小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

参院選挙の自民大勝によって、憲法改正は実現に向けて大きな一歩を踏み出した。

2013-07-21 23:52:20 | Weblog
 参院選の結果はマスコミ各社が行ってきた世論調査に基づく予想通りだった。政府与党の自公が過半数を占めて、衆参ねじれ現象は解消した。これで政治の停滞にピリオドが打たれることが確実になった。
 このブログは前もって準備していたものに、テレビでの速報を見ながら加筆修正している。今、実際にこの文章は加筆しつつあるものである。だから明日(22日)の新聞各紙がこの選挙結果をどう分析・評価するかは全く分からない。
 私が感じる危惧の一つは、自民が勝ちすぎたことだ。衆院のように単独で過半数を獲得できたわけではないが(非改選組も含め)、政府与党内での公明の発言力は相対的にかなり後退することは必至だ。公明が予想されていたほど伸びなかったからだ。ある意味では公明は自民の暴走に対する歯止めの役割を果たしてきた。公明の意向をある程度のまないと、自民は政策立案に持ち込めなかったからだ。
 が、考えようによっては、自民にとってはこの重しがかなり軽くなったことを意味する選挙結果だったという見方もできる。このことは公明にとっては大きな試練の場を迎えることになったとも言える。発言力が相対的に低下した政府与党にとどまって、いかに存在感を維持するかという難題に直面することになったからだ。
 いま日本で一枚岩のリベラルな政党は公明とみんなだけだ。維新はリベラル派と超保守主義派の混合政党だし、民主に至っては何でもありのガラガラポン政党だ。リベラルな政治家は日本でもかなり増えてはきたが、さまざまな政党に四散しており、公明とみんな以外にリベラル色を前面に打ち出している政党はない。
 その公明の政府与党内での影が相対的に薄くなることによって、日本の政治は保守傾向に大きく舵を切る可能性が生じた。それがどういう結果を生むか。差し当たっては憲法96条改正問題である。
 憲法96条について改めて基礎的な解説をしておこう。

 憲法96条は、憲法改正の要件を定めた条文である。具体的には憲法を改正するためには、①衆参両院における決議で3分の2以上の賛成を持って憲法改正案を発議でき、②国民投票で有効投票数の過半数の同意を得て成立する、という憲法改正の手順を定めた条文である。このように憲法改正についての極めてハードルの高い要件を定めた96条があるため、日本国憲法は「硬性憲法」と言われている。
 自民の結党以来の熱望は、「日本人の手で日本国憲法をつくる」ことにある。「今の憲法は占領下においてGHQによって押し付けられた憲法」という考えが底流にある。歴史的事実としては、そういう側面があったことは否定できない。一方、そうした憲法観に異を唱える憲法学者も少なくない。憲法原案作成の過程で、日本政府が最終的に憲法原案を作成し、日本側の主張もかなり反映されているというのである。それも歴史的事実としては否定できない側面がある。
 だが、それらの憲法観は単に歴史的事実について、自分たちの主張にとって都合のいい解釈をしているに過ぎない。
 歴史的事実は一つしかない、というのは実は錯覚なのである。先の大戦における歴史認識で韓国や中国と対立が激しくなっているのも、実は自国にとって都合のいい歴史的事実だけを唯一のよりどころとして主張し合うから噛み合わなくなってしまう。
 目からうろこが落ちる話をしたい。否、すでに多くの読者の目からうろこが落ちかかっているのではないだろうか。
 日本国憲法は、かなりの部分において日本側の主張が反映されたというのは、間違いなく歴史的事実である。しかし、独立国としての主体性を持って行った日本側の主張が、果たしてGHQから無条件で承認されるような状況下で、日本国憲法原案が作成され、国会で承認されたのかという視点で、改めて日本国憲法制定過程を検証してみると、結論はおのずと明らかである。GHQの意に反するような日本側の憲法原案が通るような状況下に、当時の日本があったかどうか考えると、それでも日本政府による自主性を主張できる憲法学者はおそらくいないはずだ。最終的な憲法原案は日本政府が作成したという形式論で日本の自主性を主張するのであれば、憲法学者としての見識を疑われてもやむを得ないと言えよう。
 そういう視点で考えると、押し付けられた憲法か否かという論争自体がまったく不毛な議論でしかないことを読者はご理解いただけたと思う。
 憲法改正論議の焦点になっているのは言うまでもなく憲法9条の扱いである。
改めて憲法9条について記載する。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文を子供のような素直な感覚で読めば、自衛隊は明らかに憲法9条が
定める「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という戦力不保持条項
に違反していることは明らかである。現に吉田茂首相は国会で、日本共産党の野坂参三書記長の代表質問「自衛のための戦争すら放棄するのか」と詰め寄られ「憲法の定めるところにより自衛のためであっても戦争はしない」と明確に答弁している。だから自衛隊設立以降自民党政府は一貫して「自衛のための戦力」という言い方をせず、「自衛のための実力」といった、だれが考えても理解に苦しむ表現をしてきたのである。
 また、GHQ総司令官のマッカーサーはのちに回顧録で、日本に戦力不保持の憲法をつくらせたのは失敗だったと告白している。
 憲法9条の作成についての経緯はこのあと簡単に触れるが、要するに子どもが母親の顔色をうかがいながら、どこまでおねだりできるか試すのと全く同様のやり取りが日本側とGHQとの間であった。
 終戦後の日本政府は、憲法改正に着手するに際し、大日本帝国憲法の一部条項を修正し、「陸海軍(※空軍という別個の独立した軍隊は存在しなかった)を一括して『軍』とし、軍事行動には議会の賛成を必要とする」といったムシのいい修正ですませるつもりだった。
 一方GHQは独自に日本に対する制裁的意味合いが濃厚な憲法原則を練っていた。その過程でまとめたのがマッカーサー三原則と呼ばれるもので、その第二項に事実上9条の骨子を成すことになる要素が含まれていた。その部分(邦訳)を転記する。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」
 この第二項をベースにGHQが作成した憲法原案(マッカーサー草案ともいう)は以下のものだった(外務省仮訳)。
「国民の主権としての戦争は之を廃止す 他の国民との紛争解決の手段として
の武力の威嚇又は使用は永久に之を廃棄す 陸軍、海軍、空軍又はその他の戦力は決して許諾せらるること無かるへく又交戦状態の権利は決して国家に授与せらるること無かるへし」(原文はカタカナ)
 マッカーサー三原則をベースにしながら、GHQは重要な個所を削除した。削除されたのは「自己の安全を保持するための手段としてさえも」という自衛権を否定した箇所である(私が下線を引いた個所)。だが、自衛のための最小限の戦力の保持についての明文はなく、憲法解釈において、吉田総理が自衛権すら放棄しているとの認識を国会答弁で行っている。だが、憲法9条は自衛権については一切触れずに「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されており、小学生でも「自衛のための戦力は別」とは解釈しないだろう。
 このGHQ原案をベースに日本側は「国民の主権としての戦争」の箇所を「国
家の主権において行ふ戦争…」と改めたり、何度かGHQと交渉を重ねながら、最終的にはGHQの承認を経て政府原案がまとめられ、国会の決議を経て日本国憲法が制定されたのである。そういう経緯からは、いちおう日本政府とGHQの合作のように見えるが、日本政府が常にGHQの顔色をうかがいながら作成していった過程が目に見えるようだ。私が子どもが母親の顔色をうかがいながらおねだりするプロセスに酷似しているとたとえたことがご理解いただけよう。
 そのため、この憲法9条に縛られ、その後の国際状況の変化の中で、アメリカも日本もにっちもさっちもいかない状況が続いてきた。とりあえず自衛権は国際法上の、だれも奪うことができない権利として認められているという立場に立って自衛隊が設立され、以降解釈改憲が相次いできた。自衛権については、1945年に発効した国連憲章51条でこう定められている。
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な処置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない(※あとで触れるが、この表現はおかしい。というより、間違っている。そのことに気が付いた人がだれもいないのも不思議な話だ)。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった処置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この処置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く機能及び責任に対しては、いかなる影響を及ぼすものではない」
 このように、国連加盟国は、国家の固有の権利として自衛権を認めている。日本の憲法9条の解釈でしばしば問題になるのは、国連憲章が認めている「個別的又は集団的自衛の固有の権利」である。
 自衛権とは、言うまでもなく他国(敵国ということになる)から不当な侵害・武力攻撃を受けた場合、自衛のための行動(敵国に対する武力反撃)を行える権利を意味する。ところが、GHQは自衛のための武力行使は認めながら(ただし憲法9条には明文化されていない)、日本の軍事力を完全に解体してしまった。どうしてそうなったのか、私には憲法9条の七不思議としか思えないのだが、どうしてこのような矛盾した憲法が制定されたのかに疑問を抱いた憲法学者はいないようだ。読者の皆さんどう思われますか。
 憲法9条は、縦に読んでも、横に読んでも、斜めに読んでも、逆さに読んでも、どう読んでも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されている。なのに自衛権までは否定していないと主張し(GHQ)、だが「自衛のための最小限の戦力の保持」については憲法のどの条文にも明記されていない。日本政府とGHQの合作とされる憲法で、なぜ自衛のための戦力についての記述が抜け落ちてしまい、かつ自衛のために必要な戦力まで解体してしまった経緯を憲法学者も歴史家も一切不問に付してきたのはなぜか。また、そのことへの疑問を提起したジャーナリストすら皆無なのはなぜなのか。私がもう少し若ければ、この歴史に埋もれた摩訶不思議な憲法制定の経緯を解明したいのだが、いかんせん73歳の老齢の身には余る作業なので、どなたか、若い方が憲法9条の七不思議(別に疑問が七つあるという意味ではない。比喩的表現である。短絡してイチャモンを付けられても困るので)を解明していただければと願う。もしその解明に成功すればノンフィクション賞か日本記者クラブ賞を受賞できるのではないかと思う。そのくらいの価値は十分にある。
 さらに国連憲章にあるように、自衛権には「個別的自衛権」と「集団的自衛権」のふたつがある。「個別的自衛権」とは、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を意味し、「集団的自衛権」は同盟関係を結んでいる国が侵害を受けた場合、同盟国とともに侵害を排除する行為を行う権利のことである。
 日本はアメリカと同盟関係を結んでいる。同盟関係は通常双務的なもので、片務的関係というのは、対等な同盟関係とは言えない。「双務的」というのは、相互に相手国とともに侵害を排除する責任を持ち合うことを意味し、「片務的」というのは同盟関係にある一方だけが相手国に協力して侵害を排除する責任を持つが、もう一方の国は相手国に対する侵害を協力して排除する責任を持たない関係を意味する。そういう関係が成立するのは、「同盟」というより「従属」的関係にある場合であることが、歴史的にも証明されている。
 たとえば朝鮮は、今は韓国も北朝鮮も独立国としていかなる国にも従属していないが、日清戦争までは朝鮮は中国に対し従属的関係にあった。だから豊臣秀吉が朝鮮征伐に乗り出した時、当初は日本軍が連戦連勝を続けたが、中国軍が朝鮮軍を支援したことにより戦局が一変して日本軍は敗退を余儀なくされた。西郷隆盛が「征韓論」を唱えたが、政府内で孤立したのも、大久保ら政府の主流派が、「韓国を攻撃したら中国とも戦うことになる。中韓連合軍を相手に戦えるだけの戦力はまだない」という判断に傾いたため、西郷は野に下り、バカげた西南戦争まで引き起こすことになったのはご承知のとおりである。が、国力を整えた日本が、朝鮮ではなくアヘン戦争以降疲弊の一途をたどっていた中国を直接攻撃した「日清戦争」で、中国に対し従属的関係にあった朝鮮はこの戦争に関与せず、中国を破った戦果として朝鮮を一方的に併合したことも歴史的事実として明白である。歴史家は、日清戦争のとき、朝鮮軍が中国軍と一緒になって日本軍に対抗しなかった事実とその理由を解明することを完全に怠っている。そんなスタンスで日本の近代史を語ろうとするのを「おこがましい」という。
 ついでに鳩山由紀夫元総理のいわゆる「国賊発言」についても言及しておく。この「国賊発言」というのは、訪中を前に6月26日、香港のテレビ局のインタビューに応じ「(尖閣諸島は)中国側から見れば盗んだと思われても仕方がない」と発言したもので、日本の国益を大きく害したと理解されている。
 鳩山氏はこの発言について現在の段階では一切弁解も、そういう認識に至った理由も説明していないから、単純に「国益」なるものを基準にするのではなく、どういう経緯で尖閣諸島が日本の領土になったかの歴史的検証をしてみたい。
 もともと現在の沖縄県(尖閣諸島も含む)は「琉球王国」という独立国家だった。歴史的には中国に対し、朝鮮ほどではなかったが、準従属的関係にあった。琉球王国時代、王が変わるたびに琉球は中国に使者を派遣して中国の承認を得ていたのは紛れもない歴史的事実であり、中国側もたびたび琉球に使者を派遣して友好関係を密にしていた。その際、中国が琉球への渡航の目印にしていたのが尖閣諸島だったようだ。目印にしていたから中国領土だという言い分もおかしな理屈だが、琉球王国が中国に対し準従属的関係にあった歴史的事実を消すことはできない。
 実はあまり知られていない歴史的事実だが、秀吉が朝鮮征伐を始めたとき、秀吉は日本の支配下になかった琉球に対し助勢を命じている。が、朝鮮と中国の関係から日本軍に助勢すると中国と敵対関係になりかねないと判断した琉球政府は、秀吉の命令を拒否している。が、日本軍が優勢に戦争を進めるのを見て、琉球は軍事的助勢こそしなかったが、食料を提供するなど日本軍を支援した。弱小独立国家が生き延びるための苦肉の外交手段だったことを理解しておく必要がある。
 その琉球王国を1609年、島津藩が3000の軍勢で侵攻した。琉球側は4000の軍勢で対抗したが、戦国時代を経て軍事力で圧倒的に優勢だった島津軍に完敗、以降琉球王国は島津藩の支配下にはいる。島津藩の侵攻を受けたとき、琉球王国は中国に支援を求めたが、秀吉の朝鮮征伐の時琉球が日本軍に食料を提供したこと、また中国にとっては朝鮮ほどとの深い関係にはないこと、さらに琉球を支援することに当時の中国が国益を見いだせなかったことなどの理由から、琉球王国の支援要請に応じなかったという歴史的経緯もある。
 さらに、琉球王国は島津藩の支配下に入りながら、いちおう独立国家として存続してきた。完全に日本の領土として組み込まれたのは明治維新後で、廃藩置県の際、島津藩からも分離されて沖縄県となる。そういう意味では沖縄を日本が奪った(どこから ?、と聞かれると奪った相手はないのだが)ことは紛れもない歴史的事実である。
 似たようなケースにアメリカのハワイ州がある。ハワイはもともとは琉球と同じく独立王国だった。が、1843年にイギリスが何の根拠もなく一方的にハワイの領有を宣言すると、49年にはイギリスに負けじとフランスがやはり一方的にハワイの領有を宣言した。この時期、世界各国からハワイへの移民が盛んに行われるようになり、68年には日本人も集団移民している。アメリカも多少遅れをとったが、ハワイへの進出を始め、政治的経済的影響力を強めていく。そうした状況下で、81年、当時のハワイ国王カラカウアが来日して明治天皇に皇
族間の政略結婚を申し入れる。当時の日本移民のハワイでの仕事ぶりや生活、原住民との良好な関係を見て(これは根拠のない私の推測)、カラカウア王は日本との国家間の緊密な関係を結びたかったのではないだろうか。が、日本政府はアメリカとの関係悪化を恐れて、この申し入れを断る。
 さらに93年、リリウオカラニ女王がアメリカとの不平等条約廃止の動きを見せると、アメリカ移民が米海兵隊の支援を得てクーデターを起こし、王制を打倒して女王を宮殿に軟禁した。この時国王派から要請を受けた日本海軍は邦人保護を理由に東郷平八郎率いる軍艦「浪速(なにわ)」他2隻をハワイに派遣しホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した。この日本側の対応にハワイ原住民は涙を流して歓喜したという。先の大戦で、日本海軍が真珠湾を奇襲したことをいまだに「リメンバー・パールハーバー」と反日感情を持ち続けているアメリカ人が少なくない中で、肝心のハワイ原住民が日本人への親しみを持ち続け、州知事に日系人を選んだりするのも、こうした埋もれた歴史によってハワイ原住民が親日感情を持ち続けてくれているからではないかと私は思う。この日本とハワイの関係の埋もれた歴史を発掘すれば、やはりノンフィクション賞の対象に多分なるだろう。
 ハワイ王朝を打倒した米人樹立の臨時政府は、アメリカに併合を求めるが、当時のアメリカ政府は海外進出に消極的で、臨時政府はアメリカ併合を断念、94年には新憲法をつくってハワイ共和国建国を宣言した。「初代大統領」はサンフォード・ドール。彼は最初で最後のハワイ共和国大統領となった。翌95年、ハワイ原住民が武装蜂起して王政復古を目指したが、近代兵器で武装していた共和国軍に短期間で鎮圧され、反乱派に対する大虐殺が始まる。共和国側はリリウオカラニ女王がこの反乱に加担したとして女王を廃位、ハワイ王国は滅亡した。その後、ハワイの地政的重要性に気づいた米政府は98年にハワイ共和国を併合、ハワイ準州(米自治領)にした。ハワイが50番目の州になったのは1959年になってからである。
 このようなハワイの歴史を振り返ると、琉球がたどった道と酷似していることが理解できよう。そしてハワイ州民が米国人であることに今では何の疑問も抱いていないのと同様、沖縄県民も日本人であることに何の疑問も抱いていない以上、琉球王国の支配下にあった尖閣諸島が、固有の領土とまでは言えないまでも、沖縄県に属する日本の領土であることに疑いを容れる余地はない。
 
