小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

厚労省の重大ミスによって、日本のコロナ感染状況の正確な判断ができなくなった。 【追記5】まであり。

2020-07-19 02:59:24 | Weblog
【緊急告発 Go Toトラベルは憲法違反?】
27日から政府の観光業者支援のためのGo Toトラベルの販売が始まった。ただ、旅行業者によってはまだ準備が整っていないところもあり、あらかじめ電話等で問い合わせたうえで申し込んだ方がよさそうだ。
それはさておき、7月に入ってから全国的に新型コロナの感染状況がぶり返した。が、政府はこのぶり返しは一時的と考えたのかどうか、16日に突然Go Toトラベル・キャンペーンの前倒しを発表、大混乱があちこちで生じた。しかも、東京都の感染拡大が顕著だったこともあって、急遽、キャンペーンから「東京外し」を決めた。
この「東京外し」についても政府の方針は一貫せず、最初は東京都民のキャンペーン利用は認めない、他道府県からの東京観光もキャンペーン利用は認めないという、いちおう筋が通ったかに見える方針だったが、「東京の学校に通学する他県在住学生のキャンペーン利用は認めない」「グループ旅行については代表者が東京以外の住民の場合は東京都民の参加もキャンペーン利用を認める」「東京以外の自治体から他の自治体に旅行する場合、東京を経由する場合はキャンペーン利用を認める」(すべて民放テレビ報道による)など方針が二転三転して、いったい何のためのキャンペーンだったのか、国民から不満や疑問が噴出した。
さらに混乱を極めたのは、今後、東京以外に感染が急増する自治体が出て、キャンペーンから除外することになった場合の処理をどうするかが今頃になって問題化した。その対象客が割引価格で購入している場合、キャンペーンから外れたとき、キャンペーン価格との差額をだれが負担するかという問題だ。政府内でもすったもんだしたあげく、結局差額は旅行客が負担することになったというが、果たして旅行客がすんなり承知するかどうか。混乱はまだまだ続きそうだ。
さて、キャンペーン利用の実態はどうか。「東京外し」の方針はまったくの「ザル」になる可能性が高い。キャンペーンを利用するためには指定を受けた旅行会社に申し込む必要があるが、旅行会社にとっては東京を外されたら商売にならない。観光庁がキャンペーン利用者の申請内容をいちいちチェックなどできようわけもなく(いちおう他県の人が代表でも、東京都民はキャンペーンを利用できないことになっているようだが、実際にはチェックしないことは観光庁に確認済み)、だから東京都民でも他県の住民であるかのように住所を偽装したらキャンペーンを利用できる。実際、私がいくつかの旅行代理店に「東京都民だけど、グループ旅行したいが、何とかならないか」と電話で問い合わせたところ、「東京都民だけはキャンペーン利用ができません」と断られたことは1度もなかった。「代表者の方の本当の住所を確認するようなこともしていませんし、代表者の方の連絡先が携帯番号だったら、実際問題としてどこにお住まいかわかりませんから」と、ザルの抜け方まで教えてくれた。
 こうしたやり取りを官公庁や旅行代理店としていて、とんでもないことにふと気づいた。東京都民が他県に旅行することは禁じられていないし、他県の方が東京観光に来ることも禁じられていない。ただ、その場合はGo Toキャンペーンの割引対象にならないというだけのことだ。となると、この制度は明らかに地域住民差別を意味し、憲法違反になるのではないか。憲法14条は「法の下での平等」を定めた条文で、その1項にこう書かれている。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 憲法にこの条文がある限り、新型コロナの感染者が多い少ないことを理由として、東京都民がGo Toキャンペーンの権利をはく奪されることは憲法に抵触するのではないか、という疑問が生じたのである。で、知り合いの弁護士に電話で質問してみた。返答は「僕も気づかなかったけど、言われてみると憲法14条に抵触する可能性が高い。ちょっと問題だね」ということだった。
 私は内閣府にこのことを通告すると同時にNHKと朝日新聞に情報提供しようとしたが、朝日新聞に代表番号から電話したところ、お客様オフイスのスタッフから「ナビダイヤルでかけ直してくれ」と電話を切られた。バカ高い電話料金を払ってまで朝日に貴重な情報を提供してやるほど、私はお人よしではない。(28日)


 厚労省が公表している、新型コロナ感染問題についての重要なデータがでたらめであることが分かった。「都道府県別・PCR実施人数の累計」表に記載されたデータである。
 この表は厚労省のホームページで、「新型コロナウイルス感染症」→国民のみなさま向けの情報「国内の発生状況など」→「地域ごとの感染状況等の公表について」→4「PCR検査等の検査実施人数の推移(都道府県別・各日)」と検索をかけていくと問題の表が開示される。その表の7月9日の「全国」と「東京都」のカッコ内の数字を見ていただきたい。この表の各欄の左側の数字はその日(検査実施日)を含めた累計検査件数で、右側のカッコ内の数字は当日の検査件数である。
 まず「全国」の数字は「累計」が489,586件で、「当日検査数」は51,420件となっているはずだ。この時期、日本の1日の検査能力はせいぜい3万件余であり、なぜ9日だけ能力を大幅に超える検査ができたのか? 実は大幅に水増しされていたのだ。どうして水増しと分かったのかというと、翌10日の欄を見れば一目瞭然だ。翌日に水増しの修正を行っているからだ。「累計」が459,538件と30,048件も減少しているのだ。実際カッコ内の当日検査件数も同じくマイナス30,048件と記載されている。検査件数の累計が減ることはありえないし、ある日の検査件数がマイナスになることもあり得ない。どうして、こんなバカげた集計が行われ、そのことに水増しした職員以外の誰も気がつかなかったのか。
 水増しの原因は東京都の集計ミスにある、と最初は思った。9日の東京都の「累計」は147,157件で、「当日検査数」は47,050件となっている。東京都だけで当日の検査件数が、日本全国の検査能力を大幅に超えているのだ。そんなバカなことは当然あり得ない。実際、厚労省は翌10日に、全国と同様修正している。累計を111,462件と修正し、当日検査件数もマイナス35,695件にした。
 ところが、この修正でかえっておかしなことが生じた。全国の修正と東京都の修正の数値が合わないのだ。東京都の集計ミス数が大きかったことは事実だが、東京都だけの集計ミスなら当日の検査件数修正値が全国と東京都で合致しなければおかしい。が、全国の修正値はマイナス30,048件、一方東京都の修正値はマイナス35,695件だから、5,647件も合わない。全国の数値は「累計」も「当日検査数」も、エクセルの計算機能で自動的に集計されているはずだ。でも念のために、電卓を叩いて47都道府県の数値(「確定患者数」及びPCR検査数)を足し算してみたが、すべてぴったり合う。ということは、修正されていないが、東京都以外に集計ミスがあり、それが修正されていないためとしか考えられない。この問題はとっくに厚労省に伝え(新型コロナに関するコールセンター)、ミスが生じた原因の解明と、姑息な修正でごまかすのではなく、正確な数値を改めて明らかにするよう、強く要請した。厚労省側は私の指摘を認め、上申すると答えたが、一向に原因究明と正常化のための努力をしていないようだ。あまつさえ、また厚労省は大チョンボをやらかした。
 こんどは16日、東京都のPCR検査で286人という過去最大の陽性反応が判明した日だが、この日の東京都のPCR検査数は4,697件。この件数自体はおかしな数値ではない。が、神奈川県の数値が異常なのだ。新たな陽性反応者数は60人で、前日比プラス20人。この日は東京都も含めPCR検査数を大幅に増やしたこともあって、東京都も新たな陽性反応者数は前日の165人から286人に大幅に増えているから、神奈川県の新たな感染判明者が前日比1.5倍に増えたからといっても、そのこと自体は疑問を呈するような話ではない。問題は神奈川県の当日のPCR検査数なのだ。なんと東京都よりはるかに多い5,354件となっているのである。言っておくが、神奈川県にそんな検査能力があるわけがない。実際、前日の15日の検査数は263件で、14日以前の検査数はそれより少ない2桁で推移しているのだ。
 私は7月1日にアップしたブログで、感染者数(正確には「検査当日新たに陽性反応が判明した人数」あるいは「感染判明者数」)の増減より陽性率の推移の方が日本全体や各都道府県の感染状況を判断するには重要な要素だということを主張してきた。陽性率の計算方法はすでに書いたが、改めて書くと、
≪検査当日、新たに陽性が判明した人数÷PCR実施件数×100≫
である。だからいわゆる「感染者数」の増減だけで全国や各都道府県の感染状況を正確に分析することはできないと指摘してきた。が、厚労省が公表しているPCR件数がでたらめだということになると、当然正確な陽性率も計算できず、したがって現在の感染状況を正確に分析できない。つまり、今大問題になっているGo Toトラベルにしても、東京だけ外す科学的根拠が土台から崩れてしまったことを意味する。

 私は昨日(18日)も再び厚労省のコールセンターに電話でこのでたらめデータのことを伝え、なぜいつまでもそういう集計ミスが生じる状態を放置しているのか、と厳しく追及し、原因を解明して公表すべきだと指摘しておいた。
 この問題は朝日新聞には伝え、NHKにも情報提供しようとしたが、NHKは外部のサイトにアクセスすることは禁じられているからメールで送ってほしいとのことだったので、このブログ記事を送ろうと思ったが、送信できる文字数が400字以内に限定されているので、やむを得ず今朝電話で伝えることにする。(19日)

【追記】 今日(19日)、NHKの「日曜討論」を見て感じたことを書く。
 テーマは災害対策(前半)とコロナ感染対策(後半)だったが、後半の議論で、なぜかGo Toトラベル問題では、「東京外し」の理由について野党の追及おざなりで都民の旅行キャンセル料の扱いに焦点が移ってしまった。実は各都道府県の人口10万人当たりのPCR検査数と、検査で明らかになった陽性率を比べると、最悪なのは東京都ではない。言うなら「検査偏差値」は大阪や神奈川の方が東京より高い。そういう論理的批判をなぜ野党はしないのか。
また、これはNHKの立ち位置としてある程度やむを得ないのかもしれないが、討論参加者に対して「公平に発言機会を与える」ことが最優先され、司会者が発言内容に一切くちばしを入れないため、民放の討論番組に比べて面白くないことおびただしい。
 たとえば立憲の逢坂氏が、日本のPCR検査数について他国と比べて少なすぎると、外国の例を出して政府を批判したとき、私がすぐ抱いたのは単純な検査数比較がどういう意味を持つのかという疑問だった。国民の数は各国ばらばらであり、だから日本の検査体制が不十分だと政府を追及するなら、せめて「人口10万人当たりの検査数」で日本の検査数が著しく少ないことを立証すべきだった。司会者がそういう指摘をするようにしたら、討論も盛り上がるし、視聴者も「えっ、日本はそんなにコロナ対策が遅れているの?」と、実感をもって政府批判を受け止められる。
 また、共産党の田村氏が「政府は検査数を拡大するというが、どういう戦略で臨むのかが見えない」と、自ら東京・新宿の検査スポットの存在を突き止めた経緯を含めて政府を追及したのに対して、自民の岸田氏は「戦略的な検査体制を整える必要がある」と応じただけで具体策に触れることはなかった。このときも司会者は「戦略的な検査体制というのは具体的にどういう方法を政府は考えているのか」と質問すべきだった。こんな司会なら、タイムウォッチを持った大学生でもできる。

 日本で新型コロナ対策が遅れたのは、すでに何度も書いたようにオリンピックの中止を何がなんでも避けたいという政治判断を優先させた結果、IOCのバッハ会長が1年延期を容認するまで放置したことが原因だが、そのためPCR検査キットも必要な分を確保できず、マスクの調達も外国政府に比べて立ち遅れ、「転売騒動」が生じたくらいだった。また保健所の検査体制も医療機関の受け入れ態勢も整えずに、ひたすらバッハ会長の決断待ちで時間を無意味に浪費してきたため、「いざ鎌倉」という時には韓国などに比べて陸上競技でいえば1周も2周も遅れてのスタートになってしまった。新型コロナの流行によって、どういう社会的混乱が生じるかの見極めができなかったためかもしれない。
 いま、日本のPCR検査問題は基本的に三つに絞られると、私は思っている。ひとつは誰もが指摘しているように検査数が少なすぎるということ。政府は増やしているというが、政府が増やしているのは検査キットの数だけで、いま現在の1日の検査能力は3.1万件でしかない。この稿では煩わしいので他の先進国と比べた人口比の計算までは明らかにしないが、圧倒的に少ない。
 次に、その3.1万人分の検査能力さえ持て余しているのが日本の現状で、実際の検査数は平均して2分の1ほどでしかない。つまり圧倒的に外国に比べて少ない検査能力でさえ、日本は「宝の持ち腐れ」にしているのだ。そうなったのは、やはりオリンピック最優先の政治スタンスによって保健所の検査体制や医療機関の患者受け入れ体制構築が遅れたことが大きく影響している。専門家の中には検査能力を1日最低でも10万件、できれば20万件に増やす必要があると警鐘を鳴らす方もいるくらいだが、やみくもに検査数を増やせば患者(検査によって陽性が判明した人)が爆発的に増え、いまの医療体制では間違いなく医療崩壊が生じる。とりあえずは、せめて日本の検査能力をフルに活用しても医療崩壊しないような体制整備に全力を注ぐべきだろう。
 最後に「戦略的な検査体制」の構築である。これは文字にするのは初めてだが、実は厚労省のコールセンターにはかなり前に提案したことがあり、その内容をここで書く。まず余っている約1万5000件の検査能力を使って日本のエリアごとの感染状況を調べる。これはメディアの世論調査と同じやり方になるが、調査エリアを4つに分類する。具体的には大都市(政令都市)、中都市・小都市・観光地の4つだ。そして大都市については「夜の街」を含む繁華街・ビジネス街周辺・住宅地の3か所。中都市と小都市は商店街を中心とする駅周辺・住宅地のそれぞれ2か所。観光地については旅館・ホテルや土産物店などの従業員や店主など。
 このように調査エリアを分けて、全国から100程度の検査スポットをコンピュータでランダムに選び、その検査スポットで1日150件の検査を1週間継続して行う。そうすれば、日本全体の感染傾向が明らかになる。そのうえで、新型コロナ封じの徹底的な対策を講じる。場合によっては、たとえば「新宿・歌舞伎町」のような{夜の街}地域のロック・ダウンが必要になるかもしれない。何も外国のように、ニューヨーク市丸ごととか、中国・武漢市丸ごとのロック・ダウンはする必要がない。日本の政治家は「戦略的」という言葉を安易に使うが、私が厚労省に提案した方法が最も戦略的だとまではうぬぼれてはいないが、少なくとも「戦略的」という意味はこのような具体的な政策方法論をめぐって与野党が激しくやり合うのでなければ意味がないと思う。

