小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

日本の消費者物価が欧米並みに高騰しない本当の理由を、NHK『日曜討論』の識者たちは分かっていない

2022-10-17 05:32:02 | Weblog

10月3日にアップした前回のブログ『ケインズ経済理論は賞味期限切れか~金融政策ではインフレもデフレも克服できない、これだけの理由』が、かなりの長文であったうえ、テーマもショッキングだったせいか、訪問者・閲覧者ともになかなか減らず、今回のブログ記事の投稿が遅くなった。

私は占い師でもなければ競馬の予想屋でもない。が、私が前回のブログで予測したとおり、政府・日銀の為替介入は「焼け石に水」で、かえって円安に拍車がかかっている。いまは専門家も150円台突入を疑う者はいない。

数日前、ヤフコメで為替介入の効果についてこうコメントした。

 

  • 投機筋の「円売り」攻勢の要因は何か~

アメリカでは「頭打ち」との声もないではないが、消費者物価は依然として高水準で高騰を続けている。 理論上は「円安/ドル高」はいくら金利差を反映したとしても、ちょっと異常ではある。 が、「過度の投機は認めない」(鈴木財務相)と言ったところで、投機ファンド(ヘッジファンド)の流れは止めようがない。主要国の協調介入が期待できない現状、政府・日銀単独の「円買い」介入は火に油を注ぐ結果にしかならないと思う。

 このコメントに対して知ったかぶりのzzz氏から「介入しなかったらもっと酷かったと理解すらできないで語るな」との批判が寄せられた。私は直ちにこう反論した。「なまじ『威力のない介入』をしたことで、投機筋の『円売り』マインドにかえって安心感を与えた。 中途半端な介入は火に油を注ぐだけ。 金融のことに全く無知なくせに、偉そうな批判をするな、ZZZくんよ」と。

 

 為替に限らず、行き過ぎた変動は必ず揺り戻しがある。ただ、いつ、なにをきっかけに揺り戻しが始まるのかは「神のみぞ知る」だ。投機筋も、いまの急激すぎる【円売りドル買い】にそろそろ警戒感を抱き始めていると思う。ただ、政府・日銀によるさらなる為替介入がそのきっかけになるとは到底考えられない。前回の介入でも一時的に流れが変わったかに見えたが、結局投機筋に金儲けの機会を与えただけに終わった。政府・日銀がさらなる為替介入をしても、投機筋は「また金儲けのチャンスだ」と受け取る可能性のほうが高い。

 なぜか。日本も物価高が問題になってはいるが、それでも欧米に比して物価水準は国民生活を死活の瀬戸際まで追いつめるところまでは行っていないと投機筋は見ている。実際日本の生産者物価は輸入原材料費の高騰もあって9月には9,7%も上昇しているのに、消費者物価の上昇率は2.8%(8月)と欧米に比べれば緩やかである。日本経済の底力について、生産者物価の上昇(コスト増)を消費者価格に反映しなくてもやっていける余裕がまだあるとみるか、反映したら路頭に迷う人が続出して反映したくてもできないとみるか。

 おそらく投機筋は、「過去の円は実力以上に買われすぎていた」とみていると思う。アベノミクスによる金融緩和で一時120円台まで円安になったが、円安の恩恵を受けたはずの輸出産業(自動車、電機など)の輸出が思ったほど伸びなかったこと、設備投資意欲も限定的で、企業は為替利益を内部留保して従業員に還元せず、その結果として消費も伸びず消費者物価指数も上昇しなかった。

 さらにウクライナ戦争をきっかけとした物価高で欧米諸国が苦しんでいる中で、日本の消費者物価の上昇率が鈍いことも、投機筋には「まだまだ円は耐えられる」とみる要因になっている可能性が高い。だから、投機筋の「円売り」マインドを一変させるほどの経済変動でも生じない限り、小手先の為替介入といったその場しのぎの手法では未曽有の「円安」攻勢をしのぐことは難しい。

 

  • 専門家たちの、あまりにもレベルが低すぎる「物価高」対策議論

NHKは9日の『日曜討論』で「値上げの秋 暮らしをどう守る」をテーマに、食料品を中心とした今月1日からの値上げラッシュ対策を取り上げた。識者たちが値上げラッシュに政治がどう向き合うべきかといった重厚なテーマについての活発な議論を行った。そのこと自体はタイムリーだし、『日曜討論』として取り上げたことはよかったと思っている。

が、出演者のレベルが低すぎたのか、司会者の議論の進め方に問題があったのか、当日私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに、2度も「出演者のレベルが低すぎる」と抗議の電話をした。

なお出演者は西村康稔・経産大臣、栗田美和子・総菜会社経営者、清水秀幸・連合事務局長、武田洋子・三菱総研理事(マクロ経済担当)、中空麻奈・経済財政諮問会議メンバー(証券会社経営者)である。

なぜ出演者のレベルが低い、と断じたのか。実は日本の消費者物価上昇率は8月が前年同月比2.8%増と5か月連続で上昇している。それでも、日本の物価上昇率は欧米に比して4分の1程度でしかない。一方、生産者物価(コスト)は9%も上昇している(※9.4%に修正。9月は9.7%)。

生産コストはかなり上昇しているのに、店頭価格(消費者物価)の上昇率はコスト増の3分の1でしかない。コスト増を販売価格に転嫁できない構造的原因がある、というのは出演者全員の共通認識だったが、出演者たちの主張は総じて「コスト増を販売価格に転嫁し、そのことによって生じた利益の増加分を賃上げに回して消費を回復させるべき」という単純なもの。そうすれば「いいインフレが進む」と考えているようだったが、インフレもデフレも需給バランスが崩れたときに生じる経済現象。

前回のブログで詳述したが、世界的規模で需要が減少している今、金融対策ではインフレもデフレも克服はできないのだ。そのことに気づいている人は出演者の中には皆無。その重要認識にかけた経済議論は当然レベルが低くなる。

 

  • 消費停滞の最大の「戦犯」は金融庁だ

前回のブログ記事と重複する部分があるが、今回のブログでは日本固有の事情について書く。

需要が増えなければインフレになりようがない――というのは近経に限らず経済の基本原則。日米のインフレ要因について多少理解されているのは武田氏だが(アメリカのインフレ要因はコロナ克服による急激な需要の回復とウクライナ危機による生産者物価上昇の複合作用、日本は生産者物価の上昇が販売価格に反映されていない中での限定的インフレという見立て)、なぜ日本ではコスト増を販売価格に転嫁できないか、あるいは転嫁せずにやっていけるのかというマクロ経済学的分析はゼロ。

で、今回はその構造的原因を明らかにしてみたい。

この稿を読み進める前に、皆さん、なぜ日本人はお金を使わなくなったのか、ちょっと考えてみてください。

数年前のことだが、当時立憲の代表だった枝野氏が我が家の近くの公会堂で講演を行った。アジテーターとしては有能な政治家だが、ひとしきりしゃべった後、「給料は増えているのに、なぜ消費が伸びないのか」と聴衆に質問を投げかけた。会場はシーンと静まり返ったままだったが、枝野氏は「老後生活が不安なため、将来のためにお金を貯蓄に回してしまうからではないでしょうか」と声を張り上げた。

実はその少し前、金融庁が「老後生活を支えるためには厚生年金だけでは2000万円不足する」という老後生活設計の試算を発表していた(2019年)。

その日以降、テレビでもネットでも証券会社などの金融機関が一斉に「老後生活のための資産形成」を呼びかけ始めた。実は、金融庁の「老後生活設計の試算」は、まったくのでたらめだったにもかかわらずにだ。

私は「老後2000万円問題」が浮上したとき、金融庁の、この試算を行った部署の担当者に電話で「試算の根拠とした計算方式」を尋ねた。そして、あきれ返った。私があきれた理由は既にブログで当時書いたが、繰り返す。

金融庁官僚が試算の根拠としたのは、夫が65歳で定年退職し、専業主婦の妻は60歳、収入は厚生年金のみという前提で、定年後30年間生きるとして厚生年金だけでは月5.5万円不足するという前提で計算したという。ちなみに月額5.5万円不足の根拠は17年の家計調査によって年金収入と実際の支出額の差を採用したという。確かに、そういう前提をたてると、30年間の不足額は

 【5.5×12×30=1980】

で、ほぼ2000万円になる。が、ちょっと待ってほしい。定年直後の生活を30年間続けることなど、そもそも可能だろうか。

私は今年82歳になったが、国民年金収入は年金基金分も含めて月額8万円余(健康保険料や介護保険料は引かれた実質手取り額)。そこからマンションの管理費・修繕積立金の計1万6千円が引き落とされて、実質可処分所得は6万5千円ほど。コロナ禍のせいで外食や趣味のカラオケ通いや週1のゴルフも自粛しているから、かかるのは食費、光熱費、医療費など。エンゲル係数はかなり高いと思うが、肉類などあまり食べなくなったから、むしろ余るくらい。コロナ禍以前はカラオケやゴルフ三昧だったら、わずかな貯金を取り崩さなければならなかったが、いまはぜいたくもしようがないから年金収入でお釣りが出る。

私の場合、会社勤めは若いころの5~6年間だったが、サラリーマンの定年退職時と同じ65歳ころは同年配の友人との付き合いもあったし、持ち出しはかなりあった。が、コロナの問題を除いても、友人たちと飲む機会も70代前半には激減するようになったし、妻との外食や旅行も60代後半に比べると「面倒くさい」と激減した。

私自身の生活体験や同年配の友人たちにも聞いたが、やはり「60代後半までは貯金を取り崩す生活が続いたが、70年代前半には黒字に転換する」ことが明らかになった。60代後半の赤字幅も年々縮小し、70年代後半からの余裕金は逆に年々増えることも明らかになった。仮に定年退職時に月額5.5万円の不足があったとしても、退職後30年間生きたとすると預貯金は逆にかなり増えるという老後生活の実態も明らかになった。

このことを金融庁に指摘すると、担当者は「自分にも両親がいて、両親の生活ぶりを見ていると、ご指摘の通りだと思います」と言っていたが、その後、社会にいたずらに騒動を起こした「老後生活2000万円」問題を訂正したことはない。役所という官僚機構は、謝りを自ら訂正しようとは絶対にしない。

こうした老後生活の実態認識が、『日曜討論』の出席者には皆無であった。

 

  • 第2の「戦犯」は年金のマクロ経済スライドを政府に導入させた公明党だ

2004年、公明党の強い主張によって「100年もつ年金制度」が導入された。「マクロ経済スライド」という新年金制度で、この制度を続ける限り、100年どころか千年でも万年でも持つ制度である。従来の年金制度は「物価・賃金スライド」制で。支給される年金額は物価や現役世代の賃金上昇を反映させて年金生活者の生活水準を維持しようという考え方に基づいていた。

が、医療技術の進歩、食生活の改善、核家族化によって老後生活は自己責任という現役世代の責任回避による高齢者の健康志向の高まり、などを背景に高齢化社会が急速に進んで高齢者人口が全人口に占める割合も急増。一方出生率低下によって現役世代が納める年金支払総額は減少する一方。

こうして年金制度継続が危ぶまれてきた中で、公明党が打ち出したのが「マクロ経済スライド」制であった。一言で言えば、「収入の範囲内で支出を決める」(入るを計りて出ずるを制す)というのがこの制度の特徴。つまり年金機構に入ってくる年金(企業と従業員が半分ずつ負担)の総額プラス運用益で、年金支給の総額を賄おうというもの。このマクロ経済スライドで年金支給の総額に枠をはめてしまえば、年金基金が破綻に追い込まれることは理論上あり得ず、制度としては100年どころか千年でも万年でも持つことになる。

が、この制度の致命的欠陥は、年金を支払う現役世代が年々減少しているために年金基金の収入も減少しており、一方高齢化で年金受給者は年々増加、したがってみんなで「貧乏を分かち合おう」という制度になることが必至という点にある。

そうなると、年金世代だけでなく、定年を間近に控えた中高年の現役世代も、老後生活を支えるために預貯金を少しでも増やしたいと考えるのはごく自然な流れ。彼らが生活費以外の余剰資金を消費に回そうとしないのも当然だ。

かくして消費活動の停滞を招いたB級「戦犯」はマクロ経済スライド制度をごり押しした公明党ということになる。

 

  • 「シャウプ税制」が日本人の消費需要をけん引した

さらに致命的なのは、いまの若い人たちにとって「あこがれ」となる、需要喚起の起爆剤が見当たらないということだ。

「世界の奇跡」と言われた戦後の日本経済の驚異的回復の要因はいくつもある。

戦後の吉田内閣の経済政策「傾斜生産方式」(2大基幹産業の鉄鋼・石炭産業に、あらゆる経営資源を重点配分する)によって産業基盤の立て直しを図ったことで、朝鮮特需を契機に工業生産力が急速に回復したこと、戦後の世界的好景気の波に日本の低賃金(当時)がうまくマッチして「世界の工場」の地位を占めることができたこと、さらに世界を襲った2度の石油ショックを日本は「神風」に変えることに成功したこと(「省エネ省力」「軽薄短小」を合言葉に強力に技術革新を進め、IT革命を先導した)~~など。

そういったいくつかの「外的プラス要因」も日本経済の発展に大きく寄与したが、なんといっても日本経済をけん引した最大の要因は所得格差の小ささと、中間所得層の購買意欲を刺激した「3種の神器」や「3C」だった。

そうした要因のうち、まず「所得格差」が消費活動に与えた影響の大きさを検証する。

戦後の日本はGHQの占領下におかれ、あらゆる分野で「民主化」が進んだ。日本における「民主化」の基本は前回ブログで明らかにしたように「弱者救済横並び」に置かれた。所得格差を縮小するための超累進課税制度の「シャウプ税制」もその一つ。

多くの無知な経済学者は、日本産業界の復興の最大の要因を工業製品の輸出増に求めているが、国内の消費マーケットの拡大が果たした役割のほうがはるかに大きかった。

日本の輸出産業にとって1ドル=360円の固定相場制が、日本経済復興に大きく寄与したと一般には思われているが、実は戦後の為替は商品ごと、また同じ商品でも輸出入の量によって交渉で決まるという不安定な状態だった。1ドル=360円の固定相場制が定められたのは1949年4月に入ってからであり、産業界からは不満が続出したほどだったのである。当時の日本産業界の実力からすれば、1ドル=360円でも相当の円高水準だったようだ。

日本産業界にとって僥倖だったのは、翌50年6月に勃発した朝鮮戦争である。この時期、日本防衛が使命だったはずの在日米軍は根こそぎ朝鮮半島に動員され、GHQによって軍事力をすべて解体されていた日本は、丸裸状態になった。たまたま旧ソ連・スターリンに日本侵略の余裕がなかったからよかったが、戦後の日本にとって唯一と言える安全保障上の危機だった。

ついでに、もう一つ、摩訶不思議なことを、この際指摘しておく。

おそらく、この疑問を抱いている日本人(海外も)は私一人かもしれない。「戦争」とはどういう性質の軍事衝突を意味する言葉か、ということである。『広辞林』によれば「国家間における武力による争闘」と定義されている。この定義に当てはまらない2つ(たぶん)の「戦争」がある。お分かりかな~

朝鮮戦争とベトナム戦争だ。いずれも国内における権力争奪の争い、つまり「戦争」ではなく内乱もしくは内紛と位置付けるべき共産勢力と非共産勢力の支配権をめぐる軍事衝突だ。それが、なぜ「戦争」と冠されているのか。私には納得がいかない。なのに、戦後の中国での同様の軍事衝突については「中国戦争」とは呼ばれないのはなぜか。

アメリカが関与したから、という人がいるかもしれない。が、いずれも「戦争」も、アメリカがその国の政権と軍事衝突したわけではない。むしろベトナム戦争の場合などは、アメリカは時の政権(ゴ・ディン・ジェム)を支援するために軍事行動に出ている。また共産圏でも旧ソ連が反共産勢力を戦車で踏み潰したハンガリー動乱や「プラハの春」(チェコスロヴァキア)などもある。

朝鮮もベトナムも、共産勢力が「新国家」宣言をしていたが、だから「国家間の争闘」とするならば、そういう事例も山ほどある。アフガンスタンのタリバンにせよ、イラクのISにせよ、彼らの「国家権力」との争闘を誰も「戦争」とは位置付けていない。

私には解けない、この疑問をどなたかが解いていただくことを期待したい。

 

余談はともかく、朝鮮戦争特需で息を吹き返した日本産業界では、復興の成果が広く労働者に分配された。シャウプ税制のおかげである。

敗戦ですべてを失い、文化的生活に飢えていた日本の一般家庭に大きな需要の波が押し寄せた。50年代半ばから国内需要が激増した「3種の神器」と言われた【冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ】がそれだ。

56年の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と高らかに宣言し、58年には国民の祝福を受けて当時の皇太子が美智子さんと結婚、そのパレードを見るために我が家にも初めて白黒テレビが茶の間に鎮座した。

決して豊かではなかった私の少年時代、テレビの人気番組だった大相撲や巨人・阪神戦、力道山のプロレスなどは、お金持ちの友達の家にお邪魔したり、当時のヒット商品のソフトクリームを蕎麦屋で食べながら視聴した。いまの若い人には想像もつかないだろうが、ソフトクリームをはやらせたのは日本蕎麦屋だったのだ。

こうして経済成長の波になった日本が、「3C」(カー・クーラー・カラーテレビ)時代を迎え、国民生活は一気に豊かさを享受するようになる。そして70年代に入り、国民の生活意識調査でほぼ9割の国民が自分たちの生活水準について「中流」意識を持っていることが明らかになり、日本経済は高度経済成長時代に突入していく。

