小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

争点が、煙のように消えた総選挙ーー前回記録した戦後最低投票率更新の可能性も大に…。

2017-09-29 05:13:24 | Weblog
 いま28日の午後11時過ぎ。NHKニュース7と民放の選挙特集報道番組を立て続けに見た後、パソコンに向かうことにした。今日(28日)投稿したブログで、「希望の党」(以下、希望と略す)の代表・小池都知事の衆院選出馬について、私は「絶対にあり得ない」と書いた。その理由を、私はこう書いた。

 もし、都知事職を辞したら都民の反発はおそらく想定以上のものになる。大票田の首都で、小池新党は惨敗する。頭のいい小池氏が、自殺行為に相当するバカげた選択をすることは考えられない。市場問題で二兎を追えなかったのと同様、都政と国政の二足のわらじをはくことも無理だ。選挙の顔だけで、小池氏の役割は終わる。

 28日3時半過ぎからの記者会見で、小池氏は「衆院選への出馬は絶対にない」と断言した。「出馬は考えていない」という発言だったら、時機を見て出馬宣言をすることを意味する言い方だが(「現時点では」という含みを残した政治家特有の表現)、「絶対にない」と断言した以上、その発言を翻すことは政治家としての死を意味しかねないからだ。
 したがって小池氏の希望へのかかわり方は、選挙の顔に留まるだろう。言うなら「人寄せパンダ」みたいなものだ。もっとも自民も民進も、知名度だよりの候補者選びをしているから、小池氏の「人寄せパンダ」作戦だけを批判するのは控える。ただ今回の選挙はひょっとすると、前回の衆院選で記録した「戦後最低の投票率」をすら更新するのではないかという危機感を強く抱いている。
 前回の解散時、14年11月18日の朝に投稿したブログで、私はこう書いた。

 今日安倍総理が解散を宣言するようだ。「早まった」と後悔しているかもしれないが、ここまで来た解散風を止めることは総理にも出来まい。「争点なき選挙」と言われてきた12月総選挙だが、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。野党間の調整がうまくいけば大逆転もありうるが、野党が勝利しても所詮野合政権の再登場になるだけだ。「争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙」と私は定義する。

 このブログを投稿した10時間ほどあと、安倍総理が解散を宣言した。「今回の選挙で自公が過半数を取れなければ、アベノミクスが国民から否定されたことを意味する。私は直ちに退陣する」と。
 総選挙の公示日(12月2日)の翌日に投稿したブログでは、私はこう書いた。

 いずれにせよ、今回の総選挙は憲政史上空前の低投票率を記録することだけは間違いない。結果として国民に選択肢がないため(野党が効果的な経済政策を打ち出せないため)、自公連立政権が継続されることも間違いないが、はっきりしていることは選挙の低投票率は、国民が突き付けたアベノミクスに対するNOであることだけは言っておく。昨日から選挙戦は本番に突入したが、「こんなに盛り上がらない選挙は、かつてあっただろうか」という有権者の反応の実態がもうすぐ見えてくる。

 結果はどうだったか。投票率は52.66%。メディアによれば「戦後最低の投票率」だったようだ。私は憲政史上最低を予測したが、メディアは戦後の記録しか検証しなかったようだ。ただ、朝日新聞に問い合わせたところ、戦前・戦中の投票率はかなり高かったようだから、憲政史上最低と言っても間違いではないと思う、とのことだった。
 私は予想屋ではないが、今回の総選挙の投票率は前回をさらに下回る可能性が高いとみている。争点隠しどころか、争点そのものが煙のように消えてしまったからだ。民進議員の大半を吸収することになるだろう希望が、急きょ「台風の目」として自公の対抗馬に躍り出て、表面的には「政権選択の選挙」という、衆院選挙の本来の選挙の意味が付与されたかに見えるが、結果的に有権者にとっては「選択肢」どころか、政治への信頼感が根本から揺らぐ選挙になってしまったからだ。なぜか。
まず希望は、小池氏によれば「寛容な改革保守」の政党ということで、憲法改正、安全保障政策(安保法制の容認)で自民と完全に軌道を同じくするという。自民との違いは「しがらみのない政治」ということだけで、維新の松井代表に言わせれば「私たちが6年間やってきたことと同じ」に過ぎない。
「権力は腐敗する」とは言い古された言葉だが、権力を握る期間が長くなればなるほど、有力支持者や多額の献金をしてくれる業者との癒着は必然的に生じ、次第に腐れ縁になっていく。たとえば関係が疑われる男女がホテルの1室で1夜を過ごせば「男女の関係はない」と言い張っても、そんな言い訳を「信じろ」というほうが無理なのと同様、大学留学以来の腹心の友で、最高権力者の目玉政策を利用して事業の拡大を図った業者が、年に10回近く超多忙の最高権力者とゴルフや飲食を共にしていながら、その事業計画を最高権力者が「全く知らなかった」などと主張しても、信じろというほうが無理だ、と国民の大多数が思うのは自然である。もし、最高権力者の腹心の友が、本当に最高権力者との関係を事業拡大に利用するつもりがなかったら「李下に冠を正さず」で、たとえ最高権力者からの誘いがあったとしてもゴルフや飲食を共にすることは避けるのが、腹心の友たるゆえんではないか。
しがらみのない政治は、新しい政党を作れば実現するほど甘くはなく、「権力は必ず腐敗する」のだから「もし希望が政権の座に就いた場合、腐敗する前に5年で政党を解散する」と宣言し、「5年の間にこれだけの政策を実現する」と公約でもすれば、都知事選・都議選と同様小池フィーバーが吹き荒れるかもしれないが、小池氏にとっては「しがらみのない政治」はただの有権者受けしそうなキャッチフレーズ域を脱しえない。要するに自民とは全く見分けがつかない新党が出現したにすぎず、「争点なき選挙」になってしまったのだ。

 民進は衆議院については解散し、希望に「合流」することを28日の両院議員総会で決めた。前原代表のこの提案は、両院議員総会で満場一致で支持されたという。前原代表が「どうすればもう一度政権交代を起こせるかを考えた。名を捨てて実をとる決意を理解してほしい」と説得したことが功を奏したようだ。希望との「合流」を前提に、①衆院選での民進の公認内定は取り消す、②立候補予定者は離党したうえで希望に公認申請をする、③民進は候補を擁立せず、希望を全力で支援する、④参議院議員は衆院選後をめどに希望に加わる、という方針で合意した。反対意見が言えるような雰囲気ではなかったという。
 選挙は「勝って何ぼの世界」ということくらいは、私も理解しているつもりだ。が、「名を捨てて実をとる」とはどういうことか。数学の世界には「最大公約数」と「最小公倍数」という概念がある。この概念を政党間の選挙協力の関係に応用すれば、「最大公約数」とは政党Aと政党Bが選挙協力する場合、AもBも5つずつのポリシーがあり、そのうち共有できるポリシーが3つあったら、その3つだけを選挙公約として共闘することを意味する。これに対し「最小公倍数」は、共有できる3つのポリシーにと、相反する2つずつのポリシーも含め合計7つの選挙公約で共闘することを意味する。もちろんこんなバカな選挙協力はあり得ない。が、前原・民進側の「合流」作戦は、「最小公倍数」的なことを期待しているようだ。
 そんなことが可能なのか。小池氏は28日の記者会見で、民進の「合流」作戦を真っ向から否定した。「誰でも、とは考えていない。私どもは合流という考え方は持っていない」「安保法制に賛成できない方は(公認を)申し込んでこないのでは…」と、申請者について個別に判断することを明らかにした。
 もともと昨日のブログでも書いたように、小池氏は希望の公認について「憲法改正」「安保法制容認」の2条件を受け入れることを踏み絵にしている。民進党は憲法に関しては「安倍政権下での改憲は認めない」としているだけで(ということは「安倍政権でなければ改憲に応じる」ことを意味する)、いちおうぎりぎりセーフと言えなくもないが、安保法制の採決のときは体を張って阻止しようとしてきた。
 消費税の使い道のようなケースで安倍政権と衝突した程度のことだったら、最大公約数的考え方として自民との対立は不問に付してもそれほど重大な問題にはならないと思うが、安保法制を容認するということは憲法が定めた「日本という国の在り方」に関するポリシーを180度転換するということを意味し、そんなことが許されるなら国民の間に政治不信が沸騰することは間違いない。「名を捨てて実をとる」という範疇をはるかに超えた「転向」「変節」であり、選挙で当選するためなら悪魔とでも手を組む行為に等しい。
 国民もバカではない。早晩、前原・民進党議員に対する愛想尽かしが急速に進むことは必至だ。また実際に、民進党議員が希望に公認要請した場合、「安保法制を容認するか」と踏み絵を突き付けられたとき、「はい、あの採決のときは党議拘束がかかっていたため、やむを得ず体を張って抵抗したけど、実は本意ではなかった」と胸を張って言える人がどれだけいるか。仮にいたとしても、地元の有権者にその変節をどう説明するのか。「実は本意ではなかった」などと言い訳をしたら、「この人は当選しても本意ではないことを平気でやる人だ」という烙印を押されてしまうこと必至だ。
 前原・民進の「合流」方針は、国民の政治不信を極限まで高めるだろう。これは日本の政治に、取り返しのつかない傷跡を刻むことを意味する。
 また連合はどうするのだろうか。小池・前原・神津の3者会談で神津氏(連合会長)は民進党の「合流」を支持したと報道されているが、旧社会党系議員(赤松グループ、辻元グループなど)の公認申請は、小池氏が拒否することは必至だ。もし連合が旧社会党系議員を見捨てて「保守」を公言している小池・希望の党を応援したら、おそらく連合は解体の危機に陥る。第一、連合系組合員が、希望公認候補の選挙運動には動かないだろう。
 いまはメディアも「台風の目」扱いをしているが、こうした希望・民進・連合の関係を与党に追及され出したら、小池新党の前途は多難を極めるだろう。
 ただ一つだけ、希望が勝つチャンスがある。ブログで何度も書いてきたが、アベノミクスは完全に破たんしている。そもそもアベノミクスを提案した総理の経済ブレーンだった浜田氏自身が「失敗」をいまでは認めている。が、総理や日銀・黒田総裁はいまさら失敗を認めるわけにはいかず(失敗を認めたら責任をとって二人とも職を辞さざるを得なくなる)、レールの上を走り続けている。アベノミクスに変わる経済政策を打ち出して、それを「争点」にできれば勝てる可能性があるが、小池氏は経済には関心がないようだ。小池氏ほどの有能な政治家でも、勝つためのポイントがわかっていないのかもしれない。

小池新党への大合流で、一強体制回復を目指した安倍解散劇の筋書きはどうなる?

