小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

民主主義とは何かが、いま問われている⑰ーー民進党代表選の考察

2017-08-31 06:46:50 | Weblog
 朝日新聞の論説委員室はトチ狂ってしまったのか。
 昨日(31日)、明日9月1日に行われる民進党代表選について、朝日は社説で「終盤論戦へ三つの注文」を付けた。朝日の論説委員室は、こうのたまうた。
 「政権党に代わる『もう一つの受け皿』があってこそ、健全な民主主義は成り立つ。野党第1党には、それを形にする責任がある。
 その意味で、気になるのは他の野党、とりわけ共産党との選挙での連携を巡る議論だ。前原氏は消極的、枝野氏は積極的だとされ、討論会で支援者同士が言い合う場面もあった。
 見失ってはならない現実がある。小選挙区制を中心とする衆院選挙制度の下で、野党がバラバラでは、自民・公明の連立与党に対し、勝ち目は乏しい。
 安倍政権の慢心を正し、暴走を防ぐためにも、野党勢力の結集が不可欠なのは明らかだ」
 そう御託宣を垂れたうえで、「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」に三つについて「国民が足を止める、そんな議論を望む」と前原・枝野両候補に指導した。朝日の論説委員も、まぁたいそう偉くなったものだと感心したが、よくよく考えてみたら、この社説を書いた論説委員室の人たちは、「認知症」にかかったのかもしれない。
 最大限、善意に解釈した場合、代表選について「候補者自身が『盛り上がっていない』と認めざるを得ない国民の関心の低さは、崖っぷちにある党の現状の反映だろう」という思いから、何とかしてやりたいと、エールを贈ったつもりだったのかもしれないが…。
 そもそも朝日の論説委員室は民主主義というものの本質について何もご存じないようだ。昨年11月にアメリカで行われた大統領選挙。ロシアゲートと言われる疑惑の解明はこれからだが、少なくともはっきりしていることは得票数で負けたクリントン氏のほうが、勝ったトランプ氏よりかなり上回っていたことを、民主主義という政治システムを支える選挙制度についてどう考えたのか。
 日本でも、先の衆院選の得票率と獲得議席率(総議席数に占める各党が獲得した議席数の割合)をみると、比例代表では各党の得票率と獲得議席率はほぼ誤差の許容範囲内に収まったが、小選挙区ではとんでもない結果が生じている。主な政党の得票率と獲得議席率(カッコ内)を見てみよう。
 自民 48.1%(75.6%)
 民主 22.5%(12.9%)
 共産 13.3%(0.3%)
 維新 8.2%(3.7%)
 公明 1.5%(3.1%)
 各党が小選挙区で獲得した議席数は、自民223.民主38、共産1、維新11、公明9である。
 民主主義の成熟度は、政治に民意を反映させるための選挙制度の在り方で問われる。そして選挙制度は同じく「民主主義」を標榜している国でもさまざまである。たとえばアメリカの場合、下院の議員数は各州の有権者数によって比例配分されているが、上院は50の州に有権者数の多寡にかかわらず2人ずつ割り当てられている。しかも上院は下院より大きな権限を有しており、トランプ氏のような例外中の例外を除くと、大統領候補には有力州の上院議員か知事経験者がなるのが通例だ。
 また先進国で政権交代可能な2大政党制が確立されているのはアメリカとイギリスだけで、他の先進国は多数政党が競い合っている。だからどの国も基本的に単独政党による政権獲得は困難で、連立政権が大半を占めている。
アメリカもイギリスも2大政党しか存在しないわけではなく、少数政党もかなりある。アメリカにも共産党はある。ただ、選挙制度によって結果的にアメリカとイギリスの場合は、2大政党体制が長い歴史の中で定着してきただけの話だ。だから、民主主義と一口に言っても、選挙制度によって、どの程度民意が政治に反映されるか、国によって異なるのだ。
日本で、政権交代可能な2大政党体制を築くには選挙制度を完全小選挙区制にするか(理想的には完全2人区制・比例代表なし)、連立の場合の政権運営について各党がもっともっと学び、成熟していく必要がある(ただし、2大政党制が民主主義の政治システムとして、最も民意を反映する選挙制度だという前提で考えた場合。必ずしも2大政党制がベターだとは言い切れない。なおベストな制度はあり得ない)。そのくらいの民主主義についての基本的なことは、朝日の論説委員ともあろう方たちはわきまえておいてもらいたい。

日本は55年体制の間は、それなりに自民党も社会党も、党内の融和を図ることの大切さを身に染みて体験し、政権交代こそなかったが双方が緊張感を持って対峙してきた。
私に言わせれば、社会党がもう少し政権に近づくことが出来ていれば、現実的な政策を打ち出し、有権者の支持を得ることが出来たかもしれない。が、長く東西冷戦が続く中で、あまりにも理念や思想にこだわりすぎて政権党になるにはどういう現実的政策で自民党と競うべきかという視点を失っていった。労働運動や平和運動などで、あまりにも共産党との勢力争いに精力を使いすぎたせいかもしれない。また自民党との戦いで負け犬根性が染み付いてしまった結果、さらに非現実的なラジカルな方向に行き過ぎたのかもしれない。
そうした状況が続く中で、ぬるま湯に浸ってきた自民党の中から危機感を持った政治家が現れ出した。最初の勇気あるチャレンジャーは河野洋平氏をリーダーとするリベラル集団の新自由クラブだったが、後に続くものがなく挫折に終わった。
次に自民党からの分裂は、2大保守党体制を目指していた金村信氏の薫陶を受けた小沢一郎氏が、政権交代可能な2大政党体制を目指して公明党の市川雄一氏とのいわゆる「一一ライン」を軸に、日本新党(細川護煕)や新党さきがけ(武村正義)らとともに連立政権を樹立、55年体制以降初めて非自民の連立政権が成立した(細川内閣)。8党が、政策合意も何もなく、ただ非自民というだけでくっついた野合政権にすぎず、内部の主導権争いに終始して短命で連立政権は崩壊した。
その後、自民は社会党との連立というウルトラC作戦で政権を奪還(村山富市内閣=自社さ政権)、総理の椅子を与えられた村山氏が日米安保を容認し、社会党は分裂した。ここに55年体制は完全に崩壊する。
再び四分五裂に陥った野党だが、小沢氏が中心になって野党再結集を実現、民主党が誕生した。すでに自民と連立していた公明は民主党に参加しなかったが、2009年9月の総選挙で民主党は戦後最大となる308議席を獲得、単独過半数の安定政権を確立した(鳩山由紀夫内閣)。
が、民主党政権も長くは続かなかった。野合政権だった細川内閣と違い、安定多数を占める単独政権だったが、肝心の政権党の民主党が野合政党だった。細川政権時代と同様、おいしい蜜の奪い合いが始まり、結局何も決められないまま政権を放り出す結果となった。
民主党政権時代の最後となった野田佳彦総理は、国会での自民党総裁・安倍晋三氏との間で、「社会保障と税の一体改革」をやるという口約束と引き換えに衆院の解散に踏み切り、民主党は野に下った。
よく考えてみれば、こんなバカげた解散はかつてなかった。野党のトップに自らの政権の構想の実現を約束してもらって解散するということは、戦わずして敗北宣言をするようなものだからだ。しかも野党・自民党に口約束させたのは消費税増税だけで、すべての税制の根本的見直しや、税制の見直しによって得た財源でどのような社会保障制度を構築するのかは、野党の自民党に丸投げするという、無責任極まりない解散だった。
この二度の政権交代の結果を見て、国民が「野合ではだめだ」と烙印を押してしまった。いまでも、様々なメディアが世論調査を行うと、自公に代わる「政権の受け皿」となりうる野党への期待は小さくない。実際、都議選で都民が示した投票行動が、新しい風への期待の大きさを物語っている。が、はっきり言って現在の民進党には、国民は新しい風を期待していない。308もの議席を与えられながら、内部の権力闘争と足の引っ張り合いで何も決められなかった民主党への国民の怒りが、現在の民進党への不信感につながっている。
アメリカは極端だが、日本もしばしば振り子原理が大きく働くことがある。大義があったとは言えない小泉総理の抜き打ち郵政解散、また一度も政権を担ったことのない民主党に308もの衆院議席を与えた2009年の総選挙、最近では国政選挙ではないが、政治経験ゼロの議員を大量に生み出してしまった直近の都議選などが、振り子原理が大きく働いた選挙だった。
ついでに素人議員を能力ある政治家に育てるには、政治家や知識人による講演会のようなことをいくらやっても無駄だ。政治とは直接関係のないテーマも含めて、数人ずつのグループに分けてディベートをさせ、ディベートの結果を踏まえた論文を書かせるといった方法を行うべきだと思う。そうすれば、彼らの論理的思考力も育つし、また知識だけに頼ることがいかに危険かということも身をもって理解できるようになる。
民進党は(前身の民主党も含めて)、考えようによっては不幸な船出をした政党だった。「なぜ政権交代可能な2大政党政治が望ましいのか」という国民的議論が熟していない状況の中で、自公連立政権と対峙することになったからだ。
私はこのブログで細川内閣は野合政権、民主党政権は野合政党政権、と書いた。野合政権、野合政党が悪いと言っているわけではない。自民党も右翼思想の持ち主からリベラルまで抱えた野合政党と言えなくもないし、「平和の党」を自負してきた公明党にも北側副代表のように安倍改憲を支持する人がいる。
朝日の論説委員室は、今回の民主党代表選について「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」についての議論を深めるべきだ、と注文を付けたが、それもちょっとピントが狂っている。いま国政で最も重要な問題として浮上しているのは「日本の安全保障についてどう考えるか」であり「憲法改正問題」だ。さらに次の衆院選の選挙対策として、共産党との協力関係をどうするかも、大きな争点だった。朝日の論説委員室は、自分たちの関心事を代表選に持ち込んだに過ぎない。民主主義を成熟させるということは、それほどたやすいことではない。

