劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

日本のオペラ2公演から受けたもの

2009年09月13日 | 創作活動
  9月5日、第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内)で上演された東京室内歌劇場定期公演・実験オペラシリーズ《往きと復り》・《妻を帽子と間違えた男》を鑑賞した。
旧知の神谷真士氏が出演参加されていたこともあるが、公演チラシに、「1927年に書かれた室内オペラの代表作・時が逆行し物語が巻戻る不思議なオペラ」「(1987年)脳神経に異常を持つ男性の話として、現代の病理を衝いた問題作」と書かれていた一節に惹かれてのことだった。前者は「新古典主義時代の多作家パウル・ヒンデミット作曲の字幕付原語(ドイツ語)上演」、後者は「イギリスのミニマルミュージックの旗手で映画音楽の重鎮マイケル・ナイマン作曲の字幕付原語(英語)上演」―この短編オペラのダブルビルは、期待に違わない興味深い展開だったし、アフタートークでの指揮者や演出家の話も好感の持てる誠実な内容だった。
 演劇ユニット 東京ドラマポケットでは、「演技・音楽・美術の連関性に重点を置いた創造的実験公演に取り組」んで来たので、このような劇構成や主題の舞台に注目するのは自然の成り行きかもしれない。オペラの世界に関しては門外漢の私だが、こうした実験的な取り組みが継続され、また客席も七割がた埋まっているのを知って、嬉しく心強く思った。
 さて、公演パンフレットの巻末に東京室内歌劇場の役員一覧が掲載されており、そこに「顧問 伊藤京子」とあった。私は一瞬にして時間がさかのぼる感覚に襲われた。1966年2月12日東京文化会館大ホール、オペラ『夕鶴』(主催=毎日新聞社・新芸術家協会)の舞台で主役つうを歌う伊藤京子氏―歌声も容姿も美しい「つう」が眼前に浮かんできたのである。戦後日本が生んだ代表的な戯曲『夕鶴』のオペラ版(團 伊玖磨作曲)は、日本で高く評価されたばかりでなく、海外で最も上演回数が多い日本オペラの代表作品である。私がその夜観たオペラ『夕鶴』から3年後の1969年に東京室内歌劇場は創設されたとパンフレットにあり、何かフシギな感慨を覚えた。
 ところで、名作オペラ『夕鶴』には、当初から私はある違和感を持ち続けてきた。日本の民話が素材であり、衣装ももちろん着物である。そして、音楽(歌詞部分)は、原作戯曲の台詞に付曲されている。劇の物語も視覚的な世界も日本そのものなのに、音楽という聴覚的な世界だけが西洋のものなのだ。ベルカント唱法の美しい響きだけがとって付けたような印象を与え、日本の風俗を借りた西洋歌劇の世界に映ってしまうのである。オペラ『夕鶴』のパンフレットに、次のような評論が掲載されている。
 …「どんなことばも、みんなうたってしまう不自然さ」が、《夕鶴》のなかにはある。/現代では、むしろ、そのような不自然さをなるべく避け、それぞれの民族のことばのもつ音楽的な美しさを生かして語られ、かつ、それが劇としての発展のなかで音楽とかかわりあった独自の効果を生み出す方法が、さまざまなかたちで追求されている。(夕鶴の音楽=木村重雄)
 演劇における音楽のあり方、セリフ(言葉)と音楽との関係、そして、劇の構成―これは「演劇ユニット 東京ドラマポケット」において重要なモチーフであり、このことを外して創造活動が行なわれることはない。2009年の東京室内歌劇場の実験オペラ公演と1966年のオペラ『夕鶴』公演から受けたものは、私の創作意欲を刺激し、何らかの影響を与え続けることだろう。

写真左上は、晴海トリトンスクエア(第一生命ホール入口)。写真左下は、東京室内歌劇場の公演チラシ。写真右下は、オペラ『夕鶴』のパンフレット。


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