小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「Go Toトラベルが感染症拡大を招いたというエビデンスはない」と居直る政府の欺瞞性を暴いた。

2020-11-30 00:34:23 | Weblog
私はこれまで、新型コロナ感染対策と経済活動の再生は絶対に両立しえないと何度もブログで書いてきた。が、依然として政府は「両立」にこだわり続けているし、野党もメディアも、そうした政府のスタンスを批判しない。
野党やメディアが批判しないから、政府は両立しえない感染対策と経済対策を同時に進めようとしている。
政府の方針を批判しないということは、政府の方針が正しいと思っていることを意味する。だとしたら、「両立しうることの論理的説明」ができない政府に代わって、野党やメディアがその役割を果たしたらどうか。

●日本の「PCR検査能力」は宝の持ち腐れ
問題は二つある。両立政策について小池都知事は「ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもの」と批判した。ブレーキとアクセルを同時に踏むことは物理的に不可能なので、私は「両立政策は一人シーソーをするようなもの」と指摘してきた。
政府が「ひとりシーソー」を踏み続けた結果はどうだったか。経済活動再生のためのカンフル剤として7月に前倒しで始めたGo Toキャンペーン。まずトラベルから始めてイート、イベントとカンフル剤を打ち続けた。その結果、確かに観光旅行業界や飲食業、プロ・スポーツやコンサートなどの娯楽産業は多少、息を吹き返したかに見える。
その一方、新型コロナの感染状況はどうだったか。東京都を除いてGo Toトラベルを始めた途端、当たり前と言ってしまえば当たり前だが、コロナさんも息を吹き返した。
新型コロナウィルスは、夏眠するインフルエンザウィルスと違って通年型のウィルスだが、高温多湿化では活動能力が低下し、冬季になるとがぜん、元気を取り戻すようだ。インフルエンザと同様、夏はおとなしくしてくれるだろうと期待したのかどうかは知らないが、政府の目論見は見事に外れた。Go Toトラベルを始めた途端、コロナさんが元気を取り戻し、真夏の8月には一気に感染者数が増えだした。メディアは「第2波だ」と大騒ぎした。が、コロナ感染の拡大とGo Toトラベルの関連性をちょっとでも考えたメディアは皆無だった。
政府のコロナ対策に手厳しい批判を加えている「羽鳥モーニングショー」のコメンテータ・玉川氏ですら、馬鹿の一つ覚え(失礼!)のように「PCR検査を増やせ」と毎日主張するだけだった。実際には政府はPCR検査能力は増やしてきた。緊急事態宣言中の1日あたり約3万件だった検査能力は、7~8月には倍の約6万件に増やしてはいた(現在のPCR検査の最大能力は約8万5000件)。もう少し玉川氏が厚労省が公表しているデータを分析していれば、検査能力と検査実施能力には大きな乖離があることに気づいていたはずなのだが…。
実は政府がやってきたことは検査キットを増やすことだけで、検査能力に見合うだけの検査体制をどう整えるかは、全然とまでは言わないが、あまり重視してこなかった。これは不思議なことだが、判で押したように、検査実施件数は検査能力のほぼ半分でストップしてしまっているのだ。たとえば直近のデータを見ると、11月26日時点のPCR検査能力は86,680件あるのだが、同日の検査実施数は42,634人でしかない。つまり政府は検査キットをたくさん購入して自治体の保健所などに配布することが感染対策だと思っているようなのだ。私が以前から「日本の検査能力は宝の持ち腐れ」とブログで書いてきたのは、そういう事情があったからだ。

●門外漢だらけの分科会で感染対策などできるわけがない
日本のPCR検査能力が宝の持ち腐れになっていることは、おそらく検査感染の拡大を政府が恐れているからだと思うが、韓国のドライブスルー方式での検査やニューヨーク市の「誰でもいつでも検査」体制や、武漢の1000万人市民に対するローラー方式が、かえって感染拡大を招いたかどうかの検証すらしていない。国の役割はPCR検査キットをたくさん配ればいいと考えているのか。後はその検査キットを使って検査数を増やすか、あるいは神棚に祀って大事にしまっておくかは自治体まかせという姿勢なのだから。
トランプ大統領の下で新型コロナを軽視し続けてきたアメリカですら、27日午後3時時点での累積感染者数は1288万人に達しており、死亡者数は26万人を超えている。ちなみにドライブスルー方式でPCR検査を行った韓国は累積感染者32,491人、死亡者数516人である。そして日本は累積感染者数139,491人で、死亡者数2,051人である。
東京都の感染者数が急増しだした11月20日ごろ、小池都知事はPCR検査数が増えれば感染者数が増えるのは当たり前、とうそぶいて感染対策にソッポを向いていたが(小池さん、ゴメン。私は年寄りで記憶力は相当衰えているのは自覚しているが、なぜかこういうことだけ覚えている)、PCR検査数と感染者数が完全にパラレルなら拡大も縮小もしていないことになるが、前回のブログで明らかにしてしまったように、検査数に占める感染者の割合(陽性率)が増えている。陽性率も増えているのに、「検査数を増やせば感染者数も増える」とは、どういう思考方法から出てくる結論なのか。
それより問題なのは、日本の人口当たりPCR検査実施数はおそらく世界中で最も少ないのではないかという疑問をぬぐえないことだ。この比較データはネットでいろいろ検索してみたが、わからない。日本だけがきちんと検査能力や検査実数を公表しているのに、海外はそういうデータを一切公表していないのか、それとも厚労省が隠しているのか。
日本も含め世界各国が公表している感染者数はPCR検査で陽性が確認された人の数であり、感染していてもPCR検査を受けずに(あるいは検査を受けられずに)いる人(隠れ感染者)は、当然、感染していても感染者数にカウントされない。検査を受けずに感染者と認定されるシステムは世界どの国にもない。日本が欧米諸国に比べて感染者が少ないと言われているのは、単にPCR検査を受けた人(検査実施件数)が少ないからだけではないのか。 
そうなると、死者数や死者率も気になる。本当は重症者数や重症者率も含めて考察したいのだが、重症者についてのデータがない。日本国内でも重症者の基準が自治体によって異なるような状況だ。
で、とりあえず死亡者数と死亡率について考察してみよう。私は専門家会議のときから、メンバーに統計学者を含めろと主張してきたが、感染症の専門家を中心に集めた専門家会議と違って7月に発足した分科会はメンバー18名のうち感染症の専門家はたった4、5人、あとは一応医系の現場リタイア組が多く、それに加えて経済学者・現場リタイアのジャーナリスト・弁護士・知事など、顔触れだけは多士済々。はっきり言えば「おせち料理」的集団だ。感染症の専門家でさえ現在の感染状況の判断に苦しみ、有効な感染対策を打ち出せない状況下で、門外漢が分科会会員としての「責任を果たす」ためにああだ、こうだと口を出すから、まとまるものもまとまらない。

●なぜ統計学的手法が必要か
数字はウソをつかないと言われるが、数字そのものはねつ造されなくても、数字の読み方で感染状況の見立ては大きく分かれる。単純に感染者数だけを欧米と比較すると、まだ日本は大したことはないではないかという判断に陥りやすいが、そういう見立てがいかに危険か。
27日午後3時現在、日本の累計感染者数は約14万人、「感染者と確認された患者」(※この定義が重要)のうち「死に至った人」の数(死亡者数)は約2000人。念のため厚労省はPCR検査で陽性が確認された感染者を「患者」と定義している。
一方、日本より新型コロナに対してはるかに無防備なアメリカの累計感染者数は約1300万人、死亡者数は26万人を数える。一方、いまでもアメリカでは新たに判明した感染者が毎日、日本の累計感染者数をはるかに上回る16~17万人発生しているという事実がある(28日には20万人を超えた)。仮にアメリカの陽性率(PCR検査の結果、感染が判明した割合)をかなり高い10%としても、アメリカでは毎日、PCR検査を最低でも160~170万件実施している計算になる。アメリカの人口は日本の約2倍だから、日本のPCR検査実数(約4万件)の20倍も検査していることになる。このところ日本の患者(PCR検査で感染が判明した人)数は連日2500人を超えているから(ただしPCR検査実施数は依然として検査能力の約半分4万件のママ)、人口当たりアメリカ並みにPCR検査を実施していたら、感染者数は一気に5万人を超える計算になる。
もちろん、これはあくまで机上の計算で、感染状況がアメリカと日本が同じという前提での計算に過ぎないのだが、小池都知事が言うように「検査数が増えれば感染者数も増える」のは確かだ。だが。前回のブログで明らかにしたように検査数を増やしても陽性率は下がらず、かえって高くなっている現状を考えると、本当にアメリカ並みに日本も人口当たりのPCR検査数を増やしたらどうなるか。統計的手法が必要だという意味がお分かりいただけただろうか。
次に死亡者数、死亡率について考察する。言うまでもないが(本当は「言っておかねば」だ。日本の政治家やメディアがいかに頭がいいかよーく分かるので)、公表されている死者数は、PCR検査で感染が確認された患者だけを対象に数えた数だ。つまり、実際にはコロナが死因であっても、PCR検査を受けていない人は、この死者数にはカウントされていない。
この計算は厳密に行う。順に、国名・感染者数(PCR検査で感染が確認された数)・死亡者数(PCR検査で感染が確認された人でコロナが死因で死亡した人数)・死亡率(コロナが死因で死亡した感染者と認められた人の割合)を書く。(27日午後3時現在)

アメリカ  12,883,264人  263,454人  2.04%
中  国     86,495人   4,634人  5.35%※
韓  国    32,491人    516人  1.58%
日  本    139,491人   2,051人  1.47%

このデータは感染者数、死亡者数については厚労省が公表しているもの(グーグルで「コロナ感染者数の多い主な国」で検索できる)。死亡率は私が電卓で計算した。中国について、※を付けたのはデータそのものに信ぴょう性が置けないため。共産党に限ったことではないが、独裁国家のひずみはこういったことにも表れる。健全な野党が存在しない日本の悲劇を感じる。