が、その先に「落とし穴」が待っていた。

 

  • 「失われた30年」は「失われた40年、50年」へと続く

その後のバブル景気と、バブル崩壊、そして「失われた10年」が「20年」「30年」へと続き、さらに「40年」「50年」へと続くであろうことは、前回のブログで詳述したので、あまり深入りはしない。

が、9日の『日曜討論』に出席した識者たちの問題意識のレベルの低さは、「対策」にも反映されている。

彼らが一様に問題視したのは、生産者物価の上昇と、そのコスト増分が販売価格に反映(転嫁)されていない現状への「憂い」である。

もちろん、生産者(メーカーだけでなく最終販売業者に至るまでを含めて)がコスト増分を販売価格に転嫁できない事情は、識者も多少はご存じではある。

なぜ私が「多少はご存じ」と書いたのかというと、そのことへの対策がなっていないからである。彼らが主張した「対策」はほぼ同じで「コスト増分は販売価格に転嫁すべき」「消費者がそれを受け入れられるように賃金をアップすべき」という短絡的解決法に尽きる。何事も「べき」で解決できるのなら、こんな楽な世の中はない。

この短絡的主張の根拠は「給料を上げれば購買力も増大するから、生産者側もコスト増を販売価格に転嫁しても売れる」という「1+1=2」という小学1年生並みの数字のもて遊びでしかないことが最大の問題。

この主張は、言い換えれば「価格が安ければ売れる」という短絡思考に基づいている。が、消費が増えないのは、そんな単純な理由ではない。例えば11日からスタートした「全国旅行支援」。人気が殺到しているらしいが、高いプランから枠が埋まっている。このことは何を意味するか。「安いから売れる」からではないことを意味している。

討論で西村経産大臣は需要を喚起するための重要な課題として「イノベーション」の必要性をしきりに訴えていた。「さすが西村大臣」と高く評価したいのだが、中身に具体性が何もない。

すでに述べたが、戦後日本経済をけん引してきたのは「3種の神器」であり「3C」だった。これらの工業製品のうち、カーを除く生活必需品はすべての家庭に行き渡っており、いまは「買い替え需要」しか期待できない。若い人たちを中心に「クルマ離れ」が進行し始めたのは、20年近く前からであり、その理由は「クルマが買えないほど若い人たちの手が届かない高額商品」になったからではない。都市部の住民は、公共交通機関の発達によって生活利便性が車を不必要にしたこと、レンタカーにとって代わって地域の「カーシェア」システムが整備され、「クルマを必要とする時だけ利用すればいい」という合理性志向が強まったせいである。

実際、私が若かったころは、クルマを持つことがステータスであり、憧れでもあった。いまでも数千万する高級外車は、マニアにとっては垂涎の的のようだが、少なくとも都市部の住民にとってはクルマは生活必需品ではなくなった。一方、公共交通機関が十分ではない地方の住民にとってはクルマは「足」であり生活必需品だから、需要が減少することはない。

クルマに限ったことではなく、耐久消費財を取り巻く環境も激変した。例えばカラーテレビ。すでに書いたが、我が家に白黒テレビが鎮座したのは1958年。それから30年後にはカラーテレビが「1家に1台」から「1人1台」になり、2003年の地デジ放送開始と同時に私はブラウン管テレビから液晶テレビに買い替えた(そういう家庭が多かったようだ)。ブラウン管テレビの平均寿命は7年と言われているが、我が家の液晶テレビは20年になる今も健在である。

それには理由がある。ブラウン管テレビの場合、525本の走査線が画像を映し出しているのだが、ブラウン管の場合、寿命が尽きるとたちまち画面が真っ暗になって何も映らなくなる。が、液晶の場合は顕微鏡で見ないとわからないくらいの小さな画素の集積のため、それらの画素が少しずつ失われても、テレビを見ているほうは気がつかない。一度に半分もの画素が機能を停止でもしたら、画面の鮮明さが一気に失われるからすぐにわかるが、顕微鏡で見なければ見分けがつかないほど微細な画素が少しずつ機能を停止しても、ほとんどの人は気が付かない。

ほかの家電製品にしてもそうだ。冷蔵庫や洗濯機、エアコン、掃除機、炊飯器なども、品質や性能の向上によって寿命が延びている。メーカーは買い替え需要を喚起するため、品質向上より性能向上や使い勝手に「イノベーション」の力を入れているが、それに成功しているのはせいぜい掃除機くらいではないだろうか。後は日当たりが決して良くない家や共稼ぎで日中留守にする家庭での必需品になってきた洗濯乾燥機が売れているくらいだ。

いずれにせよ、「3C」以後に生活必需品になった新ジャンルの商品は携帯電話くらいしかない。携帯電話(スマホ)はクルマに似た「買い替え」需要が生じている商品で、一定の年数がたつと、まだ使えるのに新製品に買い替える人が多いようだ。こういう商品の市場には必然的に「中古市場」が生まれ、中古専門の販売店もできる。車の買い替え需要は高額製品だけに経済への影響もそれなりに大きいが、スマホの場合は高くても10万円そこそこだから、買い替え需要が景気をけん引するほどにはならない。

スマホを話題にしたついでに、この際私憤をぶつける。ドコモショップの、この上ないえげつない商売のやり方について告発しておきたい。

 

  • ドコモの「出張営業」の悪質さを告発する

電電公社が分割民営化されたとき、子会社としてドコモやNTTコミュニケーションズが生まれた。NTTコミュニケーションズは主に法人向けに長距離・国際通信事業を提供している会社で、フリーダイヤルの0120局番や、悪評さんざんのナビダイヤル0570局番の事業を行っているが、最近、個人向けの携帯電話事業に進出した。

同社の商品は「OCNモバイルONE」という格安スマホである。「売り」の定額プランは500メガで月額500円(税込み550円)。500メガの容量だと、ほぼ事実上スマホというよりガラ携としての利用が前提になるが、電話代は通常(従量制)が30秒10円(税込み11円)、オプションとして月額850円(税込み935円)コースと1300円(税込み1430円)の2コースが用意されている。通話時間無制限の「完全かけ放題」は1300円のコースで「オススメ」と推奨している。しかもこのコースだけとくに目立つように「すべての国内通話 無制限かけ放題」と、あたかも他社の「かけ放題」とは異なり、ナビダイヤルもタダと錯覚しそうな表記さえ強調している。明らかな景品表示法違反だ。

が、これまでNTTコミュニケーションズは個人向けビジネスをしていなかったこともあり、また大手携帯会社のドコモ、au、ソフトバンク(Yモバイルを含む)、楽天のようなショップ網をこれから自前で構築するのは困難と考えたのか、販売をドコモショップに全面委託したことで、大きな問題が生じた。

ドコモショップは実はすべて「代理店」方式である(「直営店もある」と主張する営業マンもいるが、「では、直営店を教えてほしい」と聞くと「私は知りません」と答える)。さらにドコモショップの営業エリアは、そのショップが存在する都道府県内の全域。例えば、東京・銀座のドコモショップが奥多摩まで出張営業してもいいのだ。もちろん出張営業した先でのアフターフォローも責任持つのなら、どこに出張営業しようと、利用者の利便性に問題は生じないのだが、それはしない。売りっぱなしで、「後は野となれ山となれ」商法なのだ。

売るときは「アフターは地元のショップで対応します」と言うのだが、それぞれのショップが独立した代理店だから事実上、できない仕組みになっている(ただし大企業が複数のショップを経営しているケースもあり、その場合は系列ショップでフォローすることも皆無ではないようだが、一般の消費者にはどのショップがフォローしてくれるのかはわからない)。

実際、私は自宅近くのスーパーにかなり遠方(3系統のバス、電車を乗り継がないと行けない)のショップから出張営業に来ていた営業マンから商品説明を聞いて「これは私のような者にはすごく有利だ」と思って契約した。

私はこのような長文のブログを書くし、またネットでの調べ物も多いし、高齢のせいで小さな字を目で追うのも困難(新聞もペーパーではなくデジタル版を購読している)という事情から、ネットや文章作成はデスクトップのパソコンでするから「ガラ携」としての利用しかしない、と営業マンに伝えたにもかかわらず、私に無断でアプリの「dテレ」を入れられた。500メガの容量で、どうやってdテレの映画やドラマなどを見ることができるのか。

なお現場で交付された書類にもNTTコミュニケーションズから送られてきた書類にも「dテレ」契約に関する記載は一切ない(書類はすべて取ってある)。

私は「dテレ」の利用料が口座から引き落とされているのに気が付いて、直ちに担当営業マンに電話で「dテレ」の解約を申し入れた。「解約するから店まで来い」というあきれた対応。やむを得ず最寄り駅の別のショップに持ち込んだが、「契約した店に行ってください」というつれない対応。再度、「せめて最寄りショップで対応してくれるよう、手配してもらいたい」と頼んだが、「他店に頼むことはできない。こっちに来てくれ」の一点張り。

こうまでされたら、私も意地になり対抗手段として、まだ引き落としされていない請求分について「引き落とし停止」の措置をとった。すると敵もさるもの、私を個人信用情報機構に載せた。おかげでクレジットカードの「ジャックスカード」が使用停止になり(ほかの大手カードは使える)、ジャックスカードにためたポイントも消滅。ジャックスには何の迷惑もかけておらず、ジャックスカードで支払った先に迷惑をかけるのは本意ではないのでジャックスカードの引き落としは止めなかったが、いくらポイント・サービスがよくてもジャックスのような自己責任能力のないカードは使用しないほうが身のためという貴重な経験をした。

なお、なぜドコモショップがわざわざ遠隔地で出張営業するのか。ショップ側の言い分としては、「待ちの営業ではお客様がなかなか足を運んでくれないから」ということだが(私が被害にあった当該ショップだけでなく、出張営業先のスーパーではほぼ毎週末に各地のドコモショップが出張営業に来ており、どのショップも同じ回答をする)、そのようなことはあり得ない。

もし、そういう理由に正当性があるとしたら、なぜ肝心の本業であるドコモのスマホを出張営業しないのか、ということになる。地元のドコモショップでOCNモバイルONEを販売したら、ドコモのスマホと完全にバッティング(競合)するため、他店の営業エリアに泥足で踏み込んで営業していると考えるのが最も合理的である。自分たちの利益のためなら、お客様にどんな迷惑をかけても、知ったこっちゃないという姿勢が見え見えではないか。

確かに「OCNモバイルONE」はガラ携やLINEがほとんどの利用目的という高齢者には有利な商品だが、テレビCMは全くしていない。なぜか。テレビでCMを流し、扱い店はドコモショップであることを明らかにしたら、消費者はどっと最寄りのドコモショップに押し寄せる。そうなると、ドコモの商品と完全にバッティングしてしまう。そこで苦肉の策として考えたのが、遠方への出張営業という手法なのだろう。ソフトバンクが系列格安スマホの販売店として「Yモバイル店」を設置しているのと比べると、明らかに卑劣と言わざるを得ない。

 

ことのついでに、なぜ各携帯大手がそれぞれ別個に基地局を設置するのか。まったく理に合わないことをしている、と私は考えている。

菅元総理は携帯料金の引き下げに尽力されたが、単に「もっと安くできるはずだ」と権力をかさに着て携帯各社に圧力をかけただけだ。

フェアな競争状況を官が整備し、そのもとで各社が平等公平な競争を繰り広げ、「知恵」を絞った結果として料金が下がり、サービスもよくなるための工夫をするのが行政の仕事ではないか。

実は数年前から、私はそういう提案を総務省にしてきたし、総務省の携帯電話担当の職員も「非常にいいご意見だと思います。参考にさせていただきます」というのだが、実現の見込みは全くない。実際、携帯電話会社の社員に私のアイデアについて意見を聞いたら、全員が「そうなったら劇的に携帯料金は下がりますね。お客さんの囲い込みもできなくなるし、サービス競争も激化して、間違いなくお客さんにとってはプラスになります」と言う。

言ってみれば、どうというほどのアイデアではなく、基地局を1本化すればいいだけの話。現に、テレビ局はスカイツリーや放送衛星を共同で利用しているではないか。テレビの場合はあらかじめ、放送各局に電波を割り当てる必要があるが、携帯の基地局の場合、電波の割り当てなどする必要もない。基地局の空き電波帯を早い者勝ちでだれでも、どの会社の携帯を使っていようが、まったく平等・公平に利用できることになる。

東日本大震災の時、ソフトバンクが「つながりやすさNO.1」とCMを打ったことがあるが、私はすぐ同社広報に電話をして「いまはソフトバンクの携帯のシェアが低いため一番つながりやすいかもしれないが、それを当てにして加入者がどっと増えたときでもNO.1を維持できるのか。電波帯を加入者が増えたとき広げられるのでなければ、詐欺的CMになるよ」とクレームをつけ、ソフトバンクもこのCMを中止した。

要は、携帯各社が平等に利用できる基地局を官が指導して日本全国に設置すれば、それで済む話なのだ。知床沖で観光船が遭難したときでも、観光船の船長の携帯がauで遭難地域が「電波の届かない場所」だったということだが、基地局を一本化していれば、どの会社の携帯を使っていてもSOSを発信できたはず。単に携帯料金を安くできるだけでなく、人の命にもかかわることだ。頭は生きているうちに使ってほしい。

 

  • 日本型雇用関係(終身雇用・年功序列)は大きな曲がり角を迎えた

話が横道にそれすぎた。なお、ドコモショップに関する記事は13日、総務省電気通信課にメール送信した。総務省が、この問題をどう処理するかは私の知ったことではない。この記事では悪質なドコモショップについての具体的情報は記載しなかったが、総務省あてのメールではショップ名・営業担当者名も含めて明らかにした。でっち上げではないことの証明である。

本論に戻る。

生産者物価は9.7%も上昇し(9月)、消費者物価も2.8%上昇したにもかかわらず賃金は上がらない。『日曜討論』で識者たちは、なぜ賃金が上がらないのかという問題意識すら持っていなかった。私の前回のブログを読んでいれば、多少はそういう問題意識を持てたはずだが、私が強制するわけにはいかない。もう一度簡単に振り返っておこう。

1985年のプラザ合意を受けて【ドル/円】相場は2年間で240円台から120円台へと2倍に高騰した。もし為替相場を輸出価格に転嫁していれば日本製品のアメリカでの販売価格は2倍になり、日本企業は国際競争力を完全に失っていた。というよりそこまで円が高騰するまでに、バランスが取れた水準で円高はストップしていたはずだ。この時の日本企業のビヘイビアが急激な円高を招いたと言えなくない。

日本企業は為替水準を輸出価格に反映せず、輸出価格の上昇率をせいぜい10~20%に抑えた。海外とくにアメリカからは「ダンピング輸出だ」という厳しい非難が殺到したが、日本企業は「必死の合理化努力によってコストダウンを実現した結果だ」とうそぶいた。

もし合理化努力によってコストダウンに成功したのであれば、日本の消費者もその恩恵を受けるべきだった。が、日本では「高性能化・高品質化」を口実にかえって価格を上げたのだ。その結果、日本では並行輸入業者が乱立し、海外の安い輸出品を日本に逆輸入するビジネスが爆発的にはやった。私自身もアメリカ旅行するたびにゴルフ用品を買って帰ったものだ。

日本企業は、なぜそういったビヘイビアに出たのか。工場の生産量を維持することが日本企業にとって最大の経営課題になったからだ。最近でこそ日本型雇用の柱でもある「年功序列」による昇進昇給制度は徐々に崩壊しつつあるが、当時はまだ昇進も昇給も年功が大きな要素を占めていた。

そのうえ、終身雇用制度が日本の経営者の足を縛っていた。ヤフコメでそういうことをコメントすると、たちまち「終身雇用を義務付けた法律はない」という批判が殺到したが、確かに終身雇用を義務づけた法律は直接的にはないが、労働者に対する過保護な労働基準法(労基法)という法律があり、これが経営者の手足を縛っている。

アメリカで前大統領のトランプがアメリカの自動車産業を保護することを目的に、自動車(部品も)や鉄鋼・アルミ製品などに高率関税を課したが、一工場作業員からGMのCEOに上り詰めた初の女性CEOのメアリー・バークは全米で5工場を閉鎖してトランプを激怒させた。「せっかくアメリカの自動車産業のために競争力を回復させてやったのに~」という理由だったが、メアリーは平然と反論した。

「確かに米自動車産業の競争力は回復したが、材料や部品の輸入価格がアップしコストが相当上がった。そのコストアップ分を自動車の販売価格に転嫁したらアメリカ人の平均購買力を上回ってしまう。だからやむを得ず工場を閉鎖した。工場を閉鎖し従業員をリストラに追い込んだのはトランプ、あんただ」と。

こういう経営が、日本では事実上できない。不採算工場を閉鎖したり、従業員をリストラするには、日産のようにプロの経営者を海外から招へいしたり、シャープのように会社ごと海外の企業に身売りして彼らの手で大胆な合理化を進めさせるしかないのだ。そうした経営決断ができずに、いまだにっちもさっちもいかない状態に陥っているのが東芝。

経団連が日本企業の経営の自由度を増すために「終身雇用制の廃止」を求めているが、そのためには労働者過保護の労基法を改正しなければ不可能。おそらく経団連もそのことに気づいてはいるのだろうけど、さすがに「労基法改正」を打ち出せない。労働者にとっての憲法のような存在だからだ。

