小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

発明の権利はだれのものか。②

2014-10-22 07:50:56 | Weblog
 発明の対価について訴訟が生じだしたのは2000年代に入ってからである。最初の訴訟を起こしたのはオリンパスの元従業員がビデオディスク装置の特許を巡って会社を訴えた事件で、最高裁が03年4月に「会社が決めた報奨額が発明の対価に満たない場合は、従業員は不足額を求めることができる」としてオリンパスに約230万円の支払いを命じたことがきっかけとされている。
 最高裁の判決は最終的であり、原告も被告も不満があったとしても控訴できない。が、最高裁の判事も人の子であり、必ずしも正しい判決を下すとは限らない。このケースについて言えば、オリンパスの元従業員は「会社が決めた報酬額」について納得したうえで会社と雇用契約を結んでおり、会社が決めた報酬が不満だったら、発明に対する報酬が高い会社に転職すればよかっただけの話である。最高裁といえども、発明に対する対価を決める権利はない。もしあるとすれば、最高裁が、すべての発明や特許に対する従業員の権利を事細かく定めるべきである。そんなことが許されるならば、の話だが…。
 どの会社にも、職種に応じた処遇の制度はある。もちろん、必ずしもフェアだとは限らない。上司の査定によって不当に能力や実績が低く評価されたりするケースはどの会社でもありうる。そうしたケースは、まず社内で救済を求める権利があり、会社が取り上げなかった場合は訴訟に訴える権利はあると思う。
 中村修二氏の場合、同情すべき余地がまったくなかったとは私も言わない。いったん会社に認められた研究が、経営者の交代によって否定されアングラ研究を余儀なくされた中で、20世紀中は不可能とされていた青色ダイオード(現在はLED)の量産技術の開発を成し遂げた業績は、従来のノーベル物理学賞の基準からは外れていたとしても、高く評価されるべきだと私も考えている。とくに、ノーベル賞受賞後に明らかになったことではあるが、限られた電波帯域の壁を破る光波通信の可能性にまで広がろうとしていることは、もし実現すれば革命的な功績とも言えると思う。
 が、氏の発明に対する対価の請求はあまりにも常識外れだった。氏が勤務していた日亜化学工業が青色ダイオードの事業化によってどれだけ利益を上げたかは知らないが、東京地裁が会社に対して発明の対価として200億円の支払いを命じた(04年1月)のは、裁判官の裁量の範囲を大きく逸脱していた。結局約8億円で和解が成立したが、この額も私に言わせれば常識外れの金額だ。が、中村氏はこの和解条件にも納得せず「日本の司法は腐っている」と捨て台詞を残してアメリカに戻った。
 私が問題にしているのは、中村氏が青色ダイオードの発明にどれだけ、自らリスクをおかしたかについての司法の判断である。その判断を司法はしていない。中村氏が自費を投じ、完全に会社員としての勤務外の時間(はっきり言えば休日)を使い、研究場所も会社ではなく自宅で行った研究だったなら、特許
の申請も自分で行い、特許の使用権利をどの会社に売ろうと自由かもしれない
(会社が副業を認めている場合)。
 が、特許法によれば「発明を行ったものが特許を受ける権利を有する」と認めているため、法人名で特許を申請することができない。したがって通常の職務発明の場合、発明者個人単独の出願にはならず、しかるべき会社の責任者との連名による出願という形式をとる。そういう意味では科学論文と似た形をとるのが通例である。
 問題は中村氏の場合、アングラ研究ということもあって会社の責任者との連盟での出願ではなかったのかもしれない。これは権利の所在について非常に重要なことなのに、メディアはその詳細を報道していないし、ネット検索でも不明だ。東京地裁が高額な支払いを命じたり、また8億円という莫大な金額で和解したのも、ひょっとしたら特許権が中村氏単独に帰属する形式になっていたからかもしれない。だとしても、研究自体がアングラ研究として会社の費用で、勤務時間を使って行われていたとしたら、個人の権利より会社の権利のほうが大きくなるのは当然である。
 中村氏は受賞後、都内で朝日新聞のインタビューに応じて、社員が発明した特許を「会社のものにする」ための特許法改正には「猛反対だ」と主張したようだ。朝日新聞も20日付の社説で『従業員の発明 報酬切り下げはダメだ』と題し、特許法改正に反対した。
 現行の特許法は、04年「中村裁判」を受けて政府が改正したもので、発明の対価について社員側に有利な制度にした。その結果、日本企業の技術開発力が国際的にみて強化されたのかどうかが、この改正に対する評価を決定する。法律も制度も、すべて結果で判断される。結果に耐えられない法律や制度はちゅうちょなく改正されなければならない。(続く)

発明の権利は誰のものか――著作権との違いはなぜ生じたのか。①

2014-10-21 08:17:19 | Weblog
 ノーベル物理学賞受賞の中村修二氏(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)が、怒り狂っている。特許庁が職務発明(社員が仕事として行った発明)による特許権を「社員の権利」から「会社の権利」に移すことを決めたからだ。
 特許権と似たような権利に「著作権」がある。ただ特許権と著作権の大きな違いは、特許権が発明者など個人の権利であるのに対し、著作権は必ずしも個人が所有するとは限らないという点にある。また特許権は発明者が特許庁に申請する必要があるが、著作権はどこにも申請する必要がない。
 特許権の不透明さを明らかにするために、まず著作権から説明しよう。著作権の対象になるのは言うまでもなく著作物だが、具体的には文章(小説やノンフィクション、随筆、ルポルタージュ、詩歌、など)と絵画、作曲、映画やドラマ、ゲームなどがある。ほかにもあるかもしれない。
 これらの著作物の場合、明らかに個人が自分のリスクで発表したものについての著作権は個人に帰属する。が、集団で作成する映画やドラマは特定できる個人の著作者が存在しえない。テレビの普及に伴って映画の放映やドラマの再放送について監督や出演者が権利を無断で侵害されたとして訴えたこともある。いまは、映画やドラマなどについては著作者が制作会社やテレビ局にあることを明確にしている。
 いわゆる「著作物」について著作権が存在しえないことが最近判明した(私の独断だが)。世界的に権威が認められている科学誌『ネイチャー』に発表されたSTAP細胞に関する研究論文に名を連ねた共著者が、次々に論文執筆に対する責任を回避したことによって、科学論文には著作権が存在しないことが明確になった。権利には当然責任が伴い、責任を伴わない権利は存在しないというのは自然法として万国共通の認識と考えられるからだ。
 だが、文章や絵画、作曲など、作者が明確な著作物は著作者の権利が重要視されている。他人の著作物を無断で引用したら「盗作」と見なされ著作者としては抹殺される。それほど厳しい世界でもある。
 が、例外がないこともない。故山崎豊子氏だ。二度にわたり盗作が指摘された。が、山崎氏は作者生命を失うことはなかった。稀有のケースと言っていいだろう。理由は「意図的ではなかった」ということが明白になったからだ。山崎氏は小説を書く場合、秘書も使って膨大な資料を集め、細かくメモを取っていた。そのメモの中に資料の丸写しの部分があったため、結果的に盗作になってしまった。
 個人の著作物の場合、特許のように申請しなくても、著作権法によって保護されるのが、少なくとも先進国では共通の常識である。その常識が通じない国が日本の隣にあり、その国の政府も頭を悩ませているというが、どこまで本気で著作権保護に乗り出そうとしているのか疑問視されている。
 著作物が集団で作られる映画やドラマの場合は、特定の個人に著作権が認められることはない。映画やドラマを制作した会社に著作権がある。なぜか。個人を特定できないからだけではない。制作資金などのリスクを、監督や出演者ではなく、制作会社が持つからだ。
 職務特許の場合も、同じように考えれば、難しく考える必要はあるまい。企業は研究者や技術者を雇用するに際し、期待する労務提供に対する対価として報酬を支払う。期待外れに終わっても、企業が社員に「支払った給与を返せ」などと主張できる権利はない。企業が社員を採用するのは一種の「賭け」でもある。期待以上の貢献をする社員もいれば、期待外れに終わる社員もいる。
 研究者や技術者が、発明の対価として企業収益に対する「相応の配分」を要求するなら、最初から「給料は最低賃金でいい。その代わり発明による企業収益の何分の1かが欲しい」と主張し、そういう雇用契約を結べばいい。企業にとってもリスクが少なくなるから喜んで最低賃金による雇用契約を結ぶだろう。
 いったい研究者や技術者は、タレントと同じなのか。売れるようになったタレントがしばしば所属する芸能プロダクションと衝突するのは、やはり利益配分を巡ってである。契約期間が切れたら再契約せずに独立するタレントも少なくないが、稼ぎの増減は分からないがテレビなどの露出度は確実に減るようだ。
 もちろん大きな成果を上げた社員に対するインセンティブは、研究所・技術者に限らず必要だろう。ただインセンティブを大きくすれば、企業としてはノルマも課さざるを得なくなるだろう。営業職のように、成果がすぐ現れる職種の場合は、そうした「アメとムチ」の給与体系にするのも簡単だが、悪徳企業の温床にもなっている。難しい問題だ。(続く)


