「一票の格差」問題についての全国紙5紙の社説が出そろった。3月28日に朝日新聞と日本経済新聞、29日に毎日新聞と産経新聞、最後に30日に読売新聞が社説を発表した。
これに先立ち、私は27日に『「一票の格差」を単に格差是正に終わらせるべきではない!!』と題するブログを投稿した。タイトルにあまりインパクトがなかったのか、あるいは「一票の格差」そのものに対する国民的関心が薄いのか、このブログの訪問者はいつものブログ訪問者に比べ格段に少なかった。もし「一票の格差」問題についての国民的関心が低いとすれば、これは日本人の民主主義についての意識の低さを証明することになり、極めて残念なことである。今回のブログには多くの訪問者が訪れてくれることを期待して、改めて全国紙5紙の社説を検証することで、選挙を通じて実現すべき民主主義への道標を明らかにしたいと思う。
5紙の社説を検証する前に、前回のブログの訪問者が少なかったため、私の主張の要点を述べておきたい。
全国の高裁で先の衆院選挙が「違憲」「違憲状態」「無効」という判決を相次いで出したのは、最高裁が2年も前に出した判決に基づいている。最高裁がその前の総選挙について「違憲」との判断を下したのは一票の重みに格差がありすぎており、(以下が最重要な判決理由なのだが)その原因は300の小選挙区の区割りをする際47都道府県に「1人別枠方式」を導入したことにある、と指摘したことである。つまり「1人別枠方式」を廃止しない限り「一票の格差」は解消しないと断じたのである。もっとわかりやすく言えば、人口が最大の東京都1300万人にも最少の60万人の鳥取県にも無条件に一人ずつ議員を割り振り、残り253人を各都道府県の人口に応じて割り振るという制度そのものが一票の重みは同等であるべきとする日本国憲法の理念に違反している、というのが最高裁判決の趣旨であった。
私自身は最高裁判決を完全に支持しているわけではない。だから前回のブログではこう主張した。
民主主義というのは、絶対的な理想的政治形態ではない。大哲学者プラトンは「民主主義は衆愚政治(愚民政治とも訳されている)」と言ったほどである。
現に最高裁に否定された「1人別枠方式」にしても、東京都民が日本人全人口の10%を超え、神奈川・千葉・埼玉など首都圏を含めると、全人口の27.8%、この首都圏4都県に大阪・愛知を加えると、なんと日本人の40.5%が集中していることになる。(中略)では多数決を原則とする民主主義を選挙制度や法律にダイレクトに導入するとどうなるか、結果は火を見るより明らかだろう。
民主主義には多くの欠陥があるが、かといって民主主義にとってかわるだけのよりベターな政治形態(※「政治システム」と書いたほうがよかった)をまだ人類は発明できていない。ひょっとしたら永遠に発明不可能かもしれない。そうした状況の中で私たちにできることは民主主義の欠陥を理解したうえで、より良い政治を実現すること、言い換えれば民主主義をより成熟させていくこと――それしか現実問題を解決する方法はない。
そうした観点から相次ぐ違憲判決を契機に、よりベターな選挙制度をどうやったら構築できるかを考えてみた。
まず民主主義を標榜する国の選挙制度は基本的に議員たちが決めていることに根本的な問題があることをご理解いただきたい。国会議員に限らず。選挙でリーダーを選ぶ組織の構成員が、自分たちにとって不利な制度を作るわけがないということである。だから、その組織の構成員には選挙制度を作る資格を与えないことである。つまり国会には選挙制度についての権限を与えず、裁判所(地方・高等・最高)の中に選挙制度制定部会を設け(常設である必要はない。国民や市民の要請に応じて随時開催すればよい)、そこで地方選挙や国政選挙制度についての議論を尽くしたうえで国民や市民に制度の是非を問う――そういう仕組みにしたらどうか。(中略)
一票の格差の問題を単に選挙制度の問題に終わらせるのではなく、日本が民主主義の欠陥をどう克服し成熟させていくかの試金石にしたい。
以上が前回投稿したブログの要点の抜粋である。もちろん現在の裁判所に選挙制度を制定できる権限がないことは百も承知で、私は裁判所にげたを預けるしか方法はないと考えたのである。三権分立という民主主義制度の大原則から逸脱していることも承知の上だ。しかし常設的な第三者委員会を設けるのは税金の無駄遣いになるし、また第三者委員会をその時代の権力から完全に独立したものとして作ることは事実上不可能である。確かに裁判所は立法府ではないが、「1人別枠方式」を違憲と判定した最高裁判所が、限界のある民主主義の枠内での選挙制度の在り方についての基準を作るしか方法がないではないか。そして最高裁判所が作った基準に基づいて、国政選挙制度については最高裁判所の国政選挙部会が、県知事や県会議員の選挙制度については高等裁判所が、市会・区会・町村会議員の選挙制度については地方裁判所がそれぞれ分担して構築する。とりあえずは、そうした超法規的処置で現行選挙制度の問題点を解決するしかないと思う。
