A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

A PIECE OF FUTURE 2008.7.26

2008-07-28 23:50:51 | Weblog
見に行きたい展覧会にマーキング。この週末はチラシ・DM大量ゲットのため、小分けしてアップします。まずは、写真編。ど・れ・に・行・こ・う・か・な。

Esprit de Paris-16人の写真家たちの眼差し-
2008年7月8日(火)-9月14日(日)
GALLERY 21

 パリを撮影した写真作品を紹介する展覧会。ロバート・フランク、広川泰士、森 山大道、土田ヒロミなど有名作家を多数含んでいる。パリのエスプリがテーマと いうこと自体、めずらしくもないがどんなもんだろうか。

没後30年 W・ユージン・スミスの写真
2008年8月5日(火)-9月7日(日)
京都国立近代美術館

 京都国立近代美術館に収蔵予定であるアイリーン・スミス・コレクションのW・ ユージン・スミスの写真作品を紹介する展覧会。ユージン・スミスの展覧会は数 年前までよく開かれていた記憶があるが、近年では久しぶりの展覧会ではなかろ うか。ユージン・スミスは正直、報道写真家というイメージから、あまり関心が なかったのだが、この展覧会チラシのテキストがやけに気合が入っていて、熱が 伝わってくるのだ。チラシを読んでこれは、ユージン・スミスを見直してみよう かなという気になる。
 自戒の意味も込めて思うのだが、アート系の写真ばかりを見ていると、報道写真 やネイチャー写真というものを排除しがちである。ロバート・キャパ、マグナム らの写真にしても、報道写真・記録写真というだけで、なにか俗っぽい印象を持 ち、あえて見過ごしてしまいがちだ。そういう判断自体が、美術界における現代 美術と公募展の関係のようだ。好き嫌いせず見なければと思う。余談だが、ホー ムページで見れるこの展覧会のB2判ポス ターデザイン案が非常にカッコい  い、というか美しい。

ヴィジョンズ・オブ・アメリカ 第2部「わが祖国」1918-1961
2008年8月30日(土)-10月19日(日)
東京都写真美術館

 東京都写真美術館収蔵展シリーズの第2弾。収蔵展は地味などと言われがちだ  が、実は常設展示室を持っていない東京都写真美術館のコレクションを見られる またとない機会なのだ。今展もチラシ裏面の作品写真を見るかぎり、ウォーカ  ー・エヴァンズ、ポール・ストランド、ウィージーや名前は知らなかったがチャ ールズ・シーラーの美しいセピア色をした工場の写真などいい写真が見られそう だ。

TOUCHING WORD 058

2008-07-25 22:58:04 | ことば
優れた小説は、人生で何があっても生きていく力を与えてくれると思うんです。リストラされても大丈夫みたいなね。
 物語の力、「物語力」がない人って、逆境に弱い気がする。どんなにひどいことにあっても、必ずどこかの小説に書いてありますから。その中でどう主人公が生きていくか、そこまで含めて書いてある。人生でこういうことが起こりうるんだと、全部物語に書いてある。逆境の中で生きていく力を磨く、そのひな型は、物語の中にある。だから物語を知っているほど打たれ強い。


本はもともと木。人間って木を触っていると安心する。本を読むって木に触っているようなものですからね。
(「茂木健一郎さんに聞く」毎日新聞2008年7月23日朝刊)

「物語」が人を強くしてくれる。いくつもの「物語」を生きることで、生きていく力が与えられる。なんてことを膨大な未読本を前にしている私が言うのはおかしな話なのでやめよう。しかし、厚さ1~3cmの紙のかたまり、インクが紙に載っただけの書物が与えてくれるものはあまりに大きい。だが、誤解のないようにいうが、私は本を逆境に強くなるためや、教養や知識を身につけるために読んだことはない。木に触れるように本を読んできただけだ。書物の森は私の日々の植林のせいか、その範囲を広げているが、いまだ名前の知らない木が多く当分木々の間を散策しなければならないだろう。

