小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の行方は? アベノミクス失敗のツケが回ってきたよ!

2018-07-25 07:50:24 | Weblog
 アルゼンチン・ブェノスアイレスで開かれていた主要20か国・地域の財務担当相・中央銀行総裁会議(G20 日本からは麻生財務相・黒田日銀総裁が出席)が終わった。いちおう発表された共同声明では「自由貿易の推進、保護主義との対決」といった従来方針を継承した。が、アメリカ発の世界貿易戦争に対する対策や、トランプ大統領のアメリカ・ファースト主義丸出しの関税政策への批判は封印されたようだ。しかし、ノー天気としか言いようがない麻生財務相は「(G20の成果について)きちんとした方向で落ち着いてきた」と高く評価した。日本にとっても貿易戦争は「対岸の火事」ではないはずだが…。
 私が「貿易戦争」という言葉を初めて使用したのは7月9日にアップしたブログ『いま、日本が直面する四大危機…』である。その四大危機の一つとして「世界貿易戦争勃発か?」としてアメリカの身勝手さを告発した。
 実はその数日前に朝日新聞には電話で「いま生じている事態はもはや(貿易)摩擦と言える域を超えた。もはや兵器を使用しない戦争だ」と申し上げた。私の記憶ではメディアが「貿易摩擦」から「貿易戦争」に言い換えだしたのは7月中旬以降だったと思う。トランプ大統領の通商政策は、鉄鋼・アルミ製品にかけるとした25%の関税(中国に対してはすでに発動)の口実「アメリカの安全保障のため」が「口実のための口実」に過ぎないことが、その後の関税政策でも明らかになった。日本やドイツからの輸入自動車がなぜ「アメリカの安全保障」を脅かしているのか。トランプ大統領も説明できまい。
 中国やEUは真っ向からアメリカ発の貿易戦争を受けて立つ姿勢を示している(中国はすでに発動している)。ノー天気なのは、日本だけだ。世界から日本はどう見られているか。安倍さんはアメリカに追随することが「日本の安全保障は戦後最大の危機に直面している」ため最優先政策なのか。アメリカに頭を下げて「日本にだけは関税攻撃をやめてください」とお願いすれば貿易戦争を回避できると考えているのかもしれないが、そうした考え方そのものが世界からどう見られているか、安倍さんは考えたことがあるのだろうか。

