小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

パスモ告発第2弾  パスモは闇金並みの悪徳企業だ

2008-09-11 08:47:48 | Weblog
 前回『緊急告発! (株)パスモは即座にPASMO事業を中止せよ』を発表した時は、私がブログを始めて以来最大の訪問者があった。
 前回の告発文で明らかにしたように、『PASMOご利用案内』という43ページに及ぶパンフレット(以下パンフと記す)でも、またPASMOのホームページでもPASMOの特徴として[紛失の際もご心配なく]と謳い「万一紛失しても再発行できるので、安心です。最寄りの駅やバス営業所にお申し出ください」と書いてある。
 こういう表記をしたのは最大限好意的に解釈して、PASMO定期券のことだろうと推測する。従来定期券は紛失した場合、再発行はできなかった。だから1カ月定期より3カ月定期のほうが、また3カ月定期より6カ月定期のほうが割安にはなっていたが、同時に紛失した時のリスクも大きかった。PASMO定期券は紛失しても発行鉄道のどの駅でも紛失届を出した翌日には再発行ができるので(ただし再発行手数料500円+カード代500円がかかる)、紛失リスクは大幅に減った。またPASMO定期券に多少の金額をチャージしておけば、「改札機にタッチするだけで定期区間外を乗車した分の運賃も精算できます」(パンフ)というメリットもある。
 定期券以外でもPASMOのメリットは多く、従来のパスネットは私鉄にしか使えず、JRに乗り継ぐ時はJRの乗車区間の切符を買うか、別にSUICAを持って乗る必要があった。だから財布を盗難され、盗難者にオートチャージ機能付き記名PASMOを不正使用された私も、オートチャージ式PASMOは極めて危険な「金融商品」だということがわかったから再発行はしなかったが、駅の券売機で無記名PASMOは購入した。無記名PASMOはチャージ残高が少なくなると券売機で現金チャージしなければならず、面倒なことは確かだが、紛失しても損害はチャージ残高だけで済む。オートチャージ式のように不正にチャージを何回もされ、暗証番号不要なキャッシュカード(そんな危険なキャッシュカードはどの銀行もサラ金も発行していないが)同様に現金化されて大きな損害を被るおそれはまったくない。
 パスモやPASMOを販売している鉄道会社は「PASMOで現金を引き出すことはできない。電子マネーとしてPASMOが使えるのはコンビニや自動販売機での物品購入だけだ」と主張するだろうが、私は大手コンビニ3社系の店で確認したが、客がいったんPASMOで物品を購入した後返品を申し出た場合、物品購入代金を現金で返すしか方法がないのである。コンビニには駅の券売機のようなPASMOチャ-ジ装置がないからだ。つまりPASMOは暗証番号不要のキャッシュカードということになる。こんな犯罪を誘発する極めて危険な「金融商品」を、経済産業省はなぜ許可したのか、理解に苦しむ。経産省はただちにオートチャージ機能付きPASMOの発行停止と鉄道各社に回収を命じなければいけない。

 さてパンフでは「紛失の際もご心配なく」と表記していることはすでに書いた(ホームページも同じ)。そう表記していながら、紛失した特のリスクについてはパンフの隅から隅まで目を通したが、どこにも書いてない。それどころか消費者に真っ先に告知しなければならない「紛失したときの処置」は、さんざんPASMOの便利さを並べ立てた後の25ページ目になってやっと、それも一番肝心なことに全く触れず、再発行の手続き方法だけしか表記していないのである。
 「紛失したとき」というタイトルで告知していることは、次の3点だけである(要点のみ記す)。
① 「記名PASMO」と「PASMO定期券」は、万一紛失しても再発行できる。ただし「無記名PASMO」は再発行できない。
② 再発行はもよりの駅やバス営業所に、本人確認のための公的証明書等(免許証など)を持って申し出ること。購入時に登録した「名前」「性別」「生年月日」をもとに手続きし再発行整理票を渡す。 ※ばっかじゃないか。本人確認の公的証明書の持参を要求しておいて、さらに購入時の名前・性別・生年月日をもとに手続きするとはどういうことか。購入時と変わっている可能性があるのは、結婚や養子縁組などで変わる姓だけである。その場合は当然パスモ購入時の旧姓での本人確認はできない。旧姓での本人確認ができなければPASMOを再発行してもらえないことになる。嘘だろうと思われる方が多いだろうが、PASMOは後で詳しく述べるが、信じがたいほど硬直したシステムになっているのだ。実は約款の「ICカード乗車券取扱規則」の第17条に「改氏名による記名ICカードの書き換え」という項目があり、「旅客は当社が定める申込書及び当該ICカードを当社に差し出して、氏名の書き換えを請求しなければならない」という記載があるが、その場合は本人確認のための公的証明書等を示す必要はない。こういうのを「ばっかじゃないか」という。
③ 再発行は紛失再発行を申し込んだ翌日以降に行う。その際手数料500円+カード代(デポジット)500円が必要となる。再発行のPASMOを受け取るには整理票と本人確認のための公的証明書等が必要だという。 ※ばっかじゃないか。整理票だけでは本人確認に不十分と考えるほどセキュリティを重視するなら、記名PASMOを第三者が不正使用できないようなセキュリティ機能(例えばオートチャージや物品購入の際には暗証番号を押させるなど)を整備するほうがはるかに重要なはずだ。