2017-09-28 08:27:17 | Weblog
 25日夕方、余裕を持って「国難突破解散」を宣言した安倍総理だが、それからたった二日で「政権選択解散」「安倍絶望解散」に変わってしまった。選挙のカギを握る無党派層の動向が一気に決まったからである。無党派層の動向を決めたのは、言うまでもなく小池新党の『希望の党』とメディアの報道である。
安倍総理を中心とする自民党執行部が、3分の2以上の議席を与党が確保できるのは今しかない、と判断して「解散の大義の無理付け」解散に踏み切ることにしたのは、アメリカと北朝鮮の「挑発ごっこ」がまさかの事態を招きかねない沸騰点まで高まり、政権への求心力が急速に回復したからであった。
実際、モリカケ疑惑や稲田答弁問題で6月、7月と内閣支持率が急落し、7月の各メディアの世論調査ではついに不支持率が支持率を上回るという事態にまで、安倍政権は追い込まれていた。8月の内閣改造で支持率はやや持ち直したが、前回の内閣改造後の支持率上昇と比較すると微々たる回復でしかなかった。
前にもブログで書いたが、内閣支持率を左右するのは選挙と同様、無党派層である。アメリカのように国民の多くが民主党か共和党の支持層に分かれている国でも、必ずしも固定的な支持層とは言えず、大統領候補者の選挙公約によって投票スタンスを変えてしまうことが起こりうる。実際、大統領候補者になるための必須の条件であるはずの、有力州の知事または上院議員というキャリアを経ず、しかも自ら共和党と民主党、さらには第3政党と党籍をうろちょろ変えてきたトランプ氏が、あれよあれよという間に共和党の大統領候補者に選出され、到底実現不可能な無鉄砲極まる公約を並べたてて大統領選を勝ち抜いてしまったのも、本来なら民主党の支持層であった白人低所得層がトランプ氏の「移民排除政策」によって、ヒスパニック系の移民によって奪われた仕事を取り返せるという期待から、従来の投票スタンスを変えたことが、大番狂わせの選挙結果を生んだ。
アメリカの主要メディアである『ニューヨークタイムス』や『ワシントンポスト』『CNN』などが選挙前の世論調査でヒラリー・クリントン有利の報道を流したことも「逆アナウンス効果」となり、「なんとなく」民主党支持層だった白人低所得層が一気にトランプ側に寝返ったというのが、米大統領選の真相である。米メディアは予想が外れた原因を「隠れトランプ支持層」の動向をとらえきれなかったと総括したが、もし本当に「隠れトランプ支持層」が存在していたら、かならず世論調査に引っかかっている。真相は「隠れトランプ支持層」の存在ではなく、本来なら民主党候補に投票するはずだった白人低所得層が投票行動を変えたためである。
そうした新たな「無党派層」の出現と、彼らの投票行動が事前の予想を大きく裏切るケースは直近のイギリスやドイツの選挙でも表れている。首相の解散権を憲法で縛ったイギリスでも、メイ首相が議会の3分の2の支持を得て解散に踏み切り、EUからの離脱交渉を有利に進めようとしたが、かえって与党の議席数を減らす結果になったし、先の大戦への大いなる反省から難民の流入に寛容な姿勢をとり続けるメルケン首相に対して国粋主義者政党が台頭し、やはりメディアの想定外だった第3党に躍進するという事態も生じた。
安倍総理が勝利の確信をもって解散に踏み切ったのも、米朝関係の悪化を日本にとって有事の危機であるかのごとく煽り立て、その作戦に自覚なく悪乗りした日本の全メディアの報道姿勢によって9月の内閣支持率が急回復したことで、安倍総理は「総選挙で与党が3分の2の議席を確保して『安倍一強体制』を回復する」ための絶好のチャンスとして行ったのが解散の真の目的だった。
が、遅くても今年に入って早々、小池都知事が若狭衆院議員とひそかに国政政党の小池新党の立ち上げを画策してきたと思われる。『希望の党』なる党名は、今年2月に投票登録を申請していたことが明らかになっているし、新党立ち上げ宣言の記者会見で流された動画も、相当前から準備していたと思われる。
こうして「安倍解散劇」が進行する中で、早々に動いたメディアが毎日新聞だった。解散宣言の翌26日と27日の2日間にわたり緊急の世論調査を行ったのだ。この世論調査によれば、投票先政党は依然として自民党がトップだったが(29%)、次いで『希望の党』が早くも18%と2位につけた(民進は8%、公明5%、共産5%、維新3%)。内閣支持率も支持36%、不支持42%で再々逆転した(前回9月2,3日の世論調査では支持39%、不支持36%)。ただし、無党派層(支持政党なし)の投票先は自民15%、希望14%と拮抗したが、昨27日の『希望の党』と民進党の合流への動きの急展開が、この世論調査にどの程度反映されたかは不明である。
このブログを書いている現時点(28日06:45※書き終えて投稿する時間ではない)希望・民進の急接近に維新が加わるかどうかは不明だが、維新の松井代表は小池新党の立ち上げ早々から「私たちと同じ主張だ」と秋波を送っており、最終的には希望を軸に民進・維新が合流する政界大再編になる可能性が強い。
ただ事実上の中心軸となる小池氏は「大合併ありきではない」(趣旨)ことを明言しており、当選目当ての新党への参加は拒否する構えだ。しかもその参加条件は「改憲と安全保障に関する姿勢の基本的一致」で、暗に民進党の革新系議員の参加は認めない方針を打ち出している。明確な保守新党の誕生を意味し、危機感を募らせた自民党幹部の「野合」「烏合の衆」といった批判は当たらない。
この政界大再編の動きで、いったん新党への支持を打ち出した連合だが、対応の見直しを迫られることになる。連合は組織票を背景に新党でも発言力を確保したかったのだろうが、小池氏の参加条件をのむことはできまい。
さらに、割を食いそうなのは共産党だ。共産党に対する政党支持率はここ数年ほとんど変化がないにもかかわらず、たまたま行き場のない無党派層の消去法による選択により、国政でも地方でも選挙のたびに議席数を増やしてきたが、いまのところメディアが小池新党にきわめて好意的な報道をしており、無党派層が一気に雪崩現象を生じる可能性が高まっている。
問題は小池氏が目指すという「寛容な保守党」という新党のイメージが有権者にどう受け止められるかだ。「寛容」が何を意味するのか。自民党のような「極右から左寄りまで」の幅の広さを意味するのであれば、自民党とどう違うのか。アメリカの民主党のような「リベラル保守勢力」を目指すのであれば、憲法と安全保障に関して自民党との明確な相違を明らかにしないと、イメージを具体的な政策として打ち出した場合、内部亀裂や支持者の失望を招きかねない。
というのも、小池氏には都知事として市場問題で示した極めてあいまいなスタンスを、いまだにとり続けているという前歴があるからだ。「豊洲は生かす、築地は守る」というイメージ作戦で都議選を大勝利に導いたが、果たして二兎を追うことが可能なのか、その処方箋はいまだ明らかでない。小池氏のイメージ作戦に悪乗りしたメディアは、おそらく今では気がついているだろうが、いまさら手のひらを返すように小池批判はしづらくなっている。小池氏はメディアの出身だけに、そうしたメディアの体質を知り尽くしている。
市場問題について言っておく。築地の再開発に要する期間は5年と予定されている。つまり築地の市場関係者はそれまでの間、豊洲で事業を続けることになる。5年も事業を続ければ、豊洲での定着はかなり進む。築地から豊洲に移転するのも多少リスクが伴うが、他に選択肢がないから移転せざるを得ない。5年後、市場関係者をもう一度築地に戻すというなら、都は膨大な補償金を支払って豊洲市場を閉鎖してうえで、再移転を強制するしか方法はない。そんな強権行政が日本で出来るとでも思っているのか。メディアは小池ブームを演出したプロデューサーでもある。その責任感をかみしめてもらいたい。
最後に、小池氏が都知事を辞任して衆院選に出馬するのではないかという憶測を流しているメディアもある。小池氏は否定しているが、小池出馬説は依然として消えない。が、小池氏の鞍替えは絶対あり得ない。もし、都知事職を辞したら都民の反発はおそらく想定以上のものになる。大票田の首都で、小池新党は惨敗する。頭のいい小池氏が、自殺行為に相当するバカげた選択をすることは考えられない。ただ市場問題で二兎を終えなかったのと同様、都政と国政の二足のわらじをはくことも無理だ。選挙の顔だけで、小池氏の役割は終わる。