【追記2】 私の告発によって、厚労省が大パニックに陥ったようだ。厚労省のホームページのトップ「新型コロナウイルス感染症について」のなかに記載されている「地域ごとの感染状況等の公表について」のデータが、18日以降まったく更新されなくなったのだ。
 実はこの項目の次に「PCR検査に関する参考資料」という項目があり、そこには7月22日午前0時に更新された ①「国内における都道府県別のPCR検査陽性者数(※「地域ごとの感染状況等の公表について」では「確定患者数」と表記されており、厚労省内で用語の統一がされていない)」や ②「国内における新型コロナウイルスに係るPCR検査の実施状況」③「新型コロナウイルスのPCR検査総実施件数(都道府県別)」のデータが公表されている。これらのデータはいずれも更新時はおなじだが、最新データの日付は項目ごとに異なっている。別々の職員が、まったく連携もとらずに各自バラバラにデータ整理をしているとしか思えない。具体的に指摘しておく。
 まず①は、1月15日から7月21日までの「PCR検査陽性者数(確定患者数)」の都道府県別累計。②は全国集計だが、保健所や病院などの医療機関(※このデータには病院のデータも含まれている。このことはあとで重要な意味を持ってくるので留意しておいてほしい)ごとの検査実施数で、2月18日から7月4日までは各週単位の集計、5日から20日までは各日のデータ。③は1月15日から7月18日までの都道府県ごとのPCR検査実施数の累計。これらのデータはいずれも22日午前0時に更新されているのだ。①は置いておいても、②のデータは各自治体からの報告に基づいて全国集計しているはずで、そのテータが20日まで公表されているのに、その集計データのもとになっているはずの③のデータが、なぜ18日分までしか公表できないのか、私の幼稚な頭脳ではまったく理解不能である。
 さらに、これらのデータに加えて④として「新型コロナウイルスのPCR検査の1日あたり実施可能件数(都道府県別)」も公表されている。このデータと17日で更新をストップしてしまった都道府県別のPCR検査実施件数を突き合せれば、どの自治体が一生懸命感染防止対策に取り組んでいるか、反対にどの自治体がさぼって検査もろくにせず、感染者数があたかも少ない優良自治体のように見せかけているのかが一目瞭然となるはずだ。
 PCR検査実施可能件数が、この1週間で劇的に増加したとは思えないから、実際に検査した件数が公表されている16日の「サボリ率」を東京・神奈川(神奈川県は16日の検査実数が異常に水増しされているので15日の検査数で計算する)・埼玉・千葉の首都圏と、大阪・兵庫・京都の近畿圏に絞って明らかにしてみよう。具体的な「サボリ率」の計算方法は(実施した件数÷実施可能な件数×100)で実施検査率を計算し、(100-実施検査率)を「サボリ率」とする。この「サボリ率」を明らかにすれば、昨日からスタートした「GoToトラベル・キャンペーン」の政策が正しかったのかどうか、またキャンペーン対象から東京都を外したことが政策判断として正しかったかどうかも一目瞭然となる。
 はずだ、と思って計算しようとしたのだが、計算不能であることが分かった。実は私はまことに横着な性分で、過去32冊の著作もそうだが、書く前に書くべき材料(資料など)をすべて用意したりせず、行き当たりばったりでとりあえず書き始めてしまう。書きながら、新たに何かを調べる必要を生じたときはインターネットで検索して調べるという横着さだ。いまも、そういうやり方をしていて、正直に書くが、はたと行き詰ってしまった。各都道府県の各日PCR検査数のデータは本稿を書く際にプリントした資料があるので問題ないのだが、都道府県ごとのPCR検査の1日あたり実施可能件数の公表データを新たにプリントして、いざ計算に取り掛かろうとしたら、初めてこのデータもでたらめだったことに気が付いた。
 この検査可能件数のデータ(7月18日時点)によれば、東京都の検査能力はたったの249件、全国合計でもたった7131件でしかない。実際の16日の東京都の検査実施数は4697件であり、どうして実施可能な249件の20倍近い検査ができたのか。私より頭がいい小学生でも、頭を抱えてしまうだろう。
 いちおう、このデータには「※厚労省から地方衛生研究所・保健所に依頼した調査に基づく集計結果(各地方衛生研究所・保健所の実施可能件数を都道府県ごとに集計)という但し書きが付記されていて、医療機関(公的および民間)の検査可能な件数は含まれていないが、東京都は特別区23区にはすべて保健所が設置されており、都内には八王子市・三鷹市・町田市など29の市町村があり、人口は約1,300万人を数える。これらの自治体52には少なくとも最低1か所は保健所が設置されており、仮に29市区町村に保健所が1か所ずつしかないとしても(※川崎市の5区には各区に保健所がある)、最低でもPCR検査施設は52か所はあるはずだ。その最低の検査施設しか東京にはなかったとしても、そこでの検査実施可能件数の合計が249件ということは、1施設当たり1日の最大検査能力が4.8件しかないということを意味する。どういうこっちゃ。 ここで私は完全に思考能力を喪失した。どう解釈すればいいのか。誰か、教えてくれぇー。(23日)

【追記3】今日(23日10:30頃)厚労省のコロナ感染についての「コールセンター」に何度目か(たぶん10回近い)の電話をした。私の手元に保存しておいた厚労省公表の「都道府県別・PCR実施人数の累計」表によれば、6月29日から7月10日までの2週間分のPCR検査数の推移で、東京都のデータの異常に気付いたのはたぶん9日だったと思う。この表によれば、9日の検査数が47、050と日本全体の検査能力(約3万件)をはるかに超えており、そんなことはありえないと思い、「データ集計ミスではないか」とコールセンターに問い合わせた記憶がある。そのせいか、翌10日には東京都の検査数が―35,695人と計上されており、厚労省はそれで「修正」したつもりだったようだ。が、仮にそれを修正と認めたとしても、計算するとおかしな「修正」だったことが分かる。
 つまり≪47,050―35,695=11,355≫件が9日と10日の2日分の検査数ということになり、単純平均すると2日とも5,677件、検査したことになる。ところが、その前後の検査数を見ると、7日が2,082件、8日が3,168件、13日が6,973件、14日が3,386件となっている。実は厚労省が発表する「PCR検査実施人数」は、日・月を除く毎日午前0時に更新することになっている。つまり7月9日の検査数は10日の午前0時にならないと明らかにならない。また土・日は役所が休みのせいか火曜日の午前0時に11(土)・12(日)・13(月)の3日分の合計が13日分として計上される仕組みなのだ。そのため7月10日のデータ(11日午前0時に更新)の次は14日午前0時に更新されるため13日の検査数がやや多くなる。同様に7日は火曜日で、その前の月曜日の6日の検査数として4,971件が計上されている。そうした集計のルールを考慮しても、9,10日の検査数(単純平均で5,677件)というのはちょっと考えにくい検査数だ。いまは東京都もかなり検査数を増やして4,000件を超えているが、この時期の2日間だけ6,000件近い検査をしていれば、メディアもかなり話題にしたはずだ。
 そうしたデータ・ミスは何回かコールセンターには伝えたが、コミュニケーターはいつも「必ず上申します」と対応してくれるのだが、一向に改善の姿勢が見られない。そして17日には再び重大ミスが発生した。16日のデータで神奈川の検査数が東京の4,697件を上回る5,354件となっているのだ。「そんなに目くじら立てるほどの差ではない」と思われるかもしれないが、実は神奈川の検査実態は首都圏では断トツに少ないのだ。実際、東京を除く感染者(正確には検査で初めて陽性が判明した人数)は埼玉・千葉よりかなり多いのに、PCR検査の実施数は逆に埼玉・千葉よりかなり少ない。各県の人口当たりのPCR検査数は神奈川が3県の中でダントツに少なく、陽性率では神奈川は東京より高いのが実態なのだ。はっきり言って47都道府県中、新型コロナ感染が最も深刻なのは神奈川県ではないか、と私は思っている。
 厚労省は過去にも勤労者統計のデータで大チョンボをしてメディアも厳しく追及し、国会でも大問題になったことがある。それもそんな昔のことではなく18年暮れから19年初春にかけてのことだ。
 この事件で厚労省は少しは懲りたかと思いきや、反省の一かけらもなかったことがPCR検査データのでたらめな扱い方でよーくわかった。たぶん、労働行政と厚生行政という異なる分野の行政機関を「行革」の名のもとに統合してしまった結果、労働分野の職員のミスである勤労統計問題を、厚生分野の職員が「対岸の火事」視した結果だと思うが、労働行政と厚生行政が「水と油」の関係とまではいわないが、畑違いの行政機関を統合することのメリットとデメリットを天秤にかけて考えなかった結果が、こういう形で表れたと言ってもいいだろう。
 「行革」自体を私は全否定するわけではないが、いかなる政策も国民にとってメリットとデメリットがある。新しい政策を提案する機会は政権与党や政府が圧倒的に多いが、新しい政策を実行する際、政府はメリットとデメリットの両方を国民に明らかにしてほしい。もちろん国民の利害関係が必ずしも一致するわけではなく、新しい政策によってメリットを享受する人たちと、不利益を被る人たちが必ずいる。その場合、多数の国民のメリットを選択せざるを得ないのが民主主義の最大の欠陥ではあるが、不利益を被る人たちの損失(必ずしも金銭的とは限らない)を極力カバーするよう努力することで、民主主義という欠陥だらけの制度を少しでも前進させる政治家の義務であり責任だと思う。
 そう考えた場合、政策立案のもとになる官公庁の統計データが、今回の場合、恣意的とまでは言うつもりはないが、でたらめだったら政策も誤る。私は「データはすべてを物語る」と考えているが、官公庁職員が統計データの重要性を認識していなかったら、政策も間違うし、民主主義制度の根幹すら危うくしかねない。深刻な反省を望む。(23日)

※ようやく今日(24日)厚労省の「確定患者数の累計」表と「PCR検査実施人数の累計」表の更新値が公表された。ただ更新時は22日(午前0時)となっているのに、なぜか今日まで公表を伏せていた。私が毎日チェックしていることを知らなかったようだ。
 とりあえず、7月16日の神奈川県の異常データは修正されたが、これまでの記載データは過去2週間分だったが、今回公表されたデータは7月13日から21日分までの9日間と短縮された。しかし、従来の公表値は土・日を除外し、月曜日の午前0時に2日分をまとめて表に記載していたのを、土・日の検査数も記載するようになった。土・日は保健所が休みの自治体もあり、検査数が0という自治体も散見される。それはいいのだが、なぜ修正にこんなに時間がかかったのか。「お役所仕事」と言ってしまえばそれまでだが、そのため私が初めて気づいたデータ処理のでたらめさの7月9,10日の東京都のデータ修正は、結局放置されたままのようだ。(24日)

【追記4】PCR検査で新たに感染が確認された人(検査で陽性反応が判明した人)が増え続けている。直近1週間の都道府県別の人口10万人当たりの陽性判明者数(23日時点)は、NHKが独自に集計したデータによれば
① 東京 12.79
② 大阪  6.52
③ 福岡  5.62
④ 京都  5.19
⑤ 埼玉  4.60
⑥ 愛知  3.97
⑦ 奈良  3.46
⑧ 神奈川 3.09
⑨ 千葉  2.91
⑩ 和歌山 2.70
 となるが、この数字が各都道府県の感染状況を正確に示しているわけではない。各自治体のPCR検査数によって陽性判明者数も増減するからだ。各自治体の検査数が人口に比例していれば、この数字も正確に各自治体の感染状況を反映した数字として意味を持つが、検査数が自治体によってばらばらだから、陽性判明者数のランキングを明らかにしたところで何の意味も持たないのだ。が、依然としてメディアが「感染者数」ばかり重視するから、実態とかけ離れたランキングになる。
 で、本当の実態を調べるには厚労省が公表している「確定患者数」と「PCR検査実施人数」をベースに計算しなければならないのだが、厚労省のデータミスを私が発見して内閣府や厚労省に指摘して以来、本稿の【追記3】で書いたように厚労省がデータの公表をいったん中止してしまった。ようやく昨日データ公表を再開したが、21日分までしかデータを公表していない(最新の更新が22日午前0時)ので、厚労省が少なくとも24日午前0時には公表すべき23日の「確定患者数」と「PCR検査実施人数」のデータが25日午前5時過ぎになっても公表されていない状況だから、23日時点での本当の各自治体の感染状況の計算などできるわけがない。
 が、全国的に感染が拡大していることは間違いなく、24日久しぶりに記者会見に臨んだ安倍総理に、メディアの記者たちが「4月7日に緊急事態宣言を発令したときより感染状況は相当悪化している」と追及したが、安倍さんはまったく危機感を持っていないようだ。
「再び今緊急事態宣言を出す状況にない」と、感染拡大状況をまったく無視し、「まだ検査能力には余裕があるから都道府県と連携して陽性者の早期発見、早期治療を進めていく」とし、国民には「3密や大声を出す行動の回避」を呼び掛けるにとどめた。これに「不要不急の外出自粛」を加えれば、緊急事態宣言と同じ内容に、事実上、なるのだが…。
 23日には、統計学の専門家である土谷隆氏(政策研究大学院大学政策研究科教授)が、民放のテレビ番組にリモート出演し、統計学の手法を駆使して日本の感染状況が危機的状態にあることを解説した。統計学の手法を駆使して感染状況を分析することは極めて重要で、私は7月1日のブログ記事でこう書いている。

 政府が急遽、新型コロナウイルス感染症対策本部を内閣官房に設置したのは1月30日。本部長には安倍総理が自ら就き、担当大臣として西村氏を起用した。本来は厚労相の加藤氏の任のはずだが、医療行政に疎い加藤氏では頼りにならないと安倍総理が考えたのだろう。
その対策本部の下、具体的な対策について医学的な見地から助言等を行うことを目的に「専門家会議」が2月14日に設置された。座長には国立感染症研究所所長の脇田氏が、副座長には独立行政法人地域医療機能推進機構理事長の尾身氏が就任した。構成員は10人で、うち8人が感染症の専門医などの医師、後の2人は保険学者と弁護士で、統計学を専門とする数学者は含まれていない。この専門家会議が提起したコロナ感染症対策が「人と人との接触は最低でも7割、できれば8割削減すればコロナ感染症を克服できる」という、統計学を専門とする数学者だったら、びっくりしてひっくり返りかねないような感染症対策方針だった。(中略)
 実は私は何度か厚労省のコロナコールセンターに、専門家会議が提起した8割削減の根拠について質問した。コールセンターもいろいろ調べてくれたが、結局「わかりません」という回答しか得られなかった。私もネットで可能な限り根拠を調べてみたが、やはり8割削減の根拠についての記述を見つけることはできなかった。
 いま理研と富士通が共同で開発したスーパーコンピュータの「冨岳」が世界NO.1の座を奪還したが、その前の世代の「京」が世界NO.1の座をアメリカの「サミット」に抜かれたとき、民主党政権下で事業仕分けを担当していた蓮舫氏が「2番じゃダメなんですか。なぜ1番でなければいけないのか」とスパコン行政に噛み付いたことを想起して、私はこう専門家会議に問いたい。
「なぜ8割削減しないとダメなんですか。7割では、あるいは6割、5割ではダメなんですか。8割削減したら、本当にコロナを根絶できるのですか。その根拠も教えてください」
「あなた方の中には経済の専門家も統計学の専門家もいませんね。もし、本当に日本で人と人との接触を一気に8割も削減したら、日本経済は1か月も持たずに崩壊しますよ。また、田舎ならともかく、都市部で、しかも働いている人たちが人との接触を8割削減することが物理的に可能かどうか、考えたことがありますか。社会経済活動をすべて止めない限り、そんなことは不可能ではありませんか」と。
 専門家会議が8割削減を提案した時、なぜ政府は「そんなことは不可能だ。もっと現実的な対策を講じてくれ」と専門家会議案を突き返さなかったのか。バカばっかし、と言わざるを得ない。
 無能だったのは政府だけではない。野党も、8割削減などというバカ丸出しのコロナ対策に疑問一つ呈さなかったし、メディアも同様だ。だいいち、こんな素朴な疑問すら、今日まで日本でだれも持っていないようだ。

