小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

緊急投稿 とうとうアメリカが日本を「51番目の州」と認識していることが判明した。

2015-09-24 13:56:29 | Weblog
「パンドラの箱」を開けざるを得なくなった。 
 21日から『安保法案成立の意味を改めて検証する』というタイトルで連載ブログを始めたばかりだが、その始めたばかりの連載ブログに割り込んで書かざるを得なくなった。したがって、連載ブログの2回目を予定していた28日はパスして、10月5日(月)から再開する。私のブログの閲覧者は週末に集中する傾向がある。21日に投稿したブログも今閲覧者数が急上昇しているので、割り込むことに若干の躊躇があったが、この問題は先送りできないと思ったので、あえて緊急投稿することにした。21日のブログをまだお読みになっていない方には申し訳ないが、このブログを読んでいただいた後で読んでいただきたい。
 結論から先に書く。
 アメリカにとって、日本は米合衆国の51番目の州であることが明確になった。もちろん日本政府が米合衆国の51番目の州だと認識しているわけではない。米政府が勝手に日本に対してそういう扱いをしている実態が、米国務省トナー副報道官の発言で明らかになったという意味だ。
 岸田外相はプーチン大統領の年内の訪日環境整備のため訪ロしたのだが、日本の外交に対してトナー氏は「ロシアがウクライナ東部で停戦合意を守っていないことを考えれば、ロシアと通常の関係に戻るべきではないと確信している」と日本の対ロ外交を批判した。
 あらためて確認しておくが、安保法制を安倍政権が打ち出した理由は「日本の安全保障環境の変化」に対応するためだったはずだ。そして安全保障環境の変化の根拠として上げたのが「中国の海洋進出と北朝鮮の軍拡」だった。
 しかし、北朝鮮の軍拡はアメリカから「悪の枢軸」(テロ支援国家)と決めつけられ、実際イラク戦争のケースもあったため、いつアメリカから攻撃されるかわからないという恐怖に基づく「自衛力の強化」であり、日本に対する敵視政策なんかではない。
 また中国の海洋進出はフィリピン国民の「地位協定」への反発の激しさから、フィリピン政府が米軍基地の撤去をアメリカに要請、米軍基地という防波堤がなくなった間隙を絶好のチャンスととらえた南シナ海への海洋進出であり、仰天したフィリピン政府がアメリカに「戻ってきてください」と頼み、米軍基地が復活したとたん中国は南沙諸島の軍事基地建設をやめている。だから、これも日本に対する敵視政策とは考えにくい。
 またいいか悪いかは別にして、中国に急接近して、9月2~4日に中国が行った「対日戦争勝利70周年記念式典」に出席した韓国の朴大統領に対しては、オバマ大統領は「止めなさい」とは命令しなかった。韓国も「基地協定」に対する国民の反発が強く、米軍基地をかなり減らしつつある。フィリピンも韓国も、独立国=主権国家としての矜持を失っていないから、アメリカも51番目の州扱
いにはできない。戦後、独立後も主権国家としての矜持をすっかり失った日本
だからこそ、アメリカは唯一の51番目の州と見なし続けているのだろう。
 そうした傾向はオバマ大統領と安倍総理の姿勢に顕著に表れていると言ってよい。靖国神社参拝についても、中曽根総理や小泉総理は何回も参拝しているが、その当時の米政府は「失望した」などと失礼極まりないコメントを出したりしていない。今回のトナー氏の日本の外交政策に対する「命令」も含めて日本に対する「内政干渉」もいいところだ。
 おそらく、韓国政府やフィリピン政府が、日本の状況のような立場で、アメリカからそういった内政干渉を受けて、もし従う場合があれば、中国の習近平主席のアメリカ訪問に対して「中国は我が国にとって安全保障環境を変化させ脅威を増大させている国だ。そんな国の首脳の訪米を認めるべきではない」とオバマ大統領に食って掛かっているはずだ。それが主権国家の矜持というものだろう。戦争に負けて70年。いまだ日本人は日本人としての誇りを失ったままでいいのか。

 ロシアを訪問した岸田外相がロシアのパブロフ外相と会談したのは現地の午後(日本で会談終了後の二人の記者会見を私が最初に見たのはテレビ朝日の『報道ステーション』)。その記者会見での二人の会談内容説明は完全に食い違った。
 パブロフ「会談で北方領土の話はまったく出なかった。北方領土は第2次世界大戦でロシアが正当に得た戦果だ」
 岸田「会談の半分は北方領土問題に費やされた」
 要するに、ロシアは北方領土の返還はまったく考えていないという姿勢に転換したということである。
 1956年10月19日、モスコワを訪問していた鳩山一郎首相と旧ソ連のフルシチョフ第1書記との間で日ソ共同宣言が発表され両国の国交が回復することになった。その宣言に盛り込まれた内容は、「国交回復を先行し、平和条約を締結後、ソ連が北方四島のうち歯舞群島と色丹島を引き渡す」というものだった。ソ連が北方領土問題について初めて譲歩の姿勢を示した瞬間である。
 が、その後の日ソ交渉はとん挫した。日本政府が四島一括返還でなければダメだ、と鳩山外交に反発したからである。
 日本のメディアはこの共同宣言に盛り込まれた内容を正確に報じなかった。日本のメディアは政府や国民の強硬姿勢に屈したのかどうかは分からないが、「引き渡す」と書かれた共同宣言の意味を「返還」と報じた。日本側にとっては、ある意味正当な表現と言えなくはなかったが、ソ連側の認識は「返還」で
はなく「譲渡」だった。ボタンのかけ違いはこのときも、こうして生じた。
 日本側が北方領土を「日本固有の領土」と主張し、ソ連が「戦争で勝ち取っ
た正当な戦果」という認識を変えない以上、ソ連が崩壊していちおう自由主義
グループ(必ずしも民主主義を意味してはいない)の一員になっても、ロシアとの交渉が一歩も前進しなかったのは当然と言えば当然である。
 今回の日ロ交渉は2013年4月に安倍総理が訪ロ、プーチン大統領と首脳会談を行ったことから始まる。そのとき、ロシア側からボールを投げかけてきた。
「北方領土の解決と日ソ友好条約の締結交渉を進めたい」という、日本にとってはタナボタとも言える提案だった。が、その当時、すでにウクライナでは大きな政変が生じつつあった。

 ウクライナがロシア帝国に征服されたのは1783年である。ロシア革命後もウクライナはソ連邦に組み込まれたままだった。ロシア帝国時代からクリミア半島を始めウクライナ東部にはロシア人の入植が続いていた。ウクライナ東部は地下資源も豊富で、農業も盛んだった。事実上ウクライナ経済を支えてきたのはロシア系民族が多数を占める東部地域だった。
 ソ連が崩壊し、ウクライナが独立した後も代々のウクライナ大統領はほぼ親ロ政策を継続していた。が、最後の親ロ派大統領になったヤヌコーヴィチ氏が失脚し、暫定政権が親EU政策を取り出したため東部地域のロシア系民族が反発、その先陣を切ってクリミア自治共和国(国家内国家)が住民投票を行いウクライナからの独立を宣言、さらにロシアへの編入を決定し、ロシアも受け入れた。このクリミア自治共和国の独立に刺激を受けてドネツク、ルガンスクの東部2州がやはり住民投票で独立を決定(この住民投票はクリミアと違い、不正があった可能性が高い)、ウクライナの新大統領に選出されたポロシェンコ氏が独立を認めず、東部の独立派住民との間で武力衝突が生じ、ロシア軍兵士が独立派支援の軍事行動に出た。ロシア政府は「休暇中の兵士の自由行動で、ロシア政府は軍事的関与をしていない」と主張したが、いかなる国も「休暇中」の兵士が勝手な軍事行動を行うことなど認めたりしていない。日本の自衛隊員も、思想信条の自由は保証されているが、思想信条に基づく勝手な軍事行動は、たとえ休暇中といえど許されていない。そんなことを認めたら、軍隊の鉄のピラミッドとも言える指揮命令系統が崩壊してしまう。ロシア政府の言い訳は屁理屈にもならないことだけ付け加えておく。
 ロシアが資源大国であることは周知の事実だが、EU諸国は日本と同様エネル
ギー資源に乏しい国が多い。EUで最大の先進工業国であるドイツも隣国のフラ
ンスから電力を輸入している。ドイツに電力を供給しているフランスも、天然エネルギー資源が豊富なわけではなく、世界最大の原発大国として電力を農産物や観光業とともに大きな経済力にしている。
 一方ロシアはウクライナで親ロ政権が続いていた間、ウクライナには国際相
場(EUへの輸出価格と考えてもいいと思う)の約2割の安価で提供していた。
が、ウクライナの政変により、ロシアはウクライナへの優遇処置を止めることにした。つまり天然ガスの供給価格を5倍に引き上げたのだ。これで悲鳴を上げたのがポロシェンコ政権。ロシアへの支払が出来なくなってしまった。で、ロシアは、滞っている債務を返済するまで、ウクライナへの天然ガスの供給をストップすることにした。
 こうしたウクライナ問題に、関係のないアメリカがまたしても割り込んできた。G8からロシアを村八分にして、ロシアへの経済制裁を始めたのだ。当然のようにアメリカは、日本などの同盟国や友好国にも対ロ制裁を行うよう要求した。安倍内閣も一応G7(ロシアを排除したためG7になった)で足並みを揃えることにしたが、日本の対ロ制裁は比較的緩やかで、オバマ大統領にとっては満足できるものではなかった。ウクライナ東部独立派の背後にロシアが控えていなかったら、おそらくアメリカはウクライナ政府の要請に応じる形をとって軍事介入をしていただろう。実際、シリアの国内紛争にも屁理屈をつけて軍事介入を続けている。IS(「イスラム国」)にはロシアや中国のような軍事大国が後ろ盾になっていないからだ。
 それはともかく、ロシアのウクライナへの天然ガス供給ストップで困ったのがロシアの天然ガスが輸入できなくなったEU諸国。ロシアは天然ガスをEUにパイプラインで供給しており、そのパイプラインはウクライナ国内を経由している。で、ドイツやフランスの首脳が和平工作に乗り出したというわけだ。つまり、EUはアメリカと、オバマ大統領の命令でロシア制裁を始めた日本などを2階に上げて、はしごを外してしまったというわけだ。

