A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

TOUCHING WORD 079

2009-02-21 12:31:53 | ことば
僕は歩きながら、いつもなにかを考え、もの思いにふけるようにしている。もの思いにふけるとは、想像力を枯らさないよう、毎日欠かさず水をやるようなことだ。想像力が枯れてしまったら、自分という木が倒れてしまう。だが、尋常でなく忙しかったり、気持ちがささくれるような出来事がざわざわと増えたりしてくると、心がくたびれて、想像力が枯れそうになってしまうことがある。そんなとき、僕は一人で散歩をする。
(松浦弥太郎『軽くなる生き方』サンマーク出版2008.10、p.45)

先日、仕事場の人に、帰るとき声をかけたのに無視されちゃいましたと言われた。事の次第は無視したつもりはなく、ただ気づかなかっただけなのだが、私は歩いていると「もの思い」に沈むようだということに気づいた。思い返すと、昔から一人でいることの多かった私は小学校の行き帰りの中で「もの思い」をし始めたのかもしれない。中学、高校時代は、もやもやとする消化しきれない感情を、長い散歩の「もの思い」が私の心に水を与えてくれた。
散歩の「もの思い」が私を作ったといっても過言ではないだろう。
例えば休日、家に居ても何をしようかと悩んでばかりなのだが、外に出て歩いていると「何をしたいか」がわかってくる。その後、歩くときにアイデアが浮かぶことも多いので、ペンとノートを持ち運ぶようにもなった。おまけに、歩きたくないなと思うときでも歩かなければならない状況だと自然と「もの思い」できるような気がして、そんな場所に住んだりもした。
いま、また私の想像力の木が枯れ始めている。また、一人で散歩をしよう。



TOUCHING WORD 078

2009-02-21 11:51:57 | ことば
楽しそうなふりをしていると、周囲はもちろん自分まで騙すことができる
(箭内道彦『サラリーマン合気道』幻冬舎2008.9、p.147)

タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE」、資生堂「uno」、フジテレビジョン「きっかけは、フジテレビ」、フリーペーパー「月刊 風とロック」を手がけるクリエイティヴ・ディレクター箭内道彦氏の著書から。
人から薦められて読んだのだが、サックリと読めて気分が晴れる好書。
「優先順位が低いものに時間をかける」「目を見て話さない」「プライドや個性を進んで捨てる」「同僚と仲良くしない」「仕事に私情を紛れ込ませる」など、常識や既成概念を揺すぶる発想に、こちらの身体と頭も軽くなる。いくつかは自分も実践していて、呆れるやら共感するやら…。
 そのなかの一つが上の言葉なのだが、私がどこまで周囲を楽しくしてるのかは自分では自信がないが、そうありたいと思う。「仕事」というのは楽しくなかったり、嫌なもの、こと、人間に出会ったり、やらなければならないことも多い。人生そういうものだったりするわけだが、それに対していちいちヘコむのも芸がないと思い、人とは逆の発想をするようにしたというわけなのだ。具体的に箭内氏が述べているので最後に引用したい。
「ただ「楽しい」とか「大好き」とかでもいいんです。そういうポジティヴなことを口にしていくだけで気持ちもいいし、多分体にもいい。みんな大人になると大好きって言葉を使わなくなるけど、その気持ちは心の中には絶対あるはずです。」(本書p.145-146)

未読日記228 「未来をひらく福澤諭吉」

2009-02-13 10:13:28 | 美術
タイトル:未来をひらく福澤諭吉展
監修:前田富士男(慶應義塾大学アート・センター所長)
   米山光儀(慶應義塾福澤研究センター所長)
   小室正紀(慶応義塾福澤研究センター前所長)
編集:慶應義塾東京国立博物館福岡市美術館大阪市立美術館産経新聞社
デザイン・制作:美術出版社
        垣本正哉、笠毛和人、河野素子、菅原麗
印刷:大日本印刷
発行:慶應義塾
発行日:2009年1月10日
定価:2500円
内容
異端と先導―文明の進歩は異端から生まれる
福澤諭吉の生涯―それは、内に秘める「異端」な思想を、勇気と気品をもって世に説き、身をもって「先導」する挑戦でした。

