小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑧

2014-07-29 07:26:55 | Weblog
 吉田内閣が、「国家警察予備隊」という名称での自衛部隊を創設したのは1950年8月10日である。日本の軍事力を完全に解体したアメリカが、占領下における日本の安全を守るために、米陸軍四個師団を日本に駐留させたものの、朝鮮戦争の勃発によって日本駐留のすべての米軍兵力を朝鮮半島に投入せざるを得なくなり、マッカーサーは吉田内閣に自衛部隊の創設を命じたのだ。マッカーサーが吉田内閣に交付した指令書(50年7月8日)にはこうある。
「日本の警察組織は民主主義社会で公安維持に必要とされる限度において、警察力を増大強化すべき段階に達したものと私は確信する。したがって私は、日本政府に対して75,000人からなる国家警察予備隊を設置するとともに、海上保安力に8,000名を増員するよう必要な措置を講ずることを許可する」
「許可する」とは言葉のあやにすぎず、空白状態になった日本の自衛力の再建を命じたものだった。それが証拠に、警察予備隊は創設したものの、警察予備隊には自衛手段である装備類は皆無だった。防衛庁がまとめた『自衛隊10年史』にはこうある。
「警察予備隊発足当時の主要装備は在日米軍から貸与を受けたが、これら装備品は米国との協定に基づくものではなく、米軍の所有する武器等を必要のつど、借用するという形式をとった。したがって、所有権は米国政府にあり、修理・整備は米軍が行っていた」
 また傾斜生産方式によって日本経済の再建を最優先課題としていた吉田内閣にとっても、警察予備隊の創設は経済的にも大きな負担であった。警察予備隊創設後の国会での施政方針演説で吉田首相はこう述べている(51年1月26日)。
「わが国の安全は国民自らの力によって保障され、擁護せられるべきはもちろんであります。しかしながら、これを直ちに再軍備に結びつけ、これを軽々に論断することは私のとらざるところであります。我が再軍備論は、すでに不必要な疑惑を内外に招いており、また事実上強大なる再軍備は、敗戦後の我が国力の耐えざるところであります」
  日米安全保障条約(以降「旧安保」と記す。1960年に岸内閣の手によって改定された現在の日米安全保障条約は「新安保」と記す)は、1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に日本と連合国49か国が調印して日本の独立が確定した、その日に日米両国の間で調印された。サンフランシスコ講和会議には中国は招かれず(中国ではすでに中国共産党の独裁体制が確立していたが、アメリカは台湾で蒋介石が率いる国民党政府を中国の代表と見なしていた。が、蒋介石を講和会議に招くことにはソ連のスターリンが同意せず、中国の代表者は講和会議に招かれなかった。それがパワー・ポリティクスの実態であることを読者は理解しておく必要がある)、インドとビルマは参加を拒否した。会議の最終日の8日、ソ連、チェコスロバキア、ポーランドの3か国が調印を拒否、日本との講和に調印したのは49か国にとどまった。

 旧安保は、前文及び五つの条文から成り立っているが、そのポイントは以下の通りである。
 日本は武装解除されているため、個別的自衛権を行使できる有効な手段を持っていない。しかし無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないため、日本は防衛のための暫定措置として、日本に対する武力攻撃を阻止するために、米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを希望する。アメリカは日本の平和と安全のために、自国軍隊を日本国内およびその付近に維持する意思がある――。
 これが、実は個別的自衛権と集団的自衛権の関係を明確に示している。ソ連はまだ原爆の開発に成功しておらず、世界最強の軍事力をアメリカが誇示していた時代で、「日本が、自国に対する武力攻撃を阻止するために、アメリカに日本防衛のための兵力を日本国内およびその周辺に駐留することを希望し、アメリカは日本が独立後も“占領軍”を日本に駐留させる」ことを約したのが旧安保だった。もっとわかりやすく書けば、日本の要請によって米軍が日本を防衛する部隊を配置することを取り決めたのが旧安保である。もし日本が他国から攻撃された場合、集団的自衛権を行使できるのはどっちか、ここまでわかりやすく書けば、中学生でも理解できるはずだ。さらに念押ししておこう。集団的自衛権の意味について、この時代はアメリカも正確に理解していた。米ソ冷戦が激化する過程で、米ソは「協同」で集団的自衛権の解釈をご都合主義的に変更してきたのである。