安倍総理命名の「国難突破解散」の真意とは…。消費税増税分の使途変更は、国難と言えるほどの問題か。

2017-09-26 11:35:01 | Weblog
25日午後6時、安倍総理が記者会見を行い、衆議院の解散・総選挙を発表した。そのこと自体は、前々から想定されていた既定路線であり、この記者会見は確認のための儀式に過ぎなかった。安倍総理は解散の大義として「消費税増税分の使途変更」と「北朝鮮対策」を掲げ、「国難突破解散」と命名した。安倍総理の「専権事項」とされた今回の解散の真意を問う。

① まず衆議院の解散は、はたして「総理の専権事項」なのか。実は今回初めてさまざまなメディアが、この問題に疑問を突き付けた。安倍政権を言論界で支えてきた読売新聞ですら、9月21日、ほぼ丸々1ページを割いて疑問を突き付けたくらいだ。
憲法上、解散に直接触れているのは69条である。69条は、衆議院で内閣不信任案が可決されるか、新任の決議案が否決された場合、内閣は衆議院を解散できるとしている。このケースで行われた直近の解散は、宮沢内閣に対する不信任案が可決された時である。
しかし、こうしたケース以外に「総理の専権事項」という解釈のもとに、政権にとって都合がいい時に首相が解散を宣言することが、これまで慣例化してきた。そうした恣意的解散を可能にしてきたのが憲法7条の「天皇の国事」に当たる条文である。すなわち、天皇は内閣の助言と承認により、国民のために衆議院を解散するという条文である。
いずれの場合も、首相の権利を定めた条文ではなく、内閣の権利を定めた条文である。いつの間にか内閣の権利が「首相の専権事項」にすり替えられてきた。そのことへの疑問はどのメディアもまだ提起していない。
言うまでもないことだが、内閣(政府)は行政府のトップである。内閣を構成する大臣・長官の指揮下で行政実務を行うのが各省庁である。内閣府は内閣の事務方を担当する省庁だが、各省庁の人事権を握るようになってから(「政治主導」の名目による)、内閣府のトップである官房長官が巨大な権限を持つようになった。
一方国会は立法府である。議員立法という機会も保証されているが、大半は各省庁が立案作成した法案を内閣が閣議決定し、担当の各委員会(安保法制の場合は予算委員会、「共謀法」の場合は法務委員会)で審議し、委員会での採択を経て国会本会議に上程される。「解散」という内閣に与えられた権利を、閣議にかけずに首相が独断で行使できる権利は、憲法のどの条文にも記載されていない。
しかも、日本がお手本としたイギリスの議会内閣制だが、本家のイギリスは首相の恣意的解散が出来ないように法改正しているし、同様に議会内閣制をとっているドイツもイギリスと同様、首相の解散権を制限している。あまりにも露骨な今回の安倍総理の「専権事項」行使には、NHKを除くメディアが一斉に疑問を呈しており、むしろ「総理の解散権」を争点にして有権者の判断を仰ぐべきだろう。

② 「大義なき解散」はありうるのか。前回のブログでも書いたように、仮に首 相の「専権事項」という従来解釈を認めたとしても、「大義」のない解散は、さすがにありえない。大義とは、選挙における「争点」のことである。逆に言えば「選挙の争点になりえない大義」も成立しないことになる。
14年の解散のとき、安倍総理は当初「消費税増税の延期」を大義として解散に打って出るつもりだったが、野党の民主党が争う姿勢を見せなかったため、急きょ「アベノミクスの継続について国民に信を問う」と、「大義」を変えた。しかし、この時点ではアベノミクスへの批判は全くと言っていいほど表面化していなかった。安倍政権が「ひとり相撲」をとった選挙となり、有権者とりわけ無党派層は「選択肢のない選挙」にしらけきり、投票率は戦後最低を記録、固い選挙基盤を持つ与党は「たなぼた」的に3分の2以上の議席をもぎ取った。
その結果、安倍総理は選挙の争点に敢えてしなかった「安保法制」を突然閣議決定し、予算委員会での強行採決を経て国会で成立させた。あからさまな「争点隠し」であった。
この選挙からメディアが得なければならない教訓は、まず「大義なき解散」はあり得ないが、「大義」は野党や世論の反応によって都合よく変えられるということが一つ。もう一つは、解散時の「大義」は解散のための口実にすぎず、真の解散目的はしばしば隠され、選挙で勝ったとき「国民の信任を得た」と称して本来の目的を国会の多数勢力による強行採決で成立させるのが、政権政党の常套手段だということである。
つまり、政権政党にとって有利と総理が判断した時に、有利な選挙戦を行うために行使する権利が「解散権」であり、はっきり言えば「大義」などどうでもいいのだ。要するに「解散ありき」なのだ。その前例を考慮せずに政権交代を前提に行った唯一のケースが、民主党・野田総理の「敵前逃亡」解散だった。

③ こうした理解に踏まえて今回の解散劇を検証してみよう。当初、安倍総理は解散の大義について、消費税増税分を幼児や低所得者の子供への教育支援など、従来高齢者偏重だった社会福祉の対象を若い人たちに振り向けるということを考えていた。が、このアイディアはすでに民進党の前原氏が代表選で主張していたアイディアだったことがわかり、急きょ「アベノミクスの信を問う」と大義を変更しようとしたが、アベノミクスが5年経っても効果をあらわしていないことから自民党内部からも批判が噴出する事態を招いており、選挙戦術としては採用できないという判断に至ったようだ。
その結果、急きょ大義を本来なら禁じ手の「憲法改正の是非」に振り替えることに、いったんはした。
実はこの大義が安倍総理にとっては「隠し本命」だった。「安保法制」の成立によって集団的自衛権行使の容認を強行成立させたものの、まだ憲法上の縛りは厳しく、法の運用についてより広範囲な運用を可能にするよう、憲法9条を変更するため自民党憲法調査会で改正案を早急にまとめるよう総理は指示していた。が、6月から7月にかけてモリカケ疑惑や稲田防衛相(当時)の混乱答弁問題などで内閣支持率が急落した結果、いったん「安倍一強体制」が崩壊し、2020年と期限を切って憲法を「改正」する意欲を見せていた安倍総理だが、「時期にこだわらない」と自らの手による改憲断念に追い込まれた。
が、危機的状況にあった安倍総理に、思いもよらぬ「たなぼた」的プレゼントが舞い込んだ。前回のブログでも書いたように、北朝鮮とアメリカの「挑発ごっこ」である。この事態に飛びついたのが安倍総理。北朝鮮の「脅威」をあおりたて、襟裳岬の上空をかすめた程度のミサイルに対して北海道から東日本一帯に至るまでJアラートを発信し、さらに対北朝鮮で米トランプ大統領との一体感をことさらに強調、「あらゆる手段(当然軍事行動を含む)がテーブルの上にある」と北朝鮮を恫喝したトランプ氏を全面支持して北朝鮮との対決姿勢を鮮明にした。この「安倍作戦」に一斉に協力したのがNHKをはじめとする日本の全メディア。明日にでも日本に北朝鮮のミサイルが飛んでくるかのような報道に終始した。これほどすべてのメディアが一斉に同じ方向を向いた報道をしたのは、戦時中の大本営による検閲下にあった時代をすら彷彿させるほどだった。
その結果、9月にはいって内閣支持率が急回復、NHKをはじめ世論調査で再び安倍内閣の支持率が不支持率を逆転するという状態になった。安倍総理が急きょ解散に踏み切ることにしたのは、その結果である。安倍総理が自民党憲法調査会で、憲法9条「改正」案を早々にまとめるよう指示したにもかかわらず、いまだ1,2項を残して3項追加というごまかし改正派(安倍総理など)と、2項の全面書き直しを主張する正統派(石破氏など)との対立は解消されず、内閣支持率の急回復を好機として、選挙で改憲勢力が3分の2以上の議席を確保できれば、「安倍一強」体制が復活し、党内改憲正統派を抑え込んで次期国会で一気に3項追加の改憲発議に持ち込めるという計算のもとに行ったのが、今回の解散の真相である。
が、あまりにもあからさまな「改憲解散」には党内安倍派からも慎重論が続出し、自民党の党是である改憲を大義にした解散はリスクが大きすぎるという判断に傾き、いったん消えた「消費税増税分の使途について国民に信を問う」という名目に「解散の大義」を戻したというわけである。
が、消費税増税は2019年10月である。時期を早めて来年4月に前倒ししての上で、増税分の使途について国民に信を問うというなら、現時点での解散もありだが、そういう話ではない。だとすれば、2年も先の増税の使い道について、なぜ今有権者は判断を迫られなければならないのか。そもそも国会での議論すらまだ全くなされていない。そのうえ教育資金に、という案はすでに前原・民進党代表が主張しており、パクリという批判もある。いま解散して総選挙の争点にしようという姑息な手段が通用するだろうか。
④最後に憲法9条の意味について考察する。憲法9条は日本国憲法の平和主義の象徴をなす条文だが、自衛隊は2項の中の「戦力の不保持」に違反するのではないかという議論が繰り返されてきたため、もっと大きな縛りである「交戦権の否認」がいささか無視あるいは軽んじられてきたきらいがある。
これまで自民党は自衛隊について「憲法で言う戦力には当たらない実力」という意味不明な位置づけで自衛隊合憲論を展開してきた。が、憲法学者の多く(安倍総理によれば7割ほど。実際には大半だという説が有力)は違憲説を主張している。また国際的にみても、自衛隊は「戦力ではない」「軍隊ではない」と理解している国は皆無である。同盟国のアメリカですら、自衛隊の軍事力に有事の際の協力を期待しているくらいなのだから。
実際に自民党政権を縛ってきたのは「戦力の不保持」ではなく、「交戦権の否認」のほうである。たとえば湾岸戦争の発端となったフセイン・イラクがクウェートに侵攻した時、民間人を含む日本人141人がイラク政府によって人質になった。テロリストによる誘拐や人質はしばしば行われているが、他国の国家権力による無差別拘束という事態は、第二次世界大戦以降、初めてであった。この時、自衛隊は「交戦権否認」という憲法の縛りによって人質救出活動もできず、湾岸戦争にも参加できなかった。
憲法9条の最大の柱は、この「交戦権の否認」にある。再び湾岸戦争のような事態が生じた時、やはり自衛隊は手をこまねいているべきか否かは、正直私にも答えがない。ただ交戦権を行使できない中で、日本の国土と日本人の安全を守る唯一の道は、自衛隊を戦争集団ではなく国際災害救援隊に改組して、北朝鮮や中国のような体制の異なる国でも、自然災害による大きな被害が生じた国にいち早く駆けつけて、救援救難活動を行うようにしたら、そういう日本を攻撃しようという国はあるだろうか。
また、先の大戦以降、イラクのクウェート侵攻を除いて他国への侵略戦争を行ったケースは皆無だという歴史的事実も重要である。もはや先の大戦のような侵略戦争は事実上不可能な時代に、世界の歴史は入ったと考えるべきである。
もちろん、戦火が途絶えたことは、先の大戦以降もない。が、その戦火は国内における政権を巡っての衝突であり、朝鮮戦争にしてもベトナム戦争にしても、あるいはハンガリーやポーランド、チェコスロヴァキアのケースにしても、「集団的自衛権の行使」を口実にしたアメリカや旧ソ連の軍事介入によるもので、他国を植民地化しようという侵略戦争などではない。日本が侵略戦争のターゲットになる可能性は天文学的な確率で低く、むしろ集団的自衛権の容認によってアメリカの戦争に加担せざるを得なくなるリスクのほうがはるかに高いと言わざるを得ない。
集団的自衛権行使容認について、安倍総理が従来の内閣法制局の見解「密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたとみなして、その国を防衛する権利は、日本も国連憲章によって保有しているが、憲法の制約によって行使できない」としてきたのを変更し、「日本の存立基盤が危うくなる」などの緊急事態が生じたときは集団的自衛権を行使できると、憲法9条の最後の砦だった「交戦権の否認」という縛りも無くしてしまったのが安保法制だった。つまり憲法9条の最大の意図である「戦争が出来ない国」から「戦争が出来る国」へと大きく「国の在り方」のかじを切ったのが安保法制だった。だから北朝鮮がグアム周辺の海域にミサイルを発射する計画をアドバルーンとして打ち上げた時、小野寺防衛相は「グアムの米軍基地が攻撃されたら日本の抑止力が低下する恐れがあり、存立危機事態に相当する可能性がある」と、早々と集団的自衛権による「交戦権」の行使可能性について言及したのである。安倍総理が解散の「大義」の二番目として挙げた「北朝鮮対策」は、「交戦権の行使」を憲法上明文化することが目的であることを、有権者は明確に認識しておかなければならない。そうでなければ、いみじくも安倍総理が命名した「国難突破解散」の意味が理解できない。

