誠に残念な報告をしなければならない。
実は一昨日(29日)、私が居住している地区を管轄している区役所の無料法律相談に出かけ、弁護士に読売新聞読者センターとの争いについて相談に乗ってもらった。26日に投稿したブログ記事『読売新聞読者センターはとうとう「やくざ集団」になってしまったのか?』の最後に近い個所でこう書いた。
「問題は私を恐怖のどん底に追い込んだ彼の発言内容に、読売新聞読者センターにとって致命的な発言が含まれていたことだ。その致命的な発言内容の問題点を読者の皆さんにはお教えしたいのだが、今私は天下の読売新聞を相手どって法的手段に出ることも考えているので、残念ながらこのブログで明らかにしてしまうわけにはいかないのだ。お許し願いたい」と。
実は私は読者センターの某(読売新聞読者センターに限らずNHKを除いて大半のマスコミの読者・視聴者の意見を聞くべき窓口担当者は絶対に氏名を名乗らない。いったいなぜだろうか。NHKふれあいセンター(旧視聴者センター)のコーディネーターは単なる人間録音機にすぎないが、それでも氏名を名乗る。しかも録音しているのだから、貴重な人件費をかけてまでかなりの人数のコーディネーターを置く必要性がどこまであるかという疑問が生じる。
ただ一般的には視聴者センターは比較的早くに窓口を閉じてしまい、時間外に電話をかけると「ただ今受付を行っておりません。お急ぎの方はピーとなりましたらご意見を○○(秒あるいは分)以内にお話しください」というメッセージが流れ、私も何回か無人の録音機に向かってしゃべった経験があるが、確かにむなしい感じはする。
NHKのコーディネーターは「自分の意見を言うこと」は禁止されているが、「そうですね」といった程度の事実上自分の意見(このような相槌を打つことも、自分の意見を言っていることになるはずだが)を言っても、その程度はお目こぼしに預かっている。
ところが、読売新聞読者センターの場合は「読者センターは読者の方の意見を聞いて担当者に伝えることしかしません」と宣告されてしまうと、時間外に録音機に向かって独り言をしゃべることを強制されたと同様で、味気ないことこの上ない。実際読者センターとの間でトラブルが生じて以来一度だけ読売新聞の社説について私の意見を言いたくなったことがあって、氏名を名乗らず電話したところ、読者センターの方は声で私だとすぐ分かったようで「もうご存知だと思いますが、読者センターは読者の意見をお聞きして担当部門に伝えることしかしておりませんので、そのことをご承知の上でお話しください。ではどうぞ」と言われ、一応数分間話したが。その間、相手は人間録音機であることを義務付けられているNHKのコーディネーターですらしない完黙(完全黙秘のこと)を貫き通した。
実は読売新聞読者センターは今春大幅な人事異動があり、10回電話をして聞き覚えのある方と話ができるのは1回か2回くらいのペースになってしまった。
多分読者センターの責任者の方もその時移動になったのではないかと思う。で、いとも簡単に私を敵視することを読者センター全員の共通認識にすることが出きたのだと思う。
人事異動の前だったら、私が事実に対して意図的に捻じ曲げたような主張をする読者ではないことを大半の方が承知されていた。厳密にいうと、たった一人だけ、最初電話口に出たときはいったん普通に対応されるのだが、声で電話してきた相手が私だとわかると、途端に完黙状態になってしまう方がいた。その方を除けば社説やスキャナー、『基礎からわかる』シリーズ、『昭和時代』シリーズなどの記述に対して批判的意見を申し上げても、当初は反論されるケースもあるが、結局は「わかりました。担当者に伝えます」と、事実上私の意見に同意されるケースがほとんどだった。だからその当時だったら、こんな形で大問題になったりしていなかったと思う。