 旧安保によれば、駐留米軍は「極東における国際平和と安全に寄与する」ため、また「外部の国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱および騒擾を鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するため使用することができる」となっていた。
 実はこの条文の草案段階では「もっぱら日本の防衛を目的とする」という表現で日米がいったん合意していたのを、アメリカ政府が「日本の安全に寄与することを目的とする」に変更するよう強く主張し、日本政府がやむなくアメリカ側主張をのんだという経緯がある。
 なぜか。この表現の微妙なニュアンスの差異を理解できないようでは、ジャーナリストの資格がない。前者の表現だと、日本駐留の米軍が「日本防衛のためではなく」他の目的のための軍事行動を行う場合に問題が生じかねないと米政府は危惧したと思われる。「もっぱら」という表現は100%の制約を受けなくても、限りなく100%に近い制約を受けざるを得なくなる。そうなると、日本駐留米軍の手足を、ある程度日本政府に縛られることになりかねない。そうなることをアメリカは危惧し、行動の自由を確保したのである。
 実際、草案のまま条文として締結していたら、日本駐留米軍がベトナム戦争の際、日本駐留米軍を動員する時に問題化していた可能性は否定できない。草案を変更することによって駐留米軍は「日本国の安全に寄与するため使用することができる」と、日本防衛は駐留米軍の目的の one of them にしたのである。つまり駐留米軍の主要な目的は、日本防衛ではなく、アメリカのアジア太平洋地域の「国益」を守ることにあった、ということだ。だから、日本の米軍基地の大半が、日本の安全とほとんど無関係と言っていい沖縄に集中しているのである。
 なぜ日本独立後も、アメリカは沖縄を日本に返還せず、占領し続けたのか。そして佐藤内閣時に沖縄を返還しながらも、沖縄に配備した米軍基地だけは撤去せずに沖縄全土を巨大な軍事拠点として今日に至るまで維持しているのか。そのことを考えただけでも、アメリカは日本の主権を侵し続け、自国の「国益」のために沖縄を利用し続けている理由を垣間見ることができよう。
 また、旧安保の前文には「(日本が)直接および間接の侵略に対する自国の防衛のため、漸増的に自ら責任を負うことを(アメリカは)期待する」と明記されており、警察予備隊の枠組みを超えた軍事力の整備を図る義務が日本には課せられることになった。
 この旧安保は国会で紛糾した。社会党が「対米従属だ」と猛烈に反対したのは当然としても、吉田内閣がGHQとすり合わせて作成した新憲法の政府原案に「このままでは自衛権すら持てなくなってしまう」と修正した芦田氏も「日米安保は日本の安全だけでなくアメリカにも利するところが大きいのに、ひたすら日本の懇請に基づいたようになっている」「米軍に国内の治安を頼むような内容になっているが、これは吉田首相のいう民族の自負心と矛盾しないか」「日本が自ら防衛責任を負えるようになるため、アメリカに対して経済援助の戸口をたたく従来の態度をやめ、軍事援助の戸口をたたいて再軍備すべきではないのか」と厳しく政府を追及した。
 吉田首相はこれに対し「当面は国力の回復を図ることと、民主主義日本を世界に印象づけることが大切だ」と、経済復興に全力を注ぐ姿勢を明らかにしただけだった。この答弁で国会を乗り切った吉田首相が、政界引退後に書いた回顧録『世界と日本』で、日本はすでに世界の一流国とあらゆる面で伍するようになったのに、いつまでも自国の防衛を他国に頼っていてよいのか、と吉田後の政府の姿勢を痛烈に批判している。
 旧安保を批准した国会では、憲法論議はほとんど行われなかった。旧安保に
は日本自身の手による防衛責任が明確にうたわれたのに、自衛権と憲法9条の整合性を問題視する政党はなかった。なおサンフランシスコ講和条約も旧安保条約も圧倒的多数で可決されており、この時期の保守と革新の力関係からすれば、憲法を改正することは十分可能だったと思う。
