小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政府の税制改正大綱発表で露呈した、戦時中と変わっていなかったマスコミの体質

2013-12-26 18:09:40 | Weblog
 今年最後のブログになる。まだ書き終えていて投稿できずにいる記事が何本かあるが、時期を見て来年多少手を加えて投稿するか、あるいは賞味期限切れでパソコンから削除してしまうことになるか。
 今日は1年を締めくくる意味で、マスコミ界の読者にはかなり耳に痛い話を、一般の読者にはマスコミの世界で生きている人たちの頭の悪さの見抜き方をご伝授したいと思う。
 題材は12月12日に決まった与党の税制改正大綱である。税制改正の中身は細部にわたって検証すると大変な作業になるため、このブログでは消費税増税問題と軽自動車税の値上げ、高額給与所得者に対する所得税増税(所得税が増税されれば必然的に住民税も増税になる)に絞って検証する。
 まず消費税増税だが、すでに民主党政権下で野党だった自公も賛成して成立した法律であり、どこかの大新聞が「景気が腰折れしたら元も子もなくなる」と増税に反対していた。今年の春ころのことで、安倍総理が消費税増税に慎重な構えを見せていた時期である。その新聞は実は民主の野田政権が「社会保障と税の一体改革」を主張して野党の自公に同意を迫っていた時には野田政権の構想を支持し、煮え切らない態度を見せていた自公を批判していた。政権が替わり、政権与党となった自民の安倍総理が消費税増税に逡巡しだすと、途端に主張を豹変させ、先に述べたように消費税増税に反対し始めた。その新聞とは日本で最大の発行部数を誇る新聞である。
 その新聞が、安倍総理が消費税増税に踏み切ると、またまたスタンスを一変させ、増税反対論を引っ込めてしまった。なんと節操のないことか。
 それだけではない。消費税増税を「支持」したうえで軽減税率の導入を求めた。食料品などの生活必需品だけでなく、新聞にも軽減税率の適用をお願いする始末だ。その根拠はヨーロッパ諸国が付加価値税導入に際して、食料品などの生活必需品だけでなく新聞も軽減税率の対象にしたことだが、ヨーロッパ諸国が新聞などを軽減税率の対象にしたのはそれなりのわけがあった。
 当時の言論・情報発信手段の最たる物は新聞だった。その後、ラジオの大衆化を経てテレビがほぼ全世帯に普及するようになり、さらにインターネットでの情報発信が最有力になった現在では考えられないほど、当時は新聞が世論を左右する力が大きかった。つまりヨーロッパ諸国が付加価値税導入に際して新聞を優遇せざるを得なかった事情はそうした時代だったからである。しかし、あからさまに新聞を付加価値税導入に賛成させることは民主主義が社会全体に広くいきわたっていた状況下では、いくらなんでも不可能だった。だから「新聞は文化を守るために欠かせない存在」という屁理屈を付けて軽減税率の対象にしたのである。が、いまは新聞よりテレビ、テレビよりインターネットが世論形成に与える影響力がはるかに大きくなった。だから大新聞がいくら大声を張り上げて「新聞にも軽減税率を」と叫んでも政府だけでなく野党も知らんぷりなのである。
 はっきり言えば、新聞社が軽減税率をお願いしているのは、新聞が民主主義を守るために欠かせない存在だからではない。若い人たちを中心に新聞離れが激しく、発行部数も減少傾向に歯止めがかからず、その結果、新聞社の収益の相当部分を占めてきた広告収入が激減し、いずれ経営難に陥ることが目に見えてきたからにほかならない。そうした足元を見透かされているから、新聞が社説や特集記事を総動員してヨーロッパ諸国が新聞に対する課税を優遇していることをいくら叫んでも、馬の耳に念仏ほどの効果もないのは当然なのだ。
 むしろ新聞がかつてのような権威を回復するには自分たちのための主張をするのはやめて、軽減税率の適用をきめ細かく一般庶民(とりあえず4人家族で年収500万円以下)の人たちには手が出ない生活必需品は食料品も含めてすべて一般税率にして、一般庶民にとって必要不可欠な商品は食料品だけでなく軽減税率を適用することを主張すべきではないか。そんなことにすると商品の税区分仕分けが大変だという反論が出るのは目に見えているが、現在のIT技術をもってすればいとも簡単にできるはずだ。年配の政治家たちにはIT技術の利用によってどういうことが可能になったのかの理解力が皆無である。本来は財務省の官僚たちがそういうシステムを政治家に提案すべきなのだが、零細商店の負担増を考えてか、やるべきことをしていない。そのため零細業者の益税になっている事実に目をつぶっているのだが、政府が消費税対応のレジを零細業者に対しては月額1000円程度の低価格でリースすることを条件にくまなく消費税を課税するようにした方が税収が大幅に増えて元が取れることは間違いない。
 また、現在消費税が非課税になっている家賃にしても、高額所得者が入居している超高級マンションと低所得層が入居している2DKを同じ扱いにする必要がなくなり、前者には一般税率を適用できるようになる。その線引きはその住居にかかっている固定資産税を基準にすれば容易に行えるはずだ。また医療費も現在はすべて非課税になっているが、高額所得者しか受けることが出来ない保険適用外の高度医療に対しては一般消費税を課すべきだろう。
 ついでに15年10月に一応予定されている10%への消費税引き上げだが、果たして1年半という短い期間で景気が回復するか、私はきわめて疑問視している。引き上げ幅は2%だが、この幅は橋本内閣が実施した3%から5%への引き上げと偶然だが一致している。おりしも橋本内閣の時の消費税引き上げはほかの要因も重なるという不幸な時期に遭遇してしまったが、増税で冷え込んだ景気はとうとう回復しないままに日本経済は「失われた20年」(10年という人もいるが)に突入していった。
 来年4月に導入される消費税引き上げは現在の5%から8%へと一気に3%もの増税だ。すでに増税前の駆け込み需要が目に見えて増大しており、それを反映して企業の業績も明るさを増しているように見える。一方株価は一進一退しながらバブル崩壊後の最高値水準で推移してはいる。だが、現実の株価を左右しているのはそうした事情だけではなく、海外の投資ファンドの動向が大きい。国内事情だけで考えると、個人株主の株の売買にかかる源泉税率は、現在は利益の10%だが、来年から20%に引き上げられる。いまのうちに利益を確定しておこうという売り方も増えているようだ。いったん売って、下がったところで買い直すということもありうるから、売買が活発化し、日経平均が下げた日でも証券会社の株価だけは上がるという珍現象も出ている。
 いずれにせよ、日本経済の見通しは経済の専門家でも予想が当たったためしがないと言われるほど付けにくいことは確かだ。とりあえずはっきりしていることは、現在の好況は増税前の駆け込み需要の増大によるもので、増税後の冷え込みがどの程度の期間で回復するかの見通しはまったく付いてない。法律で決まっている15年10月に10%再増税するには、少なくともその半年前には回復軌道にのっていることがだれの目にも見えるような局面になっていないと簡単に増税はできないだろう。ということは逆算して考えると8%への増税後の景気後退が半年程度で終止符を打ち始めることが不可欠となる。つまり景気の底が来年秋には脱し始めないと10%への再増税は空手形に終わる可能性が高くなるということだ。
 見通しとして多少明るい材料はアメリカがどうやらなだらかな長期的景気上昇傾向が定着すつつあるとみられることだ。アメリカも懲りない国だが、二度にわたり土地バブル景気とその崩壊による打撃を経験しているから、さすがに今後は土地バブルを再発させないよう金融政策を行うと思うが、難しいのは実需と投機マネーの動向の見分けである。バブルというのは、実は最初は実需の増大が引き金になっており、実需による土地価格の上昇は健全な経済活動の活発化と言っても良く、金融政策で実需を後退させるようなことがあってはならない。が、実需の増大によって土地価格が上昇を始めると、必ず投機マネーが割り込んでくる。それは自由経済を標榜する以上避けられない現象だが、投機マネーが割り込んできても実需が後退しなければいいのだが、一般の需要家には手が届かない水準まで土地価格が上昇してしまうと、それはもうバブル化していると見なければいけない。そういう状態がだれの目にも見えるようになった時から金融引き締めをはじめたら、一気にバブル崩壊のショックが世界中を覆うことになる。「歴史は繰り返す」と言われるが、そうならないことを期待したい。
 実は投機マネーの大半は個人のお金持ちではなく、好景気でだぶついた金を
抱え込んだ銀行や証券会社、保険会社などの金融機関なのである。その余剰資金が、より有利な「投資先」(と、彼らが勝手に思い込んでいただけの話だったことを何度も経験しているはずだが)としてリーマン・ブラザーズが発行した有価証券(日本で20年前にブームになった抵当証券が原型)に飛びついたのが「失われた20年」の原因である。アメリカで発生したリーマン・ショックが、本来関係がないはずの日本に飛び火した理由はそこにある。一般庶民の虎の子の預貯金を二度とそうしたばくちに使わせないよう財務省は目を光らせなければならない。
 いまの日本経済の好況を支えているのは円安による輸出大企業の業績回復→
株価の高騰→高額所得者(株式を大量に保有している層)の可処分所得の増大
(特に株式売買利益にかかる源泉徴収税が今年一杯10%に抑えられてきたこと
が大きい)による高額商品の実需増加である。
 実需が増大すれば物価は上昇する。それはケインズ経済学を学ばなくても容易にわかる理屈だ。
 日本の戦後の「世界の奇跡」と言われた高度経済成長期は、そのサイクルが成功した典型的なケースだった。日本独特の金融機関の棲み分け(いわゆる「垣根」)と、護送船団方式が大企業から中小企業まで、市場の実需に応えるための設備投資や運転資金などの資金需要を潤沢に支えてきた。それが狂いだしたのは上場企業の時価発行増資が認められるようになって以降である。優良企業は担保や経営者の個人保証が要求される金融機関からの融資(間接金融)を嫌い、増資や社債発行による資金調達による直接金融に方向転換するようになっていった。また長期にわたる高度経済成長が中流階層の広がりを生み、彼らが企業の直接金融を支えていった。そうした好循環は、これからの日本経済には期待できなくなったことを経済政策の基本に据えておく必要がある。
 さて、15年10月に消費税の再増税ができる経済環境が訪れるかどうかはだれも予測できない。政府がいま考えていることは、もし来年4月の増税による景気後退が少なくて済み、1年半で景気が再び活況を回復し、国民も再増税に納得したら消費税を10%に上げますよ、ということだけだ。
 そういう前提で考えると、私は再増税は相当困難だと思う。まず景気がいったん停滞した後(増税直後の不況は不可避だ)、そんなに簡単に短期間で景気が回復するとは考えにくいからだ。なぜか。増税前の駆け込み需要は実は実需だけではなく、今とくに必要としていないものまで買ってしまうからだ。増税というのは実需以上に増税前の景気を押し上げる効果があるということを経済学者のだれも気付いていないのは悲しいかなというしかない。この経験則を経済理論として経済学者が発表したら、おそらくノーベル経済学賞を受賞できるだろう。
 次に仮に神風が吹いて景気が回復したとして、国民が再増税を支持するかど
うかだ。消費税増税の決定で内閣支持率がそれほど低下しなかったのは、増税理由が竹下内閣時の3%導入、橋本内閣時の5%への増税理由(後で詳述するが、日本のマスコミの本質的体質が先の大戦中と全く変わっていないことが今回露呈した)とはまったく違っているからだ。今回の増税は、あくまで民主党政権下での「社会保障と税の一体改革」の流れの延長で決定された、と国民は思っている。だから生活が苦しくなることを承知で、消費税増税を受け入れた結果が内閣支持率に現れたのである。当然国民は今回の増税分がどう使われるか、目を光らせている。もし少しでも消費税増税分が別の用途に使われたりしたら、たとえ景気が回復したとしても再増税に対しては拒否反応を示すことは疑いを容れない。一応政府が発表した来年度予算案には社会福祉関係の予算がある程度増大しているが、それが消費税増税分にきちんと見合っているかどうかのチェックが必要だ。が、それを日本のマスコミに期待してもないものねだりだろう。その理由は後で明確になる。
 だが、今マスコミの関心事は、軽減税率の実施時期と軽減税率の対象商品(食料品など)にしか向かっていない。「お前ら、アホか」と言いたくなるような体たらくだ。軽減税率を10%に再増税する時導入することを自公は合意文書に盛り込んだ。それに対して軽減税率がいつ実施されるか不明だと批判する。再増税がいつ実現できるのかが分からないのに、軽減税率の導入時期だけ明示するなどという無責任なことを政府が約束できるわけがないことくらい当り前だ。
 軽減税率は、10%への増税が可能になった時、間違いなく同時に導入される。まず10%への一律増税を行った後、景気判断によって軽減税率を導入するかもしれないなどという無責任な約束を国民が承知するわけがないことくらいジャーナリストや評論家を標榜する人たちは分からないのか。
 軽減税率は、10%への増税が予定通り可能になれば、その時点(つまり15年10月)に導入される。ただしその場合でも、軽減税率対象品目の消費税は8%に据え置くということだ。大半のジャーナリストや評論家はヨーロッパ諸国の付加価値税を例にとって、食料品は何%が妥当かどうかなどとくだらない競馬の予想屋のようなことを論じているが、いったん定着した消費税率を引き下げることなど政府がするわけがない。
 ヨーロッパの付加価値税は平均で18%前後と極めて高い。それほど高いから食料品など生活必需品である食料品などの付加価値税を低く抑えているのである。ヨーロッパの付加価値税の体系の中で実施されている食料品の軽減税率を、日本の軽減税率の参考にするという発想そのものが非論理的であり、さらにあたかも消費税の持つ逆進性を緩和する唯一の手段と考える思考力の貧弱さを証明していると言わざるを得ない。
 そもそも少子高齢化に歯止めがかからない日本の社会保障制度の現状を維持するためだけでも近い将来消費税を一律17%に引き上げざるを得ないという政府試算も公表されている。仮に15年10月に10%への増税が可能になったとしても、その後も段階的な消費税引き上げは不可避なのだ。そうした中で食料品を軽減税率化するか、それとも低所得層への課税の軽減を図るべきかはこれから十分議論を尽くして国民の支持が得られるような方法を考えていかなければならない。
 今回政府が定めた税制改正大綱には、そうした含みが読み取れる。民自公で合意した「社会保障と税の一体改革」の中身で明記されていたのは消費税増税だけであった。民主党が、消費税増税だけでなく、「社会保障と税の一体改革」の見取り図を国民に分かりやすく示すことが出来ていたら、衆院選・参院選での惨敗は避けられていた。いま民主党政権に替わって自公政府が近未来の見取り図を作成したのが税制改正大綱に盛り込まれた基本的方針である。そういう位置づけで改正案を検証する必要がある。