その方の声に私は全く聞き覚えがなかったので、多分今春の移動で読者センターに配属された新人の一人ではないかと思う。だから、この最後のやり取りに至るまでの私の主張に真摯に耳を傾けられ、つい読者センターの限界を超える発言をしてしまわれたのだと思う。かつての読者センターの方ならそういう迂闊な受け答えはしなかったはずだし、仮にしても「新聞の主張に対する小林さんの意見はほとんどフェアで論理的だから同意しても構わないが、担当記者のアイデンティティを否定するような主張に対して同意するような発言は慎むように」と注意して、それで「終わり」になっていたはずだ。
それともう一つ悪条件が重なったことについても、この際明らかにしておきたい。8月8日に『仙台育英高校は甲子園大会に出場できるのか?』というタイトルのブログ投稿を再開したときの書き出しで私はこう書いた。
「過去2年半体調を崩しブログを書いてきませんでした。それなのに毎日私の復活を待ち訪問してくださる方が依然としてかなり多くいらっしゃったことを知り、感謝の念に堪えません。実はこの間3度入院し2度手術しました。さらに肝硬変という不治の病に侵されてしまいました。この間暴飲暴食をしていたわけではありません。おそらく若いころの暴飲暴食の付けが今頃になって爆発したのでしょう」と。
そのためこの間はブログを書く気にもなれず、グータラ、グータラした生活を送っていたのだが、持病の痛風の薬(尿酸値を下げる薬)と血圧降下剤を処方してもらうために通っていた内科のクリニックで、医師がおなかのあたりを触診して「ちょっと肝臓が腫れている感じがする」と言われ血液検査をすることになった。その日の夕方受付の女性から「先生からのお話ですが、血液検査の結果ちょっと問題があるので、明日エコー(超音波による画像診断装置)をやりたい。午前8時に来てほしいと言われましたが、ご都合はつきませんか」という電話があり、格別用事はなかったので行くことにした。そして医師から「まだ初期の段階で致命的ではないが、肝硬変になっています。γ―GTPが1580と非常に高いことからアルコール性肝炎から発生したものと考えられます」との宣告を受けてしまった。そしてアルコール類は一切口にしないこと、とドクターストップをかけられてしまったのである。
そして妙なことが生じたのは、食前のビールをノンアルコールに代え、寝酒の焼酎をやめてからみるみる体調が回復しだしたのである。それまでも、一応フィットネスクラブに通ってはいたものの、エクササイズはとてもやれる状態ではなく、ただクラブのサウナに入るのが目的で、たまに気が向くと水中ウォーキングをするくらいで、ましてブログを書こうなどという気にはなれなかった。が、アルコールをやめてから様々な身体上の悩みも解消し(尿失禁や便失禁も突然治ってしまった)、エクササイズも1日正味で2時間程度ならやれるくらいに体調が回復し、そういう中でブログも再開しようという意欲が急に復活したのである。
そして8月25日に投稿した「読売新聞読者センターはとうとう人間録音機集団になってしまった!!」というブログ記事までは、ワードで書いたブログ記事の原本をすべて読売新聞読者センターにFAXしてきた。
なお読者センターの方は(朝日新聞のお客さまセンターの方もそうだが)読者からの電話はすべて記録している。ただし、メモあるいはパソコンのキーボードを叩いてでだ。実際手書きのメモよりキーボードで入力する方が早いという人はいくらでもいる。ただし記録するのは読者の意見だけで、自分の発言は一切記録しない。そんな必要が通常はないからだ。
NHKのふれあいセンターが視聴者からの電話を、コミュニケーターにつなぐ前に自動音声で「この通話は録音させていただきます」という旨のメッセージを流すことはみなさんもご存知だと思う。NHKに限らず最近は一般の会社も消費者から問い合わせやクレーム(だけとは限らないが)の電話がかかってきた場合、「この通話は録音させていただきます」とやはり自動音声でメッセージを流す会社が大多数を占めるようになった。もちろん視聴者や消費者に不愉快な思いをさせないため、「正確を期すためと、今後のサービス向上のために」という「録音する理由」を述べたうえでだ。
少し前になるが、読売新聞の社説について意見を申し上げるについて、「これは非常に微妙な問題なので、正確に論説委員室に伝えていただくため録音していただけませんか」と要望したとき、読者センターの方は「この電話機には録音機能がついていません。正確にメモを取りますので、できるだけゆっくりお話しください」と言われたことがある。