あらかじめこの私の考え方を基準に全国紙の社説を検証してみたい。ことさらに胸を張るわけではないが、少なくとも私程度の見識は持って「一票の格差」問題に取り組んでいただきたいと願いながら……。(なお各紙の引用について、改行箇所は1字あけることにする)
まず先陣を切った朝日新聞と日本経済新聞から見てみよう。朝日新聞はこう書きだした。
「改めて、この国の政治の異様をおもう。 違憲の選挙で議席を得た国会議員が法律や予算を作り、違憲の議会が選んだ内閣とともに国の歩む方向を決める。これを異様といわず何といおう」
なかなかいい線をついていると思った。さらに読み進めよう。
「憲法が掲げる『正当に選挙された国会における代表者』とは何か。国民主権とは、民主主義とは、法の支配とは。(中略) あいもかわらず、どんな仕組みにすれば自党に有利か、政局の主導権をにぎれるかといった発言がなされ、『裁判所はやりすぎだ』と見当違いの批判を繰り返す」
この指摘も私の主張とおおむね同じだ。同感する。
ところが、この直後、とんでもないことを朝日新聞は言い出した。はっきり言って精神分裂症的主張だ。
「0増5減による新区割り法を、まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識にたち、最高裁が違憲の源とした「1人別枠制」(※正確には「1人別枠方式」)を完全に排する抜本改正をする」
この主張は高校生程度の読解力を前提にすれば、まず安倍内閣のもとで0増5減の新区割り法を成立させて国会を解散して、いちおう一票の格差を2倍以下にした新区割りによって総選挙を行い、次の政府が「1人別枠制」を排した抜本的な選挙制度改革をする、というようにしか読めない。それ以外の解釈は絶対に不可能である。なぜなら、現在の安倍内閣のもとでいったん0増5減の新区割り法を成立させたのち、国会を解散せず、やはり同じ安倍内閣のもとでいったん野党の協力を得て成立させた新区割り法を破棄して抜本的な選挙制度改革をするなどというようなバカげたことは、北朝鮮のような国でも絶対にやれっこないことだからだ。私が「精神分裂症的主張」と極めつけた理由は中学生でも理解できるだろう。
次に日本経済新聞の社説である。これも朝日新聞と同様精神分裂を起こした主張だ。その箇所を引用する。
「国会はまさに崖っぷちに立たされた。16件すべてが上告され、最終的には最高裁統一判断を示す見通しだが、まず小選挙区の『0増5減』を直ちに実現させ、違憲状態を解消すべきである。 そのうえで、抜本改革を早急に進める必要がある。ここでまた小手先の数合わせに終始し、選挙のたびに最高裁の判断を待つような対応が続けば、立法府としての信頼を完全に失ってしまう。(中略) 格差是正をめぐる与野党協議が難航するのは、多くの課題を一緒に議論するからだ。各党の利害調整が最も難しい比例代表の定数削減の幅などで合意が得られない限り、他のすべての選挙制度改革が実現しないという現在の進め方では、今国会は成果なしで終わる公算が大きい。 1票の格差の是正には都道府県に配分する小選挙区の数や区割りの見直しが不可避であり、これを先行させるべきである」
選挙制度の2段階改革論は朝日新聞とまったく同様で、すでに朝日新聞に対する批判をしたので繰り返さない。ただ朝日新聞には多少あった「憲法が掲げる『正当に選挙された国会における代表者』とは何か。国民主権とは、民主主義とは、法の支配とは」といった問題意識のかけらも日本経済新聞の社説には見られない。日本経済新聞は経済問題だけ論じていればよい。こんな社説を恥ずかしげもなく載せるようでは、政治や民主主義を語る資格がない。
翌29日には毎日新聞と産経新聞が「一票の格差」問題について社説を書いた(産経新聞は「社説」ではなく「主張」としているが、私のブログでは他紙と同様「社説」として扱わせていただく)。まず毎日新聞から読み解こう。社説のタイトルは「区割り案勧告 まず『0増5減』の実現を」で、朝日新聞や日本経済新聞と一見変わらないが、多少踏み込んだ主張もしている。
「この『0増5減』策はすでに一部の高裁が判決で不十分な改正だと指摘しており、野党の中にも反対論が出ている。だが、最悪なのは与野党でもめているうちに結局、何も是正されない事態である。違憲判決を突きつけられた立法府の最低限の義務として、まずこの改正案を今国会で即座に成立させるべきである。
(中略)政界は格差是正と定数削減、選挙制度改革がごちゃ混ぜになって収拾がつかなくなっている状況にある。 どんな選挙制度にするかは、国の政治形態をどうするかという根本的な問題につながる。そしてかねて提起しているように、衆参一体で改革を検討すべきテーマでもある。利害がからむ各党に任せておくのはやはり無理ではなかろうか。 ここは緊急的な対応として即座に『0増5減』を実現させたうえで、民主党の海江田万里代表がやっと言及し始めたように、その後の抜本改革は第三者機関に委ねた方がいい」
