A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

はぐれ鳥とべ

2005-09-20 00:27:39 | 美術
 石川九楊の書は文字とも絵とも言えないし、書なのか絵画なのか困らせるが、その筆跡を見ると、確かに書なのである。私たちが通常イメージしている習字のような「書」はないが、書のシステムによって書かれているという意味では書である。なぜなら、彼は一度も絵を描こうとしてはいないし、素材や書き方の前提にあるのは書なのだから。

 以前、私はこの欄で仕事中眠くなると、メモ帳を取り出し、文字や絵をうつらうつらしながら書く、と書いた。そのとき、出来上がるのは文字とも絵とも言えないものだが、石川九楊の書を見ていて私の書いたメモ帳をふと思い出した。もちろん、私は石川九楊氏と較べてまったくと言っていいほど、書の経験がないし、彼ほど思索に溢れた人間ではない。だが、書の構造を破天荒に壊すその作品や書くときに手に包帯を巻いたり、左手で書いたり、目隠しをして書くなどの試みをし、「手が自由に動くことから生まれる「過去の風景」を嫌い、そのような不自由を獲得することでしか書として表現することの自由は獲得されなかった」(p.7「石川九楊の世界」新潮社、2005年)と石川氏が書くとき、私の眠りのドローイングもまんざら的を外れてはいないのではないかと、すこし得意になった次第である。

 文字を「書く」ときの癖を取り払うこと。石川氏の書には個人の文字の癖ではなく、書の構造を踏まえた新たな「癖」を作り出すことだった。あるいは、その都度、癖を消していくこと。その行為が彼の書にあらわれているように思う。私は「書」を意識したことはないが、文字でも絵でもない個人的な感情や目的をもたない曖昧な文字や絵や線を書いてみたいという思いがある。そのための一つの試みが眠りのドローイングなのである。もうひとつは、横になって思う存分眠りたいのだが…。

石川九楊の世界
2005年9月13日(火)~9月19日(月・祝)
日本橋三越本店、新館7階ギャラリー

2005-09-11 01:28:12 | 美術
 ブラッサイなる奇妙な名前の写真家は現在のルーマニアに生まれ、ハンガリー、ドイツを経てパリに亡命した写真家である。猥雑な夜の街やそこに生きる人々を写した写真集『パリの夜』(1932年)で一躍脚光を浴びたことで知られる。『パリの夜』に撮られたようなスナップ写真は、私には後に戦場カメラマンとして知られるアンドレイ・フリードマン(ロバート・キャパ)の写真にも通じるパリの賑やかさ、倦怠感があらわれた写真であった。気になったのはそのようなスナップ写真ではない。
 そんな彼の写真に「落書き」というのがある。1930年代から始めたシリーズで、数年に渡ってくり返し撮影され、1960年に写真集『落書き』としてまとめられたものである。恥ずかしながら私は、展覧会で展示された作品しか知らないのだが、壁に落書きされた写真の数々を見ていると「顔」がとても多いことに気づいた。
 今なら、「落書き」ではなく「グラフィティアート」の名のもと、文字や図形がデザインされスプレーによって描かれることが多いのかもしれないが、当時は壁に傷を入れるように、壁に切り込みが入れてあるのだ。何か引っ掻いたような感じと言えばいいだろうか。そのイメージに「顔」が多いのである。壁に落書きするのだから、何を書いてもいいのだが、なぜ「顔」を書くのだろう。実際は、文字や抽象的な図形なども描かれていただろうから、正しくは違うのかもしれない。洋画家佐伯祐三がパリに移住し、描いたパリの風景画にも壁に落書きされた文字が描かれていたように思う。もっとも1930年代のパリの話なので今では確認することもできないし、する必要もないのだが。また、1980年代グラフィティのキース・へリング、バスキアなどの絵にも「顔」と思われるものが描かれていた気がする。
 人はなぜ、壁に落書きするとき、「顔」を描き人間の「存在」を留めようとするのだろうか。それら壁に残された「顔」を見つめていくと、どんな「人間」が描かれ、どんな思いを込められていたのか。見えていながら存在しない「人」について考えてしまうのである。

ブラッサイ -ポンピドゥーセンター・コレクション展-
2005年8月6日(土)~9月25日(日)
東京都写真美術館