 ついでの話はこの辺でおいて、自衛権問題に戻ろう。自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つがあり、個別的自衛権は国連加盟国であれば自動的に付与される権利であることはすでに述べた。ただ国連憲章の51条条文におかしな、というより間違った表現があると、条文転記の中で注釈を加えたことを覚えておいでだろうか。そのおかしな表現とは「個別的又は集団的自衛の固有の権利」という表現である。日本語では通常「又は」という場合(おそらく原文では、「or」と記載されていると思う)、「二つの選択肢のどちらかを選ぶ」という意味である。もし国連憲章51条が二つの権利を有することを意図したものであれば、「or」ではなく「and」を使うべきだろう。ひょっとしたら「or」には「and」の意味も含まれているのかもしれないと思って英和辞典を調べてみたが、そうではないようだ。とすれば、なぜ国連憲章は「and」ではなく「or」という文字を用いたのか。
 ウィキペディアの解説によれば、自衛権の意味はこうである。
「自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力を持って必要な行為を行う国際法上の権利であり、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利である。国内法上の正当防衛権に対比されることもあるが、社会的条件の違いから国内法上の正当防衛権と自衛権が完全に対比しているわけでもない。他国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を集団的自衛権といい、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利である個別的自衛権と区別する」
 つまり国連憲章51条を条文に従って忠実に行使できる自衛権は、集団的自衛権or個別的自衛権のどちらかで、どちらを選択するかは国連加盟国の自由ということになる。
 現在、日本の憲法9条についての解釈は「個別的自衛権は固有の権利としてあるが、集団的自衛権は国連憲章では認められているものの、現行憲法下においては行使できない」というのが通説になっており、政府もその通説に従っている。そこで自民党は、集団的自衛権が認められるような条文に9条を改正し、日米同盟を双務的なものにしたいというのが結党以来の執念である。そのため、憲法改正の発議要件を定めた96条をまず改正して発議要件のハードルを下げておきたいというのが現時点での憲法改正の目的である。
 憲法改正派は「押し付けられた憲法」と主張するし、護憲派は「平和憲法のおかげで日本は戦後、平和を維持できた」と主張して、議論がまったくかみ合わない。この議論のおかしさについてこれまで何度も書いてきたので、これ以上繰り返す必要はないだろう。
 ただ、勢力は伸ばしたものの、自民の圧倒的勝利によって、かえって政府与党の中で影が薄くなってしまった公明が改憲問題にどう取り組むかが注目の的になる。公明は憲法問題については、現実に対応できるよう「加憲」を主張してきた。「加憲」とは現行憲法の平和主義は維持しつつ現実を反映した条文(具体的には自衛隊の存在や国際貢献の在り方)を加えようという意味と思われるが、維新やみんなは自衛隊の位置づけを憲法で明確にする必要性を認めている。
 共産・社民はいずれも憲法改正反対を主張しているが、さすがにかつてのような「日本丸裸」論は引っ込めており、そうなると戦力保持を全面否定した9条と現実との乖離(自民はこの乖離を埋めるため、「戦力」という言葉を使用せず「実力」と言い換えるなど苦肉の策に追われている)をどう説明するのか。
 問題は民主で、もともと野合政党であるため改憲派と護憲派がごちゃ混ぜになっており、政府与党が96条改正を上程した時、どういう方針を党として打ち出すのか、皆目見当がつかない。党を維持するためには党としての方針を打ち出さず自由投票にするしかないが、そうなると「民主はいったい政党といえるのか」という民主支持者の反発が生じるのは目に見えており、かといって党としての方針を両院議員総会を開いて決め、法案採決の際党議拘束をかければ分裂はおそらく避けられない。改憲問題という基本的スタンスすら同一の価値観を共有せず、ただ「反自民」の旗印だけ掲げて船出した野合政党がたどるべき必然的結果が目前に迫っている。
 最後に、もはや死に体になっている小沢新党(生活と称してはいるが)の動向などどうでもいいから論評しない。
 いずれにせよ、この参院選で、とりあえず改憲手続きを定めた96条の改正案(憲法改正は衆参両院の過半数の賛成で発議でき、国民投票で過半数の賛成で実施されるという改憲手続きの改正案)は衆参両院で3分の2以上の賛成により成立し、国会が発議するに至ることはほぼ間違いない状況になった。その結果、国民が直接憲法改正に国民の意思を反映できる道が短くなることは間違いない。
 まだどの政党も憲法改正案に入れていないが、改正憲法にぜひ「国民投票権」の規定を設けてもらいたい。つまり国論を二分するような重要法案は、一定の衆参両院議員の賛成(憲法改正の手続きよりハードルは下げる必要がある)で国民に直接意思を問う制度を設けていただきたい。
 国民主権と言いながら、実際には国民が政治に関与できる機会は選挙の時だけで、国論を二分するような重要法案すら国会議員たちだけで決められては困るのである。
 国民が重要法案の決定に直接関与できるようになった時、当然考えられるのは政治がポピュリズムに流れることだが、それは民主主義が成熟するための過渡的な道としてどのみち避けられない。そういう苦難を乗り越えて初めて人類は民主主義の欠陥を少しずつ、かたつむりのような歩みであったとしても修正することが可能になる。
 憲法改正を、単に9条の改正にとどめることなく、真に国民主権の政治が実現できる一里塚にしてほしいと私は切に願う。(7月21日23時50分)

参院選最大の焦点――アベノミクスで景気は回復するか? 私の検証

2013-07-12 09:04:16 | Weblog
 参院選も中盤に差し掛かり、マスコミ各社の世論調査によると自民の圧倒的有利は動かないようだ。それにしても野党、とくに民主と維新の停滞ぶりは、かつてこれらの政党が全国的にブームを起こした政党だったのかと思うと、ほんの数年あるいは数か月しか経っていないのに隔世の感がある。
 私はこうした政治状況に、異論を差し挟むつもりもないし、また自公が衆参で過半数を超えて憲法改正の発議を行える3分の2以上の勢力を獲得するだろうことについてもむしろ歓迎しているくらいだ。かつてブログで述べたように、国会には憲法改正の権限はなく、改正の発議をできる権利しかない。国会が発議した憲法改正案を肯定するのも否定するのも国民の手にゆだねられる。国民自身が国の在り方を決める機会が生まれることになる。日本社会が、欠陥だらけの民主主義を、世界に先駆けて健全な政治システムに成熟させていく絶好の機会が訪れることになる。多数決を絶対的な基準としている民主主義の最大の欠陥を、私たち日本人がどう小さくできるかが試される。
 マスコミが行ったアンケートの結果によれば、国民の多くは依然として「景気対策」を最重要視しているようだ。安倍総理はすでに景気回復策として「アベノミクス」を発表している。参院選はアベノミクスに対して下す国民の審判でもある。
 11日、日銀・黒田総裁は「景気は緩やかに回復しつつある」と、日銀の景気判断を上昇修正したことを発表した。日銀が景気判断で「回復」という言葉を用いたのは実に2年半ぶりのことだ。だが、好況感を肌で感じているのは一部の資産家にまだとどまっており、中流階層にまで広まらなければ、本当に景気が回復基調に乗ったとは言い難い。
 これからが安倍総理の手腕が問われることになる。衆参ねじれ状態が続いていた間は、「参院で否決された」という逃げ道があった。自公が参院でも過半数を占めることになれば、政府は背路を失うことを意味する。失政は許されない。

 アベノミクスは具体的には①金融緩和によるデフレ脱却、②公共工事など大規模な財政出動による景気刺激策、③経済成長戦略、の三つである。このうち私が最も重要視しているのは①と②である。あとで述べるが②についてはこれまでブログで二度批判しており、今回のブログでは要点だけ述べる。③はまだ全体像が見えていないので、現段階での評価と私の提案にとどめる。
 まず金融政策は日銀の専権事項であり、日銀が最終的に判断することであっ
て、総理が個人的に日銀に対して要望することまで異論を挟むつもりはないが、あたかも政府が金融政策を左右しているかのごとき主張を繰り返すのはいかがなものか。
 金融政策を考える場合、過去の失敗を二度と繰り返さないことだ。
 まずバブル経済を生んだ金融政策。その最大の責任者は澄田智(すみださとる)総裁(1984年就任)だった。澄田氏が総裁に就任した時期は日米貿易摩擦と円高圧力に日本経済界が直面していた時期だった。いわばいきなり定員オーバーの大型観光船の船長を任されたようなものだった。定員オーバーになったのは政府の無能さと日本企業のモラルなき対米輸出拡大一辺倒の姿勢にあった。またそれをチェックして金融政策でカバーしなかった日銀も責任を免れ得なかったと私は考えている。
 今更自慢めいたことを書いても仕方がないが、私は日本企業のモラルの低さについて手厳しく批判したことがある。光文社発行の月刊誌『宝石』(88年10月号、のち廃刊)に掲載した松下電器産業(現パナソニック)の谷井社長とのインタビュー記事である(9ページに及ぶ異例の大インタビュー記事)。このインタビュー記事を無修正で掲載した編集長は社内で責任問題になったほどの記事だ(女性週刊誌が主要な収益源になっていた光文社にとっては、松下は大クライアントであり、ご機嫌を損ねるような記事を掲載するのはタブー中のタブーだった)。問題になった個所の一部を転記する。

(地の文で)円高が急速に進行することによって内外価格差がクローズアップされた。この問題の火付け役になったのが松下電産で、同社の輸出用コードレス電話が逆輸入され、ディスカウントショップで国内向け製品価格の八分の一という超安値で販売されたことがきっかけとなり、「どうしてそんなに価格差が生じるのか」といった疑問が、マスコミや消費者の間で噴出したのである。
 松下側は「国内の認定規格とアメリカの規格が違うし、日本で販売しているタイプは省電力型で、輸出製品は微弱型という全くスペックの違う商品を単純に比較することはできない」と反論している。が、スペックの差だけでこれだけの差がつくとは、私にはどうにも考えにくい。
――現在の為替は130円台前半で一応小康状態にありますが、率直のところ高いと思われますか、それとも安いと思われますか ?
谷井 輸出比率が高いメーカーとしては、安い方がいいというのは非常にイージーですけどね。まぁ、今の段階で安い高いというより、率直なところ、やっぱり妥当というか、いい線だというふうに思いますね。だけど、企業というのは将来も含めて考えていくといたしますならば、これですむとは考えちゃいけ
ないと。
――この一年間に3回ほどアメリカに行って肌で感じてきた実感なんです。衣食住のほとんどすべてアメリカのほうが安い。私に限らず、それが消費者の実感ではないでしょうか。
谷井 それはそうでしょうねぇ。
――ということは、円は実力以上に高くなりすぎているのではないか、という気がします。実際、エコノミストの多くは170~180円が妥当じゃないかと言っていますが、消費者の貨幣感覚というか、あるいは購買力平価を基本にした考え方からすると円はちょっと高すぎるのではないかという気がするんですが……。谷井 消費者の身近な物価から行きますと、確かに、たとえば肉はこうだとか、米はこうだとか、よく言われますけれども、むしろ日本の場合、そういう面で行くと、日本の土地、電気製品、カメラ、その他もろもろの値段が為替とリンクした評価になっていないんで、全体のバランスが取れていないという面もあるんじゃないでしょうか。
(地の文で)購買力平価は、1ドル=130円とした場合、アメリカで1ドルで買えるものは日本でも130円で買えることを意味しており、すべての国があらゆる財の生産・流通・消費を自由化したときに成り立つ関係である。ただ農畜産物のように購買力平価の考え方にそぐわない財もあり、為替レートが単に貿易関係だけでなく、各国通貨の需給関係、資本移動、政府の政策の影響を強く受けている現状では、購買力平価だけを基準にして為替レートを論じることはできない。
(※この文章は1085年に書いたものであり、貿易の自由化が急速に進みつつある今日では特殊に保護された分野を除き為替レートは購買力平価を反映した基準に限りなく近づきつつある。日本がTPPに正式に参加することになると、一定の猶予期間は与えられたとしても従来のような農畜産物に対する過保護政策は継続できなくなり、安倍総理はそうした将来を見越して「強い農業」の構
築を目指していることをご理解いただきたい。昨年末の総選挙の時の公約は「強い農業」政策の発表によって事実上反故にされた)
――もちろん、すべてが購買力平価に即してバランスが取れるということはありえません。ただ、本来、日本のほうが安いはずの工業製品、たとえばカメラとかビデオとかといったものまでアメリカで買った方が安い。こういうことが起きるのはおかしいじゃないかと……。
谷井 それは、円が強くなるから、一時的にそういう現象が起こるんでしょう。ある面からいくと、じゃ、もう少し円が弱くなればバランスがとれるんだという理屈が成り立つんですよね。しかし、また一方において、アメリカの流通と日本の流通とが逆に向こうから言われるように何かおかしいんじゃないかと。だから、むしろ日本のほうが高いんじゃないかという見方もありますから、商
品によって一律には言えませんね。
 また日本とアメリカでは、消費者のニーズも異なり、国内製品には機能が付加されているので単純に比較できませんけど。しかし先日、日経新聞でしたか、日米の商品の価格というものを調べられて、いろいろ出てましたけど、私どもの電気製品ではほぼバランスがとれていると、こういう記事も出ていましたし。ま、電話機のような問題もありましたけど、あれなんか、まさにスペックも違うし、弁解じゃありませんけどね。(中略)
 しかし、国内、海外という、いままでのようなセパレートした仕事の姿では考えられないようなことが出てきている。まさに価格もそうだと思うんですよ。決してどこの国に安く売った、どこの国に高くという、そんな意識的な意図は働かなくても、為替の変動で結果的にそうなった。だけど、それは確かに許されることではありませんから、そういうことも含めて、世の中、端的に言えば大きく変わってきていることだし、まさに好むと好まざるとにかかわらず、世界は国際化してきているわけですね。だから価格についても、どこで買っても同じ評価される、当然そういう時代になってきたと思いますね。
(地の文で)これまでマスコミは、輸出メーカーを一貫して“円高の被害者”として扱ってきた。もちろん、円高で輸出メーカーが大きな打撃を受けたことは事実だが、単純に被害者とだけ言い切ることが出来ない要素もある。むしろ、被害者であったはずの輸出メーカー、とくに自動車メーカーと電機メーカーの行動が、実は加害者として機能している点に今回の円高問題の複雑さがあるのではないか。
――円はこの3年近くの間にほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
 どうして10%や20%の値上げに抑えることが出来たのかと聞くと、メーカー
は合理化努力の成果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる(※日本企業がまだ海外に生産拠点を移すようになる前のインタビューですよ)。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないわけです。
 また、アメリカにほとんど競争相手がいないカメラのような製品でも、円が倍になったからといって輸出価格も倍にするとアメリカ人の購買限度額を超えるバカ高い値段になってしまう。30%か35%の値上げが限界のようですね。
谷井 そうでしょうね。
――まして国内の消費者にシワ寄せできない零細輸出業者はアップアップしていますよ。
 さらに今回の新貿易法案の狙いもそうですが、60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。議論としては「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。もうアメリカと仲良くしなくても、中国やソ連を相手にやっていけば日本の将来は万々歳だと思うなら、堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです。
谷井 成り立ちませんね。ただ一つの歴史的背景の中で、幸いにして自動車にしてもエレクトロニクスにしても、少なくとも昭和50年代の前半までは非常にお客様に恵まれ、市場に恵まれて、高度成長してきましたね。しかしG5というものを契機として、それにブレーキがかかり、まさに大きな転機を迎えたという認識を各メーカーは持っていると思うんです。自動車にしろ、われわれ電機メーカーにしてもね。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなった分、アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけがないんですから。
 それなのに“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカ側がダンピング輸出だと怒るのは当たり前です。とくに自動車業界と家電業界。自動車ならトヨタとか日産、電気なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んで行った国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんよ。
※谷井社長に対する追及はまだまだ続くのだが、G5を契機にした急速な円高の中での日本を代表するメーカーの国内消費者に対する姿勢は十分に明らかにできたと思う。はっきり言えば日本の輸出産業界は、国内の消費者を犠牲にしてダンピング輸出を続け、G5合意(プラザ合意)を台無しにしたことだけは明らかにした。松下電器産業のトップを相手にここまで追求したジャーナリストは、悲しいかな日本には私以外に一人もいなかった。なお余談だが、このインタビュー記事を無修正で掲載してくれた編集長は左遷されたし、『宝石』からは二度と原稿依頼はなかった。