「「未来をひらく福澤諭吉展」に寄せて」安西祐一郎(慶応義塾長)
「福澤諭吉と現代」西村稔(京都大学 人間・環境学研究科教授)
「福澤諭吉の『文明論之概略』におけるアジア、日本およびヨーロッパ」アネッテ・シャート=ザイフェルト(デュッセルドルフ大学教授)
「家族とは何か」西沢直子(慶應義塾福澤研究センター准教授)
カタログ
 総説
第1部 あゆみだす身体
 第1節 福澤の身体
 第2節 福澤と家族
第2部 かたりあう人間(じんかん)
 第1節 新しい男女観
 第2節 同志と社中
第3部 ふかめゆく智徳
 第1節 知の形成と展開
 第2節 慶應義塾
第4部 きりひらく実業
 第1節 福澤と経済
 第2節 もう一つの福澤山脈
第5部 わかちあう公
 第1節 明治政府と福澤
 第2節 演説
 第3節 『時事新報』
第6部 ひろげゆく世界
 第1節 体験する世界
 第2節 アジアへのまなざし
 第3節 はばたく独立自尊
第7部 たしかめる共感―福澤門下生による美術コレクション

「さまざまな福澤諭吉―福澤諭吉の読まれ方」松沢弘陽(前国際基督教大学教授)
「福澤の本質的な哲学的パラダイム」デヴィッド・A・ディルワース(ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校哲学科教授)
「福澤諭吉、フランス、そして世界…今その時」クリスティアン・ガラン(トゥールーズ・ル・ミライユ大学教授)
「異端と先導」鈴木孝夫(慶應義塾大学名誉教授)
「「恋愛」のはじまりと福澤諭吉」宋恵敬(高麗大学校日本学研究センター研究員)
「「福澤山脈」、その苦き勝利」小室正紀(慶應義塾大学経済学部教授)
「『時事新報』の先導性―独立不羈」鈴木隆敏(産経新聞社顧問、慶應義塾大学大学院文学研究科(アート・マネジメント分野)非常勤講師)
「オランダ・ユトレヒトに残されていた福澤諭吉写真―Geldmuseum所蔵文久二年遺欧使節団写真アルバムについて―」谷昭佳(東京大学史料編纂所 技術専門職員)
「福澤諭吉のロシア訪問―文久遺欧使節団ロシア訪問記―」アンドリイ・ナコルチェフスキー(慶應義塾大学文学部教授)
「中国における福澤諭吉のイメージ」劉群芸(中国北京大学経済学院副教授)
「福澤諭吉における西洋とアジア」小熊英二(慶應義塾大学総合政策学部教授)
「松永安左エ門と松永コレクション」尾崎直人(福岡市美術館学芸課長)
主要参考文献
関連年譜
出品リスト
FUKUZAWA Yukichi and the Present Day [NISHIMURA Minoru]
Asia, Japan and Europe in FUKUZAWA Yukichi’s Theory of Civilization [Annette SCHAD-SEIFERT]
What is ‘FAMILY’? [NISHIZAWA Naoko]
List of Works

購入日:2009年2月7日
購入店:東京国立博物館ミュージアムショップ
購入理由:
当初、この展覧会に行こうとは考えていなかった。福澤諭吉の『副翁自伝』を読んだことはあったが、1万円札の肖像で有名な実業家、思想家として名高い福澤諭吉の展覧会となれば、資料展示を中心に偉人伝といったイメージを形成するだけの展覧会ではないかと考えていたのだ。ところが、展覧会に行く週の木曜日の朝日新聞朝刊に美術評論家・高階修爾氏の展評が掲載されており、読後考えを変えることになった。その記事を読むと、本展では福澤門下生らによる美術コレクションが展示されているのだという。福澤本人は美術に関して発言、執筆していることはないらしいのだが、その門下生らは福澤の「国光は美術に発す」という言葉から美術作品のコレクションをしていた者が多数いるのだという。これは、こじつけと言えなくもないが、福澤諭吉と美術の関係がどのようなものだったのか外堀から考察していく視点はユニークで気になった。
 さらに、この記事から思い出したのは、先月の産経新聞朝刊で福澤諭吉展のコラムが連載されていたことだ。毎回読んでいたわけではないが、強く印象に残った記事に福澤は健康法として散歩を日課としており、散歩党と称し塾生たちを引き連れ散歩していたというのだ。この「散歩党」という言葉に私は感じ入ってしまった。ただ、散歩するだけなのに「散歩党」と名づけることで、なにやら社会的存在を装うこの発想に福澤のユーモアとセンスを感じたのだ。まさか1万円札になった人が、「散歩党」なる「党首」とは知らず、散歩好きの私は親しみと喜びと覚えた。
これら2つの新聞記事から福澤諭吉展に行こうと感じたわけだが、その発端はまことに福澤諭吉らしい動機だったのかもしれない。なぜなら、福澤諭吉は『時事新報』という日刊新聞を発行していたからだ。新聞メディアを創刊した福澤諭吉の展覧会を新聞で情報を得るというのは、偶然とはいえ福澤諭吉の力を感じる。

