小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

加計学園騒動はなぜ収まらないのか!?

2017-06-28 06:53:28 | Weblog
 やや古い話が今頃メディアを賑わせている。
 6月24日に神戸市で行った安倍総理の講演での発言だ。安倍総理は、政府が愛媛県今治市で加計学園に獣医学部新設を認めた経緯について「日本獣医師会の強い要望を受け、獣医学部の新設を1校に限った。こうした中途半端な妥協が結果として国民的な疑念を招く一因となった」と述べたうえで、「地域に関係なく、全国的に意欲のあるところは2校でも3校でも獣医学部の新設をどんどん認めていく」と語った。
 この発言に対して民進党の野田幹事長が強く反発。「政府のこれまでの説明を根底からひっくり返す内容だ」と批判した。
 今度は26日になって菅官房長官が「1校限りで学部新設を認めたのは日本獣医師会の要請を受けたためだ」と説明、「(獣医師は十分足りているという理由で)獣医師会などが抵抗する中で、1校に限るという判断は妥当だった」と政府の立場を釈明した。
 また27日には山本地方創生相が安倍発言に言及し「1校に限定したのは有識者の意見を踏まえ、内閣府・文科省・農水省の各大臣が合意したもの」と強弁しておきながら、今後については「具体的な要望があれば検討する」と、自己矛盾した声明を出した。
 総理の発言をあえて否定するかのような釈明や声明を、なぜ官房長官の立場にある菅氏や国家戦略特区の事実上の推進官庁のトップである山本氏がしたのか。「安倍一強体制」が、その体制内部から「アリの一穴」のように崩れようとしているのだろうか。
 
 そもそも加計学園問題が生じた原因は「国家戦略特区」の制度設計にあった。野党もメディアもその根本を忘れた議論をしているから、本筋からかけ離れたところで国民の疑念が増大したといえる。
 国家戦略特区は、首相官邸ホームページによれば「産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るため、2015年度までの期間を集中取組期間とし、いわゆる岩盤規制全般について突破口を開いていくものです」というものだ。
 つまり「産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成」が国家戦略特区選定の基準であることが明記されている。そして2014年にまず第1弾として「東京圏」「関西圏」など6拠点が特区の指定を受け、翌15年には「秋田県仙北市」など3拠点が指定され、さらに16年に「広島県・愛媛県今治市」など3拠点が指定された。
 この特区選定の基準からすれば、京都産業大学が計画していた獣医学部新設の予定地であった関西圏(大阪府・兵庫県・京都府)は第1次の指定拠点に入っており、政府がなぜ「広域で、空白の地域に限り1校だけ認める」という基準を加えたのか。岩盤規制に風穴を開けるとしながら、もっと強固な岩盤規制をかけたのは、やはり獣医学部の新設は加計学園だけにしか認めないため、と批判されるのも当然であろう。
 さらに獣医師会は「最初から1校限定を要望した事実はない」と、菅官房長官の弁明を真っ向から否定しているようだ。それが本当なら、政府は獣医師会に対して根拠のない忖度をしたことになる。
 また獣医学部新設が国家戦略特区の本来の目的である「産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動」に寄与するものなのか、という疑問も残る。
 実は第3次の指定に加えられた「広島県・愛媛県今治市」という「地域」(官邸ホームページに記載された拠点を意味する表示)を特区にした理由はなんだったのか。
やはり官邸のホームページによれば「観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用」とある。なぜ「広島県と愛媛県今治市」が一つの「地域」として特区の拠点に認められたのか、疑問に思った私は「ひょっとしたら」と思いネットで調べてみた。
 やはりそうだった。かつて本四連絡橋が3本建設された。その中に広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道が含まれていた。この自動車道は尾道市と今治市の間に点在する風光明媚な芸予諸島を島伝いにつなぐ高速自動車道だが、自転車歩行者専用道路も併設されており、サイクリングロードとしての人気も高いようだ。実際14年10月には国際サイクリング大会も開催され、広島・愛媛の観光拠点としての発展が期待されているらしい。
 そうであるなら、この地域が特区として指定された最大の理由は「観光」産業の育成による外国人観光客を呼ぶことではないか。だとしたら、芸予諸島のとりわけ風光明媚な島をIR拠点に指定してホテルやカジノを作れば、ほとんどがらがらの自動車道の利用者も増えるかもしれない。国家戦略特区の制度設計の目的にも合致する。
 そう考えると、やはり「なぜ今治に獣医学部なのか」という疑問が新たな視点で湧いてくる。しかも安倍総理は「意欲があるところには二つでも三つでも」と公約した。その安倍総理は国家戦力特区諮問会議の議長でもある。「特区」制度を自ら無視した発言としか言いようがない。

