サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

いませんでした

2019年08月14日 | サカタだよ

お盆には故人が山から里に帰ってくることになってますね。平成の昔、異常プリオンによる狂牛病が流行ったころ、牛丼ひと筋の某有名チェーン店が牛丼の販売を取りやめて当分は豚丼ひと筋にするというので、もう牛丼が食べられなくなる!と思った人々が長蛇の列をなしたことがありましたが、焼肉屋さんが端切れ肉で作ってランチに出す丼があるから大丈夫……と思ってこれを食べていると、後ろの席にムッシュかまやつがいたことがありました。常連さんらしく、それ以来ときどき見かけましたが、お亡くなりになったので当然お見かけすることもなくなりました。 しかし、この時期なら? 丼を手に振り返ってみるとムッシュはやっぱり いませんでした。

 

年に一度の集まりで弟と川の魚を食べる会、いつも通り平べったく並んだ刺身をつつきながら平成のこと、昭和のことなど振り返って酒を酌み交わし会話も弾みましたが、酔いが醒めた後よく考えたら自分にそんな弟いませんでした。

 

乱暴者の兄はいつも何かに追われているかのように怯えていたけど気が向くと作ってくれた鶏そぼろ丼はこの味に似ていた……「そろそろお前にも親父のレシピを教えてやらないとな。創作行為に欠かせない、あるものを一つまみ振りかけるのがコツなのさ。親父はこの秘密を俺に伝えた日の夜、忽然と姿を消したから俺とお前は世間でただ二人だけ、ケンカもしたけど力を合わせて生きてきたもんな」という言葉を残して、兄があんな不自然な死に方をしてからというもの、来る日も来る日も形見の鉄鍋に酒と醤油と少しの砂糖を入れて煮詰め、兄の仇とばかり鶏を刻んで投げ入れ「軟骨がうめぇんだよ軟骨がぁ!」と思うさま焼き炒めるのに、どうしても兄の味にならないので、一つまみ振りかける粉はきっと白胡椒か黒胡椒と何かを混ぜたに違いないと、調味料のセレクトに青春を捧げて30年あまり経ちました。昭和から平成、令和へと時代が移りゆく中で「創作に欠かせない、あるもの」とは一体? ぼんやりテレビを眺めていたら、見覚えのある有名人たちの薬物使用の取り締まりとその後を振り返る番組をやっていて、何か思い出しそうになったけど思い出せない! もうちょっとで兄の味になるのに、どうしても何か足りない。あの粉はなんだったのか、鶏そぼろ丼を食べながら記憶を手繰り寄せたものの、ぼくにそんな兄いませんでした。

 

同棲時代トーストした食パンを9等分して、ひとつひとつヨーグルトとクミン、味噌と七味、ごまだれとマヨネーズなど9種類のコンビでトッピングしたタルティーヌを作って食べさせ合ったあの頃にもう一度だけ戻りたいけど、ぼくにそんな同棲相手いませんでした。

 

てくてくエンジェル……平成の初め、というより1990年代のほうがピンときますが流行したやつ買い直し。記憶よりデカい!小型化の技術が未熟だったのでしょうか?初日は14000歩ぐらい歩いたらしく自動的に毎日14000歩のノルマが課せられました。無理! 日に日にエンジェルの機嫌が悪くなって、そのうち顔を合わせるのも気まずくなり、毎日エンジェルを家に置き去りにして出歩いてばかり。どのくらい月日が経ったか、ひさしぶりに電源を入れてみると書置きを残してエンジェルはいませんでした。

 

ひとりでも「おふたりさまですか?」といわれるのは、ふたり分の貫禄があるから? それとも「お太りさま」っていった? そんな失礼なこと、さすがにいわないだろうから、まさか背後霊が見えてるとか? 気になって振り向いたけど、そんな背後霊いませんでした。

 

インドに嫁に行った姉が出戻って、しばらくカレーはこりごりといってたのに、半年もしないうちにまたインドに出かけてカレー三昧の暮らしを送り、金がなくなると日本に戻ってバイトする繰り返し……いい加減フリーターって年齢でもないけどそんな生活が合ってるらしく、バイト期間に東京でカレーを食べるならどこそこと教えてくれた中の1軒を昼に訪ねましたが、よく考えたら自分にそんな姉いませんでした。

 

「待ち合わせです」と血走った目で入店してきて隅から隅まで見回した後で「あの!こちらに10分か15分前に田中という女と山崎という男がいませんでしたか?」と店員に尋ねる過呼吸ぎみの男は、たぶんストーカーだと思うんですが、あいにく田中という女も山崎という男もいませんでした。

 

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