●日本は直ちに「両立」政策を止めよ
コロナ封じ込めと経済再生の両立政策が不可能なことはこれまでさんざんブログで書いてきた。
確かに政府(具体的には菅総理・加藤官房長官・西村「ひとりシーソー」担当相)が苦し紛れに抗弁しているように、「Go Toトラベルがコロナの感染拡大を招いたというエビデンス(証拠)」はない。日本語に該当する語彙がないというならいざ知らず、何もわざわざそれほど一般的ではない外来語を使う必要はないと思うが、英語大好き人間の小池都知事を意識したのかどうかは知らないが、エビデンスなどという聞きなれない外来語で「両立」政策の失敗を隠せるとでも思ったのか。どうせなら「科学的根拠」と言った方が、はるかに分かりやすい。
しかし状況証拠的には科学的証明にとして通用するほど十分にある。現に、緊急事態宣言期間中に、観光旅行業界や飲食業界などは大打撃を受けた。人々が外出を控えたため、ファッション業界もリーマンショック以上の打撃を受けた。多くの企業がリモート・ワークに踏み切ったため、都心のマンションブームも崩壊した。日本のGDPの6割は個人消費が占めており、緊急事態宣言で個人消費が激減した。そのうえ、現役世代減少で日本人の消費が減った分を補っていたインバウンド消費がゼロになった。そういう状況は世界中を襲ったため個人消費に次いでGDPの大きな柱である工業製品の輸出も大幅に減少した。リーマンショックをはるかに超える大打撃を日本経済は受けた。
そういう状況を何とか打開しようとして始めたのがGo Toキャンペーンであり、そのトップ・バッターがGo Toトラベルだった。そしてGo Toトラベルを前倒しで始めた途端、コロナの「第2波」が日本を襲い、最初は感染拡大リスクが大きいとして除外した東京都を、やはり最大の消費力のある東京を外しては効果が少ないと判断して10月から東京もGo Toトラベルの対象に入れた途端、コロナの「第3波」が日本を急襲した。これは否定しがたい事実であり、これがエビデンスにならないというなら、Go Toキャンペーンの経済効果を政府が自ら否定したことになる。
だとしたら、話は簡単だ。経済効果が証明できていないGo Toキャンペーンは即座に中止すべきだろう。Go Toキャンペーンをやめたからと言ってコロナが終息するという科学的根拠はないが(政府によれば)、Go TOキャンペーンには多額の税金が投入されている。経済効果があったというエビデンスのないことに、これ以上税金を投入すべきではない。
「天を仰いで唾す」とは、こういう責任回避に終始する政府のことだ。

【追記】 日本経済新聞が27~29日にかけて「政府の政策はどうあるべきか」について3択の世論調査をした。
①  感染防止と経済活動の両立を目指すべき
②  感染防止を優先すべき
③  経済活動を優先すべき
何とアホな世論調査をしたのか。こういう3択の調査をしたら、100%、①を選択するだろうと思ったからだ。なぜなら、感染防止と経済活動を両立させるようなマジックがあるのなら、私ももろ手を挙げて①を選択する。
が、そんなマジックのような都合のいい政策などありえないから、私は両立は不可能と断定してきた。
アンケートの結果はこうだった。①を選択したのは57%、②を選択したのが34%、③を選択したのが7%だった。②と③を選択した人は、両立は不可能と考えたと思う。とくに③を選択した人はコロナで大きな打撃を受けている人、例えば仕事を奪われた人や飲食業などダイレクトにコロナの打撃を受けた人たちだろうと思う。②を選択した人は、コロナ禍でも比較的恵まれた人で、例えば公務員や年金生活者が多かったのではないか。生活保護受給者も②を選択しただろう。
もっともノー天気なのが①を選択した人で、両立しうる方法があると思って期待している人たち、日経の記者もその中に含まれるだろう。実際、両立できるマジックのような方法があったら、とっくに世界はコロナ禍から脱却できている。世界中がすべて失敗し、両立させようと経済活動に注力した結果、すべて再び爆発的なコロナ禍に襲われている。
もし両立させうる政策を考え出して成功に導く人があらわれたら、その人は来年のノーベル賞すべてを独り占めできるだろう。(30日午後2時30分)

【追記2】 あきれてものが言えない。時事通信の速報によれば、自民党の下村政調会長がGo Toトラベルを来年のゴールデンウィーク後まで延長するよう政府に求めたという。
確かにGo Toトラベルが新型コロナの感染拡大を招いたという絶対的エビデンスはない。が、感染拡大とGo Toトラベルは無関係だというエビデンスもない。少なくとも言えることはGo Toトラベルを前倒しで7月から始めた1か月くらいたって「第2波」に襲われ、Go Toトラベルに東京都を加えて1か月ほどたって「第3波」に襲われたという厳然たる事実は動かしようがない。少なくとも専門家は人の移動が活発になると感染が拡大すると主張している。
おそらく海外でも、一時的に感染縮小状態に入ったとき、経済活動に注力しだして1か月後くらいに再び感染拡大を迎えたのではないかと思う。海外での失敗例を見れば、日本のGo Toキャンペーンがコロナにとってはおいしい餌になっただろうことは想像に難くない。
エビデンスをうんぬんするなら、統計学者に頼んで、経済活動と感染拡大の因果関係を統計学的に明らかにすべきだ。政府は、それが怖くてやれないのだろう。日本には古くから「二兎を追うもの一兎をも得ず」という言い伝えがあるではないか。(30日午後4時30分)



NHK『日曜討論』でわかった菅政権の「両立」政策のホンネとタテマエ

2020-11-24 00:41:42 | Weblog
22日のNHK『日曜討論』を見た。最近、定時のニュースを除いて政治問題には蓋をかぶせ続けてきたNHK。地デジ2波、BS3波も持ちながら、政治問題を扱う番組は週に1回、『日曜討論』だけだ。「公共放送とはエンターテイメントなり」と、だれが決めた?
なお、今回のブログは「総合的・俯瞰的」視点で書いた。

●菅総理が政治生命をかけて取り組んだのが「不妊治療」?
その『日曜討論』も、政府に迷惑が掛かりかねないテーマは極力避け続けている。菅政権が誕生したときも、だれからも文句は出ない「不妊治療の保険適用」をテーマにした。問題はあったにせよ、安倍さんはそれなりに政権として「アベノミクスの実現」「憲法改正」など、大きな政治課題に取り組んだ。
政権が掲げる政治テーマは、総理自らが政治生命をかけて取り組むべき課題だ。たとえば古くは岸総理は「安保改定」、池田総理は「所得倍増」、竹下総理は「消費税導入」、村山総理は「村山談話」…といった具合だ。「安倍政治を継承する」として誕生した菅内閣。その新政権の最重要課題としてNHKが『日曜討論』で取り上げたのは「不妊治療」問題だった。菅さんも、えらく軽く見られたものだと思ったが、それはNHKが政権に忖度するためだった。それが証拠に、NHKは政府に「テレビの設置申告の義務化」をお願いした。
さすがに臨時国会開会の前後には与野党の「おせち料理番組」を2回にわたって『日曜討論』でやった。私がNHKの「ふれあいセンター」の責任者にクレームを付けたら、「おせち料理って、どういう意味ですか?」と聞かれた。おせち料理は品数こそ盛りだくさんだが、中身は少しずつしかない料理だ、と説明したら「なるほど、うまいこと言いますね」と笑っていた。
今回の臨時国会は、途中で日本がコロナ禍に襲われたため風向きが変わったが、「学術会議国会」になると、私は思っていたし、実際そういう展開になっていった。コロナ禍の急襲がなければだが…。
コロナ禍に襲われたのは、政府が感染対策と経済対策の「両立」にこだわったためだ。
22日の『日曜討論」は、さすがにコロナ感染問題をテーマにした。記者会見以外はテレビに出たことがない西村・新型コロナ感染対策担当相兼経済再生担当相をメインに全国知事会会長や専門家をゲストに討論会を行った。「これ以上の感染拡大を防ぐ」ための対策に議論が終始し、再びコロナ禍を招いた政府の責任問題は棚上げにされた。
緊急事態宣言中、日本経済は確かに疲弊した。全世界規模で経済活動は停滞し、国民の消費活動は冷え切った。日本の場合、GDPに占める個人消費の割合が6割を占めると言われている。その個人消費が大幅に減少した。安倍政権が打ち出した「Go Toキャンペーン」は、コロナ禍で落ち込んだ個人消費を回復させることが目的だった。私は前回のブログの追記で書いたように、{Go Toトラベル}は、政府の意図とは別の意味で支持した。

●人口減少と市場縮小の流れは止まらない   
エンゲル係数の意味は皆さん、ご存じだと思う。ネット解説によれば「一般に、所得の上昇につれて家計費に占める食糧費の割合(エンゲル係数)が低下する傾向にあり、このような統計的法則を、1858年の論文で発表したドイツの社会統計学者エンゲルの名にちなんでエンゲルの法則という」。一方、低所得層の場合は、生活を維持するための絶対的支出(住宅費など)があるため、食糧費を抑えざるを得ないため、高所得層と同様エンゲル係数は小さくなるという傾向も生じる。
ところが、日本をはじめ先進国では「エンゲルの法則」が当てはまらなくなりつつある。富裕層が高齢化し、金持ちの高齢者の飲食費の支出割合が高くなってきているのだ。他に支出する目的がだんだん無くなってきているからである。グルメ・ブームが生じたのもそのせいだ。将来、新たに消費を刺激するような商品が出てくるだろうか。ドローンは考えられない。可能性があるのは運転免許なしで乗れる完全AI自動車くらいだ。それ以外は、買い替え需要の耐久消費財くらいしかない。そのうえ個人消費の中心層である現役世代(生産人口)が縮小し続けるのだから、経済成長を目的にしたアベノミクスという発想そのものがアナクロニズムだったのだ。
そういう時代の流れは、もう止めることは不可能だ。不妊治療の発達があっても、女性が子育てより社会での活動に強い生きがいを求めるようになった時代だから、子供を何人も産もうとは考えない。女性が生涯に産む子供の数の平均値を合計特殊出生率というが、現在の人口を維持するためには、この数値が2.08を下回ってはならないそうだ。現在日本の合計特殊出生率は1.43まで低下しており、人口回復どころか人口維持すら不可能だ。ほしいものが無くなり、現役世代が縮小していく状態(全世界の先進国に共通した現象。中国ですら今後は輸出に頼ることができないことを自覚しており、だから経済成長の柱を内需拡大に移しつつある)に歯止めがかからない。先進国や中国のような輸出大国が、消費拡大の期待がある新興国の市場争奪戦を始めれば、冗談ではなく第3次世界大戦の可能性が生じる。経済成長競争をやめて、いかに経済活動の軟着陸を実現できるかに、人類の英知がかかっている。
そういう意味では、米トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策(つまり、アメリカさえ良ければいいという政策)は「一国主義」的な考えを前提にした場合、必ずしも間違った政策ではなかった。ただし、アメリカだからできた政策で、もし日本が「日本・ファースト」政策に踏み切ったら、世界中から袋叩きされていた。世界全体を一つの組織と考えたら、アメリカは独裁者的地位にあるから、トランプは勝手気ままにやれたのだ。