 為替という問題を考えるとき、大切なのは各国通貨は、様々な商品やサービ
スと等価値交換ができ、かつ政府が保証する唯一の特種な商品だということを理解していただく必要がある。商品だから、売ったり買ったりすることができ、そういう売買によっていわゆる為替相場が形成されるということをご理解いただかないと、これから述べる話は読者にとってチンプンカンプンになる。
 日銀の金融政策がおかしくなりだしたのは1984年に総裁に就任した澄田氏からである。澄田総裁の超金融緩和政策によってバブル景気が爆発したからだ。が、その話をする前に、どうして日本がバブル経済に突入したのか、そしてバブル崩壊後に訪れた未曾有のデフレ不況(「失われた20年」と言われている)を日銀は金融政策でなぜ克服できなかったのかを検証しておきたい。
 戦後、世界経済は長く固定相場制を維持してきた。それは米政府が基軸通貨の米ドルを固定比率で金との交換を保証してきたからである。当然のことだが、世界経済の発展によって基軸通貨の米ドルの流通量も増大する。つまり米ドルが世界中に溢れ、時代の要請によって米政府は金との交換保証を続けるためには金の保有量も米ドルの増発に比例して増やす必要がある。世界経済が成長を続ける限り米ドルの増発→金の保有量増加のサイクルはとどまることがない。こうしたサイクルが限界に達したと判断した米政府(ニクソン大統領時代)は1971年、突如米ドルと金の固定比率での交換を停止すると発表した。それによって生じた世界経済の大混乱を「ニクソン・ショック」という。
 さらに2年後、アメリカはこれも突如固定相場制の廃止を発表した。その結果、各国の通貨は政府が保証する唯一の等価交換機能を持つと同時に、通貨間での売買が行われる特殊な商品にもなったというわけだ。そうした二つの顔を持つ通貨の発行量を決めるのは政府ではなく、裁判所と同様、政府から完全に独立し、政府からの干渉を受けない中央銀行なのである。日本の場合、その中央銀行が日銀なのだ。従って金融緩和政策をとるか否かを決めるのは総裁を中心とする日銀の幹部(株式会社ではボード)なのである。つまり政府が「大胆な金融緩和政策によってデフレを克服する」という行為は不可能なのだ。裁判所に代わって政府が判決を下すようなことを意味するからだ。
 さて日本はなぜバブル経済に突入していったのか。
 澄田氏が日銀総裁に就任した翌年の85年9月、歴史的なG5が米ニューヨークの名門・プラザホテルで開かれた。G5は米・日。西独・英・仏の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会して財政政策について協議するのが目的で開かれるようになった国際会議である(現在はイタリア、カナダ、ロシアが加わりG8になっている)。為替が自由化されるようになった結果、各国通貨が商品になったことはすでに述べた。
 通貨が商品になった結果生じたことは、投機筋による売買が避けられなくなったことである。その結果、極端な(当時としてはそう考えられていた)円安ドル高現象が生じ、米産業界が急速に競争力を失ったのである。そこで先進各国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会し、金融政策(具体的には円買いドル売りの協調為替介入)によって米産業界の競争力の回復を協議することがG5の目的だった。その方針自体はすでにアメリカによる根回しがされていて、会議そのものは20分で終了した。つまりアメリカの根回しによって合意されていたことを確認するための儀式に過ぎなかったのだが、為替相場を投機筋が事実上支配している市場を実体経済を反映したものにしようという協調スタンスをとることを初めて決めた国際会議ゆえに歴史的会議と位置付けられ、「プラザ合意」と呼ばれるようになった。
 読者に対しては誠に申し訳なかったが、実は松下の谷井社長に対する追及はこのプラザ合意を台無しにした日本企業の「自分さえよければ、他人がどんな迷惑を被ろうと知ったこっちゃない」というモラルの低さをさらけ出すことが目的だった。谷井社長とのインタビュー記事を転記する前にこのことを書いた方が、インタビューの中身をより深くご理解いただけたであろうことを百も承知で後回しにした理由は、このあと書く、なぜ日本がバブル経済に突入したのか、またその後なぜ「失われた20年」を余儀なくされたのかをご理解いただくためには、為替についての基礎知識を後回しにせざるを得なかった。本当に「ごめんなさい」と頭を下げるしかないのだが、谷井社長に対するインタビューはこのプラザ合意を台無しにした大企業のモラルを問うことが目的だったのである。
 ついでに書いておくが、大企業の広報のスタンスは必ずしも一様ではない。広報自身が判断するケースもあるし、責任回避のため判断を上に回すか、また取材そのものをハナから拒否する広報もある。大新聞の大企業トップへのインタビュー記事がすべてヨイショになってしまうのは、基本的には大新聞社の経済記者のモラル低下(というよりモラルゼロ)による。
 もちろん広報としては無制限に取材を受けるわけにはいかず、一応取材目的について聞いてくる。それはいいのだが、「取材趣意書を文書にして出してくれ」などという要求をする広報もある。そういう場合は、「取材した結果によって書く内容が変わることもありうるので、現段階で趣意書を書くことは不可能だ。そこまで要求するなら広報を通さずに独自に取材をするが、それでもいいか」と答えることにしている。しぶしぶ取材を認める広報もあるが、取材を拒否する広報もある。もっとも卑劣だったのは日本IBMだった。取材を申し入れたところ、広報部長のS氏が会いたいというので会った。S氏はいきなり「小林さんは当社にかなり厳しいことを書いていますね。当社へのロイヤリティを示していただかないと取材には応じられない」と言ってきた。こんなバカな要求をする広報マンには初めて会った。「確かに批判もしたが、過去のソフト資産を世界で初めて継承するコンピュータ(IBM360)をかいはつしてこんぴゅーたぎょうかいのおうざをふどうにしたについては高く評価したことも書いている。私は一切の偏見を持たずに評価することは評価し、批判すべきことは批判しているだけだ。どう書くかは取材してみないと分からない」と応じ、結局取材を拒否された。私は広報を通さずに独自取材を始めたが、IBMのガードは極めて高く、途中で独自取材を断念した。私も現在のように道楽でブログを書いていたわけではなく、取材にかける費用のもとが取れないような仕事はできない。残念だったが、あきらめた。
 私は、「そこまでやるのはやりすぎだ」と批判され、途中からやめたが、企業について書いた単行本を上梓した後、広報の責任者と担当者をごちそうすることにしていた。それが仕事とはいえ、彼らの協力がなければいい取材ができなかったため、お礼の意味でごちそうさせていただいてきたのだが、さすがに広報側もごちそうになりっぱなしというわけにもいかず、「じゃ二次会は私どもで」とお誘いを受ける。それをお断りするのはいくらなんでも大人気ないので二次会はごちそうになるが、たまたま銀座のクラブでその企業のライバル企業の広報責任者たち数人がどなたかを接待していた場に出くわしてしまった。ライバル企業の広報責任者たちが知らんぷりをしてくれていたら私もわからなかったのだが、私たちの席に挨拶に来られた。挨拶されて、知らんぷりもできないので私も挨拶を返したが、先方の挨拶の仕方が気になったと見え、一人席に残っていた方が広報責任者に尋ねたらしく、突然私たちの席に来て「ご著書はいつも読ませていただいています。大変参考になります」と名刺を差し出された。その名詞に記載された肩書は「朝日新聞経済部」とあった。まだ30代前半の若造記者である。朝日新聞が大企業の広報を接待するわけがなく、その記者は担当する大企業の責任者たちから接待を受けることを自分のステータスだと思っていたようだ。そんな記者たちが書く企業記事がヨイショになるのは当たり前といえば当たり前の話だ。念のため、大企業が社会的問題を起こした時に取材に乗り出すのは経済部ではなく社会部である。そうした事実が新聞社の姿勢を何よりも雄弁に物語っている。はっきり言えば、経済部の記者の仕事は、企業にプラスになる記事を書いて新聞社の営業活動の一翼を担うことにある。そのことを私の前で正面から否定できる新聞社は、ない。
 ちょっと話が横道にそれすぎた。本筋に戻す。
 プラザ合意の最重要点は各国が円買い介入することだった。なぜ円が狙い撃ちされたかというと、当時のアメリカの貿易赤字(財政赤字と並んで「双子の赤字」と呼ばれていた)の最大の原因が対日貿易収支の大幅赤字にあったからである。そのため日銀も円を売ってドルを買うという協調姿勢を明確にした。それだけでなく、公定歩合を5%に据え置き、かつ無担保コールレートを6%弱から8%台に一気に引き上げるという極端な金融引き締め策に出た。円は当然だが急激に上昇し、一部のエコノミストが「円高不況になる」と警鐘を鳴らしたが、澄田総裁はそうした声に一切耳を貸さなかった。なぜか。理由は定かではないが、澄田氏は日銀プロパーではなく、大蔵省の出身で(事務次官で退官)、プラザ合意に出席した日本代表は蔵相の竹下登だった。政府による日銀コント
ロールへの道は澄田総裁が開いたのではないか、と私は思っている。
 いずれにせよ、日銀の金融引き締め政策の結果、一部のエコノミストが予測した通り、日本は円高不況に入っていく。何しろプラザ合意時点の為替レートは1ドル=235円だったのが、1年後には150円台まで急上昇したのだから、企業努力でどうにかなるといった問題ではなかった。トヨタや松下をはじめ日本を代表する大企業が「合理化努力」を口実に輸出価格アップをせいぜい10~20%程度に抑えながら、国内消費者に対しては価格を据え置いて収益の確保を図ったのは紛れもない事実である。もっとはっきり言えば、日本の大企業は国内の消費者を犠牲にして自社の利益確保に走ったのである。もちろん日銀金融政策の失敗の付けを消費者に回さざるを得なかったという同情すべき事情もあるのだが……。
 こうして円高不況に突入した日本経済の状況を前に、翌86年には一転して公定歩合を引き下げて金融緩和策に転じた。公定歩合を引き下げだけでなく、国債を政府の言いなりになって買いまくり、国内に過剰な資金がばらまかれることになった。ところが銀行にとって最も安心できる融資先である大企業は国内での設備投資を控える一方、円高の影響を回避するため生産拠点を海外に移転し始めた。そのための資金も担保や経営者の個人補償を要求する銀行に頭を下げて借りるという従来型の間接資金調達(預金者の金を銀行を経由して借りるため「間接」という言い方をする)から、企業の信用力を背景に増資や社債発行による証券市場からの直接資金調達に方向転換していた。
 困ったのはだぶついた資金の運用先を失った銀行だった。銀行が資産家に対して土地を担保に無期限のカード融資を始めたのだ。その先陣を切ったのが大蔵事務次官の頭取指定先である横浜銀行だった。横浜銀行の支店長が真っ先に勧誘に訪れたのが私の自宅だった。はっきりと覚えているわけではないが、担保の掛け目は8割(普通は7割のはず)で、金利も住宅ローン金利プラス0.5%程度の低利だったと思う。
「分かっちゃいるけどやめられない」ではないが、私自身も目がくらんだ。仕事の関係上、ゴルフ場の建設ラッシュで、これからゴルフ場を作るというジャパニーズ・ドリームを実現したアントレプレナー(起業家)たちと知り合いだったこともあり、彼らから最優遇の特別縁故会員にならないかという誘いを受け、飛びついてしまった。いまだから言えることかもしれないが、当時はゴルフ会員権は土地や株と同様、右肩上がりがまだまだ続くとみんなが信じていた。ゴルフ場は平日でもコンペでいっぱいで、ゴルフ場はまだまだ不足していると、みんなが思い込んでいた。銀行でさえ、ゴルフの会員権購入資金に関しては100%融資するという信じがたい営業活動を行っていたくらいだった。ただし、100%融資の対象は特別縁故、縁故募集の会員権購入資金までだったが……。なお私は目がくらんだことは自省しているが、私に特別縁故のゴルフ会員権を譲渡してくれた方たちのことを活字にしたことは一切ない。リクルート株を譲渡された人たちとは違う。
 こんなケースもあった。私の友人からの誘いで仙台に行ったことがある。10人ほどのツアーだったと思う。ツアーの主催者は旅行会社にあらず、某大銀行(現メガバンクの母体の一つ)の支店長だった。行きも帰りもグリーン車、宿泊は超一流ホテル、ゴルフ付き、しかもツアー料金は無料。条件はたった一つ。その銀行が融資したデベロッパーが開発中の分譲地を視察すること。もちろん買う・買わないは自由ということだったので私はゴルフ目的で参加した。支店長は「この周辺の土地は1年で倍になっています。もしお買いになるなら当行が100%融資しますよ」と勧誘した。一流銀行の支店長がデベロッパーの「営業マン」になっていた時代だった。その物件は私は買わなかったが、何人かはその「うまい話」に飛びついて買ったようだ。後日談は聞いていない。
 バブル経済を演出したのは、まぎれもなく日銀の澄田総裁だったし、その日銀政策に乗って銀行の支店長が先頭になってバブル商品の購入者に無責任極まりない融資を行ったという事実は永遠に消すことができない。私は幸い借金までしてゴルフ場の会員権を買うことはしなかったので、バブルがはじけた瞬間、いくつものゴルフ場会員権がただの紙切れになっただけで済んだが、銀行マンから勧められて借金までしてバブル商品を買った人たちは一体どうなったのだろうか。それほど親しく付き合っていたわけではないが、私の友人の一人は自殺した。澄田総裁は天授を全うしたし、責任をとって自殺した銀行マンの話は聞いたことがない。澄田総裁は天授を全うしただけでなく、勲一等旭日大綬章をもらい、没後には従三位になった。日本経済をめちゃくちゃにしたことが、それほど高く評価されることなのか。
 ちなみに『大蔵省権力人脈』(栗林良光)によれば、総裁後半期の低金利政策のミスは、何らかの持病の影響によった可能性があるらしい。
 澄田総裁は任期を全うして退任したが、後継者の日銀プロパーの三重野康総裁は、当然のことだがバブル退治に乗り出した。バブル退治に乗り出した三重野総裁を、この人以上に頭の悪い評論家はいないと私は思っている自称経済評論家の佐高信氏は三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたが、「失われた20年」をつくった張本人が、まさに三重野総裁だったのだが。
 とまれ。佐高氏が三重野氏を「平成の鬼平」とまで激賞した誤りについて自己批判したという話は残念ながら聞いたことがない。ちなみに中山素平氏をモデルに戦後の日本経済の復興にあずかった日興を描いた『小説 日本興業銀行』の著者で、経済小説の第一人者の高杉良氏は、バブル期に起こした日興の不祥事について朝日新聞記者から感想を聞かれたとき「不明の至り」と、自らを責めた。中山氏の時代の日興を描いただけで、その後のバブル期に日興が起こした不祥事について自らを責める必要は全くないと思うのだが、高杉氏は硬骨の経済小説家として名を馳せただけに自らの不明と、一切抗弁しなかった。
 実は三重野氏は澄田総裁のもとで副総裁の地位につき、澄田総裁の低金利政策の実行部隊の事実上の最高責任者だった。つまりバブル経済演出の片棒を担いだのが三重野氏だったのだ。その事実さえ知らずに、三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げた佐高氏の感覚が私には全く理解できない。だが、佐高氏同様頭の悪いマスコミ連中が、「平成の鬼平」というキャッチフレーズを作った佐高氏を高く評価したようだ。
 正直なところ、私も佐高氏の「才能」の一面はそれなりに評価している。「平成の鬼平」もそうだが、小説家の安土敏氏が考案した「社畜」という名文句を広めたのも佐高氏で、コピーライターとしての能力はかなりあるのではないかと思っている。ただ従業員用の「社宅」を「家畜小屋」と名付けたのは失敗作で、どうせ安土氏考案の言葉をあたかも自作であるかのように振りまくくらいなら、いっそのこと「社畜小屋」と命名したほうがよかったのではないかと思う。また内橋克人氏や本田勝一氏らに巧みに取り入ってマスコミ界にそれなりの地位を築いた営業感覚の鋭さは、私ごときが到底太刀打ちできるものではない。つねづね佐高氏の爪の垢でも煎じて飲みたいと思っているくらいだ。
 それはともかく、バブル経済に関しては澄田総裁と同罪の三重野氏は、総裁就任後それまでの金融政策を急転換、一気に金融引き締めに転じた。確かにバブル景気を収束させる必要は誰もが認めるところであった。特に地価の急上昇は、すでに土地(特に住宅地や商業用地)の所有者にとっては資産価値の増大を意味したが、一般庶民にとっては持ち家を買うことは夢のまた夢になってしまった。が、日本経済の足腰を折りかねないような急激な金融引き締めは当然大きな副作用をもたらした。三重野氏は澄田副総裁のもとでプラザ合意による円高ドル安に日銀として協力すべく、いったん金融引き締め政策を実行したが、一部のエコノミストが予測したように日本経済を「円高不況」が襲った。あわてて澄田氏と三重野氏は金融政策を大転換、公定歩合の大幅引き下げによる金融緩和策に転じたのだ。
 日本経済は一気に息を吹き返したが、日銀は金融緩和を継続した。そのため行き過ぎた景気の急上昇が生じたのは当然予測されたはずなのに、澄田氏も三重野氏も無能な金融マンだった。バブル景気は「砂の上の楼閣」に過ぎないことに気づかず、日本経済の足腰の強さと信じてしまったのだろうか。だとしたら、お前らアホか、と言うしかない。
 ここで日銀が行う金融政策について簡単に説明しておこう。日銀の使命は言うまでもなく日本経済が健全な成長(※あくまで健全な成長だ)を継続できるよう通貨の価値(円だけでなくドルやユーロも含まれる)をコントロールするための様々な政策を実行することにある。具体的には公定歩合の決定によって金融引き締めや金融緩和を行うことが第一。ちなみに公定歩合は日銀が銀行に貸し出す際に適用される基準金利のこと。この基準金利を元に銀行は企業への融資や住宅ローンの利率を決めることに一応なっている。「一応」と書いたのは最近、住宅ローンなど長期融資の金利が別の要因で上昇しているからだ。現在の別の要因とは、すでに述べたように通貨が投機対象の商品として機能し、円安基調が定着した結果、公定歩合は利上げしていないのに長期金利が上昇しているからである。次に適正と日銀が勝手に考えた為替相場を保つため、市場で円を買ったり(ドルを売ることと同義)、売ったり(ドルを買うことと同義)して通貨価値をコントロールすること。投機筋は売買差益を得るため通貨の売買を行うが、日銀は儲けるために通貨の売買を行うわけではない。あくまで投機筋に対抗して通貨価値を適正な範囲(※何度も言うが、「適正な範囲」とは日銀が勝手に考えた範囲のこと)に維持するために行う行為である。日銀の三番目の役割は国債(日本国債だけでなく他国の国債も対象になる)を直接あるいは市場から購入したり売却したりして国債の価値を適正水準に支えること。現在の円安は、日銀の円売り介入によるものではなく、日銀が無期限・無制限に日本国債を買うことを発表したことと、アメリカ経済が回復基調に入り失業率も改善したため、投機筋が安心してドル買い円売りに転じたためである。大きく大別すると日銀の金融政策は以上の三つである。
 そうした金融政策を巧みに組み合わせてバブル化した日本経済を健全な成長持続状態に戻すため、過熱したバブル景気を軟着陸させるのが三重野総裁の使命だった。が、三重野総裁が行ったのは、そうした軟着陸を図ることではなく、公定歩合の大幅アップという劇薬を投じて一気にバブルを崩壊させてしまう方法だった。その結果、バブルは確かに退治できたが、同時に日本経済の足腰まで折ってしまうという、歴代日銀総裁の中で澄田氏と双璧をなす最低の総裁だった。
 改めて言う。日本経済をバブル化した澄田氏(三重野氏も一緒)、バブル退治はしたが「失われた20年」の張本人である三重野氏。この二人の名は日銀史に燦然と輝くことだろう。ただし反面教師としてだが。
 アベノミクスの第一の矢である金融緩和政策に戻る。考えてみれば、日銀とは妙な組織だ。日本経済に大きな影響を与える金融政策を、一応政府から独立した公的機関でありながら、政府出資金(資本金1億円のうち55%を政府が出資)だけでなく、残り45%の出資者の中には民間もある。株式会社でもないのに出資者が保有する「出資証券」はジャスダックに上場され株式と同様売買されている。証券コード(8301)も付与されている。が、企業と異なり出資者が株主総会のような場で経営方針について意見を言う機会は与えられていない。が、株式会社と同様利益を上げることも許され、出資者に対して配当もできる。
 さらに政府から独立した財務省管轄の認可法人だが、総裁・副総裁・審議委員6人(任期はいずれも6年)は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。が、独立性の保証として政府に罷免権はない。位置づけは日本の中央銀行で日銀法によれば、日銀の役割は「物価の安定」と「金融システムの安定」となっている(※具体的に日銀が行う金融政策は先に述べた三つ。ほかには日本通貨の発行権がある)。
 日銀の最高意思決定機関は常設の「政策委員会」であり、これには内閣が任命した3役のほか理事6人、参与3人が加わる。この政策委員会で決定されたことだけが日銀の金融政策として実行に移される。私のひねくれた性格のせいかもしれないが、「政策」という言葉に違和感を感じた。で、ウィキペディアで「政策」の意味を調べてみた。ウィキペディアではこう定義していた。
「政策とは、公共体が主体となって行う体系的な諸策のこと。現代社会においては、政府や政党などの施政上の方針や方策を指すこともある。なお、その策を実施することを施策(しさく)という」とある。私の頭はますますこんがらがってきた。では「公共体」とはどういう組織・機関を指すのか。やはりウィキペディアで調べてみた。が、意味がさっぱり分からない。引用するだけ無駄なのでやめる。だが常識的に考えれば、選挙の時に政党や立候補者が訴える政治方針で、国民や県民・市町村民などに幅広く選択の自由がある。そして選挙で選ばれた議員で構成される議会で可決され実行に移される施策を意味すると考えるのが自然だと思う。それなのに、国民や出資者が物申す機会もなければ、企業の役員に相当する政策委員を選ぶ権利も罷免する権利もない。最高裁判所の判事(裁判官)は総選挙の際、国民の審判を受けなければならないが、そうした国民に対する義務もない。そういう機関が金融関係に限られているが「政策」決定権限を持つ。なぜなんだろう。そういうことに疑問を持つ私がおかしいのか、疑問を持たない人たち(特にジャーナリストや経済評論家、エコノミストなど)のほうがおかしいのか、皆さん考えてみてください。
 いずれにせよ、日銀が政府から独立した機関であることは日銀法に明記されている。それなのに、幹部はなぜ国会で承認され、内閣から任命されなければならないのか。現に安倍総理はデフレ脱却のために日銀人事で黒田東彦(はるひこ)氏を選び、参院で野党が多数を占めていたため、すったもんだはしたが、最終的には安倍総理のめがねにかなった黒田総裁が実現した。そうした人事で本当に日銀の独立性が保てるのか、疑問に思うのは私だけではあるまい。
 黒田総裁の金融政策に対する評価をするにはまだ早すぎるが、一応無難な滑り出しをしているようだ。デフレ脱却のめどを物価上昇率2%と明確にしたのはいい。「(そのために)やれることは何でもやる姿勢を示さなければ、物価安定という最大の使命を達成できない」と、断固とした姿勢を表明したことにも好感が持てる。
 ただプロがしばしばミスをするのは、振り子の原理を熟知していないことに原因があると考えられる。振り子はご承知のように、物理現象の一つである。地球上での振り子の幅は一定の範囲内で左右に振れながら、空気抵抗と振り子の重力によって次第に振れ幅が縮小し、最後には最下点で止まる。子供が遊ぶブランコも振り子の原理で揺れるのだが、第三者(父母や兄弟、友人など)が、ブランコに乗っている子供の背中を強く押すと揺れ方が大きくなりすぎて事故を起こすことがしばしばある。澄田総裁がいったん金融引き締め政策によって円高不況を招いたことまでは仕方がない。プラザ合意で円高ドル安に為替相場を誘導するためには、金融を引き締める必要があった。当時日本は世界第2位の(それもダントツの2位)経済大国であり、多少の犠牲を払っても世界経済安定のための金融政策をとらざるを得なかったのはやむを得ないことだったと思っている。だが、為替相場の動向を注意深く見守っていれば、どの時点で金融政策を再転換すべきか、また再転換の範囲はどこまでかを冷静に判断できなければ、日銀総裁としての資格に欠けると言わざるを得ない。
 特に当時すでに為替相場を左右しているのは実体経済ではなく、投機マネーが90%を占めていることは明らかになっていた。投機筋は、先進国、とくに米日独の金融政策をにらみながらマネーの投機先と投機規模を操作していた。ということは、どういう金融政策を発動すれば投機マネーがどう反応するか、ということを最優先で考慮しなければならないのが総裁の責務なのだ。それを怠ってきたがゆえに、日銀の金融政策がしばしば後手後手に回り、その結果、円高傾向がはっきりするまで手をこまねき、はっきりした時は、たとえばガンでいえば末期症状状態になってしまっていて、やむを得ず重大な副作用を伴う劇薬的金融政策の発動を余儀なくされ、その結果がバブル景気を招き、行き着くところまで放置しておいて再び重大な副作用を伴う劇薬的金融政策を発動し、「失われた20年」を招来したのである。三重野総裁のあとを引き継いだ白川総裁は、さすがに二人の大先輩の政策ミスの原因が分かっていたようで、その代わり怖くて大胆な金融政策を打ち出さなくなった。ある意味では日銀歴代総裁の中で最も影の薄い総裁だったのではないか。
 そうしたことを黒田総裁には十二分に認識したうえで、投機マネーの動向を視野に入れながら硬軟取り混ぜた柔軟な金融政策を発動していただきたい。一方、安倍総理は政策として「大胆な金融緩和によってデフレを脱却する」などと、日銀の独立性を否定するがごとき公約は撤回していただきたい。デフレ脱却のために日銀には日銀が果たすべき責務があり、その責務を全うできる人と考えて選んだ日銀トップの人事だ。そうであればデフレ脱却のための金融政策は日銀にげたを預け、政府は政府がなすべきことをする――それが国民の負託に応える総理の責務ではないか。総理たるもの、そのくらいの自覚は持っていただきたい。国民が今、安倍内閣に寄せている信頼度の高さは、安倍内閣ならそうした負託に応えてくれるだろうという期待感の表れである。