朝日・木村社長の大誤算――誠実に謝罪したつもりが大バッシングを生んだホントウの理由③

2014-10-20 05:52:21 | Weblog
 9月11日が朝日新聞社・木村社長にとって痛恨の日になってしまったのは、なんといっても引責辞任の理由をいろいろ並べ立ててしまったことである。そのためメディアから、朝日新聞の慰安婦報道が日本の国際社会からの孤立を招いたかのような、集中砲火まで浴びるようになってしまった。はっきり言って朝日新聞の慰安婦報道が、日本に対する国際社会からの非難の原因を作ったという指摘は、こじつけ以外の何物でもない。朝日新聞に、国際社会の世論を動かすような力があると考える方が、朝日新聞に対する買い被りもいいところだ。
 ただ朝日新聞自身の木村発言後の報道スタンスもおかしくなった。河野談話には吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響しなかったことを検証して記事にした。朝日新聞は何を考えているのか。
 仮に、河野談話に吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響していたとしても、それは朝日新聞の記事が関与してのことではないだろう。朝日新聞は、河野談話の作成にまで影響力を持てるほどの絶大な権力を持っている、とでも主張したかったのか。あの検証記事は、私にはそういう傲慢さの表れとしか読み取れない。朝日の日ごろの傲慢さが、そういう推測を生む。そこまで考えての居直り記事のつもりで書いたのだろうか。

 木村氏は「吉田調書(※吉田清治の小説ではなく、福島第1原発の吉田昌郎所長の調書)を読み解く過程で評価を誤り」としたが、吉田調書のどの部分をどう読み誤ったのかをうやむやにしたままでは読者だけでなく、朝日の社員だって消化不良を起こしたままだろう。
 そのうえバカバカしいことに、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について老いぼれの評論家や学者たちに検証させるという。老いぼれたちが「国際社会に与えた影響は大きかった。国連人権委員会や米下院議員の決議も、朝日新聞の慰安婦報道が大きな影響を与えた」という週刊誌並みの検証結果を発表したら、朝日新聞はどうするつもりなのだ。「分かりました。朝日新聞は解散してゼロから出直します」とでもいう覚悟があってのことだったのか。それとも、そんな結論なんか出しっこないと固く信じるに足るだけの根拠があって老いぼれたちに検証作業を依頼したのだろうか。だとしたら「やらせ検証」以外の何物でもないことを意味する。
 言っておくが、慰安婦報道より、吉田調書の読み誤りより、まして池上某とかいう単なる時事解説者(人間ウィキペディアのような存在)ののぼせ上がった原稿をボツにしたことより、あらかじめ検証結果を想定できる第三者委員会なるものをでっち上げたことのほうが、メディアとしての在り方が問われる。
 さらに言えば、本来GHQは先の大戦において最大の「戦犯」である活字メディアの責任を問おうとしなかったのはなぜか、という視点で新聞は自ら検証したことが一度でもあったか(※朝日新聞は2日間発禁処分を受けたようだが)。
 そう書いてから、改めてウィキペディアで「公職追放」について調べてみた。20万人の公職追放者の全員が列挙されているわけではないが、びっくりしたこともいくつかある。ウィキペディアによれば、マスコミ界から追放された代表的人物は正力松太郎氏(読売新聞社長)、前田久吉氏(大阪新聞社長、産経新聞創刊者)、伊豆富人(九州日日新聞社長)などの名前が挙がっているが、朝日新聞社の責任者の名前はない。
 が、驚いたのは政界から追放された中に、朝日新聞の出身者が5人も名前を連ねているのだ。いまでも名前がよく知られている人たちばかりだ。石井光次郎、緒方竹虎、羽田武嗣郎(羽田孜元首相の父)、河野一郎の各氏が含まれている。あとの一人は戦争協力者ではない。
 公職追放者は言うまでもなくGHQが、その地位を利用して戦争に協力したと見なした人物である。例外は、戦時中も一貫して軍部を批判していた石橋湛山氏で、石橋氏の追放理由はGHQの占領政策に反対したからとも、同じ軍部批判者であってもGHQに協力しながら戦後日本のかじ取りを担った吉田茂氏が石橋氏との政争のためGHQを動かしたとも、諸説があるようだ。
 こうして改めてマスコミ界からの(政界への転出者も含めて)公職追放者の名前を眺めてみると、朝日新聞の連載ルポルタージュ(と、言えるのかな?)『新聞と戦争』が今さらながらしらじらしく思えてくる。
 こうした事実から浮かび上がってくるのは、先の大戦時に成立した「大政翼賛会」政権にとって、朝日新聞はマスコミ界における最大の協力者だったのだろうな、ということだ。「読み解く」とは、それなりに合理的な根拠があっての推測のことである。朝日新聞が吉田調書を読み誤ったとしたならば、朝日新聞が主張したいことを裏付ける吉田調書の一部を意図的に切り取って、それを根拠に東電福島第1原発の所員の9割が自分の身の安全の身を考えて第2原発に逃げ出したと記事にしたことについて、吉田調書のどの部分を根拠にしたかということを、朝日新聞はまず明らかにしたうえで、なぜ読み誤ったのかを自ら分析すべきだろう。もし社外の第三者委員会に検証を求めるなら、慰安婦報道が国際社会にどのような影響を与えたかなどというばかばかしい検証ではなく、原発事故報道のねつ造がなぜ生じたのかの検証を依頼すべきだろう。
 朝日新聞は「所員が吉田所長の命令に違反して第2原発に撤退した」としたことについては、吉田調書の「第1原発の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、第2に行ってしまった」という証言を重視して、別の個所で「(第2原発へ避難した所員の行動は)よく考えれば、その方がはるかに正しいと思った」と証言していることなどから読み誤ったとしているが、それは吉田氏の事故発生時における認識と、事故調による事情聴取時の認識のずれがあっただけの話で、その認識のずれを紙面に反映しなかったことが「ねつ造」とまで言えるのか。
 確かに正確ではなかったかもしれないが、所員の行動が、たとえ間違った判断だったとしても所長命令に違反したという事実は動かせず、せいぜい「正確さに欠いた」記事という判断が正しいのではないか。
 と、するならば、あの記事で検証されていない重要な部分、「所員の9割に当たる約650人が撤退した」という逃げた人数である。この人数の根拠はどこにあるのか。しかも朝日新聞は逃げた手段(バスや通勤用の自家用車など)まで特定している。そういったことまで吉田調書に書かれていたのか。
 この記事で、最も重要なのは、吉田所長のはっきりした指示が所員に伝わっていたのかいなかったのか、あるいは所員が所長の指示に従ったのか従わなか
ったのかではなく、本当に所員の9割(約650人)が第2原発に避難(撤退=職場放棄?)したのかどうかである。もし、そういう事実がなかったとしたら、それは「読み誤った」のではなく「ねつ造した」ことを意味する。
 そのもっとも重要な記事の核心について、朝日新聞はいまだ明らかにしていない。なぜできないのか。なぜしようとしないのか。
 今まで朝日新聞はそれらの記事について「誤った」としか書いていない。だが、「誤報」と「ねつ造」は本質的に違う。吉田調書報道を「誤報」で収めるために、慰安婦報道や池上原稿ボツ問題と同列に扱うことにしたのか。それで社内や他メディアの目はごまかせても、私の目はごまかせない。それとも私を急きょ、第三者委員会のメンバーに加える勇気があるか。予算がないというなら、ボランティアでいいよ。手弁当で根こそぎ検証作業のお手伝いをして差し上げるが…。