●西村氏が履いた「2足のわらじ」
さて、22日の『日曜討論』に話を戻す。メイン・ゲストの西村氏は二足のわらじを履いている。コロナ感染対策担当相と経済再生担当相という二足だ。
厳密にはもう一足、全世帯型社会保障担当相というわらじも履いているが、さすがに西村氏も足は2本しかないようだ。
西村氏の権限と責任の大きさは、国民やメディアが考えている以上に大きい。かつて大蔵省は省庁中の省庁として大きな顔をしていた。各省庁の予算配分の権限を握っていたからだ。いまでも財務省がその権限を引き継いで入るが、昔ほど大きな顔はできない。内閣府が財務省の上に君臨しているからだ。内閣府の力の大きさは、各省庁の人事権を握っていることによる。
本来、コロナ感染対策は厚労省の役割だ。経済再生も経産省が担当するはずだ。が、厚労省の田村大臣や経産省の梶山大臣の上に内閣府に所属する西村氏が両方の担当大臣として君臨している。もちろん厚労省はコロナ感染対策だけやっているわけではないし、経産省もコロナ禍によって疲弊した日本経済の再生対策だけを担当しているわけではない。だが、ことコロナ感染対策とコロナ禍による経済対策は事実上、西村氏が全権を握っている。
そうした状況をまったくわきまえていなかった頓珍漢な大臣がいた。国交省の赤羽大臣だ。西村氏に、お伺いも立てずに勝手に「Go Toトラベルは来年2月以降も継続する」と記者会見で大見得を切ってしまった。確かにGo Toトラベルについての事務方は国交省の外局・観光庁の担当だが、Go Toキャンペーンはそもそもコロナ禍で疲弊した観光業や飲食業、コンサートなどの各種イベントビジネスに対する救済策として打ち出した経済再生政策の一環である。その事務方作業を観光庁が担当することになって、赤羽氏は自分にGo Toトラベルについての権限が与えられたと勘違いしたようだ。赤羽氏は公明党所属の大臣だから、その辺の機微が分かっていなかったようだ。
その西村氏が履いている二足のわらじだが、本来、相容れないポジションだ。安倍総理(当時)がGo Toトラベルを前倒しで始めることを発表したとき、小池都知事は「アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と、非現実性を批判した。アクセルとブレーキを同時に踏むことは物理的に不可能だから、私は西村氏の役割は「ひとりシーソー」と命名した。
そこで問題は、感染対策と経済再生を両立させることが可能か、ということだ。はっきり言って不可能だ。感染対策を強めるということは経済活動の足を引っ張らざるを得ないし、経済活動を活性化しようとすれば(人の動きが激しくなるから)コロナにチャンスを与えることになる。
両立とは、コロナを抑え込みつつ経済を活性化することを意味するから(もっとも学術会議会員の任命権問題で、新立憲の枝野代表が国会の質疑で「学術会議法に会員は『内閣総理大臣が任命する』とあるから任命権があるというなら、憲法6条には『天皇が総理大臣を任命する』とある。天皇に総理大臣の任命権があることになる」と菅総理を追及したとき、菅総理は答えられなかった。
なお、この任命問題について、学術会議法の政府解釈に基づけば、憲法6条によって天皇に総理大臣の任命権が生じかねないことを初めて問題提起したのはたぶん私だと思う(10月5日のブログ『菅新総理が早くも強権体質をむき出しにしだした』で記述)。また、いまのところ政府の憲法15条解釈の欺瞞性を明らかにしたのは私だけだ(11月14日のブログ『政府答弁の欺瞞性を暴いた――内閣法制局の憲法解釈はデタラメだ』で記述)。
日本語にしても英語にしても、ある言葉(単語)がいろいろな意味を持つことはある。だから憲法や法律で使用される言葉は、いろいろな意味に解釈できる曖昧さを持ってはならない。国会での政府答弁も同じだ。「感染対策と経済再生」が両立しえない証拠に、政府が「両立」という言葉を使う場合、軸足を経済再生に置くときにしか使っていない。いまのように、感染対策に軸足を移さざるを得ない状況になったとき、「経済活動との両立を図りつつ」とは一言も言っていない。『日曜討論』でも、西村氏は経済再生との両立を図れる感染対策は述べることができなかった。

●西村担当相の「ひとりシーソー」は…
両立が不可能だということを、多分、政府も都知事も分かったのだろう。
政府はGoTOキャンペーンの縮小を打ち出したが、「全面一時停止」ではない。地方自治体に対応を丸投げすることにした。地方自治体の「自助」つまり自己責任だよ、というのが政府のスタンスだ。
これで頭に来たのが小池都知事。Go Toトラベルは政府主導でやり、感染状況が悪化していた東京都を外した。東京都を政府が仲間に入れたのは10月1日からである。「Go Toトラベルをやるときは政府主導でやりながら、縮小するときは地方自治体が自分たちの判断で勝手にやれ。政府は一切責任を負わない」――そんな馬鹿な話があるか、と小池氏は怒った。小池氏が怒るのは当たり前だ。少なくとも政府はきめ細かな感染対策の基準をつくり、その基準に従って各自治体に対して、大くくりな都道府県単位ではなく、市区町村単位で感染対策をきめ細かくやってほしいと各自治体にお願いすべきだった。
政府が間違えたのは、緊急事態宣言期間が当初の予定より長引いたこと、その結果、経済への打撃が想定以上に大きくなったこと、そのうえ決定的に政策判断を間違えたのは景気回復を急いだこと。薬でも効果が大きいほど副作用も大きい。経済政策も効果が大きいほど副作用も大きくなる。Go ToトラベルやGo Toイートなどの景気刺激策で観光業界や飲食業界はいったん息を吹き返したが、同時にコロナも息を吹き返した。そうなることは目に見えていたのに…。
こういうではないか。「あちらを立てれば、こちらが立たず。こちらを立てれば、あちらが立たず」と。両立政策とは、そういう不可能なことをやろうという政策だ。野党がだらしなかったのは、両立政策は不可能だということをはっきり主張すべきだった。
言っておくが、私は結果論で言っているわけではない。政府が景気対策を行うに際して、西村氏が「ひとりシーソー」の軸足を景気対策に移した時からブログで書いてきた。

●「両立」という言葉に隠されたホンネとタテマエ
私は緊急事態宣言を発令したとき、厚労省のコロナ・コールセンターに申し入れた。「全国一斉にやるのは馬鹿げている。患者数や陽性率、地域の医療体制などを含めて【感染指数】なる数値基準を作り、それに応じた規制をかけるべきだ」と。結果的には「ステージ」制の導入ということになったが、都道府県単位というのはあまりにも大まかすぎる。
東京都といっても広い。実際に感染が広がったのは都心の繁華街とくに歓楽街だ。特別区の23区でも住宅街はそれほど感染が広がったわけではない。ましてや奥多摩地方など、おそらく日常生活にマスクなど不必要だろう。なのに東京都全域を村八分にしたのがGo Toトラベル。小池氏がむかついたのも無理はない。「国が決めた制度だから、今後についても国がお決めください」と。
急遽、行われた全国知事会のリモート会議でも、「自治体に丸投げされても、基準も示されずに責任だけ押し付けられては困る」といった不満の声が続出したという。
西村氏は記者会見で「地域のことは地域の方が一番ご存じだから」と逃げた。そもそも私は厚労省コロナセンターにも申し上げてきたし、ブログでも書いたが、初期の段階で全国各地100か所くらいを選び、PCR検査をローラー作戦でやって感染状況の傾向を調査し、きめ細かな感染対策を講じるべきだと主張してきた。また地域によってばらばらなPCR検査基準についても厚労省が指針を決めて行政指導すべきだともブログで書いている。当初はPCR検査は保健所しか出来なかったため、保健所は自分のところの検査能力に見合うように、勝手に検査基準を決めていた。たとえば日本最大の政令都市・横浜には保健所が1か所しかない。そのため瀕死の重症者しか検査しないという状態がかなり長期間続いた。おそらく横浜では死因がコロナとされずに、肺炎とか原因不明の突然死といった死因で処理されたケースが相当あるのではないかと思っている。
緊急事態宣言の発令にしても解除にしても、経済回復のためのGo Toキャンペーンにしても、国が始めたことは最後まで国が責任を取れ。
実は、私は心の中では西村氏に同情している。相反する立場の担当大臣の要職を任され、「ひとりシーソ―」を余儀なくされた。もっと早い時期に軸足を経済対策からコロナ感染対策に移さなければならないとわかっていても、そうはできない政治的事情があった。東京都をGo Toトラベルから外したのも政府なら、やはり東京都を入れないとキャンペーン効果が出ないと、すでにコロナが息を吹き返しつつあった10月1日に東京都を解除してしまったのも政府だ。11月に入ってコロナ禍が急激に襲ってきて、「やっぱり止めた」と政府がやったら、国会で野党から政府が責任を追及されるに決まっている。
菅さんは、安倍さんの体調不良で、思いもよらなかった天井人に突然なって舞い上がっていたら、気が付いたらとんでもないお荷物を背負わされていた。私は第2波とか、第3波といった位置づけには首をかしげているが、少なくともGo Toトラベルが軌道に乗り出した8月中旬にはメディアや専門家の一部は「第2波ではないか」と警鐘を鳴らしていた。そういう時期に、Go Toトラベルの効果をさらに高めようと東京都を加えたのだから、こういう事態を招いた全責任は政府にある。
このブログの最後の締めとして、改めて書いておく。
政府(あるいは権力を持つ側)が「両立」という言葉を使う場合、実は方針転換を意味する。それも、ホンネの方への方針転換である。ホンネをあからさまにするわけにいかない場合、タテマエとして「両立」という言葉でごまかす。ホンネとタテマエの使い分けだけは、菅さんは安倍さんをちゃんと継承しているようだ。

【追記】てんやわんやの大騒動の挙句、24日、政府は北海道・札幌市と大阪府・大阪市をGo Toトラベルから一時除外することを決定した。北海道全域と大阪府全域ではない。
 それも政府主体ではなく、判断を自治体に丸投げしたうえで自治体知事からの「要請」を待って、鈴木・北海道知事と吉村・大阪府知事の判断を承認するというこすからい方法でだ。
 西村・新型コロナ感染対策相(メディアはすべて西村氏の肩書を「経済再生担当相」としているが、ブログ本文で明らかにしたように、西村氏は「二足のわらじ」を履いている。西村氏の記者会見の際、なぜ記者たちは「今日はどっちの立場での会見か?」となぜ確認しないのか、私には記者たちの無神経さが分からない。
 それはともかく、今頃になって「地方のことは地方が一番よくわかっている」と判断を自治体の首長に丸投げするくらいなら、なぜGo Toトラベル事業を始めるとき、事業への参加判断を都道府県に任せなかったのか。そのときは「地方のことはよくわかっていない」はずの政府が勝手に東京都全域を丸ごと除外しておいて、いまさら「自治体がお決めください」はないだろう。
 小池都知事も24日、菅総理や西村「新型コロナ感染対策相」と直談判に及んだが、政府側がのらりくらりと逃げ回ったのかどうかは知らないが、結局、小池氏は判断を先送りした。
 言っておくが、Go Toトラベル事業を始めたのは菅総理ではない。安倍前総理だ。「安倍前総理の判断で始めた事業だったが、地方のきめ細かな感染状況をわきまえず、また地方の声も聞かずに都道府県単位の大ぐくりで東京都全域を除外してしまったことは間違いだった。東京都民には大変ご迷惑をおかけした。心からお詫びする」と、小池氏に頭を下げれば小池氏もむきになったりはしなかったはずだ。
 いまさら安倍さんをかばっても、「桜を見る会」疑惑で、安倍さんはブタ箱には入らないだろうが、公職選挙法違反で公民権をはく奪される可能性が生じている。つまり国会議員としての地位を失い、以後5年間公職に就けなくなる可能性が出てきたということだ。菅総理にとっては安倍離れの絶好のチャンスが向こうからやってきた。この際、菅さんは小池氏に「前総理の間違い」を認めて謝ってしまった方が、どれだけ得か、よーく考えたほうがいい。(25日)
 



コロナ感染拡大に際し、メディアが果たすべき役割は?