 専門家会議をスタートさせたとき、なぜ保険学者や法律家(弁護士)をメンバーに入れる必要があったのか。私にはさっぱり意図が分からない。保険学者や弁護士を加えるくらいなら、なぜ統計学の専門家を加えなかったのか。土谷氏のような統計学の専門家が最初から専門家会議に加わっていたら、世界中の感染拡大の推移を分析し、新型コロナの感染特性を科学的に解明したうえで感染抑止対策と社会経済活動の復活のかじ取りのタイミングやどの程度バランスをとりながら進めていくべきかのアドバイスができたはずだ。大体科学的根拠も示せない「8割おじさん」の提言をまともに国民に押し付けるような抑止策しか考えられない政府はもはや死に体と言っていいい。
※私はこの稿で初めて「感染防止」ではなく「感染抑止」という表現に変えた。そのことの意味が分からないような人たちに、これ以上「感染抑止対策」をお任せするわけにはいかない。

ここまで書いて、今日の朝日新聞を見たら、ようやく朝日も陽性率の重要性に気が付いたようだ。その記事の冒頭部分を貼り付ける。

7月に入り、新型コロナウイルスの感染者数が都市部を中心に顕著に増加している。政府や東京都がその理由として説明してきたのが、検査数の増加だ。確かに検査数は一時期に比べて大幅に増えた。だが、検査数が増えれば一般的に下がると考えられる陽性率も上昇し続けているのが今の実態だ。

が、朝日の記事には、なぜ「検査数が増えれば一般的には(陽性率は)下がると考えられる」かの理由について、何の説明もしていない。読者に対してきわめて失礼な「決めつけ記事」だ。
同記事によれば、西村経済再生相は「数だけみると増えているが、検査数も増えている」と説明(反論?)したようだ。そういえば、小池都知事も、7月に入ってからの「感染者数」(正確には検査による陽性判明者数)の急増について、同様の説明をしていたっけ…。
東京都の場合は、そうした説明が一時、説得力をもったかに見えた。緊急事態宣言の解除によって、とくに若い人たちがコロナ禍以前の生活状態に戻り、「夜の街」も平常営業を再開したため、「夜の街」関連の陽性判明者が急増したことは事実だと思う。が、東京都の場合で言うと、そういう説明だけではごまかしきれない状況が次第に明らかになっていく。「夜の街」での感染リスクをメディアが大々的に報道した効果もあって、「夜の街」関連の陽性判明者数は頭打ちになったのに、全体の陽性判明者数は増え続けているからだ。
実は新型コロナの最大の問題は、個人差はあるにせよ、潜伏期間がかなり長いことにある。だからPCR検査で陽性が判明した人でも、その人がいつ感染したかはわからないのだ。新宿歌舞伎町の場合は検査スポットを設置して「夜の街」関連の人(とくにホストクラブの従業員)は無条件に検査した結果、無症状の人でも検査で引っかかるケースがかなりあった。が、そうした検査方法は日本では異例であって、「夜の街」以外では、無症状の人が検査を受けることはまずできない(政治家など特権階級の人は別らしい)。
いわゆる「専門家」と称する人たちは「8割おじさん」も含め、何の科学的根拠もないのに潜伏期間について「5~6日」とか「1週間くらい」とか、「10日ほど」などと、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の御託を並べ、それを民放テレビが面白おかしく伝えるため、日本に誤解が広がる一方になった。
感染拡大抑止政策の結果、いったんコロナを抑え込んだかに見えたニューヨーク市も、手綱を緩めた途端感染が再び拡大を始めたため、急遽PCR検査の体制を変えた。検査スポットを大幅に増やし、症状があろうとなかろうと、無料かつ無制限に市民が望めばPCR検査する体制を整えたのだ。しかも、検査スポットの場所までグーグル・マップで調べることができるようにもした。
私は7月初め、再び感染が全国的に拡大し始めたとき、厚労省の新型コロナ・コールセンターに電話して「全国100か所くらい、それも大都市・中小都市・地方と分け、さらにそれぞれ繁華街や駅近、住宅街と、いわばメディが行う世論調査方式のようにアトランダムに検査スポットを設置して、まず日本の感染状況を把握すべきだ」と提案した(そのことはすでにブログで書いた)。
確かに日本もほんの少しずつPCR検査数を増やしてはきた。ほんの少しだけど。全国ベースでみると、6月16日から30日までのPCR検査数は厚労省公表のデータが正しければ、合計で106,255件検査したが(1日平均7,083件)、7月に入ってからの厚労省が公表している検査数は21日までに172,481件(1日平均8,213件)と増やしてはきた。
実際、1日平均の検査数は6月16~30日に対して、7月に入ってからは1,130件増えている。その結果検査で陽性が判明した人の数をみると、6月は15日間で1,083人しか増えていないが(1日平均72人)、7月に入っては7,413人と急増している(1日平均353人)。
検証をもう少し続けよう。PCR検査数の増加に比例して陽性判明者も増えたのか否かを明確にしよう(つまり小池・西村説は正しかったのか。さらに西村説を根拠に「緊急事態宣言を再発令する状況にない」と記者会見で断言した安倍総理の判断は正しかったのかが、この検証作業で明確になる)。
こんな計算は小学生にでもできる。6月は1日あたり7,083件検査して、陽性が判明した人は72人。つまり陽性率は1.0%だ。ところが7月に入ってからの検査数は1日平均8,213件に増やしたが、もし陽性率が6月と同じ1.0%だったら陽性判明者数は82人までに収まっていなければおかしい。ところが実際には、7月の陽性判明者数は1日平均353人。どういうこっちゃ。なんと陽性率は6月の4.3倍に増えているではないか。
さらに、この計算は厚労省がPCR検査数を21日分までしか公表していないので(陽性判明者数は24日分の777人まで分かっているが)、PCR件数が不明のため21日までの陽性率しか計算できない。21日以降も陽性判明者数は激増しており、陽性率はさらに高くなっていると思われる。これ以上、この問題について書き続けると、恐れ多くも1国の首相、それも我が国の首相の頭の悪さを明らかにしてしまうことになるので、後は読者の判断にお任せする。私は決して安倍総理に対して「小学生から算数を教えてもらいなさい」などと失礼なことは書きたくないので。(25日)

【追記5】本稿最後の追記にする。次のブログ記事はすでに完成しており、いつでも公開可能な状態にあるが、厚労省の重大なデータミスを偶然、発見してしまい、その追及に集中していたため、なかなか更新する機会が来ないままに追記を重ねてきた。が、さすがに、この辺で終わらせないと、読者から「もう、いい加減にせい」と叱られそうなので、最近新聞やテレビを見ていてちょっと違和感というか、疑問に思うことがあったので、昨日(25日)、朝日新聞とNHKに対処を申し入れたことを、このブログ記事の締めとして書いておく。
 それは閲覧者の多くもたぶん疑問に思われていたと思うが、最近テレビでの西村康稔(やすとし)氏の露出度が異常なほど増えてきたことだ。その分かどうかは知らないが、これまで政権の顔として連日テレビに登場しない日がなかった菅官房長官の露出度が激減し、安倍総理に至っては7月に入ってからはテレビを避けまくっり、24日になってようやく記者会見場にほんの1,2分、顔を見せたかと思うと「緊急事態宣言を再発令するほどの状況にはない」とだけ言い残し、記者たちが質問する間もなくさっさと退場してしまった。
 これまで西村氏はポスト安倍候補としてメディアが話題にしたことはまったくなかったが、最近の西村氏の八面六臂の「活躍」ぶりを見ると、ひょっとしたらひょっとするかも、という気すらするほどだ、
 西村氏は東大法卒で通産省(当時)に入賞、在職中に米メリーランド大学大学院を修了(国際政治経済学を専攻)、2003年の総選挙に2度目の挑戦で当選し、現在6期目。09年9月の自民党総裁選にいきなり無派閥で出馬したが、谷垣氏に敗れて一時、冷や飯を食う。その後、いったん離れていた町村派に11年に復帰し、以降政権に急接近する。そうしたキャリアから見ても、なかなかのやり手であり野心家でもあることがうかがえよう。
 安倍政権下では、17年に内閣官房副長官に起用され、昨年9月の内閣改造では経済再生担当相、全世帯型社会保障改革担当相、内閣特命担当相(経済財政政策)の3大臣に任命され、さらに今年3月には新型コロナ対策担当相まで兼任するようになった。安倍総理にとっては各省の大臣職は自分に対する忠実度を基準にした論功行賞で任命した「お飾り」にすぎないようで、実質的には内閣府に西村氏のような担当相を任命して、重要な政策はすべて内閣府主導で決定する体制を構築したようだ。だから,Go To トラベルについても、記者会見には国交相の赤羽氏が姿を見せたが、裏ですべてを仕切っていたのは西村氏だったようで、もはや西村氏の力は菅官房長官を凌駕しているかに見えるほどだ。
 確かに、テレビで拝見する西村氏の印象は決して悪くない。安倍総理や菅官房長官と違って権力を誇示するような雰囲気はまったくないし、腰も低い。説明も一方的でなく、できるだけ国民目線で国民に直接語り掛けようとしているかにさえ見える。輝かしいキャリアも含めて、将来自民党を背負う逸材だろう。
 が、どうしても気になっていたことが一つある。それは彼が兼務する大臣というポストの問題だ。
 昨年9月に内閣府で担当することになった3つの担当大臣ポストについては、相互に矛盾することはいまのところ生じていない。安倍総理はしばしばメディアから「お友達人事」と揶揄されるが、西村氏がそれぞれ重要なポストを兼務することになったのは、安倍さんのお友達に、そういう重要ポストの任に堪えるだけの人材が欠落していたからだろうと、私は最大限、善意に解釈しているが、今年3月に新型コロナ対策担当相まで兼任するとなると、いくらなんでも荷が重すぎると言わざるを得ない。「荷が重すぎる」と書いたのは、西村氏の能力に比して、という意味ではない。
 言うまでもないが、昨年9月に任命された3つのポストは、10月1日から増税されることが決まっていた消費税増税で冷え込むとみられていた個人消費を、できるだけ短期間で回復させるための経済対策を担当する任に関連しており、3大臣を兼任することにそれほどの違和感は覚えなかった。
 が、新型コロナが日本を襲うことが避けられないことが明らかになった今年3月に新型コロナ対策担当相まで兼務するとなると、これはいくら何でもという感じをぬぐい切れない。
 新型コロナ対策担当相の使命は、コロナの感染拡大を抑止(「防止」ではない。「防止」など不可能だからだ)することにある。実際、安倍総理が4月7日、緊急事態宣言を発令したのも、感染拡大を抑止するための対策だった。が、その結果、社会経済活動が停滞することになった。つまり、その時点では社会経済活動を多少犠牲にしても感染拡大を抑え込むことが、国政の最優先事項と政府が判断したことを意味する。
つまり、西村氏は消費税増税による経済活動の停滞を再活性化する任にありながら、社会経済活動を犠牲にしてもコロナ感染拡大を抑止する政策を最優先しなければならない任も負ったことになる。
 実際、5月29日に、2日間だけ前倒しで緊急事態宣言を解除して以降、政府はこの間急速に冷え込んだ個人消費活動を再活性化するための対策を模索し始めた。その中で急浮上したのが Go To キャンペーンである。Co To キャンペーンの構想自体は、4月7日に緊急事態宣言を発令した時点で、当然予測された消費の冷え込みを、宣言解除後に回復すべく事業規模108兆円を投じて、旅行(トラベル)・外食(イート)・イベント(コンサートなど)など、緊急事態宣言によって深刻な打撃を受けるであろう業界の需要回復策としてすでに予算も計上されていた政策である。が、宣言を解除したからといって確実にコロナを抑え込んだとはいえず、キャンペーンも感染状況の推移を見たうえで、いったん8月上旬にスタートさせることにしていた。
 政府は宣言解除後の感染推移をみて、6月中はほぼ抑え込みに成功したような状況だったこともあって、Go To キャンペーンのうち、まず旅行(トラベル)を前倒しで7月22日にスタートさせることを決めた。が、その後、7月に入ってコロナ感染が再び急拡大し始め、とくに東京との拡大が急激だったこともあり、急遽キャンペーンから東京都を外すことにした。その付焼刃的対策によって生じている大混乱はあらゆるメディアで詳細に報道されているから、この稿では触れない。
 この稿で問題にしているのは西村氏が置かれた立場だ。氏のメディア露出度が急増したのは緊急事態宣言以降だったと思うが、それまでの肩書は「新型コロナ対策担当相」だった。が、Go To トラベルの話題が沸騰するのとほぼ同じ時期にコロナ感染の再拡大がだれの目にも明らかになるにしたがって、西村氏の立場が非常に微妙になる。 
 Go To トラベルは本来観光庁(国交省の外局)だが、実質的に西村氏が中心になって内閣府主導で進められてきた。そういう意味では二重行政の最たるものなのだが、同じことはコロナ対策についても言え、本来なら厚労省の管轄なのに、加藤大臣の出番はほとんどなく、内閣府に設置された分科会(専門家会議に経済学者を加えただけ)にも厚労省は袖にされ、内閣府の西村経済再生担当相が事実上仕切ってきた。これまた二重行政だ。
 で、困った事態が生じた。コロナ感染対策と社会経済活動再開を同時に進めざるを得ない状況に西村氏が追い込まれてしまったのだ。で、政府としてはメディアに登場する役割分担をすることにしたようだ。それまでGo To トラベルについて、それまで一度もメディアに登場しなかった赤羽国交相が急にメディアに登場するようになったのだ。
実際には、Go To トラベルの事業実務を行っているのは観光庁であり、そういう意味ではGo To トラベルについてメディアに説明するのは観光庁の蒲生長官であるべきなのだが、観光庁の頭越しに内閣府主導で進められてきたことに反発したのか、蒲生氏がメディアに登場することを拒否したのではないだろうか。そのため、やむを得ず赤羽氏が貧乏くじを引かされたのではないかと、私はゲスの勘繰りをしている。
 一方、西村氏はどうかというと、依然としてメディア露出度は政治家でナンバー1だが、いま記者会見で話すことは新型コロナ感染対策だけ。ということは、経済再生担当相としてではなく、新型コロナ対策担当相として発言しているのだが、メディアはいまでも経済再生担当相という肩書で西村氏を紹介している。誰が考えてもおかしな話なので、とりあえずNHKと朝日新聞には西村氏の発言内容によって肩書も変えるべきだとは申し上げておいた。ただ単なる肩書問題だけでなく、前にもブログで書いたが、西村康稔という一人の人間が、コロナ感染抑止と社会経済活動の活性化という、相反する政策課題にはたして取り組めるのか、という疑問が当然、生じる。そもそもメディアが、西村氏が記者会見でコロナ感染抑止策について発言しているときも、一様に「経済再生担当相」という肩書で紹介しているのは、西村氏が負っている相反する任務の矛盾が分かっていないからではないか。
 確か小池都知事がコロナ感染対策と経済活性化を同時に進めようとするのは「冷房と暖房をを同時にかけるような事態にどう対応していけばいいのか」と批判したが、西村氏の仕事はいわば「一人シーソー」のようなものだと私は書いてきた。
 感染抑止に重点を置けば社会経済活動が停滞するのは当たり前で、逆に社会経済活動の活性化に力点を移せば(ということは感染抑止の手綱を緩めることを意味する)コロナウイルスが再び猛威を振るいだす。私は結果論で言ってるのではなく、単純な論理的結論として言っている。現に、アメリカでも韓国でも、感染抑止効果が顕著になって、経済対策に舵を切り替えた途端、「待ってました」とばかりにコロナが息を吹き返した。
 政府は感染対策と経済対策を両立させると主張しているが、そんなことは絶対不可能だ。私が西村氏の立場を「一人シーソー」と名付けたのは、壊滅まで至らなくても、いちおう国民がある程度安心できる状態まで感染抑止することに成功したら、感染状況の推移を常に目配りしながら少しずつ力点を経済活動活性に移していく。それで感染がぶり返しだすようだったら、再び感染抑止に舵を切り替える。そういうきめ細かい対策が、この新型コロナに対応するためには必要だからだ。新型コロナ対策はそれほど、厄介な問題なのだ。
 が、コロナ感染拡大の推移は全国一律ではないから、具体的対策は各自治体に全権を委任し、国は大まかな方針だけに絞った方がいい。たとえば大阪府の西村知事が大阪と兵庫との行き来をストップするような、ある意味では人権にかかわるような方針を打ち出したことがあるが、そのくらい新型コロナとの闘いは壮絶なものになる覚悟が我々国民に課せられていると私は思っている。
 状況は刻一刻変化しており、そうした事態への細かな対応力は、国にはない。また都道府県単位の自治体でも十分には対応しきれないことも生じる。そうした場合は、市区町村単位にまで権限を随時移して対策を講じることが必要だ。
 私自身が感じるのは、私の生活圏で状況がどうなっているかの情報がまったくないことだ。市町村単位で状況がネットで確認できれば、安心して出かけられるところと、あそこに行くのは危険だということが分かるだけでも生活圏が広がり、結果的に経済活動の再生にも結び付く。差別につながりかねないリスクはあるが、こういう時こそ民主主義の成熟度が試される。どのみち、リスク0には絶対ならないのだから。(26日)