では記名オートチャージ式PASMOを紛失したとき(盗難も含む)、紛失したPASMOにチャージされている残高はどうなるのか。そのことはパスモのパンフには一切記載がない。大手私鉄の本社旅客営業部の幹部の説明によれば、記名オートチャージ式PASMOを再発行すれば、再発行されたPASMOにチャージされるということだが、PASMOの利便性は認めつつも、セキュリティ対策が全く施されていない記名オートチャージ式PASMOを再発行してもらう気には到底なれない。で、私は大手私鉄の駅の券売機でデポジット500円を払って無記名PASMOを購入した。この無記名PASMOはすでに述べたようにチャージ残高が少額になると券売機で現金チャージしなければならない不便さはあるが、もし紛失しても損害はチャージ残高だけで済む。しかし記名オートチャージ式PASMOは紛失すると、それを盗んだり拾ったりした第3者が自由にオートチャージしたり電子マネーとして不正利用できる(駅に届ければ少なくともオートチャージはできなくなる。またパスモお客さまセンターによれば一部の店では物品購入もできなくなるようだ)。しかも不正使用された時の補償は一切ない。
金融商品としてはこれ以上危険でセキュリティ機能がほとんど皆無といっていいものは他にない。だから私は駅の券売機で無記名PASMOを購入したのだが、その駅で盗難にあった記名オートチャージ式PASMOのチャージ残高を券売機で買った無記名PASMOにチャージしてほしいと頼んだのだが、「それは規則上できない」という。
「そんなバカな」と思った私は、パスモのパンフを隅から隅まで目を皿にして読んだ。パスモの詐欺的体質から、そんな不合理な「規則」はPR部分に書いているわけはないと思ったが、念には念を入れようと一行一行何度も読み返したが、やはりそんな「規則」はどこにも書いてない。パンフの27~28ページにわたって「PASMOの払い戻し」という項目は記載されているが、2ページも使いながら「払い戻し」のケースは「カードが不要になったとき」と「定期券のみが不要のとき」の手続きと払い戻しの額の計算式が記載されているだけで、記名オートチャージ式PASMOのチャージ残高の払い戻しあるいは無記名PASMOへのチャージ移行の手続きについては何の記載もない。
前回の告発でパンフおよびホームページで「紛失の際もご心配なく……万一紛失しても再発行できるので安心です」と宣伝しているが、紛失したら大変なことになるとの警告は一切していないことを指摘したが、紛失した時のチャージ残高の処理については何も記載がない(前回の告発では虫眼鏡を使わないと読めない極小文字で書かれている約款は無視すると書いたが、今回再告発するに際し、約款も虫眼鏡を使って隅から隅まだ読んだが、約款にも紛失した記名オートチャージ式PASMOのチャージ残高の処理については何の記載もない。なのに、大手私鉄の駅の事務所で、券売機で買った無記名PASMOにチャージ残高を移行してほしいと頼んだが、「規則でできない」という。しかもその「規則」なるものはどこにも記載されていないことも駅員は認めている。つまり何が何でもセキュリティ皆無で利用者には莫大なリスクを背負わせる記名オートチャージ式PASMOを再発行させるという犯罪的行為を、記名オートチャージ式PASMOの紛失で大きな損害をこうむった利用者をさらに犠牲にしてパスモだけが儲けるという悪質極まりないシステムにしている事業者がパスモなのだ。