未読日記197 「光と追憶の変奏曲」

2008-07-24 23:56:54 | 書物
タイトル:コロー 光と追憶の変奏曲
編集:陳岡めぐみ、国立西洋美術館
デザイン・制作:美術出版デザインセンター、垣本正哉、笠毛和人、河野素子
制作・発行:読売新聞東京本社
発行日:2008年6月14日
金額:2500円
内容:
「カミーユ・コロー-現在を生きる19世紀の画家」高橋明也[三菱一号館美術館館長・国立西洋美術館客員研究員]
「「彼は目で見た現実によって夢想を支える……。」コロー、その生涯と作品」ヴァンサン・ポマレッド[ルーヴル美術館絵画部長]
「抗い難い調和-コローの歩みを追って」マイケル・パンタッツィ[元カナダ国立美術館学芸員]
カタログ
1章 初期の作品とイタリア
2章 フランス各地の田園風景とアトリエでの制作
3章 フレーミングと空間、パノラマ風景と遠近法的風景
4章 樹木のカーテン、舞台の幕
5章 ミューズとニンフたち、そして音楽
6章 「私は目も心も使って解釈する」
   クリシェ=ヴェール:コローのグラフィスム
「カミーユ・コローと日本」岡泰正[神戸市立博物館主幹・学芸員]
「松方コレクションとコロー」陳岡めぐみ[国立西洋美術館研究員]
参考地図
年譜
主要参考文献
他作家解説
作品リスト

購入日:2008年7月20日
購入店:国立西洋美術館
購入理由:
仕事を兼ねて行った展覧会だが、思いの他上質な鑑賞経験ができた展覧会だった。
近年のマティス展、モネ展、ムンク展にも言えることだが、ただの回顧展にはせず、その作家の影響関係やあまり紹介されない仕事までも視野に入れたロングスケールな内容としたことで奥行きと広がり出て、内容としてもわかりやすさと奥深さを同時に味わえる内容となっている。例えばコロー展では、4章の「樹木」をテーマとしたセクションでルノワールやモネ、シスレー、モンドリアン、ピサロ、ゴーガンなどが展示されている。それらの作家の作品を同時に展示することでコローの樹木の描写とその継承・展開を辿ることができるようなっているのだ。展示室がもっと見やすい構成なら申し分ないが、比較・検証の場としての展示としては充分に説得力を持っていて、木々の間を散策するように気持ちのいい展示であった。

カタログで高橋明也氏が指摘しているようにコローは日本で何度も紹介・展示されてはいるが、「ミレー、コロー、バルビゾン派の画家たち」といった括りで紹介されるケースがほとんどであったように思う。かくいう私もそのような展覧会で目にしたことがあるくらいであった。しかし今回、コローの作品をまとめて見たことで、いままでのバルビゾン派の流れにまとめてしまうにはもったいない作家/作品だと認識を新たにした。コローが19世紀という時代に活躍したからといって、作品が19世紀の作品だとは限らない。作品は時間を越える。

私がコロー展を見ておきたかった理由のひとつにはもうひとつ、河野通勢の影響関係を検証したかったというのがある。河野展の図録でデューラー、レンブラント、コローの影響を受け云々といった記述を見て、これはコローを見ておかねばと思ったのだ。そこでコローだが、たしかに河野が描く樹木、風景描写にはコロー作品のもつ木々が揺らぎ、ざわめくようなリズムと無気味な気配が微かに漂っている。しかし、見続けているうちにそんな比較検証は忘れ、コローの絵画面にポツポツと斑点のように置かれた色班が閃光のように目に飛び込んで、残像現象のようにちらつきだすのだった。見えないようで微かに見えるこの斑点・色点はなんだろうか。点でなくとも、風景の前景にあたる位置に描かれる小さな草葉や枯れ木に残る葉の描き方、マチエールはまるで無造作に絵の具を置いたようでありながら、なにか画面に違和感と立体感を作り出している。気づかないくらいひそやかな表現なので、図録では確認しづらいが、この小さな色点が画面内にリズムを作り出し、世界に風と光を与えている。
これらの表現は人物画においても徹底されているのだが、人物画ではさらなる疑問に直面した。「バラ色のショールをはおる若い女」(1865-1870年頃)がわかりやすいが、これは未完成の作品なのだ。未完成の状態でも作家の制作プロセスが垣間みえるという意味で貴重だとか言うつもりはない。なぜならこの作品は未完成の状態でありながら「完成」しているからだ。未完成でありながら充分な密度と深度を持っている。他の人物画でも未完成のように見える作品もあるが、まるで未然の状態で静止することで完成しているという作品群なのだ。