0増5減先行主張としては比較的ましな方であることは認めるが、0増5減を成立させて国会を解散させ、いったん一票の格差を2倍以内にしたうえで新しい国会で抜本改革をしろと言うのか。だとしたら、朝日新聞の主張とまったく変わらない。そんなことは絶対不可能なことはすでに書いたから繰り返さないが、多少毎日新聞の主張に新味が見られるのは、抜本改革は「国の政治形態をどうするかという根本的な問題」であり、「衆参一体で改革を検討すべきテーマでもある。利害がからむ各党に任せておくのはやはり無理ではなかろうか」「その後の抜本改革は第三者機関に委ねた方がいい」という主張である。
毎日新聞の主張の問題は、やはり二段階改革を唱えている点にある。いったん0増5減で一票の格差を2倍以内(1.998倍)に抑え込むという自民法案を成立させる条件として、民主党が「法案成立に協力したら、直ちに国会を解散し、抜本的改革法案について国民の信を問うか」と自民党に迫ったら、自民はどうするか。そんなことの予測がつかないほどのバカではないだろう。
もう一つ、第三者委員会に選挙制度の抜本的改革を任せるという話だが、第三者委員会をどう設置するかの提案がない。これでは絵に描いた餅にもならない。私もこの問題については熟慮に熟慮を重ねた結果完全に政治から独立できる機関として裁判所に超法規的処置で検討してもらうしかないと考えた。安易に「第三者機関」などと持ち出して、海江田の後押しをするがごとき主張はすべきではないだろう。
次に産経新聞である。「0増5減は最低条件だ」という見出しが目を引いた。いったんまたか、と思ったが、ちょっと違った。書き出しはこうだ。
「衆院選挙区画定審議会が、小選挙区の『0増5減』や『一票の格差』を2倍未満に押えるよう求めた新区割り案を、安倍晋三首相に勧告した。 あくまで応急的処置である。だが、立法府はそれすら怠り、一票の格差をめぐる一連の高裁判決で『違憲』や初の『選挙無効』という厳しい判断を招いてきた」
実はこの審議会の勧告(以下「区割り審」と略す)については、朝日新聞が社説で2段階改革論を主張した翌29日の朝刊トップ記事の解説で2段階改革論を真っ向から切って捨てた。そうなった経緯を私は文書で29日に読売新聞にFAXしたので、このブログの最後に差しさわりのない範囲で抜粋転記する。とりあえず産経新聞の社説に戻ろう。産経新聞はこうも主張する。
「自民党が抜本的な選挙制度改革として、第2党以下のために60議席の『優先枠』を比例代表に設けるという案で、公明党と合意したのは大いに問題だ。 一票の平等の価値を崩し複雑で分かりにくい。加えて、民主党、日本維新の会、みんなの党の3党を反対姿勢で結束させ、緊急是正策の実現も難しくしている。 選挙制度改革は、中小政党への配慮、中選挙区制復活論、定数削減など多くの課題が錯綜(さくそう)して合意のめどが立っていない。政治家が決断できないなら、選挙制度審議会に委ねる必要があろう。 その際にも、現行の小選挙区比例代表並立制の何が問題なのかを明確にしておくべきだ。 選挙区で敗れても比例代表で復活できる重複立候補の是非は論点となろう。政党交付金の減額や政治資金規正法の強化など政治家が自らを律する論議も不可欠だ」
産経新聞の引用が長くなったが、各紙の社説の中では一番まともに近いと思ったからにすぎない。見出しの『0増5減は最低条件だ』と、実際の主張の内容は必ずしも一致していない。見出しで「最低条件」と位置付けた0増5減案を産経新聞はまったく容認していないからだ。そのことを明確にするため、あえて産経新聞の社説にかなりのスペースを割かざるを得なかったのである。
しかし現行の選挙制度の問題点を要領よくかつ的確にまとめながら、結局「政治家が決断できないなら選挙制度審議会に委ねる必要があろう」と主張しただけで、肝心の選挙制度審議会なるものをどうやって設けるかの主張がないのは残念だった。通常、この手の審議会を設置するとしたら政府なり総理の諮問機関ということになる。当然自民党にとって都合のいい選挙制度を答申するような審議会になることは目に見えている。私が、あえて裁判所と、ほとんど実現不可能な案を提案したのは、政党や政治家から完全に独立して「国民の、国民による、国民のための」選挙制度を構築できる場所は裁判所しかないからだ。ほとんど実現不可能だが、もし国民の大多数が、この方法しかないと思ったら、世界で初めて司法が立法府を監視できる状態が生まれる。そのことの意味と重大性を国民的議論を巻き起こして実現してもらいたいと思う。
最後は30日に社説を出した読売新聞だ。「民主の一転反対は解せない」というタイトルで、自公が早期成立を図ろうとしている0増5減案に反対している民主党の党利党略に対する批判が主張のポイントだ。読売新聞はこう主張する。
