A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記59 「槙原泰介展」

2007-07-16 23:26:01 | 書物
タイトル:αmプロジェクト2007
     ON THE TRAIL Vol.1 槙原泰介
キュレーター:鷹見明彦
デザイン:長内研二、河野伊央
発行:武蔵野美術大学
発行日:2007年7月3日
内容:
同名展覧会のカタログリーフレット。
「<不穏の正体>にふれる、おわりなきラリー」鷹見明彦(美術評論家)によるテキスト収録。
槙原泰介は1977年生まれ。主にインスタレーションによる作品発表を行っている。

入手日:2007年7月7日
入手場所:ASK?
武蔵野美術大学によるαmプロジェクトシリーズによる冊子。吉祥寺時代から定期的に見続けている。カタログもB5版になり収まりがよくなった。今年のゲストキュレーターは鷹見明彦。昨年度は行く度にひどくて失望ばかりしたので、今年はもう少しがんばってほしいところ。
槙原の一軒の廃屋が取り壊される過程をはじめと終わりの双方向から同時に再生する映像作品は、たまたま大辻清司による自身の住居を取り壊す一部始終を撮影した作品を見たばかりだったせいもあり、大辻作品のことを考えてしまった。家を取り壊すこと、家にまつわる記憶、イメージの問題をこのような作品を中心にして考えてみると興味深い、かもしれない。
ちなみに、槙原の作品を見ていて、冨井大裕の作品を思い出したが、この後のαmプロジェクトに出品が決定していた。

αmプロジェクト2007

未読日記58 「クリスティアーネ・レーア」

2007-07-16 23:04:54 | 書物
タイトル:クリスティアーネ・レーア展
     Christiane Lohr : looking for what holds the world together
発行:GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)
発行日:2007年6月15日
金額:300円
内容:
同名展覧会のカタログ。
「ささやかな試みを冒険として」酒井忠康(美術評論家)によるテキスト収録。
クリスティアーネ・レーアは1965年生まれのドイツ出身の女性アーティスト。植物の種や茎、綿毛などを使ったインスタレーションを制作している。

購入日:2007年7月7日
購入店:GALLERY A4
購入理由:
植物を使用した作品を制作している作家という情報だけしかなく出かけたが、思いのほか植物のもつ造形をシンプルに生かした作品で好感を持った。繊細で吹けば飛ぶようなミクロコスモスな構築物を作り上げている。本人のコメントによると、自然より建築に興味があるらしく、彼女の作品のキーワードは「構築」だという。


未読日記57 「古田織部」

2007-07-13 22:56:29 | 書物
タイトル:古田織部 桃山の茶碗に前衛を見た
著者:勅使河原宏
装丁・カラーデザイン:佐藤晃一
発行:日本放送出版協会
発行日:1992年4月30日
内容:
「創造の時代」を語り、「古田織部」の原点に迫る(本書表紙より)

購入日:2007年7月4日
購入店:amazon.co.jp
購入理由:
タイトル通り、安土・桃山時代の武将、茶人である古田織部について書かれた著書。利休の弟子であり、陶芸では織部焼で知られる人物である。この本は、古田織部を主役として取り上げた映画『豪姫』公開に際して、発行されたものと思われる。利休以後の茶の世界で何がおこったのか。茶碗という世界に勅使河原は何を見ていたのか。そんな興味から購入した一冊。


未読日記56 「私の茶道発見」

2007-07-12 21:33:17 | 書物
タイトル:私の茶道発見 日本の美の原点とは
著者:勅使河原宏
カバー装訂:長友啓典
墨蹟:勅使河原宏
発行:光文社/カッパ・ホームス
発行日:1991年4月25日
内容:
草月流創始者の長男として生まれながら、絵を勉強し、戦後のまばゆいばかりの欧米文化に圧倒され映画や陶芸にのめりこみ、茶の湯の世界へ眼を開いた著者。日本の美の原点をとう。(amazon.co.jp「MARC」データベースより)

購入日:2007年7月4日
購入店:amazon.co.jp
購入理由:
<生誕80年 勅使河原宏展>の予習として購入。想像するに、映画『利休』後に出版され本書は、映画『豪姫』へといたる勅使河原宏の思考のプロセスを垣間見せてくれるのではないか。
映画『砂の女』でのカンヌ映画祭審査員特別賞受賞、岡本太郎との交流、草月アートセンターでのプロデュースなど前衛の時代を生きてきた勅使河原宏がたどり着いたのは、「日本」だった。いけばな、陶芸、書、茶道。どれも今では日本の伝統的文化・芸術と認識されながら、現実とは乖離してしまった芸術ジャンル。骨董趣味と言われればそうかもしれない。しかし、黴臭い老人趣味としての伝統芸術ではなく、生きた芸術として勅使河原宏はそれらの表現ジャンルへと越境して行ったのではなかったか。その転回点を考えるためにも、頁をめくってみようと思う。


2007年7月11日18時53分

2007-07-11 22:29:03 | Weblog
虹について研究しよう。
そう考えたことがあった。
結局、さまざまな理由から、虹の研究は進めることができず今に至っている。