2020-11-20 07:42:11 | Weblog
 卑劣極まりない朝日新聞※が「コロナ急拡大 危機感を持って手を打て」と題する社説を掲載したのは今月13日である。その社説で朝日はこう主張した。

 新型コロナの感染者が全国で増加傾向にあり、流行の「第3波」を迎えているとの指摘が相次ぐ。新たな病床や療養施設の確保に追われる自治体もある。
 幅広くPCR検査が行われ、無症状や軽症の人も把握されて数字が積み上がっているのであれば、日々の動向に一喜一憂する必要はない。だが現実には、入院者、とりわけ重症者が増え始めており、最大級の警戒感をもって臨む必要がある。
 6月以降の「第2波」の際、政府は当初「感染者の多くは軽症者で、医療態勢は逼迫(ひっぱく)していない」と説明していた。だが、感染者数から遅れて重症者数が増加に転じ、8月下旬には一時250人を上回った。
 今回重症者は既に200人を超え、ペースが速い。同じ北半球の欧米で深刻な感染爆発が起きていることを踏まえれば、冬本番を前に日本も大流行の入り口に立っている恐れがある。

 事態は、朝日が1週間前に警告を発した以上のスピードで進んでいるかに見える。朝日がこう警告を発したのは、11月に入って感染者が急増し、とくに11日は1544人、12日は1561人と連続して感染者数が1500人台になったからだ(13日は1679人、14日は1678人)。
 そして18日にはついに2000人の大台を突破して2179人を数えた。中でも感染者の急増が目立つのは北海道と東京都だ。小池都知事はその前日には「PCR検査数が8000を超えたから無症状の感染者が検査で引っかかっただけ」とうそぶいていたが、ローラー作戦で片っ端から検査したというならいざ知らず、無症状の人が無償でPCR検査を受けられるわけではない。最近小さなクリニックでも簡易検査を実施するようになったが、検査料は2~3万円かかる。海外旅行のための証明として受ける人はいるかもしれないが、そういう人は「陰性証明」を取るためだから、陽性率はほぼゼロに近い。
 そういえば、5月頃、私がブログで「問題なのは感染者数ではなく感染者率(陽性率と同義)だ」と主張し、一時メディアも陽性率を重視するようになったが、また最近、陽性率をまったく無視するようになった。で、私が厚労省が発表している「確定患者数」(感染者、陽性者と同義)とPCR検査実施数から陽性率を計算してみた(厚労省は陽性率は計算していない)。陽性率は「自助」で計算しろということかと思いきや、菅政権になったからではなくずっと以前から陽性率の計算はしていない。
 で、私が陽性率の推移を計算してみた。
 今月に入って11日4.6%、12日5.2%、13日7.0%、14日10.0%と、猛烈な勢いで陽性率も急増しているのだ。実は、この間の陽性率の急増にはそれなりの理由があって、感染者が急増したためかPCR検査体制が追い付かず、PCR検査実施数は11日33681件、12日29912件から、13日24038件、14日16651件と急減しているのだ。13,14日の陽性率が急増したのはそのためかも…。
ちなみに感染者数が2179人と大台を突破した18日のPCR検査実施数は34630件で、陽性率は6.3%である。11日、12日のPCR検査実施数とそう大差はないにもかかわらず、陽性率は 4.6%→5.2%→6.3%と急増している。
 新型コロナの感染状況を科学的に考察するには感染者数の推移だけみていてもだめだし、陽性率の推移だけみてもだめということになる。PCR検査実施数が毎日同じならば、感染者数の推移と陽性率の推移はまったくパラレルな関係を示すはずだが、たとえばある地域で大規模なクラスターが発生するとその地域の検査が急増し、その付けが翌日や翌々日に回って検査数が急減するのは致し方ないことだ。
 だから、いたずらに感染者数や陽性率だけで一喜一憂するのではなく、PCR検査数が増えたり減ったりした原因も含めて総合的に判断しなければ、新型コロナ感染の正確な実態はつかめない。たまたま朝日の13日付社説はその後のコロナ感染の拡大状況を見事に予測しえたが、それはあくまで結果論。決して科学的な分析に基づいての警告ではなく、競馬の予想屋レベル(失礼!)の予想が、たまたまドンピシャだったということ。
 ただ朝日社説氏(論説委員)の名誉のために付け加えておくが、この日の社説の末尾でこう主張している。この指摘と主張は私も支持せざるを得ない。

 感染者が多数発生している地域では、特定の店や施設に限らずに関係者を幅広く検査し、なかでも病院や高齢者施設では一斉・定期的な検査を行うことになっている。こうした政府方針を確実に実行できるか、自治体の取り組みを点検し、人・モノ両面で必要な支援をすることも忘れてはならない。(以下略)

 実際政府がやってきたコロナ対策は、検査能力の拡大(ただし、モノだけ)だけである。検査能力とは、1日あたり使用できる検査キットを増やすことだけではない。緊急事態宣言中のPCR検査数(3000~5000件)に比べれば、経済対策として実施するようになったGoToキャンペーン事業スタート時には検査数もかなり増えたが、はっきり言ってばらつきが大きすぎる。検査能力の、実は半分も活用できていないのだ。「宝の持ち腐れ」という言葉があるが、「持ち腐れ」必至の「宝」を増やすことが政治の責任ではない。せっかく増やした「宝」も活用できなければ意味がないのだ。
 私の友人(82歳)が言っていた。「唾液検査だったら、感染リスクはほぼゼロだから、俺もボランティアで手伝うよ」と。
 確かに、資格がなければできない仕事と、資格を必要としない仕事があるはずで、「何でも有資格者でなければ」などといっている状況ではないはずだ。だいいち災害時のボランティア活動に資格なんか必要か。唾液検査のボランティアのリスクは、災害ボランティアのリスクより小さい。「悪しき前例にとらわれず」とは、こういう時の「宝の持ち腐れ」を防ぐために使え。

※朝日新聞の卑劣さについて――読者からの意見や問い合わせに対応する「お客様オフィス」(慰安婦誤報事件を生じる前は「読者広報」)の電話番号をナビダイヤル(0570‐05‐7616)だけにした。ナビダイヤルは受信側が通話料金を自由に設定できるNTTコミュニケーションズの商品で、電話をかける側には悪評サクサクの電話システムであることは、ネットで調べれば一目瞭然。朝日が採用しているナビダイヤルは一般の市外料金とほぼ同じ料金だが、単純な固定電話しか持っていないという人はいま少ない。かけ放題の携帯や全国市内通話料金のIP電話が大半である。が、ナビダイヤルは携帯からは20秒ごとに1通話料金、IP電話からも市外料金がかかる。ばかばかしいので、私は代表番号(03‐3545‐0131)経由でかけることがたまにあるが、たまに対応してくれる人もいるが、「ナビダイヤルでかけ直せ」とガチャンと切られることが多い。
「そこまでして読者から金を搾り取りたいのか」と怒ったら、「金儲けのためではない」と反論する。「では、なぜ?」と聞いても「NTTがゴニャゴニャ…」と訳の分からないことを言って逃げる。NTTがそんなことを要請するわけがないし、だいいちナビダイヤルはNTTの商品ではなくNTTコミュニケーションズの商品だ。つまらんことでウソまでつくな。
 読者から金を搾り取るためではないとしたら、最大限善意に解釈できるのは、「お客様オフィス」の人減らしのため、読者に極力電話をかけにくくするためか。確かに最近ナビダイヤルを採用する企業が増えているが、良心的な企業はナビダイヤルだけでなく一般の固定電話番号かIP電話番号を併用している。つまりナビダイヤルしかない企業は「良心的ではない」ことの証明でもある。
 かつて朝日は「読者広報」という、上から目線の部著名を使っていた。慰安婦誤報事件をきっかけに「読者目線」で記事を書こうという姿勢に転換したはずだが、のど元過ぎて熱さ忘れたか…。