 第2次世界大戦が終結する約1年前の1,944年7月、米ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44か国の財務担当相が集まって戦後の世界経済正常化のための国際会議を行った。第2次世界大戦勃発の最大の要因が、列強を中心としたブロック経済圏同士の覇権争いにあったという反省から、金との兌換(交換)を保証していたアメリカの通貨・ドルを世界の基軸通貨として世界各国が認め、各国通貨の米ドルとの交換比率を一定に保つことが決められ、公平で平等な自由貿易体制を構築することになった。いわゆるブレトンウッズ体制の確立である。実はこの会議にはソ連も参加して協定に調印したのだが、最終的には国内で批准しなかった。
 日本も戦後、この体制の下で1ドル=360円(±1%)と決められ、この固定相場制の下で戦後の経済復興を成し遂げてきた。戦後復興の大きな要因として朝鮮戦争特需や池田内閣による高度経済成長政策が取り上げられることが多いが、実は最大の要因は、この恵まれた固定為替によって日本製品の輸出競争力が格段に高まったことにある。戦争による痛手をほとんど受けることがなかったアメリカが、戦後世界経済発展のゆいつの牽引車になり、そのアメリカ向けの輸出拡大で日本経済は回復の足場を築いてきたからだ。日本の経済学者たちは、なぜかこの最大の経済回復要因をあまり重視していない。無能なせいかどうかは、私にはわからない。なお日本がGNP(国民総生産…現在は経済指標としてはGDP=国内総生産=が使われているが、実質的に同じである)で西ドイツを抜き世界第2位に躍進したのは1969年である。
 いずれにせよ、このブレトンウッズ体制の下で日本経済が繁栄を謳歌できたのは四半世紀ほどだった。アメリカがあまりにもドルを世界にばらまきすぎたことやベトナム戦争での戦費がかさんだこともあって米経済の疲弊が進み、ドルとの兌換を保証してきた金の保有量とドルの流通量との格差が生じだしたのである。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が前触れも一切なく、いきなりドルと金の兌換の停止を発表した。「ニクソン・ショック」である。
 それでもその年12月18日にはワシントンDCのスミソニアン博物館に世界主要国10か国の蔵相が集まって金との兌換保証のない米ドルをいったん切り下げたうえで、米ドルを引き続き世界の基軸通貨として容認して固定相場制の存続を決め、各国通貨のドルとの交換比率を見直すことにした。その結果、西側ヨーロッパ諸国をはじめ、先進国の通貨は切り上げられることになり、日本の通貨も1ドル=308円に切り上げられたが、日本経済はそれほどの打撃は受けていない。変動相場制に移行するまでのこの時期は、いちおうスミソニアン体制と呼ばれているが、基本的には固定相場制の手直しであり、私はブレトンウッズ体制の崩壊とは考えていない(ブレトンウッズ制度なら別)。
 実質的にブレトンウッズ体制(為替の固定相場制)が崩壊したのは1973年である。その前年72年6月にはイギリスがまず変動相場制に移行(米ドルが世界の基準通貨になったのは先に述べたように戦後であり、それまではイギリスの通貨ポンドが事実上最も信頼できる通貨とされており、ドルの信頼性低下に伴ってポンドの復権を期待したのかもしれない…私の偏見的見解)、73年3月までに日本を含め主要国が相次いで変動相場制に移行し、円高が進み出した。
 この年10月、第4次中東戦争がぼっ発し、それを機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国中ペルシャ湾岸に面する6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げ、ついでOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の段階的削減を決定、石油資源のほとんどを中東に依存していた日本経済は大打撃を受ける。
 変動相場制への移行による円高に加えての石油ショックにより、日本経済はハイパー・インフレ(悪性インフレ)の悪夢に襲われる。実際にはそこまでいかなかったが、それでも翌74年の消費者物価指数は27%も上昇、流通業界の「買いだめ売り惜しみ」もあって洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品は「狂乱物価」状態に陥り、消費者の家計を直撃した。GNPは-1.2%を記録、戦後初めてのマイナス成長を記録、高度経済成長時代はこの年をもって終焉した。
 が、この危機的状況が、皮肉なことに日本産業界のカンフル剤になった。円高で輸出競争力が低下したうえに原油価格の高騰で生産コストが急増したことが、逆に日本産業界にとっては「神風」になったのだ。こういう認識を持っている経済学者は私が知る限り日本には一人もいない(海外については知らない)。
 一方アメリカは、日本ほど影響を受けなかった。ドル安が進んでいたし、石油産出国でもあったからだ。日米産業界が置かれていたポジションとの違いが、その後の経済摩擦を生む最大の要因となった。ほとんど危機感を持たなかったアメリカに対し、日本産業界は重大な危機感を持った。日本産業界は従来の重厚長大型から、「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」など、今日ならいずれも流行語大賞を受賞してもおかしくないスローガンを掲げて産業構造の大転換を図る。そのためのキー・テクノロジーになったのが半導体技術である。
 日本は国をあげて半導体技術の革新に取り組み出した。半導体研究の二つのプロジェクトをスタートさせたのだ。ひとつは電電公社(現NTT)武蔵野通研が中心になってNEC、富士通、日立が参加した次世代メモリの研究開発チーム。もう一つは通産省(現経産省)が音頭をとってNEC、富士通、日立、東芝、三菱などが参加して立ち上げた超LSI技術共同組合である。この研究開発費700億円のうち300億円を国が補助している。
 当時世界の半導体市場のシェアの70%以上をアメリカ勢が握っていた。が、石油ショックで重大な危機感を抱いて国の総力をあげて研究開発に乗り出した日本勢が、一気にアメリカを追い抜き、わずか数年で形勢逆転に持ち込んだ。半導体産業でアメリカを追い抜いただけではない。世界のトップに躍り出た日本の半導体技術を活用したのが家電などのエレクトロニクス製品や自動車etc。雪崩を打つように日本製品がアメリカ市場に流れ込んだ。アメリカ産業界は一気に窮地に追い込まれた。
 日本はこの時に、もう一つの神風を受けていた。西ドイツが日本と競争できなかったからである。なぜか。
 半導体の生産には純水が必要だ。その純水がヨーロッパの水質では作れない。西ドイツに限らずヨーロッパの先進国で半導体産業が一つも生まれなかったのはそのためだ。西ドイツが水質に恵まれていたら、日本経済のその後の発展はなかったかもしれない。
 一方、石油ショックでヨーロッパや日本の経済が疲弊した時期、その余波は当然アメリカも受けた。が、アメリカは日本と異なり、経済再活性化への道を国内消費の拡大に求めた。この手法はアメリカ政治の伝統的手法であり、何度失敗しても懲りない国でもある。
 この時期もアメリカは金融緩和によって国内の消費を刺激した。インフレが進み、日本製品だけでなく、遅ればせながら日本から最先端のエレクトロニクス製品を購入してエレクトロニクス化を進めた西ドイツの工業製品もアメリカ市場に流れ込んでいった。
 アメリカにとって気の毒な面もあった。東西冷戦が続いており、西側防衛のためのアメリカの軍事費は拡大の一途をたどっていた。とくに81年1月に発足したレーガン政権は「強いアメリカの再生」をスローガンに、対ソ軍拡競争を仕掛けていた。その結果、軍事費は膨らむ一方、インフレ克服のため急激な金融引き締め策をとらざるを得なくなった。レーガン政権発足1年後には市中金利が20%を超えるという事態になり、投機マネーがドル買いに集中する結果を招く。ドル高による深刻なデフレ不況がアメリカ経済を襲った。そのうえドル高で輸出競争力を失ったアメリカ工業界は生産拠点を海外に移し出した。アメリカの産業空洞化はこうして始まったのである。
 こうした困難を回避するには再び金融緩和すればいいのだが、金融を緩和すればドル高は収まるが、財政赤字は膨らむ。アベノミクスが金融緩和によって財政赤字が膨らんだのと同じ理屈だ。赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増大させるのが金融緩和だから、当然と言えば当然だ。
 国内の金融政策ではどうにもならなくなったレーガン大統領は、貿易赤字の元凶である日本と西ドイツに救済を要求した。それが85年9月にニューヨークのプラザホテルで開催したG5である。アメリカが他国に頭を下げて救済を頼んだのは、おそらくこのプラザ会議が最初で最後ではないかと思う。ま、アメリカは他国に頭を下げて頼んだなどとは絶対に認めないだろうが…。
 G5の参加国は米・英・仏・西独・日本の5か国。日本からはのちに首相になる竹下登蔵相が出席した。レーガン大統領の狙いは日本と西ドイツの2か国だけだったが、イギリスとフランスも呼んだのは両国のメンツを考慮したためか、あるいは日本と西ドイツへのプレッシャー効果を高めるためだったのか。いずれにせよ、日本はアメリカの要請に応じてドル売り政策を発動、プラザ合意が行われた9月23日の1日だけで為替相場は1ドル=235円から一気に約20円もドル安円高になった。さらに1年後には150円台に、2年後には120円台へと急速にドル安円高が進んだ。
 実はこの急速な為替変動が日本ではバブル景気の遠因になったという説もあるが、このブログではそこまでは立ち入らない。日本の工業界がどうやってこの時期の円高を乗り切ったのかの検証だけしておく。この時期の日本企業(円高の衝撃をもろに受けた輸出産業)のビヘイビア原理を解明すれば、アベノミクスの失敗原因が手に取るように理解できるはずだからだ。

