小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

年金2000万円問題と100年安心プランの読み方について。(23日、追記あり)

2019-06-17 03:28:56 | Weblog
 麻生財務相(兼金融担当相)副総理が、怒った。「忖度が足りぬ」と。で、自ら諮問した有識者会議がまとめた報告書の受け取りを拒否したのだ。
 通常国会の会期末直前になって、それまで空転状態だった国会がにわかに騒がしくなった。会期末直前の7日に政府が突然国会に提出した「スーパーシティ法案」は、とりあえず審議入りさせるために会期を延長し、衆参同日選挙に持ち込むためというのが、政治評論家たちの見立てだった。
 前回のブログで書いたように、もともと与野党が火花を散らして激突するような重要法案ではない。ただ、火種はある。国家特別戦略区のように、その運用をめぐって水面下で裏金が飛び交い、官僚が実力政治家に忖度を働かすような事態は当然生じうる。どんな法律でも、行政権が絡むと法律そのものの美しさはどこかへ追いやられ、薄汚れたごみ箱のようなものになってしまうことは防ぎようがないのかもしれない。結局、「スーパーシティ法案」は棚上げされ(継続審議になるだろう。廃案にはならない)、国会の会期も延長されることなく、衆院の解散もほぼなくなった。
 安倍総理が、総理の専権事項とされる解散権を行使できなくなった理由は一つではない。二つある。
 一つは本稿のテーマである「年金問題」だが、もう一つがイラン訪問で何の成果もあげられなかったことだ。このところ、総理が得意としていた安倍外交が冴えない。「前提条件なしの首脳会談」を申し入れていた北朝鮮の金委員長からは「図々しい」と玄関払いを食わされ、米イ緊張関係の仲介役を買って出てイランを訪問し、一応ハメネイ師とロハニ大統領の2トップとの面会はさせてもらえたが、安倍総理が「手土産」のつもりだったかどうかは知らないが、トランプ大統領のメッセージはハメネイ師から受け取りを冷たく拒否され、せいぜいのところ茶飲み話程度の面会に終わったようだ。2日間もかけて総理は、わざわざ大恥をかきにイランまで行ってきたような結果に終わった。
 政府はハメネイ師が「核兵器をつくるつもりはない」と、安倍氏との面会の席で語ったことをことさらに成果のように主張しているが、イランは一度も核兵器をつくろうとした形跡はこれまでいっさい確認されておらず、2003年にブッシュ・アメリカが、フセイン・イラクが核を含む大量破壊兵器をつくっているに違いないという妄想にとらわれてイギリスを巻き込んでイラク戦争を始めたのと同じ類の妄想を、トランプ大統領がイランに抱いているにすぎず、トランプ大統領の妄想を根拠に米政府が核合意を一方的に破棄して対イ制裁を始めただけの話だ。制裁を止めるというならいざ知らず、制裁を続けているトランプ氏のメッセージをハメネイ師が受け取り拒否したのは当たり前の話だ。外務官僚も、「いまイランにのこのこ行っても無駄ですよ」という進言をなぜしなかったのか。忖度の度が過ぎて何も言えなかったのか、それとも総理に恥をかかせてやろうと、官僚たちが反乱を始めたのか。

 さて本稿のメインテーマである「年金問題」に移る。開店休業状態だった国会がにわかに騒がしくなりだしたのは、10日の参院決算委である。久しぶりに全閣僚が出席した中で、3日に金融庁が公表した報告書に野党が一斉にかみついたのだ。野党が問題にしたのは、「男性65歳、女性60歳の夫婦が30年生きるという前提で、年金生活を維持するには年金収入だけでは毎月平均5.5万円不足するため、年金以外の資産が【5.5×12×30=1980円(約2000万円)】が必要」というびっくり仰天するようなことが報告書に記載されていたことだった。報告書の試算はあくまで一つのモデルケースとして、老後生活に不安が生じないよう資産形成をできるだけ若いうちから始めるべきだ、という趣旨で書いたと思われるが、あまりにも国民生活の実態とかけ離れた試算であり、「年金100年安心プラン」はウソだったのか、国家詐欺ではないかという反発が、一部メディアや世論の反発を背景に野党が政府を追及したことから始まった。
 そもそも、この問題は「ボタンのかけ違い」から始まった。野党が「ウソ」「国家詐欺」と断罪した「年金100年安心プラン」は安倍内閣の時代ではなく小泉内閣の時代の2004年に,厚労省(坂口大臣=公明党)が年金制度を100年間は維持できる制度にすることを目的とした制度設計であり、年金収入だけで老後生活設計が可能になるような年金制度を約束したわけではない。
 5年ごとに見直しが行われることになっている「100年安心プラン」が崩壊したというなら、政府の責任を野党が追及するのは当然だが、今回生じている騒ぎはそういうことではない。
 100年安心プランは大まかにいえば、2つの要素からなっている。 ①被保険者が納付する保険料率(厚生年金や共済年金の場合)を毎年少しずつアップするが上限を18.3%にする ②年金支給額の決定にマクロ経済スライドを導入する(通常年金支給額は物価スライドが原則だが、急激な経済変動が生じたときにダイレクトに物価変動率を反映するのでなく、2~3年くらいかけて帳尻が合うようにすること)
