A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 508 思考を強いる物や出来事

2017-05-31 22:06:18 | ことば
 世界には思考を強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。〈人間であること〉を楽しむことで、〈動物になること〉を待ち構えることができるようになる。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版、2015年、367頁。


思考を強制するものを受け取ることで、人は楽しみ、学びながら、ものを考えることができるようになっていく。
文章を書くという経験も思考を強いる体験だが、書くことを通じて深く確実に何かを受け取っている。


memorandum 507 自分がとりさらわれる瞬間

2017-05-30 10:32:56 | ことば
 ドゥルーズは、「なぜあなたは毎週末、美術館に行ったり、映画館に行ったりするのか? その努力はいったいどこから来ているのか?」という質問に答えてこう言ったことがある。「私は待ち構えているのだ」。
 ドゥルーズは自分がとりさらわれる瞬間を待ち構えている。〈動物になること〉が発生する瞬間を待っている。そして彼はどこに行けばそれが起こりやすいのかを知っていた。彼の場合は美術館や映画館だった。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版、2015年、366頁。

同感する。私は「思考の対象によってとりさらわれる」ことを待ち構えている。

未読日記1308 『海上の道』

2017-05-29 10:17:13 | 書物
タイトル:海上の道
岩波文庫, 青(33)-138-6
著者:柳田国男
発行:東京 : 岩波書店
発行日:2015.11第37刷(2008.4第32刷改版, 1978.10第1刷)
形態:375p ; 15cm
注記:底本: 『定本 柳田国男集(第1巻)』
   解説: 大江健三郎
   岩波文庫創刊80周年記念改版重版の出版社の刊行案内では「活字を大きくし、字詰め行間を改め、より読みやすくしました」とある
内容:
遠い昔、日本民族の祖先たちはいかなる経路をたどってこの列島に移り住んだか。彼らは稲作技術を携えて遥か南方から「海上の道」を北上し、沖縄の島づたいに渡来したのだ……。ヤシの実の漂着・宝貝の分布・ネズミの移住など一見小さな事実を手掛りに、最晩年の柳田(1875-1962)が生涯の蓄積を傾けて構想した雄大な仮説。 (解説=大江健三郎)

目次
まえがき
海上の道
海神宮考
みろくの船
根の国の話
鼠の浄土
宝貝のこと
人とズズダマ
稲の産屋
知りたいと思う事二、三
あとがき
地図
解説(大江健三郎)
索引

購入日:2017年5月27日
購入店:丸善 京都本店
購入理由:
 「のっぴきならない遊動」展(京都芸術センター)レビューのための参考文献として購入。
 「のっぴきならない遊動」展は、海部陽介の著書を着想に生まれた企画だという。そこで海部氏の著作『人類がたどってきた道』(日本放送出版協会、2005年)と『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋、2016)を読んだところ、読み物としておもしろく、知的刺激を受けた。読後、同じく日本人祖先の渡来を主題とした本書を思いつき購入。

【ご案内】小林耕二郎「動 ブツ たち | 動 ブツ たち 動く」レビュー

2017-05-28 12:41:57 | お知らせ
東京・gallery COEXIST-TOKYO にて3月に開催された小林耕二郎展「動ブツたち動く」のレビューを執筆させて頂きました。
ご覧になった方、未見の方もご一読頂けると幸いです。
http://coexist-tokyo.com/hirata_review/

作品写真は下記サイトで見られますので、合わせてご覧ください。
http://coexist-tokyo.com/kojiro-kobayashi/

また、本日5月28日にKAAT神奈川芸術劇場にて1日限定の展覧会「オープンシアター2017」に、小林さんが出品されます。関東方面の皆さま、ぜひお出かけください。
オープンシアター2017
2017年5月28日(日)
10:00~18:00
KAAT神奈川芸術劇場内各所
http://kaat-seasons.com/exhibition2017/

memorandum 506 汗をかく

2017-05-27 23:16:50 | ことば
私は日毎に酢っぱくなる
古漬のきゅうりのように。

家には玄関も台所も窓もある
けれどそれらは
どこに向かってひらいていたろう。

私は絶望した、
運命ではない
けれど私ひとりの非力でもない
ここには、のがれられないものがあるのだ。

旧式な漬物桶のように
日本の家庭の隅に置かれてある
手を入れればクサくなる
ぬかみそのようなもの。

しかも日常
食事にはかかせないという
アジのあるもの
愛と呼ぶにはみすぼらしく
ギセイというには大げさな
常にこねまわされ、慣らされた
陰湿な、この重たさ。

桶の上には石がひとつ。
私の生活を圧してくる。

それなら味を出します、
私が生まれてきたのは
何ひとつ得るためではなかった、と。
みんな失うために
あげるために
生まれてきたのだと。

きゅうりはやせる
しょっぱい汗をかく。

伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、250-252頁。

私は古漬けのきゅうりの味をだせているだろうか。



memorandum 505 それから

2017-05-26 11:28:39 | ことば
私はハンドバックに
種苗会社から送ってもらった
花の種をいくつかいれている。

これを持って満員電車にゆられ
職場へ通う
紙袋に刷られた五色の花の色どりは
明日ひらくものを約束している。

昨日考えた私の未来は
今日、このようにみすぼらしく
丸の内の石だたみの上
人間の足の下に頭をおさえられて
自分を生かしようもなく
使い果たされているけれど、

ここに種がしまってある
ということを
私は時々サラサラとふって
たしかめてみる。

それはハンカチのように
財布のように
それよりも、もっと必要な携帯品である。

花の名は
百日草
貝細工草
アスター
松葉ぼたん
それから。


伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、238-240頁。

私が花の種だったら、未来に咲けたのに。


memorandum 504 白いものが

2017-05-25 23:30:46 | ことば

私の家では空が少ない
両手をひろげたらはいってしまいそうなほど狭い
けれど深く、高い空に
幸い今日も晴天で私の干した洗濯物が竿に三本、

ここ六軒の長屋の裏手が
一つの共同井戸をまん中に向き合っている
そのしきりのように立っている六組の物干場
その西側の一番隅に
キラリ、チラリ、しずくを飛ばしてひるがえる
あれは私の日課の旗、白い旗。

