ノンフィクションという作業は、限りなくジャーナリズムに近い。猪瀬直樹氏は、日本を代表するノンフィクション作家だった、はずだ。
東京地検特捜部は28日、猪瀬氏を公職選挙法違反(収支報告書の虚偽記載)の罪で東京簡易裁判所に略式起訴した。簡易裁判所は公判を開かず、虚偽記載の罰金刑の上限である50万円の支払いを猪瀬氏に命じ、猪瀬氏は即日納付した。公民権も5年間停止された。
ということは、それまで一貫して主張し続けてきた「徳洲会側から提供された5000万円は、選挙後の生活が(※落選した場合)不安だったので」という説明を自ら覆したことを意味する。
私は20日に投稿したブログでこう書いた。
明日から三連休。私もブログはその間、休ませてもらう。ただ昨日(※19日)のニュースで気になったことが一つある。猪瀬直樹氏の「5000万円疑惑」である。徳田虎雄氏が「選挙資金」と証言したようだ。猪瀬氏があくまで「選挙に落ちた時の生活が不安だったから個人的に借りた」と言い張るなら、知事を辞職し、作家生活に戻ることも不可能ないま、どういう生活をしているかが問われる。(中略)もし猪瀬氏が、本当に困窮した生活を送っていれば、「選挙資金」というのは徳田氏側の思い込みで、猪瀬氏の「生活不安があったから借りた」という都議会での証言が間違いではなかったことが明らかになる。そうなれば、猪瀬氏は堂々と作家生活に戻れるだろう。だが、彼の日常生活が都民の期待を裏切るものであったなら、猪瀬氏は作家活動に戻れるどころか、永遠に社会的生命を失うことになる。
だが、残念ながらと言うべきか、それとも「やはりね」と言うべきか、猪瀬氏は都議会での証言を翻し、しかも自分から徳田虎雄氏に対して「選挙資金として1億円を借りたい」と申し入れていたことまで明らかになった。
昨年12月24日の辞職後、初めて公の場に顔を見せた猪瀬氏は、「間違っていた」「この間、ずっと悩んでいた」と一見苦渋の顔を見せた。だったら、なぜ徳田氏側が「選挙資金として提供した」と証言する前に、「都議会での釈明は間違いだった、生活のためではなく選挙のために借りた」と。東京地検特捜部に出頭して5000万円の使途について自ら告白しなかったのか。
それでも猪瀬氏は、まだ潔くなかった。記者会見で記者から「当初から選挙資金という認識があったのでは?」と問われ、「5000万円には個人の側面と選挙の側面があった。当時一つの側面だけを強調していた」と、しらを切り続けた。もし本当に「個人の生活費」の側面があったなら、知事辞職後の3か月間、どういう生活をしていたかを明らかにすべきだろう。
猪瀬氏は、石原都政の間、副知事として東京電力の株主総会に出席し(東京都は東電の大株主)、東電病院の売却を迫った。東電が売却を決定した後、徳洲会は買い手として名乗りを上げた。
そのこととの関係を記者から問われ、猪瀬氏は「徳洲会の病院が東京都にあるという認識はなかった。便宜を図ってくれと依頼されたことも、こちらから持ちかけたこともない」と、強弁した。「徳洲会と何の利害関係もないのに、どうして徳田虎雄氏に1億円という大金の借用を頼めたのか」と猪瀬氏を問い詰めた記者は誰もいなかった。記者が猪瀬氏に質問したのは「徳田虎雄氏に電話したのはいつか。1億円借りたいといったのか」という愚にもつかないことだった。猪瀬氏は「11月16日くらい。1億円などと言ったことはないと(これまでは)言ってきたが、そのとき言ったと思う」と答えた。こんな質問は猪瀬氏にとって痛くもかゆくもないだろう。
記者の愚問はさらに続く。「5000万円は手つかずと言ったが(仲介者の新右翼団体代表)木村三浩氏に500万円を渡していた」。猪瀬氏は「厳密な意味では4500万円が手つかずだ。ちょっと貸してほしいと言われ、断れなかった」と答えた。このやり取りもそれで終わってしまった。
木村氏の名前は「5000万円疑惑」が浮上した直後から取り沙汰されていた。木村氏は一水会の代表で、猪瀬氏とは「20~30年の付き合い」(猪瀬氏)だそうだ。その木村氏が、猪瀬氏を鎌倉の病院に入院中の徳田虎雄氏との面会の労をとり、徳田毅議員(その後辞職)との会食の場までセットして徳洲会側に「金を貸してやってくれ」と頼んでいる。私は木村氏が「5000万円疑惑のキーマンであり、猪瀬氏と木村氏の深~い関係を明らかにしない限り、真相は闇のなかだ」と、昨年12月16日のブログで書いた。ま、児玉誉士夫氏が背後で動いたロッキード事件と似た構造だったのではないかと私は思っている。