 次に第2の矢「公共事業投資による景気刺激策」である。公共事業投資の有効性については、これまで2回ブログに書いた。
① 総選挙で大勝した自民党が作らなければならない国の形(昨年12月17日
  投稿)
② 再び断言する――公共事業で景気は回復しない。ケインズ循環論は今の日
  本には通用しない(3月8日投稿)
 これまで主張してきたことの要点だけ書いておこう。ケインズ循環経済論は、不況の原因は失業率の高さにあり、公共事業によって雇用を増やせば内需が拡大して景気が回復に向かう。そうなれば企業は生産活動を拡大し、さらに失業者が減少し、内需がさらに拡大する。このサイクルによって不況は克服できる。極めて単純化した表現だが、1929年にはこのケインズ理論が正しかったことが証明された。アメリカがニューディール政策によって世界恐慌を克服したからである。
 しかし、今日の日本ではケインズ循環経済論は通用しない(日本だけでなく先進国すべてに)。まず公共事業を行っても失業率は改善しない。その理由は二つある。一つは公共事業の担い手が人的労働力から機械化作業に転換していることだ。確かに機械を動かすには人的労働力も多少必要だが、公共事業投資額に占める人件費比率は1930年ごろとは比較にならない。また1930年ごろの労働力の大半はブルーカラー(肉体労働者のこと。高学歴の知的労働力の担い手はホワイトカラーという)だった。
 しかし今日日本の進学率は極めて高くなり(有能な知的人材が増えたことを意味するわけではない)、肉体労働に従事する労働者の大半は南米などからの出稼ぎ労働者である。公共事業投資に財政出動して外国人労働者に就業機会を与えて、どういう景気回復の効果があるというのか。詳しくは先に書いたブログを読み返してほしい。

 最後に第3の矢「成長戦略」である。当初は具体性が見えなかったので評価のしようがなかったが、少しずつ見えてきた。これは非常にいい経済政策である。たとえば生命科学分野への支援である。これは山中伸弥氏のノーベル賞受賞が契機になったという偶然性もあるが、世界で発展途上にとどまっていた医療分野での研究開発が飛躍的に発達する可能性が出てきた。その理由は4月8日投稿のブログ「アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ」で詳しく書いたが、要点だけ述べておこう。
 まず、技術は需要のないところでは進化しないという技術開発の原理原則を理解していただく必要がある。医療の分野でいえば、日本はこれまで(厳密には現在もだが)国民皆保険制度を金科玉条のごとく維持してきた。国民皆保険制度を維持するためには高度医療は保険の対象にできない。保険適用外の高度医療を受ける場合、その医療に関するすべてが保険の対象から外される。これが「国民皆保険制度」と言われる中身なのである。そのため、最初から保険対象外になるような高度医療機器・薬品などの研究開発には企業が手を出しにくい環境があった。需要のない分野では技術進歩は望めない、というのはそういう事情による。
 そのため山中氏が開発に成功したiPS細胞の実用化研究は、肝心の生みの親である日本が先進国の中で後れを取るというみっともない姿をさらしつつあった。そこに風穴を開けたのが安倍総理だった。保険外の高度医療を受ける際、保険が適用される医療に対しては保険で行うという制度(混合医療制度という)にしようというのである。日本医師会は混合医療に反対し続けたが、安倍総理は自民党の票田である医師会の反対を押し切って混合医療制度の導入に踏み切ろうとしている。その結果、高度医療の市場が日本に生まれれば、「需要のあるところでは技術が進歩する」という原理原則が働き、医療関連技術が飛躍的に進むことが期待されている。
 またこれは公共事業にはなるがリニア新幹線の東京→名古屋→大阪間の開通
を急ぐべきだ。「先に述べたことと矛盾するではないか」と言われるかもしれないが、これは失業対策や景気刺激策としてではなく、日本が世界に誇るリニア技術を実用化することによって、世界中に日本の技術を売る絶好のチャンスになる。
 アメリカはシェールガスの掘削技術を開発し、国内のエネルギー問題を解決しただけでなく、産出したシェールガスを日本などに売るだけでなく、その後発見された世界各地に埋蔵されているシェールガスの掘削事業を、アメリカ企業が独占しかねない状況になっている。本来土木建設工事の技術は日本が世界の最高峰にあったはずだ。ご承知のように日本の国土に占める平地は20%を切っている。しかも火山国であり、島国でもある日本列島は複雑な海底プレートに囲まれており、地震の脅威につねにさらされている。そうした中で培ってきた日本の土木建設技術は世界一といっても過言ではない。アメリカにシェールガスの掘削方法を先行開発されてしまったことは、私には無念でならない。日本にもシェールガスが埋蔵されていたら、間違いなく掘削方法は日本が世界に先駆けて開発していたと思う。「需要のないところに技術の進歩はない」ということが、このことでも証明された。
 日本の国土面積は約37.8km2で世界60位に過ぎないが、日本政府が領有権を主張している領海・排他的経済水域(EEZ)は約447km2となっており、世界6位の広さである。その領海排他的経済水域に豊富なエネルギー資源やエレクトロニクス製品や自動車などの生産に欠かせない高価な希土類などが大量に埋蔵されていることが分かっている。しかしそれらの資源は深海に眠っており、現在の海底掘削技術ではコスト的に採算が取れないという。コスト的に採算が取れないなら、国が支援してでも深海の掘削技術を世界に先駆けて開発しなければならない。そんな資金は零細農家に支給している、事実上の「生活保護」を停止すれば、すぐ捻出できる(詳しくは3月25日投稿のブログ『日本政府はいつまでコメ農業に事実上の「生活保護」政策を続けるのか』を参照してください)。
 これは二重の効果をもたらす。深海に眠っている資源は日本の領海・排他的経済水域だけではない。日本が世界に先駆けて海底掘削技術を開発すれば、他国の海底資源掘削事業を日本企業がほば独占できる。もう一つの効果は、零細農家に対する「生活保護」費の支給を停止すれば、安倍総理が目指す「強い農業」づくりが急速に進む。零細農家は農業を継続できなくなり、農地を手放さざるをえなくなる。土地への執着が強い農家は、農地を農業法人に長期貸し出し契約を結べばよい。農業法人に株式会社も含めるべきだ。商社などが喜んで大規模農業に参入を図るはずだ。そうなれば、やはり世界に冠たる農業技術を発展途上国に提供できるようになる。これはビジネスというより、将来、世界的規模で生じることが予測されている食糧難時代の到来を、日本の農業技術で克服することを最優先の目的にすべきだ。日本が世界の平和と安定に貢献できる最高の手段の一つになる。

 またまた長文のブログになってしまった。最後までお付き合いいただいた読者に差し上げるべきお礼の言葉がないくらいだ。この一言で終えたい。
 本当にありがとうございました。(このブログは実数2万字を超えました)

参院選最大の焦点――アベノミクスで景気は回復するか? 私の検証

2013-07-12 09:00:32 | Weblog
 参院選も中盤に差し掛かり、マスコミ各社の世論調査によると自民の圧倒的有利は動かないようだ。それにしても野党、とくに民主と維新の停滞ぶりは、かつてこれらの政党が全国的にブームを起こした政党だったのかと思うと、ほんの数年あるいは数か月しか経っていないのに隔世の感がある。
 私はこうした政治状況に、異論を差し挟むつもりもないし、また自公が衆参で過半数を超えて憲法改正の発議を行える3分の2以上の勢力を獲得するだろうことについてもむしろ歓迎しているくらいだ。かつてブログで述べたように、国会には憲法改正の権限はなく、改正の発議をできる権利しかない。国会が発議した憲法改正案を肯定するのも否定するのも国民の手にゆだねられる。国民自身が国の在り方を決める機会が生まれることになる。日本社会が、欠陥だらけの民主主義を、世界に先駆けて健全な政治システムに成熟させていく絶好の機会が訪れることになる。多数決を絶対的な基準としている民主主義の最大の欠陥を、私たち日本人がどう小さくできるかが試される。
 マスコミが行ったアンケートの結果によれば、国民の多くは依然として「景気対策」を最重要視しているようだ。安倍総理はすでに景気回復策として「アベノミクス」を発表している。参院選はアベノミクスに対して下す国民の審判でもある。
 11日、日銀・黒田総裁は「景気は緩やかに回復しつつある」と、日銀の景気判断を上昇修正したことを発表した。日銀が景気判断で「回復」という言葉を用いたのは実に2年半ぶりのことだ。だが、好況感を肌で感じているのは一部の資産家にまだとどまっており、中流階層にまで広まらなければ、本当に景気が回復基調に乗ったとは言い難い。
 これからが安倍総理の手腕が問われることになる。衆参ねじれ状態が続いていた間は、「参院で否決された」という逃げ道があった。自公が参院でも過半数を占めることになれば、政府は背路を失うことを意味する。失政は許されない。

 アベノミクスは具体的には①金融緩和によるデフレ脱却、②公共工事など大規模な財政出動による景気刺激策、③経済成長戦略、の三つである。このうち私が最も重要視しているのは①と②である。あとで述べるが②についてはこれまでブログで二度批判しており、今回のブログでは要点だけ述べる。③はまだ全体像が見えていないので、現段階での評価と私の提案にとどめる。
 まず金融政策は日銀の専権事項であり、日銀が最終的に判断することであっ
て、総理が個人的に日銀に対して要望することまで異論を挟むつもりはないが、あたかも政府が金融政策を左右しているかのごとき主張を繰り返すのはいかがなものか。
 金融政策を考える場合、過去の失敗を二度と繰り返さないことだ。
 まずバブル経済を生んだ金融政策。その最大の責任者は澄田智(すみださとる)総裁(1984年就任)だった。澄田氏が総裁に就任した時期は日米貿易摩擦と円高圧力に日本経済界が直面していた時期だった。いわばいきなり定員オーバーの大型観光船の船長を任されたようなものだった。定員オーバーになったのは政府の無能さと日本企業のモラルなき対米輸出拡大一辺倒の姿勢にあった。またそれをチェックして金融政策でカバーしなかった日銀も責任を免れ得なかったと私は考えている。
 今更自慢めいたことを書いても仕方がないが、私は日本企業のモラルの低さについて手厳しく批判したことがある。光文社発行の月刊誌『宝石』(88年10月号、のち廃刊)に掲載した松下電器産業(現パナソニック)の谷井社長とのインタビュー記事である(9ページに及ぶ異例の大インタビュー記事)。このインタビュー記事を無修正で掲載した編集長は社内で責任問題になったほどの記事だ(女性週刊誌が主要な収益源になっていた光文社にとっては、松下は大クライアントであり、ご機嫌を損ねるような記事を掲載するのはタブー中のタブーだった)。問題になった個所の一部を転記する。

(地の文で)円高が急速に進行することによって内外価格差がクローズアップされた。この問題の火付け役になったのが松下電産で、同社の輸出用コードレス電話が逆輸入され、ディスカウントショップで国内向け製品価格の八分の一という超安値で販売されたことがきっかけとなり、「どうしてそんなに価格差が生じるのか」といった疑問が、マスコミや消費者の間で噴出したのである。
 松下側は「国内の認定規格とアメリカの規格が違うし、日本で販売しているタイプは省電力型で、輸出製品は微弱型という全くスペックの違う商品を単純に比較することはできない」と反論している。が、スペックの差だけでこれだけの差がつくとは、私にはどうにも考えにくい。
――現在の為替は130円台前半で一応小康状態にありますが、率直のところ高いと思われますか、それとも安いと思われますか ?
谷井 輸出比率が高いメーカーとしては、安い方がいいというのは非常にイージーですけどね。まぁ、今の段階で安い高いというより、率直なところ、やっぱり妥当というか、いい線だというふうに思いますね。だけど、企業というのは将来も含めて考えていくといたしますならば、これですむとは考えちゃいけ
ないと。
――この一年間に3回ほどアメリカに行って肌で感じてきた実感なんです。衣食住のほとんどすべてアメリカのほうが安い。私に限らず、それが消費者の実感ではないでしょうか。
谷井 それはそうでしょうねぇ。
――ということは、円は実力以上に高くなりすぎているのではないか、という気がします。実際、エコノミストの多くは170~180円が妥当じゃないかと言っていますが、消費者の貨幣感覚というか、あるいは購買力平価を基本にした考え方からすると円はちょっと高すぎるのではないかという気がするんですが……。谷井 消費者の身近な物価から行きますと、確かに、たとえば肉はこうだとか、米はこうだとか、よく言われますけれども、むしろ日本の場合、そういう面で行くと、日本の土地、電気製品、カメラ、その他もろもろの値段が為替とリンクした評価になっていないんで、全体のバランスが取れていないという面もあるんじゃないでしょうか。
(地の文で)購買力平価は、1ドル=130円とした場合、アメリカで1ドルで買えるものは日本でも130円で買えることを意味しており、すべての国があらゆる財の生産・流通・消費を自由化したときに成り立つ関係である。ただ農畜産物のように購買力平価の考え方にそぐわない財もあり、為替レートが単に貿易関係だけでなく、各国通貨の需給関係、資本移動、政府の政策の影響を強く受けている現状では、購買力平価だけを基準にして為替レートを論じることはできない。
(※この文章は1085年に書いたものであり、貿易の自由化が急速に進みつつある今日では特殊に保護された分野を除き為替レートは購買力平価を反映した基準に限りなく近づきつつある。日本がTPPに正式に参加することになると、一定の猶予期間は与えられたとしても従来のような農畜産物に対する過保護政策は継続できなくなり、安倍総理はそうした将来を見越して「強い農業」の構
築を目指していることをご理解いただきたい。昨年末の総選挙の時の公約は「強い農業」政策の発表によって事実上反故にされた)
――もちろん、すべてが購買力平価に即してバランスが取れるということはありえません。ただ、本来、日本のほうが安いはずの工業製品、たとえばカメラとかビデオとかといったものまでアメリカで買った方が安い。こういうことが起きるのはおかしいじゃないかと……。
谷井 それは、円が強くなるから、一時的にそういう現象が起こるんでしょう。ある面からいくと、じゃ、もう少し円が弱くなればバランスがとれるんだという理屈が成り立つんですよね。しかし、また一方において、アメリカの流通と日本の流通とが逆に向こうから言われるように何かおかしいんじゃないかと。だから、むしろ日本のほうが高いんじゃないかという見方もありますから、商
品によって一律には言えませんね。
 また日本とアメリカでは、消費者のニーズも異なり、国内製品には機能が付加されているので単純に比較できませんけど。しかし先日、日経新聞でしたか、日米の商品の価格というものを調べられて、いろいろ出てましたけど、私どもの電気製品ではほぼバランスがとれていると、こういう記事も出ていましたし。ま、電話機のような問題もありましたけど、あれなんか、まさにスペックも違うし、弁解じゃありませんけどね。(中略)
 しかし、国内、海外という、いままでのようなセパレートした仕事の姿では考えられないようなことが出てきている。まさに価格もそうだと思うんですよ。決してどこの国に安く売った、どこの国に高くという、そんな意識的な意図は働かなくても、為替の変動で結果的にそうなった。だけど、それは確かに許されることではありませんから、そういうことも含めて、世の中、端的に言えば大きく変わってきていることだし、まさに好むと好まざるとにかかわらず、世界は国際化してきているわけですね。だから価格についても、どこで買っても同じ評価される、当然そういう時代になってきたと思いますね。
(地の文で)これまでマスコミは、輸出メーカーを一貫して“円高の被害者”として扱ってきた。もちろん、円高で輸出メーカーが大きな打撃を受けたことは事実だが、単純に被害者とだけ言い切ることが出来ない要素もある。むしろ、被害者であったはずの輸出メーカー、とくに自動車メーカーと電機メーカーの行動が、実は加害者として機能している点に今回の円高問題の複雑さがあるのではないか。
――円はこの3年近くの間にほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
 どうして10%や20%の値上げに抑えることが出来たのかと聞くと、メーカー
は合理化努力の成果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる(※日本企業がまだ海外に生産拠点を移すようになる前のインタビューですよ)。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないわけです。
 また、アメリカにほとんど競争相手がいないカメラのような製品でも、円が倍になったからといって輸出価格も倍にするとアメリカ人の購買限度額を超えるバカ高い値段になってしまう。30%か35%の値上げが限界のようですね。
谷井 そうでしょうね。
――まして国内の消費者にシワ寄せできない零細輸出業者はアップアップしていますよ。
 さらに今回の新貿易法案の狙いもそうですが、60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。議論としては「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。もうアメリカと仲良くしなくても、中国やソ連を相手にやっていけば日本の将来は万々歳だと思うなら、堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです。
谷井 成り立ちませんね。ただ一つの歴史的背景の中で、幸いにして自動車にしてもエレクトロニクスにしても、少なくとも昭和50年代の前半までは非常にお客様に恵まれ、市場に恵まれて、高度成長してきましたね。しかしG5というものを契機として、それにブレーキがかかり、まさに大きな転機を迎えたという認識を各メーカーは持っていると思うんです。自動車にしろ、われわれ電機メーカーにしてもね。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなった分、アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけがないんですから。
 それなのに“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカ側がダンピング輸出だと怒るのは当たり前です。とくに自動車業界と家電業界。自動車ならトヨタとか日産、電気なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んで行った国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんよ。
※谷井社長に対する追及はまだまだ続くのだが、G5を契機にした急速な円高の中での日本を代表するメーカーの国内消費者に対する姿勢は十分に明らかにできたと思う。はっきり言えば日本の輸出産業界は、国内の消費者を犠牲にしてダンピング輸出を続け、G5合意(プラザ合意)を台無しにしたことだけは明らかにした。松下電器産業のトップを相手にここまで追求したジャーナリストは、悲しいかな日本には私以外に一人もいなかった。なお余談だが、このインタビュー記事を無修正で掲載してくれた編集長は左遷されたし、『宝石』からは二度と原稿依頼はなかった。