 私が久しぶりにブログを再開した6月6日投稿の『加計学園問題の背景にあるものーー誰が誰に対して「忖度」を働かせたのか?』で書いたが、安倍総理自身が加計学園のために何らかの便宜を図るなどということはあり得ない。もし安倍総理が自ら「総理の意向」として加計学園に対する便宜供与を特区関係者に指示していたとしたら、文科省の内部文書について「徹底的な再調査」を命じたりするわけがない。だから再調査を命じた時点では、官邸や内閣府の人間が文科省に圧力などかけるわけがないと、安倍総理自身は本当に思っていたのだろう。
 だが、再調査を命じた結果、萩生田官房副長官の発言など、それまで表面化していなかった文書まで明らかになってしまった。安倍総理はかえって窮地に追い込まれる結果になった。いまさら後悔しても始まらないが…。
 そう考えると安倍総理の失敗の原因は、総理の座について以降、煙たい人物(たとえば野田聖子氏や石破茂氏など)を政権から遠ざけ、自分に忠実な(つまり総理の意向を「忖度」してくれる)人物を政権の中枢に抜擢してきたことだ。その結果、いわゆる「一強体制」の構築には成功したが、自分自身は「裸の王様」になってしまった。その責任は、やはりとらざるを得ないだろう。自ら蒔いた種なのだから。
 

人工知能はどこまで進化したのか!?

2017-06-26 07:40:26 | Weblog
 衝撃だった。
 昨夜(25日)のNHKスペシャルを見た人は、おそらく私と同じく大きな衝撃を受けたと思う。番組のタイトルは『人工知能は天使か悪魔か』である。
 何が衝撃だったか。
 人工知能が、人間の領域にどんどん進出していることは私も知っていた。
二人が対戦するゲームでメジャーなのはチェス・囲碁・将棋の三つである(テレビゲームは除く。オセロもまだメジャーにはなっていないと思う)。チェス・囲碁はとっくに人工知能がその世界のチャンピオンに勝ってきた。が、将棋は難しいといわれていた。
その理由は、チェスや囲碁は対戦相手の駒をとれば、その駒は二度と使えないが、将棋はとった対戦相手の駒を自分の駒として使えるからだ。
が、すでに人工知能は二度にわたって佐藤名人を破った。そのことはすでにテレビや新聞などで報道されていたので、私も知っていた。佐藤名人はかつて7冠に輝いた羽生名人を破って名人の座に就いた棋士だ。年齢も29歳で、棋士としては最も脂がのっている世代だ。
ただいかに天才的な棋士と言えど、人間だから記憶力には限界があるし、またミスを犯すことも絶対にないとは言えない。とくに将棋という長時間の戦いでは肉体的にも精神的にも疲労度はかなりあると思う。棋士に比べ人工知能のコンピュータは、何時間対戦を続けても疲労することはない。人工知能が佐藤名人を二度にわたって破ったのは、疲労による佐藤名人のちょっとしたミスの一手に付け込んだ結果だと思っていた。人間同士の対戦だったら、相手も同じく疲れているから対戦相手のミスを見逃してしまうこともあるが、人工知能にはそういうことはない。それが、人工知能が佐藤名人に連勝できた理由だと、私は思っていた。おそらく多くの人たちもそう思っていたと思う。
が、そういう私の思い込みは完全に間違いだった。そのことを分からせてくれたのが昨夜の『Nスぺ』だった。先手の人工知能が私のような素人でもやらないような差し手を打っていたのだ。
第1戦では、人工知能の初手は金を飛車の隣に動かしたのだ。佐藤名人はその一手で頭を抱えてしまった。
第2戦では人工知能はいきなり王を動かした。
この人工知能を開発した天才プログラマーは70万に及ぶ棋譜をコンピュータに記憶させたという。しかし、人工知能が記憶している棋譜の中に、初手で金を飛車の隣に張り付けたり、王をいきなり動かしたりした棋譜はあり得ない。つまり佐藤名人と対戦した人工知能は、人間の経験則の中から最善と思われる差し手を採用したのではなく、プロの棋士だったら絶対に打たない差し手を自ら「そうぞう」したようなのだ。私が「そうぞう」と書いたのはイマジネーション(想像)とクリエイティビティ(創造)の両方の意味を含ませたかったからだ。
そこで当然生じる疑問がある。ひょっとしたらこの人工知能を開発したプログラマーが、遊び心でそういう差し手を打つようにプログラムしたのではないかということだ。
『Nスぺ』のスタッフもそういう疑問は持ったようだ。で、人工知能を開発したプログラマーにその疑問をぶつけている。が、プログラマー自身が「自分にも分からない」と答えている。プログラマーが意図的にそういう差し手をプログラミングしたのでなければ、人工知能が自らプロ中のプロと対戦する場合の差し手を考案したとしか考えられない。
人工知能は本当にそこまで進化したのか。そうだとすればいったい人間のアイデンティティはどうなるのか。イマジネーション力とクリエイティブ力は人間のアイデンティティの最後の砦だ。が、その分野まで人工知能が踏み込んでくるとなると、人間はどこに自らのアイデンティティを求めたらいいのか。
私が深い衝撃を受けた一点はそこにある。

ただ今でも、私は本当に人工知能がそこまで進化したのかという疑問は持っている。

「印象操作」で国民を欺いてきたのは安倍総理自身ではなかったか!