検察が無能だったら、ジャーナリストが≪猪瀬―木村―徳洲会≫のトライアングルを紐解いて、政治と金の関係を暴くべきではなかったか。結局、略式起訴で特捜部が幕を引いた後になって朝日新聞は社説でこう述べた(29日)。
「猪瀬氏に対し、書面審査の簡単な手続きで罰金刑が宣告されたのは、東京地検が略式起訴を選んだためだ。
一応の刑事責任を問う処分ではあるが、事件の社会的波紋を考えれば、あまりに中途半端ではないか。
金銭授与が何であったのか、国民が公開審理で知る機会は失われた。(中略)
徳洲会側は見返りに何を期待し、猪瀬氏はどんな形でこたえたのか。謝礼を受けた仲介役(※木村氏)はどんな役割をしていたのか。そもそも、なぜ猪瀬氏は選挙前に見知らぬ人間(※誰を指しているのか不明。木村氏を指しているなら20~30年来の知己であることはすでに明らかになっている)とこんな関係
を結ぶに至ったのか。
裁判になれば、当事者たちが証言し、そうした問題が正される可能性もあったはずだ。
略式起訴は、容疑者の同意なしにはできない。猪瀬氏は有罪を認めることと引きかえに、自分のふるまいが精査される局面を免れた。
本当に罪を認めるならば、やるべきことが残っている。自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を、できる限り明らかにすることだ」
正論だが、後の祭りだ。せめて、こう書くべきだった。
「猪瀬氏は1時間10分に及んだ会見の最後に『許されるならばもう一度、作家として当初の志を持って仕事をさせていただきたい』と述べた。もし作家としての再起を願うのであれば、自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を明らかにすることを、再起第一作にすべきだろう」と。
東京地検特捜部は28日、猪瀬氏を公職選挙法違反(収支報告書の虚偽記載)の罪で東京簡易裁判所に略式起訴した。簡易裁判所は公判を開かず、虚偽記載の罰金刑の上限である50万円の支払いを猪瀬氏に命じ、猪瀬氏は即日納付した。公民権も5年間停止された。
ということは、それまで一貫して主張し続けてきた「徳洲会側から提供された5000万円は、選挙後の生活が(※落選した場合)不安だったので」という説明を自ら覆したことを意味する。
私は20日に投稿したブログでこう書いた。
明日から三連休。私もブログはその間、休ませてもらう。ただ昨日(※19日)のニュースで気になったことが一つある。猪瀬直樹氏の「5000万円疑惑」である。徳田虎雄氏が「選挙資金」と証言したようだ。猪瀬氏があくまで「選挙に落ちた時の生活が不安だったから個人的に借りた」と言い張るなら、知事を辞職し、作家生活に戻ることも不可能ないま、どういう生活をしているかが問われる。(中略)もし猪瀬氏が、本当に困窮した生活を送っていれば、「選挙資金」というのは徳田氏側の思い込みで、猪瀬氏の「生活不安があったから借りた」という都議会での証言が間違いではなかったことが明らかになる。そうなれば、猪瀬氏は堂々と作家生活に戻れるだろう。だが、彼の日常生活が都民の期待を裏切るものであったなら、猪瀬氏は作家活動に戻れるどころか、永遠に社会的生命を失うことになる。
だが、残念ながらと言うべきか、それとも「やはりね」と言うべきか、猪瀬氏は都議会での証言を翻し、しかも自分から徳田虎雄氏に対して「選挙資金として1億円を借りたい」と申し入れていたことまで明らかになった。
昨年12月24日の辞職後、初めて公の場に顔を見せた猪瀬氏は、「間違っていた」「この間、ずっと悩んでいた」と一見苦渋の顔を見せた。だったら、なぜ徳田氏側が「選挙資金として提供した」と証言する前に、「都議会での釈明は間違いだった、生活のためではなく選挙のために借りた」と。東京地検特捜部に出頭して5000万円の使途について自ら告白しなかったのか。