 消費税増税に伴い政府は税制全般の見直しにも着手した。現在明らかにされたのは、その一部だ。これで税制改正のすべてが網羅されているわけではない。主なものは高額給与所得者への課税強化、自動車税制の見直し、大企業の交際費のうち半分を経費として認め非課税にする、といったメニューが並んでいる。それらの税制改正の中で議論を呼んでいるのは高額給与所得者への課税強化と
自動車税制の見直しである。とりあえず、自動車税制について検証してみよう。
 日本では軽自動車への課税が非常に優遇されてきた。戦後、日本は経済復興の足掛かりを輸出に求めると同時に国内需要の喚起を促すべく産業政策を行ってきた。まず1950年代後半には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電商品が「3種の神器」として喧伝された。56年の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と高らかに日本経済の復活をうたった時期でもある。
 私事で恐縮だが、当時中学生だった私の家にはテレビがなく、近所の裕福な家に押しかけてプロレスや相撲を見させてもらったことを覚えている。また野球ファンだった父のお供をして食後に蕎麦屋に行って巨人―阪神戦をよく見たことがある。「食後に蕎麦屋で何を食べたのか」と疑問に思う向きもあろう。実はソフトクリームなのである。日本でソフトクリームを流行らせたのは実は蕎麦屋だった。そのことを覚えている人はまだ少なくないはずだ。
「3種の神器」の次に日本経済のけん引役になったのが3Cだった。60年代半ばの高度経済成長を象徴したのがカラーテレビ、クーラー、カー(自動車)だったのである。この3商品の頭文字がすべてCだったため「3C時代」が高度経済成長の代名詞となった。
 日本政府が自動車を戦後経済復活の柱にしようと考えたのは49年である。その目的を実現するため他国には例を見ない「軽自動車」というジャンルの規格を作り、運転免許証も普通車・小型車・軽自動車の3種類が設けられ(大型は別)、時期や地域によっては実地試験も免除されるなど軽自動車普及のための優遇策が実施された。が、一般庶民の経済力はそれでも軽自動車に飛びつける余裕はなく、政府の思惑は空転した。が、58年に旧中島飛行機の技術者たちが開発した富士重工の「スバル360」が軽自動車ブームのきっかけを作った。スバル360の成功でスズキや本田、三菱、マツダ、ダイハツなどがいっせいに軽4輪の市場に参入、日本に軽自動車の市場が確立、高度経済成長のけん引力になったという経緯がある。当初の軽自動車(このブログでは軽4輪に絞って書いている)の規格は排気量360cc以下だったが、その後数度にわたって改訂され現在は660cc以下まで拡大され、また石油ショックを契機に小型高性能のエンジン開発に拍車がかかった結果、今日、日本の軽自動車はほとんど小型車に劣らない性能を持つようになっている。
 実はマスコミ、とくに大新聞があまり触れたがらないことだが(※自動車メーカーは新聞社にとって大クライアントである)、この日本独自の「軽自動車規格」が外国から非関税障壁として厳しく批判されているのである。今回の税制改正大綱で軽自動車税が増税されることになった本当の理由は、海外からの「日本の軽自動車優遇は非関税障壁だ」という批判に屈したという側面が強い。読売新聞12月13日付朝刊での「税制改正のポイント」解説記事では軽自動車の自動車税(不動産にかかる固定資産税のようなもの)の増税理由を「性能面で普通車との差が小さくなっている一方、税額は、普通車を持っている人が年1回払う自動車税(年2万9500円以上)との差が大きいからだ」と説明しているが、これは軽自動車を買う人への政府の言い訳をうのみにした解説に過ぎず、政府の本音はTPP交渉で海外からの批判を少しでもかわしたいという狙いである。その半面、「日本はこのように海外からの要請にこたえた。アメリカもトラックなど(ピックアップを含む)の関税を引き下げろ」と言える根拠を作ったと考えるのが論理的な解釈であろう。
 次に大企業の交際費は従来はすべて経費として認めないという制度を緩和し、飲食接待についてはかかった費用の半分を経費として認めることにした点である。これは現在のアベノミクス・バブルが中小・零細企業にまで及んでいないことを考慮し、大企業に経済活性化の役割を担わせようという狙いが本音であると言えよう。ただ大企業が政府の期待に応えるかどうか不明なため、とりあえず2年間の時限処置にした。大企業が政府の期待に応え、生じた余裕資金を日本経済活性化のために使う動きが定着したら、この減税処置を延長するであろう。ほかにも時限立法だった個人株主の売買利益にかける源泉徴収税が来年度から20%に倍増することを踏まえ(今年度までは10%)、個人株主の少額投資(年100万円以内)の利益は非課税にするという中流階層に対する株式投資などへの誘い水的な制度であるNISAを新設することになった。リーマン・ショック以降、金融商品のリスクに対する危機感を強めている中流階層が、この誘い水に乗るかどうかは私にも予測がつかない。
 最後に問題の高給サラリーマンに対する課税強化だ。これが実はジャーナリストや評論家、つまり彼らが生活の場にしているマスコミの無能さを完ぺきに露呈してしまった税制改正である。たとえば読売新聞の解説では、ただ政府の増税方針を繰り返しているだけで、軽自動車税増税の解説のような増税理由についての説明に窮し、ウソまでついた。それはそうだ。ウソをつかないと自己否定になってしまうからである。とりあえず、高給サラリーマンへの増税方針は読売新聞が簡潔にまとめているので引用しておこう。
「サラリーマンは、スーツ代など一定額を必要経費として一定額を必要経費として給与収入から差し引き、減税対象額を少なくできる『給与所得控除』が認められている。高収入のサラリーマンは、この控除が縮小され、増税となる」「年収1200万円超の人は2016年1月分から2段階で縮小される。17年1月分から1000万円超の人も増税の対象となり、約172万人が影響を受ける。来年4月からの消費税増税で、収入の少ない人の負担感が増す。その不満を和らげるため、収入の多い人の税負担を増やす」 
 この解説は事実と全く異なっている。政府は高給サラリーマン層の増税理由をちゃんと述べている。読売新聞はあえて政府説明を無視して独自の解説を行った。悪質というしかない。