昨日、北朝鮮の金正恩委員長(朝鮮労働党)が、日本の襟裳岬上空を通過するミサイルを発射した目的について、グアムまで届くことを実証するためだけでなく「日本を驚愕させるためだった」と述べたとの報道があった。その報道が正確だったとしても、実際には金委員長は日本でこれほどの大騒ぎになるとは思っていなかったはずだ。
実は北朝鮮はミサイルの発射について、様々なリスクを想定して計画を立てていると思われる。というのは、北朝鮮の地政学的状況を考えればすぐにわかることだが、東西南北どの方向にミサイルを発射しても他国の領土・領海を侵犯しない発射実験を行うことは極めて困難である。そのため北朝鮮はこれまで(衛星打ち上げロケットと称したものも含めて)ミサイルの飛距離を高度によって実証すべく「ロフテッド軌道」(水平方向ではなくかなり垂直に近い角度)の発射を行ってきた。が、アメリカが「実際に水平方向の実証実験でなければ、北朝鮮のミサイルの能力は疑わしい」などと挑発してきたことが、そもそもグアム周辺海域にミサイルを発射するという計画を立てた理由であった。だから、この計画を発表した時は、「島根・広島・高知の上空を通過する」と予告していた(愛媛が抜けていたが)。
さらに、今回の直前に発射した3発の近距離ミサイルは東海岸から発射したが、これまで長距離ミサイルは中央部や西海岸付近から発射してきた。中央部や西海岸付近から発射することは、当然自国の領土を通過することを意味する。飛行機もそうだが、事故が発生するのは離着陸時が大半だと言われている。そのため日本の民間飛行場はほとんど海の近くに建設されており、内陸県の栃木や山梨には飛行場はない。衛星ロケットも、本土から遠く離れた種子島から打ち上げている。北朝鮮が民主国家だったら、国の中央付近や西海岸から東方向に向けてのミサイル発射は、国民が容認しないだろう。
そう考えると、北朝鮮が当初の計画通りグアム方向にミサイル発射計画を発表した時、日本政府が急きょ迎撃体制を整えたことから、グアム方向への発射を取りやめた時も日本をできるだけ刺激しない方向への水平発射を考えたと考えるのが合理的だ。もし本当に日本を驚愕させ、かつアメリカを刺激しない最も有効な方向にミサイルを発射するとしたら、日本のど真ん中つまり首都・東京上空を通過させたほうがはるかに効果的だ。
ギリギリの選択肢として襟裳岬をかすめる方向に発射したのは、日本をあまり刺激せず、かつ水平方向の発射実証実験を行うことが目的だったと思われる。が、日本政府やメディアが過剰反応を起こしたため、「日本を驚愕させることも目的だった」と結果論的発言をしたのだと思う。しかし、そういう発言をすると、かえって日本の世論を硬化させ、日本に対北敵視政策をとる口実を与えることになるとは考えなかったのだろうか。

今回も、長い記事になった。民進党代表選に絞って民主主義についての考察をするつもりだったが、金委員長の「日本を驚愕させることも目的だった」という報道があったので、ついその問題にも触れてしまい、長い記事になった。最後までお読みいただき感謝する。


日本上空を通過した北朝鮮のミサイル発射で、安倍総理の「政治生命をかけた冒険」は不可能になった?

2017-08-29 15:42:23 | Weblog
 今日(8月29日)午前5時58分ごろ(日本時間)、北朝鮮が首都ピョンヤン近くの基地(西岸のトンチャンリ)から弾道ミサイルを発射し、6時6分ごろ北海道・襟裳岬上空を通過、12分ごろに襟裳岬の東1180キロの太平洋に落下した、と政府が発表した。
 事前の通告はまったくなく、明らかな国際法違反であり、政府が北朝鮮に強く抗議するのは当然である。過去、北朝鮮は人工衛星を打ち上げるとして日本国内上空を通過する「ミサイル」を4回発射しているが、発射時期や時間帯などを国際機関に事前通告していた。今回のような無通告の発射は国際的にも異例の事態であり、私も憤慨している。
 この弾道ミサイル発射に関し、安倍総理は直ちに米トランプ大統領と電話で40分ほど話し合い、北朝鮮に対するさらなる圧力を強めていくことで同意したという。
 が、経済封鎖などの圧力・制裁をいくら強めても、これまでの北朝鮮の対応から考えても効果はほとんど期待できないだろう。
 もともと北朝鮮が自国国民の生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に血道をあげてきたのは、アメリカの敵視政策に対する「自衛手段」としてである。確たる根拠もなくアメリカ政府は過去、北朝鮮を「ならず者国家」「テロ支援国家」「悪の枢軸」などと非難してきた。そして露骨な北朝鮮攻撃作戦実施を前提とした米韓合同軍事演習を行ってきた、いま現在も合同軍事演習を実行中である。今回の軍事演習はコンピュータによるシミュレーションということだが、その内容は公表されていないが、朝鮮半島で再び戦火が生じた場合の対北作戦であることは疑いようがない。
 北朝鮮がアメリカに対して根本的な不信感を持っているのは、イラク戦争を知っているからだ。アメリカは勝手にイラク・フセイン政権が核兵器や生物化学兵器を開発していると思い込み、一方的にイラクを攻撃、フセインを殺した。が、イラクの国中を探しても核兵器も生物化学兵器も出てこなかった。このイラク戦争に加わったイギリス政府は戦後、国民からの厳しい批判を浴びることになった。それまではアメリカの最大の同盟国としてアメリカの戦争に加担してきたイギリスだが、イラク戦争以降アメリカの軍事行動に対して距離を置くようになったくらいだ。
 もし日本が、たとえば核大国であるロシアや中国から敵視政策をとられ、軍事的威圧を受けることになったら、アメリカの「核の傘」を当てにしているわけにはいかなくなる。実際自民党次期総裁候補として有力視されている石破氏は、「いざというとき、アメリカが自ら血を流しても日本を守ってくれると思っていたら大間違いだ」と発言している。
 外交力を左右する最大の要因は軍事力である。建前としてではあっても、いちおう日本はアメリカの「核の傘」で守られている間は、日本の外交力はアメリカの核によって補完されている。ただし、日本の独自外交はアメリカのご機嫌を大きく損なわない範囲に限られる。
 安倍政権が、対ロ外交においてある程度独自性を行使できているのは、安保法制を成立させたことでアメリカに多少恩を売ったからにすぎない。安保法制の成立によって、日本は同盟国アメリカが他国から攻撃を受けた時、アメリカのために戦争が出来る国になった。
 憲法9条は、日本の交戦権を否定している。戦力の不保持もうたってはいるが、自衛隊が戦力ではないなどと思っている人は世界中探しても一人もいないだろう。「戦力ではない実力」などというごまかしは、日本国内では通用しても、海外では通用するわけがない。安保法制によって、憲法9条の最後の砦だった交戦権の否定すら危うくなってしまった。
 現に、北朝鮮がグアム周辺にミサイルを撃ち込むと宣言した時、そのミサイルを日本領空で迎撃できる体制を整えた。そして小野寺防衛相は「もしグアムが攻撃されたら、日本の抑止力が弱まる。ということは日本存亡の危機に相当する可能性も否定できない」と、いわゆる「集団的自衛権」の行使をほのめかしている。もし日本がアメリカのために北朝鮮のミサイルを撃ち落としたら、北朝鮮から宣戦布告に等しい行為とみなされる可能性は否定できない。
 誤解のないよう言っておくが、私は北朝鮮の核やミサイルを支持しているわけではない。アジアの平和と安定にとって大きな脅威であることは否定できない。ただ圧力で北朝鮮に核とミサイルを放棄させることは不可能だ、ということを言いたいだけだ。
 北朝鮮はどんなに経済的あるいは軍事的圧力をかけても、核とミサイルを放棄することはあり得ない。北朝鮮にとっては核とミサイルは国家存亡にかかわる問題だからだ。
 この問題を解決するには、アメリカが北朝鮮に対する敵視政策をやめることしかない。米韓軍事演習も朝鮮半島周辺で行うのではなく、グアムでやればいい。日本の自衛隊もアメリカと合同軍事演習を行っているが、朝鮮半島周辺で行っているわけではないから、北朝鮮も自国に対する挑発行為だとは受け取っていない。
 北朝鮮がアメリカの軍事力を脅威に思わなくなったら、現在持っている核とミサイルを放棄することはないにしても、これ以上の開発は止める可能性が高い。あとは事実上の核保有国であるインドやパキスタン、イスラエルと同様、触れず障らずで黙認するしかない。
 前回のブログで田原総一郎氏が安倍総理に進言した「政治生命をかけた冒険」とは、おそらく安倍総理の北朝鮮への電撃訪問と平和条約交渉ではなかったか、と実は私は思っている。その根拠は二つのキーワード「外交問題」と「野党も反対しないだろう」にある。さらに「安倍さんがアクションを起こせばわかる」「いま内容を話すと確実に壊れる」も重要なキーワードだ。なぜ壊れるのか。壊すのはだれか。しかも「野党も反対しない」「外交」問題ということになると、事前に分かると間違いなくアメリカが妨害する「日朝関係」しか考えられない。
 が、今回の北朝鮮のミサイル発射問題で、安倍総理も「政治生命をかけた冒険」に乗り出すことは不可能になった。おそらく田原氏をインタビューした毎日新聞の吉井記者も「日朝関係」ということには気づいていると思う。電撃訪問と平和条約交渉ということまでインタビューの中で話が出たのではないか。が、田原氏への信義もあり、そこまで踏み込んだ記事にはしなかったのだろう。私も前回のブログでは多少匂わすところでとどめておいたが、「政治生命をかけた冒険」も不可能になったから書いてしまうことにした。
 

田原総一郎氏が安倍総理に進言した「政治生命をかけた冒険」とは…北朝鮮に核・ミサイルを放棄させることは可能か?