2017-06-20 10:48:53 | Weblog
 19日午後6時ジャスト、安倍総理が異例の記者会見を行った。「異例」と書いたのは、その前日に野党の反発を押し切り国会を強行閉会させたばかりの政権トップが翌日に記者会見を行ったケースは、私が知る限り前例がないからだ。
「異例」なのはもう一つある。その会見の冒頭で安倍総理がいきなり国民への謝罪をしたことだ。
「政策とは関係ない議論ばかりに多くの審議時間が割かれた。国民の皆様に大変申し訳なく感じている」「政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省する」「(野党の)印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、政策論争以外の話を盛り上げてしまった」
 いかにも真摯に国会運営を反省しているかのような姿勢に終始した会見だった。異例の記者会見を行った安倍総理の真の目的はどこにあったのか。
 その当日、多くのメディアが内閣支持率の世論調査の結果を発表した。安倍政権を支えてきた読売や産経(系列のテレビ局も含め)の調査ですら支持率は前月の調査を10ポイント前後下回るさんさんたるものだった。調査結果には支持率が30%台に下落し、不支持率が支持率を上回ったケースもあった。そうした事態に危機感を抱いた総理が権力基盤の崩壊を何とか防ぐために「印象操作」を行うというのが、安倍総理の記者会見に臨んだ本音ではなかったのか。
 私自身は「共謀罪」については賛否のスタンスをとっていない。というより、対象とされる277の「犯罪」の内容と、捜査の運用が国民の基本的人権を侵害しないように行われるような歯止めがされているのか、さっぱりわからないからだ。野党やメディアの一部は「国民の基本的人権が侵害される」と主張したが、その根拠も不明だった。
 ただ多くの国民、特に若い人たちの記憶から遠ざかりつつあるオウム真理教のテロ犯罪を、当時権力(警察や公安)は内偵を行っていながら防げなかったという事実がある。しかし政府が主張してきた「東京オリンピック対策」とか「テロ対策のための国際協力」というのは、私に言わせれば、それこそ「印象操作」ではないかということだ。いまIS(「イスラム国」)などのイスラム過激派のテロが多発しているのは主にヨーロッパ諸国やアメリカである。日本や日本人がイスラム過激派のテロ対象にされているとは、政府や権力機構も思っているまい。もし本当にイスラム過激派のテロを恐れているとしたら、それは被害妄想の域すら超えている。東京オリンピックの安全体制を充実させるというなら、テロ攻撃されそうな国の選手団の警備を厳重にすれば済むことだ。
 ありえもしないことを、あたかも危機が目前に迫っているかのように国民の不安感をあおりたてて、その口実として東京オリンピックを持ち出す論法自体が「印象操作」に当たりはしないか。

 そもそも集団的自衛権行使は憲法の制約によって不可能としてきた従来の政府見解を、「日本を取り巻く安全保障環境が激変した」と言い張り、強引に安保法制を成立させた安倍総理自身が、野党やメディア、国民への「印象操作」を行ってきたと言えないだろうか。中国の海洋進出の野望を、私は否定するつもりはない。しかし現代の国際社会情勢下では、かつてのような他国の領土領域に対する武力侵略は不可能になっている。実際、第二次世界大戦以降における国家間の武力衝突は事実上皆無である。
 唯一例外は湾岸戦争勃発の契機となったイラクによるクウェートへの武力侵攻だが、その失敗によってかえって一方的な他国への武力侵略は自滅行為になることを歴史が証明した。私に言わせれば、その結果、日本を取り巻く安全保障環境はかつてないほど安定している。いったい安倍総理はいかなる根拠を持って「日本を取り巻く安全保障環境が激変した」と判断したのか。
 北朝鮮の核開発やミサイルも、日本を標的にしているわけではない。北朝鮮は最近「もしアメリカと戦争になれば、真っ先に火だるまになるのは日本だ」などと言い出しているが、その本音は「アメリカの北朝鮮への敵視政策や軍事行動の片棒を日本が担ぐのであれば、その結果はそうなるぞ」という牽制だ。
 北朝鮮の本音は「日本と仲良くしたい。友好関係を築きたい」だ。その理由は北朝鮮の安全保障体制が格段に改善されること、日本の経済援助(資本及び技術)で経済再建をすること、である。だから拉致問題の解決には本気で取り組んだはずだ。実際、小泉元総理が訪北したときには、日本側でキャッチしていなかった拉致者まで見つけて日本に返したこともあった。今回日本との約束を守れなかったのは、本当に見つけられなかったのか、あるいは政権中枢に近すぎで日本に返すと安全保障上の問題が生じかねないと判断した人か、のどちらかだと私は思っている。
 中国にしてもロシアにしても、日本の資本や技術がのどから手が出るほど欲しい。日本と敵対関係になっても得るものはなく失うもののほうがはるかに大きい。安倍総理もその辺のことは読んでいるから、時にアメリカの不快感を買ってもロシアと接近を図ったりしてきた。外交は単純に二国間だけの思惑では進まないことが多いから、二歩前進一歩後退あるいは一歩前進二歩後退といった局面が生じることはやむを得ないが、外交上の機微はあるにせよ出来うる限り国民に真実を伝えることが政府の義務ではないだろうか。
 そうした誠実さをかなぐり捨てて、メディアや国民を「印象操作」して一強体制の構築に奔走してきたのが安倍政権の本質ではないのか。