「そもそも昨年の衆院選前に1票の格差を是正できなかった主たる責任は、当時の与党・民主党にある。衆院解散を先送りする『党略』の思惑から、格差是正と抜本改革の同時決着に固執したためだ。 民主党は昨年秋、ようやく『0増5減』の先行処理に同意したのに、今になって反対に転じ、抜本改革との同時決着に回帰するのは筋が通らない。緊急性を要する格差是正が次期衆院選に間に合わない恐れさえ生じよう」
いったい読売新聞は次期総選挙をただ一票の格差を縮小しただけで行ってよいと考えているのだろうか。読売新聞はこの主張の直後に「無論0増5減は暫定的な改革にすぎない」とは書いているが、いったん0増5減で一票の格差が2倍以下になったら、選挙制度改革の芽は消えてしまう。
最高裁判決の要点は次の二つである。
① 一票の重みに2倍以上の格差があるのは、国民の権利の平等を定めている憲法に違反している。
② そうなった原因は人口の多少にかかわらず、47都道府県に「1人別枠」の議員を配分したからで、「1人別枠方式」を廃止すべきである。
この最高裁判決の真意はすべての国民の権利の平等化を実現するため、人口の多少を無視して47都道府県に一人ずつ別枠で議員を配分している現行の小選挙区制は憲法違反の制度だという点にある。
その最高裁判決の真意を矮小化して「一票の格差を2倍以下にすれば憲法違反にならなくなるだろう」というのが党利党略に基づいた自公の0増5減案ではないか。もちろん民主の「反対のための反対」も党利党略に基づいたものでしかないことは私もあえて否定はしないが、読売新聞が民主の党利党略を問題にするなら、自公の党利党略も問題にすべきだろう。
この社説の締めで読売新聞はこう書いている。
「現行の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区で敗れた候補の復活当選制度など、様々な問題が指摘されている。衆参両院の役割分担も含めた抜本改革は不可欠だ。 政党間の審議が進展しないようなら、有識者会議の活用を真剣に考える必要がある」
確かに正論だが、他紙の社説についても書いたが、いったいどうやって有識者会議を作るのか。その具体的提案がなければ他紙と同様アリバイ作りのためのイタチの最後っ屁でしかない。
このブログを終えるに際し、読者にお約束した朝日新聞の問題について読売新聞に送ったFAXの要点箇所を抜粋(部分的に要約)しておこう。
(朝日新聞28日社説の「0増5減に基づく新区割り法を、まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識に立ち、最高裁が違憲の源とした『1人別枠制』を完全に排する抜本改正をする」という主張について)素直に読めば、選挙制度改革を2回に分けて行え、という主張になります。そうなると疑問が生じるのは1回目の0増5減改革は安倍内閣のもとで行い、そこでいったん国会を解散して新選挙区のもとで総選挙を行い、さらにその総選挙で成立した新内閣のもとで1人別枠方式を排した抜本的な選挙制度改革を行う、という主張としか読み取れません。
(そのことを朝日新聞に対し手厳しく批判したことを書いた後、結果について以下のように書いた)
なお今朝(29日)の朝刊1面トップで朝日新聞は政府の衆院選挙区画定審議会(区割り審)の勧告を報じました。案の定「0増5減」の自民党案を第三者を装って権威づけしたものでした。その内容を社説氏は事前にキャッチしていたため、あのような社説を書いたのでしょう。しかし、私の昨日の批判は無意味ではなかったようでした。この記事の解説(筆者は河口健太郎氏)で「ようやくまとまった区割り見直し案の勧告では、最大格差が1.998倍と、違憲の目安とされる2倍をかろうじて下回った。『一人一票』にはほど遠い、取り繕った案にすぎない」と、前日の社説の主張を事実上完全に否定してしまいました。河口氏はさらに解説記事の締めでこう書いています。
「人口に応じた定数配分を徹底すると、鳥取県の定数が1になるなど地方の議席が大幅に減ることになる。選挙権の公平を守りながら、人口が少なく相対的に発言力が弱い地方にも配慮するのは難題だ。その場しのぎではない格差の是正策が国会には迫られている」
以上で今回のブログを終える予定で、タイトルをどうしようかと考えながら日本テレビの『真相報道バンキシャ』を何気なく見ていたら、なんとアメリカでは裁判所の命令に従わず議会が格差の是正を行わなかったら、裁判所が議会に代わって区割りを行うというニュースが報じられた。私が提案した裁判所が政党や政治家と完全に隔絶して公正・公平な選挙制度を作ることは夢物語ではないようだ。マスコミは、政治家や政党に選挙制度の改革を任せたら党利党略で自分たちに都合のいい制度しか作らないと主張するなら、得体のしれない第三者機関とか有識者会議、選挙制度審議会などという代物に選挙制度の改革を任せろなどと言うより、現にアメリカでは可能な裁判所に選挙制度改革を委ねることを主張したらどうか。私がすでに提案してきたように。