コローのこれら一連の作品を見続けて、ここには「近代」の思考の萌芽があると感じる。ここにはただの風景画はない。コローの絵画に「きれいな風景」を求めてくるのは間違っているのだ。もう一度仕事ではなく、じっくりと見ないことには気がすまない展覧会だといま感じている。


A PIECE OF FUTURE 2008.7.21

2008-07-23 23:35:10 | 美術
三連休で手にした展覧会チラシの一部より、胸高鳴る展覧会をプレビュー。

・所沢ビエンナーレ・プレ美術展 引込線
2008年8月27日(水)-9月12日(金)
西武鉄道旧所沢車両工場

参加作家:伊藤誠、遠藤利克、大友洋司、岡安真成、木村幸恵、窪田美樹、高見澤文雄、建畠朔弥、多和圭三、手塚愛子、戸谷成雄、中山正樹、増山士郎、水谷一、山下香里、山本糾

著述参加者:青木正弘、天野一夫、坂上しのぶ、沢山遼、高橋綾子、谷新、千葉成夫、拝戸雅彦、原田光、真武真喜子、峯村敏明、本江邦夫、守田均、山本さつき、渡部葉子

シンポジウム
 8月31日(日)午後3時-午後5時
 司会:中山正樹
 パネラー:遠藤利克、窪田美樹、手塚愛子、戸谷成雄、本江邦夫、峯村敏明
 場所:所沢市役所

いまどきの現代美術界ではそうそう驚くような展覧会も減ってしまったが、この展覧会には驚いた。参加作家、著述参加者のメンバーを見れば、分かる人は分かってくれるかもしれない。おまけにシンポジウムはいまどきないくらい恐怖をかき立てて、わたしなぞは隅っこあたりで聞いてみたいと思う。
振り返ってみるに、遠藤利克、戸谷成雄の2人が共に出品した展覧会は峯村敏明企画による2005年の第20回平行芸術展だったろうと思う。以降、この2人の作品は心なしか再び光が当てられていった気がする。そして、今回の車両工場という魅惑的な展示会場でこの2人がどのような展示をしてくれるのかとても気になる。夏の終わりまでは生きていようと思う。

・近代工芸の華 明治の七宝
2008年7月19日(土)-9月15日(月・祝)
泉屋博古館分館

先日、仕事場でいけばな作家の方と話をしていたところ、どの語かは忘れてしまったが、ある単語を聞き間違えられ、「七宝?」と言われた。聞き間違いによくあるように、例によって七宝の話をしていたわけではない。しかし、そのとき私の脳裏に浮んだのは七宝だった。そういえば、七宝の展示はあまり見たことがない・・。その場は聞き間違いが引き起こすささやかな笑いによって会話は流れていったが、私の頭の中には「七宝」の2文字が離れなかった。また、それから数十日たった日曜日に私は下北沢にいた。目的の場所へと歩いていると、ふと古ぼけた骨董、古家具屋が見えてきた。その家屋の壁になんとなく目をやると、この展覧会にも出品している「並河靖之」の展覧会ポスターが目に入ってきた。ゆるやかなつながりだが、七宝へと誘う出来事が続いたので、まずは時の流れに乗り、展覧会に出かけてみようと思う。

・生誕100年 川喜多かしことヨーロッパ映画の黄金時代
2008年7月25日(金)-9月28日(日)
東京国立近代美術館フィルムセンター 大ホール

ホームページを見ていただけるとわかるのだが、このラインナップを見て興奮しない映画好きはいないだろう。スタンバーグの『嘆きの天使』、海中探検ドキュメンタリー『沈黙の世界』、クルーゾーの『ピカソ-天才の秘密』、トリュフォー『大人は判ってくれない』、アントニオーニ『夜』『赤い砂漠』、エイゼンシュテイン『アレクサンドル・ネフスキー』、ベルイマン『第七の封印』、カサヴェテス『アメリカの影』、ブレッソン『バルタザールどこへ行く』どれもスクリーンで見たかった作品ばかりだ。ブレッソンの『バルタザール』の上映などは久しぶりではないだろうか。9月までは生きていたい。


・ダニ・カラヴァン展
2008年9月2日(火)-10月21日(火)
世田谷美術館

環境彫刻を主に手がけるカラヴァンの作品をどのように展覧会として構成するのか興味深いダニ・カラヴァン展。内容も気になるが、私がいちばん気になるのは関連企画だ。<音楽とともに展覧会を鑑賞する>と題して大友良英+Jim O’Rourke+Sachiko M+ユタカワサキによる即興演奏、町田良夫によるスティールパンライブなどを行うというのだ。環境と空間を取り込んだ作品を制作してきたカラヴァン作品へのひとつのアプローチとして非常におもしろい試みだと思う。というより、ただライブを聴きに行きたい。9月までは生きていたい。