【追記】 菅総理の「自助・共助・公助」の意味が分かった
 19,20日と東京都では感染者が500人を超えた。北海道でも20日、300人を超えた。間違いなく日本はパンデミック状態に入っている。少なくとも今年春の状態より厳しい。なのに政府は「緊急事態とまでは言えない」として強制力を伴う感染対策を打とうとしない。なぜか。「のど元過ぎて熱さを忘れた」のは朝日だけではなかった。政府も同じだ。朝日の場合は、熱さを忘れるのに数年はかかったが、菅政権はほんの数か月で熱さを忘れたようだ。
 安倍政権が首都圏と近畿圏を対象に緊急事態宣言を発令したのは4月7日である。その翌日、初めて全国の感染者数が500人を超えた。発令日の7日にはまだ500人に達していない。
 それでも、緊急事態宣言が遅すぎたと批判を浴びた。安倍総理自身も、遅れたことを認めた。発令が遅れたため、4月末には解除する予定だったのが、ゴールデンウィーク直前まで解除できなかった。そのため、日本の経済はどれだけ大きな打撃を受けたか。
 私は「Go TOトラベル」を基本的には支持した。先進国すべてで人口減少に歯止めがかからなくなった中で、日本経済の軸足を輸出産業に置き続けるのは無理だからだ。自動車や電機などの工業製品の先進国市場は縮小の一途をたどっている。だから安倍政権が金融緩和と円安誘導で日本の工業製品の輸出競争力を強めても、メーカーは設備投資にソッポを向いて為替差益をため込むことに夢中になった。いま市場が伸びているのは中国だけだが、中国の市場は先進工業国の激戦区になっている。日本だけが一人勝ちできる保証はない。
 が、幸い「日本ブーム」がじわじわ世界に広がりつつあった。日本の場合、GDPの6割を個人消費が占めるとされているが、個人消費に占めるインバウンド効果が次第に大きくなってきた。一時は中国人や韓国人の「爆買い」がインバウンドの中心だったが、次第に「日本らしさ」を求める観光インバウンドの占める割合が大きくなりつつあった。
 いまはコロナ禍で観光インバウンドも消滅しているが、人類がコロナ禍を克服したとき、観光インバウンドの受け皿が消滅していたら、日本経済はお先真っ暗になりかねない。そういう意味で私は「Go Toトラベル」には条件付きで賛成した。だから、不公平・不平等と非難を浴びようと、観光インバウンドの受け皿に絞ってキャンペーンを行うべきだと主張した。
 が、政府の考えは違っていた。単純な経済活性化対策として「Go Toキャンペーン」を次々と繰り出した。その結果、一時的に経済が回りだしたかに見えた。が、私が何度も繰り返しブログで書いてきたように、感染対策と経済対策は絶対に両立しえない。感染対策を強めれば経済活動の足を引っ張るし、経済活動を活性化しようとすると感染が拡大する。アメリカのトランプ大統領(任期は来年1月20日まである)が経済を優先して、その結果、世界がコロナ禍で不況に陥っている中で、アメリカだけが一人勝ち状態になった。いまでもトランプに対する熱狂的支持が減らないのは、たまたまコロナに感染せず、バイデン次期大統領の政策で経済活動に陰りが生じることを恐れているバカな連中のせいだ。その代わり、アメリカはコロナ禍でも世界に冠たる大国になった。
 私はしばしば「哲学なき政治」という言い方をするが、あえて誤解を恐れずに書くが、「民主主義は衆愚政治だ。哲学者の独裁政治が望ましい」と主張して汚点を残したプラトンの気持ちが分かるような気がする。いかなる政策も、経済政策や安全保障政策も、また社会福祉政策も国民を幸せにすることが目的のはずだ。つまり、政策は目的を実現するための手段に過ぎない。が、「哲学なき政治」は、目的を実現するための手段に過ぎないのに、政治家はいつの間にか手段を目的と錯覚してしまう。手段が目的に転化すれば、その「目的」を実現するための「手段」が新たに生み出される。こうして醜悪ならせん構造を描いて政治は国民から乖離していく。ヘーゲル弁証法の逆構造だ。「逆もまた真なり」。

 政府は、緊急事態宣言で疲弊した経済の復活を急いだ。「Go Toトラベル」を前倒しで実施し、個人消費を上向かせようとした。その結果、8月には個人消費が多少回復したが、人間の動きの活発化によってコロナが勢いを取り戻しだした。ただ今年は夏が長く、感染拡大は中途半端だった。そのため政府は「Go TOトラベル」だけでなく、「Go Toイート」や「Go Toイベント」と、景気回復を一気に進めようとした。
 そのころ、日本より一足早く冬を迎えていたヨーロッパ諸国では、コロナ感染が吹き荒れだしていた。それを「対岸の火事」視したのが菅政権だった。そして11月に入り、日本にも突如、冬の寒気が押し寄せた。コロナが一気に勢いを取り戻してしまった。が、4~5月の緊急事態宣言中の景気後退の二の舞を恐れた政府はまったく手を打たなかった。ノー天気なのは、来年1月末で終了予定だった「Go Toトラベル」を2月以降も延期するなどと記者会見で快気炎を上げた赤羽国交相だった。こういうノー天気な大臣は、即更迭すべきだった。景気回復に力を尽くした大臣として名を残したかったのかもしれないが、コロナ感染拡大に手を貸した大臣として名を残すだろう。
 それよりもっとひどいのは、マスクをつけての会食マナーを発明したバカ者だった。菅総理自身が「今日から私もそうする」と記者会見で述べた。
 そうか。コロナが勢いを取り戻したのも、政府の政策の無能さのせいではなく、国民が「自助」の精神でコロナ感染を防ぐ努力をしなかったためと言いたかったのか。
 民放テレビのバカな記者が、マスクをかけて食事をする実験をやって見せた。「食べにくい」…当たり前だ。そんなこと、実験するまでもない。マスクをつけて会食するテクニックを学ぶより、緊急事態宣言中のように「不要不急の外出は控えること」「できるだけ会食は控えること」「やむを得ず会食するときは、食事タイムと会話タイムを分け、食事中の会話は控えること」などを国民に要請したほうがよほど効果がある。
 緊急事態宣言機関、サイゼリアは客に飲酒制限までした。ワインはボトル注文は禁止で、デカンタを1回だけという徹底ぶりだった。
「そんな店では飲みたくない」という客も少なくなかったと思う。
「それでいいのだ」と、サイゼリアは押し通した。そういう店を、メディアは大々的に取り上げるべきだった。「客のため」の意味をサイゼリアは理解していた。少なくとも「国民のため」の政府の理解度よりはるかに上を行っていた。(21日)
 




政府答弁の欺瞞性を暴いた――内閣法制局の憲法15条解釈はデタラメだ。

2020-11-14 04:15:44 | Weblog
日本学術会議会員の任命問題について、首相官邸に一国民として質問状を出したが、回答期限の20日はまだ来ていない。
が、この記事で学術会議会員の任命権論争は、論理的には完全に終止符を打つことになる。いかなる法学者といえど、この記事で展開した私の論理は絶対に覆すことができない。そのことをいのちをかけて断言する。論理は知識より強し。
政府は、日本学術会議法7条2項の規定に基づいて日本学術会議が推薦した「会員候補」(条文にはこの言辞はない)の任命義務の有無について、「必ず任命しなければならないわけではない」と国会で答弁した。その法的根拠について政府は「憲法15条の規定に基づき内閣総理大臣に任命権があることを、内閣法制局が確認した」と答弁している。
法律解釈、憲法解釈がかなり交錯してきて、法曹家も大混乱をきたしているようだ。こういう時は専門家が専門知識を振りかざして「ああだ、こうだ」とやり合うより、私のようなど素人が中学生並みの単純な思考法で、論点を単純素朴に整理したほうがいい、と私は考えている。
野党国会議員とかメディアのジャーナリストといった「高級人種」は知識に頼りがちなので(というより思考力に欠けているため)、「内閣法制局」などという権威を持ち出されると、たちまち思考停止に陥ってしまうようだ。
そこで、総理に任命権があるか否かについて「憲法15条を適用できるか否か、またどう解釈したら総理の任命権の法的合理性が得られるのか」、私は内閣法制局に直接電話で問いただした(1時間弱。電話代もバカにならないぞ)。国会議員もメディアのジャーナリストも、最初から恐れ入ってしまって、肝心の内閣法制局がどういう憲法解釈をして政府に「お墨付き」を与えたのかの取材すらしていないようだった。
まず、日本学術会議法17条の規定を見ておこう。

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

この条文には「日本学術会議は……会員の候補を選考し」と明確に記載されている。「総理の任命権」の有無は一応置いておいて、「会員の候補者」の選考権が日本学術会議にあることは明確である。ただし、日本学術会議の選考権は「会員」ではなく「会員の候補者」である。ただ、「会員資格がある」と日本学術会議が選考した推薦者が会員の定数を絶対越えなければならないとの解釈も無理だ。また推薦に値する学者が定員に満たなくても「絶対に定員を満たさなければならない」と解釈するのも無理だ。「定員」はあくまで会員数の上限を意味し、「105名の定員に対して、今回は推薦できる学者は100名しかいなかった」として日本学術会議が定員割れの推薦をすることも十分可能だ。
次に憲法15条を見てみる。憲法15条は1項しかなく、条文中に「公務員」という言葉が3か所出てくる。私は内閣法制局の職員に対して、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみた。案の定、職員の答えは大混乱した。当たり前である。取り合えず、憲法15条の条文はこうだ。

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成人者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

私はまず、【この条文には「公務員」という記載が3か所ある。憲法に限らず、法律でも条文に使用されている「公務員」という言葉の解釈がばらばらということはありえませんね】と内閣法制局職員にあらかじめ念を押しておいた。はっきり言えば、罠を仕掛けたのである。そういうやり方は「アンフェアだ」と思う人は勝手にそう思えばいい。
憲法15条の適用について日本学術会議に属する憲法学者会員が直ちに反論を開始した。まず早稲田大学教授の長谷部恭男氏は「一般的、抽象的な理念を言葉にしており、実質的な権利を定めているわけではない。それぞれの公務員に即した個別の制度を見ないと、任命権の行使の在り方についてきちんとした結論が出てくるわけではない」として、機械的に当てはめることは許されないと断罪した。
次に東大教授の石川健治氏は「日本学術会議法という個別の法律に会員の任命に関する規定があるにもかかわらず、内部文書が憲法の条文を持ち出して説明するのは遺憾」「特別法が一般法に優位する原則を掲げて任命拒否するのは、法秩序の統一性、連続性を破壊する行為で、極めて危険」と指摘した。(※長谷川氏と石川氏のコメントは報道に基づく)

憲法学者の見解はともかくとして、私が内閣法制局に噛み付いたのは、憲法15条が想定している「公務員」とは誰を対象にしているかという一点だった。すでに述べたように、憲法15条には「公務員」という言葉が3か所出て来る。もし、3つの「公務員」の位置づけがそれぞれ違うのであれば、それぞれの「公務員」についての定義を明確にしなければ、成文憲法としては成り立たない。
で、まずそのことを内閣法制局の職員に確認した。私が仕掛けた罠に気づいていなかった職員は「その通りです」と答えた。で、私はじわじわ、可哀そうな職員の首を締めあげていった。私はもはや「いじわる爺さん」になった。
1時間弱の時間をかけて、どう首を締めあげたかは省略する。とにかく途中で言い逃れができないように、じわじわ締め上げたことだけ申し上げておく。
まず、憲法15条が想定している「公務員」とは、3番目にはっきり規定されている。
「公務員の選挙については、成人者による普通選挙を保障する」
この一文で憲法15条が対象としている「公務員」とはどういう立場にある公務員か、ということが明確にされている。具体的には、国会議員、地方自治体の首長や地方議会議員が対象である。
特別職の公務員は、有権者の選挙で選出される議員や首長以外にも、ユネスコ委員、学士院会員、学術会議会員、裁判官、検察官、防衛庁職員、国会議員の公設秘書などたくさんある。が、「成人の普通選挙」で選出される特別職の公務員は議員(国会及び地方議会)と自治体の首長だけだ。
つまり、学術会議会員という特別職の公務員の任命権が内閣総理大臣にあるとするならば、議員や首長以外の特別職公務員は憲法に違反して、その職に就いていることになる。「成人者による普通選挙」で選出されたわけではないのだから。また、特別職ゆえ、内閣総理大臣に学術会議会員の任命権があるというなら、他の特別職公務員に対しても任命権を行使しなければ、内閣総理大臣は憲法違反を犯していることになる。さらに任命権の行使は当然のことだが、任命責任を伴う。かつて証拠をねつ造して懲役刑に服した大阪地裁の主任検事がいたが、時の総理大臣は任命責任を取っただろうか。その一点だけでも、菅総理を法廷に引きずり出せることになる。
私の追及に窮した内閣法制局職員は、自信なさげに「三つ目の公務員はご指摘の通りだと思いますが、一つ目と二つ目の公務員については広く解釈したのだと思います」と、バカ丸出しの返事をした。
憲法にしろ、一般法律にしろ、その条文で使用される共通した「公務員」が、それぞれ異なる対象を、それぞれについての「定義」を抜きにして、権力者が恣意的に解釈できるように曖昧にすることが許されたら、日本はもはや法治国家ではない。「法律は国民を縛るが、憲法は権力者を縛る」のである。
念のため、憲法15条が対象とした「公務員」は、私が中学生レベルの思考力で考えた「議員及び首長以外にはあり得ない」という解釈を適用すれば、憲法15条に3か所使用されている「公務員」についての位置づけとの齟齬はまったく生じない。すべて整合性の取れた解釈ができる。
日本学術会議会員に対しては失礼だから除外するが、野党議員やジャーナリスト・評論家といった「高級人種」は、もう一度中学生からやり直せば私のような思考力が身につくと思う。
やっぱり、無理かな…。