このことは非常に重要なことだが、私の声は読者センターの大半の方がご存知なので私が電話で「これから申し上げることは非常に重要な事なので録音していただけませんか」と言ったら、その瞬間電話を切られてしまうことは間違いない。そこでこのブログの読者の方にご協力をお願いしたいのだが、今書いたような内容を電話をしていただけないだろうか。もしご協力していただける方は、その結果を「コメント」に書いていただきたい。もし先方が「わかりました。録音します」と答えた場合、二つのケースが考えられる。
ひとつは少し前に私が「録音してほしい」と要望したときとは違い、今は録音機能が付いた電話機に代えている場合である。その場合も二つのケースが考えられる。一つは読者からの電話はすべて自動的に録音されるようになっている場合である。この場合は読者センターにつながる前にNHKなどと同じく自動録音をすることを知らせるメッセージを流さなければ良心的な企業とは言えない。そのメッセージを流さず録音する場合は、読者の要望に応じて電話機の録音ボタンを押すか、さもなければ読者センターの方が独自に判断して無断録音する場合である。この場合も読者センターの方は「非常に重要なお話なので録音させていただいてもよろしいでしょうか」と読者の了解を取るのがフェアなやり方である。少なくとも私の場合はそのような断りは一度もなかった。第一、問題になったケースでは担当者は、私の主張に同意されたぐらいだから、私に無断で録音する意味がない。
もう一つは、今でも読者センターの電話には録音機能がついていない場合である。その場合は、読者センターも意味のない嘘をつく必要がないから「この電話機には録音機能がついていません」と正直に答えるはずだ。
私はこの問題の真実を知りたいのだ。最初に、私に「事実でないことをブログに書いたりしないでください」と抗議した方は「内部調査の結果、当人に確認したところ、そんなことは言っていない、と言っていますから小林さんが書いたブログは事実ではないことが明らかになりました」と言い張ったことは口が酸っぱくなるほど書いてきた。この方は「当人に確認したところ、そんなことは言っていない、と言っています」と口頭で当人から確認を取ったことを事実上意味したことになる。これは動かせない重要な発言である。
ところが、その後、読者センターの別の方がやくざ口調で私を「ねつ造した方ですね」と断定し、私がその根拠を尋ねると「録音がある」と言い、「では聞かせてほしい」と申し入れたところ「そんなことできるわけがないだろう」と居直ったこともすでに私は明らかにしている。
いったい「当人」と私の会話は録音されていたのかいなかったのか。録音されていたのなら、なにも「当人」から発言内容について確認を取るまでもなく、私が事実以外のことを一切書いていないことはただちに判明したはずだ。
となると事実上ありもしない「録音」を唯一の「根拠」として私に対し「ねつ造した方」という、大津事件の加害者のように、ジャーナリストにとっては「お前、死ね」と言うに等しい侮辱を受けた身としては、いかなる理由があろうとも絶対に許すことはできない。
で、私は29日に行われた弁護士による無料法律相談に行き、私のブログ記事に「ねつ造」と決めつけた読者センターの人に対する正当な報復手段として「侮辱罪」で刑事訴訟を起こしたいと相談を持ちかけたのである。私があえて民事ではなく刑事事件にしようとしたのは、読売新聞読者センターとの戦いは金銭目当てが目的ではなく、このような教育界以上に腐った体質に染まった読売新聞読者センターを解体再編成することが、読売新聞の読者にとっても絶対に必要だと考えたからである。