 実は竹下内閣時の消費税3%導入、橋本内閣時の5%への増税の理由はこうだった。
「日本の累進課税制度は海外先進国の課税制度と比較して高額所得層に対して過酷すぎる。これでは能力があり、一生懸命働いて、その報酬として高額所得を得ている人たちが働く意欲を失いかねない。高額所得層への過酷な累進課税は是正しなければならない」
 政府がそう判断した背景には日本が高度経済成長時代を経て、日本人の大半が中流階層以上という生活意識を持つようになっていたことも背景にあった。そこで高額所得層への減税を図ることにしたのだが、減税だけしたのでは国や地方の財政状況が悪化する。その税収減少を補うのが消費税導入と増税の目的だったはずだ。社会福祉の充実を図るための財源として設けられたヨーロッパの付加価値税とは導入の出発点がそもそも違っていた。そのことを、マスコミはすっかり忘れているようだ。ちなみにアメリカの消費税は各州の独自財源と
して導入されている。そもそもアメリカは連邦国家であり、州の独立性がかな
り強い。連邦法もあるが、きわめて限定されており、住民が守るべき様々な規制や犯罪者に対する罰則は州法で定められている。たとえば犯罪を犯した場合の最高刑罰も死刑を認めている州もあれば死刑を廃止し、その代わりに犯した犯罪の1件ごとに量刑を課し、それらの量刑を合計して懲役250年などといった判決を下す州もある。同様に消費税も州税であり、外国や他州からの観光客が多く訪れるハワイやフロリダなどは観光客からの税収を増やすため消費税を高くしている。その分州の住民の所得税などは低く抑えられている。日本のように高額所得者を優遇するために消費税を導入した国は私が知る限りない。「高額所得者を優遇するため」と私が断定したのは、今回の政府の税制改正大綱の政府の理由説明で政府自身が明らかにしてしまったからだ。そのことは後で書く。消費税導入・増税とセットで実施された高額所得層への減税で日本経済はどういう道をたどったか。
 消費税導入と増税によって高額所得層への課税が大幅に緩和され、消費税5%増税によって所得税の最高税率は40%、住民税(地方税)の最高税率は10%に下げられた(合計で最高50%)。
 その結果、何が生じたか。いわゆる「バブル景気」である。もともと高額所得層は実需で必要な高額商品はすでに持っていた。そこに降ってわいたような可処分所得の増加である。その余裕資金が向かったのが「金が金を生む」と信じられていた商品である。具体的には不動産であり、株であり、ゴルフの会員権や絵画であった。これらの広義な解釈でいえば投機商品のうち、所有し続けることに費用がかかったのが不動産とゴルフの会員権である。ゴルフがいかに好きな人でも、自分がプレーする目的だったら、せいぜい一つか二つ持っていれば十分なはずだ。しかし、所有するだけで年に1回もプレーしないゴルフ会員権でも、年会費が数万円かかる。不動産も空き地のままにしておいても固定資産税がかかる。所有し維持することで費用がかからないのは株と絵画だけである。この時期、株や絵画も高騰したが、異常なほど高騰したのが不動産とゴルフの会員権だった。この二つは、維持することによる費用がかかってもそのコストをはるかに上回る価値の上昇が期待されていたからである。
 そのもっともらしい理由も喧伝されていた。喧伝したのは当然、不動産やゴルフ会員権を売りたい業者だが、彼らにマスコミも同調した。朝日新聞などは、私の友人が開発・販売したゴルフ場の会員権があっという間に売れたと、ゴルフ場の名前まで出した社説を書いた。そのため、そのゴルフ場の会員権は名義変更を開始していなかったが念書売買(株でいえば期限なしの信用取引のようなもの)の相場が一気に2倍に跳ね上がったほどである。念のため、そのゴルフ場はバブル崩壊と同時に破産した。
 そうしたバブル経済の根拠とされたのが、今となってはだれが言い出したの
かは分からないが、東京が世界の金融センターになり、外国企業がどっと東京
に進出しオフィスビルが不足するという噂だった。あとから分かったことだが、
当時の東京のオフィスの空室率は20%ほどに達しており、足りないどころか余っていたのにである。それを百も承知のはずの不動産業者が高値で売り抜けることを目的に暴力団まで雇って都心の土地を買い占め、都心に持っていた土地を売って郊外に引っ越した人たちによって私鉄沿線の郊外の住宅地価格が暴騰した。その後遺症はまだ残っており、いまアベノミクス・バブルで都心の高級マンションは売れ行きが好調だそうだが、郊外の住宅地はバブル崩壊で生き残れた人が少なかったこともあって依然として値上がりしていない。そもそも賃貸から持ち家に移行する世代である30代の人たちの年収が増えないから買い手が少ないという事情もある。話を戻す。
 もともと日本には土地神話が深く国民の間に浸透していた。そこにそういう噂が流れ、噂の真偽も確かめずにマスコミも「東京が世界の金融センターになる」論を振りまいた。そしてマスコミにその「理論的根拠」を提供したのが長谷川慶太郎氏である。今や知る人もほとんどいなくなったが、当時の氏は今の池上彰氏のようにテレビに引っ張りだこだった。最近『日本は史上最長の景気拡大に突入する』なる本を出し、相も変らぬ超楽観主義的観測を振りまいている。どこから長谷川氏に金が流れているかは知る由もないが、氏の超楽観主義的観測に踊らされるバカが増えれば儲かる業界は不動産業界と金融業界であることだけは間違いない。
 ゴルフ会員権の場合は、ゴルフプレーの実需を完全に読み間違えたケースだ。バブル期は企業の接待ゴルフが盛んに行われ、土日はメンバーでも予約を取るのが一苦労という状態だった。そのため、日本にはゴルフ場がまだまだ少ないと思っている人が少なくなかった。また、ゴルフ場のオーナーになることがバブル成金の事業家にとってステータスを高めるための夢にもなっていた。バブル成金だけでなく、大企業も一流ゴルフ場のオーナー企業になることで、企業の知名度・社会的ステータスを高められると思い込んでいた。そもそもそういったバブル思考に染まった事業家や企業に融資していた銀行自らがゴルフ場を保有することに夢中になったのだから、救いようがない話だ。
 それはともかく、今回の税制改正大綱の話に戻る。この問題をきちんと理解していただくには、かつての消費税導入・増税が、どういう経緯で行われ、それがどういう結果を招いたかを、いまだ総括していないマスコミの無能さを理解していただくために明らかにしておく必要があったのだ。
 もう一度、簡単におさらいしておこう。竹下内閣の消費税導入、橋本内閣の消費税増税――その理由は、先進諸外国に比べて日本の高額所得者に対する課税が厳しすぎるため減税したい。だが、高額所得者への減税だけ実施すれば財政難になるため消費税を導入して穴埋めにする――だった。その税制「改正」がバブル景気を生み、そして「失われた20年」の遠因になった。ここまではだれも否定できない事実だ。
 そのことを頭に叩き込んで、今回の高給サラリーマンへの課税強化についての政府の説明はどうだったかを検証する。政府の説明は「給与所得控除が諸外国に比べ、日本の高額給与サラリーマン層は多すぎる。だから、高額給与サラリーマン層の給与所得控除を引き下げる」というものだった。読売新聞の解説とはまったく違う。
 この政府説明は何を意味するか。自民政権自らが過去の消費税導入の理由を完全に否定してしまったことを意味する。
 もう少し噛み砕いて書こう。一般の読者の方はもうお分かりだと思うが、「自分たちが主張してきたことは常に正しかったし、これからも正しい」と信じ込んでいるジャーナリストや評論家には、まだ私が言わんとしていることがまだチンプンカンプンだと思うからだ。
 前の消費税導入や増税の時には、サラリーマン(言っておくが経営者も税務上ではサラリーマン(給与所得者)として扱われる)の所得に対する課税率が諸外国に比べて高すぎると思って課税率を軽減したが、よく調べてみると日本のサラリーマンの課税対象所得は実際の収入ではなく、さまざまな名目の所得控除があり、もともと実収入に比べ課税対象所得額が諸外国に比べて優遇されすぎていた。とくに給与所得控除は累進的に拡大されていて、著しく公平さを欠いていたことが、諸外国の給与所得控除額を調べて分かったので、諸外国並みにする――これが、安倍内閣が決定した税制改正大綱の柱の一つである高給サラリーマン層への課税強化の理由である。再度書く。読売新聞の解説は完全に間違っている。というより意図的にウソの解説をしたとしか考えようがない。
 諸外国のサラリーマンに対する課税制度がどうなっているかは、経済学者でもなんでもない一介のジャーナリストには調べようもないが、少なくとも自民党政府が消費税導入・増税したときには、政府は諸外国の課税実態を承知していたはずだ。日本の高給サラリーマン層の課税対象所得の算出法が極めて優遇されていることを百も承知の上で、日本は高給サラリーマンに対する課税率が過酷すぎると言い張ったということになる。そうしたインチキを黙って見過ごしてきたのが日本のマスコミだったということになる。
 そう考えると戦後のマスコミの姿勢は戦前・戦時中とどこが変わったのかという疑問を持たざるを得ない。とくに戦時中は大本営の発表をうのみにして、日本が敗戦への道をひた走りに走っているときでも、大本営の「また勝った、また勝った」という発表に疑問を挟まず報道してきたことへの反省はどこに行ったのか。私と違って少なくとも大手マスコミは先進国や日本との関係が深い国には出先機関を設置している。マスコミ各社の本社が出先機関に勤務している記者に、その国のサラリーマンに対する課税制度はどうなっているか直ちに調査せよ、という指示を出していれば、竹下内閣や橋本内閣の嘘八百がたちどころに判明していたはずだ。そういう調査を行わずに、竹下内閣、橋本内閣の高額所得者への減税にストップをかけられず、バブル景気の実質的な「生みの親」になり、政府自身が自ら先の高額所得者への減税が誤りであったことを認めても、なおかつ今度は高給サラリーマン層への課税強化を「懸念」する読売新聞は、もはやジャーナリズムではない,と断定せざるを得ない(読者には申し訳ないが、税制改正大綱に対する他紙の論評は知らないので)。
 読売新聞12月13日付の社説を引用しておく。
「(高給サラリーマン層は)将来の家計の負担増を見越し、消費意欲は減退する恐れがある。
 消費増税で低所得者の負担感が増すため、与党は、高所得者への課税強化で不公平感を和らげることを狙ったようだ。
●拙速な所得控除見直し(中見出し)
 だが、控除見直しを巡る本格的な議論は、わずか1週間だった。自営業者と違い、収入を把握しやすい会社員を狙い撃ちにするのでは『取りやすいところから取る』と批判されても仕方がない。
 軽減税率の導入時期を示さない一方で、サラリーマン増税を即決したことに、不満を募らせる人も少なくないだろう」
 読売新聞の主張に、これ以上論評を加える必要はないだろう。ま、私の血祭りにされた読売新聞には気の毒だったと思うが、他紙が税制改正大綱に対してどのような評価をしたかは知らないが、支持していようと批判していようと、マスコミには論評する資格がないことだけは明確である。戦時中の大本営発表をうのみにしてきた体質は、今もそのまま引き継がれているのだから。

 最後に年の瀬を迎えるにあたって、私のブログを読んでくださった皆さんに厚くお礼申し上げるとともに、よいお年を。
 そして少し早いが私からのお年玉を差し上げたい。論理的思考力を高めるためのクイズだ。お分かりになった方はコメントに「解」を書いていただきたい。

問題:上辺が5cm、下辺が7cm、高さが3cmの台形の面積の計算を、公式に頼らず文章で解く方法を書きなさい。
  


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緊急告発 ! ついにNHKは報道の自由と義務もスケート連盟に売り渡した!!

