小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

ジャーナリストはなぜ歴史認識を間違えるのか ①

2008-05-11 21:55:02 | Weblog
 ジャーナリストや歴史学者、歴史小説家、それにいわゆる「進歩的文化人」の方々が「あの戦争」について「日中戦争」「アジア太平洋戦争」「大東亜戦争」などさまざまな言い方をされています。そしてどの表記を選択するかによって、その方が「あの戦争」についてどういう歴史認識をしているかが明確になります。そして私は「あの戦争」についてのこれまでのさまざまな歴史認識を論理的かつフェアに検証した結果、これまでのすべての表記を否定せざるを得なくなり、どうしても私の歴史認識を明確に反映できることばが思い浮かばず、「あの戦争」という言い方しかしないことにしたというわけです。
 ものを書くことを生業としている人にとってどういう「言葉」を選ぶか、また自分が選んだ「言葉」にどういう意味を付与するかということは、実は「ものを書くことを生業とする」資格があるか否かを左右するほど重要なことなのですが、とくにジャーナリストにはそうした自覚がなぜか希薄なのです。そのことを実例をあげて証明します。
 多くの方々が、読売と朝日が「南京問題」(実は私は「南京事件」と言いたいのですが、その表記が読売用語として定着しているためこの表記にしました。つまり読売の歴史認識と一線を画すためです)「慰安婦問題」「沖縄の集団自決問題」について「軍(旧日本軍)」の関与があったのかなかったのか、真っ向から対立していることをご存知だと思いますが、両紙とも同じ「軍」という言葉を使いながら自分たちが使う「軍」という表記の定義を明らかにしていません。もちろん言葉の一つ一つをいちいち定義しないと使えないなどということになったら、現実問題として文章なんかまったく書けなくなります。
 しかしとくに「慰安婦問題」や「集団自決問題」について両紙が歴史教科書に「軍」の「関与」についてどう書くべきか、国論を二分するような歴史認識で対立するようなケースでは、「軍」や「関与」といった表記を明確に定義した上で使う必要があります。しかし両紙ともこの二つの言葉の定義を明らかにせず(たぶん両紙の論説委員の方たちにはそうした自覚をまったく持っていないのでしょう。つまり「ものを書く」資格のない人たちを両紙は論説委員にしていると解釈できます)勝手な自分たちの解釈を読者に押し付けているのです。
 本論に入る前にいきなり言葉の定義が極めて重要になる場合があることを述べさせていただいたのは、実は「あの戦争」についてフェアで論理的な歴史認識をするためには、日本の近代化が何をきっかけにして始まり、そしてどういう近代化への歩みをしてきたか、ということについての従来の歴史観をきちんと検証しなければならないからなのです。
 もっと具体的に言えば、ほとんどすべての歴史家やジャーナリストは明治維新を実現した革命エネルギーを「尊皇攘夷」運動と、「四字熟語」でひとくくりにした思考をしていて、そのことの矛盾に誰も気がついていないことに「あの戦争」の歴史認識を誤ってしまった最大の原因があると考えられるからです。結論から先に述べてしまいますが、私は明治維新を実現した革命エネルギーは「尊王・攘夷」運動であったと考えています。つまり「尊王=攘夷」といった解釈ではなく「尊王プラス攘夷」という解釈をしないと、近代化革命が実現したとたん、「尊王」と並ぶ革命エネルギーだった「攘夷」運動が煙のように消えてしまったことを論理的に説明できないからです。言葉の使い方を誤るととんでもない歴史認識に行き着いてしまうということをご理解いただけたでしょうか。
 
 前置きはこのぐらいにしてそろそろ本論に入りましょう。
 まず日本で明治維新という、今日の価値観から見ると「市民革命」と言っても間違いではない、封建制社会体制から「無血」でなぜ日本がいっきに近代化への道を歩むことができたのか、ということから高校生なら誰でも知っている歴史事実だけを頼りに解明してみましょう。
 明治維新つまり政権が徳川幕府から天皇家に移ったのは1868年です。その28年前の1840年にアヘン戦争が勃発し、42年には決着が付いて清が敗北し、イギリスに香港を割譲しました。この戦争がきっかけになり、欧米列強のアジア侵略が始まったのです。