 いま安倍総理は憲法「改正」に全力をあげようとしている。メディアの世論調査によれば、国民の過半数は「改正」を支持しているようだが、憲法9条に関して言えば維持派が圧倒的だ。また「加権」を主張している公明党に配慮してか、安倍改憲私案は「9条1項、2項は残しつつ、自衛隊について9条の中に明記する」ということらしい。だが、2項には「戦力の不保持」と「国の交戦権は認めない」という解釈改憲の余地がない文言がある。自衛隊を憲法上明文化する場合、「実力」という意味不明な位置づけをしてきた自衛隊の位置づけをどうするつもりなのか。まさか「戦力には当たらない軍事力」などという新しい解釈を持ち出すわけではないだろうと思うが…。
 たしかに自衛隊や自衛隊員が「日陰(者)」扱いされていた時期もあったが、いまの国民感情はそういう時代とは明らかに異なる。私自身は日本の安全保障のためにも、また国際的地位の向上のためにも、自衛隊の最大の目的を「国際自然災害救援」にして、地球温暖化によると考えられている世界各地で発生している自然災害の被害者を救済したり支援したりすることを最大の目的として位置づけたら、そういう日本を侵略したり攻撃したりできる国があるだろうかと思う。

 いずれにしても政策は与党が考えようが野党が考えようが、いかなる政策もメリットとデメリットの両方を含む。政策を実現するためには法律が必要となるケースが多いが、ほとんどの法案は政府が立案する。その時、この法案が成立すれば「こういうメリット、デメリットがあります」ということを政府が国民に説明しためしがない。まず法律が必要であるという状況についての「印象操作」をメディアや国民に対して行い、そのために法律を作るというメリット面だけの説明しかしない。そういうことを繰り返してきたのが安倍政権であり、強引に数の力で法律を成立させてきた。
 そうしたやり方にとうとう綻びが出たのが「共謀法」の強引な成立であり、加計学園疑惑への幕引きを図ろうとしたことへの有権者の反応が世論調査の結果として出ただけだ。
 メディアも国民も騙されてはいけない。「印象操作」を一番やってきたのが安倍総理とその周辺だということを。
 

緊急告発……読売新聞が死んだ日!

2017-06-15 14:45:24 | Weblog
 今日(15日)午後1時30分、松野文科相が記者会見を開き、民進党が再調査を要求してきた、加計学園獣医学部新設に関して官邸が文科省に圧力をかけていたのではないかと疑われる根拠とされた内部文書19のうち14の存在を確認したと発表した。そのため週末に投稿する予定だったブログを急きょアップすることにした。