あえて書く――マララさんのノーベル平和賞受賞を素直には喜べない。

2014-10-17 08:28:29 | Weblog
 今日のブログは読者から相当、反発されると思う。そのことを百も承知で、やはり書いておくべきだと思うので書く。
 実は、この問題は、ブログを書けなかった間にいくつかのメディアには電話で話した。理解してくださった方もおられたし、理解力ゼロ(私の独断と偏見)の方もいた。
 まだこのブログのタイトルは考えていないので、どうなるかわからないが、ダブる可能性はあるが「マララさんのノーベル平和賞受賞を、私はいま素直には喜べない」と申し上げた。
 実は私がマララさんの活動を詳しく知ったのは今年1月8日。NHKが『クローズアップ現代』で彼女を取り上げたからである。
 今年、マララさんと一緒にノーベル平和賞を受賞したインドのカイラシュ・サティーアーティ氏のことは、受賞して報道されるまで全く知らなかった。彼はインドで強制労働に従事させられている児童を解放し、教育の機会を作ってきた運動をしてきた人権家だという。そのカイラシュ氏のことはメディアは受賞するまで全く取り上げなかったが、なぜか谷垣前総理がノーベル平和賞の候補になっているらしいことは報道で知っていた。悪い冗談だ、と思った人も少なくなかっただろう。1月9日、私はこう題したブログを投稿した。

「マララさんにノーベル平和賞を今年こそ」の声を日本から世界に向かって発信しよう。

 その書き出しの部分を転載する。
「昨夜7時半、NHKの『クローズアップ現代』を見た。涙をこらえきれなかった。見た直後、日本から「マララに今年こそノーベル平和賞の声を世界に発信を」と読者に呼びかけたいと思い、とりあえず資料だけ集めておこうと放送直後に「マララ」で検索をかけた。驚くべきことにすでに無数の書き込みがされていた。多くは同感した女性の書き込みだったが、男性の書き込みも少なくなかった。私がこの記事を投稿する時には書き込みは1000をはるかに超えているのではないか。

 今年マララさんは17歳という若さでノーベル平和賞を受賞した。が、昨年、マララさんがノーベル賞を受賞できなかった理由がクリアされての受賞だったのか。マララさんが昨年、受賞できなかった理由は、若すぎるということと活動歴がノーベル平和賞受賞に相当するには達していないということだった、はずだ。
 では、この1年でマララさんは何歳年をとったのか。16歳が若すぎて、17歳
なら若くないということか。それともマララさんはこの1年で年齢が一気に40代になったとでもいうのか。また、この1年間でマララさんはノーベル平和賞の受賞に相当するだけの活動をしてきたというのか。だとしたら、この1年間のマララさんの活動のどの部分が、ノーベル平和賞の壁を突破するほどのものだったのか、選考委員会は明らかにすべきだろう。
 私はマララさんの受賞にケチをつけるつもりは毛頭ない。ケチをつけるくらいだったら、9か月前に「マララさんにノーベル平和賞を今年こそ」などというブログを投稿したりはしてしない。ただ、素直に喜ぶ気になれないのが、マララさんのためにも残念だ、という複雑な思いが胸中を去来しているだけだ。
 はっきり書く。ノーベル平和賞までもが、ある種の政治的思惑によって左右されているのか、という思いだ。マララさん受賞の背景に、イスラム過激派を世界から一掃しようという、ある国の政治力が働いていないという保証はない。
 イスラム教徒が多数を占めるパキスタン人のマララさんは11歳のときの09年、ある思いをブログに投稿した。イスラム過激派のタリバンによって次々に女子校が爆破されたことに怒りをおぼえ、ペンネームで「女性が教育を受ける権利」を訴えたのだ。その行為をパキスタン政府が「勇気ある行為」として讃え、表彰したために彼女の素性が明らかになり、スクールバスで中学校からの下校中に武装勢力に襲われて頭部と首に2発の銃弾を受けて重傷を負った。幸い英バーミンガムの病院で数度の手術を受けて命を取り留め、その後も女性の権利を訴え続けた。彼女は国連総会で演説の機会を与えられたり、オバマ大統領やエリザベス女王と面会するなど、彼女の悲痛な訴えは世界に大きな波紋を呼んだ。
 ノーベル賞受賞後のマララさんは記者会見で、それまでの主張を変えた。「女性が教育を受ける権利」に変えて「子供たちのために」とした。彼女の考えがこの1年で変わり、「子供たち」という、より普遍的な目的になったために受章資格を得られたのか、あるいは受賞後の記者会見での発言内容に何らかの圧力が加わったのかは、分からない。ただ私は非常に不自然さを感じた。
 なおマララさんを襲撃した組織であるパキスタンの反政府武装勢力・タリバン(TPP)の幹部が14日、いわゆる「イスラム国」の傘下に入ると表明した。ただTPPも一枚岩ではないようで、同調者はTPPの3割とみられている。

 実は私はいま大変混乱している。以前イスラム教についてはほとんど知らないと書いたが、知らないままでは済まされないと思いネット検索した。驚いたことにイスラム教はキリスト教から派生した宗教だということを初めて知った。
 いわば常識として世界の三大宗教は、キリスト教・イスラム教・仏教だと思っており、それぞれ源流が異なると思っていた。が、預言者アブラハムを源流とする宗教が、その発生歴順にはユダヤ教(紀元前2000年)、キリスト教(紀元後1年)、イスラム教(紀元後700年)であり、それらの宗教の経典はユダヤ教が旧約聖書、キリスト教が旧約聖書・新約聖書であることは知っていたが、イスラム教の経典が旧約聖書・新約聖書とコーランであることはまったく知らなかった。イスラム教の経典は預言者ムハンマド(日本名はマホメッド)によって作られたコーランだけだと思っていた。おそらく中学生か高校生の時代に学校教育でそう教えられたのだと思う。
 もちろんユダヤ教やキリスト教の源流が預言者アブラハムにあることは知っていた。そして紀元前1240年ごろにエジプトで生まれたモーゼ(あるいはモーセ)の教えが旧約聖書の原点になっていることもよく知られている。
 私が高校生の頃、『十戒』という題名のアメリカ映画が日本でも公開され、映画史上空前の大作として評判になり大ヒットした。私も見たが、モーゼが紅海を真っ二つに割るシーンは、どうやって作ったのかが大きな話題になったことを覚えている。いまならCGで簡単に作れるシーンだが、コンピュータが出来る以前の時代にどうやって海を真っ二つに割るシーンを作ったのかが不思議だった。私はアニメではないかと考えていた。
 映画の話がしたいわけではない。モーゼの教えは「してはいけないこと」を列挙したものだということを明らかにしておきたいために書いた。その「してはいけないこと」が10あり、「ひとを殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」「偶像崇拝するなかれ」などである。が、イエス・キリストの教えの中には「汝の敵を愛せよ」「左の頬を打たれたら、右の頬も打たせよ」などがある。キリストの教えは「してはいけないこと」ではなく「すべきである」ことを諭したものだ。またユダヤ教はキリストを認めていないが、イスラム教は預言者として認めている。
 ただイスラム教のコーランには「歯には歯を、目には目を」「盗みを働いたら、盗んだ手を切り落とせ」といったイエス・キリストの教えとは相容れない報復(あるいは復讐)の概念が根底にあり、聖書の教えと齟齬している要素についてはコーランを採用するという考えが一般的のようだ。日本人は一般的に無宗教の国民とされているが、私だけでなくコーランの報復(あるいは復讐)の概念には、大半の日本人が「とてもついていけない」という思いを持っているのではないかと思う。
 だが、問題はキリスト教の「汝の敵を愛せよ」「左の頬を打たれたら、右の頬も打たせよ」という誰もが感動するだろう教えと、キリスト教徒のイスラム過激派に対する憎悪がどうして矛盾しないのかという疑問を私は禁じ得ない。
 宗教は、いかなる宗教もその本質に置いて排他的であることは私も認めているが、仏教もさまざまな宗派があるが、異なる宗派間で殺し合うほどの排他性を行使したことはないと思う(私の思い込みかもしれないが)。
「近親憎悪」という言葉がある。通常は遺産相続などを巡る親族間の争いを表す言葉として使われているようだが、肉親同士の争いだけでなく、あらゆる世界に共通した人間の性(さが)と言ってもいいかもしれない。
 たとえば、日本でも新左翼の中核派と革マル派の殺し合いや、日本赤軍の粛
清も言うなら「近親憎悪」の一種といってもいいのではないか。イエス・キリストを張り付けにしたのもユダヤ教徒だったし、キリスト教徒とイスラム教徒の殺し合いはいまに始まったことではない。人類は、いつか「近親憎悪」の感情を克服するだろうという未来への期待を私は捨ててはいないが、いま差し当たって「イスラム国」を名乗る集団に人類がどう立ち向かうかは、彼らを武力で制圧することでは不可能だと思っている。武力で制圧しようとすればするほど、彼らのキリスト教徒への憎悪は増幅するだけで、その矛先はイスラム教から派生したヤジディー教徒(クルド人の一部が信仰しているようだ)にまで向けられている(「イスラム国」はヤジディー教徒の奴隷化を宣言している)。奴隷制度が認められていたコーラン成立時代を正当化の理由としているようだが、そんな大昔ではなくても公娼制度が認められていた時代を口実に、現代社会で公娼制度を復活させようというようなものだ。
 どうやったら、人類は自らが生み出した宗教の排他性を自ら克服できるのか、そうした問題意識を全世界が共有することが、私は宗教の残酷性を克服するための第一歩になると思っている。