なお昨日、13日付でアップしたブログに「追記」した記事もこのブログに追加で貼り付けておく。すでにお読みいただいた方にはご容赦願う。
                                           16日、コロナ感染者の判明数が急増した。全国ベースで622人。14,15日と200人台をいったん割っていた東京での感染判明者数が最多の286人に大幅アップし、神奈川も緊急事態宣言解除後最多の43人に上った。私が「判明数」をアンダーラインを引いて強調したのは、それなりの理由がある。最近TVメディアの中でもようやく「確認された感染者」と表示するところも出てきたが、まだアナウンサーやコメンテーターの中には「感染者が何人」などと発言する人がいて、国民の多くはまだ「今日の感染者は何人」と誤解している人が少なくないようだからだ。東京都の小池都知事も7月に入って「感染者数」が急増し始めたとき、「PCR検査数を増やしたため」と、ノー天気な説明を記者会見でしたが、その説明の間違いを指摘した記者が一人もいなかったことにも、誤解がいまだに解消していない原因がある。実際にはPCR検査で陽性反応が出た人はほぼ全員、検査当日以前にすでに感染しており、たまたま検査を受けた日に感染していることが判明したに過ぎないのだ。
 新型コロナの感染状況を正確に判断するためには、「陽性率」(この言葉が使われるようになる前は、私は「感染者率」と表記していた)を分析しなければならない。「陽性率」は、PCR検査数を分母、PCR検査で感染が判明した人(陽性者)を分子にして百分率を計算した数値で、現時点の感染状況が手に取るようにわかる。
 検査とその結果のデータは、保健所から各自治体(市町村→都道府県)に上がり、厚労省が最終的に全国のデータを集計している。が、各都道府県からデータが上がってくる時間がまちまちなため、厚労省が表にまとめて公表するのは翌日午前0時である。メディアはそれを待っていられないから、各都道府県に直接問い合わせているようだ。ただ、都道府県でもデータの集計時間はまちまちだから、すべてを一斉に報道はできない。東京都の場合は比較的早く結果が判明し、午後2時過ぎにはその日のデータがわかる。問題は各自治体からデータを集める記者たちが「陽性率」のことを理解していないため、「感染者数」(実際にはその日、感染=陽性が判明した人数)だけしか本社報道部門に報告しない。また、本社報道部門も、「陽性率」の意味を理解している人がいないせいか、「PCR検査件数は?」と記者に問わない。そのため、メディアは相変わらず「感染者数」しか報道せず、肝心の陽性率を計算するために必要なPCR検査件数をキャッチせず報道もしない。国民の間に誤解が蔓延したままなのはメディアと政治家の無知のせいだ。
  ※ ちょっとここでぶっちゃけ話をする。実はこの「追記」を書き始めたのは16日の午後5時過ぎ。書いていて、全国の感染データをどういう流れでメディアは入手しているのかが気になった。というのは厚労省のホームページで調べると、最新の感染データは15日だった。2週間分のデータの表が掲載されているが、とっくに東京や横浜の今日(16日)の感染判明者数が明らかになっているのに、厚労省が公表しているデータ昨は昨日15日)のものであることに疑問が生じたのである。で、6時ころ、厚労省コールセンターに電話をして初めて先に書いたような方法でメディアは各都道府県から情報を入手して流していることが分かったというわけだ。なぜそんなぶっちゃけ話をしたかというと、メディアの情報入手のいい加減さを明らかにしておきたかったからである。
その後、NHKの「ニュース7」を見たら、陽性率の重要性を熱心に説明していた。とくに新宿の国際医療研究センターに4月に設置されたPCR検査スポットで検査を受けた人の陽性率が、5月までは5%前後だったのが、6月18%、7月に入って33%と急上昇しているというのだ。このNHKのニュースを見ていて、感染状況を正確に把握するためには陽性率を重視する必要があることが、この説明で視聴者に正確に理解できただろうか、という疑問がふと生じた。実は私が前日、陽性率の重要性をNHKに伝えたのだが、そしてこの稿でもNHKと同じような説明したのだが、その説明では不十分だということに気が付いた。で、改めてわかりやすい説明をする。
新宿のPCR検査スポットで検査した人の陽性率が高くなるのは、ある意味当たり前で、その陽性率をそのまま東京都全体に当てはめるのは間違いである。で、厚労省が公表している最新15日のデータで東京都の平均陽性率を計算してみた。
  《165(感染が判明した人数)÷4077(PCR検査件数)×100=4%》
  今日(16日)の検査件数も15日と同じだとすると、今日の陽性率は
  《286(感染が判明した人数)÷4077(PCR検査件数)×100=7%》
  たった1日で感染者がこれほど急増することは考えにくいから、13日にアップした記事で計算した7月1~8日の平均陽性率4.4%を、いちおう東京都民の平均陽性率とすると、東京都民1400万人の隠れ感染者数は
  《14000000×0.044-8354(これまでに感染が判明した総数)=607646》
  驚くなかれ、計算上は東京に現在60万人以上の隠れ感染者がいるということになる。東京といっても都市部と地方部では感染リスクもかなり違うし、PCR検査を受ける人も都市部の住民が圧倒的に多いから、この計算方法が一概に東京の感染状況を正確に表しているわけではないが、たとえ実際の隠れ感染者数が10分の1だとしても6万人の隠れ感染者がいることになる。実際、そのくらいは隠れ感染者が潜んでいるのではないかと私は思う。陽性率が重要だという意味が、これでお分かりになったと思う。ただ、問題を感じたのはテレビに登場する感染症の専門家が、「感染者が増えた」と発言していたことだ。新型コロナが出現するまで、感染症研究者はインフルエンザのように、感染即発祥という思い込みが脳裏に刻み込まれてしまっているのではないかという気がする。
  同様に、すでに書いたが、厚労省が確認している感染経路は「飛沫感染」と「接触感染」だけだが、「接触感染」の意味が十分理解されていないようだ。新型コロナは「皮膚感染」はしないから、肌と肌が接触したとしてもウイルスが皮膚を通り抜けて体内に入り込むことはない。リスクが大きいのはウイルスが付着した手で目や鼻、口をこすったりすることで、その場合はウイルスが侵入する可能性が高くなるというのが「接触感染」の意味なのだ。だから、これもすでに書いたが、ソーシャル・ディスタンスを取る意味はまったくない。人混みの中では必ずマスクを着用することと、手洗いは裏表とも丹念に行う習慣をつけることが重要だ。
  サージカルマスクや不織布のマスクは粒子状のウイルスを防げないと、バカげた研究「成果」を発表して得意になっている研究者もいるようだが、歩道を歩いていても車が突っ込んでくる可能性はあるわけで、「マスクではウイルスを防げない」は、歩道を歩くのと同じ程度のリスクでしかない。かえって人々の不安感を募るだけで、何のメリットもない。

さて、昨日(16日)急変したことがある。Go To キャンペーンから東京発着の観光旅行を外すというのだ。Go To キャンペーンはコロナ禍でインバウンド客も国内の観光客も激減し、窮地に追い込まれている観光地のホテル・旅館などの観光関連業界を経済再生の足掛かりにすべく1兆3500億円の巨費を投じての観光支援事業である。もともとは8月に入ってからスタートする予定だったが、7月10日、赤羽国土交通層が突然記者会見で7月22日に前倒しスタートすると発表、メディアも含めて大論争になった。
というのも、緊急事態宣言解除後、いったん沈静化に成功しつつあるかに見えたコロナ対策だが、7月に入って繁華街の「夜の街」を中心にクラスターが随所で発生し、とくに東京の感染判明者が急増するなど、いわゆる「第2波」が懸念されだした中でのキャンペーン前倒しだったから、私もブログで「ばかげている」と糾弾したくらいだ。さすがに小池都知事も「(キャンペーン前倒しは)ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもの」と不快感を示していた。
とくに今週(13日以降)に入ってからコロナ感染は全国的に拡大傾向に入ったことが明らかになり、地方の知事たちから「再考」を促す声が急速に高まりだした。政府が観光事業を経済再生の足掛かりにしたいと考える気持ちは私にも理解できないわけではない。
少子高齢化が進み、生産人口(あるいは労働人口)の減少に歯止めがかからない状況の中、昨年まで日本の経済再生の柱になりつつあったインバウンド効果が、このコロナ禍で一気にしぼんでしまった。とくに客層がほとんど外国人の観光客に占められるようになったホテル・旅館も少なくなく、老舗旅館も閉館に追い込まれるところが続出し、コロナ禍が過ぎ去るまで、何とかインバウンドの受け皿を維持しておきたいと考えるのは自然ではある。
だが、コロナ禍が7月に入ってぶり返しだした時期に、なぜコロナに手を貸すようなキャンペーンの前倒しに踏み切ったのか、私は理解に苦しむ。むしろ、この時期は、何とか予定通り8月にキャンペーンを開始して経済再生の足掛かりにできるよう、緊急事態宣言を再発令して7月中にコロナを可能な限り抑え込むという政策をとるべきだったのではなかったか。
しかも、日本は中国のように情報統制ができる国ではない。敢えてキャンペーンの実施から東京を外してまで前倒しに踏み切るということは、当然世界中が知ることになる。つまり「東京は日本で最も危険な都市だ」というイメージが世界中に拡散しかねない。それが、どういう影響を生じるか。いうまでもなく、まだかすかに開催の可能性が残っている東京オリンピックにとって、昨年の19号台風のような逆風として襲ってくることを意味する。
はっきり断言する。東京外しのGo To キャンペーンを本当に7月22日からスタートさせるということは、東京オリンピックに「死」を宣告することを意味する。そういうことを意味する結果になることが、政府には分からなかったのか。
だとすれば、もはや現政府は死に体状態になっていると言わざるを得ない。小池都知事の「アクセルを踏みながらブレーキをかける」は、まさに言いえて妙だ。実際に自動車でアクセルとブレーキを同時に踏み続けたら自動車はどういう状態になるか、私は試したことがないのでわからないが、無事ではすまないような気がする。私は小池都政は評価していないが、この表現の小気味よさは評価したい。 
私は7月1日に書いたブログで「政府は二兎を追おうとしている」と批判したが、まさにそういう政策の結果が今日のコロナ感染拡大を招いたことにまだ気が付かないのか。それとも、あえて目をそらしているのか…。(17日)    
        

安倍政権は風前の灯火か? コロナ感染が拡大しつつあることを証明した。 小池・西村はどうする?

