サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

なかった2022

2022年01月04日 | サカタだよ

南を甲子園に連れていくと約束したのに未成年飲酒で予選にさえ母校を出場できなくしてしまった俺は17歳から今日まで20年あまり酒浸りの日々を送り続けて、南という酒を飲んだ途端に南のあの蔑むような目を思い出したけど、そんな思い出なかったし年齢もどさくさに少しだけサバ読んだ。

 

新弟子だったころは早朝に起きて空腹のまま朝稽古に励み、土俵をきれいに掃除してからチャンコを食べて寝た……昼寝のあとも空腹で稽古して土俵をきれいにしてチャンコ食べて寝る、その繰り返しで体重を増やして土俵の下に眠るという宝を我が物にしようと思ったのに、よくよく考えると新弟子だったころも土俵の下に眠る宝もなかった。

 

みなさんは工事中のトンネルをただ見学にきたつもりでしょうが、そうは問屋が卸しません。ツルハシを人数分ご用意しましたので作業着にその場で着替えてください。貫通するまで帰れませんよ……と案内人がいつ言い出すか気が気じゃなかったけど、そんなドッキリなかった。

 

1999年 King CrimsonのRobert Frippと

わたしがまだピアスをあけないころ、わたしの髪は肩までなかった……だがしかし、そういうピアスをあけたことも髪が肩まであったことも金輪際なかった。

 

いつも砂糖を入れないのに、1さじ入れたら祖母が小学生のぼくに砂糖を勧めるので素直にいうことを聞いた日の思い出が蘇った。これは面白い。2さじ目を入ると何も思い出すことはなかった。

 

誰もいない海を見ていたら魂のふるさとを思い出して心が満たされるのではないかと鈍く光る水の面をじっと睨んでも、喉が渇いて腹が減るばかりで満たされることはなかった。

 

そろそろかと紅葉狩りに出かけたが時季ハズレで紅葉などなかった。

 

紅に染まった鬼を緊縛したマニアはどこに? とあたりを見回しても、そんな縄師いなかった。

 

日本人がネバネバを好むのは里芋を主食にした縄文人の記憶が残ってるからで、ヨーロッパの人は近代まで芋を見たことがなかったからネバネバが苦手なんだと聞いたことがある。酔うと役に立たない知識を漏らすのは悪い癖だとわかってるけど、いまは飲んでなかった。

 

日比谷公園でこれを見たとき2つの逸話を同時に思い出した。(1)川に流されたロムルスとレムスは狼に育てられ父の敵を討ってローマを建国した。(2)狼に育てられ孤児院に保護されたアマラとカマラは言葉の覚えが悪く人間の社会に適応できず早死にした。自分だったらどっちかなって考えてみたけど、そんなのどっちでもなかった。
 
 
 

歌広場淳が不倫してゴールデンボンバーが活動自粛することになりクリスマスライブを中止するというネットニュースの見出しが「クリス」で切れてたのでクリス松村がゴールデンボンバーのことを励ましてるのかと思ったら、そんなクリス松村いなかった。
 
 
 
なんの実かと画像検索したら小梨だった。
 
小梨が揺れるのをじっと見ていると人生のいわば春から夏にかけて密かに夢みてきた珍しい花々が秋を迎えてしっかり実を結びそうだけど、そんな実なかった。
 
 


焼きそばパンといえば誰もが懐かしく感じるかのようなイメージが形作られているものの、胸に手を当てて考えてみると焼きそばパンに特別な思い出がなかった。
 
 


普通のニセOLだった私がたった3か月で1000万円! 芸者遊びで散財しても常に倍以上も自動でゲットできるから左うちわ確実ですと千のアカウントで拡散したけど芸者遊びの経験ないし、普通のニセOLでもなかった。

 

なんの実かと画像検索したらカラタチだった。

ああそうだよ山田耕作、滝廉太郎、この道はいつかきた道……だがしかしカラタチの花が咲いてるのを見た覚えは全然なかった。さらにいうなら「この道」は「からたちの花」とは別の曲で、どちらも作詞・北原白秋 作曲・山田耕筰でまったく滝廉太郎は無関係だった。かてて加えて「この道」はカラタチではなくアカシヤだった。カラタチの実で「この道」を思い出すのはお門違いだった。

 

 

芦屋のおばあちゃんは今にして思えば祖父の後妻で先妻の子もあったので自分には従兄弟、従姉妹や甥、姪がやたら多くて覚えきれないくらいいる中にアメリカ暮らしの男の子もおり、移住したばかりで英語がちんぷんかんぷんだったから看板を無視して海に入ってサメに食われたと聞いているが、よくよく確かめるとそんな親戚いなかった。

 
 


まぶたを閉じると映画館のスクリーンが浮かんで、人生のエンドロールが流れるんだけど目を開けたらまだ生きてる……もう一度まぶたを閉じてエンドロールを最後まで見届けたらどうなるか、続編を匂わせるシーンがあったら嫌だけど気になるので目をつぶるともう上映終了して画面に何の影もなかった。
 
 


大虎になって帰宅したぼくがラーメン食べたいといったら執事が健康に配慮して南瓜のポタージュを作ってくれた。一夜明けて胃もたれも脱水症状もないのは、あれのおかげと気づく。そろそろ、正月かと思ったらまだ大晦日に過ぎなかったが、今年もなんだかんだ執事のアルフレッドには世話になりっぱなし。財産の大半を失ったにも関わらず、なぜか1人だけぼくを見捨てず屋敷に残ってくれている。絆に感謝してるけど、そんな執事のアルフレッドも絆も南瓜のポタージュも一切合財なかった。
 
 


多くの人は悔いのない生き方をしたいというけれど自分など幼いころから悔いることばかりで軌道修正しながらどうにか生きのびてきたから「悔いる=生きる」と思えてならず、もし悔いることがなければ反省も自重もない迷惑な存在になり果てるのではないかと恐れ慄きさえするものの、そんな存在なかった。
 

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