 なお昨日のブログで書き落とした部分がある。『クローズアップ現代』で反政府勢力に対して「香港人」と位置付けたのは制作担当者であって、キャスターの国谷裕子氏は「香港の若者たち」と表現しており、「香港人」という言葉は一切使用していない。彼女の名誉のために付け加えておく。

緊急投稿――朝日・木村社長の大誤算…誠実に謝罪したつもりが大バッシングを生んだホントウの理由②

2014-10-16 08:40:58 | Weblog
 昨日、急用ができたためブログを休むとしたが、実は体調を崩して一日ベットでごろごろしていた。今日も体調は回復していないが、緊急告発しなければならない「事件」が二つ生じたので、ブログを書くことにした。
 昨日(15日)、新潟市で日本新聞協会が主催する新聞大会が開かれた。この大会で、産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察に在宅起訴され、3か月間の出国禁止を命じられたことについて新聞協会として強く抗議し、「報道の自由と表現の自由は民主主義社会の根幹をなす原則であり、今回の起訴は、この原則に反して言論の自由を侵害し、人々の知る権利にこたえるための取材活動を委縮させる行為であり、速やかな処分の撤回を求める」とする決議を採択した。
 この問題については、私はこれまでブログで何も書いてこなかったが、どうしても書いておかなければならないので短く書く。
 産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察から弾圧を受けたのは、朴政権の意を受けた行為であることは疑いを容れない。
 韓国政府はこの問題について少なくとも私が知る限り2度談話を発表している。最初は誰だったか記憶にないが、「日本は慰安婦問題について明確に謝罪すべきだ」という趣旨だったと思う。2度目は最近のことで韓国政府の報道官(日本で言えば官房長官、つまり政府のスポークスマン)が「韓国は世界で最も言論・報道の自由が保障されている国だ」と、産経新聞の前ソウル支局長在宅起訴問題について「弁解」した。
 いずれも民主主義国家では異例のことだ。日本で政府が司法について正式に談話を発表したりしたら、そのこと自体が大問題になる。単に一人の政治家が個人の資格で検察の判断や裁判の行方について発言したとしても、大問題になる。まして政府のスポークスマンである官房長官が口出しをするようなことをしたら、間違いなく更迭される。おそらくアメリカでも報道官が司法に口出しをしたら、直ちに更迭されるだろう。
 この問題は韓国の検察の在り方ではなく、韓国は司法が政治によって左右される国だということを明らかにした事件であり、メディアはそのことをまず追求すべきではないか。
 この問題の本質は、在宅起訴されたのが慰安婦問題について一貫して「事実無根」と主張してきた産経新聞が、韓国政府にとって極めて目障りな存在だったために生じた問題である。もし、朝日新聞の記者が朝鮮日報の記事を参考に電子版で報道していたとしても、韓国政府は検察に朝日新聞の記者に対する弾圧を命じたりはしなかったと思う。そのことを日本のメディアははっきりさせるべきだ。単純に「言論の自由を侵害する行為」で済まされる問題ではない。

 新聞大会では、もう一つ大きな「事件」があった。
 朝日新聞社の木村伊量社長が、座談会のパネリストとして発言した内容だ。この報道をしたNHKニュース7をそっくり引用する(NHKオンラインより)。

(木村社長が)東京電力・福島第一原子力発電所の元所長のいわゆる「吉田証言」を巡る記事を取り消したことなどについて、「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、一連の混乱が生じる事態を招いた。読者の信頼を大きく損ねたばかりか、新聞業界全体の信頼を大きく損なわせる結果となり、深くおわびしたい」と、改めて謝罪しました。

 木村発言について今日(16日)の朝日新聞朝刊はこう報じた。
「吉田調書を巡る報道をはじめ、一連の混乱を招き、新聞業界全体の信頼を大きく損ねる結果となり、深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
 言っておくが、NHKはニュースで木村社長の発言部分を映像で流している。発言内容をねつ造できる余地はまったくない。私自身が、ニュースを見た直後にNHKふれあいセンターの上席責任者に電話をして木村社長の発言のごまかしを指摘したくらいで、NHKオンラインでニュース原稿は今朝確認したばかりだ。また朝日新聞のお客様オフィスにも昨日電話をして不適切発言について指摘した。木村社長の発言の報道について、NHKと朝日新聞に違いに読者は気付かれたであろうか。改めて、肝心の個所を対比する。
「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、…」(NHK)
「吉田調書を巡る報道をはじめ、…」(朝日新聞)
 朝日新聞の記事から抜けている木村社長の発言が2カ所ある。吉田調書について「いわゆる」とした部分と「取り消しや謝罪」とした部分である。後のほうは目くじらを立てるほどのねつ造とは言えない。実際朝日新聞は記事の取り消しを明らかにしているし、謝罪もしているから、その「取り消しや謝罪」を再度「取り消した」わけではないから、「はしょった」でいいだろう。問題は吉田調書について「いわゆる」という枕詞を付けたことだ。
「いわゆる」という枕詞は、どういう場合にジャーナリストが使用するか。たとえば、スンニ派のイスラム過激派の一部(「一部」とは言えないほどの大勢力になってはいるが)が勝手に国家を名乗っている「イスラム国」について、国際社会が認めていないため「いわゆる」という枕詞を付けるのは正確な表現(あるいは表記)である。
 これからブログで書く予定でいる香港での学生と政府の対立についてNHKの『クローズアップ現代』は反政府勢力について「香港人」と位置付けた。明らかな間違いである。『クローズアップ現代』の制作担当者に、なぜ「香港人」としたのか聞いたところ、世論調査会社が「あなたは中国人ですか、香港人で
すか」というアンケートをとった結果に基づいて「香港人」としたとの説明を受けた。で、私は「では、あなたたちが『親ロシア派』と位置付けている人たちについて、なぜ彼らに『あなたはウクライナ人ですか、ロシア人ですか』という世論調査をしないで『親ロシア派』と位置付けているのか」と再度質問した。それに対する明確な返答はなかったが、私の質問はNHKにとって今後かなりの影響を与えると思う。
 新聞大会で木村社長が「いわゆる吉田調書」としたのは、「吉田調書」について朝日新聞が信憑性を問題にしているということを意味する。であるならば、「吉田調書」のどこに問題があるのかを朝日新聞は明確にすべきだ。
 少なくとも9月11日午後7時30分から木村社長が急きょ記者会見を開いて事実上の引責辞任を発表したとき、こう説明した。
「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」
 木村社長の事実上の引責辞任表明を始め、その後処分を発表した報道局長や編集局長の解任に至る問題の記事は、5月20日付朝刊1面トップの記事である。その記事はこうだった。
「福島第1原発にいた東電社員らの9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発に撤退した」
 この記事のどこが問題だったのか。朝日新聞は依然として明らかにしていない。また他のメディアも気付いていないのか、分かっていても指摘するとまずいという政治的判断をしたのか分からないが、慰安婦問題についての報道の誤りと記事の取り消しが遅きに失したことに原因があるかのような報道をしたり、読売新聞など一生懸命朝日新聞の慰安婦報道についての誤りの検証記事を連載したり、「問題のすり替え」に「協力」してきた。
 すでに何度も私はブログで書いてきたが、朝日新聞のねつ造記事は「吉田所長の待機命令に違反」したかどうかではなく、「第1原発の社員の9割、約650人が(職場放棄して)第2原発に撤退(逃げ出した)」という個所である。そんなことは吉田調書のどこにも書かれていない。しかも朝日新聞は東電社員が移動する手段として第1原発の(通勤送迎用?)バスや通勤用自家用車を利用したとまで仔細に報道した。そうした事実が本当にあったのかどうか。
 9月11日の唐突な木村社長の記者会見は、当日の菅官房長官の記者会見が決定的な引き金になったことは間違いない。菅官房長官は通常記者会見はノーネクタイで行う。昨日の記者会見もノーネクタイだった。少なくとも私がニュースで、菅官房長官のネクタイを締めた記者会見を見たのは9月11日だけである。それも私の記憶では、非常に目立つ真っ赤なネクタイだった。菅官房長官の発表は「吉田調書の全文をホームページ(たぶん首相官邸か内閣官房の)で公表
する」というものだった。
 私は政府が、目障りな朝日新聞を潰しにかかったのか、と感じた。もちろん、そんなことはできっこないのだが、朝日新聞社はこの記者会見に異常なまでに反応してしまった。それが9月11日の朝日新聞社・木村社長の緊急記者会見の真相だと思っている。
 朝日新聞は、週刊誌などの朝日新聞バッシングに対抗するためにも、5月20日の記事で行ったねつ造の真実を一刻も早く明らかにすべきである。故吉田所長が所員に待機命令を明確に出したかどうかは、そう読み取れる部分もあるので、実際に全所員に「待機支持」が正確に伝わったかどうかは別にしても、本当に所員の9割が第1原発から逃げ出したとしたら、重大な職場放棄であり、被害の拡大につながった可能性も否定できない。朝日新聞が信頼を回復するためには、何が被害の拡大につながったのかの事実に基づく検証作業を、いかなる権力にも屈せずに行うことだろう。
 それを回避するために、新聞大会で木村社長が吉田調書の信ぴょう性を傷つけるために「いわゆる」という枕詞を冠したのか…。朝日新聞は今日の朝刊で、なぜ「いわゆる」を削除したのか…。
 朝日新聞はこういう狡(こす)いやり方をすることで、読者の信頼をますます損ねることに、そろそろ気付いてもいいころだと思うのだが。


