小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

猪瀬直樹氏の「5000万円疑惑」--真相を闇に葬ったままで幕を閉じていいのか。

2014-03-31 06:31:35 | Weblog
 ノンフィクションという作業は、限りなくジャーナリズムに近い。猪瀬直樹氏は、日本を代表するノンフィクション作家だった、はずだ。
 東京地検特捜部は28日、猪瀬氏を公職選挙法違反(収支報告書の虚偽記載)の罪で東京簡易裁判所に略式起訴した。簡易裁判所は公判を開かず、虚偽記載の罰金刑の上限である50万円の支払いを猪瀬氏に命じ、猪瀬氏は即日納付した。公民権も5年間停止された。
 ということは、それまで一貫して主張し続けてきた「徳洲会側から提供された5000万円は、選挙後の生活が(※落選した場合)不安だったので」という説明を自ら覆したことを意味する。
 私は20日に投稿したブログでこう書いた。

 明日から三連休。私もブログはその間、休ませてもらう。ただ昨日(※19日)のニュースで気になったことが一つある。猪瀬直樹氏の「5000万円疑惑」である。徳田虎雄氏が「選挙資金」と証言したようだ。猪瀬氏があくまで「選挙に落ちた時の生活が不安だったから個人的に借りた」と言い張るなら、知事を辞職し、作家生活に戻ることも不可能ないま、どういう生活をしているかが問われる。(中略)もし猪瀬氏が、本当に困窮した生活を送っていれば、「選挙資金」というのは徳田氏側の思い込みで、猪瀬氏の「生活不安があったから借りた」という都議会での証言が間違いではなかったことが明らかになる。そうなれば、猪瀬氏は堂々と作家生活に戻れるだろう。だが、彼の日常生活が都民の期待を裏切るものであったなら、猪瀬氏は作家活動に戻れるどころか、永遠に社会的生命を失うことになる。

 だが、残念ながらと言うべきか、それとも「やはりね」と言うべきか、猪瀬氏は都議会での証言を翻し、しかも自分から徳田虎雄氏に対して「選挙資金として1億円を借りたい」と申し入れていたことまで明らかになった。
 昨年12月24日の辞職後、初めて公の場に顔を見せた猪瀬氏は、「間違っていた」「この間、ずっと悩んでいた」と一見苦渋の顔を見せた。だったら、なぜ徳田氏側が「選挙資金として提供した」と証言する前に、「都議会での釈明は間違いだった、生活のためではなく選挙のために借りた」と。東京地検特捜部に出頭して5000万円の使途について自ら告白しなかったのか。
 それでも猪瀬氏は、まだ潔くなかった。記者会見で記者から「当初から選挙資金という認識があったのでは?」と問われ、「5000万円には個人の側面と選挙の側面があった。当時一つの側面だけを強調していた」と、しらを切り続けた。もし本当に「個人の生活費」の側面があったなら、知事辞職後の3か月間、どういう生活をしていたかを明らかにすべきだろう。
 猪瀬氏は、石原都政の間、副知事として東京電力の株主総会に出席し(東京都は東電の大株主)、東電病院の売却を迫った。東電が売却を決定した後、徳洲会は買い手として名乗りを上げた。
 そのこととの関係を記者から問われ、猪瀬氏は「徳洲会の病院が東京都にあるという認識はなかった。便宜を図ってくれと依頼されたことも、こちらから持ちかけたこともない」と、強弁した。「徳洲会と何の利害関係もないのに、どうして徳田虎雄氏に1億円という大金の借用を頼めたのか」と猪瀬氏を問い詰めた記者は誰もいなかった。記者が猪瀬氏に質問したのは「徳田虎雄氏に電話したのはいつか。1億円借りたいといったのか」という愚にもつかないことだった。猪瀬氏は「11月16日くらい。1億円などと言ったことはないと(これまでは)言ってきたが、そのとき言ったと思う」と答えた。こんな質問は猪瀬氏にとって痛くもかゆくもないだろう。
 記者の愚問はさらに続く。「5000万円は手つかずと言ったが(仲介者の新右翼団体代表)木村三浩氏に500万円を渡していた」。猪瀬氏は「厳密な意味では4500万円が手つかずだ。ちょっと貸してほしいと言われ、断れなかった」と答えた。このやり取りもそれで終わってしまった。
 木村氏の名前は「5000万円疑惑」が浮上した直後から取り沙汰されていた。木村氏は一水会の代表で、猪瀬氏とは「20~30年の付き合い」(猪瀬氏)だそうだ。その木村氏が、猪瀬氏を鎌倉の病院に入院中の徳田虎雄氏との面会の労をとり、徳田毅議員(その後辞職)との会食の場までセットして徳洲会側に「金を貸してやってくれ」と頼んでいる。私は木村氏が「5000万円疑惑のキーマンであり、猪瀬氏と木村氏の深~い関係を明らかにしない限り、真相は闇のなかだ」と、昨年12月16日のブログで書いた。ま、児玉誉士夫氏が背後で動いたロッキード事件と似た構造だったのではないかと私は思っている。
 検察が無能だったら、ジャーナリストが≪猪瀬―木村―徳洲会≫のトライアングルを紐解いて、政治と金の関係を暴くべきではなかったか。結局、略式起訴で特捜部が幕を引いた後になって朝日新聞は社説でこう述べた(29日)。
「猪瀬氏に対し、書面審査の簡単な手続きで罰金刑が宣告されたのは、東京地検が略式起訴を選んだためだ。
 一応の刑事責任を問う処分ではあるが、事件の社会的波紋を考えれば、あまりに中途半端ではないか。
 金銭授与が何であったのか、国民が公開審理で知る機会は失われた。(中略)
 徳洲会側は見返りに何を期待し、猪瀬氏はどんな形でこたえたのか。謝礼を受けた仲介役(※木村氏)はどんな役割をしていたのか。そもそも、なぜ猪瀬氏は選挙前に見知らぬ人間(※誰を指しているのか不明。木村氏を指しているなら20~30年来の知己であることはすでに明らかになっている)とこんな関係
を結ぶに至ったのか。
 裁判になれば、当事者たちが証言し、そうした問題が正される可能性もあったはずだ。
 略式起訴は、容疑者の同意なしにはできない。猪瀬氏は有罪を認めることと引きかえに、自分のふるまいが精査される局面を免れた。
 本当に罪を認めるならば、やるべきことが残っている。自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を、できる限り明らかにすることだ」
 正論だが、後の祭りだ。せめて、こう書くべきだった。
「猪瀬氏は1時間10分に及んだ会見の最後に『許されるならばもう一度、作家として当初の志を持って仕事をさせていただきたい』と述べた。もし作家としての再起を願うのであれば、自らが深みにはまった政治にまつわる利権の構造を明らかにすることを、再起第一作にすべきだろう」と。
 
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安倍総理の悪あがき――まだ集団的自衛権の意味が分からないのか。総理の無能さは日本の恥だ。(続)

