくは「延期」を望んでいる。オリンピックの開催自体に反対しているわけではなく、コロナ禍が終息する見通しがまったく立たない中で今年の開催は「無理だ」と考えているのだ。
おそらく森前会長も水面下でIOCバッハ会長と「中止」あるいは「延期」について何度もやり取りをしてきたはずだ。していなかったとしたら、論外の「無能」会長だったということになる。
が、24年はパリ、28年はロスと開催都市が決まっており、すでにパリは施設の建設など24年開催の準備を進めているはずで、もしパリ大会を先送りにするとなると莫大な補償問題が生じる。現実的な「延期」策は、まだ施設などは計画段階のロスに先送りをお願いするしかないが、そうなるとすでに完成済みの東京オリンピック用の施設をどう維持するかという難問が生じる。
オリンピック後も使用予定の施設は活用してオリンピック開催時には中古施設でやるという選択肢はあるが、選手村はどうする。まさか当初の計画通り分譲マンションとして売却し、オリンピック期間中だけ引っ越してもらって買い主から賃貸するなどという方法は取れない。考えられる唯一の方法は7年先のオリンピックまでと期限を切って賃貸マンションとして活用することだが、個人相手の賃貸はリスクが大きすぎるから、大企業に借り上げ社宅として活用してもらうしかない。
その場合は、すでに売買契約が成立している飼い主には手付金の倍返しで契約解除してもらうことになるが、その場合も膨大な損失が出る。まさに東京オリンピックは「前門の虎、後門の狼」という状態にあるのだ。

●東京オリンピックを予定通りに開催するための唯一の方法
そういう状況の中で、どうしても東京オリンピックを今年、日程通りに開催するというなら、それを可能にする方法はたった一つしかない。
まずIOC及び参加国に対して、参加選手および関係者、観客のコロナ感染対策は参加国で行ってもらうことを参加条件にすること。つまり、入国者数に応じた医療団の同行を参加条件として義務付けることだ。たとえ日本に入国後にコロナ感染しても、日本は一切医療対策はとれません、とはっきり明言しておくこと。
 「日本は冷たい」という国際評価が定着して、コロナ後のインバウンドに大きな影響が出たとしても、それはこういう状況下でオリンピック開催という選択を強行した政府と組織委の責任である。
 ただし、最低限の対策として、感染者や濃厚接触者を完全隔離するために、日本国内はもとより海外からも大型クルーズ船を数隻チャーターしておくこと。隔離中の食事はコンビニ弁当程度の簡易なものしか用意できないから、選手村のような待遇を希望する場合は、母国から食材や料理人を連れてくることを参加国に事前通告しておく必要がある。
 どうしても今年、日程通りに東京オリンピックを開催するというなら、そのくらいの体制でやるしかない。ただし、オリンピック史上最低の大会になることだけは間違いない。

●東京オリンピックには欧米の一流プロ選手は参加しない理由
 というのは、全豪オープンで明らかになったように、プロ・スポーツが発達している競技では、おそらく日本を除いて海外からは一流選手はまず来てくれない。オリンピックで活躍することは名誉ではあっても「カネを稼ぐ」場ではないからだ。
 だから陸上や水泳などのプール競技。ソフトボールや柔道、卓球などプロ化が進んでいない競技は、オリンピックでメダルを取ることが、そのスポーツ分野で将来にわたって生活手段を獲得できるチャンスだから、コロナ・リスクを冒してでも日本に来るだろうが、野球やサッカー、テニス、バスケットなどプロ競技は発達している分野は一流のプロ選手はまず来ない。
 日本の場合は、プロ選手でも「カネには代えられない」何か(例えば名誉)を求めるという精神的規範があるため、将来のことを考えずに、その一瞬にすべてをかけるといった考え方を持っている人が多いが、欧米人は日本人とはかけ離れた合理的精神の持ち主が多い。そういう意識の違いは、どっちの方がいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そういった基準では測ることができない要素だ。
 たとえばIOC会長の山下氏は世界を席巻した柔道選手だったが、肉離れを起こしながらオリンピックで優勝し、男泣きした。テレビで見ていた私も涙した。そういう感動を大切にする日本と、その後の選手生活を考えて試合を棄権する欧米選手との違いは、合理性より精神性を重視する日本人には理解できない要素があるようだ。
 例えば高校野球で大谷を超える逸材と言われた岩手県立大船渡高校の佐々木朗希投手。2019年の夏の大会の岩手県選出を目指した岩手大会の準決勝で完封勝利を収めたが、決勝戦では国保陽平監督が故障を心配して佐々木投手を登板させなかった。野球評論家を含め、国保監督の采配に批判が殺到したが、アメリカだったら問題にならなかっただろう。ただ、私はどうせ決勝戦で休ませるくらいなら、準決勝で佐々木を温存して決勝戦に備えるべきだったのではないかという疑問は持っている。大船渡高校の野球部は佐々木一人のためにあるわけではないから。
 そういう意味で、私は精神主義の塊のような橋本聖子会長に一抹の不安を持っている。精神主義では、オリンピックを成功させることはできないからだ。
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森発言の問題を深掘りしていたら…。経営者は学んだのに、政治家が学ばなかったこと。