2017-08-23 12:11:25 | Weblog
 毎日新聞が昨日(22日)、ジャーナリストの田原総一郎氏との単独インタビューをデジタル会員向けに動画配信した。インタビュアーは吉井理記記者である。吉井氏は単独インタビューを申し入れた動機をこう語っている。
「どうにも気になる。ジャーナリストの田原総一郎さんが、である。先日、安倍晋三首相と官邸で会談し、『政治生命をかけた冒険』を持ちかけた、と報じられているからだ。これに首相も乗り気だというから、中身が気にならないはずがない。田原さんを直撃した」
 田原氏が安倍総理と昼食を共にしながら約1時間、会談したのは7月28日。総理から「話を聞きたい」との申し入れがあったという。異例中の異例だが、田原氏が親しかった官邸中枢の人物(菅官房長官のようだ)に「起死回生」のアイディアを話し、その人物から田原氏のアイディアを聞いた総理が会ってみたいと思ったらしい。
田原氏は番記者が常時詰めている官邸の表玄関から堂々と出入りしたから、記者たちが目の色を変えたのは当たり前だ。会談を終えて出てきた田原氏はたちまち記者たちに囲まれた。
 その場で田原氏が語ったことは「政治生命をかけた冒険をしてみないか」というアドバイスをした、ということだけだった。ただ、中身については「言えば壊れる。しかし、近いうちに総理はやるだろう」と語った。「内政か外交か」という質問にも一切答えなかった。
 当然メディアは目の色を変えて「中身」を探ろうとした。が、官邸の口は固く、田原氏も「中身」については「黙して語らず」を貫いた。
 最初に田原氏に単独インタビューを試みたのはテレビ朝日の『モーニングショー』。生出演ではなくテレビ・インタビュー方式で、ゲストが一人ずつ田原氏に質問し、キャスターの羽鳥氏があらかじめゲストに「具体的なことは言わないだろうから、質問に対する田原氏の反応を表情から推測してほしい」という、これまた異例のインタビューだった。
 結局、この日のテレビ・インタビューで田原氏が明らかにしたことは「内閣改造や解散のような小さな話ではない」が、「安倍さんでなければできないこと」「安倍さんが行動に出たら民進党も共産党も反対しないだろう」ということだけだった。
 毎日の吉井記者ではないが、私もずっと考えてきた。とにかく田原氏が「内政か外交か」という質問にも一切答えないのだから、雲をつかむような感じだった。ただ、このインタビューで得た大きなヒントは「日本の政治家で安倍さんにしかできないこと」であり、「安倍さんが行動を起こしたら野党も反対しない」という二つである。
 この二つのヒントを手掛かりに私が考えたキーワードは「内政だったら大胆な税制改革」、外交であれば「安全保障」だろうということだった。「安倍さんにしかできないこと」とは、安倍総理の個人的資質を指すのか、総理という地位にあり支持率は低下しつつあったとしてもまだ強大な権力を保持している(次期総理を目指す岸田氏を党3役に据え、安保法制強行時にあからさまな批判を行って更迭された野田氏=当時の党総務会長=を内閣に取り込むことに成功したことからも安倍氏の党内基盤はまだそれほど脆弱化していないと思える)からなのか。
 もう一つのヒントは「野党も反対しない」ということは、国民の大多数も支持する政策ということを意味する。
 この二つのヒントから考えたが、まず「内政」のキーワードとして考えた「大胆な税制改革」はどうか。私は第2次安倍政権が誕生した12年12月の年末30日に投稿したブログ『今年最後のブログ…新政権への期待と課題』で大胆な税制改革を提言した。実はこの時期、新政権が打ち出していた経済政策は①金融緩和によるデフレ克服②大胆な財政出動(公共工事)による景気回復、の二つで「二本の矢」だった。三本目の矢である成長戦略が追加されたのは翌年春になってからである。
 この新政権の経済政策に対し、私はそうした政策では景気は回復しないとして、大胆な税制改革を提言した。まず金融資産を増やすことにしか金を使わない高齢者の金融資産を、若年層に移転しなければ消費は回復しない。GDPに占める個人消費の割合は6割であり、個人消費を増やす政策をとらない限り景気は回復せず、賃金の上昇があまり見込めない状況では高齢者富裕層がため込んでいる金融資産を若年層に移転する税制改革が必要だというのが私の提言。そのためには贈与税と相続税の関係を逆転させ、贈与税の軽減化(というより贈与する側には課税せず、贈与を受けた側に一時所得として課税する)と、相続税を大幅にアップすることが必要。さらに戦後のシャウプ税制時代まで戻さなくても、累進課税を復活させ高額所得者の最高税率を現在の50%から65%程度に引き上げ、その一方で中低所得者の税率を軽減化すること。私はそうした提言をしていた。
 実は安倍政権は私の提言を中途半端にパクった。相続税は高くしたし、祖父母の孫に対する教育費限定の贈与2000万円までを非課税にする、高額給与所得者の給与所得控除を減額(事実上の税負担アップ)した。この給与所得控除の減額については、権力べったり主義の読売新聞が社説で「消費が減少し、景気回復が後退する」と、珍しく批判したが、高給取りの論説委員ならではの批判だった。
 実は私はこの税制改革のとき、猛烈に批判したブログを書いた(時期は覚えていない)。批判の視点はこうだった。
 かつて竹下内閣が導入し、橋本内閣が増税した消費税について政府は「欧米先進国に比べ日本の高額所得者への課税は厳しすぎる。欧米並みに軽減して高額所得者の仕事に対する意欲を高める」と屁理屈を主張していたはずだ。が、安倍内閣が給与所得控除の引き下げをした時の理由は「欧米先進国に対して日本の高額給与所得者の給与所得控除は大きすぎる。欧米並みにしたい」というものだった。だとしたら、消費税導入や増税のときの主張はなんだったのか。当時の大蔵省の官僚どもは、ぼんくらだったのか、それとも自分たちの納税額を低くしたいためにウソをついたのか。
 多くの国民が勘違いしているのだが、税金(所得税及び住民税)は、年収にかけられているのではなく、様々な控除を年収から除した「所得」にかけられている。私自身は税の専門家ではないので調べようがないのだが、日本は「なんでも自己責任」の欧米と比して控除が多すぎるのではないかと疑問を持っている。給与所得控除だけでなく配偶者控除、扶養家族控除、非公的保険控除、寄付金控除、その他もろもろの控除が年収から控除された額(手取りではない)が課税対象となる「所得」である。だからそれぞれの国の税制によって、年収は同じでも、課税対象の「所得」は異なる。当然欧米先進国と税負担のあり方を比較検討するのであれば、年収に対する実質的な税負担を比較する必要がある。
 たとえばヨーロッパ諸国は軒並み消費税(付加価値税)が20%前後と高い。それなのに国民生活は日本と比べてそん色ないし、社会保障も充実している。そんなことがどうして可能になるのか。消費税や社会保障の充実の表面だけを見るのではなく、税の体系全体(所得税だけでなく相続税や贈与税、投資や不動産収入などの不労所得に対する税制などすべて)を分析して、基本的には年収に対する税負担のあり方と社会保障の在り方を総合的に考えるべきではなかったか。はっきり言えば自民党の税制策は国民に対する「詐欺」である。
 しかし安倍内閣は私の提言の一部をパクっておいて、法人税は軽減した。これも疑問が生じる。法人の場合、個人の控除と違って「引当金」という名目の所得控除がある。つまり売上高から仕入れ原価を引いた粗利益から人件費や不動産賃貸料などを引いた営業利益からさらに様々な名目の引当金を差し引いて残ったのが課税対象となる純利益である。こうした課税対象の純利益の算出方法も、国の法人税制によって異なる。単純に税率だけを比較して日本の法人税は高いとは必ずしもいえるとは限らない。すでに述べたように、消費税導入や増税のとき、自民党や大蔵省(当時)は「詐欺」的大ウソをついて国民をだましたから…。
 
 そうした税制に関する経緯を考えると「政治生命をかけた冒険」を安倍総理がするはずはない。となると、その冒険は「外交=安全保障」に関することなのか。毎日のインタビュー動画について書く前に、私のこの考えを述べておく。実は吉井記者は田原氏とのインタビューでかなりいい線をついているのだが、このインタビューでなぜか田原氏はそれまで「言えない。言ったら壊れる」としてきたある問題についてしゃべってしまったのだ。
 私の推測を先に述べるが、実は安倍外交はかなりきわどいことをしてきた。というより、外交だけでなく内政面でも安倍総理は(安倍内閣ではなく、安倍総理個人として)これまでの総理では考えられないような動きをしてきた。内政面で特筆されるのは経済界に対して連合顔負けの賃上げ交渉をしてきたことだ。賃金が上昇しなければ、消費は活発化しないことくらいはさすがに安倍総理も分かっていたからだ。また外交面では世界中を飛び回って日本の技術や先進工業製品・生産物・文化を売り込み、日本産業界の営業本部長のような八面六臂の活躍をしてきた。そうした安倍総理の一面には私も日本国民の一人とした感謝もしているし、実際ブログでもそう書いてきた。
 実はロシアとの外交についても、安倍総理は私の提言をパクった。ウクライナのクリミア自治共和国が住民投票を行った挙句ウクライナから独立し、ロシアに編入された時のことだ。ウクライナは旧ソ連邦から分離独立して以降もウクライナ政府は「親ロシア」政策をとってきた。が、政府の腐敗問題から政権交代が生じ、新政府がEU寄りの姿勢を見せだしたことによりもともとロシア系民族が多数を占め、しかも自治権をもっていたクリミア自治政府がウクライナからの分離独立を住民に問い、ロシアへの編入を求めるという経緯があった。
 これはあくまでウクライナの内政問題であり、EU諸国も比較的静観していたのに、遠く離れたアメリカがまた内政干渉に乗り出した。EUのため、というよりロシアに圧力をかける口実が出来たというのが、アメリカの本音だったのではないか。
 いま米韓合同軍事演習が行われているが、アメリカが北朝鮮を挑発すれば、かえって北も更なる挑発行動に出るだろうことはわかりきっているのに、アメリカは挑発をエスカレートさせている。「アメリカは世界の警察官ではない」(オバマ前大統領)と言いながら、警察官を自ら辞めたはずなのに、都合のいい時だけ警察官に戻るということのようだ。
 同様に、ウクライナの内政にもアメリカは干渉し、日本に対してもロシアへの経済制裁を要求した。安倍外交の独自性が発揮されたのは、この時だ。一方でアメリカの要求に従ったようなふりをして形だけの経済制裁を行いながら、ロシアのプーチン大統領との親密な関係は維持し、北方領土の経済開発をロシアと共同で行う計画を着々と進めつつある。もっとも、日本の産業界はリスクとリターンを天秤にかけ、安倍総理がいくら笛を吹いてもあまり踊りたくはないようだが。
 私は日本の対ロ経済協力は北方領土問題の解決という側面だけでなく、日本の安全保障政策の大転換を意味すると考えていた。日ロの経済協力関係が成功裏に進み、日ロ平和条約の締結に至れば(この時点までは北方領土問題はとりあえず棚上げ状態でも構わない)、中国や北朝鮮に対する大きな牽制力が生じ、日本の安全保障環境は劇的に向上する。北方領土問題は、北方領土での日本企業の影響力が強まっていけば、自然な形で私たちの次の世代で解決に向けての努力が進みだすだろうと思っている。
 もちろん日本がロシアと平和条約を締結するとなれば、アメリカにとっては面白いわけがなく、おそらく日本に対して露骨な内政干渉をしてくるだろう。そのときには日本外交にとってのウルトラCがある。ロシアの友好国である北朝鮮との外交関係を一気に前進させてしまう。もともと中国とは、尖閣諸島の問題はあるにせよ、経済的には切って切れない関係になっており、中国も日本との経済関係を絶ってまで尖閣諸島を奪うことのマイナス面を計算できないほどのバカではない。日本がロシアの後ろ盾を得ることが出来れば、一気に尖閣諸島周辺の開発事業に乗り出しても、中国は手も足も出せないだろう。
 私が外交で「政治生命をかけた冒険」について考えたのは、対ロ外交を急速に進めることではないかということだ。