 ざっとウクライナ問題について書いたが、プーチン大統領が日本にタナボタのような提案をしてきた背景にはこうした事情があった。
 さらにプーチン大統領にとっては、日本との友好関係を密にしたい事情もあった。ロシアは基本的には農業国であり、先進工業力は軍事部門と宇宙ロケットを除けば、工業分野の技術力は「新興国並み」とまで言うと言いすぎかもしれないが、せいぜい新興国に毛が生えた程度で、日本などの工場進出の恩恵で「世界の工場」の地位を築いた中国には大きく差をつけられている。
 つまり、日本の高度技術製品の製造工場を誘致し、先進技術を導入したいと考えたことが一つ(つまり工業国家の仲間入りが目的)。さらに、ロシア東部(シベリアや樺太など)に眠る地下資源(石油・天然ガスなどのエネルギー資源や先端製品の製造に欠かせない希土類や稀金属などの資源が豊富に眠っていると見られている)を開発するための資金や技術協力を日本に求めたかったこと。
 こうしたプーチン大統領が投げかけてきたボールの意味を、安倍総理は理解
できなかったようだ。ただ表向きの交渉内容である北方領土問題の解決と日ロ
平和友好条約の締結さえ実現できれば、日本の歴史に名を残す総理大臣の一人になれるとは考えたようだ。で、モスクワを訪問してプーチン大統領から思いがけないお土産を貰って有頂天になり、翌14年2月にはソチ五輪開会式に出席、プーチン大統領との首脳会談も行った。
 が、オバマ大統領の恫喝に震え上がって、安倍内閣が少しずつ対ロ制裁を強めだしたため、プーチン大統領はメドベージェフ首相に北方領土を訪問させるなど、日本への牽制球を投げ始めた。その意味が安倍総理には理解できなかったようだ。
 はっきり言って、いま日本は米ロの板挟み状態にある。そのことくらいは安倍総理も理解はしていると思う。が、安倍総理はどういう外交政策をとることが日本の国益にとって最も有利か、という外交の基本軸を完全に見失っている。
 私は昨年7月31日、8月1日の2日にわたって『ウクライナ戦争で、日本が対ロ制裁を強化することは国益上プラスかマイナスか』と題するブログを書いた。オバマ大統領の顔色をうかがいながらの外交が、いかに「日本の存立基盤を危うくするか」、よーく考えてもらいたい。

 最後に「イタチの最後っ屁」。安保法制問題で、安倍総理は「ホルムズ海峡が封鎖されたら日本の存立基盤が危うくなる」ことを安倍内閣新解釈の「集団的自衛権行使」の新三要件の例として挙げたが、ロシアがウクライナ政府に対する制裁として行った「パイプラインでの天然ガスの供給停止」はEU諸国にとっては「存立基盤が危うくなる事態」のはずだが(安倍内閣解釈によれば論理的にはそういう結論になる)、EU諸国はこの事態に対して安倍内閣解釈による「集団的自衛権」は行使しなかった。もう少し、国際社会で生じている現実の事態との論理的整合性を大切にしてもらいたいですな…。
 
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安保法案成立の意味を改めて検証する。①

2015-09-21 09:19:22 | Weblog
 呆れ果てて物も言えない…とはこういうことを意味する慣用句なのか。言うまでもなく参院特別委での強行採決のことである。
 でも、私は物を言わせてもらう。
 私は先週、連日NHK総合テレビの「特別委ナマ中継」をかじりついて見ていた。NHKは新聞のラテ欄で発表していた放送予定番組を次々に中止して(それもテロップでのインフォメーションすら入れず)、特別委を延々ナマ中継した。NHKが独占放映権を持ち、中継を義務付けられている大相撲でさえ、16日には放送開始を17時05分という異例の放送開始にしたし、17日にはテロップで大相撲の放送についてのみ15時からBS1で、16時からはEテレで放送しているというインフォメーションを流した。しかも16日の放送では(17日は確認していない)テレビ画面に表示される「番組表」ボタンでは現在放送中の番組については「ニュース」と表示されていたが、ラテ欄の番組表示は残されたままで、ラテ欄で放送する予定にしていた時間(たとえば4時00分00秒)になるまで放送予定番組が表示されていた。そして4時ジャストになった瞬間、テレビ画面の「番組表」の表示を「ニュース」に変えるという、おおげさに言えば「クーデター」的手法で国会中継を続けた。17日に至っては、すでに述べたように大相撲放送はBS1やEテレで放送しているというテロップを流していたが、与党が16時半過ぎに私が「呆れ果てて物も言えない」ような強行「採決」に踏み切って可決したが、それでもNHKは17時10分までインタビューや記者の解説、「採決」瞬間のシーンの録画放送を繰り返し、17時10分になってようやく大相撲の中継を総合テレビに切り替えた。もし野党の追及が手厳しく強行採決がずれ込んでいたら、NHKはおそらく総合テレビでは大相撲中継をまったくしないという、前代未聞の放送体制をとっていたと思う。
 菅官房長官は5党が賛成したので強行採決ではない、と「採決の正当性」を強調しているが、これはひどいレトリック手法だ。いや、レトリックとも言えない屁理屈だ。菅氏の「採決」についての主張は「単独採決ではなかった=強行採決ではなかった」という中学生並みの思考によって導いたものにすぎない(中学生の諸君にゴメン。中学生なら、それほどバカではないよね)。
 改めて「強行採決」の意味を明らかにしておくが、「強行採決とは国会などで与野党による採決の合意が得られず、少数派の議員が審議の継続を求めている状況で、多数派の議員が審議を打ち切り、委員長や議長が裁決を行うことである」(ウィキペディアによる)というのがメディアや国民が等しく理解している「強行採決」の意味である。日本や欧米先進国などがいちおう言葉として共有している「民主主義」の概念も、実は各国によって、とくに支配層(政治の世界では政権与党)にとって都合よく解釈されており、国会での強行採決がしばしば行われるのは欧米先進国では日本だけである。日本を除く欧米先進国は国会での採決には議員に「党議拘束」をかけない。先週のブログでは米オバマ大統領がTPP交渉の権限の大幅拡大を可能にしたケースについて書いたが、もし日本のように党所属議員に党議拘束をかけていたら、TPP交渉は完全に暗礁に乗り上げる結果になっていただろう。