2021-02-15 01:34:33 | Weblog
あの「ゲス不倫男」の異名を持つ元衆院議員の宮崎健介氏が、何とも妙な「森擁護」論をぶっている。
もちろん、「女性が入る会議は長くなる」という「ジェンダー発言」そのものを擁護しているわけではない。実際、森発言についてはこう批判もしている。
「もちろん発言の内容は批判されるべきものであり、私の目から見てもこの発言ですべてを失っても仕方がないレベルではあると思いますが、報道のタイミングなどについては、気味が悪いというか、違和感を覚えてしまいます」
が、自らの体験にかんがみてか、「『女性蔑視』という今のグローバルスタンダードの視点からもジェンダーの視点からもNGであるこの発言だけに注目し、後のことは何も考えずに批判をしまくるということは、思考停止以外の何物でもありません」という「森擁護論」には私は、それこそ気味の悪さというか、違和感を覚えてしまう。

●森と宮崎とバッハの奇妙な共通点
まあ、妻の金子恵実氏が「神対応」(?)で宮崎氏の不倫を許してしまったし、宮崎氏が「責任を取って」(?)議員辞職をしたため不倫問題は沙汰やみになったが、もし不倫離婚という事態になっていたら、宮崎氏の過去の不倫離婚歴も週刊誌の格好のネタになっていた。
こう書くと、どうせネットで調べたがる人が多いと思うので(メディア関係の人や国会議員なら周知のことだが)、彼のファースト結婚の相手は、野田聖子氏とともに将来の首相候補と目されたこともある小渕優子氏で、二人の間にはお子さんもいる。「懲りない男」なのだ。
宮崎氏は、こうも書いている。
「今回の問題発言の件で私がまず疑問を抱いたのは『なぜ今のタイミングで報じられたのか?』です。会長職を続けて7年間、森会長が今日まで失言をしないで来られたはずがないのは、彼をよく知る関係者や記者たちも皆知っているはずです。これはオリンピックを中止させたいと思っている勢力が、今のタイミングで森氏をターゲットにしたのではないかと勘繰ってしまうのは私だけでしょうか」
なるほど、この文章の「森」を「宮崎」に、「失言」を「不倫」に置き換えて読めば、彼を「不倫辞職」に追い込んだメディアや世論に対する悔しい思いを、「森失言」を機に「名誉挽回」のチャンスにしたかったのかと「勘ぐってしまうのは私だけでしょうか」。

実は私もメディアがもっと重視すべき「森発言」がほかにあったとは思っている。ただ、その問題の「森発言」については宮崎氏は何も書いていない。せいぜい宮崎氏が列記した「森失言禄」は、「子供を一人も作らない女性を税金で面倒見るのはおかしい」「大阪はたんつぼ、金もうけだけを考えていて、公共心のない汚い町」などだけで、ネットで調べれば山ほど出てくる。私自身は森氏の発言の中で絶対に許すことができないのは「コロナがどうであっても、オリンピックは絶対やる」(記憶で書いているので正確な表現ではないかもしれない)である。
オリンピックの方が、コロナとの闘いより大切だと考えているような人間が、この日本に一人でもいたということに、私は愕然とした。
ま、世界は広い。バッハも同様な考えの持ち主のようだからだ。二人は仲がいいわけだ。
それとも、「コロナとの闘いに勝ってこそのオリンピックではないか」と考える私の感覚の方がおかしいのだろうか。

●ちょっと横道――レーガン大統領が生んだ「双子の赤字」
政府はとりあえず緊急事態宣言を1か月先延ばししたが、昨任春の緊急事態宣言を延長した経験から、そもそも最初の設定期間が甘すぎると思っていた。いまの第3波は、昨年春の第1波に比べてはるかに深刻だった。1か月で抑え込めるという、菅総理の「エビデンス」をぜひ明らかにしてもらいたい。
政府の役割は「国民の安全・安心」を守ることにある。安全保障政策や経済政策はそのためにある。
安全保障政策についていえば、冷戦時代と異なり、軍事力で体制の優劣を競い合う時代は終わった。終わらせたのは当時の米大統領のレーガンである。レーガンというと「レーガノミクス」と言われる「減税・金融緩和による景気刺激」の経済政策を思い浮かべる人が多いと思うが、実はレーガノミクスはアベノミクスと同様失敗に帰した。私はレーガノミクスをなぜエコノミストやメディアがちゃんと検証しないか、今でも不思議に思っている。
確かにレーガノミクスによって景気は浮揚した。が、とんでもない結果を招いている。財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」を生んだからだ。
理由ははっきりしている。まず財政赤字の方だが、レーガンは東西冷戦に終止符を打つため、ソ連(当時)に対して軍拡競争を挑んだ。そうなると結果は最初から見えていた。資金力に圧倒的な差があるアメリカの軍拡競争にソ連がついていけるわけがなかった。
ソ連はたちまち財政難に陥り、国民生活は疲弊し、革命やクーデターなしに共産党政権が崩壊した。雪崩を打つように東欧の共産党政権も崩壊した。が、アメリカが負った代償も大きかった。湯水のごとく膨大な軍事費を支出し、そのうえ減税という景気浮揚策をとったため、たちまち財政難に陥った。
これが「双子の赤字」の一つ目である。
また当時のアメリカは自由貿易の盟主を任じていた。減税によって可処分所得が増大したアメリカ国民は輸入品を買いまくった。その結果、もう一つの赤字である貿易赤字が膨らむ結果を生んだ。

●トランプの狂信的支持者が多い理由と、バイデンがTPPには戻らない理由
考えようによってはトランプ大統領はめちゃくちゃな大統領ではあったが、「アメリカファーストの経済政策」としては必ずしも間違ってはいなかったと言える。減税という景気浮揚策を取りながら、一方で輸入品に対しては高率関税をかけて国内産業を守った。また不法移民の流入を防いでアメリカの低所得白人の仕事の確保と給与水準のかさ上げを図った。トランプの狂信的支持者が多いのは、トランプ政策の恩恵を受けた低所得白人層がアメリカには相当多いという証明でもある。
昨年11月の大統領選挙に不正があったかどうかは私は知らない。が、「不正が行われた」とトランプは主張した、本来なら共和党支持者が多いはずの州で、不正投票が行われたという事実は結局見つかっていない。バイデンの勝利に疑問の余地はないと思う。
そのバイデンは、トランプの「アメリカファースト」政策をことごとくひっくり返しつつあるかに見える。パリ協定やWHOにも復活したし、あたかも国際社会との協調路線に転換したかに見える。
が、おそらくTPPにはアメリカは戻らないだろう。
その理由は単純だ。TPPに参加している国、またイギリスや中国のように参加しようとしている国の目的は、貿易の自由化(関税の引き下げや非関税障壁の撤廃もしくは軽減)によって、輸入は多少増えても、それ以上に輸出が増えると見込んでいるからだ。だからふたを開けてみたら、輸入の方が増えて貿易収支がマイナスになるということになったら、その国はTPPからすぐ脱退するに決まっている。
日本はいまTPPの盟主のような顔をしているが、日本政府が考えているのは農畜産物の輸入は増えることを覚悟のうえで、日本の工業製品(自動車や家電など)の輸出が大きく伸びるはず、と計算しているからだ。日本政府が突然「自由競争の理想」に目覚めたわけでは決してない。
当然、農畜産業者からはTPPに対して猛烈な反対運動が生じてもおかしくないはずだ。が、そういう動きがあるのかないのか、メディアが報道しないからさっぱりわからない。もし、ほとんど反対運動らしきことが生じていないとしたら、日本の農畜産業者は後継者難で、「自分の代で終わってもいい」とあきらめているからかもしれない。
実は、アメリカは人口比では就業者数こそ多くはないが、農畜産業は重要な産業の一つである。日本の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで66%。一方アメリカはカロリーベースで233%、生産額ベースで133%だ。このことは何を意味するか。
実はウルグアイラウンドで日本が主食のコメの最低輸入量(ミニマムアクセス)をアメリカからのまされた時点では、日本の食料自給率は33%ほどだった。コメ輸入が義務付けられ輸入が増えたのに、かえって食料自給率は改善している。もちろん、この間、コメだけでなく畜産物の輸入関税も徐々に引き下げられ。農畜産物の輸入量はウルグアイラウンド当時より増えている。
なのに食料自給率が増えている理由は、いわゆる「人口構成の高齢化」による。食料の消費量が年々減少する高齢者が日本人口全体に占める割合で急増することによって、需要量の全体が減少しているためだ。
いっぽう、アメリカは農畜産物の過剰生産に苦しんでいる。カロリーベースで食料自給率が233%ということは133%分も過剰生産していることになる。そのため、日本では報道されていないが、アメリカではトランプのTPP離脱に対して猛烈な反対運動が生じていたはずだ。で、トランプはTPPの代わりに「2国間協定」を日本などに要求、アメリカの言いなりになることを基本的外交政策にしている日本は「TPP合意以上の関税引き下げはできないよ」と抵抗した格好をつけるのが精いっぱいだ。

●なぜ日本の食料品は高いのか
ここでもう一つ注目してほしい指標がある。これまで書いてきたのはカロリーベースの食料自給率の話である。今度は生産額ベースの食料自給率について考えてみたい。生産額ベースでは、日本の自給率は66%、一方アメリカは133%である。このことは何を意味するか。
仮に食料品の生産量を100とすると、日本の生産額指数(農畜産業者の単位当たりの収入)は173%、アメリカは57%になる。この数字を単純に比較すると、なんとなく日本の農畜産の生産性はアメリカの3倍にもなるように見える。ホントかいな。
この差は一種の数字のマジックによって生じる。
政府の食料政策の最大の要諦は国民を飢えさせないことである。日本では封建時代でも「一揆」の首謀者は死刑である。それでも、飢饉に襲われたら、飢え死により百姓一揆を選んだ。村長(むらおさ)は自ら死刑に処せられることを覚悟のうえで百姓一揆の首謀者になった。
だから村落で村長の権威はお殿様より大きかった。
というわけで、どの国でも農畜産業に対する手厚い保護が欠かせない。とくに日本の場合、工業立国を目指すようになって以降、コメ農家を保護するため食管制度でコメ価格の下落を防ぐ一方、コメ需要の減少に応じて減反政策をとってきた(今は食管制度は廃止)。保護政策はコメだけでなく、ほかの農畜産業者(もちろん漁業者も含む)にも及んだ。その結果、生産物の価格が維持され、あたかも生産性が高いかのような数字になっているだけである。
食料不足の日本と違って過剰生産体質になっているアメリカでは、生産者が生産物価格の下落によって経営が成り立たなくなって廃業し、生産量が激減するようなことが生じたら、政府存続の危機に陥る。だから過剰生産に対する農畜産業者に対する収入保障と輸出を増やすためになりふり構わぬ外交もする。
かつて日本の工業製品が世界を席巻していた時期、通産省(当時)は「世界分業体制の構築」を唱えたことがある。海外からも批判されたが、国内では農林省(当時。現在の農林水産省)や農業団体は猛反発した。
メディアはしばしば北朝鮮の食糧事情について、国民はおろか兵士たちも飢餓状態にあるといった根拠のない情報を流すが、そんなことは絶対にありえない。もし、そういう状態だったら間違いなく北朝鮮の国民は暴動を起こすし、兵士はクーデターで金一族政権を倒している。
中国が強権で戸籍を都市と農村に分けているのも、国民を飢えさせないために農業従事者人口の維持が必要だからだ。ひょっとしたら、中国共産党は日本の徳川幕府の階級制度を見習ったのかもしれない。徳川幕府が「士農工商」という身分制度を作ったのは、日本人を飢えさせないために農民の社会的地位を形式的に高めたからだ。

●政治の要諦は経済のかじ取り
平時の場合、安全保障政策は有事に備える体制を整備・維持していれば、基本的に問題ない。
が、経済政策はしばしば利益相反の中でのかじ取りが要求されることが生じる。いまが、そうだ。
菅総理が誕生したとき、その難しさに菅氏はいきなり直面した。はっきり言ってアベノミクスはめちゃくちゃな経済政策だったのだが(結果論で言っているのではない)、日銀・黒田総裁が必死に支えて、あまりボロを出さずに来たように、一見見える。が、アベノミクス発動の時点では金融緩和・円安誘導で一時、為替相場は1ドル=120円台の円安になった。おかげで株価は上昇し、日本の輸出メーカーは国際競争力を回復した。これが一時的現象でなければ、アベノミクスは大成功したかもしれない。
が、化けの皮はすぐ剝がれた。
肝心の自動車メーカーや電機メーカーがアベノミクスにソッポを向いたのだ。国際競争力が回復しても設備投資をして輸出を拡大しようとはしなかった。
政治家やメディアはすっかり忘れているが、1985年のプラザ合意でドル安・円高、ドル安・マルク高で日・独・英・仏・米が協調して為替介入することが決まり、円はその後の2年間で1ドル=240円前後から1ドル=120円前後に大幅上昇した。いまわずか2年間で円が倍になったら、持ちこたえられる工業製品メーカーはいるだろうか。単純に考えれば、円が倍になるということは輸出価格も倍になることを意味する(実際にはそれほど単純ではないのだが)。が、日本メーカーは「合理化努力」によって円安攻勢をしのいだ。トヨタ自動車が「乾いた雑巾をさらに絞る」と言われたほどだった。
実は、それはウソだった。当時日本はすでに少子化時代を迎えていたのだが(みんなが勘違いしているが、高齢化社会より少子化の方が早く始まっていた)、生産人口(労働人口)はまだ減少していず、日本経済はむしろバブル期に突入しようとしていた。そのため国内需要が減少せず、メーカーは製品のモデル・チェンジのたびに値上げを繰り返していた。
その結果、輸送コストをかけてアメリカに輸出した日本製品を、アメリカで買って帰る旅行者が増え、並行輸入業者まで生まれた。かくいう私も取材や遊びでアメリカに行くたび、日本製のゴルフ道具などを買って持ち帰ったものだ。
不思議な現象は輸入ブランド品価格にも表れた。これも単純化して説明するが、円が倍になったら輸入品価格は半値にならないとおかしい。が、輸入ブランド品はほとんど値下げされなかった。ブランド品の直営店の理由付けはこうだった。「日本人は値段が高くないと一流品とみなさないから値下げすると売れなくなる」というものだった。森も二階も菅も安倍も麻生も、そう言われると思いだすはずの年代だ。政治家はみんな認知症になってしまったようだ。
いっぽう悲鳴を上げたのは、燕市の小規模金属製品メーカーなどだった。自動車メーカーや家電メーカーのように国内需要者に価格転嫁はできず、かといって輸出価格を抑えたら赤字になる。燕市の金属製品メーカーだけでなく、国内で価格転嫁できない中小規模の輸出メーカーの倒産が相次いだ。「好景気下の倒産続出」である。

●プラザ合意から多くを学んだ企業と、何も学ばなかった政治家
プラザ合意でドル安・円高の協調介入が実現した目的は、先に述べたレーガノミクスによって生じた双子の赤字のうち貿易赤字を解消し、国際競争力を失った米製造業の苦境を救済するためだった。
だが、円を倍にしないと回復不能なほどの状況に、米製造業があったというわけではない。
おそらく20%くらい円高になれば、米製造業はかなり回復していたはずだ。が、完全に輸出体質に構造的になっていた日本の自動車メーカーや電機メーカーは必死になって輸出量を維持しようとした。その結果、嘘っぱちの「合理化努力」を口実に輸出価格を可能な限り据え置いたのである。
しかし、どんな神業を使っても、生産コストを半分にすることなど不可能である。乾いた雑巾をいくら絞ってもコップ1杯の水を絞り出すことは不可能だ。
その代わり、自動車メーカーや電機メーカーは赤字輸出を続けながら、輸出で生じた赤字を国内販売で埋めるという戦略を取ったのである。そのとばっちりを受けたのは中小輸出製品のメーカーだけでなく、世界で圧倒的な輸出競争力を持っていたカメラメーカーや時計メーカーなどにも及んだ。為替相場は自動車メーカーや電機メーカーだけに作用するわけではないから。
どうして自動車メーカーや電機メーカーは自ら首を絞めるような「エセ合理化」に奔ったのか。それは日本独特の雇用関係にあった。終身雇用・年功序列が定着し、簡単に生産調整したり工場閉鎖をして従業員をレイオフすることが不可能だったからだ。日本の企業は、実は従業員の雇用の存続が最重要という慣習が定着していた。
トランプが、輸入自動車に高率関税をかけて国内自動車メーカーを保護したのに、GMが5工場(うち1工場はカナダ)を閉鎖して従業員をレイオフしたのに激高したのを見て、日本企業の経営者はみな唇をかみしめたと思う。アベノミクスの笛に、自動車メーカーや電機メーカーが踊らなかったのは、設備投資をして従業員を増やして生産量を増やした場合のリスクを重視したからに他ならない。メディアは一斉にアベノミクスの円安政策にのらずに輸出価格を据え置いて「為替差益」をがっぽり貯め込んだのは、そういう日本独特の雇用関係が背後にあったからだ。
そうした雇用関係は生産人口が増加し続ける限り維持が可能だった。が、日本だけでなく世界中の先進国で少子化が進み、生産人口が減少するという、アダム・スミスもケインズもマルクスも想像すらしていなかった「人新世」(斎藤幸平氏の造語)に突入している。「人新世」とは、「利潤の追求がすべてという資本主義経済活動が地球環境を破壊する」という認識に基づいてマルクス主義を再評価した野心的な主張だが、あまり論理的ではない。マルクスも経済活動を否定しているわけではないし、経済活動が利益(適正なレベルかどうかの判断の違いはあるにしても)を生まなかったら、実効再生産も不可能になるし、技術の進歩もなくなる。かつては無政府論者による経済活動を全否定した「原始共産主義」という考えもあったが、マルクスは完全否定している。
いま斎藤氏の著書が売れているようで、私も読んだが、なぜ人気があるのか、私にはさっぱり理解できない。斉藤氏は地球環境の破壊をもって資本主義の行き詰まりと考えているが、それは資本主義とか社会主義といった思想の問題ではなく、現に中国の環境汚染は一時世界中から非難の的になった。技術は需要のないところに進歩することはありえず、日本がコロナ・ワクチンの開発に後れを取ったのはサーズや新型インフルエンザなどのパンデミックに襲われたことがなく、感染症ワクチンに対する開発ニーズが少なかっただけのことだ。資本主義経済が行き詰まったのは生産人口の世界的現象によるマーケットの縮小によるもので、そういう意味ではマルクス経済学の主柱である「計画経済」が必要かもしれないが、そのためには全世界的規模で各国の利害調整が必要で、そんな方法があるかいな、と思う。いずれ、気が向いたら本格的に斎藤「資本論」論の論理的破綻を書いてもいい。

●人類がコロナ禍に勝った証として国際スポーツ大会の道もある。
例によってまた長いブログになった。そのうえ横道にそれて、しかもそれっぱなしで終わることになりそうだ。
というわけで、とりあえず出発点に戻る。組織委会長の後釜が、14日現在まだ決まっていない。
日本の政治家はどうしてこうも「形」にこだわるのか。森氏のジェンダー発言が非難されたから「今度は女性会長に」という発想そのものがジェンダー発想だと私は思うのだが…。
石原都知事と森氏がタッグを組んでオリンピック誘致に動いていた時点で、肝心の東京都民は蚊帳の外だった。もちろん石原氏はオリンピックを東京で、、というアドバルーンを上げていたことは承知していたが、まさか「手を上げる条件」が真夏だとは誰も知らなかった。
東京に決まったときの都知事は石原都知事時代の副知事を務めた猪瀬氏だったが、彼はもともとは政治家ではない。石原氏に請われて副知事に就任したようだが、真夏の東京オリンピックがいかに無謀かということに気が付かなかったのか。
猪瀬氏が徳洲会との金銭スキャンダルでコケて、次の舛添氏も公私混同で失脚、次に都知事になった小池氏は「なんで真夏なの?」と疑問を持ったようだ。小池氏が都政として最初に取り組んだ難問は築地市場の豊洲移転で、豊洲市場の地下に汚染水があふれ大問題になった。
その時期、都庁に何回か電話取材したが、だれに聞いても都民から「真夏の東京でオリンピックなんか、きちがい沙汰だ。死者が出るぞ」といった抗議の電話やメールが殺到しているという。
それでも、小池氏は何とか東京オリンピックを成功させねばと、マラソン・コースの路面の熱吸収素材を塗ったり、コース沿道の商店街に頼んで観客の中から熱中症患者が出ないよう、冷水補給やよしず張りの日よけ設置の準備もしていた。
ところがドーハで行われた女子マラソンで参加選手の40%が途中リタイアしたことで、バッハが勝手に札幌にマラソン会場を変更してしまった。頭に来たのか、小池氏が「北方領土の方が涼しいですよ」と皮肉ったくらいだ。何とか東京で無事に、と様々な努力を重ねてきたことなどお構いなしだ。そこへもってきて、このコロナ禍だ。国民の8割が「無理だ」と言っているのに…。
誰もオリンピックそのものに反対しているわけではない。「真夏の東京で」と公表されたときは「気でも狂ったのか」とみんな思いながら、多くの人たちがボランティア参加を申し込んだ。
そのボランティアが次々に「おーりた」と言い出した。ばかばかしくてやってられるかという気持ちだろう。
そうした怒りに輪をかけたのが耄碌幹事長。「一時の気まぐれだ」と言わんばかりの発言。
このブログの冒頭で書いたように、最後の引き金になったのは森氏のジェンダー発言かもしれないが、「コロナがどうあろうと絶対やる」という何が何でもオリンピック強行の姿勢。国民の気持ちを逆なでする姿勢だ。
重ねて言っておくが、「無理だ」と考えている国民の8割を占める人たち(私もその一人)は、「やらない方がいい」と、オリンピック開催に反対しているわけではない。今のコロナ禍の状況から、開催したときのリスクが大きすぎると冷静に判断しているだけだ。
競技施設はすべて整っている。この夏のオリンピックには間に合わなくても、人類がコロナ禍を克服したとき、別にオリンピックの名にこだわらず、「コロナ克服、人類の勝利をたたえる国際スポーツ大会」でもいいではないか。その場合はIOCの儲けなんか考える必要はないから、前回の東京オリンピック(1964年)と同様、最もいい気候の時期を選んで開催すればいい。そのとき、世界は日本の選択に必ずエールを贈ってくれると思う。



【追記】このジェンダー問題はひょっとしたら「男系男子」という皇位継承を定めた皇室典範問題にも波及するかもしれない。むしろ波及してもらいたい。
実際、世論調査でも次の天皇は愛子さまという声が多数を占めている。「男系男子」という皇位継承規定そのものが、ジェンダー規定ではないか。
もし、あくまで「男系男子」にこだわり続けた場合、皇族の家系をどこまでさかのぼる必要が生じるか。200年、300年ということになると、そういう方が皇位に就かれたとして、国民から愛される「国民統合の象徴」としての国民との「気持ちの上での距離感」はおそらく維持できない。愛子さまなら、上皇や天皇、美智子さまや雅子さまに抱いている国民感情は継承されるが、もはや今上天皇とは一般市民感覚では「赤の他人」同様の人物を数百年さかのぼって探し出しても、おそらく国民から慕われる存在にはなりえない。
森氏のジェンダー問題が、皇室典範の改定に進むことを、国民の多くは期待しているのではないだろうか。







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とうとうNHKは横浜カジノの応援団に堕した。

2021-02-07 01:17:40 | Weblog
私はいま猛烈に頭にきている。
前回のブログは、私の読者にとって相当強烈な内容だったようで、記録的な閲覧者数を更新している。正直、安全保障に関する論文で私のブログでの主張を上回るものはないくらいの自負がある。実際、外務省の担当職員は国民の疑問に答えられず(学術会議会員の任命権解釈の間違いを、内閣法制局職員は認めたけど…)、「業務が立て込んでいますので」と逃げだした。「では、いつ電話すればいいか」と聞いたが、「いや、ぼそぼそ…」と電話を切られた。。
法律はしばしば時代の要請に応じて改正されてきた。多分一番多く改正された法律は道交法だと思う。戦後の、自動車が「特殊車両」のような存在だった時代から、高度経済成長時代の「三種の神器」を経て「3C」が庶民にも手が届くようになり、自動車の普及によって交通事故が増え、そうした時代に対応して道交法は頻繁に改正されてきた。道交法の精神も、自動車優先から「飲酒運転」など悪質な運転に対する世論の厳しい批判を受けて「危険運転致傷罪」なども設けられ、それなりに悪質運転の抑止力効果を生んだ。
が、情報発信手段が増え多様化して行く中でNHKを保護するための「放送法」だけは時代の要請に対応せず、庶民の娯楽がラジオしかなかった時代に作られた法律がいまだ一度も改正されず、完全にアナクロニズム的法律になっている。そうしたアナクロニズム「放送法」がNHKの「肥大化」と権力に対する「忖度化」を生んできたことは紛れもない事実である。6日の総合テレビ「首都圏ニュース」での横浜IRについての市のオンライン説明会についての報道もその典型だ。これほどひどい「忖度放送」は、さすがに私も「そこまでやるのか」と、呆れるのを通り越して頭に血が上った。
心ある横浜市民に呼び掛ける。
今日から直ちにNHK受信料の支払いをストップしよう。私はとっくに支払いをストップしてNHKに「私を告訴せよ」と数えきれないくらい要求してきたが、一向に告訴してくれない。この問題は最後に書く。とりあえずNHKが横浜IR誘致のために市が6日開催したオンライン説明会をどう報道したかを検証する。とりあえず、NHKホームページから報道記事全文を無断掲載する。