・WORDS OD A PAINTER -清川泰次 その思索と絵画
2008年8月2日(土)-11月30日(日)
世田谷美術館分館 清川泰次記念ギャラリー

いつも美しいデザインのチラシが印象的な清川泰次ギャラリー。今回も日記をヴィジュアルとして美しく見せていてシンプルで上品な作り。

TOUCHING WORD 057

2008-07-18 23:24:25 | ことば
希望と恐れは不可分である。希望のない恐れも、恐れのない希望も存在しない。
(p.179 『ラ・ロシュフコー箴言集』二宮フサ訳、岩波書店/岩波文庫、1989.12)

かつて自分に希望があったのかも憶えていないが、恐れは何度も感じてきたし、恐れなかった日はなかった。希望は感覚ではあまり感じないが、恐れは感覚として身近で。恐れというと、ネガティブに捉えられるが、そんなことは


未読日記196 「大正の鬼才」

2008-07-18 00:48:43 | 書物
タイトル:大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に
編集:土方明司(平塚市美術館)、江尻潔(足利市立美術館)、瀬尾典昭(渋谷区立松濤美術館)、木内真由美(長野県信濃美術館
デザイン:川野直樹
発行:美術館連絡協議会
発行日:2008年2月2日
金額:2000円
内容:
平塚市美術館、足利市立美術館、渋谷区立松濤美術館(2008年6月3日-7月21日)、長野県信濃美術館において開催された<大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に>展の展覧会図録。

「河野通勢-奇想と見神のすべて」瀬尾典昭(渋谷区立松濤美術館主任学芸員)
「絵空事師・河野通勢-その挿絵と装幀」岩切信一郎(東京文化短期大学教授)
図版
 Ⅰ.初期風景画と裾花川
 Ⅱ.自画像と様々な展開
 Ⅲ.聖書物語
 Ⅳ.芝居と風俗
 Ⅴ.銅版画
 Ⅵ.挿絵と装幀
 Ⅶ.資料
河野次郎年譜
参考図版
「河野通勢-長野の青春時代」木内真由美(長野県信濃美術館学芸員)
「河野通勢・画風の変化とその背景について」土方明司(平塚市美術館館長代理)
「ダイモーンの声」江尻潔(足利市立美術館学芸員)
河野通勢年譜
河野通勢 大正五年のノートブック(抄録)
河野通勢 日記(抄録)
裾花川ノ夕
主要展覧会出品記録
主要文献目録
出品リスト
付録資料「白樺主催河野通勢個人展覧会目録」原稿

購入日:2008年7月12日
購入店:渋谷区立松濤美術館
購入理由:
粘りつくような写実的な絵画を描きながら、超現実的な光景が圧倒的な存在感で現前する河野通勢の奇跡の絵画。二十歳代前半に長野で描いた風景画はダ・ヴィンチ、デューラーの影響など消化しつくし、まるで天上の世界を描いたかのような聖性の絵画として存在している。
わたしはいつもほんとうにすばらしい絵画と出会うと怖ろしくなる。なにか見てはいけないような、近づいてはいけないような気配を感じてしまうのだ。河野の絵画にはそのような恐れと見る喜びが同居している。理性では見ることに慄きながら、身体は見ることを望んでしまう。いや、望むというより吸い寄せられてしまう。ときどき思う。絵画は物質・ものではあるが、生きているのではないかと。大正時代の作品など古臭く感じられてもいいはずだが、河野の初期絵画は私には生き、呼吸しているように感じられるのだ。絵画が呼吸するリズムに飲み込まれ、同調していくことで画面に引きづり込まれていくこの感覚は圧倒的だ。例えば、代表作「裾花川の河柳」(1915)を見てみよう。この草木のうねり、風の動きは視線を細部に誘い、眼を離させない。さらに今回新発見された素描は風景空間を圧倒的な情報量で描き出し、鑑賞する私たちを絵画空間から現実へと押し返し現実の様相を変えてしまう。迸る奇想がスパークする聖書シリーズ、視線の往還運動が慈愛へと昇華する自画像連作などここ最近ではもっとも充実した大大大傑作。おそらく地味に展覧会も終わり、ほとんど知られず見られず忘れられてしまう展覧会かもしれない。だがいい。いまの私には河野通勢が必要だった。ただそれだけだ。
しかしそれだけに、2階展示室での挿絵・装幀、油彩作品はやはりもの足りなかった。同じ人物かと思うくらい作風が変化してしまい凡庸な印象を受けてしまう。それだけが残念で悔やまれる。ただ私に理解できる力がないだけなのかもしれないが・・。W・ベンダースの映画「ベルリン・天使の詩」に例えれば、天使が地上に降りてしまい、聖なる力を失ってしまったかのようだ。初期の作風をどのように展開させていくかで迷いがあったのだろう。しかし、作家の人生と作品は別だ。会期終わりにもう一度見に行こうと思う。あの恐れと喜びを味わうために。