 私はこれまで数十回にわたり安保法制の意味を様々な角度から分析してきた。間接民主主義(代表制民主主義と言われているが、では代表制ではない「非代表制民主主義」という政治システムがあるのかという疑問があるので、私はあえて間接民主主義と定義してきた)である日本の政治システムでは、与党が衆参で多数を占める以上、安保法制が可決されることは間違いないとは思っていた。もし与党が参院での採決を行わず、60日ルールに踏み切らざるを得ない状況に追い込まれていたら、国内で「参院無用論」が一気に高まり、国民の反対運動はさらに激化し、法案は通っても安倍政権はその混乱の責任をとって内閣総辞職に追い込まれていた可能性がかなり高かったと思う。衆参両院で少数派の野党の戦いの目的は、ありとあらゆる手段を使って国内世論を盛り上げ、参院での採決を不可能にし、与党に60日ルールを使わざるを得ない状況に追い込むことだった。
 実はそうなったケースの前例がある。旧安保(吉田内閣が批准)を改定して新安保(現在の安保条約)を、安倍総理の祖父にあたる岸総理が参院での可決が不可能な状態になり、「自然承認」という60日ルールと同様なやり方で批准した結果、政界が大混乱に陥り、岸内閣が総辞職に追い込まれたことがある。
 私は先週投稿した長文のブログで、「日本型民主主義」はいびつだと決めつけた。民主主義についての解釈は国によってさまざまである。日本のメディアや政治家たちは「民主主義国家の普遍的概念」と錯覚しているようだが、では北朝鮮や中国も民主主義国と認めるのか。中国も一応選挙で立法府(全国人民代表大会=全人代)の議員を選出しており、北朝鮮に至っては正式な国名を「朝鮮人民民主主義共和国」としている。日本のメディアや政治家は、中国や北朝鮮も「民主主義国家」と認めるのか。

 いずれ、国会で採決された安保法制は法廷で「違憲」判決が出ることはほぼ間違いないと思われるが、その根拠について改めで総括的かつ論理的に検証してみよう。「違憲訴訟が受け付けられない可能性」も一部から指摘されているが、専門家である憲法学者や弁護士が訴訟を起こし、さらに元最高裁長官や判事までが「違憲法案」と断定している訴訟を裁判所が受け付けないということになると、日本の裁判制度そのものへの国民の信頼感が根底から崩壊しかねない。仮に地裁や高裁が「憲法問題はこの裁判所では扱えない」と訴訟を受理しなか
ったら、訴訟団は地裁、高裁を飛び越して最高裁に上告できるわけで、そうな
れば来年の参院選の前に最高裁の「違憲判決」が出る可能性が生じる。

 順次、安保法制成立の経緯と問題点を検証していく。
 まず安倍総理が私的懇談会の「安保法制懇」を再開(2013年2月)した目的は「日本を取り巻く安全保障環境が激変しており、抑止力を高めるために憲法解釈を変更して集団的自衛権行使ができるようにする」ということだった。ここで私が「再開」と書いたのは、第1次安倍内閣(2006年9月~2007年8月)のときすでに「安保法制懇」は首相官邸に設置されていたからで、この「第1次安保法制懇」が設置されてから相当の年月を経過している。いったい「第1次法制懇」のときの「日本を取り巻く安全保障環境」と「第2次安保法制懇」が報告書を提出した昨年と、どれだけ「日本を取り巻く安全保障環境」が変わったのか。そのことを追及しなかった野党もだらしがなかったと言わざるを得ない。(以下「第1次」、「第2次」と略す)
 実は「第1次」の目的も、「日本の安全保障環境の変化に対応して集団的自衛権行使が出来るよう憲法解釈の変更を行えるよう理論武装をすること」だった。「第1次」は2007年5月から8月までに会議を5回開いたが、安倍総理(当時の)が病で辞任して以降、後継内閣の福田内閣から野田民主党内閣に至るまで「第1次」は1回も会議をしていない。事実上の「解散」である。正式に内閣が設置した有識者会議であれば、内閣が代わっても継続されるはずだが、福田内閣以降継続されなかったこと自体、「第1次」は事実上消滅していたと考えるのが正しい文理的解釈であろう。
 が、第2次安倍内閣が成立した直後の2013年2月に安倍総理は「第2次法制懇」を再開した。そして「第1次」の目的も、そっくりそのまま「第2次」に引き継がれた。そのことを野党もメディアもすっかり忘れているようだ。前回のブログでも書いたが、政治家もメディアも一斉に健忘症症候群にかかっているようだ。ちなみに「第2次」について読売新聞や産経新聞は(NHKも一時期そう位置づけていたが)、「政府の有識者会議」とした。「政府の」という冠表現を付ける以上、閣議決定が必要だが、閣議決定が行われた形跡はないし、安倍総理自身「第2次」について公的な懇談会と主張したことはない。なお政府が正式な手続きを経て設置した有識者会議は内閣府に置かれるのが通常だが、「第2次」は内閣府ではなく首相官邸に設置された。ただ、安倍総理は事務方を(首相官邸のスタッフ不足のためだと思われるが)内閣官房に委ねた。そのことにより、「私的な懇談会」であるはずの「第2次」に多少の重みが加わったことは否定できないが、名称は「懇談会」のままであり、懇談会をまとめるトップの位置付けも「第1次」と同様「座長」を継承し、公的有識者会議のトップの位
置付けである「委員長」ではない。
 さらに「第2次」のメンバーは座長の柳井修二氏(元駐米大使)以下「第1次」と同じである。「再開」とされたのはそのためだ(つまり「第1次」は解散したことを意味する)。当初、「第2次」の報告書は13年10月には提出される予定だった。が、私が13年8月29日に『安倍首相は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している!!』と題するブログを投稿し、そのことを「第2次」が設置されている首相官邸に伝えた。そのときの私の主張を要約してあらためて述べる(同じ主張を私はブログで数十回してきたが…)。
 
 国際法上、集団的自衛権を国連加盟国に認めているのは国連憲章51条だけである。国連憲章は第2次世界大戦でドイツが無条件降伏(1945年5月7日)したことを受け、事実上日本の敗戦が免れなくなった(最後の地上戦となった壮絶極まる沖縄戦は4月)状況下の6月に、戦後世界秩序の安定化を目的に作られた。その国連憲章は、国際紛争を武力の行使によって解決することをすべての国連加盟国に禁じ、国際間の紛争解決のためのあらゆる手段をとる権能を安保理に与えた。が、安保理には米・英・仏・ソ・中の5大国に拒否権を認めたため、安保理が国際紛争を解決できないケースが生じうるとして、そういう場合には自衛権(武力による自衛)を認めることにした。
 自衛権(当初案では自国軍隊による反撃の権利とされていた)は認められても、弱小国が強国から攻撃された場合、自国の軍隊だけでは防衛できないというケースがラテン諸国などから指摘され、密接な関係にある国や同盟国に軍事的支援を要請して共同で防衛できる権利も認めることにした。つまり国連憲章51条にある「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とした意味は、自国の軍事力(個別的)と自国防衛を他国に要請する権利(集団的)のことであり、日本の場合でいえば自衛隊(個別的軍事力)と在日米軍(集団的軍事力)による共同防衛権がすでに確立されている。

