A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

レヴュー「浅田政志写真展:「浅田家」~あなたもシャッター押してみて~」

2009-04-30 15:23:51 | お知らせ
カロンズネットにて、<浅田政志写真展:「浅田家」あなたもシャッター押してみて>(2009.4.3~4.27@パルコファクトリー)のレヴューを書かせていただきました。

http://www.kalons.net/j/review/articles_479.html

よろしければご覧ください。

TOUCHING WORD 099

2009-04-30 15:20:18 | ことば
自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。そして、ニーチェが言ったように、約束できるということが人間の最大の特徴であるから、信念は人間が生きてゆくための前提条件の一つである。

(エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』鈴木晶訳、紀伊國屋書店1991.3、p.183-184)

自分を信じられるだろうか。他者に対して誠実だろうか。自分に確信をもてるだろうか。自分に信念はあるだろうか。では、私は「約束」をしよう。

未読日記256 「生物と無生物のあいだ」

2009-04-28 21:55:14 | 書物
タイトル:生物と無生物のあいだ
著者:福岡伸一
装幀者:中島英樹
発行:講談社/講談社現代新書1891
発行日:2007年12月5日第13刷(2007年5月20日第1刷)
内容:
夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しいすじが幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。―本文より

サントリー学芸賞受賞 各メディア絶賛の嵐 必読のベストセラー
40万部突破!
読み始めたら止まらない極上の科学ミステリー
生命とは何か?
よしもとばなな氏/茂木健一郎氏/内田樹氏/幸田真音氏/高橋源一郎氏/竹内薫氏/最相葉月氏/梅田望夫氏/森達也氏/野村進氏……怒涛の大推薦!!
(本書帯より)

購入日:2009年4月8日
購入店:e-Books
購入理由:
横浜美術館で開催されている<金氏徹平:溶け出す都市、空白の森>展を見た際に、関連イベントとして本書の著者である福岡伸一氏による講演会があることを知った。なぜ、この展覧会に分子生物学の研究者である福岡氏の講演をするのか、そのつながりに興味を持った。また、金氏氏の作品に見られる未分化な生物を思わせるインスタレーションに福岡氏の著書を読むことで、その思考と造形に接近してみたいと考えて購入した。
 読んだところ、小説仕立てで読みやすく、科学についての楽しい読み物という内容。ただし、後半は専門用語も多く、理系の知識がすっぽりと抜けている自分には読みとおすのがやっとであった。科学者や研究者が街のカフェなどで一般市民とお茶やアルコールを飲みながらサイエンスにまつわる話をする「サイエンスカフェ」というのが欧米にあるそうだが、近年、日本でも開かれているようなのだが、そんなサイエンスカフェのようなカジュアルなサイエンス本だろう。
 ちなみに、本書で一番はっとさせられたのは、主題と関係のない以下の一文だった。

博士号とかけて足の裏についた米粒と解く
そのこころはとらないとけったくそ悪いが、とっても喰えない
(本書p.84)

まさにポスドク問題‥。大学院について考えていた時期だけに笑うに笑えない冗談だった。

TOUCHING WORD 098

2009-04-28 21:45:10 | ことば
集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである。いま何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。
(エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』鈴木晶訳、紀伊國屋書店1991.3、p.170)


歩いているときは、もの思いに耽りながら歩いていることが多いが、集中して歩いていると、そのうちもの思いからも遠ざかり、歩くことに集中しだして無我夢中で歩いていることがある。とくに夜の歩行はそんな集中した歩きをしていることが多い。夜の闇は集中するのにちょうどいい。

全身で現在を生きろ。

未読日記255 「桂 文楽 壱」

2009-04-27 22:01:59 | 書物
タイトル:隔週刊CDつきマガジン 落語 昭和の名人 決定版⑥ 八代目桂 文楽 壱
編集人:宮本晃
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CDリマスタリング:草柳俊一
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:姥谷英子
編集:小坂眞吾(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:高橋浩子
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:長谷川一、山田卓司
販売:豊栖雅文、竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
発行日:2009年3月31日
内容:
寸分たがわぬ完成された話芸 八代目 桂 文楽[1892-1971]壱

CD(67分)
明烏…若旦那、初めての体験
冨久…売れない幇間、悲喜こもごも[初出し音源]
締め込み…泥棒が、夫婦喧嘩の仲裁に

○高座にかけるのは、わずか30数席 完璧主義の噺家
○CD鑑賞ガイド 磨き抜かれた十八番
落語をもっと面白くする連載3本立て
 田中優子○遊廓の恋と誠
 五街道雲助○酒を呑む
 山本進○若き日の圓朝