パソコンのトラブルは解決した。読者の真面目な批判に私も真面目に答える――ノーベル賞受賞に関して。

2014-10-14 07:00:47 | Weblog
 私のパソコンのトラブルはすべて解消した。
 原因も分かった。悪質な「ネット高速化」ソフトの「いたずら」(?)が原因だった。感染性のウィルスではないことがはっきりしたので、安心してブログを再開できる。そのソフトの名は
  Active Speed
という。なぜ私のパソコンに入り込んだのかはわからない。が、ネット上で私がアクセスしたわけではないので、そのソフトに汚染された状況から考えて(アウトルック(メール)を開いた瞬間に汚染された)、どうやらメールに無断侵入したようだ。
 このソフトの被害に会われた方はご存じだと思うが、ほとんどのアイコンがしっちゃか・めっちゃかにされた。たとえばトップ画面でアウトルックをダブルクリックしたとたん現れたのが、このソフトであり、「今すぐインストールする」というボタンが画面に現れる。もちろんそんなボタンは危なくて押せない。が、インターネットエクスプローラのボタンはプリンターのガイド、ワードのボタンは…といった具合に、ほとんどすべてのアイコンが別のボタンに置き換えられてしまった。
 その「いたずら」にはすぐ気付いた。アイコンの下にはアイコンの説明がついているが、それがめちゃくちゃにされたのだ。そしてとんでもない別のアイコンにワードやインターネットエクスプローラの文字が書き込まれていた。そのアイコンをダブルクリックすれば、ちゃんとインターネットやワードの画面が開ける。そのことにはすぐに気付いたが、アウトルックの文字がついたアイコンだけはどこにもない。本来のアウトルックのアイコンを押せば、
  Active Speed
の画面が現れる。また困ったのはファイルが消されたことだった。修正しないデータは外部記録媒体に保存するが、しょっちゅう書き加えたり、修正したりするデータは「上書き保存」してパソコンに残している。明日から再開する朝日新聞の問題追及の書きかけの文書も「上書き保存」していた。それがすべて消えてしまったのだ。これには本当に困った。
 それに新たにワードで書いてブログ画面に貼り付け投稿すると、私のブログを開いた方に感染する恐れがある。そのため9日のブログはワードでは書かずにブログ画面に直接書いて、簡単に事情を説明させていただいたというわけだ。
 問題の解決も簡単だった。 Active Speed の画面をどうしても消せなくなった。バツボタンでも閉じられず、強制終了しても頑固に居座り続ける。連休が明ければパソコンメーカーに連絡するつもりだったが、「どうせメーカーの技術者に来てもらうのだから」と、パソコン本体の電源を落としてしまった。つまり省エネのための自動シャットダウンではなく、手動でシャットダウンしたのだ。これで問題はすべて(とりあえず)解決した。アイコンは正常な状態に戻り、ファイルもすべて回復した。
 このソフトの極めて悪質な手口に引っ掛かり、面倒だとソフトをインストールしてしまったら、いくら金額を請求されていたことか。莫大な金額を請求されたりしたら、刑事問題になってしまうだろうから、おそらく消費者にとって泣き寝入りするだろう程度の金額の被害にとどまったかもしれないが、やり方が汚すぎる。念のためネットでこの悪質なソフトを検索してみたら、案の定インストールしてしまった消費者がアンインストールできずに困っているというQ&Aが検索結果の真っ先に出てきた。
 私はプロバイダーに「迷惑メール」の自動振り分けをお願いしているが、それでも侵入してくる【meiwaku】メールが後を絶たない。確かにコンピュータは人類に新しい世界を与えてくれたが、犯罪者には新しい犯罪の手口も与えたことを、パソコン利用者は常に頭の片隅に記憶しておくべきだろう。

 さてブログの再開に際して、ある読者から寄せられたコメントに対してお答えしておきたい。8日に投稿した『号外――ノーベル物理学賞3人受賞。が、素直に喜べないこともある』に対する、ある研究者からのコメントである。真面目なご批判をいただいたので、私も真面目にご返事させていただく。
 この研究者の方は、メディアのかたと同様、研究職という仕事を特別なものと考えておられるようだ。
 ご自分の仕事に強い自負心をお持ちなようだが、それはそれで「ご勝手に」と申し上げたいところだが、この研究者はこうコメントされた。
「研究者と営業マンを同列に見ているのに驚きです。なぜ研究者が営業マンに足を引っ張られなければならないのでしょう」
 私はこの研究者の「研究者を営業マンと同列視すべきではない」という恐ろしいほどの驕りに驚いた。
 では、こう聞き返したい。研究者が、自分では特別な画期的な技術を開発した、とうぬぼれたとする。で、「この技術を使った商品を売ってこい」と営業マンに命令する権利があるのかという問題だ。「そんなことは言っていない」と反論されるだろうが、そう言っているのだ。コメントに書かれている言葉をそっくり書き換えたら、そのことが分かる。
「営業マンを研究者を同列に見ているのに驚きです。なぜ営業マンが研究者に足を引っ張られなければならないのでしょう」

 私がこのブログで言いたかったことは二つある。一つはノーベル賞の基本軸が変わったのかという問題提起である。そのことは、物理学賞の発表の翌日に発表された化学賞の受賞理由を見て、さらに明らかになった感じがする。私がブログを投稿した時点では化学賞の発表はされていなかったが、化学賞も基礎研究に対する評価ではなく、「超高解像度・蛍光顕微鏡の開発」だった。
 研究には大きく分けて基礎研究と実用化研究の二つの分野があることくらいは私も承知している。あるいは両分野にまたがった研究に従事している研究者も少なくない。最近はあまり聞かれなくなったが、一時「学際」という言葉が流行ったことがある。二つの異なる学問の領界分野を指す言葉だった。ワードが「がくさい」という言葉を認識しないほどの死語になっているとは、さすがに私も思わなかったが…。
 私は基礎研究のほうが実用化研究より大切だ、などとは一言も書いていない。単なる事実としてノーベル賞の世界にも大きな変化が訪れてきたのかな、ということをジャーナリストの感覚で書いただけだ。基礎研究に従事する研究者は基礎研究こそ大切だと考えているだろうし、実用化研究に従事する人は実用化してこそ意味があると考えるのは当然である。
 たとえば第2の産業革命、と私は考えているエレクトロニクスの世界を切り開いた研究者たちは無数にいる。が、その第1歩を記したとしてノーベル物理学賞を受賞したのは、のちに「三本足の魔術師」と呼ばれるようになったトランジスタを発明したウィリアム・ショックレーら3人の固体物理学者だった。が、「真空管にとって代わることは不可能」と言われていたトランジスタの実用化に成功してエレクトロニクスの世界を実際に切り開いたのは東京通信工業(現ソニー)の研究者たちだった。
 トランジスタの原理は、ショックレーらより早くから知られていた。同様に今回の物理学賞受賞対象となった青色LEDの原理は古くから知られていた。ただ、今世紀(20世紀)中の開発、すなわち実用化は無理だろうと言われていた。
 実用化研究の目的は「低コストで安定した品質の量産化技術」の開発である。この技術の開発がなければ、ハイビジョンTVやブルーレイ、4Kも「絵に描いた餅」にとどまっていただろう。メディアは、交通信号やスマホなど理解しやすい成果を報じているが、画像の高精細化は単にデジタル技術による帯域圧縮に成功しただけでは、その恩恵に私たちは与ることはできなかった。青色LEDの実用化(低コストで安定した品質の量産化技術)なしには、高精細の世界を私たちは手に入れることはできなかった。が、その高精細の技術を本当に私たちが楽しめるようになるには、画素のさらなる微細化技術を必要としている。
 いま、ブルーレイの高画質を手に入れるためには、おそらく60インチ以上の大画面が必要なはずだ(フルハイビジョン映像も同じ)。4Kとなると、もはや家庭用テレビの限界を超えてしまう。日本の住宅事情から考えると30~40インチがテレビ画面の限界だと思う。4Kのさらなる先は、映画館あるいはスポーツ会場などの巨大スクリーンになるのだろう。
 一つの技術が「学際」的分野の技術革新への導火線になることは、過去多くの例が示している。そういう意味で、私は青色LEDの実用化技術の開発がもたらしたものは、学問や研究分野の壁を越えて大きな広がりを作ったと、高く評価はしている。私は決して青色LEDの実用化技術を過小評価しているわけでは
ない。ただ、いいか悪いかは別にして、ノーベル賞の受賞基準が変わりつつあるのかな、という素朴な疑問を提出しただけだ。その思いは、受賞者である中村氏自身が率直に述べているではないか。中村氏の率直な感想は、私のブログにも書かせてもらった。

