エペソ2:14-15
『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、』
律法の下にいることはとても不自由です。
律法は私たちの行動を常に監視し、罪に定めます。
サウジアラビアはイスラム教の国の中でも1番厳しい国であり、北朝鮮とともにキリスト教徒を1番迫害する国です。
両方の国に共通するものは、サウジアラビアには宗教警察が、北朝鮮には保安部があって国民を常に監視しています。
そして少しでも何かを違反するのを目撃したら、厳しい罰を与えます。
監視されている人たちは常に恐怖を感じています。
私の兄が昔、サウジアラビアで数年間働いたことがあり、その国のことを色々と教えてくれました。
宗教警察の怖さを話してくれました。
そこには真の自由や平和はありません。
それと同じく律法の役割は、救いと平和を与えるものではなく、人々に罪を教える役割をします。
律法がないと人は罪が何かを知りません。
律法の前に立つとすべての人間は罪人の姿になります。
しかし罪が分かっても人間には罪を贖う力がないので、イエス様が罪人を救うためにこの世に来られ、十字架を負いました。
十字架の犠牲によって、救いの道が開かれ、神との和解の道も開かれました。
ですからキリストは私たちの平和です。
【祈り】
主よ。主が与えて下さった平和が私にはあります。神様は怖い神様ではないです。神様から深い愛と憐れみを感じています。この素晴らしい恵みを主に感謝します。
【聖句をノートに書きましょう】
-平和-
- ピリピ4:7
- ヨハネの福音書14:27
- イザヤ書52:7
- 詩篇29:11
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※