 このブログを読んだ「第2次」は大混乱に陥った。その結果、予定されていた13年10月には報告書を提出できず、暗中模索を重ねることになった。が、しびれを切らした安倍総理は報告書の提出を待ちきれずに、公明党を抱き込んで集団的自衛権行使容認のための閣議決定を急ぎだした。そして「第2次」に対して報告書の提出を急ぐよう命じた。その結果、「第2次」はようやく5月15日になって矛盾だらけの報告書を提出せざるを得ない羽目になった。これが、偽りのない事実の経緯である。
 そこであらためて安倍総理の安全保障政策を論理的に検証してみる。再度、確認しておくが、法制懇の目的は「第1次」も「第2次」も、まったく同じである。つまり「日本の安全保障環境が変化している」という認識に立ち、「抑止力を高めるために集団的自衛権を行使できるようにする」というものである。「第1次」が初会議をしたのは07年5月。「第2次」が報告書を提出したのは14年5月。その間7年の歳月を費やしている。「第2次」の報告書を受けて安倍内閣が強調しだした「日本を取り巻く安全保障環境の急激な変化」についての説明はこうである。
「中国は活発に海洋進出を行っており、北朝鮮は核武装など軍事力を強化している。いまはどの国も、1国だけで自国を防衛できない。日米同盟の強化によって抑止力を高める必要がある」
 すでに述べたように、日本が他国から攻撃された場合、我が国は自国の軍事力である自衛隊による防衛権(個別的自衛権の行使)と、日本政府が在日米軍に共同で日本を防衛することを要請する権利(集団的自衛権の行使)及び在日米軍の日本防衛義務(これはアメリカの集団的自衛権行使ではない)が現行の「新安保」によって定められている。
 が、60年「新安保」が多くのメディアや国民から誤解された事実も否定できない。とくに左翼思想集団がことさらに「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」といった虚偽の解釈を振りまいたことによって誤解が生じたのだが、なぜ「新安保」成立後の55年間もの間、自衛隊員の一人も戦場で命を失うことがなかった意味もフェアに検証しなければいけない。そうしないと安保法制が潜在的に持っているきわめて危険な要素が見えてこない。
 実は「旧安保」は、アメリカは日本に米軍基地を設置できる権利を日本政府は承認する一方、アメリカの日本防衛義務については何も書かれていなかった。サンフランシスコ講和によって日本は名目上主権を回復したことになっているが、朝鮮戦争が激しさを増すさなかにアメリカが、なぜ急いで日本を独立させようとしたのかの検証作業を、政治家も歴史学者(近現代史)も、さらにメディアもほとんど行っていないのではないだろうか。朝鮮戦争当時、在日米軍は根こそぎ朝鮮戦争に駆り出された。占領下にあって、すべての軍事機能を失っていた日本の安全と防衛を守ることは、国際法上占領国(GHQ)の義務である。そのため日本の軍事力を完全解体したアメリカが、日本防衛の義務を持っていたが(在日米軍はそのために駐留していたはず)、つねに国際法をご都合主義的に解釈してきたアメリカ(アメリカだけではないが、アメリカと旧ソ連にその傾向が顕著だったことは否定できない)が、朝鮮戦争で在日米軍を根こそぎ朝鮮に派兵した結果、日本は丸裸になってしまった。アメリカにとっては日本に自主防衛力を急速に回復させる必要が生じた。アメリカがサンフランシスコ講和を急いだ本当の理由はその1点にあった。だから、まだ独立国として一人歩きできるだけの要素が十分に整っていなかったにもかかわらず、吉田内閣は講和と同時に「旧安保」を締結したのである。
 吉田内閣は「独立回復」という言葉で国民を欺き、沖縄のアメリカによる占領状態の継続を承認した。国土の一部が占領下におかれたままの「独立」など、ありえない。国際法上の常識すら吉田内閣とアメリカは無視した。沖縄県民の普天間移設問題に対する政府への怒りの根源は、その1点にあることを国民は理解すべきだ。そうしないと、沖縄県民の思いを、他の46都道府県民は共有できない。
 実はそうした吉田内閣による「旧安保」の「片務性」とすらいえないような状態を解消しようとしたのが岸内閣だった。が、岸一族の遺伝子とも言える「強権体質」と、安保反対運動をリードした左翼勢力の「戦争に巻き込まれる」と言ったお粗末極まりないアジテーションが学生たちを動かしてしまった。が「新安保」は「日本は日本防衛だけでなく、極東の警察権(?)行使のための軍事基地をアメリカに提供する一方、在日米軍が自衛隊に協力して日本防衛の義務を負う」という片務的関係に変更したのが岸内閣による条約改正であった。これが、唯一論理的整合性を満たした検証結果と言えよう。
 そのことを基本的に理解していただかないと、安倍総理の「集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更」の本当の狙いが見えてこない。
 さて第1次安倍内閣が7年前に集団的自衛権行使に道を開こうとした時点で、中国の海洋進出がそれほど活発化していたか。また北朝鮮の核武装計画は7年前にはどの程度進んでいたのか。もし、「日本の安全保障環境」が7年間変わっていなかったとするなら、なぜ国民の理解が得られず、また違憲の疑いが極めて濃厚な現在、安保法制をそんなに急ぐ必要があったのか。「どういうケースで集団的自衛権を行使するつもりなのか」といった追求は、まったく無意味とまでは言わないが、ほとんど現実性がないケースまで俎上に載せて安倍内閣を追及するより、安倍総理が次の段階として想定している(安倍総理自身の手で行えるとは、さすがに思っていないだろうが)「新新安保改定」(つまり現行安保の片務性を解消して双務的な安保条約に再改定すること)がおぼろげながらでも見えてくるはずなのだが…。
 野党はまずその1点を追及すべきだった。今回のブログはここまでとする。現行安保の片務性に対する米国内での誤解や誤解に基づく「アメリカ人は日本のために血を流さなければならないのに、日本人はアメリカを防衛する義務を負っていないのはアンフェアだ」という米国内の反日感情などについても書きたいが、今日は時間的に無理だ。もっとも、そのことはこれまで何度もブログで書いてきたから、記憶力のいい方は覚えてくれていると思う。来週は、集団的自衛権解釈のデタラメさを再度検証する。

 なお言っておくが、中国が海洋進出を始めたのはフィリピン国民の「地位協定」に対する反発が強く、在フィリピン米軍基地が撤去されたのちである。中国の海洋進出に危機感を強めたフィリピンが、アメリカに「やっぱり戻ってください」と要請し、現在はフィリピンに米軍基地が復活している。また韓国でも「地位協定」に対する国民の反発が大きく、米軍基地はかなり減っている。日本国民も、基地近隣住民の「地位協定」に対する反発は強いが、直接被害を受けない国民は「見て見ぬふり」だし、政府も「知らん顔」を続けている。
 さらに言えば、北朝鮮の核武装は、イラクやイランと一緒に「悪の枢軸」(テロ支援国家の意味)とアメリカから名指しされて、アメリカの軍事力に脅威を抱いた金独裁政権が(実際核兵器も生物兵器も持っていなかったことが今では明らかになっているイラクを攻撃してフセイン政権を壊滅させたアメリカから、同じく「悪の枢軸」と指名手配された結果)、対米軍事抑止力として核武装を急いでいるのであって、日本に対する敵視政策など毛頭考えていない。だが、日本が日米軍事同盟を強化すれば、北朝鮮は日本も敵視せざるを得なくなる。
 さらに言えば、もし日本が他国から攻撃を受けたら、日本だけでは(つまり自衛対の軍事力だけでは)日本を防衛できないと政府は主張しているが、では日本に世界有数の基地を擁している米軍は、そうした事態が生じても「知らん顔」をしているということなのか。政府に説明してもらいたい。
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財務省の消費税増税対策案&集団的自衛権解釈の問題及び安保法制の違憲性を検証してみた。

2015-09-14 08:10:44 | Weblog
 2017年4月に消費税を現在の8%から10%へ2%増税するに際して、公明党が選挙のたびに公約として掲げてきた「軽減税率」についての財務省案が与党で検討されている。が、公明党が財務省案に猛反発しており、反故になる可能性が高くなってきた。
 財務省案とは、酒類を除く飲食料品については購入時にいったん新消費税(10%)を支払うが、後から増税分の2%を上限(一人年4000円が目安)として還付するという方式だ。公明党が掲げていた軽減税率導入はヨーロッパで実施されている付加価値税における軽減税率方式だったが、これは必ずしも公平とは言えず、富裕層には有利になるが、低所得層との税格差(逆進性)はかえって拡大するという致命的欠陥を抱えていることは周知の事実のはずだが…。
 ヨーロッパ方式は国によって運用が多少違うが、基本的には食料品は一律減税するというものだ。たとえば日本で言えば国産銘柄牛のひれ肉もオージービーフの切り落としも同じ税率にしてしまうという乱暴なやり方で、付加価値税導入時にはIT技術など生まれてもいなかった時代だから、一律減税にせざるを得なかったという事情もあった。
 例えばヨーロッパで最も早く付加価値税を導入したフランス(1954年導入)では標準課税は20%だが、食料品は5.5%と軽減している(外食は10%)。また英国では標準税率は20%だが、その代わり食料品は一律非課税だ(ただし、外食や温めたテイクアウト、菓子などは標準課税)。ドイツでも標準税率は19%だが、食料品は7%に軽減している(ただし外食は軽減対象外)。いまヨーロッパでも、こうした軽減税率方式について、かえって不公平ではないかという問題が指摘されだしているが、長年にわたって定着してきた方式だけに、理屈だけでは簡単に変えられないという問題も抱えている。
 が、公明党は選挙公約で「消費税増税の際には食料品など生活必需品は軽減税率を導入する」と主張してきたため、「軽減税率」という言葉にあくまでこだわっているようだ。財務省案のポイントによる増税分の還付方式は「軽減税率ではなく、支持者の理解が得られない」という党利党略に基づく主張をしているとしか思えない。確かに消費者が買い物をするときに、その場で増税分を課税しないというヨーロッパ方式のほうが、消費者にとっては分かりやすいかもしれないが、間接税(消費税や付加価値税)の持つ致命的な欠陥である逆進性は解消されない。そういう意味では、財務省案はIT技術をベースにして逆進性を解消する方法としては軽減税率方式より、はるかにすぐれてはいる。が、財務省案は事実上導入が困難と思われる。その理由は後で書くが、財務省が狙っているのは単なる逆進性の解消ではなく、財務省案の狙いの本丸は消費者から預かった消費税をネコババしている零細小売業者をあぶりだし、いわゆる「消費税の益税化」を解消することだ。そのことに、公明党をはじめ政治家やどの
メディアもまだ気づいていない。
 日本で消費税が導入されたのはヨーロッパ諸国よりはるかに遅く、1989年に3%、97年に5%に増税、そして昨年8%に増税されたばかりだ。このとき、今年10月には10%に再増税されることになっていたが、8%増税による消費の落ち込みがなかなか回復せず、増税時期が17年4月に延期されたという経緯があった。ただしこのときには軽減税率は検討課題になっていただけで、ましてマイナンバー制度の導入など与党の政策として浮上さえしていなかった。
 