 もう一つは、特許庁が特許の権利について、発明者ではなく企業に帰属させる方向で検討に入ったことに絡めて書いたことだ。中村氏が日亜化学工業を相手取って訴訟を起こしたケースについて、訴訟内容を詳細に知っているわけではない。メディアも、なぜか当初から中村氏の応援団を買って出ていた。中村氏は、ブログでも書いたように、開発研究の途中で会社からストップがかかり、アングラ研究で開発に成功したと主張している。私がブログで書いたのは、中村氏がその研究に自費をどれだけ投じたか、という点にのみ彼個人の権利の大きさは左右されるべきだということだけだ。
 が、メディアが正確に報道しなかったのかどうかは分からないが、中村氏が8億円という大金で和解したことを契機に、日本でサラリーマン研究者が次々と特許の権利をめぐって訴訟を起こす事態になった。いまそうした流れがさらに加速しているのか、収束に向かいつつあるのか、メディアは問題が起きた時だけ大きく取り上げ、収束しつつあるときは事実さえ報道しないから、今どうなっているのかは不明だ。
 私の推測としては、いま特許権を巡る紛争は生じていないため、特許庁はルール作りの絶好のチャンスと考えたのではないだろうか。会社の中で、企業の金を使って行った研究活動の成果である【特許権】はすべて会社に所属する。もし研究者が特許に対する幾分かの権利を要求できるとすれば、自費で海外に出かけ、海外の研究者から大きなヒントを得たといった事実が必要だろう。あるいは会社の金を使わず、自費で実験器具や研究材料を購入していたという事実が必要だろう。
 すべて会社の金を使い、会社の許可を得ないで勝手にやった研究が、たまたま大きな成果を生んだからと行って、自分は特別扱いされるべきだといった傲慢さは認められるべきだろうか。
 私は中村氏が、日亜化学工業から研究をストップされた時点で辞表をたたきつけ、1年間留学した先の米フロリダ大学に戻って研究を続けて成果を上げたのであれば、彼の開発努力は金銭的にはもっと恵まれていたであろうし、当然恵まれるべきであった。
 が、企業内研究で、会社から承認を受けた開発で大きな成果を上げたのであれば、中村氏もそれなりの処遇を受けていたと思う。中村氏にとって不幸だったのは、いったん会社から承認され予算もついていた研究目的が、アメリカ留学から戻ったら経営者が変わり、研究にもストップがかけられたという同情すべき要素があったことは確かである。
 そうした状況の中で、中村氏に他の選択肢がなかったのか。少なくとも三つ
はあった、と私は思う。
 一つは会社の命令に従って青色ダイオードの研究を止めて、会社から与えられた別の研究テーマに取り組む。
 もう一つは、青色ダイオードの研究に価値を認めてくれる企業なり大学、あるいは理研のような研究組織に新しい研究の場を求めてリクルートすること。
 三つ目は、会社に秘密で社内で密かに研究を続けること。そういう研究をアングラ研究といい、アングラ研究を一定の割合で認めている会社もある。日亜化学工業の場合、アングラ研究を認めていなかったのではないかという感じはするが、そうしたケースにたまたま自分がぶつかったからと言って「日本にはまともな研究風土がない」と決めつける独断性には、私は到底ついていけない。
 確かに、研究者に限らず、スポーツ選手などの海外流出も、近年とみに盛んである。たとえば元楽天の田中将大投手など、契約金が1憶5500万ドル(7年間)、年俸2200万ドルなどと聞くと、私の金銭感覚の理解の度をはるかに超えてしまう。アメリカでは野球はバスケットボール、アメフトに次ぐ3番目の人気スポーツだ。ヤンキースタジアムなど野球場としては小さいし、いったい観客が払う席料はいくらになるのか見当もつかない。
 研究者やスポーツ選手がアメリカにあこがれるのはなぜか。最近プロ野球に限らずサッカーもゴルフも一流選手がどんどん海外に活躍の場を移していく。もし金銭的待遇の差が大きな要因だとしたら、日本がどう逆立ちしてもアメリカには勝てない。
 理由は二つある。
 一つは、経済力の差だ。人口だけをとってもアメリカは日本の約2倍だ。つまり基本的なパイの大きさが違う。それに田中投手の場合には、プロ球界では世界一の人気球団のヤンキースに入団した。おそらくヤンキースには観客の入場料だけでなく、テレビの放映料やその他のスポンサー契約料など桁違いの収益源があるから、田中投手にもそれだけの大金を払ってもペイするのだろう。
 もう一つは、社会構造の差がある。アメリカのプロ球界の場合、1A、2A、3Aを経てようやくメジャーリーグに昇格できる。3Aになるとようやく飯が食えるようになるらしいが、2A以下の選手の生活はいま日本で社会問題になっている「外国人研修労働者」並みかそれ以下らしい。つまり「一将功成って、万骨枯る」社会構造によって一流選手の優雅な生活が保障されている。それがハングリー精神の源泉と言われれば、一概には否定できない。
 研究者のケースも似たようなものだ。中村氏のような一流の研究者にとっては、アメリカはおそらく天国のような環境の中で研究活動を続けられる国なのだろうが、研究者の世界もスポーツ選手と同じ「一将功成って、万骨枯る」の世界なのだろうな、と思う。
 アメリカのような、言うなら「アメリカン・ドリーム」が実現しやすい社会構造、つまり「一将功成って、万骨枯る」社会構造を日本人が望むのであれば、それは日本人の総意で決めればいいことであって、一握りの有能者と自分が思っている研究者が決めるべきことではない。
 少なくとも「研究者は特別な存在だ」などという反吐(へど)が出るような思い上がりは、日本社会では受け入れられない。私に言わせれば、研究者も営業マンも、農業従事者も、それぞれの能力と職種に応じたフェアな報われ方がされる社会になってほしいと願っているだけだ。
 
 なお、最後にだれのことかは知らないが、コメントの最後に「日本人ってホント僻み妬み体質ですね」とあった。誰のことかわからないが、私に対する非難ではなさそうなので(?)、ひょっとしたらご自分のことなのか…。
 久しぶりにブログを書いたので、少し肩に力が入ったようだ。
 また、ついでになってしまうが、朝日新聞批判の続きはもう少し待ってもらって、マララさんのノーベル平和賞受賞にも、私は素直に喜べない要素がある。香港での政府と学生の対立、ウクライナの内紛とからめてメディアがなぜ間違うのかの検証を、明日はしたい。

私のパソコンが、何者かによって汚染された。とりあえず、ブログは中止します。

2014-10-09 06:33:18 | Weblog
私のパソコンが昨夜8時以降今朝までの間に、何者かによって汚染され、すべてのファイルが開けなくなりました。今日投稿予定の下書きも格納して会ったファイルから消えてしまいました。そういうわけで、とりあえず今日のブログは投稿を取りやめます。いつ回復するか、私はパソコンの専門知識はないので見当がつきません。