今日22日、解散の大義が明らかになる。「憲法改正」を争点に総選挙が行われた時、日本は…。

2017-09-22 07:29:54 | Weblog
 第27回国連総会に出席していた安倍総理が、今日22日に帰国する。当然記者団に囲まれるが、その場で解散と解散の大義について明言するのか…。
 実は今回の解散劇は前回2014年の解散ときわめて似ている。14年のときも、安倍総理が海外歴訪の直前に突然解散風が吹き出し、やはり空港で記者団に囲まれた。ただ、出発前の安倍総理の発言は微妙に違う。
 14年のときは「私は解散は全く考えていない」と、永田町で吹き出した風を完全否定した。が、今回は「解散は帰国後判断する」と、事実上の解散宣言をした。この差は、単に日本を離れている期間の長短に由来するだけだろう。
 きわめて類似しているのは、総理の離日中に解散風がどんどん強まり、その間に「解散の大義名分」が大きく転換したことだ。そのことを、メディアはすっかり忘れているようだ。たとえば21日付読売新聞朝刊で、笹森編集委員が「首相の解散権」について長文の論文を書いている(偶然だろうが、当日のTV朝日『羽鳥モーニングショー』でも同様の特集を放映した)。
 笹森氏の記憶によれば、14年解散の「大義名分」は「消費税増税先送りの信を問う」としているが、実は違う。記憶の正確性を確認せず、思い込みで核ととんでもない間違いを犯すという好例だ。もっとも笹森氏だけでなく、BSプライムの反町MCも同じ発言をしていたから(20日)、思い込みを確認する必要性を認識していないジャーナリストが多すぎると言わざるを得ない。
 実は前回も今回も「大義なき解散」とメディアは論評しているが、大義名分のない解散などあり得ない。その大義名分が本当に解散で国民に信を問わなければならないほどの重要事であるか否かは別にしても、だ。そして前回と今回にはきわめて似た要素があるということに、メディアは気付いていないようだ。
 なぜ笹森氏や反町氏は勘違いしたのか。実は前回安倍総理が離日直前に吹き出した解散風は、当初「消費税増税の延期」を選挙の争点にするというアドバルーンだった。民主党政権の末期、野田総理は当時の自民党総裁の安倍氏に国会で「社会保障と税の一体改革」という民主党政権の政治課題を継承することの約束を取り付けて、「敵前逃亡」の解散に打って出た。この約束が、いわゆる「3党合意」であり、その柱の一つに消費税の2段階増税計画があった。
 だから安倍総理は当初、消費税増税の延期を言い出せば民主党が「3党合意の違反だ」と反発し、総選挙の争点になりうると考えていた。国民が消費税増税に反発することはわかりきっていたからだ。
 が、このアドバルーンは不発に終わった。民主党が「3党合意を守って消費税を計画通りに増税すべきだ」と主張しなかったからだ。そうした空気は逐一海外歴訪中の安倍総理にも伝えられていた。が、いまさら「解散やーめた」と翻意できるような状況にはなくなっていた。
 で、困った安倍総理が帰国時に囲まれた記者団に対して述べた解散の大義が、「アベノミクスの継続について国民の信を問う」だったのだ。最近でこそアベノミクスは失敗だったのでは…という疑問をエコノミストたちも言い出し、肝心のアベノミクス提唱者とされている浜田宏一・東大名誉教授ですら失敗を認めているという。
 今回の解散風も、14年のときと似た経緯をたどっている。当初吹き出した風は「消費税の増税分を若い世代の教育や人づくりのために使う」というものだった。消費税増税分の約5兆円の8割は財政資金に充てることになっていたが、国債という借金をさらに積み増しても高齢者に傾きすぎていたといわれる社会福祉を若い世代(子供も含む)に振り向けようという話だ。これを争点にできれば、世論は支持するだろうし、民進党が「財政再建が遅れる」と反発しても選挙に勝てると読んだのだ。
 が、今回もそのアドバルーンは不発に終わった。民進党代表の前原氏が「自分の考えにかぶせてきた」とコケにしたからだ。実際、前原氏は民進党の代表選で、同様のことを主張していたからだ。
 もちろん、そうした国内事情は事こまかく訪米中の安倍総理に伝えられていた。で、消費税増税分の扱いとは違う大義を探さなければならなくなった。一時、前回と同様「アベノミクスの継続について国民に信を問う」という案も出たようだが、総理自身が「いまだ道半ば」と言わざるを得ない状況では、むしろ敵に塩を送る結果になりかねないということで、アドバルーンにもならずにシャボン玉となって消えた。
 そうした中で急浮上したのが、いったん消えたはずの憲法改正論である。解散風が突然吹き出したのが16日。その翌朝、私はブログでこう書いた。
「が、解散総選挙に踏み切った場合、安倍総理に大義名分があるのか(※この時点では消費税増税分の扱いというアドバルーンは上がっていなかった)。憲法改正について国民に信を問う、というなら十分大義名分が成り立つが、肝心の足元である自民党内で9条をめぐり、ごまかし改正派(安倍総理など)と正統派(石破氏など)との間で調整がついていない。野党は憲法問題を争点にすることは間違いなく、自民はまた争点回避作戦に出るのだろうか」
 今日、安倍総理は解散宣言と同時に解散の大義名分を明らかにする。いまさら「解散やーめた」というわけにはいかなくなっているのは14年の海外歴訪中と同じ。私は17日のブログで、今回の解散総選挙の投票率は、戦後最低を記録した前回をすら下回る可能性があると書いたが、もし安倍総理が憲法改正問題を争点に解散するとなると、選挙戦がどうなるか、ちょっと読めなくなってきた。14年の総選挙のときは無党派層がしらけきっていたため(選択肢がなかったため)、投票率も戦後最低を記録したが、今回無党派層がどう判断するか、はっきり言って「いやーな」感じがする。