しかし弁護士は六法全書の「侮辱罪」の項目を指さしながら、「侮辱罪や名誉棄損罪は日本では非常に立件するのが難しいのです。というのはこうした行為を犯罪として立件するには、その行為が『公然』と行われたことを証明することが必須条件だからです。公然というのは不特定多数(少数でもいい)が知りうる方法でそういう行為を行った場合を意味します。だから新聞や雑誌、ブログやツィッター、それに街頭演説も公然の範疇に入りますが、小林さんと二人だけの電話での話となると残念ながら公然性は認められません。警察に被害届を出しても門前払いされるのが関の山です」という説得力がある説明に納得せざるを得なかった。
マスコミは「第三の権力」と言われている。が、私は「第三」どころか「最大」の権力機構だと思っている。現に政治家や官僚、大企業の経営者もすべて大手マスコミに媚を売ることに必死ではないか。こうして日本の権力構造の頂点に達した大手マスコミは、自分たちの世界だけで「村社会」を作り、マスコミ界の人間がスキャンダルを起こした場合を除き、競争している相手に対する批判は一切控えるという、「暗黙の協定」を事実上結んでいるとしか思えないスタンスをとっている。その世界にあえて「竿」をさしてきたのは残念ながら私だけである。もし私の姿勢に共感していただけるなら、先ほどお願いした読売新聞読者センターに電話していただきたい。読者センターの電話番号は下記である。
03-3246-5858
なお読者センターは1年365日の毎日9:00~22:00まで受け付けている。また午前中と夕方以降はなかなかかかりにくいが、呼出音が3回なっても相手が出なかったら、すぐ切ってほしい。切らないと「ただ今大変込み合っています」という自動アナウンスが流れ。電話料金が発生してしまうからだ。
勝手なお願いだが、傲慢不遜の大手マスコミを、読者に立場に立って報道・主張する、当たり前の正常なスタンスに変えさせるための一石にしたいからだ。
残念ながら大手マスコミにはもはや自浄能力が失われてしまっている。その原因は、遡れば「あの戦争」時にとったマスコミの報道姿勢に対する、ゆがんだ「反省」から生じている。つまり「権力に屈した」という一点だけを反省(それはそれで間違っているわけではないが)してしまい、「反権力が錦の御旗」であるかのごとき姿勢に180度転換してしまったことによる。私に言わせれば「あの戦争時の報道スタンス」は権力に屈したと言うより、読者(もっと広い言い方をすれば国民)に媚びる姿勢のほうが、報道や主張に与えた影響力が大きかったのではないかと考えている。もし当時「大本営発表」の真偽を問い、日本の軍国主義に対する批判の論陣を張る新聞があったら、軍部の弾圧を受ける前に(軍部の弾圧を否定しているわけではない。間違いなく軍部は弾圧に乗り出していた)軍国主義思想に染まっていた読者から真っ先に見捨てられていた。つまり読者に迎合するため権力に媚を売ったというのが当時の新聞が取ったスタンスに対するフェアな歴史認識である。「権力に屈した」というのは単に歴史的事実を言っているだけで、本当の意味での「反省」の言ではない。
ちなみに国民が軍国主義に染まりだしたのは日清・日露戦争で日本が大勝利を収めたころからで、当時の新聞がこの二つの戦争に対し、どういう報道・主張をしてきたかをちょっとでもいいから脳裏に思い浮かべれば、中学生でも理解できる話だ。ほんの一例をあげれば、日露戦争で日本が大勝利を収めたにもかかわらず、欧米列強の干渉によって戦後賠償権の大幅な譲歩を余儀なくされた日本政府の「弱腰外交」に対し、国民がすさまじい怒りをぶつけ、そうした国民の軍国主義感情を煽りに煽ったのが当時の新聞だったはずだ。
このことは別の機会にフェアな歴史認識とそういう認識をするための方法論(論理学の分野では『認識論』という学問)をこのブログで書きたいと思っているが、とりあえず「権力に屈した」という、責任を権力側に押し付けるような「反省」にしがみついている間はたった一人の無力な読者に対して、ここまでやるか(「録音」ロいう存在しない「証拠」まででっち上げたこと)というほどの総力戦を仕掛けてくる意味がないはずだ。それほどの危機感を読者センターが持ったのは、読者センターの大半が私の読売新聞に対する批判に同調してきた状況を何とかして一変させたいという、おそらく責任者の意向が強く働いたのではないかと思う。実際そう思われても仕方がないであろう、読者センターの私に対する攻撃のすさまじさであった。
