A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記884 『百年の孤独』

2014-06-30 23:23:07 | 書物
タイトル:百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
タイトル別名:Cien anós de soledad
著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス
訳者:鼓直
Drawing by Silvia Bächli
Design by Shinchosha Book Design Division
シリーズ名:Obra de García Márquez, 1967
発行:東京 : 新潮社
発行日:2014.5第15刷(2006.12第1刷)
形態:492p ; 20cm
注記:1999年刊の再刊
内容:
愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……。
20世紀後半の世界文学を物語の奔流で力強く牽引した怒涛の人間劇場、新世紀への開幕。

蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。1967年発表。

百年の孤独
注解
解説

購入日:2014年6月30日
購入店:大垣書店 烏丸三条店
購入理由:
 薬師川千晴展レビューの参考文献として購入。参考になるか、読み切れるかわからないが、会話の中で好きな小説として挙げられたので、この機会に読んでみようと思った。最近はほとんど小説を読んでいないので、小説の世界にゆっくり浸りたいのだが・・。

memorandum 163 草

2014-06-29 23:13:26 | ことば
草の戸 草屋根 草枕
摘草   草餅   草団子
草書   草案   草稿   草創
草庵   草堂   草木染
道草   干草   草千里
草履   草鞋   草双紙
草苞   草摺   草かげろう
草相撲  草野球  草競馬
草いきれ
草臥れる
草獣の地
草木も物言う
草木も眠る丑三つ時
草木成佛
草木塔
       草々

草の字つくものはみな好きで
思いつくまま呟けば
気分は シィンと 落ちついてくる
草に馴染んで生きてきた
見も知らぬ遠い祖先の
日々の暮し 日々のやつれも
見えがくれ
ならば
ちょっと目を離したすきに
たけだけしく繁茂する
庭の雑草も佳しとしなければならないか

ただただ敵とばかりは思わないで



茨木のり子「茨木のり子集 言の葉3」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、p.253.


そういえば、かつて私がいけばなを修了した時に頂いた雅号は「草悠」であった。
いまさらながら草のように生きてきたのかもしれない。

memorandum 162 倚りかからず

2014-06-27 23:24:46 | ことば
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ



茨木のり子「倚りかからず」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.242-243.



そうなりたい。

memorandum 161 答

2014-06-25 23:08:06 | ことば
ばばさま
ばばさま
今までで
ばばさまが一番幸せだったのは
いつだった?

十四歳の私は突然祖母に問いかけた
ひどくさびしそうに見えた日に

来しかたを振りかえり
ゆっくり思いめぐらすと思いきや
祖母の答は間髪を入れずだった
「火鉢のまわりに子供たちを坐らせて
かきもちを焼いてやったとき」

ふぶく夕
雪女のあらわれそうな夜
ほのかなランプのもとに五、六人
膝をそろえ火鉢をかこんで坐っていた
その子らのなかに私の母もいたのだろう

ながくながく準備されてきたような
問われることを待っていたような
あまりにも具体的な
答の迅さに驚いて
あれから五十年
ひとびとはみな
掻き消すように居なくなり

私の胸のなかでだけ
ときおりさざめく
つつましい団欒
幻のかまくら

あの頃の祖母の年さえとっくに過ぎて
いましみじみと噛みしめる
たった一言のなかに籠められていた
かみもちのように薄い薄い塩味のものを



茨木のり子「食卓に珈琲の匂い流れ」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.215-216.




この質問に対して、この答えには感嘆した。
こんな答をできる老人になりたいものである。

memorandum 160 知命

2014-06-23 23:59:32 | ことば
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと

生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで



茨木のり子「自分の感受性くらい」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、p.169.

memorandum 159 自分の感受性くらい

2014-06-21 23:48:13 | ことば
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



茨木のり子「自分の感受性くらい」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.167-168.

私はばかものだ

memorandum 158 汲む――Y・Yに

2014-06-19 23:33:25 | ことば
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと...

わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです



茨木のり子「鎮魂歌」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.82-83.

私もどきんとした


memorandum 157 わたしが一番きれいだったとき

2014-06-17 23:18:56 | ことば
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                   ね



茨木のり子「見えない配達夫」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.59-60.





memorandum 156 六月

2014-06-15 23:53:08 | ことば
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる



茨木のり子「見えない配達夫」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、p.56.


いま、美しい村も街も人と人との力も、失われてしまったのかもしれない


memorandum 155 ぎらりと光るダイヤのような日

2014-06-13 23:38:49 | 書物
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

〈本当に生きた日〉は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ


茨木のり子「見えない配達夫」『茨木のり子全詩集』花神社、2010年、pp.45-46.

〈本当に生きた日〉が少ないのなら、なおのこと長生きしたい。