 世界史を紐解くと、強国による侵略戦争の歴史でもあります。古くはシーザー、アレキサンダー大王、ジンギスカン…と数えあげていくとそれだけで数冊の本になってしまいます。日本の国内だってそうです。
 でも強国がいっせいに、つまりヨーイドンで侵略戦争を始めたのはアヘン戦争から第2次世界大戦が終わるまでの約100年間と、日本では足利政権が政権維持能力を失って戦国時代に突入し、徳川政権が確立するまでのやはり約100年間だけです。日本の戦国時代のことは明治維新とまったく関係がありませんから(厳密に言えば関が原戦争以来、長州藩が徳川家に持ち続けた恨みは無視できませんが)維新の世界史的時代背景だけ考慮に入れて新しい歴史認識を構築してみましょう。
 明治維新の出発点をどこに設定するかは異論があるかもしれませんが、私が唯一の手がかりとしている『日本史小年表』によれば、アヘン戦争の3年前、1837年に米モリソン号が浦賀に入港し、浦賀奉行が砲撃させた事件を出発点にします。つまりこの時点では徳川幕府も鎖国体制を維持するスタンスを堅持していたと考えられます。 
 しかしその5年後には徳川幕府もアヘン戦争の経緯と結果を知り、「異国船打払令」を廃止し、「薪水令」を発布しました。つまり開国はしないけど燃料と水だけは提供しようということにしたのです。その結果どういう事態が生じたか。
 日本にとって幸いだったのは日本がアジアの東端に位置し、しかも四方を海に囲まれていたという地理的条件でした。つまり欧米列強にとって日本はアジア侵略の最後の標的に、偶然なったということです。つまり欧米列強が日本を侵略の標的にしたときはすでに日本以外のアジア諸国の分割支配が終わっており、1国だけが他の列強に先行して日本を自国の支配下に置こうとする試みが不可能になっていたのです。そのことを証明する歴史的事実は無数にあります。列強がこの時期いっせいに日本に開国を求めて特使を派遣したり、これ見よがしの艦隊を日本近海に出没させ威嚇行動に出たりしていることは200ページほどの『日本史小年表』でも確認できます。ただこの時期には一握りほどの学者を除いて「攘夷論」はまだ浮上していません。幕府はその一握りほどの攘夷派学者をも弾圧し、列強との交渉は継続しつつも懸命に鎖国体制を維持しようとさまざまな策を講じていました。
 いわばシーソーの上で必死にバランスをとろうとしていた幕府に決定的な開国決断を迫ったのが、53年6月に艦隊を率いて浦賀に強行入港した米提督ペリーでした。幕府は翌7月諸大名にアメリカ国書を示し、意見を求めています。幕府が諸大名に対する支配権を自ら放棄した瞬間です。念のため書いておきますが、私はすでに明らかにされている歴史的事実だけを唯一の根拠として歴史認識を構築しています。私の歴史認識の方法論は何度も書いてきましたがフェアな論理的思考力だけです。私の歴史認識の方法論は、批判があれば誠実に対応させていただきますが、ともかくこの日から日本の歴史が大転換を始めます。しかしこのブログ記事はすでに3000字を超えました。維新を実現した巨大エネルギーだった「攘夷」運動がなぜ維新の実現と同時に煙のように消えてしまったのか、歴史学者や歴史小説家が総がかりでも解明できなかった謎は、いっさい先入観を持たず、幼児のように素直で素朴な「なぜ」という疑問を持てば(実はそのこと自体が司馬史観などに洗脳されている人には極めて困難なことなのですが)、簡単に解明できるはずなのですが、この続きはこのシリーズの②で書くことにします。
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ジャーナリストはなぜ歴史認識を間違えるのか (プロローグ)

2008-05-09 08:13:48 | Weblog
 もしかしたらこの記事は投稿を拒否されるかもしれません。gooブログは1件の記事について1万字(実数で)投稿できると謳っていますが、真っ赤なうそです。現に私はgooブログに6千字くらいの記事を2回投稿し、投稿したとたん記事は消失されてしまいました。1回目のときはメールでgoo事務局に抗議し、私が投稿した記事を復元しちゃんと読めるようにしてほしい旨を申し入れましたが、gooからはメールで「迷惑メールと判定し、受信を拒否します」と返事が返ってきただけで、記事は消失したまま復元されませんでした。そこで再度、今度は批判的な書き方はやめて、「お願い」口調でメールを送信しましたが、やはりgooからの返信メールは「迷惑メールと判定し受信を拒否します」でした。