2013-12-22 22:31:41 | Weblog
 NHKはいったい誰のために存在する放送局なのか。今日(12月22日)フィギュアスケートの全日本選手権の2日目が行われた(厳密にいうと現在男子のフリー演技が行われている最中である)。今は午後の7時35分。このブログを書き終える時間は最後に記載する。
 NHKは20日のニュース7で、翌日から始まる全日本選手権に出場する有力選手の練習風景の映像を流した。異例中の異例、というよりNHKがフィギュアスケート競技関係の報道ではかつて一度もなかったことである。世界スケート連盟がオリンピックより上位に位置づけているグランプリ・ファイナル(12月初め福岡で開催)については、そうした報道はニュース7でしなかった。
 周知のように来年のソチオリンピックのフィギュア競技には日本は男女ともに3人の出場枠を獲得している。今季からオリンピックの選考基準が変わり、ポイント制になって全日本選手権の優勝者が最大のポイントを獲得することになった。そういう意味でNHKはグランプリ・ファイナルより全日本選手権をニュースとして重要視したのか、と思った。
 今年から大きく変わったことは、ほかにもフィギュアスケートの競技時間が変更になったことである。従来はグランプリ・シリーズもNHK杯を除いては昼間に行われるのが常であった。選手のコンディションや健康問題を考えてのことだったかもしれない。
 実はNHK杯も浅田真央がデビューした年までは昼間に開催され、それをNHKは新聞のラテ欄に「録画」と表示もせずに7時のニュースのあとに録画中継していた。まだインターネットがそれほど普及していなかった時代でもあったから、競技の結果はNHKの録画中継(念を入れて書くがNHKはラテ欄に「録画」と表示していなかった。なおNHKはこのケース以外の録画中継は必ず「録画」と表示している)を見るまでわからないと思っていた。が、NHK杯放送前の7時のニュースの冒頭でアナウンサーが「浅田真央がショート・プログラムをトップで通過しました」と絶叫してしまったのである。
 翌日の新聞ラテ欄にもNHK杯の放送は7時のニュースの直後に予定されていた。そこで私はNHKの視聴者センター(現・ふれあいセンター)に電話をして「今日も録画中継だったら7時のニュースはパスする。結果があらかじめ分かっているスポーツ放送なんか、まえがきで犯人とトリックを明かした推理小説を読まされるようなものだから」と言った。窓口に出たアテンダーは「お調べします」と言って、しばらく待たされたが「今日はナマです。安心して7時のニュースをご覧ください」と教えてくれた。が、それがとんでもない嘘っぱちだった。やはり7時のニュースの冒頭でアナウンサーが「浅田真央が優勝しました」と絶叫したのである。私は怒り心頭で視聴者センターに電話した。アテンダーはすぐ責任者(チーフ)に代わり、責任者は「誠に申し訳ありませんでした。いま確認しましたが、確かにお客様に間違った情報をお伝えしてしまったようです」と平謝りに謝った。
 こうしたケースはNHK杯だけではなかった。全日本選手権はフジテレビが独占しているが、やはり競技は昼間に行われていた。いつだったか覚えていないが、テレビの中継を見ながらインターネットを見ていたら競技の結果がもう流れていた。で、またフジテレビの視聴者センターに電話して「フィギュアの放送のことだけど…」と言いかけたら「番組担当者に変わります」と電話をつないでくれた。電話を代わった女性の番組担当者に「いま放送しているフィギュアは何時に終わったの?」と聞いたところ「これはナマですよ。いま競技中です」と、いけしゃあしゃあと答えた。私は「もう結果がネットで流れているけど…」と言った途端「少々お待ちください」としばらく待たされた挙句、男性の責任者らしき人が電話に出て「彼女はちょっと混乱したようです。競技は○時に終わっております」と答えた。
 NHK杯については私だけでなく、かなりの人たちから抗議の声が殺到したようで、その翌年からナマ放送になった。NHKが昼間に放送するようになったわけではなく、NHKが交渉の結果、世界スケート連盟がNHKの放送時間帯に合わせて競技を行うようにしたからだ。が、NHK杯を除いて昨季まではすべてフィギュア競技は昼間に行われてきた。ところが、今季は事情が一変した。おそらくアメリカ大会やカナダ大会など外国でのグランプリ・シリーズも開催国の視聴者から競技時間を放送時間に合わせるよう抗議の声が殺到したのではないかと思う。これもおかしいのだが、NHK杯は「日本大会」である。おそらく他国の大会も冠がついていると思われるのだが、日本大会だけはNHK杯でとおっている。
 そんな些細なことはどうでもいいが、今季は少なくとも日本で行われる大会は多少視聴者のことを考慮したのかもしれない。福岡で行われたグランプリ・ファイナルもテレビ朝日がほぼナマ放送した。そのためNHKもニュース7ではグランプリ・ファイナルの結果を報道することが出来なかったのかもしれないと私は考えていた。
 そして21日から始まった全日本選手権である。すでに述べたようにNHKはフジテレビが放映権を持っている競技の前日の20日のニュース7で有力選手の練習風景を流した。が、21日の競技は男子のショート・プログラムだけで、しかも競技の開始時間が午後4:45からだった。当然7時のニュースの前には競技は終わっていない。
 しかし今日22日は男女の競技が行われ(グランプリ・ファイナルは重ならないよう配慮したようだ)、男子のフリー演技は午後6:35から予定されていたが、女子のショート・プログラムは午後2:20から競技が行われることになっていた。競技場は同じだから、男子の演技が始まる前には女子のショート・プログラムは終わっているはずである。
 で、私はニュース7が始まる前にネットで確認した。やはり結果が流れていて、浅田真央がトップで通過、2位は鈴木明子、3位に村上佳菜子がつけ、注目の安藤美姫は5位だった。そのことを確認したうえで7時のニュースが始まる前にNHKのふれあいセンターに電話をして最初に出たアテンダーに「非常に重要な件なので責任者に代わってほしい」と伝え、責任者に電話口に出てもらった。私はフィギュア競技のニュース報道についてNHKの視聴者部の山本副部長とのFAXでのやり取りを伝え、「今回の全日本選手権はオリンピック出場の権利を大きく左右する大会であり、だからこそ過去には一度もなかった他局が放送する競技前日の練習風景も放送したくらいだから、当然今日の昼間に行われた女子ショート・プログラムの結果は映像抜きでも字幕で結果を報じるべきだ」と申し入れた。
 が、今日のニュース7ではすでに競技が終わっている女子ショート・プログラムの結果については、字幕報道すらしなかった。ということになると、フジテレビが録画中継する番組の視聴率を高めるために、競技開始前日にかなりの時間を割いて練習風景を放映したのか、という疑問を持たざるを得ない。
 なお山本副部長はFAXで私にNHKのスポーツ報道について今年の4月26日にNHKの報道基準について述べている。すでに11月10日に投稿したブログ『フィギュアスケート競技のNHKニュース7の報道スタンスは偏向しているぞ!』でも抜粋記載したが、要点のみ再び記載しておこう。

 スポーツ報道の場合、競技映像の放映権の有無により、映像が使える場合、すぐには使えない場合など、さまざまなケースがあります。大会の意味合いや競技結果の重要度、速報の必要性、ニュースの放送時間帯・放送枠などを総合的に勘案し、お伝えしています。早く伝えることが必要と判断されれば、ほかのニュースと同様に映像を使えない場合でも、写真や文字の情報でお伝えしています。
(5月8日。上記に付け加えて)あくまでNHKの自主的自律的な判断に基づいて放送しています。

 なんと白々しい言い分か。居直ることもできず、しどろもどろになった猪瀬前(?)都知事にも劣ると言わざるを得ない。
 私が出した結論はこうである。NHKは視聴者のために存在する公共放送局ではない。NHKは報道の自由と権利・義務・責任のすべてを放棄し、NHK杯の興行権を維持する方を重視していることがはっきりした放送局であると。
 NHKが公共放送局としての矜持を私の爪の垢ほどでも持っていたら、NHK杯の興行権を返上することになったしても公共放送としての義務を果たすべきであろう。
 既存の地上波民放だけでなく、WOWOWやスカパーがうんざりしたくなるほどエンターテイメントのコンテンツを提供している中で、また若い人たちの新聞離れ、パソコン離れが進む中で(インターネットもパソコンからスマホや携帯への移行が顕著である)、公共放送が果たすべき役割はどうあるべきか。ひたすら職員の生活を維持するためにとしか考えられないようなコンテンツ作りしか眼中にない放送局は、もう社会的存在意義を喪失したと言うしかない。(午後10時半脱稿)
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やめて作家に戻る ? 真実を闇に葬ったままでそんなことができると思っているのか !?