 為替という問題を考えるとき、大切なのは各国通貨は、様々な商品やサービ
スと等価値交換ができ、かつ政府が保証する唯一の特種な商品だということを理解していただく必要がある。商品だから、売ったり買ったりすることができ、そういう売買によっていわゆる為替相場が形成されるということをご理解いただかないと、これから述べる話は読者にとってチンプンカンプンになる。
 日銀の金融政策がおかしくなりだしたのは1984年に総裁に就任した澄田氏からである。澄田総裁の超金融緩和政策によってバブル景気が爆発したからだ。が、その話をする前に、どうして日本がバブル経済に突入したのか、そしてバブル崩壊後に訪れた未曾有のデフレ不況(「失われた20年」と言われている)を日銀は金融政策でなぜ克服できなかったのかを検証しておきたい。
 戦後、世界経済は長く固定相場制を維持してきた。それは米政府が基軸通貨の米ドルを固定比率で金との交換を保証してきたからである。当然のことだが、世界経済の発展によって基軸通貨の米ドルの流通量も増大する。つまり米ドルが世界中に溢れ、時代の要請によって米政府は金との交換保証を続けるためには金の保有量も米ドルの増発に比例して増やす必要がある。世界経済が成長を続ける限り米ドルの増発→金の保有量増加のサイクルはとどまることがない。こうしたサイクルが限界に達したと判断した米政府(ニクソン大統領時代)は1971年、突如米ドルと金の固定比率での交換を停止すると発表した。それによって生じた世界経済の大混乱を「ニクソン・ショック」という。
 さらに2年後、アメリカはこれも突如固定相場制の廃止を発表した。その結果、各国の通貨は政府が保証する唯一の等価交換機能を持つと同時に、通貨間での売買が行われる特殊な商品にもなったというわけだ。そうした二つの顔を持つ通貨の発行量を決めるのは政府ではなく、裁判所と同様、政府から完全に独立し、政府からの干渉を受けない中央銀行なのである。日本の場合、その中央銀行が日銀なのだ。従って金融緩和政策をとるか否かを決めるのは総裁を中心とする日銀の幹部(株式会社ではボード)なのである。つまり政府が「大胆な金融緩和政策によってデフレを克服する」という行為は不可能なのだ。裁判所に代わって政府が判決を下すようなことを意味するからだ。
 さて日本はなぜバブル経済に突入していったのか。
 澄田氏が日銀総裁に就任した翌年の85年9月、歴史的なG5が米ニューヨークの名門・プラザホテルで開かれた。G5は米・日。西独・英・仏の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会して財政政策について協議するのが目的で開かれるようになった国際会議である(現在はイタリア、カナダ、ロシアが加わりG8になっている)。為替が自由化されるようになった結果、各国通貨が商品になったことはすでに述べた。
 通貨が商品になった結果生じたことは、投機筋による売買が避けられなくなったことである。その結果、極端な(当時としてはそう考えられていた)円安ドル高現象が生じ、米産業界が急速に競争力を失ったのである。そこで先進各国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会し、金融政策(具体的には円買いドル売りの協調為替介入)によって米産業界の競争力の回復を協議することがG5の目的だった。その方針自体はすでにアメリカによる根回しがされていて、会議そのものは20分で終了した。つまりアメリカの根回しによって合意されていたことを確認するための儀式に過ぎなかったのだが、為替相場を投機筋が事実上支配している市場を実体経済を反映したものにしようという協調スタンスをとることを初めて決めた国際会議ゆえに歴史的会議と位置付けられ、「プラザ合意」と呼ばれるようになった。
 読者に対しては誠に申し訳なかったが、実は松下の谷井社長に対する追及はこのプラザ合意を台無しにした日本企業の「自分さえよければ、他人がどんな迷惑を被ろうと知ったこっちゃない」というモラルの低さをさらけ出すことが目的だった。谷井社長とのインタビュー記事を転記する前にこのことを書いた方が、インタビューの中身をより深くご理解いただけたであろうことを百も承知で後回しにした理由は、このあと書く、なぜ日本がバブル経済に突入したのか、またその後なぜ「失われた20年」を余儀なくされたのかをご理解いただくためには、為替についての基礎知識を後回しにせざるを得なかった。本当に「ごめんなさい」と頭を下げるしかないのだが、谷井社長に対するインタビューはこのプラザ合意を台無しにした大企業のモラルを問うことが目的だったのである。
 ついでに書いておくが、大企業の広報のスタンスは必ずしも一様ではない。広報自身が判断するケースもあるし、責任回避のため判断を上に回すか、また取材そのものをハナから拒否する広報もある。大新聞の大企業トップへのインタビュー記事がすべてヨイショになってしまうのは、基本的には大新聞社の経済記者のモラル低下(というよりモラルゼロ)による。
 もちろん広報としては無制限に取材を受けるわけにはいかず、一応取材目的について聞いてくる。それはいいのだが、「取材趣意書を文書にして出してくれ」などという要求をする広報もある。そういう場合は、「取材した結果によって書く内容が変わることもありうるので、現段階で趣意書を書くことは不可能だ。そこまで要求するなら広報を通さずに独自に取材をするが、それでもいいか」と答えることにしている。しぶしぶ取材を認める広報もあるが、取材を拒否する広報もある。もっとも卑劣だったのは日本IBMだった。取材を申し入れたところ、広報部長のS氏が会いたいというので会った。S氏はいきなり「小林さんは当社にかなり厳しいことを書いていますね。当社へのロイヤリティを示していただかないと取材には応じられない」と言ってきた。こんなバカな要求をする広報マンには初めて会った。「確かに批判もしたが、過去のソフト資産を世界で初めて継承するコンピュータ(IBM360)をかいはつしてこんぴゅーたぎょうかいのおうざをふどうにしたについては高く評価したことも書いている。私は一切の偏見を持たずに評価することは評価し、批判すべきことは批判しているだけだ。どう書くかは取材してみないと分からない」と応じ、結局取材を拒否された。私は広報を通さずに独自取材を始めたが、IBMのガードは極めて高く、途中で独自取材を断念した。私も現在のように道楽でブログを書いていたわけではなく、取材にかける費用のもとが取れないような仕事はできない。残念だったが、あきらめた。
 私は、「そこまでやるのはやりすぎだ」と批判され、途中からやめたが、企業について書いた単行本を上梓した後、広報の責任者と担当者をごちそうすることにしていた。それが仕事とはいえ、彼らの協力がなければいい取材ができなかったため、お礼の意味でごちそうさせていただいてきたのだが、さすがに広報側もごちそうになりっぱなしというわけにもいかず、「じゃ二次会は私どもで」とお誘いを受ける。それをお断りするのはいくらなんでも大人気ないので二次会はごちそうになるが、たまたま銀座のクラブでその企業のライバル企業の広報責任者たち数人がどなたかを接待していた場に出くわしてしまった。ライバル企業の広報責任者たちが知らんぷりをしてくれていたら私もわからなかったのだが、私たちの席に挨拶に来られた。挨拶されて、知らんぷりもできないので私も挨拶を返したが、先方の挨拶の仕方が気になったと見え、一人席に残っていた方が広報責任者に尋ねたらしく、突然私たちの席に来て「ご著書はいつも読ませていただいています。大変参考になります」と名刺を差し出された。その名詞に記載された肩書は「朝日新聞経済部」とあった。まだ30代前半の若造記者である。朝日新聞が大企業の広報を接待するわけがなく、その記者は担当する大企業の責任者たちから接待を受けることを自分のステータスだと思っていたようだ。そんな記者たちが書く企業記事がヨイショになるのは当たり前といえば当たり前の話だ。念のため、大企業が社会的問題を起こした時に取材に乗り出すのは経済部ではなく社会部である。そうした事実が新聞社の姿勢を何よりも雄弁に物語っている。はっきり言えば、経済部の記者の仕事は、企業にプラスになる記事を書いて新聞社の営業活動の一翼を担うことにある。そのことを私の前で正面から否定できる新聞社は、ない。
 ちょっと話が横道にそれすぎた。本筋に戻す。
 プラザ合意の最重要点は各国が円買い介入することだった。なぜ円が狙い撃ちされたかというと、当時のアメリカの貿易赤字(財政赤字と並んで「双子の赤字」と呼ばれていた)の最大の原因が対日貿易収支の大幅赤字にあったからである。そのため日銀も円を売ってドルを買うという協調姿勢を明確にした。それだけでなく、公定歩合を5%に据え置き、かつ無担保コールレートを6%弱から8%台に一気に引き上げるという極端な金融引き締め策に出た。円は当然だが急激に上昇し、一部のエコノミストが「円高不況になる」と警鐘を鳴らしたが、澄田総裁はそうした声に一切耳を貸さなかった。なぜか。理由は定かではないが、澄田氏は日銀プロパーではなく、大蔵省の出身で(事務次官で退官)、プラザ合意に出席した日本代表は蔵相の竹下登だった。政府による日銀コント
ロールへの道は澄田総裁が開いたのではないか、と私は思っている。
 いずれにせよ、日銀の金融引き締め政策の結果、一部のエコノミストが予測した通り、日本は円高不況に入っていく。何しろプラザ合意時点の為替レートは1ドル=235円だったのが、1年後には150円台まで急上昇したのだから、企業努力でどうにかなるといった問題ではなかった。トヨタや松下をはじめ日本を代表する大企業が「合理化努力」を口実に輸出価格アップをせいぜい10~20%程度に抑えながら、国内消費者に対しては価格を据え置いて収益の確保を図ったのは紛れもない事実である。もっとはっきり言えば、日本の大企業は国内の消費者を犠牲にして自社の利益確保に走ったのである。もちろん日銀金融政策の失敗の付けを消費者に回さざるを得なかったという同情すべき事情もあるのだが……。
 こうして円高不況に突入した日本経済の状況を前に、翌86年には一転して公定歩合を引き下げて金融緩和策に転じた。公定歩合を引き下げだけでなく、国債を政府の言いなりになって買いまくり、国内に過剰な資金がばらまかれることになった。ところが銀行にとって最も安心できる融資先である大企業は国内での設備投資を控える一方、円高の影響を回避するため生産拠点を海外に移転し始めた。そのための資金も担保や経営者の個人補償を要求する銀行に頭を下げて借りるという従来型の間接資金調達(預金者の金を銀行を経由して借りるため「間接」という言い方をする)から、企業の信用力を背景に増資や社債発行による証券市場からの直接資金調達に方向転換していた。
 困ったのはだぶついた資金の運用先を失った銀行だった。銀行が資産家に対して土地を担保に無期限のカード融資を始めたのだ。その先陣を切ったのが大蔵事務次官の頭取指定先である横浜銀行だった。横浜銀行の支店長が真っ先に勧誘に訪れたのが私の自宅だった。はっきりと覚えているわけではないが、担保の掛け目は8割(普通は7割のはず)で、金利も住宅ローン金利プラス0.5%程度の低利だったと思う。
「分かっちゃいるけどやめられない」ではないが、私自身も目がくらんだ。仕事の関係上、ゴルフ場の建設ラッシュで、これからゴルフ場を作るというジャパニーズ・ドリームを実現したアントレプレナー(起業家)たちと知り合いだったこともあり、彼らから最優遇の特別縁故会員にならないかという誘いを受け、飛びついてしまった。いまだから言えることかもしれないが、当時はゴルフ会員権は土地や株と同様、右肩上がりがまだまだ続くとみんなが信じていた。ゴルフ場は平日でもコンペでいっぱいで、ゴルフ場はまだまだ不足していると、みんなが思い込んでいた。銀行でさえ、ゴルフの会員権購入資金に関しては100%融資するという信じがたい営業活動を行っていたくらいだった。ただし、100%融資の対象は特別縁故、縁故募集の会員権購入資金までだったが……。なお私は目がくらんだことは自省しているが、私に特別縁故のゴルフ会員権を譲渡してくれた方たちのことを活字にしたことは一切ない。リクルート株を譲渡された人たちとは違う。
 こんなケースもあった。私の友人からの誘いで仙台に行ったことがある。10人ほどのツアーだったと思う。ツアーの主催者は旅行会社にあらず、某大銀行(現メガバンクの母体の一つ)の支店長だった。行きも帰りもグリーン車、宿泊は超一流ホテル、ゴルフ付き、しかもツアー料金は無料。条件はたった一つ。その銀行が融資したデベロッパーが開発中の分譲地を視察すること。もちろん買う・買わないは自由ということだったので私はゴルフ目的で参加した。支店長は「この周辺の土地は1年で倍になっています。もしお買いになるなら当行が100%融資しますよ」と勧誘した。一流銀行の支店長がデベロッパーの「営業マン」になっていた時代だった。その物件は私は買わなかったが、何人かはその「うまい話」に飛びついて買ったようだ。後日談は聞いていない。
 バブル経済を演出したのは、まぎれもなく日銀の澄田総裁だったし、その日銀政策に乗って銀行の支店長が先頭になってバブル商品の購入者に無責任極まりない融資を行ったという事実は永遠に消すことができない。私は幸い借金までしてゴルフ場の会員権を買うことはしなかったので、バブルがはじけた瞬間、いくつものゴルフ場会員権がただの紙切れになっただけで済んだが、銀行マンから勧められて借金までしてバブル商品を買った人たちは一体どうなったのだろうか。それほど親しく付き合っていたわけではないが、私の友人の一人は自殺した。澄田総裁は天授を全うしたし、責任をとって自殺した銀行マンの話は聞いたことがない。澄田総裁は天授を全うしただけでなく、勲一等旭日大綬章をもらい、没後には従三位になった。日本経済をめちゃくちゃにしたことが、それほど高く評価されることなのか。
 ちなみに『大蔵省権力人脈』(栗林良光)によれば、総裁後半期の低金利政策のミスは、何らかの持病の影響によった可能性があるらしい。
 澄田総裁は任期を全うして退任したが、後継者の日銀プロパーの三重野康総裁は、当然のことだがバブル退治に乗り出した。バブル退治に乗り出した三重野総裁を、この人以上に頭の悪い評論家はいないと私は思っている自称経済評論家の佐高信氏は三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたが、「失われた20年」をつくった張本人が、まさに三重野総裁だったのだが。
 とまれ。佐高氏が三重野氏を「平成の鬼平」とまで激賞した誤りについて自己批判したという話は残念ながら聞いたことがない。ちなみに中山素平氏をモデルに戦後の日本経済の復興にあずかった日興を描いた『小説 日本興業銀行』の著者で、経済小説の第一人者の高杉良氏は、バブル期に起こした日興の不祥事について朝日新聞記者から感想を聞かれたとき「不明の至り」と、自らを責めた。中山氏の時代の日興を描いただけで、その後のバブル期に日興が起こした不祥事について自らを責める必要は全くないと思うのだが、高杉氏は硬骨の経済小説家として名を馳せただけに自らの不明と、一切抗弁しなかった。
 実は三重野氏は澄田総裁のもとで副総裁の地位につき、澄田総裁の低金利政策の実行部隊の事実上の最高責任者だった。つまりバブル経済演出の片棒を担いだのが三重野氏だったのだ。その事実さえ知らずに、三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げた佐高氏の感覚が私には全く理解できない。だが、佐高氏同様頭の悪いマスコミ連中が、「平成の鬼平」というキャッチフレーズを作った佐高氏を高く評価したようだ。
 正直なところ、私も佐高氏の「才能」の一面はそれなりに評価している。「平成の鬼平」もそうだが、小説家の安土敏氏が考案した「社畜」という名文句を広めたのも佐高氏で、コピーライターとしての能力はかなりあるのではないかと思っている。ただ従業員用の「社宅」を「家畜小屋」と名付けたのは失敗作で、どうせ安土氏考案の言葉をあたかも自作であるかのように振りまくくらいなら、いっそのこと「社畜小屋」と命名したほうがよかったのではないかと思う。また内橋克人氏や本田勝一氏らに巧みに取り入ってマスコミ界にそれなりの地位を築いた営業感覚の鋭さは、私ごときが到底太刀打ちできるものではない。つねづね佐高氏の爪の垢でも煎じて飲みたいと思っているくらいだ。
 それはともかく、バブル経済に関しては澄田総裁と同罪の三重野氏は、総裁就任後それまでの金融政策を急転換、一気に金融引き締めに転じた。確かにバブル景気を収束させる必要は誰もが認めるところであった。特に地価の急上昇は、すでに土地(特に住宅地や商業用地)の所有者にとっては資産価値の増大を意味したが、一般庶民にとっては持ち家を買うことは夢のまた夢になってしまった。が、日本経済の足腰を折りかねないような急激な金融引き締めは当然大きな副作用をもたらした。三重野氏は澄田副総裁のもとでプラザ合意による円高ドル安に日銀として協力すべく、いったん金融引き締め政策を実行したが、一部のエコノミストが予測したように日本経済を「円高不況」が襲った。あわてて澄田氏と三重野氏は金融政策を大転換、公定歩合の大幅引き下げによる金融緩和策に転じたのだ。
 日本経済は一気に息を吹き返したが、日銀は金融緩和を継続した。そのため行き過ぎた景気の急上昇が生じたのは当然予測されたはずなのに、澄田氏も三重野氏も無能な金融マンだった。バブル景気は「砂の上の楼閣」に過ぎないことに気づかず、日本経済の足腰の強さと信じてしまったのだろうか。だとしたら、お前らアホか、と言うしかない。
 ここで日銀が行う金融政策について簡単に説明しておこう。日銀の使命は言うまでもなく日本経済が健全な成長(※あくまで健全な成長だ)を継続できるよう通貨の価値(円だけでなくドルやユーロも含まれる)をコントロールするための様々な政策を実行することにある。具体的には公定歩合の決定によって金融引き締めや金融緩和を行うことが第一。ちなみに公定歩合は日銀が銀行に貸し出す際に適用される基準金利のこと。この基準金利を元に銀行は企業への融資や住宅ローンの利率を決めることに一応なっている。「一応」と書いたのは最近、住宅ローンなど長期融資の金利が別の要因で上昇しているからだ。現在の別の要因とは、すでに述べたように通貨が投機対象の商品として機能し、円安基調が定着した結果、公定歩合は利上げしていないのに長期金利が上昇しているからである。次に適正と日銀が勝手に考えた為替相場を保つため、市場で円を買ったり(ドルを売ることと同義)、売ったり(ドルを買うことと同義)して通貨価値をコントロールすること。投機筋は売買差益を得るため通貨の売買を行うが、日銀は儲けるために通貨の売買を行うわけではない。あくまで投機筋に対抗して通貨価値を適正な範囲(※何度も言うが、「適正な範囲」とは日銀が勝手に考えた範囲のこと)に維持するために行う行為である。日銀の三番目の役割は国債(日本国債だけでなく他国の国債も対象になる)を直接あるいは市場から購入したり売却したりして国債の価値を適正水準に支えること。現在の円安は、日銀の円売り介入によるものではなく、日銀が無期限・無制限に日本国債を買うことを発表したことと、アメリカ経済が回復基調に入り失業率も改善したため、投機筋が安心してドル買い円売りに転じたためである。大きく大別すると日銀の金融政策は以上の三つである。
 そうした金融政策を巧みに組み合わせてバブル化した日本経済を健全な成長持続状態に戻すため、過熱したバブル景気を軟着陸させるのが三重野総裁の使命だった。が、三重野総裁が行ったのは、そうした軟着陸を図ることではなく、公定歩合の大幅アップという劇薬を投じて一気にバブルを崩壊させてしまう方法だった。その結果、バブルは確かに退治できたが、同時に日本経済の足腰まで折ってしまうという、歴代日銀総裁の中で澄田氏と双璧をなす最低の総裁だった。
 改めて言う。日本経済をバブル化した澄田氏(三重野氏も一緒)、バブル退治はしたが「失われた20年」の張本人である三重野氏。この二人の名は日銀史に燦然と輝くことだろう。ただし反面教師としてだが。
 アベノミクスの第一の矢である金融緩和政策に戻る。考えてみれば、日銀とは妙な組織だ。日本経済に大きな影響を与える金融政策を、一応政府から独立した公的機関でありながら、政府出資金(資本金1億円のうち55%を政府が出資)だけでなく、残り45%の出資者の中には民間もある。株式会社でもないのに出資者が保有する「出資証券」はジャスダックに上場され株式と同様売買されている。証券コード(8301)も付与されている。が、企業と異なり出資者が株主総会のような場で経営方針について意見を言う機会は与えられていない。が、株式会社と同様利益を上げることも許され、出資者に対して配当もできる。
 さらに政府から独立した財務省管轄の認可法人だが、総裁・副総裁・審議委員6人(任期はいずれも6年)は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。が、独立性の保証として政府に罷免権はない。位置づけは日本の中央銀行で日銀法によれば、日銀の役割は「物価の安定」と「金融システムの安定」となっている(※具体的に日銀が行う金融政策は先に述べた三つ。ほかには日本通貨の発行権がある)。
 日銀の最高意思決定機関は常設の「政策委員会」であり、これには内閣が任命した3役のほか理事6人、参与3人が加わる。この政策委員会で決定されたことだけが日銀の金融政策として実行に移される。私のひねくれた性格のせいかもしれないが、「政策」という言葉に違和感を感じた。で、ウィキペディアで「政策」の意味を調べてみた。ウィキペディアではこう定義していた。
「政策とは、公共体が主体となって行う体系的な諸策のこと。現代社会においては、政府や政党などの施政上の方針や方策を指すこともある。なお、その策を実施することを施策(しさく)という」とある。私の頭はますますこんがらがってきた。では「公共体」とはどういう組織・機関を指すのか。やはりウィキペディアで調べてみた。が、意味がさっぱり分からない。引用するだけ無駄なのでやめる。だが常識的に考えれば、選挙の時に政党や立候補者が訴える政治方針で、国民や県民・市町村民などに幅広く選択の自由がある。そして選挙で選ばれた議員で構成される議会で可決され実行に移される施策を意味すると考えるのが自然だと思う。それなのに、国民や出資者が物申す機会もなければ、企業の役員に相当する政策委員を選ぶ権利も罷免する権利もない。最高裁判所の判事(裁判官)は総選挙の際、国民の審判を受けなければならないが、そうした国民に対する義務もない。そういう機関が金融関係に限られているが「政策」決定権限を持つ。なぜなんだろう。そういうことに疑問を持つ私がおかしいのか、疑問を持たない人たち(特にジャーナリストや経済評論家、エコノミストなど)のほうがおかしいのか、皆さん考えてみてください。
 いずれにせよ、日銀が政府から独立した機関であることは日銀法に明記されている。それなのに、幹部はなぜ国会で承認され、内閣から任命されなければならないのか。現に安倍総理はデフレ脱却のために日銀人事で黒田東彦(はるひこ)氏を選び、参院で野党が多数を占めていたため、すったもんだはしたが、最終的には安倍総理のめがねにかなった黒田総裁が実現した。そうした人事で本当に日銀の独立性が保てるのか、疑問に思うのは私だけではあるまい。
 黒田総裁の金融政策に対する評価をするにはまだ早すぎるが、一応無難な滑り出しをしているようだ。デフレ脱却のめどを物価上昇率2%と明確にしたのはいい。「(そのために)やれることは何でもやる姿勢を示さなければ、物価安定という最大の使命を達成できない」と、断固とした姿勢を表明したことにも好感が持てる。
 ただプロがしばしばミスをするのは、振り子の原理を熟知していないことに原因があると考えられる。振り子はご承知のように、物理現象の一つである。地球上での振り子の幅は一定の範囲内で左右に振れながら、空気抵抗と振り子の重力によって次第に振れ幅が縮小し、最後には最下点で止まる。子供が遊ぶブランコも振り子の原理で揺れるのだが、第三者(父母や兄弟、友人など)が、ブランコに乗っている子供の背中を強く押すと揺れ方が大きくなりすぎて事故を起こすことがしばしばある。澄田総裁がいったん金融引き締め政策によって円高不況を招いたことまでは仕方がない。プラザ合意で円高ドル安に為替相場を誘導するためには、金融を引き締める必要があった。当時日本は世界第2位の(それもダントツの2位)経済大国であり、多少の犠牲を払っても世界経済安定のための金融政策をとらざるを得なかったのはやむを得ないことだったと思っている。だが、為替相場の動向を注意深く見守っていれば、どの時点で金融政策を再転換すべきか、また再転換の範囲はどこまでかを冷静に判断できなければ、日銀総裁としての資格に欠けると言わざるを得ない。
 特に当時すでに為替相場を左右しているのは実体経済ではなく、投機マネーが90%を占めていることは明らかになっていた。投機筋は、先進国、とくに米日独の金融政策をにらみながらマネーの投機先と投機規模を操作していた。ということは、どういう金融政策を発動すれば投機マネーがどう反応するか、ということを最優先で考慮しなければならないのが総裁の責務なのだ。それを怠ってきたがゆえに、日銀の金融政策がしばしば後手後手に回り、その結果、円高傾向がはっきりするまで手をこまねき、はっきりした時は、たとえばガンでいえば末期症状状態になってしまっていて、やむを得ず重大な副作用を伴う劇薬的金融政策の発動を余儀なくされ、その結果がバブル景気を招き、行き着くところまで放置しておいて再び重大な副作用を伴う劇薬的金融政策を発動し、「失われた20年」を招来したのである。三重野総裁のあとを引き継いだ白川総裁は、さすがに二人の大先輩の政策ミスの原因が分かっていたようで、その代わり怖くて大胆な金融政策を打ち出さなくなった。ある意味では日銀歴代総裁の中で最も影の薄い総裁だったのではないか。
 そうしたことを黒田総裁には十二分に認識したうえで、投機マネーの動向を視野に入れながら硬軟取り混ぜた柔軟な金融政策を発動していただきたい。一方、安倍総理は政策として「大胆な金融緩和によってデフレを脱却する」などと、日銀の独立性を否定するがごとき公約は撤回していただきたい。デフレ脱却のために日銀には日銀が果たすべき責務があり、その責務を全うできる人と考えて選んだ日銀トップの人事だ。そうであればデフレ脱却のための金融政策は日銀にげたを預け、政府は政府がなすべきことをする――それが国民の負託に応える総理の責務ではないか。総理たるもの、そのくらいの自覚は持っていただきたい。国民が今、安倍内閣に寄せている信頼度の高さは、安倍内閣ならそうした負託に応えてくれるだろうという期待感の表れである。