 このgooのアンフェアな対応から、私の記事投稿はこれから以降すべて拒否される可能性が強いと判断し、いったんgooブログから退会し、別のIDとパスワードで再入会し、3本の記事を無事投稿することができました。そして4本目の記事を約6千字くらい書いた時点で、ほかのパソコン作業をするため「下書き・投稿」しましたが、その瞬間記事は消滅されてしまいました。今度は一切批判的な表現は使わず「投稿の完了をお願いします」とのメールを送りましたが、3日待っても返信メールさえ届きませんでした。
 そういうわけで、もう一度「ジャーナリストはなぜ歴史認識を間違えるのか」というタイトルの記事を、数回に分けてそれぞれ「完了・投稿」することにします。gooのサーバーが何文字くらいならちゃんと処理してくれるかわかりませんので安全性を考えて1回の投稿を3000文字前後にします。

 このテーマに取り組むことにしたのは、ジャーナリストたちが「あの戦争」(「日中戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」「大東亜戦争」などいろいろな言い方がありますが、私は「あの戦争」としか言いようがないと考えています)だけが日本が行った侵略戦争だったという誤った歴史認識をしているからです。そして中学・高校の歴史教科書もすべてジャーナリストたちと同じ歴史認識で書かれています。
 読売と朝日は南京事件・慰安婦問題・沖縄の集団自決などについて異なった歴史認識をしており、これらの事件についての教科書の記述をそれぞれの立場から批判したり支持したりしていますが、両紙は「あの戦争」の前に日本が行った3つの侵略戦争(日清・日露・日英同盟を口実にして参戦した第1次世界大戦)について中学・高校の歴史教科書がどういう記述をしているか、関心を払ったことさえありません。「あの戦争」を含めた4つの戦争についてフェアな(つまりいわゆる「自虐史観」でもなければ「自衛のためのやむを得ざる戦争だった」といった歴史観でもない、論理的に反論の余地を与えないだけのフェアな歴史認識を構築することが、この記事の目的です。
 ただしお断りしておきますが、私の歴史についての知識はせいぜい高校生レベルです。私がこの記事を書くために手元に用意している資料は1972年に発行された山川出版社の『日本史小年表』だけです。この本は当然何年何月何日にどういう事件があったかを極めて簡潔に記述しているだけです。つまり個々の歴史学者の恣意的な解釈はすべて排除されています。この年表を手がかりに、事件の内容を詳しく知る必要が生じたときだけ図書館に行って歴史書を参照するかインターネットで調べることにします。その場合の私のスタンスは事件について年表ではわからない詳細な事実を調べることだけに徹します。参照する歴史書やインターネットに書いた歴史学者の「事件についての解釈」は一切無視します。したがって私が構築していく歴史認識の方法論は弁証法をベースにした純論理的思考力と、これも可能な限りフェアな解釈をすることだけです。それが私には可能なことはこれまで書いてきた3本の記事、とりわけ朝日がガソリン税についての主張を4月24日に一変させたことを見抜いた眼力、読売が総力をあげて提言した「年金改革案」が荒唐無稽な絵空事でしかないことを小中学生レベルの計算方法で証明したことからもご納得いただけると思います。ではこのプロローグをこの辺で終わりにしたいと思います。
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朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか

2008-05-01 14:32:54 | Weblog
 4月30日の朝日新聞夕刊の「窓」で論説委員の恵村潤一郎氏は、ガソリン税復活を翌日に控え、在京6紙の主張についてこう書いた。
   毎日、東京両紙は私たちに近い主張を掲げた。東京は「再可決に異を唱える
  民意が示された(衆院山口2区補選で自民党候補が民主党候補に大敗したこと
  についての評価ーー筆者注)。それを無視して衆院3分の2の『数の力』を行
  使しようとするのは乱暴ではないか」と指摘した。
   明快さでは読売も負けてはいない。最大の敗因は高齢者医療制度への不安だ
  とし、ガソリン問題については「選挙結果は、国会攻防に影響するという見方