2013-12-20 06:12:54 | Weblog
 ついに19日午前、猪瀬都知事は辞職することを発表した。その前々日、石原前都知事と会談し、「ここまで来たら辞めざるを得ないだろう」と引導を渡されたことが最後の引き金になったようだ。辞意を表明した記者会見の席で猪瀬氏は「これからは作家として、都民の一人として、都政を見守っていく」としおらしい言葉を発したが、政治家生命だけでなく作家生命も危ういことを、彼はまだ分かっていないようだ。
 それはそれとして、この間、猪瀬問題を報道してきたマスコミは都議会本会議や総務委員会での猪瀬氏のしどろもどろの答弁や都議会の対応を面白おかしく報道するだけで、なぜ猪瀬問題が生じたのかという根本的な追及を怠ってきたと言わざるを得ない。むしろ、マスコミは都議会に対して、唯々諾々と辞表を受理するのではなく、真実をすべて明らかにしてから辞表を出せと、辞表を突き返すべきだと主張すべきではなかったか。
 都議会議員が猪瀬氏の政治的責任を追及するのは当然だが、マスコミはマスコミとしての目線を持ってこの問題を掘り下げるべきだった。そのヒントは前回のブログで書いており、私のブログはマスコミ関係者からかなり広く読まれている。なのに、せっかく与えたヒントを理解できなかったようだ。
 徳洲会の東京都進出に猪瀬氏が何らかの便宜を図ったのではないかという点は大きな疑惑として追及すべきである。しかし、徳洲会が東京進出の足掛かりとして開設した昭島市の東京西徳洲会病院と武蔵野市の武蔵野徳洲苑(老人ホーム)、さらに武蔵野徳洲苑と目と鼻の先に建設中の武蔵野徳洲会病院はすべて猪瀬氏が副都知事になってから開設許可が下りた施設である。そのことをマスコミは報じてこなかった。私はインターネットでそうした事実を簡単に調べることが出来たのに。
 だが、インターネットでは分からなかったことがあった。マスコミ各社は昨年6月の東電の株主総会で猪瀬副知事が東電病院の売却を東電経営陣に激しく迫っていたことを取材しており、東電が売却を決めたあと徳洲会が入札に名乗りを上げていたことを知っていながら。猪瀬氏が鎌倉の病院に入院中の徳田虎雄氏を訪ねた際に、東電病院の売却問題についての話が出たのではないかという疑問すら呈さなかった。猪瀬・徳田会談の席に同席した関係者から情報提供されるまで、マスコミは関心を寄せなかったとしか考えられない。結局、徳洲会は徳田毅議員の公職選挙法違反の疑惑が明るみに出て入札を取りやめたが、こうした事実もマスコミではなく都議会議員が猪瀬氏を追及するまでキャッチしていなかった。マスコミはその後追い報道をしたに過ぎない。
 かつて「新聞記者は足で書け」という「名言」を残した大先達がいた。その当時は、それでよかった。ほかに情報を入手する手段がなかったからだ。しかし、今はインターネットという最大の情報入手手段がある。インターネットで情報を入手しようとする場合、最も活用されているのはウィキペディアである。記者は言う。「ウィキペディアには間違いも少なくない」と。そのことはウィキペディア自身も認め、記事の掲載について注釈をつけている。また間違った記述についてはだれでも訂正できるのが最大の特徴である。
 たとえば徳洲会は首都圏の1都3県で東京都を除く神奈川・埼玉・千葉の各県にはかなり前から進出を果たしており、相当数の病院・施設が開設されているのに、東京都だけは猪瀬氏が副都知事になる前には東京都医師会の厚い壁に阻まれて進出が出来なかったという事実もインターネットで簡単に調べることが出来る。もしその事実をマスコミが早期につかんでいれば、そこから「足を使って」なにを調べるべきかが分かったはずである。
 はっきり言えばインターネットを活用することが、記者諸君には怖いのだろう。足を使わなくても調べられることが多すぎて、自分の仕事がなくなってしまうからだ。実際インターネットを活用すれば、マスコミ各社は記者の数を半減できるだろう。東京電力には大幅なリストラを要求して(そのこと自体は間違ってはいないが)、その一方で「新聞には軽減税率を」とお願いするなら、その前に新聞社自身が大リストラを実行すべきだろう。第一、各新聞社はデジタル版を発行しているが、コストが紙に比べて格段に安いデジタル版のほうが紙より高いというのはどういうわけだ。理由は聞かなくてもわかっている。読者より販売店の経営のほうを重視しているからだ。だからアメリカのニューズ・ウィークが紙媒体を廃止してデジタル版だけにしたことは報道しても、紙媒体に対しデジタル版がいくら安くなったかは絶対に報道しないのだ。新聞社に対する八つ当たりはこの辺でやめておく。
 まずインターネットで分かっていることは、石原慎太郎氏が都知事選に立候補したとき、当時はまだ元気だった徳田虎雄氏が応援したという事実である。徳田氏と石原氏の関係はいつからどのようにして始まったのか、それをマスコミはまず調査すべきだ。
 本来、衆院選で(中選挙区時代)石原氏は徳洲会とはいい関係にはなかったはずだ(古参の政治部記者なら知っているはず)。同じ選挙区で石原氏は大蔵省出身の新井将敬氏(のち日興証券から利益供与を受けたという疑惑がもたれ自殺を遂げた)と争っており、新井氏を徳洲会は応援していたからだ。新井氏は大蔵省銀行局課長補佐の時、大蔵大臣に就任した渡辺美智雄氏の大臣秘書官を務め、徳洲会の関東進出の際、利便を図ったことは当時のジャーナリストなら誰でも知っている。
 だが、徳洲会が東京都進出を果たすために頼りにしていた新井氏が自殺してしまい。政治的足がかりを石原氏に求めたというのが、新井氏の政敵だった石原氏を支援した最大の理由ではなかったかと私は思う。
 実際、私が処女作の『徳洲会の挑戦』を上梓したのち(このいきさつは『私がなぜブログを始めることにしたのか』に詳しい)、徳田虎雄氏は「若獅子の会」をつくり政治活動をはじめようとしていた。徳田氏は、あまり裕福ではない家庭に生まれ、自分の病院をつくるための資金を調達するため生命保険に入り、保険金を担保に銀行から融資を受けて(今ではありえないことだが事実である)最初の病院を大阪府松原市に開設した。以来近畿地区を拠点に全国に徳洲会病院や医療関連施設をつくっていくのだが、進出しようとするすべての地区で地元医師会の猛烈な抵抗を受けてきた。
 医師会は農業団体と並ぶ、自民党を支援する巨大な政治勢力である。徳田氏が地元医師会の抵抗を打ち破って病院をつくるためには医師会に抵抗できる政治力を養成するしかないと考えたのは自然の成り行きと言えよう。で、「若獅子の会」を作り、徳洲会のために働いてくれる政治家をつくろうとしたのだが、彼の掌の上で踊ろうという人物は出なかった(厳密にいうと名乗りを上げた人はいたのだが選挙に勝てなかっただけ)。そのため、やむを得ず徳田氏自身が地元で衆院選に立候補したのである。
 地元の奄美群島区には保岡興治氏というお殿様の家柄の強力なライバルがいて、最初の挑戦では負けたが、2度目の挑戦で初当選(無所属)し、「自由連合」を結成する。その後小選挙区制が導入されて保岡氏と選挙区が分かれたため自民党への入党を果たすが、日本医師会が猛烈に反発し、次の選挙では自民党の公認を得られず、自由連合に戻ったという経緯がある。こうした歴史的経緯を伏線として見ておかないと、徳田虎雄氏が自分の息子の毅氏の選挙に注ぎ込んだ6000万円とほぼ同額に近い5000万円という巨額の金を猪瀬氏の応援のために出すわけがないのである。
 日本医師会はTPP交渉の参加にも猛反対した。理由は国民皆保険制度が崩壊するということだが、要するに混合医療が導入されたら、日本で生き残れるのは本当に優秀な医療技術を持った医師だけになってしまうという、まことに手前勝手な屁理屈からである(そのことは今年4月8日に投稿した『アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ』と題するブログで詳述した)。
 ところが徳洲会にとって東京都は、かつて天皇と呼ばれた故・武見太郎氏・元日本医師会会長(元世界医師会会長でもあった)が君臨した医師会の牙城であり、まさに難攻不落の「要塞」だった。そこに風穴を開けるのが徳洲会にとっての悲願であり、そのための政治的武器として猪瀬氏はうってつけの存在だったのだろう。
 いちおうこれで徳洲会が5000万円という巨額の金を猪瀬氏に無期限無担保無保証人で渡した(猪瀬氏によれば「借りた」ということだが、猪瀬氏が都議会総務委員会で高々と掲げて見せた「借用書」なるものは借用書としての体をまったくなしていない)目的ははっきりしたと言えよう。だが、5000万円の意味をいくらこれから追及したところで、猪瀬氏が徳洲会側に「東電病院の売却について協力する」と約束したことを示す確たる証拠が出てこなければ贈収賄で検察が起訴することは難しい。
 おそらく、猪瀬問題は19日の辞職表明で幕を閉じるだろうが、都議会としてはそれで幕を下ろしても構わないが、猪瀬氏がノンフィクション作家活動に戻るためには絶対に明らかにしなければならない問題がまだ残っている。それは前回も述べたが、木村三浩氏との関係である。
 木村氏は新右翼を名乗っており、猪瀬氏によれば「20~30年に及ぶ付き合いだ」という。一体何がきっかけで、どちらのほうから接触を求めたのか。そして、なぜ20~30年もの付き合いに発展し、また木村氏がなぜ都知事選に立候補直前に超多忙なはずの猪瀬氏を徳田虎雄氏に面会させるために鎌倉の病院までわざわざ連れて行ったのか、また猪瀬氏はなぜ超多忙の時期に木村氏の「要請?」に応じたのか、この日の面談で猪瀬氏は「東電病院売却問題の話はしていない」と言っていたが、実際には東電病院売却問題の話が出たことが関係者の話で明らかになっている(18日)。また、木村氏はなぜ猪瀬氏と徳田毅議員との会談の場を設け、5000万円もの大金を猪瀬氏に融通するよう毅議員に頼み、毅議員はなぜ二つ返事で応じたのか、そのような木村氏との関係は猪瀬氏の作家活動にどういう影響を与えてきたのか、今後もそうした関係が木村氏との間に継続するのか。猪瀬氏が作家活動に戻るというのなら、徳洲会との関係以上に明確にしなければならないのが木村氏との真実の関係である。それを明確にできないようなら猪瀬氏の作家活動復帰は不可能である。
 前回のブログでも書いたが、ノンフィクションの作家活動は本質的にジャーナリズムと変わらない。自らが受けている疑惑について真実を語れない人間がノンフィクションの作家として世の中から受け入れられることはありえない。
 小説はフィクションだから、小説の中で描くストーリーに論理的整合性さえ保てば、どんなに奇想天外なことを書いても許されるが、ノンフィクションは事実を発掘するのが作品の目的だから、どうやってその事実を知り得たのかが疑惑の的になるようだと、作品自体のモラルが問われる。
 ノンフィクションかフィクションか、きわどい分野がある。たとえば司馬遼太郎氏の作品だ。小説には分野ごとにいろいろな区分がある。恋愛小説とか推理小説といった具合だが、ややこしいのは時代小説と歴史小説の違いである。池波正太郎氏などの時代小説は明らかにフィクションだということがだれにでもわかるが、司馬氏の場合は初期のころの作品はいわゆる時代小説でフィクションだが、歴史上存在した人物を題材にして書くと、いちおう歴史小説という
ことになる。そこで問題になるのは歴史小説の場合、どこまでフィクション的要素を入れても許されるかということだ。実際に彼の代表作の一つに『竜馬がゆく』という大作がある。主人公は言うまでもなく坂本龍馬だが、司馬氏はわざわざ実名を採用せずに竜馬と変えた。そうすることで、司馬氏は「坂本龍馬をモデルにはしたけど、作品の中身はフィクションだよ」というメッセージを読者に伝えたかったのだろうと解釈する人もいる。実は私自身もそう考えている。だから私の著書『西和彦の閃き 孫正義のバネ』(光文社刊)の中でこう書いたことがある。
「孫正義が、坂本龍馬と織田信長の生き様に強く影響を受けていることはすでに書いた。ただし、孫がイメージしている龍馬像、信長像はあくまでも司馬遼太郎が創り上げた人物像であって、司馬がどこまで真実の龍馬や信長に迫れたかは別である」
 実際、歴史上の有名な人物の評価は歴史小説家が創り上げた人物像によって左右されてきた。たとえば吉川英治氏の『新書太閤記』が大ヒットした時代の歴史上の尊敬される人物のトップは豊臣秀吉だったし、山岡荘八氏が大作『徳川家康』を書くと、それまで悪人視されていた家康に対する見方が一変したこともある。それと同様、信長や龍馬の評価も、現在は司馬遼太郎氏が創り上げた人物像がまかり通っている。だれが言い出したか知らないが、「司馬遼史観」なる言葉さえ定着しているくらいだ。しかし、司馬氏に限ったことではないが、自分が創り上げたいと思う人物像を読者に正しい人物像と思わせるために、歴史小説家は都合のいい事実しか取り上げないし、かつ些細なことをことさらに誇張さえする。また自分が創り上げたいと思う人物像にふさわしくない事実は意図的にネグってしまう。
 その典型的な例が、日本最初の疑似株式会社と言われる亀山社中は、龍馬が薩摩藩の援助を受けて設立したが、その社是のトップで「利益至上主義」を高々と掲げているが、司馬氏はその重要な事実をネグっている。その事実をネグらないと、龍馬が仕組んだと言われている薩長連合の目的も、倒幕勢力の合体ではなく、薩長間の商取引を円滑にすることが目的であったことが明らかになってしまうからだ。
 私は別に司馬氏の小説にクレームを付けるつもりではなく、歴史小説というのは、あたかも事実を描いているように見せかけるテクニックが巧みな作家が一流だということを明らかにしたいだけのこと。
 しかし、ノンフィクション作家は歴史小説家とは違う。歴史小説家のように自分の主張を裏付けるための事実だけを意図的に誇張し、都合の悪い事実はネグる――そういった手法は許されないということである。そういう意味で、猪瀬氏が政治の世界から身を引いてノンフィクション作家として出直すというな
ら、木村氏とのかかわり、木村氏を通してなぜ徳洲会とつながるようになった
のかを、まずノンフィクション作品として自ら発表することが再スタートの出発点にならなければおかしい。
 このブログが、ノンフィクション作家・猪瀬直樹氏へのレクイエムにならないことを祈って、今回のブログを終える。
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 堕ちた偶像の行方――猪瀬都知事は辞任 ? or 失職 ?

