平昌オリンピックが終わった。まだパラリンピックは残っているが、私も久しぶりにブログを再開する。
正直、今回のオリンピックで日本選手がこれほど活躍するとは思っていなかった。うれしかった。私は国粋主義者ではないが、日本人選手が金メダルを獲得して日の丸が掲揚され、君が代が流れると、自然に目頭が熱くなった。観客席の日本人応援団だけでなく、韓国の観客も素直に日本人の活躍を祝福してくれたのが、さらにうれしかった。
政治的にも大きな話題を集めたオリンピックだった。北朝鮮の、いわゆる「ほほえみ外交」のことだ。日本政府、とりわけ安倍総理は北朝鮮の外交攻勢に必死にブレーキをかけようとし続けた。米首脳が北朝鮮との対話に積極的という報道が流されるや、トランプ大統領に直談判して「対話のための対話」の中止を求めた。安倍総理としては「核・ミサイル放棄が前提でなければ対話をしても意味がない」との思いなのだろうが、マラソンに例えればスタートラインとゴールラインをごっちゃにしているのではないかという感じがしてならない。
北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させるのがゴールラインだとすれば、そこに至る道筋をいかに作り出していくかが外交の要諦ではないか。最貧国と言っても差し支えない北朝鮮が、国民生活を犠牲にしてまでGDP(国内総生産)の4分の1以上を国防費に費やさざるを得ない状況にあるのかへの、まず配慮が対北外交のスタートラインではないか。
朝鮮戦争が休戦状態になって以降67年になるが、その間南北間の小さな軍事衝突は数えきれないほどあった。われわれ日本人にとっては対岸の火だったかもしれないが、韓国や北朝鮮の人々にとってはいつ本格戦争が再開されるかという危機感を抱き続けた日々だったはずだ。
その南北関係が、平昌オリンピックを機に融和的な状況に転換する可能性が出てきた。南北の融和が進み、軍事的緊張が和らげば、アメリカにとっても韓国防衛の負担が軽減するし、南北融和に反対する理由はこれっぽっちもないはずだ。
抑止力、というと、政治家やメディアは直反射的に「軍事的抑止力」を考える習性があるようだが、抑止力は軍事力だけではない。相手に脅威を与えるような軍事力の誇示を行わないこと、平和友好的な関係を構築していくこと、さらに経済的な結びつきを強固にして互恵的な経済関係を作り上げていくこと…軍事力に全く頼る必要がない抑止力があることに、なぜ政治家やメディアは気付かないのか。
北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、最終的には現有する核・ミサイルを放棄させるには、北朝鮮にとっての軍事的脅威を取り除いてやることが、対北外交の基本線にすべきではないだろうか。そして、そうした外交政策こそが日本の安全保障にとっても最も有効な手段になるはずだ。
安倍総理は「話し合いのための話し合いは意味がない」という。いかにももっともらしく聞こえるが、実は話し合いを拒否するための口実に過ぎない。なぜなら、安倍総理が前提とする話し合いは「北朝鮮が核・ミサイルを放棄するなら」ということだからだ。話し合いをしなくても北朝鮮が核・ミサイルを放棄するなら、話し合う必要などないではないか。つまり、話し合うための前提が保障されない限り話し合わないというのだから、事実上いっさい話し合う必要はないと言っているに等しい。
安倍総理は「マスコミの印象操作はひどい」と総理を批判するメディアに反発するが、その安倍総理自身が印象操作のチャンピオンである。「話し合いのための話し合いは意味がない」という、一見もっともらしく聞こえる主張そのものが「印象操作大賞」に値する表現であることに、メディアも気付いてほしい。
かつて日本が朝鮮半島を支配していた時代、日本は朝鮮半島の北側で工業開発を進め、南側で農業開発を進めるという政策をとった。北側は気候的に農業立地としては厳しいが、鉱業資源が豊富だったからでもある。台湾に対する占領政策もそうだが、日本はヨーロッパ列強のような植民地政策はとらず、教育制度の充実や交通通信インフラの整備など、支配地域の近代化を進めることが日本の国益につながると考えてきた。
同じように、いまの日本にとって、どういう対北政策をとることが最も日本の国益につながるか、と考えないのだろうか。
圧力と制裁をかけることを対北外交の基本路線にし続ける以上、かえって日本の安全保障上のリスクは増大する。現に、日本の対北強硬政策で北朝鮮が硬化し、「日本を火の海にする」とまで言い出している。もともと日本は北朝鮮の仮想敵国でもなかったのに…。
少なくとも日本政府は、「万一、米朝間で軍事的衝突が生じても自衛隊は関与しない。また日本在留の米軍は日本防衛のためだから、日本の基地からの軍事行動は認めない。どうしても日本在留の米軍を動員するというなら、いったんグアム基地に移動してからにしてくれ。日本の基地から出撃などしたら、北朝鮮に日本攻撃の絶好の口実を与えることになる」というくらいの要求はしても当然だろう。
かつて安倍総理は総理就任後、靖国神社を参拝して米側から「失望した」と非難された。総理の職務としての行為なら政教分離の原則に反するからアメリカに言われなくても日本国内で問題になるが、そこまでアメリカに口を出されるなら、高校で生じた銃乱射事件で「教師に銃を持たせろ」と暴論を吐いたトランプ大統領に対して、なぜ「失望した」と言えないのか。誇りを失った総理に、私は「失望した」。
なお念のため、総理が個人としても靖国神社に参拝してはいけないというなら、クリスチャンの総理や大統領も日曜日に教会に行ってはいけないことになるのか。A級戦犯を合祀したからいけないというなら、広島・長崎の犠牲者も合祀させればいいではないか、と私は思うのだが…。軍人ではないが、彼らは紛れもなく戦死者なのだから。