 次に第2の矢「公共事業投資による景気刺激策」である。公共事業投資の有効性については、これまで2回ブログに書いた。
① 総選挙で大勝した自民党が作らなければならない国の形(昨年12月17日
  投稿)
② 再び断言する――公共事業で景気は回復しない。ケインズ循環論は今の日
  本には通用しない(3月8日投稿)
 これまで主張してきたことの要点だけ書いておこう。ケインズ循環経済論は、不況の原因は失業率の高さにあり、公共事業によって雇用を増やせば内需が拡大して景気が回復に向かう。そうなれば企業は生産活動を拡大し、さらに失業者が減少し、内需がさらに拡大する。このサイクルによって不況は克服できる。極めて単純化した表現だが、1929年にはこのケインズ理論が正しかったことが証明された。アメリカがニューディール政策によって世界恐慌を克服したからである。
 しかし、今日の日本ではケインズ循環経済論は通用しない(日本だけでなく先進国すべてに)。まず公共事業を行っても失業率は改善しない。その理由は二つある。一つは公共事業の担い手が人的労働力から機械化作業に転換していることだ。確かに機械を動かすには人的労働力も多少必要だが、公共事業投資額に占める人件費比率は1930年ごろとは比較にならない。また1930年ごろの労働力の大半はブルーカラー(肉体労働者のこと。高学歴の知的労働力の担い手はホワイトカラーという)だった。
 しかし今日日本の進学率は極めて高くなり(有能な知的人材が増えたことを意味するわけではない)、肉体労働に従事する労働者の大半は南米などからの出稼ぎ労働者である。公共事業投資に財政出動して外国人労働者に就業機会を与えて、どういう景気回復の効果があるというのか。詳しくは先に書いたブログを読み返してほしい。

 最後に第3の矢「成長戦略」である。当初は具体性が見えなかったので評価のしようがなかったが、少しずつ見えてきた。これは非常にいい経済政策である。たとえば生命科学分野への支援である。これは山中伸弥氏のノーベル賞受賞が契機になったという偶然性もあるが、世界で発展途上にとどまっていた医療分野での研究開発が飛躍的に発達する可能性が出てきた。その理由は4月8日投稿のブログ「アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ」で詳しく書いたが、要点だけ述べておこう。
 まず、技術は需要のないところでは進化しないという技術開発の原理原則を理解していただく必要がある。医療の分野でいえば、日本はこれまで(厳密には現在もだが)国民皆保険制度を金科玉条のごとく維持してきた。国民皆保険制度を維持するためには高度医療は保険の対象にできない。保険適用外の高度医療を受ける場合、その医療に関するすべてが保険の対象から外される。これが「国民皆保険制度」と言われる中身なのである。そのため、最初から保険対象外になるような高度医療機器・薬品などの研究開発には企業が手を出しにくい環境があった。需要のない分野では技術進歩は望めない、というのはそういう事情による。
 そのため山中氏が開発に成功したiPS細胞の実用化研究は、肝心の生みの親である日本が先進国の中で後れを取るというみっともない姿をさらしつつあった。そこに風穴を開けたのが安倍総理だった。保険外の高度医療を受ける際、保険が適用される医療に対しては保険で行うという制度(混合医療制度という)にしようというのである。日本医師会は混合医療に反対し続けたが、安倍総理は自民党の票田である医師会の反対を押し切って混合医療制度の導入に踏み切ろうとしている。その結果、高度医療の市場が日本に生まれれば、「需要のあるところでは技術が進歩する」という原理原則が働き、医療関連技術が飛躍的に進むことが期待されている。
 またこれは公共事業にはなるがリニア新幹線の東京→名古屋→大阪間の開通
を急ぐべきだ。「先に述べたことと矛盾するではないか」と言われるかもしれないが、これは失業対策や景気刺激策としてではなく、日本が世界に誇るリニア技術を実用化することによって、世界中に日本の技術を売る絶好のチャンスになる。
 アメリカはシェールガスの掘削技術を開発し、国内のエネルギー問題を解決しただけでなく、産出したシェールガスを日本などに売るだけでなく、その後発見された世界各地に埋蔵されているシェールガスの掘削事業を、アメリカ企業が独占しかねない状況になっている。本来土木建設工事の技術は日本が世界の最高峰にあったはずだ。ご承知のように日本の国土に占める平地は20%を切っている。しかも火山国であり、島国でもある日本列島は複雑な海底プレートに囲まれており、地震の脅威につねにさらされている。そうした中で培ってきた日本の土木建設技術は世界一といっても過言ではない。アメリカにシェールガスの掘削方法を先行開発されてしまったことは、私には無念でならない。日本にもシェールガスが埋蔵されていたら、間違いなく掘削方法は日本が世界に先駆けて開発していたと思う。「需要のないところに技術の進歩はない」ということが、このことでも証明された。
 日本の国土面積は約37.8km2で世界60位に過ぎないが、日本政府が領有権を主張している領海・排他的経済水域(EEZ)は約447km2となっており、世界6位の広さである。その領海排他的経済水域に豊富なエネルギー資源やエレクトロニクス製品や自動車などの生産に欠かせない高価な希土類などが大量に埋蔵されていることが分かっている。しかしそれらの資源は深海に眠っており、現在の海底掘削技術ではコスト的に採算が取れないという。コスト的に採算が取れないなら、国が支援してでも深海の掘削技術を世界に先駆けて開発しなければならない。そんな資金は零細農家に支給している、事実上の「生活保護」を停止すれば、すぐ捻出できる(詳しくは3月25日投稿のブログ『日本政府はいつまでコメ農業に事実上の「生活保護」政策を続けるのか』を参照してください)。
 これは二重の効果をもたらす。深海に眠っている資源は日本の領海・排他的経済水域だけではない。日本が世界に先駆けて海底掘削技術を開発すれば、他国の海底資源掘削事業を日本企業がほば独占できる。もう一つの効果は、零細農家に対する「生活保護」費の支給を停止すれば、安倍総理が目指す「強い農業」づくりが急速に進む。零細農家は農業を継続できなくなり、農地を手放さざるをえなくなる。土地への執着が強い農家は、農地を農業法人に長期貸し出し契約を結べばよい。農業法人に株式会社も含めるべきだ。商社などが喜んで大規模農業に参入を図るはずだ。そうなれば、やはり世界に冠たる農業技術を発展途上国に提供できるようになる。これはビジネスというより、将来、世界的規模で生じることが予測されている食糧難時代の到来を、日本の農業技術で克服することを最優先の目的にすべきだ。日本が世界の平和と安定に貢献できる最高の手段の一つになる。

 またまた長文のブログになってしまった。最後までお付き合いいただいた読者に差し上げるべきお礼の言葉がないくらいだ。この一言で終えたい。
 本当にありがとうございました。(このブログは実数2万字を超えました)

衆院選挙制度改革がなぜ参院選の争点にならない――読売新聞の悪あがきを暴く。

2013-07-03 06:24:24 | Weblog
 実は、このブログは6月25~27日にかけて書いたものです。賞味期限が切れないうちに投稿したかったのですが、24日に投稿したブログ『自公圧勝で猪瀬都政はどう変わる(社説読み比べ)』が予想以上に好評で、閲覧者がなかなか減らず、27日にいったん少し減少傾向に入りかけたので、29日に投稿しようと思ったのですが、28日には閲覧者が再び急増し、29日の投稿が不可能になりました。それ以降も閲覧者数は高レベルを維持し、閲覧者数ランキングで9日間4ケタを続けています。こんな状態の中で明日参院選が公示されるというタイミングで新しいブログを投稿せざるを得ないことは、私としては大変心苦しいものがありますが、もうこれ以上は待っていられないという瀬戸際まで来てしまったという思いで、今日投稿することにしました。参院選で、通常国会で大問題になった、というよりこの問題以外に何一つとして与野党間で正面衝突することがなかった衆院議員の選挙制度改革が、参院選では「票に結びつかないから争点にならない」――そんな国民を愚弄した国政選挙が行われようとしています。私に言わせれば『ポピュリズム(大衆迎合)選挙、花ざかり』の選挙です。そういう怒りを込めて、あえて今日の投稿に踏み切ることにしました。