購入日:2009年4月8日
購入店:紀伊國屋書店 そごう横浜店
購入理由:
「いっぱいのお運びでございまして、ありがたく御礼を申しあげます。あいだへ挟まりまして、相変わらず、お馴染みのお笑いを申しあげることいたします。」という変わらぬ前口上で噺が始まる桂文楽。持ちネタ30数席とは、まるでフェルメールの絵画みたいだが、文楽の落語もまた完成度が半端ではない。人間の感情の機微が声の語りによって浮んでくる様は、文楽の的確な噺運びから伝わってくる。
 ところで、落語の演目と話される「物語」をなかなか一致して覚えられない。これはどうしてだろうと考える。私のもの憶えの悪さもあるのだが、ひとつには落語が要約できない芸能だからではないだろうか。オチを伝えても面白くないし、その過程を順を追って話しても全然そのおもしろさは伝わらない。これは、落語が話される時間そのものの中に、伝えたい、語りたい「話」があり、前口上からサゲまで、仕種や声、抑揚、ひいては会場のお客の笑いなどそれら全体が含まれて落語なのだ。だから、「落語の○○って噺は、云々」と話しても、全然その面白さは伝わらない。しかし、聞くとよくわかる。時間をかけて、ひとつの教訓とも人生の些細なおかしみのようなものを描き出すのだ。だから正確には落語というのは「笑い」ではない。

*画像がボケてしまい申し訳ございません。


TOUCHING WORD 097

2009-04-27 21:47:16 | ことば
愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。
(エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』鈴木昌訳、紀伊國屋書店1991.3、p.76)

とても単純で、基本的なことを言っているのに新鮮なのはどうしてだろう。
愛を「世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のこと」だというのは、姿勢としてとても正しい。例えば、イギリスのサッカーチーム・マンチェスターユナイテッドが好きだと言った時、そこにはマンUに対する愛を越えて、サッカーへの愛がある、と言えばいいだろうか。





未読日記254 「マーク・ロスコ」

2009-04-26 22:38:24 | 書物
タイトル:マーク・ロスコ
企画・監修:川村記念美術館
翻訳:木下哲夫
監修・校閲:林寿美、林道郎、沼辺信一
ブックデザイン:秋田寛、アキタ・デザイン・カン(森田恭行+佐々木未来)
製版:中江一夫(日本写真印刷株式会社
編集:淡交社 美術企画部
発行:株式会社淡交社
発行日:2009年3月12日
定価:2,800円+税
内容:
川村記念美術館にて開催された「マーク・ロスコ」展(2009年2月21日―6月7日)の展覧会カタログ。

晩年の傑作からみたロスコ芸術の全貌
マーク・ロスコ晩年の傑作<シーグラム壁画>シリーズ(1958-59)は、当初ニューヨークの高級レストランのために制作されたが、ロスコが一方的に契約を破棄したため、作品群は散逸する。2008-09年、全30点の現存が確認されているシーグラム壁画のうち、9点を所蔵するロンドンのテート・モダンと、7点を所蔵する川村記念美術館の共同企画により、シーグラム壁画に始まる、ロスコの晩年に焦点を当てた国際巡回展が実現し、制作から半世紀を経て壁画の半数にあたる15点が一堂に会す、歴史的な機会となった。
この展覧会を記念して刊行される本書は、ロスコの代表作約100点を収録した、日本で初の本格的作品集である。また、生前のロスコを知る美術評論家へのインタヴュー、テート修復部による壁画の化学分析と内外の研究者による、評伝と論考、年表・参考文献など、最新情報を反映したロスコ論と資料を収録し、ロスコ芸術の全貌に迫る。

SEAGRAM MURALS シーグラム壁画1958-59
 「私にはロスコの声が聞こえる―ドリー・アシュトンとの対話」林寿美(川村記念美術館主任学芸員)
 「光の影―マーク・ロスコ晩年のシリーズ」アヒム・ボルヒャルト=ヒューム(テート・モダン近現代美術担当学芸員)
WORKS 作品1949-1969
 円熟期/シーグラム壁画/晩年
BIOGRAPHY ロスコ評伝
 「マーク・ロスコの生涯」村田真(美術ジャーナリスト)
ESSAYS ロスコ論集
 「「対幻想」としてのカラー・フィールド」加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授)
 「保存修復から見たシーグラム壁画」レズリー・カーライル(テート修復部部長)、ヤープ・ボーン(保存科学者(博士))、メアリ・バスティン(絵画修復家)、パトリシア・スミゼン(テート絵画修復部主任)
 「絵画と空間―ロスコ・チャペルの経験」林道郎(上智大学国際教養学部教授)
APPENDIX 資料編
 ロスコの言葉
 年譜
 主要参考文献
 ロスコをめぐるキーワード50
 作品リスト