それでも猪瀬氏は、まだ潔くなかった。記者会見で記者から「当初から選挙資金という認識があったのでは?」と問われ、「5000万円には個人の側面と選挙の側面があった。当時一つの側面だけを強調していた」と、しらを切り続けた。もし本当に「個人の生活費」の側面があったなら、知事辞職後の3か月間、どういう生活をしていたかを明らかにすべきだろう。
猪瀬氏は、石原都政の間、副知事として東京電力の株主総会に出席し(東京都は東電の大株主)、東電病院の売却を迫った。東電が売却を決定した後、徳洲会は買い手として名乗りを上げた。
そのこととの関係を記者から問われ、猪瀬氏は「徳洲会の病院が東京都にあるという認識はなかった。便宜を図ってくれと依頼されたことも、こちらから持ちかけたこともない」と、強弁した。「徳洲会と何の利害関係もないのに、どうして徳田虎雄氏に1億円という大金の借用を頼めたのか」と猪瀬氏を問い詰めた記者は誰もいなかった。記者が猪瀬氏に質問したのは「徳田虎雄氏に電話したのはいつか。1億円借りたいといったのか」という愚にもつかないことだった。猪瀬氏は「11月16日くらい。1億円などと言ったことはないと(これまでは)言ってきたが、そのとき言ったと思う」と答えた。こんな質問は猪瀬氏にとって痛くもかゆくもないだろう。
記者の愚問はさらに続く。「5000万円は手つかずと言ったが(仲介者の新右翼団体代表)木村三浩氏に500万円を渡していた」。猪瀬氏は「厳密な意味では4500万円が手つかずだ。ちょっと貸してほしいと言われ、断れなかった」と答えた。このやり取りもそれで終わってしまった。
木村氏の名前は「5000万円疑惑」が浮上した直後から取り沙汰されていた。木村氏は一水会の代表で、猪瀬氏とは「20~30年の付き合い」(猪瀬氏)だそうだ。その木村氏が、猪瀬氏を鎌倉の病院に入院中の徳田虎雄氏との面会の労をとり、徳田毅議員(その後辞職)との会食の場までセットして徳洲会側に「金を貸してやってくれ」と頼んでいる。私は木村氏が「5000万円疑惑のキーマンであり、猪瀬氏と木村氏の深~い関係を明らかにしない限り、真相は闇のなかだ」と、昨年12月16日のブログで書いた。ま、児玉誉士夫氏が背後で動いたロッキード事件と似た構造だったのではないかと私は思っている。
検察が無能だったら、ジャーナリストが≪猪瀬―木村―徳洲会≫のトライアングルを紐解いて、政治と金の関係を暴くべきではなかったか。結局、略式起訴で特捜部が幕を引いた後になって朝日新聞は社説でこう述べた(29日)。
「猪瀬氏に対し、書面審査の簡単な手続きで罰金刑が宣告されたのは、東京地検が略式起訴を選んだためだ。
一応の刑事責任を問う処分ではあるが、事件の社会的波紋を考えれば、あまりに中途半端ではないか。
金銭授与が何であったのか、国民が公開審理で知る機会は失われた。(中略)
徳洲会側は見返りに何を期待し、猪瀬氏はどんな形でこたえたのか。謝礼を受けた仲介役(※木村氏)はどんな役割をしていたのか。そもそも、なぜ猪瀬氏は選挙前に見知らぬ人間(※誰を指しているのか不明。木村氏を指しているなら20~30年来の知己であることはすでに明らかになっている)とこんな関係
を結ぶに至ったのか。
裁判になれば、当事者たちが証言し、そうした問題が正される可能性もあったはずだ。
略式起訴は、容疑者の同意なしにはできない。猪瀬氏は有罪を認めることと引きかえに、自分のふるまいが精査される局面を免れた。
本当に罪を認めるならば、やるべきことが残っている。自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を、できる限り明らかにすることだ」
正論だが、後の祭りだ。せめて、こう書くべきだった。
「猪瀬氏は1時間10分に及んだ会見の最後に『許されるならばもう一度、作家として当初の志を持って仕事をさせていただきたい』と述べた。もし作家としての再起を願うのであれば、自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を明らかにすることを、再起第一作にすべきだろう」と。