2013-12-16 06:10:32 | Weblog
 猪瀬都知事はほとんど死に体になった。
 私が『徳洲会から5000万円を「個人的に借りた」猪瀬都知事の言い訳の読み方を教えます』と題するブログを投稿したのは今月2日だが、いまだ私のブログを閲覧してくださる方は減少傾向に入らない。が、今日(16日)から再開される都議会総務委員会で再び全党派・会派の都議からの集中砲火を浴びることは必至だし、猪瀬氏が窮地を脱することはもはや不可能に思える。前回のブログで書いたように、選挙では既成政党の支持を一切受けないという見かけ上の「清潔さ」をウリにした猪瀬氏だが、こうした窮地に立った時には誰もかばってくれる議員が存在しないという四面楚歌状態を生んだからだ。
 私が前回のブログを書いた根拠となる事実関係は、すべて新聞報道とネット検索によって知り得た情報だけである。それだけでも猪瀬氏を窮地に追い込むことは可能だったが、新たな事実も発覚した。すべて猪瀬氏にとって命取りになる事実ばかりである。
 決定的なことは外堀も内堀も埋められてしまったことだ。内堀とは後で書くが、「選挙運動費用収支報告書」に水増しの虚偽記載があったことだ。外堀は徳田毅衆院議員が連座制の適用により議員バッチを取り上げられることが決定的になり、いわゆる「借用書」なるものについての徳田議員との口裏合わせは無意味になってしまうという誤算である。徳田議員にとってはただでさえ胡散臭い「借用書」について、猪瀬氏をかばったところで得るものは何もなくなり、徳田議員の姉が全面自白した理由である「徳洲会を立て直すには真実を明らかにすることの方が重要だ」という認識を徳田議員も共有するに決まっているからだ。つまり徳田議員にとっても、「政治の世界には距離を置いて政治力に頼らず、地域住民の支持を受けられる地道な医療活動を行っていくことが、地に落ちた徳洲会のイメージ回復にとって最も重要」というスタンスに立たざるをえなくなったからだ。そうなると、徳洲会にとって最後の目標であった東京都制覇を成し遂げるには、猪瀬氏との闇の関係を明らかにしてしまって信頼回復を図ることに全力を傾注することの方がダメージを最小限に食い止められるのではないか。――徳田議員がそういう結論に達することはもはや時間の問題と言えよう。
 さらに、猪瀬氏は自ら墓穴を掘ってしまった。1年分の都知事給与を返上するから勘弁してくれと都議会に申し出たことだ。マスコミの報道によると都知事の給与は年間で2500万円ほどらしい。ということは、2500万円をどぶに捨てても、猪瀬氏は生活上の不安を生じないということになる。それだけの蓄えがあったら(猪瀬氏だったら、それ以上の蓄えがあっても不思議でもなんでもないと思う)、なぜ「生活の不安があったから」5000万円を借りる必要があったのだろうか。完全に猪瀬氏の言い訳は自己矛盾に陥っている。猪瀬氏は頭が混乱し、自ら墓穴を掘るような「都知事給与を1年間返上する」などと言いだしてしまったとしか理解のしようがない。猪瀬氏が、5000万円の「借用」について口を開けば開くほど自己矛盾を増大させていくという結果になることが分かっていないのか。
 私は前回のブログで「もはや猪瀬氏は政治生命も作家生命も絶たれることは必至だ」と書いたが、そうなることは時間の問題になった。 
 それにしても、徳田虎雄氏と猪瀬氏の面会と金銭のやり取りを仲立ちしたという一水会代表の木村三浩氏との関係は依然として闇の中だ。ネット検索によれば一水会は最有力な「新右翼団体」ということで、木村氏はしばしばテレビの討論番組などにも登場しているようだ。その木村氏と猪瀬氏は「20~30年来の付き合い」だという。そうなると木村氏がなぜ猪瀬氏をわざわざ鎌倉の病院まで連れて行って寝たきり状態にある徳田虎雄氏との面会の労を取り、さらに徳田毅議員との会食の席までセットして大金「借用」まで頼んでやり、徳田議員側も常識では考えられないメモ程度の「借用書」だけで見ず知らずの人間(その時まで猪瀬氏は徳田議員との面識はなかった)に5000万円もの大金をホイホイ貸したのか、摩訶不思議な猪瀬氏と木村氏の深―い関係はまだ明らかにされていない。
 私はネット検索するとき、いきなりウィキペディアで調べるようなことはしていない。ヤフーやグーグルといった検索エンジンで検索すれば、ウィキペディアの情報も含めいろいろな情報が入手できるからだ。猪瀬氏の問題が明らかになった時も、とりあえず「猪瀬直樹」で検索し、それで彼が「転向者」だったことを知り、今度は「転向」で検索をかけてウィキペディアで猪瀬氏が「転向者」の代表的人物の一人として紹介されていることを知った。そうやって知り得た情報と、木村三浩氏の関係を推測すると、猪瀬氏のノンフィクション作家活動の重要な情報源は木村氏だったのかという結論に自然にたどり着く。
 猪瀬氏が学生時代、新左翼の革命的共産主義者同盟(中核派)の活動家で、全共闘のリーダーだったことは前回のブログで書いたが、新左翼と右翼(当時は「新左翼」や「新右翼」といった呼称はなかった)との裏での結びつきはかなり根深いものがあったようだ。新左翼の嚆矢は旧ソ連の出先機関の域を出なかった日本共産党の指導部に反発した学生共産党員たちが中心になって1958年に結成した共産主義者同盟(通称:ブント)の結成である。その中心人物が書記長の島成郎氏(東大医学部)で、60年安保闘争で全学連を分裂させ反日本共産党系の全学連主流派を組織化した(このとき日本共産党=民青系は全学連反主流派と呼ばれるようになる)。全学連主流派の初代委員長は北大農学部の唐牛健太郎氏で、島氏に口説かれて就任したと言われている。 
 60年安保闘争は、いまの若い人たちには想像を絶する闘争だった。連日数十
万という日米安保改定反対派が国会周辺を取り巻き、国会内に突入して安保改定を阻止しようとした。もはや日本共産党に反発した新左翼の学生だけでなく、一般市民も同調し、国鉄労組が初めて政治ストを行ったことでも知られている。また東大生だった樺美智子氏が国会突入騒動の中で死亡したことも闘争がより激化する大きな要因になった。マスコミも総じて全学連主流派に同調気味で、安保改定を強行しようとしていた岸内閣は孤立化し、安保条約の自然成立と引き換えに総理を辞任した。
 今になって考えると、60年安保闘争は奇妙な戦いだった。もともとは、ソ連の国益を守るための日本における出先機関に過ぎなかった日本共産党執行部に反発したのが若手の日本共産党員の島氏たちだった。それも無理はない話で、たとえば原爆について日本共産党は「アメリカの原爆がまき散らす灰は汚いが、ソ連の原爆の灰はきれいだ」などという非科学的な主張を恥ずかしげもなくしていたのだから、島氏たち若手論客が反発するのは当然だった。
 それはともかく、安保闘争は島氏や唐牛氏ら新左翼指導部の予想をはるかに超えた展開をしていく。そうなると、闘争を支える資金をどう調達するかが大問題になった。もちろんターミナル駅の付近などで盛んにカンパ活動を行いはしたが、カンパだけでまかなえる状況にはなかった。そうした中で、文藝春秋に掲載された田中清玄氏の論文(全学連主流派の行動に共感を示しつつ失敗に終わると苦言を呈した)に着目したのが島氏と唐牛氏だった。
 田中氏は戦前、非合法時代の日本共産党中央委員会委員長を務めたことがある。が、戦後に転向して実業界に進出すると同時に右翼の政治活動も始めた。中曽根康弘元総理とも親しく、昭和天皇にも拝謁を許されたほどの大物である。真正右翼(そういう呼称があるかどうかは知らないが、新右翼と区別するため、とりあえずこの表現を使った)と近い関係にあった暴力団から狙撃されたこともある。そういう意味では田中氏は新右翼の先駆けと言えなくもないだろう。
 実はあろうことか、島氏と唐牛氏は文藝春秋の田中論文を読んで、田中氏に資金援助を依頼したのである。田中氏が心情的にブントに共感するところがあったとしても、ソ連の国益を日本で守るための存在でしかない(当時は)日本共産党に反発して「真の」共産主義運動を目指していたブントの指導者が、右翼の大立者に資金援助を依頼するといったこと自体、信じがたい思いがする。

