ふだんの暮らしから離れて、様々な地を訪れる…私の旅は一般と何ら変わらない。やや変わっているとすれば、観光が目的ではなく非日常的な時間を過ごすことで作品構想のキッカケを得る点かもしれない。また、その土地の温泉に浸り伝えられる歴史の一端に触れることも楽しみとなっている。



養老駅でタクシーを下車、地元ローカル私鉄「養老鉄道」に乗り25分で東海道本線「大垣」駅に着く。旅の目的は(前回の記事の通り)大垣藩の歴史と関連する史実の調査であったが、予定外の遺跡にも巡り合った。八幡神社境内の「さざれ石」―国歌となっている詞「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔のむすまで」にある“さざれ石”である。


この“さざれ石”に心が動いたのは、遺跡の由縁に感銘を受けたからだけではない。筆者の戸籍上の名が「巖」であったからだ。
小学校一年生の教室での出来事を思い出す。校長が机間巡視の際、「巖」を見て『君の名前は難しいね』と言った。「画数23画」の一文字を小さく書けず氏名欄からはみ出していたのだ。周囲は親しみを込めて「ガンちゃん」「いわおさん」と呼んだが、本人はこの人名漢字に馴染めなかった。
しかし、八幡神社境内の「さざれ石」の前に立った時、「長い年月が掛かって大小の石が集まり大きな巖となった」ことに自分の半生を見る思いになった。国歌「君が代」の趣旨からは離れるが、これまで生きてきたあれやこれやの集結が今の自分ではあるまいか…。
ひとり旅は、自分一人だけの時間であり、考える余裕も生まれる。旅の目的には無かった「予定外の心の糧」にも出会える。
たとえ短期間であっても生活圏外での「ひと時」をこれからも持っていきたいと思う。
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