展覧会だが、丁寧に史料・資料を構成し、じっくりと福澤の歩み、影響を紹介していく内容に、福澤諭吉という人物がリアルに生成されていく。これは、福澤の思考・思想をベースに展覧会を組み立てているため、多少関連がないと思われるような事柄でも、福澤の思考が底流に流れているため展覧会として破綻がなくまとまっているのだろう。例えば、<第6部:ひろげゆく世界 第3節:はばたく独立自尊>において、福澤の著作が世界のさまざまな国で刊行されていることから、日本、中国、トルコ、フランス、デンマーク、ポーランドなどの人々に「あなたが研究したいことは何ですか?」「気品ある人とはどんな人ですか?」などという質問を投げかける映像作品が展示されていたが、これもまた福澤の思考を現代において問う試みとして、見入ってしまった(カタログ未収録なのがもったいない)。<第7部:たしかめる共感>美術コレクションの展示では、本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 七里」(江戸時代17世紀、五島美術館蔵)などすばらしい作品があり、眼が癒される。会場の都合上、展示会場が表慶館から本館へと離れてしまったのが残念だが、少ないながら充実した作品で眼を楽しませてくれる。
カタログはさすがに慶應義塾とあり、入魂の出来・ボリュームで感心する。約430ページの分厚さはなかなかない(同時に開催中の「妙心寺」展もボリューム満点の分厚さだが)。さすが研究機関である大学が編集をしているだけにテキストも充実している。展覧会場で読みそこなった文章もさまざまな論者によるテキストとともに、福澤諭吉のイメージを刷新してくれることだろう。今月のベスト展覧会。


未読日記227 「チェンジリング」

2009-02-13 10:08:37 | 書物
タイトル:取り替え子(チェンジリング)
著者:大江健三郎
カバーデザイン:司修
発行:講談社/講談社文庫
発行日:2004年4月15日
内容:
“まだ生まれて来ない者”たちへの希望を拓く、感動の長編小説
かけがえのない友の死を濾過し、ひときわ澄んだ光を放つ、大江文学の到達点!

国際的な作家古儀人(こぎと)の義兄で映画監督の吾良(ごろう)が自殺した。動機に不審を抱き鬱々と暮らす古儀人は悲哀から逃れるようにドイツへ発つが、そこで偶然吾良の死の手掛かりを得、徐々に真実が立ち現れる。ヤクザの襲撃、性的遍歴、半世紀前の四国での衝撃的な事件‥大きな喪失を新生の希望へと繋ぐ、感動の長篇!

チェンジリング【Changeling:英】
美しい赤ん坊が生まれると、子鬼のような妖精がかれらの醜い子供と取り替える民間伝承が、ヨーロッパを中心に世界各地に見られる。チェンジリングとは、その残された醜い子のことを指す。

購入日:2009年2月1日
購入店:e-Books
購入理由:
クリント・イーストウッド監督最新作『チェンジリング』の公開を知り、ふと大江健三郎の『取り替え子 チェンジリング』のことを思い出す。同名タイトルつながりで、どのような物語が語られているのか気になり購入(余談だが、アメリカのオバマ大統領の選挙フレーズは「Change」だったな、と今思い出した。だからといってオバマ氏の著作を読むわけではないが‥)。
大江健三郎の著作は数作読んでいるものの、それほど感銘を受けたことはなく、今回もカバー裏の解説を読む限り、興味が湧いてこない。内容から映画監督のことは故伊丹十三のことだと推測するが、そんなことはどうでもよく「感動の長篇」だとか「ヤクザの襲撃」「性的遍歴」「衝撃的な事件」「悲哀」「希望」など私の興味のない単語が羅列されていて大江健三郎とはこのような「言葉」によって語られる小説家だったか、と疑問を感じる。
しかし、宣伝文と作品から受ける私の感情は別である。私の中でどのような言葉が生成するかわからないが、たかが宣伝解説文を真に受けるのは本読みとして失礼だろう。そもそもクリント・イーストウッドの映画から大江健三郎に繋げようとすること自体、無理は承知である。こんな機会(偶然?)でもなければ読まなかっただろう。