2014-03-28 05:56:44 | Weblog
 いくら頭の悪い人でも、集団的自衛権が「日本が直接攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある国が攻撃されたら、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する」という政府定義が論理的に間違っていたことが、もう分かってもいいころだ。
 どうやら、安倍第2次内閣の発足によって再開した第2次安保法制懇は、私が首相官邸に通知したブログを読んで(安保法制懇は首相官邸に設置されている)、ようやく集団的自衛権の意味を多少理解したようだ。そのことが判明したのは3月24日、「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」という安倍総理の方針を全面的に支持してきた読売新聞が、この日の朝刊1面トップ記事で安保法制懇が4月に出す予定の最終報告書の骨子をスクープしたからである。スクープ記事によれば、集団的自衛権を行使できるケースは、「放置すれば、日本の安全に重要な影響を与える場合」に限るという限定的容認に絞ったようだ。ということになると、集団的自衛権の行使はすでに1999年に成立している「周辺事態法」を一歩も出るものではない。憲法解釈の変更もへったくれもないということになる。
 周辺事態法については、すでに3月25日に投稿した『「憲法解釈変更による集団的自衛権行使を可能にする」という安倍総理の政治信条の行方は…?』に書いたが、「そのまま放置すれば、日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがある事態など、日本周辺の地域における日本の平和及び安全に重要な事態(周辺事態)」に対応する対策を定めたもので、安倍総理の政治信条である「日本と密接な関係にある国(明らかにアメリカのこと)が攻撃された場合」という「集団的自衛権」行使容認は、安保法制懇によって完全に否定されてしまうことになる。安保法制懇が報告書を出せたとしたら、の話だが。
 もちろん読売新聞がスクープできたくらいだから、当然安保法制懇が提出するであろう報告書の概要は総理やその周辺にはとっくに伝えられていたはずだ。というより読売新聞の記者は安保法制懇のメンバーからの情報入手ではなく、総理周辺からのリークによると考えた方が合理的であろう。
 読売新聞の情報入手方法はどうでもいいが、安倍総理にとっての大誤算は、集団的自衛権行使(実際にはアメリカが攻撃された場合、日本が軍事的支援を行うこと)を可能にするためには、「日本も集団的自衛権は固有の権利として以てはいるが、憲法9条の制約によって行使できない」という従来の政府解釈を変更しなければならず、そのための屁理屈を何とか考え出してもらいたい、というのが安保法制懇という私的諮問機関を作った最大の目的であった。
 が、その魂胆が灰燼に帰したことで、自民党内部からも安倍総理への批判が噴出し始めた。3月13日の自民党総務会で「総理が憲法解釈を自由に変えられるとしたら、憲法はとてつもなく軽いものになってしまう」といった反発が出
だしたのである。それに党是として自民党は「憲法改正」を従来から掲げてい
る。そうした党是との整合性も問題視され、「憲法を改正するのが筋だ」といった主張も公然と出だした。
 総務会は、党の政策を決定する重要な機関で、安倍総理が総務会にもかけずに勝手に憲法解釈を変更して従来の政府見解をひっくり返そうという姿勢に対して、「お前、何様のつもりだ」といった猛烈な反発が生じたのは当然と言えば当然のことだった。しかも、安倍総理が党の決定を経ずに、「憲法解釈変更のための屁理屈を考え出してほしい」と首相官邸に設置した私的諮問機関の安保法制懇を、読売新聞や産経新聞のような民間の新聞だけでなく公共放送であるNHKまでもが「政府の有識者会議」と位置付けてオーソライズしたものだから、安倍批判のボルテージが上がるのも当然だった。
 あわてて安倍総理は17日に9年ぶりとなる総務懇談会の招集をかけた。その場で安倍総理は自民党総裁として、改めて集団的自衛権行使についての協議の場を総裁直属の機関として設置することを申し出て、条件付きで了承を得たとみられる。安倍総裁に突き付けられた条件は、安倍総裁の言いなりになる人選ではなく、党内のさまざまな意見を反映した人選にする、ということだったと思われる。この段階では、まだ安倍総裁は協議機関の名称も考えていなかったようだったから、党内の反発の大きさによほど泡を食ったとみられる。
 こうした経緯をたどって、自民党内に安倍総裁直属の集団的自衛権行使問題についての協議機関が25日になってようやく設置された。協議機関の名称は「安全保障法制整備推進本部」。石破幹事長が本部長に就くことになった。役員は総勢30人、初会合は31日に開くことになった。役員には行使容認で安倍総裁と歩調を同じくする国会議員だけでなく、行使容認に慎重な姿勢を見せている国会議員たちも入れることで、党内の意見を集約する形をいちおう整えたとは言える。
 この総裁直属の新協議機関の設置で宙に浮いてしまったのが安保法制懇。もはやどんな最終報告書を提出しようと、まったく意味がなくなってしまった。肝心の自民党総務会が「政府の有識者会議」ではないことを事実上決定し、安倍総理も総務会の決定に屈したことを、新協議機関の設置が証明してしまったからだ。
 まだマスコミ各社は、安保法制懇がいつ報告書を出すか、行使容認に慎重な姿勢を崩していない公明党がどう出るかといった、もはや意味がなくなった観測記事を書いているが、事実上「死に体」になった安保法制懇が果たして無意味な報告書を出すのか、あるいは誰にも気づかれないようにそっと幕を引くのか、結果は4月にはっきりする。
 いずれにせよ、新協議会の歴史的使命は重いものがある。従来の政府解釈の元になっている集団的自衛権の定義をそのまま継承するのか、定義そのものの
見直しまで行くのかが問われるからである。
 すでに国会では民主党の大塚耕平議員が参院予算委員会で集団的自衛権の政府定義について小松一郎・内閣法制局長官に質問している(20日)。小松長官は「突然の質問なので十分な答弁の材料を持ち合わせていない」「私がうかつに答弁し、後で訂正するのはけしからんとなるのは非常に良くない」と逃げた。大塚氏はさらに「なぜ答えられないのか」と追及したが、小松氏は「自衛権は国際法上の概念だから外務省に聞いてくれ」と逃げまくり、結局、岸田文雄外層が「外務省としてどう解釈しているのか確認したい」と、これまた従来の政府解釈を繰り返すのを避けた。
 政府の正式な定義は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」(1981年の答弁書など)である。国連憲章51条をどう読めば、そういう解釈ができるのか、新協議会はそこから議論を始めてもらいたい。そうすれば、私が初めて明らかにした「日本はすでに日米安全保障条約によって、日本が攻撃された場合アメリカに軍事支援を要請できる集団的自衛権を保持している」ことが明らかになるはずだ。
 ただし、それは条文上の権利にすぎず、いざという時アメリカが助けに来てくれるかどうかは、アメリカの国益にかなうか否かによって決まる危うい集団的自衛権である。かといって、憲法解釈をどういじってみても日本がアメリカに対する攻撃を実力で阻止することは不可能だ。
 やはり政治の王道は現行憲法が、本来、日本が独立を回復した時点で無効になっていたのに、それを放置し続けた歴代政府の怠慢を国民に謝罪したうえで、日本が現在、国際社会に占めている地位にふさわしい尊厳と国際社会に果たすべき責任を明確にして、新憲法の制定を図り、環太平洋の共同防衛体制を構築することで国際社会の平和と安全に寄与することが政治の使命でなければならない。 
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安倍総理の悪あがき――まだ集団的自衛権の意味が分からないのか。総理の無能さは日本の恥だ。

2014-03-27 08:06:36 | Weblog
 やっと言論界に私の「集団的自衛権」論に同調する人が現れた。首都大学東京教授(社会学)の宮台真司氏である。
 氏は朝日新聞記者のインタビューに応じて、こう述べている(26日付朝刊)。
「法原則的には、解釈改憲は認められないとする歴代内閣の立場が正論だ。現在の国際法は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない。個別的自衛権を合憲とした上で憲法9条が何かを制約するというなら、集団的自衛権しかない。改憲抜きに9条を無力化する解釈改憲は憲法の威信を損なう」
「米政権が安倍政権に期待した浅薄さを反省する一方、米国では韓国系や中国系住民の日本への反発が広がり、議会にも影響し始めている。いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというときに日本を助けにくくなった」
「むろん、東アジアの信頼醸成を踏まえた9条改正で、重武装化を前提とした、日米同盟に偏らない集団的安全保障体制を構築する道がある。そこで問題になるのは政治家の言葉だ。一連の前提を国民に説明して納得させられる言葉を持つ政治家の存在が、不可欠だ。思い込みで安全保障を語る政治家が首相になる国では、無理だ」
 ほぼ私が主張してきたことに近いが、完全なイコールではない。ま、別に完全なイコールになってもらう必要もないが…。
 宮台氏の主張の中で、非常に重要な意味を持つのは「いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというというときに日本を助けにくくなった」という部分である。
 集団的自衛権問題がにわかに浮上したのは第2次安倍内閣が誕生し、安倍総理が私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(第2次安保法制懇)を再開して以降である。
 私が、ふと疑問に思って国連憲章をななめ読みして、日本はすでに日米安全保障条約によって、いざというときにはアメリカが日本を助けてくれることになっているから、日本はすでに集団的自衛権をいつでも行使できる状態にあるという論理的結論に達し、『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』と題したブログを投稿したのが昨年8月25日である。
 それ以降、第2次安保法制懇の様子がおかしくなりだした。私がブログを投稿する前は、法制懇の柳井俊二座長は「年内に憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるという報告書を出せる見込みだ」と強気の姿勢を打ち出していたのが、それ以降マスコミの前に一切姿を現さず、年内に出るはずだった報告書も出せずじまいで、今年に入って「報告書は4月に出す」と先送りしたことを明らかにした。
 さらに私は国連憲章を隅から隅まで熟読して、国連が国際紛争の解決手段と
してなぜ加盟国のすべてに「固有の権利」として「個別的又は集団的」自衛権
を認めることにしたのかを完全に理解したうえで、今年1月6日に『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿した。
 何度も書いてきたので、多くの読者は目にタコができていると思うが、最近、私のブログの訪問者・閲覧者が急増しているため簡単に要点だけもう一度まとめておこう。
 国連憲章は、すべての加盟国に国際間の紛争を軍事力によって解決することを禁じている。これが国連憲章の大原則である。
 では実際に国際間の紛争が生じた場合、紛争当事者の加盟国はどうすべきか。国連憲章は当事者間の話し合いや、第三国を交えての話し合い、さらに国連での話し合いなど、平和的手段によって紛争を解決すべきことを加盟国に義務付けている。
 すべての国連加盟国が、国連憲章に忠実であれば、すでに地球上から兵器は姿を消していなければおかしいのだが、国連憲章に忠実な国だけとは限らないことは、国連憲章を作成した先の大戦の戦勝国(その中心的役割を果たしたのがアメリカ)が百も承知だった。たとえば第1次世界大戦時に「永世中立」を宣言し、国際会議でも認められた国は多数あったが、国民皆武装で他国の侵略に備えたスイス以外の「永世中立宣言国」はすべて占領されたり、占領されないまでも事実上半占領状態に置かれたりするケースを防ぐことができなかった。
 そこで国連憲章は、話し合い解決が不調に終わったり、そもそも話し合い解決に応じない国が出てきた場合に、紛争解決のためのあらゆる手段をとれる権能を国連安保理に認めることにしたのである。
 その場合でも安保理が行使できる権能は二つに限定された。
 一つは『非軍事的措置』(国連憲章第41条)で、経済制裁や外交関係の遮断、当事国政府要人のビザの発行停止や制限、海外の資産凍結など、軍事力を伴わないあらゆる手段によって当事国を国際的孤立に追い込み屈服させる方法である。現在、クリミア自治共和国のロシア編入に対して米欧諸国が行おうとしているロシアに対する様々な制裁が、この規定に近い。
 もう一つが『軍事的措置』(国連憲章第42条)で、いかなる非軍事的措置によっても紛争を解決することができなかった場合、やむを得ず安保理に軍事的手段によって解決するあらゆる権能を与えたのである。この条文は明らかに「国連軍」を想定して設けられている。が、国連軍が登場するのは小説や漫画の世界だけで、先の大戦以降一度も国連軍が結成されたことはない。
 クリミア自治共和国のウクライナからの分離独立を決める住民投票(国民投票)に対して、国連安保理は「無効」とする決議案を採択しようと試みたが、ロシアが拒否権を発動したため、ロシアを除く13の理事国が賛成票を投じたにもかかわらず決議案は採択されなかった。
 このケースにみられるように、国連安保理は国際紛争解決のためのあらゆる権能を加盟国から与えられていながら、米英仏露中の5か国が拒否権を持っているため、国際紛争を国連安保理が解決することが極めて困難であることは最初から分かっていた。そこで、国連安保理も紛争を解決できなかった場合の手段として、本来紛争解決のための軍事力の行使を禁止していながら、他国から攻撃された場合にのみ、国連憲章は加盟国に固有の権利として『自衛権』(第51条)があることを認めたのである。
 そして、この自衛権には、宮台氏が朝日新聞記者のインタビューに答えたように「現在の国際法(国連憲章)は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない」のであり、日本の場合は個別的自衛権としては自衛隊が合憲とされており、集団的自衛権は「いざというとき米国に助けてもらうため」に日米安全保障条約を締結しているのである。
 ただ、現行安保条約によれば、アメリカは日本が攻撃された場合軍事支援する義務があるが、アメリカが攻撃されたときには日本はアメリカを軍事支援する義務を負っていない。そのため安保条約は「片務的」だという指摘が米国内にはあり、また日本が攻撃された場合自動的に米軍が日本支援のために駆けつけてくれることにもなっていない。米議会(上院および下院)の支持がなければ米軍は日本防衛の「条約上の義務」を果たすことができないのである。
 現実問題として考えてみよう。もし北朝鮮や中国が日本を攻撃した場合、おそらくアメリカは日米安全保障条約に基づいて軍事的支援に乗り出してくれるだろうが、韓国が日本を攻撃した場合はアメリカは絶対日本防衛のための軍事行動に出ない。
 韓国が突如日本に攻撃を仕掛けてくるといった想定そのものが非現実的と行ってしまえばそれまでだが、アメリカ国内には、日本を守るためにアメリカ人は血を流さなければならないのに、日本人はアメリカのために一滴の血も流さないという条約上の関係に大きな不満を抱いているのは確かである。そうした安保条約の「片務性」を解決して、いざというときには日本人もアメリカのために血を流せるようにしようというのが「憲法解釈変更によって集団的自衛権を行使するようにする」という安倍総理の真の目的なのだ。
 が、集団的自衛権は、これまで見てきたように、日本が他国から攻撃を受けた場合に発動できる「自衛」のための「固有の権利」の一つであり、他国(安倍総理が想定しているのはアメリカ)を防衛するための権利ではないのである。安保条約を「双務」的な条約に改正するには(それは日本の安全をより強固なものにするためには必要なことだが)、現行憲法が日本が独立を回復した時点ですでに「無効」になっており、現在の日本が占めている国際的地位にふさわしい尊厳と責任を反映した新憲法を制定する必要があることを、広く議論を起こして国民の理解を得ることが何よりも大切なことではないだろうか。(続く)
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中田宏衆院議員のNHK批判を支持する。娯楽番組中心の編成を変えないなら、公共放送の看板を下ろせ。