実は一昨日(29日)、私が居住している地区を管轄している区役所の無料法律相談に出かけ、弁護士に読売新聞読者センターとの争いについて相談に乗ってもらった。26日に投稿したブログ記事『読売新聞読者センターはとうとう「やくざ集団」になってしまったのか?』の最後に近い個所でこう書いた。
「問題は私を恐怖のどん底に追い込んだ彼の発言内容に、読売新聞読者センターにとって致命的な発言が含まれていたことだ。その致命的な発言内容の問題点を読者の皆さんにはお教えしたいのだが、今私は天下の読売新聞を相手どって法的手段に出ることも考えているので、残念ながらこのブログで明らかにしてしまうわけにはいかないのだ。お許し願いたい」と。
実は私は読者センターの某(読売新聞読者センターに限らずNHKを除いて大半のマスコミの読者・視聴者の意見を聞くべき窓口担当者は絶対に氏名を名乗らない。いったいなぜだろうか。NHKふれあいセンター(旧視聴者センター)のコーディネーターは単なる人間録音機にすぎないが、それでも氏名を名乗る。しかも録音しているのだから、貴重な人件費をかけてまでかなりの人数のコーディネーターを置く必要性がどこまであるかという疑問が生じる。
ただ一般的には視聴者センターは比較的早くに窓口を閉じてしまい、時間外に電話をかけると「ただ今受付を行っておりません。お急ぎの方はピーとなりましたらご意見を○○(秒あるいは分)以内にお話しください」というメッセージが流れ、私も何回か無人の録音機に向かってしゃべった経験があるが、確かにむなしい感じはする。
NHKのコーディネーターは「自分の意見を言うこと」は禁止されているが、「そうですね」といった程度の事実上自分の意見(このような相槌を打つことも、自分の意見を言っていることになるはずだが)を言っても、その程度はお目こぼしに預かっている。
ところが、読売新聞読者センターの場合は「読者センターは読者の方の意見を聞いて担当者に伝えることしかしません」と宣告されてしまうと、時間外に録音機に向かって独り言をしゃべることを強制されたと同様で、味気ないことこの上ない。実際読者センターとの間でトラブルが生じて以来一度だけ読売新聞の社説について私の意見を言いたくなったことがあって、氏名を名乗らず電話したところ、読者センターの方は声で私だとすぐ分かったようで「もうご存知だと思いますが、読者センターは読者の意見をお聞きして担当部門に伝えることしかしておりませんので、そのことをご承知の上でお話しください。ではどうぞ」と言われ、一応数分間話したが。その間、相手は人間録音機であることを義務付けられているNHKのコーディネーターですらしない完黙(完全黙秘のこと)を貫き通した。
実は読売新聞読者センターは今春大幅な人事異動があり、10回電話をして聞き覚えのある方と話ができるのは1回か2回くらいのペースになってしまった。
多分読者センターの責任者の方もその時移動になったのではないかと思う。で、いとも簡単に私を敵視することを読者センター全員の共通認識にすることが出きたのだと思う。
人事異動の前だったら、私が事実に対して意図的に捻じ曲げたような主張をする読者ではないことを大半の方が承知されていた。厳密にいうと、たった一人だけ、最初電話口に出たときはいったん普通に対応されるのだが、声で電話してきた相手が私だとわかると、途端に完黙状態になってしまう方がいた。その方を除けば社説やスキャナー、『基礎からわかる』シリーズ、『昭和時代』シリーズなどの記述に対して批判的意見を申し上げても、当初は反論されるケースもあるが、結局は「わかりました。担当者に伝えます」と、事実上私の意見に同意されるケースがほとんどだった。だからその当時だったら、こんな形で大問題になったりしていなかったと思う。
その方の声に私は全く聞き覚えがなかったので、多分今春の移動で読者センターに配属された新人の一人ではないかと思う。だから、この最後のやり取りに至るまでの私の主張に真摯に耳を傾けられ、つい読者センターの限界を超える発言をしてしまわれたのだと思う。かつての読者センターの方ならそういう迂闊な受け答えはしなかったはずだし、仮にしても「新聞の主張に対する小林さんの意見はほとんどフェアで論理的だから同意しても構わないが、担当記者のアイデンティティを否定するような主張に対して同意するような発言は慎むように」と注意して、それで「終わり」になっていたはずだ。