 この制度設計によって、年金制度自体は崩壊することはないというのが100年安心プランだが、「100年安心」は一種のキャッチフレーズにすぎず、それ以上でも以下でもない。だからこの制度設計はひょっとしたら100年以上持つかもしれないし、あるいは近い将来大幅な見直しを余儀なくされるかもしれない。別に政府が現行年金制度について100年間保証しているわけでもない。制度維持が難しくなれば、また新たな制度設計をし直す必要が生じるだけの話だ。例えば、この安心プランでは見送られたが、その後、国民年金や厚生年金、共済年金の一本化も議論されており、また専業主婦(主夫も)の保険料を免除している第3号被保険者の制度も、私は廃止したほうがいいと思っている。現行年金制度では学生で世帯主の扶養家族であっても20歳になれば国民年金への強制加入が義務付けられており(※私の子供が学生だった頃は私が保険料を払っていたが、いまは学生は免除されている)、専業主婦(主夫も)だけが保険料を免除される状態は憲法が定めている「法の下での平等」に反していると思う。私は第3号被保険制度を廃止し、専業主婦(主夫も)は第1号被保険(国民年金)に強制加入させるべきだと思う。そうすれば、厚生年金などの第2号被保険者の保険料のアップ率も多少軽減できるはずだ。
 その問題はともかく、そもそも年金は、それだけで老後生活を保障するための制度ではない。だから、いまさら「安心プラン」は年金だけで老後生活が保障されるはずではなかったのかと言い出すこと自体、安心プランについて全く無知だったことを証明してしまったようなものだ。実際、現行の年金制度で、すべての国民が年金収入だけで生活できているのかを考えてみれば一目瞭然のはずだ。たとえば国民年金の満額受給者であってもとっくの昔から年金収入だけでは老後生活は維持できていない。
 実際「安心プラン」が制定された2004年の国民年金満額支給額は78万9000円だったが、直近の17年度、18年度の支給額はマクロ経済スライドにより77万7300円と、約1万円も下げられている(いずれも年額)。満額受給でも生活保護基準に達していず、貯蓄などの資産がなければ憲法が保障する「最低限の文化的生活」も不可能だ。データがないので実数は不明だが、国民年金を満額受給しながら、生活保護を受けている人もかなりいるのではないか…。
 そうした年金制度の問題点は、細川内閣時代や民主党政権時代にも当然解消されずに棚上げされてきた。野党が年金制度の不十分さを追求するなら、自らが政権の座についていた時に、政治家も含めて痛みを伴う改革を国民にお願いすべきだった。
 もちろん、そうだとしても麻生氏の責任は免れ得ない。年金制度の問題を明らかにしてしまった有識者会議の報告書について、「政府のスタンスと違うから受け取らない」とは、どういうことか。報告書のどの部分が、政府のスタンスと違うのかの説明もない。担当相として説明責任の必要を感じていないというなら、そのこと自体ですでに担当相としての資格がない。麻生氏は財務相としてもこれまで失態を繰り返しているが、安倍総理は「泣いて馬謖を斬る」こともできない。「安倍一強」はひょっとしたら幻想だったのかも…。
 野党は、なぜ麻生氏に対して「では、あなたが考えている年金問題についての政府のスタンスはどういうものか。説明を求める」と、なぜ追求しようとしないのか。年金制度そのものへの国民の不安感を増幅するような追及姿勢で、本当に自公政権にとって代われるだけの責任ある年金制度を再構築できるのか、私は疑問に思わざるを得ない。
 基本的に財政の要諦は「入るを量りて出ずるを制す」である。それは家計も同じで、収入の範囲内で支出をコントロールしていれば、家計が破綻することはない。ただ、今現在の収入だけでは手に入れることが不可能な持ち家を購入しようとすれば、銀行からの借金(住宅ローン)に頼らざるを得ない。ローンは長期にわたるため、今後の収入見込みについての冷静な見通しと、子供の教育費にこれからどれだけかかるかの計算を織り込むことも不可欠だ。 
 実は住宅ローンに触れたのは、それなりの意味がある。政府はこの4月から「働き方改革」の一環として同一労働同一賃金制度の導入を法制化した。私はすでに3回にわたる「働き方改革」の検証記事の3回目に書いたが、今後そのしわ寄せが必ず年功序列で能力や生産性以上の地位や給料を支給されている中高年層に来る。経団連会長やトヨタ自動車社長が最近「終身雇用の維持は困難になる」と言い出したのは、実は終身雇用とセットの年功序列型雇用形態(社内での肩書や給与)の崩壊を意味している。経済界のトップがあまりストレートに本音を語ると社会に与える衝撃が大きすぎるので、事実上崩壊しつつある終身雇用を前提とした採用はやめようという言い回しで逃げただけの話だ。本音は役立たず(能力以上の地位や給与をもらっていると評価された社員のこと)の中高年管理職層の格下げ・賃下げ・首切り宣言である。サラリーマンが住宅ローンを組む場合に、自分が将来とも会社から必要とされるかどうかの冷静な見極めがないと、地獄に落ちることになりかねない。金融機関にとっては頭が痛い問題がまた増えることになった。 

 私がメディアの方などと年金問題について話をするとき、地上2階、地下1階の建物に例える。ものすごく理解しやすいからだ。
 2階の住民は年金生活者。1階が現役世代(労働人口)。地下にはまだ社会に出ていない赤ん坊から学生までがすんでいる。中2階には年金を受給しながら働いている人たちが住んでいる。なお安倍政権の「1億総活躍」は2階の住民をできるだけ中2階に降りさせようというものだ。
 現在の2階の住民は、1階の住民だった時代、額に汗して当時の2階の年金生活者の生活を支えてきた。そういう意味ではいま2階の住民は自分の年金生活を1階の住民である現役世代に支えてもらう権利がある。権利はあるが、いま2階の住民が増える一方、1階の住民は減少しつつある。2階の住民が増えたのは長寿命化のためだ。
 今はぎりぎり1階の住民が2階の住民の年金生活をなんとか支えているが、1階の住民が2階に上がった時、1階には今地下に住んでいる子供たちが上がってくる。その時、1階の住民が2階を支えられるだろうか。すでに、そう遠くない将来現役世代一人が年金生活者一人を支えなければならなくなるという、身の毛がよだつような試算もある。100年安心プランが、そういう時代の到来まで織り込んでいるのかの検証は不可避だ。