2014-03-26 09:52:41 | Weblog
日本維新の会の中田宏衆院議員(元横浜市長)が、25日に開かれた衆院総務委員会でNHKに噛み付いた。『着信御礼 ケータイ大喜利』『コントの劇場』『七人のコント侍』の3バラエティー番組をやり玉に挙げて「NHKがわざわざ放送する必要があるのか」と苦言を呈したのである。
「誠にごもっとも」と、拍手を送りたい。
 そもそもNHKは放送法に基づく特殊法人として1950年に設立された。その目的は「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように豊かで、且つ良い放送番組による国内基幹放送を行うと同時に放送およびその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送および協会衛星放送を行うこと」とされている。
 確かにかつては、良質な娯楽放送をNHKが提供すべき時期もあった。戦後の貧しい生活にあえいでいた国民に、ほんのわずかな楽しみを与えることがNHKの重要な使命の一つであった時期があったことは否定できない。
 が、今はどうか。日本全国に民放の娯楽番組が溢れ、そのうえ衛星放送のWOWOWやスカパーが映画やドラマ、スポーツなど大量の娯楽番組を放送し、都市部にはDVDのレンタル店も乱立している。
 そうした中で、NHKは放送法が定めた目的を逸脱した放送局になってしまったのではないか、と思う。
 たとえば『クローズアップ現代』。ニュースを除けば『NHKスペシャル』と並ぶNHKならではの良心的番組だが、1年365日のうち3分の1くらいしか放送していないのではないか。実際、現在も「春休み」中で、1月31日まで再開されない。では、その時間帯に『クローズアップ現代』に匹敵するような良質な番組を放送しているのかと言えば、中田氏が指摘したような民放が放送しているような娯楽番組ばかりだ。
 衛星放送も、最初の目的は難視聴地域対策だった。テレビ電波がアナログの時代で、アナログ波は直進しかできない性質の電波だから、高い建造物などの障害物に遮られた住宅や山間の住宅には電波が届かないという弱点があった。高度経済成長期に大都市近郊に新興住宅地が開拓されていったが、東京タワーからの電波が届かないため、そうした地区では高台に中継用の共同アンテナ等を立ててテレビ放送を受信するようにしたくらいである。
 だが、寒村などでは、いちいち高台に共同アンテナを立てていたら金がかかりすぎるという理由で、放送衛星(BS)が打ち上げられた。そのため難視聴地域はほぼ解消したが、テレビ放送がアナログ波時代を終えてデジタル時代になると、デジタル派の特質として高い建造物等の障害物があっても、電波が障害物を迂回して背後に届くようになったため、難視聴問題はほぼ解消した。
 アナログ時代は、衛星放送は難視聴対策が目的だったから、放送内容もNHK
の総合番組とほぼ同じだった。したがってテレビ放送がデジタル時代に入ることによってNHKが衛星放送を継続する必要性は消滅したのである。にもかかわらずNHKはBS放送2局を維持している。目的は職員の仕事を維持するためとしか考えられない。
 新聞が、紙媒体よりはるかに安上がりのインターネット版のほうを高い「購読料」設定にしているのは、既存の新聞販売店を守るためだが、NHKも職員の雇用を維持するため娯楽番組をやめられないのだ。歯に衣を着せずに言えば、NHKは「(NHK)職員の、職員による、職員のための放送局」に変質したのだ。NHKが「公共放送の使命」を逸脱した娯楽(エンターテイメント)番組中心の編成に移行していったのはそのためである。
 今更NHKを解体しろ、衛星放送をやめろ、娯楽番組も辞めろ、と言っても所詮、無理な話であることは私も百も承知だ。
 そこで、NHKを受信料だけに依存するのではなく、受信料(あるいは交付金)プラス広告収入で運営する放送局に変えたらどうか。実際、欧米の公共放送は、そういう形態をとっている放送局のほうが多い。
 ただし、欧米の公共放送局の多くは政治的圧力を排除するため、ニュースやニュースを補完するような番組(たとえばNHKでいえば『クローズアップ現代』のような)はコマーシャルを入れない。アジアでも韓国や台湾などは受信料(あるいは交付金)プラス広告収入で運営資金を賄っている。そのような経営形態にすれば、NHKも娯楽番組は制作費を広告費で補えるようなものしか作れなくなるし、黙っていてもBS2局はスカパーに譲渡したり、余剰職員をリストラせざるをえなくなるはずだ。
 NHKの使命は、視聴率を稼ぐことにあるのではない。くだらない視聴率競争を民放と繰り広げてもらうために国民はNHKに視聴料を払っているわけでもない。民放がやらないような番組、やれないような番組で且つ公共的使命を果たす番組の制作に専念できないなら、欧米の公共放送の多くにみられるような経営形態、すなわち受信料(あるいは交付金)プラス広告収入で運営資金を賄い、ニュースやニュースを補完するような番組には一切コマーシャルを入れないようにすればいいのではないか。
 せっかくNHK批判の火ぶたを切ったのだから、中田議員は議員立法で放送法を改定し、多くの国の公共放送のような受信料(あるいは交付金)プラス広告収入で経営を賄えるようにして、受信料(あるいは交付金)はニュースやニュースを補完するような番組の制作費に限定してコマーシャルを入れないという条件を付けることにしたらどうか。そうすればNHKの自主性もかえって高まり政府が関与する余地も減少することは疑いを容れないだろう。
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「憲法解釈変更による集団的自衛権行使を可能にする」という安倍総理の政治信条の行方は…?