未読日記195 「絵画のコスモロジー」

2008-07-15 23:26:28 | 書物
タイトル:絵画のコスモロジー
編集:仙仁司、小林宏道、淵田雄
デザイン:百瀬梓
制作:多摩美術大学美術館
発行日:2008年
内容:
東京・多摩美術大学美術館において開催された<絵画のコスモロジー>展(2008年6月22日-7月20日)の展覧会図録。

「アンドロギュヌス的宇宙-絵画のコスモロジー」中村隆夫(多摩美術大学教授)
「絵画に関する認識を構成する基本コンセプト」橋本倫
橋本倫 図版
「絵画寸考」黒須信雄
黒須信雄 図版
「雲の中に、花の中に」小山利枝子
小山利枝子 図版
作品リスト

入手日:2008年7月5日
入手場所:なびす画廊
銀座・なびす画廊の方よりいただいたもの。展覧会は図録をいただいた時点ではまだ未見だったが、翌週にシンポジウムと合わせて行くことにした。
さて肝心の図録は紙質のせいか、図版の色味と実作から受ける色がだいぶ異なっている気がする(とくに、油絵の橋本氏の図版)。しかし、多摩美の美術館のことだから、予算がないのかもしれない。

展覧会としては、まさに絵画におけるコスモロジー体験ができる近年まれな展覧会。現在の日本の美術館でこれほどまで「絵画」を主題とした展覧会はないだろう。実は、この展覧会に行く前、渋谷区立松濤美術館で行なわれている<大正の鬼才 河野通勢>展を見てから向かったのだが、そちらもまたコスモロジー大爆発な展覧会であり、このカップリングには我ながら充実した鑑賞経験ができたと思う。
その共通性をあげるなら、シンポジウムで橋本氏が岸田劉生の「切通しの写生」について触れていたが、河野通勢もまた岸田劉生主宰の草土社に在籍し、劉生からの影響をうかがえる作品を制作している。さらに、橋本氏の初期の「多摩丘陵開発真景図」では岸田劉生的な写実技法により描かれるなど、私にはその偶然と継承に絵画の歴史が現前しているかのような奇妙な感覚にとらわれた。

黒須氏の「存在しているものからしか出発をせざるをえない不可能性」としての絵画から自律する絵画へと形成されていくようなオブスキュアな画面は絵画にひとつの「可能性」を与えるし、小山氏の初期のジョージア・オキーフ風な作品から、植物の花粉が世界へと放出されるような作品はアンビエントな空間を創出する。
三者三様表現は全く違う。だが、その密度(深度?)は、混じりけのない純度100%の「絵画」である。ここには近年見られる絵画30%な「絵画」とは大違いだ。それらは形式としての絵画であり、中には「絵画」が入っていない。私たちは薄められた「絵画」を見せられているのだ。食品偽装も問題だが、芸術偽装もやめてもらいたいものだ。話が逸れていってしまったが、熱いシンポジウムとともに濃密な体験ができた展覧会だった。