 加計学園獣医学部新設に関して、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などと記載された内部文書が文科省にあることを朝日新聞が報じたのは5月17日である(朝刊1面トップ)。その時点では朝日は情報源を秘匿していた。
 この報道を受けてメディア各社が一斉に後追い取材を始めた中、文科省の前事務次官・前川喜平氏が25日に記者会見を開き、内部文書の存在を明言した。前川氏によれば、文書は昨秋、専門教育課の担当者から示されという。「あったものをなかったことにはできない。公平・公正であるべき行政が、(官邸の圧力によって)歪められた」と怒りをあらわにした会見だった。
 この記者会見の場で、読売新聞の記者がとんでもない質問をした。「守秘義務違反ではないか」と前川氏を追及したのである。どこが守秘義務違反にあたるのか。前川氏の告発が守秘義務違反になるなら、今後、内部告発する人はいなくなる。しかも全メディアが大々的に報じた「前川の乱」を読売は完全に無視したようだ。インターネットで「YOMIURI ONLIN」のページを開き「前川喜平 記者会見」のキーワードで記事検索したが、会見記事はまったく掲載されていないことがわかった。
 実は読売は5月22日の朝刊社会面で、連載漫画の隣に3段抜きの大見出しを付けて「大事件」を報じていた。その記事のメイン見出しは「前川前事務次官 出会い系バー通い」、サブ見出しは「文科省在職中、平日夜」。強盗強姦事件並みの扱いだった。そのため前川氏の記者会見でも、記者たちから読売の報道は事実かという質問を浴びせられた。前川氏は事実を認め「貧困家庭の教育環境を調査するのが目的だった」と述べたが、この弁解はあまり説得力があるとは私も思えない。
 前川氏は偽名を使って出会い系バーにかなりの頻度で出入りしていたようで、かつ特定の女性と30回ほどそのバーで落ち合い、一緒にバーを出て小遣いまで渡していたという。その女性にインタビューをした週刊誌の報道によれば、前川氏との性的関係はなく、いろいろ相談に乗ってもらっていただけで、父親も公認していたという。
 が、もしそういう付き合いだったら、なにも「売春の温床」と言われるようないかがわしい場所で毎回会う必要などないはずだ。私だったら、シティホテルのロビーなり喫茶店やファミレスで落ち合う。その方が金もかからないし、人目を気にする必要もない。
 前川氏の行動は文科省の事務方トップとしては軽率のそしりを免れ得ないと思うが、氏の出会い系バー通いを報じた読売の「大スクープ」に対して、競合するメディア界から批判の渦が巻き起こった。メディア界だけでなく、ネット上でも炎上した。問題にされたのは2点だ。
①そもそも犯罪行為でもない一個人のプライベートな行動を、あたかも重大犯罪であるかのような扱いをしてもいいのかという批判。
②いったい、この記事の情報源はだれかという疑問。
 とくに情報源については社会的にも大きな話題を呼んだ。前川氏の告発つぶしのために官邸がリークしたのではないかという推測がネット上にも氾濫した。しかし、官邸が前川氏のプライベートな行動をいちいち監視したりするのだろうかという疑問を私は持った。考えられるとしたら警察か公安といった権力機構ではないか、とはだれもが抱く疑問であろう。犯罪とは無関係な一般人(前川氏の場合は私人とは言えないかもしれないが)の日常を公安なり警察といった権力機構が監視していたとしたら、すでに「共謀罪」の前提となる一般人に対する監視活動を権力機構が始めていたことを意味する。
 後でわかったことだが、前川氏が在職中、官邸から呼び出しを受けて、出会い系バー通いについて注意を受けていたようだ。そしてそれ以降、前川氏はバー通いをぷっつりやめている。一体、だれが官邸に前川氏の出会い系バー通いを通報したのか。そう考えると、読売にリークしたのは官邸しかありえないと思える。
 しかも時期的には官邸は極めて不利な状況にあった。前川氏が告発した文科省の内部文書がなかったことにしないと、安倍総理に大きな傷がつく。とくに安倍総理は国会で、「もし私が加計学園のために便宜を図ったとしたら、総理の座にはいられないし、議員もやめる」とまで言い切っていた。
 官邸としては安倍総理を守るために、何が何でも前川証言を「でっち上げ」にしてしまう必要があった。そういう状況に官邸は追い込まれていたのだ。だから菅官房長官は前川氏に対して「文科省職員の天下り問題が明らかになっても任期満了まで事務次官の椅子に恋々としがみつこうとしていた」(前川氏によれば事実無根のようだが)、「いかがわしい場所に連日通い詰めていたような人物を信用できるか」などと個人攻撃を繰り返し、前川証言の信ぴょう性を真っ向から否定しようとしてきた。
 が、いまとなっては自らまいた種とはいえ、菅官房長官がニッチもサッチもいかない状況に追い詰められてしまった。実際前川氏が証言した文書の存在が明らかになれば(実際再調査の結果、文書の存在が確認された)、「あったこと、ないこと」含めて前川氏に対する名誉棄損にすら相当しかねない個人攻撃を繰り返してきた官房長官を、果たして総理の女房役でありスポークスマンとして、これからも記者会見などでの発言を信用しろと言っても、それは無理な話ということになるだろう。

 官邸の話が長くなりすぎた。読売の「スクープ」記事の話に戻る。
 官邸からリークされたとしても、読売社会部の記者は出会い系バーに前川氏が出入りしていたことまでは取材でつかんだが、前川氏が出会い系バーから若い女性と連れ立ってどこに行ったのかの取材はしていない。情報をリークされた時点では、前川氏は出会い系バー通いをやめていたからだ。もしフライデーやフラッシュなどの写真週刊誌だったら、前川氏が女性とラブホテルに入るところまで追いかけて、決定的な証拠写真を抑えない限り記事にはしない。たとえ一流芸能人や有名スポーツ選手であっても、決定的な証拠をつかめない限り記事にはできない。
 が、読売はそのタブーを無視してしまった。前川氏が出会い系バーにしばしば出入りしていたことまでは、バーの店員や常連客から聞き出していたようだが、女性と店を出てからの行動について、肝心の女性から証言も取らなかった。そのうえで、前川氏があたかも買春のために出会い系バー通いをしていたかのような「印象操作」(安倍総理が野党に質問をはぐらかすために多用する表現)を読者におこなったと糾弾されてもやむを得ない記事を掲載してしまったのだ。読売に対する批判が殺到したのもむべなるかなである。
 ところが読売は6月3日の朝刊に原口隆則・東京本社社会部長の署名入り記事を掲載し、前川氏のプライベートな行動について、スクープ扱いの記事を掲載した理由について「公共性・公益性がある」と、完全に居直った反論と主張を始めたのだ。
 まず記事に対する批判に対して「不公正な報道であるかのような批判が出ている。こうした批判は全く当たらない」としたうえで、「一般読者の感覚に照らしても、疑念を生じさせる不適切な行為であることは明らかである」「次官在職中の不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうものだと考える」と居直った。
 しかし、繰り返すが、読売は前川氏の出会い系バー通いを報じた3日後に前川氏が行った記者会見で、「官邸によって行政が歪められた」として「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と、官邸による教育行政に対する不当な介入・圧力についての証言は全く無視した。記者会見に出席した読売の記者が一切記事を書かなかったのか、それとも書いた記事を読売の上層部がボツにしたのか。
確かに教育行政の事務方トップがいかがわしい場所に、目的の是非はさておいても出入りしていたことは不謹慎だとは私も思う。だが、実際に買春などの違法行為があったのかどうかのウラもとらずに、「そういう店に出入りすること自体、買春が目的だったのだろう」と読者を印象操作することを目的にしたと思われても仕方がないような報道には「公共性・公益性がある」と主張し、内部告発に踏み切った前川氏の証言には「公共性・公益性がない(と上層部が判断したのだろう)」として記事にしなかった読売ははたして「公共性・公益性」を重視するメディアと言えるだろうか。
 テレビで弁護士が「読売の前川氏のプライバシーに関する報道は名誉棄損になる可能性がある」としていることについて、読売の広報部は「記事の内容は真実であり、公共性・公益性があることも明らかなので、名誉棄損に当たるとは考えていない」とうそぶいているようだが、では記者会見のとき「守秘義務違反ではないか」と前川氏を追及した読売の記者はどういう感覚を持っているのか。その記者の感覚が正しいと考えるなら、読売は「前川氏、守秘義務違反のデマ内部告発」と大々的に報じるべきだったのではないか。もはや読売は、メディアとして死んだとしか私には思えない。

