小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

自民「勉強会」と朝日新聞第一報が意味することを考えてみた。

2015-06-29 08:23:32 | Weblog
「驚木、桃の木、山椒の木」とはこういうことか。
 先週の話になって申し訳ないが、いま私は月曜日にしかブログを書けない状況になっている。
 6月26日付の朝日新聞に短い記事が載った。署名入りでもないので全文を無断転載する。なおこの記事のタイトルは『「報道、広告主を通じて規制を」政権批判を巡り、自民勉強会で意見』である。このタイトルの無神経さにまず驚いた。他人事のように、この記事を書いた記者は考えているようだ。

 安倍政権と考え方が近い文化人を通し、発信力の強化を目指そうと、安倍晋三首相に近い若手議員が立ち上げた勉強会「文化芸術懇談会」(代表=木原稔・党青年局長)の初会合が25日、自民党本部であった。出席議員からは、広告を出す企業やテレビ番組のスポンサーに働きかけて、メディア規制をすべきだとの声が上がった。
 出席者によると、議員からは「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」など、という意見が出た。
 初会合には37人が参加した。官邸からは加藤勝信官房副長官が出席し、講師役に首相と親しい作家の百田尚樹氏が招かれた。
 
 これが朝日新聞26日付朝刊に掲載された記事の全文である。何の論評も付け加えられていない。ただ「○○で交通事故があった」という社会面記事のような扱いでしかない。
 呆れた理由は二つある。朝日新聞の記者の無神経さ、あるいは鈍感さ、もっと言えば「新聞を標的にした若手議員の行動は、新聞離れが激しい若者層が新聞に戻ってくれるのではないか」という手前勝手な期待がこの記事を書いた記者の本音だったのかもしれない。朝日新聞は百田氏が沖縄の地元紙を潰すべきだと主張したことさえ無視した。沖縄の地元紙がなくなれば、全国紙の朝日新聞の購読者が増えることを期待したのかもしれない。朝日新聞は、慰安婦問題での誤報の訂正をほったらかしにしたうえ、とうとう福島原発での吉田証言の「でっち上げ」を最後まで不問に付したまま幕を引いてしまった。朝日新聞の体質は依然として変わっていないと言わざるを得ない。
 もう一つの理由は、自民党内部の、言うなら2・26事件を引き起こした青年将校のような思い上がりが若手議員たちの間に生じつつあるのか、という唖然たる思いだった。
 自由といっても、すべてが許されているわけではない。気に入らない人間を世の中から抹殺する自由など、民主主義を標榜している国では認めていない。だが、あらゆる自由の中で最も大切にしなければならないのは「言論・報道の自由」である。私はこれまで何度もブログで、最も大きな自由には、紙の裏表のように、権利の大きさと同等の責任の重さが伴うことを主張してきた。とくに報道の場合、裏付けもないのに社の主張を読者や視聴者に押し付けることを目的としたでっち上げ報道に対しては厳しく断罪してきた。
 が、政治家とくに権力の立場にある政党の政治家が、言論・報道の自由を封殺することを考えるなどということは、さすがに私にとっても「想定外中の想定外」のことだ。朝日新聞が第一報で、この大事件に対して何の論評も加えなかったことは、もはやメディアとしての資格を失ったと考えた。
 当日午前10時前に、3~4分の短い電話をして朝日新聞の姿勢に抗議した。出かけなければならない時間が迫っていたからだ。帰宅後、朝日新聞に再び電話をした。読者からの苦情の電話が殺到していたようだった。「夕刊ではかなり大きく扱っています」と朝日新聞の担当者は述べたが、後から「すみませんでした」で済む問題ではない。
 さすがに朝日新聞にも「恥」を知るジャーナリストはいたようだ。翌日(27日)には1面トップ、「時時刻刻」、社説などで自民党や「勉強会」に出席した議員たちに猛反発した。この日の記事で初めて朝日新聞は「(勉強会で)参加議員や講師として招かれた作家の百田尚樹氏から沖縄をおとしめたり、報道機関を威圧するような発言が出ていたことが分かった。与野党双方から批判が上がり、首相は国会で『事実であれば大変遺憾だ』と答弁。ただ、野党から求められた自民党総裁としての謝罪には応じなかった」と事実を明らかにした。
 議員は国政選挙によって有権者から選ばれた人たちだ。彼らを政治の世界から葬ることができるのは、彼らの選挙区の有権者だけである。が、そういう議員を党から除名しようとしなかった安倍総裁の政治責任は当然問われなければならない。
 各メディアの世論調査によれば、安倍内閣の支持率は急下降しているようだ。とりわけ安保法制を何が何でも今国会中に成立させようという姿勢に、有権者は大きな疑問を抱き始めている。安保法制を成立させるためには、自衛隊法だけでなく20を超える関連法の改定が必要になる。どの法律をどう改定しようとしているのか、その一部しか報道されていない。与党である自公でも、まだすべての法改定について同意ができているわけでもなく、「平和の党」を標榜してきた公明としては絶対に譲れない一線もあるだろう。
 そうした状況の中で自民党本部で開かれた「勉強会」である。もちろん、議員とくにまだ未熟な若手議員たちが有識者を招いて、様々な政策について見識を高めていくことは大切なことだ。が、そうした「勉強会」は自由に、あるいは勝手に開かれることはありえない。当然、何を目的にした勉強会を開催する
のかを党事務局に届け出て、事務局の許可を取る必要がある。27日付朝日新聞の報道によれば、この勉強会はこのようなものだったという。
 