  もある。だが、与党は、動揺せず、暫定税率を復活させるため、税制関連法案
  は粛々と衆院で再可決しなければならない」と与党を叱咤激励した。
   同様に再可決を是とするものの、産経はこの選挙を教訓に「もっと再議決の
  意義語れ」と福田首相に注文し、日経の見出しには「政局激動の幕開けか」と
  いう言葉が踊った。(中略)
   変化が激しく、昨日までの常識がしばしば覆る日本社会。簡単には切り取れ
  ない複雑な政治のどこをどう切り取るかで、それぞれのジャーナリズムが問わ
  れる時代でもある。(原文にあったルビは省略)
 恵村氏は「昨日までの常識がしばしば覆る日本社会」と書いたが、本来なら「昨日までの社説での主張を簡単にひっくり返した朝日新聞」と書くべきではなかったか。
 私は4月7日、朝日の秋山耿太朗社長宛にA4版7ページに及ぶ朝日批判の文書をお送りした。末尾には「社長はお忙しいでしょうから、どなたか秋山社長の代わりにこの手紙へのご意見あるいは反論をお聞かせいただければありがたいと思っています」と書いた。もちろん朝日の誰からもこの文書についての意見も反論も寄せられなかった。私がブログを書くことにした最大のきっかけは、マスコミはすでに自浄能力を失ったと断定せざるを得なくなったことにある。無論いわれのない難癖や、嫌がらせとしかとれない「批判」だったら無視するのは当然だと私も思う。その判断をこのブログをお読みの方にご判断していただくため、朝日が社説などでガソリン税問題について主張してきたことへの私の意見の部分を転記する。
   朝日は何回も社説で「ガソリン税を一般財源化して福祉や教育にも使えるよ
  うにすべきだ」と主張してきました。その主張自体には私も90%ほど支持し
  ています。しかしこの主張を正当化するためには、まず「ガソリン税を廃止せ
  ず今後も維持すべきだ」という前提を論理的に明確化しておく必要がありま
  す。とくに参議院で多数派となった民主党がガソリン税は廃止すべきだと主張
  し、政府と真っ向から対立しています。もしこの前の選挙が参院選ではなく衆
  院選であっても民主党が圧勝していたと思われますが、その場合民主党は小泉
  さんの郵政解散に倣ってガソリン税解散に打って出たでしょう。そして国民の
  大多数は民主党候補に投票してガソリン税の廃止を選択したでしょう。
   「民主主義は愚民政治だ」と言った人がいますが、私は別の定義をしていま
  す。その定義とは「多数者のエゴを実現するための政治である」というもので
  す。そのいい実例が郵政解散でした。国民の大多数は東京をはじめとする都市
  部に住んでおり、多くの公共的利便を享受しています。その代わり高い固定資
  産税(持ち家の人)や高額の家賃(アパートや賃貸マンションに住んでいる
  人)を負担しています。高額の負担に耐えて高度の公共的利便を享受するか、
  負担を拒否して公共的利便も諦めるか、それは国民一人一人の自由な選択に任
  されています。そして都市部に住む大多数の国民が郵政解散で選択したのは、
  自分たちが犠牲になってまで過疎地に住む人たちのために公共的利便を与える
  のは嫌だということでした。もし衆院で民主党が多数を占め、ガソリン税解散
  に打って出ていたら、間違いなく国民の大多数は自分たちの利益のための投票
  をします。そのことを朝日はわかっていたから、あえて民主党批判をせず(つ
  まりガソリン税を維持すべきかどうかの議論を回避して)ガソリン税問題の根  本があたかも道路特定財源として道路のためだけに使うべきか一般財源化して
  福祉などにも使えるようにすべきか、という点にあるかのような社説を書いて
  こられたのですね。
   私がガソリン税を一般財源化して福祉にも使えるようにすべきだという朝日
  の主張を90%支持すると書いたのは、車を持っている比較的裕福な人たち
  (仕事のために車を持たざるを得ない裕福とは言えない人もいるので、そうい
  う人たちの負担をどう軽減するのかという問題は残りますが)に少子高齢化で
  危ぶまれている将来の福祉社会のためにある程度犠牲を求めざるを得ないと考
  えているからです。しかし、たとえ国民の多くから受け入れられなかったとし
  ても朝日がフェアな主張(つまりガソリン税を維持すべきだという論理的な説
  明責任をきちんと果たし、民主党の政策が人気取りの政策に過ぎないという批
  判をした上で)をされていたら、私の支持は100%になっていました。