 都議選投票日の翌24日に衆院で、「0増5減」の区割り法が3分の2以上の賛成で成立した。その採決の直前、野田佳彦前総理(民主党)が血涙を絞り出すような声でこう言った。
「だました方が悪いのか、だまされた私が悪いのか」
 心なしか、野田氏の目には口惜し涙がうっすらとにじんでいるように見えた。
この、最後の抗議に対し安倍晋三総理は平然とうそぶいた。
「定数削減は、弱小政党のことも考えなければならない。そうした要素も含め各党の意見を集約して、できるだけ早急に選挙制度の改革に取り組みたいと思っている」
 安倍総理が、とりあえずその場を取り繕ったことはだれの目にも明らかだった。自民党にとっては、とりあえず区割りを変えて衆議員を5人減らし、違憲状態とされた一票の格差を2倍以下の1.998倍に収めれば、「選挙制度の抜本改革」は幕を閉じたのである。
 最高裁が「違憲」と断じたのは、単に一票の格差が2倍以上だからだけではない。「一人別枠方式」の下での小選挙区制度そのものが違憲だと主張したのだ。だが、民主も含め、「一人別枠方式」に手を付けようとした政党はなかった。いつの間にか選挙制度改革は定数削減問題にすり替えられ、そうなると党利党略が交錯して各党の主張がバラバラになり、まとまるわけがないのは当たり前の話だ。
 朝日新聞は二人の政治部長が安倍総理に単独インタビューを行った。そのインタビュー記事の一部を引用する(26日朝刊)。
「(安倍首相は)衆院議員の定数削減に向けて『国会に諮問機関をつくって議論すべきだ』という意向を表明した。衆院議長の下に諮問機関を設置する考えで、首相は同日、自民党の石破茂幹事長に検討を指示、各党の対立で停滞している選挙制度改革を前進させる狙いだ(※安倍総理がそんな意図を持っているわけがない。とりあえず選挙制度改革に後ろ向きではないと逃げただけである)」「首相は『残念ながら各党がそれぞれの案を出しあった結果、こう着状態に陥ってしまった』と指摘。そのうえで『政府をチェックする議員の数を減らすことを政府が決めるのには抵抗感がある』と述べ、国会内に新たな諮問機関を設ける考えを示した」
 インタビュー記事だから、総理の発言内容を改変することはできないが、いとも簡単に安倍総理の弁明を無批判的に紙面に掲載するのはジャーナリストとしていかがなものか。
 朝日新聞は3月28日の社説で、選挙制度改革についてこう述べた。
「0増5減に基づく新区割り法を。まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識に立ち、最高裁が違憲の源とした『一人別枠制(※正式には一人別枠方式)』を完全に排する抜本改正をする」
 この主張を素直に読めば選挙制度を2回に分けて行え、と言う主張としか解釈できない。そうなると当然のごとく疑問が生じるのは、まず1回目の改革(0増5減)は今国会で行い、新区割り法が成立したら衆院を解散し、7月に衆参同日選挙で抜本的選挙改革をめぐって国民に信を問うべきではなかったかという疑問が生じる。
 実は野田前総理が伝家の宝刀(衆院解散は総理の唯一の専権事項)を抜いて衆院を解散するに当たって、自民総裁の安倍氏に「次の通常国会で選挙制度の抜本改革に協力をすると約束してくれるなら年内に解散・総選挙を行う」と迫った時、安倍氏は「約束する」と答えた。その時、幹事長の石破氏が「もし、選挙制度改革が出来なかったら総理はどうするつもりでしたか」と問うたとき、野田総理は「私はこの改革に政治生命をかけてきた。実現できなかったら議員を辞職するつもりだった」と答えた。昨年末のこの衆院本会議でのやり取りが、冒頭に述べた野田氏の怒りの原因だったのである。
 実はそのころ私と読売新聞の読者センターは最悪の関係にあった。昨年8月15日に投稿したブログ『緊急告発! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』の中で読売新聞読者センターの方(氏名不詳)との電話でのやり取りを書いた。私の読売新聞の記事に対する批判を述べたのに対してあまりにも正直に同感されたので、その方とのやり取りを書いたのだが、読売新聞読者センターの内部で大問題になってしまったのである。私は「組織の論理」を厳しく批判していた読売新聞自体が、「組織の論理」にズブズブにはまり込んでしまっているとは思ってもいなかったからである。野田氏ではないが、「組織の論理」を厳しく批判してきた読売新聞の姿勢を信じた私が悪かったのか、自分のことは棚に上げて「組織の論理」にズブズブだった読売新聞読者センターが悪かったのか、と言いたいような話だった。
 その直後、読売新聞読者センターは「犯人」探しを始め、「犯人」を突き止めたようだ。そして「犯人」に対し査問したようだ。震え上がった「犯人」は私の主張に同意などしていないと嘘をついたらしい。その結果、私がブログで「犯人」との会話をでっち上げたことにされてしまった(現在では私が書いたブログが事実だったことを読売新聞読者センターは認めているが)。真実がどうして明らかになったのかについては、近いうちにブログで書く。すでにタイトルは決めている。『読売新聞読者センターへのレクイエム――なぜ読者センターは私に謝罪しないのか』だ。
 ただ新聞社も「組織の論理」にズブズブだということが分かったことは私にとって大きな収穫だった。それ以降新聞社の読者窓口とのやり取りはブログでは書かないことにした。だが、もう調べようがないと思うので、「0増5減」問題について朝日新聞のお客様オフィスに電話した時のやり取りについて、ブログには書かなかったが、今年3月20日に読売新聞読者センターに送ったFAXの中で書いたので、それを転記する。当時朝日新聞も読売新聞も社説で「0増5減」の先行採決を支持しており、「大幅な定数削減と同時でなければ賛成できない」と強固な姿勢を崩さなかった民主への批判を行っていた。その朝日新聞の社説に私は噛みついたのである。その時のやり取りを書いて読売新聞読者センターにFAXしたのである(手紙形式のため「ですます」調にしている)。

「ちょっと舌足らずな感じがしますね」(※朝日新聞お客様オフィスの方)と言われたので、私は「舌足らずということになると、いったん解散して0増5減の総選挙をやり、その後新内閣のもとで一人別枠方式を排した選挙制度を作るということになりますよ。これは舌足らずの話ではありません」と言いつのったところ、彼は「あっ、お客様のおっしゃる通りですね。そんなバカなことするわけないですよね。なんでこんな主張を社説でしたんでしょうかね。社説で書く内容は論説委員室で議論を尽くし、印刷に回す前に何人かが目を通しているはずなんですが、これは確かにおかしいと私も思います。お客様のご指摘はもっともだと思いますので、必ず伝えます」と言ってくれました。(中略)
 この朝日新聞お客様オフィスとのやり取りについてはブログには書きません。また朝日新聞お客様オフィスの中で犯人探しが行われ「言った、言わない」の話になり、私がまた「ねつ造者」呼ばわりされるのは懲り懲りですから。
 なお今朝の朝刊1面トップで朝日新聞は政府の衆院選挙区画策定審議会(区割り審)の勧告を報じました。案の定「0増5減」の自民党案を第三者を装って権威づけしたものでした。その内容を社説氏は事前にキャッチしていたため、あのような社説を書いたのでしょう。しかし、私の昨日の批判は無意味ではなかったようでした。この記事の解説(筆者は河口健太郎氏)で「ようやくまとまった区割り見直し案の勧告では、最大格差が1.998倍と、違憲の目安とされる2倍をかろうじて下回った。「一人一票」にはほど遠い、取り繕った案に過ぎない」と、前日の社説の主張を事実上完全に否定してしまいました。河口氏はさらに解説記事の締めでこう書いています。
「人口に応じた定数配分を徹底すると、鳥取県の定数が1になるなど地方の議席が大幅に減ることになる。選挙権の公平さを守りながら、人口が少なく相対的に発言力が弱い地方にも配慮するのは難題だ。その場しのぎではない格差の是正策が国会には迫られている」

 このFAXを読売新聞読者センターに送った2日前の3月27日に私は『一票の格差を単に格差是正に終わらせるべきではない!!』と題するブログを投稿していた。その中で私はこう主張した。

 例えば神奈川県の場合、253(300-47)の「実質的な」小選挙区制で割り振られる選挙区は17区になるはずだが、そこに別枠の一人が加算されることによって「実際の」選挙区は18区になり、小選挙区の当選者は18人となる。この水増し議員に投じられた1票の重みは、当然のことながら都市部より地方の農村地帯のほうが重くなる。たとえば日本一人口が多い東京都の場合は1316万人、一方日本一人口の少ない鳥取県の場合59万人である(いずれも2010年国勢調査による)。「一人別枠方式」で当選した議員が獲得した1票の重みはなんと22.3倍にも上る。この「一人別枠方式」による水増し議員に投じられた1票の重さが小選挙区で当選した議員300人が獲得した票の格差2.43倍を生んだ最大の原因というのが最高裁の判断だった。
 民主主義というのは、絶対的な理想的政治形態ではない。大哲学者プラトンは「民主主義は衆愚政治(愚民政治とも訳されている)」と言ったほどである。
 現に最高裁に否定された「一人別枠方式」にしても、東京都民が日本人全人口の10%を超え、神奈川・千葉・埼玉など首都圏を加えると全人口の27.8%、この首都圏4都県に大阪・愛知を加えると、なんと日本人の40.5%が集中していることになる。なお大阪・愛知は単独の府県の人口だけを計算に入れたが、関西圏・中部圏まで含めると日本人の6割以上がこの3大都市圏に集中しているのだ。では多数決を原則とする民主主義を選挙制度や法律にダイレクトに導入するとどうなるか。結果は火を見るより明らかであろう。
 民主主義には多くの欠陥があるが、かといって民主主義にとってかわるだけのよりベターな政治形態をまだ人類は発明できていない。ひょっとしたら永遠に発明不可能かもしれない。そうした状況の中で私たちにできることは民主主義の欠陥を理解した上で、より良い政治を実現すること、言い換えれば民主主義をより成熟させていくこと――それしか現実問題を解決する方法はない。
 そうした観点から相次ぐ違憲判決を契機に、よりベターな選挙制度をどうやったら構築できるか考えてみた。(※これから述べる私の提案を読売新聞は見事に剽窃した。そのことは、この後証明する)
 まず、民主主義政治を標榜する国の選挙制度を国会議員たちが決めているということに根本的な問題があることを、ご理解いただきたい。国会議員に限らず、選挙でリーダーを選ぶ組織の構成員が、自分たちにとって不利な制度を作るわけがないということである。だから、その組織の構成員には選挙制度を作る資格を与えないことである。つまり国会には選挙制度を作る資格を与えず、裁判所(地方・高等・最高)の中に選挙制度設定部会を設け(常設である必要はない。国民や市民の要請に応じて随時開催すればよい)、そこで地方選挙や国政選挙制度についての議論を尽くしたうえで、国民や市民に制度の是非を問う――そういう仕組みにしたらどうか。
 55年体制以来、都市部を中心に支持層を固めていた社会党系(旧総評などを構成していた大企業の労働者は大都市圏に集中していた)に対し、自民党は農村などの地方を地盤にして政権を維持してきた。だから地方票を失うことは自民党にとって死活の問題だった。
 本来都市と地方の対立、あるいは格差を解消するのは政治的課題であり、それこそ民主主義の仕組みの中で「多数の利益だけを優先すべきではない」と国民に訴えるのが民主主義の成熟を図る最善の手段である。が、依然として地方票にしがみつくため地方重視の選挙制度である「一人別枠方式」を作り出すようなことをするから、最高裁から憲法違反と断罪される羽目になったのだ。

 3月27日に投稿したブログを改めて読んでいただいたのには、それなりの理由がある。読売新聞が私の主張を剽窃した主張を始めたからだ。その記念すべき日は3月25日。読売新聞の記者(論説委員や編集委員を含め、というより彼らが)どうやら剽窃することを何とも思っていないようだ。私は読売新聞のすべての記事を重箱の隅を突くようにあらさがしをしているわけではないので、私が気が付いたケースはおそらく氷山の一角と言っていいだろうと思う。私が初めて読売新聞の剽窃をブログで告発したのは2月18日投稿の『社説読み比べ(2)読売新聞社説は剽窃だった。日本経済新聞社説は日本への警戒心をあおるだけだ』である。
 それに先立つ2月8日、安倍総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長は柳井俊二元駐米大使)が5年半ぶりに再開され、集団自衛権についての議論を深めることになった。それを受けて翌9日読売新聞は社説でこう主張した。
「『集団的自衛権を持つが、行使できない』との奇妙な憲法解釈を理由に、日本が米艦防護やミサイル迎撃を見送れば、日米関係は崩壊する。国際平和活動で自衛隊だけが過剰に法的制約を受ける現状も早急に改善すべきだ」
 この主張自体にはそれほど異論はない。剽窃でなかったならばだ。
 実はこの主張は安倍総理(第1次安倍内閣)が、2008年に懇談会がまとめた報告書に関して述べた内容と酷似していたのだ。そのことに気づいたのは、10日の産経新聞社説に掲載された以下の記載による。
「懇談会が平成20年にまとめた報告書は集団的自衛権の行使を容認すべき4類型を例示した。中でも『公海上での自衛隊艦船による米艦船防護』や『米国に向かう弾道ミサイルの迎撃』は、首相も『もし日本が助けなければ同盟はその瞬間に終わる』と重視する」
 実は集団的自衛権に関する全国紙5紙の社説読み比べは2回に分けて書いた。5紙の社説がいっせいには出揃わなかったからだ。で、1回目は2月11日に朝日新聞、読売新聞、産経新聞の3紙の社説の読み比べを書いた。その後、17日になってようやく日本経済新聞が社説を出した(毎日新聞は私の見落としかも分からないが、懇談会再開を契機に集団的自衛権問題についての社説は出さなかったようだ)。それまでの間に私は自民党本部に問い合わせ、最初の懇談会報告書についての安倍談話を調べてもらった。古い話だったので、自民党本部事務局にはお手数をおかけしたが、産経新聞の社説が掲載した安倍談話は事実であることが判明した。もう一度読売新聞の社説氏が地の文(引用などではなく、筆者のオリジナルな文章のことを業界用語で地の文という)で主張した内容と、産経新聞が安倍談話として書いた内容がそっくりだということがお分かりだと思う。これが剽窃でなかったら、世の中に剽窃は存在しないことになる。
 では、0増5減法案について朝日新聞が一夜にして主張を転換した経緯(読売新聞読者センターに送ったFAXに書いた)と、結局私が予想した通り、安倍内閣は0増5減法案が成立した途端、「これで違憲状態は解消した」と言わんばかりに選挙制度の抜本改革には見向きもしなくなった(定数削減には「各党と議論を重ねて取り組んで行く」と表向きは前向きのポーズを崩していないが、過去の政権与党のやり方を検証すれば選挙制度改革に安倍内閣がピリオドを打ったことは政治の世界の公然たる常識である)。
 実は読売新聞読者センターに送ったFAXには書かなかったが、0増5減の先行成立を支持した社説を書いたのは朝日新聞だけではなく読売新聞も同じで、私は朝日新聞のお客様オフィスに批判的意見を述べただけでなく、読売新聞読者センターにも同様に電話した。この時対応してくれた方は、いったん読者センターから異動になったようだが、私の問題で読売新聞読者センターのスタッフが総入れ替えになったようで、現在は再び読者センターに戻っている。その方は必ずしも私に対して好意的な方ではないが、非常にフェアな方で、いまでも私の主張に真摯に耳を傾けてくれ、一理あると思われた場合は必ず「伝えます」と言ってくれる。これも業界用語で、前にブログで書いたと思うが、読者からの意見に対して最後に「分かりました」と答えるケースと「伝えます」と言う二つのケースがある(今の私の電話に対する対応は全く違う)。
 たまたま読売新聞読者センターに0増5減問題についての社説に対する意見を述べようと電話をした時に出られた人が、その方だった。私が主張したことは朝日新聞のお客様オフィスに電話した内容と全く同じだった。その時のやり取りを書く。
 実は読者センターの方とのやり取りを書くことについて「相手の了解をとったのですか」というのが、現在の読売新聞読者センターの私に対する基本的対応方法で、「取材なら広報にお願いします」と言って電話を切られてしまう。そういう「組織の論理」に現在の読売新聞読者センターが立っているため、私は今まったく読売新聞読者センターに電話ができなくなってしまっている。だが、私も、もう読売新聞読者センターとの縁は切ることにしたので、今回も相手の了解を得ず、その時のやり取りを書く。大体、いちいち相手の了解をとっていたらジャーナリズムは死滅してしまう。そういうことを読売新聞読者センターは私に対して要求しているのである。とりあえずやり取りを書く。
「最高裁が下した違憲状態という判決の趣旨は、定数を削減しろということではない。一人別枠方式の小選挙区制度が1票の格差を生んでいるのだから、現在の小選挙区制度を見直せ、ということでしょう」
「その通りですね」
「では、なぜ0増5減法案の先行成立を主張されるのですか」
「とりあえず違憲状態を解消したうえで、選挙制度の抜本改革をやるんじゃないですか」
「そんなことをやるわけがないでしょう。そもそも小選挙区制に変えたとき、どさくさに紛れて別枠で47都道府県に議員一人を割り振った自民党の意図は、地方に選挙基盤を置く自民党の党利党略のためだったことくらいジャーナリストだったら当然わかっているはずでしょう。0増5減でとりあえず違憲と断定された2倍以上になっている議員一人当たりが獲得した票の格差を2倍未満に抑えたら、それで違憲状態は解消したと、一人別枠方式を排した選挙制度の抜本改革など安倍内閣がやるわけないでしょう」
「うーん。そうかもしれませんね」
「今さら社説を訂正するわけにもいかないでしょうから、せめて0増5減法が成立して、安倍内閣が今国会で抜本改革をやるつもりがないと分かったら。法案が成立しても違憲状態は続いているわけだから、今国会が終わる時点で衆院を解散し、新区割りで衆参同時選挙をやるべきだと主張してほしい」
「伝えます」
 改めて書くが「伝えます」と答えたときは読者の意見が正しいと思ったか、あるいは少なくとも新聞社として考慮すべき意見と判断したケースだけである。朝日新聞のお客様オフィスに電話した時とほとんど同じやり取りだったが、すでに述べたように朝日新聞は翌日の朝刊1面で前日の社説をひっくり返す解説記事を載せた。だが、読売新聞は頬かむりを続けた。その結果、とんでもない醜態をさらす羽目になった。
 0増5減法案が参院で通らないことが明確になった時点で、自公政府は6月24日、衆院で3分の2以上の賛成で再可決した。翌25日の朝刊1面トップでそのことを報じた読売新聞は中見出しで「選挙制度 抜本改革 秋以降に」と事実を報じ、2・4・38面に関連記事を載せた。また社説でも選挙制度改革問題を論じているので、社説のほうから検証する。社説ではこう述べた。
「筋が通らないのは、野党第1党の民主党の対応である」「民主党は昨年11月、0増5減の先行実施に同意し、衆院選挙制度改革法に賛成した。ところが、政権交代後、その法律を実施するための区割り法には反対した」(中略)「こんな“ご都合主義”に国民から共感を得られるはずがない」(中略)「0増5減の先にある衆院選挙制度の抜本改革で、与野党が合意できなかったのは残念だ」(中略)「民主党が『定数削減の期限の明示』を要求し、妥協しようとしなかったからである」
 実はこの後、やっと読売新聞も少しは分かってきたのかな、と思われる主張が続くのだが、民主政権最後の土壇場で、民主が主張してきた「消費税アップで国民に負担増をお願いする以上、われわれも血を流す必要がある」と国会議員定数の大幅削減要求を自民が呑んだことで、野田総理は解散権を行使して衆院を解散したという経緯がある。だから民主党が大幅な議員定数の削減の約束を安倍内閣に対して、0増5減法案に賛成する条件として要求したのは当然だった。その解散時の約束を破ったのは安倍内閣のほうであって、読売新聞の主張には全く根拠がないのだ。確かに民主は0増5減法案を先行成立させることに同意していたことも事実だが、その同意の前提を読売新聞は確信的に無視して、民主が一方的に約束を破ったと主張するにはそれなりの読売新聞側の事情があった。その事情というのは、すでに私はブログで何度も書いてきたが、日本の国会議員数は国民一人当たりの比例から見ると先進国の中で少ない方だという独りよがりの考え方から抜け切れないことである。その「アイディア」はだれが思いついたのかはわからないが、そのアイディアにこだわりすぎた結果、安倍総裁(解散直前の野田内閣時代)が野田総理にした約束を無視したことを確信的に「忘れることにした」ためである。
 読売新聞が行った 国会議員数÷国民総数 の比率調査で虚偽の数値を報じたとは、いくら私でも思わない。おそらく事実であろう。だが、どうせ調査をするなら、なぜ先進国の国会議員が税金でまかなわれている歳費(給与)をはじめとする特権的収入の比較も調べなかったのか。私がインターネットで5分ほどかけて調べたことを2件だけ転載しよう(無断転載を禁じていないから)。