 アベノミクスが金融緩和によってデフレ不況脱却を目指したことはだれも分かっていると思う。それが、なぜ「絵に描いた餅」で終わったのか。
 そもそも安倍政権が発足したときの経済状態は、確かに好況とは言えないまでも、それほど不況感が強く、経済活動が停滞していたと言えるだろうか。少なくともプラザ合意後の2年間での円高に比べれば、それほど大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。
 金融緩和の一番手っ取り早い方法は赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増やすことだ。通貨も商品だから供給量を増やせば通貨の価値は下がる。つまり円安になる。円安になればメーカーの国際競争力は強くなる。いままでより安い価格で輸出できることになるはずだ。
輸出価格が下がれば、海外での需要も増える(国内の需要は為替相場とは直接は連動しない)。需要が増えればメーカーは供給を増やすだろう。つまり生産力を増強するだろう。生産力を増強するためには設備投資をするだろうし、雇用も増やす。そういう歯車が回れば、日本経済は活性化する。これがアベノミクスの「絵に描いた餅」の正体だ。それ以上でも、それ以下でもない。
 では、なぜそういう結果が生じなかったのか。その理由を説明するために。私はプラザ合意後のメーカーのビヘイビアを検証することにしよう。
 実はプラザ合意で円高になった分、本来ならメーカーは輸出価格を値上げしなければならなかったはずだ。たとえばそれまで1万ドル(当時の円換算で240万円)で輸出していた商品があったとして、円が倍になったら輸出価格を2万ドル(円換算で480万円)に引き上げなければならないはずだ。もし、ドル建てで同じ価格(つまり1万ドル)で輸出しようとすれば(そうすれば輸出競争力は低下しない)輸出価格は円換算で120万円にせざるをえなくなる。実質的に半値で輸出することになる。これで採算が取れるだろうか。
 ところが、それに近いことを日本のメーカーは当時していたのである。例えば自動車。プラザ合意以降、輸出価格はドル建てで多少は値上げしたが、せいぜい20%程度だった。アメリカから「ダンピングではないか」と追及されると「合理化努力によってコストダウンを図ったのだ」と居直った。実際、知人の都銀支店長から「左ハンドルでよければ、ものすごく安く入手できるよ」と言われたことがある。私は左ハンドルの運転に自信がなかったので、せっかくのチャンスを逃したことがある。
 合理化努力によってコストダウンを図ったのだとしたら、日本国内での販売価格も同様に値下げしてもいいはずなのだが、国内価格は据え置いたままだった。なぜか。その背景には日本独特の雇用関係があったからだ。

 トランプ大統領の関税攻撃に対してEUは「ハーレーのバイクにも25%の関税をかける」と対決姿勢をあらわにした。途端にハーレーは「EU向けの製品はアメリカ国外で生産する」と発表した。トランプ大統領は頭を抱えたが、実はハーレーが日本の会社だったらそういうことは不可能なのだ。アメリカをはじめほとんどの国は、いいか悪いかは別にして、会社の都合によるレイオフ(解雇)や工場閉鎖が自由にできるが、日本ではレイオフや工場閉鎖は会社の都合ではできない。従業員に対する雇用環境が世界一保護されているからだ。
 日本もバブル景気が破たんして「失われた20年」を迎える以前は、いわゆる非正規社員という存在はほとんどなかった。もちろんアルバイトやパートといった雇用形態はあったが、勤務状態が正社員と同じでいながら非正規という雇用形態はほとんどなかったといってもいいだろう。
 バブル崩壊以降、非正規という雇用形態が急増したのは、非正規ならばいつでも解雇できるからである。右肩上がりの成長は今後見込めないと考えられる業種ほど、当面必要な人材は非正規で採用したほうが雇用責任も発生しないからである。だから就職先として人気はあっても右肩下がりの出版業界など、正規社員として入社するのは極めて困難である。
 だから「働き方改革」の一環で正規社員と非正規社員の格差是正が求められても、そのこと自体は会社にとってさほどきついことではない。正規社員であれば、年功序列で昇給や昇格をある程度保証しなければならないが、非正規であればつねに労働に見合った賃金を支払えばよく、また不必要になればいつでも解雇できるからだ。安倍さんは、鬼の首でも取ったように格差是正を誇っているが、非正規社員の雇用の不安定状態はまったく変わっていない。