 消費税は、すでに述べたように逆進性という側面がある(国民が払う税金の場合。企業が払う消費税は商品の販売時に上乗せするから別)。税金は大きく分ければ直接税と間接税ということになるが、直接税は所得(収入から必要経費やいろいろな控除額を減じた金額)に対してかかる税金で、間接税は物品やサービスの購入(支出した金額)にかかる税金である。
 そして直接税は税率が所得額に応じて変わる。日本の場合、かつては世界に類を見ないほど「社会主義的な累進課税制度」が採用されていた。たとえば長者番付で常に上位を占めていた松下幸之助氏(パンソニックの創業者)などは所得の80%を税金で持って行かれていた。高額所得者に対する、このような過酷な累進課税制度は「能力があり、高所得を得ている人たちのやる気を損なう」という自民党政府の屁理屈で累進課税制度の見直しが行われた。高額所得層の課税率を引き下げれば、当然国や地方の税収が減少する。その減少分を補う目的で、竹下内閣が戦後初めて導入したのが3%の消費税だった。
 つまり直接税(所得税や住民税)は所得に応じて低所得者が優遇されているが、間接税は所得に関わらず税率が一律である。とくに低所得層を狙い撃ちにするわけではないが、所得が変わらないのに消費にかかる税金が増えるために「逆進税制」と言われているのである。
 では、いまなぜ消費税増税が問題化したのか、ということを考えてみたい。97年に橋下内閣が消費税を5%に増税したのは、バブルが崩壊して企業からの税収も国民が納める直接税も激減したためだった。なのに橋本内閣は直接税の累進性をさらに緩和し(高所得層の可処分所得を増やし、景気回復につなげたいというはかない希望があったためと思われるが)、減収分を補うために消費税を増税するという政策をとったのである。「失われた20年」について、この時期の消費税増税が意味した結果について分析している経済学者は皆無だと思う。

 ついでのことに、自慢話を一つさせて頂くが、私は2013年の夏からブログで「集団的自衛権は自国防衛のために親密な関係にある国(あるいは同盟国)に対して武力支援を要請できる権利」と定義し(国連憲章51条は間違いなく、そういう意味で集団的自衛を固有の権利として国連加盟国に認めている)、だから「日本は日米安保条約によって日本が他国から攻撃された場合、米軍が自衛隊と共同で日本を防衛する義務を持っており、すでに日本は集団的自衛の権利をいつでも行使できる」と主張してきた。つまり「集団的自衛権は自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」、という従来の内閣法制局の解釈そのものが間違っているという指摘をこの2年間で数10回にわたってしてきたが、つい先日ネットで憲法学者として権威のある浦部法穂氏(神戸大副学長、名古屋大法科大学院教授などを経て現神戸大名誉教授)が、集団的自衛権について今年6月、私の主張を裏付けてくれた。なお、以下に一部を引用させていただくが、浦部氏の論文の書き方から、この解釈自体が氏にとってごく最近のものと考えられる。なお以下の引用文を含む論文の全文は、ネットで検索できる。

「集団的自衛権」というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる。国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利(the inherent right of collective self-defense)を害するものではない。」と規定する。
 ここでいう「集団的自衛(collective self-defense)とは、言葉の本来の意味からいえば、武力攻撃を受けた国が自分だけで反撃するのではなく、同盟国に助けを求めて同盟国と共同で反撃することを言っていると解される。
 それは、攻撃を受けた国にすればまさに「自衛」である。「自衛」の手段として、自国だけで戦うのではなく、他の同盟国にも助けを求めて戦う。それが、国連憲章51条のいう「集団的自衛」ということの本来の意味だとみるべきであろう。
 この場合、攻撃を受けた国に加勢して闘う国は、自らは攻撃を受けていないのだから、その国にとっては「自衛」ではない。けれども、攻撃を受けた国の「自衛」を助けるのだから、その限りでは攻撃を受けていない国による武力行使も違法ではないとされる(※浦部氏が言う「違法ではない」とは国連憲章違反ではないという意味で、日本国憲法上合憲であるとは主張されていない)。これが、国連憲章51条の本来の意味だと、私は思う。

 実は浦部氏はこの説を述べるに先立って「そこのところをきちんと切り分けた議論が、政治の場ではもちろん、マスコミでも、学会においてすら、どうもほとんどなされていないように思われる」と述べている。が、私は少なくとも2年前の夏にはまったく同じ解釈をして以降、数10回にわたり内閣法制局の従来の解釈に基づいた「集団的自衛権を行使する」ことは憲法解釈の変更では不可能だと主張してきた。メディアも政治家もかなり私のブログを注目しているにもかかわらず、私の主張を無視し続けてきた。私の論理には納得しても、私は権威ある憲法学者ではないから無視してきたのだろうが、浦部氏が私の主張を結果的に完全に裏付けてくれたことは間違いない事実である。
 私の自慢話はこの辺でやめるが、いまだ疑問を持っていることがある。憲法学者や弁護士の大多数が安保法制は「違憲法案だ」と主張し、どういう形になるにせよ代表民主主義(この表現もおかしい。選挙で選ばれた議員が多数決で決めるから「代表」としているのだろうが、ではその反意語は何かと問われれば、無い。私は議会制民主主義あるいは間接民主主義と表現すべきで、そうすれば反意語は明らかに直接民主主義ということになり、最近では橋下大阪市長が大阪都構想に対する大阪市民の住民投票を行ったのが直接民主主義の代表例である)の国会では、安保法制が成立するのは間違いない。
 そうなれば、その後は「違憲か合憲か」を巡っての法廷闘争になるが(全国8高裁→最高裁)、村社会の司法の世界で、憲法学者の大多数や元最高裁長官、元内閣法制局長まで「違憲」としている安保法制を、「合憲」と判断できる裁判官はまずいない。強権体制を確立して党内の批判派を力で抑え込み、1枚岩体制を築いた安倍総理だが、最高裁で「違憲」と判決されることは必至で、そうなれば内閣総辞職に追い込まれることも間違いない(解散はありえない)。
 それにしても、私が疑問に思っているのは、憲法学者や弁護士はそれなりに法的根拠に基づいて「違憲」主張をしているが(市民団体などの「戦争法案」主張は、まだ感情論の域を脱していない。私が学生時代に経験した60年安保闘争もそうだったが、もう少し成熟した議論をしてほしいと思う)、なぜ国際法を専門とする学者たちが国連憲章解釈について沈黙を守っているのか、それが解せない。私はもちろん学者ではないし、浦部氏も憲法学者で日本国憲法の専門家でしかない。本来、「集団的自衛権」についての従来の政府解釈について、国際法を専門とする学者が「解釈の間違い」を指摘していれば、安保法制そのものが最初から法的根拠を失っていたことが明らかになっていたのに、なぜ国際法の専門学者たちが沈黙しているのか、私には理解できない。