これに先立ち、私は27日に『「一票の格差」を単に格差是正に終わらせるべきではない!!』と題するブログを投稿した。タイトルにあまりインパクトがなかったのか、あるいは「一票の格差」そのものに対する国民的関心が薄いのか、このブログの訪問者はいつものブログ訪問者に比べ格段に少なかった。もし「一票の格差」問題についての国民的関心が低いとすれば、これは日本人の民主主義についての意識の低さを証明することになり、極めて残念なことである。今回のブログには多くの訪問者が訪れてくれることを期待して、改めて全国紙5紙の社説を検証することで、選挙を通じて実現すべき民主主義への道標を明らかにしたいと思う。
5紙の社説を検証する前に、前回のブログの訪問者が少なかったため、私の主張の要点を述べておきたい。
全国の高裁で先の衆院選挙が「違憲」「違憲状態」「無効」という判決を相次いで出したのは、最高裁が2年も前に出した判決に基づいている。最高裁がその前の総選挙について「違憲」との判断を下したのは一票の重みに格差がありすぎており、(以下が最重要な判決理由なのだが)その原因は300の小選挙区の区割りをする際47都道府県に「1人別枠方式」を導入したことにある、と指摘したことである。つまり「1人別枠方式」を廃止しない限り「一票の格差」は解消しないと断じたのである。もっとわかりやすく言えば、人口が最大の東京都1300万人にも最少の60万人の鳥取県にも無条件に一人ずつ議員を割り振り、残り253人を各都道府県の人口に応じて割り振るという制度そのものが一票の重みは同等であるべきとする日本国憲法の理念に違反している、というのが最高裁判決の趣旨であった。
私自身は最高裁判決を完全に支持しているわけではない。だから前回のブログではこう主張した。
民主主義というのは、絶対的な理想的政治形態ではない。大哲学者プラトンは「民主主義は衆愚政治(愚民政治とも訳されている)」と言ったほどである。
現に最高裁に否定された「1人別枠方式」にしても、東京都民が日本人全人口の10%を超え、神奈川・千葉・埼玉など首都圏を含めると、全人口の27.8%、この首都圏4都県に大阪・愛知を加えると、なんと日本人の40.5%が集中していることになる。(中略)では多数決を原則とする民主主義を選挙制度や法律にダイレクトに導入するとどうなるか、結果は火を見るより明らかだろう。
民主主義には多くの欠陥があるが、かといって民主主義にとってかわるだけのよりベターな政治形態(※「政治システム」と書いたほうがよかった)をまだ人類は発明できていない。ひょっとしたら永遠に発明不可能かもしれない。そうした状況の中で私たちにできることは民主主義の欠陥を理解したうえで、より良い政治を実現すること、言い換えれば民主主義をより成熟させていくこと――それしか現実問題を解決する方法はない。
そうした観点から相次ぐ違憲判決を契機に、よりベターな選挙制度をどうやったら構築できるかを考えてみた。
まず民主主義を標榜する国の選挙制度は基本的に議員たちが決めていることに根本的な問題があることをご理解いただきたい。国会議員に限らず。選挙でリーダーを選ぶ組織の構成員が、自分たちにとって不利な制度を作るわけがないということである。だから、その組織の構成員には選挙制度を作る資格を与えないことである。つまり国会には選挙制度についての権限を与えず、裁判所(地方・高等・最高)の中に選挙制度制定部会を設け(常設である必要はない。国民や市民の要請に応じて随時開催すればよい)、そこで地方選挙や国政選挙制度についての議論を尽くしたうえで国民や市民に制度の是非を問う――そういう仕組みにしたらどうか。(中略)
一票の格差の問題を単に選挙制度の問題に終わらせるのではなく、日本が民主主義の欠陥をどう克服し成熟させていくかの試金石にしたい。
以上が前回投稿したブログの要点の抜粋である。もちろん現在の裁判所に選挙制度を制定できる権限がないことは百も承知で、私は裁判所にげたを預けるしか方法はないと考えたのである。三権分立という民主主義制度の大原則から逸脱していることも承知の上だ。しかし常設的な第三者委員会を設けるのは税金の無駄遣いになるし、また第三者委員会をその時代の権力から完全に独立したものとして作ることは事実上不可能である。確かに裁判所は立法府ではないが、「1人別枠方式」を違憲と判定した最高裁判所が、限界のある民主主義の枠内での選挙制度の在り方についての基準を作るしか方法がないではないか。そして最高裁判所が作った基準に基づいて、国政選挙制度については最高裁判所の国政選挙部会が、県知事や県会議員の選挙制度については高等裁判所が、市会・区会・町村会議員の選挙制度については地方裁判所がそれぞれ分担して構築する。とりあえずは、そうした超法規的処置で現行選挙制度の問題点を解決するしかないと思う。