 プラザ合意後の急速な円高で、日本のメーカーが困ったのは、こうした日本特有の雇用関係が背景にあったからであある。円高と関税はもちろん別物だが、輸出産業にとっては同じ効果を持つ。アメリカのハーレーのように、「25%も関税をかけられるなら(為替が25%上がるのと同じ効果になる)海外で生産する」という経営判断が日本ではできないのだ。日本企業がある程度身勝手にならざるを得ないのは、そうした事情による。
 つまり、こういうことだ。日本のメーカーにとっては工場を閉鎖したり、あるいは生産ラインの一部を止めたりして生産量を調整することは、たちまち生産コストの増加を意味する。従業員の給与は、日本ではランニング・コストではなく、固定経費だからだ。生産コストの増加を防ぐには、まず生産量を維持することを最優先しなければならない。生産量を維持するには輸出量も維持しなければならない。円高になっても輸出価格に反映できず、ドル建て輸出価格を極力下げないようにしなければならない。その結果輸出が赤字になっても、国内販売でカバーできればメーカーは最小限の利益は確保できる。
そのしわ寄せが、国内の消費者に回ったのもそのためである。実際、当時は逆輸入(いったんアメリカに輸出した商品をアメリカで買い付けて日本に持ち帰ること)のほうが安いというおかしな現象が生じ、私も仕事や遊びでアメリカに行ったときにはゴルフボールなどアメリカで買ったことがしばしばある。ご存じのようにゴルフボールは結構重い。それでも、その「苦役」に耐えるだけの価値があった。それほど日米の価格差が拡大した時期があった。アメリカがダンピング輸出だと怒り、日米経済摩擦が爆発したのも、そのせいだ。アメリカの自動車のメッカであるデトロイトで、日本車の輸入激増で職を奪われた労働者たちが日本車を叩き壊したり、火をつけてうっぷんを晴らしたことを、安倍さん、もう忘れたのかね。
なお、シャネルなどの一流ブランド品を海外で安く買い付けて日本に輸入するビジネスを「並行輸入」というが、これは日本では不当に高値で販売している正規代理店の、「日本人は値段が高くないと買わない」という信じがたい販売戦略に対する対抗ビジネスで、ダンピング輸出された日本商品をアメリカで安く買って持ち帰る逆輸入とは違う。
いずれにせよ、そうした日本メーカーが抱えている宿命的問題を安倍さんはまったく理解していなかった。だから金融緩和によって為替相場を円安誘導すれば 【日本メーカーの輸出競争力が回復→設備投資による生産力の拡大→雇用の増加→日本の労働者の総収入アップ→国内消費の回復→デフレ不況からの脱却】 という「絵に描いた餅」が食べられなかった理由はそこにあった。日本のメーカーにとっては少子化によって市場の拡大が期待できない以上、設備投資などすれば地獄を見ることになることが、100%確実だったからだ。とくに自動車などは大都市の公共交通手段の利便性増強もあって若い人たちのクルマ離れが激しく、国内市場は縮小の一途をたどっており、回復の見込みはない。
当然メーカーは円安になっても生産量を増やさず、輸出価格を据え置いて為替差益をがっぽり、内部留保だけ史上最高を記録(利益も史上最高)、という極めて論理的な果実を得ただけだった。そうした結果は、結果を見るまでもなく、プラザ合意後の円高の中で日本メーカーが示したビヘイビア原理を検証していれば、確実に予測できたはずである。頭の悪い人が経済政策を立てると、こういう結果になる。
結果が出てから内部留保に課税したらといった議論も政府で出たようだが、それは重複課税になるから(内部留保は課税後の利益だから)検討するまでもなく無理。「内部留保を賃金として従業員に渡せ」というもっともらしい主張もあるが、日本の大企業の場合、労働組合が単産(単位産業別)組織になっており、昔より自由度は高くはなったが依然として横並び意識が強く、例えば自動車メーカーで言えば勝ち頭のトヨタだけが突出して過大な賃上げをすることに抵抗が強い。

このブログもかなり長文になり、私も疲れたので、この辺で終わらせていただくが、アメリカがEUに対しても関税戦争を仕掛ければ、EUも直ちに報復手段に出る。そのときは間違いなくEUは中国と手を組む。
トランプ大統領は貿易戦争を仕掛けるに際して、当初、「同盟国は除外する」と言っていたが、日本は同盟国でありながら貿易戦争の標的にされていた。その時点ではEUは貿易戦争の対象から除外されるはずだったが、トランプ大統領の気が変わったのか、あるいは政権内で「そういうやり方はフェアでない」と批判が出て方針を変えたのか、メディアがだらしがないため事情がさっぱり分からない。
いずれにせよ、EUが中国と手を組んで本格的な世界貿易戦争に突入したとき、日本はどうする?
それでも「何とか話し合いで解決を」と、アメリカに頭を下げ続け、世界中からコケにされるつもりか?
安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。