この段階でやむを得ず、責任の所在を明らかにするため、私が記名オートチャージ式PASMOをめぐってトラブルを生じた大手電鉄会社名と、たった今最後の説得に応じずかたくなに私が盗難され不正使用された記名オートチャージ式PASMOチャージ残高の返却(実際には券売機で購入した無記名PASMOへのチャージ)を拒んだ駅員の名前を公表する(このことは駅員本人に伝え、了承を得ている)。
まず大手電鉄会社とは小田急電鉄である。
そして「規則」を盾にチャージ残高の返却をあくまで拒んだのは新百合ヶ丘駅の府川忠之である。
府川はチャージ残高が私の所有に帰することは認めている。だが「規則により、記名オートチャージ式PASMOを再発行しない限り返却できない」と言い張った。だが、そんな規則はどこにもないことも、府川は認めた。実際、『PASMOご利用案内』のどこにも府川が主張する「規則」は記載されていない。保険会社などが、できれば加入者に知られたくない不利益情報を、虫眼鏡を使わなければ読めない極小文字の約款にのみ記載し、「それで説明責任は果たした」と主張してきたことは裁判でことごとく否定されている。パスモはそういう「説明責任を果たした」ことにもならない約款でも「記名オートチャージ式PASMOを紛失した場合、同PASMOを再発行しない限り紛失したPASMOのチャージ残高をそのPASMOの記名本人に返却しない」という記載はまったくない。そして府川もそのことを確認している。
当然のことだが、約款にすら記載していない利用者にとって極めて不利なチャージ残高の返却を拒むことは横領行為である。私は府川に「約款にも記載されていないことは規則ではない。小田急の上層部からそう指示されても、規則に定めのないチャージ残高の返却条件を利用者に強制できないと主張して、あなたの良心にかけてチャージ残高を私に返す(実際には券売機で購入した無記名PASMOにチャージすること)べきだ」とまで言ったが、府川はあくまで拒んだ。で、最後に「約款に記載されていない『規則』の不合理性についてパスモを追及してもパスモは『そんな規則はない。現に約款にも記載がないではないか』と主張する可能性がある。『そうなると責任の所在があいまいになるので、あなたの判断で再発行を条件にした』とブログに書いてもいいか」と確認を取ったが、「やむをえません」と府川も了承した。
私は府川に格別の悪感情を持っているわけではない。むしろこの間小田急本社の旅客営業部主査を始めかなりの社員と折衝してきて、府川は誠実に対応してくれたほうである。ただこのブログを書くうえでパスモをめぐる闇をあぶりだすため最後のやり取りをしたのが府川だっただけで、府川には気の毒だったが、パスモが約款にも記載せず各鉄道・バス事業会社に暗黙の要請(約款に記載されていない以上、そう解釈するしかない)をし、事実上各鉄道・バス事業会社が「規則」と受け止め運用している実態を明らかにするため、実名で私の所有に帰すべきチャージ残高の返却を拒否した経緯を明らかにする必要があったためである。(ここまで書いた記事は9月8日、府川にFAXし「間違いないので実名を出されてもやむをえません」と了解を取り付けてある)

パスモの悪質さをさらに明らかにする。大人用PASMOのうち記名PASMOについてはこう記載されている。「記名人のみが利用できるPASMOです。紛失時には再発行できます」と。こう書いてあれば記名人以外の第3者の使用が不可能な何らかのセキュリティシステムが内蔵ICチップに組み込まれていると解釈するのが中学生程度の理解力があれば自然である。しかし私の記名PASMOは第三者によって不正使用され、それを防ぐ手立てはなにも講じられていないことが明らかになった。 
ではパスモはそうした犯罪が生じることを想定していなかったのか?
実は想定しており、しかも「記名PASMOの記名本人以外の悪意ある第3者が不正使用してもいい」と第3者に対して犯罪行為を誘発しているとしか解釈のしようがない記載が約款にあったのだ。
私は前回の告発で書いたが、記名PASMOとオートチャージのためのクレジットカードOPカードを申し込んだのは発売前の予約受付中の3月中旬だった(その後小田急カードから電話があり、私が記名PASMOとオートチャージ用クレジットカードのOPカードを申し込んだのは小田急カードのキャンペーン中の昨年3月20日で、OPカードを発行したのは4月2日。記名PASMOが私の手元に届いたのは1週間後くらい、ということであった)。その頃のPASMOの機能は列車の切符代わりにしか使えず、新百合ヶ丘駅構内で予約申し込みを受け付けるキャンペーン活動をしていた小田急カード(OPカード)の営業社員から「電子マネー」の機能についての説明はまったくなかった。もちろんPASMOの利用についての、約款まで記載された『PASMOご利用案内』など交付されていない(このパンフをパスモが作成したのは今年に入ってからである)。4月に記名PASMOが発行されるようになり、利用者が増えるのに比例してコンビニや自動販売機でPASMOが電子マネーとして事実上使えるようになって以降も、PASMOの利便性が増えた(ということはリスクも増大したことを意味する)という「お知らせ」はパスモからも小田急からも小田急カードからも一切なかった。だから私が記名PASMOの盗難にあい、新百合ヶ丘駅に紛失届を出すまで、PASMOが事実上暗証番号不必要なキャッシュカードになっていたことを全く知らなかったのである。

