劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

幸せのBASE「心技体」~技③

2023年06月03日 | 随想
 私たち一般人にとって「技能」とは何だろう?
 かつては、個人の技能以前に「学歴」が就職および職場における立場を決定していた。「中卒」は店員や職工・作業員など現業労働者、「高卒」は公務員・会社員として事務職・営業職に就いた。残りの三分の一が大学へ進学し「学卒」としていわゆるキャリア官僚や会社の管理職の支配層に収まったのであった。役所や会社における「学歴重視・年功序列・終身雇用制」は揺るぎないものだった。数十年後、日本社会の基盤であるそれらが崩れ去る時代になろうとは思いもよらなかった。
 当時、私は他の同級生同様、家庭の経済的状況のため「高卒」の身分で社会に出ようとしていた。実業高校の一つ商業高校では、即戦力の一員として送り出すため、商業一般・簿記・珠算・文書実務などが必修科目とされていた。日本企業の底辺を支える企業戦士としての技能を身につけるため、その学習に励み珠算や簿記の検定試験を受けることになっていた。学歴は「高卒」でも、履歴書の資格欄に「商業簿記検定三級・珠算検定二級」などと記入できると就職の際に有利になるからだ。
 そうした流れに私は100%乗り切れないものを感じていた。米軍武山キャンプの通訳兼マネージャーを辞め入院生活を送っていた父の影響もあってか、外国へのあこがれが強く英語の学習に傾倒していた。自由選択科目「和文タイプ」「英文タイプ」があるのを知ると、私は迷うことなく後者を選んだ。夏休み期間には早朝から学校の英文タイプ室にこもってテキストを横目にタイピングの練習に打ち込んだ。タイプ室にいるのは一人だけ。ずらっと並んでいるアンダーウッドやレミントン社製のタイプライターが迎えてくれた。そして、両手指のブラインドタッチがまがりなりにもできるようになったのである。
 就職は学校が推薦してくれた日本企業を辞退して外資系の会社に入った。学歴不問で高給、実力主義。英字新聞の求人募集(help wanted)を頼りに面接を受けた。神宮前の輸入会社から銀座八丁目の貿易会社へ移った頃、資生堂の並びにあったクロサワという外国製事務機器を扱っていた店のショーウインドウを眺めていた。オリベッティ社製で水色の小型タイプライター29,800円(当時の大卒の月給の2倍)が欲しくてならなかった。昭和39(1964)年、東京オリンピックの年であった。
 今や、事務機器としては、算盤はもちろんのことタイプライターも“戦力外”になった。計算機の発達、コンピュータソフトによる処理、ワープロに続くパソコンの登場で、手計算や帳簿付けの仕事は無くなり、商業高校で習得した技能は現在では無用のものとなっている。
 ただ、私のブラインドタッチの技能は生かされることになった。パソコンのキーボード配列が「英文タイプライター」と同様だからである。若い世代にとってなんでないブラインドタッチが、私の世代においては馴染みがないため「特技」となる。パソコン操作が「情報リテラシー」=「情報機器を活用して情報社会を生きていく能力」の必須条件になっているため、同世代の多くはそこから落ちこぼれる結果になった。
 さて、これからの時代を生きる上で私たち一般人が身につけておかなければならない「技能」とは何か。進学率の急上昇に伴い「学歴」の価値は薄れ、大企業への“就社”も身分保障とならなくなった。給与体系の変化や他社との統合などが日常化しているためである。今後は“社員”以前に、個人個人の「技能」が問われるシビアでタイトな時代になる。
 それでも、その「現実」を受け入れて人間の在り方を模索し実践していけば、希望の灯は見えてくるにちがいない。時代に即した「幸せのBASE『心』と『技』」を考えていきたい。
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