鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

トンネル抜けて、扇ケ谷に「蛍雪」ゆかりの建物めぐり…。Part‐2

2014-04-10 20:50:51 | 日記
4月も半ばを迎えて桜前線はゆっくりと北上を続け、現在は北関東方面が見ごろとなっているようです。当地でも街を淡いピンク色に染めたソメイヨシノの花は、若草色の葉桜へと移ろい始めています。ほんのつかの間の桜の季節、古くからこちらに住む多くの方々が「あの木は見事なんだ。きっと、鎌倉で一番かもしれない…」と褒め称えていた しだれ桜が気になってしかたがありませんでした。

この街の旧き時代を知る方々の間で「伝説」のようにも語られ続けているその しだれ桜は、このちょっぴり謎めいた邸宅の敷地内にたたずんでいるとか。


この邸宅の内部を探訪させていただいた時の様子は、すでに先月半ばにこちらにアップしています。今回は続編として「鎌倉歴史文化交流センターA館、B館(仮称)」となる予定のこの建物裏側に控えるお庭探訪紀…。

ちなみに上記の写真は今から約1年半ほど前の平成24年秋に撮影した建物入り口付近の様子です。写真に写っている石造りの鳥居は、現在では撤去されて別の場所に設置されているとか。この敷地と建物が市に寄贈される際、宗教的な構築物はいろいろと問題がある…とかで敢えて撤去された、らしいのですね。理解できるような、できないような、法律や規制が絡むととかくに難しいこと至極です。

イギリスの建築家ノーマン・フォスターさんが「洞窟」をコンセプトにして設計しただけあって、内部は採光を控えめにして「落ち着きすぎる空間」が広がっていました。対象的に、ひとたび外に出ると、陽光が二倍、三倍、というか、二乗、三乗…もまぶしく感じられます。

現在の住居表示で「扇ガ谷(おおぎがやつ)」とよばれるこの地は鎌倉時代に庭園やその他の大規模な施設跡が発掘されており、俗に「無量寺跡」とも認識されているようです。鎌倉の街と相模湾を一望できるこの地は陽光燦々、北風も谷戸にちぎれてそよ風に…といった具合に心地よく感じられ、たしかに重要な施設を設けるには最適な環境のように思えます。

建物の北側、裏庭の丘からは東西に歴史文化交流センターA館、B館となる予定の二つの建物が見下ろせます。

この丘には、合槌稲荷というお稲荷さんがあったことを示す石碑が残されています。合槌稲荷も現在では別の地にて祭られているとか。

2棟ある建物に沿って広がる裏庭の東端から西方向を眺めた様子。

端正な建物と対面する崖、重量感のある石畳が織り成す光景は、さながら、名だたる美術館の一角を彷彿させる趣も感じられます。

庭の東の端では しだれ梅が満開でした。時は3月半ば。ともすればモノトーン気味の邸内において、薄紅色の桃の花がひときわ輝いて見えました。


そしてこの木こそが、今回のブログの冒頭でも言及した「鎌倉で一番」と評判のしだれ桜!なのですが、寄る年波のせいか、往年の雄姿は今いずこ…、という状況のようです。

ワタシの横でこの桜を見上げていたご婦人は、かつての見事な枝ぶりを説明しながら、「こんなに小さくなっちゃったのね…」と、小さなため息をひとつ。歳老いて多くの枝が選定されてしまったしだれ桜とはいえ、春を迎えて花をつけた枝が春風に揺れていたことでしょう、きっと…。

構内とお庭を巡り、あらためて屋上から望む遠景。ワタシが住む佐助の街は写真奥の里山の向こう、直線距離にして西南方向にわずか300mほどの至近の地に位置しています。

市の計画によれば、ここ数年のうちには歴史と文化の拠点としてリニューアルされる予定とか。現在のちょっぴり謎めいた風情の邸宅がどのようなカタチに姿を変えるのか。

また、この建物が位置する扇ヶ谷の落ち着いた佇まいがきちんと保たれるのか、おおいに気になります。

そしてなにより、しだれ桜よ 永遠に…。




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