サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

見出された時?

2019年10月02日 | サカタだよ

マドレーヌを紅茶に浸して食べると失われた記憶がとてもリアルに蘇ることがある、ということで

20世紀初めに部屋の壁をコルク張りにして長編小説を執筆した人がいましたが、味覚や嗅覚や

触覚が視覚や聴覚より克明に記憶を呼び覚ますことは実際あるみたいですね。たとえば……

 

おれは子供の頃から親のぬくもりも知らずイタリヤ料理店に住込みで丁稚奉公をして、パスタを盛る皿が冷たいといってはシェフに殴られ、その皿を温めてたら出すのが遅いとシェフに蹴られ、同年代の子供たちが三角ベースやザリガニ釣りに興じてるときも修行でトマトのヘタを取らされ、エビの背ワタを取らされ、皿洗いをさせられ、同年代の男女が放課後カフェで話に花を咲かせてるときも厨房でひたすら麺をゆでさせられ、硬いといってはシェフに首を締められ、やわらかいといってはシェフに熱湯をかけられ、いまでもスパゲティを食べてアルデンテじゃないと体罰の思い出がフラッシュバックしそうになるけど、そんな思い出なかった。

 

空を飛べたころは人が死ぬと僧侶が遺体を山に運んで、鳥葬台で細かく刻みハダカムギと混ぜて食べやすくしてくれるのを旋回しながら眺め、人が去ると降りてついばみ輪廻の手伝いをしたものだけれど、気がつけば空は飛べないしハゲワシはいないし、たまに誰かの葬儀に参列したら青い空の思い出が蘇りそうになるけれど、そんな思い出なかった。

 

その曲が聴こえるとあのころの喫茶店が懐かしく思い出されるけど、そんな曲も喫茶店もなかった。

 

 
 
 
あの子に呼び出されて手紙を渡されたとき、これが噂に聞いた恋文といふものかと土器がムネムネしたのも束の間、ぼくの仲良しのKに渡してほしいのと頼まれてKにあの子を取られるのか、あの子にKを取られるのか、わけもわからずあの子の手紙を食べてしまったのでその恋はなかった。
 
 

会いたい人には会えないし、ほしい物もないし、行きたい場所も見たい映画も読みたい本も食べたい物もないこんな週末こそ……アドレス帳を広げて片っぱしから友達に電話でたわいない話でもしようかなって思ったけど、そんなアドレス帳も友達もなかった。

 

七夕の宵が訪れるといつも何百年も魂が若返り、焼絵硝子の窓を持つ煉瓦の城館の庭を流れるせせらぎに佇む貴婦人が昔の衣裳を身にまとい、瞳は黒く、髪はブロンドに染めているけど……いつか別の世ですでに会った人はこんな顔じゃなかった。

 

―What do you mean……Flash Gordon approrching?

―Open fire! All weapons!

―Dispatch war rocket to Ajax to bring back his body.

FLASH! Ah-Ah!

このTシャツ着ると映画主題歌が聴こえてくるけど、そんなBGMなかった。

 

クリームソーダには苦い思い出があるんだ……と、いってみたけど実際そんな思い出なかった。

 

まっとうな暮らしに戻りたいから、大切にしてきたドレスもカツラも思い切って手放し茶でも立てようと思ったけれど、うちに和室なかった。

 

わが幼少のみぎり、膝を抱えて葉っぱを見つめておると、やがて小人がぞろぞろ出てきて遊んでくれたことを思い出し、また彼らと遊びたいと願って葉っぱを見つめてみたが……大人の分別をもってすれば小人などいるはずもなし、一緒に遊んだ思い出も幼児期の淋しい心が生み出した幻にすぎないと気づいてもう行こうとしたそのとき、葉陰で何か動いた。


関連記事:   ポケベルがなくて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする