小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

日本の「戦後」は、まだ終わっていない

2023-04-24 04:19:07 | Weblog

1956年3月、経済企画庁は「年次経済報告」(経済白書)の総括でこう高らかに宣言した。
「もはや戦後ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである」
この時期、果たして本当に「もはや戦後ではない」と言えたのだろうか。戦後はいまだに続いているのではないだろうか。
おそらくすべての現代史学者が疑問を呈してこなかったこの問題を検証してみよう。

●本当の戦後は1946年6月に始まった
終戦の日はいちおう1945年8月15日とされている。この日の正午に昭和天皇が「玉音放送」で終戦を国民に伝えたからだ。
が、その前日14日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定、直ちに連合国に通告している。実際にはその後も終戦決定が伝わらなかった地域では小規模な戦闘行為が続いていたのだが…。
1946年5月22日に発足した第1次吉田茂内閣が新憲法草案を国会に提出、6月には第9条をめぐって与野党が真正面からぶつかった。
いまさらの感はあるが、憲法9条2項では「非戦」のために「戦力の保持」と「交戦権」を否定している。また9条の原案はGHQ総司令官のマッカーサーが作った、外交官の幣原喜重郎が原案を作成しマッカーサーが骨子を決めたとか、さまざまな説があり、右派系の人たちはアメリカに押し付けられたと主張している。
「押し付けられた」云々は「だから改正すべき」という短絡した結論に結び付いているが、押し付けられたか否かではなく、問題の本質は現行憲法は占領下で日本が主権を失っていた時期に制定されたものであり、日本が主権を回復した時点で主権国家としての矜持を込めた新憲法を新たに制定しなおすべきだったという点を誰も問題にしていないということにある、と私は考えている。つまり現行憲法制定に際して、前文で「この憲法は日本が主権を回復するまでの暫定憲法である」と明記しておくべきだったのだ。

実は現行憲法が制定されたときの国会で、憲法9条をめぐって吉田総理と野党議員の間で激しいやり取りがあった。
最初に9条に嚙みついたのは日本進歩党の原夫次郎議員。「自衛権まで否定するのか」との指摘に対して吉田は「第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めていない以上、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄しております」と明確に自衛権を否定している(6月26日)。
この吉田答弁に猛反発したのが今日では護憲政党の旧社会党と共産党。まず共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争である防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争放棄とすべきだ」と主張した。これに対して吉田は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はこのような考えは有害であると考える。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われていることは顕著な事実である」と答弁している(6月28日)。
また社会党の森三樹二議員が「戦争放棄の条文は将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて制定されるべき」と主張したのに対しては吉田は「世界の平和を脅かす国があれば、世界の平和に対する冒犯者として相当の制裁が加えられることになっている」と応じた(7月9日)。
実はこの吉田の非戦論は保守陣営にも疑問視する声があった。9条は2項から成り立っているが、1項で「不戦宣言」をしたうえで2項では「前項の目的を達するため」という但し書きをつけて「戦力不保持」と「交戦権の否定」をうたっている。この但し書きの部分は当初の憲法原案にはなかった。
そこで民主党の芦田均議員が「1項の非戦宣言は自衛権の行使を排除したものではない。自衛権の行使は国連憲章も認めており、2項での戦力不保持や交戦権否定は1項の目的を達するためという但し書きを挿入すべきだ」と強く主張した結果、現行憲法にこの「但し書き」が加えられることになった(いわゆる「芦田修正」)。
いずれにせよ、この時期の吉田は日本防衛は占領軍(GHQ)に丸投げし、政府は経済復興に全力を挙げる考えだった。
その後の世界情勢を見ると、吉田の純粋平和論がいかに夢幻でしかなかったことが明らかである。むしろ当時の左翼勢力のほうが現実的であった。その左翼勢力がいまや非現実的な護憲勢力になっていることは歴史のパラドックスと言えるかもしれない。
ただし、吉田自身はその後、回顧録の中で「経済的にも技術的にも世界の一流国になった今日、日本の安全保障を他国に頼ったままでいいのか」と日本の自衛力整備を訴えている。

●アメリカの属国になることを明記した旧日米安保条約
吉田が日本の防衛より経済復興を目指したのには、それなりの理由があった。敗戦で日本の大半の都市は焼け野原と化し、国民は衣類や住居はおろか食糧にも事欠く状態であり、国民生活を安定させることが吉田の最優先目標だった。
食糧問題はGHQによる農地解放や食糧援助で解決の道筋がついた。吉田が目指したのは近代産業の復興だった。具体的にはあらゆる資源と資金を当時の2大産業である鉄鋼産業と石炭産業に集中し、近代産業復興の足掛かりを作ることだった。「傾斜生産方式」と呼ばれた経済政策だが、当初は必ずしも経済復興に結び付かなかった。工業製品の生産力はある程度回復したのだが、国民生活や国内産業が疲弊したままだったため、国内需要が思うようには伸びなかったのである。49年4月に1ドル=360円の固定為替相場がスタートしたが、当時の日本の経済力にはかなり厳しいレートだったため輸出も伸びなかった。
が、突然神風が吹きだした。50年6月25日、朝鮮で南北戦争が始まり、共産勢力が優勢だった。49年10月には中国で毛沢東政権が誕生し、朝鮮半島まで共産主義政権が支配するようなことになるとアジア全体が共産化しかねない。中国の内乱には軍事関与する余裕がなかったアメリカだが、さすがにこの事態は無視できなかった。GHQは在日米軍を根こそぎ韓国軍支援のために動員することにした。
その結果、武装解除されていた日本は丸裸になる。今日の状況を自民政府は「戦後最大の脅威」と主張しているが、この時期こそ本当の意味で「戦後最大の危機」に日本は陥ったのである。
マッカーサーも丸裸の日本を無視できなかった。50年7月8日、日本に「警察力増強」を指令する。指令は具体的で、国家警察予備隊7万5000人、海上保安庁8000人の増強が指示された。肝心の武器弾薬の類は米軍が貸与することになった。これが保安隊を経て今日の自衛隊へと強化されていく。
朝鮮戦争は53年7月23日の休戦協定まで3年余も続いた。その結果、日本経済界は朝鮮特需景気に沸き、金属・機械・化学肥料・繊維を中心に輸出が急増、外貨保有高も戦争前の49年末の2億ドルから51年末には6.4億ドルに急増した。傾斜生産方式が特需景気に寄与したことは否定できない。
また朝鮮戦争は日本の再独立も促進した。51年9月4日、米サンフランシスコに52か国代表が集まり講和会議が開かれた。会議4日目の8日、ソ連、チェコスロヴァキア、ポーランドの3国を除く49核が講和条約に調印して日本は再独立した。
が、問題はそのあとだ。講和に引き続いて吉田はアメリカとの間で日米安保条約を締結した。日米安保は前文と5つの条文から成り立っているが、その骨子はこうである。

日本は武装解除されているため固有の自衛権(※国連憲章51条で認められた権利)を行使できる有効な手段を持っていない。そのため日本は自国防衛のための暫定処置として日本を防衛するために米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを日本が希望する。アメリカは自国軍隊を日本国内およびその周辺に維持する意思(※「意思」の決定はあくまでアメリカ主導)がある。
駐留米軍は「極東における平和と安全に寄与する」ため、また「外国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国内における大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するため日本政府の要請に応じて寄与することができる(※「寄与する義務」ではなく、アメリカの自由)」。

この条文(要旨)にあるように、日本には米軍駐留を受け入れる義務が生じるが、駐留場所や規模はアメリカが自由に決めることができることになっている。サンフランシスコ講和条約で日本は再独立したのちに、日本が改めてアメリカの属国になることを明確にしたのが日米安保条約であった。
吉田茂は日本経済復興の貢献者ではあったが、その見返りに日本をアメリカに売り渡した政治家だったのである。この吉田の売国行為が今日まで日本が外交での主体性を発揮できない状況を作り出したのだ。
私は別にアメリカ嫌いの人間ではない。むしろ一番好きな国だし、これまで最も多く訪問した国でもある。日本はアメリカとの友好関係は今後も維持すべきだし、日本だけでなくアジアや世界の平和と安全のためにアメリカと協力すべきことはすべきだと考えてもいる。が、そのことはアメリカの言いなりになることは意味しない。ましてアメリカの覇権主義に対して日本は「NO」と言うべきことは「NO」と言うべきだと考えているだけだ。

●新安保条約・集団的自衛権行使の問題点
吉田内閣が締結した日米安保条約の問題点を解消しようとしたのが安倍晋三の祖父・岸信介だった。岸は1960年、日米安保条約を改定し、アメリカに日本防衛を義務化する内容に改定する(ただし、日本が軍事力を持っていなかった吉田時代と違って、すでに自衛隊が設立されており日本防衛の義務は日米が共同で行うことになった)。
この安保改定については激しい反対運動が生じた(60年安保闘争)。衆院での強行採決と参院での採決を行わずに「自然成立」という強権発動が原因であった。が、60年安保には実はもっと根深い問題があった。いわゆる「極東条項」である(以降、「旧安保」「新安保」と分けて記す)。
旧安保では在日米軍は日本を外国からの侵略や共産勢力による内乱を防ぐことができる(防ぐ義務ではない)ことが明記されていたが、新安保では日米が共同で防ぐことが義務化された。
が、改定点はそれだけではなかった。
在日米軍には日本防衛だけでなく極東における平和と安全を守る「権利」が新たに付け加えられたのだ。在日米軍基地はグアムの米軍基地とともに極東におけるアメリカの覇権を維持するための軍事拠点になったのである。この対米属国条項を岸内閣は承認したのである。
当時、国会でも「極東」の範囲についての激しい議論が行われたが、問題は「極東」の地理的解釈ではない。日本という国がアメリカにとってはグアムと同じ地政学的地位に位置付けられたのが新安保であった。日本をアメリカの属国にしたのが吉田であり、アメリカの事実上の51番目の州にしたのが岸だった。
そして日本をアメリカの51番目の州から植民地にしたのが岸の孫である安倍だった。集団的自衛権についての従来の内閣法制局解釈を変更して日本防衛だけでなくアメリカの覇権行動に軍事的共同行為を行えるようにしたのである(安保法制)。

実は集団的自衛権に関する内閣法制局の従来の解釈自体が間違っていた(安倍はそれをただしたわけではない)。従来の内閣法制局の解釈は「集団的自衛権とは、密接な関係にある国が第3国から攻撃された場合、その国を共同で防衛する権利で、国連憲章によって固有の権利として認められているが、日本の場合は憲法の制約によって行使できない」というもの。
が。この解釈がとんでもない誤解なのだ。国連憲章は第2次世界大戦後の世界平和を実現するためのルールを定めたもので、まず大前提として国際紛争は軍事力ではなく話し合いなど平和的手段で解決することを定めている。とはいっても平和的手段で紛争を解決できなかった場合、憲章は国連安保理に紛争解決のためのあらゆる権能(軍事力によらない経済制裁および軍事的手段の行使)を付与することにした。が、国連安保理には拒否権を有する5大国が存在して、紛争を解決できないケースが生じることも考えられた。で、憲章は51条は第3国から不当な攻撃を受けた国に対して、安保理が紛争を解決するまでの間に限って【個別的または(英文ではor)集団的自衛権の行使】を認めることにした。憲章の文章自体が誤解を生んだと言えなくもないのだが、orではなくandであれば、例えば日本が第3国から不当な攻撃を受けた場合、自衛隊が米軍と共同で日本防衛にあたることを意味し、であれば日米安保条約によって日本はいつでも集団的自衛権を行使できることになるはずだ。
が、新安保条約によってアメリカには日本が不当な攻撃を受けた場合、自衛隊と共同で日本を防衛する義務が生じたが、トランプが大統領時代にいみじくも発言したように「アメリカは血を流して日本を防衛する義務があるが、アメリカが第3国から攻撃されても日本人はソニーのテレビを見ているだけだ」という片務的要素がある。安倍はこの片務性を解消して双務的な関係にしたかったのかどうかは不明だが、日本も密接な関係にある国が第3国から攻撃を受けた場合、その国の防衛に軍事的協力ができるように解釈を変更したのが安保法制である。だが「平和の党」を自負する公明党の抵抗があって集団的自衛権の行使は「日本が存亡の危機に直面した場合」という条件が加えられたが、吉田が憲法制定国会で「近年の戦争の多くは自衛の名において行われた」と答弁したように、「日本が存亡の危機にあるか否か」はその時の政府の解釈次第でどうにでもなってしまう。
憲法ですら「解釈改憲」がまかり通る日本だから、法律にすぎない安保法制なんか政府がどうにでも解釈できる。そもそも「日本存亡の危機」と国民が判断できる基準が示されていない。国民が判断できないことを政府が勝手に判断できる法律だ。

●なぜ日本はアメリカのアメリカ防衛の田茂の自衛隊基地を作らないのか
前項で書いたように、前米大統領のトランプは日米安保条約の不平等性を訴えた。トランプの指摘はもっともだし、私もその通りだと思う。アメリカだけが日本防衛の義務を負い、日本はアメリカ防衛の義務を負わないのは明らかに不平等であり、そのため日本はアメリカの属国にならざるを得ない。
「在日米軍基地は日本防衛のためだけでなく、アメリカの覇権を維持する目的もあるから、日本が一方的に借りを作っているわけではない」という反論もある。しかし、この反論をアメリカは認めていない。
だったら、以前にも私はブログで書いたようにアメリカ防衛のための自衛隊基地をアメリカに作れと主張してきた。もちろんアメリカのどこに自衛隊基地を作るかは在日米軍基地と同様、日本が決める。地位協定も在日米軍が日本に押し付けた内容と全く同じにする。日本もアメリカを防衛するために血を流す用意があることをアメリカ人に知らしめるべきだ。
ただし、米軍が日本防衛の義務を行使する条件は、日本が第3国から不当な攻撃を受けた場合に限られており、日本の都合で第3国と戦争を始めた場合には安保条約は適用されない。同様に、自衛隊が軍事行動に出る場合はアメリカが第3国から不当な攻撃を受けた場合に限られる。アメリカの覇権主義を自衛隊が支援する必要は全くない。
ただし、その場合も本来は憲法9条に抵触すると、私は思う。私はそう思っているが、安倍が成立させた安保法制の解釈次第では「日本の唯一の同盟国であり、日本防衛の責任を負ってくれているアメリカがもし戦争に負けたら日本存亡の危機だ」という解釈が成り立ちうる。そういう解釈を前提にすれば、アメリカ防衛のために自衛隊基地をアメリカの作ることも憲法違反にはならない。
ただ問題は、自衛隊基地の設置と地位協定をアメリカが受け入れるかだ。誇り高いアメリカが日本に守ってもらう自衛隊基地設置を認めるわけがない。
日本がそういう提案をアメリカにぶつけたら、アメリカが喜ぶわけがない。当然拒否する。が、そういう状況を作ることが今の日本にとって最大の安全保障策なのだ。
なぜか。いま日本を敵視し、日本を侵略したいと考えている国が世界にあるだろうか。北朝鮮は核・ミサイル開発に狂奔しているが、日本を攻撃するためではない。しいて日本と敵対しようとする国は韓国だけだが、韓国も反日政権と親日政権が入れ代わり立ち代わり状態だから日本を攻撃したりはできない。
政府は「いま日本は戦後、最も危機的な状況にある」と主張しているが、そのリスク要因は在日米軍基地にある。これまでもアメリカはイラク戦争にしろアフガニスタンのタリバン政権攻撃にしろ、自国にとって気に入らない国には必ずしも正当性がない攻撃も行ってきた。古くは朝鮮戦争もベトナム戦争も、アメリカが攻撃されたわけでもないのにアメリカの言いなりになる国を増やすために戦争をしてきている。その成功例が唯一、日本だけだ。
そういうアメリカの戦争ビヘイビア原理は広く世界から知られている。そのため、アメリカのご機嫌を損ねて戦争を仕掛けられた国は、自国防衛の手段として米軍基地を攻撃する。そしてアジア最大の米軍基地は日本とグアムに集中しているから、アメリカがアジアの国(はっきり言えば中国と北朝鮮)と戦争を始めた場合、日本の米軍基地が真っ先に攻撃対象になる。つまり、現在の日本の安全保障上の最大のリスクは在日米軍基地の存在なのだ。
私は日本の米軍基地を全廃しろなどと主張しているわけではない。日本にとって安全保障上の大きなリスクにならない程度まで縮小すべきだと考えているだけだ。そのためにもアメリカに自衛隊基地を作らせろとアメリカに要求すべきだというのが私の考え。
すでに述べたように、誇り高きアメリカが日本に守ってもらうなどという提案を受け入れるわけがないから、そこで日本もアメリカの言いなりにならず、日本防衛に必要な場所と規模に限定して、アメリカの覇権維持のための基地は全廃してもらう。そう日本が主張できる根拠が生じる。
政治家だけでなく日本国民の多くも「日本はアメリカに守られている」と思い込んでいるようだが、実は在日米軍基地の存在が今の日本にとっては安全保障上の最大にリスク要因になっていることにそろそろ気づいてもいいのではないか。アメリカが血を流しても日本を守ってくれるわけがない。

●北朝鮮の核・ミサイルは日本を標的にしたものではない
実際日本を敵視している国が今どこにあるか。韓国はしばしば親日政権と反日政権が交互に誕生したりしているが、日本を相手に事を構えようとまでの反日政権ではないし、また韓国民が対日戦争を認めるわけもない。そもそもアメリカが絶対に阻止する。
では日本政府が「日本にとっての危機」と認識している北朝鮮、中国はどうか。少なくともロシアは日本との平和条約締結を熱望しているくらいだから危機の対象ではない。
まず北朝鮮の核・ミサイル開発やミサイル発射実験は日本にとって本当に危機なのか。2017年9月28日の臨時国会冒頭、安倍総理(当時)はその直前に北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイル発射実験を行ったことを奇貨として「国難突破解散」に打って出た。
この臨時国会ではモリカケ問題をめぐって安倍総理の「お友達優遇」政策が追及されることが必至で、当時の安倍内閣の支持率は急降下している時期だった。そういう時期に日本国民の感情を逆なでするようなミサイルを北朝鮮が発射したことにメディアも一斉に反発、解散後の衆院選では自民党が圧勝して「安倍1強体制」が確立されたという経緯がある。
が、北朝鮮は日本を挑発したり威嚇したりするために核・ミサイル開発に狂奔したり実験を行ったりしているわけではない。そもそもレーガン米大統領が格別な根拠もないのに北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと敵視発言を繰り返して北を挑発したことに北が反発したのが原因である。
しかも北にとって中国は「兄貴分」ではあっても同盟関係にはない。現に北の金正恩は「日本や韓国はアメリカの核の傘で守られているが、我が国は自力でアメリカの核の脅威から守らざるを得ない」と何度も発言している。中国が「弟分」の北をなぜ自国の核の傘で守ってやろうとしないのかは、かつての毛沢東と金日成の思想的確執にある。
戦後、旧ソ連の支援を受けて朝鮮半島北部を支配した金日成が半島すべてを共産化しようとして南部を支配していた韓国に攻め込んだのがきっかけで朝鮮戦争が始まった。
当初は北が優勢で韓国の首都ソウルを占領するなど攻勢を強めていた。中国での共産革命時には蒋介石政府を支援できる余力がなかったアメリカだが、この時は日本を占領していた「国連軍」(実態は米軍)を根こそぎ朝鮮半島に動員、戦況は一変した。そういう状況の中で北支援に乗り出したのが毛沢東で、米中間の直接的な軍事衝突を避けるため志願兵と称した軍事支援だった。戦争は3年余にわたって行われたが、1953年7月27日に休戦協定が結ばれて戦争状態はいちおう終結した。
56年2月、旧ソ連のフルシチョフがスターリン批判をはじめて西側との平和共存路線を提唱、これに毛沢東が猛反発、中ソ間に亀裂が生じだした。60年4月には人民日報が『レーニン主義万歳』論文を掲載、中ソの対立が決定的になる。その結果、中ソの板挟み状態に陥ったのが北というわけだ。
金日成は61年7月、中ソの双方と友好条約を締結すると同時に、中ソ対立には中立的立場を表明、さらに思想的にも「自主・自立・自営」をモットーとする「主体思想」を提唱して中ソとの間に一定の距離を置く政策をとった。その結果、中国は北に対して食糧など経済的支援は行うが、軍事的には同盟関係を結ばずに今日に至っている。もし中国が北と軍事同盟を結んで北を核の傘で守る姿勢を鮮明にしていたら、金正恩政権も国民生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に狂奔することはなかっただろう。
そのうえすでに述べたように韓国は親日政権と反日政権が交互に誕生するような状況にあり、その政権のスタンスが北との関係にも反映されてきた。具体的には親日政権は反北政策を重視し、逆に反日政権は親北政策をとるという構造になっている。そして親日政権は米韓軍事演習を強化して北への挑発を繰り返し、反日政権は北への挑発を極力控えてきた。
そういう状況の中で北が行っている核・ミサイル開発や実験が日本を標的にしたものでないことは明々白々である。ただ、北の地政学的状況からアメリカ本土まで届くミサイルの発射実験を行う場合、津軽海峡上空以外に方向がない。日本が仮にミサイルを開発して、かなり長距離の発射実験を行う場合、どこからでもまたどの方向でも他国の領海域上空に向けた発射実験をする必要がないが、北の場合は選択肢が全くない。
そういう状況を理解したうえで、何らかの事故が起きないという保証はないのだから、日本政府としてはいたずらに「北の脅威」をがなり立てるのではなく、いかにこの地域の平和と安全を守るかという視点で解決策を講じるべきだろう。具体的にはアメリカに過度な北挑発の抑制を求め、北に核・ミサイル開発の口実を与えないことだ。核禁条約に反対して核不拡散条約を支持している日本政府の役割は「核保有国と非保有国の橋渡しをすること」だそうだが、本気で「橋渡し」をする気があるのであれば、まず米北関の「橋渡し」をすることだ。そのためにはアメリカに対しては「いたずらに北を挑発するようなことはやめてくれ。北がアメリカの挑発に乗った場合、北の核のリスクにさらされるのは日本と韓国だ。アメリカはそういう事態を同盟国に対して望んでいるのか」と主張すれば、アメリカも否定できなくなる。
一方北に対しては「実際に米北戦争になったら北は滅亡する。資金や技術力ではできるだけ日本も協力するから、核やミサイル開発など国民生活を犠牲にするような政策は辞めて、国民生活が豊かになるような経済発展を目指すべきだ」と説得するべきだ。
それが日本が果たすべき「橋渡し」だし、その結果として日本国民も北の核・ミサイルを脅威に感じなくて済むようになる。

●米中の覇権主義衝突も、日本が「橋渡し」すべきだ
北朝鮮の核・ミサイル以上に日本にとって大きなリスクは米中の衝突だ。台湾有事は日本有事だという「安倍のマジック」にメディアも国民も引っかかっているが、台湾問題はあくまで中国の国内問題だ。
1978年、アメリカはキッシンジャーの根回しによって日本の頭越しにニクソンが訪中して毛沢東や周恩来と会談、「台湾問題は中国の国内問題」を意味する「一つの中国」で一致、米中国交正常化を実現した。米中共同声明では「アメリカは中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と明記している。慌てて日本も田中角栄首相が訪中、周恩来と会談(毛沢東は会ってもくれなかった)、アメリカと同様「一つの中国」を認めて国交回復した。
が、アメリカは翌79年、議会がニクソンの「一つの中国」承認を事実上ひっくり返してしまった。「平和的な手段以外で台湾の将来を決定しようとする試みは地域の平和と安全にとって脅威だ」との決議を採択、台湾への武器供与など同盟関係の継続を承認した。その結果、台湾問題に関するアメリカのダブル・スタンダードが始まる。
もちろん現在の台湾問題は習近平による膨張政策と覇権主義の強化に端を発していることは言うまでもない。国際的にも中国領土と認められていない南沙諸島(南シナ海)を強大な軍事力によって実効支配に踏み切り、軍事拠点化によって東南シナ海地域への支配力を強化しようとしている。
そうした習近平・中国の覇権主義に対してアメリカが指を咥えてみているわけがない。まして台湾問題に関しては微妙なスタンスをとっており、中国の台湾への軍事侵攻は絶対に認めないという立場だ。
問題はこうした米中の対立の中で日本はどういう外交スタンスで臨むべきかだ。明確な根拠もなく「台湾有事は日本有事だ」と国民を煽り立てることは百害あって一利がない。
もちろん「台湾有事」はあってはならないことだ。だいいち、中国が軍事侵攻を強行しようとすれば、ウクライナ戦争の二の舞になりかねないことくらい、習近平も百も承知しているはずだ。
習近平は香港での民主派一掃経験から台湾支配にも自信を深めているかもしれないが、日本のメディアも勘違いしているようだが香港の「一国二制度」状態は変わっていない。香港政庁はいまでも香港政府として存続しているし、現に香港の法定通貨は「香港ドル」である。中国本土の州政府とは一線を画している。先ごろ閉会した全人代にも香港代表は参加していない。
そうした対香港政策と同様、習近平も「一つの中国」を実現した場合でも香港と同様の「一国二制度」にするつもりではないか。いったん、台湾の独立性は承認しつつ、香港のように親中国派が権力を掌握するのを待って民主派一掃に乗り出すと考えられる。
このような「一国二制度」での台湾の中国化が実現するか否かはもちろん不明だが、いずれにせよ台湾の人たちが決めるべきことだ。
もちろん「台湾有事」はあってはならないことだし、日本も対岸の火事扱いして傍観することは不可能だ。実際、「台湾有事」にアメリカが軍事介入した場合、米軍兵力は沖縄の米軍基地から派遣される。
いま日本でも「敵基地攻撃は自衛権の範囲だ」と主張する政治家が増えているが、「攻撃は最大の防御」(孫氏の兵法)は戦争の常識。もし米中軍事衝突が生じた場合、中国は沖縄の米軍基地を攻撃する(沖縄以外の基地からも米軍が出動すれば、火だるまになるのは沖縄だけではない)。そういう事態を避けるためにも、日本は米中間の橋渡しを外交の基本路線にすべきだろう。
実際、米中のどちらが軍事的に勝利して東南シナ海周辺の覇権を掌握したとしても、双方が受ける打撃は取り返しがつかないほど大きなものになる。それにアメリカも中国も、日本と同様経済関係は極めて深くなっている。敵対関係に陥った場合、失うものの大きさを考えたら派遣を掌握することによる利害得失をはるかに超える。
近頃中国を訪問したフランスのマクロン大統領は「アメリカの同盟国はアメリカの下僕ではない」と台湾有事に対する独自の立場をとることを表明したが、少なくとも日本政府もアメリカにしっぽを振るだけでなく、米中間の橋渡しに積極的な役割を果たすことで、この地域の平和と発展に貢献すべきではないだろうか。