●NHK「首都圏ニュース」(6日)での横浜IRオンライン説明会についての報道
横浜市が誘致を目指すカジノを含むIR=統合型リゾート施設に関する市民説明会がオンラインで開催され、参加者からは、市の増収がどの程度見込まれるのかといった質問が寄せられました。
 横浜市は誘致を目指しているIRの事業概要をまとめた「実施方針」に基づき、先月21日から施設の設置・運営を行う事業者の公募を始めています。
 これを受けて、市民への「事業説明会」が6日からオンラインで始まり、平原敏英副市長が「IRの魅力とともに雇用創出や市の財政への貢献などについて理解してほしい。アフターコロナの経済再生につながる起爆剤のひとつと考えている」と意義を強調しました。
これに対し、参加した市民からは、市の増収がどの程度見込まれるのかや、増収分を何に使うのかといった質問が出て、担当者が「カジノの売り上げの15%と、日本人の入場料収入の半分が横浜市に納付され、税収増も見込まれる。増収分は観光振興や依存症対策、社会福祉や文化振興などに充てていきたい」などと答えていました。
 一方、カジノ誘致に反対する意見も寄せられていました。
 説明会は来月14日まであわせて6回行われます。

●NHKの「忖度」ここに極まれり
横浜では市のIR誘致計画についてこれまで度々世論調査が行われてきた。最初のころの世論調査では移民の80%以上が反対の意思を示していた。市側のPR(たとえば毎月発行される20ページ前後の『広報よこはま』など)の効果もあって賛成派も少しは増えたが、依然として反対派の方が圧倒的に多い。
反対派の市民団体が住民投票実施のための署名活動を始めたのが昨年10月。コロナ禍の中で横浜市内の駅頭や商店街などでコロナ・リスクをものともせず活動した。その結果、署名は法定数をはるかに上回る20万近くに達した。
実は日本のIR誘致条件はカジノ業者などにとってかなり厳しかった。カジノ誘致をぶち上げたのは、東京オリンピック誘致に政治生命をかけた石原慎太郎都知事(当時)だったが、日本はもともと世界に冠たる「ギャンブル大国」ということもあって誘致条件を相当厳しくせざるをえなかったという事情もある。
石原氏が積極的だったということもあって、首都圏では東京が有利とみられていたが、小池氏が都知事になって多少風向きが変わった。小池氏は「カジノ、や-めた」と公式に発表しているわけではないが、積極的な誘致活動は行っていない。そこで今がチャンスとカジノ誘致に前のめりになったのが林氏を市長に担いだ自公市会議員である。林氏はダイエー社長から横浜市長に転身した異色の政治家で、当初は民主党の推薦で当選した。が、民主党人気の凋落で自公にすり寄り、現在の支持勢力は自公議員である。
林氏がカジノを含むIR誘致に積極的になったのは2期目である。が、カジノに拒否感を持つ市民が多いのを見て3期目の市長選挙では「IRは白紙」と態度をひっくり返した。通常権力の立場にある政治家が、いったん表明した政策を「白紙にする」と選挙で公約した場合、「白紙撤回」を意味する。これで、「横浜IRは煙のように消えた」と、市民は思った。
実際、17年7月に行われた市長選では「カジノを含むIR誘致問題」は争点にならず、野党候補が分裂したこともあって、林氏が圧勝した。もう年齢的にも認知症が疑われる林氏は、市長選で「IRは白紙」と公約したことをすっかり忘れてしまったらしく、不退転の決意でIR誘致に突っ走りだした。
林氏の計算が狂ったのは、カジノ誘致の最有力候補だった世界最大のカジノ業者「ラスベガス・サンズ」が日本での事業計画の中止を発表したことだった。サンズはマカオやシンガポールでもカジノリゾートを運営しているが、ライセンスはそれぞれ20年、30年という長期契約だが、日本は10年と短く、採算性に不安を持ったようだ。そのうえ想像もしていなかったコロナ禍が日本を襲い、IR計画に参画しようという業者がまったくいない状況になった。そういう中で住民投票を求める署名活動を市民団体が始めたというわけだ。
そこで林氏は再び「カメレオン」になる。「住民投票で市民の意志が示されたら、それに従う」と発表したのだ。おそらく、この時点では林氏は4選を視野に入れたのだと思う。つまり、市民の意思を尊重して「IRはやめる」と表明してしまえば、今年7月の市長選も有利に進められると踏んだのだろう。
だから、林市長は住民投票に前向きだったはずだ。私はいくつかの市民団体や政党の支部に「住民投票に持ち込ませない方がいい。これだけの市民がコロナ禍の中で署名したんだよ」と、林市長に突き付けるだけでいい。いま、住民投票を行ったら、間違いなくIR計画は葬られる。そうなると、7月の市長選でカジノが争点にならなくなる。間違いなく前回の市長選と同じ結果になる。むしろ突っ走らせて、次期市長選の最大の争点を「カジノにイエスかノーか」を争点にすれば林市政を根こそぎ葬れる、と。
というのは、いま住民投票を行えば、間違いなくカジノは葬れるが、自公市政は継続する可能性が高い。もし7月の市長選で「カジノ」が争点になった場合、それでも市民側が負けるようなら、いま住民投票を行っても市民側は負ける。どうせカジノを葬るのなら、林市政も一緒に葬った方がいいのではないか、というのが私の戦略的思考である。
私の考え方はともかく、横浜市民のIR誘致に対する意思ははっきりしている。住民投票をすればIRが葬られることが確実な情勢だから、横浜市議会は1月8日の臨時本会議で住民投票実施案を否決した。
そういうプロセスを経て、横浜市は一方的にオンライン説明会を開いたのである。横浜市の意図は言うまでもなく明々白々だ。
読者の皆さん、申し訳ないが、もう一度NHKの首都圏ニュースでの報道原稿を読み直していただきたい。どのくらいNHKが横浜カジノに肩入れしているかが一目瞭然だかだ。