2014-03-25 07:30:29 | Weblog
 読売新聞が自己否定を意味するスクープ記事を昨日(24日)朝刊1面トップで掲載した。タイトルは『集団(的)自衛権行使を限定』、サブは「日本の安全保障に重要な影響」である。
 なぜこの記事が自己否定になるのか。
 ほんの2日前(22日)に読売新聞は『集団的自衛権 解釈変更へ共通認識広げたい』と題する社説を掲載したばかりだからだ。
 集団的自衛権に関する従来の政府解釈は何度も書いてきたが、改めて書いておこう。「集団的自衛権とは、日本が直接攻撃されていなくても、密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する権利であり、国連憲章51条によって日本も固有の権利として認められているが、憲法9条の制約によって日本はその権利を行使することができない」というものである。
 この解釈を前提として安倍総理は第1次安倍内閣時から憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるようにすることを政治信条にしてきた。そのため2007年に私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(第1次安保法制懇)を首相官邸に設け、元駐米大使の柳井俊二氏を座長に据えて憲法解釈に積極的な有識者を集めた。第1次安保法制懇は同年5月から8月にかけて5回開催されたが、安倍総理が健康を害して総理を辞任したため第1次安保法制懇も立ち消えになった、かにみえた。
 が、2013年12月に安倍政権が復活して「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(第2次安保法制懇)が再開されることになった。座長は柳井氏が再起用され、懇談会のメンバーもほぼ第1次安保法制懇と同じだった。
 昨年夏前までは、柳井氏は「年内に憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるような報告書を提出できる見込み」と語っていたが、私が8月29日に『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』と題するブログを書き、そのことを首相官邸に通知してから、第2次安保法制懇のスタンスが微妙に変わりだしたようだ。「年内に報告書を出す」と胸を張っていた柳井氏はその後沈黙し、さらに報告書も年内に出せず、今年4月に先送りされた。
 一方安倍総理は昨年10月頃から「憲法解釈変更による集団的自衛権行使」をあまり口にせず、内容説明なしに「積極的平和主義」という新しい概念を乱発するようになった。そこで私は再び国連憲章を細部にわたって再検証し、今年1月6日、『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿、再度首相官邸に通知した。またマスコミ各社政治部や民主党や公明党などにも通知した。
 さらに2月28日には『NHKが迷走を始めた。NHKは安倍総理の私的放送局になったのか。トップの責任が問われるのは必至だ』と題するブログを投稿
した。NHKがニュースで第2次安保法制懇について「政府の有識者会議」と位置付けたことを批判したのが、このブログである。
「憲法解釈の変更によって集団的自衛権行使を可能にする」という安倍総理の方針を支持するスタンスをとる読売新聞や産経新聞は「政府の」という冠を付けて第2次安保法制懇をオーソライズしていた。一方批判的スタンスをとる朝日新聞や毎日新聞は「私的」という冠を付けていた。日本経済新聞はなにも冠を付けずにただの「有識者会議」と表記していた。そういう状況の中でNHKが第2次安保法制懇について「政府の有識者会議」と位置付けたのである。政治的中立性をNHKが放棄した瞬間である。
 私が再度、公明党に第2次安保法制懇の位置付けの重要性を通知して以降、公明党が一気に硬化し、与党内で自公の関係がぎくしゃくするようになった。また自民党内部でも安倍総理の独走に対する批判が強まりだした。安倍総理に対する反発が一気に噴き出したのが3月17日の自民党総務会だった。安倍総理は19日、あわてて総務懇談会を開いて、第2次安保法制懇とは別に自民党内に安倍総裁直属の新組織を発足させて集団的自衛権行使容認を検討させることを明らかにした。
 私は、ついに第2次安保法制懇は「憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使する」という結論に導く報告書の作成を断念したのだろうと考え、3月19,20日の両日に『ついに安倍総理の「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」の野望は泡と消えたのか。泡にしたのは私だ』と題するブログを投稿した。
 そうした経緯のなかで読売新聞が、24日の朝刊で自己否定を意味する、第2次安保法制懇が4月に出す予定の報告書の概要をスクープしたのだ。読売新聞は何度も社説で「憲法解釈変更で集団的自衛権を行使できるようにせよ」と安倍総理をバックアップしてきた。そして第2次安保法制懇が4月に出す予定の報告書に理論的裏付けを与えるためかどうかは知らないが、3回連続で『基礎からわかる集団的自衛権』の特集記事を掲載中でもあった。
 では読売新聞が24日朝刊1面トップでスクープした内容とはどういうものだったのか。リード記事をそのまま転載する。

 政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)(座長=柳井俊二・元駐米大使)が4月にまとめる報告書の中核となる集団的自衛権を認める憲法解釈案で、「放置すれば、日本の安全に重要な影響を与える場合」に限り行使を認める限定的容認の立場を採用することが23日、関係者の話で分かった。これにより、外国領土での戦争に加わるといった典型的な集団的自衛権は容認対象から除外させることになる。

 読売新聞は、このリード記事に続く本文記事の中で、これでは「周辺事態法」
となんら変わらない、と悲鳴を上げた。
 周辺事態法は1999年にすでに成立した法律で、「そのまま放置すれば、日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがある事態など、日本周辺の地域における日本の平和及び安全に重要な影響を与える事態(周辺事態)に対応して日本が実施する措置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日米安保条約の効果的な運用に寄与し、日本の平和及び安全の確保に資する」ことを目的にした法律である。
 つまり第2次安保法制懇は、憲法解釈によって、従来の政府解釈である集団的自衛権(日本が直接攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある国が攻撃された場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する権利)を完全に否定してしまったのだ。安倍総理はおそらく内々で、18日か19日に柳井氏から第2次安保法制懇がまとめる報告書の概要を知らされていたのであろう。安倍総理が第2次安保法制懇に期待していた「憲法解釈の変更によって、日本が直接攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある国が攻撃された場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使できるようにする」(※あくまで政府解釈による「集団的自衛権の行使」を意味する。私は集団的自衛権の政府解釈は間違えていると、何度もブログで主張してきた)という悲願は裏切られたのである。安倍総理が自民党内部に、第2次安保法制懇に代わる集団的自衛権行使を容認するための研究機関として新組織を設置することにしたのはそのためだった。
 しかし、すでに事実上の自民党の最高意思決定機関である総務会では、安倍総理に対する批判が噴出している。「総理が変わるたびに憲法解釈がくるくる変わるようでは、憲法の意味がなくなる。憲法を改正して今日的状況下にある日本の安全保障問題を解決するのが筋だ」という意見が党内の主流になりつつある。総務懇談会で示した安倍総裁の新提案は、おそらく総務会で否決されるだろう。やはり、新憲法を制定して、現行憲法の平和主義の理念は継承しつつ、現在の日本が占めている国際的立場にふさわしい、国際とくに環太平洋の平和と安全に日本が果たすべき責任と義務を明確にしたうえで、NATOのような共同防衛体制をアメリカや韓国などと創り上げていくのが筋であろう。
 読売新聞は「憲法解釈変更によって集団的自衛権の行使を可能にすべきだ」と主張し続けて大恥をかいたが、これを契機として「新憲法制定論」の立場に立った主張を展開するのが、読者の信頼を取り戻す唯一の道である。
 すでに読売新聞は3月22日付社説『集団的自衛権 解釈変更へ共通認識広げたい』で、タイトルだけ見れば安倍総理の主張と同一線上の主張を行っているかにみえるが、内容は軌道修正を図りつつあることがうかがえる。この社説の中核をなす主張を紹介しておく。
「日本の安全保障環境が悪化する中で、様々な緊急事態に対処し、日本の領土・領海を守り抜く。そのためには集団的自衛権の行使を可能にし、自衛隊と米軍の連携を強化して、日米同盟の抑止力と信頼性を高めることが不可欠だ。
 日本が単独で対処するなら、今の何倍もの防衛費を要しよう。
 むろん、集団的自衛権の行使を容認する新解釈が将来、再び安易に変更されることは許されない」
 この主張は、従来の政府解釈の「集団的自衛権」とは明らかに一線を画している。ここまで日本の安全保障についての理解を深めたのなら、日米同盟の強化によって日本の安全保障をより確実なものにするだけでなく、新憲法制定によって日本が現代の国際社会に占める立場にふさわしい国際平和への貢献と責任を果たすべく環太平洋共同防衛体制の構築を主張してほしい。このような共同防衛体制を構築することが、国連憲章51条が定めた「固有の権利」としての集団的自衛権の行使である。
 おそらく、早晩、読売新聞の主張はそういう方向に転換するであろう。
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橋下徹氏――大阪市長選には再選されたが、「大阪都構想」は崩壊した。