 よく高齢化社会と言われるが、高齢化社会と日本人の長寿命化とは多少意味合いが違う。厚労省の官僚はその違いが分かっていない。長寿命化の原因は核家族化の進行で、自分の生活や健康は子供たちに頼れず自助努力で解決していくしかないことを自覚するようになったからだ。大家族時代には「老いては子に従え」が家族の和を守るための暗黙のルールだったが、そうしたルールは今や完全に死語と化している。意地っ張りの高齢者が増えたと言われるのも、そうした高齢者の生活環境の変化による。もちろん厚労省がホームページで解説しているように医療や薬の進歩も長寿命化の要因の一つではあるが、高齢者が自ら健康の維持のために努力していることは、スポーツクラブで汗を流す高齢者が増えていることやサプリメント市場の急速な拡大がそのことを物語っている。老人クラブが各地で急増しているのも、高齢者が社会とのつながりを維持し、精神面でも大きな支えになっているからと言えよう。こうした要因が重なり合って長寿化が進んでいる。
 それに対して高齢化社会とは、人口構成に占める高齢者の割合が拡大していることを意味している。つまり、人口構成がかつて人類が経験したことがないようないびつな状態になっているのだ。この高齢化現象は日本だけでなく先進国に共通の現象で、その最大の要因は女性の高学歴化と、それに伴う女性の社会進出の機会増大による。日本では、短大まで含めると大卒の男女比は完全に逆転し、今日では女性の方が高学歴化しているのである。いま2階の男性住民は日本の高度経済成長の担い手であり、「仕事にかまけて家庭を顧みない」ことが当然のような社会的風潮さえあった。翻って女性が高学歴化して社会進出の機会が増えれば、高度経済成長時代の男性のように女性が子育てより、社会での活躍に生きがいを見出すようになるのは当然である。それが少子化の原因であり、女性の活躍の機会を増大するために「子育て支援」と称する待機児童解消策は、実際には少子化を促進しているのだ。中国はかつて食糧難問題の解消のために「一人っ子」政策をとったが、いま日本は女性の社会活躍のために事実上の「一人っ子」政策を進めている。その結果が「人口構造の高齢化」(逆ピラミッド型)であり、長寿命化とは似て非なる現象なのだ。
 こういう話をすると、メディア関係の人たちも、いま日本社会が抱えている問題の本質を理解してくれる。
 誤解を招かないために言っておくが、私は女性の高学歴化に反対しているわけでもないし、子育て支援にも反対しているわけではない。私が強調したいのは、この社会的うねりは対症療法的政策ではどうにもならないということを政治がわかっていないことに最大の問題があると私は考えている。私はよく「政治に哲学がない」と嘆くが、こうした時代が来ることはケインズもマルクスも想定していなかったということに、政治が気付いていないからだ。
 はっきり言って、アベノミクスの失敗の原因は、労働人口が減少するという防ぎようがない時代の大きな流れの中で、従来のような大量生産大量消費による経済成長は望むべくもないことがわからず、金融を緩和すれば景気が刺激されてデフレから脱却し、再びかつてのような高度経済成長が望めると、どうやっても捕まえられっこない「青い鳥」を追いかけ続けたことにある。結果的な数字だけでアベノミクスの成否をうんぬんするような、あまり意味のない議論に終始するのでなく、こうした時代における日本の在り方をめぐって考えるべきことに、与党も野党もそろそろ気づいてもいいころだと思うのだが…。
 年金問題からかなりずれてしまったが、年金問題の根本にはこうした問題があり、物質的な豊かさを求めることによる経済成長至上主義から日本は脱皮すべき時期に来ていることを明らかにしたかったためである。
 改めて年金問題を整理しておくと、実は金融庁の有識者会議がまとめた報告書には確かに問題がないわけではない。モデルケースが妥当だったのかどうか(モデルケースはかつて厚労省が作成したもの)。仮に妥当だったとしても、毎月5.5万円不足するような老後生活を、死ぬまで続けることができるか。実は老齢化が進むにつれて生活費は減少する。倹約志向になるからではなく、そんなに金を必要とする機会が減少するだけのことだ。モデルケースは夫65歳、妻60歳を設定しているから、生活費は現役時代とそう変わらないが、その後30年間同じ老後生活を維持できると考えること自体が非常識である。仮にこのモデルケースで試算するにしても、少なくとも5年後、10年後、15年後、20年後、25年後、30年後の生活状態を試算しないと、本当の不足額は計算できないはずだ。ま、有識者なんて手合いの思考力が分かったことが、唯一のメリットか。

【追記】昨日(19日)午後3時からテレビ中継で党首討論を見た。トップバッターの民主党の枝野代表は「年金の安心を強調して国民の不安に向き合っていない」と、政府の年金問題に対する姿勢を追及した。国民民主党代表の玉木氏も金融庁の有識者会議がまとめた、いわゆる「2000万円報告書」を振りかざし、安倍総理に「お忙しいでしょうから(重要な箇所に)付箋を付けましたので読んでください」と手渡そうとまでした。さすがに安倍総理も苦笑いしながら「すでに全文読んでいます」とかわした。最初に年金問題を国会で追及した蓮舫議員(立憲)のように「ウソ」とか「詐欺」といった的外れな追求ではなかったが、依然として「安心」にこだわっているようだ。
 実は当日の午前中、私は公明党本部の年金問題担当者に電話し、2004年に坂口厚労相(公明党)が苦労してまとめた100年安心プランと金融庁の報告書はリンクしていないのに、あたかもリンクしているかのように野党やメディア、世論の多くが錯覚した原因は「100年安心」とネーミングしたことにある。私は一種の広告キャッチフレーズと考えているが、やはり多くの国民に誤解を与える原因になったことは否定できない。早急に山口代表が、誤解を与えるようなネーミングにしたことについて記者会見を開いて謝罪と金融庁報告書とのリンクはないことを明らかにすべきだと申し入れ、公明党担当者も「大変重要な指摘であり、必ず上にあげます」と答えてくれた。