 安倍首相を支持する議員や首相側近も出席。講師は首相と共著を出すなど思想的に共鳴し、首相官邸がNHK経営委員に推した百田尚樹氏だった。主催議員の一人は取材に「安倍さんのやっていることが正しいと発信して貰う。安倍さんを応援する会だ」と明言。実際、百田氏の発言(※「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」「米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪のほうがはるかに率が高い」といった内容)に笑い声は起きたが、たしなめる声は出なかった。百田氏が何を言うかは自由だが、政権を担う国会議員がそれを容認したと受け取られても仕方がない。

 いま安保法制について、各メディアの世論調査によれば反対派が圧倒的に多い(朝日新聞の場合では賛成29%、反対53%)。まだ法案の内容がほとんど明らかにされていないにもかかわらず、世論は日本の将来に不安感を抱き始めている。そうした事態に安倍総理の側近たちが危機感を高めだしたのが、おそらくこの「勉強会」開催の背景にあるのではないか。
 安保法制の内容が明らかになっていないため、私は現段階では論評を差し控えるが、前回のブログで安倍総理が国内と海外首脳への説明が「二枚舌」になっている可能性が極めて高いことを指摘した。いま安倍総理が国会で説明している内容なら、デタラメな内閣法制局の「集団的自衛権」についての定義に基づいて、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認などしなくても、日本の存立が危うくなる事態に対しては「個別的自衛権の行使できる範囲」について国民に説得力ある説明をすれば、現行関連法の改定だけで「憲法解釈の変更」など持ちださなくても済むはずだ。
 が、「一国平和主義」にあぐらをかいたままで日本の抑止力だけを強化するというような話だったら、アメリカやオーストラリアなど海外首脳が大歓迎するわけがない。
 安倍総理の祖父、岸信介総理が行った「60年安保条約改定」のときも、岸総理は国民に誠実な説明責任を果たさず国会で強行採決し、内閣総辞職に追い込まれた。いま安倍総理をはじめとする安保法制推進グループは「60年安保改定のときも、『日本がアメリカの戦争に巻き込まれる』といった反対論が盛んに出たが、その後一度も日本がアメリカの戦争に巻き込まれたことはなかった」と強弁する。
 が、彼らは日米安全保障条約の改定によってアメリカに片務的な日本防衛の
義務を負い続けてもらう代わりに、沖縄をアメリカの軍事拠点として差し出し
てきたことについては一切語ろうとはしない。いま沖縄で生じている普天間基地の辺野古移設問題の根っこは、60年安保改定にあることをメディアは国民に語るべきだ。
 私は日本国民が幻想の「一国平和主義」にあぐらをかいて、日本がいま国際社会の中で占めている地位にふさわしい国際貢献、なかんずくアジア・太平洋地域における平和と安全のためにどういう責任を果たすべきか、国民的議論を経て、占領下において自国の防衛と国民の安全を守る責任・義務は占領側にあり、そうした中で「自衛のための戦力も持たない」(吉田総理の国会答弁)憲法を制定し、それがいつの間にか「平和憲法神話」化して、そのツケが沖縄と沖縄県民にすべて押し付けられてきていることを国民もはっきり理解すべきだろう。
 はっきり言っておく。安倍総理が海外首脳に「積極的平和主義」なるものについてどんな説明をしているのかは、いまだ闇のなかだが、アメリカも自国の国益に反してまで日本防衛のために、アメリカ人の血を流してくれることなど絶対にありえない。そのことだけは、メディアもはっきりさせておくべきだ。そのうえで、日本が「抑止力」を高めるためには、どういう国際貢献をすべきかを、国民的議論を経て、国民自身が決めていくことではないか。

 ついでのことに…。百田氏の「レイプ率」発言について一言。彼が小学生並みの頭脳しか持っていないことが判明した。
「米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪のほうが、はるかに率が高い」という発言の幼稚さだ。百田氏の発言の幼稚性を比喩的に明らかにする。
「日本の警察官が犯す犯罪よりも、一般国民が起こした犯罪のほうが、はるかに率が高い」
 百田氏の説によれば、そういうことを意味する。もし、日本の警察官が犯す犯罪のほうが、一般国民が起こす犯罪より率が高かったら、とっくに日本の警察体制は崩壊に追い込まれている。こういうのを「屁理屈にもならない屁理屈」という。
 さらに百田氏は沖縄県民のことを沖縄人と呼んだ。もし沖縄県民を大和民族とは異質の人種だと言いたいのなら、「沖縄人」ではなく「琉球人」と言うべきだろう。作家としての資格を疑わざるを得ない。
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とうとう谷垣幹事長が安倍「安保法制」の本当の狙いを明らかにしてしまった。

2015-06-22 07:28:47 | Weblog
 今日、日韓両国の在大使館で日韓国交正常化50年を記念して式典が行われる。その式典に、日韓の両首脳が出席することが分かった。涙が出るほど嬉しい。前回のブログで、歴史の検証は政治を目的にして行ってはいけないと書いた。政治を目的にして歴史の検証を行えば、その検証作業は国内世論の誘導、政策の正当化につながる。いま両国の対韓、対日感情は戦後最悪と言ってもいいほど悪化している。その一方で民間の世論調査によれば、両国の関係改善を望む両国民はそれぞれ70%に達しているという。世論は政治を動かす力を持っているという歴然たる証明でもある。両国首脳が、世論に配慮したことは、政治の主体は国民にあることを証明した。民主主義は、亀のような歩みかもしれないが、一歩一歩前進していることを、私は心の底から噛みしめた思いだ。

