サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

カレー古今東西

2020年03月11日 | サカタだよ

中国とインドの国境にまたがる高度4250mのパンゴン湖はもともとインド領なんだけど

あるとき中国の人民解放軍が攻めてきて3分の2を実効支配してしまった。だから観光客が

行こうとすると厳重なチェックがあります。そんなパンゴン湖の「海の家」(湖の家?)で

食べたカレーが上の写真です。

パンゴン湖に行く大変さを書いたブログ

高校を卒業してから30年以上にわたり「ひとりカレー部」の活動を細々と続けてきましたが、

昭和から平成、平成から令和へと元号が変わるにつれて潜伏カレー部員(?)がSNSなどで

つながり、集まってカレーを食べたり、これまで密かに食べてきたカレーの写真をグループで

共有することが盛んに行われています。

これは松戸に行ったとき、ふと入った「カレー専門店 印度」です。どんなカレーが出てくるか

このあとお見せしますが、日々そんなノリでいろんなカレーのことをクローズドのグループに

アップしてると、これって自分の投稿まとめたらブログになるじゃん? と思っちゃいました。

編集者の悪いクセです。

「印度」に入るとカミナリ様のようなパーマのおばさまがカウンターの内側に座ってタバコを

吸いながらテレビを見ていました。重い腰を上げて作ってくれた印度カレーがこれです。また

テレビを見てくれて構わないのですが、ぼくが食べている間はじゃがいもの皮をむいたりとか

仕込み作業のようなことをやるので、なんか悪かったかなと思いながら食べたカレーは意外に

スパイスが効いており、南インドっぽいのでした。値段も安い。

亀有に取材に行ったとき、駅前にある地下の飲食店街の奥のインド料理店でカメラマンさん、

ライターさんと食べたカレーはナンがでかい! そして周囲にはキャバクラがいっぱいです。

飲食店街というよりも、歓楽街という感じ。南インドのカレーが油をあまり使わずサラサラ、

シャバシャバしているのに対し、北インドのカレーはバターなど使ってコッテリしていると

よくいわれますね。ゆえに松戸は南インド、亀有は北インドです。

東インドはどこだろう? 探したら東京の西のほう、町田に東インドカレーの店がありました。

アッチャというお店です。その日は仕事もあるので開店時刻ちょうどにアッチャに到着すると、

店が閉まっています。アッチャ―、臨時休業かと思ったらしばらくして鍵を持ったおじさんが

あらわれて「入って待ってて」といいます。「いま作るから少し待って」といわれて待ったら

サンマが丸ごと1尾カレーの中で泳いでいます。東インドでは魚がカレーの中を泳ぐのが当然と

おじさんが教えてくれました。「サンマを使うんですか?」と質問したら、「普通は川魚だけど

日本はサンマが安いからサンマを使う」という答えでした。

町田は東インド、というよりバングラデシュでした。西インド、というよりパキスタンはどこ?

探したら麻布十番にハラルの店がありました。うちの子が小学生のころは土曜の学校帰りによく

ハラルのカレーを食べたものです、イスラム教徒でもないのに。現在は閉店しましたが、四谷に

姉妹店があります。シディークパレスという店。

日本の北の果て、稚内では市場の2階の食堂でカニカレーを食べました。カレーの味で完全に

カニの存在感が消えて、これはカニの意味なかったなー。もったいない。

勤務先の東銀座には西の最果て佐世保カレーの店「蜂の家」があるのですが、元祖の佐世保は

どうなってるかな? と調査に行ったらメニューが銀座よりずっと多い! チキンレッグカレー

なんて銀座にありませんよ。

鶏の足をつかんで食べるワイルドなカレーです。柔らかいので、食べようとすると鶏モモ肉が

ボットンとカレーに落ちてオツリが返ってきました。つい連想してしまいます。

東日本大震災の2年後、仙台に取材に行ったとき津波被害がどうなってるか仙台から石巻まで

移動してみたんですね。ずいぶん流されてしまっていましたが「石ノ森萬画館」は残っていて、

そこの食堂で食べたのが写真の「黄レンジャーカレー」です。黄レンジャーが何杯もおかわり

したカレーって、こんなのだったかなあ。もうちょっと黄色かったような? スプーンを水に

つけるのが昭和のカレーでした。

石巻まで仙台から移動したときのブログ

佐倉の国立歴史民俗博物館の食堂で食べた古代カツカレーです。古代にカツカレーがあった?

これは、古代米を使ったカツカレーという意味なんでしょうね。カレーっていつ頃から日本に

あるんだろう。飛鳥時代にはペルシャ人やインド人が来ていたようだから、もしかしてカレー

食べた貴人がいるかもしれないけど、一般的な日本人がカレーを口にするようになったのは、

まあ明治以降でしょうね。

愛知県の明治村にきました。2階から顔を出しているのは借金の名人で詩人の石川啄木です。

石川啄木はあきらかにカレーを食べたことがあるようです。

中学の時、親友の金田一京助君のお姉さんの家ではじめて食べたカレーライスが展示されて

います。もちろん食品見本ですが、近くの食堂で明治のカレーを再現して出していたので、

せっかくなので食べてみました。

これが明治のカレーだそうです。昭和とあまり変わりません。黄レンジャーのカレーがこんな

イメージでした。東郷平八郎がビーフシチューを日本で再現しようとして出来上がったものが、

肉ジャガだそうです。だから肉ジャガは「おふくろの味」じゃなくて「おやじの味」なんです。

彼氏に肉ジャガ作りたがる女子は、母性じゃなくて父性をアピールしていることになりますね。

話が完全にそれてますが、カレーについてはネタがまだあるので来週は「カレー古今東西2」を

お届けします。下のリンクは、「かくれカレー部」時代のお話です。

 

関連記事:   カレー部のこと

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