 さて毎日の吉井記者のインタビューに戻る。インタビューのやり取りをネット配信された記事をそのまま引用させていただく。
――「冒険」は内政問題 ?
「外交問題だよ。おそらく今月中に安倍さん、アクションを起こす」
――ジャーナリストとして、国民に話してほしい。
「ぶち壊しになる。相手のあることだから」
――首相の訪朝など、拉致問題での何かの動きを ?
「それはそう簡単なことじゃないよ。(数秒沈黙)その前にもっともっと難しい問題がある」
――ミサイル問題 ?
「いやまあ……その前にもっと難しい問題がある」
――中国との関係 ?
「いろいろあるんですよ」
――いま、北朝鮮のミサイル問題で米国と北朝鮮が挑発合戦をしている。日本が主体的に解決の道筋を描くとしたら、田原さんならどうする ?
「それを言ったら……だって、それが構想だから」
――そういう話ですか。
「うん」
――北朝鮮のミサイル問題解決に向けた政治生命をかけた冒険 ?
「うん」
※このやり取りの後、第1次安倍政権発足前に田原氏が安倍官房長官(当時)に、総理になったらまず中国に行って胡錦濤主席(当時)に会うよう勧め、実際に安倍氏が総理になった後胡主席と会談、翌年には温家宝首相の来日を実現したエピソードを田原氏が披露。(要約)
――では今度も、似たようなことが起こる、と。
「もっと大きいことでね」
――まず、中国と仲良く ?
「中国を敵にしたのが日本の失敗の歴史だ。中国脅威論は絶対に間違いだ。安倍さんにも言っている」
――ミサイル問題解決に向けたアクション……。
「ミサイルだけじゃないけどね。はっきり言えなくて申し訳ない」

 田原氏とのインタビューを終えた吉井記者は「キーワードは北朝鮮、ミサイル、中国、それに核兵器開発問題も加えるべきだろう」と述べている。
 田原氏が「冒険」は内政ではなく外交と明かしたのは初めて。これまで「内政か外交か」についても「言うと壊れる」と明言を避けてきた田原氏が、この段階でなぜ「外交」と自ら明かしたのか。田原氏は安倍総理との会談直後には「安倍さんは近いうち動き出すだろう」と語っていた。田原氏の頭の中での「近いうち」はどのくらいのスパンだったのかは不明だが、会談後1か月近くになる。吉井氏とのインタビューの冒頭で「おそらく今月中に安倍さん、アクションを起こす」と語ったが、ではなぜ「外交問題だよ」と、これまでかたくなに明言を避けてきたテーマをこの段階で明かしたのか。なかなかアクションを起こそうとしない安倍総理にしびれを切らしたのか。それともプレッシャーをかけたかったのか。
 いずれにしても北朝鮮のミサイル問題解決につながるアクションであることは肯定した。北朝鮮の核・ミサイル問題を解決する唯一の方法は、アメリカに対する恐怖心を金正恩が持たずに済んだ時しかあり得ない。日本人の私から見てもアメリカは北朝鮮に対して露骨な敵視政策を繰り返してきた。実際北朝鮮と同様敵視してきたイラク・フセイン体制を崩壊させるため、ありもしなかったイラクの核開発を口実に一方的に攻撃してフセインを殺した。その結果、イスラム過激派の跳梁跋扈が生じ、IS(「イスラム国」)問題の種をまいた。
 アメリカの、そうした行為を身にしみて感じているのが北朝鮮。アメリカに自国を攻撃させないためには核とミサイルという対抗手段を実際に持つことが何よりもの安全保障になる。そう信じ込んでいる北朝鮮に核とミサイルを放棄させることは、現実的には不可能だ。
 田原氏は第1次安倍政権のとき中国との首脳会談を提案して、それは実現したということだが、もし外交的に電撃的な行為に安倍総理が出るとしたら(北朝鮮のミサイル問題を解決するため)、相手国はロシアか北朝鮮、そしてアメリカしか考えられない。吉井記者は中国を視野に入れているが、日本にとって中国と北朝鮮問題で話し合うためのカードがない。
 日本が外交的にカードを持っているのはロシアと北朝鮮だが、ロシアの場合は北方領土問題を棚上げして平和条約を先行させるというカードがある。ただそのカードをいまの政局で切れるか、また「野党も反対しない」というが、むしろ野党に攻撃材料を与えることになるのではないか。
 もう一つは北朝鮮に対するカードは、安倍総理が電撃訪問して国交を回復するという作戦だ。この場合も拉致問題を棚上げしなければ切れないカードであり、野党の理解が得られるとは思えない。それ以上に北朝鮮とは敵対関係にあるアメリカが、日本に対する強烈な不快感を示すことは間違いない。
 最後に残るのは、米トランプ大統領に「北朝鮮に対する敵視政策をやめてくれ」と懇願することだが、「アジアの平和を守ってきたのはアメリカだ。我が国の核の傘で保護されている日本が口を出すことではない」と突っぱねられるのが関の山だろう。
 いずれにしても、田原氏が期待しているように、安倍総理が実際にアクションを起こしてみなければ、いったいどんなアイディアなのかはわからない。一番可能性が大きいのは、結局アイディア倒れだったということではないだろうか。
 

米トランプ大統領に「失望した」と言えない日本の首相。

2017-08-18 09:49:15 | Weblog
 米トランプ大統領が、ロシア疑惑に次いで危機に立たされている。米南部のバージニア州シャーロッツビルで生じた白人至上主義団体と人種差別に反対する一般市民の衝突を巡って二転三転するトランプ氏の発言が、事実上「白人至上主義」団体を擁護しているという非難が殺到しているからだ。
 事の発端は、奴隷制度の存廃を巡って黒人奴隷を貴重な労働力としてきた南部の州と、黒人を奴隷から解放して近代工業の担い手として黒人を南部から移住させたかった北部の州との武力衝突「南北戦争」で、南部の英雄だったロバート・E・リー将軍(南軍総司令官)の銅像が同地に建立されており、「人種差別の象徴」として市当局が撤去することを決めたことに、白人至上主義団体のKKK(クー・クラックス・クラン)などが12日に抗議集会を開きデモを始めた。それに抗議した人種差別反対を叫ぶ一般市民とが路上で衝突、一般市民の集団に車が突っ込み女性1人が死亡するなど大きな事件に発展した。
 これは余談だが、西郷隆盛の銅像は二つある。一つはもちろん上野公園に建立されている和装で犬を引いた銅像。この銅像は西南戦争の後、国民的人気が高く名誉回復を余儀なくされた明治政府が建立を認めたのがいきさつらしい。これは私の推測だが、政府が銅像建立の条件として軍装はダメとした結果ではなかったかと思っている。もう一つは昭和に入って軍国主義が跋扈した昭和12年に鹿児島市に建立された銅像で、こちらは陸軍大将の軍装である。
 全米を揺るがす発端になったシャーロッツビルのリー将軍の銅像は、馬上で南軍に突撃を指揮する像だ。これが軍装でなく、上野の西郷像のように平服の銅像だったら、いまでも南部の人たちから慕われている人物の象徴として、市当局も撤去しようとはしなかったかもしれない。
 余談のついでに、日本には戦闘中の躍動的な銅像は、私が知る限りないのではないか。一方アメリカでは戦闘中の躍動的な銅像が多い。銅像だけでなく、絵画でも戦闘場面を描いた絵は、アメリカに比し日本では極めて少ない。国民性の違いなのかもしれない。
 もう一つ余談だが、南北戦争で奴隷解放を実現したリンカーン大統領だが、彼は必ずしも奴隷解放主義者ではなかったようだ。現に開戦必至という状況に至った時点では北軍側は劣勢で、リンカーンは「北軍についた州の奴隷制度は維持する」と約束して南部の切り崩しを図ったくらいだった。「勝てば官軍、負ければ賊軍」は世界に共通した歴史認識手法であることを私たちは脳裏に刻みこんでおくべきだろう。