2020-07-13 01:32:12 | Weblog
 解散風が吹いているのか、それともそよとも吹いていないのにあたかも「解散近いぞ」と野党を揺さぶっているのか、政治の世界は一寸先が闇と言われるから、絶対に解散がないとは言い切れない。
 確かに解散と各省庁の大臣・長官任命は総理の専権事項とされているが、国会開催中の解散は内閣不信任案が国会で可決された場合だけだから もっとも早いケースとして考えられるのは臨時国会開会冒頭(9月)か、臨時国会終了後(11月)ということになる。いずれにしても自民党にとって猛烈な逆風が吹いている中では、安倍さんとしても解散に打って出るほど馬鹿ではあるまい。
 ただ、17年9月にはモリカケ問題で内閣支持率が急落していた中で安倍総理は解散に打って出たことがある。現在と同様、野党がまとまっていないという状況はあったが、安倍さんにとってタナボタ的な神風が吹いたからでもある。その神風とは北朝鮮が8月29日に事前予告なしに北海道・襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射したことで、安倍さんはこれ幸いと「国難突破解散」に打って出て成功したことがあったのだが、そうたびたび神風が吹いてくれるわけではない。
 
 少なくともいま安倍政権は大きな爆弾を二つ(あるいは三つか四つ)抱えている。
 まず最大の爆弾は言うまでもなく河合克行・杏里夫婦の公職選挙法違反裁判(買収事件)である。現時点で判明している買収地方議員や後援会役員は100人とされている(返金した議員も含む)。買収金額は克行が2730万円、杏里が170万円で、計2900万円が明らかになっている。そのほかウグイス嬢への違法報酬や、選挙の応援に来てくれた山口の人の秘書3人に対する謝礼、選挙カーやポスター、戸別配布のチラシなどの選挙運動費用が約2500万円かかったとされている。それだけでも約5400万円もかけての「大名選挙」だったが、自民党本部から支給された選挙費用は1億5000万円(内訳は政党助成金すなわち税金が1億2000万円、党費からの支出が3000万円)というから、1億円近い大金が「使途不明」だ。この「使途不明金」について当初、二階幹事長は「党勢拡大のためのチラシを大量に配布した」と記者たちに語っていたが、のちに前言を翻して「渡した金がどう使われたかは関知していない」と逃げた。言っておくが、チラシやポスター類の費用は約2500万円の選挙費用に含まれている。もし、「使途不明金」約1億円が山口の人にキックバックされていたとしたら、戦後最大の政治家公金横領事件になる。検察は、この「使途不明金」の行方を徹底的に追求してもらいたい。
 次の爆弾は森友学園問題で自殺した近畿財務局職員の赤木俊夫氏の妻・雅子さんが国と元理財局長の佐川氏を告訴した裁判が7月15日から始まることだ。
 この事件も山口の人の奥さんが異常に肩入れしたケースである。塚本幼稚園を経営していた森友学園(籠池理事長)が、「瑞穂の國記念小學院」を設立すべく、2013年に大阪航空局が管理していた国有地の払い下げを近畿財務局に申し入れた。この土地は11年に民間に払い下げることが決まり、買い手として大阪音楽大学が約7億円で入札したが、最低予定額の9億円に満たず破談になった経緯がある。籠池氏と山口の人の奥さんがどういう関係かは明らかでないが、小学校設立時には奥さんが名誉理事長に就任することになっていたという。売買契約に至る過程をこのブログで詳細に書くことはあまり意味がないので省略するが、本省の財務省との交渉に奥さんのおつきをしていた女性公務員が動いて、最終的にごみ処理などにかなりの費用がかかるという名目で大幅に値下げされ、16年6月に1憶3400万円という破格の値段で国と学園の間で売買契約が結ばれることになった。
 この払い下げが不自然だということで朝日新聞がスクープ、国会でも大問題になった。その結果、17年2月17日の衆院予算委員会で野党から追及を受けた山口の人が「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員もやめる」と爆弾発言し、その時点から財務省の「忖度作業」が始まった。具体的には財務省本省や近畿理財局と学園との交渉過程の記録文書の改ざんである。そして改ざんを命じたのが当時理財局長だった佐川氏であり、その「功績」が認められてか国税庁長官に昇進したが、国会で「記録文書はない」などと虚偽の答弁をしたことが明らかになり辞職した。なお、この問題を朝日より先行して取材していたNHKの相澤氏が突然記者職から外され、退職したのちも事件の真相を追及し、自殺した赤木氏の妻・雅子さんから赤木氏の手記を入手、週刊文春でスクープ記事を書いている。相澤氏が朝日に情報提供したかどうかは不明だが、メディアの世界では上からの圧力でスクープ報道を葬られた場合、親しい同業者に情報を提供して憂さ晴らしをするといったことはしばしばある。メディアは腐っても、腐らないジャーナリストは間違いなくいる。
 それはともかく、雅子さんは多くの市民の応援もあり、とうとう今年3月、国と佐川氏を相手取って訴訟に踏み切った。公判は当初、5月に予定されていたが、コロナ禍問題もあって延期になり、7月15日に初公判が大阪地裁で行われることになった。被告席に座らされることになった佐川氏の現在は不明だが、もし山口の人から「トカゲの尻尾切り」の目にあわされていたとしたら、公判で爆弾証言をするかもしれない。当然メディアは退職後の佐川氏のその後を追っているはずで、山口の人も見え透いた「論功行賞」を用意することはさすがにできないだろうと思うが…。
 あとの二つは黒川麻雀事件と菅原前経産相の寄付問題。両事件とも検察は不起訴にしたが、理由が常識からはるかに遠い。黒川氏の場合は、市民団体が賭博法違反と常習賭博で立件するよう求めたが、東京地検特捜部は「賭けレートが高額とは言えない」「常習とも言えない」と判断した。菅原氏の場合も後援会の主だった人や支援者の葬儀の際、議員本人以外の代理人が常習的に香典などを持参していたことは明らかに公職選挙法で禁じられている寄付行為にあたるが、これも東京地検特捜部は不起訴にした。言っておくが、警察官や検察官、議員などの公職者の違法行為に対する処罰は、一般人と同じ基準ではない。同じ犯罪でも警察官や検察官、議員の場合は量刑もはるかに重い。そういう責任ある立場の特別公務員だからだ。たとえば贈収賄の場合も、一般人なら大目に見られるケースでも、公務員の場合は確実に罪に問われる。東京地検特捜部も、身内にはやはり甘いのか。
 この稿では横道にそれすぎるので詳述はしないが、民主主義の重要な基本とされている「三権分立制度」はもう賞味期限切れになっていると思う。トランプ大統領が自身の大統領選挙で選挙顧問だったロジャー・ストーン氏が、ロシアの選挙介入疑惑に関して偽証した罪に問われて禁固3年4か月の判決を受けて7月14日に収監される予定だったのを、大統領特権を使って刑を免除してしまった。トランプは11月の大統領選での勝利を諦め、自分のために尽くしてくれたストーンに、今のうちに借りを返しておこうと考えたのかもしれないが(※まさかトランプが再選のためにストーンが必要だと考えたわけではあるまい)、図らずもアメリカが「三権分立」の国ではないことが明白になった。そういう意味では私たち日本人が民主主義の「三種の神器」のように考えている「三権分立」は、本当に民主主義の根幹をなす制度なのかを改めて考え直す、いいきっかけになったかもしれない。
 結論だけこの稿で述べておくが、私は「六権分立」を民主主義制度の根幹にすべきだと考えている。六権とは以下の六つである。

①  立法権(国会)
②  行政権(政府および省庁)
③  司法権(裁判所)
④  捜査・逮捕権(検察・警察)
⑤  金融政策権(中央銀行=日銀)
⑥  公共放送権(NHK)

 日本の場合、行政機関のトップである政府(内閣)が力を持ちすぎている。立法府である国会の長は議長なのだが、議長に立法権はない。給料が高いだけだ。国会で選出される総理大臣は、実は国会では1議員としての権利しかない。国会で選出される総理大臣は実は行政の長なのだ。トランプが裁判で有罪判決が確定した犯罪者を大統領特権で刑を免除したりできるのと同様、日本では国会では1議員の資格しかない総理大臣が大きな権限を持っているのは行政の長だからだ。そこで問題が生じる。たとえばこの稿でも書いた黒川氏を検事総長に就けるために検察庁法を改定しようとしたり、アベノミクスを成功させるために日銀の金融政策を左右したり、NHKを政府べったりの放送局にしたりできるのも、行政権を一手に握っているからだ。
日本の国民が一番勘違いしているのは、政府(内閣)が国会の最高機関であり、内閣総理大臣が国会の最高権力者だと思い込んでいることだ。アメリカの大統領特権のように、日本にも総理大臣特権はあるが、厳密には衆議院の解散権と内閣の組閣権だけである。大臣が問題を起こすたびに、野党は総理の任命責任を追及するのはそのためだ。
 問題は、衆議院の解散が総理の専権事項になっていることだ。国会が選ぶ総理大臣は行政府のトップであり、だから正式名は「内閣総理大臣」なのだ。国会のトップは名目上だけになっているが、実は衆議院議長と参議院議長なのだ。そういう意味では衆議院の解散権は総理大臣ではなく、衆議院議長が持つべきなのだ。私は知らないが、そういう国もあるのではないだろうか。「六権分立論」については改めて書く。

 さて、もう一つの問題がある。言うまでもなくコロナ禍問題だ。私たちの世代では経験したことがない世界中を恐怖に陥れているパンデミック(大流行)だ。私がコロナ問題について初めてブログで発信したのは3月26日。この時点(25日)で日本の感染者数はわずか1,193人。当時トップだった中国が81,216人。2位イタリアが69,176人。3位アメリカが52,384人。(※数字はいずれも累計) いまアメリカに次ぐ2位のブラジルはランキングにさえ入っていなかった。ところが25日の夜、小池都知事が緊急記者会見を開き強い危機感を表明した。
「オーバーシュートが懸念される重要な局面だ。平日は職種にもよるが、仕事はできるだけ自宅で、夜間の外出も控えてほしい。また今週末は不要不急の外出は控えてほしい」「いわゆるロックダウン(都市封鎖)などの強力な措置を取らざるを得ない状況も出てくる可能性もある」と。
 念を押すが、この小池発言は3月25日だ。当時よりはるかに感染が拡大している今日、なんと楽観的な発言を繰り返していることか。なお、この時期、数字だけ見れば、日本がそれほど危機的状況にあるとは到底思えない。で、この稿の終わりに、この疑念を書いた。
「刑事裁判においては『疑わしきは罰せず』が原則であることは私も否定しないが、コロナ感染については『疑わしきは即検査』を原則にすべきだ。が、なぜか日本では検査を受けるためのハードルが極めて高く、実は隠れ感染者が相当数いるのではないかと私は疑っていた。小池氏の記者会見での懸念が見事に当たるようだと、今後の検査のハードルが下がることを意味するのかもしれない。そうなれば隠れ感染者が爆発的に表面化する可能性も考えられよう」と。7月以降の状況は、このとき私が抱いた疑念を証明している。

 緊急事態宣言が発令された直後の4月9日にコロナ問題の第2弾『いまなぜ「緊急事態宣言」――敢えて問う「これだけの疑問」』をアップした。その冒頭で私はこう書いた。
「昨日(8日)国内の新型コロナ感染者数が509人と初めて500人を上回り、累計感染者数も5000人の大台に乗った。だが、この数字を鵜呑みにしてはいけない。PCR検査のハードルが高く(後略)」
 実はこの当時、厚労省は感染者数は公表していたが、PCR検査数は公表していなかった。実際メディアが感染者数だけでなく検査数も明かにするようになったのは6月半ば以降である。現時点でメディアが明らかにしたPCR検査数は4月16日の約900件が初めてだと思う。
 前回のブログ『コロナ感染対策と社会経済活動再開は両立しうるのか?』(7月1日)で、私はようやく入手した厚労省のデータを根拠に日本の感染状況を分析してみた。その結果についてこう書いた。
「実は一番問題視すべきなのは、感染者数の推移ではなく(それはそれで重要な指標ではあるが)、PCR検査数に占める陽性反応者の比率である。たとえば感染者数が倍になったとしても、PCR検査数も2倍に増えていれば感染状態に変化はないと考えるのが統計学の基本的な考え方である。ということは感染者数が2倍になってもPCR検査数は4倍に増やしていたら、感染者数は増えてはいるが感染状態はむしろ良化しているということになる。ただし、この統計手法が有効である条件はPCR検査の基準が一定であることで、検査のハードルを緩めると陽性反応者が占める割合は当然低下するから(ただしハードルを緩めすぎると無症状の感染者が引っかかるから陽性反応率が上がる可能性もある)、その相関関係も考慮に入れる必要はある。なお、ノーベル賞学者の本庶・京大特別教授によれば、無症状感染者(隠れ感染者)は公表感染者数の5倍はいるのではないかという。また世界最大の感染国アメリカでは「隠れ感染者」が2000万人いるという推計もある」
「それはともかく、メディアは感染者数だけでなく、PCR検査の実施数も併せて報道すべきだ。そうでないと、単純に感染者数の増減だけで日本の感染状況を判断してしまうという愚を犯すことになる。なお厚労省によれば、現在のPCR検査体制は2万9,767件分あり、検査実施数は日によって異なるが大体4,000件前後である。ということはまだ2万5000件以上の余力があることになり、「宝の持ち腐れ」とはこういう状態のことを言う。東京は大阪、神奈川なども、軽症者用に確保しているホテルの空室率も8割前後あるようで、重症化する前に軽症者を早くPCR検査で見つけてホテルに隔離し、感染の拡大を防ぐというのが「早期発見早期治療」という医療の原則ではないか」

 ところが、このブログをアップした途端、皮肉なことに感染者数が急増し始めた。特に東京の場合、6月30日までは毎日新たにPCR検査で感染が確認された人は50人台でとどまっていたが、7月に入ってから急増し始めた。7月1日から12日までの感染者数はこうだ(カッコ内はPCR検査数 ※は陽性率=PCR検査を受けた人で感染が確認された人の割合 小池都知事や西村経済再生相がいかに嘘つきか、それともバカなのかが一目瞭然となる)
 1日  67人(1,842) ※3.6%
 2日 107人(2,603) ※4.1%
 3日 124人(2,735) ※4.5%
 4日 131人(未公表)
 5日 111人(未公表)
 6日 102人(4,971) ※※6.9%
 7日 106人(2,082) ※5.1%
 8日  75人(3,186) ※2.3%
 9日 224人(47,050) ※0.47%
10日 243人(未集計)
11日 206人(未公表)
12日 206人(未公表)
 4,5日及び11,12日は土日にあたり、厚労省はPCR検査数の集計はしていないようだ。そのため6日の月曜日の検査数に土日分も含まれており、したがって※※のパーセンテージは4~6日の3日分の陽性率になる。また9日の検査数が異常に多い。東京都の検査能力をはるかに超えているはずなのだが、実は厚労省が公表している感染者数とPCR検査数の数字は47都道府県別と全国の合計が記載されており、私が丹念に電卓をたたいたところ計算上はぴったり合う。この計算がぴったり合っている以上、厚労省の職員が9日の東京都のPCR検査数のデータだけを誤入力したとは考えられない。
   ※9日のデータは厚労省担当者の誤入力であることを厚労省が認めた(14日)。ミスに気   付いた担当者は翌10日のPCR検査数を―35,695件として修正した。つまり9日の実検査   数は≪47,050‐35,695=11,355件≫ということになるが、それでも多すぎる。11日以降の   実検査数はまだ公表されていないため、再修正するかもしれない(14日11:35)。
 さて、7月9日から感染者数が急増したことについて、小池都知事や西村経済再生担当相は、接待を伴う「夜の街」でクラスター(集団感染)が発生したため、PCR検査数を増やしたと理由説明(?)をしている。本当に正しい分析と言えるのだろうか。これはカイロ大学の卒業証書のねつ造(かどうかは不明だが)のように逃げるわけにはいかない。
 私の手元にある厚労省のホームページからプリントした表によれば、厚労省がPCR検査数を土日を除いて毎日集計するようになったのは6月18日からと思われる。というのは16日までのPCR検査数は毎日0になっており、17日に一気にそれまでの検査累計44,761件が記載されているからだ。で、18日から30日までの陽性率を計算してみた。その結果はこうだった。
 18日(2.1%) 19日(2.0%)   22日(2.9%) 23日(1.9%) 
 24日(2.6%) 25日(2.6%) 26日(2.9%)   29日(3.5%)
 30日(2.4%)
 6月の毎日の陽性率は29日の3.5%を除いてほぼ平均している。だが、7月に入った途端陽性率が爆発的に増大しており、しかも陽性率のばらつきが激しい。小池都知事が接待を伴う「夜の街」で発生したクラスターのためにホストクラブなどの従業員を集中的に検査するように指示したのは感染確認者が200人の大台を超えた9日からであって、実は100人を超えるようになった7月2日からすでに陽性率は危険水域に入っていたのだ。なぜか。東京の感染状態がどうなっているかを見極めずに、都知事選で自民党の支援を得るために前倒しで「東京アラート」を解除した結果、それまで「コロナ冬眠」状態を強いられて我慢していた若者たちが「もう大丈夫だ」と通常生活に戻ってしまったことが原因としか考えられない。が、小池氏は「PCR検査数を増やせば感染者数も増えるのは当然」とうそぶくだけ。そのこと自体はまったくの間違いとは言えないが、それだけでは説明がつかないことが私の分析で明らかになった。7月に入ってから8日までの平均陽性率は4.4%になる。つまり6月のほぼ倍に増えたのだ。
 本来、統計学上の常識に従えば、PCR検査数を増やせば確かに感染者数も増えるのだが、陽性率は下がるはずだ。なのに、東京都の場合、検査数を増やした結果、感染者数が増えただけでなく、陽性率も上昇するという、統計学理論上はありえない結果が生じた。このことは何を意味するか。本格的な感染拡大期に入ったと考えざるを得ないのだ。
 私は7月1日のブログで、これほどの状態になるとまでは予測していなかったが、感染対策と社会経済活動の再活性化の両立は難しい、「二兎を追うもの一兎をも得ず」の結果になりかねないと警鐘を鳴らしたのだが、想定以上のスピードで感染拡大が進んでいると見なければならない。そんなときに経済活性化のための「GoToキャンペーン」を前倒しして7月22日からスタートさせるなどとはとんでもない話だ。感染拡大にますます拍車をかけるだけの結果になることだけは断言しておく。
 なお首都圏では感染者数もPCR検査数も東京都がダントツなのは当然だが、心配なのは神奈川県だ。東京都のように七面倒くさい日別計算はしないが、累計感染者数と累計PCR検査数及び陽性率だけ書いておくと、
 埼玉  1,352人(42,105件) 3.2%
 千葉  1,062人(19,698件) 5.4%
 神奈川 1,653人(13,698件) 11.9%
要するに神奈川県は東京都以上に危機的状況にあるということだ。人口比で埼玉並みにPCR検査を実施したら、神奈川県の感染者数は爆発的な数字になるだろう。