なお、電話を切る直前に内閣法制局の職員にこう言っておいた。
「私が菅総理の立場で、どうしても任命したくない人が6人いたら、私だったら安保法制にしろ、共謀法にしろ、特定秘密保護法にしろ、政府方針に賛成した学者を一人だけでも入れておく。もちろん、その学者に対してはそれなりの処遇を約束したうえでだが」と。
そうしておけば、この問題はそれほど大騒ぎする問題にならなかった。「いじわる爺さん」は、時々指先が滑ってしまって余計なことまで書いてしまう。
最近の中学生は「悪知恵」も働くからね。
全部の中学生ではない。不良化した中学生のこと。そう断っておかないと、「女性はウソをつく」と口を滑らして顰蹙を買った女性国会議員と同類視されかねないから…。

【追記】 文部科学省「大学入学共通テスト」担当職員への提案
 来年の共通テストの小論文テストに、以下の問題を出してもらいたい。果たして受験者がどういう解答をするか。
「以下は憲法15条の全文である。

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成人者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

この憲法の条文には、公務員について三つの記述がある。政府は、それぞれの公務員について異なる解釈をしている。政府が解釈しているそれぞれの異なる公務員について政府の解釈を考え、それぞれ200字以内にまとめよ。さらに、この3種類の公務員について、内閣総理大臣が特別に任命権を有している公務員がある。その公務員はこの条文に出てくる何番目の公務員か」



民主主義とは何かが、いま問われている㉒ 米大統領選挙から学ぶべきこと

2020-11-09 03:02:05 | Weblog
バイデンの勝利が確定したようだ。すでにイギリスのジョンソン首相やフランスのマクロン大統領がバイデンに祝福のツイッターを発したという。慎重だったバイデンも、8日午前10時40分頃(日本時間)、地元のデラウェア州ウィルミントンで勝利宣言を行った。
「アメリカの魂を取り戻す大統領になる」「分断ではなく結束を目指す大統領になる」「再びアメリカを世界中から尊敬される国にする」…
いっぽうトランプは依然として敗北を認めず、バイデン陣営の「不正」を攻撃して裁判に訴えつつある(すでにいくつかの州では集計差し止めの訴訟を起し、州の最高裁で棄却されている)。その一方でトランプは、ホワイトハウスを離れてバージニア州郊外の自分が所有するゴルフ場に向かった。そのゴルフは彼の生涯で最も楽しくないプレーになっただろう。酒が飲めないトランプは、やりきれない気持をゴルフ・ボールにぶつけるしかなかったのかもしれない。

●トランプの敗因
日本のメディアも投票日を過ぎてから、ジャーナリストや評論家が「今回の大統領選挙はトランプを選択するかNOを突き付けるかの選挙だった」としたり顔で解説を始めた。そんなことはとっくに分かっていた。選挙終盤まで政策論争といえるような熱戦は見られなかった。二人とも、相手に対する確証のないスキャンダル・キャンペーンをぶつけ合うだけで、政策をめぐる論争など全くなかったからだ(ひょっとしたら日本のメディアがアメリカの大統領選をM-1グランプリと勘違いして、政策論争を報道しなかったのかもしれないが)。
政策論争らしき論争があったのは2回目のテレビ討論(10月22日)だけで、バイデンが地球温暖化対策として「脱石油」を公言し、トランプがそれに噛み付いて「皆さん、聞いたね。バイデンはアメリカの石油産業を潰そうとしている」と揚げ足を取った時くらいだ。それまで優勢に選挙戦を進めていたバイデンにとって、唯一といえる失敗だった。
トランプの4年間、コロナ対策を除いて失政らしい失政はほとんどなかったと言える。もしコロナ禍がアメリカを襲わなかったら、また白人警官が黒人「不審者」に対する殺人事件を起こしたりしなかったら、トランプは歴史的大勝利を収めていたかもしれない。
トランプの「アメリカ・ファースト」は実質的には「白人ファースト」だったが、あからさまな人種差別政策をとったわけではなく、また過去の大統領選を見ても、人種問題が有権者の投票行動に直結したケースはない。現に米大統領選挙で人種問題が争点になったことはかつてない。オバマが黒人初の大統領になったときも、人種問題は避けたくらいだ。むしろ、いまアメリカでは白人の占める人口比率は60%ほどに下がっており、2050年ころには50%を切ると言われている。トランプの「白人ファースト」は何とか白人社会を維持しようという政策ともいえ(メキシコとの間に建設している「トランプの壁」はその典型)、むしろ白人票を集める効果があったと思える。
経済政策では、日本やヨーロッパの先進国がデフレ不況から脱却できず苦しんでいた間、アメリカだけが好景気を維持し続けた。アメリカの場合、コロナ禍の直前には新型インフルエンザ禍に見舞われ、その時点で景気に陰りが見え始めてはいた。アメリカでコロナ対策が遅れたのはそのためでもあった。
が、世界の多くの国が失敗したのは【コロナ対策と経済対策の両立】政策の失敗だった。小池都知事はこの両立政策を「ブレーキとアクセルを同時に踏むようなものだ」と批判したが、私は「ひとりシーソー」と名付けた。ブレーキとアクセルを同時に踏むことは物理的に不可能だが、【一人シーソー】は軸足のバランスをうまく取り続けることに成功すれば不可能ではないからだ。
安倍前政権が、この【一人シーソー】の役割を託したのが、西村コロナ感染対策担当相兼経済再生担当相だった。つまり政策的には相容れない二つの重要な政策責任が西村氏一人の肩にのしかかったのだ。コロナ感染対策に軸足を置けば経済活動の足を引っ張ることになるし、経済再生に軸足を移せばコロナが勢いを吹き返す。だから経済とコロナ感染状況の両方をにらみながら、朝令暮改的に政策を小刻みに転換するしかない状況に西村氏は置かれたと言える。
その【一人シーソー】をトランプはしなかった。敢えてコロナ禍を軽視することで経済活動の活性化政策を続けた。日銀・黒田総裁に比べれば、政府に対する独立性を強く維持してきたFRBのパウエル議長だが、トランプ大統領の圧力には屈しなかったが、経済界の要請をはねつけることはできずに金融緩和政策に軸足を移し、コロナ禍の蔓延を招いてしまった。
つまりトランプは【一人シーソー】ではなくコロナ禍を無視して一人相撲を取ったあげく、勝手に転んだ付けを取らされたのが今回の大統領選挙だった。はっきり言っておく。今回の大統領選挙はバイデンの勝利ではなく、トランプの敗北だった。それが証拠に、勝利が確定してからバイデンは初めて「コロナ対策」のチームを立ち上げることを発表した。
もっとも、選挙中にバイデンが「トランプはコロナ対策に失敗した」としか主張できなかったのも、わからないではない。「コロナを抑え込むために、国民は生活態度を変えてほしい」「産業界は経済活動を自粛してほしい」と主張していたら、おそらく大統領選は史上最低の投票率になっていただろう。無党派層が選挙にソッポを向いていただろうから。その場合の結果はわからない。

●バイデンの勝因は?
バイデンはなぜ7500万票という史上最大の票を獲得したのだろうか。
バイデンはそれだけ多くの国民の支持を得たと思っているようだが、トランプも7200万票を獲得している。前回の大統領選でのヒラリーの得票数との差と全く同じだ。
前回はいわゆる激戦州をトランプがほぼ総取りして「逆転勝利」を収めた。今回は序盤の開票でトランプが優位に立ち、日本のメディアは「また世論調査が裏切られた」と早とちりした向きもあった。正直なところ、投票日直前の2日にブログで【バイデン勝利】を断定した私も不安に思ったくらいだった。とくに激戦州でも天王山と言われていたペンシルバニア州での開票で、トランプが60万票もの差をつけてリードしたからだ。フロリダ州とは違って、ペンシルバニア州では世論調査でバイデンがトランプに大差をつけていたのにだ。
しかし今回は開票が進むにつれトランプの優位性は失われていくかに見えた。が、最初の大きな山のフロリダ州でトランプの勝利が確定した(フロリダ州でも世論調査ではバイデン有利だったが、小差だった)。前回の選挙でも、終盤に差し掛かってトランプの激戦州での追い上げがすさまじく、ヒラリーを逆転する結果を生んだ。だが、今回はフロリダ州を最後にトランプの勢いは失われていった。郵便投票が徐々に開票されるにつれ、バイデンの追い上げが始まった。
この段階でまたメディアは結果解釈する。「郵便投票は民主党支持者の方が多い」と。それは事実なのだが、そもそも民主党支持者の多くが郵便投票するのだったら、前回の大統領選でトランプの逆転はありえなかったはずだ。
私はこう見ている。トランプの集会は、トランプ自身もそうだが、トランプ支持者の大半が無防備、つまりマスクをかけていない。ところが、バイデンの場合、選挙演説の映像に支持者の姿が映っていないのだ。トランプの集会は前回のブログでも書いたが、まるで「お祭り」騒ぎだ。
バイデンの勝利がほぼ確定して、バイデンが勝利宣言を打った時には各地でバイデン陣営の「お祭り」集会が行われテレビに映像が出たが、参加者はほぼ全員マスクをかけていた。
メディアによれば、トランプ陣営の戸別訪問のすごさが激戦州の追い上げにつながったという報道があったが、これは裏付けのない私の推測だが、バイデン陣営は電話とメールで郵便投票を促していったのではないかと思われる(おそらく、このことは事実として確認されると思う)。
コロナに対する警戒感の差が、選挙結果に大きな影響を与えたのではないだろうか、と私は考えているからだ。つまり、「密」になる投票所に足を運ぶなという選挙戦術が、コロナを恐れる低所得層に浸透したことが、バイデンの勝利に結びついたのではないだろうか。
争点らしい争点がなかった選挙で、史上最高の投票率を記録したという事実が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。