 自民は通常国会を9月末まで延期することを決めたようだ。公明の反発をできるだけ抑えるために、強行採決を避けることにしたのだろう。自民・谷垣幹事長(元総裁)が、20日山口県宇部市で講演して今週初めにも会期を延期することを決める予定を明らかにした。
 またその講演で安保法制について、とうとう安倍構想の本音も明らかにしてしまった。もともと安倍総理は国内での説明と海外での説明を変えてきた。はっきり言えば「二枚舌」を使ってきた。
 当初、安倍総理は「韓国有事などの際、日本人を救出するために出動した米国艦船が攻撃を受けた場合、米艦船を助けなくてもいいのか」と主張をしていた(「ホルムズ海峡が機雷によって封鎖されたら日本の存立にかかわる。機雷掃海は自衛権の範囲だ」とも主張していた)。この米艦防護の発言に対して米政府は直ちに否定した。「日本人を救出するために米艦船を出動させることはありえない。米政府が最初に救出するのは米国人であり、次に優先的に救出するのはイギリス人だ。日本人を救出するとしたら、その他の同盟国の国民と同じ扱いになる」と。
 その後、安倍総理は積極的に海外首脳と会談を重ね、「安倍安保法制」の構想を語り、賛意を取り付けていった。その首脳会談そのものはメディア抜きで行われたため、安倍総理がどう説明したかは全く分からない。が、安倍総理は「私の積極的平和主義が海外首脳から歓迎された」としかコメントせず、肝心の「積極的平和主義」なるもの中身はわれわれ日本人には依然としてわからない。海外首脳も「日本の積極的平和主義を歓迎する」というコメントしか出さず、どういう国際紛争が生じたときに、日本政府が自衛隊の実力を行使するのかはいまだ明らかではない。が、海外首脳が安倍総理の「積極的平和主義」を歓迎している以上、安保法制の海外での説明が「自国が攻撃されていなくても、密接な関係にある国が攻撃されたら助けますよ」と約束しただろうことは間違いない、と私は思っていた。
 が、国内での説明はいぜんとして「日本が国家存立の危機にさらされたとき」「日本人の生命が脅かされたとき」としか言ってこなかった。が、その程度の範囲であれば、何も「憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする」などと、大半の憲法学者が「違憲法制だ」と声を上げるまでもなく、憲法も否定していないと解釈されている「個別的自衛権」(実際には現行憲法は自衛のための戦力の保持も否定しているのだが)の行使範囲を明確にすることによって、自衛隊を出動させることは可能なはずだ。
 だが、前回のブログで明らかにしたように、国連憲章51条は「個別的」(自国の軍事力)であるにせよ「集団的」(密接な関係にある他国の軍事力)であるにせよ、いずれも自国防衛のために行使できる「固有の権利」として認めてい
るだけだ。いかに密接な関係にあったとしても、自国以外の他国から頼まれもしないのに、勝手に他国防衛のために自国の軍事力を行使することなど、憲章51条は一切認めていない。憲章51条は条項そのものを「自衛権」と位置付けられているように、国連安保理がいかなる手段でも国際の紛争を解決できなかった場合にのみ、安保理が紛争を解決するまでの間に限って「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と明記している。「個別的」が自国防衛のためで、「集団的」は他国防衛のためなどという解釈のデタラメさは、中学生程度の読解力があれば誰でも分かる話だ。政治やメディアの世界で仕事をするには、中学生以下の読解力しかないと資格がないことを意味しているとしか思えない。
 ところが、このブログの冒頭に書いたように、谷垣幹事長が、つい安保法制の本当の狙いを喋ってしまった。その個所を発言のとおりに文字化する。
「日本周辺の安全保障環境は変わってきて、テロのようなものも起きるようになってきた。アメリカは、かつてほど世界のどこにでも目を光らせているという状況ではなくなってきており、それを補わなければならない」
 谷垣氏は元衆院議員の杉村太蔵氏のようなできそこないの政治家ではない。自民党の元総裁であり、現幹事長の要職にある。勝手に自分の考えを述べられる立場にはない。谷垣氏が言ったことは、「国際社会に置けるアメリカの権威が低下した部分を、自衛隊の軍事力で補う」ということだ。それ以外に解釈のしようがない。
 確かに日米安全保障条約は片務性が問題視されており、岸内閣時の「60年安保改定」や、78年から行われるようになった「思いやり予算」(在日米軍駐留費負担)の増加に次ぐ増加などで、かなり片務的傾向は薄められてはきたが、それでもアメリカだけが日本防衛の義務を負い、日本はアメリカ防衛の義務を負わなくてもよいというギャップは、とくに米国民の一部にいまだに根強く残っている反日感情のしこりの原因になっていることは疑いを容れない。
 そういう意味では、安倍構想を私は真っ向から否定しているわけではない。が、相対的に弱体化したアメリカの、「世界の警官」としての国際的地位を日本が補完するというのであれば、まず憲法を改正したうえでのことだろう。現行憲法には手を触れず、憲法解釈の変更によって自衛隊がアメリカの補完的役割を担うというのは、あまりにも国民をバカにした話ではないか。
 念のため、私は「一国平和主義者」ではない。現在の日本国憲法が成立した時代の日本の国力から考えても、また占領下における日本の防衛の義務は占領国側(実態はGHQ)にあったから、日本は「自衛のための戦力すら持たずにすんだ」ことは憲法制定時の吉田茂総理の国会答弁からも明らかである。
 が、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立した時点で、「自衛のための戦力さえ否定した」現行憲法を改正せず、経済復興を最優先した吉田内閣の判断は、ある程度やむを得ざる状況だったことを考慮しても、憲法改正への道だけは作っておくべきだったと、私は思っている。吉田総理の功罪は改めて「政治的目的」を排除したうえで検証すべきだろう。

