今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

神の国の家族

2013-10-31 00:01:55 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ12:46-50)

[ 天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。 ](50節)

神のみこころを行なう者が“神の家族”であると語りました。

私たちは神のみこころを行なっている者でしょうか?神の家族として神が聖徒たちに求めておられることは何でしょうか?“互いに愛し合いなさい”が一番求めておられることです。同じ家族が愛し合う時に、愛の神様は一番喜び 共にいて下さいます。

(I ヨハネ4:20-21 -- 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。)


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預言者ヨナのしるし

2013-10-30 00:04:58 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ12:38-45)

[ しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。 ](39節)

ヨナは海の大きな魚の腹の中で三日三晩いましたが、主の助けによって生き返りました。ニネベの町に行って神のことばを伝えた時に、ニネベの町の人々はすぐ悔い改めました。

イエス様も十字架にかかり死んで葬られ三日後に復活しました。これがイエス様がメシヤである最大のしるしであります。その事実を信じないならば、どんな奇蹟を見ても信じることができません。

聖徒たちは神秘的な体験や奇蹟に基づく信仰ではなく、神のみことばに基づく信仰を持たなければなりません。そうでないなら、神様とは関係のない信仰になります。

(I ペテロ1:25 -- しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。)


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ベルゼブル論争

2013-10-29 00:02:39 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ12:22-37)

[ だから、わたしたちはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。 ](31節)

イエス様が悪霊を追い出したり、病人をいやしたりする力あるわざを見て、多くの人々は主をほめ、信じましたが、宗教指導者たちであるパリサイ人たちだけは、ねたみに燃えて「この人はただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で悪霊どもを追い出しているだけだ。」と非難しました。

私たちも時には、私よりも力があり、祈りや伝道がよく出来る人を見て ほめたり励ましたりするよりは、ねたみによって非難したり憎んだりすることはないでしょうか?

(エペソ5:7 -- ですから、彼らの仲間になってはいけません。)


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私はあわれみは好む

2013-10-28 00:06:32 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ12:1-8)

[ 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。 ](7節)

聖徒たちは他人を非難する前に、罪に定める前に、彼らを理解し愛する姿勢が必要です。パリサイ人たちは ひもじくて安息日に麦の穂を摘んで食べたイエス様の弟子に対して安息日にしてはならないことをしたと非難し、罪に定めました。

しかし、もし彼らに律法の根本精神である“愛”があったならば、弟子たちの行為を決して非難しなかったと思います。文字通りに律法を守るのが信仰の目的ではありません。律法の真の目的で核心である“神への愛”と“隣人への愛”をないがしろにして形式的に守るのは神様が求めている姿ではありません。

みことばに対する間違った解釈は捨てて、みことばが語る真の目的を正しく知ってみことばを実行する者になりましょう。

(マタイ9:13 -- 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。)


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まことの安息への招待

2013-10-27 00:02:20 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ11:25-30)

[ すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 ](28節)

人間の本当の幸せは お金でも 力でも 名誉でも 出世でも 健康でもありません。

手に入れると幸せが保証されるでしょうか。心が平安になるでしょうか。それらがあらゆる人生の重荷を取り除くでしょうか。人間はそれを手に入れると幸せになると錯覚して生きています。手に入れた後に錯覚に気付くでしょう。

もし今も人生の重荷と悩み、そして罪の問題から解放されずにいる人がいるならば、キリストのことばに従って 主イエス・キリストの前に出て下さい。そうすると、ことば通りに平安と安息を与えて下さいます。

(詩篇68:19 -- ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。)


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