●民主主義の基本を無視した選挙だった
トランプは依然として敗北を認めず、バイデン陣営の「不正」を声高に叫んでいるようだ。が、「不正」の証拠は何ひとつ出せない。これが軍事独裁政権の国だったら、「不正」の一つや二つ、でっち上げるのは簡単だろうが、熱狂的なトランプ支持者でも、さすがにそこまではやらないと思う。「不正」をでっちあげるための不正を行ったら、トランプ王国はたちまち崩壊するからだ。
開票がすべて終わったわけではないが、バイデンの勝利は確定したとみていいだろう。そこで気になることがある。バイデンの勝利宣言のフレーズのいくつかを冒頭に書いたが、具体性のあるものは一つもない。トランプとのテレビ討論で口が滑った「脱石油」宣言すら封印してしまった。
それはともかく、バイデンの政策がまったく見えない。口が滑ったにせよ、トランプとのテレビ討論で「脱石油」を打ち出した以上、パリ協定には復帰すると思われるが、TPPへの復帰は? コロナ対策の一環としてオバマケアをさらに進めるのか? オバマの「核のない世界」を実現するため核禁条約にはどう向き合うつもりか? オバマやトランプと同様、尖閣諸島についての口約束をしてくれるのか? もし、してくれたとして、その代償としてバイデンは日本に何を要求するのか? トランプの経済成長至上主義政策を継承するのか修正するのか? トランプが始めた貿易戦争をどう終結させるか? いまの時点で公言しているのはWHOへの復帰だけである。
民主主義政治の大原則は、有権者に対する約束を守ることである。
少なくとも守ろうと努力することである。それも有権者の目にはっきり見えるようにだ。
オバマは大統領選で「国民皆保険」を公約した。日本のような「国民皆保険」には至らなかったが、民主党の宿願ともいえる健康保険制度「オバマケア」を何とか実現した。
トランプもメキシコとの国境に壁を作って不法移民を防ぐという公約を果たしつつあった。その費用をメキシコに負担させるという約束は空振りに終わったが…。しかし「アメリカ・ファースト」のために中国だけでなく日本やヨーロッパの同盟国にも貿易戦争を仕掛けた。
契約社会とも言われるアメリカでは、日本と違って選挙公約は非常に重視される。ところが、今回の大統領選挙ではトランプもバイデンも何ひとつとして公約を発表していない。あるいは日本のメディアが報道しなかっただけか?

●アメリカは民主主義の「お手本」か?
とにかくアメリカという国は、考えれば考えるほど不思議な国だと思う。連邦国家はアメリカだけではないが、アメリカは連邦制のなかでも特異な国だ。
日本の憲法はしばしば「硬性憲法」と言われ、改正のハードルが高いことは周知の事実だが、アメリカの方が改正ハードルはもっと高い。1788年に前文と7か条が制定されて以来、一度も改正されていない。事実上、永遠に改正不可能な憲法であり、その代わり修正が認められ、これまでに27の修正が付け加えられている。
日本人にはちょっと考えにくいが、50の各州にも州独自の憲法があり、連邦法とは別に州法もある。裁判も連邦裁判所と州の裁判所が別に存在し、最高裁判所すら州にもある。厳密な三権分立制と言われているが、連邦最高裁の判事(定員9人で終身制)の指名権は大統領にある。ただし、上院での承認が必要で、今回の大統領選挙中にも最高裁判事が一人新任されて、9人中6人が共和党員もしくは支持者になったため、トランプがいろいろ手を尽くして訴訟しているが、連邦最高裁まで行ってもトランプに勝ち目はなさそうだ。
もっとおかしいのは、大統領は全アメリカ国民の代表でありながら、必ずしも国民の投票を反映しない選挙制度になっていることだ。「直接選挙のようであって直接選挙ではない」おそらく世界で唯一の選挙制度だろうと思う。
議会の上院は州の人口に関係なく、各州2人ずつで計100名。任期は6年で2年ごとに約3分の1が改選になる。各州がそれぞれ独立性が高く、同等の権利を有するという考えなのだろうが、任期2年の下院(定数435人)は州の人口比で配分される。
大統領選挙は各州の人口比に応じて配分された選挙人を選出するが、その選挙人はほとんどの州が総取り方式で、必ずしも民意を反映した選挙とは言えない。実際、前回の大統領選ではヒラリーの方が300万票も多く獲得したが、選挙人の数でトランプに負けるという結果になっている。
政治家の選出方法は民主主義の基本と言えるが、アメリカの大統領選に関していえば、民主的と言えるだろうかという疑問が生じる。選挙人の総取り方式は、例えば今回のケースでいえば決着をつけることになったペンシルバニア州(選挙人20名)では、トランプに投じた票はすべて「死に票」になったのだから。各州の独立性を重んじるという理由なら、上院議員選挙のように選挙人は州の人口によらず各州1人としたほうが整合性が取れるように思うのだが…。
私はこれまで「民主主義は青い鳥」と書き続けてきた。民主主義は国民の民意を政治に反映することを意味する言葉だが、民主主義を標榜する国でも、民主主義政治を実現するための制度は国によってさまざまであり、完全な制度はない。
選挙制度は、その国がどの程度、民意をフェアに反映するシステムにしているかのバロメーターでもある。
日本の小選挙区比例代表制の衆院選挙制度も、そろそろ検証すべき時期に来ていると、私は思っている。そもそも「政権交代可能な2大政党政治」が「青い鳥」に近づく道だったのか。そうであるならばアメリカやイギリスのように単純小選挙区制にすべきだったし、少数政党にも配慮するというなら選挙制度を変える必要はなかった。
日本の政治家は「民主主義」という言葉をものすごく軽々しく扱っているが、そんなに軽いものではない。


米大統領選挙はバイデンが勝つ。「隠れトランプ」などどこにもいない、これだけの理由。ゴメン。「隠れトランプ」はいることはいるが…。

2020-11-02 07:46:54 | Weblog
米大統領選挙の結果が3日後(5日)には明らかになる。投票日は現地時間で3日だが(日本と違ってアメリカは東海岸と西海岸の州では6時間の時差がある)、投票の開始時間と締め切り時間に時差があり、開票開始時間にも同じ時差が生じる。当然、選管は全州の開票が終わるまで結果を公表しないが、時差のない日本と同様、アメリカでもメディアが出口調査を行い、競って状況を報道する。だから、その時差のずれによって有権者の投票行動が変わる可能性はあるが、私はバイデン氏の優勢は動かないとみている。
理由は簡単。巷間言われる「隠れトランプ」など存在しないからだ。

※ちょっと極端な書き方をしてしまったので訂正する。「隠れトランプ」が一人もいないわけではない。私がこのブログで言いたかったことは、前回2016年の米大統領選挙でトランプが勝利したのは「隠れトランプ」のためではないということを立証するために、そういう表現をしてしまった。もちろん「隠れトランプ」もいたが、おそらくほぼ同数の「隠れヒラリー」もいたはずで、そもそも「隠れ支持者」は自分が本当は誰を支持しているかを公にしにくい地域に住んでいるからだ。
 例えば菅義偉総理が生まれたのは秋田県の寒村・雄勝郡秋の宮村である。その後、市町村合併で現在は湯沢市秋の宮になっており、バブル期にはスキー客や温泉客のためのリゾートホテルやリゾート・マンションが林立した(ただし、いまは見る影もない)。実家はイチゴ農家で、秋の宮村ではそこそこの生活水準だったようだ。
 菅氏が総理に就任したとき、地元では当然だが大騒ぎになった。まさに「地元の英雄」である。銅像を立てようという話も持ち上がったという。そういう中で、「俺は菅が大嫌いだ」という人がいても、口に出すことは当然はばかられる。下手をすると村八分にされかねないからだ。
 要するに「隠れ支持者」というのは、「支持を公にすることがはばかられる状況にある支持者」のことで(本文では、はっきりそう定義している)、だから「隠れトランプ」の投票行動が結果を左右することなど絶対にありえないという意味で、私は「隠れトランプなどいない」と、ついペンが滑ってしまった。たぶん、誤解した人はいないと思うが、念のため訂正しておく。(3日午後5時)

●「隠れトランプ」がいない理由
日本のメディアは前回2016年の大統領選挙の時と違って両候補の支持率を全国ベースだけでなく、州単位とりわけ激戦区と言われる6州について毎日報道している。
私のブログの読者ならアメリカの選挙方式が非民主的であることはとっくにご存じのはずだ。選挙区は全米50州に特別区のワシントンDCを加えて51あるが、そのうちメリー州とネプラスカ州を除いて49の選挙区が選挙人の総取り方式である。実際前回の選挙で、得票率がわずか0.2%の差でトランプ氏が全選挙人を総取りした州もあった。0.2%の差などは、いかなる世論調査の方法でも正確には反映しえない。そのことを前提にして、世論調査の誤差率を含めても、バイデン氏有利の状況は動かないと、私は見る。
実は日本のメディアの大半が採用している支持率調査は米情報サイトの「リアル・クリア・ポリティクス」が集計した数字である。リアル社は自身で世論調査をするわけではなく、各メディアや調査機関の調査結果を単純平均したものである。日本では総選挙でもメディアは毎日小選挙区ごとの支持率調査などしないが、アメリカの大統領選挙は4年に1回の「お祭り」的な要素もあり、各州で毎日支持率調査を行っている。だから日本でテレビを見ていると、とくに激戦区と言われているペンシルバニア・フロリダ・ノースカロライナ・ウィスコンシン・ミシガン・アリゾナの各州の有権者の動向が報道され、評論家たちが「ああだ、こうだ」と見解を述べている。
その場合、つねに評論家たちが重視するのが「隠れトランプ」の存在である。彼らに言わせると「隠れトランプ」は「トランプ支持を公にするのははばかられるため、だれを支持するかを公にせずトランプに投票する人たち」ということになる。アホかいな、と私には思える。
実際、トランプの集会を見る限り、バイデンの集会よりはるかに活気があり、熱狂的な支持者たちで盛り上がっている。全員、真っ赤な帽子をかぶり、「USA USA」を連呼している。トランプ支持をはばかる人がどこにいるのか。
少し論理的に考えてみれば明らかなことだが、トランプ支持を公にすることがはばかられる地域があるとすれば、その地域は圧倒的に「反トランプ」勢力が多数を占めており、街中を真っ赤な帽子をかぶって歩いていると、「あんた、トランプみたいなやつを支持するの」と非難の目を向けられるような地域だ。そういう地域で、トランプが勝つなどということがありうるだろうか。