(追記)昨日のNHKスペシャルに再び感動した。私は湾岸戦争時に毎週テレビ朝日の『サンデーモーニング』を見ていた。当時朝日新聞の田岡俊次記者や小川和久軍事評論家などが「一国平和主義」を前提とした主張をしていたと思う。
 その当時のメディアの姿勢に対して、私は「日本はこれでいいのか」という思いを込めて『日本が危ない』(1992年、コスモの本より上梓)を書いた。そのまえがきで私はこう書いた。

 正直なところ、私は湾岸戦争と旧ソ連邦の解体に直面するまで、日本の安全や防衛問題について深い関心を抱いていたわけではなかった。
 戦後40数年の間、日本は自ら軍事行動に出たこともなく、また他国から侵略されることもなく、見せかけの平和が続く中で経済的繁栄を遂げてきた。私はそういう状態が今後も長く続くに違いない、と無意識のうちに思い込んでいたのかもしれない。日本とアメリカの結びつきは政治的にも経済的にも強固であり、日米関係に突拍子もない異変が生じない限り、日本の安全は世界のどの国よりも保障されている、と信じて疑わなかった。
 だが、湾岸戦争と旧ソ連邦の解体は、そんな勝手な思い込みをアッという間に打ち砕いてしまった。
 まず湾岸戦争。イラクが突如、クウェートに侵攻し、日本人141人が人質にされた。経済大国日本の海外駐在のビジネスマンが、テロリストの標的にされる事件は最近、頻発しているが、いかなる犯罪とも関係のない日本人の、それも民間人の生命が他国の国家権力の手によって危機にさらされるという事態は、戦後40数年の歴史で初めてのことだった。
 このとき日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのでなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
 私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいことは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万が一のことが生じたときは、日本政府は重大な決意をもっと事態に対処する」
 海部首相がそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことができたし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。
 もちろん、そのような宣言をすれば、国会で「自衛隊の派遣を意味するものだ」と追及されたであろう。そのときは、直ちに国会を解散して国民に信を問うべきであった。その結果、国民の総意が「人質にされた同胞を見殺しにしても日本は戦争に巻き込まれるべきではない」とするなら、もはや何をか言わんやである。私は日本人であることを恥じつつ、ひっそりと暮らすことにしよう。
 私の本書における基本的スタンスは、その一点にあることを、前もって明らかにしておきたい。(後略)

 本書の締めで私はこう書いた。

 高校での日本史の授業はせいぜい明治維新で打ち切りになっていることが多いという。なぜ軍国主義時代の日本や戦後の日本についての正しい歴史教育を行わないのか。聖徳太子の17条憲法を教えることも大切だろうが、現行憲法や国連憲章、日米安保条約、IMFやガットのルールについて正しい理解を育むことのほうが、将来の日本を担う子供たちにとってはるかに大切である。
 いま世界は、確かに平和に向かって大きく前進しようとしている。大局的にはそう言えるが、地域的に見れば民族紛争、国境紛争、宗教対立はかえって激しさを増している。たまたま日本はそういった紛争から局外にあるため、“平和の配当”を求める声が強いが、当然の権利として“平和の配当”を求めるためには、まず“平和の代償”を支払わなければならないことを子供たちに教えなければいけない。そして日本がきちんと“平和の代償”を支払ったとき、初めて日本は世界から仲間として受け入れられるであろう。

 同書を上梓した直後、朝日新聞の田岡氏から私の自宅に電話をいただいた。いきなり「危険な書だ」と批判された。“平和ボケ”した田岡氏から見ると危険な書に見えたのかもしれないが、日本は“平和”の実がなる木を持っているわけではない。平和を維持するためには、それなりの国際社会への責任を果たすことが必要だ。
 私は1時間を超える田岡氏からの電話の最後に、こう疑問をぶつけた。「もし人質にされた日本人の一人にでも、他国の国家権力から被害を受けた場合、では日本政府は見殺しにすべきだとおっしゃるのですか」と。
 田岡氏はしばらく沈黙した後「その答えは持ち合わせていません」とお答えになった。1時間余に及ぶ電話はこのやり取りで終わった。いま田岡氏は湾岸戦争との絡みで、安倍安保法制についてどう考えているのだろうか。ぜひ聞いてみたいと思う。

 昨日のNスぺは湾岸戦争当時のアメリカからの日本への強い要請と、それに答えようとしていた海部内閣のスタンス、さらに自衛隊派遣の法律改正が廃案に追い込まれたいきさつを、憶測ではなく事実を根拠に報道した。そうした経緯があったことは当時のメディアではほとんど報道されなかったと思う。だから私はメディアの報道を根拠に、先に書いたような「まえがき」を書いた。いま、私はジャーナリストの端くれとして、そのことを恥じている。
 ただNHKへの要求もある。憲章51条の徹底的な解明を目的とした報道番組を制作してほしい。なぜ「集団的自衛権」についての解釈の混乱が生じているのか、その解明はNHKの報道使命の一つだと思うからだ。


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民主、共産は国会戦術を誤るな。粛々と安保法制を成立させることが、安倍政権打倒の近道だ。

2015-06-15 06:49:31 | Weblog
 昨夜(14日)午後9時から放映されたNHKスペシャル『沖縄戦 全記録』は衝撃的だった。事実に基づく戦争の悲惨さを、いやというほど見せつけられた思いだった。Nスペのスタッフには頭が下がる思いすらした。NHKの籾井会長にとっても大変なショックだっただろう。が、籾井氏は制作現場には一切口を出さないと公約している。恐らく籾井氏は歯ぎしりしながら番組を見ていただろう。「こんな番組を放送されたら、安倍総理に顔が立たない」と。