●横浜IR構想は横浜市民をギャンブル「中毒症患者」にする
この説明会はZoomで行われ、参加者は70人。あらかじめ参加者から寄せられた意見に対して市の幹部(林市長は出席せず)が答えるという方式でユーチューブでも中継されたようだが、ギャンブル依存症対策などかなり手厳しい意見の方が多かったようだ。そもそもNHKが報道するようなニュースではなく、IR計画の採算性についての質問など、国会でも与党議員が行う「サクラ質問」のたぐいである。
残念なことだが、横浜では「コロナに感染したら、あきらめるしかないね」があいさつ言葉になっているくらいで、死因不明の突然死がすべて「心不全」や「急性肺炎」などの病死扱いされている。どの市区町村でも保健所がPCR検査から入院措置まで仕切っているが、日本最大の政令都市・横浜市には何と保健所が1か所しかない。だから瀕死の重病でもなければPCR検査も受けられない状態がかなり長く続いた(さすがに今は保健所も大学病院などにPCR検査を依頼しているが)。日本でPCR検査が海外に比べて圧倒的に少ないのは、保健所が既得権益を手放そうとしないからだ。学術会議会員の「既得権益」とやらにはやたら厳しい菅総理だが、自分の地元である横浜市の保健所の既得権益は問題にしないようだ。
それが林市政のせいだとまでは言わないが、横浜市18区にはすべて500人前後収容の区民会館などのハコモノ施設だけはおそらく日本一充実しているだろう。横浜IRもハコモノ行政の一つで、公共事業の採算性は「ハコモノありき」で電卓をたたいて計算するだけだから、ほとんどのケースが採算割れになっている。だからといって絶対に失敗すると決めつけるわけではないが、横浜市民が最も心配しているのはギャンブル依存症問題である。私の手元には説明会用資料として横浜市が作成したものがあるが、依存症対策として意味をまったくなさないことが仰々しく書かれている。
たとえば、カジノへの入場規制として「7日間で3回、28日間で10回の入場制限」が記載されている。これ、ものすごく勘違いしやすい表記だが、カジノは「不夜城」と言われるように、どこでも24時間営業である。そして問題は「回」の意味なのだが、1回は実は入退場の回数ではなく24時間のことなのだ。つまり24時間以内なら何回入退場を繰り返しても1回のうちなのだ。つまり1枚の入場券で2日、カジノで遊べるというわけだ。ということは7日間で3回遊べるということは理論上6日間カジノで遊べることを意味する。こういう人は、もはや「依存症」を超えて入院治療が必要な「中毒患者」ではないか。
さらに馬鹿げた対策は「カジノ内ではATMの設置が禁止」という規制だ。いくらカジノ場内にATMを設置させなくても、すでに書いたように1回24時間使える入場券で何回でも入退場できるわけだから、カジノ場内だけATM設置禁止にしても、ギャンブラーにとっては痛くもかゆくもない。これが横浜市の誇る「ギャンブル依存症対策」なのだ。
これでNHKの首都圏ニュースの目的が明確になったと思う。

●NHKとの契約は法律で義務付けられているが、受信料を支払う必要はない
横浜カジノに反対の人は直ちに受信料の支払いをやめよう。横浜カジノを応援するようなNHKは横浜市民の敵だ。
私は1月18日のブログ『NHKはなぜ私を告訴しない? それとも出来ないのか?』と題した記事でNHKを挑発し、1月末までに告訴しない理由を回答するよう要求した。そのブログでも書いたが、昨任2月と3月には「このままお支払いがない場合には、貴殿に対し、やむを得ず、法的手続きを検討せざるをえません」という脅迫状まで送り付けておきながら、私を告訴できないのはNHKが定めた受信料制度が憲法14条に違反しているからだ。いちおう、NHKの回答を添付する。

NHKとしては、訪問や文書などを通じて受信料制度の意義を誠心誠意丁寧にご説明し、お支払いをお願いする努力を重ねた上で、それでもなおお支払いいただけない場合の最後の方法として、民事手続きによる支払督促の申立てを実施しています。頂戴したメールに「法的手続きを取っていただけません」「告訴して欲しい」、また「応じていただけません」ということについて「理由を回答」とご質問をいただいておりますが、個別のお申出への対応や理由についてのお答えは致しかねます。

なお、NHK受信料支払い拒否に賛同していただける方に、契約破棄はできませんので、ご注意ください。NHKの放送を受信できる設備を設置している場合は、「放送法64条」によって契約が義務付けられています。NHKは「契約した以上、受信料支払いの義務が生じる」と主張すると思いますが、その主張を認めた裁判はありません。
また「N国党」(名所を変えるようだが)の立花氏とは基本的な考えが違いますので、私は共闘はしません。私の考え方は、NHKを公共放送事業組織にふさわしい体質に変えること、そして受信料制度を憲法に違反しない制度に改めたうえで、受信料支払いを法律で義務化することですから。
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