A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

Collection 07 [ストラップ]

2012-06-30 23:01:40 | 美術
タイトル:不明
サイズ:3.5×3.5 cm
アーティスト:西嶋みゆき
頂いた日:2012年6月30日
場所:橘画廊
 会場で頂いた作品。どうもありがとうございます。
 本品は、大阪・橘画廊と京都・GALLERYはねうさぎで開催された「西嶋みゆき展」においてスタンプラリーが行われ、2か所とも見た人には先着で粗品がプレゼントされるという企画。初日にギャラリーはねうさぎで見た後、大阪の橘画廊にはなかなかお伺いできず、結局最終日になってしまった。粗品を期待していたわけではなかったが、ギャラリーの方にお伺いしたら、まだ粗品があるというので頂けた。
 作品には、西嶋作品でおなじみの金魚が描かれている。

memorandum 082 純粋

2012-06-29 05:50:45 | ことば
 極限の純粋さは、純粋なものをも、不純なものをもじっと注視することができる。不純は、そのどちらもができない。純粋さは、かれ(人間)をおそれさせ、不純は、かれを呑みこむ。かれには、このふたつを混ぜあわせたものが必要である。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.202.


memorandum 081 見つめる

2012-06-27 23:09:47 | ことば
 比喩や象徴などを理解する方法。それらを解釈しようとくわだてないこと。光が溢れ出てくるまで、じっと見つめつづけること。
 一般的に、知性を訓練する方法は、見つめることである。
 実在するものと幻想上のものとを見分けるために、この方法を用いること。感覚による認識の場合に、自分の見ているものに確信がもてないならば、目を離さずに自分の場所をかえてみると、実在があらわれてくる。内面生活においては、時間が空間のかわりをする。時間がたつにつれて、人は変化するが、さまざまと変化する中にも、同じ一つのものにじっと目を向けつづけているならば、ついには、幻想は消え去り、実在があらわれてくる。その条件としては、注意が執着になってはならず、ただ見つめるということでなくてはならない。

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.199.

見つめています。待っています。

memorandum 080 注意と意志2

2012-06-25 07:14:51 | ことば
 ものを書くのは、赤ん坊を産むようなものだ。これが限度と思えるような努力をふりしぼらずにはいられない。だが、行動するときも同じである。さいごの努力をつくしていないのではないかとおそれるにはあたらない。ただ、自分をあざむかないこと、注意をこらすことだけが、なされているならば。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.197.

 なかなか書けない・・努力が足りないらしい。

未読日記619 『祭り』

2012-06-23 06:35:34 | 書物
タイトル:祭り 下平竜矢
別書名:MATSURI : TATSUYA SHIMOHIRA
シリーズ名:ZEN FOTO GALLERY vol.11
デザイン:Amanda Lo
発行:東京 : ZEN FOTO GALLERY
発行日:2010(500 Limited Edition)
形態:36p : 26cm
注記:展覧会カタログ
   2010年10月22日-10月31日、Collection of Mark Pearson、ZEN FOTO GALLERY
内容:
図版
テキスト:下平竜矢
テキスト:マーク・ピアソン(Director of Zen Foto)

購入日:2012年6月23日
購入店:雅景錐
購入理由:
 京都・雅景錐にて開催中の「下平竜矢:星霜連関」(2012.6.14-7.14)に行った際、資料として購入。下平竜矢の写真は東京で何度か見た記憶があるが、今回は展示作品だけでなく、展示されていないプリントも大量に見せてもらい、「祭り」を堪能した。
 下平の写真は、タイトル通り「祭り」をモチーフとしている。だが、祭りの高揚感や賑わいはあまり感じられない。不思議と距離があるように感じる。それは、下平が祭りの当事者ではなく、外部やってきた者ゆえの立ち位置なのかもしれない。まだあまり整理できていないが、祭りに内側から入って撮るというより、祭りや祭りに生きる人々、その光景を眺めるように撮影しているように感じるのだ。写真がブレていないのも、動きを撮るより、出来事を見つめようとする姿勢を受ける。
 もう少し考えてみたい。

memorandum 079 よくない求め方

2012-06-22 05:03:40 | ことば
 よくない求め方。ひとつの問題に注意をしばりつけてしまうこと。これも、真空嫌悪の一現象である。人は、自分の努力がむだに終わってしまうことを望まない。狩猟において獲物にしつこくつきまとうこと。見つけることを望んではならない。度のすぎた献身の場合のように、努力の目標であるものに、自分が従属してしまうことになる。外にあらわれた報いも必要であって、ときとして偶然に与えられることもあるが、真実をゆがめてでも、そういう報いを手にしたいと待ち受けているのが実状である。
 ただ、どんな欲望もともなわぬ(ひとつの目的にしばられていない)努力だけが、まちがいなく報いを隠しもっている。
 自分の追及している目的の前で後退すること。遠回りすることだけが、効果をあげる。まず最初に後退しなかったならば、なにもなしとげられない。
 ぶどうの房を引っぱったりすれば、ぶどうの粒はみな地面に落っこちてしまう。

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.194.

いまが前進か後退かもわからない・・。