小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NHK『日曜討論』で判明した日本の経済学者たちの無知無能

2023-02-21 10:00:26 | Weblog
 しばらくブログを休んでいたが、2月19日のNHK『日曜討論』で、経済学者たちがあまりにもくだらない議論に終始していたので、そのことについて書く。 周知のように4月8日、日銀の総裁が交代する。安倍元総理とタッグを組んで金融緩和政策を続けた黒田総裁に代わって元日銀審議委員の植田和男氏が就任することになった。東大で数学を専攻した経済学者という変わり種だ。 NHKは『日曜討論』に元日銀副総裁など経済学者ら10人近くを集めて新総裁の下での金融政策の在り方を議論させた。が、出席者は黒田金融緩和政策の支持者ばかりで、消費者物価2%増の安定した経済成長路線を継続すべきという主張に終始。アベノミクス批判すらこれっポッチも出なかった。 ●日本はなぜ石油ショック・超円高を乗り切れたのか 経済学の初歩の初歩だが、需要が供給を上回れば物価は上昇(インフレ)し、逆に供給が需要を上回れば物価は下落(デフレ)する。 『日曜討論』出席者たちが一様に主張したのは、「消費者物価2%上昇を目指して金融緩和政策を続けたのは間違いではない。ただ、黒田が期待していた賃金上昇が伴わなかったために需要が伸びず、2%の物価上昇という安定した持続的経済成長が実現しなかった」というアベノミクス擁護論ばかりだった。 なかには賃金が上昇しなかった理由として労働者全体に占める非正規労働者の比率が増えて賃金上昇の足を引っ張ったという事実を指摘した学者もいたが、需要が伸びなかったのは日本の労働者の平均賃金が「失われた30年間」ほぼ横ばいを続けたためだけではない。 たとえば生産人口(労働人口)の平均所得が仮に2倍になったとしても、生産人口数がその間に半減すれば総需要は増えない。 また消費者の消費意欲を刺激するようなものが次々に出現しない限り、生産人口の可処分所得が消費に回ることもない。 そうした基本原則をベースに、日本の生産人口の平均賃金が上昇したら需要が増えて物価が上昇し、生産活動が活発化して持続的な経済成長が実現するかを検証しよう。 日本が高度経済成長時代を迎えたのは1960年代以降である。その後、1990年代に入るまでの約30年間、日本経済は2度にわたる石油ショックやプラザ合意による超円高時代を乗り切って成長を続け、バブル景気の崩壊によって経済成長時代は幕を閉じた。 まず日本経済にとって石油ショックとは何だったのか。「石油ショックは日本経済にとって実は神風だった」ことを初めて指摘したのは私である。しばしば雑誌などでは単発的に書いてはきたが、92年、まだバブル景気の余韻が残り日米経済摩擦が最高潮に達していた時期に『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』と題する本を上梓した。同書で私はこう書いた(概要)。 「日本は石油消費量の99.7%を輸入に依存している。日本産業界は生き残るために『省エネ省力』『軽薄短小』を合言葉にエレクトロニクス技術の革新に成功し、短期間に世界をリードする技術大国になった。一方産油大国のアメリカは日本のような危機感を持たなかった。アメリカの自動車メーカーもガソリンがぶ呑みの大型車を作り続け、アメリカ国民も危機意識を持たなかった。その結果、日本メーカーが開発に成功した省エネ小型車が世界を席巻することになった。日本のエレクトロニクス技術の恩恵を受けたのはクルマだけではなかった。電気製品や工作機など、ほとんどあらゆる工業分野で日本は世界をリードすることに成功した」 その結果、日米経済摩擦が激化していく。 1981年1月、アメリカではレーガン政権が誕生した。トランプと同様「強いアメリカの再生」を旗印にレーガンは対ソ軍拡競争を仕掛けると同時に、前大統領カーターの負の遺産ともいえる超インフレを抑え込むために政策金利上昇・通貨供給量の抑制という経済政策を採用した。 