   しかしいったんアンフェアなことに手を染めてしまったら、次々にアンフェ
  アなことをやらざるを得なくなってしまうのですね。朝日はガソリン税問題に
  ついての世論調査でも、ジャーナリズムが絶対にやってはならないことをして
  しまいました。ガソリン税問題について世論調査をするのであれば①ガソリン
  税を維持すべきかどうか②維持された場合道路特定財源として道路のためだけ
  に使うのか一般財源化して福祉などにも使えるようにすべきか、という2ステ
  ップで国民の意思を問うべきです。しかし朝日がやった世論調査は意図的にフ
  ァーストステップをはずし、セカンドステップだけの調査をし、59%の人が
  一般財源化を支持したと1面トップで報じました。私は直ちに広報(注・読者
  からの意見を聞く窓口)に電話をし、「この世論調査のやり方はあまりにもア
  ンフェアだ。今日の紙面では社説を含め、この調査結果で『朝日の主張が支持
  された』とはさすがにお書きになっていないが、万が一にも今後この調査結果
  を朝日の主張を正当化するための材料として使ってはならない」と申し入れま
  した。広報の方は「それは大変重要なご指摘です。直ちに関連部門すべてに伝
  えます」と申されました。(中略)
   しかし朝日の論説委員たちは3月26日の社説でとうとう禁断の主張に踏み
  切ってしまいましたね。お忘れかもしれないので社説の主張を転記します。
   「朝日新聞の世論調査では、ほぼ6割が一般財源化に賛成し、政府の法案に
  反対している」
   しかし朝日の悪質さはこれだけにとどまりません。4月1日、とうとうガソ
  リン税の暫定税率が期限切れになった日の夕刊1面で向井宏樹氏が署名入りで
  「安いガソリンどこ」というタイトルで記事を書いています。1面で署名入り
  の記事を書ける記者は相当なベテラン記者のはずで、たぶん向井氏は論説委員
  への昇格を狙えるポジションにあるのでしょう、匿名の消費者コメントをでっ
  ち上げました。彼が書いた記事の問題部分を転記しておきます。
   「給油に訪れた会社員の男性(45)は『週に2,3回給油するので1円で
  も安いと助かる』と喜ぶ。だが別の男性(45)は『必要な税金は払う。ガソ
  リン税を一般財源化し、福祉に役立ててほしい』」
   これが朝日の社説を正当化するために行ったでっち上げの消費者コメントで
  あるという確信を持った私は(注・この記事について私は読売・毎日・日経の
  読者窓口に電話をしたが、すべて「でっち上げでしょう」との判断を示され
  た。マスコミ界に職を持つ人たちにとってはこんなコメントをする人がいるは
  ずがないことは常識である)(この後は要旨を書く)広報のA氏に電話し「朝
  日の社説での主張をこれほどパーフェクトに代弁した消費者コメントは向井氏
  の作文としか考えられない。向井氏に直接聞きたいから電話を回してほしい」  と頼んだが、A氏は「向井は事実だから記事にした。電話を取り次ぐわけには  いかない」と拒絶した。

 私が長々と朝日の秋山社長宛ての手紙の一部を転記したのは、参議院でガソリン税の延長が否決されたとたん、朝日が何の説明もせず、それまでの主張を180度ひっくり返してしまったことを証明するためです。後で詳しく述べますが、政府与党が4月30日に衆院で再可決する方針を固めたことに対し朝日は4月24日の社説で再可決に反対の主張を述べたのです。私が秋山社長宛ての手紙で明らかにしたように、朝日は一貫して、しかもジャーナリズムが絶対にやってはいけないアンフェアな世論調査や向井記者が作文したでっち上げの消費者コメントを1面に載せるなど、普通の企業だったらトップの引責辞任が間違いない「賞味期限偽造」や「食品の使用原料不正表示」などよりはるかに悪質な方法でガソリン税の維持とその一般財源化(その主張自体には私も90%支持していることは秋山社長宛ての手紙にも書きました)を主張してきたはずです。で、このブログを書くに際し、朝日の広報に電話をして、暫定税率が期限切れになる前は朝日は暫定税率の維持を主張してきたことの再確認を求めましたが、朝日の広報はほんの数人を除き私を鬼のように敵視しており、「小林さんにはお答えできません。ブログで朝日批判をされるのはご自由ですが、お書きになった結果の責任も取ってください」と、脅しとも取れるような返答が返ってきただけでした。その言葉はそっくり熨斗(のし)を付けて朝日の秋山社長(最高責任者ですから)にお返ししましょう。