 歳費は、いわゆる国会議員の給与。このほかに文書通信交通滞在費など、様々な費用が国から支給されます。また、JR全線が無料、月に最大4往復分の航空券が無料、議員宿舎も格安で借りられる。あまりに優遇すぎるという意見も多く、金額の妥当性についてはいくらでも議論すべきです。ただ、こうした歳費や待遇がなければ、地元が遠方な人、お金がない人は国政に参加しにくくなるという弊害もある。
 今年は(※2012年)不況をかんがみ、下記の期末手当(国会議員のボーナス)の20%、約60万円がカットされた。すでに議員年金は廃止され、これまで議員特権で保障されていた特典の廃止・削減も進められてきてはいる。それでも一昨年の国会議員一人当たりの歳費は、最低でも約2190万円。さらに、文書通信交通滞在費が年間1200万円、公設秘書の人件費が年間約2600万円、立法事務費、海外視察費のほか、JR無料パス、私鉄等の無料パスなどの支給も加わる。これは高いか安いか、庶民の感覚ではつい高いと思ってしまうが、さてさて。(武藤平蔵氏)

 2009年8月30日の第45回衆議院議員選挙で当選した議員に、同月30日と31日のわずか2日間の在任期間に対して、8月分の歳費・文書通信費として計230万1千円満額が翌月16日に支払われたという件が明るみにでました。
 日給換算で約115万円、全議員で約11億円という巨額な支出であり、「社会常識を逸脱している」「無駄遣い」と批判の声がありました。
 現行の公職選挙法では、国庫への返納は寄付行為とみなされ禁止されているため、受け取り拒否はできません。これも論議を呼びました。
 国会議員の歳費、旅費及び年金等に関する法律には、日割り計算などの制度が作られておらず、さらに文書通信費についても、電話代や交通費など政治活動に使う目的で支給されていますが、使途報告が義務付けられていないため、以前から問題として指摘されていました。
 2000年6月のでも、解散が同月2日に行われたため、同様にわずか2日間の在任期間に対して、499人に1か月分満額が支給されましたが、改められませんでした。現在、国会議員歳費法改正案が検討され実現されようとしています。
 日本の国会議員への歳費は、アメリカの議員で年間約1700万円、イギリス下院は約970万円などの諸外国に対して、日本の国会議員は年額約2200万円(手当を含めた総額は約4200万円と世界最高水準と優遇されていると批判されています(※このデータはやや古いようで、サイト「NAVERまとめ」にnana999さんが投稿した2011年11月2日現在の国会議員歳費の国際比較によれば、日本の約2200万円に対し、アメリカは約1570万円、イギリス約970万円、ドイツ約1130万円、カナダ約1260万円、韓国約800万円である)。
 しかしながら、海外との報酬の差があっても、日本の場合では、政治活動に支出が大きく、歳費を安くした場合、生活に困窮した議員が汚職を行う原因になるとの声もあります。
 また資産家あるいは資金を後ろ盾にした人間しか議員になれなくなるという弊害が出るから是認する声もあります。
 政治活動にお金がかかることは、誰もが認めることですが、不況下の国民感覚からのズレも指摘され、また国家財政の緊縮の問題ともからんで、コストのかからない効率的な政治環境を図ることも必要でしょう。(投稿者は不明)

 先に述べたように読売新聞社説は最後に少し正論を述べている。
「選挙制度改革で合意形成を図るには、与野党の見解の隔たりが大きい定数削減問題を切り離すべきだ。国会議員を減らせば国民に歓迎されるといった大衆迎合的な発想は捨て去り、制度改革の議論をリセットしなければならない」
 これまで0増5減問題に関して、読売新聞は執拗に社説をはじめスキャナーなどを総動員して、民主の定数大幅削減案を大衆迎合主義(ポピュリズム)と批判してきた。そして日本の国会議員数は先進国と比較して少なく、もし定数を大幅削減すれば国会内の各委員会が機能しなくなる恐れがあるとまで主張して民主批判を繰り返してきた。私もそのことに異論を挟むつもりはないが、なぜか読売新聞は国会議員数の国際比較には熱心だが、国会議員に税金で支払っている歳費や諸手当の国際比較は一度もしたことがない。まして政党助成金なる歳費とは別の選挙運動資金まで国民が負担している国は日本だけだという厳然たる事実すら指摘したことはない(日本では国民一人当たり年250円が議員の選挙運動のために徴収されている)。それでいて民主の定数大幅削減案を大衆迎合主義と批判して大きな顔をしているのだから、その厚顔無恥さは小沢一郎氏もたじたじであろう。
 ただ民主が、「消費税増税という負担をお願いする以上、われわれも血を流す必要がある」という主張は同感だが、血を流す方法は定数削減だけではない。むしろネットで検索すれば私にでも簡単に調べることが出来るように議員歳費をほかの先進国並みに削減したり、諸手当の不透明性をなくしたり、政党助成金制度を廃止したりすることで血を流す方が国民の理解を得やすいのではないかと思う。
 第一、最高裁が違憲状態と断定したのは、単に一票の格差だけではない。一票の格差を生んでいる一人別枠方式に違憲状態の根源があると指摘しているのだ。それを自民と一緒になって定数削減問題にすり替えているのは国民を欺く行為と言ってもいい。歳費を多くしたり、諸手当を乱造したり、政党助成金まで支給しなければ議員活動ができないというなら、なぜ金も地盤も何もないオバマ氏が5ドル、10ドルというはした金のボランティア資金だけでアメリカ初代黒人大統領になれたのか。
 金がなくても志が高ければ、日本でもボランティアが選挙活動を支えてくれる。日本で市民運動がなかなか育たないのは、市民活動家の多くが左翼思想に染まっており、共産党と同じように非現実的な主張ばかりしているからにすぎない。もっと現実的で、本当に日本の将来に夢を持てるような主張や政策を訴えれば、アメリカと同様日本でもボランティアが必ず選挙運動を支えてくれる。そういう政治風土に日本をすることの方が、税金で選挙運動を支えるような仕組みよりはるかに健全な選挙制度になる。読売新聞が社説で最後に主張した、選挙制度改革は定数削減問題と切り離して議論すべきだという主張には同感だが、そうするためには日本の政治風土を一変させるような方向に世論を導く必要がある。そうでなければ、せっかくの正論が、ただの絵に描いた餅で終わってしまう。
 この読売新聞の社説での提案自体が実は私がこれまでブログで述べてきたことの剽窃だが、もっとひどい剽窃をされた。それは同日の2面で編集委員の伊藤俊行氏が書いたコラムである。コラムのタイトルは『抜本改革は第三者機関で』というものだ。
 このブログの初めに3月27日に投稿したブログ『一票の格差を単に格差是正に終わらせてはならない!!』の主要な個所を転記したことを思い出していただきたい。できればこのブログをもう一度さかのぼって読み直していただきたい。ま、そこまでお願いするのは、私もちょっと気が引けるので、肝心の箇所だけ再転記しよう。私はこう書いている。
「まず、民主主義政治を標榜する国の選挙制度は基本的に議員たちが決めているということに根本的な問題があることをご理解いただきたい。国会議員に限らず、選挙でリーダーを選ぶ組織の構成員が、自分たちにとって不利な制度を作るわけがないということである。だから、その組織の構成員には選挙制度を作る資格を与えないことである。つまり国会には選挙制度についての権限を与えず、裁判所(地方・高等・最高)の中に選挙制度設定部会を設け(常設である必要はない。国民や市民の要請に応じて随時開催すればよい)、そこで地方選挙や国政選挙制度についての議論を尽くしたうえで国民や市民に制度の是非を問う――そういう仕組みにしたらどうか」
 私がこのブログを書くにあたって一番頭を悩ましたのは「裁判所の中に選挙制度設定部会を設ける」というアイディアだった。実は今でもそれが一番いい方法かどうかについて、確信はない。ただ完全に政治から独立した立場で国民・市民のために公正な制度を、あらゆる外部からの圧力や干渉を受けずに構築できるのは裁判所しかないのではないかという、とりあえずの結論に達して書いたという経緯がある。そしてこの案を補完する記事を31日に投稿したブログ『「一票の格差」問題に対する全国紙の主張はすべてデタラメだ!!』の中でこう書いた。
「もちろん現在の裁判所に選挙制度を制定できる権限がないことは百も承知で、私は裁判所にげたを預けるしか方法はないと考えたのである。三権分立という民主主義の大原則から逸脱していることも百も承知の上だ。(※以上のことは誰かから指摘されて書いたわけではない。私自身の中に釈然としないものが依然として残っており、そのことを正直に読者にお伝えするために書いた)しかし常設的な第三者委員会を設けるのは税金の無駄遣いになるし、また第三者委員会をその時代の権力から完全に独立したものとして作ることは事実上不可能である。確かに裁判所は立法府ではないが、一人別枠方式を違憲と判定した最高裁判所が、限界のある民主主義の枠内での選挙制度の在り方についての基準を作るしか方法がないではないか。そして最高裁判所が作った基準に基づいて、国政選挙制度については最高裁判所の国政選挙部会が、県知事や県会議員の選挙制度については高等裁判所が、市会・区会・町村会議員の選挙制度については地方裁判所がそれぞれ分担して構築する。とりあえずは、そうした超法規的処置で現行選挙制度の問題点を解決するしかないと思う」
 さて読売新聞の編集委員・伊藤俊行氏のコラム記事の内容を検証してみよう。『抜本改革は第三者機関で』というタイトルに込められたアイディアそのものが私の主張の剽窃である。剽窃をしておきながら、では国会外にどのような第三者機関をどうやって設けるべきかの提案は全くない。私は第三者委員会と名付けたが、それを「まったく中身のない」第三者機関と言い換えただけだ。
 少なくともこれまで、小選挙区制を含め選挙制度改革を国会議員が行うことに疑問を呈したマスコミや政治評論家は全くいなかったはずだ。読売新聞社説氏が私に次いで二人目だということが、剽窃である何よりもの証拠である。
 小選挙区制は、建前としては「政権交代可能な二大政党政治体制を作る」ことにあった。しかし小選挙区制は二大政党政治体制をつくるという建前の陰に隠して、自民はとんでもない仕掛けを組み込んだ。それが「一人別枠方式」だったのである。そのことには、読売新聞だけでなくマスコミや政治評論家のすべてが今でも気づいていない。最高裁がああいう判決を出してもだ。
 元来は、融通が効かず頭が「固い」はずの最高裁判事が、なぜ三権分立の大原則に抵触するような、単に意見の基準を示したにとどまらず、一票の格差を生む根源的要因である小選挙区制(つまり「一人別枠方式」を組み込んで自民の党利党略を制度化したこと)への事実上の否定的判断を判決の中に組み入れたのかという、歴史的意味を読売新聞は全く理解できなかったことが、次の伊藤氏の主張が証明している。
「裁判所も、政治の現実を直視し、選挙制度への過度な『介入』の是非を自問すべき時ではないか。1票の価値の重視が、国民の権利を守るためであっても、それを機械的に求めるあまり、政治が不安定になって迷惑するのは国民だ」
 最高裁判事が熟慮に熟慮を重ねた上で、あえて選挙制度そのものを問題にせざるを得なかった彼らの苦悩を思うとき、よくそんな偉そうなことを書けたものだ、と私は私は最高裁の肩を持つつもりは全くないが、自問すべきはマスコミのほうではなかったかと言いたい。マスコミが小選挙区制の導入に際して自民党が「地方に配慮して」という大義名分を立てて党利党略の「一人別枠方式」を組み入れたことへの欺瞞性に早く気付いて批判していたら、最高裁も選挙制度にまで踏み込んだ判決理由を述べるわけがなかった。あえてもう一度言う。なぜ最高裁に指摘されるまで「一人別枠方式」の欺瞞性に気づかなかったのかと、自問すべきはマスコミ側ではなかったかと。
 くどいようだが、再度整理しておきたい。ことはそれほど重要だからだ。
 もともと55年体制は大都市を選挙基盤とする社会党に対し、地方を選挙基盤にしてきた自民党の対立という構図だった。社会党が大都市を選挙基盤にできたのは総評(現連合)の組織が大都市に集中していたからである。そのため自民は小選挙区制の導入に際し、選挙基盤である地方票に有利な仕組みを仕込んだというわけだ。それが一票の格差を生む原因となった「一人別枠方式」である。その自民の「陰謀」に気づいたマスコミや政治評論家は全くいなかった。むしろ読売新聞も朝日新聞も「これで政権交代可能な二大政党政治体制が実現する」と諸手を挙げて支持した。そのことを読売新聞も朝日新聞もすっかり忘れているのではないか。忘れている、というより、自ら犯した犯罪的報道姿勢に対する反省がいまだに皆無なのだ。多少でも忸怩たる思いがあったら、0増5減問題についても、もう少しましな主張ができたはずである。
 そして細川連立内閣の誕生によって形式的には二大政党政治体制が実現したかのように見えた。だが、中身は細川政権は少数政党が「反自民」の旗印の下に結集することで成立した野合政権に過ぎなかった。野合政権だから、お殿様に担ぎ上げられた細川総理の意のままになる内閣では当然なかった。思い付きで福祉目的税導入を独断で発表した細川総理は、肝心の女房役の武村官房長官から一言のもとに撥ね付けられ、嫌気がさしてさっさと政権を放り出してしまった。
 その結果、社会党の村山委員長を担ぐという禁じ手を使った自民がふたたび政権の座に返り咲き、細川内閣を成立させた少数政党は四分五裂の再編成を余儀なくされ、鳩山・菅の両氏を軸に旧社会党系の大半も含めた民主党が結成され、さらに小沢・自由党も合流して形の上では自民の対抗軸となる大政党ができた。そして小泉純一郎氏引退後の福田、麻生両総理の不人気のおこぼれにあずかって民主政権が成立したが、細川内閣のような野合政権ではなかったが、民主党そのものが野合政党だったため肝心の党綱領すら決められないという体たらくで、東日本大震災の時の管総理の大失態もあり、国民の新政権への期待が大きかっただけに、期待が裏切られたときの失望も大きかった。言うなら「可愛さあまって憎さ百倍」が世論になったのである。それが、昨年末の自民圧勝という結果を呼んだだけの話だった。
 そのことはさておき、伊藤氏のコラムの検証作業に戻る。彼はこう書いている。
「抜本改革の論点は、いくつもあったはずだ」「1票の完全平等を実現するために全国一律の比例選にすれば、政党割拠で政治が不安定になる(※この主張はデタラメ。その理由は後で書く)。小選挙区のまま格差を2倍未満にしようと頻繁でいびつな区割り見直しを行えば、有権者が戸惑う(※0増5減の新区割りを支持し続けたのは読売新聞ではなかったか。ふざけるのもいい加減にしろ)。違憲状態の理由(※理由ではなく原因だ)とされた各都道府県に1票ずつ割り当てた後に人口比例配分する『1人別枠方式』を廃止し、単純に人口比例で小選挙区を配分すれば、少子高齢化と人口減が問題が真っ先に顕在化している農村部の議員が減る。こうした疑問や課題に、立法府は何一つ答えようとしてこなかった(※これまで私は多数決主義という民主主義政治の最大の欠陥をどうやって補っていくか、ことあるごとにブログで書いてきたが、読売新聞がそういう問題提起をしたことは一度もなかったはずだ)」「当事者による抜本改革に期待できない以上、参院選挙後は国会議員以外の第三者に検討を委ねた方がいい」
 これまで読売新聞がこういう主張をしたことはない。私が3月27日に投稿したブログや3月31日投稿のブログ、さらに4月15日投稿のブログ『0増5減は自民のエゴ丸出し法案だ。政権与党につねにすり寄ることが大新聞社のやることか』4月23日投稿のブログ『日本の新聞記者や論説委員室はなぜ恥じないのか。区割り法案の衆院可決は彼らの無能のせいだ』などで私が主張してきたことの明らかな剽窃である。なお4月23日投稿のブログの閲覧者は私のブログの中で最大数にのぼった。私はブログ記事はワードで書いているので投稿した直後に読売新聞と朝日新聞には必ずFAXすることにしている。

 これで今回のブログを終える。実数1万7千字に及ぶ長文のブログに最後まで付き合っていただいた読者の方に心からお礼申し上げたい。私も疲れたが、読者も大変お疲れになったと思う。感謝するだけでは足りない――それがブログを書き終えた私の心の底からの思いである。でも、ありがとうございました。それ以上の言葉が思いつかない自分自身が口惜しい。



 





























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