この旗が白くひるがえる日のしあわせ
白い布地が白く干上がるよろこび
これはながい戦争のあとに
やっとかかげ得たもの
今後ふたたびおかすものに私は抵抗する。

手に残る小さな石鹸は今でこそ二十円だが
お金で買えない日があった
石鹸のない日にはお米もなかった
お米のない日には
お義母さんの情も私の腕に乏しくて
人中で気取っていても心は餓鬼となり果てた、

その思い出を落とすのにも
こころのよごれを落とすのにも
やはり要るものがある
生活をゆたかにする、生活を明るくする
日常になくてはならぬものが、ある。

日常になくてはならぬものがないと
あるはずものまで消えてしまう
たとえば優しい情愛や礼節
そんなものまで乏しくなる

私は石鹸のある喜びを深く思う
これのない日があった
その時
白いものが白くこの世に在ることは出来なかった、

忘れられないことである。


石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、34-36頁。

石鹸はからだのよごれを落とすだけではない。



memorandum 503 言葉だって、

2017-05-24 09:52:50 | ことば
言葉だって、絵の具と変わらない。ただの語感。ただの色彩。リンゴや信号の色を伝える為だけに赤色があるわけではないように、言葉も、情報を伝える為だけに存在するわけじゃない。

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、94頁。

「言葉」を「絵の具」と考えると、「言葉」はまだまだいろいろできる。

未読日記1307 『スペクタクルの社会』

2017-05-23 23:35:12 | 書物
タイトル:スペクタクルの社会
タイトル別名:La société du spectacle
シリーズ名:ちくま学芸文庫, [ト-8-1]
著者:ギー・ドゥボール
訳者:木下誠
カバーデザイン:神田昇和
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:2016.8第6刷(2003.1第1刷)
形態:282p; 15cm
注記:平凡社(1993年刊)に訂正を施し、再刊した決定訳
   叢書番号はブックジャケットによる
   書誌: p253-262
   ギー・ドゥボール略年譜: p263-275
内容:
「フィルムはない。映画は死んだ」と言ってのけるドゥボールにかかっては、あのゴダールさえ小市民的に見えてしまう。芸術に限らず、思想も政治も経済も、「専門家」に任せきりで、鷹揚にお手並拝見と構えているうちに、いやおうなく「観客」であるしかないどころか、大仕掛けな茶番劇のエキストラに動員されてしまいかねない。こんな世界のありようと疎外感の大元を、本書は徹底的に腑分けしてくれる。ほんとうに「何一つ欠けるところのない本」だ。マルクスの転用から始まるこの本は今日、依然として一個のスキャンダル、飽くなき異義申立てと「状況の構築」のための道具であり、武器であることをやめていない。

目次

フランス語版第三版への緒言
1 完成した分離
2 スペクタクルとしての商品
3 外観における統一性と分割
4 主体と表象としてのプロレタリアート
5 時間と歴史
6 スペクタクルの時間
7 領土の整備
8 文化における否定と消費
9 物質化されたイデオロギー
訳者解題
書誌
ギー・ドゥボール略年譜
文庫版訳者あとがき

購入日:2017年5月23日
購入店:ジュンク堂書店 京都店
購入理由:
 The Third Gallery Ayaにて開催されるトーク/レクチャーイベント「写真()」への参考文献として購入。ご依頼を受けて演題内容を検討したはてに吉田初三郎の原爆鳥瞰図を取り上げようと考えた。続いて、タイトルを考えていたところ「写真(の)スペクタクル」を思いつく。「スペクタクル」と言えば、ギー・ドゥボールの本書である。何かアイデアになるかもしれないと思い読んでみる(結局、タイトルは使わなかった)。


【ご案内】第44回現代美術-茨木2017展 たどりつけない風景

2017-05-22 09:37:13 | お知らせ
大阪・茨木市立生涯学習センターきらめきで開催されます「第44回現代美術-茨木2017展 たどりつけない風景」、最終日にアーティストトークの司会をさせて頂きます。ご来場お待ちしております。


「第44回現代美術-茨木2017展 たどりつけない風景」
[2017年度特集作家]奈良田 晃治・ 藤田 昌宏・吉村 昌子
2017年5月29日(月)〜6月4日(日)
午前10時~午後7時(最終日は午後5時まで、火曜日休み)
茨木市立生涯学習センターきらめき
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/…/gejut…/1431316927411.html


[特集作家によるワークショップ「床に描こう 気分は原始人」]
日時 6月4日(日曜日) 午前10時~正午
会場 茨木市立生涯学習センター 1階エントランスホール
*要予約


[特集作家によるアーティストトーク]
聞き手:平田剛志(美術批評)
日時 6月4日(日) 午後3時~午後5時
会場 茨木市立生涯学習センター 2階ホワイエ

なお、フライヤー・ポスターでの私の肩書が「京都国立近代美術館研究補佐員」となっておりますが、正しくは「美術批評」です。