購入日:2009年4月3日
購入店:川村記念美術館ミュージアムショップ
購入理由:
待望のマーク・ロスコのシーグラム壁画のみを焦点とした展覧会。次に実現することはもうないかもしれない。それに合わせて、刊行されたのが本書。シーグラム壁画だけでなく、ロスコの代表作も納めて、資料や文献も充実した決定版の作品集といえるだろう。
 本当はもっと早くに見に行きたかったが、いろいろとバタバタとしてしまい行くことができなかった。だが、翌日にトーキョーワンダーサイト本郷にて<美術犬企画 シンポジウム「絵画」>に行こうと考えていたため、それならばこの展覧会を見ておこうと思ったのだ(実際、そのシンポジウムではロスコ展の話は一切でなかったが‥)。
 「絵画は奇蹟をおこさなければならない。」というロスコの言葉を、神秘的、形而上的、感情的、非科学的として斥けてしまうだろうか。ただ仄暗い色彩が塗られているだけというだろうか。すべてはこの作品を前にすればわかることだ。崇高としか言えない感情を湧かせるこの絵画経験は、静かに、しかし確実に私の内に浸透していく。見る者に緊張と静けさと落ち着きを要請、喚起させる作品なのだ。
 この体験は、カール・ドライヤーの映画『奇蹟』を見たときの感情に近い。あるいは、この「経験」のルーツを探っていくと、3月末に行った京都の大徳寺の庭で沸き起こった感情ともつながってくる。庭を見ているだけなのに、心が真空になるようなあの空白と充実感を思い出すのだ。この超越的ともいえる感覚を経験してしまうから、美術から抜け出せないのだろう。
 この、いつまでも見ることができる持続性は何なのだろうと考える。もちろんその時の体調や気分もあるだろうが、作品の方から吸引力でもって捉まえてしまうようなこのパルス。たった1枚のパネルやキャンバスという物質でしかないものが、何か神聖で尊いものに向かい合っているような聖性を現代の絵画に感じてしまうとは。

TOUCHING WORD 096

2009-04-26 22:24:57 | ことば
尊敬とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。尊敬とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうことである。
(エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』鈴木昌訳、紀伊國屋書店1991.3、p.51>

尊敬について書かれたエーリッヒ・フロムのこの言葉を注意して読んでみてほしい。尊敬とはその人が唯一無二の存在であることを知る「能力」のことだと言っているのだ。そう、尊敬には恐怖や畏怖や利用するという意味はまったくないのだ。結局「尊敬」を知るには、語源にあるとおり「見る」しかないのだ。目の前にいる人が唯一無二の存在であるかどうかを。

未読日記253 「古今亭志ん朝 弐」

2009-04-25 19:02:34 | 書物
タイトル:隔週刊CDつきマガジン 落語 昭和の名人 決定版⑤ 三代目古今亭志ん朝 弐
編集人:宮本晃
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CD制作:株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子
編集:小坂眞吾(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:高橋浩子
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:長谷川一、山田卓司
販売:豊栖雅文、竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
発行日:2009年3月17日
内容:
名人たちの和芸を一心に体現 三代目古今亭志ん朝[1938-2001]

CD75分
抜け雀…息子は父を超えられるか
厩家事…私がお婆さんになっても

○初めて外車に乗った噺家 素顔の志ん朝
○CD鑑賞ガイド 父の噺を受け継いで

落語をもっと面白くする連載3本立て
田中優子○江戸の女は強かった
五街道雲助○女性の仕種
山本進○天保の改革を乗り越えて

購入日:2009年4月1日
購入店:紀伊國屋書店 渋谷店
購入理由:
 このシリーズを購入してから、ほぼ毎日寝る前に落語を一席聞いてから寝るようにしている。もともとなのか落語のせいか快眠である。
 さて、今回の「抜け雀」は美術系必聴である。なぜなら、無銭宿泊をした狩野派の画家が宿賃として描いた絵が騒動を巻き起こす様を描いているからである。これはなかなかひとつの「絵画論」「美術論」としても聞くことができ、すばらしい話となっている。話の寸法は47分。志ん朝は47分飽きさせることなく、話を堪能させてくれる。
 加えて、田中優子氏の連載が毎回、新鮮な江戸のエピソードを伝えてくれて刺戟的だ。例えば、江戸時代では婿取り婚が多かったという話など、実に興味深い。今の世と較べるとまるで違う国のようで、おかしいやら悲しいやら‥。



TOUCHING WORD 095

2009-04-25 18:49:44 | ことば
しかしほんとうの意味での責任は、完全に自発的な行為である。責任とは、他の人間が、表に出すにせよ出さないにせよ、何かを求めてきたときの、私の対応である。「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。
(エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』鈴木昌訳、紀伊國屋書店1991.3>

責任について考える。私は他人の要求に応じる用意があるだろうか。
ひとつひとつの行いに責任を感じる。