 年金問題とは別に、枝野氏は「家計に占める医療費や介護費などの負担を、所得に応じて上限を設ける総合合算制度を提案した。この案は民主党政権時代にも党内で検討されたようだが、法案提出には至らなかった。制度導入には4000億円の財源が必要で、財源確保の見通しがつかなかったからのようだ。が、この10月には消費税が10%に増える。消費税は言うまでもなく逆新税制であり、低所得層への打撃は大きい。とりわけ軽減税率の導入はさらに逆進性を強める(理由はすでにブログで何度も書いた)。軽減税率導入を止め、総合合算制の導入と、それでも低所得層への負担が大きくなる場合は恒久的な給付金制度を導入することによって低所得層の消費活動を支えることが、景気後退への懸念を解消する最も効果的な方法ではないか。

 また本文で「安倍一強」の脆弱性にちょっと触れたが、なぜこれだけ不始末を犯し続ける麻生氏を更迭できないのか。いとも容易に「一強」体制ができてしまうのはいびつな選挙制度にあることはこれまでも書いてきたが、どうやら安部さんは言うなら騎馬戦で担がれている大将に過ぎないのではないだろうか。担ぎ手は言うまでもなく麻生氏と二階氏のふたりで、担ぎ手から「内政は麻生にまかせ、党内は二階に任せ、お前は外交だけに専念しろ」とふたりから命じられているのではないか。そう考えれば、すべて納得がいく。



【さらに追記】財政制度審議会(麻生財務相の諮問機関)が提出した建議(意見書)で、原文にあった年金制度についての記述が麻生氏に提出される直前になり削除されていたことが判明した。削除されていた文言は朝日新聞(21日付朝刊)によれば以下のとおり。
「将来の基礎年金の給付水準が想定より低くなることが見込まれている」
「(年金だけに頼らない)自助努力を促していく観点が重要」
 ここで書かれている「想定」とは、平成16年度(2014年)における、いわゆる「100年安心プラン」における試算を意味しており、その時点では「100年後でも現役世代の手取り年収の50%(※現在は60%弱)を確保できる」とされていた。この想定が狂うとなると、100年安心プランは崩壊を意味する。
 そもそも5年ごとに財政状態とマクロ経済スライドによる年金支給額の見直しについて、本来なら今年6月には発表されていなければならないはずの「年金財政検証」の公表がまだされておらず、政界筋では参院選後に先送りされるのではないかとうわさされている矢先に、財政制度審議会の重要文書の一部が削除されていることが明らかになった。
 私は21日、公明党本部に電話し、事実確認を求めたが、「もし事実であれば国会なり公明新聞で党の見解を明らかにする」との回答しか得られず、今日(23日)のNHK『日曜討論』で与野党、とりわけ公明党が「年金制度の持続」問題についてどう答えるかを待って追記記事を書くつもりだった。
 NHKは当然、いま国会でも国民の間でも最大の関心事になっている年金問題をテーマにするだろうと思っていたが、「迫る会期末、与野党攻防の行方は」というタイトルで、年金問題はone of themにしてしまおうという政権への忖度姿勢バレバレの討論進行にしたかったようだ。が、実際にはNHKの思惑通りにはいかず、60分の討論時間のうち40分も年金問題に野党側の意見が集中した。ただ野党側は「100年安心プラン」の問題点より、金融庁の審議会が提出した「2000万円不足」報告書を麻生大臣が「政府のスタンスと違うから」という屁理屈で受け取りを拒否したことや、財務省が政権に忖度して意見書の一部を削除したことに砲火を集中させたため、公明党を代表して出席した斎藤鉄夫幹事長は胸をなでおろす結果になった。
 たしかに、それはそれで極めて重要な問題だが、国民が今一番不安に思っているのは自分たちの老後生活がどうなるのか、ということだ。有効求人倍率が上昇し、失業者は減っているのに、なぜ従業員の給料は上がらず、GDPの6割を占めるとされる個人消費が伸びないのか(※消費が伸びなければ景気回復したとはいえず、アベノミクスは成功したとは言えない)。年金問題の根本には、そうした問題が横たわっていることを、野党はもっと追及すべきだった。



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政治雑感3題ーー「大義なき」解散はあるのか? 中ロ急接近で日本は? 「対米属国」論がなぜ出てきた?

2019-06-10 03:51:50 | Weblog
 解散風は本当に吹いているのか、それとも本物の解散風を吹かせるために誰かがあたかも吹いているかのように見せかけているだけなのか。
 過去、安倍政権は任期半ばで2回、衆院解散を行った。「解散は総理の専権事項」とされており、総理にとっては「伝家の宝刀」でもある。実際、戦後、衆議院議員が4年の任期を全うして総選挙を行ったケースはたった1回しかない。基本的には政権にとって最も有利な条件下で「解散・総選挙」を行うのが通例となってきた。そうであったとしても、一応解散権の行使には大義名分が必要であり(実際には「大義なき解散」と批判されるケースの方が多いのだが)、一応過去の安倍政権が行った2回の解散では、安倍総理も「大義」らしきことを解散理由として掲げた。
 最初の解散である2014年11月には「アベノミクスの継続と消費税増税延期について国民に信を問う」を解散理由とした。消費税増税の延期については、安倍総理は民主党政権最後の総理である野田氏が、当時は野党だった自民党の安倍総裁及び公明党の山口代表との会談での3党合意に基づき、「税と社会保障の一体改革」を実現するという口約束で衆院を解散して自公が政権を奪い返したという経緯があり、消費税の増税延期に民主党が反対するだろうとの読みがあった。が、民主党が安倍総理の目論見にまったく乗らなかったため、「消費税増税延期」は完全に「空振り大義」となってしまった。結局「アベノミクスの継続」だけを大義として残したが、まだアベノミクスを検証すべき時期にも至っておらず、結局「争点なき総選挙」となった。