ここで改めてパスモの悪質ぶりを箇条書きで整理しておこう。
① 記名PASMOは「記名人のみが利用できるPASMOです」と記載して消費者に、第3者による不正使用を防ぐセキュリティシステムがPASMOには搭載されているかのごときウソをパンフに記載していること。
② 「紛失の際もご心配なく」と、やはり第3者による不正使用を防ぐセキュリティシステムがPASMOには構築されていると、間違いなくPASMO購入者が誤解することを承知したうえでウソを書き消費者を騙したこと。
③ これだけウソを並べて消費者を安心させておきながら、PASMO購入者がだれも読まないような、虫眼鏡を使わないと読めない超小文字で記載した約款の「PASMO電子マネー取扱規則」第5条2項に「記名PASMOは、記名人本人以外は利用できない。ただし、電子マネー取引に関しては、カード保有者を記名人とみなして本人確認を行うことなく、利用を認める。よって、当社及びPASMO取扱電子事業者及びPASMO加盟店は記名PASMOの紛失、盗難等による記名本人以外の使用によって生じた記名人本人の損害についてその責めを負わない」と第3者の不正使用を公認し、しかも不正使用によって生じた損害まで記名PASMOの真の所有者に負わせるという信じ難い規則を設けているのだ。PASMOを電子マネーとしてコンビニなどで物品を購入した場合、パスモはコンビニから数%のマージンを稼いでいる。それはクレジットカードで買い物をした場合も同じだから、パスモがコンビニからマージンを取ってもアンフェアだとは言わない。しかしクレジットカードが不正使用された場合はクレジットカードの真の所有者に実害は生じない。クレジット会社が損害を補償してくれるからだ。だが記名オートチャージ式PASMOはカードの裏面にクレジットカードと同様記名本人(つまり真の所有者)が署名しなければならない。従ってコンビニなどで買い物をするとき所定の用紙に署名させるようにすれば、暗証番号を入力しなくても本人確認が容易にできる。パスモはなぜそうしないのか。署名しなければPASMOで買い物ができないということにすると店が嫌がってPASMO加盟店が増えず、また客もそんな面倒くさいことが必要なら現金で買うよ、という選択をする。そうなるとパスモの収益が増えない。つまりパスモはリスクをすべて利用者に負わせ、自分たちだけ利益の最大化を図ることしか考えていないのだ。
④ さらにパスモは、紛失した記名オートチャージ式PASMOのチャージ残高をそのPASMOの所有者が私であることの本人確認をしながら返却を拒んでいる。パンフには「紛失したとき」という項目に1ページを割いているが、その項目に記載されているのは再発行の手続き方法と費用だけで紛失したPASMOのデポジット500円とチャージ残高の処理についての記載はない。ただ再発行すればチャージ残高は再発行PASMOに移行できるようだが(駅員とパスモお客さまセンターの口頭説明だけで文章化されたものはない)、強いて私のケースに該当するかもしれない規定が約款「PASMO取扱規則」の第19条に驚くべき「横領」を意味する内容が記載されている。「PASMOは、次の各号のいずれかに該当する場合は、無効として回収する。この場合、デポジット及びPASMOに記録されている一切の金銭的価値および乗車券等は返却しない」とあり、それに該当するケースの第1項に「記名PASMOを記名人以外のものが使用した場合」と明記されている。盗難にあった私のPASMOはまさにこの条件に該当する。約款を含め「盗難にあった場合の救済」についての記述は一切なく、③で明らかにしたように盗難者すら記名人とみなし本人確認の責任すら回避しているのである。ということは③で述べたようにPASMOを電子マネーとして使用する場合、不正使用がされることをパスモは百も承知で、不正使用された場合の損害をすべて記名本人だけに押し付けることにした確信犯だということがこれで明らかになった。しかもこのような消費者にとっての最大の不利益条項をパンフには一切記載していない。裁判になれば、このような約款にのみ記載した不利益条項は間違いなく否定される。
⑤ さらにパンフではデポジットについてこう説明している。「PASMOを新規に購入するときに、お客様からお預かりする金額のことを『デポジット(預り金)』といいます。金額は500円です。PASMOが不要になったときには、PASMOと引き換えにデポジットをお返しします。なおデポジットは、運賃の支払いや電子マネーとしてのご利用はできません」。この説明を素直に解釈する限り、私が盗難されたPASMOに入っているデポジット金額500円の所有者は私である。ただし私はPASMOを盗まれたわけだから、当然PASMOは持っていない。しかし私のPASMOは記名PASMOで、私以外にはデポジットを返してもらうことはできない。そこでパスモのお客さまセンターに確認したところ「無記名PASMOのデポジットは持参者が所有者であるとみなしデポジットをお返しするが、記名式PASMOは名前だけでなく生年月日、住所などPASMOに記録されている所有者の情報を確認し、さらに本人確認のための公的証明書(運転免許証など)の提示も求める」ということであった。となれば、盗難にあった私のPASMOのデポジットは私以外には返せないのだから、警察に出した被害届を持っていけば返さなければならない性質の金のはずだ。ところが、パスモのお客さまセンターの人は「デポジットは約款のPASMO取扱規則の第3条13項に記載されているようにPASMOの所有者はパスモで、お客様にはPASMOをお貸しする代価であり、したがってPASMOを返却していただかないとデポジットをお返しできない」と奇妙なことを言い出したのである。すでに書いたようにパスモは『ご利用案内』の11ページにデポジトについて「PASMOを新規に購入するときに、お客様からお預かりする金額のことを『デポジット(預り金)』といいます」と説明している。ここでパスモは「購入するとき」と明記している。「貸し出す」とはどこにも書いていない。通常日本語では「購入」したらPASMOの所有権は購入者に移ることを意味する。ところがパスモは「購入しても所有権は購入者に移らない」と考えているようだ。実際約款ではこう記載している。「『デポジット』とは、返却することを条件に、当社が収受するPASMOの使用権の代価をいう」と。つまりパスモはパンフではPASMOの所有権は購入者にあると書いておきながら、ほとんどだれも読まない約款では所有権はパスモにあると、理解不可能な説明をしていることになる。このような二律背反の主張をした場合、裁判所は間違いなく約款の主張を退ける。
 