未読日記226 「京都、オトナの修学旅行」

2009-02-13 10:02:24 | 書物
タイトル:京都、オトナの修学旅行
著者:赤瀬川原平、山下裕二
カバーデザイン:南伸坊
カバー写真:寺尾豊
発行:筑摩書房/ちくま文庫
発行日:2008年10月10日
定価:720円+税
内容:
お寺を堪能!
オトナになって初めてわかる日本美術の愉しみかた
(本書帯より)

京都といえば修学旅行。修学旅行といえば、お寺や仏像。イコール退屈。それは、子供の修学旅行だったから。お寺の造作や仏像、襖絵などの味わいを感じられるようになるにはオトナであることが必要だ。歳をとって初めて日本美術の愉しみ方が分かるようになるのだ。金閣寺や清水寺、桂離宮、平等院などの京都名所を「日本美術応援団」の2人が行く!(解説 みうらじゅん)
(本書カバー裏解説より)

購入日:2009年1月29日
購入店:恭文堂
購入理由:
仕事で来月、京都に行くことになった。そこで、恒例の京都本シリーズ。今回は赤瀬川原平、山下裕二の『京都、オトナの修学旅行』である。和辻哲郎の『古寺巡礼』が腰を据えて読むものであるなら、こちらはくだけて読める気軽さがいい。さらに今回の京都行きはある意味「修学旅行」のようなものなので、歳をとった「オトナ」の私には最適であろう(余談だが、私は「オトナ」という表記が好きではない。やはり大人は「オトナ」ではなく「大人」と書くべきだ)。
内容としては今回の見学先にも予定されている二条城、京都御所が入っているのが事前予習としては楽しみだ。著者の赤瀬川原平、山下裕二の2人は「日本美術応援団」というユニットを結成しているようで、この本は2作目だが、私はシリーズとして読むのは本書が初めてである。その名前も知ってはいたが、そのオヤジのノリと入門書的な内容に敬遠していたのだ。
 どうせ本を買って読むなら、すぐには読め進めそうもなかったり、内容が深くてすぐには理解できそうもないような本の方がいい。「わかりやすい」というのは危険なことで、とかく先入観を持ちやすい。本書もそのような「危険」な点があることを踏まえて読んでみたい。

未読日記225 「古寺巡礼」

2009-02-13 09:54:45 | 書物
タイトル:古寺巡礼
著者:和辻哲郎
カバー:矢崎芳則
カバー写真:入江泰吉
発行:岩波書店/岩波文庫 青144-1
発行年:2007年9月25日第53刷(1979年3月16日第1刷)
定価:700円+税
内容:
大正七年の五月、二十代の和辻は唐招提寺・薬師寺・法隆寺・中宮寺など奈良付近の寺々に遊び、その印象を情熱をこめて書きとめた。鋭く繊細な直感、自由な想像力の飛翔、東西両文化にわたる該博な知識が一体となった美の世界がここにはある。(解説=谷川徹三)
(本書カバー裏解説より)

購入日:2009年1月29日
購入店:恭文堂
購入理由:
仕事で来月、京都に行くことになった。久しぶりの京都である。今回の旅は古美術を中心とした研修なのである。そこで、和辻哲郎の「古寺巡礼」を読んでみることにした。本書では、京都より奈良周辺の古寺が多く、京都の古寺巡礼には参考にならないかもしれない。だが、和辻の古寺へのまなざし、その記述からは今回の京都行きでも何かを学ぶことができるだろう。
そもそも「古寺巡礼」とは何だろうか。人はなぜ「古寺巡礼」をするのだろうか。ただの旅とはどこか趣きが異なり、そこには精神的、内省的なモチベーションが含まれているように見える。そして、多くの著者によって「古寺巡礼」が書かれていることは興味深い。もちろん私は古寺そのものにも興味はあるが、『古寺巡礼』という著作そのものがもつまなざしの言語化に関心がある。そう、「古寺」より「巡礼」の方こそ問われなければならない。古寺に接した著者たちが感じた古寺という場や仏像、景観から感じたヴァイブレーションをどのようなまなざしのもとに言語化したのだろうか(加えて、土門拳の「古寺巡礼」写真も忘れてはならない)。そこに表れる美術、文学、政治、歴史、日本文化等を研究することで、「古寺巡礼」の果てに辿り着いた場所を考察してみたい。


風景ルルルレヴュー

2009-02-02 22:11:01 | お知らせ
ご報告がだいぶ遅れてしまいましたが、<風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~>展(2008年11月3日-12月21日 at 静岡県立美術館)レヴューを書かせていただきました。
静岡県立美術館様ありがとうございます。

カロンズネット↓
http://www.kalons.net/j/review/articles_259.html

お時間ありましたら、ご覧ください。