高度経済成長時代、「日本型資本主義は人本主義だ」と喝破した経営学者がいたが、日本企業は利益より従業員の雇用を維持すること、そのためには工場の生産量を維持することを最重要視せざるを得ない。プラザ合意以降の円高局面では生産量を維持するために海外にはダンピング輸出をして、そこで生じる赤字分は国内販売で賄った。アベノミクスによる円安で国際競争力が回復しても、輸出価格を下げて輸出量を増やすという選択肢をとらなかったのは、生産量の拡大によるリスクの増大を避けるためであり、だから輸出価格を据え置いて輸出量を維持し、生産量も増やそうとしなかったのである。その結果、輸出企業の内部留保だけが膨大に膨れ上がったというわけ。

 

  • まとめ~~需給関係だけで価格が決まるわけではない

そろそろまとめに入ろう。これまでるる述べてきた日本企業のビヘイビア・ルールを理解しないと、『日曜討論』の識者たちのレベルの低さがわからない。

はっきり言えば、金融庁の「老後2000万円」問題や、年金の「マクロ経済スライド」移行問題、「少子化」及び「高齢化」問題などが、消費意欲を冷え込ませているうえ、「3種の神器」や「3C」のような景気をけん引するような魅力的な商品が存在しないといった現状が、「消費より貯蓄」の流れを作っている。

そうした状況下で、コスト増を価格に反映させたら、ますます売れなくなることを、経営者は肌で感じている。ただし、コストアップ分を価格に反映できている商品もあれば、ずうずうしいことに「値上げのチャンス」とばかりに便乗値上げしている商品もあるのだ。

今年の秋はサンマが不漁で、価格が高騰したかというと、消費者の選択は「サンマが高いのならイワシで十分」。その結果、サンマは出血販売を余儀なくされ、代替品のイワシが高騰した。

実際、代替が効かない生活必需品はかなり便乗値上げされている。トイレットペーパーや洗剤などだ。生産者だけでなくスーパーなど小売業者も仕入れ価格の上昇分を販売価格に転嫁できない商品は薄利で販売し、価格を上げても買い控えができない商品を便乗値上げするなど工夫しているようだ。

前にもブログで書いたことがあるが、「豊作貧乏」は昔から言われてきた市場原理だが、ほどほどの不作なら利益が上がるが、極端な不作になるとかえって買い控えを生み大儲けどころか出血販売を余儀なくされ、コストすら回収できないケースもある。

市場価格が「需要と供給」の関係で決まるというのは確かに経済学の原則だが、供給量によって需要が大きく変動するため、それほど単純に需給関係だけで価格が変動するわけではない。

つまりコストを販売価格に反映したら需要が激減するから、生産者はコストを販売価格に転嫁できないのであって、『日曜討論』の識者たちが口をそろえたように、企業が従業員の給与をアップすればコスト増を反映した商品に消費者が手を出すようになるかというと、そういうものでもない。増えた収入の使い道の優先度は、やはり「将来への不安」が消えない限り、そして魅力的な新しい商品が誕生しない限り、消費者の「貯蓄」志向に変化は生じない。

 

【追記】16日の『日曜討論』は「防衛費・反撃能力 安全保障政策を問う」と題して主要政党の代表者7人(全員衆院議員)による討論だった。彼らのほとんどは北朝鮮のミサイルを脅威とみなし、日本への挑発という前提で抑止力強化を目指すべきという点では共通した認識を持っていた。

実際政府の「北の脅威」に対するプロパガンダの効果は抜群で、日本人の多くは抑止力強化が必要と考えているようだ。

が、安全保障問題では何度も機会あるたびに書いてきたが、私は最善の安全保障策は「抑止力強化」ではなく「敵国を作らないこと」に尽きると考えている。そういう意味ではインドのような「八方美人」的外交がいいのだが、日本はアメリカとの同盟関係を構築しており、この関係は維持したうえで日本はどういう外交を展開すべきか。

私自身はアメリカとの同盟関係を維持しながら「敵国を作らない」ための外交の要諦として、アメリカの外交方針とは一線を画すべきと考えている。

例えば、北朝鮮のミサイルが日本領海(津軽海峡など)上空を飛翔したとしても、あえて「脅威」ととらえる必要は全くない。北が日本を標的としたミサイル発射を頻発しているのなら別だが、北のミサイルの標的はあくまでアメリカである。北もいたずらに日本を刺激しないように、日本の陸地上空の通過は避けている。まして北のミサイルの脅威をことさらにおあり立てて「抑止力」強化を「対北」政策として押し進めた場合、北にとっては「日本の抑止力」が脅威になりかねない。

もちろん北の「火遊び」に対しては日本は厳重に抗議すべきだが、いまの日本の安全保障政策を考えると、北の「脅威」を口実にして軍事力強化を図ろうとしているかに見える。それこそ、危険な「火遊び」である。

米中の覇権争いにしてもそうだ。万一、米中が軍事的に衝突した場合、日本はその衝突に関与すべきではないし、ましてアメリカの覇権争奪戦の片棒を担ぐべきではない。むしろ、日本が置かれている地政学的有利性を背景に、米中に対して「覇権争いでどちらが勝ったにせよ、失うものは共に大きい。両大国が協力してアジア・インド洋の平和とこの地域の経済的発展、国民生活の向上に貢献すべきだ」と米中和平への説得を行うべきだと思う。

日本は過去の十字架をいまだに背負っているだけに、いたずらに「抑止」の名において軍事力の強化を図れば、北や中国だけでなくアジアの周辺国に対して警戒心をあおるだけの結果になる。

しばしば言われることだが、「敵の敵は味方」だが、同時に「敵の味方は敵」でもある。米中がアジア・インド洋の覇権をめぐって衝突した場合、あまりアメリカに肩入れしすぎると、中国にとって日本は「敵の味方だから敵」という位置づけをされかねない。

もちろん、アメリカが一方的に他国から不当な攻撃を受けた場合は、同盟国として日本もアメリカ防衛に可能な限りの実力行使を行うべきだと私は考えているが(その場合でも憲法を改正しないと無理)、少なくとも同盟国としてアメリカを防衛する義務は、日米安保条約に基づいてアメリカが日本に対して負っている防衛義務の範疇を超えるものであってはならない。日米安保条約においてアメリカが負っている日本防衛の義務は、第5条に明記されているように日本の領土が不法に侵犯された場合のみである。日本が他国と軍事衝突を生じた場合、またその結果として日本が領土を攻撃されたとしてもアメリカは日本防衛の義務は負っていない。

米軍は日本の「傭兵」ではないし、日本がアメリカ防衛のために実力行使に出る場合でも、自衛隊はアメリカの「傭兵」としてではない。

16日の『日曜討論』でも、参加者全員が政治家というせいもあるだろうが、安全保障の要諦を「軍事的抑止力」に置きすぎているきらいがあり、日本が再びおかしな方向に歩みだしかねない危惧を感じた。

 

 

 

 

 

 


ケインズ経済理論は賞味期限切れか~インフレもデフレも金融政策では克服できない、これだけの理由

2022-10-03 04:32:15 | Weblog

 

お約束の「なぜ円安が止まらないのか」について書く。このテーマについて書くことはすでに9月23日には決めていた。というより、前回のブログ原稿のこの個所は23日には書き終えていた。

政府・日銀が22日、急落する円を買い支えるために為替介入することを発表、米財務省がすぐ反応し「日本の行動は理解するが、アメリカは協調介入しない」とコメントした。私はヤフコメ(ヤフーが提供するニュースへのコメント)でこう書いた。

「為替介入という「伝家の宝刀」が竹光ではね~ 一時的に円は高騰したが、すでに反落が始まっている。 今週中には「元の木阿弥」に戻る。 為替介入は、投資ファンドに金儲けの「千載一遇のチャンス」を提供しただけ。なぜなら、為替市場で動いているカネは、日本の国家予算をはるかに上回る規模。日銀に、投資ファンドに逆らえるだけの資金力はない」(※「元の木阿弥」に戻ったのは翌週だったが…)。

さらに24日、ヤフーニュースで立憲・蓮舫氏が「為替介入するならアベノミクスの見直しが必要」と主張したことを知り、ヤフコメにこう書いた。

「いま、マクロ経済学の有効性が問われています。 アメリカはFRBのパウエル議長がインフレ退治のために金利を上昇させていますが、金利政策には逆効果もあります。 パウエルの期待は、金利の上昇によって需要を抑え、需給関係を供給過多にすることです。つまりデフレ政策です。 が、金利を上昇させればメーカーや流通業者のコストが跳ね上がります。そのコスト増を価格に反映したらインフレが加速します。 アベノミクスのデフレ対策は金融緩和によるインフレ政策ですが、消費が伸びなければ効果は半減します。「老後生活2000万円必要」論などもあって、消費者の買い控えがかえって進み、金融緩和効果が生じていません。アベノミクスではデフレを退治できませんでした。 皮肉なことに、その結果、日本のインフレ率は欧米に比して少ないのです。マクロ経済学の「け」の字も知らない連邦氏の「一言いいたい」姿勢の失態です」

米FRBはウクライナ戦争による急速なインフレを抑え込むために、政策金利(日本の「公定歩合」)の0.75%アップを3回立て続けに行った。計2.25%ものアップだ。この記事を書いている25日現在、このパウエル・バズーカ砲でインフレ退治ができるかどうかはまだわからないが、私は難しいと思っている。(なお、この記事をアップする時点で私の予測が外れても、この部分は修正しない。もし外れた場合は、米経済は深刻な大不況に陥るはずだ)。

 

  • 「失われた30年」の検証

実は日本は金融政策で大失態を演じた。バブル退治のための金融政策のことだ。後で検証するが、日本は1980年代半ばから80年代末まで急激な資産バブル(不動産・株式・ゴルフ会員権・絵画など)を経験した。

その結果、庶民には「持ち家」がはるかかなた手が届かないほど高騰し、中間所得層を中心に政府への不満が沸騰した。バブル景気を演出したのは日銀・澄田総裁の超低金利策(金融緩和)と、金儲けのためには節操など全く無視した金融機関による不動産関連融資の拡大だった。バブル景気が最高潮に達したのは89年末で、この年の東証大納会での日経平均は史上最高値の38,915円で引けた。

さすがに行き過ぎた株価高騰に投資家たちが警戒感を抱き始め、株価は90年初頭から下落し始め、10月1日には日経平均が一時2万円割れになった。わずか9か月で半値近くに暴落したのである。ただし資産バブルが一気に崩壊したわけではなく、またバブル崩壊の時期については諸説ある。

 

遅まきながら大蔵省(現財務省)が不動産高騰対策に乗り出したのは1990年3月。銀行など金融機関に対して不動産関連融資抑制の行政指導に乗り出したのだ。「総量規制」がそれで、金融機関に対して融資総額に占める不動産関連融資の比率に上限を設けたのだ。その結果、金融機関や不動産関連企業の株が一気に暴落をはじめ、金融機関は生き残りのために不動産関連融資の引き締めどころか超優良融資先以外の融資先には「貸し渋り」「貸し剝がし」(融資金額の一括返済を迫ること)に血道を上げだした。銀行など金融機関はしばしば「晴れているときに傘を貸し迫り、雨が降り出したら傘を取り上げる」と言われるが、まさに「ユダヤの商法」そこのけの真骨頂をこの時期なりふり構わず発揮した。

さらに89年12月、澄田の後継総裁の地位についた三重野は、就任前3.75%だった公定歩合を4.25%に引き上げ、その後も90年3月5.25%、8月6%と、わずか9か月の間に2.25%もアップした。

大蔵省による「総量規制」と日銀による金融政策のダブル・パンチを受けてバブルは一気に弾け、日本経済は「失われた30年」の時代に突入する(なお、今後も政府が経済成長を目指す政策を続ける限り「失われる期間」はさらに長期化する)。この三重野を「平成の鬼平」と高く評価したのが今やまったく時めいていない自称「経済評論家」の佐高信。佐高は大学卒業後、郷里で高校教師をした後、総会屋系経済紙の『現代ビジョン』で記者・編集長を務め、内橋克人氏に師事して売り出すことに成功した人物だ。彼が「経済評論家」を自称するのは勝手だが、経済理論をどのくらい勉強しているのかは疑問。彼の人物評論にしても、価値基準が「好き嫌い」でしかないようにしか思えない。

三重野が行き過ぎた金融引き締めによって日本経済の息の根を止めたことに、日銀がようやく気づいたのは最後の公定歩合引き上げから1年も経った91年7月。公定歩合を5.5%に引き下げ、さらに11月5%、12月4.5%、92年4月3.75%、7月3.25%、93年2月2.5%、9月1.75%と下げ続けたが、日本経済が息を吹き返すことは二度となかった。なお、佐高は三重野の金融政策転換については何も語っていない。「語っていない」のではなく、語れないのだろう。

経済は生き物と同じ、と私は考えている。がんも早期発見して早期に治療すれば大事に至らずに済むが、全身に転移してから治療を始めても取り返しがつかない。経済動向変化の初期兆候を見抜くためには直近の経済指数ばかり近視眼的に重視していてはだめだ。コロナ・パンデミックとかウクライナ戦争とかの予期し得ない事態は交通事故と同じで初期対策の取りようがないが、世界経済の大きな潮流は気候変動と同様、注意していればわかるはず。

この記事を書いている25日のNHK『日曜討論』は地球温暖化対策について専門家(学者)たちのディスカッション番組だったが、専門分野での知識や見解には耳を傾ける要素があったが、何か「隔靴掻痒」の感じがぬぐえなかった。NHKには感想を電話したが、私が感じた違和感はこういうことだ。

言うまでもなく、地球温暖化対策は喫緊の課題ではある。その大きな要因として化石燃料による二酸化炭素の排出をいかに抑えるかは、全世界的テーマであることは否定しない。が、二酸化炭素が突然一気に急増したとは考えにくいし、地球温暖化も一気に加速することもありえない。だから、今年の全世界的規模の異常気象の要因を二酸化炭素の排出だけ減らせばいいという短絡的結論にはなりえないはずと、私は視聴していて疑問を持った。SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの重要性を否定するつもりは毛頭ないが、今年の異常気象の要因は地球温暖化だけということは論理的にあり得ない。何がいま地球で生じているのか、その変化を見ないと「樹を見て森を語る」議論で終わりかねない。

実はそういった要素が経済動向にもあるのだ。私はとっくの昔から指摘しているのだが(私のアベノミクス批判の原点でもある)、地球的規模で進行している「少子高齢化現象」によって、もはや先進国の先端工業製品輸出中心主義の経済成長時代は終焉した、と私は考えている。そのことを前提に、これからの経済政策を考えないといけないと思う。(25日記す)

 

  • バブル景気を牽引し演出した金融機関の「お行儀」

日本がバブル退治に失敗したのは、経済の動向を見据え時間をかけて軟着陸すべきことを、「胴体着陸」のような強硬手段で短期間にバブルを退治しようとしたことが最大の要因である。言うなら「角を矯めて牛を殺してしまった」のが、当時の大蔵省の「総量規制」と日銀の「金融引き締め」政策だったのだ。

バブル景気華やかな頃は、当時のメガ銀行が不動産関連事業に無節操な融資競争を行っただけでなく、大手デベロッパーの営業すら肩代わりした。

これは私自身が経験したことだが、私の友人から誘われて某メガ銀行主催の仙台1泊旅行に行ったことがある(10人ほどの小規模「団体旅行」だった)。交通費・宿泊代は銀行持ちで支店長自ら案内役を務めた。某銀行が大蔵官僚を接待して社会的に大問題になった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のような派手な接待はなかったし、ホテルでの夕食後に仙台の繁華街に繰り出してのどんちゃん騒ぎの「二次会」「三次会」といったこともなかった(二次会はホテル内でのカラオケ)。問題は銀行接待の仙台旅行の目的だ(たぶん費用は大手デベロッパーが負担したと思う)。

当時仙台では、市営地下鉄の計画が進んでいて、沿線予定各駅の周辺では大手デベロッパーによる開発競争が激化していた。その分譲土地の販売営業マンを、銀行支店長が自ら買って出たのが「仙台旅行」の目的だった。市内で1泊した翌日の午前中に該当分譲地を案内した支店長は、その分譲地が投資先としていかに有望かを一生懸命にトークし、「その分譲地を担保に全額融資します」という破格の条件で購入を勧めた。私は仙台に土地勘がなかったし、借金してまでと思ったので、この話には乗らなかったが、支店長の口車に乗って大損した人も何人かいたようだ)。

バブル時代、新金融産業(「産業」と呼べるほどの規模にはならなかったが)が生まれた(バブル崩壊後、消滅したが)。雨後の筍のように誕生した「抵当証券企業」である。不動産の持ち主や買い手に不動産担保の融資を行い、担保にした不動産を有価証券化して投資家に売るという新金融事業で、このアイデアは日本生まれである。バブル崩壊で抵当証券会社はすべて倒産したが、実はこの新アイデアを利用して世界的大事業にしたのがアメリカの「サブプライムローン企業」や「リーマン・ブラザース」だった。

アメリカはバブル期、地域密着型小規模金融機関(日本の「信用金庫」のような規模と思われる)が、信用度が小さい低所得層を対象に融資して担保設定した不動産を有価証券化して投資家に販売したのがサブプライム企業。日本のバブル崩壊の影響を受けてアメリカでも不動産価値が暴落し、その証券を大量に抱えていた証券大手のリーマン・ブラザースが一手に「抵当証券事業」を引き受けて不動産価格暴落を防止、抱えこんだ「抵当証券」を世界中の金融機関などに転売、一時は大儲けしたが、所詮「厚化粧」事業に過ぎず経営破綻して世界中に金融破綻を引き起こしたのが、いわゆる「リーマン・ショック」である。