 憲法9条の制定過程についての歴史的検証は行われており、私もさんざんブログで書いてきたが、憲法改正の要件を定めた96条の制定過程の検証は行われた気配がない。日本が主権を回復した時点の状況を考えると、吉田首相が敢えて憲法9条を存続させたことについては理解できなくもないが、将来日本経済が復興を成し遂げた時点で、憲法改正が国民の総意によって行えるよう、96条だけでも改定しておくべきだった。吉田首相自身が、回顧録を書いた時、そのことを一番悔やんでいたのではないだろうか。
 そう考えると、安倍内閣による「憲法解釈の変更」の閣議決定は、せっかく国民的合意として形成されつつあった憲法改正への気運を、完全に振出しに戻してしまった。いま憲法改正の是非を世論調査で問うたら、間違いなく国民は拒絶反応を示す。
 まだ安倍内閣に対する支持率は、私が予想していたほど低下はしていない。が、内閣発足以来最低の支持率に下がっていることも事実だ。支持率がまだ比較的高水準にあるのは経済が回復しつつあることによると思われる。が、その原因は、いわゆるアベノミクスによるものとは言えない。確かに建設業界は公共事業ラッシュで人手不足状態にあるほど好景気に沸いているが、肝心の円安誘導によっても輸出産業の国際競争力は一向に回復の気配を見せない。
 私が安倍内閣が発足した直後の13年12月30日に投稿したブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で提案した景気回復のための税制改革を、安倍内閣が、まだ不十分ではあるが、実行に移しつつある結果として消費税増税による内需の冷え込みが「想定内」に収まったからである。「不十分」と書いたのは、このブログで提案した税制改革だけでは不十分だったということを、私自身がいま気付いていることも含めてである。もっと抜本的に「税」についての考え方を見直すことを提案すべきだったと思っている。そのことについては、明日のブログで書きたいと思っているが、集団的自衛権問題の二度にわたる長期連載ブログのために心身ともに疲労しており、1日休ませていただくかもしれない。
 とりあえず、旧安保下での日本の防衛力整備に話を戻す。アメリカから自衛力の強化を要求された吉田内閣は、とりあえず「形だけでも」と考えたのか、警察予備隊と海上警備隊を統合して保安隊を発足させることを決定、52年5月10日、衆議院に「保安庁案」を提出した。当時「非武装中立」という妄想を抱いていた社会党から憲法9条との整合性を追及され、吉田首相は「戦力とは、近代戦争を有効に遂行しうるだけの装備を有するものであり、保安隊はその規模および実力からして戦力に該当しない」と強弁し、「戦力なき軍隊」という奇
妙な流行語が生まれた。
 ただ保安隊発足後、米軍から貸与された装備類は警察予備隊時代に比べると、かなりの重装備になっている。日本駐留米軍は朝鮮半島にくぎ付けになっており、日本の米軍基地に残っていた装備類を保安隊に貸与することによって、保安隊の自衛力を高め、アメリカの負担を軽減したかったのだろう。
 さらに翌53年6月にはアメリカはMSA法による「援助」を吉田内閣に提案する。MSA法は51年に米議会で成立した「相互安全保障法」で、同盟国への武器供与を定めた法律である。警察予備隊も保安隊も、装備類を米軍から貸与されていたが、「貸与」から「供与」に変えるという提案である。「タダほど高いものはない」のたとえ通りで、もちろん「供与」には条件が付いていた。実際MSA援助の条件として米政府の公式文書にはこう書かれている。
「アメリカから援助を受ける国が最大級の自助努力を行い、アメリカと共同して自由世界を防衛することが相互安全保障の目的であり、これを最大の効率と最小のコストで実現するためにアメリカの資源を活用することが、アメリカの確固たる方針である」

 その後、日本は経済力の回復に伴って、自力による防衛力の整備を図っていく。吉田内閣は、保安隊の位置付けを「日本防衛のための軍隊」であることを明確にするため、「自衛隊」に再編する構想を54年1月の通常国会の施政方針演説で明らかにした。吉田内閣はこの国会で防衛庁設置法と自衛隊法を上程し、衆参両院での可決を経て7月1日、防衛庁と自衛隊が誕生した。その過程で問題になったのは「戦力なき軍隊」の自己矛盾だった。