正直、今回のオリンピックで日本選手がこれほど活躍するとは思っていなかった。うれしかった。私は国粋主義者ではないが、日本人選手が金メダルを獲得して日の丸が掲揚され、君が代が流れると、自然に目頭が熱くなった。観客席の日本人応援団だけでなく、韓国の観客も素直に日本人の活躍を祝福してくれたのが、さらにうれしかった。
政治的にも大きな話題を集めたオリンピックだった。北朝鮮の、いわゆる「ほほえみ外交」のことだ。日本政府、とりわけ安倍総理は北朝鮮の外交攻勢に必死にブレーキをかけようとし続けた。米首脳が北朝鮮との対話に積極的という報道が流されるや、トランプ大統領に直談判して「対話のための対話」の中止を求めた。安倍総理としては「核・ミサイル放棄が前提でなければ対話をしても意味がない」との思いなのだろうが、マラソンに例えればスタートラインとゴールラインをごっちゃにしているのではないかという感じがしてならない。
北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させるのがゴールラインだとすれば、そこに至る道筋をいかに作り出していくかが外交の要諦ではないか。最貧国と言っても差し支えない北朝鮮が、国民生活を犠牲にしてまでGDP(国内総生産)の4分の1以上を国防費に費やさざるを得ない状況にあるのかへの、まず配慮が対北外交のスタートラインではないか。
朝鮮戦争が休戦状態になって以降67年になるが、その間南北間の小さな軍事衝突は数えきれないほどあった。われわれ日本人にとっては対岸の火だったかもしれないが、韓国や北朝鮮の人々にとってはいつ本格戦争が再開されるかという危機感を抱き続けた日々だったはずだ。
その南北関係が、平昌オリンピックを機に融和的な状況に転換する可能性が出てきた。南北の融和が進み、軍事的緊張が和らげば、アメリカにとっても韓国防衛の負担が軽減するし、南北融和に反対する理由はこれっぽっちもないはずだ。
抑止力、というと、政治家やメディアは直反射的に「軍事的抑止力」を考える習性があるようだが、抑止力は軍事力だけではない。相手に脅威を与えるような軍事力の誇示を行わないこと、平和友好的な関係を構築していくこと、さらに経済的な結びつきを強固にして互恵的な経済関係を作り上げていくこと…軍事力に全く頼る必要がない抑止力があることに、なぜ政治家やメディアは気付かないのか。
北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、最終的には現有する核・ミサイルを放棄させるには、北朝鮮にとっての軍事的脅威を取り除いてやることが、対北外交の基本線にすべきではないだろうか。そして、そうした外交政策こそが日本の安全保障にとっても最も有効な手段になるはずだ。
安倍総理は「話し合いのための話し合いは意味がない」という。いかにももっともらしく聞こえるが、実は話し合いを拒否するための口実に過ぎない。なぜなら、安倍総理が前提とする話し合いは「北朝鮮が核・ミサイルを放棄するなら」ということだからだ。話し合いをしなくても北朝鮮が核・ミサイルを放棄するなら、話し合う必要などないではないか。つまり、話し合うための前提が保障されない限り話し合わないというのだから、事実上いっさい話し合う必要はないと言っているに等しい。
安倍総理は「マスコミの印象操作はひどい」と総理を批判するメディアに反発するが、その安倍総理自身が印象操作のチャンピオンである。「話し合いのための話し合いは意味がない」という、一見もっともらしく聞こえる主張そのものが「印象操作大賞」に値する表現であることに、メディアも気付いてほしい。
かつて日本が朝鮮半島を支配していた時代、日本は朝鮮半島の北側で工業開発を進め、南側で農業開発を進めるという政策をとった。北側は気候的に農業立地としては厳しいが、鉱業資源が豊富だったからでもある。台湾に対する占領政策もそうだが、日本はヨーロッパ列強のような植民地政策はとらず、教育制度の充実や交通通信インフラの整備など、支配地域の近代化を進めることが日本の国益につながると考えてきた。
同じように、いまの日本にとって、どういう対北政策をとることが最も日本の国益につながるか、と考えないのだろうか。
圧力と制裁をかけることを対北外交の基本路線にし続ける以上、かえって日本の安全保障上のリスクは増大する。現に、日本の対北強硬政策で北朝鮮が硬化し、「日本を火の海にする」とまで言い出している。もともと日本は北朝鮮の仮想敵国でもなかったのに…。
少なくとも日本政府は、「万一、米朝間で軍事的衝突が生じても自衛隊は関与しない。また日本在留の米軍は日本防衛のためだから、日本の基地からの軍事行動は認めない。どうしても日本在留の米軍を動員するというなら、いったんグアム基地に移動してからにしてくれ。日本の基地から出撃などしたら、北朝鮮に日本攻撃の絶好の口実を与えることになる」というくらいの要求はしても当然だろう。
かつて安倍総理は総理就任後、靖国神社を参拝して米側から「失望した」と非難された。総理の職務としての行為なら政教分離の原則に反するからアメリカに言われなくても日本国内で問題になるが、そこまでアメリカに口を出されるなら、高校で生じた銃乱射事件で「教師に銃を持たせろ」と暴論を吐いたトランプ大統領に対して、なぜ「失望した」と言えないのか。誇りを失った総理に、私は「失望した」。
なお念のため、総理が個人としても靖国神社に参拝してはいけないというなら、クリスチャンの総理や大統領も日曜日に教会に行ってはいけないことになるのか。A級戦犯を合祀したからいけないというなら、広島・長崎の犠牲者も合祀させればいいではないか、と私は思うのだが…。軍人ではないが、彼らは紛れもなく戦死者なのだから。