虹というのは、「現象」である。
見えるのに、見たいときには見えない。
そこにあるのに、雨や雪のように触れることはできない。
もちろん暑いとか寒いと感じることもない。
虹が見える場所の周辺にいたとしても、見る角度によっては見えないし、もっと近くで見ようと思っても、こちらが動けば虹は遠のいていく。
実に、虹は掴みきれない存在ではないか。

虹の現象学的存在を通して、美術作品を再考してみること。
そして、虹が描かれた、あるいは虹をテーマとした作品を参照することで、虹と美術(芸術)の関係を問いなおしてみること。
芸術は虹のようなものなのか。
物質と視覚現象としての「存在」について考えること。
それは、たしかにそこに見えながら、触れることもできない虹が「ある」ことについての不確かさだった。
存在の不確かさ。曖昧さ。
しかし、それは虹だけだろうか。

そんな思いから資料を集め、思考を虹へと向かわせていたとこだった。
私の思考は虹から一度離れざるをえなかった。
だが今日、偶然にも空が虹を見せてくれたことで、かつての思考の時間が召喚された。その不確かな記憶とともに。

未読日記55 「花のいのち」

2007-07-11 22:09:49 | 書物
タイトル:花のいのち
著者:勅使河原宏、大河内昭爾
装丁:成川亀楽
発行:蒼洋社
発行日:1997年11月15日
内容:
新しい文化創造への対話
第一章 一期一会
第二章 既成概念を超えて
第三章 新しい文化構築のために

購入日:2007年7月3日
購入店:amazon.co.jp
購入理由:
勅使河原宏(草月流家元・映画監督)と大河内昭爾(武蔵野女子大学前学長・文芸評論家)との対談をまとめた1冊。前回の対談本『前衛調書』では、映画の話題が多くを占めていたが、今回は草月流の創流70周年を記念して出版されるだけに、勅使河原宏の活動全般に渡って話題が触れられている。巻末には「草月の70年年表」がつけられ、草月流と勅使河原宏との関係がわかるようになっている。


未読日記54 「前衛調書」

2007-07-10 23:21:40 | 書物
タイトル:前衛調書 勅使河原宏との対話
著者:勅使河原宏、大河内昭爾、四方田犬彦
装幀:早瀬芳文
発行:學藝書林
発行日:1989年8月25日
内容:
17年ぶりに『利休』を完成させ、映画界に復帰した勅使河原宏に大河内昭爾、四方田犬彦の2人の批評家が勅使河原宏にインタビューを行った2編をまとめたもの。

脱領域的シネアストの精神
「砂の女」の監督・勅使河原宏の映画へのひたむきな情熱が、今ここに結実。精鋭批評家二氏が、監督の現像に迫る。

「映画史のなかに、自然主義者の系譜が確実にあるのではないか。小動物と人間とのアナロジイの問題に敏感に反応しつつ宇宙を構築していくシネアストが、国と時代を限らず、必ず出てきます。」
「虚構を支えるエネルギーには凡ではないおおらかさと大きさがある。でき上がった美しさではなく、原初というか、初めに表現してみようとしたところに美の本質があると思うんです。」
(表紙カバー・帯文章より)

購入日:2007年7月3日
購入店:amazon.co.jp
購入理由:
勅使河原宏に関する調査を始めるにあたって、まず手に入れたいと思っていた1冊。大河内昭爾、四方田犬彦の2人の批評家がインタビューをしているが、全編の3分の2が四方田犬彦インタビューによるもの。したがって、話題は映画が中心となる。しかし、映像、映画をめぐる批評において、先鋭な知見をもつ四方田だけに、インタビュアーとしては最適だろう。果たして、どんな言葉を勅使河原宏から引き出しているのか。勅使河原宏の映画をめぐる思考を整理するうえで最適な1冊だと思われる。

未読日記53 「プロダクション・ノート」

2007-07-09 22:49:41 | 書物
タイトル:プロダクション・ノート 勅使河原宏・映画事始
編著:野村紀子
発行:studio 246
発行日:2007年4月14日
価格:2500円(税込)
内容:
いけばな草月流3代目家元にして、映画、陶芸、書、絵画、舞台美術、オペラ演出、作庭などさまざまなジャンルで活躍した勅使河原宏の映画関連の記事、インタビュー、座談会、関係者のインタビューなどを中心にまとめたアンソロジー。
編著者の野村紀子氏は、元勅使河原宏プロダクションのプロデューサー。

贈呈日:2007年7月3日
草月関係者の方に頂いたもの。総ページ数422頁という力作な本に、いまから読むのが楽しみな一冊。本年は勅使河原宏の生誕80周年にあたり、今週末からは、埼玉県立近代美術館において回顧展が開催され、この本もそういった記念出版だと思われる。
「いったい勅使河原宏とは何だったのか?」
いけばなの家元を父に持ち、その息子として生を受けた宏の名が世に知れるのは、いけばなではなく映画だった。いまで言えば異業種監督と言われかねないが、もともと映画監督デビュー時にはいけばな作家としては活躍してはおらず、むしろ絵画作品を制作する画家だった。閉鎖的ないけばな界にあって、草月が行ったいけばなの革新は人々のいけばなに対する目を変えたが、その草月の創始者勅使河原蒼風とは異なった才能を発揮したのが宏だった。最終的にはいけばなの家元に納まるものの、長くいけばなのフィールドには入らなかった。なぜ、宏はいけばなを受け入れなかったのか?あるいは、なぜ、いけばなの道へ進まなかったのか?
そして、現在のいけばな界は勅使河原宏を忘れ、映画業界も彼の名前を忘却してしまった。勅使河原宏の映画及びいけばな、その他さまざまな作品と時代を通じて、勅使河原宏という人物が残した作品を考えてみたい。そのための資料収集・調査がこれから始まる。