「戦力」という表現に吉田首相がこだわったのは、憲法9条に「戦力の不保持」が明記されていたためで、憲法に抵触しないために「実力」という意味不明な言葉を発明せざるを得なくなった。「憲法が保持を禁じている戦力とは、自衛のための必要最小限度を超えるものであり、自衛隊が有する実力は戦力に該当しない」という解釈を、政府として初めて示したのである。憲法9条についての政府の公式解釈は、これが最初であり、今日に至るまで変えていない。前にも書いたが、憲法9条について政府が公式解釈を表明したのは、これが最初であり、その解釈は今次閣議決定でも変更されていない。
 そういう意味でも、安倍総理が主張する「憲法解釈の変更」とは、何を意味するのかまったく不明である。「自衛のための必要最小限度」を超えるのが「集団的自衛権行使」のための実力であるとするなら、確かに「憲法解釈の変更」に相当するが、閣議決定はあくまで「必要最小限度の実力」の範囲にとどめている。閣議決定のどの部分が「憲法解釈の変更」に当たるのか、安倍総理は国民に説明する必要がある。
 自衛隊発足後も、日本は自衛力の整備拡充に力を注いでいく。それに伴って旧安保の「対米従属性」が国会で問題視されるようになった。そうした中で57年2月に発足したのが、安倍総理の祖父である岸信介内閣である。内閣発足直後に岸首相が渡米し、アイゼンハワー大統領に「安保改定」を強く申し入れた。国民から誤解されている要素もあるが、新安保はアメリカから押し付けられたものではなく、日本からの要請で改定されたのである。
 58年10月、東京で安保改定交渉が始まった。この交渉で日本がアメリカに要求した主なポイントは六つあった。
①旧安保には明記されていない米軍の日本防衛義務を明文化すること。
②在日米軍の日本領域外での作戦行動を協議事項にして、日本側の意見が尊重
 されるようにすること。
③米軍の核持ち込みに関しては何らかの了解を与える。
④旧安保の内乱条項は、独立国の体面を傷つけるから削除する。
⑤国連憲章との関係を明確にすること。
⑥期限を明記すること(旧安保は期限が定められていなかった)。
 改定交渉は一時的中断を挟んで59年4月から60年1月まで続けられ、1月19日ワシントンで調印され、2月5日に衆議院に上程された。新安保で改定された主なものは3点である。
①内乱に関する条項の削除。
②日米共同防衛の明文化(アメリカが日本防衛の義務を負うとともに、在日米
 軍への攻撃に対しては自衛隊が米軍に協力して防衛義務を持つこと)。ただし、
 この条項(第5条)は必ずしも在日米軍の日本防衛義務を明記していないと
 いう学説もある。
③在日米軍の配置・装備に関する両国政府の事前協議制度の設置。この条項(第
 6条)には在日米軍の目的について「日本国の安全に寄与し、並びに極東にお
 ける国際の平和及び安全の維持に寄与する」と位置付けられており(いわゆ
 る「極東条項」)、在日米軍が日本防衛以外の極東での軍事行動を行った場合、
 在日米軍基地が攻撃される可能性が指摘され、そのときにも自衛隊が在日米
 軍の防衛義務が生じるのではないかとの指摘がされた。
 社会党や共産党はこの極東条項をめぐり、「極東」の範囲が不明確であり、「安保改定によって軍事同盟的要素が強まり、日本が戦争に巻き込まれるおそれがある」として猛反対した。また岸内閣の衆議院での強行採決に対してメディアが「民主主義の破壊」と一斉に反発、学生を中心に安保闘争が燎原の火のごとく全国に広がった。アイゼンハワー大統領の訪日計画も、「安全に責任が持てない」と日本政府が中止を要請するという、異例の事態になった。
 私自身も、安保改定の意味も理解しないままに闘争に参加し、6月15日には樺美智子氏が機動隊との衝突で死亡した国会南門周辺にいて、デモ隊に襲い掛かる機動隊員から逃げ惑ったことを昨日の出来事のように記憶している。デモ隊は統制が取れないほど混乱した状態になり、岸首相は「声なき声は私を支持している」とうそぶきながら、防衛庁長官の赤城宗徳氏に陸上自衛隊の出動を要請し、東京近辺の各駐屯地では出動準備体制が整えられたが、国家公安委員長の石原幹市郎氏の反対を受けて赤城氏も自衛隊出動要請を拒否、治安維持を目的とした自衛隊出動はかろうじて回避された。

 今回の閣議決定について、安倍総理は「日本が戦争に巻き込まれるおそれがある、という声があるが、安保改定のときも同じような反対があったが、日本は戦争に巻き込まれなかった。集団的自衛権の行使容認も日本の抑止力を高めるためで、戦争に巻き込まれる危険性はより少なくなる」と主張している。が、これほど自家撞着に満ちた説明はない。