対ソ軍拡競争では見事に成功してソ連邦崩壊を導いたが、そのために財政赤字が急速に膨らんだ。一方経済政策では20%超の高金利時代を招いて極端なデフレに襲われ貿易収支は悪化の一途をたどった。つまりレーガン政権は財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を背負い込むことになり、米産業界の立て直しが政権の急務になった。 産業界を立て直す手っ取り早い方法は為替相場をドル安に誘導して米国製品の国際競争力を回復させることだ。そこでアメリカは85年9月、ニューヨークのプラザホテルに日・独・英・仏4か国の中央銀行総裁と財務大臣を招へいし、円高・マルク高・ドル安への協調介入を頼んだのだ。誇り高きアメリカが外国に頭を下げてお願いしたのは、おそらく歴史上空前にして絶後だろう。これがいわゆる「プラザ合意」という為替介入で、英ポンドや仏フランは為替変動の対象ではなく、事実上の標的は日本円と独マルクだった。 当時、円は240円台だったが、2年後には120円台と2倍の円高になった。なのに、なぜ日本産業界は壊滅状況にならなかったのか。その理由も同書にこう書いている(概要)。 「私は自動車メーカー、電機メーカー、カメラメーカーなどの首脳にインタビューした。円が対ドルで2倍になったらドル建て輸出価格も単純に考えたら2倍にならないとおかしい。が、競争相手がほとんど海外にないカメラでもドル建て輸出価格はせいぜい2~3割アップ。自動車や電気製品に至っては2割増にも達しない。なぜかと聞くと、『乾いた雑巾をさらに絞って最後の一滴まで絞り切るほどの合理化努力で円高を乗り切った』(トヨタ)という。合理化努力によってコストダウンに成功したというなら、その恩恵をなぜ日本の消費者は受けられないのか。むしろ日本国内では『高品質化』『高性能化』を口実に値上げまでしているではないか」 ●日本社会が抱えている構造的問題 実は同書を書いた時点では私もまだ気づいていなかった日本の伝統的な雇用関係が背景にあった。当時はまだ日本は高度経済成長中であり、国内の購買力が衰えていなかった。たぶん少子化はすでに始まっていたと思うが、誰も気づかなかったし、まして高齢化社会の到来を予測した人はいなかった。 ただ同書で書いたことがあり、それは日本労働者の企業に対するロイヤリティの高さについてである。実は82年に米経営学者のトム・ピーターズとロバート・ウォーターマンが著し世界的ベストセラになった『エクセレント・カンパニー』(日本語訳は大前研一)で、IBMやGM、ゼロックスなどの優良企業では日本型の経営を取り入れているという指摘について私は「日本企業の労働者の企業に対するロイヤリティの高さは終身雇用制によって定年までの雇用が約束されているからであって、雇用や待遇についての裁量権を上司(ボス)が持っているアメリカなどではロイヤリティの対象が企業ではなく直属の上司になっているだけだ」と論評したことがある。 いずれにせよバブル崩壊以降、日本企業の経営の在り方は大きく変わった。 ちょうどこの時期、バブル景気が頂点に達しつつある89年9月から翌90年までロングランで行われた日米構造協議によってである。「アメリカのシステム」や「アメリカのビジネス・ル-ル」を日本が採用すれば日米間の諸問題はすべて解決するというアメリカ商務省の意向が強く働き、アメリカは日本に対米輸出規制の強化、市場の開放を要求し、日本は通産省(現・経産省)がアメリカの4半期決算制が企業の短期利益優先で長期投資を妨げていると、アメリカのシステムの欠陥を指摘した。が、こういう論争になるとアメリカ側のレトリックがまさる。「日本が牛肉の輸入を自由化すれば、日本人は週に2回ステーキが食べられる」とか、大規模店舗法を廃止すれば競争原理が働いて利益を得るのは日本の消費者だと攻め立て、マスコミもその論法に同調した。 日本の行政が規制緩和一色に染まったのは、この日米構造協議以降である。 そして徐々にバブル崩壊の傷が表面化するようになった。 