 2度目の解散である2017年9月は、突然政権側に神風が吹いた。おそらく神風が吹かなければこの年の解散はなかったであろう。というのは、この年、安倍政権は従来の内閣法制局の判断をひっくり返して集団的自衛権の行使容認を強行採決し、7月、8月の内閣支持率は政権発足以来最低水準を記録していた。集団的自衛権行使容認を目的とする安保法制は、それまでの国政選挙の公約として与党は一度も明示していなかった。言うなら抜き打ち的に国会に提出した法案であり、当然野党側は終盤国会で内閣不信任案を提出したが、圧倒的多数を占める与党に数の力で屈し、否決された。
 実は今年5月17日の菅官房長官の定例記者会見で、記者の一人から突然「内閣不信任案が提出されたら解散の大義になるか」という質問があり、菅氏は待ったましたとばかり「当然なる」と応じた。野党の内閣不信任案提出はいわば終盤国会での年中行事のようなもので、内閣不信任案提出で総理が伝家の宝刀である解散権を行使したケースは戦後、一度もない。ただし、内閣不信任案が可決された場合は別で、過去に4回(吉田茂内閣の時に2度、大平正芳内閣、宮澤喜一内閣)あり、そのときはいずれも時の総理は解散権を行使している。つまり、過去の慣例からは一度もない「内閣不信任案提出だけで解散の大義になるか」という質問が記者クラブ会員の中から出ること自体が異常であり、ほぼ真っ黒けのやらせ質問といっていい。苦戦が予想されている参院の自民議員から衆参同日選挙を期待する声が強く出ていることへの政権の焦りの表れだと思う。実際、一時はもう一度消費税増税の延期を「解散の大義」にできないかという検討をしたこともあり、萩生田副幹事長が「日銀短観次第では消費税増税の延期も検討すべきであり、その場合は国民に信を問う必要がある」とアドバルーンを上げたことがあるが、「日銀短観が多少悪化したからといってリーマン・ショック級の事態に相当するか」といった反発が与党内からも噴出して、このアドバルーンは不発に終わった経緯もある。
 もし、内閣不信任案提出が解散の大義になるのであれば、それこそ国論を二分した集団的自衛権行使容認について、国政選挙の公約で明らかにしていなかっただけに、政府与党による強行採決に抗議して野党が内閣不信任案を提出した時に、国民の信を問うための解散をすべきだった。そのときには不信任案を否決しただけで、解散には見向きもせず、その直後に北朝鮮のミサイルが日本上空をかすめたことを奇貨として、安倍総理は「国難突破解散」に打って出た。ただし、このときの総選挙で安倍総理は消費税増税を改めて確約し、その税増収分を幼児教育の無償化などに充てると公約に盛り込んだ。
 いま野党も7月参院選に向けての選挙協力体制構築に必死であり、国会は事実上空転状態が続いている。せいぜい「戦争」発言で物議をかもした丸山議員への懲罰問題ですったもんだしているくらいで、重要法案の審議など全く行われていない。
 そうした中で7日、自民党が新法案を国会に提出した。「スーパーシティ法案」(AIやビッグデータを活用した未来都市づくり構想)で、国家戦略特区の改正案だ。構想自体は世界的に広がりを見せており、方法論をめぐっての対立はあるかもしれないが、与野党が全面対立するほどの法案ではない。ただ担当の片山地方創生相は元秘書など口利き疑惑を抱えており、審議入りしたとしても法案そのものより片山大臣のスキャンダル追及に審議が発展してしまう可能性もあり、与党内でも法案提出に疑問の声も少なくないようだ。まして「疑惑隠し」を大義にした解散などできるわけがない。また会期末(今月26日)まで20日を切った時点で、なぜ今国会に提出しなければならないのか、解散のための大義づくりが目的か、という疑問の声も出ている。解散のためにはなりふり構わぬ、というのが安倍執行部の思惑なのか。
安倍総理は6月に入ってから麻生副総理、二階幹事長、岸田政調会長ら執行部の重鎮と連日会談を行っており、メディアによれば、17年の解散時と同じ状況が見られるという。ただ、新法案を提出して片山スキャンダルが再び脚光を浴びるようになる中で解散を強行すれば、野党から「疑惑隠し解散」と追及されるのは必至で、そうなると衆参同日選挙が与党にとってはかえって裏目に出る可能性もある。(6日記す)

 解散問題についてあれこれ勝手に憶測を巡らせていた時期、とんでもないニュースが飛び込んできた。中ロが経済協力と安全保障関係で手を握り合ったというのだ。
 東西冷戦下にあっても中ソは厳しく対立し、小規模ではあっても戦火を交えたことすらあった。共産主義社会建設をめぐる中ソの対立は根深く、領土問題でも対立していた。言うなら共産圏のリーダーをめぐって宿敵同士だったはずだが、いまは旧ソ連は解体しロシアは表面的には自由主義陣営入りしている。いまだ共産主義の旗を降ろしていない中国が、経済面と軍事面でロシアと手を結ぶという。「敵の敵」は「味方」ということなのか。
 習近平主席が5日、モスクワを公式訪問し、プーチン大統領と会談、両首脳は会談後二つの共同声明に署名した。会談後の共同会見でプーチン氏は「ロ中関係は前例のない水準にまで達した。包括的なパートナーシップであり、戦略的な相互協力の関係だ」と表明。習近平氏も「世界は過去100年になかった変化に見舞われている。中ロは安保理常任理事国として国連中心の世界システムを守る」と述べたという(両氏の声明はいずれも6日付朝日新聞朝刊による)。今月28,29日の二日にわたって大阪で開かれるサミット(G20)に向けて激震が走ることは間違いない。