※12日の民放テレビの報道で、「最初から加計ありき」ではなかったのかという疑問を裏付ける事実が判明した。昨年9月6日に加計学園の加計理事長が、その前月に文科相に就任したばかりの松野氏と大臣室で会っていたというのである。そのこと自体はすでに公になっており、国会でも「最初から加計ありきではなかったのか」と野党が松野氏を追及した。
 その追求に対して松野氏は「大臣就任のあいさつに来られただけで、獣医学部の話は一切出なかった」と答弁したが、同席していた加計学園の元幹部が、加計氏が大臣に「今度四国に考えているので、よろしく」と明らかに根回しととれる話をしていたことを明らかにした。この元幹部の証言が事実であれば、松野氏の国会答弁は偽証に相当し、引責辞任は免れないだろう。
 ただメディアもだらしがないのは、加計氏が松野氏の大臣就任に際しあいさつのために表敬訪問するようなことが、獣医学部新設の根回し以外にありうるのかという取材を怠ってきたことだ。もし本当に文科相が交代するたびに加計氏が新大臣を表敬訪問していたとしたら、松野氏の答弁も信用できただろうが、そうした裏付けをどのメディアも取っていない。だいいち教育機関のトップが、加計氏に限ったことではなく、大臣が変わるたびに新大臣を表敬訪問するといった習慣が文科省と教育機関の間に根付いていたのだろうか。
 いや文科省だけでなく、例えば経産省や財務省、厚労省などでも大臣が交代するたびに、経産省なら主要な産業界のトップが、財務省なら金融機関のトップ、厚労省なら医療機関や製薬メーカーのトップが表敬訪問するといった習慣が霞が関には根付いていたのか。もしそうだとしたら、この習慣は官民癒着の温床を意味し、文科省官僚の天下りが舞台裏で続いていたのも当然だっただろうし、他の役所でも行われているはずだ。そういう疑問を即座に抱いて裏付け取材に走るのがジャーナリスに求められる感性のはずだ。読売を批判したメディアの記者たちも、自分たちの取材活動の手抜きを反省してもらいたい。



官邸と文科省の突然の豹変 その原因は?ーー米公聴会でのコミー前FBI長官の証言かも…

2017-06-10 13:42:47 | Weblog
 加計学園問題を巡って「総理の意向」とか「官邸の最高レベル」といった表現が飛び交った文科省の内部文書(菅官房長官によれば「怪文書」)について、文科省が文書の存在、記載されている内容の信ぴょう性について突如、再調査を行うことを発表した(9日朝)。
 それまで再調査は行わないとしてきた官邸と文科省が方針を一変させたのは、松野文科相によれば「国民の声にこたえるため」ということだが、国民の声は昨日・今日に始まったことではない。9日になって、ようやく国民の疑問に気付いたというのなら、あまりにも鈍感であり、政治も行政も国民のほうに顔を向けていなかったということを自ら告白したことを意味しないか。
 私は、この豹変をもたらした最大の原因は、アメリカのコミー前FBI長官の公聴会における証言が、日本時間8日の午後11時から始まったことにあると思っている。それまでメディアは「コミー氏はメモ魔」という根拠不明なうわさを流してきた。が、公聴会でコミー氏は、「大統領との会話をメモに残したのは初めて。大統領との会談が終わった直後、公用車の中ですぐ大統領とのやり取りをパソコンに記録したのは、会談の内容について問題になったときトランプ氏が嘘をつくと思ったから」と証言した。
 いま、アメリカで大きな問題になっているのは、ロシアとの関係についてフリン大統領補佐官(すでに辞任)へのFBIの捜査に対してトランプ氏が、トミー氏にどういう要求をしたかである。明白な司法介入であればトランプ氏には逃げ道がない。弾劾の可能性が生じた。大統領を弾劾するには、下院の議決だけでなく、上院で2/3以上による議決が必要だ。
 一般の読者は日本とアメリカの政治システムの違いについてあまりご存じない方が少なくないと思うので、簡単に整理しておこう。一般的には日米は「民主主義という共通の理念」を共有していると言われているが、世界的に民主主義という政治システムで共通しているのは「多数決原理がすべてに優先する」ということだけだ。「少数意見も尊重しなければならない」などというのは、民主主義の根本的欠陥を隠すためのごまかしでしかない。
 日本ではアメリカの下院に相当する衆議院は参議院(アメリカでは上院に相当)より上位に位置しているが、アメリカでは各州の有権者数に比例配分されて選出される435人の議員からなる下院より、有権者数に関係なく各州に2人ずつの議席が与えられている上院(総議員数100人)のほうが優位にある。実際、日本では参議院議員で総理大臣になることはほぼ不可能だが、アメリカの2大政党である共和党も民主党も大統領候補に選出されるのは上院議員か州知事の経験者である(上院議員も州知事も経験したことがないトランプ氏が大統領に選出されることは常識的にはあり得ない)。
 アメリカで最高議決機関である上院が、本当に全米の有権者の民意を代表するシステムになっているか否かは疑問だが、これはアメリカ合衆国が連邦国家として成立したことと無関係ではない。だからトランプ氏が大統領に選出された途端、民主党の支持基盤であるカリフォルニア州で米合衆国から分離独立しようという動きが生じたのも、そうした国の成り立ちに原因があるし、実際各州は連邦政府とは独立性の高い州政府があり、連邦法とは別に州法もある。当然地方自治は日本よりアメリカのほうがはるかに進んでいる。
 こうした事情がアメリカではトランプ大統領の弾劾の可能性が否定できない状況を生んでいる。議員の数からすれば、現在は下院も上院も共和党議員のほうが多いが、数の力でトランプ氏への弾劾を上院が否決すると、来年の中間選挙で共和党は大惨敗することはほぼ間違いないからだ。それに日本と違ってアメリカは所属議員に対して党議拘束をかけられない。日本でも「カジノ法」(IR法)の採決で公明党が所属議員に自由投票を認めたが、こうしてケースは日本では異例中の異例である。