【追記】今日(10日)から日米通商交渉が始まる。この長文のブログはまだ読者が一向に減る気配がないが、来週月曜日【13日】には強行更新する。今日から原稿を書き始めるが、政治家やメディアの方たちは思い出してほしい。私は78歳になるが、私よりはるかに若い方たちが、私以上に認知症(健忘症?)になりながら大きな顔をして御託を並べている事態に我慢がならないからだ。
なぜ認知症になってしまうのか? 目先の情報に振り回されてしまっているからだ。
そういう方たちに重大なヒントだけ差し上げておく。
日本がバブル景気によっていた1989年9月、アメリカの要求によって日米構造協議が開始された。その時もアメリカは貿易赤字に苦しんでおり、日米貿易摩擦が火を噴いていた。アメリカ側は日本の行政スタンスをこう攻撃した。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心になっている」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
いまのトランプ大統領の保護主義的貿易政策は、この時のアメリカの日本に対する批判を、そのまま熨斗をつけて返上したらどうか。今回の日米通商交渉に際し、日本代表は、そのくらいのハード・ネゴシエーションを覚悟すべきだ。やたらトランプにおべっかを使って、少し負けてもらおうなどというさもしない態度だけは取ってほしくない。
 
 

緊急告発! 民主主義とは何かが、いま問われている⑲ーー参院選の合区解消は民主主義の前進か後退か?

2018-07-19 11:40:50 | Weblog
 昨日(18日)、参院議員の定数を6つ増やす改正公職選挙法が成立した。「この時期に議員定数を増やすことに国民の理解が得られない」として、採決に際して船田元議員(自民党所属)は議場から退席した。
「男をあげた」などというと差別用語だというお叱りを女性議員から受けるかもしれないが、私はあえて船田氏に対してこの言葉を贈る。
というのは、その一方で「男を下げた」議員がいたからだ。超党派の国会改革を目指す議員集団を作り上げた小泉進次郎議員が、採決に際して白票(賛成票)を投じたからだ。その瞬間、静粛だった議場にどよめきが奔った。誰もが小泉議員の投票に大きな関心を寄せていたからだ。
もともと小泉氏はこの改正公職選挙法に批判的だった。採決が終わり、議場から出てきた小泉氏は当然メディアの取材陣に囲まれた。小泉氏は「改めて国会改革をやらなければいけないとの決意を新たにする意味での賛成だ」と弁解した。「男を下げた」瞬間だった。
だらしがなかったのは、メディアの取材陣だ。「なぜ白票を投じることが国会改革につながると考えたのか」と追及しなかったからだ。
衆院選における「一票の格差」問題について最高裁は「2倍を超えたら違憲」という判断を下した。なぜ2倍以内なら有権者が投じる一票が平等なのかは、頭の悪い私には理解不能だが(強いて最高裁判事の判断基準を憶測すると、小数点以下切り捨てにした場合、倍率が1.9999…なら1とみなすということなのだろうか)、最高裁はこの判決(11年3月23日)で、「一票の格差」が2.000…1を超える違憲選挙制度の欠陥は「一人別枠方式にある」と選挙制度改正を国会に求めた。
この判決を受けて国会では300の小選挙区(当時。現在は289に削減)のうちあらかじめ各都道府県に割り当てていた「別枠」の47議席を廃止した。さらに翌12年には参院選についても最高裁は都道府県単位を選挙区とする選挙制度に否定的見解を出したことで国会はいったん鳥取・島根と徳島・高知の両県をそれぞれ合区として一つの選挙区にした。
最高裁判決の決定は最終決定とされているため、国会も国民も従わざるを得ないが、私は最高裁が常に正しい(「正しさ」の基準は人や組織によって異なるが)決定を下しているとは考えていない。
そもそも「民主主義とは何か」について、最高裁判事たちは真剣に議論したことがあるのだろうか。一人ひとりの権利を完全に平等にするなどということは絶対に不可能で、だから民主主義はやむを得ず「多数決原理」を採用している。この「多数決原理」という、民主主義制度の最大の欠陥を補完するため、「少数意見にも耳を傾けよ」というルールが採用されてもいるが、しかし最終的に採決する際、少数意見が採択されることは絶対にありえない。もし議長が少数意見を採択するようなことが可能であれば、それはもはや民主主義ではなく独裁政治を意味するからだ。
そう言う前提に立った場合、最高裁は「少数意見をどう政治に反映させるか」を基準に選挙制度の問題点を考えるべきであった。
アメリカでは、日本の衆院に相当する下院では各州の人口比に応じて議員定数が割り当てられている。現在の日本の小選挙区の選挙方法とほぼ同じだ。ただし、アメリカには日本のような比例代表区というのはない。だからアメリカにも弱小政党は日本以上にたくさんあるが、実際に下院議員になるチャンスはほぼなく、政権交代可能な2大政党政治が長く続いている。
ただ、日本の参院に相当する上院は世界にもまれにみる選挙方式になっている。50の各州の議員定数はすべて2人で、計100人だ。そのため上院議員の割合はつねにほぼ与野党が互角である。しかもアメリカでは上院・下院ともに党議拘束がかけられない(そういう規則になっているのか、日本と違って議員は所属政党の力にあまり頼らず「草の根」選挙で勝ち抜いてきたために党の方針に拘束されないからなのかは、メディアが報道してくれないのでよくわからないが…)アメリカの政局のカギを上院が握るケースが多いのは、そのためだ。
いずれにせよ、日本の最高裁のように形式的平等主義でアメリカ上院の選挙制度を「民主主義」についての最高裁判事の判断基準で見る時、目を回さない判事がいるだろうか。アメリカの上院選挙では一票の格差が100倍を超えているだろうからだ。
そういう意味では日本では参院は衆院のカーボン・コピー(カーボンは今は使用が禁止されているが…)と批判を常に浴び続けてきている。参院議員の自覚を待つのは「百年、河清を待っ」ても、はっきり言って無理だ。とくに「政党助成金制度」という悪法が出来て、所属議員はよほど力がない限り党の方針に逆らえない仕組みになってしまったからだ。
だとしたら、参院が衆院のカーボン・コピーにとどまらない議会にするためには、いっそのこと形式主義的民主主義の考え方を捨てて、アメリカ上院のように47都道府県に各二人の議員定数を割り当てたらどうか。そうすれば、地方の小さな声が大きな声として国政に反映させることも可能になる。沖縄県民の「基地をなくしてほしい」という声や、原発立地県の「原発、もういらない」という悲痛な声も、全国民が共有できるようになる。