2014-03-24 07:52:17 | Weblog
 大阪出直し市長選が昨日(23日)行われた。地域政党「大阪維新の会」公認(「日本維新の会」推薦)の元タレント弁護士・橋下徹氏が「圧勝」した。
 橋下氏が「勝つ」ことは最初から分かっていた。結果がわかりきった選挙に6億円もの公金をかけて行った選挙である。
 橋下氏が敢えて市長をいったん辞任して再選挙に打って出たのは、氏の政治信条である「大阪都構想」を実現するためだった。選挙には勝ったが、市民は「大阪都構想」には「NO」を突きつけた。選挙結果は、そう判断せざるを得ない。
 まず投票率が圧倒的に低かった。大阪市長選としては史上最低の23.59%だった。橋下氏の得票数も前回(2011年)の75万813票から37万7472票に半減した。
 橋下氏の主張である「大阪都構想」は、大阪市を中核に周辺の都市を「合併」して東京都に匹敵する大阪都を再編しようというものだった。だが、「大阪都」の設計図が決まらない。で、設計図を夏までに大阪市議会で可決したいというのが今回の出直し再選挙の理由である。
 だが、すでに「大阪都構想」は、昨年の堺市市長選で堺市市民から拒否されている。大阪維新の会公認候補が市長選で負けたからだ。それまでは橋下氏の「大阪都構想」に一応前向きだった自公民共産の方針が一変した。設計図が決まらなかったのはそのせいである。堺市民が「NO」と言っているのに、堺市を大阪市議会の決議で合併して「大阪都構想」を実現することは事実上不可能である。
 それでも敢えて「大阪都構想」を実現したいのなら、大阪府知事に返り咲いて、府議会の決議で「大阪都構想」の実現への道を探るべきだった。そのことは前にブログで書いた。
 橋下氏は、何か勘違いしているようだ。大阪市長選で勝利すれば、「大阪都構想」が市民から支持されたと言いたいのかもしれないが、有力な対抗馬がいなかったため、勝つには勝ったが、橋下氏が得た得票数は前回に比べ半減している。つまり橋下氏の「大阪都構想」を支持する市民は半減した、とみるのが合理的であろう。
 もともと橋下人気のベースはタレント活動にあった。とくに関西で大きな人気を得ていた故たかじん氏の番組(『たかじんのそこまで言って委員会』)にレギュラー出演し、全国放送で視聴率が高かった島田伸介氏司会の『行列ができる法律相談所』にもレギュラー出演して、知名度は抜群に高かった。大阪人は横山ノック氏を府知事に選んだくらいで、「おもろいやんか」で投票するお国柄なのかもしれないが、府知事になった橋下氏が大阪府と大阪市の二重行政の無駄をなくそうとしたことには大阪市民だけでなく広く国民からも大きな支持を
得た。
 だが、二重行政の無駄をなくすということと、大阪都構想がどう結び付くの
か、正直私にもよくわからない。現に大阪都構想の設計図なるものも、単純に大阪市を中核に周辺と都市を合併して大「大阪市」にするくらいの意味しか分からない。そうやって拡大した大都市を、単に「大阪都」と都市名変更するだけのことではないかとしか思えない。
 二重行政は大阪だけでなく、あらゆる都道府県にある。また同じ都道府県でありながら、各市町村によって住民税(都道府県税プラス市町村税 ※東京都23区は特別区民税)も違えば、福祉政策も異なる。それを都道府県別に統一して、各市町村には都道府県の出先機関(出張所のようなもの)を置くようにすれば、大阪府と大阪市の二重行政をなくせるだけでなく都道府県単位の行政一元化が行える。市町村議会も必要なくなれば(当然市町村長も不必要になる)、庁舎も大幅に縮小できる。仮に道州制への移行を考えるにしても、まず現在の都道府県と市町村の二重行政を廃止して行政を都道府県に一本化することから始めるべきだろう。
 いずれにせよ、橋下氏が大阪市民の民意を問うた「大阪都構想」は、選挙によって大阪市民から拒否されたと考えるべきだろう。そうした場合、橋下氏がとる道は一つしかない。それが信念に生きる政治家がとるべき道であろう。
「どんな道?」――そこまで私に言わせるな。
 
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ついに安倍総理の「集団的自衛権のための憲法解釈変更」の野望は泡と消えた。泡にしたのは私だ。(了)

2014-03-20 06:53:02 | Weblog
 まず、昨日のブログ記事の訂正をしておきたい。17日に9年ぶりに開かれたのは総務会ではなく、13日に行われた総務会での議論を受けて急きょ招集された総務懇談会である。実は安倍総理の「集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で可能にする」という私的な構想に対する批判が殺到したのは13日に行われた総務会でのことである。

 さて13日の自民党総務会では、どんな議論がされたのか。
 まず総務会とはどういう機関なのか、その説明をしておこう。
 自民党には総裁に次ぐ党の幹部として、いわゆる「党三役」と称される重職者がいる。その筆頭が幹事長で、現在は石破茂氏だ。次が総務会長で、現在は野田聖子氏、三番目が政調(政務調査)会長で、現在は高市早苗氏である。自民党の最高意思決定機関は党大会で、次が両院議員総会であるが、いずれも常設の意思決定機関ではない。唯一常設の意思決定機関として、事実上党の方針や政策を決定する場所が総務会なのである。この総務会で支持を得られなければ、たとえ総裁でもあっても勝手気ままにふるまえるわけではない。その総務会で、事実上安倍総理の「集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更によって可能にする」という私的構想が否定されてしまったのだ。
 時事通信によれば、総務会で、安倍総理の国会答弁に対する批判が相次いだという。以下、時事通信の報道を転載する。

 問題視されたのは12日の衆院予算委員会での発言で、首相は(集団的自衛権行使を可能にするための憲法)解釈変更について「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁について私が責任を持って、そのうえで選挙で審判を受ける」と強調した。
 総務会で村上誠一郎元行革担当相は「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と非難。村上氏の主張を、野田毅税調会長が「正面から受け止めるべきだ」と支持し、船田元憲法改正推進本部長も「拡大解釈を自由にやれるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と指摘した。
 野田聖子総務会長はこの後の記者会見で「誤解を招くことがないよう(首相に)提案したい」と述べ、総務会の意見を首相に伝える考えを示した。

 この総務会で批判が集中したのを受けて、危機感を抱いた安倍総理が急きょ、野田総務会長を通じて招集したのが17日の総務懇談会である。懇談会は総務会と違って意思決定機関ではない。安倍総理としては、公明党が反発を強めだしたうえ、党の事実上の意思決定機関である総務会でも批判が集中するなど、四面楚歌的状況のなかで、何とか党内をまとめたいとの思いで懇談会を招集したのだろう。その懇談会の後に記者たちに囲まれた主な出席者の発言をNHKは『ニュース7』で流した。党の幹部の発言は以下の通り(幹部の発言についてのNHKの説明にはNHK政治部の政治的意図が含まれているため、NHKがつけた説明は省く)。

衛藤氏 国際情勢が不安定な時に、集団的自衛権を行使できるようにしないと、国民の生命や財産、領空や領海などを守りきれないのではないか。徹底的に議論すべきだが、先送りできない課題なので、政権与党として責任を持って対応すべきだ。(※私の記憶では衛藤氏は「個別的自衛権だけでは守りきれないから」と発言していたと思う)
船田氏 私は、「本来であれば集団的自衛権の行使容認には憲法改正が必要だが、相当な時間がかかるので、憲法解釈の変更で行わざるを得ない」と述べた。た
だ集団的自衛権の行使が認められるケースについては、地理的条件などをかなり限定すべきで、今後、専門的な議論が必要だ。
村上氏 閣議決定で憲法解釈を変更することは、立憲主義や三権分立の考え方にも反するので言語道断だ。憲法を改正し、正面から堂々とやるべきだ。たとえ憲法解釈の変更に基づいた法案が出てきても、本会議場で賛成はできないし、そうしたやり方は党の分裂を招いたり、憲政史上に汚点を残したりすることにつながる。
石破氏 これから先、議論を深め、方向性を見出すことは十分に可能だという感想を持った。私のように20数年このテーマを議論している人もいれば、去年の参議院選挙で当選したばかりという人や、この分野ではベースとなる事実認識を持っていない人もいるが、話をすればすぐに共通の理解ができると思う。