 本題に戻る。
 シャーロッツビルでの白人至上主義団体と一般市民の衝突の直後、トランプ氏は「各方面による憎悪や偏見、暴力を可能な限り最も強い言葉で非難する」と述べた。一見、物事を暴力で解決しようとすることは間違いだ、という主張に日本人には思えるかもしれないが、人種問題や宗教問題など様々な問題を抱えているアメリカ人はトランプ氏の「各方面による」という言葉に鋭く反応した。事実上、白人至上主義者団体を擁護したと国民の多くは考えたのだ。かくして全米各地で抗議デモが頻発し、肝心の足元である共和党内部からも公然たる批判が続出しだした。
 トランプ大統領も即反応した。14日にはネオナチやKKKなどの白人至上主義団体を名指しで批判、「人種差別は悪だ」として騒ぎの収束を図った。
 が、もともとトランプ氏が大統領になった直後から、トランプ氏の人種差別政策(メキシコとの国境に壁を作り不法移民は追い出す、特定のイスラム圏の国民の入国を禁止する、など)に対して全米各地で抗議デモが頻発していた。しかも選挙期間中に行われたテレビ番組で、トランプ氏は白人至上主義団体の支援を受け入れるかとの質問に「NO」とは言わなかった(これまでの歴代大統領はすべて拒絶してきた)。
 そうしたこともあって、付け焼刃的にKKKなどを批判しても、それはトランプ氏の真意ではないとアメリカ国民の大半は受け取ったようだ。その結果、この「弁明」はかえって火に油を注ぐ結果になった。
 騒ぎが拡大したことで居直ることにしたのか、トランプ氏は翌15日の記者会見で「双方に非がある」と述べ、再び「けんか両成敗」的主張に戻してしまった。「けんか両成敗」は「和を以て貴しと為す」という日本独特の道徳観に基づいた争いごとを丸く収める方法論だが、勝ち・負けをはっきりさせる欧米文化には根付かない価値観である。当然、人種差別反対の一般市民の非をことさらあげつらったことで、反トランプの運動は燎原之火のごとく広がってしまった。
トランプ氏の経済政策をバックアップするはずの二つの諮問機関に属していた大企業のトップが次々に辞任を表明、トランプ氏は16日、二つの諮問機関を解散すると表明した。
 一方アメリカ南部の都市に建立されていた地元の南軍将校の銅像を、人種差別反対の一般市民が破壊する騒ぎにまで発展した。アメリカのNPO法人「南部貧困法律センター」の調べによると、南軍の兵士や指揮官の銅像やモニュメントは718残っており、その多くは事件があったバージニアやジョージア、ノースカロライナなど南部の11州の都市に設置されているという。これらの像が人種差別の象徴か歴史遺産かは、われわれ日本人がとやかく言うことではないが、トランプ氏が17日、ツイッターで「美しい銅像やモニュメントの撤去で偉大な国の歴史や文化が傷つくのを見るのは悲しい。非常にばかげている」と、また世論を逆なでするような書き込みをした。
 北朝鮮問題でも、トランプ氏のやり方はビジネスにおける駆け引きの方法論をそのまま適用しているとしか思えない。時には明日にでも軍事行動に出かねないような強硬なツイートをしたかと思うと、その日のうちに手のひらを返すように話し合いに応じるかのような姿勢を見せてみたりして、北朝鮮だけでなく世界中を混乱に陥れている。
 ビジネスはいちど失敗しても、また取り返しがつくが、国際政治はそうはいかない。火遊びもほどほどにしないと、時には取り返しがつかないことになる。とくに、いまは北朝鮮もアメリカも、振り上げたこぶしを、どうやって自分のメンツをつぶさずにおろせるかの段階に来ている。そうした時に日本は河野外相と小野寺防衛相をアメリカに派遣して、さらに北への圧力を強めようと持ちかけたという。ばっかじゃなかろうか。せっかく金正恩氏が「アメリカの出方を見守る」とミサイル発射回避のサインを送っているのに、さらに北への圧力を強めたら北も振り上げたこぶしを下ろせなくなってしまう。

 それはともかく、安倍さんもトランプ大統領におべっかばかり使うのではなく、少しは日本の総理として誇りを持った苦言を呈してみたらどうか。
 安倍さんは総理に就任した直後の2013年12月26日、現職総理としては7年半ぶりに靖国神社に参拝した。この時米政府高官(たぶん国務長官ではないかと思うが、いまだ明らかにされていない)から「失望した」と批判された。以来安倍さんは靖国参拝を取りやめたが、安倍さんもたまにはトランプ氏の人種差別的発言やツイートに対して「失望した」と言ってみたらどうか。それともトランプ氏の人種差別思想に共鳴しているのかな?
 それならそれで、「私はトランプ氏のツイッターに『いいね!』をした」と堂々と言えばいい。


 
 
(追記) このブログを投稿した18日(日本時間)、トランプ大統領の「生みの親」とも呼ばれ、これまで「影の大統領」とも称されていたバノン首席戦略官が退任した。バノン氏が就いていた首席戦略官という職は、トランプ氏が彼のために作った役職で、バノン氏の退任によってこの職が「空席」になるのではなく、消滅するとみられている。
 バノン氏は極右思想のネット・メディア『ブライバート』の会長で、大統領選挙ではトランプ氏の選対最高責任者として選挙戦を勝利に導いた人物。メキシコ人や黒人労働者によって職を奪われたり、低賃金で苦しんでいた低所得白人層をターゲットに「メキシコとの国境に壁を作る」「イスラム教徒の入国を禁止する」などの排外キャンペーンを展開した中心人物でもあった。
 私は昨日投稿したブログでは確信が持てなかったので書かなかったが、バージニア州でのネオナチ集団やKKKが南軍の英雄・リー将軍の銅像撤去に反対してデモを行い、人種差別に反対する一般市民集団と衝突した事件で、トランプ氏のツイートや発言がなぜ二転三転したのかの理由が、バノン氏の退任でようやく明らかになった。
 アメリカの政局は、共和党のトランプ氏が大統領になったことで「ねじれ」状態は完全に解消した。表向きは、だが…。
 前大統領のオバマ時代に、ようやくまとまったTPP交渉をオバマ氏が批准に持っていけなかったのは、アメリカ議会が上下両院とも共和党が多数を占めており、議会に否決されることが必至だったからだ(上院は定数100のうち共和党が52議席、下院は定数435のうち共和党が240議席を占めている)。
 問題はアメリカの議員は日本と違って「党議拘束」を受けない。そのため「ねじれ」が解消したといっても、トランプ政権の政策が必ず議会を通過するとは限らないのである。日本でも党議拘束は憲法違反だとして禁止されれば、やりたい放題だった「安倍一強体制」は作れなかったと思う。
 トランプ氏が大統領になっても、共和党議員がトランプ政策に堂々と批判したりできたのは、トランプ氏の支持率が最初から低かったからではない。どんなに支持率が低くても、アメリカ大統領の権限は日本の総理大臣の権限よりはるかに大きい。だからトランプ氏は司法長官の首を簡単にすげ替えたりできたのだ。が、いくら権限が大きくても、議員の首を切ることは不可能だ。議員はそれぞれの選挙区で有権者から直接選ばれており、彼らの自由な政治スタンスに大統領といえども手を出せないのだ。
 トランプ氏が、バージニア州の衝突問題でスタンスを二転三転したのは、自分が大統領になれた最大の功労者であるバノン氏への配慮と、その一方で議会の多数を占める共和党議員、とりわけ穏健派への配慮の板挟みになっていたためと考えていいだろう。
 私の観測は、ここから一般のメディアの観測とは全く異なるが、おそらくバノン氏はこれ以上自分が大統領首席戦略官の地位にとどまると、ますますトランプ氏を窮地に追い込みかねないと考えたからではないかと思う。
 たとえば毎日新聞によれば「移民排斥などトランプ政権の過激な政策を主導してきたバノン氏を巡っては、保守穏健派も取り込んだ本格政権形成の妨げになるとして、更迭論が高まっていた」ようだが(19日のネット配信記事)、バノン氏はそうした共和党内の混乱を鎮静化するため政権中枢から身を引くことにしたのではないかと思う。
 バノン氏の退任によって、考えようによっては多少身軽になったとも言えなくはないトランプ氏だが、では再び反「白人至上主義」に転換するかと言えば、必ずしもそうは言いきれない。むしろバノン氏という「重し」が取れることによって、だれの影響もうけることなく排外主義的政策を推し進めようとする可能性のほうが高いのではないだろうか。