 なおここでガソリンを買ったときにかかる税金について簡単に説明しておきますが、ガソリンには揮発油税という名目で3重課税されていました。レギュラーガソリンのケースで説明しますが、1リットル当たりまず本税が28.7円、暫定税率が25.1円の2階建て方式で揮発油税が課税され、さらにガソリンの税抜き価格だけでなく、揮発油税にも5%の消費税が加算されるという3重課税方式が採用されてきたのです。そのうち本税に上積みされた暫定税率がいわゆるガソリン税と一般に呼ばれてきたもので、田中角栄がまだ平議員だった時代に全国に道路インフラを整備すべきだと主張し、その考えに同調した議員たちと組んで議員立法で成立させた税金で、その期限が今年3月末で切れることから、ガソリン税の10年延期を主張した政府与党と、即廃止を主張した民主党とが国会で激突し、衆院では政府案が可決されたものの参院では否決され、いったん期限切れでガソリン税が廃止されたため、スタンドでのガソリン価格が大幅に引き下げられました。が、衆院で3分の2を超える政府与党が再可決して5月1日からガソリン税が復活したというわけです)
 さて4月24日、朝日は社説でそれまでの主張を、何の説明もせず再可決に対する反対論、つまりガソリン税廃止論に転換してしまった。
 朝日の論説委員たちは、広報が私を脅したようなつい最近まで主張してきたことを180度転換したことの説明責任を果たす必要がないとお考えのようだ。あるいは主張を転換したという自覚もなしに、その時々の気まぐれで社説をお書きになっているのかもしれないが…。だから私はこのブログのタイトルを『朝日の論説委員会は精神分裂集団になったのか』としたのである。
 本来ならこの社説の全文を無断転記して、このブログをお読みくださっている方にご自分の判断力で朝日の論説委員の知能水準をご理解していただきたいのだが、もうすでにこのブログの文字数が5000字を超えており、そこまでご無理をお願いするのはいくらなんでもあつかましいので、重要な主張に絞って原文を無断引用する。もし朝日が「小林紀興は自分の主張を正当化するために都合のいい部分だけを引用した」と思うなら『小林紀興への反論』など私の名前をタイトルに入れた記事をgooブログに投稿すれば、私の名前で朝日の反論が誰にでも検索して読める。朝日が「社是」としているような(そういう「社是」があるとしか考えられない。その証拠に朝日への批判が少しでも書かれている投稿文は絶対に「声」欄に採用されない)「読者の批判は一切無視する」という卑劣な態度は私は一切とらない。私はいつでも朝日の反論を受けてたつ。
   「福田首相は『このままでは財源に穴が開く』『09年度からは一般財源化
  し、医療や子育て支援などにも財源を回す』と理解を訴えている。だが、これ
  で納得する人がはたしてどれだけいるだろうか」
   「このまま税率を復活させては、税金のムダがどこまでも続いてしまう。道
  路財源は廃止して、福祉や教育など、他の差し迫った費用に税収を回すべき
  だ。その第一歩が一般財源化なのだ」
   「今のままでは、再可決と言う強引な方法で暫定税率を復活させることに、
  説得力があまりに乏しい」
 もうこれ以上私が長々と朝日批判を続ける必要はないだろう。私のブログを最後まで読んでくださった方は、私がこのブログに付けたタイトルの意味を十分ご理解くださったと思う。私は朝日の論説委員質と広報宛にこの記事を投稿したことをFAXでお知らせする。彼らに私のつめの垢ほどでもジャーナリスト精神が残っていれば、何らかの対応をしてくるだろうが、それを期待するのはまず無理だろう。面子にかけても「私たちが間違っていました」と自己批判するわけがないし(そんな良心があったら、4月7日に秋山社長に送った手紙を無視しなかったはずだ)、私はこの記事で朝日の社説での主張を今回は批判したわけでもなく、事実を事実としてフェアに検証しただけだから反論の余地がない。せいぜい「精神分裂」という差別用語をタイトルに使ったことに対して抗議するのが、朝日にできる精一杯の抵抗でしかない。名誉毀損で訴えたくても特定の論説委員を名指しで「精神分裂」と極めつけたわけでもないから訴えようがないだろう。(了)
 
 
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