佐助ケ谷の街を取り囲む里山がいよいよ本格的に紅く色づき始めた秋の日、佐助自治会こども会さんが主催する「神秘の里『佐助』を歩く」というプチ史跡めぐりツアーが開催されました。ウチの陶芸教室にかよって来てくれているチビッ子たちのお母さん方からも「是非ご一緒に!」とお声をかけていただき、散歩に出かけるポチの如くいそいそとお出かけするワタシがいました…。
「鎌倉を愛する会」会長・大貫昭彦さんを講師に招いてのツアーは御成町の鎌倉中央図書館からスタート。まずは大貫さんから、図書館の北側にある御成山の上には天狗堂があったことから天狗堂山と呼ばれていたことや、御成小学校周辺は古代のお役人が政務をつかさどった郡衙(ぐんが)があったことから歴史地理学、および地質学的にも安定した土地であったことが忍ばれる…その他、軽いレクチャーを受けて、一行はすぐお隣の街・地元 佐助へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/64/39ff5e33c9f7901a823a1b4a7e7473b0.jpg)
御成山に沿って住宅地を西から北に歩き、鎌倉市景観重要建築物に指定されている笹野邸と休館中の大谷美術館の間の道を進んだ一帯は北条時盛邸跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/dc/ea93ecda2a4ba0130e1c139d809124a0.jpg)
鎌倉時代において頼朝以来源氏三代の後、幕府は京から公家や親王を将軍に迎えます。このような将軍は幼い時に鎌倉に招かれ、成人すると京へ更迭される運命だったようです。そして佐助の時盛邸は、鎌倉の御所を追われた将軍が京に返されるまで幽閉される場所だったとか。
時盛邸の説明をしながら大貫さんがつぶやいた「本当に偉いヤツは、けっして自らの手を汚しません。時盛は、本家に代わって汚れ役を務めたのです」という言葉に妙に納得。昔も今も、エラい人は上手く立ち回るようです…。
大貫さんに促されて傍らの電柱に目をやると、さきほど図書館で説明を受けた 御成山と天狗堂の関係を偲ばせる「天狗堂支」というプレートが確認できます。
ワタシ達 佐助の住民が日頃、会合やさまざまな催しでお世話になっている佐助自治会館前を通過する際、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/18/b6f004ce439fe7b453a9664565c1decf.jpg)
誰からとなく「ここも時盛邸だったってことになるのかな!?」と、いにしえをたどる楽しそうな会話が聞こえてきます。
北条時盛邸を後に、次なる探訪の地は鎌倉税務署さん。講師の大貫さんから「この税務署の中に 遠い昔の佐助ケ谷遺跡から出土した遺物が展示してあります」との説明を受け、我々一同「そんな展示コーナーがあったっけ!?」とビックリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/fe/0c507d1c3472140eea872677015d4c15.jpg)
税務署の入口を入ってすぐ左のコーナーのガラスケースに地元・佐助ケ谷の街から出土した遺物が収められていました。中でもワタシの心に「ビビッ!」と響いたのは、鎌倉時代の地層から出土したクールに青白く光るこの磁器のお茶碗。鎌倉時代当時、まだ日本では磁器を制作することが出来ませんでした。磁器の歴史をひもとけば、6世紀頃に中国で生み出されたようです。そして日本では遅れること約1000年、1616年(元和2年)に佐賀県有田町にて初めて磁器が焼かれたことが文書等に残っているようです。
ちなみに、世間では「陶磁器」という言い方が一般的なようですが、その歴史や材料等はかなり異なります。陶器と磁器との違い その他はまた別の機会にご説明、ということで…。
ワタシが住む佐助のほぼ中心に位置するこの鎌倉税務署や旧法務局界隈には、いにしえの昔に蓮華寺というとても由緒あるお寺があったとか。旧法務局の敷地内には、往時を偲ばせる「蓮華寺」の石碑が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/55/0c423c21c740285a209eceb2538eb9d6.jpg)
蓮華寺は古文書にも頻繁に登場するにもかかわらず、今もって「佐助に位置していたらしい」ということ以外、かつての所在地は不明なのだとか。このファジーな感じがまた、鎌倉らしい…というか、ゆったりまったり佐助日和…的で、思わずココロが綿アメのように溶ろけてしまいそう。
鎌倉の歴史を語らせたら他の追随を許さない大貫さんを講師にお招きしての「佐助史跡めぐり」のエンディングは佐助稲荷神社さん。ワタシ達佐助のご近所お店仲間さんが毎年夏に開催している「鎌倉 佐助のさんぽ市」の同志でもある佐助稲荷神社さんはいつ訪ねてみても、ココロ休まるスポットです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3e/eea4b25da05baa384f1104c6300fdb61.jpg)
源頼朝が鎌倉幕府を開く折の佐助稲荷神社さんとの歴史紀行はさておき、今回のツアーの講師・大貫さんはそのお話の中で「水の源に人が集まり、そして華やかな歴史とその裏に潜む人間の我の悲しさ」のようなものをワタシ達にさりげなくひもといてくれたように感じた次第です。
そして、ワタシ達 人間という生き物は、歩くとオナカが減ってきます。今回のツアーの〆は鎌倉「ひなや」さんの豪華にしてコストパフォーマンス満点の1200円お弁当。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d7/da4d3bc2b8aa66959a0bc20fe05172d6.jpg)