南スーダンPKOの「日報隠蔽」問題の真相を論理的に解明してみた。

2017-08-11 10:33:30 | Weblog
 昨日(10日)防衛省の日報隠ぺい問題(南スーダンに派遣されていた自衛隊のPKO※活動について、首都ジェバの付近で政府軍と反政府軍の間で「戦闘」があったという内容の日報を防衛省が公にせず、破棄したとしてきた問題)を巡って国会の閉会中審査が行われた。※PKOとは国連平和維持活動のこと
 これまでNHKは、加計学園疑惑をめぐる閉会中審査や閉会中予算委員会はすべて中継してきた。昨日も一応新聞のラテ欄には午前も午後も高校野球の中継を予定していたが、「場合により変更」という但し書きがついていた。日報隠ぺい問題を巡っての閉会中審査が行われなかった場合(というのは、肝心の稲田元防衛大臣が出席しなかった場合、野党が審査をボイコットする可能性があったとNHKの編成は考えたのだと思う。実は、私も稲田氏が出席しなかった場合、野党は審査をボイコットするだろうと思っていたし、またボイコットすべきだとすら考えていた)、ラテ欄に予定として「閉会中審査の中継」と書くことをためらったのだと思っていた。
 が、実際にはNHKは閉会中審査が行われたにもかかわらず、その中継をせず高校野球を中継した。私はNHKが閉会中審査を中継をしなかったので、ネットで中継を見た。ネットの中継は議場の雑音は一切入らず、発言者のマイクの音声だけしかスピーカーからは流れてこない。それはいいとして、ネットには当然のことながらNHKに対する批判が殺到した。「受信料なんかもう払わない」「安倍の言いなり放送局になったのか」といった、苦情を通り越した過激な書き込みが大半だった。
 なかにはNHKふれあいセンターに電話をして、対応した責任者のスーパーバイザーの名前まで書いて「NHKの判断です」という木で鼻をくくったような対応だったと批判した人もいた。もちろん、その批判をした人は「判断した理由を教えてくれ」と追及したのだが、もちろん回答はなかったという。
 私も念のため、NHKふれあいセンターに電話をしてスーパーバイザーに代わってもらい、「なぜ閉会中審査を中継しなかったのか」と、いちおう聞いてみた。やはり「NHKの判断です」と判で押したような答えが返ってきたので、「判断した人がいるはずだ。都知事とそっくりの名前の報道局長だろう」と追及したが、相手は黙秘権を行使した。
 そんなことはどうでもいいことだが、「野党の政治家も無能だが、お宅の記者もバカばっかりだ」と嫌味を言ってやった。途端に「NHKの記者はバカではありません。ちゃんと防衛省も担当記者が取材しています」と言い返してきたので、「頭の悪い奴が取材しても、この問題の重要性は分からない。朝日のお客様オフィスにも電話して伝えたが、この問題の重要性は稲田氏がウソをついたのか否かといったレベルのことではない、と本当の重要性を教えてやった。そのうえで「返す言葉がないだろう」と挑発したが、事実、何の言葉も返ってこなかった。実は朝日のお客様オフィスの担当者も、私がこの問題の重要性を教えたあげると、「あっ」と言って「報道部門にすぐ伝えます」と返事を返した。前置きはこのくらいにして、野党政治家もメディアもまだ理解できていない日報隠ぺい問題の最大のポイントを書く。

 稲田氏の国会答弁(「日報についての報告は受けていない」「日報隠ぺいについて了承したこともない」)がウソであったかどうかは、いくら追求しても証拠となる文書が出てこない以上、そのことについての真実を明らかにすることは難しい。私に言わせれば、そんなことの追求にしっちゃきになるより、次に述べる視点で追及するほうがはるかに重要である。

 まず、稲田氏がウソをついていたとしよう。
 その場合、彼女はなぜウソをつく必要があったのか。つまりウソをついた動機の論理的考察をしてみる。
 当然考えられるのは自己保身のためではなかったか、ということだ。彼女は国会答弁などで「私の政治信条から、報告を受けていたら絶対に公表を命じていた」と主張していた。つまり、彼女は防衛省幹部(背広組か制服組※か、あるいは両方かは不明)から報告を受けた時、この日報に書かれていたことがそれほど重大な意味を持っているとは理解できずに、隠蔽したいとする幹部の意向を認めてしまったのではないか。ところが、日報隠ぺいの事実が明るみに出て大騒ぎになったため、いまさら「報告は受けていた」とは言えず、「報告は受けていなかった」と言い張ることにしたのではないかというのが、考えうる最大の動機だろう。※「制服組」とは幕僚長以下の自衛官、事実上の「軍人」。「背広組」とは事務次官を筆頭とする防衛省の内局官僚で、技官や医療行為従事者なども含まれる。
 だが、彼女が自己保身のためにウソをついたとしたら、彼女はとんでもないミスをやらかした。そのことに野党政治家もメディアも気づいていないだけのことだが…。
 野党時代の彼女の民主党政権閣僚に対する手厳しい追及(たとえば「官僚の作文を棒読みするな。自分の言葉で答弁しろ」など)や、彼女が自ら誇っている政治信条や彼女の性格から考えても、もし報告を受けていなかったとしたら「こんな重大なことを私になぜ報告しなかったのか」と防衛省幹部(つまり自分の部下)に対して烈火のごとく怒り狂い、幹部に対する厳重な処分をしていなければおかしい(大臣にはその権限がある)。
 さらに辞任直後、彼女は記者の質問に対して「文民統制[シビリアン・コントロール]はちゃんとできている」と強弁している。もし本当に報告を受けていなかったら、文民統制は破壊されていたことを意味する。つまり完全に自己矛盾した答弁や発言を繰り返していたということだ。ただ、野党政治家やメディアが、彼女の発言の自己矛盾に気が付かなかっただけの話だ。
 ただ、彼女がウソをついていたということになると、これまでの大臣の失言問題とはレベルの違う話ということになる。ウソをついてまで自己保身に走るような彼女を防衛大臣にした安倍総理の任命責任はトカゲのしっぽ切りでは済まない。もちろん彼女をかばい続けた菅官房長官の責任も総理と同様重い。
 野党政治家やメディアはその点をこそ追求すべきなのだが、なぜか彼女の閉会中審査への出席を拒み続けた与党への追及にこだわりすぎた。ある一点にこだわり続けると、もっと重要なことが視野から外れてしまうという好例だ。

 次に、稲田氏がウソをついていなかった場合を考えてみよう。つまり防衛幹部が日報問題を大臣に報告せずに闇に葬ることにしていた場合だ。このほうが、実はことが重大である。なぜか。
 今度は防衛幹部が、稲田大臣に報告をあげなかった動機について論理的に考察してみる。
 南スーダンでPKO活動に従事していた陸上自衛隊の部隊は、部隊の近くで戦闘行為が生じたら即撤退をしなければならないことになっていた。だが、現地の近くで(部隊との距離は不明だが)「戦闘(が生じた)」と日報に書かれていたからには、少なくとも激しい銃声が部隊に届いていた距離内で紛争が生じていたということになる。
 安倍総理は国会答弁で「万一、南スーダンに派遣した自衛隊員に死者が出たら、私は責任をとって総理を辞任する」と言っていた。もっとも安倍さんにとっては総理の椅子はものすごく軽いようで、森友学園や加計学園問題でも「私や私の妻が直接何らかの関与をしていたら、総理を辞任するし議員も辞職する」と発言して自民党の重鎮からも失笑を買っていたようだが…。
 だが防衛省や陸上自衛隊にとっては、安倍さんが総理を辞任するくらいで済むことではなかった。もし、自衛隊が攻撃されたわけでもないのに、近くで政府軍と反政府軍の間で「戦闘行為」(この場合、「武力衝突」でも事の重大性は変わらない)が生じたという理由で、自衛隊がPKO活動を放棄して撤退していたら、日本の自衛隊は世界中から笑いものになることは必至である。
 だから現地から日報が届いても、そのことを大臣にも報告せず、現地の自衛隊部隊に撤退の指示も出さず、闇から闇に葬ることにしたのではないか。日報隠ぺいの理由はそれしか考えられない。
 だが、そうした理由で日報を隠ぺいし、稲田大臣にも報告していなかったとしたら、これは背広組と陸上自衛隊の制服組が組織ぐるみでシビリアン・コントロールを破壊したことを意味する。このことは防衛省の事務次官や陸幕長が引責辞任したくらいで済む話ではない。動機の是非は別にしても、自衛隊が自分たちの論理で緊急とも言えないような事態にも対処することが放置されたら、かつての大本営の時代を想起させかねない。
 また、稲田氏はそうしたことの重大性が認識できていなかったようだ。だから報告を受けなかったことに「私は裸の王様か!」と怒りもせずに、大臣辞任の日に防衛省職員から花束をもらい「皆さんにお会いできてうれしかった」と満面に笑みを浮かべてあいさつまでしたのだろう。どこまでノー天気なのか、と言いたくなる。
 稲田氏は大臣職にあった時、ことあるごとに六法全書を持ち出して幹部に「法を守ることの重要性」を説教していたという。弁護士資格を有する稲田氏は、自衛官や防衛庁職員が犯罪を犯すことを一番恐れていたのではないか。だが、防衛問題の機微には全く無知な素人大臣で、いくら稲田氏の将来性に期待したとしても、防衛問題を勉強させる機会も与えることなく、いきなり防衛大臣に就けた安倍総理の任命責任は、やはり免れえない。

 もともと南スーダンは政情不安定な国であることは周知の事実だった。国の各地で政府軍と反政府群の「戦闘」(武力衝突)が生じており、そうした国で、しかも武力衝突が生じやすい首都ジェバ近辺に自衛隊を派遣してPKO活動の任務を担わせる場合、紛争に自衛隊が巻き込まれる危険性は少なくなかった。それでも日本がPKOに参加することが国際的に日本への信頼感を高めることが、ひいては日本の安全保障につながるというのであれば、リスクを国民に開示したうえで国民の理解を得て行うべきだった。
 おそらく安倍政権は、リスクを開示した場合、自衛隊の南スーダンでのPKO活動は国民の理解を得られないと思ったのだろう。だから安倍総理が「安全だ、安全だ。もし万一のことがあったら責任をとって総理をやめる」などと軽いことこの上ない答弁を国会でしたため、陸上自衛隊幹部も防衛省幹部も、PKO活動任務の使命感と軽口総理の板挟みになって、現地でPKO活動に従事している陸上自衛隊員に撤退命令を出さず、日報をなかったことにするというシビリアン・コントロール無視の判断をせざるを得なくなったのが、この問題の真相だったのではないか。
 が、いかなる理由があったにせよ、シビリアン・コントロールの無視は今後、制服組と背広組の勝手な判断によって自衛隊を動かすことが出来る前例を作ることになり、絶対に許されないことだ。野党政治家やメディアは、そうした視点から、この問題を追及してほしい。そうでなければ、シビリアン・コントロールはなし崩し的に無力化していくだろう。