 そうした日米の政治システムの違いから、アメリカでは日本のような「安倍一強体制」は不可能である。
 だが、日本でも「安倍一強体制」にもとうとう綻びが生じつつあるようだ。加計問題に関する「総理の意向」とか「官邸の最高レベル」といった表現がちりばめられた文科省の内部文書にふたをしたままで今国会を乗り切ることが不可能だという、政権内部からの声が高まったためと言われている。実際、8日の夜にはネットで「政権内部から文科省文書の再調査を求める声が…」といった情報が流されており、翌朝には、いつもの菅官房長官ではなく萩生田副長官が再調査することを記者会見で明らかにした。前日には依然として「怪文書」として再調査を拒否してきた菅氏としては、記者会見で袋叩きに会いたくなかったため逃げたのだろう(騒ぎがある程度おさまった夕方には記者会見に応じたが)。

 そうした経緯を見ると、8日の夜になってようやく「国民の声」に気付いたというのは、いくらなんでも話の筋が通らないだろう。やはりアメリカで、コミー氏が公聴会でトランプ氏とのやり取りをすべて暴露してしまったことが、民主主義のあり方として「アメリカではそこまでやっているのに、日本では臭いものには最後まで蓋をし続けるのか」という国民の声が爆発することを恐れて、政権内部や「官邸の最高レベル」もとうとう覚悟を決めざるを得なかったというのが、今回の騒動の真相ではないだろうか。
 それはともかく、日本のメディアはこの「あっけにとられるような文科省と官邸の豹変」についてどう報じたか。
 読売・朝日・毎日・日経・産経・東京の5紙の報道姿勢をチェックしてみた。
 とりあえず社説で論評したのは朝日(朝日は2本立てで、もう1本は米大統領疑惑問題)と東京だけ。読売と毎日、産経(産経は「社説」ではなく「主張」)の3紙は全スペースを割いて「天皇の退位特例法成立」を取り上げ、日経は2本立てで皇位継承問題とイギリスの総選挙について取り上げた。
 なお、朝日は皇位継承問題について無関心というわけではなく、前日の9日に社説面の全スペースを割いて論じている。また毎日は6日に社説で加計疑惑について「首相の答弁姿勢を問う」というかなり手厳しい社説を掲載している。また日経は社説では論じていないが、ほぼ連日加計問題については政治面で報道しており、10日の朝刊でも「怪文書などと断じ、逃げ切りを狙った首相官邸にとっては誤算となった」と手厳しい記事を書いた。
 そうした中で異色なのは読売だ。朝日が5月17日の朝刊1面トップで加計学園・獣医学部の新設疑惑を報じた後(この時点では前川氏の名前は出していない)、読売は22日の朝刊社会面で「前川前次官 出会い系バー通い」と題する3段抜きタイトルで、加計学園騒動のいわば仕掛け人となった前川氏の「スキャンダル」(こんなのがスキャンダルになるの? 週刊誌でも出会い系バーへの出入りだけだったら記事にしない)を大大的に報じた。ただし、加計学園問題についてはこの記事では一切触れていない。
 官邸が加計疑惑に火がつく前にもみ消すため、それなりの筋を通して読売にリークしたのかどうかは不明だが、この報道でよみうりへの批判が一気に火を噴いた。次回のブログでは加計疑惑問題についての読売の報道姿勢を徹底的に検証する。

加計学園問題の背景にあるものーー誰が誰に対して「忖度」を働かせたのか?