「バカも休み休みにしろ」という言葉がある。安全保障関連法案の国会審議が、民主・共産の無駄(無意味?)な抵抗で中断してしまった。
 もちろん野党は政府与党の暴走を止めるために、政府与党が提出した法案に対し、国会で議論を尽くし国民に信を問う責任はある。が、国会は衆参両院とも自公が圧倒的多数を占めており、野党がどんな抵抗をしても最終的には安保法制は国会では成立する。
 先が見えているのに、無駄な税金を使うのは国会議員の権限を越えている、と言わざるを得ない。
 そこで、野党に提案する。国会での審議は粛々と進めて、主張したいことはすべて述べたら欠席したり議場から退席したりせず、堂々と採決に望むべきだ。当然安保法制は衆参を通過する。問題はそのあとだ。
 憲法学者や弁護士が集団で全国の8高等裁判所に「安保法制は憲法違反だ」と告訴することは間違いない。この訴訟は地裁から始める必要はないと思う。ひょっとしたら高裁すら通さず、いきなり最高裁判所に提訴ができるかもしれない。私は法曹家ではないので、どういう法的手段をとるかは専門家が決めればいい。
 いずれにしても、裁判の結果は火を見るより明らかだ。憲法学者のほぼ全員に近い方たちが「憲法違反」という結論を出している問題について、高等裁判所が「合憲」という判決を下すことはありえないからだ。
 政府は当然控訴するだろう。が、最高裁に控訴しても控訴そのものが門前払いになる可能性が高いと思う。ま、一応政府の顔を立てて審議したとしても、結果は見え見えだ。最高裁も間違いなく全員一致で「違憲」の判決を出す。
 私は「集団的自衛権」問題については数えきれないくらいブログで書いてきた。最近では5月11日に投稿した『あらためて集団的自衛権問題と普天間基地
移設問題を考えてみた…民主主義とは何かがいま問われている⑬』で集団的自衛権についての定義を書いた。初めてではない。これまで何度も書いてきたのだが、ようやく従来の政府解釈(内閣法制局)がおかしいと分かる政治家や法曹家が出てきた。
 従来の公式解釈は「集団的自衛権とは、自国が攻撃されていないにもかかわ
らず、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利で、国際法上すべての国連加盟国に認められている固有の権利ではあるが、我が国の場合憲法9条の制約によって行使できない」というものである。
 この公式見解そのものが大きな誤りであることを私は何度もブログで書いてきた。「集団的自衛権」なる用語は国連憲章の中で1カ所しか出ていない。その個所は憲章51条である。51条以外には国連憲章ではどの条文にも「集団的自衛権」についての記述はない。
 では51条はどういう条文なのか。
 国連憲章は先の大戦が終了する直前の1945年6月に連合国が、戦後の世界秩序を安定させるためにつくったものだ。だから連合国に対抗していた日本やドイツに対する位置付けは「敵国条項」が設けられ、いまだに削除されていない。なお、この国連憲章をベースにして、国連が発足したのは戦後の1945年10月である。
 そうした憲章成立の経緯をご理解していただいたうえで、「集団的自衛権」という用語の意味を改めて考えて頂きたい。日本国憲法は「平和憲法」と多くの国民が「信じ込んでいる」のと同様、国連憲章は「平和憲章」のはずなのである。日本国憲法の前文に相当する個所で、国連憲章は国際間の紛争は武力によらず平和的手段によって解決すべきことを全加盟国に義務付けている。
 が、そうは言っても国益が衝突した場合、当事国同士の平和的話し合いで紛争を解決することは現実的には難しい。そこで、憲章は紛争解決のために国連安保理に「平和的措置」と「軍事的措置」についてあらゆる権能を付与することにした。
 が、問題が残った。国連は、多くの日本人が誤解していると思われるが、民主的組織ではない。国連総会での多数決では何も決められないのだ。決定権は国連安保理に属し、しかも安保理には特別の権限を付与された常任理事国が君臨している。言うまでもなく常任理事国は先の大戦の戦勝国である米・英・仏・ソ(現露)・中の5か国であり、この5か国のみが核保有を認められており、かついかなる案件についても拒否権を発動できる権利さえ認められている。
 そのため国連憲章制定の過程で南米など弱小国が反発して51条が制定されたといういきさつがある。つまり他国から攻撃された場合、国連安保理が紛争を解決できるまでの間に限ってすべての加盟国が行使できる権利として認められたのが51条『自衛権』である。その権利について憲章は「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」としている。
 集団的自衛権に関する憲章の記述はこれ以外にない。つまり「個別的」であ
ろうと「集団的」であろうと、その自衛権を行使できるケースは「(自国が)他国から攻撃された場合」に限定されているのである。この憲章を縦から読もうが、横から読もうが、あるいは逆さまにして読もうが「密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使できる権利」などではありえない。中学生程度の読解力があれば、その程度のことは理解できそうなものだが…。
 内閣法制局のメンバーが、中学生以下の読解力しか持っていなかったことが、
そもそもこの大混乱の原因を作ったことは、私のブログの読者ならご理解いただけたと思う。いずれにせよ、民主党や共産党は国会でそのことだけを指摘して安倍独裁権力の欺瞞性を暴くだけでいい。そのうえで、粛々と採決に応じて安保法制を成立させ、あとは安倍独裁権力が自滅するのを眺めていればいい。
 ただ気がかりなのは、「戦後処理」をどうするかだ。国民は自民党を支持していながら(メディアの世論調査による)、自公政権に対抗できる野党の「誕生」に大きな期待を寄せている。
 その試みは、かつて二度あり、二度とも国民の期待を裏切った。最初の試みは細川政権だったが、「野合政権」だったため何も決めることができず自壊してしまった。二度目の試みは民主党政権だったが、民主党そのものが「野合政党」だったため、やはり何も決められずに自爆してしまった。私は民主党政権の最期を看取った野田総理は高く評価しているが、連合を支持母体とする輿石幹事長に足を引っ張られ、数合わせのために手を組んだ小沢にも背後から銃弾を浴びせられ、結局党内をまとめられずに自公と手を組んで消費税増税と選挙制度改革の「口約束」だけを取り付けて、衆議院を解散した。
 野田元総理は「騙された私が悪いのか、騙した方が悪いのか」と国会で無念の気持ちを吐露したが、政治家の「口約束」などはその程度のものだと理解しただけでも野田元総理は少し利口になったと言ってもいいだろう。私は少し利口になった野田氏の復活に期待しているのだが…。