「原爆の日」に…核戦争の危機を完全に回避する方法を論理的に考えてみた。

2017-08-06 16:10:48 | Weblog
 再び「原爆の日」がやってきた。今年で72年目を迎える。
 広島・平和公園で今年も核廃絶を願って記念式典が開催された。今年7月7日、国連で核兵器禁止条約が10年越しの議論を経て、ようやく122か国・地域の賛成多数で採択されたが、主要な核兵器保有国は採択に不参加、唯一の被爆国であり、国民の圧倒的大多数が戦後72年間「核のない世界」を悲願としてきた日本も、アメリカに追随して核兵器禁止条約の採択を棄権した。
 式典で基調報告を行った広島市・松井市長が「平和宣言」を読み上げ、核兵器禁止条約に触れて核廃絶の悲願を訴えたが、なぜかこの場にいること自体がふさわしくない安倍総理が松井市長に続いてあいさつに立ったが、最後まで核兵器禁止条約に触れることはなかった。安倍総理が誠心誠意を込めて語ったのは、核保有国の既得権擁護のための「核不拡散条約」の重要性だけだった。でも、そうならすでに北朝鮮は核保有国になっているのだから、北朝鮮の既得権も擁護したらどうか、と思うが…。
 憲法解釈の変更によって、日本を「戦争のできない国」から「戦争ができる国」に転換させ、かつ核兵器禁止条約にも参加しなかった日本の安倍総理が、なぜか今日の平和記念式典には出席し、あいさつまでして平和を願うかのようなポーズだけ示したことに、私は式典の中継をテレビで見ていて違和感を覚えざるを得なかった。主催団体は安倍総理の出席を拒否すべきだったのではないか。
 なぜ日本政府は核兵器禁止条約に参加しなかったのか。日本を「核の傘」で「守ってくれている」アメリカへの忖度を働かせたのか。それとも、一部の超保守的政治家が頭の片隅で願っているように、いつかは日本も核を持てる国にしたいと、総理自らも心の中では思っているからなのか。
 時あたかも昨日(日本時間)国連安保理は、核とミサイルの開発に全力を挙げている北朝鮮に対する制裁の強化を全理事国一致で採択した。これまでは「話し合いによる解決」を重視してきたロシアや中国も制裁を強めることにした。

 ここから私は「論理的思考」だけを基軸に核兵器廃絶について考察する。誤解を受けると困るので、私は北朝鮮の核やミサイル開発を支持しているわけではないことをあらかじめ明らかにしておく。
 アメリカは日本と違って銃規制がない国である。日本にも銃を不法所持している暴力団などがあるが、例えば付近に暴力団の事務所があるからといって、一般人が自己防衛のための銃を持つことも禁止されている。が、アメリカは建国以来の伝統として「自己防衛」のために銃を所持することを憲法※で認めてきた。アメリカでも民主党はこれまでも何度か銃規制を試みようとはしてきたが、全米ライフル協会が大きな政治勢力として銃規制に立ちふさがってきたためと言われている。

※「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」(アメリカ合衆国憲法修正第2条)
 アメリカは連邦国家であり50の各州は民兵組織(州兵)を擁しており、古くから憲法解釈を巡って「この権利は民兵に認められた集団的権利で、一般人が武装することを認めた個人的権利ではない」という主張がたびたびおこなわれてきたが、2008年7月に連邦最高裁判所が最終的判断を下し、個人的権利として銃所持を認めて法律上の決着はついた。

 アメリカは、自国の中でも一般人の銃所持を認めてきた。この場合の銃は猟銃ではなく、人を殺傷するための銃のことである。日本でも猟銃の所持は認められている。言うまでもなく、猟銃は獰猛な動物から自己防衛することが目的ではなく、獰猛であろうとなかろうと猟が目的の武器である。
 アメリカが個人的権利として銃保持を認めてきたのは、殺人の自由を認めているからではなく、自らの身を守るためという名目上の理由による。1992年には交換留学していた日本の高校2年生の少年(16歳)が、ハロウィン・パーティの訪問先を間違えて射殺されるという悲劇が生じたが、射殺したアメリカ人は過剰防衛の罪にさえ問われることなく無罪になった。
 アメリカのそうした理屈を核やミサイルに関する国際関係に適用すると、北朝鮮の核やミサイル開発をアメリカが非難するのはおかしいのではないか、という疑問を私は持つのだが…。
 もともと北朝鮮が核やミサイルの開発に血道を上げるようになったのは、世界一の核軍事力を誇るアメリカから「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと名指して敵視されたことによる自己防衛のためである。北朝鮮も、アメリカと核戦争をやって勝てるなどといった妄想はこれっぽっちも持っていない。金正恩もそれほどのバカではない。アメリカが武力攻撃をしてきたら、そっちも無傷ではすまないぞ、という「窮鼠、猫を噛む」の覚悟を明白にしているだけだ。「窮鼠」とは追いつめられたネズミのことであり、ネズミのほうから猫にけんかを吹きかけることなどあり得ない。
 アメリカが北朝鮮に、敵視政策をとってきた過去を謝罪し、北朝鮮に対する挑発的な米韓軍事演習は控えると国際社会に誓約すれば、北朝鮮も核・ミサイル開発を中断する(いつでも再開できる状態は維持するだろうが)。
 北朝鮮のミサイル発射実験も、よく考えてみればあの方向しかない。北朝鮮にとっては自国の核とミサイルが抑止力になるためには、まずミサイルが米本国まで届くことを証明する必要がある。もし飛行高度弾道での立証が出来なければ、北朝鮮のミサイルは日本や韓国など周辺国の上空を侵犯せざるを得なくなる。だから北朝鮮はミサイルをほぼ垂直に近い角度で、しかも自国国土の上空に発射しているのだ。もし失敗したら、ミサイルは自国内に落下するリスクを冒していることを意味する。決して日本を挑発しているのではないよとのメッセージを込めた弾道だ。
 確かに北朝鮮は日本に対してもしばしば挑発的言動を繰り返してはいる。「アメリカとの戦争になったら、真っ先に日本が火だるまになる」などと脅かしている。だが、それは日本がことさらに北朝鮮の脅威を国内で煽り立てて集団的自衛権行使を可能にしたりしているから、北朝鮮としては「いざというとき日本がアメリカと一緒になって軍事行動に出るのではないか」という危惧を持っているから、その抑止政策の一環と考えたほうが論理的である。
 はっきり言って、北朝鮮の核やミサイル開発、さらにアメリカや日本を名指ししての挑発的言動は、北朝鮮にとっては精いっぱいの抑止政策なのだ。IS(イスラム国)のような自滅的行動には、北朝鮮は絶対に出ない。現在の体制が保証されている限り、体制と国土の破壊を招くことが必至な冒険はおかさない。本当は一番リスキーな状況にあるはずの韓国がほとんど反応していないのは、同じ民族だから北の狙いもよくわかっているからだろう。

 これから書くのは純粋に論理的な結論である。その前提をご理解の上、読んでいただきたい。
 核保有5大国が安全保障上、自国の核は手放せないというなら(実際、そう主張している)、5大国が保有する核を事実上無力化してしまうことしか「核戦争」の危機を完全に回避することは不可能だ。そんなことが出来るのか?
 できるのだ。世界中の国が核を持てば、5大国の核は完全に無力化する。国際社会が「核不拡散」ではなく「核拡散」政策に転換すれば、すべての国が核抑止力を確保することになるから、5大国の核は事実上無力化する。そして世界中に核を拡散できるだけの能力を、日本は持っている。
 5大国が核を放棄すれば、インドやパキスタン、北朝鮮、公表はしていないがイスラエルなどの核保有国も核を放棄する。5大国が核の放棄を拒否し続ける限り、5大国と国際紛争が生じた国は、自国の安全保障上、抑止力としての核を持たざるを得なくなる。5大国のうちいずれかの国の核の傘に守られていると思っている国は、核を保有する必要がないと今はとりあえず考えているが、そういう状態が未来永遠に続くという保証はない。
 核兵器を廃絶するには、世界中の国がすべて時刻が核抑止力を持つこと以外に道はない。これが究極の論理的結論であろう。
 

民進党が無党派層からそっぽを向かれた、これだけの理由。

2017-08-01 15:41:31 | Weblog
 内閣支持率の下落に歯止めがかからない。加計学園問題を巡る、安倍総理不在中の7月10日に行われた閉会中審査を境に内閣支持率は急落した。
 内閣支持率が下がり始めたのは森友学園問題や加計学園問題が浮上した6月からで、例えばNHKの世論調査でも5月までは50%台をキープしていたが6月には48%(不支持率36%)と安保法制の強行採決以来久しぶりに50%を切り、さらに7月の調査では35%(不支持率48%)と支持・不支持が逆転した。
 実は各メディアの世論調査の誤差は調査時期による要因を除けばかなり縮まって来ている。設問の内容によってばらつきが出るのはやむを得ないが、少なくとも内閣支持率調査は「いまの内閣を支持するか、しないか」の二者択一しかあり得ない。それでもメディアによって大きなばらつきが生じていたのはRDD方式[RDSとも言われる]の欠陥によるものだった。
 この方式はコンピュータで無作為に数字を組み合わせて選んだ電話番号に電話をかけて調査するというやり方で、対象が固定電話に限られていた。しかし、いまの若い人たちは独身者はもとより、家庭を持った人たちの間でも固定電話離れが急速に進んでいる。携帯のかけ放題やラインが普及して、固定電話より利便性が高まったせいだ。私は長文のブログを書いていることもあってパソコンを手放せないが、若い人たちのパソコン離れも急速に進み、NTTも窮地に陥っている。
 NTTが窮地に陥っているという意味が理解できない方のために説明しておくと、旧電電公社が民営化してNTTは固定電話専用の電話会社になり、携帯電話部門はNTTドコモに分離されたためだ。つまりNTTとNTTドコモは親子の関係にありながら食うか食われるかの競争関係になってしまった。固定と携帯は通信市場のパイが増え続けない限り、絶対に共存共栄はできない状態になってしまった。
 NTTの戦略的ミスは光通信網を家庭にまで拡大しようと過大な設備投資を続けてきたことだ。通信網の光化は電電公社民営化直前の真藤総裁時代に着手された。その時の構想は日本列島を縦断する通信大回線を光化し、次の段階として各地の電話局を光通信網で結ぶというものだった。
 光化を、その段階までで止めておけばよかったのだが、NTTの経営陣は調子に乗って家庭にまで光回線を敷設しようというばかげた計画を立てた。
 いまの若い人たちは知らないだろうが、かつては固定電話を持つのは大変だった。まず電電公社から加入権を購入しなければならないのだが、購入するのに数か月かかるという状況が続き、加入権を売買する業者が数万を数えるほどだった。いまNTTは加入権購入など条件にしていないし、加入権売買業者も皆無になった。それどころか、人々の固定電話離れを何とか防ごうと、来年にはIP電話と同じく電話料金を全国一律3分8.4円にするらしい。
 自分で自分の首を勝手にしめたNTT問題から離れる。私がこのブログで言いたかったことは固定電話の持ち主を対象にした世論調査では、本当の世論は分からないということだ。そのことはこれまでブログでも何度も指摘してきたし、NHKや読売、朝日などにも調査方法を見直すべきだと電話で申し入れてきた。ようやく今年に入ってから携帯にも電話するようになったが、各メディアによる調査誤差が縮小してきたのはそのせいだと思う。
 ただ、どのメディアも固定と携帯の調査割合を公表していない。というのは、調査対象は各都道府県の人口に比例したサンプルを選ぶ必要があるが、携帯電話には固定電話のような地域別の局番がないからだ。固定電話にかける場合にはあらかじめ東京都23区なら03という局番の持ち主のサンプル数を人口比に応じて決めておけば、後はコンピュータが自動的に電話して自動音声による調査をすれば済むが、携帯の場合はどの地域に住んでいる人かがまったくわからない。住居を確認する方法は、どうやら人手に頼っているようだ。
 そんなくらいなら、各メディアが共同出資して世論調査会社を作り、面談方式で調査すればメディアによる調査誤差もなくなるし、調査の信ぴょう性も高まると思うのだが…。
実は、そういう方法は私はすでにメディアに提案はしているのだが、メディアによって設問内容が違うから難しいという。ということは、あらかじめ調査対象をメディアの主張に近いように誘導する設問にしていることをメディア自身が認めていることを意味し、調査結果への信頼性が損なわれるのもやむを得ないだろう。
そういう世論調査の「信頼性」を前提にNHKが行った今年の内閣支持率と政党支持率の推移を見てみよう(出典はNHK放送文化研究所のホームページ)。なおNHKは4月の調査から固定電話だけでなく携帯電話の所有者も調査対象に加えている。