 そういう視点で考えると、かつては新左翼の大物活動家だった猪瀬氏が新右翼の木村氏と20~30年に及ぶ親交を重ねてきたということ自体、やはり私には理解しがたい。おそらく数十年間にわたる猪瀬氏のノンフィクション作家活動の重要な情報源の一つが木村氏及び木村氏が率いる新右翼団体の一水会だった
のではないか。新右翼団体は、真正右翼と違って暴力団との間に深い関係はな
いようだが、政財界に太いパイプを持っていることはよく知られている。当然政財界の闇の部分に関係しているケースも少なくなく、彼らが超一流のノンフィクション作家である猪瀬氏に接触して情報提供したとすれば、そのこと自体に大きな意味がある。つまり猪瀬氏自身は「善意の情報提供」と考えたかもしれないが、それがきっかけで両者の間に数十年に及ぶ深―い関係が構築されていくのは当然である。
 そう考えると、猪瀬氏―木村氏―徳田虎雄氏のトライアングルの関係もおおよそ見当がつく。前回のブログを書くに際して、私がネットでまず検索したのは徳洲会の首都圏における勢力図だった。すでに徳洲会は東京都を囲む神奈川・埼玉・千葉の3県には徳洲会病院のネットワークが張り巡らされていた。だが、東京都には徳洲会病院は昭島市に一つ開設されているだけだ(東京西徳
洲会病院)。東京西徳洲会病院以外には西東京市に武蔵野徳洲苑という老人ホームがあるだけである。しかもこの二つの施設はともに猪瀬氏が副都知事になって以降、解説が許可されており、さらに武蔵野徳洲会苑のすぐ近くに現在、武蔵野徳洲会病院が建設中である。
 前回のブログを書いた時点ではわからなかったが、その後、東電の大株主である東京都の代表として猪瀬副都知事が東電病院の売却を激しく迫り、売却先として徳洲会が名乗りを上げていたことが都議会総務委員会で暴露された(ただし、徳洲会は徳田毅議員の公職選挙法違反の容疑が明るみにでた時点で入札を辞退したようだ)。そうした状況証拠をパズルのように組み合わせていくと、おのずと猪瀬都知事と木村氏、また徳洲会の持ちつ持たれつの関係が浮かび上がってこよう。だが、木村氏と徳洲会の闇の関係はまだわからない。ジャーナリストがその関係を穿り出そうとすると生命の危険を覚悟しなければならないかもしれない。マスメディアなら危険は及ばないだろうが…。
 いずれにせよ猪瀬氏の都議会総務委員会での発言によれば、猪瀬氏・木村氏・徳田毅氏の3人が会食したとき、金の話が出たということだ。そして猪瀬氏は、その場では金の話を他人事のように聞いていて、その後、徳洲会側から金の用意ができたから取りに来るよう連絡があったので、「親切な人もいるなぁ」と深く考えもせずホイホイ金を受け取りに行ったという。
 1万円や2万円ならいざ知らず、5000万円もの大金を、はんこも印鑑証明も持たず、保証人すら用意せずに受け取りに行くバカがどこにいるか。しかも最初は7月に亡くなった妻名義の貸金庫に金をしまったと証言していたのが、銀行の貸金庫の記録を調べられたらウソだということがすぐにばれるということに気づき、あわてて金を受け取った前日に自分が銀行で貸金庫を借りたと訂正した。
 猪瀬氏の汗みどろになっての二転三転の訂正発言はテレビのニュースや新聞
で散々明らかにされてきたから、このブログの読者も辟易しているだろうから、これ以上触れないが、15日の新聞各紙朝刊で猪瀬陣営が「選挙運動費用収支報告書」に虚偽記載があったことがまた暴かれた。今の段階では、その虚偽記載に猪瀬氏自身が直接関与していたかどうかは不明だが、もしこの報告書を作成した人間が背任横領したとしたら、猪瀬氏の選挙運動を裏方で支えてきた人たちはいったいなんだったのかということになり、猪瀬氏は自身が満幅の信頼を寄せていた出納責任者の女性を業務上横領の罪で告訴せざるをえなくなる。なお新聞報道によれば、ボランティアで猪瀬氏の選挙運動を手伝った人たちは、貰ってもいない報酬を貰ったことになっているという。「ひとの善意を逆手に取る」とはそういうことを言う。
 繰り返しになるが、5000万円という大金は、猪瀬氏が直接徳田毅氏に頼んだのではなく、猪瀬氏によれば「木村さんが貸してあげたら、と徳田議員に頼んでくれた」という。となると、木村氏はなぜそこまで猪瀬氏に肩入れをしなければならなかったのか、また「選挙後の生活の不安」に脅えていたような初顔合わせの人間に、徳田毅議員はなぜ二つ返事で承諾したのか。ちなみに現在明らかになっている徳田毅陣営が選挙活動でばらまいた金は6000万円に過ぎない。徳洲会は木村氏にどんな弱みを握られていたのか。
 16日から再開される都議会総務委員会での焦点は「百条委員会」をいつ設置するかになった。猪瀬氏の説明不十分だけでは設置は困難という見方もあったが、収支報告書に虚偽記載があったとなると、猪瀬氏も百条委員会の設置を拒むことは出来まい。百条委員会は、都道府県及び市町村の事務に関する調査権を定めたもので(この権限は「百条調査権」とも言われ、選挙人=このケースでは猪瀬都知事=その他の関係者の出頭・証言・記録の提出が請求されると拒否できない)、百条委員会での発言は裁判と同様、真実を語ることが求められ、これまでのように発言を二転三転すると禁固刑を含む罰則を免れない。
 猪瀬都知事の辞任はもう避けられない状況になってはいるが、猪瀬氏が辞任したら、それで幕を下ろしていい問題なのか。木村氏が、なぜ都知事選に深入りしてこれほど重要な役割を果たすことが出来たのか、マスコミはさらなる真相解明に取り組む必要があるだろう。
 
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徳洲会から5000万円を「個人的に借りた」猪瀬都知事の言い訳の読み方を教えます。

2013-12-02 06:48:40 | Weblog
 このブログから従来の「で・ある」調に戻す。「です・ます」調の方がソフトな感じになるため、いったん「です・ます」文体でブログを書いてきたが、長年「で・ある」調になじんできたこともあり、どうしても違和感をぬぐえなかった。そういうわけで、このブログから従来の文体に戻すことにする。

 11月29日、東京都議会の本会議が開催された。猪瀬都知事は所信表明演説で、徳洲会から「借りた」(と主張している)5000万円の使途目的について依然と「選挙に落ちたときの生活が不安だったから」と説明している。「選挙資金ではなく、個人的な借金」と言い張る以上、個人的な理由も説明せざるをえず、その結果、猪瀬氏は自ら墓穴を掘ってしまった。なぜ「墓穴を掘った」ことになるのかは、このブログの最後に明らかにする。
 今週木曜日(12月5日)には各党の代表質問が始まり、猪瀬氏の「個人的借金」問題についての本格的追及が始まることは必至である。いまのところ、マスコミの予想によれば、各党の追及は猪瀬氏が4回目の記者会見で初めて公開した「借用書」なるものの真偽に集中するようだ。
 確かに猪瀬氏が記者会見の席上で高々と掲げて見せた「借用書」にはいかがわしい要素がいっぱいある。たとえば返済時期も記載されていなければ、印紙も貼られていない、無利息無担保で連帯保証人もいないという、5000万円という大金の「借用書」としてはあまりにもずさんなものであることは間違いない。
 しかし、「借用書」問題をいくら追及しても、したたかな猪瀬氏が真相を語るとは到底思えない。「この借用書は本物だ。借用書を渡した徳田毅衆院議員に確かめてくれ」と言われても本物かどうかの真実は明らかにできない。徳田毅氏とは口裏を合わせることができたため、4回目の記者会見で「貸金庫にしまっていたのを思い出した」といけしゃあしゃあと抗弁した猪瀬氏の「ウソ」を暴くことは不可能だからだ。
 誰が見ても不自然であっても、猪瀬氏が「うかつだった。その点は申し訳なく思っている」という抗弁を繰り返すに決まっているので、「借用書」に書かれた猪瀬氏のサインが最近のものか、1年前のものか、サインに使用されたインクの科学的分析ではっきりさせることが出来るか否かを、しかるべき科学分析研究機関に聞いてみるしか方法はない。だが、わずか1年の経年劣化を最新の分析機器を使用しても調べることは、おそらく不可能であろう。となれば、「借用書」問題を巡って、いくら猪瀬氏を追及しても「うかつだった。その点は申し訳なく思っている」という猪瀬氏の抗弁の不自然さをそれ以上追及することは難しい。
 となれば、「借用書」の真偽問題から離れて、別の視点から猪瀬氏の「ウソ」を暴くしかないことになる。果たして都議会の議員が私のブログを読むかどうかは分からないが、このブログの最後に書く切り口で猪瀬氏を追求すれば、間違いなく猪瀬氏をノックアウトすることが出来るはずだ。

 猪瀬直樹氏はノンフィクション作家として一時代を築いた人物である。言うまでもなくノンフィクションはジャーナリズムと限りなく近い存在である。つまり、権力(公的権力だけとは限らない。マスコミも巨大な権力であり、だから私のブログ・シリーズのタイトルは『小林紀興のマスコミに物申す』としている)によって意図的に隠ぺいされている(あるいは隠蔽されてきた)真実を明るみに出すことがその大きな使命であるはずだ。ペンの力によって権力に挑んできたノンフィクション作家やジャーナリストは、何らかのきっかけで権力の座に就いたとしても、自らのアイデンティティを捨ててはならないはずだ。念のため「アイデンティティ」とは「自己同一性」を意味し、立場が変わろうと人間としての生き様は不変であらねばならないことを意味する。猪瀬氏は、ノンフィクション作家やジャーナリストが自らの生き様として最も重要視すべきアイデンティティを失ったのかもしれない。
 いや、もともとアイデンティティなど、猪瀬氏は持ち合わせていなかったのかもしれない。ノンフィクション作家として権力構造に挑んできたことも、自らが権力を手にするための手段に過ぎなかったのかもしれない。そう考えれば、徳洲会からの5000万円の「借金」についての真実を明らかにしないのは、権力の座に就いた猪瀬氏にとっては、せっかく手にした権力の座を守るための「権力者の固有の権利」である常套手段の一つなのであろう。
 