 この懇談会で安倍総理がとんでもないことを言いだした。「集団的自衛権を行使できるようにするための総裁直属の議論の機関を設置したい。その機関は石破幹事長をトップにする」というのだ。
 ということは、この4月に報告書を出すことになっている安保法制懇はどうなるのか。安倍総理は憲法解釈の変更による集団的自衛権行使は無理、と判断したことを意味するのか。そう解釈しないと、安保法制懇とは別に集団的自衛権行使のための議論の機関(安倍総理の突然の思い付きだったようで、機関の名称も不明)をなぜ作る必要があるのか、理解に苦しむ。
 いずれにしても、私がこれまで何度もブログで書いてきた集団的自衛権についての政府解釈「密接な関係にある国が他国から攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する」が間違っているということを、ようやく理解する政治家が自民党から出てきたのは、大いに歓迎したい。従来の解釈にしがみついている間は、独立国としての権利と責任、義務を明確にした憲法を制定することはできない。
 すでに私の憲法論は1月22日から24日にかけて3回連続のブログ『安倍総理の憲法改正への意欲は買うが、「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ』で述べているが、朝日新聞は私の主張を受け入れたようで、「平和憲法」という表記をやめて「憲法の平和主義」に変えた。そういう表記なら間違っていないし、新しい憲法を制定する場合も現行憲法の平和主義の理念は継承すべきだと、私も思っている。ただ、現実問題として日本が憲法の精神ともいうべき「平和主義」をどうやって実現するかということになると、まだ朝日新聞は明確な方向性を打ち出せていない。
 私の基本的スタンスは「現行憲法無効論」であることは先に述べたブログでも明らかにしていて、そのブログを書く前に読売新聞読者センターの方には骨子をお伝えした。その方は「ありがとうございました。ご意見は編集局に伝えさせていただきます」と、異例の対応をしてくれたが、いまのところ読売新聞の紙面には私の考えが反映された憲法論は載っていない。ま、読売新聞が私の憲法理論をベースにした主張をしようとしまいと、私にとってはどうでもいいことで、むしろ保守・中道系の政治家たちが私のブログを読んでくれれば一気に「憲法改正」が最大の政治テーマになるのだが…。
 いずれにしても、私が何度も述べてきたように日本はすでに集団的自衛権をいつでも行使できる状態にはある。が、日本が他国から攻撃されたとして。日米安全保障条約に基づいて集団的自衛権を行使してアメリカに軍事支援を要請したとしても、アメリカは自国の国益を害してまでは日本を支援してはくれない。現に、日本の領土である竹島は韓国に不法占拠されているが、日本は手を出せない。なまじ教科書に「竹島は日本の領土」と記載してしまうと、子供たちは「自国の領土が占領されているのに、日本はなぜ何もしないの?」という素朴な疑問を必ず抱く。その質問に教師はどう答えるべきか、そこまで安倍総理は考えてのことだろうか。だったら、教科書の副読本に「竹島は日本の領土だけど、占領されても何もできないんだよ。取り返そうとすれば、アメリカが『止めろ』というからね」と書くべきだろう。「なぜアメリカは反対するの?」と聞かれたら、「日本が韓国と揉めたら中国を利することになり、アメリカの国益を害するからだ」と答えればいい。生徒がしつこく「なぜアメリカが反対したら日本は何もできないの?」と聞いてきたら、「その理由は安倍総理に聞いてくれ」と答えるようにしたらいい。
 安倍総理は、中曽根氏は10回も、小泉氏も6回総理大臣として靖国参拝したときはアメリカは何も言わなかったのに、なぜ自分のときだけクレームを付けられたのか、まだ分かっていないようだ。またマスコミも、アメリカがなぜ「失望した」のか、分かっていない。
 はっきり言えば、アメリカは安倍総理の靖国参拝が中韓を刺激して極東の緊張が高まることは、自国の国益を害する迷惑極まりない行為だからだ。「失望した」などという、いやしくも日本の総理の行動に対して上から見下すような言い方をしたこと自体、アメリカが日本をどう見ているか、わかりそうなものだが…。
 非常に分かりやすい関係に置き換えて言おう。親が子どもに、あるいは教師が生徒に、また上司が部下に「失望した」という言い方をしても不思議でもなんでもないが、その逆に子供が親に、あるいは生徒が教師に、また部下が上司に「失望した」などという言い方ができるか。つまり日本政府がアメリカ大統領の行動に対して、
 昨日のブログにも書いたが、さすがに「失望した」という言い方は一応「同盟国」ということになっている日本の首相に対して失礼だという批判が米政府内で生じたのだと思う。だから「河野談話の作成過程の検証」作業を始めることを菅官房長官が発表したときは、頭ごなしに「失望した」といった見下したようなたしなめ方はせずに、水面下で(ひょっとするとオバマ大統領がホットラインで安倍総理に直接に)「河野談話の見直しはしない」と国会で表明したほうがいいとアドバイスしたのであろう。一方、韓国の朴大統領にも水面下で、「安倍総理の国会での表明を歓迎したほうがいい」とアドバイスしたに違いない。実際、当初は疑心暗鬼を表明していた朴大統領が一気に軟化姿勢に転じたのはアメリカからの水面下での何らかのサジェッションがあったからとしか考えられない。おそらく、今後、安倍総理が韓国政府や韓国人を刺激するような言動を慎み大人しくしていれば、慰安婦問題もいつの間にか沈静化していくはずだ。
 もう一つ、ついでに書いておくが、政府解釈による集団的自衛権の行使を可能にしたら、アメリカは喜ぶどころか、ありがた迷惑な話と考えることは間違いない(表面的には歓迎するふりをするかもしれないが)。アメリカは、日本に守って貰う必要性などまったく感じていない。むしろ、片務的な安保条約が双務的になることによって、相対的に日本の発言力が大きくなることは、極東におけるアメリカの軍事的ガバナンスが弱まることを意味し、また沖縄に築いてきた既得権益も失いかねないと危惧する可能性すら生じる。
 私は、たとえアメリカが失望しようとしまいと、日本は独立国としての誇りを持てる憲法を制定すべきだと考えているし、日本の安全をアメリカにだけ頼る状態を解消して、NATOのような環太平洋集団防衛体制の一翼を担えるようにすべきだと考えている。もちろんアメリカにもその集団防衛体制の一翼を担ってもらう。そういう状態を作ることが、現行憲法の平和主義を実現するための最も有効な方法だと思うからだ。

 明日から三連休。私もブログはその間、休ませてもらう。ただ、昨日のニュースで気になったことが一つある。猪瀬直樹氏の「5000万円疑惑」である。徳田虎雄氏が「選挙資金」と証言したようだ。猪瀬氏があくまで「選挙に落ちたときの生活が不安だったから個人的に借りた」と言い張るなら、知事を辞職し、作家生活に戻ることも不可能ないま、どういう生活をしているかが問われる。ま、そういうことには嗅覚が鋭い週刊誌が、さぞや優雅な生活をしているかもしれない猪瀬氏の日常を暴きだすことを期待したい。もし猪瀬氏が、本当に困窮した生活を送っていれば、「選挙資金」というのは徳田氏側の思い込みで、猪瀬氏の「生活不安があったから借りた」というと議会での証言が間違いではなかったことが明らかになる。そうなれば、猪瀬氏は堂々と作家生活に戻れるだろう。だが、彼の日常生活が都民の期待を裏切るものであったなら、猪瀬氏は作家活動に戻れるどころか、永遠に社会的生命を失うことになる。
 
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ついに安倍総理の「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」の野望は泡と消えた。泡にしたのは私だ。

2014-03-19 09:10:50 | Weblog
 集団的自衛権の行使をめぐって自民党が大混乱に陥った。17日に開かれた9年ぶりの自民党総務会で、「憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を可能にする」という安倍総理の構想がゼロに戻ってしまったからだ。
 その原因を作ったのは、おこがましい言い方になることを百も承知でいえば、読売新聞読者センターの方が「有象無象の読者のブログなんか」と切り捨てた、私のブログである。
 私は過去何度も「集団的自衛権についての政府見解は間違っている」と、ブログで主張してきた。最後にダメ押しをしたのが今年1月6日に投稿した『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』で、従来の政府の集団的自衛権についての見解の間違いを国連憲章の検証によって明らかにした記事である。そのさわりの部分を再度、要約して述べておく。
 国連憲章では、国際間に紛争が生じた場合、加盟国に対して、話し合いなどの平和的解決を義務付けている。しかし当事者(当事国)同士や第三者を交えての話し合い、また国連が設けているさまざまな制度を利用しての話し合いでも解決に至らなかった場合に、紛争解決のためのあらゆる手段をとる権能を国連安保理に与えている。
 その場合、国連安保理には、まず『非軍事的措置』すなわち経済制裁、ビザ発行の制限強化、外交的措置など軍事力によらないあらゆる措置をとる権能を与えられている(国連憲章第41条)。直近の例では、クリミア自治共和国が行った住民投票(国民投票と言えなくもない)は無効であるとする決議を安保理が行おうとしたケースがある。
 また安保理による『非軍事的措置』の行使によっても国際紛争を解決できなかった場合には、やむを得ず、国連安保理に『軍事的措置』によって紛争解決する権能も認めている(国連憲章第42条)。
 ところが、国連安保理事国(現在は14か国)のうち米・英・仏・露・中の5か国が特別の権利を持っており、安保理決議に対して拒否権を行使できることが認められている。先のクリミア自治共和国がウクライナから分離独立の是非を問うた住民投票に対して安保理が無効の決議を行おうとしたが、14か国のうちロシアが拒否権を行使したため圧倒的多数が賛成しながら、決議に至らなかったことは読者諸氏もご承知であろう。
 ちょっと話が横道にそれるが、中国にウイグル自治区が存在する。中華民国(台湾政府)は「ウイグル自治区は我が国の新疆省であり、自国の領土の一部である」と主張している。もしウイグル自治区が中国からの分離独立を求めて住民投票を行おうとすれば、当然中国は武力弾圧にかかる。クリミア自治共和国の住民投票はロシア軍による軍事的支配下で行われたわけではない。実際、
ロシア軍はクリミアで銃弾の一発も撃っていない。
 さて、クリミア自治共和国のウクライナからの分離独立を求め平和的に行われた住民投票を無効と決めつけた米欧安保理事国は、ウイグル自治区が中国からの分離独立を求めた住民投票を行おうとした時、無効の決議を行おうとするだろうか。間違いなく米欧安保理事国はウイグル族の「民族自決権行使」を支持する決議を行おうとするだろう。当然、中国は拒否権を発動するが…。
 さて日本政府も日本のマスコミもロシアの「武力干渉」を非難し、クリミア自治共和国政府が行った分離独立の住民投票を無効と主張したが、ウイグル自治区の住民が同様の行動に出たとき、同じ論理でウイグル族の民族自決権を否定するだろうか。
 日本のマスコミは、そういうことを「自己矛盾」と思わない存在だということを、読者は肝に銘じておいた方がいい。
 さて本筋に戻る。国連憲章第42条『軍事的措置』は、国連軍を想定していることは明白である。しかし、クリミア自治共和国のウクライナからの分離独立を問う住民投票を無効とする決議案が、ロシアの拒否権によって採択されなかったようなケースを、国連憲章は当然想定していた。そのため、国連のあらゆる機能や安保理に与えた「神の如き権能」によっても国際紛争が解決できず、国連加盟国が他国によって武力攻撃された場合に、本来は軍事的解決を図ってはいけないのだが、やむを得ず軍事力の行使によって他国からの武力攻撃を防いでもいいですよ、ということを定めたのが国連憲章第51条の『自衛権』なのである。
 では、国連憲章第51条が認めた「自衛権」にはどんなものがあるか。「個別的又は集団的自衛の固有の権利」なのである。ここまで平易に解説すれば、「個別的自衛権」が日本の場合は自衛隊による軍事力の行使であり、「集団的自衛権」は日本と同盟関係にある国や国益を共有する友好国に対して軍事的支援を要請する権利であることは中学生でもわかるだろう。
 では集団的自衛権についての従来の政府解釈はどうだったか。
「密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして自衛隊が武力行使する『権利』(?)で、固有の権利として認められてはいるが、憲法9条の規定があるため行使できない」
 という、だれが考えてもおかしな解釈である。
 憲法9条は、国際紛争を解決するための手段として武力を行使することを禁じてはいるが、日本が独立を回復した時点で独立国としての責任や義務(自分の国や国民の安全は自分で守る」という憲法以前のことであり、本来なら日本が独立を回復した時点で独立国にふさわしい憲法を改めて制定すべきだったのだ。それを怠ってきたため、集団的自衛権を巡っての混乱が生じていることを、
まず読者にはご理解いただきたい。
 結論から言えば、日本はすでに自衛隊という「個別的自衛権」を有しており、日米安全保障条約によって日本が他国から攻撃されたときはアメリカが日本の防衛のための軍事的行動に出てくれることに、いちおうなっている。「一応」と書いたのは、アメリカは自国が攻撃された場合を除いて、他国を軍事的に支援するためには議会の承認を取り付ける必要があり、議会が承認する場合はアメリカの国益に反しない場合だけである(自国が攻撃されたときは議会の承認を取り付けている余裕はないから大統領の独断で軍事行動に出ることができる。日本の場合、そういう状況を想定した規定はないが、おそらく緊急閣議で自衛隊出動を決めることになると思う)。
 だから、アメリカが攻撃された場合(アメリカが他国と戦争した場合、ではない)、自衛隊が軍事的支援できるようにすることは、日米安全保障条約の片務性の解消につながり、日本が攻撃を受けた場合にアメリカが軍事的支援を行ってくれる確率は大幅に高まる。だからアメリカの「集団的自衛権の行使」に日本が応じられるようにすることは非常に重要だが、そのためには憲法の改正が絶対必要要件になる。(続く)
 