それともう一つ悪条件が重なったことについても、この際明らかにしておきたい。8月8日に『仙台育英高校は甲子園大会に出場できるのか?』というタイトルのブログ投稿を再開したときの書き出しで私はこう書いた。
「過去2年半体調を崩しブログを書いてきませんでした。それなのに毎日私の復活を待ち訪問してくださる方が依然としてかなり多くいらっしゃったことを知り、感謝の念に堪えません。実はこの間3度入院し2度手術しました。さらに肝硬変という不治の病に侵されてしまいました。この間暴飲暴食をしていたわけではありません。おそらく若いころの暴飲暴食の付けが今頃になって爆発したのでしょう」と。
そのためこの間はブログを書く気にもなれず、グータラ、グータラした生活を送っていたのだが、持病の痛風の薬(尿酸値を下げる薬)と血圧降下剤を処方してもらうために通っていた内科のクリニックで、医師がおなかのあたりを触診して「ちょっと肝臓が腫れている感じがする」と言われ血液検査をすることになった。その日の夕方受付の女性から「先生からのお話ですが、血液検査の結果ちょっと問題があるので、明日エコー(超音波による画像診断装置)をやりたい。午前8時に来てほしいと言われましたが、ご都合はつきませんか」という電話があり、格別用事はなかったので行くことにした。そして医師から「まだ初期の段階で致命的ではないが、肝硬変になっています。γ―GTPが1580と非常に高いことからアルコール性肝炎から発生したものと考えられます」との宣告を受けてしまった。そしてアルコール類は一切口にしないこと、とドクターストップをかけられてしまったのである。
そして妙なことが生じたのは、食前のビールをノンアルコールに代え、寝酒の焼酎をやめてからみるみる体調が回復しだしたのである。それまでも、一応フィットネスクラブに通ってはいたものの、エクササイズはとてもやれる状態ではなく、ただクラブのサウナに入るのが目的で、たまに気が向くと水中ウォーキングをするくらいで、ましてブログを書こうなどという気にはなれなかった。が、アルコールをやめてから様々な身体上の悩みも解消し(尿失禁や便失禁も突然治ってしまった)、エクササイズも1日正味で2時間程度ならやれるくらいに体調が回復し、そういう中でブログも再開しようという意欲が急に復活したのである。
そして8月25日に投稿した「読売新聞読者センターはとうとう人間録音機集団になってしまった!!」というブログ記事までは、ワードで書いたブログ記事の原本をすべて読売新聞読者センターにFAXしてきた。
なお読者センターの方は(朝日新聞のお客さまセンターの方もそうだが)読者からの電話はすべて記録している。ただし、メモあるいはパソコンのキーボードを叩いてでだ。実際手書きのメモよりキーボードで入力する方が早いという人はいくらでもいる。ただし記録するのは読者の意見だけで、自分の発言は一切記録しない。そんな必要が通常はないからだ。
NHKのふれあいセンターが視聴者からの電話を、コミュニケーターにつなぐ前に自動音声で「この通話は録音させていただきます」という旨のメッセージを流すことはみなさんもご存知だと思う。NHKに限らず最近は一般の会社も消費者から問い合わせやクレーム(だけとは限らないが)の電話がかかってきた場合、「この通話は録音させていただきます」とやはり自動音声でメッセージを流す会社が大多数を占めるようになった。もちろん視聴者や消費者に不愉快な思いをさせないため、「正確を期すためと、今後のサービス向上のために」という「録音する理由」を述べたうえでだ。
少し前になるが、読売新聞の社説について意見を申し上げるについて、「これは非常に微妙な問題なので、正確に論説委員室に伝えていただくため録音していただけませんか」と要望したとき、読者センターの方は「この電話機には録音機能がついていません。正確にメモを取りますので、できるだけゆっくりお話しください」と言われたことがある。