 もし軍事面での協力関係が両国の軍事同盟を目指すものだとしたら、世界の安全保障環境は激変する。アメリカの軍事的覇権は中ロが手を組まないという前提で国際社会も認めているが、軍事同盟を意味するとなると中ロの軍事力は十分アメリカの軍事力に対抗できるようになる。さらに中国の一帯一路構想とロシアのユーラシア経済連合構想は相互協力関係にあり、その緊密度がより高まれば両構想の一体化も考えられ、すでにイタリアが参加を表明している一帯一路構想がヨーロッパ全域に広がる可能性もある。それだけでなく、トランプ大統領の関税攻撃の新しい標的にされたメキシコにも中ロが経済連携の手を差し伸べれば、アメリカの足元すら危うくなる(※8日、トランプ大統領はメキシコへの関税攻撃を、国内世論の反発もあって棚上げ)。さらに北朝鮮やイランなど反米勢力が「中ロ同盟」に加わるとなれば、アメリカの覇権など、どうなるか分かったものではない。
 いま韓国国内では、文大統領の反日政策に対して激しい反発が生じており、韓国の主要5紙も足並みを揃えて社説で文政策に警鐘を鳴らし始めた。これまではやりたい放題だった米トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策に対しても米国民から「やりすぎだ」という批判が噴出する可能性も生じる、と私は考えている。そうなれば、韓国のように米メディアが足並みを揃えて、トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の負の部分をあぶりだし、トランプ氏が窮地に追い込まれる可能性も十分ある。
 国際情勢が一転しかねない状況の中で、日本がアメリカと一蓮托生の関係を維持し続けるべきか、新たな発想で新たな国際関係の構築に参画して、経済と安全保障に関する国策を転じるべきかが問われることになる。
 参院選は政権選択をめぐる選挙ではない。「衆院のカーボンコピー」から脱するためにも、新国際情勢の中で日本が果たすべき役割、これからの日本の国際社会でなあり方をめぐって与野党が激しい論戦を繰り広げてもらいたいものだ。参院を「良識の府」にするためにも…。(7日記す)

【追記】今年1月28日付で沖縄タイムス社の記者が書いたコラムをネットで見つけた。そのまま無断転載する。
  日ごろ威勢よく「ニッポンの誇り」を語る人々はなぜ黙ったままなのか。ロシアのプーチン大統領が昨年末、「沖縄県の米軍基地は地元知事が反対し、住民も撤去を求めているにもかかわらず整備が進んでいる。日本の主権がどの程度の水準にあるのか分からない」と発言した
▼自国民ではなく米国の意向に従うとはまるで属国ではないか、という失礼千万な問い。それなのに先日会談した安倍晋三首相が反論した形跡はない。できないのが悲しい
▼「いっそ日本が本当の属国になったら基地はどうなるだろう」。知人の発案を聞いて最近考えている
▼仮に米政府に統治される属領になったとする。そうすると日本政府が出す思いやり予算がなくなり、在日米軍は財政的に規模を維持できなくなって数を減らす可能性がある
▼さらに、政治的理由で沖縄に基地問題を押し込めておこうとする日本政府が手を引けば、米軍は軍事的判断で全国から自由に駐留先を選ぶだろう。結果的に沖縄への基地偏在も解消するかもしれない
▼もちろん、私たちの運命を投票で選べない米政府や米軍に委ねるわけにはいかない。その方がましかもしれない、などと思うのは異常なことだ。そう思ってしまう原因は、米国にはへつらい、沖縄にはかさにかかって暴力を振るう日本政府の異常な振る舞いにある。(阿部岳)
 このコラムには異論がある。コラムの筆者はなぜ「属国」という選択肢を選んだのか。私なら「アメリカ合衆国の51番目の州」という選択肢を選ぶ。アメリカは連邦国家である。各州の独立性が高く、州ごとに固有の憲法があり、州政府(首長は知事)や州議会の下で州法(民法および刑法を含む)が制定され、各州には最高裁判所さえ設置されている。個々の州と連邦は国家主権を共有しており、大統領と言えど、各州政府や州民の意志を無視することはできない。現にオスプレイ基地を拒否した州に基地をつくることを連邦政府が断念したケースもある。安倍総理が、日本のために、そして日本国民のために、アメリカに従属することがもっとも「いいことだ」と本当に思っているのなら、アメリカの51番目の州になることの有利性を国民に訴え、「アメリカの51番目の州になれば、沖縄に米軍基地を偏在させる必要がなくなる。沖縄は第2のハワイ州のような発展を遂げることができる」と主張し、アメリカの51番目の州になることを争点にして衆院を解散、衆参同時選挙を行えばいい。どうせかなりの国民は「日本はアメリカの51番目の州になった」と自虐的に思っているのだから…。繰り返すが、属国になるよりアメリカの51番目の州になった方が日本州の権利は現在の対米関係より大きくなる。それどころか、年中行事のように生じている日米貿易摩擦も煙のように消えてなくなる。もちろん日本州憲法で、州民の象徴として天皇を位置づけることもできる。日本語も州憲法で日本州の公式言語として位置づければいい。さらに自衛隊は州兵組織に改編することになるから、過剰な軍事装備品を連邦政府から押し付けられることもなくなる。誤解を恐れず書くと、現在の日米関係を継続するより、日本がアメリカの51番目の州になる方が、米政府との関係における対等性が格段と高まることだけは間違いない。私には、いいことづくめのように思えるのだが…。(8日記す)
なお、最近政府筋や「忖度」メディア、「忖度」ジャーナリスト、「忖度」外交評論家などが口をそろえて「いま日米同盟はかつてないほど強固だ」と主張しているが、表現の自由が憲法で保障されていると言っても、一般市民がそう思うのは自由だが、政府筋はともかく、メディアや専門家が国民に誤った価値観を与えかねない表現は慎んでもらいたい。正確には「いま日本政府の対米従属度はかつてないほど深まっている」と言うべきであろう。(9日記す)





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米中貿易戦争で中国に残された手は? 日本が果たすべき役割は?