あらかじめこの私の考え方を基準に全国紙の社説を検証してみたい。ことさらに胸を張るわけではないが、少なくとも私程度の見識は持って「一票の格差」問題に取り組んでいただきたいと願いながら……。(なお各紙の引用について、改行箇所は1字あけることにする)
まず先陣を切った朝日新聞と日本経済新聞から見てみよう。朝日新聞はこう書きだした。
「改めて、この国の政治の異様をおもう。 違憲の選挙で議席を得た国会議員が法律や予算を作り、違憲の議会が選んだ内閣とともに国の歩む方向を決める。これを異様といわず何といおう」
なかなかいい線をついていると思った。さらに読み進めよう。
「憲法が掲げる『正当に選挙された国会における代表者』とは何か。国民主権とは、民主主義とは、法の支配とは。(中略) あいもかわらず、どんな仕組みにすれば自党に有利か、政局の主導権をにぎれるかといった発言がなされ、『裁判所はやりすぎだ』と見当違いの批判を繰り返す」
この指摘も私の主張とおおむね同じだ。同感する。
ところが、この直後、とんでもないことを朝日新聞は言い出した。はっきり言って精神分裂症的主張だ。
「0増5減による新区割り法を、まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識にたち、最高裁が違憲の源とした「1人別枠制」(※正確には「1人別枠方式」)を完全に排する抜本改正をする」
この主張は高校生程度の読解力を前提にすれば、まず安倍内閣のもとで0増5減の新区割り法を成立させて国会を解散して、いちおう一票の格差を2倍以下にした新区割りによって総選挙を行い、次の政府が「1人別枠制」を排した抜本的な選挙制度改革をする、というようにしか読めない。それ以外の解釈は絶対に不可能である。なぜなら、現在の安倍内閣のもとでいったん0増5減の新区割り法を成立させたのち、国会を解散せず、やはり同じ安倍内閣のもとでいったん野党の協力を得て成立させた新区割り法を破棄して抜本的な選挙制度改革をするなどというようなバカげたことは、北朝鮮のような国でも絶対にやれっこないことだからだ。私が「精神分裂症的主張」と極めつけた理由は中学生でも理解できるだろう。
次に日本経済新聞の社説である。これも朝日新聞と同様精神分裂を起こした主張だ。その箇所を引用する。
「国会はまさに崖っぷちに立たされた。16件すべてが上告され、最終的には最高裁統一判断を示す見通しだが、まず小選挙区の『0増5減』を直ちに実現させ、違憲状態を解消すべきである。 そのうえで、抜本改革を早急に進める必要がある。ここでまた小手先の数合わせに終始し、選挙のたびに最高裁の判断を待つような対応が続けば、立法府としての信頼を完全に失ってしまう。(中略) 格差是正をめぐる与野党協議が難航するのは、多くの課題を一緒に議論するからだ。各党の利害調整が最も難しい比例代表の定数削減の幅などで合意が得られない限り、他のすべての選挙制度改革が実現しないという現在の進め方では、今国会は成果なしで終わる公算が大きい。 1票の格差の是正には都道府県に配分する小選挙区の数や区割りの見直しが不可避であり、これを先行させるべきである」
選挙制度の2段階改革論は朝日新聞とまったく同様で、すでに朝日新聞に対する批判をしたので繰り返さない。ただ朝日新聞には多少あった「憲法が掲げる『正当に選挙された国会における代表者』とは何か。国民主権とは、民主主義とは、法の支配とは」といった問題意識のかけらも日本経済新聞の社説には見られない。日本経済新聞は経済問題だけ論じていればよい。こんな社説を恥ずかしげもなく載せるようでは、政治や民主主義を語る資格がない。
翌29日には毎日新聞と産経新聞が「一票の格差」問題について社説を書いた(産経新聞は「社説」ではなく「主張」としているが、私のブログでは他紙と同様「社説」として扱わせていただく)。まず毎日新聞から読み解こう。社説のタイトルは「区割り案勧告 まず『0増5減』の実現を」で、朝日新聞や日本経済新聞と一見変わらないが、多少踏み込んだ主張もしている。
「この『0増5減』策はすでに一部の高裁が判決で不十分な改正だと指摘しており、野党の中にも反対論が出ている。だが、最悪なのは与野党でもめているうちに結局、何も是正されない事態である。違憲判決を突きつけられた立法府の最低限の義務として、まずこの改正案を今国会で即座に成立させるべきである。
(中略)政界は格差是正と定数削減、選挙制度改革がごちゃ混ぜになって収拾がつかなくなっている状況にある。 どんな選挙制度にするかは、国の政治形態をどうするかという根本的な問題につながる。そしてかねて提起しているように、衆参一体で改革を検討すべきテーマでもある。利害がからむ各党に任せておくのはやはり無理ではなかろうか。 ここは緊急的な対応として即座に『0増5減』を実現させたうえで、民主党の海江田万里代表がやっと言及し始めたように、その後の抜本改革は第三者機関に委ねた方がいい」
