サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

なかったなかった

2020年09月02日 | サカタだよ

友達の妹の元カレの勤め先の取引先の企業の宣伝部の仕事を受注してる電通のトンネル会社の社員がクラウドの書類をパソコンで処理してる様子がテレビの画面に映ったが、そんな社員は実在しなかった。給付金の中抜きを批判されたので仕方なく雇った桜だった。

 

豚貴族(だれがですか)が鳥貴族で
メガ金麦を流し込んでおりますと、
「サカタさん!」
肩に触れてくださるのは、もう25年も
よくしてくださる真のナイスガイ
「編集長ですよね?」
お世辞を繰り出されると否定できず
「ニセ編集長です!」
元気いっぱい、お連れの方にも笑顔を振りまくと
「本物でしょ?」
お連れの方が善良な問いかけをなさるので
「正真正銘のニセモノです!」
どぎついジョークを微笑みながら放って
そこそこウケたので助かったけど、
そんな正真正銘なかった。
バッタもんやった。

 

どこから犯人は襲撃した? いまから160年前、この桜田門の交差点のあたりで彦根藩主で幕府の大老、井伊直弼が惨殺されたというから見にきてみたけど、いく年も前からここにはアスファルトの道があり、渡り切るのが大変そうな横断歩道があり、LEDの信号機があり、思いに沈んだ探偵の暗い顔とさびしい女の髪の毛とが震えているかと思ったが、そんな探偵も女の髪の毛もなく車が走り去るばかりだった。萩原朔太郎の「干からびた犯罪」とごっちゃになっちゃった。

  干からびた犯罪

どこから犯人は逃走した?

ああ、いく年もいく年もまへから、

ここに倒れた椅子がある、

ここに兇器がある、

ここに屍體がある、

ここに血がある、

さうして靑ざめた五月の高窓にも、

おもひにしづんだ探偵の暗い顔と、

さびしい女の髪の毛とが震へて居る。

 

定食屋さんでつけっぱなしのテレビ眺めながら「ビックリするほど面白くないなあ」「そういえば家でテレビ見なくなったなあ」……そのとき制作会社のスタッフが生放送で声を漏らして「俺だってこんなことやりに業界入ったわけじゃねえよ!」と確かに聞こえたんだけど、そんな放送事故なかった。空耳だった。

 

いつも写真が先で文章が後なのに、うっかり文章が先で写真が後のパターンにしてしまった。ここから先はいつものパターンに戻しますよ

 

誰のために咲いたの、それはあなたのためよ……と歌っても、そんなあなたいないし咲いてなかった私はもちろん「ひまわり娘」でも「ひまわり息子」でもなかった。どなたですか? 「ひまわりおやじ」といってるのは!

 

「ひと夏の恋 純米吟醸」で喉を湿らせながら五十回もの夏を振り返っても、とんと思い当たる節がない人生百年時代だけど、そうやすやすと百年も生きるわけなかった。これが涙? 泣いているのは私? と、つぶやいても頬を伝う熱いものなどなかった。

 

並のライターさんより原稿早いから人に頼むの躊躇することがあるのは編集者として隠れた長所のつもりだったのに、そんなの長所じゃなくて短所だった。反省してるっぽいけど、いまさらどうしようもないので毎回ちょいちょい原稿書くしかなかった。成長性ゼロ。あと早いだけで別にうまくなかった。まいっか。

 

世間体のためなら蒸暑くても効果なくてもマスクをつけて出歩くし夜の街を叩きつつ通勤電車に乗る……こうして徐々に判断力をなくした人々が世間体のために接種するワクチンはもちろん効果がなく利権にまみれた偽薬で、それを打つことにより権力者のでたらめを批判しなくなる成分が含まれているから気をつけろ! と、注意喚起しても誰も聞く耳を持たなかった。狂人扱いされて私刑を受けるだけだった。そして何も言わなくなった。

 

「こどもは風の子」という由来は、ふうふの間にできた子だからと判明した途端「不倫の子はどうなる」「婚外子の立場がない」として放送禁止用語になるかと思われたが、そんな配慮なかった。そもそも風の子がもういなかった。

 

人が自殺したとき「どうして」「早すぎる」とお悔やみをいうのは無関心の極みで本当に故人の気持ちを汲むなら「やっぱり」「遅すぎる」というべきだと生前これだけ強調しておけば、ぼくのときは「やっぱり」「遅すぎる」と悔やんでもらえると安心したが、そんなこと死んでみないと分からないし死んだら確認できなかった。

祖母の妹の夫の葬儀に世間の義理で参列したとき経文もろくに読めぬ、僧ともいえぬような坊主がしくじりばかりするので親類縁者から文句が出たが、そのころパンクだった自分は「形ばかり体裁を取り繕うインチキ僧侶より、こいつのようにありのままの自分に向き合う者のほうがよほど仏の道に近いわバカ者共!」と一喝したものの、そんな仏の道もパンクもなかった。

 

毎日その表情を変える海を眺めると思う。波乗りを始めたのは競技会で勝つためじゃなく自然の中で自分を見出す喜びのためだったのに、いつのまにか初心を忘れて勝ち負けにこだわり過ぎていないか? 胸に手を当て己に問うと、波乗りをしたこともなかった。

 

「わたしきれい?」
たしか口裂け女もマスクをして化粧ばっちりだった。
と思いながら電車の中でメイクする女を見ていたら隣の化粧っ気ないおばさんやその夫と何度も目が合う。
この夫婦がマスクを外して口が裂けてたら面白いなあと思ったが、もちろんそんなことはなかった。
老夫婦はこちらがマスクしてないことに苛立ってるだけだった。

この夏こそは丸いスイカを太い棒で叩き割りたい、空いちめんの花火を仰ぎ見たい、日焼けでボロボロの肌を指で剥がしたい、蚊取り線香のうずまきの灰を端からきれいに崩したい、とけたかき氷を一気に飲みたいと思ったのに今年もそんな夏なかった。

 

関連記事:   ありそでなかった

 

 

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