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安倍総理の「河野談話は継承する」との国会答弁で、一番喜んだのは韓国の朴大統領だったのか? (後篇)

2014-03-18 06:18:04 | Weblog
 昨日の続きを書く。
 安倍総理にとって河野談話の見直しは第1次内閣時の時からの執念だった。だが、見直すには、それなりの手続きが必要である。河野談話は閣議決定を経ていないとはいえ、いちおう宮沢内閣の官房長官として、16人の自称「元慰安婦」の証言に基づき、「明らかに彼女たちは自分の過去について真実を話し」ており「本人の意思に反した強制があったと確信が得られた」(石原信雄副官房長官)として、河野氏が発表したものである。 
 が、その後河野談話に対する疑問がさまざまなところから噴出し始めた。昨日のブログにも書いたように、肝心の韓国の民間団体が自称「元慰安婦」の証言は信じるに足りえないことを、調査して発表している。安倍総理が、「河野談話の作成過程の再検証が必要」としたのは当然である(ただし、政府が極秘チームを作って再検証することを発表したのは菅官房長官)。
 当り前のことだが、河野談話の作成過程を再検証することは、河野談話の見直し・否定と、イコールではない。もちろん河野談話に疑問の余地がなければ作成過程の再検証をする必要がないわけで、さまざまな疑問が表面化していることから再検証に踏み切ろうというだけの話だ。
 再検証の結果、16人の自称「元慰安婦」の証言に多少の誇張があったとしても、談話の全体を左右するほどの錯誤はなかったという検証結果が出れば、河野談話を見直したり否定したりする必要はないわけで、再検証されて真実が明るみにでると困るのはだれか、という問題が生じる。その困る人に土下座したのが安倍総理の「河野談話の見直しはしない」との国会答弁だった。
 では安倍総理を土下座させたのはだれか。
 真実が明るみにでて困るのは、日本国内では朝日新聞であろう。「でっち上げの小説だった」と告白した吉田清治氏の「従軍慰安婦狩り」体験を大々的に報じて韓国政府・国民の反日感情を煽りに煽った罪悪が暴かれることが必至だからだ。ちなみに朝日新聞は吉田氏に関する報道についてこれまで訂正記事を掲載したこともなければ、韓国政府や韓国国民に対して「誤報によって誤解が生まれた」との釈明も行っていない。
 だが、朝日新聞を守るために安倍総理が土下座するとは到底考えられない。では、だれか。
 韓国の朴大統領だろうか。韓国政府の対日強硬姿勢や韓国国民の反日感情への配慮がなかったとは言えないが、それまでの安倍総理の一挙手一投足が韓国政府や懇国国民の感情を逆なでしても意に介さなかった安倍総理が、突然朴大統領に媚を売る気持ちになったとも思えない。
 と、なれば、安倍総理を変心させたのはだれか。
 アメリカ大統領のオバマ氏しか考えられない。
 オバマ氏にとっては、当面する重大な外交課題はクリミア自治共和国の独立宣言とロシアへの編入問題、それに中国の軍事的脅威の二つである。中国の軍事的脅威が増す中で、アメリカにとっての「同盟国」(実際はただの「友好国」のワン・ノブ・ゼムにすぎないのだが)である日本と韓国がいがみ合うのは極めて都合が悪い。安倍総理の靖国神社参拝に、アメリカ政府が初めて不快の念を表明したのもそのためだ。これまでアメリカ政府は日本の歴代総理が靖国神社を参拝しても、批判めいたことは一言も言ったことはない。が、安倍総理が昨年12月28日に靖国神社を参拝したときには「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望している」と、内政干渉と取られかねないような露骨な批判をした。
 アメリカ政府が日本の首相の行動について口出しをしたことは過去一度もない。もちろん日本政府もアメリカ大統領の行動に対して批判がましいことを言ったことは一度もない。それは友好国に対するいわば礼儀である。多少気に食わないことがあっても、「大人同士の付き合い」とはそういうものだという相互理解があったからだ。
 が、たとえ友好国であっても、自国の国益に反するような行動をとった場合には、「黙して語らず」というわけにはいかない。とくにアメリカ政府は、日本や韓国を軍事的に保護しているという自負が強い。アメリカが目を光らせているから、中国も日本や韓国には手を出せないという強烈な信念を持っている。だから日韓がいがみ合えば、中国を利することになるという確信の下に、安倍総理の韓国政府や国民の感情を逆なでするような行為に対しては、これまでのような紳士的な態度で黙視するというわけにはいかなかったのだ。
 しかも、アメリカに対する影響力の違いがある。経済的には日本の影響力の方が韓国をはるかに上回っているが、在米韓国人はロビー活動によってかなりの政治的影響力を持つようになっている。それが一気に表面化したのがアメリカ各地における慰安婦像建立であり、教科書の地図での日本海の東海への変更や併記への州政府への働きかけである。
 朴大統領が日本に対して強硬姿勢を打ち出しているのは、多くのマスコミが分析しているような国民の支持率を上げるためではない。韓国はいま非常に微妙な状況下にある。隣国の北朝鮮は金正恩氏が独裁体制を固めるため、なりふり構わぬ粛清と軍事力の強化を図っている。体制が違う中国とは経済的関係の強化によって軍事的脅威から逃れようと躍起になっている。そうした韓国にとってはアメリカが、日本より韓国を重要視してくれることが最大の外交上のテーマなのだ。韓国政府にとっては慰安婦問題は、そのための切り札なのである。
 そうした国際情勢にまったく鈍感なのが、安倍内閣である。慰安婦問題が表
面化したのは、実は「河野談話」ではない。昨日のブログでも書いたように吉
田清治氏のフィクションである「慰安婦狩り」をノンフィクションだと信じた
朝日新聞が吉田氏を英雄視して大きく報道し、それが韓国に伝わって大騒ぎになったのがもともとの原因である。
 吉田氏の作品がフィクションだったことが明らかになった時点で、朝日新聞が大きく訂正記事を出していれば、吉田氏の著作をタテにとっての「日本政府への謝罪と補償」といった理不尽な要求は、韓国の自称「元慰安婦」もできなかったはずだ。そういう意味では、適切な時期を見て「河野談話」の信ぴょう性をきちんと検証する必要はあると私も思っている。が、安倍総理が靖国参拝を強行したときに見せた米政府の反応を頭の片隅に残していれば、今はもっとも不適切な時期だということがわかりそうなものだが。
 菅官房長官が「政府内に極秘のチームを作って河野談話の作成過程を中心に検証する」と発表したのは2月28日。翌3月の1,2日は土日に当たったため私は3,4日の二日にわたってこの問題に対するブログを投稿している。タイトルはずばり『集団的自衛権問題で窮地に陥った安倍総理が、河野談話作成過程の検証でオバマ大統領から見放される』である。
 米政府内でも、おそらく安倍総理の靖国参拝に対して手厳しい批判をしたことについて問題視する声が上がったのではないかと私は想像している。だから今回の「検証」問題に対しては表立った批判はしなかったようだ。が、水面下で「この時期に河野談話を見直すようなことをしたら日韓関係は抜き差しならない状態になりかねない。オバマ大統領の日韓訪問、日米韓三国首脳会談も、成果が期待できないようであれば中止せざるを得ないかもしれない」といった「観測」が日本政府に密かに伝えられたのではないか。そう考えれば、突然、安倍総理が14日の参院予算委員会で「河野談話を見直すことは考えていない」と事実上2月28日の菅官房長官発言をひっくり返すようなことを言いだすわけがない。結局私が予測したように、オバマ大統領の逆鱗に触れ、あわてて土下座したというのが真相であろう。一国の総理として、みっともないかぎりだ。
 河野談話の検証は事実上、安倍総理の時期を見ない行動によって永遠に闇の中に葬られることになるだろう。総理の「河野談話を見直すことは考えていない」と言った以上、河野談話の作成過程の検証チームはすることがなくなってしまった。もしまだ「極秘チーム」が作られていなかったら、永遠に作られる機会は失われたのも同然である。後先を考えずに、勝手気ままにふるまうと、こういう結果になる。
コメント