当ブログの常として、お料理の写真は「ノーグッド」。献立をもとに特製お弁当の味と香りを堪能していただければ幸いです。
秋の日に 楽し悲しき街歩る紀 それにつけても 佐助の里の侘住まい…
「鎌倉を愛する会」会長・大貫昭彦さんを講師に招いてのツアーは御成町の鎌倉中央図書館からスタート。まずは大貫さんから、図書館の北側にある御成山の上には天狗堂があったことから天狗堂山と呼ばれていたことや、御成小学校周辺は古代のお役人が政務をつかさどった郡衙(ぐんが)があったことから歴史地理学、および地質学的にも安定した土地であったことが忍ばれる…その他、軽いレクチャーを受けて、一行はすぐお隣の街・地元 佐助へ。
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御成山に沿って住宅地を西から北に歩き、鎌倉市景観重要建築物に指定されている笹野邸と休館中の大谷美術館の間の道を進んだ一帯は北条時盛邸跡。
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鎌倉時代において頼朝以来源氏三代の後、幕府は京から公家や親王を将軍に迎えます。このような将軍は幼い時に鎌倉に招かれ、成人すると京へ更迭される運命だったようです。そして佐助の時盛邸は、鎌倉の御所を追われた将軍が京に返されるまで幽閉される場所だったとか。
時盛邸の説明をしながら大貫さんがつぶやいた「本当に偉いヤツは、けっして自らの手を汚しません。時盛は、本家に代わって汚れ役を務めたのです」という言葉に妙に納得。昔も今も、エラい人は上手く立ち回るようです…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/67/735e42a418c460762801cd80c41ab9e2.jpg)
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大貫さんに促されて傍らの電柱に目をやると、さきほど図書館で説明を受けた 御成山と天狗堂の関係を偲ばせる「天狗堂支」というプレートが確認できます。
ワタシ達 佐助の住民が日頃、会合やさまざまな催しでお世話になっている佐助自治会館前を通過する際、
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誰からとなく「ここも時盛邸だったってことになるのかな!?」と、いにしえをたどる楽しそうな会話が聞こえてきます。
北条時盛邸を後に、次なる探訪の地は鎌倉税務署さん。講師の大貫さんから「この税務署の中に 遠い昔の佐助ケ谷遺跡から出土した遺物が展示してあります」との説明を受け、我々一同「そんな展示コーナーがあったっけ!?」とビックリ。
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税務署の入口を入ってすぐ左のコーナーのガラスケースに地元・佐助ケ谷の街から出土した遺物が収められていました。中でもワタシの心に「ビビッ!」と響いたのは、鎌倉時代の地層から出土したクールに青白く光るこの磁器のお茶碗。鎌倉時代当時、まだ日本では磁器を制作することが出来ませんでした。磁器の歴史をひもとけば、6世紀頃に中国で生み出されたようです。そして日本では遅れること約1000年、1616年(元和2年)に佐賀県有田町にて初めて磁器が焼かれたことが文書等に残っているようです。
ちなみに、世間では「陶磁器」という言い方が一般的なようですが、その歴史や材料等はかなり異なります。陶器と磁器との違い その他はまた別の機会にご説明、ということで…。
ワタシが住む佐助のほぼ中心に位置するこの鎌倉税務署や旧法務局界隈には、いにしえの昔に蓮華寺というとても由緒あるお寺があったとか。旧法務局の敷地内には、往時を偲ばせる「蓮華寺」の石碑が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/55/0c423c21c740285a209eceb2538eb9d6.jpg)
蓮華寺は古文書にも頻繁に登場するにもかかわらず、今もって「佐助に位置していたらしい」ということ以外、かつての所在地は不明なのだとか。このファジーな感じがまた、鎌倉らしい…というか、ゆったりまったり佐助日和…的で、思わずココロが綿アメのように溶ろけてしまいそう。
鎌倉の歴史を語らせたら他の追随を許さない大貫さんを講師にお招きしての「佐助史跡めぐり」のエンディングは佐助稲荷神社さん。ワタシ達佐助のご近所お店仲間さんが毎年夏に開催している「鎌倉 佐助のさんぽ市」の同志でもある佐助稲荷神社さんはいつ訪ねてみても、ココロ休まるスポットです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3e/eea4b25da05baa384f1104c6300fdb61.jpg)
源頼朝が鎌倉幕府を開く折の佐助稲荷神社さんとの歴史紀行はさておき、今回のツアーの講師・大貫さんはそのお話の中で「水の源に人が集まり、そして華やかな歴史とその裏に潜む人間の我の悲しさ」のようなものをワタシ達にさりげなくひもといてくれたように感じた次第です。
そして、ワタシ達 人間という生き物は、歩くとオナカが減ってきます。今回のツアーの〆は鎌倉「ひなや」さんの豪華にしてコストパフォーマンス満点の1200円お弁当。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d7/da4d3bc2b8aa66959a0bc20fe05172d6.jpg)
当ブログの常として、お料理の写真は「ノーグッド」。献立をもとに特製お弁当の味と香りを堪能していただければ幸いです。
秋の日に 楽し悲しき街歩る紀 それにつけても 佐助の里の侘住まい…
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