サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

またなかった

2020年03月04日 | サカタだよ

このままでいれたら……と思う瞬間まで遥か遠く終わりのない旅をしても、そんな瞬間なかった。

そうです、またあのシリーズです。

ぼくがまだクラブに出入りしてたころ、MDMAは「合法ドラッグ」として回ってきてみんなキメセクしてると評判だからどんな感じがするんだろうって眠れないほど興奮したものですが、それから「危険ドラッグ」と呼び名が変わっていつか非合法になり、マリファナLSDコカインと同列になった途端まったく興味なくなったのに最近すごく悪いものみたいに取り沙汰されるのを聞いて昔をよく思い出すにつけ、クラブに出入りしてたころなんてなかった。

 

某所にカレーの写真ばかり上げてるからバランスを取るためにラーメンの写真を上げてみたけど、そんなバランスなかった。

 

 自転車通学した高校時代、始業時刻の直前は校門が自転車だらけの天安門広場に毎朝なったのを覚えているし、それから天安門広場に戦車が出て人が死んだのが大変ショックだったことも覚えてる……中国政府はそんな天安門事件などなかったと主張するけど実際あったし、香港があんときの天安門広場に似てきたので逆さまにひっくり返された多くの自転車を目にして阿鼻叫喚図がフラッシュバックしかけたけど、そこは天安門広場じゃなかった。

 

うちで原稿を書くときはPCとWCの往復ぐらいしかしない(通りすがりに冷蔵庫や電子レンジに寄って何か食うことはある)ので健康の原稿で不健康になってる感じだけど、そんな原稿いまは書いてなかった。

 

全力を出して走ることなんて、もう一生ないと思っていたけど人生って何があるかわかりませんね……リズムよく地面を蹴って腕を振り体幹で力の連動を感じて駆け抜ける、そんな自分自身の姿を想像したら大きな壁を乗り越えられた気がしましたが、あるのはイメージだけで走った結果も乗り越えた壁もありませんでした。人生こんなことが起こるとは!

 

ターンしなくていいから(回数が半分だから)25mにくらべて50mプールのほうが早く忘れられる、何もかも……淡々と腕や脚を伸ばし水を掻いて進むこの自分は誰だっけ? どこからきてどこへいくんだっけ? わからないけど泳げるうちはどこまでだって続けていくのみと水を見つめて妄想するだけで、1mmたりとも泳いでなかった。

 

もの自体には形や色があるわけじゃないから美しさは光がものに反射する加減で生じる錯覚にすぎない……そんなことを思いながらスナップを撮っていたら保護者が盗撮の疑いをかけてきたが、もちろん撮っているのは子ども自体じゃなくその場の光だけだった。

 

私はご存じのとおり厳しく自己を律しているので、不必要に重いダンベルを何組もジムで専有して床に叩きつけながら奇声を発する反社会行為はしませんし、そもそも今この時間にジムで鍛えてるわけじゃありません。

 

 

「鉄は国家」といわれた頃は誇りをもって8時間ずつ3交代の勤務に励み、四畳半の寮に2人ずつ寝るんだけど冷房ないから夏は暑くて眠れないし、機械が回るの見るとつい手を伸ばして巻き込まれそうなことも一度や二度じゃなかったと思い出があふれて止まらないのに、それでも製鉄工場に勤務したことなかった。

 

 

坂田滋久 さんは老後のため 居酒屋しげちゃん 始めました……とライフイベントに追加しようとしたけど、そんな 居酒屋しげちゃん なかった。

 

 

先程、編集部に土田広之(つちだ ひろゆき)さんという方の奥様からお電話がありました。奥様の話によると、土田広之さんは現在ターザン編集部に所属していて出張に行っているはずなのだが、連絡がつかず困っている、ということです。しかし確認しましたところ、現在ターザン編集部に土田広之さんという方は在籍していなかったのでその旨を奥様に伝えました。何かご存知の方はご返信お願い致します。

          *
というメールがバイトさんから編集部のみんなに送られて、創刊の頃からいる大ベテランが返信した。
          *
へえ、不思議な話があるもんです。
ターザン編集部が創刊準備室だった頃から、土田広之さんという人は、社員でもフリーランスでも、存在(在籍)していません。
それでも奧さんと称する人の話が事実なら、土田広之さんのウソはなんのためなんでしょう?
          *
なぞだらけだけど、そんな土田広之いなかった。
 
 
 
この時季になると舟よしのマスターが作るカラスミが楽しみでね、うんやっぱりおいしいよと妄想をつまみに焼酎お湯割り飲んだくれたけど、そんなカラスミなかった。
 

 
眠りから覚めると、すでに昭和じゃなかった。古い夢の中でぼくは嘘を書き連ねて投稿しては「いいね!」の数をかぞえていたけど昭和にそんなSNSなかった。
 
 
ときどき天から降り注ぐ雨で器ひとつひとつに命の水が補われたら、それぞれの中に溜まった水の干上がる刻までが各人の寿命であるため、乾いた器から拾って投げ割り土に返すのが死神のはしくれたる自分の仕事……がんばらなくっちゃと思ったけど、そんな仕事なかった。
 
 
 
昭和の終わりに漂った自粛ムードが平成の終わりに訪れなかったなと思ったら日本の終わりにそれがやってきてオリンピックをキャンセルしてもしなくても終わるときはすべて終わるんだと思ったけど、そんなの関係なかった。
 
 

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