現在も、優良融資先を失った銀行がサラ金を傘下に収めたり、一流企業の正規社員を対象に「カードローン」競争を繰り広げているが、「カードローン事業」を発案したのも日本。バブル期に日本で最初に不動産を担保に融資枠を設定し、その枠内でキャッシングや返済を自由に行える金融事業で、毎月の返済額や返済期間が決まっている通常の「住宅ローン」や「自動車ローン」、クレジットカードのリボ払い」とは異質の融資事業である(現在のカードローンとは仕組みが違う)。

この事業を日本で最初に始めたのが、大蔵事務次官経験者の頭取指定席とされていた地方銀行の雄・横浜銀行で、当時小田急線・新百合ヶ丘近くの戸建て住宅に住んでいた私にも百合丘支店長自ら営業に来たことを記憶している。

手を変え品を変えて、信用度が高い(と当時は思われていた)不動産所有者に多額の融資を行った。融資先に対して「晴れの日には傘の貸し出し競争に明け暮れ、雨が降り出すと取り上げる」という銀行の習性は今も昔も変わらない。

「住銀の天皇」「住銀中興の祖」と呼ばれ、世界的権威がある「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたとき、私が「向こう傷は問わない、と積極的営業をモットーにされていますが、利益を上げるためなら何をしてもいいというわけではないでしょう。許容できる向こう傷の限界を教えてください」と質問し、同席していた広報室長が焦りまくったことを覚えている。磯田氏の答えはほとんど記憶にないが、「うまく逃げられた」という思いだけは残っている。まだジャーナリストとして未熟だったと

も反省している。が、さすがにメガ銀行の「天皇」と呼ばれるほどの人物、その貫禄には圧倒されたことを、いまも強烈な印象として記憶している。

いずれにせよ、泡として生まれ、泡として消えた「バブル景気」を演出し牽引したのは、日本でもアメリカでも金融機関であった。そうなった経緯を、日本について簡単に検証しておく。(26日記す)

 

 

  • 明治維新のパラドックスが、日本の輸出産業最優先の経済政策と軍国主義への傾斜を招いた

周知のように、明治維新の原動力となった革命運動の合言葉は「尊王攘夷」である。倒幕後、明治新政府は一応「尊王政権」(王政復古あるいは大政奉還とも)は成立したが、もう一つの旗印であった「攘夷」のたてまえは煙のように消えた。なぜか。

私は明治維新を実現した真の革命エネルギーは「王政復古」ではなく、「攘夷運動」だったと思っている。徳川幕府時代末期、アジア諸国は欧米列強による「植民地化」競争の刈り取り場になった。「眠れる獅子」の中国は、さすがに列強による植民地化は免れたが、列強に相当浸食された。

日本にとって幸いだったのは四方を海に囲まれて大陸とは陸続きでなかったこと、そのため列強の触手が日本に及んだときは1国だけでなく列強がほぼ横一線に並び、互いにけん制しあって「一抜けた」ができなかったこと、さらに言えば日本には列強が手傷を負ってまで植民地化したがるほどの優良な資源がなかったこと、などの好条件がそろったためと私は考えている。

そのうえ、「一抜けた作戦」を強行したアメリカが、あえて日本を植民地化しようとはせずに、アメリカにとって有利な通商関係を日本と結ぶことを対日政策の基本方針にしたことが大きかった。そのため、アメリカに続いた列強も日本を植民地化するという野望を捨てて、有利な通商関係を日本と結ぶ政策方針をとらざるを得なくなったと思われる。

日本にとっては「僥倖」ともいえるこの状況が、徳川幕府にとっては命取りになる。徳川政権は歴代、鎖国政策をとってきた。「開国」が逃れられない世界の潮流ではあったが、列強の軍事的威圧下で幕府が不利な通商条約を結んだことで、日本中に燎原の火のごとく広がったのが「攘夷運動」。

しかも当時の朝廷内で、徳川政権の「弱腰外交」を非難する勢力が台頭する。この状況を「好機」ととらえたのが、「関が原の戦い」敗北以降、幕府への怨念を抱き続けてきた長州藩。「これ幸い」と朝廷の攘夷派公卿たちを取り込み、討幕運動を始めた。ただ、長州藩の「闘士」たちは私怨を旗印に倒幕運動を展開できるほどの戦力は持っていない。討幕の「同志」を募るためには、大義名分になりうる旗印を立てる必要があった。で、長州藩の「闘士」たちが利用したのが当時の「攘夷」ブームだったというわけ。

が、攘夷運動のリーダーになるには、攘夷の実績を作る必要があった。そのための「攘夷」行動が、1963年5月に田浦港に停泊していた非武装の米商船ペングローブ号に対する一方的な砲撃だった。ペングローブ号は逃げて無傷だったが、これを戦果と喧伝して意気を高めた討幕派藩士たちは、続いて仏キャンシャン号、蘭メデューサ号にも砲撃、さらに下関海峡を閉鎖した。徳川幕府は長州藩を叱責したが、それではことは収まらず、英が米仏蘭に働きかけて四国連合艦隊を結成、長州軍を攻撃して撃破、倒幕闘士たちはいったん下野する。

下関戦争には敗れたが、この戦いで一躍長州藩は「攘夷運動」のリーダー的地位の確立には成功した。長州藩の倒幕闘士たちが、ホンモノの「攘夷派」だったとは、私は思っていない。

実は「攘夷運動」ではなかったが、下関戦争の前に薩摩藩が生麦事件をきっかけにイギリスと戦争して大敗している。が、薩摩藩は薩英戦争を契機に、逆にイギリスと友好関係を構築して若手藩士をイギリスに留学させるなど、近代産業育成と軍事近代化政策を進めた「開国派」だった。政権構想については「王政復古」(尊王)ではなく「公武合体」主義だった。実際、薩摩藩の実権を当時握っていた「公武合体派」は、攘夷派藩士を京都・寺田屋で襲撃している(寺田屋事件)。

政権構想で相反する立ち位置にあった薩長間を調停して同盟関係に導いたのは坂本龍馬だというのが司馬遼太郎説だが、その詮索はこの稿ではしない。

もともと「ホンモノ」攘夷派ではなかった長州の討幕派だったから、薩摩と同盟関係を結ぶについて、倒幕の旗印にしていた「攘夷」を放棄し、一方、「攘夷」を放棄した長州に配慮して「公武合体」の旗印を降ろして「尊王」に藩政方針を転換したのが薩摩、というのが私の論理的結論。私は歴史学者ではないので、この説を唱える歴史学者がいるか否かは知らないが、おそらく「新説」ではないかと自負している。

少なくとも、そういう歴史認識に立たないと、明治維新が実現した途端、維新実現の最大のエネルギーだった「攘夷」が煙のように消えた合理的理由が説明できないはずだ。そして成立した新政府が最大の国家政策として掲げた「殖産興業・富国強兵」政策が、その後の日本の運命を左右することになった経緯も理解できない。

ただ、明治新政府が「開国&産業・軍事の近代化」政策を進め、徳川幕府が列強と締結した不平等条約を改定しうる、列強に伍する近代化を進めるための資金力は、新政府の実権を握った薩長にはなかった。で、国民から広く浅く資金を集める必要があった。

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、その役割を担ったのが渋沢栄一だと解釈したようだが、彼が創設した「国立第一銀行」ははっきり言えば詐称である。もし、渋沢が銀行を現在の東京都国立(くにたち)市で創業したのであれば、「こくりつ」ではなく「くにたち」銀行であるべきだが、事実は違う。

渋沢が日本の産業近代化に貢献したことまでは否定しないが、そのための資金集めをした「国立第一銀行」は実際には「こくりつ」ではなく、私企業(株式会社)である。ただ、信用力に乏しい私企業の金融機関に「命の次に(人によっては命より)大切なカネ」を預けるもの好きはそうはいない。で、「国立」の名を冠して箔付けしたというのが真実。実際に政府の手足となって近代化政策を進めるための資金集めに最大の功績があったのは「日本資本主義の父」渋沢ではなく、日本全国に郵便局のネットワークを構築し、郵便貯金で庶民から広く浅く資金を集めた「日本郵便の父」前島密である。

ま、『青天を衝け』はドラマだから史実に必ずしも正確でなくてもいいと思うが、史実をドラマ化する場合、ちょっといかがかと思った次第。

この際、私的憤りを書かせていただくと、駒澤大学の名誉教授が始めた小さなズーム勉強会に私も誘われたことがある(今は脱会した)。その会で私が日本の金融機関が果たしてきた役割(正も負も)をお話ししたとき、「面白いから電子出版しないか。印税収入はそんなに期待できないが、電子出版社を知っているから書いてみないか」とのお誘いを受けたことがある。で、かなりの日数を割いて3万字に及ぶ原稿を書いてメール送信したが、なしのつぶて。ズーム勉強会のとき、「どうなっているか」と尋ねたところ、「お金はいくら出せる?」と言う。「金まで出して電子出版するつもりはない」というと、氏はダメダメと手を横に振って「小林さんは何十冊も書いているから名前を売り出す必要はないよね」ときた。それだけでなく、他のメンバーに対しても「お金を用意できるなら、電子出版してあげるよ」と誘っていた。旧統一教会ほどのあこぎさとまでは言わないが、ビジネスの悪質性としては五十歩百歩だ。せちがらい世の中になったものだ。

いずれにせよ、明治政府が徳川幕府の「負のレガシー」である列強との不平等条約の解消・改定を目指さざるを得なかったことが、その後の日本がたどった軍国主義への道の露払いをすることになった。具体的には、欧米列強に侵食されながらも、近代化への道を歩もうとしなかった「弱体大国」清との戦争、さらに日清戦争で獲得した利権防衛のために始めた強国ロシアとの戦争での「勝利」に酔ってしまったことが「神国神話」の国民への浸透につながり、ついには無謀な「先の大戦」に突き進む結果を生んだと考えている。

こういう歴史認識を論理的思考の基準に据えないと、「歴史は二度繰り返す」ことになりかねない。いまの世論の動向を見るとき、私はそういう危惧を持たざるを得ない。(27日記す)

 

  • プラザ合意で円は2年で倍に高騰したのに日本経済が失速しなかった

私の自称代表作である『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』(1992年刊。なお売れたという意味ではない)に詳しいが、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米独英仏の主要5か国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、「円買いドル売り、マルク買いドル売り」への協調介入を決めた。

その背景は、82年に発足した米レーガン政権が、前大統領カーターの「負のレガシー」であるインフレ抑制のために行った経済政策「レーガノミクス」(超高金利20%台)によってインフレは終息させ

たが、振り子の針が振れすぎて深刻なデフレ不況に突入したため為替市場でドル高が急速に進んで膨大な貿易赤字に苦しむ。かくして米産業界の国際競争力が低下したことが、レーガンが他の主要国に為替操作の協調介入を求めた最大の理由。ちなみにレーガンの高金利政策になぞらえて真逆の超低金利政策でデフレ不況からの脱却を目指したアベノミクスが、なぜ「レーガノミクス」と比喩されたのか、私には理解できない。

アメリカ産業界がこの時期疲弊した理由はもう一つある。レーガンは、「強いアメリカの再生」をスローガンに大統領選で大勝利を収めたのだが、その公約を実現するために旧ソ連に対して猛烈な軍拡競争を仕掛けた。その結果、ソ連邦は崩壊し西側の勝利をもたらしたのだが、アメリカは軍拡競争による財政赤字に陥り(85年、アメリカは史上初めて債務超過国に転落した)、アメリカは「財政赤字と貿易赤字の双子の赤字」に陥る。

「自分が勝手にまいた種」といえなくもないが、ソ連邦を崩壊させたレーガン政策に他の主要国が負い目を感じたのか、プラザ合意でドル売りの協調介入が決まった。ドル売りの対象通貨は当時アメリカの貿易赤字に「寄与」した日本とドイツの法定通貨である。つまり「円買いドル売り」「マルク買いドル売り」の流れが為替市場を覆う。その結果、2年後の87年には円は85年当時の240円台から2倍の120円台へと一気に高騰した。

常識的に考えれば、輸出産業で稼ぎまくっていた日本産業界は大打撃を受けて失速するはずだが、そうはならなかった。「円が強いことは良いことだ」というバカげた経済論をぶつエコノミストも続出したが、その後も日本経済は成長を続けてバブル景気に突入し、さらにアメリカを怒らせて89年9月から翌90年6月にかけてのロングラン交渉「日米構造協議」になだれ込む。バブル景気を崩壊させた一因でもある。

ウクライナ戦争が始まって以降、エネルギー源の石油や天然ガスの供給不足による価格高騰、ヨーロッパの「穀倉」ウクライナの小麦の輸出減や世界的気候変動による食料品の高騰をきっかけに世界中でのインフレ促進と、主要国のインフレ対策としての金融引き締めにもかかわらず、かたくなに金融緩和政策を続ける日銀アベノミクス継続で生じた「円安不況」を、プラザ合意の危機を乗り越えた日本がなぜ乗り越えることが不可能なのかの検証を行う。

 

  • NHK特集『世界の中の日本――アメリカからの警告』が与えたショック

プラザ合意で円が2年で2倍に高騰するということは、いまだったらおよそ想像を絶するほどの事態だ。かなり知的レベルが高い私のブログ読者なら、とっくにご承知のはずだが、単純に考えれば円が倍になれば輸出競争力は半減し、一方輸入品価格は半値になるはず。実は、この為替のからくりが、円高騰の中で日本経済の成長力が衰えなかった要因の一つである。

実際には日本の自動車や電機など輸出産業は、この円高で悲鳴を上げた時期もあった(短期間ではあったが)。が、その後の「日米経済摩擦の最大の原因」になり、米産業界から猛烈な「ジャパン・バッシング」を受けることになるのだが、日本の自動車や電機メーカーはどうやってこの苦境を乗り越えたのか~

ダンピング輸出によって輸出量(つまり生産量も)を維持しようとしたのだ。

プラザ合意の翌年、86年4月26日(土)から3日間、ゴールデンウィークの幕開けにNHKは連続で、しかもゴールデンタイムに通常の放送時間枠の1回45分をはるかに超える26日1時間45分、27日1時間30分、28日にはNH9をはさむ2部構成で2時間45分の3夜で計5時間25分という空前絶後のドキュメント番組を『NHK特集』(現NHKスペシャル)として放送したことがある。このコンテンツのタイトルは『世界の中の日本――アメリカからの警告』で、キャスターはのちに都知事選に立候補した磯村尚徳氏が務めた。ゴールデンウィークのゴールデンタイムでの長時間ドキュメント番組は、『N特』スタッフにも予想外の視聴率を稼ぎ、強烈な反響があったという。

この番組について書いた『NHK特集を読む』(88年刊)での冒頭で私はこう書いている。

 

放送の最終回、視聴者の反応として「経済大国というが一体どこの国の話だ、私たち庶民には豊かさの実感がない」「アメリカ人に勝手なことを言わせるな」「働きすぎだから休めというが、そうはいかないよ、給料も減るからねぇ」「NHKともあろうものが、こんな屈辱的番組を作るとは何事か」といった声が上がったことを率直に伝えたほどである。が、一方では「日本の現実をよく見ている」「アメリカが日本にこれほど怒っているとは知らなかった、認識を新たにした」といった反応が、3夜合わせて1000件を超えた電話の多数を占めた。

 

このコンテンツの制作動機は、ピューリッツァ賞を受賞した米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイトがニューヨーク・タイムズ『日曜版』のカバー・ストーリーに書いた「日本からの危機」にあった。

「第2次世界大戦後45年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体しつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種に過ぎないのか、それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだかは、今後10年以内に立証されよう。その時になって初めて第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう」

このホワイト論文に衝撃を受けたのは日本経済界の重鎮たちだった。当時すでに米議会では過激な日本批判をする議員も少なくなかったし、デトロイトの自動車メーカーの従業員が日本車をハンマーで叩き壊すシーンをテレビ局が放映したり、円高にもかかわらず日本製品がアメリカ市場を席巻する状況にいら立ちを募らせるアメリカ人が少なくないことは日本でも知る人ぞ知る状況だったが、良識的で、かつ親日家としても知られていたホワイトまでもが、こうした日本に対する警戒心を強めるようになったことが、日本の財界人に与えた衝撃は大きかった。「いったい日本の何が、そこまでアメリカを怒らせたのか」という問題意識を深堀したいというのが、この大型番組制作の動機だった。

この番組が大方の高い評価を得たことは認めつつも、私は違和感も抱いた。磯村氏の判断だったのか、プロジューサー、ディレクターなど制作スタッフの思い込みだったかは知らないが、自動車、電機などの輸出メーカーは被害者だという認識が背景に濃厚にあったと思わざるを得なかったからだ。

実は同書の執筆の少し前、私は総合雑誌の編集長にトヨタか松下(現パナソニック)のトップへのインタビューを依頼し、応じてくれた松下・谷井社長とのインタビュー記事を発表していた。私の餌食になった谷井氏には気の毒だったが、私が追及した質問のさわりを引用する。

 

「円はこの3年近くの間(※プラザ合意以降の)ほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。

どうして10%や20%の値上げに抑えることができたのかと聞くと、メーカーは合理化努力の結果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないのです」

「(昭和)60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意(※「プラザ合意」)した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。

議論としては、「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。それなら堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです」

「アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どっちみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。

それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当たり前です」

私は輸出メーカーが円高の加害者になった最大の理由はシェア至上主義的体質にあると考えているが、この体質を脱皮しない限り、日本の企業の国際化はホンモノにならないであろう。そうした視点が、これまでの「世界の中の日本」シリーズには残念ながら欠落していることだけを指摘しておこう。

 

私のやり玉の標的にされた谷井氏には気の毒だったが、同書はメディアの「書評」欄で高く評価していただいた。同書はベストセラーになるほどではなかったが、3版まで重ねた。天下の松下電器のトップに、これだけ手厳しい批判を浴びせる矜持のあるジャーナリストが、今いるだろうか。

ただ総合雑誌は新聞と同様、収入源の多くを広告収入に依存している。10ページに及ぶこのインタビュー記事を、手を一切入れずに掲載してくれた編集長は気の毒に左遷された。申し訳なかったという思いは、いまも残っている。が、私がロイアリティを抱く対象は、取材対象でもなければ編集者でもない。著書にせよ雑誌記事にせよ、私の駄文を熱心に読んでくださる読者である。その姿勢だけは、ブログ執筆でも貫いている。(28日記す)

 

  • 「プラザ合意」ショックを日本が乗り切れた本当の理由

谷井氏へのインタビューのさわりは『忠臣蔵と西部劇』にも転載したが、この時点では超円高危機を日本企業が乗り越えられた本当の理由には私はまだ気づいていなかった。そのことへの理解が及んだのは、日産自動車が最高経営者にブラジル出身の「経営再建請負人」のカルロス・ゴーンを招いて血も涙もない大リストラでスリム化を実現したこと、また液晶テレビへの過剰設備投資が失敗して世界最大の製造業受託業の鴻海(ほんはい)精密工業(台湾)に会社ごと身売りして経営再建を成し遂げたこと、さらにはアベノミクスと称するデフレ脱却経済政策が失敗することの分析・解明による。

実はコロナ前、サービス業を中心に日本企業は空前の人手不足にあえいでいた。当時はまだバブル崩壊後の「失われた20年」時代で、アベノミクスへの期待も大きかった。アベノミクスの失敗が鮮明になるにつれ、失われた期間は20年から30年に延び、さらに40年、50年と続くのではないかと懸念されている。なぜか。実は日本特有の正規社員に対する「雇用形態」が、バブル崩壊後の経済停滞の根本的原因なのだ。

日本企業の伝統的雇用形態は、言うまでもなく「年功序列・終身雇用」である。高度経済成長期以降、日本では長く、転職はマイナス要因とされてきた。犯罪やカバーできないほどの不利益を会社に与えない限り、身分や給与は年功序列でアップし、会社が倒産でもしない限り職を失うことはない、と企業も従業員も信じ込んできた。その「思い込み」がいとも簡単に崩れ去ったのは、バブル崩壊とリーマン・ショックによる長い経済停滞期に日本が突入した結果である。企業は正規社員の新規採用を手控えるようになり、派遣や非正規雇用が急増した。正規社員も「年功序列・終身雇用」に胡坐をかいていられない状況になった。

現パナソニックが「従来の給与体系を望むか、それとも退職金の前払いで初任給アップを希望するか」の選択を新卒社員にゆだねたところ、「退職金前払い」を要求する新卒社員が圧倒的多数を占め、この制度をすぐ撤回したことがある。

高度経済成長期時代、日本企業の会社に対する社員のロイヤリティの高さがアメリカ企業でもうらやましがられて、『エクセレント・カンパニー』と題した、日本型経営に似た雇用形態を採用していた大企業(IBMやGM、ゼロックスなど)の経営を紹介した本がアメリカでも日本でもベストセラーになって話題を呼んだことがあったが、私は『忠臣蔵と西部劇』で日本とアメリカでは「ロイヤリティの対象が違うだけ」と書いたことがある。

日本では人事権を人事部が掌握しているのに対して、アメリカ企業には日本のような人事制度はなく、部下の採用や待遇、馘首の権限まで「ボス」が掌握している。人事部が人事権を掌握している日本企業の場合は社員のロイヤリティの対象は会社という組織になるが、「ボス」が人事権を掌握しているアメリカでは部下のロイヤリティの対象が直属の上司になるのは当たり前の話。『エクセレント・カンパニー』が取り上げた大企業の場合、成長を遂げていたため結果として年功序列的に見える状況が生まれていただけだ。

なお、日ハムの新庄監督が就任時、選手やメディアに「ビッグボス」と呼ぶことを強要したのは、MLBの経験がある新庄は、アメリカでは監督が現場の絶対的権限を行使できることから、日ハムでもそうした権限を要求した結果だ。

シャープや日産の場合、経営再建の手段として日本型雇用形態に縛られない外国企業に会社ごと身売りしたり、外国人経営者に経営権をゆだねる手法で血も涙もない大リストラに踏み切るため。社員の大リストラを避けようとして自力再建を目指している東芝が、ますます苦境に陥っているのはそのせいだ。

つまりバブル崩壊以降、日本企業が正規社員の雇用を手控え、どうしても必要な業務には非正規雇用や派遣社員を充てるようにしたのも、「年功序列・終身雇用」の束縛から逃れるためだ。そうした時代を反映して経団連などが、正規社員の身分保障を強く定めた労基法の改正を求め、「日本型雇用形態の終焉」を声高に言い出しているのも、そうした事情による。

はっきり書く。日本経済が成長を続けていた時代は、消費者の需要が供給量を上回る需給関係が継続し、需要の増加に対応すべく企業も設備投資に積極的だった。が、医療技術の進歩や食生活の向上、核家族化による高齢者の健康志向などによる高齢化社会の進行、さらには女性の高学歴化とそれに伴う女性の自立志向の高まりなどによる少子化によって、需要層が激減したのがデフレ不況の原因だ。これは日本だけの特異な現象ではなく、世界中の先進国や発展途上国(所得水準が比較的高い国)に共通した現象であり、アベノミクスによる円安誘導で輸出競争力を高めても海外の需要増に直結しなかったというわけ

そのうえ日本企業には年功序列型「昇進昇給制度」は徐々に崩壊しつつあるが、正規社員保護を重視した「終身雇用」制度は維持されたまま。いいか悪いかは別にして、この制度が企業の手かせ足かせになって、目先の需要増に応えるための設備投資活発化はかえってリスクの増大を意味するため、円高時のダンピング輸出とは正反対の理由に基づく輸出量維持のために輸出先価格を据え置いて為替差益を増加させたのが今の日本企業経営の実態。アベノミクスによる輸出製品の競争力アップにもかかわらず企業がなかなか設備投資に踏み切らなかったのはそのせい。

いま自動車産業界では設備投資ラッシュになっているが、これはアベノミクス効果によるのではなく、たまたま地球温暖化対策SDGsの潮流で電気自動車が人気化しつつあり、他業界からの参入も相次ぐ状況下での設備投資ラッシュに過ぎない。裾野が広い自動車産業は、日本でも基幹産業のため景気のけん引力は大きいが、それでも景気回復への機関車的役割を期待するのは困難。

実際、国土が広く人口が分散していて自動車が生活必需品であるアメリカでも、トランプ前大統領が米自動車産業再建のために自動車及び関連製品などに高率関税を課して自動車産業を保護しようとしたが、米最大手のGMが国内4工場を閉鎖してトランプを激怒させた。が、GM側は、「輸入原材料や部品の価格が高騰し、コストアップ分を製品価格に反映させたらアメリカ国民の購買力の限界を超える。苦渋の決断だが、工場を閉鎖して供給量を抑えるしかない」と猛反発した。こうした大リストラが、日本の正規社員に対する保護政策のために日本では不可能。安倍元総理がいくら笛を吹いても、メーカーが踊ろうとしなかったのは、そのせい。

翻って日米経済摩擦が激化していた時期、日本企業が円高分を輸出価格に反映しようとせず、ダンピング輸出せざるを得なかった根本的理由も、社員のリストラを伴う生産量の削減が不可能で、赤字輸出のツケを国内消費者に付け回したのが真相。たまたま、その時期は国内消費がまだ活発で、赤字輸出による減益分を国内消費でカバーできたからだ

日銀が超円安状況化にもかかわらず、金融引き締めに政策転換できない理由の一つは、円安に歯止めをかけたところで国内消費が回復しそうにないと見極めているためだ。

そしてもう一つの要因は、金融引き締めで金利を上昇させると、MMT理論を信奉し続けた「リフレ派」の主導による国債乱発のツケの、次世代への先送りが不可能になり、下手をするとギリシャのように国家財政が破綻しかねないからだ。(29日記す)

 

  • 超円安下でMMT理論が破綻した理由

簡単に経済用語について説明しておく。この稿の小見出しに使った「MMT」とは、独自通貨を発行している国はいくら国債を発行しても、過度のインフレにならない限り財政破綻することはない、という積極財政論。比較的最近(といっても、第2次安倍政権初期のころ)米経済学者が言い出しっぺの経済政策で、アベノミクスの経済政策を「成功例」と持ち上げたことがある。

1種の「ねずみ講(無限連鎖)」とも言えなくはない経済理論で、発行済みの国債の償還期限が来たら、償還分に相当する新規国債をまた発行すれば財政破綻することはないという「自転車操業経済政策」。国家財政がギリシャのように破綻しなければ、理論上は成り立つが…。

赤字国債を「国民財産の増加」と、バカげた解釈をする自称「経済学者」もいるが、国債は返済義務を負う国(政府)の借金。「借金がなぜ財産なのか」そういう解釈をする人の頭を疑う。「財産」は自分の所有物であり、返済義務はない。返済義務を伴わない借金ができるなら、自己破産する人は皆無になる。もっとも個々人に通貨発行権利はないけど、しかしそれに近い金融資産として流通しているのが「仮想通貨(暗号資産)」で、少なくとも日本では商取引の決済手段としてはほぼ使えない。ま、ネット上で売買されている、ポケモンなどネットゲームのアイテムのようなものと理解するのが正解。

アベノミクスの効果については賛否いろいろあるので、この稿であまり立ち入るつもりはないが、一時株価が上昇したことは確かだが、そもそも「株価上昇」がアベノミクスの目的ではない。デフレ脱却による消費者物価2%上昇が目的で、目標達成はウクライナ戦争による超インフレ到来まで全くなかった。MMTを提唱した米経済学者は、何を根拠に日本を成功例にしたのか、摩訶不思議。まさか、株投資家の儲けを根拠にしたわけではないと思うが…。

このMMTを信奉したのが「リフレ派」といわれる日銀・黒田総裁一派。「無制限に国債買い入れ」を公言し、「ゼロ金利政策」を、今も続けている。リフレ派とは、金融緩和政策によって適度なインフレを生じさせるという経済論を重視する人たちのこと。「適度」のインフレ率の数値(消費者物価上昇率)は時代背景によって異なるが、ウクライナ紛争が始まる以前は米FRB パウエル議長も日銀・黒田総裁も2%上昇を目標数値にしていた。トランプ時代、アメリカはほぼ目標数値を達成していたが、トランプはさらなるインフレにしたかったようで、パウエルに金融緩和圧力をかけ続けていた。

ここで私が提起したいのは、近代マクロ経済学の「常識」がもはや通用しない時代を、人類は迎えているのではないかという問題意識である。ケインズも、またケインズに続くマクロ経済学者たちも、先進国や発展途上中の経済成長を遂げつつある国も、「少子化」(合計特殊出生率が減少すること)時代が全世界的規模で進行することなど、まったく想定すらしていなかったのだ。

言うまでもなく、インフレによる経済成長が可能になるのは、人口が増え続けることによる需給関係が逼迫することを前提に構築された理論である。「少子化」とほぼ同時に進行している「高齢化」によって、これまでは人口減少はそれほど目立たなかったが、ついに死亡率が出生率を上回る時代に突入し、人口減が誰の目にも明らかになるようになった。

この事態に私が警鐘を鳴らしだしたのは、結果が明らかになりつつある昨今ではない。アベノミクスに対する批判、MMTが日本でも話題になりだした時期にブログで書いている。だから「結果論」で書いているのではない。私自身の名誉のために書いておく。

さらに言うまでもなく、消費者物価は需給関係によって上下する。この大原則だけは少子高齢化社会になっても変わらない。需給関係は、需要の増減と供給の増減をもろに反映する。たとえ人口が減少しなくても、消費量が少なくなる高齢者が増え、消費需要の中核である若い人たちや現役世代の人口が減少すれば、消費市場は減少しデフレが進行する。また格差拡大が進み、人口減にならなくても、消費したくてもできない低所得層の占める割合が増大したら消費市場は縮小してデフレになる。

こんな基本的なことを理解できないのが、いまの「リフレ派」なのだ。日本も含めて、先進国や経済成長を続けている発展途上国は、「少子化」による人口減と格差拡大による消費市場の縮小というダブル・パンチを受けているさなかだ。そういう時期にいくら金融緩和しても、少子化に歯止めがかかるわけがないし、低所得層は金融緩和の恩恵とは永遠に無縁だ。金融緩和によって消費市場が回復するという幻想が、「夢のまた夢」でしかないことが、さすがに「リフレ派」の方たちにもご理解いただけたのでは…。

需要を拡大して消費者物価を「適度」な水準に引き上げるには、消費市場を拡大するしかない。消費市場を拡大する方法は、これまた合計特殊出生率の向上と、格差是正以外に打つ手はない。

 

また長い記事になった。書くほうも疲れたが、読んでいただいた方たちもお疲れになったと思う。

私に批判や反論があれば、どしどし「コメント」をお寄せいただきたい。罵詈雑言の類以外は削除しないし、私も誠意をもってお答えする。(30日記す)

 

【追記】 10月2日(日)のNHK『日曜討論』は、翌日10月3日から始まる臨時国会に向けて「旧統一教会と政治の関係」「インフレ対策の経済政策」「安全保障」の3つをテーマにした与野党の政調会長クラスによる議論だった。あえて無意味だったとは言わないが、米中覇権争いが激化しつつある今日、「日中国交回復50周年」を迎えて日本の対中外交政策が問われているにもかかわらず、その問題はパス。あいも変わらず、与野党議員の「対策」は対症療法に終始した。私はNHKに抗議したが、問題は与野党議員の無能さではなく、討論を仕切ったNHKの司会者(キャスター)の無能さにある。

ただ順繰りに発言機会を与野党議員に割り振ることしか考えていないキャスター。旧統一教会問題の「悩ましさ」や、「敵の味方は相手国から敵視され、かえって安全保障上のリスクを高めるだけ」という私の問題意識は既にブログで提起したので、あえて触れないが、討論の大半の時間を割いた「経済対策」についての議論を深めるべきキャスターの資質を、私は厳しくNHKに電話で批判した。その要点は以下の通り。

 

インフレ対策は賞味期限切れのマクロ経済理論では克服できない。インフレかデフレかの経済状況は言うまでもなく「需給関係」のバランスが崩れた結果である。

従来のケインズ以降の「マクロ経済理論」は、金融政策によって需給バランスの回復を図ることを重視している。が、この理論の限界は需要人口の減少という事態を全く想定していないことに基づく。いま生じているのは、本文でも書いたように、世界的規模での「需要層人口の減少」という事態だ。

その原因は二つある。一つは「少子高齢化」。女性の高学歴化に伴う「社会が女性の能力の活用を求めるようになったこと」また「女性の価値観も、家庭や子育てより社会での自己実現を重視する自立に重点を移しつつあること」に原因があり、はっきり言えば合計特殊出生率を政策によって回復することは不可能という現実を踏まえ、その中で需要減少による需給バランスの崩れをいかに軟着陸させるかが重要な課題。

少子化現象によって需要人口の減少は避けようもなく、一方高齢化現象によって人口減はあまり目立たなかったが、高齢者の消費活動は年齢とともに減少する。にもかかわらず、金融庁が「年金生活維持のためには定年時2000万円の金融資産が必要」といったバカげた試算を発表したため、現役世代も消費より貯蓄を重視するようになったことが消費活動の停滞を招いている。

私はかつて金融庁に「2000万円必要の計算方法」を質問したことがあり、その内容は既にブログで書いたが、「夫65歳、専業主婦60歳で定年生活に入り、その後30年生きるとして、厚生年金だけでは不足する生活費を算出した」ということだった。確かに定年退職直後は、現役時代の付き合いも多少継続するし、夫婦での旅行や外食機会も増えるので、年金収入だけでは赤字になるだろうが、そういう生活が30年間続くという発想が官僚らしいと言えば言えなくもないが、そんなことはあり得ない。私自身の生活体験からすると、たぶん70年代に入れば支出は大幅に減少し、70年代半ば以降は「黒字生活」に入る(大病でもした場合は別)。定年退職時に2000万円の金融資産があれば、30年後にはかなりの金融資産が残るはず。そのことを金融庁の担当者に指摘したら「ご指摘の通りだと思います」と言ったが、試算の見直しや訂正はしていない。メディアも金融庁のアホな試算に気づいていない。

したがって、近代マクロ経済理論が前提としてきた「人口減はあり得ない」という状況が崩れてきたという認識で新たなマクロ経済理論を構築する必要があるのだが、そういう問題意識が『日曜討論』の司会キャスターには皆無だったことが一つ。

もう一つは、格差の拡大が進んでいることが需給バランスの崩壊につながっているという認識の欠如。

高度経済成長時代、日本人の大半が「中流」意識を持っていた。欲しいものがたくさんあり、消費意欲が高まって経済が活発だった時代のことだ。3C(カー・クラー・カラーテレビ)が日本経済の機関車的役割を果たした時代のこと。いま消費意欲を掻き立てるものは何もない。かつ、消費活動の中核をなす現役世代の可処分所得は30年間増えていない。