 猪瀬氏の過去を多少明らかにしておこう。彼は信州大学生時代、革命的共産主義者同盟全国委員会(学生運動組織である中核派の上部組織――民青と日本共産党のような関係)に属し、1969年には信州大学全共闘議長にもなっている。この年は東大安田講堂立てこもり事件などでよく知られているように、「全共闘時代」とも言われている。
 機動隊の突入によって安田講堂が陥落して全共闘時代は終焉を迎えるが、猪瀬氏も学生運動から身を引き、大学卒業後、上京して出版社勤務を経て明治大学大学院に進学、思想的にはナショナリズムに転向する。ちなみに学生時代に左翼活動の指導者で、のちにナショナリストに転向した人物はかなり多い。なおウィキペディアには転向者の一人として猪瀬氏も名を連ねているくらいだから、すでに若くして彼は自らのアイデンティティを放棄したと考えられる。否、そもそも猪瀬氏にはアイデンティティなるものが最初からなかったのかもしれない。そう考えれば、その後の彼の生き様も矛盾なく理解できる。
 そのことはともかく、彼がノンフィクション作家として頭角を現したのは86年に小学館から出版した『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことが契機だった。この作品は、西武グループの一方の総帥・堤義明氏(もう一方は先日死去した異母兄の堤清二氏)が、皇族との関係を深めながら皇族や元皇族の所有地を買収してプリンスホテルを建設していくプロセスなどを検証したもので、ジャポニズム学会特別賞も受賞している。
 ノンフィクション作家にとって、大宅壮一ノンフィクション賞は小説家が目指す芥川賞や直木賞と同様、いわばオリンピックの金メダルのような大目標である。ところが、これらの賞はかえって作家生命を短命に終わらせてしまう「もろ刃の刃」のような厄介な性質も持っているのだ。というのは、こうした賞を貰うことによって受賞者の原稿料が一気に跳ね上がってしまい、受賞するにふさわしい実力の持ち主であれば生き残れるが、実力が伴っていないのにたまたま受賞してしまったような作家は、実力以上に原稿料の相場が高騰してしまい、かえって仕事の機会を失って姿を消すことになるケースが数えきれないくらいある。
 こうしたケースは実はどの世界でもあることで、俳優でもたまたま作品に恵まれ主演賞などを貰ってしまうとギャラが一気に跳ね上がり、本物の実力が伴っていなかった場合、かえって命取りになってしまうことがある。また普通のサラリーマンの世界でもたまたま大きな仕事を成功させ、それを「実力」と勘違いされて要職に就かされ、挙句にリストラの対象にされてしまうといったこともままある。
 また実力がありすぎる場合も、仕事の機会が失われてしまう。その筆頭が俳優の高倉健氏で、彼を主演にした映画を作ろうとすると数十億のギャラを覚悟せざるをえず、そうなると日本だけのマーケットでは高倉氏に払うギャラを稼ぎ出すのは不可能だ。その結果、高倉氏が映画に出演するとしたら、「ギャラなど、いくらでもいい。この作品はどうしてもやりたい」という彼の男気というかボランティアに頼るしかない。その点、渡辺謙氏はギャラを稼ぐ場はハリウッドに求めることが出来るから、彼の俳優生命は今後もかなり続くだろう。
 人気と実力を勘違いして自分の世界を変えようとして失敗したケースも少なくない。ハリウッドの大物スターだったシルヴェスト・スタローン氏がそうだ。ロッキーやランボーのシリーズでアクションスターのトップになったが、人気の高騰を俳優としての実力と錯覚し、「もうアクション映画には出ない。これからは性格俳優の仕事しかしない」と宣言した結果、以降彼の俳優生命は事実上終わりを遂げた。
 そういう世界にあって、猪瀬氏は『ミカドの肖像』を足掛かりにノンフィクション作家として不動の地位を築いてきた稀有の作家の一人である。その彼が政治の世界で一躍脚光を浴びるようになったのは道路公団民営化に携わってからである。その契機になったのは96年に文藝春秋社から出版した『日本国の研究』で、虎の門周辺に集結している特殊法人への官僚天下りの実態や税金の無駄遣いを暴いたことが、のちに首相になる小泉純一郎氏の目にとまり、小泉内閣の誕生によって2001年、行革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)のメンバーに名を連ね、次いで翌02年には道路公団四民営化推進委員会委員に就任、すったもんだはしたものの道路公団民営化の実現に貢献した。その経緯は彼自身の著作『道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日』や『道路の決着』に詳しい。
 その猪瀬氏が、石原慎太郎都知事の要請を受けて副知事に就任したのは07年である。「日本を変えるには東京から」と東京の改革を目指した石原氏が、道路公団民営化で辣腕をふるった猪瀬氏を高く買ったのであろう。
 偶然だが、石原氏もまた「転向」組の一人である。ただし、ウィキペディアには転向者の代表例としては記載されていない。
 石原氏は1958年に大江健三郎・江藤淳・谷川俊太郎・寺山修司・英六輔ら各氏と「若い日本の会」を結成し、60年安保改定に反対したが、派手な反対運動を展開したわけではなく、どこまで本気で安保反対を表明したのか不明である。
 ただ68年の参院選に自民党から全国区に出馬してトップ当選を果たした時には、いわゆる「進歩的文化人」から「裏切り者」「転向者」とののしられたが、石原氏は「敵の懐に入って内部から改革する」と抗弁している。が、そのわずか5年後の73年には渡辺美智雄・中川一郎・浜田幸一議員ら31国会議員を結集して派閥横断的グループの「青嵐会」を結成し(中曽根派議員が多数を占めていた)、マスコミから「極右集団」とのレッテルを貼られたこともある。
 石原氏は75年、美濃部亮吉氏に対抗して都知事選に出馬したが、「ばらまき福祉」で都民の支持が厚かった美濃部氏には勝てず、選挙で初めて敗北を味わっている。が、99年に都知事選に再挑戦し勝利した。この選挙を支援したのが徳洲会の徳田虎雄氏だった。この時期、徳洲会は全国各地で地元医師会と衝突しながら徳洲会病院を作っていたが、東京都だけは東京都医師会の厚い壁に阻まれ進出できずにいた。が、猪瀬氏が石原都知事の要請を受ける形で2007年に副知事に就任して以降、なぜか徳洲会は念願の東京進出を果たすことに成功している。現在は昭島市に東京西徳洲会病院と西東京市に武蔵野徳洲苑(有料老人ホーム)を開設しており、さらに武蔵野徳洲苑のすぐ近くに武蔵野徳洲会病院を建設中で、15年2月に開設予定である(両施設とも所在地は西東京市向台3丁目)。都は武蔵野徳洲苑に7億5千万円を補助し、東京西徳洲会病院には9億6千万円を補助したという(武蔵野徳洲会病院への補助金額は不明)。
 東京都全体の有権者と昭島市及び西東京市の有権者の数は不明だが、猪瀬氏が昭島市と西東京市での票の獲得のためにわざわざ鎌倉の病院に徳田虎雄氏を訪ねた、という説明はどう考えても合理的ではない。徳洲会にとって念願の東京都進出に猪瀬氏がどう関与したか走る由もないが、一定規模以上の病院開設の許認可権を持つ都の重職にあった猪瀬氏が、徳田氏を訪ねたのは、「あの時の貸しを返してくれないか」という目的だったと考えるのが合理的であろう。もちろん「あの時の貸し」とはそれなりの権限を持っていた人物が徳洲会の東京都進出に便宜を払い、破格かどうかは分からないが補助金まで出させるようにした経緯を意味する。
 そう考えると、猪瀬氏が言う「個人的な借金」というのは、むしろ真実に近いと考えるべきだろう。ただしその「個人的な借金」は「返す必要がない借金」だったということだ。徳洲会側からすれば、猪瀬氏が都知事になれば徳洲会の東京都制覇に弾みがつく、と徳田虎雄氏は考えたのではないか。そう考えると政治家と政治家に群がる業者の持ちつ持たれつの関係の一つということになり、「貸し」と「借り」のスパイラルの世界が都知事選を背景に実現されたと考えるのが自然だ。
 徳洲会が政治力を拡大するために政治家に金をばらまいていた事実が明らかにされつつあるが、ばらまかれた金は最大でも阿部知子衆院議員に対する「貸し金」300万円に過ぎず、阿部議員は猪瀬氏と違って政治資金収支報告書に記載しており、2%の利息を付けて徳洲会に返済している。ちなみに猪瀬氏は「5000万円は個人的な借金だから会計責任者にも話していないし政治資金収支報告書にも記載しなかった」らしい。5000万円という金額がいかに常軌を逸脱した額であるか、ノンフィクション作家として一時代を築いた猪瀬氏が無感覚であろうはずがないと思うのだが。
 重要なのは、5000万円の借金の目的として猪瀬氏が説明している点だ。「墓穴を掘った」というのはこういうことを指す(このブログの冒頭に述べた猪瀬氏の致命的ミスをここで明らかにする)。
 猪瀬氏が苦し紛れに口にした「選挙に落ちたときの生活の不安があったから」という「借金」の口実は、裏を返せば選挙に落ちたら5000万円は自分の生活費に充てるつもりだったということを意味する。つまり、選挙に落ちたら返さなくてもいい金だったと言っているのである。その金額が5000万円なのだ。
 つまり。選挙に落ちたときに自分の生活費に充てるつもりの金、ということになると5000万円は選挙資金ではなく、個人的な借金でもなく、徳洲会からの贈与ということになる(ちなみに徳洲会側は贈与税を申告納税していない)。しかもその贈与は、選挙後ではなく選挙前に行われたということになると、なぜ徳洲会が落選後の猪瀬氏の生活費を、まだ結果が出ていないうちに提供したのかという重大な疑問が生じる。これは公職選挙法違反などでは済まない問題を意味する。つまり贈収賄ではないかという合理的な疑念が生じざるを得ないのだ。公職選挙法違反なら猪瀬氏は失職するだけだが、贈収賄罪に問われるということになると、悪質なだけにブタ箱入りが確実になる。もちろん政治家生命を失うだけでなく、作家生活に戻ることも不可能になる。
 今週から本格化する都議会で、猪瀬氏が苦境に陥るのは必至であろう。特定の政党の支援を受けずに都知事選を戦った彼の強みが、今、どの政党も彼をバックアップしてくれないという弱みに転じたのは皮肉と言えば皮肉な帰結であった。
 
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