A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

TOUCHING WORD 087

2009-03-23 14:18:37 | ことば
―お母さん、僕は死ぬのだろうか?―私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。
―お医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それが聞こえていた。僕は死ぬのだろうと思う。
 母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。
―もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
―………けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
―いいえ、同じですよ、と母はいいました。あなたが私から生まれて、いままでに見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたの知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。
 私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。そして翌朝から回復して行ったのです。とてもゆっくりとでしたが。冬の初めには、自分から進んで学校に行くことにもなりました。
 教室で勉強しながら、また運動場で野球をしながら―それが戦争が終わってから盛んになったスポーツでした―、私はいつのまにかボンヤリして、ひとり考えていることがありました。いまここにいる自分は、あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後、お母さんにもう一度生んでもらった、新しい子供じゃないだろうか?あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているのじゃないか? そして僕は、その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?
 この教室や運動場にいる子供たちは、みんな、大人になることができないで死んだ子供たちの、見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、その子供たちの替りに生きているのじゃないだろうか? その証拠に、僕らはみんな同じ言葉を受けついで話している。
 そして僕らはみんな、その言葉をしっかり自分のものにするために、学校へ来ているのじゃないか? 国語だけじゃなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子供らの言葉を受け継ぐために必要なのだと思う! ひとりで森のなかに入って、植物図鑑と目の前の樹木を照らしあわせているだけでは、死んだ子供の替りに、その子供と同じ、新しい子供になることはできない。だから、僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ……。
(大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』講談社/講談社文庫2004.4、p.361-362)



3月7日、<DE MYSTICA第2回展>のイベントとして、「対談:詩人・江尻潔×民族学者・川島健二―“アート”と“美術”との間に横たわる諸問題をめぐって」が銀座のなびす画廊で開かれ聞きに行った。全体としては美術についての問題より、より大きな視野で表現すること、生きることを問う内容であった。そこで民族学者である川島氏が話されたことに深く印象に残った言葉がある。聞きながらその場で書き留めた言葉なので正確ではないかもしれないが、川島氏は柳田國男の言葉からコミュニケーションについての考えを述べられた。それによると、柳田は生きている人どうしのコミュニケーションだけでなく、不在の今はいない人、これから生まれてくる人を含んだコミュニケーションを考えていたというのだ。それに続いて、日本人の死が身近にある世界観を述べられた。

 この話を聞いたとき、私にはその時、読んでいた大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」のある挿話を思い出した。すでに亡くなってしまった人、これから生まれてくる人がチェンジリングするその発想に遥かな視野があり、柳田國男の思想とつながってくる。とても長いのだが、その箇所をすべて引用した。小説のリズム、思考を伝えるためにはある程度の長さがないと伝わらない。

 その翌日、祖母が亡くなった。その日、私には前日の川島氏の話が頭の中で想起した。あのとき聞いた言葉が私に落ち着きを与えてくれた。これも祖母の力によって私に与えられた死への準備だったのかもしれない。死んだ者の「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぐこと。同じ言葉をしゃべること。そうなれるかはわからないが、それが生きている私にできることだ。

 写真はDE MYSTICA展に出品している利部志穂さんより頂いたポストカードとミルティ。今展では反響しあう圧倒的な空間を作り上げている。この作品もまた記憶、連想や想起を反響させてチェンジリングするような作品だと言えるかもしれない。使われているのは鉄パイプ、ワイヤー、割れた鏡、ハサミ、滑り台のような形状をした鉄の構造物‥などなど日常目にするものが使われている。それらの「もの」はこれまで「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぎ、まるで「その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?」と思わせるような継続と切断とのズレを含んだ新たな「子ども」として生まれているようだ。



未読日記237 「悩む力」

2009-03-23 14:14:03 | 書物
タイトル:悩む力
著者:姜尚中
装丁:原研哉
発行:集英社/集英社新書0444C
発行日:2008年7月29日第5刷(2008年5月21日第1刷)
内容:
情報ネットワークや市場経済圏の拡大にともなう猛烈な変化に対して、多くの人々がストレスを感じている。格差は広がり、自殺者も増加の一途を辿る中、自己肯定もできず、楽観的にもなれず、スピリチュアルな世界にも逃げ込めない人たちは、どう生きれば良いのだろうか。本書では、こうした苦しみを百年前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、最後まで「悩み」を手放すことなく、真の強さを掴み取る生き方を提唱する。現代を代表する政治学者の学識と経験が生んだ珠玉の一冊。生まじめで不器用な心に宿る無限の可能性とは?
(本書カバー裏解説より)