 もうかなり疲れたが、最後にちょっとだけ書いておかなければならないことがある。一つは感染者数についてだが、厚労省が発表する数字はその日のPCR検査で陽性であることが確認された人の総数で、その日に感染した人の数ではない。実際には数日前に感染しており、何らかの症状が出てPCR検査を受け感染していることが判明した人の総数である。またクラスターが生じた場所で濃厚接触があった人が、無症状であってもPCR検査で感染していたことが判明するのもそのためだ。

 最後に感染経路について、これまた誤解が生じやすいので説明しておきたい。厚労省では感染経路について、これまで「飛沫感染」と「接触感染」だけを認定している。「飛沫感染」は感染者が咳(せき)やくしゃみなどをした時に飛び散る飛沫に含まれているウイルスが鼻や口から侵入するケースである。普通に話をしていても、目に見えない飛沫が飛び散っており、だからマスクの着用が欠かせないということだ。
「接触感染」は皮膚からの感染を意味しているのではない。人は皮膚呼吸をしていないというのは現代科学の知見であり、だから前回のブログでも書いたが「健康な皮膚」にはウイルスは侵入できない。ただし傷があったら傷口から侵入する可能性はあり、また皮膚病の方はそこから感染する可能性もある。そもそもコロナウイルスの大きさは国立感染症研究所によれば100nm(ナノメートル)ほどで、80~120nmのインフルエンザウイルスとほぼ同じ大きさだ。そんな小さなウイルスが健康な皮膚から侵入することは考えられず、「接触感染」が生じるのはウイルスが手について状態で鼻や口をこすったりしたときに感染するリスクが高くなるという意味だ。スーパーなどで出入り口に消毒液のボトルが置いてあるが、見ているとほとんどの人は手のひらだけ消毒している。鼻や口をこするのは手の甲側の指が多いので、消毒するときは手のひらだけでなく甲の方も丹念に消毒するようにしてほしい。だから握手したりハグしたりすることは何のリスクもなく、ソーシャルディスタンスも意味がない。要するに感染リスクについてはインフルエンザと同じ程度と考えておけばよい。ただ感染した場合のダメージはインフルエンザの比ではない。
 最後にWHOが、海外の感染症学者の提言を受け入れて第3の経路として「空気感染」を認めたが、咳やくしゃみをしたり大声で叫んだりしたときに飛び散る飛沫は、スーパーコンピュータの「富岳」を使ってのシミュレーションで明らかになったように、当然のことだがウイルスを大量に含んだ飛沫はサイズも大きく重いので、そう遠くまでは飛ばないが、小さな飛沫は風にのったりしてかなり飛散する。欧米人は日本や中国、韓国などアジア人と違ってマスク嫌いが多いため、マスクをかけていない場合、ある程度のソーシャルディスタンスを確保していないと、空気中のウイルスを含んだ小さな飛沫を吸い込んでしまうリスクがあるという意味だ。だから今のところ厚労省は日本では「空気感染」のリスクを感染経路に含めていない。

 ここまで書いたら、ついでに行政の問題点についても指摘しておきたくなった。まず日本ではコロナ対策も社会経済活動対策も二重行政になっていることだ。コロナ対策は本来厚労省が担当すべき所管だ。加藤厚労相は厚生行政には弱いらしいが、それなら副大臣に医療行政に詳しい人を任命して、その副大臣のもとにコロナ対策本部を設置すべきだ。安倍さんは何でも自分が親分の座に就きたいのかもしれないが、内閣府に自分が本部長になってコロナ対策本部を作り、西村氏を担当相に任命したりするから、厚労省はやりにくくて仕方がないだろうと思う。経済再生も何のために内閣府に経済再生担当相として西村氏を任命したのか。経産省には任せられないというなら、最初から西村氏を経産相に任命すればよかった。これまた二重行政である。
 それにもっとおかしいのは西村氏がコロナ対策と経済再生という180度立ち位置が異なる大臣職に就いていることだ。その結果、西村氏はアクセルとブレーキを同時に踏み続けなければならなくなった。あるいは一人シーソーをする羽目になったと言ってもいい。野球でいえば、巨人と阪神の両方の監督を一人で担うようなものだ。そういうバカげた人事をやって、安倍さんは自己矛盾を感じないのかな。
 実際、緊急事態宣言中は西村氏がテレビに登場するときの肩書は「コロナ対策担当相」だったが、宣言が解除されてからの肩書は「経済再生担当相」に変わった。このまま感染拡大が進んだ場合、西村氏は再び「コロナ対策担当相」に衣替えするのかな? 西村氏はよほど優秀なのかどうかは知らないが、もう一つ大臣の肩書を持っている。「全世代型社会保障改革担当相」というのがそれだ。西村氏が特別優秀なのか、それとも自民党にはろくに人材がいないからなのか。
 あ、ごめん、間違えた。自民党にも有能な議員はたくさんいるはずだが、安倍さんのお友達が無能な議員たちだけだったようだ。そういえば河合氏や菅原氏など、ろくでもない人を安倍さんは大臣に据えてきたね。「任命責任は私にある」と言いながら、いまだに責任は取っていないよ。

【追記】厚労省は14日、国立感染症研究所が東京都・大阪府・宮城県で6月に実施した新型コロナウイルスの疫学調査の結果、ウイルスに感染してPCR検査で陽性反応が確認され、その後、治癒した8人に抗体がつくられ、ウイルスに対する免疫が獲得されていたことが判明したことを発表した。免疫獲得が明確に確認されたのは、国内では初めてという。
 ただし、英ロンドン大学の抗体獲得者の追跡調査によれば、免疫力は数か月で減衰するようだ。そのため感染症研究所は医療機関などと協力して感染患者が治癒・退院後も継続して追跡調査し、免疫がどのくらい持続するか調査・研究を続けるという。
 いうまでもなく私は医療に関してはまったくの素人である。だから、あくまで論理力だけを駆使して考えてみた。ウイルスに対する免疫を獲得するには、体内に抗体をつくることが最も有効な方法であることは広く知られている。
そしてウイルスに感染後、抗体ができる方法も2ケースある。一つはウイルスに感染したのち治癒した時。この場合も二つのケースがあり、一つは安静にして栄養を摂り、人間にもともと備わっていた免疫力を強めてウイルスを撃退した結果つくられる抗体。もう一つは治療薬によってウイルスを撃退した結果つくられる抗体。
もう一つ、未感染の健康な人の体内に人工的に抗体をつくる方法がある。それがワクチンだ。
だから世界中の医学者や薬品メーカーは、新型ウイルスの治療薬とワクチンの開発にしのぎを削っている。問題はいかなる方法によるにせよ、できた抗体による免疫力をいかに持続させるかだ。おそらく、そういう視点で抗体の研究をしている学者はたぶん、世界中に一人もいない。私は素人だから、そういう発想をする。
私はウイルスと抗体の関係は、言うなら「ライバル関係」にあるのではないかと考えてみた。人間も、スポーツでも芸術でも学問でも、いいライバルに恵まれた人は競い合うことで、ともに成長する。たとえば相撲。練習にせよ試合にせよ、相手がいなければ相撲は取れないし、強くもなれない。「一人相撲」という言葉があるが、だれも相手にしていないのに自分一人で勝手にいきがることだ。せっかく抗体ができても、強敵のウイルスと闘う機会がなければ、抗体の免疫力は次第に減衰する。その間、抗体は「一人相撲」を取り続けているのだから弱体化するのは当たり前だ。
そうした抗体の性質を考えれば、インフルエンザのワクチンがなぜ数か月しか免疫力を維持できないのか、素人にも分かる。インフルエンザ・ウイルスは季節性のウイルスである。例年、11月末ごろから流行が始まり、3月で活動時期を終える。医療機関では10月頃からワクチン接種を始めるが、抗体ができて早い時期にインフルエンザ・ウイルスに感染して撃退すれば抗体も強化されて流行が終わるまで免疫力を維持できるだろうが、そういう機会がなくインフルエンザ・ウイルスと一戦まみえることがないと、免疫力が衰退しだしたことに強敵のウイルスと出っくわして、せっかくワクチンをうったのにウイルスにしてやられるという結果になることがある。
インフルエンザ・ワクチンが1シーズンしかもたないのは、インフルエンザ・ウイルスが季節性のウイルスで、春になると「夏眠」に入ってしまい、ワクチンでつくられた抗体が闘う相手を失い、抗体の免疫力も衰退の一途をたどるからだ。
新型コロナ・ウイルスの場合、厄介なのは、どうやらインフルエンザ・ウイルスと違って「夏眠」しない「通年」型のウイルスのようだからだ。私は新型コロナが流行し始めたとき、インフルエンザと同様、季節性のウイルスではないかと思っていた。おそらく感染症の専門家の多くもそう考えていたと思う。なぜなら、流行時期がインフルエンザより2~3か月ほど遅く始まったが、流行地帯が初めは北半球に限定されていたからだ。だから新型コロナ・ウイルスの寿命の方がインフルエンザ・ウイルスの寿命より多少長くても、流行地帯が南半球に移れば北半球で暴れたウイルスは「夏眠」に入るのではないかと思ったからだ。専門家たちが「第1波」「第2波」といった考え方をしたのも、おそらくそういう認識だったからだと思う。
が、この時期になって新型コロナ・ウイルスは季節性のウイルスではなさそうだということがはっきりしてきた。つまり「通年型」のウイルスだと考えざるを得なくなったと言えよう。いやもう、「通年型」のウイルスだと決めつけても間違いないかもしれない。
そうだとすると、抗体の免疫力についても、インフルエンザと同じように考えるのは間違いということになる。相手が「通年型」なら、こっちも通年で免疫力を維持する必要があることになる。
抗体の免疫力を通年維持するためにはどうしたらいいか。いったん抗体ができて(感染し治癒してつくられた抗体でもいいし、ワクチンが開発されて人工的につくられた抗体でもいいが)強化された免疫が通年、新型コロナと闘える状況を維持することだ。つまり、抗体ができた人はマスクなどでウイルスを防御するのでなく、逆にウイルスをやっつけながら免疫力を強化していく。それが、いま未知の敵と人類が闘う最善の方法ではないかと思う。
 子供も過保護で育てたら虚弱体質になる。獅子は子を谷底に落とすという。本当かどうかは別にして、抗体も過酷な環境に置くことで免疫力を強化する。もちろんウイルスも強敵の抗体を相手に死闘を繰り広げながら自らも攻撃力を強めるだろう。「進化」というのは、そうやってつくられるものだと私は思う。最後は人類の英知が勝つか、それとも未知のウイルスに惨敗を喫するか。新型コロナとの闘いは、そういう闘いになると私は思う。
 抗体ができた人は、マスクをやめよう。ただし手洗いだけは欠かさないほうがいい。自分だけのリスクにとどまらないからだ。そういう闘い方を、日本から発信したい。(15日)