バブル崩壊については言うなら胴体強行着陸を行ったようなものだった。当時の大蔵省が金融機関に対して不動産融資の拡大を防ぐために「総量規制」と称する行政指導を行うと同時に、日銀は三重野総裁が金融引き締めに金利政策のかじを大きく切り替えた。 基本的に大蔵省(現財務省)と日銀の役割は相容れない要素がある。財務省は国家財政の健全化が大目的であり、どちらかというと緊縮財政論が主流を占めている。ただしデフレ経済を望んでいるわけではなく、緩やかなインフレによる経済の健全化を望んでいることはリフレ派の巣窟とされる日銀とはややスタンスが違う。しいて言えば【国債発行→財政出動による公共工事→経済活性化】というアベノミクス的経済政策をモットーとするリフレ派に対して、過度の国債発行は借金のツケを子孫に回しかねないと財政の健全化を重要視する反リフレ派との違い程度と考えればいいかもしれない。 が、そもそも基本的に日本社会の構造が大きく変化していることをリフレ派は分かっていない。生産人口が減少している中で、金融緩和などの手を打っても需要が増えないだけでなく、企業が生産活動を活発化したら自分で自分の首を絞めるようなものだからだ。 たとえば諸外国の事情は知らないが、日本では若い人たちの自動車離れはすでに30年程前から始まっていることに自動車メーカーはとっくに気づいている。 電気製品にしても、高性能・高機能化しており、製品寿命は大幅に伸びている。例えばテレビ。昔のアナログ放送時代の受信機はブラウン式が主流だったし、ブラウン管方式のテレビの寿命はせいぜい7年くらいとされていた。私もアナログ時代はブラウン管テレビを見ていたが、2002年に地デジに変わった時液晶テレビに買い替えた。ブラウン管テレビはブラウン管が故障したら一瞬で真っ暗になってしまうが、液晶テレビは小さな液晶部品が無数に配列されており、おそらく何%かの液晶部品は壊れているだろうが、テレビを見るのには全く支障がない。 つまり生産人口が減少しているうえに、消費意欲を刺激する商品が今はスマホくらいしかないのだ。スマホ・マニアは毎年のように新製品に買い替えたり、複数のスマホを使い分けたりしているようだが、その程度では景気を刺激する力にはなりえない。 そのうえ、既にブログで書いたように金融庁が「老後生活には2000万円必要」などとバカげたことを言い出したため、若い人たちも「消費より貯蓄」志向を強めだした。 つまりリフレ派学者たちが主張するように、生産人口の賃金を多少上げたくらいで需要が増えるような状況には日本社会がないということなのだ。そういう状況の中で金融緩和を続ければどうなるか。 ●生産者物価が上昇しても消費者物価が上昇しないわけ ウクライナ戦争が勃発して世界経済が大混乱に陥っている。理由はヨーロッパの穀倉と言われるウクライナ産の小麦の輸出が激減し、食料品原材料価格が大幅にアップしたこと。さらに西側諸国による対ロ経済制裁によってロシア産の天然ガスや石油の供給がストップして電気代をはじめエネルギー価格が大幅に上昇したこと。 そのうえ日銀が金融緩和政策を続けたため、食料品や工業製品の輸入原材料価格が急上昇した。 このブログの冒頭に書いたがインフレかデフレかは需要と供給のギャップによるのが一般的な経済常識だが、日本の場合、原材料価格が大幅に上昇していながら製品価格に反映されているケースとされないケースがある。プラザ合意後の急激な円高の中でカメラなど日本の独壇場だった市場でも、ドル建て輸出価格にコストを反映させると輸出先の国民の購買力を超えてしまうため原価割れでも輸出価格を抑えざるを得ないケースがあった。 実はアメリカでも似たケースがあった。トランプがアメリカ産業界とりわけ自動車業界の競争力を回復させようと自動車(部品を含む)や鉄鋼・アルミ製品の輸入関税を大幅に引き上げたことがある。米自動車業界の国際競争力が回復したにもかかわらず、GMの一作業員から叩き上げで初の女性CEOに上り詰めたメアリー・パーラーが北米の5工場を閉鎖してしまった(うち1工場はカナダ)。 