購入日:2009年3月9日
購入店:たらの芽書店
購入理由:
この日の朝、ラジオでたまたま著者の姜尚中(カン サンジュン)氏が出演しており、話を聞いた。それまで、名前は知っていたが(読み方はあやふやだったが)、よく知らなかった。だが、ラジオでその経歴や本書のことを聞くにつれ読んでみようかな、と思った。
とにかく優柔不断、意思薄弱な私はよく「悩む」。本書を読めば「悩む力」のエッセンスがなにかわかるかもしれない。もう一つの理由は、姜尚中氏の声がとてもよかったことだ。落ち着いた声で、静かに淡々と語るその語り口に聞き入ってしまう声なのだ。こんな声の人なら、ひどい本は書かないだろうなどと判断した。
そんな考えから、仕事を終えた後、途中駅で下車して買い物をし、そのまま歩いて帰る道すがらにある商店街の古本屋に期待もせず、ぶらりと入ったところ本書があっさり見つかった。その日に知り、その日に購入とは運がいい。これも前日亡くなった祖母の力かと、スピリチュアルに考えたりしてしまうが、こういうことをスピリチュアルとしてしか理解できないことが近代人の思考の限界だろう。望んでいることには人知を超えた力が働くものだ。


TOUCHING WORD 086

2009-03-19 11:55:23 | ことば
勇気をふたたび燃やし、聖なる希望の焔をふたたびともさなければなりません。太陽はまたのぼり、大地はふたたび花咲き、鳥は巣をつくり、母親はわが子にほほえみかけるのですから、人間である勇気を持とうではありませんか。そしてそのほかのことは星の数をかぞえ給うた方〔=神〕に任せようではありませんか。わたくしはこの幻滅の時代に、勇気がくじけるのを感じるすべての人々に向かっていうために熱烈な言葉を見つけることができればいいのですが。―お前の勇気をふるい起こし、なおも希望を抱くがよい、最も希望を抱く大胆さを有する者は最も誤まることの少ない者であることが確かだ。最も素朴な希望といえども最も理論的な絶望よりはいっそう真実に近い。
(シャルル・ヴァグネル『簡素な生活』大塚幸男訳、講談社/講談社学術文庫、2001.5、p.55-56)

使い古されたはずの「希望」と「勇気」という言葉に熱を入れる。

未読日記236 「古今亭志ん生 壱」

2009-03-19 11:46:35 | 書物
タイトル:隔週刊CDマガジン 落語 昭和の名人 決定版②古今亭志ん生 壱
編集人:宮本晃
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CDマスタリング:草柳俊一
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子
編集:小坂眞吾(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:高橋浩子
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:長谷川一、山田卓司
販売:豊栖雅文、竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
印刷:大日本印刷株式会社
製本:共同製本株式会社
発行日:2009年2月3日
価格:1190円(税込み)
内容:
人生そのものが落語だった
五代目 古今亭志ん生(1890~1973)壱
○酒と博打で質通い… 志ん生びんぼう物語
○CD鑑賞ガイド 破天荒な人生を笑いに

落語をもっと面白くする連載3本立て
田中優子○一両って、何万円?
五街道雲助○荷の担ぎ方
山本進○落語家の元祖

創刊記念特別付録
○聴きながら眺める200年前の江戸 江戸一目図屏風
○笑う前に知っておきたい基本の「き」 落語の基礎知識

CD(65分)
火焔太鼓…亭主の逆襲
替り目…やっぱり女房が好き
唐茄子屋政談…吉原恋し若旦那

購入日:2009年3月4日
購入店:中目黒ブックセンター
購入理由:
志ん生は前号の三代目古今亭志ん朝の父親である。「人生そのものが落語だった」とコピーにあるように、とにかく破天荒な人生で、落語も飄々としたおもしろさでめっぽう面白い。「替り目」など笑い泣きしてしまうほどかあいらしい小品だ。本来、この噺は続きがあるそうなのだが、志ん生は途中で終わらせてしまうため、演題の意味がわからないのだが、そんなこととは関係なくおもしろいものはおもしろい。