 実はメディアの世論調査で7月には内閣支持率が大幅に低下して(原因はモリカケ問題や稲田答弁問題などのスキャンダル)、支持・不支持が逆転した。8月は内閣改造効果で数ポイント支持率が回復したが、内閣支持率が再逆転するには至らなかった。
 本来内閣改造効果は短期間で消える。とくに8~9月にかけては国会が休会中であり、散発的に閉会中審議は行われたが、与党にとって有利な状況は全くなかった。むしろモリカケ問題で総理が逃げ回り、安倍総理が「将来の総理候補」とまで期待していた稲田・前防衛相を更迭改造せざるを得ないほど追いつめられていた状況だった。そうした中で、なぜ9月に入り内閣支持率が急回復したのか。とくにNHKの世論調査では支持・不支持が再逆転し、読売新聞に至っては支持率が8ポイントも上昇して50%に達した。
 その原因を、メディアは全く理解していない。自分たちの報道姿勢がそういう結果を導いたとは認めたくないからだろう。
 メディアは、民進党の混乱に原因を求めているが、世論調査による内閣支持率を左右するのは、選挙と同じく無党派層である。現に内閣支持率と一緒に行われる政党支持率は、支持基盤が固い自民・公明・共産の各党には大きな変化が見られない。支持率がじりじり下がり続けている民進党は、いままでは無党派層がある程度支えていただけで、その無党派層が離れた今の支持率が連合を中心とする固い支持基盤ということを意味する。だから民進党の支持率がこれ以上大幅に下がることはあまり考えられない(まだ無党派層の期待が固定支持基盤をかなり上回っていれば別だが…)。

 はっきり言って内閣支持率が急回復したのは、北朝鮮の暴走のおかげである。北朝鮮がミサイルを発射して、安倍総理には幸運にもそのミサイルが襟裳岬上空をかすめたことで政府がJアラートを発し、NHKはその都度、東北大震災や熊本地震のときでも中止しなかった朝ドラを中止してまで延々と北朝鮮の「挑発」行為を報道し、日頃安倍政権に厳しい朝日新聞すら大々的に日本が有事を目の前にしているかのような報道をする有様だった。
 私は1発目のミサイル発射時からブログで、北朝鮮の「挑発」行為は安倍総理にとって「たなぼた」的プレゼントになる、と書いてきたが、まさにその結果が内閣支持率の急回復だった。
 憲法改正が選挙の争点になった場合(99%そうなる)、民進党はどう出るか。前原代表は「受けて立つ」と強気の姿勢のようだが、おそらく民進党は「賛成」するわけにもいかないだろうが、かといって「反対」すれば確実に党が分裂する。さらに、民進党の出方次第では、これまで秋波を絶えず送り続けてきた共産党が民進党との選挙協力をあきらめる可能性が高い。
 そうなると、メディアに踊らされた無党派層が一気に選挙で与党候補に投票する可能性もあり、そうなると与党は一気に「たなぼた」的大勝利を収める可能性もある。あるいは、メディアがそうした異常な空気に気付いて報道姿勢を転換した場合は、無党派層が選択に困り、棄権や白紙投票が急増する可能性もある。
 私が一番恐れているのは、こうした異常な空気の中で有権者が与党に3分の2以上の議席を与えた場合、安倍一強が復活して一気に憲法改正になだれ込んでしまうことだ。そうなったとき、メディアはどう責任をとるつもりか。「オレ知ーらない」ではすまされない。(このブログの投稿日時を記憶しておいていただきたい)

さんざん世間を騒がせた あの人も出るという次期総選挙の争点は…ホンマかいな?

2017-09-19 10:04:32 | Weblog
 さんざん世間を騒がせた、あの人が次期総選挙への出馬の意欲を示した。豊田真由子衆院議員である。
 この人のキャリアはすごい。お嬢様学校で女子校御三家のNO.1、桜蔭学園(中高一貫校)から東大法学部を経て厚生省(現厚労省)に入省。国費留学生としてハーバード大学院で修士号を取得、12年12月の衆院選で自民党から埼玉4区で出馬し、初当選。現在2期目。
 桜蔭は勉強もさることながら、「礼」と「作法」を重んじ、道徳教育にも熱心だという。さらに厚労省と言えば社会的弱者のための政策を担当する行政府である。秘書に対する暴言・暴行(本人は暴行は否定)とは、およそ無縁な境遇に身を置いてきたはずだ。
 ブログ読者は豊田氏の「暴言・暴行」事件についてはご存じのはずだから、ここでは繰り返さない。ただ、17日の『Mr.サンデー』で放映された宮根氏とのインタビューと、昨日(18日)の90分に及ぶ記者会見をみると、この人は「自分の何が問われているのか」がまったくお分かりでないようだ。
「あんな異常なことは、今回が初めて。自分でもどうかしていたとしか思えない」
「私も、あの音声を聞くたびに呆然として涙が止まらない」
「自分にはエリート意識がなく、コンプレックスのかたまり」
「人が必要としてくれる、自分が役にたてるということが、自分の生きる証というか力になったというか、それは自信のなさの裏返しだったと思う」
「多分、私は世の中とのかい離がすごくあったと思う」
「ここで逃げるのではなく、地域のため国のため世界のため、恥をさらして(政治家として)生きていくことが責任を全うすることだと思う」
 政治家も人の子。過ちを犯すこともあるだろう。
 問題は、過ちを犯したときの身の処し方が、政治家の場合は一般人と違ってより厳しく問われるということだ。そうした自覚のない人は、いかに高邁な理想を持っていたとしても、政治家としての資質に欠けると言われても仕方あるまい。
 宮根氏は、インタビューで「自分もアホです。あなたもアホだ。でも出直しはできる」と、心にこもったアドバイスをした。彼がインタビューしたときは、まだ永田町に解散風は吹き出していなかった。
 私が早ければ臨時国会での冒頭解散、遅くても10月22日の補選結果を見ての解散の可能性が強いとのブログを投稿したのは17日の07:47:49である。いま読み直してみて憲法改正についての記述に誤変換があったことに気付いた。「正統派(石橋)」とあるのは「石破氏」の誤変換である。それを直すと投稿日時が変わってしまうので、そのままにしておく。
 そのことはともかく、3か月も雲隠れしていた(『文藝春秋』のインタビューには応じたが…)豊田氏が、宮根氏とのインタビューに応じたのは永田町の空気の変化を察したためだったのか。だとしたら豊田氏は相当したたかだし、宮根氏はまんまとひっかけられたことになる。
 このインタビューと放送があった17日には、豊田氏は翌18日に地元で支持者や後援会員に説明会を開く予定にしていたが、支持者たちの反発が強く集会不可能ということで、いったん中止の報道があった。
 が、翌日一気に解散風が噴き出した途端、地元での説明会と記者会見を行うことにした、という経緯がある。豊田氏にとってはすべて計算づくのストーリーだったのかもしれない。政治家たるもの、そのくらい図々しくないと人の上には立てないということか。
 とりわけ豊田氏は、厚労省のキャリアである。せめて社会的弱者の心の傷と痛みに思いをはせることが出来るようになるまで、「精神修行」なり社会的弱者に対するボランティア活動というみそぎを済ませてからでも、政治家として何かをやりたいなら遅くはないと思うのだが…。ま、自分の子供が小学校でいじめられてはいないだろうか、という母心も失っている人に、そういうことを期待するほうが無理か。
が、そんな人に厚労行政で大きな顔はしてもらいたくない。

豊田氏の件から離れる。臨時国会冒頭の解散は必至という情勢のようだ。やはり問題になったのは、私がブログで書いた通り「解散の大義名分」だった。でも、私もまさか安倍政権が「消費税増税分の使途」を持ち出すとは思いもよらなかった。だいたい、増税はまだ1年以上先の話だ。
民進党の前原代表は、民進党代表選で「消費税増税分を子育て財源に」と主張していたようだが、それを安倍さんはパクったのか。憲法改正でも9条の1項2項は残して3項で自衛隊について明記するというアイディアも、前原氏が先に言い出していたようで、安倍さんにはパクリの前科がある。
私もさんざんパクられてきたから、前原氏の怒りも分からぬわけではないが、しょせん政治の世界は豊田氏のように図々しくなければ勝ち残れない世界のようだから仕方がない。
それにしても、いまなぜ「消費税増税分の使い道」なのか。もともと民進党・前原氏が主張してきたアイディアにかぶせたのなら、選挙の争点になどなりはしない。
昨夜の『プライム』で反町MCが、「確か先の衆院選でも争点は消費税の増税時期延期が争点でしたよね」と言っていたが、コメンテーターのだれも「違う」と否定しなかった。
実は前回の衆院選では、安倍総理としては民主党が3党合意に基づいて予定通り消費税増税時期の延期に反対するだろうと予想し、実際に増税時期を争点にしようとしていたのだが、肝心の民主党がのってこなかった。かといって永田町に噴出した解散風は収まらない。
やむを得ず、安倍総理が苦肉の策として無理やり争点にしようとしてのが「アベノミクスの継続について国民に信を問う」と、まだアベノミクスの失敗が明らかになっていなかった時点で、勝手にぶち上げたアドバルーンだった。当時アベノミクスを手厳しく批判していたのは私くらいなもので、メディアも見極めをつけかねていた時期である。
当然有権者は、この選挙にしらけきった。ちょっと面倒くさかったが、この選挙について私が書いたブログを見直すことにした。14年11月21日から12月11日まで7回にわたって『総選挙を考える』と題したブログを書いていた。その1回目の冒頭で私はこう書いている。

安倍総理は解散表明後の記者会見でこう述べた。「今回の選挙で自公が過半数を取れなければ、アベノミクスが国民から否定されたことを意味する。私は直ちに退陣する」と(18日)。

実は安倍総理が解散表明した当日の18日10:27:52に投稿したブログではこう書いている(総理が解散を初めて表明したのは、海外歴訪から帰国した当日の午後8時)。

今日安倍総理が解散を宣言するようだ。「早まった」と後悔しているかもしれないが、ここまで来た解散風を止めることは総理にもできまい。「争点なき選挙」と言われてきた12月総選挙だが、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。(中略)「争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙」と私は定義する。