0増5減先行主張としては比較的ましな方であることは認めるが、0増5減を成立させて国会を解散させ、いったん一票の格差を2倍以内にしたうえで新しい国会で抜本改革をしろと言うのか。だとしたら、朝日新聞の主張とまったく変わらない。そんなことは絶対不可能なことはすでに書いたから繰り返さないが、多少毎日新聞の主張に新味が見られるのは、抜本改革は「国の政治形態をどうするかという根本的な問題」であり、「衆参一体で改革を検討すべきテーマでもある。利害がからむ各党に任せておくのはやはり無理ではなかろうか」「その後の抜本改革は第三者機関に委ねた方がいい」という主張である。
毎日新聞の主張の問題は、やはり二段階改革を唱えている点にある。いったん0増5減で一票の格差を2倍以内(1.998倍)に抑え込むという自民法案を成立させる条件として、民主党が「法案成立に協力したら、直ちに国会を解散し、抜本的改革法案について国民の信を問うか」と自民党に迫ったら、自民はどうするか。そんなことの予測がつかないほどのバカではないだろう。
もう一つ、第三者委員会に選挙制度の抜本的改革を任せるという話だが、第三者委員会をどう設置するかの提案がない。これでは絵に描いた餅にもならない。私もこの問題については熟慮に熟慮を重ねた結果完全に政治から独立できる機関として裁判所に超法規的処置で検討してもらうしかないと考えた。安易に「第三者機関」などと持ち出して、海江田の後押しをするがごとき主張はすべきではないだろう。
次に産経新聞である。「0増5減は最低条件だ」という見出しが目を引いた。いったんまたか、と思ったが、ちょっと違った。書き出しはこうだ。
「衆院選挙区画定審議会が、小選挙区の『0増5減』や『一票の格差』を2倍未満に押えるよう求めた新区割り案を、安倍晋三首相に勧告した。 あくまで応急的処置である。だが、立法府はそれすら怠り、一票の格差をめぐる一連の高裁判決で『違憲』や初の『選挙無効』という厳しい判断を招いてきた」
実はこの審議会の勧告(以下「区割り審」と略す)については、朝日新聞が社説で2段階改革論を主張した翌29日の朝刊トップ記事の解説で2段階改革論を真っ向から切って捨てた。そうなった経緯を私は文書で29日に読売新聞にFAXしたので、このブログの最後に差しさわりのない範囲で抜粋転記する。とりあえず産経新聞の社説に戻ろう。産経新聞はこうも主張する。
「自民党が抜本的な選挙制度改革として、第2党以下のために60議席の『優先枠』を比例代表に設けるという案で、公明党と合意したのは大いに問題だ。 一票の平等の価値を崩し複雑で分かりにくい。加えて、民主党、日本維新の会、みんなの党の3党を反対姿勢で結束させ、緊急是正策の実現も難しくしている。 選挙制度改革は、中小政党への配慮、中選挙区制復活論、定数削減など多くの課題が錯綜(さくそう)して合意のめどが立っていない。政治家が決断できないなら、選挙制度審議会に委ねる必要があろう。 その際にも、現行の小選挙区比例代表並立制の何が問題なのかを明確にしておくべきだ。 選挙区で敗れても比例代表で復活できる重複立候補の是非は論点となろう。政党交付金の減額や政治資金規正法の強化など政治家が自らを律する論議も不可欠だ」
産経新聞の引用が長くなったが、各紙の社説の中では一番まともに近いと思ったからにすぎない。見出しの『0増5減は最低条件だ』と、実際の主張の内容は必ずしも一致していない。見出しで「最低条件」と位置付けた0増5減案を産経新聞はまったく容認していないからだ。そのことを明確にするため、あえて産経新聞の社説にかなりのスペースを割かざるを得なかったのである。
しかし現行の選挙制度の問題点を要領よくかつ的確にまとめながら、結局「政治家が決断できないなら選挙制度審議会に委ねる必要があろう」と主張しただけで、肝心の選挙制度審議会なるものをどうやって設けるかの主張がないのは残念だった。通常、この手の審議会を設置するとしたら政府なり総理の諮問機関ということになる。当然自民党にとって都合のいい選挙制度を答申するような審議会になることは目に見えている。私が、あえて裁判所と、ほとんど実現不可能な案を提案したのは、政党や政治家から完全に独立して「国民の、国民による、国民のための」選挙制度を構築できる場所は裁判所しかないからだ。ほとんど実現不可能だが、もし国民の大多数が、この方法しかないと思ったら、世界で初めて司法が立法府を監視できる状態が生まれる。そのことの意味と重大性を国民的議論を巻き起こして実現してもらいたいと思う。
最後は30日に社説を出した読売新聞だ。「民主の一転反対は解せない」というタイトルで、自公が早期成立を図ろうとしている0増5減案に反対している民主党の党利党略に対する批判が主張のポイントだ。読売新聞はこう主張する。