【追記2】16日、コロナ感染者の判明数が急増した。全国ベースで622人。14,15日と200人台をいったん割っていた東京の感染判明者数が最多の286人に大幅アップし、神奈川も緊急事態宣言解除後最多の43人に上った。私が「判明数」をアンダーラインを引いて強調したのは、それなりの理由がある。最近TVメディアの中でもようやく「確認された感染者」と表示するところも出てきたが、まだアナウンサーやコメンテーターの中には「感染者が何人」などと発言する人がいて、国民の多くはまだ「今日の感染者は何人」と誤解している人が少なくないようだからだ。東京都の小池都知事も7月に入って「感染者数」が急増し始めたとき、「PCR検査数を増やしたため」と、ノー天気な説明を記者会見でしたが、その説明の間違いを指摘した記者が一人もいなかったことにも、誤解がいまだに解消していない原因がある。実際にはPCR検査で陽性反応が出た人はほぼ全員、検査当日以前にすでに感染しており、たまたま検査を受けた日に感染していることが判明したに過ぎないのだ。
 新型コロナの感染状況を正確に判断するためには、「陽性率」(この言葉が使われるようになる前は、私は「感染者率」と表記していた)を分析しなければならない。「陽性率」は、PCR検査数を分母、PCR検査で感染が判明した人(陽性者)を分子にして百分率を計算した数値で、現時点の感染状況が手に取るようにわかる。
 検査とその結果のデータは、保健所から各自治体(市町村→都道府県)に上がり、厚労省が最終的に全国のデータを集計している。が、各都道府県からデータが上がってくる時間がまちまちなため、厚労省が表にまとめて公表するのは翌日午前0時である。メディアはそれを待っていられないから、各都道府県に直接問い合わせているようだ。ただ、都道府県でもデータの集計時間はまちまちだから、すべてを一斉に報道はできない。東京都の場合は比較的早く結果が判明し、午後2時過ぎにはその日のデータがわかる。問題は各自治体からデータを集める記者たちが「陽性率」のことを理解していないため、「感染者数」(実際にはその日、感染=陽性が判明した人数)だけしか本社報道部門に報告しない。また、本社報道部門も、「陽性率」の意味を理解している人がいないせいか、「PCR検査件数は?」と記者に問わない。そのため、メディアは相変わらず「感染者数」しか報道せず、肝心の陽性率を計算するために必要なPCR検査件数をキャッチせず報道もしない。国民の間に誤解が蔓延したままなのはメディアと政治家の無知のせいだ。
  ※ ちょっとここでぶっちゃけ話をする。実はこの「追記」を書き始めたのは16日の午後5時過ぎ。書いていて、全国の感染データをどういう流れでメディアは入手しているのかが気になった。というのは厚労省のホームページで調べると、最新の感染データは15日だった。2週間分のデータの表が掲載されているが、とっくに東京や横浜の今日(16日)の感染判明者数が明らかになっているのに、厚労省が公表しているデータ昨は昨日15日)のものであることに疑問が生じたのである。で、6時ころ、厚労省コールセンターに電話をして初めて先に書いたような方法でメディアは各都道府県から情報を入手して流していることが分かったというわけだ。なぜそんなぶっちゃけ話をしたかというと、メディアの情報入手のいい加減さを明らかにしておきたかったからである。
その後、NHKの「ニュース7」を見たら、陽性率の重要性を熱心に説明していた。とくに新宿の国際医療研究センターに4月に設置されたPCR検査スポットで検査を受けた人の陽性率が、5月までは5%前後だったのが、6月18%、7月に入って33%と急上昇しているというのだ。このNHKのニュースを見ていて、感染状況を正確に把握するためには陽性率を重視する必要があることが、この説明で視聴者に正確に理解できただろうか、という疑問がふと生じた。実は私が前日、陽性率の重要性をNHKに伝えたのだが、そしてこの稿でもNHKと同じような説明したのだが、その説明では不十分だということに気が付いた。で、改めてわかりやすい説明をする。
新宿のPCR検査スポットで検査した人の陽性率が高くなるのは、ある意味当たり前で、その陽性率をそのまま東京都全体に当てはめるのは間違いである。で、厚労省が公表している最新15日のデータで東京都の平均陽性率を計算してみた。
  《165(感染が判明した人数)÷4077(PCR検査件数)×100=4%》
  今日(16日)の検査件数も15日と同じだとすると、今日の陽性率は
  《286(感染が判明した人数)÷4077(PCR検査件数)×100=7%》
  たった1日で感染者がこれほど急増することは考えにくいから、13日にアップした記事で計算した7月1~8日の平均陽性率4.4%を、いちおう東京都民の平均陽性率とすると、東京都民1400万人の隠れ感染者数は
  《14000000×0.044-8354(これまでに感染が判明した総数)=607646》
  驚くなかれ、計算上は東京に現在60万人以上の隠れ感染者がいるということになる。東京といっても都市部と地方部では感染リスクもかなり違うし、PCR検査を受ける人も都市部の住民が圧倒的に多いから、この計算方法が一概に東京の感染状況を正確に表しているわけではないが、たとえ実際の隠れ感染者数が10分の1だとしても6万人の隠れ感染者がいることになる。実際、そのくらいは隠れ感染者が潜んでいるのではないかと私は思う。陽性率が重要だという意味が、これでお分かりになったと思う。ただ、問題を感じたのはテレビに登場する感染症の専門家が、「感染者が増えた」と発言していたことだ。新型コロナが出現するまで、感染症研究者はインフルエンザのように、感染即発祥という思い込みが脳裏に刻み込まれてしまっているのではないかという気がする。
  同様に、すでに書いたが、厚労省が確認している感染経路は「飛沫感染」と「接触感染」だけだが、「接触感染」の意味が十分理解されていないようだ。新型コロナは「皮膚感染」はしないから、肌と肌が接触したとしてもウイルスが皮膚を通り抜けて体内に入り込むことはない。リスクが大きいのはウイルスが付着した手で目や鼻、口をこすったりすることで、その場合はウイルスが侵入する可能性が高くなるというのが「接触感染」の意味なのだ。だから、これもすでに書いたが、ソーシャル・ディスタンスを取る意味はまったくない。人混みの中では必ずマスクを着用することと、手洗いは裏表とも丹念に行う習慣をつけることが重要だ。
  サージカルマスクや不織布のマスクは粒子状のウイルスを防げないと、バカげた研究「成果」を発表して得意になっている研究者もいるようだが、歩道を歩いていても車が突っ込んでくる可能性はあるわけで、「マスクではウイルスを防げない」は、歩道を歩くのと同じ程度のリスクでしかない。かえって人々の不安感を募るだけで、何のメリットもない。

さて、昨日(16日)急変したことがある。Go To キャンペーンから東京発着の観光旅行を外すというのだ。Go To キャンペーンはコロナ禍でインバウンド客も国内の観光客も激減し、窮地に追い込まれている観光地のホテル・旅館などの観光関連業界を経済再生の足掛かりにすべく1兆3500億円の巨費を投じての観光支援事業である。もともとは8月に入ってからスタートする予定だったが、7月10日、赤羽国土交通層が突然記者会見で7月22日に前倒しスタートすると発表、メディアも含めて大論争になった。
というのも、緊急事態宣言解除後、いったん沈静化に成功しつつあるかに見えたコロナ対策だが、7月に入って繁華街の「夜の街」を中心にクラスターが随所で発生し、とくに東京の感染判明者が急増するなど、いわゆる「第2波」が懸念されだした中でのキャンペーン前倒しだったから、私もブログで「ばかげている」と糾弾したくらいだ。さすがに小池都知事も「(キャンペーン前倒しは)ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもの」と不快感を示していた。
とくに今週(13日以降)に入ってからコロナ感染は全国的に拡大傾向に入ったことが明らかになり、地方の知事たちから「再考」を促す声が急速に高まりだした。政府が観光事業を経済再生の足掛かりにしたいと考える気持ちは私にも理解できないわけではない。
少子高齢化が進み、生産人口(あるいは労働人口)の減少に歯止めがかからない状況の中、昨年まで日本の経済再生の柱になりつつあったインバウンド効果が、このコロナ禍で一気にしぼんでしまった。とくに客層がほとんど外国人の観光客に占められるようになったホテル・旅館も少なくなく、老舗旅館も閉館に追い込まれるところが続出し、コロナ禍が過ぎ去るまで、何とかインバウンドの受け皿を維持しておきたいと考えるのは自然ではある。
だが、コロナ禍が7月に入ってぶり返しだした時期に、なぜコロナに手を貸すようなキャンペーンの前倒しに踏み切ったのか、私は理解に苦しむ。むしろ、この時期は、何とか予定通り8月にキャンペーンを開始して経済再生の足掛かりにできるよう、緊急事態宣言を再発令して7月中にコロナを可能な限り抑え込むという政策をとるべきだったのではなかったか。
しかも、日本は中国のように情報統制ができる国ではない。敢えてキャンペーンの実施から東京を外してまで前倒しに踏み切るということは、当然世界中が知ることになる。つまり「東京は日本で最も危険な都市だ」というイメージが世界中に拡散しかねない。それが、どういう影響を生じるか。いうまでもなく、まだかすかに開催の可能性が残っている東京オリンピックにとって、昨年の19号台風のような逆風として襲ってくることを意味する。
はっきり断言する。東京外しのGo To キャンペーンを本当に7月22日からスタートさせるということは、東京オリンピックに「死」を宣告することを意味する。そういうことを意味する結果になることが、政府には分からなかったのか。
だとすれば、もはや現政府は死に体状態になっていると言わざるを得ない。小池都知事の「アクセルを踏みながらブレーキをかける」は、まさに言いえて妙だ。実際に自動車でアクセルとブレーキを同時に踏み続けたら自動車はどういう状態になるか、私は試したことがないのでわからないが、無事ではすまないような気がする。私は小池都政は評価していないが、この表現の小気味よさは評価したい。 
私は7月1日に書いたブログで「政府は二兎を追おうとしている」と批判したが、まさにそういう政策の結果が今日のコロナ感染拡大を招いたことにまだ気が付かないのか。それとも、あえて目をそらしているのか…。(17日)    
        









コロナ感染対策と社会経済活動は両立しうるのか? 【追記】専門家会議の見解と厚労省の見解が食い違っていた。

2020-07-01 01:21:12 | Weblog
 コロナ禍がいっこうに終息しそうもない。それどころか、6月後半に入って感染者数が緊急事態宣言時の状態に戻りつつあるかのようにさえ見える。東京・新宿や横浜のホストクラブなどでクラスター(集団感染)が発生し、さいたま市や博多・中洲ではキャバクラで、北海道でも小樽の昼カラ店でクラスターが発生している。緊急事態宣言中のクラスター発生は感染者受け入れ病院や老人ホームなどのケースが報道されていたが、最近は病院や老人ホームでのクラスター発生の報道はない。病院では医師や看護師の防護体制が整ってきたからだろうし、老人ホームも基本的に家族との面会も禁止するようにしているようだ。一方、緊急事態宣言中は休業要請によって営業を自粛していたカラオケ・スナック(昼カラを含む)や夜の接客業が、宣言解除で一斉に営業を再開した。道路に面した居酒屋などは入口ドアをオープンにして換気を行っているが、カラオケ・スナックや夜の接客業は入口ドアを解放するわけにいかない。そうした店の営業も再開したため、クラスターが発生したと考えられよう。
このように感染者数だけ見ると緊急事態宣言時に戻ったようにも見えるが、クラスターの中身を見ると明らかに状況は異なっている。こうした事態が生じたのは緊急事態宣言の解除について、政治が失敗したことを明白に物語っていると言える。少なくとも密室状態での客商売については、クラスター対策について厳しい基準を設け、自治体職員や保健所の許可を受けることを営業再開の条件にすべきだった。
 それはともかく、新型コロナ対策について日本だけではないが、政治は「二兎を追う」政策にとらわれ過ぎているように私には思える。実際、厚労省のコロナセンターに問い合わせたところ、「政府の方針はコロナ対策の充実と社会経済活動の活性化を両立させることにあります」との回答があった。果たしてそういうことが可能なのか。「二兎を追う」ことが可能だというなら、その根拠を示してもらいたい。「二兎を追うことが必要」だから「二兎を追うことにした」などというバカげた主張は論理的説得力ゼロだ。

 政府は24日、突然、専門者会議の廃止を発表した。西村新型コロナ対策担当相が記者会見で「専門者会議の位置づけが不安定であり、より幅広い専門家を加えた対策分科会(仮称)を設置する」と発表したのだ。ちょうど、この記者会見が行われていた時、専門者会議も記者会見を開き、「これまで専門者会議があたかも政策決定してきたかのように思われてきたが、政策の実行は政府が責任を負い、専門者会議は感染状況の分析と評価・対策を政府に提言するという役割分担を明確にすべきだ」と、専門者会議の立ち位置について説明していた。実際、その直後、専門者会議の尾身副座長が記者から西村担当相の発言内容を聞き「全く知らない。初耳だ」と、あぜんとした表情を見せていた。
 それまで政府と専門者会議は、はた目には一心同体でコロナ対策に当たってきたかのように見えていた。が、内実はかなり専門者会議と政府は対立する場面があったようだ。専門者会議は新型コロナの感染拡大を阻止することが目的で、そのための対策を講じることしか考える必要がない。その専門家会議が出した対策を反映させながら、経済や雇用への打撃を極力抑える政策を考え実行に移すのが政府の役割である。
 実際、通常の場合は、政府が政策や法律を策定する場合に設置する有識者会議は、あくまで「諮問機関」であり、政策実行についての責任は持たない。つまり政府に参考意見を述べるにとどまるのが有識者会議の役割であり、政策決定に口出しするのはタブーなのだ。が、新型コロナの場合、政府に有識者の提言を判断できる能力がなかった。そのため政策も含めて専門者会議に丸投げせざるを得ない状況になっていたことも事実である。せいぜい政府は「そこまでやったら経済面の打撃が大きすぎる」と、専門者会議に譲歩を迫るくらいのことしかできなかったようだ。緊急事態宣言の解除についても、専門者会議は「時期尚早」を主張したようだが、安倍総理が押し切ったという。そうした専門者会議と政府の目的の齟齬が抜き差しならないところまで行った結果、政府は一方的に専門者会議の解散を決め、専門者会議は政府との距離を置くことをこれまた一方的に記者会見で発表するという状況が、しかも巧まずして同じ日の同じ時間帯に別々の記者会見で生じるという前代未聞の事態を起こしたと言える。
 政府の発表によれば、専門者会議に代わる新たな分科会を設置するというが、具体的な内容はまだ見えない。政府の本音としては専門者会議の存在感が大きくなりすぎたため、あくまで政府が主導で政策は決めるという姿勢を明確にするため、巨大化した専門者会議を分割して(メンバーの入れ替えはかなりあるかもしれないが)、いくつかの分科会に力を分散して政府の主導権を取り戻そうというのが本音だろう。が、そうなれば当然コロナ対策は劣後せざるを得なくなり、感染が再び拡大傾向に入りつつある中で分科会が有効な感染対策を打ち出せるか、私は極めて疑問に思わざるを得ない。

 政府のコロナ対策の混乱と時期を同じくして知事選が真っ最中の東京都も、新たなコロナ対策にかじを切り替えた。2期目当選が確実視されている小池都知事が6月30日、コロナ感染状況の指標とする7つのモニタリング項目を公表した。それまでの東京アラートの数値基準(直近1週間の平均感染者数など)を廃止し、数値基準を明示しないことにしたのだ。小池氏は記者会見で「これまでは休業要請の段階的な緩和や再要請の目安としてきたが、現時点では検査体制や医療体制も整ってきており、個々の数値を基準にするのではなく総合的に判断して対応していく」ことにしたというのだ。厚労省は「数値の目安がない」ことに不満を漏らしているが、小池氏がすべての結果責任を負うというなら、それはそれで政治家としての一つの覚悟の表明とみてもいいかもしれない。妙なたとえになるが、野球でいえばバッターが、姿も見えずどこにいるかもわからない投手の投げるボールを打ち返さなければならないような状況が、新型コロナ対策の現状である。最初はコロナ症状として肺炎だけと考えられていたが、今では味覚嗅覚もなくなるという症状も明らかになっている。ひょっとしたら海外では別の症状もあるかもしれないし、コロナウイルスの性質もまだ全く分かっていない。インフルエンザ治療薬のアビガンをはじめ、エイズ治療薬や様々な薬品が、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」式で患者をモルモット扱いしているのが今の治療法。7月から大阪大学発のベンチャー企業がコロナ・ワクチンの臨床試験に入ることになったが、動物実験での検証もなく、いきなり人に対する臨床試験の段階に進んでいいのか、いささか心もとない気がする。