いま、日本が直面する四大危機ーー内閣支持率急回復・働き方改革への野党対応・世界貿易戦争勃発か?・オウム死刑ーーについて考えてみた。

2018-07-09 01:43:04 | Weblog
 前回のブログ記事を投稿してから、もう2週間以上が過ぎた。その間、猛暑で体調を崩していたわけではない。
 米朝首脳会談後の米朝の動向や働き方改革の問題など、すでにいくつかの記事を完成させていた。が、前回のブログの閲覧者数が一向に減少せず、また訪問者 : 閲覧者の比率が200%をいまだに切っていない状況で、今日まで更新の機会を得られなかっただけのことだ。
 そういう状況の中で、最近の諸問題について、いくつかの雑感を今日は述べておきたい。

 まず内閣支持率の急回復。「人のうわさも75日」(『成語林』による)と言われる。私自身は49日と思っていた。念のためネットで調べてみた。75日説は「五行思想」によるというが、根拠は不明。49日説は仏教儀式に根拠があるようで、人の死後49日間は喪に服す期間からきているという。いずれにしても科学的根拠は薄い。
 もう少し論理的に考えると、高齢化が進んで日本人の記憶力が平均的に衰えているのではないか。そう考えると、メディアがモリカケ問題をあまり扱わなくなったころから徐々に内閣支持率は回復基調に入っていったのではないかと思われる。メディアの世論調査は成人を対象に行われるから、調査対象者の平均的記憶力は日本人全体よりかなり劣っていると考えてもいいだろう。そうした状況を考慮に入れると、私に言わせれば「人のうわさも初7日まで」という感じだ。
 安倍内閣を窮地に追い込むためには、野党だけでなく与党内の反安倍勢力も連携して勢力の拡大を図る必要があるのに、そうした動きが一向に見えない。どうせ今年9月の総裁選では勝ち目がないから、「次の次」のために泡沫扱いされようと旗をあげることに意味を見出しているのかもしれない。オリンピックと違って政治は「参加することに意義がある」わけではないはずだが。おっと、最近はオリンピックも「勝つために参加する」ことに意義がある、に変わってきているようだが…。

 次に働き方改革の問題点を二つ。いまの状況だとせっかく書いた原稿を没にせざるを得なくなりそうなので、野党側の追及の問題点に絞って書いておく。ポイントは「高プロ制」と「同一労働同一賃金制」の二つ。
 高プロ制を、企業側の権利ではなく、労働者側の権利にしたらどうか、という「逆転の発想」による提案なり追求が野党からまったくなかった。夏ボケしたのか。
 高プロ制を「私の仕事の成果は時間では測れない。だから高プロを適用してもらいたい」という要求を労働者が行える権利にしたら、どうなっていたか。その要求は、正当な理由がなければ企業側は拒否できないとしたらどうか。企業が拒否しようとした場合は、公正な第三者機関の審査にゆだねればいい。
「高プロ制」をそういう制度にひっくり返していたら、1075万円以上の高収入労働者に限定して適用する必要もなくなる。もし野党がそういう提案をしていたら、おそらくメディアはこぞって支持したであろうし、働き改革をめぐる議論は一変していたであろう。
 もう一つの「同一労働同一賃金制」。これは私自身多少忸怩たる思いがある。「高プロ制」の前身は「成果主義賃金制」である。その時期から野党もメディアも「残業代ゼロ制度」と批判していた。この「成果主義賃金制」について、私はその前提として「同一労働同一賃金制」を導入・定着しなければだめだ、とブログで主張してきた。この時期はまだ正規・非正規の格差問題は社会問題化していなかった。企業業績が回復の途に就いたばかりで、どの企業も正規・不正規の格差是正どころではなかったからでもある。
 が、企業業績が急回復するようになって以降、その恩恵を蒙れた正規社員と、ほとんど「蚊帳の外」に置かれてきた非正規の、社会福祉を含めての賃金格差が大きな社会問題になるようになった。で、安倍内閣が「同一労働同一賃金制」の導入を打ち出して以降、大企業のいくつかは非正規社員の正規社員への転換を進めていった。そのことを、私は問題にしているわけではない。
 ただ非正規社員の正規社員への転換を進めた大企業のほとんどは急成長を遂げつつあり、人手不足と人材難がさらなる成長にとって大きな壁として立ちふさがっていた。はっきり言って正義感からではなく、「背に腹は代えられない」行為としての正規社員への登用だった。
 誰もまだ気づいていないことを書く(もっとも、私はいくつかのメディアに同一賃金同一賃金が包含している問題点を指摘し、メディアの大半から「指摘はもっともだと思います」との好意的返事をもらっている)。それは同一労働同一賃金の対象は正規・不正規の格差是正にとどまらないということだ。パートやアルバイト、外国人労働者も、平均時間給に対して「同一労働同一賃金」を適用しなければ、画竜点睛を欠くことになる。しかし、その一方企業が支払う全従業員に支払う賃金はゼロサム(総額が変わらないこと)である。言うなら企業内弱者の賃金を上昇させれば、企業内強者の賃金を相対的に減少せざるを得なくなる。若手の有能な正規社員の賃金を減らすことは出来ないから、間違いなくしわ寄せは年功序列で管理職になった中高年社員に向かう。そのことへの社会的同意がいま出来ているとは思えない。
「内部留保を吐き出せばいい」という議論も聞こえてくるような気もするが、そうすれば企業間の強弱がはっきりしてしまい、優秀な人材(学生も含め)は好業績の企業に一極集中してしまう。企業内格差は縮小しても企業間格差が拡大し、日本全体で考えると格差はかえって拡大せざるを得ない。その格差を税金で埋めるというばかげた議論はまだ出ていないが、そういう状況になるとそういうばかげた議論が噴出しかねないことが危惧される。そうした懸念についての議論はまったく出ていない。野党やメディアはもっと勉強してほしい。
 これまでの「弱者救済横並び」型の経済政策(私が1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇』で指摘したころに比べれば、アメリカの圧力もあってかなり傾向は変わってきたが)は一切捨てて、アメリカ型の弱肉強食型経済政策に大転換するというなら、まず社会的合意を得てからの話だろう。
 少子高齢化時代を迎えて、そろそろ日本の政治は経済成長を目指すべきではない時期に来ていることを考慮しなければならないと思う。人の「幸せ感」はさまざまであり、何も高級車や高級ブランドの衣服で身をつつむことだけにあるのではない。GDP至上主義から、政治家だけでなくメディアもそろそろ脱皮してもいいころだと思う。野党に求められているのも、安倍政権のGDP至上主義的経済政策に対して、「これからの日本という国の在り方(国の形ではない)」について、「国民の幸せ感」が今どういう方向に向かっているのかを基点に、自公とは別の土俵を作って見せることにあるように、私は思う。言っておくが、「国民の幸せ感」はこうあるべきだなどという押し付け議論は一切禁止だ。