●最大の安全保障策は敵国を作らないことに尽きる
言うまでもないが、最大の安全保障策は一切敵国を作らないことである。日本を敵視する国がなければ日本の平和と安全は保たれる。
いま岸田政権は軍事的防衛力の強化に必死になっている。が、仮に中国と軍事的衝突するような事態になった場合、日本はどの程度の軍事的防衛力を備えれば平和と安全を守れるだろうか。どんなに軍事力を強化しても日本に勝ち目はない。
少なくとも現時点で中国は日本を敵視してはいない。が、中国を日本政府が「仮想敵国」視して軍事力を強化すれば、当然のことだが中国の対日感情は悪化する。自公政権は「台湾有事は日本有事」と軍事力強化の口実にしているが、台湾有事が日本有事になるとしたら、台湾有事にアメリカが軍事介入し、在日米軍が対中軍事行動に出た場合のみである。その場合、中国は自衛隊基地を攻撃したりはしないが沖縄などの米軍基地は間違いなく攻撃対象になる。
そして米中衝突に自衛隊が米軍支援の軍事行動に出れば、中国は当然自衛隊基地も攻撃対象にするだろう。
ということは日本の平和と安全に寄与するために設置されているはずの米軍基地の存在が、いまや日本にとって最大の安全保障上のリスク要因になっていることを意味する。現に朝鮮戦争の時、在日米軍は根こそぎ動員され、日本は丸裸になった時期がある。当時は旧ソ連も原爆開発にまだ成功していなかったため、日本侵略の野望を抱かなかったが、もし旧ソ連が原爆開発に成功していたら日本に手を出していた可能性がかなりあったと私は思っている。実際、マッカーサーもこの時期の旧ソ連の対日侵略の可能性について強い危惧を持っていたようで、のちに自身の『回顧録』でこう記している。
「(在日米軍を根こそぎ朝鮮半島に動員した場合)日本はどうなるのか。私の第一義的責任は日本にあり、ワシントンからの最新の指令も『韓国の防衛を優先させた結果、日本の防衛を危険にさらすようなことがあってはならない』と強調していた。日本を丸裸にして、北方からのソ連の侵入を誘発しないだろうか。敵性国家が日本を奪取しようとする試みを防ぐため、現地部隊を作る必要があるのではないか」
この『回顧録』でマッカーサーが記した「現地部隊」とは今日の自衛隊であり、日本の再軍備化を示唆したものである。在日米軍は状況によっては「日本防衛の第一義的責任」を放棄してアメリカの東南アジアにおける覇権維持を優先することが明確になったと言えよう
仮に中国が台湾支配に乗り出したとしても、習近平は香港の外国資産には一切手を付けなかったように、台湾の日本企業やアメリカ企業など外国の試算や事業には一切手は出さない。仮に台湾海峡に中国の覇権が及んだとしても中国との友好な関係を継続する限り日本船舶航行の自由が脅かされるようなことはあり得ない。
アメリカが台湾防衛を重視するのはアメリカの勝手だが、日本が巻き込まれる必要は全くない。そういう意味では日本政府は米政府に対して「アメリカが軍事行動に出る場合、少なくとも在日米軍基地からの直接出動はしないでくれ。どうしても在日米軍を出動させるというなら、いったんグアムなどの米軍基地に移動したうえで作戦を展開してくれ。日本は憲法上も日本が直接攻撃対象になっていないのに自衛隊が米軍に協力して軍事行動に出ることは認められていないし、国民も許さない」と強く申し入れるべきだ。
もちろん台湾有事に際して日本がとるべき最善の外交手段は前項でも述べたように米中間の「橋渡し」をして、日米中が協力して東南アジアの平和と安全、東南アジア諸国の繁栄と経済発展に貢献すべきだと提案することだ。そのうえで台湾の帰趨は台湾の人たちが最終的に決めることと、米中の軍事的覇権争い
に歯止めをかけるよう最大の努力をすべきだろう。
 このように日本がアメリカと対等の立場を形成してアジアの平和と繁栄に貢献できるようになって初めて、「もはや日本は戦後ではない」と胸を張れるのだ。
日本がアメリカの「忠犬ハチ公」の状態を継続している間は、「日本の戦後はまだ終わっていない」と言わざるを得ない。














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