 なお安倍総理は統一地方選挙が終わるまで、安保法制の中身をまったく明らかにしなかった。明らかにしてしまうと、統一地方選の戦いが不利になることを知っていたからだ。
 が、もっと重要なこともある。昨日には学生や一般市民がとうとう怒りを爆発させ始めたのだ。国会周辺や若者の街・渋谷でデモが始まった。この動きは一気に全国に広まるだろう。Nスぺの番組が、安保法制反対運動の火に間違いなく油を注ぐことになる。
 統一地方選が始まる前、有権者は憲法改正に理解を示しつつあった。読売新
聞が今年3月に行った世論調査でも憲法改正支持率は51%と過半数に達していた。いまメディアが憲法改正について世論調査を行えば、間違いなく支持率は大幅に低下しているだろう。
 現行憲法は占領下において制定された。被占領国の防衛とその国民の安全を守るのは占領国の義務である。先の大戦においても、日本軍は占領した国や地域を他国からの攻撃に備える義務を負っていた。現に沖縄決戦の直前、大本営は沖縄守備隊のかなりの兵力を台湾防衛に割き、沖縄守備隊は圧倒的な兵力で攻撃してきた米軍に対し、沖縄の一般住民を戦役に駆り出さざるを得なくなった。沖縄住民に与えられた武器は、竹槍と手榴弾だけだったという。言うまでもなく手榴弾は米軍戦車や装甲車に体当たり自爆する特攻作戦のためだった。
 戦後、日本はGHQの占領下に置かれた。日本と日本国民の安全を守る責任と義務は、日本を占領下に置いたGHQにあった。だから「戦力不保持」の憲法が制定された。
 いま日本は独立を回復しただけでなく、経済力においても技術力においても、また潜在的軍事力においても世界の一流国としての地位を占めるに至っている。日本はその国際社会に占めている地位にふさわしい国際の平和と安全に貢献する義務がある。が、そのためには現行憲法9条の壁が大きく立ちふさがっている。日本の有権者も、ようやくそのことにおぼろげながら気が付きだした。憲法改正の気運は戦後、最も現実味を帯び始めていた。
 が、憲法を改正せずに「自国を守るために密接な関係にある他国を守る」などということを、現行憲法が認めるわけがない。すでに憲法学者のほとんどが安保法制は違憲だと声を上げ始めている。
 すでに書いたが、数の力で安保法制を国会で成立させれば、全国8高裁で一斉に「違憲訴訟」が生じる。判決は目に見えている。政府は負けることを承知で最高裁に控訴するだろうが、最高裁も全員一致で「違憲判決」を出す。
 日本の有権者の間に高まりだした憲法改正の気運も一瞬にしてしぼむだろう。
 さあ、安倍さん。自衛隊を使ってクーデターを起こし、軍事政権の樹立を目指すかい? いまの自衛隊が、安倍さんの指示によってクーデターを起こすとは思えないがね…。
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集合住宅管理組合理事会の独裁権力はこうしてつくられる。

2015-06-08 07:12:54 | Weblog
 今週は何を書こうか迷った。サミットについても書きたかったし、集団自衛権についての憲法審査会の判断についても書きたかったし、20歳の女子大生が国民の権利としての国政選挙に投票できない制度について国を相手取っての訴訟についても書きたかったが、きわめて身近な地域社会の問題について書くことにした。
 昨7日、私が住んでいる某団地の管理組合総会があった。総会はすでに管理組合理事会が決定した議案について賛否を問う「儀式」でしかなかった。私は思わず北朝鮮の「民主主義」システムを想起した。北朝鮮は正式な国名に「朝鮮人民主主義共和国」を採用しているくらいで、一応民主主義国家を標榜している。が、北朝鮮に日本のような国会があるのかどうかは分からないが、そういう国の政策についての決定機関があったとして、「国会」の役割は政府の政策の追認機関でしかない。実は、私が住んでいる某団地の管理組合総会も同様なものでしかないことが昨日、あらためて明らかになった。
 実は私は、昨年の管理組合総会で緊急動議を提出した。が、緊急動議は管理組合理事会とは別のわけのわからない「21委員会」と称する組織によって封じ込められた。実は私が住んでいる地域は日本一といえるほどの大団地地域である。この地域には数か所の団地(分譲および賃貸)が存在し、分譲と賃貸の住居も混在している。管理はすべてJS(日本総合住生活株式会社)が全面受託している。ちなみにJSはUR都市機構(元公団)の子会社である。
 私が最初に疑問に思ったのは分譲と賃貸では管理費(賃貸の場合は共益費)の相当の差があることであった。分譲の団地については管理費に違いがあるので、私が住んでいる団地についてのみ書くが、管理費は月額5200円である。一方賃貸の共益費は月額2500円。分譲団地の世帯は賃貸の倍以上の管理費を強制的に支払わされている。
 昨年の総会で私はその問題を追及しようとしたが、「21委員会」によって阻止された。が、管理組合理事会が提出した議案に対して出席組合員から「JS丸投げ」に対する批判が噴出した。理事は毎年交代することになっているので、昨年8月5日、新理事長に要請文を提出した。その一部を転記する。