内閣:安倍内閣(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
支持する 55 58 51 53 51 48 35
支持しない     29 23 31 27 30 36 48
政党支持率
(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
自民党 38.3 38.2 36.9 38.1 37.5 36.4 30.7
民進党 8.7 6.4 7.6 6.7 7.3 7.9 5.8
公明党 3.5 2.8 4.1 3.8 3.8 4.2 4.1
共産党 3.2 4.4 2.8 3.2 2.7 2.7 3.3
日本維新の会 1.6 1.4 1.6 1.1 1.3 1.2 1.2
自由党 0.0 0.4 0.1 0.5 0.3 0.4 0.5
社民党 0.9 0.7 1.1 0.6 1.0 0.9 0.3
日本のこころ(※1) 0.0 0.0 0.0 0.1 0.1 0.0 0.2
その他の政治団体 0.3 0.3 0.4 0.2 0.1 0.3 1.0
支持なし 38.3 40.1 38.9 38.7 38.4 40.8 47.0
わからない、無回答 5.3 5.2 6.6 7.0 7.5 5.1 5.8

なおNHKの世論調査はだいたい10日前後の直近の金~日の3日間に行われており、7月の場合は7~9日に行っている。10日には閉会中審査が総理不在の中で行われており、もしNHKが10日以降に調査していれば内閣支持率は相当変動していた可能性がある。実際、閉会中審査後の22,23の2日に行った毎日新聞の世論調査(主要メディアの世論調査としては最新…8月1日現在)では、内閣支持率26%(不支持56%)という結果が出ている。毎日の世論調査の翌日24日から2日間にわたり安倍総理出席のもとで閉会中予算委員会が行われており、その後に調査をしていれば内閣支持率は20%割れになっていた可能性も否定できない。
調査日によってメディアの調査結果は多少異なるが、すでに述べたように内閣支持率に関しては設問内容に意図的な作為はほとんど不可能で、もし作為をするとすれば各地域における人口比を正確に反映したサンプリングをしているか否かくらいであろう。自民党や公明党は地方に大きな票田を持っており、意図的に地方のサンプリングを多くすれば内閣支持率は高くなる。メディアがそんな汚いことをやるか、と思われる方もおられるだろうが、はっきり言って日本のメディアはそういう作為を平気でやりかねない。
そのことはともかく、NHKに限らず5月までは内閣支持率と自民党支持率はほぼパラレルな関係にあった。内閣支持率も自民党支持率も大きく変動はしていない。が、6・7月はその関係が大きく崩れている。NHKに限って言えば、6月の内閣支持率は前月比-3ポイント(不支持は+6ポイント)である。さらに7月は加計学園疑惑が沸騰したこともあり、内閣支持率は前月比-7ポイント(不支持は+12ポイント)と大きく変動している。
ではこの間自民党支持率の変動はどうだったか。6月は前月比-1.1%だったが、7月には-5.7%と大きく下げた。が、下げ幅は内閣支持率ほどではない。6月はそれほど支持率が下がっていないのに7月大きく下げたのはNHKが世論調査を行う前の週2日の東京都議選の結果が大きく反映したと考えられる。この選挙での「防衛相、自衛隊が…」との自民候補応援演説で非難を浴びた稲田防衛相、「こんな人たちに負けるわけにいかない」と秋葉原で街頭演説を行った安倍総理に対する怒りが自民党支持層にも広まったためと言われている。この暴言がなければ、自民党支持率はそれほど大きく下落はしていなかったと思われる。
そう言い切れるのは無党派層の、この間の増加である。5月までの5か月間はほぼ38%台で大きな変動がなかったが、6月には前月比で+2.4ポイント、7月には+6.2ポイントと大きく増えているのだ。つまり自民党支持層の自民離れが無党派層の拡大につながったといっていいだろう。
最近の選挙は無党派層が大きなカギを握っているといわれる。都議選で既成政党が共産党と都民フと協定を結んだ公明党を除いて軒並み惨敗したのも、自民に愛想尽かしをした元自民支持層を含む無党派層の動向が大きく作用したと考えてよいだろう。その証拠に、都議選を含む最近の地方選挙の投票率は、すべて前回を大幅に上回っている。前回の衆院選について私は憲政史上空前の低投票率になると予測してブログにも書いた。メディアは軒並み、その前の投票率程度と予測していたが、結果は私の予測のほうが当たった。
前回の衆院選は、争点がまったくなかった。安倍総理は消費税増税の延期を争点にしようとしたのだが、民主党がのってこなかった。やむを得ず安倍総理は「アベノミクスの是非を国民に問う」という、争点になりえない争点をでっち上げて解散総選挙に打って出た。当時民主党は別にアベノミクスを批判していたわけではないので、有権者がしらけるのは当たり前だった。
ただ、選挙直前になってメディアが一斉に「自民300を超す勢い」という調査報道をしたため、冗談じゃないと怒った無党派層の一部が投票所に足を運んだ。その無党派層が消去法で投票したのが共産党だった。そのため投票率は私が予想したより上回ったが、憲政史上最低の投票率は記録した。
この傾向は前回の衆院選以降、ずっと続いている。別に日本国民が左傾化しているわけではないのだが、自民党には票を入れたくない、かといって民主党も当てにできない。公明党もバックが創価学会だからいやだ。となると、そういう無党派層の受け皿は共産党しか残らない。消去法の選択肢で共産党が伸びているのは、そういう理由でしかない。現に、NHKの政党支持率の推移を見れば一目瞭然である。NHKの調査では2月の共産党支持率が4.4%と、この月だけ公明党の支持率を上回っているが、同じ月の内閣支持率は今年に入って最高の58%を記録している。おそらくコンピュータが無差別に選んだサンプルが結果的に偏ったものになったのではないかと思う。だから2月を除けば共産党の支持者が増えだしたとは言えないことがわかる。
問題は2大政党による政権交代を可能にするために行われた小選挙区制導入が、結果的には失敗だったということだ。小選挙区制導入後、政権交代は2回あった。最初は細川内閣の誕生であり、2度目は民主党政権だった。そういう意味では小選挙区制導入によって政権交代が可能になったとは言える。
だが、細川内閣は野合政権であり、民主党政権は野合政党政権だった。そのため政権内で総理の求心力が最初からなく、足の引っ張り合いで何も決められない政権でしかなかった。細川内閣と民主党政権を生んだ無党派層が、何も決められない野合勢力にそっぽを向いたのは当然と言えば当然すぎる結果である。
無党派層によって308という空前の衆議院の議席を与えられた旧民主党が、なぜその後無党派層からそっぽを向かれたのか…その総括なしに数の論理に血道をあげて江田グループと再び野合した民進党に対する期待感を、無党派層は今ほとんど持っていない。その証拠に、民進党への支持率は今年に入って低迷の一途をたどっている。安倍内閣が誕生以来最低の支持率を記録した7月ですら民進党の支持率は前月より2.1ポイントも下落している。もはや民進党は政権を狙える政党の体をなしていないと言わざるを得ない。
もちろん自民党も一枚岩ではない。だが、55年体制が続く中で党内の主導権争いは続いたが、いったん総裁が決まれば足の引っ張り合いはとりあえず影をひそめる。その結果、政権の担い手として決めることができる政党として、常に政局の中心にいた。そういう「大人の政党」には、いまの民進党はなりえない。蓮舫氏の「二重国籍」問題といった基本的人権にかかわるような足の引っ張り合いをやっているうちは、無党派層から振り向いてはもらえない。
蓮舫氏が代表を辞任した以上、早急に次の代表を決めなければならないが、いま立候補者として取りざたされている前原・枝野・玉木氏のだれが代表選に勝利するかはわからないが、だれが勝つにせよ決まったら足の引っ張り合いはしないという紳士協定を選挙の前に結んだほうがいいだろう。