TOUCHING WORD 085

2009-03-19 11:28:56 | ことば
人類は信頼によって生きているのです。存在するというほかならぬそのことによって、人類は人類の存在することを望んだ《意思》を信頼しているのです。
(シャルル・ヴァグネル『簡素な生活』大塚幸男訳、講談社/講談社学術文庫2001.5、p.49)

ヴァグネルは言う。
「花や、木や、動物たちは、強い落ちつきと、全き安心とをもって生きています。落ちてくる雨にも、目ざめる朝にも、海へ流れる小川にも、信頼の念があります。」(p.48-49)
それは、存在すること自体の信頼である。朝が来るのも、夜の闇が来るのも、存在することへの信頼がある。
なにやら超越した思考に神秘主義的な面を感じるだろうか。だが、この脱人間中心主義な思考には拝聴すべきものがある。
わたしはあなたの<存在>を信頼しています。

未読日記235 「古今亭志ん朝 壱」

2009-03-19 11:20:01 | 書物
タイトル:隔週刊 落語 昭和の名人 決定版「古今亭志ん朝 壱」
編集人:宮本晃
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CD制作:株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子
編集:小坂眞吾(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:高橋浩子
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:長谷川一、山田卓司
販売:豊栖雅文、竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
印刷:大日本印刷株式会社
製本:共同製本株式会社
発行日:2009年1月20日
価格:490円(税込み)
内容:
正調江戸弁、落語のスタンダード
三代目古今亭志ん朝 壱
○高座に咲いた江戸の華 志ん朝の芸と人生
○話芸のツボが丸わかり CD鑑賞ガイド
落語をもっと面白くする連載3本立て
 田中優子「江戸のしきたり」
 五街道雲助「噺の「お約束」」
 山本進「落語の履歴書」

CD(65分)
「夢金」…雪の夜、大川で
「品川心中」…騙す女、引っかかる男

全26巻、26人、約75席。名人の十八番を選りすぐって、落語の本当の魅力を1年間、お茶の間に届けます。
全26巻/オールカラー20ページ+落語CD(2~4席)
隔週火曜日発売 第2巻より価格各1190円(税込)
シリーズの特徴
1、昭和~平成に活躍した名人・26人が勢揃い
2、その噺家の十八番、出来のよい音源を厳選
3、CDゆえ、時と場所を選ばず楽しめる
4、冊子にて、詳細な人物伝と聴きどころを掲載
5、全26巻通して読み、聴けば、落語通の仲間入り

落語 昭和の名人ウェブサイト→http://www.shogakukan.co.jp/rakugo2009/

購入日:2009年2月25日
購入店:恭文堂書店
購入理由:
疲れを抱えて帰宅する際、ぶらりと駅前の本屋に何をするでもなく入った。仕事と自宅の行き帰り、せめて仕事場以外の場所の空気を吸いたくて、ときどき寄り道をしてしまうのだ。入り口すぐの雑誌売り場をチラとみるとこの「落語 昭和の名人」シリーズが平積みされていた。その内容を見て元気が沸いてきてしまった。志ん朝、志ん生、小さんなど昭和の最高の噺家たちの寄席がCDブックとして1年間でるというではないか。この手の分冊マガジンは買ったことがないが、これなら買い続けたいという内容だ。さっそく第1巻の志ん朝の巻を購入。聴いて一笑い、読んですばらしき噺家人生。志ん朝の寄席を聴いて思う。落語はこんなに笑えるのに、なぜ泣きそうになるくらい人間が愛おしいのだろう。テレビのバラエティ番組では、こちらの感情の尾が引くことはないが、落語は余韻深く、感情にお土産を残してくれる。あらためて最近、落語を聴いていなかったが、やっぱりいいものだと再認識した。こんな時代だからこそ…いや、いつの時代にもぼくらには笑いが必要だ。しかし、溜まるCD26枚はどこに置けばいいのやら…。