 すでに竹島は小中学校の教科書にどう書こうと、日本は事実上韓国から奪還する意思を放棄している。個別的自衛権の行使すら、アメリカが絶対に核の壁で阻止するからだ。
 また北方領土に関しては、日本にとって何の国益上の意味を持たないウクライナ問題でアメリカの尻尾にくっ付いてしまったため、ロシアとの交渉も暗礁に乗り上げてしまった。日本は「われ関せず」のスタンスをとり、ロシアとの交渉を粛々と進め、北方領土問題を解決し、ロシアとの平和友好条約を締結して「日露交戦」状態に終止符を打てば、日本の安全性と抑止力は「集団的自衛権行使」によらなくても飛躍的に高まる。 
 さらに尖閣諸島問題については、米政府が日本の領土と公認し、中国が実効支配に乗り出した場合は米軍が自衛隊に協力して防衛してくれることに、いちおうなった。日本の安全についての唯一のリスクは回避されたと言ってよい。
 残る北朝鮮は、核を持とうがミサイルを持とうが、日本にとっては何の脅威にもならない。北朝鮮の核やミサイルはアメリカの脅威に対抗するためであり、国際的孤立状態から脱出するため、拉致問題の解決に本腰を入れて取り組もうとしているほどだ。日本がアメリカに強要されて北朝鮮を敵視するような行動をとらない限り、北朝鮮が日本にとって脅威になるわけがない。
 そう考えると、現在の国際情勢は、日本がロシアと平和友好条約さえ締結できれば、かつてないほど安全で平和が保障される状態はないと言っても差し支えない。が、「集団的自衛権行使」を可能にすれば、アメリカは喜ぶだろうが、中国どころか国益を共有しているはずの韓国にさえ警戒心を与えている。それで「抑止力が高まる」というなら、脅威の対象は、論理的に考えれば、アメリカだという結論になる。なんと馬鹿げた「抑止力」か。
 私は、現行憲法が制定された当時の日本が国際社会に占めていた地位や責任と、今日のそれとでは「月とすっぽん」ほどの差があると考えている。
 日本は国際社会に現在、占めている地位にふさわしい責任として、とりわけアジア太平洋の平和と安全に貢献できるよう憲法を改正し、アメリカも含めてアジア太平洋諸国の集団安全保障体制の構築に努力すべきだと主張してきた。できうれば政治体制が異なる中国や北朝鮮もその仲間に誘いたいとすら考えている。そういう体制が構築できれば、どの国も「脅威」を口実にした軍事力の強化を図ることが不可能になり、また「脅威」を感じるような相手もなくなる。
そのためにも、昨日のブログで書いたように、日米安全保障条約の片務性を完全に解消し、日本もアメリカに対して防衛義務を負うことを明確にしたうえで、さらにワシントンDCやニューよーク市近郊に自衛隊基地を設けて「基地協定」を米政府に要求して完全な日米共同防衛体制を築き、、そのうえで日本防衛には必要のない沖縄の米軍基地は撤去していただく。そして新新安保をてこにアジア太平洋諸国に集団安全保障体制の構築を呼び掛ける。
 日本がそういうスタンスを明確にすれば、アジア太平洋の諸国、とりわけ自衛力に乏しい弱小国が雪崩を打って日本に同調する。そうした大きな流れができれば、アメリカも中国も無視できなくなる。日本が、国際社会に占めている地位にふさわしい平和と安全に対する貢献とは、そういうことではないだろうか。
 そのためには、当面日本が国際社会に訴えなければならないことが二つある。一つは核不拡散条約を認めないという立場に転換することだ。そして他国の核を脅威に感じた場合、個別的自衛手段として核を保有する権利はすべての国にある、と宣言することだ。核不拡散条約が、いかに核大国のエゴであるかが、日本の宣言によって国際社会で明らかになる。
 もう一つは日本が国連安保理の常任理事国入りを目指すのではなく、常任理事国制の廃止を国際社会に訴えることだ。すべての国際紛争は、国連総会の多数決によって解決する、という枠組みを提案することだ。そして現在の常任理事国が日本の提案を潰しに掛かったら、現在の常任理事国を「村八分」にして新国連の結成を提案したらどうか。現在の常任理事国以外の国が雪崩を打って新国連に動けば、日本は世界を変えることができる。
 かつてアジア太平洋地域の平和と安全を破壊した過去を持つ日本が、その反省に立ってアジア太平洋地域の平和と安全のために貢献できる唯一の方法は、これしかない。(終わり)
 
 

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