号外――ノーベル物理学賞3人受賞。が、素直に喜べないこともある。

2014-10-08 08:19:12 | Weblog
 異例のノーベル物理学賞受賞だったのかもしれない。
 昨夜各局のテレビニュース番組報道中に飛び込んできたのが、3人の日本人科学者が同じテーマでノーベル物理学賞を受賞したというビッグニュースだった。これでノーベル賞を受賞した日本人は合計で22人になるという。この快挙に、私も読者の皆さんと喜びを分かち合いたいという気持ちに変わりはない。
 が、多少複雑な思いもないではない。
 受賞した3人、赤崎勇(85、名城大学教授)、天野浩(54、名古屋大学教授)、中村修二(60、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)の各氏のなかで、一般的には最も著名だったのは中村氏である。
 光の三原色である赤・緑・青のうち、高輝度の青色だけが実用化されていなかった。色の三原色は重なると黒になる(プリンターのカラー写真用インクも原則的には赤・青・黄の三色)。これに対して光の三原色は重なると白になる。その程度の知識は小学生か中学生のころに学んでいるはずだ。
 授賞理由は「高輝度で省エネルギーの白色光源を可能にした効率的な青色LEDの開発」とされているようだ。LEDは省エネで長寿命という特徴があり、1960年代には赤と緑のLEDは実用化されていた。が、実用化に耐えられる青色LEDは開発が困難で、世界の科学者や技術者が研究に取り組んでいた。そうした激しい競争を勝ち抜いたのが日本の3人ということで、喜びはあるのだが、素直に喜べないものもある。もちろん3人の功績にケチをつけるつもりはないのだが、この報を聞いて釈然としない科学者・研究者も少なくないのではないかと思うからである。
 ノーベル物理学賞は原則として新発見、先駆的研究による予測などに成功した人物が対象になるとされている。過去の受賞歴を見ても、大半がそうした分野の功績が認められての受賞である。日本人で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏も、未発見だった中間子の存在を理論的に予測、その後イギリスのセシル・パウエル氏が中間子を発見したことにより実証されたとして二人とも受賞している。
 発明や開発、とくに実用化が受賞対象になった例はきわめて少なく、たとえば第2の産業革命を実現したとされるエレクトロニクスの分野でも、受賞者は「三本足の魔術師」と言われたトランジェスタを発明したウィリアム・ショックレー氏ら、集積回路(IC)を発明したジャック・キルビー氏ら等数例にとどまっている。が、トランジェスタを世界に先駆けて実用化したソニーの研究者たち(井深大氏がその中心)や、集積回路のアイデアを最初に考え付いたシャープの研究者たち(名前不明)、あるいは同様のアイデアをインテルに持ち込んだ日本のベンチャー企業・ビジコンの嶋正利氏らは、選考対象として名前すら上ったことはない。
 私は相当前、なぜ日本人からノーベル賞受賞者が出ないのかと嘆かれていた時代に、何かの本だか雑誌だか覚えていないが、ノーベル賞もレコード大賞も(レコ大がそれなりに権威があった時代)、何もせずに天から降ってくるものではない。取れるものも、取りに行かなければ取れない、といった趣旨のことを書いたことがある。そしてそのころ理研の理事長にインタビューした際、そういうアドバイスをした記憶があるが、そのあたりからスウェーデンでのロビー活動を日本も必死に始めたのではないだろうか。いずれにせよ、近年の受賞者の著しい増加は、ある意味ではそうしたロビー活動の成果と言えなくもない。
 余談になるが、科学や文化、スポーツなどの世界での日本の最近のロビー活動は目を見張るものがあり、それだけ国際社会からもそれなりの評価を得ているのは、日本の将来を考えると決して悪いことではない。
 一方、政治がからむ分野では、日本はあまりにも甘く、また安全保障の面でアメリカに頼りきりになってきたということもあり、お隣の韓国に比べてロビー活動があまりにもお粗末と言わざるを得ない。
 今日のブログは連載を始めたばかりの朝日新聞問題の検証に割り込んで投稿するが、そもそも慰安婦問題が生じた背景には戦後の「一億総懺悔史観」(大宅壮一氏)(いわゆる「自虐史観」とは違う)の一端があると私は考えている。物理的に不可能な「百人斬り」を美談としてねつ造したり、いまのイスラム過激派のような自爆精神を美化したりしてきた先の大戦時のメディアが、大戦時に取ってきた姿勢への行き過ぎた「反省」が生み出した「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」の歴史認識基準の延長で、「すべて日本が悪うございました。原爆を落としていただいて、やっと気が付きました」と言わんばかりの姿勢で、戦後の日本社会の精神的規範を構築してきた結果にすぎないと私は考えている。メディアも政治もそうした姿勢では、韓国のようなロビー活動ができるわけがなく、河野談話ひとつとっても、作成過程の検証作業を行って、米オバマ大統領が顔をしかめた途端「河野談話の見直しはしません」と這いつくばってしまうような人が、国際社会における日本の尊厳を回復できるわけがないではないか。
 早朝で、時間があまりないのに余計なことについ指先が向かってしまった。本題に戻す。

 今回のノーベル物理学賞の受賞については、私も日本人の一人として素直に「おめでとうございました」とお祝いを申し上げたい。が、率直に言ってノーベル物理学賞に相当するような物理学の分野への貢献と言えるのか、と考えると忸怩たる思いがしないわけではない。
 実はそういう私の思いには、一つの「色眼鏡」がかぶさっていることを率直に申し上げておく。その「色眼鏡」について書く。
 この秋、特許庁が特許の権利について、発明者ではなく企業に帰属させる方向で検討に入った。いずれ方向がはっきりした時点で、この問題について書こうとは思っていた。それが、今回の色眼鏡になっている。そのことをあらかじめはっきりさせておく。
 特許の権利が誰のものか、が社会的に大問題になったきっかけを作ったのが、実は青色LEDの製品化に成功した中村修二氏だった。中村氏は徳島大学大学院修士課程修了後、地元の日亜化学工業に就職した。中村氏は当時世界中の科学者や研究者たちがしのぎを削っていた青色発光ダイオードの開発を社長に直訴して許可を貰い、米フロリダ大学に1年間留学して研さんを重ね、帰国後同社で高輝度青色発光ダイオードの実用化技術の開発に成功し、その後渡米してカリフォルニア大学で教鞭をとっている。
 中村氏は渡米後、日亜化学工業を相手取って訴訟を提起、1審は中村氏の主張を全面的に認めて会社側に発明の対価として200億円を支払うよう求めた。最終的には8億円で和解が成立したが、中村氏は納得せず「日本の司法は腐っている」と記者会見で怒りをぶちまけた。
 中村氏が発明の対価を要求して訴訟を起こしたのは、日亜化学工業の社長交代によって青色ダイオードの開発にストップがかけられ、それ以降は会社の許可を得ない「アングラ研究」を続け、その成果としての発明であり、したがって特許の権利は会社ではなく、自分にあるという理由からである。
 アングラ研究は企業によって位置づけが異なり、一定の勤務時間内であれば自分の裁量で自由に研究できるという制度がある企業もあれば、ときには会社に内緒で密かに行う研究(上司の許可が下りなかった場合によく行われる)もある。中村氏の場合はそれに該当すると思われるが、自宅で、材料や研究器具も自費で調達し、休日に行った研究の成果であれば、100%自分の権利と主張しても差し支えないと思うが、研究は勤務時間内に行い(研究者の場合、不規則勤務=自己裁量=が認められているケースが多く、その場合は会社内での研究は深夜だろうが早朝だろうが、時間外にはならない)、しかも材料や研究器具の購入も、認められた研究のために必要として申請するケースが大半であり、中村氏の場合、自費購入があったのかどうかが、どの程度権利の主張に合理性が認められるかの判断が分かれるところのはずだ。ただ「アングラ研究」で発明したというだけでは、権利の主張は難しいのではないかと私は考えているので、特許庁の判断に私は大きな関心を持っている。
 もっとはっきり言えば、会社の利益に貢献するのは発明だけではない。
 たとえば営業マンが新規顧客の開拓に成功し、それが会社の収益のかなりを
占めるようになったからと言って、営業マンがその収益に対する分け前を主張する権利はあるだろうか、と考えたら結論はおのずと明らかなはずだ。
 日本では中村氏の訴訟の後、オリンパス光学工業、日立製作所、日立金属、味の素、キヤノンなどの元技術者たちが、自分の発明に対する対価を求めて訴訟を起こすという騒ぎになった。
 これは日本だけで解決できる問題ではないが、特許の権利を個人に限定するという、大昔からの欧米のシステムが、国際社会共通のルールとして存続していることに起因する問題であろう。そのため、企業におんぶにだっこで開発した技術に対する報酬の在り方は、新規顧客の開拓に成功した営業マンに対する報い方と同じレベルでなければおかしい、と私は考える。たとえアングラ研究の成果であっても、材料や研究器具の自費購入の実績がないかぎり、権利は企業にすべて帰属し、企業側は収益に対する貢献度に見合った、それなりの報い方を考えるのが筋であろう。
 そうしないと、1発ホームラン狙いの研究にばかり血道を上げる研究者が続出しかねず、かえって企業収益のベースとなる現行技術の改良や技術革新がおろそかになりかねない。
 ことのついでに、STAP論文問題で明らかになったことのひとつは、科学論文には著作権を認めるべきではないということだ。著作権というのは、著作物に対する責任を負う者が獲得できる権利であるから、責任を負わない著作物に名前を連ねる人数のほうが、責任を負う人よりはるかに多いということは、科学論文は、世にいう著作物には相当しないと考えるのが合理的である。ま、たとえば村上春樹氏の小説に出版社の社長以下出版局長、編集局長、担当編集長、さらには担当編集者から会合の席にお茶を運ぶアルバイトまで共著者として名を連ねるようなものだからだ。この問題を考えるとむしゃくしゃすることが多すぎるので、年寄りの癖でつい絡みたくなってしまった。(了)