2019-06-03 06:14:43 | Weblog
 アメリカ大統領が1国に3泊4日もの長期滞在したのは異例だという。貿易赤字の削減に必死に取り組んでいるトランプ大統領としては、何が何でも農産物や牛肉の対日輸出を増やしたいのだろう。
 が、「江戸の敵を長崎で討つ」ような要求に見えてならない。もともとアメリカの農畜産業者が苦しむことになったのは、トランプ氏が仕掛けた対中貿易戦争の結果ではないか。アメリカの食料自給率は130%を超えている。仮にアメリカでは生産できずに海外から輸入せざるを得ない食料品をすべて代替国産品に変えても、食糧生産の30%以上が余剰になるのは当たり前の話だ。しかも、中国の人口は約14億人といわれ、アメリカの余剰農畜産物にとっては重要な輸出先だ。アメリカが中国相手に貿易戦争を仕掛ければ、中国が対抗策としてアメリカからの輸入農畜産物にも高率関税をかけてくることは、当たり前の話だ。その尻拭いを日本にさせようというのは、少し虫が良すぎるのではないか。
 前回のブログで書いたように、6月1日、米中は第3次関税戦争に突入した。6月1日のNHKは午前7時のニュースで「貿易摩擦」と表現した。今回の米中対立は最初から「摩擦」で済む問題ではなかった。トランプが一方的に関税障壁を高くすることで貿易赤字を減らそうとし、その最大の標的として中国を狙い撃ちしてきたからだ。
 戦後、日本とドイツは敗戦国としてはかつてない奇跡の経済復興を成し遂げた。イタリアだけが蚊帳の外に置かれたが、東西対立の中で日本とドイツは極めて重要な地政学的地位を占めたが、イタリアにはそうした「地の利」がなかったからだ。なぜ日本とドイツだけが奇跡的な経済復興を成し遂げることができたのかというマクロ経済学的分析は、たぶんどの経済学者もしていないと思う。日本については、朝鮮戦争特需が戦後経済復興のきっかけになったという分析がすべての経済学者に共通しているが、ドイツは戦後東西に分割され、西ドイツはソ連が支配する東欧圏と接触する最前線という地政学的地位にあり、西ドイツを経済復興させることが西欧側にとって共産勢力の西欧への浸透を防ぐための防波堤として極めて重要な戦略的課題となったのだ。
 いま中国は覇権を東南アジアだけでなく、ヨ-ロッパから中東、アフリカまで拡大しようとして「一帯一路」(実際には陸上ルートと海上ルートの「一帯二路」)構想を進めようとしている。
 実は前回のブログでは文字数の関係で書ききれなかったことがある。トランプ大統領が仕掛けた対中貿易戦争の真の狙いについての分析である。背後には中国との覇権争いがあることは書いた。覇権争いには軍事的側面と経済的側面があり、戦後の日本とドイツが経済復興にとって極めて有利な地政学的地位を占めてきたのは、東西冷戦下という軍事的側面が大きく作用していた。とくに朝鮮戦争勃発当時の日本はまだGHQの占領下にあり、日本の安全は米軍が保証してくれていた。被占領国の安全を保証するのは占領国側にあることは国際常識であり、だから日本は「後顧の憂い」なく戦争特需によって経済復興の足掛かりをつかむことができた。実はこの時期、日本防衛のために日本に駐留していた米軍は根こそぎ朝鮮に動員されており、戦後の武装解除状態が続いていた日本は丸裸状態だった。アメリカが日本の独立を急ぎだし、併せて再軍備を日本に要求するようになったのは、こうした事情が背景にあった。
 翻って、第2次世界大戦後の世界の安全保障環境について考察しておこう。朝鮮戦争やベトナム戦争に象徴されるように、実際には国内の覇権争いに第3国が介入したものであり、だから「代理戦争」とも言われた。実は、このことは非常に大切な視点なのだが、第2次世界大戦以降、経済目的の植民地主義戦争(帝国主義戦争とも)は一つも起きていない。そのことは何を意味するか。
 はっきり言って、軍事力で他国を植民地支配することは、経済的にまったくペイしないことに、大国が気付くようになったからだ。このことは1国内でもいえることだが、日本でもいかなる僻地であろうとも政府や地方自治体には住民に対して最低限の文化的生活を保障する義務がある。住民側にとっては日本国憲法が保障している大きな権利である。
誤解を恐れずに書くが、政府や地方自治体にとって、これは極めて重い財政的負担になっている。僻地に住む住民の労働生産性が、政府や地方自治体が提供する財政的負担を上回ることはまずあり得ないからだ。だから北方領土が日本に返ってきたとしても、元島民であっても島への移住は認めないほうがいい。インフラ整備にかかるコストなどを考えると、絶対に財政的にはペイしない。現に、尖閣諸島は日本固有の領土だと主張しながら、日本政府は尖閣諸島を実効支配しようとはしない。竹島を不法占拠している韓国は、既成事実を積み重ねるためにどれだけ財政的な負担に耐えているか。もっとも民間人が竹島で生活しているわけではないから、竹島の実効支配は一種の政治的プロパガンダと考えれば経済収支を考慮する必要がないのかもしれないが…。
また経済学者は日本が朝鮮を支配していた35年間の経済収支をぜひ検証してもらいたい。欧米列強がアジアや中東を植民地支配していた時期の経済収支もぜひ検証してもらいたい。軍事力で他国を植民地支配することが、経済的にはいかに無意味な行為か。無意味どころか、植民地での生産活動によって上げた収益より、支配を続けるための財政的負担のほうがはるかに大きいことに、ようやく大国は気付くようになったはずだ。そうした時代の安全保障政策とはいかにあるべきかを考えたら、いまの安倍政権による安全保障政策のバカらしさがよく分かるはずだ。日本がアメリカから買う軍事装備品のF35Bやイージス・アショアは、日本の安全保障のためではなく、アメリカのトランプちゃんとかいうお坊ちゃんにねだられてバカ高いおもちゃを買ってやるようなものでしかない。
トランプ大統領の場合は、ある意味では日本の政治家と違って、選挙での公約を忠実に実現しようとしているという要素は否定できない。それだけアメリカでは選挙の公約は重いのだろう。実現できもしない公約を、ただひたすら票集めのための手段と考えている日本の政治家も、そうしたアメリカの政治家の姿勢は見習ってほしいとは思うが、何が何でも力で公約を実現しようという姿勢は、かえって天に唾するような結果を生んでいる(※アメリカの悲劇は先の大統領選挙がトランプ氏とヒラリー氏の間で繰り広げられたスキャンダル合戦に終始してしまったことだ。ヒラリー陣営がトランプ氏の公約がアメリカをどういう国にしようとしているのかを追及し、公約論争を繰り広げていたら、いまのようなアメリカの独善的姿勢はありえなかったと思う。いかなる政策も必ず副作用を伴う。薬と同様、効果が大きい政策は同時に副作用も大きくなる。どうして政治家は公約をPRするとき、「こういう副作用にも耐えてほしい」と正直に言わないのか。民主主義がまだ未発達段階にあるからか)。