「勅使河原宏展 限りなき越境の軌跡」
2007年7月14日(土)~10月8日(月・祝)
埼玉県立近代美術館

未読日記52 「art egg」

2007-07-06 22:51:28 | 書物
タイトル:第1回shiseido art egg展カタログ
ロゴデザイン:丸橋桂
デザイン:求龍堂
発行:資生堂 企業文化部
発行日:2007年5月25日
内容:
第1回shiseido art egg展の展覧会カタログ。shiseido art eggとは、新進アーティストに資生堂ギャラリーの会場を提供する公募展。第1回は平野薫(インスタレーション)、水越香重子(映像)、内海聖史(絵画)の3人。

贈呈日:2007年7月1日
こちらも頂きもの。今月は頂きものが多い。どうもありがとうございます。

今年の1月から3月にかけて開催された「第1回shiseido art egg展」の展覧会カタログ。資生堂ギャラリーの空間を新進アーティストに提供するという公募展イベントは資生堂のメセナとして、ギャラリーとして、それ自体はたいへん評価できる企画である。
しかし、良質の空間をもつ資生堂ギャラリーで行われたこの「shiseido art egg」の全体を振り返ると、首をかしげる点もあり審査員の基準を疑わざるをえない。
それは、「3つの個展のなかで、資生堂ギャラリーの空間に果敢に挑み、新しい価値の創造をもっとも予感させると評価した展覧会」に贈られるshiseido art egg賞が平野薫であったという点に集約される。
例えば、空間と絵画の在り方につねに意識的な制作を行ってきた内海聖史が、良質な展示スペースを得て実現したみずみずしさと広がりをもつ美しい空間を出現させたことを評価されなかったことは残念であった。しかし、3人の中では最も発表歴が充実しているので、おもちゃみたいなタマゴの記念品なんかもらわなくてもよかったのかもしれないとも思う。
映像の水越香重子は、他の作品も見てみたいと思う。彼女のフィクショナルな映像インスタレーションは、物語と映像の関係が問い直されている今の現代美術界にあって気になる作品であった。映像と色彩の肌触りが印象的。

shiseido art egg展出品作家の近況
平野薫展 
2007年7月5日(木)-28日(土)※木、金、土のみオープン
SCAI X SCAI
内海聖史展
2007年7月10日(火)-28日(土)
GALERIE ANDO


未読日記51 「ゴッホ」

2007-07-05 21:53:48 | 美術
タイトル:ヴァン・ゴッホ展
監修:国立西洋美術館
出版社:東京新聞、中日新聞、中部日本放送
発行日:1976年10月30日
内容:
1976年に国立西洋美術館にて開催された「オランダ国立ヴァン・ゴッホ美術館所蔵 ヴァン・ゴッホ展」の図録。油絵、水彩、デッサン計100点をヴァン・ゴッホの活動期に沿って紹介した展覧会。全体的に水彩、デッサンの比重が大きい。

贈呈日:2007年6月30日
練馬区上石神井にあるカフェに行った際、マスターより店内にある展覧会カタログで好きなものをあげると言われ、迷った末に選んだ1冊。
ほかにもいいカタログはあったのだが、このゴッホ展カタログに掲載されたデッサンが思いのほかよく、頂くことにした。本図録後半の白黒ページにまとめられたデッサン類は、樹木や風景、農民、人の手などゴッホがよくモチーフにする対象がデッサンされている。その中で手を描いたものは実によく描けている。ビールを飲みながらパラパラとこの図録を眺めていたらいい気分になってきた。白黒図版も思っていたより悪くない(ところで、なぜ昔の展覧会図録は正方形が多いのだろうか?なにか理由があるのだろうか)。
ゴッホというととかく狂人扱いされがちだが、作品を一通り見ると作品の変な部分も含めて、健康的な「狂気」という感じがする。なにが言いたいのかよくわからないが、芸術における狂気というのは興味がなく、人間における「狂気」を問題とするのとは本質的に違う問題なんじゃないか。そんなことをこのゴッホのデッサンを見ていて思う。
ゴッホには仕事でゴッホ展に関わったことがあるため、ちょっとした思い入れがある。その仕事で味わった苦汁を含め愛憎する作家ではあるのだが、もちろんそんなことゴッホにとって関係ないことだし、私にとっての勝手な思い入れに過ぎない。しかし、ゴッホと聞くと2年前のあの春を思い出し、ちょっと感傷的になったりもするのだった。それこそどうでもいい話だが。