 以上でパスモに対する告発の第2弾を終える。実は第1弾をブログで告発した時、朝日新聞の社会グループと読売新聞の社会部に通報したのだが、全く無視された。おそらく朝日新聞も読売新聞も『PASMOご利用案内』を入手し、「金融業者」としてのパスモの、闇金クラスの悪質さを検証することもしなかったのだろう。最大限善意に考えて朝日新聞も読売新聞も私がPASMOを盗難され、盗難者によって不正使用された怒りを的違いのパスモにぶつけただけ、と考えたのだろう。そんな私憤に社会的公器である大新聞が手を貸すわけにはいかないと考えたのだろう。あるいは私がこれまで朝日新聞や読売新聞に手厳しい批判をしてきたことから、そんな読者からの情報提供など無視するに限ると考えたのかもしれない。いずれにしても社会的公器としての責任を放棄した両紙には今回の告発は通報しない。今回通報するのは経済産業省、国土交通省、公正取引委員会である。この3官庁にパスモ制裁の要点を提案して、後はパスモの処置を3官庁にお任せする。
① 記名PASMO(オートチャージ式を含む)の発売(実際にPASMOを発売しているのはPASMO取扱事業者(鉄道会社、バス会社などだが)を即時停止すること。
② すでに発売した記名PASMO(オートチャージ式を含む)は直ちに回収すること。
③ 記名オートチャージ式PASMOのオートチャージ機能を即時停止すること。
④ 記名PASMOを電子マネーとして扱い物品を販売する業者(コンビニなど)には本人確認のため販売時に署名させること。署名のための所定用紙はパスモが作成し加盟店に配布すること。署名による本人確認を怠った加盟店はその責を負わなければならないことを、パスモは全加盟店に内容証明郵便で通知すること。
⑤ 本人確認が不可能な自動販売機での記名PASMOの使用は即時停止すること。
⑥ パスモが記名パスモを不正使用された場合に記名PASMOの購入者(所有者)が被った損害の賠償責任を負うことを消費者にあらゆる手段で告知するまで、記名PASMO(オートチャージ式を含む)の発売再開を許可しないこと。
⑦ 記名PASMO(オートチャージ式を含む)の所有者(記名本人)が事情を問わず第3者による不正使用によって被った損害を、パスモが即時全額を賠償すること。

 


朝日新聞の9月4日付社説(上段)を全面的に支持する

2008-09-05 10:54:43 | Weblog
 この社説を読んで感動した。感動のあまり、正直に言うが、つい眼がしらが熱くなった。このブログを書き始めた今も私の眼はうるんでいる。
日ごろから私は朝日新聞の論説委員の方たちを軽蔑していた。ガソリン税についての主張をひと月もたたないうちに180度転換したり(説明抜きに)、阿倍内閣が手をつけた(手をつけただけで、挫折し無責任に政権を放り出してしまったが)公務員制度改革の目的をどういうふうに頭脳を働かせればこれほど曲解できるのかと摩訶不思議に思っていたら、案の定公務員改革問題について半年間完黙を続けた後、これまた何の説明もなく主張を180度転換して、「公務員制度――改革の動きを止めるな」と、かつては全否定していた政府の公務員制度改革の目的をほぼ正確に理解して今度は全面支援の立場に回るという、恥も外聞も投げ捨てた主張を行ってきた。その朝日新聞の論説委員が、これほど高潔で品位の高い社説を書けるとは思ってもいなかった。
朝日新聞を取っていない人はぜひ朝日新聞のホームページか「あらたにす」で読んでほしい。このブログの読者も、私と同じ感動を受けるだろう。そんなのは面倒という人のために、この社説の概略を私の理解力と文章力の限界は承知の上で紹介する。

広島で行われたG8議長サミットの参加者たちが原爆慰霊碑に献花を捧げてくれた時、米下院議長のナンシー・ペロシ氏はいったん献花した後、もう一度慰霊碑に向かい、胸の前で小さく十字を切った。米下院議長といえば、大統領が死亡したり大統領としての責務を果たせない状態に陥った時、副大統領に次いで大統領の責務を果たすことが米憲法で定められている最大級の重要人物である。
原爆により日本の降伏が早まり多くの人命が救われたというのが米政府の見解だ。これに対し日本は原爆がなくても早晩降伏しただろうし、一般市民を無差別に殺し、生き延びた人々にも深刻な後遺症を残した原爆は人道上許されないというのが国民感情である。
ただし同盟関係に配慮する日本政府は「核兵器使用は国際法に違反するとまでは言えない」というあいまいな態度に終始している。(この後社説は原爆投下に対する米国の見解を事実上容認した久間元防衛相の発言を批判し、さらにG8議長サミットを広島に誘致した河野衆院議長の、非人道的兵器を使用した事実を直視することにより核軍縮を議論しようという思いを肯定的に紹介している)
ペロシ氏はサミット終了後、短い声明を発表した。「広島訪問を通じて戦争の持つ破壊力をありありと思い起こし、すべての国が平和を促進してより良い世界をつくることが喫緊の課題だと思いました」(ごめんなさい。私はこのブログを書きながら、不覚にも涙が止まらなくなりました。とりあえず続けます)
ペロシ氏は民主党でもリベラルな立場で核軍縮にも積極的だが、下院を代表する議長としての訪問だ。米世論の批判を浴びるかもしれない。断行した勇気と見識に敬意を表する。