そういう時代に「経済成長至上主義」の経済政策を志向したのが「アベノミクス」。だから失敗するのは当たり前。消費活動が停滞すればデフレ経済になるのは、それも当たり前。この難問に向き合うには、「経済成長至上主義」を捨てて、いかに軟着陸させるかに経済政策の重点を置かなければならない。そして軟着陸させるには、中間所得層人口の減少に歯止めをかけ、かつ中間所得層の可処分所得を増やすしかない。そのためには、大胆な税制改革が必要になる。

大企業の内部留保が増加している理由については本文で書いたが、内部留保は法人所得税を納めた後に残った資産。それに課税しろという乱暴な主張も垣間見るが、私たち個人が納税後の貯蓄に課税しろというに等しい乱暴な考え。そんなことができるわけがない。

方法は一つしかない。法人税をアップして、「税金で持っていかれるくらいなら有能な人材の給与を増やして将来に備えたほうが得」という空気を経済界に作ること。もう一つは日本の高度経済成長を支えた超累進課税制度の復活によって可処分所得を高額所得層から中間所得層に移すこと。消費税導入前の最高税率80%というシャウプ税制まで戻せとまではさすがに言わないが、せめて今の最高税率(住民税を含む)を50%から60-65%程度まで引き上げても罰は当たらない。

そういう問題意識をもって、経済対策を与野党議員に問うのがキャスターの資格条件。が、そんな認識のかけらすらないのが高給取りのNHK高級職員。私を『日曜討論』の司会キャスターにしろ~ (10月2日記す)

 

【緊急追記】 4日午前7時22分頃、北朝鮮が津軽海峡上空を通過する弾道ミサイル(ICBM)を発射、太平洋上に落下したようだ、と報道された。

メディアや政府にとって衝撃だったのは、ミサイル発射の兆候をキャッチできなかったことらしいが、「核実験準備」については韓国が情報を出していたので、ミサイル発射の兆候をアメリカも韓国も日本もキャッチできなかったというのは問題ではある。

日本上空を通過した北朝鮮のミサイル発射は2017年以来だが、この時は「モリカケ疑惑」が浮上して安倍内閣支持率が急降下したときの、北朝鮮による安倍内閣への棚ボタ的「援護射撃」になった。

実際、安倍総理(当時)は総理の専権である衆院解散を行い、「国難突破」を掲げて選挙で大勝した。いま自民党と旧統一教会の「腐れ縁」の根深さが洗い出されて内閣支持率が急降下している岸田内閣だが、安倍氏の手法を繰り返すことは難しい。

もちろん、北朝鮮の挑発行為は断じて許すことはできないし、これまで繰り返してきた「遺憾の意」表明で済まされる事態ではないことを前提に、北の挑発を誘導したのは日本でもなければ韓国でもなく、アメリカだという事実も冷静に見ておく必要がある。

米レーガン政権時代、前大統領のカーターの経済政策(超金融緩和)の副作用である超インフレ対策としての金融引き締め策(レーガノミクス)が有名だが、本稿で指摘したように旧ソ連に対する軍拡競争で旧ソ連を解体したとき、北朝鮮にも過度の敵視政策を発動して「悪の枢軸」「テロ支援国家」と根拠がない糾弾を行って北を挑発し続けたことが、北の挑発行動の口実を与えたことも私たちは忘れてはならない。

いま現にロシア・プーチンによって、核を持たない国が核の脅威にさらされているという現実を目の前にしている時、「核の傘」の保護下にない北が自国防衛のための核ミサイル開発・実験に血道を上げている状況を作り出したのはアメリカだという事実も直視する必要がある。日本が、そういうアメリカの「核の傘」に守られているという幻想を問うことは置いておくが、東側の「核の脅威」をいたずらに煽って、日本が「抑止力強化」に奔走する危険性だけは改めて指摘しておきたい。

日本が軍事予算をGDP比2%に引き上げても、北朝鮮への「抑止力」はともかく、中国やロシアに対する「抑止力」には到底なりえない。「抑止力」は仮想敵国の軍事力に対抗できるだけの軍事力がなければ意味をなさないし、中ロに対抗できる軍事力を日本が有するためには、GDPのすべてを注ぎ込むくらい軍事力強化に狂奔しなければ不可能。そんなことを国民が容認するような状況には日本はない。

何度も繰り返し書いてきたが、日本という国が置かれている地政学的ポジションからも、最高の安全保障策は対立軸の片方に軸足を置き続けるのではなく、外交努力によって「敵国」を作らないことだ。

その点、「外交の賢さ」に私自身、日本は学ぶべきと思っているのがインド。「八方美人」的360度外交で、「敵を作らず、あらゆる体制の国との友好関係」を構築している。

日本にとって最大の友好国がアメリカであることまでもは私も否定しないが、アメリカの覇権政策に日本が肩入れするのはリスクの増大しか意味しない。「敵の敵は味方」だが、同時に「敵の味方は敵」でもあり、万が一米中、米北が軍事衝突に及んだ時、旗色を鮮明にしすぎていると火の粉を被る。「アメリカとの心中なら本望」などと考えている政治家もいるようだが、私たち庶民には「有難迷惑」にもならない。

繰り返す。日本にとって最高の安全保障策は「敵国を作らないこと」である。(4日記す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ケインズ経済理論は消費期限切れか~金融政策では、デフレもインフレも克服できない、これだけの理由

2022-10-03 02:22:23 | Weblog

 

お約束の「なぜ円安が止まらないのか」について書く。このテーマについて書くことはすでに9月23日には決めていた。というより、前回のブログ原稿のこの個所は23日には書き終えていた。

政府・日銀が22日、急落する円を買い支えるために為替介入することを発表、米財務省がすぐ反応し「日本の行動は理解するが、アメリカは協調介入しない」とコメントした。私はヤフコメ(ヤフーが提供するニュースへのコメント)でこう書いた。

「為替介入という「伝家の宝刀」が竹光ではね~ 一時的に円は高騰したが、すでに反落が始まっている。 今週中には「元の木阿弥」に戻る。 為替介入は、投資ファンドに金儲けの「千載一遇のチャンス」を提供しただけ。なぜなら、為替市場で動いているカネは、日本の国家予算をはるかに上回る規模。日銀に、投資ファンドに逆らえるだけの資金力はない」(※「元の木阿弥」に戻ったのは翌週だったが…)。

さらに24日、ヤフーニュースで立憲・蓮舫氏が「為替介入するならアベノミクスの見直しが必要」と主張したことを知り、ヤフコメにこう書いた。

「いま、マクロ経済学の有効性が問われています。 アメリカはFRBのパウエル議長がインフレ退治のために金利を上昇させていますが、金利政策には逆効果もあります。 パウエルの期待は、金利の上昇によって需要を抑え、需給関係を供給過多にすることです。つまりデフレ政策です。 が、金利を上昇させればメーカーや流通業者のコストが跳ね上がります。そのコスト増を価格に反映したらインフレが加速します。 アベノミクスのデフレ対策は金融緩和によるインフレ政策ですが、消費が伸びなければ効果は半減します。「老後生活2000万円必要」論などもあって、消費者の買い控えがかえって進み、金融緩和効果が生じていません。アベノミクスではデフレを退治できませんでした。 皮肉なことに、その結果、日本のインフレ率は欧米に比して少ないのです。マクロ経済学の「け」の字も知らない連邦氏の「一言いいたい」姿勢の失態です」

米FRBはウクライナ戦争による急速なインフレを抑え込むために、政策金利(日本の「公定歩合」)の0.75%アップを3回立て続けに行った。計2.25%ものアップだ。この記事を書いている25日現在、このパウエル・バズーカ砲でインフレ退治ができるかどうかはまだわからないが、私は難しいと思っている。(なお、この記事をアップする時点で私の予測が外れても、この部分は修正しない。もし外れた場合は、米経済は深刻な大不況に陥るはずだ)。

 

  • 「失われた30年」の検証

実は日本は金融政策で大失態を演じた。バブル退治のための金融政策のことだ。後で検証するが、日本は1980年代半ばから80年代末まで急激な資産バブル(不動産・株式・ゴルフ会員権・絵画など)を経験した。

その結果、庶民には「持ち家」がはるかかなた手が届かないほど高騰し、中間所得層を中心に政府への不満が沸騰した。バブル景気を演出したのは日銀・澄田総裁の超低金利策(金融緩和)と、金儲けのためには節操など全く無視した金融機関による不動産関連融資の拡大だった。バブル景気が最高潮に達したのは89年末で、この年の東証大納会での日経平均は史上最高値の38,915円で引けた。

さすがに行き過ぎた株価高騰に投資家たちが警戒感を抱き始め、株価は90年初頭から下落し始め、10月1日には日経平均が一時2万円割れになった。わずか9か月で半値近くに暴落したのである。ただし資産バブルが一気に崩壊したわけではなく、またバブル崩壊の時期については諸説ある。

 

遅まきながら大蔵省(現財務省)が不動産高騰対策に乗り出したのは1990年3月。銀行など金融機関に対して不動産関連融資抑制の行政指導に乗り出したのだ。「総量規制」がそれで、金融機関に対して融資総額に占める不動産関連融資の比率に上限を設けたのだ。その結果、金融機関や不動産関連企業の株が一気に暴落をはじめ、金融機関は生き残りのために不動産関連融資の引き締めどころか超優良融資先以外の融資先には「貸し渋り」「貸し剝がし」(融資金額の一括返済を迫ること)に血道を上げだした。銀行など金融機関はしばしば「晴れているときに傘を貸し迫り、雨が降り出したら傘を取り上げる」と言われるが、まさに「ユダヤの商法」そこのけの真骨頂をこの時期なりふり構わず発揮した。

さらに89年12月、澄田の後継総裁の地位についた三重野は、就任前3.75%だった公定歩合を4.25%に引き上げ、その後も90年3月5.25%、8月6%と、わずか9か月の間に2.25%もアップした。

大蔵省による「総量規制」と日銀による金融政策のダブル・パンチを受けてバブルは一気に弾け、日本経済は「失われた30年」の時代に突入する(なお、今後も政府が経済成長を目指す政策を続ける限り「失われる期間」はさらに長期化する)。この三重野を「平成の鬼平」と高く評価したのが今やまったく時めいていない自称「経済評論家」の佐高信。佐高は大学卒業後、郷里で高校教師をした後、総会屋系経済紙の『現代ビジョン』で記者・編集長を務め、内橋克人氏に師事して売り出すことに成功した人物だ。彼が「経済評論家」を自称するのは勝手だが、経済理論をどのくらい勉強しているのかは疑問。彼の人物評論にしても、価値基準が「好き嫌い」でしかないようにしか思えない。

三重野が行き過ぎた金融引き締めによって日本経済の息の根を止めたことに、日銀がようやく気づいたのは最後の公定歩合引き上げから1年も経った91年7月。公定歩合を5.5%に引き下げ、さらに11月5%、12月4.5%、92年4月3.75%、7月3.25%、93年2月2.5%、9月1.75%と下げ続けたが、日本経済が息を吹き返すことは二度となかった。なお、佐高は三重野の金融政策転換については何も語っていない。「語っていない」のではなく、語れないのだろう。

経済は生き物と同じ、と私は考えている。がんも早期発見して早期に治療すれば大事に至らずに済むが、全身に転移してから治療を始めても取り返しがつかない。経済動向変化の初期兆候を見抜くためには直近の経済指数ばかり近視眼的に重視していてはだめだ。コロナ・パンデミックとかウクライナ戦争とかの予期し得ない事態は交通事故と同じで初期対策の取りようがないが、世界経済の大きな潮流は気候変動と同様、注意していればわかるはず。

この記事を書いている25日のNHK『日曜討論』は地球温暖化対策について専門家(学者)たちのディスカッション番組だったが、専門分野での知識や見解には耳を傾ける要素があったが、何か「隔靴掻痒」の感じがぬぐえなかった。NHKには感想を電話したが、私が感じた違和感はこういうことだ。

言うまでもなく、地球温暖化対策は喫緊の課題ではある。その大きな要因として化石燃料による二酸化炭素の排出をいかに抑えるかは、全世界的テーマであることは否定しない。が、二酸化炭素が突然一気に急増したとは考えにくいし、地球温暖化も一気に加速することもありえない。だから、今年の全世界的規模の異常気象の要因を二酸化炭素の排出だけ減らせばいいという短絡的結論にはなりえないはずと、私は視聴していて疑問を持った。SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの重要性を否定するつもりは毛頭ないが、今年の異常気象の要因は地球温暖化だけということは論理的にあり得ない。何がいま地球で生じているのか、その変化を見ないと「樹を見て森を語る」議論で終わりかねない。

実はそういった要素が経済動向にもあるのだ。私はとっくの昔から指摘しているのだが(私のアベノミクス批判の原点でもある)、地球的規模で進行している「少子高齢化現象」によって、もはや先進国の先端工業製品輸出中心主義の経済成長時代は終焉した、と私は考えている。そのことを前提に、これからの経済政策を考えないといけないと思う。(25日記す)

 

  • バブル景気を牽引し演出した金融機関の「お行儀」

日本がバブル退治に失敗したのは、経済の動向を見据え時間をかけて軟着陸すべきことを、「胴体着陸」のような強硬手段で短期間にバブルを退治しようとしたことが最大の要因である。言うなら「角を矯めて牛を殺してしまった」のが、当時の大蔵省の「総量規制」と日銀の「金融引き締め」政策だったのだ。

バブル景気華やかな頃は、当時のメガ銀行が不動産関連事業に無節操な融資競争を行っただけでなく、大手デベロッパーの営業すら肩代わりした。

これは私自身が経験したことだが、私の友人から誘われて某メガ銀行主催の仙台1泊旅行に行ったことがある(10人ほどの小規模「団体旅行」だった)。交通費・宿泊代は銀行持ちで支店長自ら案内役を務めた。某銀行が大蔵官僚を接待して社会的に大問題になった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のような派手な接待はなかったし、ホテルでの夕食後に仙台の繁華街に繰り出してのどんちゃん騒ぎの「二次会」「三次会」といったこともなかった(二次会はホテル内でのカラオケ)。問題は銀行接待の仙台旅行の目的だ(たぶん費用は大手デベロッパーが負担したと思う)。

当時仙台では、市営地下鉄の計画が進んでいて、沿線予定各駅の周辺では大手デベロッパーによる開発競争が激化していた。その分譲土地の販売営業マンを、銀行支店長が自ら買って出たのが「仙台旅行」の目的だった。市内で1泊した翌日の午前中に該当分譲地を案内した支店長は、その分譲地が投資先としていかに有望かを一生懸命にトークし、「その分譲地を担保に全額融資します」という破格の条件で購入を勧めた。私は仙台に土地勘がなかったし、借金してまでと思ったので、この話には乗らなかったが、支店長の口車に乗って大損した人も何人かいたようだ)。

バブル時代、新金融産業(「産業」と呼べるほどの規模にはならなかったが)が生まれた(バブル崩壊後、消滅したが)。雨後の筍のように誕生した「抵当証券企業」である。不動産の持ち主や買い手に不動産担保の融資を行い、担保にした不動産を有価証券化して投資家に売るという新金融事業で、このアイデアは日本生まれである。バブル崩壊で抵当証券会社はすべて倒産したが、実はこの新アイデアを利用して世界的大事業にしたのがアメリカの「サブプライムローン企業」や「リーマン・ブラザース」だった。

アメリカはバブル期、地域密着型小規模金融機関(日本の「信用金庫」のような規模と思われる)が、信用度が小さい低所得層を対象に融資して担保設定した不動産を有価証券化して投資家に販売したのがサブプライム企業。日本のバブル崩壊の影響を受けてアメリカでも不動産価値が暴落し、その証券を大量に抱えていた証券大手のリーマン・ブラザースが一手に「抵当証券事業」を引き受けて不動産価格暴落を防止、抱えこんだ「抵当証券」を世界中の金融機関などに転売、一時は大儲けしたが、所詮「厚化粧」事業に過ぎず経営破綻して世界中に金融破綻を引き起こしたのが、いわゆる「リーマン・ショック」である。

現在も、優良融資先を失った銀行がサラ金を傘下に収めたり、一流企業の正規社員を対象に「カードローン」競争を繰り広げているが、「カードローン事業」を発案したのも日本。バブル期に日本で最初に不動産を担保に融資枠を設定し、その枠内でキャッシングや返済を自由に行える金融事業で、毎月の返済額や返済期間が決まっている通常の「住宅ローン」や「自動車ローン」、クレジットカードのリボ払い」とは異質の融資事業である(現在のカードローンとは仕組みが違う)。

この事業を日本で最初に始めたのが、大蔵事務次官経験者の頭取指定席とされていた地方銀行の雄・横浜銀行で、当時小田急線・新百合ヶ丘近くの戸建て住宅に住んでいた私にも百合丘支店長自ら営業に来たことを記憶している。

手を変え品を変えて、信用度が高い(と当時は思われていた)不動産所有者に多額の融資を行った。融資先に対して「晴れの日には傘の貸し出し競争に明け暮れ、雨が降り出すと取り上げる」という銀行の習性は今も昔も変わらない。

「住銀の天皇」「住銀中興の祖」と呼ばれ、世界的権威がある「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたとき、私が「向こう傷は問わない、と積極的営業をモットーにされていますが、利益を上げるためなら何をしてもいいというわけではないでしょう。許容できる向こう傷の限界を教えてください」と質問し、同席していた広報室長が焦りまくったことを覚えている。磯田氏の答えはほとんど記憶にないが、「うまく逃げられた」という思いだけは残っている。まだジャーナリストとして未熟だったと

