A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

サイコパス渋谷

2006-01-28 00:17:10 | 映画
 精神分析テストにはこんな項目があるようです。
□ 他人への思いやりがない
□ 人間関係を維持できない
□ 他人への配慮に無関心
□ 利益のために嘘を続ける
□ 罪の意識がない
□ 社会規範や法に従えない
これらの項目にあてはまる人は人格障害<サイコパス>だと言うことです。ずいぶんひどい犯罪者か異常者みたいですが、そう診断された「人」がいます。別に私のことではありません。
それは、企業(法人)のことです。

 これは、企業をひとりの人間として精神分析した結果、多くの企業が人格障害<サイコパス>であると仮定するところから始まる刺激的なドキュメンタリー映画『ザ・コーポレーション』の中の話です。この映画は、このような発想を導入したことで大きな効果をあげています。

 人格障害<サイコパス>としての企業。
私たちの現実は、そのような多くの企業によって囲まれています。ここ数年の企業による不祥事を例に出すまでもないでしょう。最近の、姉歯建築設計事務所らによるマンション構造計算書偽造問題、ライブドアグループによる証券取引法違反事件などを思い出してください。とくにライブドアはすべての項目に当てはまるお手本のような企業です。
 他にも、世界最大のスポーツ会社ナイキのインドネシアにおける低賃金労働、長時間残業、職場内暴力。おなじく人気衣料品ブランドGAP社もこのような不当労働を世界各国の工場で強いていました。

 本編の中で言語学者のノーム・チョムスキーはこのように語っています。
「企業は不死身の“人”として権利を持つ道徳心のない特殊な“人”だ。法律が生み出した株主のみに忠実な“人”。労働者やコミュニティの人々を考慮するわけではない。」

 断っておきますが、すべての企業がこのような行いをしていると言いたいわけではありません。また、そこで働いている従業員が悪人だと言うわけでもありません。問題は善悪で割り切れるほど簡単なものではありません。利益追求を続ける企業の現実の実態が問題なのです。利益のためならこの映画の中に出てくるエピソードにあるように偽造、虚偽、隠蔽、不当労働、メディア操作など止まるところを知りません。まだ、私はこの映画の「行動することを呼び掛ける(call to action)」に反応できるわけではありませんが、この資本主義社会をサバイバルするために、この映画は有効な知恵を教えてくれます。

 この映画を見たあと、渋谷の街を歩くことになりました。街中にあふれる企業のロゴマークがいつもとは違って見えてきました。<サイコパス>は見えていますが、その<精神>は見えないのです。

ザ・コーポレーション
THE CORPORATION
2004年/カナダ/145分/カラー
監督:マーク・アクバー、ジェニファー・アボット
原作:『ザ・コーポレーション わたしたちの社会は「企業」に支配されている』
   ジョエル・ベイカン著/酒井泰介訳/早川書房
アップリンクX(渋谷)にて公開中

心の書

2006-01-15 00:30:21 | 美術
 字は下手だった。いまでもそう思っている。だが、小学生になった2~3年目の頃、書道の授業であった。なぜか教師に褒められたことがある。それは「心」という字がよく書けているというのだ。そのときは自分でもよく書けたと思ったので、顔には出さないが、少し得意になったものだ。後で、「心」という字をノートに何度も書いてひとりほくそ笑んだ。まったく「心」が曲がっている。だが、何ごとも天狗になるのはよくないらしい。小学校の半ばか高学年ごろだ。書道の授業に担任ではなく専門の教師がついたのだ。教師が変わってから、反対によく先生に叱られた。技術的な書き方の注意ならまだいいが、私の性格にまで口を出すのである。もとより「心」が曲がっているので、当然なのかもしれないが、その時は不満だった。二度と書なぞやるものか、とへそ曲がりの私は決意した。
以来数十年の時がたった・・・。

 先日、東京国立博物館で<書の至宝 日本と中国>展が開かれていて、時間を持て余しついでに見ることになった。もとより、日常的に書を見る習慣もなく、書くことはおろか、筆さえ持たない体たらくだ。期待はしていなかった。私にはわかる世界ではないだろう。自分の無知を意識するいい機会だろう、ぐらいに考えていた。結果的には予想した通りだったのだが、書や文字を見ることに前とは違った宇宙を見ることになった。そこに書かれている文章は読めないし、字によっては判読さえできないことも多い。だが、筆の動きや字体、紙や落款などを見ているだけで、わからないなりに「字」の宇宙に入り込んでいるのだ。とくに中国の書が私にはとても染み込んできた。残念ながら、なにが書かれているかわからないのだが、私には良質な作品だということはわかった。
頭のなかでは漢字がぐるぐる脳内を駆け回っていた。だが、小学校の頃の書道の教師を今なら許してやろうかと考えてしまう「心」は曲がったままだった。

書の至宝 日本と中国 2006年1月11日(水)~2月19日(日)
東京国立博物館