私は1997年9月に光文社から上梓した『ウィンテル神話の嘘』という単行本の前書きの冒頭でこう書いた。

アメリカはその建国以来の二百数十年の歴史の中で、世界史から消すことのできない大きなミステークを四回やってきた。
最初の誤りは、アフリカから黒人を強制的に連れてきて奴隷にし、人身売買をしたことである。
二つ目の過ちは、禁酒法を発令してギャングを育てたことである。
三つ目の大きなミスは、言うまでもなく広島・長崎への原爆投下である。この政策判断について、アメリカは今もなお「戦争の早期終結とアメリカ軍兵士のこれ以上の犠牲を避けるためにはやむをえなかった」と正当化しているが、どのような理由があろうと、戦争責任がまったくない日本市民数十万人を虐殺した罪は千年経っても消えないであろう。
私に言わせれば、この大量虐殺は、ナチスによるユダヤ人虐殺、日本軍による南京虐殺、ソ連軍による日本人捕虜のシベリア抑留・酷使と並ぶ、第二次世界大戦における4大戦争犯罪なのである。
なお自民党の橋本総裁は97年8月、広島・長崎での原爆慰霊祭に出席し、弔辞を述べた。が、橋本は一度でもアメリカ政府に対し原爆投下の責任を問うたことがあるだろうか。米政府に対し、何の抗議もしない橋本龍太郎から、どんな慰めを受けたとしても、原爆の犠牲者は浮かばれないであろう。
ちなみに、アメリカ人の間では、今でも「リメンバー・パールハーバー」なる反日感情があって、それが自国の原爆投下に対する良心を麻痺させているようだ。
もちろん、アメリカ人のそういう感情は私にも理解できるし、日本が犯した戦争犯罪についてどんな弁護をするつもりもない。たとえ、野村吉三郎・来栖三郎両大使にアクシデントがあったとしても、アメリカに対し宣戦布告を行う前に真珠湾奇襲を行ってしまったことの責任を、やはり日本は免れえないであろう。
少なくとも日本政府は、両大使が米政府に宣戦布告を行ったかどうか確認してから奇襲を行うべきであった。この、外交上の最も基本的確認作業を行わずに攻撃してしまった以上、日本政府はその責任を野村・来栖両大使に転嫁することは不可能である。
だがしかし、日本海軍が攻撃したのは真珠湾に集結していた米艦隊に対してであって、アメリカがやったように無差別に一般市民を殺戮したわけではない。米政府やアメリカ人がどんなに宣戦布告なき奇襲を非難したとしても、だからといって広島・長崎市民に対する無差別の殺戮行為を正当化できるわけではないのだ。
私が、第二次世界大戦における四大戦争犯罪の中に、日本による真珠湾攻撃を含めず、アメリカによる原爆投下を加えたのは、そういう理由による。(後略)

『ウィンテル神話の嘘』を上梓した5年前の92年11月に、当時激化の一途をたどっていた日米経済摩擦を、例えば自動車輸出を自己規制するなどといった小手先の摩擦回避の手段ではなく、根本的に解決する方法を提言した『忠臣蔵と西部劇』のエピローグでは、私はこう書いた。

(イギリスとの戦争に勝って1783年に独立した)アメリカは、北部・南部・西部がそれぞれ異なった顔を持って別々の道を歩んだ。北部が商工業を中心に資本主義経済を発達させれば、南部は黒人奴隷の労働力を基盤とした綿花王国を築き、遅れて西部は牧畜に活路を求める、というぐあいだった。その矛盾が飽和点に達して爆発したのが、南北戦争(1861~65年)である。北軍の勝利によって、南部の奴隷制度は崩壊した(ただし、黒人に対する人種差別はその後も長く続き、今日でも人種問題がアメリカ最大の恥部になっている)。※この文章は16年前のものです。現在では人種差別はかなり減少しています。
アメリカへの移民が急増するようになったのは、20世紀に入ってからである。まず、東欧や南欧からの新移民がどっと押し寄せ、1980年代には、西欧や北欧からの旧移民の数を上回った。日本や中国などからのアジア系移民も増え、アメリカはまさに人種の坩堝と化した。
民族・言語・宗教・文化・風習・ルールなどの異なる多くの人種の混合国家は、当然のことながら、人種対立や人種差別を激化させる。
日系人への差別は、太平洋戦争中の強制収容ばかりがクローズアップされるが、じつは、真珠湾攻撃の35年も前に、カリフォルニアでは排日運動が激化している。1906年の日系児童の学級隔離、13年の排日土地法成立(日系人の土地所有禁止・借地制限など)、24年の排日移民法と、黒人差別と甲乙つけがたいほどの人種差別の洗礼を、日系移民は受けてきた。
太平洋戦争の末期に、もう勝敗の帰趨は完全に見えているのに、日本に原爆を、それも広島で息の根を止めたのに、長崎で止めまで刺すという行為は、単に「リメンバー・パールハーバー」だけでは説明できないものがある。仮定の話をしても仕方がないが、ドイツにだったら、あそこまでやっただろうか、という思いは拭いきれない。
黒人や日系人に対する差別だけではない。先住民のインディアンに対しては、もっと残虐であった。メキシコ人からもテキサスやカリフォルニアを奪い取ったうえ、メキシコ人住民を弾圧した。
こうしたアメリカの過去を知るとき、占領下の日本で、世界の歴史で初めて占領軍が、敗戦国民に対して寛大であり紳士的であったということは奇跡にさえ思える。ひょっとしたら、広島・長崎に対する罪の意識(この罪の意識というのは、キリスト教徒の特質であって、アジア人には希薄である)が、彼らの行動を束縛したのかもしれない。(後略)