 (前回の)総会では管理組合に対する批判(JS日本総合住生活への丸投げ)が激しく出ました。
 前理事の方たちはいろいろ言い訳をしていましたが、総会を2時間で打ち切りにすることしか頭になく、結局次期理事会に引き継ぐということで逃げ切りました。しかし、現理事会は、管理費が合理的に使われているのかチェックしていますか。先日修繕状態についてのアンケートをとられましたが、管理状態についてのアンケートもとってください。
 とりあえず、JSには何も言わず、管理の現状について国家資格を有しているマンション管理士複数(3人くらい)に、別々にチェックしてもらってください。一人だけだと適正な評価をしない可能性がありますから、その防止のためにも依頼する管理士に「他の管理士にもチェックをお願いしている」とだけ伝えて、別々の日に厳しいチェックをしてもらってください。3人の管理士に支払う報酬など、そのチェックに基づいてJSに対して再見積もりを要求すれば、何十倍にもなって回収できます。

 今年に入って4月14日に再度要望書を理事長に提出した。その一部も転記する。

 6月7日の総会の件ですが、前年総会のように時間切れで終了などといった、いまでは株主総会でもやらないような組合員の意見の封じ込めはしないでください。
 少なくとも当日は午後5時ころまで小学校の体育館を借り切って、途中で1時間程度の休憩時間を挟んでも組合員が納得できるまで討論できる体制をとってください。もちろん午後5時まで総会を続ける必要はありません。すべての議事について討論が終わり、決議について組合員が納得して採決に参加できるだけの体制をとってください。議事進行がスムースに済めば、午後5時まで総会を続ける必要はありません。(中略)
 とくにURの場合、分譲と賃貸で管理費に相当の開きがあります。分譲の場合、なぜ賃貸より過大な管理費が必要なのか、JSの責任者を総会に呼んで説明させてください。

 さて昨日の総会でも、JSへの丸投げに対する組合員からのかなり厳しい批判が噴出した。理事長は「JS丸投げには問題があると思う。この問題は次期理事会に引き継ぐ」と言ったが、前年の総会でも前理事長はまったく同じ対応で逃げた。おそらく、来年の総会でも新理事長は同様の対応で逃げるだろう。「二度あることは三度ある」ということわざもある。
 こうした不祥事が連続して続いた以上、理事会がJSとの癒着を解消する手段は一つしかない。今年度のJSとの契約は成立してしまったから解消するのは難しいが、新理事会が「来年度はJSとは管理委託契約をしない」と宣言してしまうことだ。ちなみにマンション管理業者としてのJSの評価は34位だそうだ。新理事会が「来年度は評価ランク10位までの管理業者だけに絞って管理計画と見積もりを取り、複数の専門家に依頼して管理業者を選定する」と原則を決めれば済む。当然評価ランクが34位と低いJSは選定対象に入れない。

 ついでのことに、総会開催に際して管理組合は出席できない組合員に対して「議決権行使書」か「代理人選任届」の提出を求めている。それはそれでいいのだが、議案に対する賛否を問うても議論に参加できないのだから「議決権行使」についての賛否を表明する組合員はいない。
 問題は議案についての賛否を明らかにできない非出席者が出さなければならない「代理人選任届」である。肝心の代理人の選択肢は三つしかない。①理事長②議長③別の組合員、の三つだけである。③を代理人として選任届をする組合員はいない。今年もゼロだった。
 ということは、総会における決議は最初から決まっていることを意味する。①と②は結局自らの意志ではなく、現理事会が提出した議案の賛成票に加算されるからだ。最低、出席できない組合員は、出席した組合員が示した賛否への同意という選択肢を加えるべきだろう。民主主義とは、権力者に従うことではない。管理組合理事会は権力者であるはずはないのだが、そう勘違いしている理事が多いようだ。こうしたことは団地だけでなくマンションなどの集合住宅でも多発しているようなので、あえて問題提起することにした。
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オスプレイの「着陸失敗」事故の死者が2人になった。オスプレイには構造上の問題があるのでは…。