私が書いた『総選挙を考える』の7回シリーズのタイトルだけ列挙しておく。
① 解散の大義はアベノミクスの継続のためか?
② アベノミクスは砂上の楼閣だったかも…。
③ 「アベノミクス」が総選挙の争点になったホントウの理由
④ 「アベノミクス・サイクル」はなぜ空転したのか。
⑤ 保育所増設では少子化対策に歯止めはかけられない。
⑥ 社会福祉政策を根本から見直す時が来た。
⑦ 安倍さんが次の世代に回そうとしているツケにストップを。
このシリーズの4回目は公示日(12月2日)の翌日に投稿している。そのブログで、私はこう書いた。

 今回の総選挙は憲政史上空前の低投票率を記録することだけは間違いない。結果として国民に選択肢がないため(野党が効果的な経済政策を打ち出せないため)、自公連立政権は継続されることも間違いないが、はっきりしていることは選挙の低投票率は、国民が突き付けたアベノミクスに対するNOであることだけは言っておく。

 結果はどうだったか。戦後最低の記録を作った前回の投票率59.32%をはるかに下回る52.66%だった。今回は、その記録も破る可能性が高い。
 安倍総理の解散表明は国連総会が終えた帰国後に行うようだ。
 


北朝鮮のサイドのミサイル発射で、危険水域にあった安倍政権が息を吹き返した理由

2017-09-17 07:47:49 | Weblog
 15日早朝、北朝鮮が再び北海道・襟裳岬上空を通過する弾道ミサイルを発射した。私は当日朝7時のNHKニュースを見ていたが、7時2分ころ臨時ニュースに切り替わり「Jアラート」が発せられたことを知った。少したって詳細が分かったが、襟裳岬上空を通過したのは7時5分前後ということだった。もし襟裳岬付近にミサイルが墜落していたら、たった3分では逃げようがない。あまり意味のない警報は人騒がせなだけだ。少なくとも、ミサイル発射30秒後には警報を出せるようにしてもらいたい。
 今回のミサイルの飛行距離は3700kmと見られ、前回より飛距離が1000kmも伸びたようだ。わずか2週間で飛躍的に飛距離を伸ばした北朝鮮の技術力は侮れない。核弾頭を小型化し、米本土を射程内に収めるまで、そう長い時間をかけずに北朝鮮は開発に成功するのではないかという気がする。
 が、いまのところ北朝鮮は「日本や韓国はアメリカの核の傘で守られているが、我が国は自国の核とミサイルで抑止力を強めるしかない」として、核・ミサイル開発の正当化を主張している。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は、確かにはた迷惑な話だが、日本政府が主張し続けているようにさらに圧力と制裁を強めることで北朝鮮に開発を断念させることが出来るだろうか。ロシア政府首脳が言うように「北朝鮮は自国の安全が保障されない限り、雑草を食べてでも核・ミサイル計画を断念することはないだろう」。
 ロシア首脳の発言で思い出したことがある。
 「欲しがりません、勝つまでは」
 これは1942年(昭和17年)に大政翼賛会と大手新聞社などが戦意高揚のために広く国民から募集し入選した標語で、当時は11歳の少女が作ったとされ、国民がこの標語の下に一丸となっていった。標語自体は、少女の父親が作り、娘の名前で応募したことが戦後、明らかになったが、だれが作ろうと今の北朝鮮は当時の日本と同じような状況にある。そこで私も。
 「やめるまで、日本も続ける圧力と制裁」
 16日の全国紙5紙(読売・朝日・毎日・日経・産経)と首都圏でかなりの読者がいる東京も含め6紙の社説を読み比べてみた。驚いたことにすべて同じ論調なのである。つまり、もっと圧力をかけろ、制裁を強めろ、という一点で政府の主張と足並みを揃えているのだ。すべてのメディアが足並みを揃えた時の怖さを、もう日本のメディアは忘れてしまったのだろうか。ほんの1か月前には日本が無謀な戦争に突っ込んでいった背景を、いままで明らかにされていなかった事実の発掘に踏まえて、様々な特集を報道したばかりだというのに…。
 これまでもブログで書いてきたように、北朝鮮を追い詰めすぎると、本当に暴発しかねない。現に、日本はかつてABCD包囲網で石油の輸入をストップされ、最後通告と思い込んだハル・ノートで大陸や南方からの無条件撤退をアメリカから要求されて、「やむを得ず」「自衛」のために、逆立ちしても勝ち目がないアメリカに先制攻撃を始めた。そういうアホは、世界に日本人だけしかいない、と日本政府や政府に屈服したメディアは本当に思っているのか。北朝鮮は、圧力や制裁を強めれば、日米韓を相手に勝てっこない「挑発」はこの辺でやめておこう、と理性的な判断をしてくれる国だと思っているのか。
 そのくせ、北朝鮮は何をするかわからない国だ、と理性的な判断力を失っていると批判している。理性的判断力を失っている国に、圧力をかければ理性を取り戻すと思っているのだろうか。そういう主張をする人たちは、一度精神科の医者に精神鑑定してもらったほうがいい。
 ところで、前々から違和感を持っていた言葉がある。「挑発」である。私は北朝鮮の核・ミサイル開発について、挑発という言葉を使う場合、必ず鍵カッコを付けてきた。「暴走」と書く場合は鍵カッコを付けたことはない。が、メディアは何のためらいもなく鍵カッコを付けずに「挑発」と書いている。誰も違和感を抱かなかったのだろうか。
 念のため、『広辞林』などの辞書やネットで「挑発」という言葉の意味を調べてみた。おおよそ、以下のような意味のようだ。
 
相手を刺激したり、相手の劣等感などを利用して相手を逆上させて事件や紛争などを引き起こすよう仕向ける行為。

 私もこの解釈で納得がいった。つまり挑発は強者が弱者に対して、弱者が理性を失って無謀な行為に走らせようと意図する場合に使われる言葉だからだ。
そう考えれば、日本を対米開戦に踏み切らせる直接のきっかけとなったハル・ノートは、アメリカ政府に言わせれば「外交交渉の切り札の一つに過ぎず、最後通告などではなかった」という言い訳も、アメリカ側にとっては最後通告のつもりではなかったとしても、日本側にとってはレッド・ラインを超える挑発を意味したということだ。その挑発にまんまと引っかかったのが、当時の日本政府であり、そしてメディアだったのだ。
 同様に、当初はアメリカだけを対象に「抑止力」として核・ミサイル開発に血道をあげていた北朝鮮が、なぜ突然、日本への敵意をむき出しにして挑発的言動を弄するようになった理由も完全に理解できる。
 当初は、日本に対しても比較的穏やかな批判に終始していた北朝鮮だったが、
最近は「日本列島を海に沈める」などと、挑発を通り越して威嚇的ともとれる言辞を弄し始めた。それだけ自国の核・ミサイルに対する自信を深めてきたことの表れでもある。今や「挑発ごっこ」は米朝間から日朝間に移りつつあるかにさえ見える。安保理合意に向けてひたすら米中ロをはじめ安保理理事国首脳に働きかけ続けた安倍総理の、北朝鮮の敵意の対象がアメリカから日本に移りつつあることへの責任は軽くない。政権内の不祥事から生じた内閣支持率低下に歯止めをかけるために、国益と引き換えに行った延命策は、いずれ歴史の審判を仰ぐことになるだろう。

 私が前回の北朝鮮のミサイル発射は安倍総理にとっては「たなぼた」のプレゼントになるという予想は、残念ながら的中した。メディアの世論調査は軒並み安倍政権支持率のV字回復を示している。安倍総理は、早ければ今月28日からの臨時国会冒頭での解散に打って出るかもしれない。あるいは自民の勝利がほぼ確実な10月22日の衆院3補選の結果を見てから解散に打って出る可能性もある。その場合、アホなメディアは3補選の結果を「自民、支持率回復」と報道するだろう。また3選挙区で野党共闘が崩れたことで、次期総選挙でも野党共闘が不可能になったと報じるかもしれない。
 次期総選挙で野党共闘がどうなるかは、まだわからない。民進党の前原代表は、代表選の前から「理念・政策での一致点がない政党との共闘はあり得ない」と語っていたが、あくまで共闘にしがみつきたい共産党は敢えてどの道勝てっこない3補選で独自候補を擁立し、前原民進党に対して「共闘しなければ、こういう結果になる」とプレッシャーをかけるつもりだからだ。3補選の結果を見て民進党の共闘派が勢いを盛り返す可能性もあり、前原代表がどうかじ取りをするか、鼎の軽重が問われる場面が生じる。
 が、解散総選挙に踏み切った場合、安倍総理に大義名分があるのか。憲法改正について国民に信を問う、というなら十分大義名分が成り立つが、肝心の足元である自民党内で9条をめぐりごまかし改正派(安倍総理など)と正統派(石橋など)との間で調整がついていない。野党は憲法問題を争点にすることは間違いなく、自民はまた争点回避作戦に出るのだろうか。
 いずれにせよ、先の総選挙(戦後最低の投票率を記録)を下回る投票率になる可能性は否定できない。ま、その場合政権党である自民党の圧勝という結果になることだけは間違いない。