朝日・木村社長の大誤算――誠実に謝罪したつもりが大バッシングを生んだホントウの理由①

2014-10-07 07:40:00 | Weblog
 なぜ朝日新聞は窮地に追い込まれたのか。
 朝日問題を読み解くための最大のポイントは、木村伊量社長の9月11日午後7時30分から2時間半にわたった記者会見での事実上の引責辞任発言にある。
 木村発言の主要な要素は二つに因数分解できる。「因数分解」などという中学時代の数学で習った言葉に面食らった方も少なくないかもしれないが、メディアとくに『週刊文春』『週刊新潮』が、木村発言の言葉尻を捉えて朝日事件の真相があたかも慰安婦問題についての誤報と、誤報の訂正(記事の取り消し)が遅きに失したことにあるかのような特集記事を毎号毎号、これでもか、これでもかと書きたてているので、あたかも木村氏が慰安婦誤報問題の責任を取って辞任に追い込まれたかのような印象を持っている人が、私の周りにも実に多い。
 はっきり言えば、週刊誌のような娯楽誌は、購読契約を結んでいない読者(基本的に毎週買っている人でも、新聞のような定期購読者とは言わない)に書店の店頭で週刊誌を手に取り、そして買ってもらうためには、読者が興味を持ち続けるようにエキセントリックなタイトルをつけて朝日攻撃を続けるのがビジネスの目的になっていることは否定できない。が、その火を消すのは原因を作った朝日側にあり、朝日新聞は問題の所在がどこにあるのかを明確にすべき責任がある。「間違えているのは週刊誌のほうだ」ですむ話ではないからだ。

 木村氏の記者会見での謝罪は二つの報道に関してのものだった。
 一つは福島原発の政府事故調査・検証委員会が第1原発所長だった吉田氏(故人)から聞き取り調査した、いわゆる「吉田調書」についての5月20日の記事。
 もう一つは今年8月5,6の両日にわたって大々的に報じた慰安婦問題、とくに吉田清治のねつ造小説『私の戦争犯罪』にまつわる記事を取り消したこと。
 本来、この二つの問題は別個のはずであり、さらに池上氏に依頼した原稿をボツにしたケースまで含めて、木村氏がなぜ、ごちゃ混ぜにした謝罪の記者会見を行ったのか、というメディアのトップとしての見識が問われても仕方がないケースである。木村氏の発言要旨は朝日新聞によれば、池上原稿ボツ問題も含めて次の3点である。

 ① 朝日新聞は吉田調書を入手し、5月20日付朝刊で「東電社員らの9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいる中、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した。調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した。
 ② 朝日新聞が韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故
人)の証言を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、その訂正が遅きに失
したことについて「お詫びすべきだった」と謝罪した。
 ③ 慰安婦特集について論評した池上彰氏の連載コラムを見合わせた判断については「言論の自由の封殺であるという思いもよらぬ批判があった」「責任を痛感している」とした。

 実は週刊誌は、社長の引責辞任につながった朝日新聞の報道について、意図的なおかしな追及を始めた。朝日新聞の責任は慰安婦報道によって日本の国際的信用が損なわれたという指摘である。朝日新聞の報道姿勢に対して、考えようによってはもっとも手厳しい批判をしてきた私がおかしいと思うのだから、やはり意図的と指摘せざるを得ない。
 もっとも、おかしな批判を許した原因は朝日新聞自身にあるのだから、「自業自得」と言えなくもないが…。
 まず、週刊誌などによる猛烈な朝日新聞バッシングが始まったのは、8月5,6の両日に同紙がようやく吉田清治のねつ造「ノンフィクション」を根拠に行ってきた慰安婦報道が間違いだったと認めた日からではない。木村氏が事実上の引責辞任を表明した9月11日以降である。
 朝日新聞は慰安婦報道も吉田調書報道も、ともに「誤った」としか説明していないが、報道における「誤ち」とは「誤報」か「ねつ造」か、の二つしかない。まずその視点を大半のメディアは欠落していることを指摘しておきたい。
 そのうえで、吉田清治のねつ造「ノンフィクション」を大半のメディアが信用した時代背景と、戦後一貫した朝日新聞の報道スタンスを切り分けて検証する必要がある。そのことはすでに何度もブログで書いてきたし、私も何度も繰り返すのは飽き飽きしているが、やはりもう一度書いておかなければならない。
 先の大戦時の軍部独裁政権を生み育てたのはメディア自身に他ならず、敗戦後のメディアの「反省」がとんでもない「責任回避」を生んだことにある。軍部独裁政権下においても、弾圧されたのは共産党と共産主義者だけであって、社会党は権力による監視下にはあったと思うが、直接の弾圧は受けていない。野党も存在したし、選挙制度も民主主義的な(ただし当時としては、という限定つきだ。現在の選挙制度にもいろいろな欠陥がある)制度が維持されていた。実際無謀な戦争に反対していた吉田茂氏もとくに弾圧されていたわけではなく、メディア(当時のメディアは新聞だけと考えてよい。ラジオですら一部の特権階級しか持てなかった時代だ)はほとんど自由に書けた時代であった。

 私が、先週の連載ブログで明らかにした第1次世界大戦への日本の参戦の経
緯は、メディアに相当なショックを与えたようだ。
 実は、私自身、ブログを書いていて、ふと疑問に思ってネットで検索して初めて知った事実である。それまで私はすでに軍国主義への傾斜をまっしぐらに走り始めていた日本が、日英同盟を口実にアジア侵略への巨歩を踏み出した戦争だと思っていた。が、事実はそうではなかった。私自身が、いかに司馬遼太郎氏のねつ造歴史小説によって染め上げられた色眼鏡をかけたままだったということに嫌というほど気づかされた瞬間だった。恐るべき自らの無知というより、無感覚さにバットで殴られたような衝撃を受けたのが偽らざる思いである。
 私の色眼鏡に大きな影響を与えたのはウィキペディアによる「集団的自衛権」についての解説でもある。集団的自衛権についてのウィキペディアの解説は、私が初めて調べた昨年8月以降、何度も書き直されたり加筆されたりしてきたが、一貫して書き換えられていない解説がある。その個所はこうだ。
「個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章(※国連憲章)成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない」
 この解説が正しいとすれば、では第1次世界大戦において、イギリスが日英同盟を口実に、日本に執拗に参戦を求めた「権利」はいかなる性質の権利だったのか。私にはイギリスが行使しようとした権利こそ、集団的自衛権のように思えるのだが…。
 そして日本がイギリスの要請に応じて参戦する条件として、アジアにおける国益の拡大を要求したのは、いったいどういう権利なのか…。そして日本の要求した権利を国際社会が容認したのはなぜか…。
 そしてまた、その時代に日本のメディアはどういう報道をしてきたのか。近現代の歴史認識の検証作業で、すっぽり抜け落ちていた時代はないのか…。
 あるいは明治維新が目指した日本の近代化についての、今日的視点からの再検証の必要性はないのだろうか。「日本は昭和になってから道を間違えた」といった司馬史観の色眼鏡に、政治家やメディアだけでなく歴史学者さえもが汚染されたままで、過去と現在の日本を子供たちに教えていいのだろうか。
 私自身、いま強烈な虚無感に襲われている。今日はこれ以上書くことができない。