2015-06-01 08:20:54 | Weblog
 5月17日、米ハワイ州オアフ島のベローズ空軍基地近くで着陸事故を起こしたオスプレイMV22型機での死者が2人に増えた。
 事故の目撃者の話によると、「見た目には機体に何の異常も感じなかった。突然ストーンと落ちた感じだった」という(ユーチューブより)。
 オスプレイはアメリカが誇る最新鋭の航空機だが、その安全性は以前から疑問視されていた。が、米国防総省は「事故率は他の軍用機に比べ最も低い」と安全性を強調してきた。実際には米国防総省は軍用機の事故について3ランクに分けて事故率を計算している。もっとも重大な事故(Aクラス)は死者が出、航空機自体がほとんど修復不可能になったケースで、こうした事故に関してはオスプレイの事故率は一番低いという。次に中程度の事故(Bクラス)は死者こそ出さなかったが、重傷者が出たり航空機の修理にかなりの金額がかかる事故で、このクラスになるとオスプレイの事故率は一躍トップに躍り出ている。さらに最後の比較的軽い事故(Cクラス)になると、オスプレイの事故率は他の軍用機を圧倒して多い。
 考えてみれば、そうした結果が出るのは当り前と言えば当たり前の話だ。
 オスプレイはユーチューブで見ればすぐ分かるが、機体の両翼の先端にプロペラを搭載した回転式のプロペラ体がついている。通常の軍用機(ジェット機)の場合には両翼の下部に固定してあるジェットエンジンに相当するものだ。ジェット機の場合、このエンジンの向きを回転させて飛行方向を変えるといったことはしない。エンジンは完全に翼に固定されていて、翼と一体になっている。これがジェット機とオスプレイとの最大の設計上の違いである。この違いが事故率に大きく関係してくる。
 ジェット機の場合、いきなり空中に浮揚させることは不可能だ。ヘリコプターのようにいきなり空中に浮揚させるためには、機体の上部に、飛行中には格納できるプロペラを数個搭載しなければ無理だ。ジェット機を浮揚させるだけのプロペラ(プロペラの大きさは機体に格納できるサイズが限界)を数個搭載するとなれば、機体重量が重くなるためスピードも出せなくなるし、またプロペラの格納スペースを確保することも困難だ。ジェット機の離着陸時には滑走路が絶対に欠かせないのはそのためだ。中学生でも知っている、このバカバカしい話をわざわざ書いたのは、オスプレイが本質的に抱えている構造上の欠陥を明らかにするためである。
 オスプレイの両翼の先端についているプロペラ体は、翼本体と固定されていない。オスプレイの場合、離陸時にはプロペラは普通のヘリコプターと同様、上を向いている。が、オスプレイはいったん空中に浮上したら、プロペラ体を90度回転させ、プロペラは水平方向を向く。この瞬間、オスプレイはヘリコプターからプロペラ飛行機に早変わりする。つまり、オスプレイは翼とプロペラ
体を1本の回転軸でつないでいるのである。私が「構造上の欠陥」としたのは、
その故である。
 オスプレイの場合、こうした構造から機体に何らかの異常が生じても、水平方向を向いていたプロペラ体を上向きに回転させれば、オスプレイ本体をホバリング状態にすることができる。つまり墜落などの致命的な事故は、機体に何らかの異常が生じたとしても避けられる可能性がかなり高いのだ。
 ヘリコプターのプロペラの向きを90度回転させて、推進力に変えるというアイディアは、それほど斬新的とは言えないだろう。藤子不二雄の不朽のヒットアニメ『ドラえもん』は頭部に付けたプロペラでヘリコプターのようにホバリングしたり、同じプロペラを推進力に変えて飛行することができる。ただ『ドラえもん』の場合はプロペラの向きを90度回転させるのではなく、『ドラえもん』本体の向きを変えることによってプロペラの機能を自在に操ることができる。通常のヘリコプターは離着陸用に使用するプロペラと、飛行中の推進力用に用いるプロペラを別々に備えることによって垂直に離着陸し、かつ飛行のための推進力を使い分けているが、一つのプロペラで両方の機能を使い分けることができればいいな、などというのは中学生でも思いつくアイディアでしかない。ただ、その実用化が極めて困難で、オスプレイはそのための一つの方法として実用化研究が進められたのだろう。
 ジェット機の場合は、飛行中に機体に重大な異常が発生した場合、どこか滑走路がある飛行場に不時着するしか事故を回避する手段がない。私は御巣鷹山の日航機事故については、操縦していたパイロットは国民栄誉賞を貰ってもいいくらいの英雄的行動で4人の乗客・乗員の命を救ったと考えている。少なくとも日航は彼を「パイロットの鏡」として、会社が存続する限り永遠にその英雄的操縦をたたえ続けるべきだとさえ考えている。
 ユーチューブでの目撃者の証言を信用する限り(日本ではほとんど報道されていないが、ハワイでは知らない人がいないほど有名な目撃談のようだ)、事故機は通常の着陸態勢(つまりホバリング状態)に入っていたようだ。だから米国防総省も、この事故について「墜落」とはせず「着陸失敗」と発表している。が、ホバリング状態に入っていたヘリコプターが、着陸に失敗して地面に激突し一瞬で炎上するような事故が、かつてあっただろうか。私自身は寡聞にして、そうした着陸失敗により死者が2名も出るような爆発炎上事故を起こしたという話は聞いたことがない。
 米国防総省は、依然として「事故原因は調査中だが、設計に根本的な欠陥はない」との立場を崩していないようだ。ただ不思議なのは、肝心の事故機のパイロットは無事だったのか、それとも最初の死者だったのかという重要な事実すら公表を拒んでいることに、私は奇妙な違和感を覚えざるを得ない。
 これは私の素人考えだが、事故機は着陸態勢に入ったとき、当然プロペラの向きを90度変えてホバリング状態にしたと思う。が、その瞬間肝心のプロペラが何らかの理由で回転しなくなってしまったのではないかと考えている。オスプレイの事故の大半はプロペラ体の回転の際に異常が生じたのではないかと、多くの専門家は指摘している。そう考えるのが、オスプレイの事故が多い最大の合理的理由だと思う。その構造上の問題を、米国防総省はまだ克服できないのではないか。おそらく、日本の例えば三菱重工などの技術者の協力が得られれば、かなり解決できる可能性が高くなるとも私は考えている。アメリカが日本を真の同盟国にしたいのなら、日本企業の技術力を信用して、あらゆる事故情報を開示し、改良のための共同研究に着手すべきだろう。

 5月末、日米豪防衛相会談に出席するためシンガポール訪問中の中谷元防衛相は30日、米のカーター国防長官と個別に会談、オスプレイの事故原因についての調査結果を速やかに明らかにすることを求めたという。すでに東京に近い米軍横田基地にはMV22より安全性が低いと言われているCV22の配備計画が決まっている。日本は、プロペラ体を翼の先端に回転軸1本でつなぐというオスプレイの構造上の問題と信頼性について、徹底的に調査すべきだろう。日本の自衛隊も購入する予定だと言うのだから…。
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