TOUCHING WORD 084

2009-03-19 11:03:37 | ことば
人が人間であり市民であるのは、自らに与える財貨や快楽の数によってでもなく、知的・芸術的教養によってでもなく、その享けている名誉や独立によってでもなく、その倫理的気質の堅固さによってなのです。そしてこれは要するに今日の真理であるだけでなく、あらゆる時代に通じる真理であります。
(シャルル・ヴァグネル『簡素な生活』大塚幸男訳、講談社/講談社学術文庫、2001.5)

あたりまえのことをあたりまえにすること。
20才のとき、漠然とそう思った。美大という「個性」ある人が集まるという場所にいて、その場所に馴染めなかった私はそう思った。
では、その「あたりまえのこと」とはなんだろう。
何年も考え続けてきて、それは本書で指摘されているような「倫理的気質」ではないかと考えてみる。「倫理」が失われた社会、労働環境に身をおいて、問われるのは「倫理」ではないかと何度も頭にその考えが飛来した。だが、私が「倫理的気質」がある人間であり、市民であるかというと心もとない。目の前に悪がありながら、何が私にできるのだ。何度も悪に打ちのめされていく人を見続け、何もできない自分に失望する。もう悲しい顔をした人を見たくない。

未読日記234 「遊べる浮世絵」

2009-03-19 10:58:07 | 書物
タイトル:遊べる浮世絵 体験版・江戸文化入門
著者:藤澤紫
ブックデザイン:原条令子デザイン室(原条令子+水上英子)
印刷・製本:東京書籍印刷株式会社
発行:東京書籍株式会社
発行日:2008年9月10日
内容:
見て、読んで、作って、遊べる江戸のエスプリ

Introduction 浮世絵から見えてくる江戸の文化と遊びの心
第1章:浮世絵で読む江戸文化
 浮世絵を楽しむ基礎知識……浮世絵の主題
 浮世絵の制作と流通
第2章:浮世絵を見る楽しみ・読む楽しみ
第3章:浮世絵に学ぶ絵のテクニック
資料編

入手日:2009年2月26日
著者の方よりいただいたもの。
浮世絵の入門的な冊子となっており、この1冊で浮世絵から江戸文化まで広く知ることができる。著者の方は多くの大学で教えている経験があるため、その蓄積によってまとめられたと思われる。その試行錯誤を通じて培われた浮世絵への愛情が本書には満ち満ちている。具体的に作ってみる箇所があったり、資料なども充実していて浮世絵を丸ごと頭で、手で学べる構成がユニーク。


未読日記233 「自然の中の……静謐な魂の声」

2009-03-04 13:36:09 | 書物
タイトル:平岩洋彦展
制作:株式会社ビジョン企画出版社
協力:箱根・芦ノ湖成川美術館
撮影:有限会社サニー・フォト
印刷:アート印刷株式会社
内容:
2002年(平成14年)11月27日(水)~12月3日(火)に東京日本橋島屋6階美術画廊(ほか、横浜、大阪、京都、名古屋の島屋を巡回)で開催された<平岩洋彦展 自然の中の……静謐な魂の声>の図録。

「清雅なる山中独語―平岩洋彦のまなざし」篠原弘(美術評論家)
図版(15点)
「雪煙」平岩洋彦
出品目録
平岩洋彦略歴

作家サイン入り

入手日:2009年3月4日
入手場所:仕事場
仕事場で同僚より頂いた。実は、昨年か今年の初めに頂いたのだが、頂いた日付を失念したため、これを書いた日を入手日とした。
展覧会は怠慢のため見ていないのでコメントはできないが、いわゆる「日本画」の展覧会。収録されている美術評論家・篠原氏のテキストによれば、平岩氏の作品は「文人画」的資質をもった作品として評されているが、私には西洋画の影響が感じられる。表現目メディアが「日本画」であると、岩絵の具などから「日本」及び「東洋」を連想しがちだ。だが、そういう分類に私は興味はなく、昨今の日本画滅亡論もいつの時代にもある話で、さして新鮮味がない。なにかドメスティックな議論に感じてしまうのだ。美術関係者ぐらいしか興味を持つことができない議論は不毛だ。それを言うなら絵画滅亡論として、「絵画」そのものを問うスケールの大きい問題を考えてほしい。話が逸れてしまったのでここでやめにする。