『時事放談』で丹羽宇一郎氏は中谷元防衛相を追い詰めたが、なぜかメディアの責任は問わなかった。

2017-09-10 09:11:49 | Weblog
 今朝(10日)の『時事放談』(TBS)で、中谷元防衛相と元中国大使であり、民間人としては伊藤忠商事の社長・会長を歴任した論客・丹羽宇一郎氏が激論を交わした。激論のテーマは北朝鮮の核・ミサイル問題にどう立ち向かうかだ。
 『時事放談』は二人の政治家(元を含む)の対談で時事問題を複眼視点で掘り下げるのがウリの番組だが、二人の主張が真っ向から激突することはほとんどない。が、今日の対談は価値観の相違から中谷氏と丹羽氏が真っ向から激突して、司会の御厨氏も落としどころを作れることなく終わった。
 中谷氏の主張は相変わらず安倍政権の「3本の矢」である。つまり①脅威論、②圧力・制裁の強化、③抑止力の強化(核持ち込みを含む)、だった。私のブログの読者も、散々聞き飽きただろうし、新味は全くなかった。
 これに対して丹羽氏の主張は、私のブログ記事をパクったのではないかと思ったほど私の主張に似ていた。私が6日に投稿したブログ記事のタイトルはこうだった。

北朝鮮とアメリカはどこまで「挑発ごっこ」を続けるのか。「窮鼠猫を噛む」までやるつもりなのか。

 私のブログの読者で、『時事放談』を視た人は、「あっ、小林と同じことを言ってるな」と思われたに違いない。実際、私もびっくりしたのは、丹羽氏が日本の対米開戦に踏み切った「ハル・ノート」を引き合いに出して、あまり北朝鮮を追い詰めすぎると「窮鼠猫を噛む」行為に出かねない、と日本政府の対北朝鮮政策に警鐘を鳴らしたことだった。まさに、私がブログで書いたことと同じだったからだ。
 丹羽氏の主張で、私の主張になかった要素は一つもなかったが、私の主張の30%くらいは抜けていた。この量的には30%程度だが、質的には99%と言ってもいいほど、実は重要な要素に丹羽氏は触れなかった。
 それはメディアの役割についてだった。いまNHKを始め朝日、毎日など安倍政権に批判的なメディアまでこぞって「脅威論」に加担していることだ。これがどういう事態を招くか。そのことへの危機感が、丹羽氏には欠けていた。
 私は先のブログで、日本の「(結果的に)宣戦布告なき真珠湾攻撃」で「成功」したことで、メディアがあたかも日本が対米戦争で勝てるかのような妄想を国民にふりまいた「犯罪」に対する反省が、まったく生かされていないことを明らかにした。
 さらに、私がブログ投稿した時点ではまだ兆候段階だったので書かなかったが、7~8日にかけてはっきりしたことがある。それは急激に進んだ円高である。この2日間で円は一気に2円前後高騰した。このことは何を意味するか。
 安倍政権が北朝鮮の核・ミサイルを「脅威だ、脅威だ」といくら騒いでも、国際社会は、日本は安全地帯にいると思っているということが明らかになったのだ。
 国際社会が懸念したのは、北朝鮮の暴発より、アメリカ・トランプ大統領の暴発のほうだった。だから投機筋はドルを売り、米朝対立が激化しても安全地帯にあるとみなした日本の通貨である円を買ったのだ。今日午前8時過ぎでも為替相場は107円台という高値水準を推移している。
 しかし、日本のメディアがこのまま「北朝鮮の脅威」を政府と一体化して報道し続けると、中国筋が懸念しているように、次の北朝鮮のミサイルは東京上空を通過する計画を実行に移しかねない。
 再度言っておくが、北朝鮮に対して「石油禁輸」といった最終的制裁手段をとると(この最後の一戦は中露が絶対阻止すると思うが)、「窮鼠」と化した北朝鮮が本当に暴発して「猫を噛む」行為に出かねない。安倍外交は、そういうきわどい綱渡りをいま行っている。そうした綱渡りに、いまメディアが加担していることが、日本にとって最大の危機である。とりわけ今日のNHK午前7時のニュースで、「北朝鮮への圧力・制裁」一辺倒の報道をしたのはどういうことか。日本の公共放送が、北朝鮮を刺激するような放送を繰り返せば繰り返すほど、本当に北朝鮮の核・ミサイルが日本にとって脅威になりかねない。
 丹羽氏は今日の対談でしばしば中谷氏を窮地に追い込んだが、メディアが今安倍政権のためにはたしている役割の危険性に言及できなかったのは残念だった。
 さらに加えれば、日本が北朝鮮の核・ミサイルに対する「脅威」を口実に抑止力、とりわけ「核の持ち込み容認」議論など始めれば、たちまち周辺国は「日本の抑止力」を脅威に感じて、日本に対する抑止力強化のための行動に出かねない。北朝鮮が、アメリカの敵視政策を脅威に感じて抑止力として核・ミサイル開発に狂奔したことを忘れてはならない。歴史は繰り返すらしい。
 

北朝鮮とアメリカはどこまで「挑発ごっこ」を続けるのか。「窮鼠猫を噛む」までやるつもりなのか。

2017-09-06 09:17:03 | Weblog
 北朝鮮の、とりあえず「挑発」と書くが、核とミサイル開発の勢いが止まらない。その都度安倍政権は「圧力と制裁の国際協調」を世界に向けて発信し、それに呼応して米トランプ政権も「もう対話の時期は終わった」と軍事プレゼンスを強めている。
 ジュネーブで開かれている国連軍縮会議では、日米が連携してさらなる制裁(具体的には石油の禁輸)の発動を求めているが、中露が反発、北朝鮮も「さらなる無謀な挑発と無益な試みを続けるなら、アメリカはさらに多くのプレゼントを受け取ることになる」と、核・ミサイルの開発を継続する強固な意志を表明した。
 私はブログで、この北朝鮮の「挑発」は安倍内閣にとって「たなぼた」的プレゼントになる、と書いたが、4日大手メディアの先陣を切ってTBSが世論調査の結果を報道番組『Nスタ』で公表し、安倍内閣の支持率が8ポイントも上昇したと報じた。おそらく今週末には他の大手メディアも世論調査を行い、危険水域まで落ち込んでいた安倍内閣の支持率が急回復していることを確認することになるだろう。
 そしてアメリカでも、トランプ大統領の支持率が急上昇している可能性が高い。ただし、アメリカでも大手メディアが日本の大手メディアのように、北朝鮮の「挑発」に対して危機感をつのらせるような報道を大々的にしていれば、の話だが…。なぜか日本のメディアは韓国や中国のメディアの報道については逐一報道しているが、アメリカのメディアの反応については全く無視している。ひょっとしたら、アメリカのメディアは日本のメディアのように大騒ぎをしていないのかもしれない。だとしたら、トランプ大統領の支持率は安倍内閣のようにV字回復していないかもしれないが…。
 安倍首相は北朝鮮に対する制裁と圧力を強めるよう、しゃかりきになっている。連日、トランプ氏と電話で協調路線を確認したり、北朝鮮に対して強い影響力を持っている中国やロシアにも、圧力と制裁をさらに強めるよう働きかけている。が、圧力と制裁の強化が、どういう結果をもたらすか…。

「窮鼠猫を噛む」ということわざがある。
 先の戦争で、日本政府は最後までアメリカとの戦争だけは避けたかった。勝ち目がないことは、当時の政府はわかっていたからだ。が、ABCD包囲網により石油が禁輸され、さらにハル・ノートで追い詰められた日本は、到底勝ち目のない対米戦争に踏み切った。その時点では、一定の戦果をあげれば、アメリカが折れて日本への制裁を控えるだろうとの読みが政府にはあったと思う。が、真珠湾攻撃が日本側の不手際で不意打ちの形になってしまい、米世論が一気に硬化し、日本は泥沼の対米戦争から抜け出せなくなってしまった。その後は軍部と日本のメディア(おもに朝日新聞と毎日新聞)が結託して国民の戦意を煽り立て、あと一歩で日本国が消滅しかねないところまで戦争に突き進んでいった。窮鼠が猫を噛んでも、勝てはしないのだが…。
 「村山談話」に注目してもらいたい。「村山談話」の骨子は二つである。

①わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。(中略)ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
②わが国は、唯一の被爆国としての体験に踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、(中略)国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