「そもそも昨年の衆院選前に1票の格差を是正できなかった主たる責任は、当時の与党・民主党にある。衆院解散を先送りする『党略』の思惑から、格差是正と抜本改革の同時決着に固執したためだ。 民主党は昨年秋、ようやく『0増5減』の先行処理に同意したのに、今になって反対に転じ、抜本改革との同時決着に回帰するのは筋が通らない。緊急性を要する格差是正が次期衆院選に間に合わない恐れさえ生じよう」
いったい読売新聞は次期総選挙をただ一票の格差を縮小しただけで行ってよいと考えているのだろうか。読売新聞はこの主張の直後に「無論0増5減は暫定的な改革にすぎない」とは書いているが、いったん0増5減で一票の格差が2倍以下になったら、選挙制度改革の芽は消えてしまう。
最高裁判決の要点は次の二つである。
① 一票の重みに2倍以上の格差があるのは、国民の権利の平等を定めている憲法に違反している。
② そうなった原因は人口の多少にかかわらず、47都道府県に「1人別枠」の議員を配分したからで、「1人別枠方式」を廃止すべきである。
この最高裁判決の真意はすべての国民の権利の平等化を実現するため、人口の多少を無視して47都道府県に一人ずつ別枠で議員を配分している現行の小選挙区制は憲法違反の制度だという点にある。
その最高裁判決の真意を矮小化して「一票の格差を2倍以下にすれば憲法違反にならなくなるだろう」というのが党利党略に基づいた自公の0増5減案ではないか。もちろん民主の「反対のための反対」も党利党略に基づいたものでしかないことは私もあえて否定はしないが、読売新聞が民主の党利党略を問題にするなら、自公の党利党略も問題にすべきだろう。
この社説の締めで読売新聞はこう書いている。
「現行の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区で敗れた候補の復活当選制度など、様々な問題が指摘されている。衆参両院の役割分担も含めた抜本改革は不可欠だ。 政党間の審議が進展しないようなら、有識者会議の活用を真剣に考える必要がある」
確かに正論だが、他紙の社説についても書いたが、いったいどうやって有識者会議を作るのか。その具体的提案がなければ他紙と同様アリバイ作りのためのイタチの最後っ屁でしかない。
このブログを終えるに際し、読者にお約束した朝日新聞の問題について読売新聞に送ったFAXの要点箇所を抜粋(部分的に要約)しておこう。
(朝日新聞28日社説の「0増5減に基づく新区割り法を、まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識に立ち、最高裁が違憲の源とした『1人別枠制』を完全に排する抜本改正をする」という主張について)素直に読めば、選挙制度改革を2回に分けて行え、という主張になります。そうなると疑問が生じるのは1回目の0増5減改革は安倍内閣のもとで行い、そこでいったん国会を解散して新選挙区のもとで総選挙を行い、さらにその総選挙で成立した新内閣のもとで1人別枠方式を排した抜本的な選挙制度改革を行う、という主張としか読み取れません。
(そのことを朝日新聞に対し手厳しく批判したことを書いた後、結果について以下のように書いた)
なお今朝(29日)の朝刊1面トップで朝日新聞は政府の衆院選挙区画定審議会(区割り審)の勧告を報じました。案の定「0増5減」の自民党案を第三者を装って権威づけしたものでした。その内容を社説氏は事前にキャッチしていたため、あのような社説を書いたのでしょう。しかし、私の昨日の批判は無意味ではなかったようでした。この記事の解説(筆者は河口健太郎氏)で「ようやくまとまった区割り見直し案の勧告では、最大格差が1.998倍と、違憲の目安とされる2倍をかろうじて下回った。『一人一票』にはほど遠い、取り繕った案にすぎない」と、前日の社説の主張を事実上完全に否定してしまいました。河口氏はさらに解説記事の締めでこう書いています。
「人口に応じた定数配分を徹底すると、鳥取県の定数が1になるなど地方の議席が大幅に減ることになる。選挙権の公平を守りながら、人口が少なく相対的に発言力が弱い地方にも配慮するのは難題だ。その場しのぎではない格差の是正策が国会には迫られている」
以上で今回のブログを終える予定で、タイトルをどうしようかと考えながら日本テレビの『真相報道バンキシャ』を何気なく見ていたら、なんとアメリカでは裁判所の命令に従わず議会が格差の是正を行わなかったら、裁判所が議会に代わって区割りを行うというニュースが報じられた。私が提案した裁判所が政党や政治家と完全に隔絶して公正・公平な選挙制度を作ることは夢物語ではないようだ。マスコミは、政治家や政党に選挙制度の改革を任せたら党利党略で自分たちに都合のいい制度しか作らないと主張するなら、得体のしれない第三者機関とか有識者会議、選挙制度審議会などという代物に選挙制度の改革を任せろなどと言うより、現にアメリカでは可能な裁判所に選挙制度改革を委ねることを主張したらどうか。私がすでに提案してきたように。