当然トランプは激怒したが、メアリーは平然と反論した。「確かに競争力は回復したが、輸入原材料や部品の価格が大幅に上昇し、生産コストのアップ分を製品価格に反映させたらGM車は世界中の消費者の購買力を超えてしまう。売れ残った分を政府が全部買い取ってくれるなら工場を閉鎖したりせず自動車を作り続けますよ」。 実は日本ではメアリーのようなドラスティックな経営再建は不可能なのだ。いまは従業員に占める正規社員の割合が激減し、いつでも首を切れる非正規社員を増やしているからある程度は生産調整で工場をフル稼働しなくても済むようになっているが、バブル崩壊前はパートやアルバイト、季節労働者は別として勤務体制が正規社員と同じ非正規社員はほとんどいなかった。「年功序列終身雇用」を原則としてきた日本社会では事実上会社が潰れない限り工場を閉鎖したり生産調整したりすることは極めて困難だったのだ。 そのため2年間に2倍という信じがたい円高にさらされたとき、日本企業がとった方法は、工場の稼働率を維持するためにダンピング輸出で赤字を出す一方、国内の販売価格を大幅にアップして採算をとってきたのである。そういうことができたのは、日本がまだ高度経済成長を続けており、国内購買力が依然として好調を維持していたからである。 が、同じ製品が国内で買うより海外で買うほうが安いという実態が広く知られるようになり、いったん海外に輸出した製品を逆輸入して廉価販売するという新ビジネスの「並行輸入産業」まで生まれるに至ったのだ。 一方、海外ブランド品はどうだったかと言うと、常識的には日本での販売価格は大幅に安くなるはずだが、輸入業者は「円高などどこ吹く風」だった。その理由を聞くと、「日本人は高いことに商品の価値を求めるから円高分を値下げするとかえって売れなくなる」とうそぶくありさま。 いいか悪いかは別にして日本社会の特殊性が、経済学者の思い通りにはならなかった理由である。 もう一度、冒頭のインフレ・デフレの要因に戻ると、インフレは需要が供給を上回った時に生じ、デフレは供給が需要を上回った時に生じる。誰が決めたのかは知らないが、トランプ時代のFRBパウエル議長も物価上昇2%を金融政策の目標にしていた。 トランプはより景気を過熱させたかったようで、パウエルに対してさらなる金融緩和政策をとるよう何度も迫ったが、パウエルは頑として中央銀行トップの矜持を曲げなかった。 『日曜討論』に出席した学者の一人は「日銀は政府の子会社と言われており、事実そういう面がある」と発言したが、日銀法には政府からの独立性が明記されている。黒田と安倍の関係は、親分子分の関係ではなく、たまたま黒田の考え方が安倍と一致していたにすぎないと私は見ている。 ただ問題は、日本には消費者が欲しい物はほぼ行きわたっており、消費意欲を刺激するようなものがスマホくらいしかなくなっているという状況に、二人とも気づかなかったことだ。だから安倍は春闘のたびに経済団体に大幅賃上げを要求し、正規社員の給料はそれなりに上昇していた。ただ、その上昇分が消費拡大に結び付かなかったのは、欲しいものはすでに持っているという生活満足感があったことと、金融庁の大ウソ「老後2000万円問題」で従業員の貯蓄志向が高まったせいである。 さらにコロナ禍に襲われるまでは、日本の消費力は海外からの観光や爆買い客の購買によって支えられていたからだ。このインバウンド経済効果がなかったら、アベノミクスの化けの皮はとっくに剥がれていた。 物価上昇2%を目標とする根拠はだれも説明できないし、生産人口減による自然需要減、欲しいものがないという状況の中で、なぜ物価上昇2%を目標にするのか。またその目標を達成するために続けた金融緩和の効果が全くなかった(ウクライナ戦争による超インフレ問題は別)ことに、なぜ経済学者たちは気づかないのか。そしてNHK『日曜討論』担当者たちはなぜそういう問題提起をしなかったのか。
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