私が過去、アメリカの広島・長崎への原爆投下についてどう主張してきたかをご理解いただいたうえで、アメリカ政府の自己弁護の欺瞞性を初めて暴いて見せよう。その方法論をあらかじめこのブログをお読みの方に明らかにしておこう。その方法論は簡単である。まず米政府の見解(私は「米政府の主張」あるいは「米政府の口実」と書いたほうが用語法として適切だと思っているが)をいちおう素直に受け入れることによってその欺瞞性がだれの目にも自然に明らかになるという方法論で行う。いたずらに原爆が非人道的兵器であることを口を極めて叫んでも米政府の開き直りとは噛み合わないからだ。
そのために私は太平洋戦争とベトナム戦争を対比させることで、米政府の主張の妥当性を検証することにした。この論法を使えば米政府の主張の欺瞞性が一瞬にして明らかになってしまうのである。
まず最初に太平洋戦争の経緯を簡単に述べよう。

日本海軍がハワイ真珠湾に集結していた米艦隊に宣戦布告なしの奇襲攻撃をかけたのは1941年12月8日だった。開戦当初日本軍は連戦連勝、無敵の快進撃を続けた。が、42年6月、ミッドウェー海戦で圧倒的戦力を誇っていたはずの日本海軍は米艦隊に歴史的大敗北を喫した。この敗北で戦局が一転した。
この大勝利で一気に反攻に転じた米軍は同年8月ガダルカナル島に上陸、日本の守備隊と激戦の末日本軍を撃破、43年2月、日本軍はガダルカナル島から撤退した。私の手元に資料がないので推測するしかないが、このときの戦いでは米軍兵士にも多大の犠牲者が出たようだ。
その後は米軍が連戦連勝を続けた。同年5月にはアッツ島で日本軍守備隊2500人が全滅、44年7月にはサイパン島の守備隊3万人が全滅。翌8月にはグアム島の守備隊18000人とテニヤン島の守備隊8000人が全滅した。さらに同年10月にはレイテ沖海戦で日本は連合艦隊の主力を失った。
さらに米軍の攻勢は続き、45年3月には硫黄島の守備隊2万3千人が全滅、4月には米軍が沖縄本島に上陸、激戦の末6月には日本軍守備隊は全滅、民間人も含め死者は19万人に達した。この沖縄戦でも米軍兵士の損傷は少なくなかったようだ。
この沖縄戦を最後に米軍は戦略を一変する。米軍兵士の損傷を防ぐため、日本本土への上陸作戦を中止、もっぱら制空権を握った米空軍による大都市(東京・大阪・横浜など)への無差別空襲作戦に舵を大きく切った。なかでも45年3月10日の東京大空襲では、戦争責任がまったくない一般市民10万人を殺戮した。この東京大空襲が広島・長崎への原爆投下の事実上の布石であった。
8月6日 米軍、広島へ原爆投下
8月8日 ソ連スターリン、米大統領ルーズベルトの要請により対日宣戦布告
8月9日 米軍、長崎へ原爆投下
8月15日 日本、ポツダム宣言を受け入れ無条件降伏

太平洋戦争は概略このような経緯をたどって終結した。アメリカが広島・長崎に原爆を投下した時点では、もはや日本には戦争継続能力は皆無だった。それでもアメリカは「戦争の早期終結。米軍兵士の損傷防止」を口実に原爆を投下した。その口実を、今でも正当だと主張するなら、太平洋戦争(1941.12.8~45.8.15)よりはるかに長期化して、しかも米国史上初めて敗北を喫したベトナム戦争で、ホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)の首都ハノイに原爆をなぜ投下しなかったのか。私は理解に苦しむ。
そこでベトナム戦争の経緯を簡略に述べよう。

ベトナム共産党の指導者ホー・チ・ミンが「ベトナム8月革命」を率いてベトナム民主共和国(北ベトナム)を誕生させたのは1945年9月、つまり日本が無条件降伏してベトナムから撤退した直後だった。これによりベトナムは南北に分離、南ベトナム政府は共産主義勢力の南下を食い止めようとする(ドミノ政策)アメリカがバックアップし、生まれたばかりのひ弱だった北ベトナムはソ連と中国が背後から支えるという状態が15年間続き、それなりに均衡状態が保たれていた。
が、60年12月、北ベトナムやソ連・中国の後ろ盾で「南ベトナム解放民族戦線」(以下解放軍と記す)が結成され、南北対立が火を噴く。
共産勢力の攻勢に対しアメリカは南ベトナム政府を支えるため61年11月にヘリコプター部隊と軍事顧問団を派遣、翌62年2月に米軍が「南ベトナム軍事援助司令部」を設置した。
南ベトナム政府軍(以下政府軍と記す)と共産勢力(表向きは「南北統一・民族独立」を掲げた解放軍)との小競り合いが急展開したのは、63年1月に生じたアプバクの戦いで圧倒的軍事力を誇っていた政府軍が解放軍に敗北したことがきっかけだった。この報に接した米大統領ケネディは米軍の本格投入を決断した。
65年に入り、米軍は2月、北爆を開始、3月には米海兵隊がダナンに上陸した。この時期からアメリカはベトナム戦争の泥沼にのめりこんでいく。が、ベトナムのジャングルに姿を隠してゲリラ戦を始めた解放軍(実態はソ連・中国の後ろ盾を得た北ベトナム軍)に政府軍と米軍は手を焼き、にっちもさっちもいかない状態に陥っていく。
米軍は事態を好転すべく、大量の枯れ葉剤を撒いてジャングルに隠れたゲリラをあぶりだそうとするが、この枯葉剤はダイオキシン類などの薬剤を含んでおり、のちに大きな問題化する。
しかし戦局は政府軍・米軍側にますます不利になる一方で、69年6月には解放軍・北ベトナム軍が「南ベトナム臨時革命政府樹立」を宣言し、共産勢力による南ベトナムの実効支配が明らかになった。
苦境に陥った政府軍と米軍は一気に事態を転換すべく戦火を周辺諸国に拡大(共産勢力への軍事物資の輸送ルートになっているという理由で)、70年4月にはカンボジアに侵攻、続いて71年2月にはラオスにも侵攻、ラオスではクラスター爆弾(対人・対戦車用の空対地爆弾)を大量に投下した。このなりふり構わぬ米軍の非人道的兵器(枯れ葉剤やクラスター爆弾)の使用に世界の世論が一気に反米化しただけでなく、米国内でもベトナム戦争反対運動が激化するに至り、米軍はますます苦境に立った。その事態を打開すべく米軍はいったん中止していた無制限北爆を再開したが、ますます世論の反発を招き、すぐに停止した(72年12月)。
事ここに至ってアメリカも敗北を認めざるを得なくなり、翌73年1月にはパリ協定を締結して終戦、南北ベトナムは統一国家になり共産圏の仲間入りを果たした。13年間続いたベトナム戦争(太平洋戦争は3年と8カ月)で、アメリカは最盛期で一度に50万人の地上軍を投入したとされる。太平洋戦争でアメリカが苦戦したのは開戦直後の約半年だけで、すでに述べたようにミッドウェー海戦での大勝利以降連戦連勝を重ね、アッツ島・サイパン島・テニヤン島・硫黄島・沖縄本島で行った地上戦も、米軍兵士の上陸直前に日本軍守備隊基地への徹底した空爆と艦砲射撃で日本軍の戦力をほぼ壊滅してから上陸したため、米軍兵士の損傷は極めて少なかった。その後は東京・大阪・横浜などの大都市への空襲を繰り返しただけで米軍兵士の損傷はほとんどなかった。
にもかかわらず、アメリカは「戦争の早期終結・米軍兵士の損傷回避」のためと称して広島・長崎に原爆を投下した。その原爆投下と、その行為を正当化した二つの口実を、米政府はいまだに正当化するのであれば、太平洋戦争よりはるかに長期にわたり、かつ米軍兵士の莫大な損傷をこうむり、現在に至るまで大きな爪痕を残しているベトナム戦争で、「戦争の早期終結・米軍兵士の損傷回避」のために、北ベトナム軍の拠点・ハノイになぜ原爆を投下しなかったのか。
広島・長崎に原爆を投下した戦争責任を回避するため、後から付け加えた口実をあくまで正当化するなら、より原爆投下の正当性を主張できるはずのハノイに原爆を投下せず、戦争の長期化と莫大な米軍兵士の損傷を招いた責任をどう説明できるのか(念のために、私はハノイに原爆を投下すべきだったなどと言っているのではない。この主張はアメリカの欺瞞性を明らかにするためのレトリックである)。

最後に福田の後継総理になる方にお願いしたい。日本がアメリカと真の友人として世界の平和のために尽くそうとするのであれば、原爆投下の戦争責任を米政府に認めさせ、レーガンの後継大統領を広島・長崎に招き、ナンシー・ペロシ氏のように原爆慰霊碑の前で、小さくていいから十字を切ってもらってほしい。それが日本の総理大臣が持つべき矜持である。(了)