●前回大統領選で、トランプは「試合に負けて勝負に勝った」
アメリカにも政党はたくさんある。共和党と民主党だけでなく、党員数10万人を超える政党も「緑の党」と「リバタリアン党」の二つがあり、7万5千人を超える党も「立憲党」がある。それ以外にも公党が50近くあり、「禁酒党」といったアナクロニズムな政党や「共産党」さらには日本の過激派を思わせる「アメリカ革命的共産党」といった政党すらある。
大統領選挙の立候補条件は、アメリカ生まれで、アメリカでの在住期間が14年以上あるアメリカ国籍を有する人だから、その条件さえ満たせば日本人でも立候補できる。実際、今回の大統領選にもトランプ、バイデン以外にかなりの立候補者がいるはずで、別に共和党か民主党の候補者しか立候補できないわけではない。また、日本と違って党議拘束をかけられない国だから、共和党の重鎮でありながらバイデン支持を表明する人もいるし、あえて言えば共和党からトランプ以外に別の人が立候補することも可能なのではないかと思う(これは推測)。
ところで2016年の前回大統領選挙で、トランプは世論調査の支持率でヒラリーより不利だったのに、なぜ選挙で勝てたのか。
その説明に苦しんだというか、論理的な分析ができなかったメディアがトランプ勝利の要因としてでっち上げたのが、実は「隠れトランプ」の存在だった。
実際には、世論調査は間違っていなかったのだ。
前回の大統領選挙でトランプの得票率は46.0%、一方ヒラリーの得票率は48.1%、得票数ではヒラリーが約300万票もトランプを上回っていた。
このことは何を意味するか。スポーツの世界ではよく言われる言葉だが、トランプは「試合に負けて勝負に勝った」のである。そういうことが可能になったのは、すでに述べたアメリカの独特の非民主的な選挙制度にある。
戦後の日本はアメリカを民主主義のお手本としてきたが、民主主義という政治の仕組みは国によって異なり、安倍前総理が口を開くたびに強調していた「民主主義の理念を共有する国との友好関係」などは実は空想の世界にしか存在しえないのだ。第2次政界大戦の枢軸国であるドイツのヒトラーも、イタリアのムッソリーニも、日本の軍事政権ですらも「民主的」な選挙で選ばれている。私がブログで20数回にわたって『民主主義とは何か』を問い続けた理由の原点でもある。
実はアメリカでは過去、大統領選挙で全国世論調査による候補者の支持率が裏切られる結果になったことはなかったのだと思う。
だから前回の支持率調査も全国ベースの集計しか行われず、つねにヒラリー優勢の数字が発表されていただけの話なのだ。
では、なぜトランプは「試合に負けて勝負に勝てた」のか。
はっきり言えば、トランプが政治家ではなくビジネスマンだったからだ、と私は考えている。

●「試合に勝ったのに、勝負で負けた」ヒラリー
トランプは大統領になるため、実に周到な作戦を取った。トランプに政治家歴がなかったことは誰でも知っているが、だからこそトランプはビジネス手法を持ち込むことで勝てたのだと思う。彼には政治思想なんか、もともとなかった。大統領になることだけが目的だった。だから緑の党に属したこともあったし、民主党から大統領選に出馬することも考えていた時期もある。彼の、ある意味聡明さは、最終的に共和党からの出馬を選択したことだった。なぜ、共和党にしたのかの分析は、私には無理。情報があまりにも少なく、論理的な分析が不可能だからだ。
いずれにせよ、ヒラリー陣営は、共和党でも当初、泡まつ候補と言われていたトランプが予備選を勝ち抜いて共和党の大統領候補になれたのかを徹底的に分析すべきだった。そうしていれば、ヒラリー陣営の選挙作戦は違ったものになっていた可能性は否定できない。
もっと具体的に言おう。共和党が絶対有利な州、民主党が絶対有利な州――これらの州では選挙運動をする必要がなかった。従来の政治家の発想は自分の支持者をまず大切にする、という選挙作戦を取るのが常だ。支持層を放っておいてもいいというわけではないが、有利な州での選挙運動はほどほどにして、激戦州に90%の力を注ぐべきだった。
全国の得票率で2.1%の差をつけ、得票数でも300万票の差を付けながらヒラリーが負けたのは、おそらく自分の支持者を大切にしすぎた結果ではないかと私は考えている。いっぽうのトランプは、共和党が有利な州、不利な州での選挙運動はほどほどにして、激戦州に90%の力を注いだのだと思う。それが支持率でヒラリーに負けていたトランプが「大逆転」ではなく「勝つべくして勝った」最大の理由、と考えるのが最も合理的だ。
「隠れトランプ」など、どこにもいなかった。もし、「隠れトランプ」説が合理的であるとしたら、本来民主党が有利で、トランプ支持を公にすることがはばかられるような州でトランプが勝ったケースがあった場合だけである。前回の選挙で、そういう州があっただろうか。否。
さらに、もともと共和党が有利な州ではトランプ支持層は熱狂的に「USA USA」と騒いでいたはずだ。むしろそういう州では「隠れヒラリー」の方が肩身を狭くしていたはずだ。

●民主党は、ヒラリー敗北から何を学んだか
いうまでもなく、民主党はヒラリー敗北を「隠れトランプ」のせいなんかに、多分していない。前回のヒラリー敗北の教訓から、徹底的に激戦区に力を注いできたと思う。その結果が激戦州での世論調査に出ている(10月29日時点)。なお数字はいずれも支持率。またこの支持率はNHKのWEBニュースによるもので、「時点」が調査日を指すのか調査結果の発表日を指すのかは不明である。また各州の人数は選挙人の数である。

ペンシルバニア20人  トランプ45.8% バイデン49%(+3.2ポイント)
フロリダ29人     トランプ46.9% バイデン48.5%(+1.6ポイント)
ノースカロライナ15人 トランプ47.6% バイデン48.2%(+0.6ポイント)
ウィスコンシン10人  トランプ43.9% バイデン50.3%(+6.5ポイント)
ミシガン16人     トランプ43.5% バイデン50%(+6.5ポイント)
アリゾナ11人     トランプ47%  バイデン47%(±0ポイント)

これら激戦州の選挙人の総数は101人。全選挙人数は538人で、すでにバイデンが確実に獲得するとみられている選挙人数に加えて、バイデンがこれらの激戦州からあと何人獲得すればいいか、小学生でも計算できる。
3・11事件のようなことが起きない限り、バイデンの勝利は動かない。これが、私の論理的結論だ。

【追記】トランプ急追も…
昨夜(日本時間午後10時)、アメリカでは東海岸の各州から投票が始まった。テレビの報道によれば、トランプが猛烈な勢いで追い上げているようだ。初冬に入ったミシガン州から、まだ半そでのTシャツ姿が多いフロリダ州まで1日に5州も移動して集会を開いたという。相変わらずエネルギッシュで、集会は赤い帽子で埋め尽くされ、まるでお祭り騒ぎだ。
実際、激戦州の世論調査(1日)での支持率ではトランプがかなりバイデンに迫っている。ミシガン州(選挙人16人)、ウィスコンシン州(10人)の支持率は不明だが、残りの4週は依然としてバイデンがリードしている。アリゾナ州(11人、+1.2P)、フロリダ州(29人、+1.4P)、ノースカロライナ州(15人、+0.3P)、ペンシルバニア州(20人、+4.3P)といった状況だ。
選挙人の総数は538人、270人以上獲得したほうが次期大統領になる。すでに確定している選挙人数はバイデン216、トランプ125で、バイデンはあと54人獲得すればいい。日本のテレビ情報番組が事実上の天王山とみているペンシルバニア州では、バイデンが4.3ポイントもの差をつけており、この差をトランプが逆転することはまず不可能とみていいだろう。
解説者(あるいは評論家)のなかには、まだ「隠れトランプ」にこだわっている人もいるが、ほぼ勝負あったとみる人が多いように感じた。
もちろん、日本の選挙でもそうだが、投票当日まで「だれに投票するか」決めかねている人も少なくない。前回2016年の選挙では、そうした「無党派層」が選挙終盤のトランプ陣営のお祭り騒ぎ的集会の熱気に惑わされたのか、それともヒラリーのスキャンダル(携帯の私的利用)に対するトランプの攻撃が功を奏したのか、投票直前にトランプ支持を決めた可能性は確かにある。が、無党派層は「隠れトランプ」とは違う。「隠れトランプ」はトランプ支持を公にはしにくい状況にあったトランプ支持者のことで、昨日冒頭の※でも書き加えたように、彼らの投票行動が選挙結果を左右するなどということはありえない。
しかも、今回はコロナのせいもあるが、郵便投票も含めて期日前投票がかなり多かった。日本の選挙運動と違って、アメリカではマイナス・キャンペーン合戦になることが多い。その辺は日本人には理解しがたい部分があって、例えば広告でも日本ではライバル批判はタブーとされる傾向が強い。
日本で比較広告の走りとして有名になったのはトヨタ・カローラと日産・サニーの広告で、1966年にトヨタが「プラス100㏄の余裕」と刺激的なキャッチフレーズを使ったのに対抗して、70年に日産が「隣の車が小さく見えます」とやり返し、「日本も比較広告の時代に入った」と話題になったことがある。が、日本では競争相手の商品名や企業名を名指しで比較広告することは「おもてなし」精神のせいか、まだ見かけない。選挙運動でも、日本でも聞く人が聞けばわかるのだが、名指しはせずに対立候補を批判することはあるが、アメリカでは名指し攻撃が日常茶飯事的に行われている。
実際、トランプvsバイデンのテレビ討論も政策論争そっちのけで、相手のスキャンダル(それも不確実な)を攻撃し合うという、日本人の感覚からすると見苦しい論争に終始していた。私は決して「反米主義者」ではないが、感覚的に付いていけない部分がかなりある。
いずれにせよ、明日を待たずに大勢が決する可能性も出てきた。トランプが最近しきりに郵便投票は無効にすべきだとか、投票日当日で有効投票を締め切るべきだとか、「悪しき前例にとらわれる」べきではないなどと言い出したこと自体、もはや悪あがきと言ってもいいかもしれない。どこかの国の誰かさんも「(法律や憲法の)文言にとらわれるべきではない」などと悪あがきしているようだが…。(4日)