村山談話というと、多くの人たちの記憶にあるのは①のほうだけだろう。今年7月、国連で初めて「核兵器禁止条約」の決議が採択されたが、日本は決議に参加しなかった。米英仏露中の5大国(国連安保理常任理事国)による核独占を宣言した「核不拡散条約」を優先したためである。
核、という人類が発明した最強の兵器は、独占的保有国の外交における圧倒的支配力を意味する。その核に脅かされた国は、自ら核を保有することによって脅威に対抗せざるを得なくなる。
日本はアメリカの核の傘に、いちおう守られていることになっている。しかし、アメリカ自身が核戦争に巻き込まれる危険性を冒してまで、日本を核防衛してくれるという保証はない。北朝鮮が核・ミサイル開発にしゃかりきになるのは、核に対する脅威から自らを守るため、つまり抑止力の強化が目的である。もし、日本がアメリカの核の傘の外に追いやられ、かつ核大国のロシアや中国から敵視政策をとられたら、それでも日本は抑止力としての核を持とうとはしないだろうか。日本も核武装すべきだ、と主張する政治家が絶えないのは、アメリカの核に頼り切ることの危うさがわかっているからだ。
北朝鮮の金正恩委員長も、アメリカを相手に核戦争を始めて勝てるなどと思い込むほどのバカではない。憲法9条の「改正」に政治生命をかけようとしている安倍総理も、戦前回帰して再び侵略戦争国家に日本をしようなどという妄想を抱いているわけではない。いざという時、どこまでアメリカを頼りにできるかという冷徹な判断に基づいて、二つの目的を実現しようとしているのである。ただ、あからさまにその二つの目的を言うと政局問題に発展しかねないため、真の目的をオブラートに包んでいるだけだ。結果、「自衛隊を憲法違反だとする憲法学者が7割もいる現状にかんがみて、自衛隊の存在と目的を憲法に明記したい」とおかしな口実を考え出したというわけだ。
もっとも、民進党新代表の前原氏は「憲法9条に3項を加え、自衛隊の存在と目的の明記をすべきだと主張したのは、私のほうが先だ」と、安倍総理が前原案をパクったかのような発言をしているが…。
だが、9条の2項をそのまま残して「自衛隊の存在と目的」を3項として加えることは、石破氏が主張するように明らかに整合性に欠ける。そんなことは、実は安倍総理も百も承知の上で、何が何でも衆参両院で改憲勢力が3分の2を超えている今、改憲を実現したいのだ。では、安倍総理の本音の目的は何か。
①憲法解釈の変更によって、いちおう集団的自衛権の行使容認に成功し、アメリカの日本に対する抑止力の低下に歯止めはかけたが、アメリカとの同盟関係をより双務的なものにすることにより抑止力をさらに強めること。
②アメリカの核抑止力にだけ頼ることは、ロシアや中国、中東諸国などとの独自外交に制約を受けるため、日本の個別的抑止力を強化することによってアメリカへの追随に一定の歯止めをかけ独自外交を可能にすること。
 これが、安倍総理が改憲に血道をあげている本当の目的である。実は、すでに憲法9条は事実上の空洞化から、事実上の改憲状態に移行している。憲法9条によって定められた「国の在り方」は、「戦争が出来ない国」だったが、安保法制によって日本は「戦争が出来る国」になってしまった。その証拠に、北朝鮮がミサイル4発をグアム周辺の海域に向けて発射するという計画を明らかにした時、小野寺防衛相は「グアムが攻撃されたら日本の抑止力が低下する。これは日本の存亡の危機にあたる可能性がある」とミサイル迎撃の正当性を述べたことでも明らかである。北朝鮮のミサイルを迎撃したら、それは明確な戦闘行為であり、北朝鮮に対する事実上の宣戦布告になる。だが、なぜか野党もメディアも、この小野寺発言を問題視しなかったが…。
 村山談話の要旨に話を戻すが、村山内閣以降の内閣はすべて村山談話を継承するとしているが、継承しているのは①だけで、もう一つの重要な要素である②は全く無視してきた。世界で唯一核の洗礼を受けた日本は、核を肯定したうえでアメリカの核に頼るべきではなく、国連で採択された核兵器禁止条約の旗振り役になるべきだった。そうすれば日本人の永遠の悲願である核廃絶への国際社会への訴えも、もう少し説得力が増したであろうに…。

 日本のメディアはなぜ北朝鮮の核やミサイルの実験、発射に大騒ぎするのか。
 実際、韓国では日本のメディアの大騒ぎに首をかしげているようだ。北朝鮮の核やミサイルは日本を標的にして開発しているわけではない。「挑発」「挑発」と繰り返すが、安倍政権が騒ぐのなら理解できないこともないが(政府が騒ぐ場合は、それなりに政治目的があってのこと)、メディアが政府の片棒を担いで大騒ぎしている(と思われても仕方がない)のはいかがなものか。
 トランプ大統領とメディアの「けんか」については面白おかしく報道してきたが、そうした報道もいまはバッタリ。安倍総理の度重なる要請によってトランプ政権も軍事プレゼンスを公言するようにはなった。たとえばマティス国防長官が「北朝鮮の全滅は望んでいないが、そうするだけの多くの選択肢がある」と表明、北朝鮮を威嚇して見せた。
 しかし、アメリカが北朝鮮を武力攻撃するとしたら、国際法上容認できる大義名分があるのだろうか。少なくとも国連憲章が認めている武力行使は、国際間の紛争が生じた場合、平和的手段(経済制裁など)で解決できなかった時には、国連安保理の決議による紛争を解決するための武力行使(武力行使の主体は国連軍を想定)と、安保理が紛争を解決するまでの間に行使できる自衛のための武力行使(個別的または集団的)だけが認められている。
 北朝鮮は、いずれの国に対しても侵略・武力行使をしているわけではない。また北朝鮮は核不拡散条約に加盟していないから、条約違反を口実に軍事的制裁を加えることはできない。もし、できると屁理屈をこねるなら、では核不拡散条約と同様、国連で決議採択された核兵器禁止条約に違反している核保有国も武力制裁を受けてしかるべきということになる。つまりアメリカが北朝鮮に対して「核不拡散条約違反」を口実に武力制裁を行う権利があるとするなら、核兵器禁止条約加盟国も、アメリカに対して「核兵器禁止条約違反」を口実に武力攻撃する権利があることになる。
 どの道、日本やアメリカがいくら圧力や経済制裁を加えても、北朝鮮がアメリカの核を脅威に感じ、アメリカが北朝鮮に対する敵視政策を継続する限り、アメリカの核に対する抑止力としての核・ミサイルを放棄するわけがない。

 ここで、村山談話の①についてもちょっと触れておきたい。村山談話の特徴は、謝罪の相手がアジアの諸国とその国民に限定されていることだ。つまりアメリカや、アジアを侵略した時その国を支配していたヨーロッパ列強に対してはいっさい謝罪していないということだ。これは歴史認識の重要なポイントでもあるので、ちょっと整理しておきたい。
 先の戦争については、アジア侵略と太平洋戦争(対米)は、いちおう分けて考える必要がある。対米戦争は「自衛戦争」と主張する向きもあるが、「自衛」の概念はどこまで容認されるかという問題は、国際法上も未解明のままだ。
 確かに日本のアジアにおける覇権主義を恐れた欧米がABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)による包囲網(石油の禁輸)や、日本が「最後通告」と受け取ったハル・ノートを根拠に、逆立ちしても勝てっこないアメリカとの戦争は「やむを得ざる自衛のための戦争」と主張できる可能性もないではない。が、そういう理由付けは「窮鼠猫を噛む」はネズミの正当防衛行為であると主張しているにすぎず、逆説的に言えば「ネズミをそこまで追い込んだ猫の責任」は不問に付してもいいのか、という問題が生じる。
 今国連安保理で議論されている、さらなる北朝鮮への制裁と圧力が、北朝鮮に核とミサイルを放棄させることが出来なかった場合、「窮鼠猫を噛む」で北朝鮮が暴発する可能性も否定できない。
 日本やアメリカは、北朝鮮が「レッド・ラインを超えた」と主張しているが、北朝鮮にとっては日米のさらなる圧力・制裁の強化は、それこそ「レッド・ラインを超えた」ことを意味するかもしれない。日本やアメリカは北朝鮮を暴発させ、それを口実に北朝鮮の体制崩壊を狙っているのか。そうとられても仕方がないところまで日本とアメリカは北朝鮮を追い詰めすぎているのではないか。
 一方、中国とロシアは「対話による解決」を主張している。だが、対話によって北朝鮮にどうしろというのか。落としどころがまったく見えていない。
 とりわけ中国は北朝鮮と軍事同盟を結んでいる。これは日米安保条約とは違って、完全に双務的な同盟関係の条約だ。中国が他国から攻撃された場合、北朝鮮は自国が攻撃されたとみなして中国軍と一体になって中国防衛の任に当たることになっている。そうした条約を結んでいるにもかかわらず、中国が日米と一緒に圧力・制裁を加えている。北朝鮮が中国に対する不信感を抱いているのはそのためだ。
 日本政府が「アメリカの核の傘による抑止力」を心底からは信じていないのと同様、北朝鮮もいざというとき中国がどこまで北朝鮮のために血を流してくれるかという疑念をぬぐえない。現に、「対話による解決」を主張している中露だが、6か国協議を再開しても北朝鮮が核やミサイルを手放す保証はどこにもない。時間を浪費している間に、北朝鮮の核・ミサイル開発の技術はどんどん進んでいく。
「窮鼠猫を噛む」のたとえで北朝鮮の立場について書いたが、今度は猫の側について考えてみる。つまりアメリカだ。
 アメリカも厄介な問題を抱えてしまった。振り上げたこぶしを、どうするかだ。アメリカも引かず、北朝鮮も引かず、互いに挑発を繰り返していくと、挑発そのものが目的化し、相手の挑発を上回る挑発をしなければ、と際限なくエスカレートしていく。その「挑発ごっこ」が沸騰点に達すると、取り返しのつかない事態が生じる。戦争というのは、そうして起こることが少なくない。
 いまは帝国主義(あるいは植民地主義)が跋扈していた時代ではない。実際、先の大戦以降、侵略戦争は一度も生じていない。あえて例外をあげれば、湾岸戦争のきっかけになったイラクのクウェート侵攻だが、それ以外は国内の民族対立や宗教対立、権力闘争などの内紛だけである。戦争で勝利したところで、得るものは何もない。他国を植民地化して支配下に置くための侵略戦争は、もはや不可能な時代になっている。
 北朝鮮の核も、戦争をするためのものではない。同じく軍事力の強化に奔走している日本も侵略戦争を再開したいためではない。ただ、困ったことに「抑止力」のための軍備拡張も、北朝鮮とアメリカの「挑発ごっこ」と同じく、どこまで強化してもこれで十分というゴールがないことだ。際限なくエスカレートするのが必然の「挑発ごっこ」「抑止力ごっこ」に、どうやって歯止めをかけられるか。人類の英知が試されているといってもよい。その英知を出せるのは、先の大戦で大きな過ちを犯した日本とドイツが、同じ過ちを二度と繰り返す愚を防ぐために協力し、知恵を出し合うことではないかと、私は思う。