このことは非常に重要なことだが、私の声は読者センターの大半の方がご存知なので私が電話で「これから申し上げることは非常に重要な事なので録音していただけませんか」と言ったら、その瞬間電話を切られてしまうことは間違いない。そこでこのブログの読者の方にご協力をお願いしたいのだが、今書いたような内容を電話をしていただけないだろうか。もしご協力していただける方は、その結果を「コメント」に書いていただきたい。もし先方が「わかりました。録音します」と答えた場合、二つのケースが考えられる。
ひとつは少し前に私が「録音してほしい」と要望したときとは違い、今は録音機能が付いた電話機に代えている場合である。その場合も二つのケースが考えられる。一つは読者からの電話はすべて自動的に録音されるようになっている場合である。この場合は読者センターにつながる前にNHKなどと同じく自動録音をすることを知らせるメッセージを流さなければ良心的な企業とは言えない。そのメッセージを流さず録音する場合は、読者の要望に応じて電話機の録音ボタンを押すか、さもなければ読者センターの方が独自に判断して無断録音する場合である。この場合も読者センターの方は「非常に重要なお話なので録音させていただいてもよろしいでしょうか」と読者の了解を取るのがフェアなやり方である。少なくとも私の場合はそのような断りは一度もなかった。第一、問題になったケースでは担当者は、私の主張に同意されたぐらいだから、私に無断で録音する意味がない。
もう一つは、今でも読者センターの電話には録音機能がついていない場合である。その場合は、読者センターも意味のない嘘をつく必要がないから「この電話機には録音機能がついていません」と正直に答えるはずだ。
私はこの問題の真実を知りたいのだ。最初に、私に「事実でないことをブログに書いたりしないでください」と抗議した方は「内部調査の結果、当人に確認したところ、そんなことは言っていない、と言っていますから小林さんが書いたブログは事実ではないことが明らかになりました」と言い張ったことは口が酸っぱくなるほど書いてきた。この方は「当人に確認したところ、そんなことは言っていない、と言っています」と口頭で当人から確認を取ったことを事実上意味したことになる。これは動かせない重要な発言である。
ところが、その後、読者センターの別の方がやくざ口調で私を「ねつ造した方ですね」と断定し、私がその根拠を尋ねると「録音がある」と言い、「では聞かせてほしい」と申し入れたところ「そんなことできるわけがないだろう」と居直ったこともすでに私は明らかにしている。
いったい「当人」と私の会話は録音されていたのかいなかったのか。録音されていたのなら、なにも「当人」から発言内容について確認を取るまでもなく、私が事実以外のことを一切書いていないことはただちに判明したはずだ。
となると事実上ありもしない「録音」を唯一の「根拠」として私に対し「ねつ造した方」という、大津事件の加害者のように、ジャーナリストにとっては「お前、死ね」と言うに等しい侮辱を受けた身としては、いかなる理由があろうとも絶対に許すことはできない。
で、私は29日に行われた弁護士による無料法律相談に行き、私のブログ記事に「ねつ造」と決めつけた読者センターの人に対する正当な報復手段として「侮辱罪」で刑事訴訟を起こしたいと相談を持ちかけたのである。私があえて民事ではなく刑事事件にしようとしたのは、読売新聞読者センターとの戦いは金銭目当てが目的ではなく、このような教育界以上に腐った体質に染まった読売新聞読者センターを解体再編成することが、読売新聞の読者にとっても絶対に必要だと考えたからである。
しかし弁護士は六法全書の「侮辱罪」の項目を指さしながら、「侮辱罪や名誉棄損罪は日本では非常に立件するのが難しいのです。というのはこうした行為を犯罪として立件するには、その行為が『公然』と行われたことを証明することが必須条件だからです。公然というのは不特定多数(少数でもいい)が知りうる方法でそういう行為を行った場合を意味します。だから新聞や雑誌、ブログやツィッター、それに街頭演説も公然の範疇に入りますが、小林さんと二人だけの電話での話となると残念ながら公然性は認められません。警察に被害届を出しても門前払いされるのが関の山です」という説得力がある説明に納得せざるを得なかった。