 そうした現状はともかく、政府が急遽、新型コロナウイルス感染症対策本部を内閣官房に設置したのは1月30日。本部長には安倍総理が自ら就き、担当大臣として西村氏を起用した。本来は厚労相の加藤氏の任のはずだが、医療行政に疎い加藤氏では頼りにならないと安倍総理が考えたのだろう。
 その対策本部の下、具体的な対策について医学的な見地から助言等を行うことを目的に「専門家会議」が2月14日に設置された。座長には国立感染症研究所所長の脇田氏が、副座長には独立行政法人地域医療機能推進機構理事長の尾身氏が就任した。構成員は10人で、うち8人が感染症の専門医などの医師、後の2人は保険学者と弁護士で、統計学を専門とする数学者は含まれていない。                               この専門家会議が提起したコロナ感染症対策が「人と人との接触は最低でも7割、できれば8割削減すればコロナ感染症を克服できる」という、統計学を専門とする数学者だったら、びっくりしてひっくり返りかねないような感染症対策方針だった。
そして政府がこのサイコロを振って決めたようなコロナ対策をベースに4月7日、緊急事態宣言を発令、以降「人と人との接触8割削減」を目標に、リモートワーク推奨、スーパーやコンビニ、医療関係などを除く不要不急のサービス業の休業要請、食料品購入や医療機関での受診などを除き不要不急の外出自粛という政策を打ち出した。
政府はコロナ禍を軽く見ていたのか、あるいは本当に「人と人との接触8割削減」が物理的に可能と考えていたのか、ゴールデンウイーク明けには宣言を解除する計画だった。が、海外の例を見ても明らかなように、1か月くらいで収束できるほどコロナはやわくはなかった。結局政府は宣言解除時期の見通しを5月末まで延期し、何とかパンデミック(大流行)は回避できそうな見通しがついた5月25日、段階的ではなく一気に宣言を全面解除した。ただし、東京都や大阪府は独自の段階的解除を進めていたが、小池都知事が東京アラート(警報)を全面解除した6月12日以降、感染者が一気に激増、24日には55人と50人台に再突入し、本来ならアラート基準に再突入した。
 実は私は何度か厚労省のコロナコールセンターに、専門家会議が提起した8割削減の根拠について質問した。コールセンターもいろいろ調べてくれたが、結局「わかりません」という回答しか得られなかった。私もネットで可能な限り根拠を調べてみたが、やはり8割削減の根拠についての記述を見つけることはできなかった。
 いま理研と富士通が共同で開発したスーパーコンピュータの「冨岳」が世界NO.1の座を奪還したが、その前の世代の「京」が世界NO.1の座をアメリカの「サミット」に抜かれたとき、民主党政権下で事業仕分けを担当していた蓮舫氏が「2番じゃダメなんですか。なぜ1番でなければいけないのか」とスパコン行政に噛み付いたことを想起して、私はこう専門家会議に問いたい。

「なぜ8割削減しないとダメなんですか。7割では、あるいは6割、5割ではダメなんですか。8割削減したら、本当にコロナを根絶できるのですか。その根拠も教えてください」
「あなた方の中には経済の専門家も統計学の専門家もいませんね。もし、本当に日本で人と人との接触を一気に8割も削減したら、日本経済は1か月も持たずに崩壊しますよ。また、田舎ならともかく、都市部で、しかも働いている人たちが人との接触を8割削減することが物理的に可能かどうか、考えたことがありますか。社会経済活動をすべて止めない限り、そんなことは不可能ではありませんか」と。
 
 専門家会議が8割削減を提案した時、なぜ政府は「そんなことは不可能だ。もっと現実的な対策を講じてくれ」と専門家会議案を突き返さなかったのか。バカばっかし、と言わざるを得ない。
 無能だったのは政府だけではない。野党も、8割削減などというバカ丸出しのコロナ対策に疑問一つ呈さなかったし、メディアも同様だ。だいいち、こんな素朴な疑問すら、今日まで日本でだれも持っていないようだ。
8割削減というが、会う人の数を8割減らすという意味なのか、それとも人と会っている時間を8割減らすという意味なのか。
専門家会議のメンバー、とくにメディアで発言する機会が多い尾身氏に、そのくらいの質問ができないほどメディアの記者たちはボケてしまったのか。それとも相手が著名な専門家だから、恐れ入ってしまって尾身教の信者になったのか。

 実はメディアの無能さの証拠はこれだけではない。メディアは毎日感染者数ばかり報道している。日本にもコロナ禍が襲い掛かってきたころ、PCR検査を受けるためのハードルがめちゃくちゃ高かった。私自身、3月の末ごろ、突然39.6℃の高熱に襲われたことがある。思い当たる節はなかったが、自覚症状として風邪ではないと思った。ただ新型コロナは潜伏期間が4,5日あると聞いていたので、その間にどこかで感染したのかもしれないと思い、かかりつけの内科医に電話をした。が、電話に出た受付の方から「うちではコロナは扱っていません。市のコールセンターに電話してください」と言われ、コールセンターに電話をして「突然の高熱が出て、ひよっとしてと不安に思っている」と言ったのだが、担当者から聞かれたことは「年齢・渡航歴・持病」の3点だけ。で、「あなたの場合はPCR検査の対象にあたりません。数日間安静にして様子を見てください」という冷たいあしらいだった。当時のPCR検査対象者は重症者に限定しており(軽症者を収容する施設がなかったためだろう)、異常を訴えた人たちの多くは私と同様の対応をされていたはずだ。
 その後、PCR検査の体制も整い、また軽症者を収容する施設も大規模自治体は民間のホテルを1棟丸ごと借り上げるなどして、最近はPCR検査のハードルの高さを問題視するような報道は見かけなくなった。いまだったら、おそらく私のようなケースの場合、たぶんPCR検査を受けることができたと思う。
 ただ、メディアの報道でいつも不思議に思うことが一つある。東京都の感染者数やクラスターが生じたケースは報道しているのだが、PCR検査数についてはどのメディアも報道したことがない(と思う)。PCR検査数が増えれば、実際のコロナ感染状態が変わらなくても感染者数は増える。
実は一番問題視すべきなのは、感染者数の推移ではなく(それはそれで重要な指標ではあるが)、PCR検査数に占める陽性反応者の比率である。たとえば感染者数が倍になったとしても、PCR検査数も2倍に増えていれば感染状態に変化はないと考えるのが統計学の基本的な考え方である。ということは感染者数が2倍になってもPCR検査数は4倍に増やしていたら、感染者数は増えてはいるが感染状態はむしろ良化しているということになる。
ただし、この統計手法が有効である条件はPCR検査の基準が一定であることで、検査のハードルを緩めると陽性反応者が占める割合は当然低下するから(ただしハードルを緩めすぎると無症状の感染者が引っかかるから陽性反応率が上がる可能性もある)、その相関関係も考慮に入れる必要はある。なお、ノーベル賞学者の本庶・京大特別教授によれば、無症状感染者(隠れ感染者)は公表感染者数の5倍いるのではないかという。また世界最大の感染国アメリカでは「隠れ感染者」が2000万人入るという推計もある。

 少し前だが、羽鳥モーニングショーのレギュラーコメンテイターの玉川氏が、「公的医療機関は土日はPCR検査をしないので、土日の感染者数は民間病院で検査した人だけ」と間違った解説をして、その後、放送で謝罪したことがあるが、玉川氏はなぜ間違えたのかの説明責任は果たしていない。で、私が玉川氏に代わって、なぜ彼が誤解説をしてしまったのかを明かにしておく。いま、私の手元にはネットからプリントアウトした2枚の表がある。1枚は6月15日から28日までの毎日の、全国及び47都道府県の当日感染者数と累計感染者数の表である。もう1枚は6月15日から26日までの土日を除く平日の、全国及び47都道府県の当日PCR検査実施数と累計PCR検査実施数の表である。
 PCR検査実施数については土日の分はない。そのため、玉川氏に情報提供したテレビ朝日の記者スタッフが、「感染者数は土日も記載されているのに、PCR検査実施数は土日の分は記載されていないため、公的医療機関は土日はPCR検査を実施していないのだろう」と勝手に思い込んで玉川氏に伝え、彼に恥をかかせたというのが真相だと思う。実は厚労省は土日は休みなので、土日分のPCR検査数を表に記載をしていない。が、土日分のPCR検査実施数は月曜日に合算されており、そのため月曜日のPCR検査実施数は3日分になっている。例えば東京都の19日(金)の検査数は1,761件だが、22日(月)の検査数は3,562件、翌23日(火)の検査数は1,426人である。多少土日の検査数が他の平日に比べて少ないことは確かだが、厚労省がホームページで公表している表をテレビ朝日の記者スタッフが短絡的に見てしまったため玉川氏に恥をかかせる結果になったようだ。
 それはともかく、メディアは感染者数だけでなく、PCR検査の実施数も併せて報道すべきだ。そうでないと、単純に感染者数の増減だけで日本の感染状況を判断してしまうという愚を犯すことになる。なお厚労省によれば、現在のPCR検査体制は2万9,767件分あり、検査実施数は日によって異なるが大体4,000件前後である。ということはまだ2万5000件以上の余力があることになり、「宝の持ち腐れ」とはこういう状態のことを言う。東京は大阪、神奈川なども、軽症者用に確保しているホテルの空室率も8割前後あるようで、重症化する前に軽症者を早くPCR検査で見つけてホテルに隔離し、感染の拡大を防ぐというのが「早期発見早期治療」という医療の原則ではないか。

 第1波、第2波という言い方も、私は気に食わない。まだ新型コロナがどういう性質のウイルスか、まったくわかっていない。私も前のブログで書いたが、北半球でコロナが収束に向かいだしたころ、パンデミックの舞台は南半球に移るだろうと予測した。インフルエンザウイルスと近い性質を持っているのではないかと思ったからだ。当時、インフルエンザ治療薬のアビガンがコロナ治療薬としての有効性が期待されていたこともあって、コロナウイルスも北半球が夏季に入ると夏眠し、冬季に入る南半球でパンデミックが生じるのではないかと思ったからだ。そして北半球が今年の冬季に入ることコロナウイルスが夏眠から目覚めて暴れだすのかもしれないと思っていた。が、そうした季節性はコロナウイルスにはないようだ。確かに今ヨーロッパでは収束に向かいつつあるかのように見えるが、一時韓国が「コロナ退治に成功した。各国は韓国方式を見習え」と豪語していたのに、韓国民の行動が一気に規制を解除された途端、再びコロナウイルスが猛威を振るいだした。韓国のように、完全にコロナを抑え込んだかのように見えても、経済活動を一気に活性化させると「俺をバカにするなよ」とばかりにコロナが再び暴れだす。ヨーロッパも、経済活動を活性化した途端、韓国のようにコロナが再び暴れださないとは限らない。
 それがコロナウイルスの特性だとしたら、人類はコロナの絶滅はあきらめて、コロナウイルスを生かさず殺さずで共生の道を探るしかないことになる(特効薬やワクチンの開発に成功すれば、コロナとの共生も終えることができるが)。
 いずれにせよ、コロナウイルスの特性も分からないのに、第1波とか第2波とかという議論が罷り通っていることに、私は「アリスの国」に迷い込んだのかという思いすらする。


【追記】とんでもない事実が判明した。コロナウイルスの感染リスクについて、専門家会議の見解と厚労省の見解がまったく違うのだ。
 そのことが判明したのは、私がふと疑問に思ったことがきっかけだった。果たしてコロナウイルスは皮膚感染するのだろうか、という疑問が生じたのである。これまで分かっているウイルスの感染はインフルエンザのように呼吸器感染か、マラリアのように蚊のような動物を介しての感染かでしかないと思う。
 とくにインフルエンザのような「人から人への感染」は口や鼻から飛散したウイルスが呼吸器(口や鼻)から体内に侵入する。だから多くの場合重症化すると肺炎を起こす。コロナの場合、味覚や嗅覚にも異常な症状を生じるようだが、そういう症状にとどまっている限り重症化したケースはない。コロナウイルスの場合、なぜ味覚や嗅覚に異常を生じるのかはまだ解明されていないが、基本的には呼吸器を通してウイルスに感染しているようだ。
 もし皮膚感染するのであれば、満員電車で毎日通勤している会社員たちが、なぜ皮膚感染しないのか、私は不思議に思った。レストランや居酒屋などは客が入れ代わるたびにテーブルやいすなどを消毒しているが、電車やバスのつり革などを消毒しているなどという話は聞いたこともない。乗客が手袋をしているのも見たことがない。専門家会議の人たちも、マスクの着用や「3密」状態の回避は要請しているが、電車やバスに乗るときに手袋の着用は要請していないし、電車の駅やバス停に手の消毒用容器も置いていない。にもかかわらず、電車やバスの中で感染したりクラスターが生じたなどという話も聞いたことがない。で、いったいコロナウイルスは皮膚感染するのかどうか、厚労省のコロナセンターに電話して、この疑問をぶつけてみた。「皮膚接触によってコロナが感染することは証明されているのか?」と。センターの回答はこうだった。
「厚労省は健康な皮膚からは感染しないと考えています。ただし、傷があると傷口からウイルスが体内に侵入する可能性はあります。ただし、ウイルスが付着した手で鼻や口をこすったりすると感染する可能性があります」
 ということはマスクさえしていれば「3密」(密閉・密集・密接)状態は感染リスクに該当しないことになる。つまり、ソーシャル・ディスタンスは無用ということだ。ただ、手洗いだけはしっかりしなければならない。
 専門家会議と厚労省で、コロナ感染対策の基本的認識が異なっていることを明らかにするのは、この記事が最初である(※厚労省ホームページでの接触感染リスクの記述はややあいまいだ。専門家会議の提言に多少、配慮したのかもしれない)。なお、この情報は3日午後、NHKには提供した。(7月4日)

【追記2】ようやく一部のメディアが感染者数だけでなく、重症者数も明らかにするようになった。私がこのブログをアップした後に厚労省コロナセンターに問い合わせたときには重症者数は不明との回答だったので、「それでは本当の感染状態が分からない。無症状者・軽症者・重症者」に分けて公表すべきだ」「また毎日のPCR件数も公表すべきだ。とくに感染者数が急増した都道府県については明らかにすべきだ」と申し上げた。
 私が7月1日に本稿をアップした直後から感染者数が急増し始めたが、そういう状況になることを私が予測していたわけではない。世論もメディアもPCR検査を増やすべきだと主張し始めたし、医療現場も一時の崩壊寸前状態から脱しつつあったので、PCR検査を増やせる状態になっていたこともあり、論理的に考えてPCR検査数を増大すれば感染者数も増えるのは当たり前で、問題は感染者数に占める重症者数の比率が増えれば明らかに感染状態は悪化しつつあることになるし、感染者数が増えても重症者数の比率が減少すれば感染状態は沈静化しつつあると考えてもいいと思っていたからだ。
 実態はどうだったのか。感染者数は急増したが重症者数は増えていない。つまり、緊急事態宣言が解除されるまではPCR検査能力は1日約3万件に増大していたのに、実検査数はその15%くらいでしかなかった。つまり医療体制が検査能力をフルに活用できる状態になかったのが宣言解除以前の状況だったのだ。だから私が3月に突然39℃を超える高熱を発しても「検査対象にはなりません」と冷たくあしらわれたほどだった。
「夜の街」で感染が拡大することまでは私も予想していなかったが、感染症状を訴えた人だけでなく密接接待風俗業の店で感染者が出た場合、従業員全員を検査するなどの感染拡大防止策をとった結果、無症状感染者も感染していることが判明し、感染者数が急増したというのが実態のようだ。
 実際、日本がコロナ禍に襲われ日本中がパニック状態に陥った時、感染者の受け入れ病院は医療崩壊寸前になった。日本がコロナ対策に遅れを取ったのは何が何でもオリンピックを中止から免れたいという政府と東京都の国民無視の姿勢のせいだったが(そのことは4月9日のブログで書いている)、少なくとも7月に入ってからの感染者数増加は第2波でも何でもない。現に重症者数は増えていないし(ということは感染者全体に占める重症者比率はむしろ低下していることを意味する)、死者数に至ってはメディアが公表しなくなったほど、7月以降数名にとどまっている。欧米人と違って日本や韓国、中国の人たちは外出時、マスクを着用する習慣が根付いていることが大きいのではないかと私は思っている。だから感染者数の増大に慌てふためく必要はない。(7月9日)