劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

独りの時間の幸せⅠ~横浜関内篇~

2009年09月05日 | 随想
 散歩や散策というものに、縁のない半生を送ってきた。「とくに目的も無く、一人で外へ出かけ、ぶらぶらする時間」―自分にはその意義や必要性がピンと来なかったし、そもそも生活の中に「散歩や散策」が入り込む隙間は無かった。少年期から働き、芝居に明け暮れ、創作活動に身を投じてきたので、「ぽつんと独りで過ごす時間」の記憶がない。もちろん、息抜きや楽しみの時間はある。友人と語り合う時のコーヒー、稽古の帰りや打ち上げに仲間と酌み交わす酒、…しかし、独りで喫茶店や酒場でひと時を過ごすということはなかった。時折、そうした大人のたたずまいを素敵だなと思ったことはあるが、話し相手もなく独り沈黙の中でコーヒーをすすり、酒を飲み干す姿は自分には無縁のものだと思っていた。
 ところがこの「独りの時間」がいつの間にか私にも生まれていることに最近気づいた。あれほど誰かと一緒にいることが好きだったのに、独りでいることが心地よくなっているのだ。歳をとったためだろう。気遣いも要らず、自分だけの自由な時間が楽に感じられるのだ。かつては他人との関係を作り、培い、拡げていくことに情熱を掻き立てていたものだが、あれだけのスピードとエネルギーを今は持ち合わせてはいない。  
 もう一つ、「独りの時間」を生み出したと思われる理由―老親の介護の始まりがある。これも歳をとったこととつながっているわけだが、他人との関係からの自由ではなく、肉親との時間からの自由という点で異なっている。何年も前、『子育てや家事から解放されて外で自分だけの時間を持ちたい』という若い母親や中年の主婦の声を聞いたことがある。その時は『何をゼイタクなことを言ってるんだ!』などと的外れな放言をしてしまったものだが、今になって、彼女たちの気持ちが少し分かるのだ。空間的・時間的に拘束されているという束縛感から解放されたいという思いは、単なるわがままでも家族への愛情の希薄さからくるものではなく、人間としての正常な感情の発露であり、これからも続くであろう日常生活を機嫌よく推進していくための「リフレッシュ時間」への希求なのである。
 先日、介護ヘルパーさんのサポートにより日常から解放されて、横浜関内の散策、「独りの時間の幸せ」を味わうことが出来た。昼下がり、中華街をぶらぶらした後、遅めの昼食をとる。こちらの条件は、こじんまりとした店内で落ち着いた雰囲気、リーズナブルな料金、そこそこの味である。生ビール、シュウマイと焼きソバをつまみに、燗をした紹興酒(グラスに砂糖)がこの日の注文だった。ほろ酔い気分で小説家大仏次郎や進駐軍司令官マッカーサーの定宿の老舗ホテルへ。ゆったりとコーヒータイムを過ごした後、2Fの「ザ・ロビー」へ上がる。宴会が無い日は自由に出入りできる場所で、非日常的な気分を味わえる空間だ。やがて夕刻となり、山下公園に出る。ベンチはほとんど家族連れやカップルに占拠されていたが、一つだけ空いていた。足を伸ばしてふんぞり返る。潮のにおいが漂っている。…ああ、いい気持ちだ!大桟橋まで弧を描いている海辺、右手には氷川丸が美しくもどっしりと係留されている。この風景が夕闇に沈む頃、日常に戻るべく帰宅の途についたのだった。


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