A PIECE OF FUTURE 2008.7.14

2008-07-15 00:30:54 | 美術
今週末手に入れた展覧会チラシから、これから見てみたい展覧会の期待度プレビュー。


・生きてる美術
2008年8月5日(火)-8月17日(日)
神奈川県民ホールギャラリー

藤嶋俊會企画。26名の作家が参加する現代美術展。

・ブルーノ・ムナーリのアートとあそぼう!
2008年7月12日(土)-8月31日(日)
川崎市市民ミュージアム

昨年から今年にかけて生誕100年記念展が開かれていたブルーノ・ムナーリの展覧会。今回は、こどもの城、日本ブルーノ・ムナーリ協会が所蔵するコレクションを中心にブルーノ・ムナーリの仕事を振り返る内容。ブルーノ・ムナーリは先の展覧会でその仕事のすばらしさを堪能したが、この間見たばかりだし、見なくてもいいかなと思ったり思わなかったり。

・英国植物画の世界 美しき自然に魅せられて
2008年7月19日(土)-9月7日(日)
市川市芳澤ガーデンギャラリー

18、19世紀のイギリス植物画の展覧会。植物と聞くととりあえず押さえておくかと思ってしまう。それにしても、炎天下にはあまり行く気がおきない美術館ではある。

・長沢秀之展 風景からフウケイへ
2008年7月12日(土)-9月7日(日)
川越市立美術館

・祈りの痕跡展
2008年7月19日(土)-9月23日(火)
21_21 DESIGN SIGHT

浅葉克己ディレクション。文字を書くという行為を記録/痕跡として位置づけ、美術、デザインのなかからその軌跡/痕跡をたどる展覧会。服部一成、李禹煥、ブロディ・ノイエンシュヴァンダー、杉浦康平など個人的に気になる/好きな作家たちの作品が見られるのがうれしい。そして、このような美学的なテーマが個人的にストライクで余計に楽しみ。「文字」を書ではなく、美術・デザインの中から検証する試みは、奥が深く一筋縄ではいかないだろうが、人類が文字を記すという根源的な営みを踏まえた上で、検証するこの展覧会はうまくいけば新しい知見を得ることができそうだ。

・狩野芳崖 非母観音への軌跡 東京藝術大学所蔵品を中心に
2008年8月26日(火)-9月23日(火・祝)
東京藝術大学大学美術館

没後120年を期に開催される待望の狩野芳崖展。東京芸大のコレクション中心による小規模展なのが残念だが、作品が見られないよりはいいだろう。まずは、近代日本画を考える際、最重要な作家のひとり狩野芳崖の作品をまとまって見る機会が得られたことを喜びたい。今年初めに行なわれた橋本雅邦展を思い出しつつ、見比べてみたい。

・福原信三、路草写真展
2008年7月4日(金)-9月23日(火)
資生堂アートハウス

以前、ハウス・オブ・シセイドウで福原信三、路草兄弟の作品を見たことがあるのだが、そのモノクローム写真の精彩さに驚いたことを憶えている。歴史的には信三の方を評価する傾向があるようだが、私には路草の構築的な写真が気になった。ぜひ東京の美術館でやってくれないものだろうかと思う。それにしても、この展覧会チラシはすばらしい。画像に使われている福原信三の「新年の海」(1937)の水墨画を思わせるモノクローム、紙質、デザインの美しさは特筆ものだ。

・明治の洋画 解読から鑑賞へ
2008年8月2日(土)-9月23日(火・祝)
茨城県近代美術館

またよくある明治美術の展覧会かと思いきや、副題の「解読から鑑賞へ」というキーワードが異色。いままでの明治美術の展覧会が解読に重点を置いていたのに対して、今回は明治時代における「鑑賞」を検証し、展覧会を組み立てるらしいのだ。
美術館の成立が明治時代であるなら、その時代の鑑賞方法とは何だったのか。鑑賞史から見えてくるもうひとつの明治美術とは何だろうか。作品はよく見かけるものばかりだが、どのような切り口で展示するのか気になるところだ。しかし、テーマがやや研究色が強すぎる気がしないでもない。

・アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち
2008年8月9日(土)-11月3日(月・祝)
森美術館

第51回ヴェネチア・ビエンナーレ(2005)で金の獅子賞を受賞したフランスの女性アーティストアネット・メサジェの日本初の大規模な個展。絵、写真、記事、拾い集めたオブジェ、言葉、剥製、ぬいぐるみ、布、刺繍、糸、編み物など日常の事物を素材にインスタレーションを展開している。それら日常の事物から、パーソナルな物語を紡ぎだす作品なのか、より普遍的なスケール感を出す作品なのかはわからない。感触としては期待薄なのだが、キュレーターが水戸芸術館から移った逢坂恵理子氏が担当する展覧会だけに、その実績から展示構成は安心感がありそうではある。