マスコミは「第三の権力」と言われている。が、私は「第三」どころか「最大」の権力機構だと思っている。現に政治家や官僚、大企業の経営者もすべて大手マスコミに媚を売ることに必死ではないか。こうして日本の権力構造の頂点に達した大手マスコミは、自分たちの世界だけで「村社会」を作り、マスコミ界の人間がスキャンダルを起こした場合を除き、競争している相手に対する批判は一切控えるという、「暗黙の協定」を事実上結んでいるとしか思えないスタンスをとっている。その世界にあえて「竿」をさしてきたのは残念ながら私だけである。もし私の姿勢に共感していただけるなら、先ほどお願いした読売新聞読者センターに電話していただきたい。読者センターの電話番号は下記である。
03-3246-5858
なお読者センターは1年365日の毎日9:00~22:00まで受け付けている。また午前中と夕方以降はなかなかかかりにくいが、呼出音が3回なっても相手が出なかったら、すぐ切ってほしい。切らないと「ただ今大変込み合っています」という自動アナウンスが流れ。電話料金が発生してしまうからだ。
勝手なお願いだが、傲慢不遜の大手マスコミを、読者に立場に立って報道・主張する、当たり前の正常なスタンスに変えさせるための一石にしたいからだ。
残念ながら大手マスコミにはもはや自浄能力が失われてしまっている。その原因は、遡れば「あの戦争」時にとったマスコミの報道姿勢に対する、ゆがんだ「反省」から生じている。つまり「権力に屈した」という一点だけを反省(それはそれで間違っているわけではないが)してしまい、「反権力が錦の御旗」であるかのごとき姿勢に180度転換してしまったことによる。私に言わせれば「あの戦争時の報道スタンス」は権力に屈したと言うより、読者(もっと広い言い方をすれば国民)に媚びる姿勢のほうが、報道や主張に与えた影響力が大きかったのではないかと考えている。もし当時「大本営発表」の真偽を問い、日本の軍国主義に対する批判の論陣を張る新聞があったら、軍部の弾圧を受ける前に(軍部の弾圧を否定しているわけではない。間違いなく軍部は弾圧に乗り出していた)軍国主義思想に染まっていた読者から真っ先に見捨てられていた。つまり読者に迎合するため権力に媚を売ったというのが当時の新聞が取ったスタンスに対するフェアな歴史認識である。「権力に屈した」というのは単に歴史的事実を言っているだけで、本当の意味での「反省」の言ではない。
ちなみに国民が軍国主義に染まりだしたのは日清・日露戦争で日本が大勝利を収めたころからで、当時の新聞がこの二つの戦争に対し、どういう報道・主張をしてきたかをちょっとでもいいから脳裏に思い浮かべれば、中学生でも理解できる話だ。ほんの一例をあげれば、日露戦争で日本が大勝利を収めたにもかかわらず、欧米列強の干渉によって戦後賠償権の大幅な譲歩を余儀なくされた日本政府の「弱腰外交」に対し、国民がすさまじい怒りをぶつけ、そうした国民の軍国主義感情を煽りに煽ったのが当時の新聞だったはずだ。
このことは別の機会にフェアな歴史認識とそういう認識をするための方法論(論理学の分野では『認識論』という学問)をこのブログで書きたいと思っているが、とりあえず「権力に屈した」という、責任を権力側に押し付けるような「反省」にしがみついている間はたった一人の無力な読者に対して、ここまでやるか(「録音」ロいう存在しない「証拠」まででっち上げたこと)というほどの総力戦を仕掛けてくる意味がないはずだ。それほどの危機感を読者センターが持ったのは、読者センターの大半が私の読売新聞に対する批判に同調してきた状況を何とかして一変させたいという、おそらく責任者の意向が強く働いたのではないかと思う。実際そう思われても仕方がないであろう、読者センターの私に対する攻撃のすさまじさであった。