も反省している。が、さすがにメガ銀行の「天皇」と呼ばれるほどの人物、その貫禄には圧倒されたことを、いまも強烈な印象として記憶している。

いずれにせよ、泡として生まれ、泡として消えた「バブル景気」を演出し牽引したのは、日本でもアメリカでも金融機関であった。そうなった経緯を、日本について簡単に検証しておく。(26日記す)

 

 

  • 明治維新のパラドックスが、日本の輸出産業最優先の経済政策と軍国主義への傾斜を招いた

周知のように、明治維新の原動力となった革命運動の合言葉は「尊王攘夷」である。倒幕後、明治新政府は一応「尊王政権」(王政復古あるいは大政奉還とも)は成立したが、もう一つの旗印であった「攘夷」のたてまえは煙のように消えた。なぜか。

私は明治維新を実現した真の革命エネルギーは「王政復古」ではなく、「攘夷運動」だったと思っている。徳川幕府時代末期、アジア諸国は欧米列強による「植民地化」競争の刈り取り場になった。「眠れる獅子」の中国は、さすがに列強による植民地化は免れたが、列強に相当浸食された。

日本にとって幸いだったのは四方を海に囲まれて大陸とは陸続きでなかったこと、そのため列強の触手が日本に及んだときは1国だけでなく列強がほぼ横一線に並び、互いにけん制しあって「一抜けた」ができなかったこと、さらに言えば日本には列強が手傷を負ってまで植民地化したがるほどの優良な資源がなかったこと、などの好条件がそろったためと私は考えている。

そのうえ、「一抜けた作戦」を強行したアメリカが、あえて日本を植民地化しようとはせずに、アメリカにとって有利な通商関係を日本と結ぶことを対日政策の基本方針にしたことが大きかった。そのため、アメリカに続いた列強も日本を植民地化するという野望を捨てて、有利な通商関係を日本と結ぶ政策方針をとらざるを得なくなったと思われる。

日本にとっては「僥倖」ともいえるこの状況が、徳川幕府にとっては命取りになる。徳川政権は歴代、鎖国政策をとってきた。「開国」が逃れられない世界の潮流ではあったが、列強の軍事的威圧下で幕府が不利な通商条約を結んだことで、日本中に燎原の火のごとく広がったのが「攘夷運動」。

しかも当時の朝廷内で、徳川政権の「弱腰外交」を非難する勢力が台頭する。この状況を「好機」ととらえたのが、「関が原の戦い」敗北以降、幕府への怨念を抱き続けてきた長州藩。「これ幸い」と朝廷の攘夷派公卿たちを取り込み、討幕運動を始めた。ただ、長州藩の「闘士」たちは私怨を旗印に倒幕運動を展開できるほどの戦力は持っていない。討幕の「同志」を募るためには、大義名分になりうる旗印を立てる必要があった。で、長州藩の「闘士」たちが利用したのが当時の「攘夷」ブームだったというわけ。

が、攘夷運動のリーダーになるには、攘夷の実績を作る必要があった。そのための「攘夷」行動が、1963年5月に田浦港に停泊していた非武装の米商船ペングローブ号に対する一方的な砲撃だった。ペングローブ号は逃げて無傷だったが、これを戦果と喧伝して意気を高めた討幕派藩士たちは、続いて仏キャンシャン号、蘭メデューサ号にも砲撃、さらに下関海峡を閉鎖した。徳川幕府は長州藩を叱責したが、それではことは収まらず、英が米仏蘭に働きかけて四国連合艦隊を結成、長州軍を攻撃して撃破、倒幕闘士たちはいったん下野する。

下関戦争には敗れたが、この戦いで一躍長州藩は「攘夷運動」のリーダー的地位の確立には成功した。長州藩の倒幕闘士たちが、ホンモノの「攘夷派」だったとは、私は思っていない。

実は「攘夷運動」ではなかったが、下関戦争の前に薩摩藩が生麦事件をきっかけにイギリスと戦争して大敗している。が、薩摩藩は薩英戦争を契機に、逆にイギリスと友好関係を構築して若手藩士をイギリスに留学させるなど、近代産業育成と軍事近代化政策を進めた「開国派」だった。政権構想については「王政復古」(尊王)ではなく「公武合体」主義だった。実際、薩摩藩の実権を当時握っていた「公武合体派」は、攘夷派藩士を京都・寺田屋で襲撃している(寺田屋事件)。

政権構想で相反する立ち位置にあった薩長間を調停して同盟関係に導いたのは坂本龍馬だというのが司馬遼太郎説だが、その詮索はこの稿ではしない。

もともと「ホンモノ」攘夷派ではなかった長州の討幕派だったから、薩摩と同盟関係を結ぶについて、倒幕の旗印にしていた「攘夷」を放棄し、一方、「攘夷」を放棄した長州に配慮して「公武合体」の旗印を降ろして「尊王」に藩政方針を転換したのが薩摩、というのが私の論理的結論。私は歴史学者ではないので、この説を唱える歴史学者がいるか否かは知らないが、おそらく「新説」ではないかと自負している。

少なくとも、そういう歴史認識に立たないと、明治維新が実現した途端、維新実現の最大のエネルギーだった「攘夷」が煙のように消えた合理的理由が説明できないはずだ。そして成立した新政府が最大の国家政策として掲げた「殖産興業・富国強兵」政策が、その後の日本の運命を左右することになった経緯も理解できない。

ただ、明治新政府が「開国&産業・軍事の近代化」政策を進め、徳川幕府が列強と締結した不平等条約を改定しうる、列強に伍する近代化を進めるための資金力は、新政府の実権を握った薩長にはなかった。で、国民から広く浅く資金を集める必要があった。

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、その役割を担ったのが渋沢栄一だと解釈したようだが、彼が創設した「国立第一銀行」ははっきり言えば詐称である。もし、渋沢が銀行を現在の東京都国立(くにたち)市で創業したのであれば、「こくりつ」ではなく「くにたち」銀行であるべきだが、事実は違う。

渋沢が日本の産業近代化に貢献したことまでは否定しないが、そのための資金集めをした「国立第一銀行」は実際には「こくりつ」ではなく、私企業(株式会社)である。ただ、信用力に乏しい私企業の金融機関に「命の次に(人によっては命より)大切なカネ」を預けるもの好きはそうはいない。で、「国立」の名を冠して箔付けしたというのが真実。実際に政府の手足となって近代化政策を進めるための資金集めに最大の功績があったのは「日本資本主義の父」渋沢ではなく、日本全国に郵便局のネットワークを構築し、郵便貯金で庶民から広く浅く資金を集めた「日本郵便の父」前島密である。

ま、『青天を衝け』はドラマだから史実に必ずしも正確でなくてもいいと思うが、史実をドラマ化する場合、ちょっといかがかと思った次第。

この際、私的憤りを書かせていただくと、駒澤大学の名誉教授が始めた小さなズーム勉強会に私も誘われたことがある(今は脱会した)。その会で私が日本の金融機関が果たしてきた役割(正も負も)をお話ししたとき、「面白いから電子出版しないか。印税収入はそんなに期待できないが、電子出版社を知っているから書いてみないか」とのお誘いを受けたことがある。で、かなりの日数を割いて3万字に及ぶ原稿を書いてメール送信したが、なしのつぶて。ズーム勉強会のとき、「どうなっているか」と尋ねたところ、「お金はいくら出せる?」と言う。「金まで出して電子出版するつもりはない」というと、氏はダメダメと手を横に振って「小林さんは何十冊も書いているから名前を売り出す必要はないよね」ときた。それだけでなく、他のメンバーに対しても「お金を用意できるなら、電子出版してあげるよ」と誘っていた。旧統一教会ほどのあこぎさとまでは言わないが、ビジネスの悪質性としては五十歩百歩だ。せちがらい世の中になったものだ。

いずれにせよ、明治政府が徳川幕府の「負のレガシー」である列強との不平等条約の解消・改定を目指さざるを得なかったことが、その後の日本がたどった軍国主義への道の露払いをすることになった。具体的には、欧米列強に侵食されながらも、近代化への道を歩もうとしなかった「弱体大国」清との戦争、さらに日清戦争で獲得した利権防衛のために始めた強国ロシアとの戦争での「勝利」に酔ってしまったことが「神国神話」の国民への浸透につながり、ついには無謀な「先の大戦」に突き進む結果を生んだと考えている。

こういう歴史認識を論理的思考の基準に据えないと、「歴史は二度繰り返す」ことになりかねない。いまの世論の動向を見るとき、私はそういう危惧を持たざるを得ない。(27日記す)

 

  • プラザ合意で円は2年で倍に高騰したのに日本経済が失速しなかった

私の自称代表作である『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』(1992年刊。なお売れたという意味ではない)に詳しいが、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米独英仏の主要5か国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、「円買いドル売り、マルク買いドル売り」への協調介入を決めた。

その背景は、82年に発足した米レーガン政権が、前大統領カーターの「負のレガシー」であるインフレ抑制のために行った経済政策「レーガノミクス」(超高金利20%台)によってインフレは終息させ

たが、振り子の針が振れすぎて深刻なデフレ不況に突入したため為替市場でドル高が急速に進んで膨大な貿易赤字に苦しむ。かくして米産業界の国際競争力が低下したことが、レーガンが他の主要国に為替操作の協調介入を求めた最大の理由。ちなみにレーガンの高金利政策になぞらえて真逆の超低金利政策でデフレ不況からの脱却を目指したアベノミクスが、なぜ「レーガノミクス」と比喩されたのか、私には理解できない。

アメリカ産業界がこの時期疲弊した理由はもう一つある。レーガンは、「強いアメリカの再生」をスローガンに大統領選で大勝利を収めたのだが、その公約を実現するために旧ソ連に対して猛烈な軍拡競争を仕掛けた。その結果、ソ連邦は崩壊し西側の勝利をもたらしたのだが、アメリカは軍拡競争による財政赤字に陥り(85年、アメリカは史上初めて債務超過国に転落した)、アメリカは「財政赤字と貿易赤字の双子の赤字」に陥る。

「自分が勝手にまいた種」といえなくもないが、ソ連邦を崩壊させたレーガン政策に他の主要国が負い目を感じたのか、プラザ合意でドル売りの協調介入が決まった。ドル売りの対象通貨は当時アメリカの貿易赤字に「寄与」した日本とドイツの法定通貨である。つまり「円買いドル売り」「マルク買いドル売り」の流れが為替市場を覆う。その結果、2年後の87年には円は85年当時の240円台から2倍の120円台へと一気に高騰した。

常識的に考えれば、輸出産業で稼ぎまくっていた日本産業界は大打撃を受けて失速するはずだが、そうはならなかった。「円が強いことは良いことだ」というバカげた経済論をぶつエコノミストも続出したが、その後も日本経済は成長を続けてバブル景気に突入し、さらにアメリカを怒らせて89年9月から翌90年6月にかけてのロングラン交渉「日米構造協議」になだれ込む。バブル景気を崩壊させた一因でもある。

ウクライナ戦争が始まって以降、エネルギー源の石油や天然ガスの供給不足による価格高騰、ヨーロッパの「穀倉」ウクライナの小麦の輸出減や世界的気候変動による食料品の高騰をきっかけに世界中でのインフレ促進と、主要国のインフレ対策としての金融引き締めにもかかわらず、かたくなに金融緩和政策を続ける日銀アベノミクス継続で生じた「円安不況」を、プラザ合意の危機を乗り越えた日本がなぜ乗り越えることが不可能なのかの検証を行う。

 

  • NHK特集『世界の中の日本――アメリカからの警告』が与えたショック

プラザ合意で円が2年で2倍に高騰するということは、いまだったらおよそ想像を絶するほどの事態だ。かなり知的レベルが高い私のブログ読者なら、とっくにご承知のはずだが、単純に考えれば円が倍になれば輸出競争力は半減し、一方輸入品価格は半値になるはず。実は、この為替のからくりが、円高騰の中で日本経済の成長力が衰えなかった要因の一つである。

実際には日本の自動車や電機など輸出産業は、この円高で悲鳴を上げた時期もあった(短期間ではあったが)。が、その後の「日米経済摩擦の最大の原因」になり、米産業界から猛烈な「ジャパン・バッシング」を受けることになるのだが、日本の自動車や電機メーカーはどうやってこの苦境を乗り越えたのか~

ダンピング輸出によって輸出量(つまり生産量も)を維持しようとしたのだ。

プラザ合意の翌年、86年4月26日(土)から3日間、ゴールデンウィークの幕開けにNHKは連続で、しかもゴールデンタイムに通常の放送時間枠の1回45分をはるかに超える26日1時間45分、27日1時間30分、28日にはNH9をはさむ2部構成で2時間45分の3夜で計5時間25分という空前絶後のドキュメント番組を『NHK特集』(現NHKスペシャル)として放送したことがある。このコンテンツのタイトルは『世界の中の日本――アメリカからの警告』で、キャスターはのちに都知事選に立候補した磯村尚徳氏が務めた。ゴールデンウィークのゴールデンタイムでの長時間ドキュメント番組は、『N特』スタッフにも予想外の視聴率を稼ぎ、強烈な反響があったという。

この番組について書いた『NHK特集を読む』(88年刊)での冒頭で私はこう書いている。

 

放送の最終回、視聴者の反応として「経済大国というが一体どこの国の話だ、私たち庶民には豊かさの実感がない」「アメリカ人に勝手なことを言わせるな」「働きすぎだから休めというが、そうはいかないよ、給料も減るからねぇ」「NHKともあろうものが、こんな屈辱的番組を作るとは何事か」といった声が上がったことを率直に伝えたほどである。が、一方では「日本の現実をよく見ている」「アメリカが日本にこれほど怒っているとは知らなかった、認識を新たにした」といった反応が、3夜合わせて1000件を超えた電話の多数を占めた。

 

このコンテンツの制作動機は、ピューリッツァ賞を受賞した米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイトがニューヨーク・タイムズ『日曜版』のカバー・ストーリーに書いた「日本からの危機」にあった。

「第2次世界大戦後45年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体しつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種に過ぎないのか、それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだかは、今後10年以内に立証されよう。その時になって初めて第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう」

このホワイト論文に衝撃を受けたのは日本経済界の重鎮たちだった。当時すでに米議会では過激な日本批判をする議員も少なくなかったし、デトロイトの自動車メーカーの従業員が日本車をハンマーで叩き壊すシーンをテレビ局が放映したり、円高にもかかわらず日本製品がアメリカ市場を席巻する状況にいら立ちを募らせるアメリカ人が少なくないことは日本でも知る人ぞ知る状況だったが、良識的で、かつ親日家としても知られていたホワイトまでもが、こうした日本に対する警戒心を強めるようになったことが、日本の財界人に与えた衝撃は大きかった。「いったい日本の何が、そこまでアメリカを怒らせたのか」という問題意識を深堀したいというのが、この大型番組制作の動機だった。

この番組が大方の高い評価を得たことは認めつつも、私は違和感も抱いた。磯村氏の判断だったのか、プロジューサー、ディレクターなど制作スタッフの思い込みだったかは知らないが、自動車、電機などの輸出メーカーは被害者だという認識が背景に濃厚にあったと思わざるを得なかったからだ。

実は同書の執筆の少し前、私は総合雑誌の編集長にトヨタか松下(現パナソニック)のトップへのインタビューを依頼し、応じてくれた松下・谷井社長とのインタビュー記事を発表していた。私の餌食になった谷井氏には気の毒だったが、私が追及した質問のさわりを引用する。

 

「円はこの3年近くの間(※プラザ合意以降の)ほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。

どうして10%や20%の値上げに抑えることができたのかと聞くと、メーカーは合理化努力の結果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないのです」

「(昭和)60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意(※「プラザ合意」)した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。

議論としては、「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。それなら堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです」

「アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どっちみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。

それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当たり前です」

私は輸出メーカーが円高の加害者になった最大の理由はシェア至上主義的体質にあると考えているが、この体質を脱皮しない限り、日本の企業の国際化はホンモノにならないであろう。そうした視点が、これまでの「世界の中の日本」シリーズには残念ながら欠落していることだけを指摘しておこう。

 

私のやり玉の標的にされた谷井氏には気の毒だったが、同書はメディアの「書評」欄で高く評価していただいた。同書はベストセラーになるほどではなかったが、3版まで重ねた。天下の松下電器のトップに、これだけ手厳しい批判を浴びせる矜持のあるジャーナリストが、今いるだろうか。

ただ総合雑誌は新聞と同様、収入源の多くを広告収入に依存している。10ページに及ぶこのインタビュー記事を、手を一切入れずに掲載してくれた編集長は気の毒に左遷された。申し訳なかったという思いは、いまも残っている。が、私がロイアリティを抱く対象は、取材対象でもなければ編集者でもない。著書にせよ雑誌記事にせよ、私の駄文を熱心に読んでくださる読者である。その姿勢だけは、ブログ執筆でも貫いている。(28日記す)

 

  • 「プラザ合意」ショックを日本が乗り切れた本当の理由

谷井氏へのインタビューのさわりは『忠臣蔵と西部劇』にも転載したが、この時点では超円高危機を日本企業が乗り越えられた本当の理由には私はまだ気づいていなかった。そのことへの理解が及んだのは、日産自動車が最高経営者にブラジル出身の「経営再建請負人」のカルロス・ゴーンを招いて血も涙もない大リストラでスリム化を実現したこと、また液晶テレビへの過剰設備投資が失敗して世界最大の製造業受託業の鴻海(ほんはい)精密工業(台湾)に会社ごと身売りして経営再建を成し遂げたこと、さらにはアベノミクスと称するデフレ脱却経済政策が失敗することの分析・解明による。