 次にアメリカ発の、兵器を使用しない世界大戦勃発の危険性について。
 トランプ大統領は確かに大統領選挙のときから「アメリカ・ファースト」を連呼していた。が、「アメリカ・ファースト」政策がここまで拡大するとはだれも想像もしていなかっただろう。中間選挙を控えてなりふり構っていられないのかもしれない。実際ある調査によれば、中間選挙で与党(現在は共和党)が勝利するには、大統領支持率を60%台に乗せる必要があるようだ(中間選挙で敗れても次期大統領選で敗北するとは限らない)。トランプ氏としては、大統領就任以来40%前後で推移してきた支持率が、一向に上がらないことで焦っているのではないかという観測もある。
 北朝鮮の核廃棄問題が一向に進展しないことについては、すでに書きあげている原稿があるが、これは賞味期限がまだ残っているので時機を見てアップするが、日本やアメリカでは「北朝鮮はこれまで何度も約束を破ってきた」と、北への不信感をあらわにしている政治家や評論家、メディアが少なくない。それは事実だから、事実として主張しても構わないが、では一方のアメリカはどうか。
 トランプ大統領になってから、アメリカはTTPから離脱し、パリ協定からも離脱し、NAFTA(北米自由貿易協定)も一方的に破棄し、さらにイラン核合意からも離脱して対イラン制裁を強めている。トランプ大統領の約1年半で、アメリカは国際的な約束をいくつも破ってきた。今後も大統領権限を行使して何をやらかすか、誰にも予測不能だ。北の変節を責めるのは自由だが、同時にアメリカの変節も俎上に上げないと、議論のやり方としてはフェアでない。
 アメリカの変節は昨今のことだけではない。安倍総理も尖閣諸島が日米安全保障条約5条の範疇に入るという言質を、いったんオバマ大統領から取り付けながら、政権が変われば政策も変わる、国家間の約束もいつ反故にされるかわからないことを熟知しているから、改めてトランプ大統領からも言質を取り付けた。そのくらいアメリカとの約束は当てにできないことが分かっていながら、アメリカ発の世界貿易戦争に対しては、日本は話し合いで問題を解決するつもりのようだし(ということはゴルフで戦争回避が出来ると思っているからかも…)、日本にとって重要な石油輸入国であり友好的な関係にあるイランへの訪問予定を一方的に取り消して、トランプ大統領のご機嫌伺いに必死だ。
 実際には安倍総理も一国の総理だ。日本の国益よりアメリカの国益を重視することはあり得ない。問題は「アメリカに追随する姿勢を見せておくことが、安全保障を含め日本の国益になる」と思い込んでいることだ。実際に安倍総理がそう言ったわけではないが、総理の言動を見ている限り論理的にはそう思い込んでいるとしか考えられない。そうした言動が、トランプ大統領をご機嫌にはさせても、ヨーロッパをはじめ諸外国から「日本はアメリカの属国になったのか」という軽蔑の目で見られていることも分かっているのだろうね。
 なお、これは非常に重要な問題なので書いておく。EUが報復処置としてハーレーの大型バイクや世界トップ・ブランドのリーバイスのジーンズに25%の関税をかけると発表し、ハーレーはEU向けの輸出バイクの生産をアメリカ国外で行うと発表、トランプ大統領を激怒させている問題だ。「ざまぁみろ」などと溜飲を下げればいいという問題ではない。ハーレーのような決断は、日本ではできないからだ。
 アメリカの企業は自由に労働者をレイオフしたり、工場閉鎖したりできる。日本では会社が潰れたり潰れそうになったりしない限り、従業員の雇用を守らなければならない。高度経済成長時代には、そうした雇用関係が従業員の会社に対するロイヤリティの高さの土壌になっており、「会社のために払った犠牲は必ず後で返してもらえる」という信頼感が労働者側にあった。いまそれは薄れつつあるが、経営者が「昔の従業員は…」と嘆いたところで、日本経済が成長期を終え、成熟期から後退期に差しかかっていることを明確に自覚する必要がある。今後、従業員との雇用関係はどうあるべきかを、経済後退期を前提に再構築していく必要があるだろう。アベさんの「働き方改革」には、そういう視点がまったくない。依然として高度経済成長時代の再現を夢見ているからだ。
 なおハーレーと違ってリーバイスは何の動きも見せていない。そもそもジーンズの生産拠点の大半は中国に移しているから、中国から輸入する場合の関税が高くなっても手の打ちようがない。せいぜい生産拠点を中国からベトナムに移すくらいのことで、すでにそうした動きは始めているかもしれない(日本では報道していないが)。