安倍総理の「河野談話は継承する」との国会答弁で、一番喜んだのは韓国の朴大統領だったのか? 違うよ。

2014-03-17 07:01:45 | Weblog
 いったい、どういうことなのか。
 もちろん、安倍総理の「河野談話の見直しはしない」との国会答弁(参院予算委員会)のことだ。
 安倍総理の指示を受けて菅官房長官が「政府内に極秘のチームを作って河野談話の作成過程を中心に検証する」と発表したのは、ほんの2週間ほど前の2月28日である。談話を見直す必要がないなら、作成過程の検証をする必要もないではないか。
 そもそも河野談話の伏線になったのは、1991年、日本政府に補償を求めて提訴した自称「元慰安婦」の韓国女性16人の「証言」である。政府は「元慰安婦」の「証言」の裏付けをとらずに、93年8月4日、宮沢内閣の官房長官だった河野氏が、閣議決定を経ずに内閣の見解として発表したのが、いわゆる「河野談話」であり、その後も日韓ののど元に刺さったとげとして今日に至っている。
 いったい「河野談話」とはどういうものだったのか。骨子は「慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者(日本人・朝鮮人)が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったこと、慰安所の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであったとし、慰安婦の存在を認めた」という内容だった。
 この河野談話の中で、まぎれもなく歴史的事実として否定できないであろうことは(証拠となる文書類が残っていなくても)、「慰安所の設置を日本軍が要請した」ことと「慰安婦の存在を認めた」ことの2点だけである。
 なぜそう言えるかというと、私が3月3・4日の2回にわたって投稿したブログ記事『集団的自衛権問題で窮地に陥った安倍総理が、河野談話作成過程の検証でオバマ大統領からも見放される』で書いたように、当時の日本軍の兵士に対する統制はきわめて厳しく、兵士の性犯罪(強姦など)を防止するために兵士の性欲処理のための公的な施設として慰安所を設けることを部隊に許可していたと考えられる。実際、日本が降伏したのち、日本政府は占領軍の兵士による日本女性に対する性犯罪を防止するため自主的に慰安所を設置して職業的売春婦を好待遇で募集し、米軍兵士の性欲発散の場所を提供したことからも、日本軍の意志として慰安所を設置し、職業的売春婦を公募したであろうことは疑う余地がないと考えられる。
 だが、河野談話の他の部分は16人の自称「元慰安婦」の「証言」を裏付け調査もせず、すべて鵜呑みにした内容だと断言せざるを得ない(すべてが嘘だとは言っていない)。日本政府はその後、「元慰安婦」の「証言」の裏付け調査を行っていないが、韓国では民間による裏付け調査が行われたようだ。ウィキペディアには、その調査についてこのような記載がされている。
「韓国では、安秉直ソウル大学教授や韓国挺身隊問題対策協議会が前述の元慰安婦と指摘されている女性たちに聞き取り調査を実施し、『証言者が意図的に事実を歪曲していると感じられるケース(は)調査を中断する』という原則に基づき、元慰安婦証言の半数を却下している。さらに一部の慰安婦を除いて元慰安婦が強制連行されたとは主張していない。また、元慰安婦の証言には慰安所ではなく、民間の売春施設のあった富山県や釜山に連行されたとしているものもある。このように、民間団体の調査では証言の信ぴょう性を疑う指摘が多くなされた」
 私は、先のブログにも書いたように、一部に軍の統制に違反した犯罪行為があったであろうことも否定できないと考えている。現在でも、犯罪を取り締まる側の警察官に不祥事が絶えないことからも、その可能性は否定できない。しかし、そうした不心得者の警察官がいたからと言って、それを「国家権力の行為」と認定できるのか。そんな価値基準で「全」と「個」をごっちゃにしていたら、警察庁長官は年に何人更迭しなければならなくなるだろうか。

 そもそも、2月28日に菅官房長官が河野談話作成過程の検証が必要としたのは、宮沢内閣で河野官房長官を補佐していた石原信雄元副官房長官が、20日に衆院予算委員会で参考人として出席して「16人の元慰安婦の証言内容について裏付け調査を行っていなかった」ことを明らかにしたことによる。
 ところが、石原氏は河野談話について当時は「文章で強制を立証するものは出てこなかったが、明らかに彼女たちは自分の過去について真実を話した」として「本人の意に反した強制があったと確信が得られた」証言している。
 一体、どっちの証言が正しいのか。そもそも河野談話作成過程の再検証をするには、まずもって石原氏の証言の食い違いの検証をしたうえで行うべきだろう。そして、なぜ石原氏が証言を翻したのか、そのことを明らかにすることが日本と韓国の国民に対する安倍内閣の説明責任であろう。
 実は私も前回ブログ投稿したときには、河野談話について当時、石原氏がそういう証言をしていたことは知らなかった。安倍総理の豹変で、改めて「河野談話」をネット検索して知った。どなたかが当時の公文書を調べてウィキペディアに投稿されたのだと思う。菅官房長官が、河野談話作成過程を再検証すると表明したきっかけになった石原氏の証言はマスコミも報道したが、石原氏の証言が過去の証言をひっくり返したとはどの新聞も報道していない。自称「ジャーナリスト」は怠慢のそしりを免れ得まい。「もう少し、しっかりしろ」と言いたくなる。
 自称「ジャーナリスト」の頭の悪さは、安倍内閣の税制改革に対する評価に
も現れている。消費税増税分は社会保障費に充てることが野田内閣時の3党合
意(民自公)で決まっている。消費税増税による景気の冷え込みを補うため安倍内閣は法人税の減税で法人の設備投資などを活性化することにした。ところが、今度は法人税減税分を補うための増税が必要となった。消費税増税による税収増を法人税減税の穴埋めに使うわけにはいかないからだ。
 そこで安倍内閣が打ち出したのが、高給取りのサラリーマン層への課税強化だった。この増税は2段階で行われ、1段階は年収1200万円以上、2段階目は年収1000万以上の給与所得者が対象である。高額給与所得者への課税強化の理由が面白かった。過去の消費税導入(竹下内閣)や税率アップ(橋本内閣)の理由付けが間違っていたと、安倍内閣が事実上認めたのである。もちろん安倍内閣のだれも、あからさまにそう言ってはいない。言ってはいないが、事実上、過去の消費税導入・増税の理由が間違っていたと認めたことを意味していた。そのことに、日本の偉そうな顔をしている自称「ジャーナリスト」は気づいていない。それほど頭が悪いということを読者は理解しておくべきだ。マスコミの意図的な世論誘導を目的とした報道や主張から自己防衛するために。大新聞が書くのだから、間違っていないだろう、と思わせることによってマスコミの世論誘導は行われるのだから。先の大戦時に大本営は戦争の真実を発表しなかったが、ウソと知りながら大本営発表を大々的に報じて世論誘導したのが大新聞である。新聞社には外電が逐次入っており、戦局の真実を知っていたにもかかわらず、国民の戦意高揚を図るという目的のために意図的な世論誘導のための報道をし続けた。その体質はいまも変わっていない。

 それはともかく、安倍内閣が過去の自民党政府が消費税導入(増税)した際の虚偽説明で国民を手玉に取り、大新聞がこぞって世論を誘導した真実を明らかにする。過去の消費税導入や増税について、当時の自民党政府は「米欧先進国の課税率に比べ、日本の累進課税制度は高額所得者に厳しすぎる。米欧並みの課税水準に引き下げないと、高額所得者の働く意欲が殺がれる。しかし、高額所得者の課税率を下げると、当然税収が減るから、それを補うために消費税を導入(増税)する」という主張だったはずだ。
 ところが、安倍内閣が高額給与所得社説の増税理由として説明したのは「日本の高額給与所得者に対する給与所得控除額は、米欧の高額給与所得者に比べて優遇されすぎている。米欧並みに給与所得控除を引き下げる」という話だ。給与所得控除を引き下げれば、当然だが課税対象の所得が自動的に増え、税率は据え置いても所得税は増えることになる。
 つまり、過去の自民党政権が行った高額所得者に対する減税(所得税及び住民税)は、米欧に比べ課税率だけを比較して日本の累進課税率は高いという口実で実施された。課税対象の所得額(収入から基礎控除・扶養家族控除・社会諸保険控除・給与所得控除などを差し引いた額)だけを過去の自民党政権はまな板の上に載せて消費税導入(増税)の理由付けにしたのである。その計算方法がインチキだったと、安倍内閣は事実上認めたのが、「日本の高額給与所得者に対する給与所得控除は優遇されすぎている」という説明である。
 政府が、過去の消費税導入時(増税時)の説明は間違っていたと、事実上認めているのに、そのことをまだ自称「ジャーナリスト」たちは理解していない。理解していないどころか読売新聞に至っては社説で「高額給与所得者への課税を強化したら景気が冷え込む」と、反対までした。ま、世論がまったく支持していない「新聞への軽減税率を」と、厚かましく何度も社説で主張したくらいだから、本当に頭が悪いのか、それとも分かっていて、そのことを明らかにし
てしまうと、高額所得層への課税率引き下げと引き換えに消費税を導入した自
民党の税制改革に諸手を挙げて支持した悪行がバレてしまうことを恐れて知らんふりをしているのかは分からないが…。
 
 安倍内閣の高額給与所得者に対する課税強化が何を意味するかに頭が回らないあほな自称「ジャーナリスト」ばかりだから、「河野談話の作成過程の検証はするが、談話の見直しはしない」という大矛盾の国会答弁を追及すべきだとすら思っていないようで、今朝の新聞各紙の社説で全く触れていない。なお韓国の朴大統領は、安倍総理の答弁を大歓迎して、日米韓の首脳会談に応じるようだが、安倍総理がお愛想を振りまいた相手は朴大統領ではない。安倍総理がお愛想を振りまいた相手については明日書く。(続く)
 

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