実はコロナ前、サービス業を中心に日本企業は空前の人手不足にあえいでいた。当時はまだバブル崩壊後の「失われた20年」時代で、アベノミクスへの期待も大きかった。アベノミクスの失敗が鮮明になるにつれ、失われた期間は20年から30年に延び、さらに40年、50年と続くのではないかと懸念されている。なぜか。実は日本特有の正規社員に対する「雇用形態」が、バブル崩壊後の経済停滞の根本的原因なのだ。

日本企業の伝統的雇用形態は、言うまでもなく「年功序列・終身雇用」である。高度経済成長期以降、日本では長く、転職はマイナス要因とされてきた。犯罪やカバーできないほどの不利益を会社に与えない限り、身分や給与は年功序列でアップし、会社が倒産でもしない限り職を失うことはない、と企業も従業員も信じ込んできた。その「思い込み」がいとも簡単に崩れ去ったのは、バブル崩壊とリーマン・ショックによる長い経済停滞期に日本が突入した結果である。企業は正規社員の新規採用を手控えるようになり、派遣や非正規雇用が急増した。正規社員も「年功序列・終身雇用」に胡坐をかいていられない状況になった。

現パナソニックが「従来の給与体系を望むか、それとも退職金の前払いで初任給アップを希望するか」の選択を新卒社員にゆだねたところ、「退職金前払い」を要求する新卒社員が圧倒的多数を占め、この制度をすぐ撤回したことがある。

高度経済成長期時代、日本企業の会社に対する社員のロイヤリティの高さがアメリカ企業でもうらやましがられて、『エクセレント・カンパニー』と題した、日本型経営に似た雇用形態を採用していた大企業(IBMやGM、ゼロックスなど)の経営を紹介した本がアメリカでも日本でもベストセラーになって話題を呼んだことがあったが、私は『忠臣蔵と西部劇』で日本とアメリカでは「ロイヤリティの対象が違うだけ」と書いたことがある。

日本では人事権を人事部が掌握しているのに対して、アメリカ企業には日本のような人事制度はなく、部下の採用や待遇、馘首の権限まで「ボス」が掌握している。人事部が人事権を掌握している日本企業の場合は社員のロイヤリティの対象は会社という組織になるが、「ボス」が人事権を掌握しているアメリカでは部下のロイヤリティの対象が直属の上司になるのは当たり前の話。『エクセレント・カンパニー』が取り上げた大企業の場合、成長を遂げていたため結果として年功序列的に見える状況が生まれていただけだ。

なお、日ハムの新庄監督が就任時、選手やメディアに「ビッグボス」と呼ぶことを強要したのは、MLBの経験がある新庄は、アメリカでは監督が現場の絶対的権限を行使できることから、日ハムでもそうした権限を要求した結果だ。

シャープや日産の場合、経営再建の手段として日本型雇用形態に縛られない外国企業に会社ごと身売りしたり、外国人経営者に経営権をゆだねる手法で血も涙もない大リストラに踏み切るため。社員の大リストラを避けようとして自力再建を目指している東芝が、ますます苦境に陥っているのはそのせいだ。

つまりバブル崩壊以降、日本企業が正規社員の雇用を手控え、どうしても必要な業務には非正規雇用や派遣社員を充てるようにしたのも、「年功序列・終身雇用」の束縛から逃れるためだ。そうした時代を反映して経団連などが、正規社員の身分保障を強く定めた労基法の改正を求め、「日本型雇用形態の終焉」を声高に言い出しているのも、そうした事情による。

はっきり書く。日本経済が成長を続けていた時代は、消費者の需要が供給量を上回る需給関係が継続し、需要の増加に対応すべく企業も設備投資に積極的だった。が、医療技術の進歩や食生活の向上、核家族化による高齢者の健康志向などによる高齢化社会の進行、さらには女性の高学歴化とそれに伴う女性の自立志向の高まりなどによる少子化によって、需要層が激減したのがデフレ不況の原因だ。これは日本だけの特異な現象ではなく、世界中の先進国や発展途上国(所得水準が比較的高い国)に共通した現象であり、アベノミクスによる円安誘導で輸出競争力を高めても海外の需要増に直結しなかったというわけ

そのうえ日本企業には年功序列型「昇進昇給制度」は徐々に崩壊しつつあるが、正規社員保護を重視した「終身雇用」制度は維持されたまま。いいか悪いかは別にして、この制度が企業の手かせ足かせになって、目先の需要増に応えるための設備投資活発化はかえってリスクの増大を意味するため、円高時のダンピング輸出とは正反対の理由に基づく輸出量維持のために輸出先価格を据え置いて為替差益を増加させたのが今の日本企業経営の実態。アベノミクスによる輸出製品の競争力アップにもかかわらず企業がなかなか設備投資に踏み切らなかったのはそのせい。

いま自動車産業界では設備投資ラッシュになっているが、これはアベノミクス効果によるのではなく、たまたま地球温暖化対策SDGsの潮流で電気自動車が人気化しつつあり、他業界からの参入も相次ぐ状況下での設備投資ラッシュに過ぎない。裾野が広い自動車産業は、日本でも基幹産業のため景気のけん引力は大きいが、それでも景気回復への機関車的役割を期待するのは困難。

実際、国土が広く人口が分散していて自動車が生活必需品であるアメリカでも、トランプ前大統領が米自動車産業再建のために自動車及び関連製品などに高率関税を課して自動車産業を保護しようとしたが、米最大手のGMが国内4工場を閉鎖してトランプを激怒させた。が、GM側は、「輸入原材料や部品の価格が高騰し、コストアップ分を製品価格に反映させたらアメリカ国民の購買力の限界を超える。苦渋の決断だが、工場を閉鎖して供給量を抑えるしかない」と猛反発した。こうした大リストラが、日本の正規社員に対する保護政策のために日本では不可能。安倍元総理がいくら笛を吹いても、メーカーが踊ろうとしなかったのは、そのせい。

翻って日米経済摩擦が激化していた時期、日本企業が円高分を輸出価格に反映しようとせず、ダンピング輸出せざるを得なかった根本的理由も、社員のリストラを伴う生産量の削減が不可能で、赤字輸出のツケを国内消費者に付け回したのが真相。たまたま、その時期は国内消費がまだ活発で、赤字輸出による減益分を国内消費でカバーできたからだ

日銀が超円安状況化にもかかわらず、金融引き締めに政策転換できない理由の一つは、円安に歯止めをかけたところで国内消費が回復しそうにないと見極めているためだ。

そしてもう一つの要因は、金融引き締めで金利を上昇させると、MMT理論を信奉し続けた「リフレ派」の主導による国債乱発のツケの、次世代への先送りが不可能になり、下手をするとギリシャのように国家財政が破綻しかねないからだ。(29日記す)

 

  • 超円安下でMMT理論が破綻した理由

簡単に経済用語について説明しておく。この稿の小見出しに使った「MMT」とは、独自通貨を発行している国はいくら国債を発行しても、過度のインフレにならない限り財政破綻することはない、という積極財政論。比較的最近(といっても、第2次安倍政権初期のころ)米経済学者が言い出しっぺの経済政策で、アベノミクスの経済政策を「成功例」と持ち上げたことがある。

1種の「ねずみ講(無限連鎖)」とも言えなくはない経済理論で、発行済みの国債の償還期限が来たら、償還分に相当する新規国債をまた発行すれば財政破綻することはないという「自転車操業経済政策」。国家財政がギリシャのように破綻しなければ、理論上は成り立つが…。

赤字国債を「国民財産の増加」と、バカげた解釈をする自称「経済学者」もいるが、国債は返済義務を負う国(政府)の借金。「借金がなぜ財産なのか」そういう解釈をする人の頭を疑う。「財産」は自分の所有物であり、返済義務はない。返済義務を伴わない借金ができるなら、自己破産する人は皆無になる。もっとも個々人に通貨発行権利はないけど、しかしそれに近い金融資産として流通しているのが「仮想通貨(暗号資産)」で、少なくとも日本では商取引の決済手段としてはほぼ使えない。ま、ネット上で売買されている、ポケモンなどネットゲームのアイテムのようなものと理解するのが正解。

アベノミクスの効果については賛否いろいろあるので、この稿であまり立ち入るつもりはないが、一時株価が上昇したことは確かだが、そもそも「株価上昇」がアベノミクスの目的ではない。デフレ脱却による消費者物価2%上昇が目的で、目標達成はウクライナ戦争による超インフレ到来まで全くなかった。MMTを提唱した米経済学者は、何を根拠に日本を成功例にしたのか、摩訶不思議。まさか、株投資家の儲けを根拠にしたわけではないと思うが…。

このMMTを信奉したのが「リフレ派」といわれる日銀・黒田総裁一派。「無制限に国債買い入れ」を公言し、「ゼロ金利政策」を、今も続けている。リフレ派とは、金融緩和政策によって適度なインフレを生じさせるという経済論を重視する人たちのこと。「適度」のインフレ率の数値(消費者物価上昇率)は時代背景によって異なるが、ウクライナ紛争が始まる以前は米FRB パウエル議長も日銀・黒田総裁も2%上昇を目標数値にしていた。トランプ時代、アメリカはほぼ目標数値を達成していたが、トランプはさらなるインフレにしたかったようで、パウエルに金融緩和圧力をかけ続けていた。

ここで私が提起したいのは、近代マクロ経済学の「常識」がもはや通用しない時代を、人類は迎えているのではないかという問題意識である。ケインズも、またケインズに続くマクロ経済学者たちも、先進国や発展途上中の経済成長を遂げつつある国も、「少子化」(合計特殊出生率が減少すること)時代が全世界的規模で進行することなど、まったく想定すらしていなかったのだ。

言うまでもなく、インフレによる経済成長が可能になるのは、人口が増え続けることによる需給関係が逼迫することを前提に構築された理論である。「少子化」とほぼ同時に進行している「高齢化」によって、これまでは人口減少はそれほど目立たなかったが、ついに死亡率が出生率を上回る時代に突入し、人口減が誰の目にも明らかになるようになった。

この事態に私が警鐘を鳴らしだしたのは、結果が明らかになりつつある昨今ではない。アベノミクスに対する批判、MMTが日本でも話題になりだした時期にブログで書いている。だから「結果論」で書いているのではない。私自身の名誉のために書いておく。

さらに言うまでもなく、消費者物価は需給関係によって上下する。この大原則だけは少子高齢化社会になっても変わらない。需給関係は、需要の増減と供給の増減をもろに反映する。たとえ人口が減少しなくても、消費量が少なくなる高齢者が増え、消費需要の中核である若い人たちや現役世代の人口が減少すれば、消費市場は減少しデフレが進行する。また格差拡大が進み、人口減にならなくても、消費したくてもできない低所得層の占める割合が増大したら消費市場は縮小してデフレになる。

こんな基本的なことを理解できないのが、いまの「リフレ派」なのだ。日本も含めて、先進国や経済成長を続けている発展途上国は、「少子化」による人口減と格差拡大による消費市場の縮小というダブル・パンチを受けているさなかだ。そういう時期にいくら金融緩和しても、少子化に歯止めがかかるわけがないし、低所得層は金融緩和の恩恵とは永遠に無縁だ。金融緩和によって消費市場が回復するという幻想が、「夢のまた夢」でしかないことが、さすがに「リフレ派」の方たちにもご理解いただけたのでは…。

需要を拡大して消費者物価を「適度」な水準に引き上げるには、消費市場を拡大するしかない。消費市場を拡大する方法は、これまた合計特殊出生率の向上と、格差是正以外に打つ手はない。

 

また長い記事になった。書くほうも疲れたが、読んでいただいた方たちもお疲れになったと思う。

私に批判や反論があれば、どしどし「コメント」をお寄せいただきたい。罵詈雑言の類以外は削除しないし、私も誠意をもってお答えする。(30日記す)

 

【追記】 10月2日(日)のNHK『日曜討論』は、翌日10月3日から始まる臨時国会に向けて「旧統一教会と政治の関係」「インフレ対策の経済政策」「安全保障」の3つをテーマにした与野党の政調会長クラスによる議論だった。あえて無意味だったとは言わないが、米中覇権争いが激化しつつある今日、「日中国交回復50周年」を迎えて日本の対中外交政策が問われているにもかかわらず、その問題はパス。あいも変わらず、与野党議員の「対策」は対症療法に終始した。私はNHKに抗議したが、問題は与野党議員の無能さではなく、討論を仕切ったNHKの司会者(キャスター)の無能さにある。

ただ順繰りに発言機会を与野党議員に割り振ることしか考えていないキャスター。旧統一教会問題の「悩ましさ」や、「敵の味方は相手国から敵視され、かえって安全保障上のリスクを高めるだけ」という私の問題意識は既にブログで提起したので、あえて触れないが、討論の大半の時間を割いた「経済対策」についての議論を深めるべきキャスターの資質を、私は厳しくNHKに電話で批判した。その要点は以下の通り。

 

インフレ対策は賞味期限切れのマクロ経済理論では克服できない。インフレかデフレかの経済状況は言うまでもなく「需給関係」のバランスが崩れた結果である。

従来のケインズ以降の「マクロ経済理論」は、金融政策によって需給バランスの回復を図ることを重視している。が、この理論の限界は需要人口の減少という事態を全く想定していないことに基づく。いま生じているのは、本文でも書いたように、世界的規模での「需要層人口の減少」という事態だ。

その原因は二つある。一つは「少子高齢化」。女性の高学歴化に伴う「社会が女性の能力の活用を求めるようになったこと」また「女性の価値観も、家庭や子育てより社会での自己実現を重視する自立に重点を移しつつあること」に原因があり、はっきり言えば合計特殊出生率を政策によって回復することは不可能という現実を踏まえ、その中で需要減少による需給バランスの崩れをいかに軟着陸させるかが重要な課題。

少子化現象によって需要人口の減少は避けようもなく、一方高齢化現象によって人口減はあまり目立たなかったが、高齢者の消費活動は年齢とともに減少する。にもかかわらず、金融庁が「年金生活維持のためには定年時2000万円の金融資産が必要」といったバカげた試算を発表したため、現役世代も消費より貯蓄を重視するようになったことが消費活動の停滞を招いている。

私はかつて金融庁に「2000万円必要の計算方法」を質問したことがあり、その内容は既にブログで書いたが、「夫65歳、専業主婦60歳で定年生活に入り、その後30年生きるとして、厚生年金だけでは不足する生活費を算出した」ということだった。確かに定年退職直後は、現役時代の付き合いも多少継続するし、夫婦での旅行や外食機会も増えるので、年金収入だけでは赤字になるだろうが、そういう生活が30年間続くという発想が官僚らしいと言えば言えなくもないが、そんなことはあり得ない。私自身の生活体験からすると、たぶん70年代に入れば支出は大幅に減少し、70年代半ば以降は「黒字生活」に入る(大病でもした場合は別)。定年退職時に2000万円の金融資産があれば、30年後にはかなりの金融資産が残るはず。そのことを金融庁の担当者に指摘したら「ご指摘の通りだと思います」と言ったが、試算の見直しや訂正はしていない。メディアも金融庁のアホな試算に気づいていない。

したがって、近代マクロ経済理論が前提としてきた「人口減はあり得ない」という状況が崩れてきたという認識で新たなマクロ経済理論を構築する必要があるのだが、そういう問題意識が『日曜討論』の司会キャスターには皆無だったことが一つ。

もう一つは、格差の拡大が進んでいることが需給バランスの崩壊につながっているという認識の欠如。

高度経済成長時代、日本人の大半が「中流」意識を持っていた。欲しいものがたくさんあり、消費意欲が高まって経済が活発だった時代のことだ。3C(カー・クラー・カラーテレビ)が日本経済の機関車的役割を果たした時代のこと。いま消費意欲を掻き立てるものは何もない。かつ、消費活動の中核をなす現役世代の可処分所得は30年間増えていない。

そういう時代に「経済成長至上主義」の経済政策を志向したのが「アベノミクス」。だから失敗するのは当たり前。消費活動が停滞すればデフレ経済になるのは、それも当たり前。この難問に向き合うには、「経済成長至上主義」を捨てて、いかに軟着陸させるかに経済政策の重点を置かなければならない。そして軟着陸させるには、中間所得層人口の減少に歯止めをかけ、かつ中間所得層の可処分所得を増やすしかない。そのためには、大胆な税制改革が必要になる。

大企業の内部留保が増加している理由については本文で書いたが、内部留保は法人所得税を納めた後に残った資産。それに課税しろという乱暴な主張も垣間見るが、私たち個人が納税後の貯蓄に課税しろというに等しい乱暴な考え。そんなことができるわけがない。

方法は一つしかない。法人税をアップして、「税金で持っていかれるくらいなら有能な人材の給与を増やして将来に備えたほうが得」という空気を経済界に作ること。もう一つは日本の高度経済成長を支えた超累進課税制度の復活によって可処分所得を高額所得層から中間所得層に移すこと。消費税導入前の最高税率80%というシャウプ税制まで戻せとまではさすがに言わないが、せめて今の最高税率(住民税を含む)を50%から60-65%程度まで引き上げても罰は当たらない。

そういう問題意識をもって、経済対策を与野党議員に問うのがキャスターの資格条件。が、そんな認識のかけらすらないのが高給取りのNHK高級職員。私を『日曜討論』の司会キャスターにしろ~ (10月2日記す)