 最後にオウム死刑執行問題について。
 13人の死刑囚のうち、一気に7人が6日に死刑を執行された。メディアの解説によれば、平成に起きた大事件は平成のうちに処理しておきたいという政府の思惑があったというが、だとすれば残りの6人も新天皇が誕生する前に死刑執行という事態になる。新天皇即位の直前というのは避けたいだろうから、少なくとも年内には死刑執行が確定したと考えてもいいようだ。
 私がオウム裁判について疑問に思うのは、最高裁判事までもが世論に迎合したと思えることだ。死刑判決の基準としては、長い間「永山判決」が重視されてきた。この判決で最高裁が示した死刑判決の基準は9つある。難しい裁判用語は避けて、多少正確性を欠くかもしれないが、要点をまとめる。
①  犯行の方法(残虐性など)
②  犯行の動機(身勝手さ、同情できる余地の有無)
③  計画性(殺意の程度)
④  被害者の数(犯行の重大性)
⑤  遺族の被害感情(幼い子供の親とか配属者などが抱く感情)
⑥  社会的影響(メディアの取り上げ方?)
⑦  犯人の年齢や学歴、生育環境
⑧  前科の有無と事件内容
⑨  犯行後や逮捕後の態度(自首、反省の姿勢)
これらの9項目に合致するオウム死刑囚は13人のうち何人いたか。私ははなはだしく合理性に欠けると思わざるを得ない。
決定的なのは、犯行の実行者であり、かつ明確な殺意があったか否かの認定である。犯行の実行者というのは、実際に殺害行為を行った人物でなければならない。凶器となったサリンを車で運搬した行為が共同正犯に相当するのか。こうした解釈が最高裁で認められるということになると、いわゆる「共謀法」より恐ろしいことになる。今後の事件で、オウム事件の判例に従い「凶器を運べば、即共同正犯」という解釈が正当化されかねないからだ。
いや、そもそも凶器としての認識すらなかったと主張した被告もいた。「認識していたはずだ」と認定するだけの合理的証拠はあったのか。
殺意を真っ向から否定した被告もいた。サリンの猛毒性を科学的に熟知していなかったら、「こんな方法で何人もの人が死ぬとは思ってもいなかった」と主張したら、そういう主張を合理的に否定できる証拠はあったのか。
メディアや訳知り顔の評論家たちは「なぜこうした事件が起きたのか、高学歴のまじめな若者がなぜこういう凶悪な犯罪を起こしたのかの根源が解明されていない」と死刑執行の時期尚早を主張しているようだが、この問題の解明は永遠に不可能だ。犯人一人ひとりの深層心理を解明する必要があり、現在の犯罪心理学のレベルでは解明は不可能だ。
むしろオウム判決は、共謀法より恐ろしい判例となりうることへの警鐘を、だれも鳴らさないことへの強い憤りを私は抱いている。
最高裁判決は、ほとんどの人が正しいと思っている。とんでもない。オウム事件に関しては、一種の魔女狩りを求める空気が社会に醸成されていた。そうした空気に、最高裁判事も逆らえなかったのか、あるいは判事自身がそうした空気に呑み込まれていたのか。
この判決が今後、権力に対する市民の抵抗運動に対する弾圧を正当化する基準になりうる危険性を、私は最後に指摘しておく。

※昨夜『NHKスペシャル』でオウム死刑問題を取り上げた。やはり事件の真相は闇のままという内容だった。当時の事件裁判官も「真相を解明できないまま終わった」と悔いの言葉を発した。
放送終了後、Nスぺ担当者に電話して前記ブログ原稿を読み聞かせた。担当者は率直に「ご指摘の通りだと思いました」と、認めてくれた。Nスぺ担当者が認めてくれるより、事件裁判官に痛烈な反省をしてもらいたかった。このブログについては首相官邸を通じて法務省に伝えてもらう。