・岡本太郎が見た韓国1964・1977
2008年7月19日(土)-9月28日(日)
川崎市岡本太郎美術館

・ライオネル・ファイニンガー展 光の結晶
2008年8月2日(土)-10月5日(日)
横須賀美術館

バウハウス・デッサウ展の次はバウハウス設立に参加し、教授をつとめたライオネル・ファイニンガーの日本初の本格的な回顧展の開催である。色彩の塗り重ねが特徴的だが、どのようなものかは実見しないとわからない。それにしても、これまた炎天下にはあまり行く気がしない美術館ではある。

・紙で語る
2008年8月1日(金)-10月12日(日)
大倉集古館

・サイトウ・マコト展 SCENE[0]
2008年8月2日(土)-11月3日(月・祝)
金沢21世紀美術館

グラフィック・デザインのサイトウ・マコトによる初の絵画展にして国内初の大規模個展。私は恥ずかしながらその名前を知らなかったのだが、関連イヴェントで吉岡徳仁(デザイナー)、浅田彰(京都造形芸術大学大学院長)と対談するところをみると、かなりの人物なのだろう。同時開催のロン・ミュエック展とあわせて、夏は金沢に行きたい。

・スリランカ 輝く島の美に出会う
2008年9月17日(水)-11月30日(日)
東京国立博物館 表慶館

スリランカの文化財、美術品を紹介する展覧会。この展覧会の情報を知って、予備校時代、英語の教師がよくスリランカに行くとか話していたのを急に思い出した。雨が降っていると、「外はシトシトピッチャンと雨が降っておりますが」などと変なことを真顔で言ういい教師であった。その彼はいまもスリランカに行っているのだろうか。

・横浜トリエンナーレ2008
2008年9月13日(土)-11月30日(日)
新港ピア、日本郵船海岸通倉庫、横浜赤レンガ倉庫1号館ほか

ついに参加作家が決定し、詳細な情報が入ったチラシができたハマトリ2008。あまりに知らない作家ばかりで、コメントのしようがないが、知らない作品・作家と出会える場となるのであれば、それもまたよしか。夏のロックフェスが終わったら、次はアートフェスへ。え?盛り上がらないって?余談だが、日本の国際美術展をロックフェスに例えるとフジロックフェスティバルが越後妻有アートトリエンナーレ、サマーソニックが横浜トリエンナーレになるだろうか。音楽ほど興奮しないが、みなさん行ってみてはどうでしょう。

横浜トリエンナーレ2008→http://yokohamatriennale.jp/

思い出すSONG1

2008-07-11 23:32:08 | music
今日、頭の中でイントロがリピートして、なんの曲か思い出せなかった。そんなことはないだろうか。思い出せないことはなくても、なんでいまこの曲が頭の中で流れるんだろう、と気になることが他人のことは知らないが私にはよくある。なにかの啓示のように、予感のように、ただの記憶の残像現象のように頭の中にリフレインする音楽。一日が終われば忘れてしまって、その日自分の頭の中で流れていた曲さえ憶えていない。だが、そんな過ぎゆく一瞬間、自分の頭の中だけで流れる音楽こそ、体に刻まれた自身のサウンドトラックなのかもしれない。私には、頭の中で突如流れ出す音楽は、ただ私のためにチューニングされたラジオステーションが発信するメッセージなのかもしれないという形而上的な妄想にふけることがままある。そのとき、いつまた音楽が流れ出すのか私には待ち遠しく思えるのだ。

今日、なんどもリピートされる曲をぼんやりと考え続けていると、The Jesus And Mary ChainのDARKLANDSであったことに気がついた。「I want to move I want to go / I want to go」の歌詞があまりに自分が置かれた状況にジャストすぎてサウンドトラックのようであった。ちなみに、The Jesus And Mary Chainのアルバムの中では『ダークランズ』が一番愛聴しているアルバムなのだが、こんどのサマーソニックで、この曲を演奏してくれないものかとまた妄想はひろがっていく。





TOUCHING WORD 056

2008-07-09 00:14:20 | ことば
The best you can do between now and Tuesday is still a kind of best you can do.

今から火曜日までの間にできる最良のことが、自分ができるベストのひとつだ。
(p.159 『チャールズ・イームズの100の名言』カーラ・ハートマン&イームズ・デミトリオス編、イームズ・オフィス、2007)