中国との間で繰り広げている貿易戦争は、前回のブログでも書いたように、トランプ支持層だったはずの農畜産家をかえって苦しめる結果を生んでいる。アメリカの対中貿易赤字が大きいということは、第3次戦争に突入した時点で、もはや中国は量的には報復関税で対抗することが不可能な次元に入ったことを意味している。アメリカが6月1日に実施した対中輸入品2000億ドル分に対する関税引き上げに対して、中国は対米輸入品にかけた関税引き上げ分は600億ドルと、アメリカの3分の1にも満たない。最終的な第4次関税攻撃はアメリカは5000億ドル分になるが、中国は1300億ドル分しか残っていない。トランプ大統領はこの結果から対中貿易戦争に勝ったと思ったかもしれないが、トランプ大統領の浅はかな計算は、中国に想定外の武器を振るわせかねない事態を招いた。まだ輸出規制を行うことを公表したわけではないが、習近平主席はレアアースというカードを切ることすら匂わせだした。
高度先端技術製品には欠かせないとされるレアアースは、その確認されている埋蔵量も、現在の生産量も世界のトップ(生産シェアは世界の7割を占める)を走っており、鄧小平時代以来中国は「戦略資源」と位置付けている。実際、尖閣諸島の帰属問題をめぐって日本に対して輸出禁止というカードを切ったことがあるが、日本が代替技術の開発に成功したため、レアアースの国際市場価格がかえって暴落するという痛い目に中国はあっている。専門家はすでに、このカードの効果は短期間しか持たないとみており、中国はこのカードにあまり頼らないほうがいいかもしれない。むしろ私が前回のブログで書いたように、アップルのスマホや米アパレルメーカーのブランド衣料品の最終工程を、一帯一路構想で中国の経済的影響下にある第3国で、ほんの少しだけの最終工程を中国資本の工場で行って「中国製」ではなく「第3国製」の形式をとった方が賢い大人の対策ではないかと思う。
そうなると、困るのはノーブランドの純粋な中国製品の大幅値上げで財布が直撃される低所得層や、低所得層をターゲットにしてきた小売業者だ。たとえば日本のユニクロ製品の大半が中国製だということは周知の事実だが、日本が中国製品に25%の関税をかけたら消費者のユニクロ離れが急速に進み、ユニクロは大打撃を受ける。それを回避するには中国で99%仕上げて第3国で最終工程の1%を行ってタグには「made in ***」として関税攻撃を回避するしかない。
実は金融筋が最も警戒しているのは中国が保有する米国債の放出である。米国債の発行残高は16兆1800億ドルで、中国が保有する米国債は7%の1兆1200億ドル(日本は1兆800億ドル)で海外での保有国では世界トップ(日本は2位)を占めている。トランプ大統領が中国をあまり追い詰めすぎると、最後の切り札として中国が米国債を売りに出すのではないかという懸念だ。もし、そういう事態が生じると、世界経済はリーマン・ショックどころではない大混乱に陥る。なぜか。
トランプ大統領は公約の一つとして景気対策のため大幅減税を実施した。アメリカ経済は現在、世界で最も順調だが、それによる税収増では減税による税収減を補えていない(日本も同じ)。そのためアメリカも赤字国債を増発せざるを得ない状況にあるが、もし中国が大量に米国債を売却すると需給バランスが崩れ米国債は大きく値崩れする。国債の表面金利は一定だが、国債の額面価格を市場価格が大きく下回ることになるとどういう事態が生じるか。
極端なケースだが、わかりやすくするために書くと、額面100ドルの国債の市場価格が90ドルに下落すると国債の実質利回りは10%も上昇する。既発行国債に対する金利負担が増えることはないが、新規発行の国債の表面金利を大幅に上げなければ売れなくなる。当然アメリカは財政負担に耐えられなくなる。実はアメリカで最近急浮上し、日本でも国会で議論されるようになった新財政理論のMMTは「そんな心配をする必要はない」という説だ(なおMMTに対する批判は4月22日に投稿したブログ「働き方改革の問題点を検証してみた③ 同一労働同一賃金はどういう結果をもたらすか」で書いた)。もちろん中国にとっても自殺的行為になるので、そういう心配をする必要はないというのがエコノミストたちの通説だが、「死なば、もろとも」という心理は独裁政権ほど生じやすい。いまのところ米中貿易戦争は関税戦争の段階にとどまっているが、関税戦争では中国に勝ち目はない。中国が体制不安に陥るような事態になると、どういう手で対抗しようとするか…。

そういう最終的懸念はともかく、トランプ大統領の狙いについてメディアの多くは次世代通信技術の5Gの主導権争いが背後にあると解説している向きがあるが、表面化している知財問題だけではなく、一帯一路構想によって中国の経済的支配力が東南アジアからヨーロッパ、中東、アフリカにまで及ぶことにアメリカが自分の足元が脅かされつつあるという危機感を抱いているからではないかと私は考えている。
1966年に日米が主導して作ったアジア開発銀行(出資比率は日米ともに15.7%)に対して、2016年、中国が主導してアジアインフラ投資銀行を設立した。2019年4月時点で、アジア開発銀行の67か国・地域を大きく上回る97か国・地域が加盟し、融資残高もアジア開発銀行の50億ドルを上回る75億ドルに達している。ただし、「債務の罠」といわれている問題(債権国が途上国に対し返済不能な債務によって支配力を強める)が指摘されており、アジアインフラ投資銀行加盟国・地域の中からも返済能力を超えた投融資は行うべきでないという声も高まっている。
いずれにせよ米中の対立は、日本にとっても「対岸の火事」ですまされる問題ではない。実際中国に生産拠点を置いている日本企業の中国離れが急速に加速しており、安倍総理はアメリカの対日関税攻勢を防ぐだけでなく、トランプ大統領のアメリカ・ファースト政策に対しても「ちょっとやりすぎではないか」とクレームをつけるくらいの矜持を持ってもらいたい。
すでに述べたように、日本を取り巻くだけでなく、世界の安全保障環境は東西対立時代の終焉と同時に激変している。日本の周辺海域には膨大な海底資源が眠っていると言われており、中国との間で生じている尖閣諸島の領有権問題も、尖閣諸島の周辺海域に眠っている海底資源が問題の種といわれている。が、海底資源を採掘する技術にも大きな課題が横たわっているし、コスト的にペイするときは地上資源が枯渇して価格が暴騰でもしなければ事業として成り立たない。それはアメリカのシェール・オイルが抱えている宿命的問題でもあり、いまは原油価格が高騰しているからシェール・オイルの採掘事業もペイしているが、つい数年前は原油価格の暴落によってシェール・オイルの市場競争力が失われた時期もあった。資源問題は常にそうしたリスクと直面しており、机上の計算通りにはなかなかいかない。そうしたことも踏まえて日本は独立国家としての矜持をもって国際社会と対峙していかなければならないと思う。
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