南を甲子園に連れていくと約束したのに未成年飲酒で予選にさえ母校を出場できなくしてしまった俺は17歳から今日まで20年あまり酒浸りの日々を送り続けて、南という酒を飲んだ途端に南のあの蔑むような目を思い出したけど、そんな思い出なかったし年齢もどさくさに少しだけサバ読んだ。
新弟子だったころは早朝に起きて空腹のまま朝稽古に励み、土俵をきれいに掃除してからチャンコを食べて寝た……昼寝のあとも空腹で稽古して土俵をきれいにしてチャンコ食べて寝る、その繰り返しで体重を増やして土俵の下に眠るという宝を我が物にしようと思ったのに、よくよく考えると新弟子だったころも土俵の下に眠る宝もなかった。
みなさんは工事中のトンネルをただ見学にきたつもりでしょうが、そうは問屋が卸しません。ツルハシを人数分ご用意しましたので作業着にその場で着替えてください。貫通するまで帰れませんよ……と案内人がいつ言い出すか気が気じゃなかったけど、そんなドッキリなかった。
1999年 King CrimsonのRobert Frippと
わたしがまだピアスをあけないころ、わたしの髪は肩までなかった……だがしかし、そういうピアスをあけたことも髪が肩まであったことも金輪際なかった。
いつも砂糖を入れないのに、1さじ入れたら祖母が小学生のぼくに砂糖を勧めるので素直にいうことを聞いた日の思い出が蘇った。これは面白い。2さじ目を入ると何も思い出すことはなかった。
誰もいない海を見ていたら魂のふるさとを思い出して心が満たされるのではないかと鈍く光る水の面をじっと睨んでも、喉が渇いて腹が減るばかりで満たされることはなかった。
そろそろかと紅葉狩りに出かけたが時季ハズレで紅葉などなかった。
紅に染まった鬼を緊縛したマニアはどこに? とあたりを見回しても、そんな縄師いなかった。
日本人がネバネバを好むのは里芋を主食にした縄文人の記憶が残ってるからで、ヨーロッパの人は近代まで芋を見たことがなかったからネバネバが苦手なんだと聞いたことがある。酔うと役に立たない知識を漏らすのは悪い癖だとわかってるけど、いまは飲んでなかった。
歌広場淳が不倫してゴールデンボンバーが活動自粛することになりクリスマスライブを中止するというネットニュースの見出しが「クリス」で切れてたのでクリス松村がゴールデンボンバーのことを励ましてるのかと思ったら、そんなクリス松村いなかった。
なんの実かと画像検索したらカラタチだった。
ああそうだよ山田耕作、滝廉太郎、この道はいつかきた道……だがしかしカラタチの花が咲いてるのを見た覚えは全然なかった。さらにいうなら「この道」は「からたちの花」とは別の曲で、どちらも作詞・北原白秋 作曲・山田耕筰でまったく滝廉太郎は無関係だった。かてて加えて「この道」はカラタチではなくアカシヤだった。カラタチの実で「この道」を思い出すのはお門違いだった。
芦屋のおばあちゃんは今にして思えば祖父の後妻で先妻の子もあったので自分には従兄弟、従姉妹や甥、姪がやたら多くて覚えきれないくらいいる中にアメリカ暮らしの男の子もおり、移住したばかりで英語がちんぷんかんぷんだったから看板を無視して海に入ってサメに食われたと聞いているが、よくよく確かめるとそんな親戚いなかった。
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