2017-06-06 17:58:14 | Weblog
 かなり長期にわたって体調を崩し、ブログを休んでいましたが、まだ完全ではありませんがかなり健康を回復してきたのでブログを再開することにしました。ただ、まだ長文のブログは無理なので、コラムに毛が生えた程度の文字数に抑えようと思っています。

 再開第1回のブログは、やはり今国会やメディアで大問題になっている加計学園問題を取り上げることにする。
「権力は必ず腐敗する」とは言い古された格言だが、今まさに日本でそういう事態が現在進行形の真っ最中と言っても過言ではないだろう。
 なぜ権力は腐敗するのか。
 今年の流行語大賞の有力候補と目されている、「忖度」が機能するからではないだろうか。安倍総理が直接「腹心の友」である加計孝太郎氏のために「一強」と言われる権力を行使したのかどうかはわからない。私自身は、安倍総理がそんなリスクを冒すほどのバカではないと思っている。
 だが、安倍総理と加計氏の関係は官邸では早くから知れ渡っていたようだ。総理夫人の昭恵氏が二人の親しさをうかがわせる写真をSNSで明らかにし「男たちの悪巧み!」などという冗談交じりのコメントを付けたくらいだから、官邸が「安倍総理の加計氏に対する心情」を忖度しただろうことは想像に難くない。
 文科省の前川前事務次官が暴露した加計学園の獣医学部新設認可の経緯は、もう疑う余地もないほど明らかになっている。にもかかわらず、官邸も文科省も「臭いものにふたをする」ことに躍起になっている。「一強」である安倍総理に対して忖度することに官邸も文科省の官僚も必死なのだ。
 メディアまでもが、官邸に媚びている。言うまでもなく読売新聞のことだ。たとえば前川氏が収賄などの犯罪を犯したのであれば、紙面のかなりのスペースを割いて報道するのは当然だ。が、確かにほめられたことではないが、前川氏が出会い系パブなる場所にたびたび足を運んでいたことが、1面ででかでかと報道するような出来事なのだろうか。
 ただ読売の場合は安倍総理に対して忖度したのではないだろう。まして加計氏に対して忖度を働かせる必要などまったくない。
 そもそも日本最大の発行部数を誇る読売にとって、永遠に恥部として語られることになるだろうようなスキャンダル記事(前川氏にとってではなく、読売新聞にとっての)を掲載したのは、別の人に対する忖度が働いたのだと思う。
 メディアとしての良心も誇りも捨てて読売が忖度した相手は、言うまでもなく「主筆」の椅子にしがみついている通称「ナベツネ」、その人ではないか。逆に言えば、官邸はだれに頼めば前川氏の出会い系パブ通いをスキャンダル記事(この場合は前川氏にとっての)をスクープ扱いで紙面を飾らせることができるかをよく知っていたからに他ならない。
 読売新聞は5月3日の憲法記念日に安倍総理の改憲構想インタビューを大スクープ扱いで掲載した。国会で安倍総理が「私の考えは読売新聞を読んでもらえばいい」と大見得を切り、野党から「新聞を読めというのか」とひんしゅくを買った。実は憲法記念日当日、安倍総理は日本会議が主催した集会にビデオメッセージを寄せている。内容は読売が掲載したインタビュー記事と同じだったようだ。
 なぜ肉声によるビデオメッセージではなく読売新聞のインタビュー記事のほうを安倍総理は持ち出したのか。新聞の活字になる前に、インタビュー記事を念入りにチェックしていたからに他ならない。つまり読売はインタビュー記事を原稿の段階で安倍総理にチェックさせていたことになる。新聞社にとっては自殺行為ともいえることだ。
 新聞や雑誌、週刊誌には「記事広告」がある。原稿は広告主が用意する場合もあれば、記者が取材して原稿を書いて広告主にチェックしてもらうケースもある。その場合、必ず紙面の欄外に「広告」であることを表示しなければならない。
 読売新聞の総理インタビューは、官邸から金はもらっていなかったかもしれないが、事実上「記事広告」と同じ扱いをしたことを意味する。
 そこまで安倍総理や官邸にべったりになったのは、読売新聞自体が政界と同じく「一強」体制になっているからに他ならない。
 憲法記念日に掲載したインタビュー記事も、何とか安倍政権が続いているうちに憲法を改正し、自衛隊の合憲化を実現したいというナベツネの執念が実現したからと考えてよいだろう。
 森友学園問題に続いて紛糾した加計学園問題によって生じかねない安倍「一強」体制の崩壊を何が何でも防ごうという官邸の忖度、さらに官僚の人事権を持つ官邸の意向に逆らえない文科省官僚の忖度と、安倍「一強」体制が続いている間に自衛隊の合憲化を後押ししようというナベツネに対する読売新聞社首脳部の忖度が働いた結果が加計学園問題の混乱を招いたといってよかろう。
 権力は必ず腐敗するーー言い古された格言はこうして実証されようとしている。