 消費税問題に戻る。政策はつねに結果で検証されなければならない。橋本内閣の消費税増税政策は、すでに書いたように高額所得者の直接税の減税によって、高額所得者が可処分所得を消費に回して景気回復の機関車的役割を果たしてくれると考えたのではないかと思う(政治家も官僚も政策立案や目的の本音は言わない。とりあえず政策を成立させるために国民が納得しやすい口実を並べるだけだ)。
 が、高額所得層は、欲しいものはすでに持っており、増えた可処分所得を消費には回してくれなかった。現に、竹下内閣時に行った高額所得層の減税政策は、消費の拡大より資産のさらなる増加を目的にしたマネー・ゲームに回ってしまった。そのうえ日銀も現在の黒田総裁と同様、極端な金融緩和政策をとり、金融機関に金がだぶついた。金融機関はそのカネを資産(主に不動産)の持ち主に積極的にばらまいた。そのうえ、だれが流したかは結局分からなかったが(少なくとも長谷川慶太郎氏が積極的に噂を広めた)、「東京にはオフィスが少ない」という噂(実際には空室が相当あったことが後に分かったが)が広まり、都心の土地買いあさりが始まり、地価の高騰によってさらに資産家のカネ余りが増大し、株やゴルフ会員権などの高騰も始まった。つまり、バブル景気の原因はこのときの消費税導入と抱き合わせで行われた累進課税制度の緩和政策にあったのだ。
 なお、この時期雨後の竹の子のように生まれたのが抵当証券会社だった。高騰する土地の価格を有価証券にして、不動産資産家に金を提供して土地バブルをさらに拡大させたこともあったが(抵当証券会社はすべてバブル崩壊によって破産した)、このときの日本の派生的バブル金融商品である抵当証券(不動産の金融商品化)をその後、アメリカで有価証券としてばらまいたのがリーマン・ブラザーズであり、日本の金融機関(主に銀行)がその金融商品を買いまくり、リーマン・ブラザーズの倒産によって生じたリーマン・ショックで大痛手を被ったのは、そう遠くない過去である。政府の政策も企業のビジネスも、過去の論理的検証をしなかったことによる当然と言えば当然すぎるツケを払っただけのことだ。日本もアメリカも、「懲りない」あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」国なのか、ひょっとしたら政府も金融機関も、日米ともに健忘症症候群に罹っているのだろうか。そういう意味では両国のメディアも同じだ。

 また、この時期すでに少子高齢化が進行しつつあった。少子高齢化は日本だけでなく、すべての先進国に共通した現象だったが、単一民族の日本では顕著にその傾向が現れた。欧米先進国はとっくに多民族化しており、優位な地位を占めていた白人たちの間で急速に進んだ少子高齢化を、低所得層の異民族の出生率が低下しなかったことによって明るみに出るのが遅かっただけである。その原因はその分野の専門家に分析してもらいたいが、日本の場合でいえば大家族から核家族化への移行が急速に進んだこと、女性の高学歴化や男女雇用均等化により女性の社会進出が進み、晩婚化も生じたこと。またそうした社会的背景の中で女性の生きがいや価値観も多様化していったことなどが考えられる。
 一方医療の分野でも技術革新が急速に進み、先進国の中で日本人の平均寿命が突出して伸び出したことが高齢化の原因であろう。このケースでも、日本は他の先進国に比べて単一民族であることが大きく作用したと考えられる。おそらく欧米先進国でも、白人社会だけを見ると日本並みに少子高齢化が進んでいるのではないだろうか。欧米先進国でも、国内の白人と黒人やアラブ系、ヒスパニック系など異民族の割合によって平均寿命や少子高齢化現象の現れ方に差が生じていると思う。そういう視点で少子高齢化対策も考えないと、ただ目先子育て環境を整えるという目的で保育園をやたらと作っても、税金の無駄遣いになりかねない。

 私は書きながら論理的思考を展開していくタイプなので、たびたび話が横道にそれてしまう。読者には申し訳ないが、これが私の手法なので勘弁願うしかない。とくに今回は、先週から今週にかけて安保法制だけでなく、消費税増税や新派遣法など重要法案が一気に浮上したため、私の思考もあちこちに飛びながらブログを書くはめになり、今回は横道にそれるケースが多くなってしまった。とりあえず再び話を本筋に戻す。
 実はこのブログは11日から書き始めたのだが、その日から財務省案について自公の協議が始まり、公明がすでに述べたように「還付方式は軽減税率方式ではない」と猛反発し、自民党内にも「零細小売業には負担業務が大きすぎる」「マイナンバー・カードを自分の個人情報を知られたくないという理由で受け取らない国民が多いという世論調査もある」といった批判が続出してポイントによる還付方式の採用は難しくなってきた。いまこのブログを書いているのは12日だが、やはり財務省案の検証はしておく必要があると思うので続ける。
 まず消費税をなぜ増税する必要があるのか、という基本的問題から思考を始める。そうしないと目的と手段がごっちゃになり、「目的のためにはいかなる手段も正当化される」という日本特有(日本だけではないが)の国民性から、いつの間にか「手段」が「目的化」しかねないからだ。
 最初に明らかにしておくべきは、竹下内閣の消費税導入、橋下内閣の増税とは、先の8%への増税、17年4月からの10%への増税は目的が明らかに違うということを、明確に認識していただきたい。先の2回の消費税は他の先進国並みに累進課税制度を緩和すること、また直接税と間接税の歳入割合をやはり欧米先進国並みにすることが目的だった。その結果、バブル景気の爆発と、その後の「失われた20年」が生じた。
 この「失われた20年」により日本の国家財政が困窮化し、財政健全化のために行うことにしたのが先の8%への増税と、いま問題になっている10%への増税問題である。この違いをご理解いただかないと、まともな議論ができない。
 従って、財政再建のためにはどういう方法が日本の現在の国情にとって、最も合理的か、という観点から消費税議論も行う必要がある。現在は、明らかに「まず、消費税増税ありき」から議論が出発しており、財政健全化という目的に代わって、手段であるはずの消費税増税が目的化してしまっている。私は消費税を17年4月に増税すれば、どういう結果が生じるかの可能性から検証して
みたい。もちろん財政健全化のためには歳入(税収)を増やす政策をとる必要は否定しない。安倍政権が誕生した12年末の12月30日のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で、私はこう書いた。

 まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共事業による経済効果の2点である。金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。(中略・・・理由も述べているが長文になるので省略する。理由を知りたい人は私のブログをさかのぼって読んでほしい)
 とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。そのための具体的政策としては、税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯めこんでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階(※8%増税時期と10%増税時期のこと)に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
 その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税(※大幅な軽減化が前提)を支払うだけでなく、被贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。(中略)またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税(※もちろん贈与税のこと)にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく。
 また所得税制度も改革の必要がある。(中略)少なくとも4人家族の標準所得世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は現在の40%から50%に引き上げる必要がある。
 私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減課税にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減する必要がある(※この時点では、私は低所得層に対する給付金制度は考えていなかった。政府は8%増税時に低所得層に対して給付金制度を導入したが、この政策は評価している)。なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、国産ブランド牛とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに、国民が納得できるかという問題があるからだ。
 私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。(中略)
 確かに選挙には勝たなければならないが、日本の将来を危うくするような公約(マニフェスト)を並べ立てて票の獲得を目指すような政治家に、日本の将来を任せるわけにはいかない。その最たるものが日本の農業保護政策だ。資本主義社会の基本原則は自由競争である。もちろん今すぐ何でもかんでも自由競争にしろなどとは言わない。自由競争で勝ち残れるような手段を構築する必要はある。(中略)はっきり言う。日本は直ちに「聖域なきTPP交渉」への参加を表明すべきだ。TPP交渉に参加したからと言って、今すぐ直ちにすべての関税をゼロにしなければならないというわけではない。(以下要約)認められた猶予期間の間に競争社会で生き残れる農業政策を進めるべきだ。それでも競争に勝てない農家は気の毒だが、資産を処分して生活保護受給者になっていただく。
 日本が、自らそういう血を流す覚悟を世界に向けて発信すれば、国際社会における日本の発言力は格段の重みを持つようになる。

 かなり、長文の転載になったが、いま安倍内閣は農業政策やTPP交渉などについては、野田前総理からバトンを受け取った政治課題にそれなりに取り組んでいる。不十分だが、相続税と贈与税の見直しにも取り組んでいる。私は安倍内閣の政策のすべてに反対しているわけではない。だが、中途半端で頓挫しているケースが多い。消費税増税対策もそうだ。
 私が12年末の提案した高額所得者への課税強化も、中途半端だが実現した。
高額給与所得層に対しては給与所得控除を大幅に引き下げた。実質的な高給取りに対する課税強化である。私は高額所得者の所得税率の上限の10%程度引き
上げも実施した方がいいと思っているが…。
 いずれにせよ、消費税増税の目的が財政再建にあるとすれば、消費税増税によって消費が冷え込んだのでは、元も子もない。かえって歳入は減少しかねない。財務省は、8%に増税後の消費の冷え込みによるマイナスと、増税によるプラスを国民に分かるようにデータとして正確に明らかにしてほしい。少なくとも8%増税時に行った低所得層への給付金方式が失敗だったのでなければ、10%増税時にも給付金方式により給付額を増額すれば、低所得層が受けるダメージは回避できるはずで、結果的には消費が減少したことの原因をきちんと検証しなければ、10%への増税対策はまた失敗する。
 理論上は財務省の対策案は、IT技術の急速な進歩によって可能になったことは間違いないし、また「益税」解消策としても評価は出来る。また財務省はすべての国民がポイントで上限と目されている4000円の還付を受けたとしても、還付金総額は5000億円程度に収まるようだし(全食料品を対象に2%減税した場合の税収減は1兆3200億円になると想定されている)、高所得層はたかだか4000円の還付を受けるためにいちいちマイナンバー・カードにポイントをためるなどということはしないだろうから、実際の還付金総額は4000億円前後で収まるのではないかと思う。「官僚らしい発想法だな」と、皮肉をこめて感心したが、私はどういう方法をとったところで消費税増税による消費のさらなる減少には歯止めはかけられないと思う。
 少なくとも、事実として検証済みなのは消費税導入・増税直前の耐久消費財(電気製品など)や長期間使用に耐える消耗品(化粧品など)は駆け込み需要が増大し、増税後は一気に需要が減少することは10%増税時にも当然考えられる。食料品は冷凍食品以外の生鮮食品は賞味期限が短いので、財務省や政府は消費の減少に直結しないだろうと考えているが、実際には消費額は減少している。確かに食品量を減らすわけにはいかないのだが、消費者は1ランク下の食品の購入に走り、消費の量は減少しなくても消費額が減少するという事態は免れ得ない。食品の消費額が減少したうえ、食料品を対象に軽減税率を導入したり、ポイント制で増税分を還付したりしたら、かえって税収は減りかねない。
 ポイント制による還付金制度を導入するためには、そのための特殊な機器類の普及や小売業者の準備態勢を整えるための期間が必要なために現時点で案を与党に提示したのだろうが、増税時期はまだ1年半以上先だ。景気動向によっては直前になって法改正もありうる。わが国GDPに占める消費は6割に達しているが、それをどうにか支えてくれているのは外国人とくに中国人による「爆買」だ。中国経済の先行き懸念が大きくなりつつある現在、この「爆買」がい
つまで日本の消費経済を支えてくれるのかは全く不透明と言える。
 どうやっても消費活動に与えるマイナス影響が避けられないとすれば、一番
簡易でコストもかからない、低所得層への給付金制度の継続しかないだろう、というのが現時点での私の結論である。

 最後に、昨日NHKは『日曜討論』で集団的自衛権と安保法制について学者を中心に討論を放送した。自民政治家のように、いたずらに「日本を取り巻く安全保障環境が激変した」などという空理空論はほとんど出ず、集団的自衛権についての72年の政府見解(内閣法制局作成)に対する疑問点も、安保法制賛成派の学者からも出た。「戦争法案」といった感情的議論はまったく出なかったのはよかったが、やはり仮定の事態についての集団的自衛権行使のケースについてのやり取りに終始してしまったのは残念だった。
 なお、この討論会で安保法制懇の委員を務めた細谷雄一・慶大法学部教授が「集団的自衛権についてはいろいろな解釈があり、72年の政府見解はもっとも広義の解釈を元に憲法上行使できないとしたが、いまの政府見解は新三要件という事実上ありえないきわめて狭義な解釈に基づき行使できるとしているので合憲だ」という旨の主張をしたが、先に述べたように浦部氏が「集団的自衛権というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる」と述べている。私も2年以上前からネット検索でいろいろ調べているが、国際法上、国連憲章51条以外の定義はまったくないと思う。浦部氏も「といわれる」と断定的解釈は回避したが、少なくとも国際政治学者でもある細谷氏が「いろいろな解釈がある」という以上、国際法上正式に定義づけられた解釈を明確にすべきだ。このような主張の仕方を「ためにする議論」という(レトリックの1種)。
 細谷氏のような主張を認めるなら、「民主主義」という概念は国際法上の定義はないが、いちおう言葉としては世界共通の普遍的政治システムと解される(たとえば北朝鮮ですら正式な国名を「朝鮮民主主義人民共和国」とし、民主主義国であると標榜している)。日本は戦後、アメリカ型民主主義の考え方を取り入れたとされているが、アメリカでは議会(国会)の投票で議員に党議拘束をかけておらず、実際オバマ大統領は民主党出身でありながら、TPP交渉の権限拡大について肝心の民主党からの支持が得られず、共和党の支持によって議会で権限を得ている。日本は間接民主主義であるが、有権者は小選挙区では特定の候補者に票を投じており、政党はその有権者の了解を得ずして所属議員に党議拘束をかけている。これは明らかにいびつな「日本型民主主義」であって、事実上戦後政治をけん引してきた保守派が慣習的に定着させてきたものであり、そのような党議拘束が憲法上認められるのかという議論があってもしかるべきだろう。

 なお日本人や日本大使館が戦後、不法に選挙されたケースが2回ある。湾岸戦争のきっかけになったイラク・フセイン政権が、クウェート侵攻に際して日本を含むすべての外国人を国家権力が人質にした事件がひとつ。もう一つはテロリスト集団によって日本のペルー大使館が武力攻撃を受けて占拠された事件。
 過去、実際に生じたケースを俎上にして、安保法制が成立した場合、日本の自衛隊は人質にされた日本人救出のために何ができることになるのか。以前から私は仮定の「存立基盤」などの「事実上ありえないケース」(『日曜討論』での賛成派の一致した主張)で議論せず、日本が何もできなかった、現に過去に生じた事態をケースについて、今後はどういうことが出来るようになるのかといった現実的な議論をしてほしい。
 湾岸戦争時にフセイン政権によって日本人141人が人質にされたとき、私は『日本が危ない』(コスモの本より上梓)のまえがきでこう書いた。

 このとき日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのではなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
 私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいことは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万一のことが生じたときは、日本政府は重大な決意をもって事態に対処する」
 海部首相が内外にそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことが出来たし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。

 私がこのとき書いた意図は、低下しつつあるアメリカの「警察力」の補完役を果たせという意味ではない(そういう説明は、自民・谷垣幹事長が講演会で「集団的自衛権行使容認の必要性」について行っている)。
 

 

 
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2020東京オリンピックへの国民の期待をここまで裏切った張本人はだれか?

2015-09-07 09:27:46 | Weblog
 東京オリンピック2020にまつわる様々な疑惑が噴出している。
 2013年3月の国際オリンピック総会で、東京への招致活動のアンバサダー(親善大使)として滝川クリステル氏が、日本のオリンピック取組の精神を「おもてなし」と表明し、東京招致が決定した瞬間、日本中が喜びに沸き、「おもてなし」はその年の流行語大賞にも選ばれた。
 が、いまやその喜びは失われ、日本人は東京オリンピック招致にしらけきっていると言っても過言ではないだろう。
 そうなったそもそもの発端は、新国立競技場建設をめぐるごたごたに端を発した。オリンピック招致の計画を進めていた文科省のスポーツ・青少年局が新国立競技場の建設計画の中心になっていたこと自体に問題があった。オリンピック招致計画の推進はスポーツ・青少年局が担当してもいいのだが、国立競技場の建設となると明らかに専門外の分野である。本来は箱もの公共工事建設の専門家が多い国土交通省が担当すべきだった。結局、建築物に対しては素人集団が新国立競技場の建設計画を推し進めたことに大混乱の原因があった。官僚の縄張り意識、縦割り行政の欠陥がモロに現れた結果と言えよう。
 が、当時のスポーツ・青少年局長の久保公人氏が、定年まで1年半を残して引責辞職することで文科省は幕引きを図ったが、肝心の下村文科相は「通常の人事だ」と自らの責任は回避したままだ。「通常の人事」であれば、久保氏は辞職する必要はなく、異動なり天下りなりの処置になるが、辞職つまり文科省を辞めるというのは「通常の人事」ではありえない。永田町では通用する論理ではあっても、一般国民には通用しない論理だ。「永田町の常識は一般社会の非常識」と言われる所以であろう。
 また競技場の設計コンペもおかしかった。当初の予算は1300億円で、そのことはデザイン応募者にも伝えられていた。結果的にはコンペへの応募は46作品にとどまったが、選考委員会の委員長は現代日本の建築家として屈指の評価を得ている安藤忠雄氏がなぜ予算を大きくオーバーするような作品を選んだのか。英国在住の設計デザイン者であるザハ・ハディド氏の名はおそらく選考過程では伏せられていたと思うが、ハディド氏が設計した流線型の開閉式屋根のデザインを採用したら、工事費が1300億円の予算に収まらないのではないかという疑問が、選考委員の誰からも出なかったということも常識的には考えられない。選考過程で委員の誰かからそういう疑問が出され、決定デザインを公表する前に、国交省の専門家に1300億円で施工できるかどうかの調査をしてもらっていれば、その時点でハディド氏のデザインはボツになっていたはずだ。
 実際には施工業者に決定後試算させたら予算額の2.6倍以上の3462億円に上ることが13年7月には分かっていたにもかかわらず、この予算オーバーの件は今年になるまで秘匿されていた。その段階でようやく東京オリンピック組織委
員会は東京都の舛添都知事に東京都への分担金の要請をした。が、都知事から
「都民の税金を説明できない建設計画に使うことはできない」と突っぱねられ、すったもんだの挙句今年7月17日に安倍総理の「鶴の一声」で白紙からゼロベースで建設計画を作り直すことになったが、そもそも13年7月に出された施工業者の試算自体がおかしかった。
 この試算は文科省が競技場本体の施工は大成建設に、また開閉式屋根は竹中工務店への発注を決めており、その理由について「これほどの高度な工事は2社しか不可能」と勝手に判断していたようだ。日本では総合建設会社をゼネコンと総称しているが、なかでも売上高約1兆円に達するスーパーゼネコンは清水建設、竹中工務店、鹿島建設、大成建設、大林組(売上高順)の5社があり、なぜ大成と竹中に最初から絞ったのか、文科省にそれほどスーパーゼネコンの技術力に対する見極め能力があったのか、第三者委員会はそこまで検証して国民への説明責任を果たすべきだろう。
 なお、東京オリンピック大会組織委員会はJOCと東京都が東京での開催決定後の1014年1月に一般法人として設立され、今年1月に正式に公益財団法人に格上げされている。会長は森喜朗元総理が就任したが、過去日本で開催された3回のオリンピック組織委員会の会長はいずれも財界出身者であり、政治家が組織委員会の会長に就いたのは森氏が初めてだ。また組織委員会の専務理事(事務総長)には大蔵省事務次官から日銀副総裁を経て大和総研理事長の地位に就いている武藤敏郎氏が就任し、常務理事は布村幸彦(元文科省スポーツ・青少年局長=久保氏の前任)、河野博文(JOC副会長)、佐藤広(元東京都副知事)の3氏である。「猫の首に鈴をつけるネズミはいない」と言われるが、森元総理の首に鈴をつけられる人がいなかったのかもしれない。

 この新国立競技場建設問題が紛糾していたとき、またしても組織委員会のずさんさが発覚した。エンブレムの問題だ。
 組織委員会はエンブレムのデザイン公募に際して、応募者を世界的なグラフィックデザインの賞を2回以上受賞したデザイナーに限定した。このときも審査委員を務めた8人の著名なグラフィックデザイナーには作品だけが明らかにされ、デザイナーの名前は伏せられた。選考委員会は最終的に4作品に絞り、その中から佐野研二郎氏のデザインを選定した。ここまではいい。
 組織委員会は佐野氏のデザインをIOCに提出した。が、IOCから「類似したデザインが多数ある」と修正を求められたという。だが、だれの、どのデザインとの類似性がIOCから指摘されたのかは、いまだに明らかではない。
 こうしたケースの場合、組織委員会は佐野氏のデザインの扱いについて審査委員会に差し戻し、原案のオリジナリティを損なわない範囲で微細な修正で他
のデザインとの類似性を解消できるのか、もしそれが不可能だと判断したら、最終選考に残った残りの3点から選び直すべきであった。
 が、組織委員会は、そういう手続きをとらなかった。組織委員会は原案の修正が必要だということだけを審査委員会の代表者の永井一正氏に伝えたが、修正作業は組織委員会と佐野氏の間で行うことにした。組織委員会は、なぜ修正作業を審査委員会に差し戻さなかったのか。
 組織委員会は、佐野氏のデザインが選ばれた時点でデザインの著作権は組織委員会に移ったとしたうえで、「外部に流出する恐れがあるため、きわめて高い秘匿性の中で修正を行う必要があった」として修正作業から審査委員会を排除した理由を正当化している。つまり、審査委員会のメンバーは情報の秘匿について信用されていなかったということだ。それなら、そんな連中をなぜ組織委員会は審査委員に選んだのかという疑問が生じる。
 永井氏はNHKの単独インタビューに応じ、「修正の過程については見せて相談して欲しかったが、原案を決めた時点から審査委員会から離れていたし、どうするかは組織委員会の判断になる」と説明したが、その口調や表情からは不快感がありありだった。
 結局、組織委員会は佐野氏に対して2度修正を求め、最終デザインを決定した後、審査委員会に伝えたという。永井氏が最終決定のエンブレムを見たのは正式発表(7月24日)の1週間前だったという。「似て非なるもの」という言い方があるが、だれが見ても原案と最終決定のエンブレムは修正の範囲にとどまるものではなかった。多くの著名デザイナーが、「原案とエンブレムはまったく別のデザイン」と指摘している。審査委員会のメンバーもあきれ果てたのだろうか、あるいは長いものには巻かれた方がいいと判断したのか、1人の委員は「原案と違いすぎる」として認めなかったが、永井氏をはじめ他の7人は了承したという。拒否した1人を除き、他の審査委員には著名なデザイナーとしての見識も良識もなかったようだ。
 また組織委員会の修正過程も、重要な問題を含んでいた。これはマスコミからもデザイン界からもまだ指摘されていないが、佐野氏が提出した最初の修正デザインが「鶴の一声」でボツになったいきさつだ。組織委員会の武藤専務理事によれば「最初の修正案は躍動感に欠けるという指摘があり、再度修正してもらった」ということだが、この「鶴の一声」を発したのはだれなのか。少なくともすでに明らかにしたように組織委員会の主要メンバー(会長以下常務理事までを含む5人)の中には、エンブレムのデザインについて一家言を持つほどの見識ある人物は誰もいない。いったい、この「鶴の一声」で第1修正案をボツに出来るような人物は、だれが考えても一人しかいないと思える。さて、この「鶴の一声」を発した門外漢の首に鈴をつけることが出来るのは、内部告発者かメディアか「鶴の一声」に屈した佐野氏しかいない。
 が、問題はこれにとどまらなかった。ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が「このエンブレムは私がデザインしたベルギー・リエージェの劇場ロゴと似ている」と主張し、ベルギーの裁判所に使用中止の提訴を起こしたのだ。
 この時点からネットで佐野氏への告発が爆発的に生じた。彼のデザインの多くがコピーだったり、模倣だったりしたことが指摘されだしたのだ。ネットでの指摘を受けてサントリーがキャンペーン用として制作していたノベルティ・バッグのうち8点を配布取りやめにした。
 さらに佐野氏がプレゼンテーション用に作成した「エンブレムの使用イメージ」作品が、インターネットに投稿された写真を加工したことまで明らかになった。事ここに至って、組織委員会もさすがに佐野氏だけでなく永井氏も招集してエンブレムの扱いについて協議、佐野氏が自ら取り下げたいという要請をしたという形をとって新国立競技場と同様、白紙からのやり直しをすることにせざるを得なくなった。ただし、組織委員会の最高責任者の森会長も、実務上の最高責任者の武藤専務理事も自らの責任問題には口をつぐんだままだ。
 組織委員会は改めてエンブレムのデザインを公募、選考過程も透明化するとしているが、最終決定前に応募デザインを公開すると第3者が商標登録してしまう可能性があるとの不安を抱いているようだ。が、そんな心配は無用だ。応募デザインをネット上で公開した時点で、それぞれの作品には著作権が成立しており、たとえ第3者が商標登録しようとも、そのデザインを著作権者に無断で使用することはできない。そんなことにも無知な人間が組織委員会を牛耳っていること自体、私には信じがたい思いがする。
 新国立競技場建設計画の白紙撤回に続いてエンブレムも白紙撤回と、2度も不祥事を続けた組織委員会は会長以下常務理事まで含めた、トップ人事の解体的出直しが必要ではないだろうか。このままでは、東京オリンピックを目指して努力を続けているアスリートが気の毒だ。
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